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投稿試驗
http://www.asyura2.com/10/test19/msg/512.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 18 日 22:07:33: xsXux3woMgsl6
 

(回答先: 投稿試驗 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 18 日 22:00:53)

 
 
 
 
  自分自身の心の闇と嚮き合う覺悟が無い者、
  自分自身の心の闇を無い事にする僞善者、
  こんな者には解り得ないと云ふ事なんだな。

  其の見たくない部分、
  認めたくない部分、
  其れも含めて己だらうに。
 
 
 
 
『るしえるのうたへる詩』
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/249.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 24 日 22:37:14: xsXux3woMgsl6
 
 
善と惡
http://www.asyura2.com/09/bd55/msg/351.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 3 月 08 日 10:32:25: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 二極性の統合に就いて説明を省いたが、
宇宙人の進化のドラマは、此の二極性の統合にある。
此のことは、元つbの行はうとしてゐる三元の仕組みと合致するのではないだらうか。
 宇宙存在は、宗教に於けるb々であり、基督教やb道などの宗教のb々と變りない。
此れから先、「仕組み」に就いてもつと明らかになれば、
すべての内容は一致するのかもしれない。
 善惡を超えて「大いなるすべて」と統合する仕組みは、
基督教の世界でも自動書記によつて語られてゐる。
此の自動書記を受けたのは一人の主婦だ。
彼女は基督教の信者ではないが、b示が降ろされる對象は、
多くの場合、宗教を問はない。
 其のb示は一九八八年四月に突然降ろされ、其れはイエスからのものであつた。
其の後、「るしえる」からもくるやうに成つた。
「るしえる」とはルシフアーのことだ。
 いろいろ紹介し度いが、此處では一つ、一九八八年の五月二十日に降ろされた
『るしえるのうたへる詩』と云ふのを紹介しておかう。
 
 
 
 
さあ やさしいあなたよ
さあ 私の愛するやさしい人々よ
私のまことの姿を いまこそ知つてほしい
 
 
私は本來
決してあなた方人間に敵對するものではなかつた
あなた方をまことに救はんがため
またbの命により 天下りし者であつた
 
 
私の此の覺悟のほどを知るがよい
私のほんとうの心を知る者はゐない
どれほどの者が知つてゐたであらうか
否 いえすと名のる かの魂のほか
まことのことを知る者はなかつた
何故ならば
まことのことを知られては
私のなすべき任は なし得なかつたが故に
 
 
いまこそ知るがよい
人々よ 知るがよい
そなたたちのネガテイヴなもの
人が惡と呼ばはりしものを
私はすべて
私の力のうちに收めたのである
私以外に
此のことを誰がなし得たであらうか
 
 
私は
bがそなたたち人々を愛された
其の全き愛のもとに
私もそなたたちを愛してゐた者である
bの愛に比類する愛のゆゑに
私はペルゼブルとはなり得た
 
 
知るがよい
此の天(あめ)が下の大いなる愛の徴(しるし)を
私はいま
自らを まことの愛の天使に變へようとしてゐる
其の意味するところのものを
人々よ
まことに知るがよい 知るがよい
 
 
時こそ來たれり
時こそ來たれり
 
 
大いなるbの從者 るしえる
(『光と影のやさしいお話』より)
 
 
 
 
一讀してわかるやうに、此處ではルシフアーも大いなる愛のため、
私たちを救ふために「惡」と呼ばれるやうに成つたと云つてゐる。
「救ふために惡に成る」と云ふのは、わかりにくいが、
此處まで本書をお讀みに成られた方は、既に其の意味はおわかりだと思ふ。
 以上、宇宙存在からの情報の一端を紹介してきたが、
善惡でものを考へてゐては理解出來ない。
善惡と云ふ二極性を統合すると云ふ考へ方が、此處にも強く流れてゐる。
 
 
日本のb話に於いて其れは素戔嗚尊が荒ぶるb、
惡のbとされてゐる事に同じやうに歴史の改竄が行われているのが見て取れる。
 
 
 
 
春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、
草木許りでないぞ、
何もかも もえ出づるのぞ、
此の方の申す事 譬(たとへ)でないと申してあろが、
少しは會得(わか)りたか。

石もの云ふ時來たぞ、
此の道 早く知らして呉れよ、
岩戸は五囘閉められてゐるのざぞ、
那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、
天照大bの時、
b武天皇の時、
佛來た時と、
大切なのは須佐之男b樣に罪着せし時、
その五度の岩戸閉めであるから
此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。
愈々きびしく成つてきたが此れからが正念場ざぞ、
否でも應でも裸にならなならんぞ、
裸程結構なもの無い事 始めて會得(わか)りて來るぞ。

十二月一日、一二。

                    日の出の卷 第一帖 (214)
 
 
 
 
 
次の岩戸しめは天照大bの時ぞ、
大bはまだ岩戸の中にましますのぞ、
ダマシタ岩戸からはダマシタbがお出ましぞと知らせてあらう。
愈々と成つてマコトの天照大b、天照皇大b、
日の大b揃ふてお出まし近うなつて來たぞ。
次の岩戸しめは素盞鳴命に總ての罪をきせてネの國に追ひやつた時であるぞ、
素盞鳴命は天下を治しめす御役のbであるぞ。

                                       (日月聖典より引用)
 
 
 
 
善惡

bはbの御靈分けられ、わが子の如く人間を作られん。
肉體、知惠、言葉をあたえられ、
物質文明、富を作らせ欲を持たせ地上のすべての萬物事象發展するを望まれり。 

萬物事象全てに陰陽あり。
なれば人間にも善と惡との兩方備はりたる。
善のみなるは發展望めず。
善と惡とは裏表、善は惡なり、惡は善なり。

欲ありなばさらなる發展へと導かれん。
なれどbの望まるる善惡は今此の世の善惡とは異なれり。
惡は善を生かすための惡なり。
脩行のための惡なり。

bにも大きな誤算ありなん。
欲は我欲と成りてとどまる事を知らぬ。
いつしか欲は發展のための欲にあらず、
己の利益追求のみの自分勝手なる我欲へと變はりなん。
今の世、我の利益追求のためなれば人の命さへも輕んじる者多かりし。
愚かしや。

物質は人の命を守り人の心を癒し嚮上發展させるものなる。
さなる大元を人は忘れさりたり。
地球をいため傷つけ、
其の上にbの領域にまで踏み込み侵さんとする驕り愼むべし。 

今此の世のあらぶりたるを、
ただの偶然ととらへるやbの警鐘ととらへるや
其れにて道は分かれゆかん。
 
 
 
 
 
 
 
 
孔雀
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/197.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 10 日 22:12:43: xsXux3woMgsl6
 
 
良い宇宙人と悪い宇宙人
ひふみ神示 黎明編 NO4192
キリスト教ではクジャクはサタン
http://www51.tok2.com/home/slicer93190/10-4192.html
 
 
「七つの大罪」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%BD%AA

その中に、 七つの大罪とそれに比肩する悪魔と動物として

悪魔          大罪          動物
ルシファー    −−−− 傲慢(高慢) −−−−  グリフォン、獅子、孔雀
レヴィアタン   −−−− 嫉妬     −−−− 蛇、犬
サタン       −−−− 憤怒     −−−− ユニコーン、竜、狼
ベルフェゴール −−−−  怠惰     −−−− 熊、驢馬(ろば)
マモン      −−−− 強欲(貪欲)  −−−−  狐、針鼠
ベルゼブブ    −−−−  暴食(食欲)  −−−−  豚
アスモデウス   −−−−  色欲     −−−− 蠍、山羊

  *グリフォンとは、鷲(あるいは鷹)の翼と上半身、ライオンの下半身を もつ伝説上の生物。

「キリスト教の用語で、「罪」そのものというよりは、人間を罪に導く可能性があると(伝統的にキリスト教徒により)みなされてきた欲望や感情のことを指す。」
と記載されています。

8番目の絵の、孔雀が全て管理している事を表しているのかなと想像します。
 
 
「マラク・ターウース」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%82%B9

「マラク・ターウース(Melek Taus)とは、イラクのクルド人の間で信奉されるヤズィード派の主神にして孔雀天使。
人類を救うために天に反逆した堕落天使。
正確にはマラク・ターウース・ツァール・パウリン。
マラク・ターウースとは「孔雀の王」の意味で、メレクタウスとも呼ぶ。
また、ヘブライ語ではマラクは天使の意味とも。
最初に生まれた原初の天使。
マラク・ターウースは一万年地上を支配するとされ、今から6000年前より支配していたとされる。
反逆の罪で一度地獄に落とされた。
神に許された孔雀天使マラク・ターウースは、神とともにアダムを作ったが、アダムが楽園を享受し何もしないため神からアダムを唆すことを許され、アダムに禁断の麦を食べさせた。」

と記載されており、孔雀=ルシファー(サタン)を示しているのではと思います。
人類を救うために天に反逆した堕落天使とありますが、驚く事に堂々と堕落天使であると認めているのですね。
ただ、人類を救うかどうかはわかりませんが。
 
 
 
 
 
 
 
 
    だました磐戸からはだましたbが出て、
    ウソの世となつたのぢや、
    この道理判るであらう、
    ニセbやら、だましたbやら、
    次々に五度の磐戸閉めと申してあろが、
    タンバはタニハ、田庭とは日の本の國ぞ、世界の事ぞ、
    タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、
    日の本と云ふ事ぞ、キミの國ざぞ、扶桑の國ざぞ、
    地場ざぞ、判りたか。
    地場を固めなならんぞ、
    五十鈴の川はムツの川、和合の川ぞ。
    社殿(やしろ)は八方に開く時來たら八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、
    マコトの八尋殿。
    何も判らん無茶苦茶者が、偉ら相な名のbがかりして、
    何も知らん人民をたぶらかしてゐるが、今に尻尾を出して來るぞ、
    尻尾つかまらん内に改心してbの道に從つて來いよ。
    八月二十三日、一二み(丸に點)。

                                    ひふみb示 海の卷 第十一帖
 
 
 
  五色b祭の日、
  八月二十三日に下ろされてゐるのが興味深い。
 
 
 
 
 
 
 
 
    磐戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、
    ナミのbが火のbを生んで黄泉國に入られたのが、そもそもであるぞ、
    十の卵を八つ生んで二つ殘して行かれたのであるぞ、
    十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、
    五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、
    總てb界のこと、靈界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、
    それでちやんと道にはまつてゐるのであるぞ。
    一ヒネリしてあるのぢや、
    天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。
    夫b、妻b、別れ別れになつたから、
    一方的となつたから、磐戸がしめられたのである道理、判るであらうがな。
    その後、獨りbとなられた夫bが三bをはじめ、
    色々なものをお生みになつたのであるが、
    それが一方的であることは申す迄もないことであらう、
    妻bも同樣、黄泉大bとなられて、黄泉國の總てを生み育て給ふたのであるぞ、
    この夫婦bが、時めぐり來て、
    千引の磐戸をひらかれて相抱き給ふ時節來たのであるぞ、
    うれしうれしの時代となつて來たのであるぞ。
    同じ名のbが到るところに現はれて來るのざぞ、
    名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、
    この二つがそろうて、三つとなるのぞ、
    三が道ぞと知らせてあらうがな。
    時來たりなば この千引の磐戸を倶にひらかんと申してあらうがな。

    次の磐戸しめは天照大bの時ぞ、
    大bはまだ磐戸の中にましますのぞ、
    ダマシタ磐戸からはダマシタbがお出ましぞと知らせてあらう。
    いよいよとなつてマコトの天照大b、天照皇大b、日の大b、
    揃ふてお出まし近うなつて來たぞ。

    次の磐戸しめは素盞鳴命に總ての罪をきせてネの國に追ひやつた時であるぞ、
    素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)のbであるぞ。
    天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであつて、
    よろづの天のb々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪bと誤つて了つたので、
    これが正しく磐戸しめであつたぞ、
    命(みこと)をアラブルbなりと申して傳へてゐるなれど、
    アラブルbとは粗暴なbではないぞ、
    あばれ廻り、こわし廻るbではないぞ、アラフル(現生る)bであるぞ、
    天ヶ下、大國土を守り育て給ふbであるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。
    このことよく理解出來ねば、今度の大峠は越せんぞ。
    絶對の御力を發揮し給ふ、ナギ、ナミ兩bが、
    天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御bであるぞ。
    素盞鳴の命にも二通りあるぞ、
    一bで生み給へる御bと、
    夫婦呼吸を合せて生み給へる御bと二通りあるぞ、
    間違へてはならんことぞ。

    b武天皇の磐戸しめは、
    御自ら人皇を名乘り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。
    bの世から人の世への移り變りの事柄を、
    一應、磐戸にかくしてbヤマトイハレ彦命として、
    人皇として立たれたのであるから、
    大きな磐戸しめの一つであるぞ。

    佛教の渡來までは、わずかながらもマコトのb道の光がさしてゐたのであるなれど、
    佛教と共に佛魔わたり來て完全に磐戸がしめられて、
    クラヤミの世となつたのであるぞ、
    その後はもう亂れほうだい、やりほうだいの世となつたのであるぞ、

    これが五度目の大き磐戸しめであるぞ。

                                              五十默示祿 碧玉の卷 第十帖
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    こ度の天意轉換は、此の宇宙創りたる始源より決まりてありた事なのぞ。
    汝等の宇宙、光ひとつ上ぐる仕組み、七つに別けて進み來たりたのぢや。
    こ度が其の最期なり。
    七期目の仕上げの時に成りたのぢや。
    しかあれ、こ度の大變は天意轉換なるが由でなきこと、先づ知りおきて下され。
    世界の人民樣ケガレ無くありたなら、マコト麗しき幕の上がりでありたのぢや。
    なれどケガレ逆卷く氣枯れ世と成り成してしもうたが、こ度の大變招きしワケ成るぞ。
    こ度ケガレ祓ふは元つbなるぞ。
    こ度はハラとアタマの戰ぞ。
    b力と學力の戰ひであるぞ。
    アタマ『あやま知』用ゐて汝等のb氣いずるを封じ込め。
    さんざん世を氣枯れケガラし〔マコト〕無き世と成さしめたのぢや。
    bにはアタマを操るの仕組みし企み、すべて解かりて居る由、
    最後の最後の最後のところで見事ひくり返し、あつぱれ新しき御代建てるも心配無きが。
    人民樣には此れよりひと苦勞ふた苦勞、地獄の苦勞もせなならん者もあるから、
    しつかり〔マコト〕持ち行きて下されよ。
    汝等、惡bの仕組みし企み知るよりも三眞釣り持ち行く〔マコト〕大切なるを忘るなよ。
    其れ無くば、何を知りてもご無念ぞ。
    日本の大變が酷いのは上に立つお偉い樣方、
    ヒノモトは《元つキの國》なるを『あやま知』に惑はされすつかりだまされ忘れ去り、
    b氣息も出來ぬほどにケガレ氣枯らしてしもうたが由なるぞ。
    汚してはならぬ元つbのごb體でありたのぢや。
    汚したるご無禮、末代ワビつると申せど取り返しのつかぬ事でありたのぢや。
    一度は日本はもう潰れたと、誰もが思ふ酷き有りざまにせなならぬ。
    bも辛いが此れも人民樣にマコト無きが由ぞ。
    マコト無き所にマコトのbは降りぬのぞ。
    b、幾度も注意を促し來たりたのぞ。
    されど汝等聞かず。
    『あやま知』に目がくらみ我欲に囚われてをりたのぢや。
    由に申して居る、
    こ度の災難、天意轉換の仕組みより受くるのでないぞ。
    b仕組みで無いぞ。
    汝等自身の仕組みし大變の事なるぞ。
    巷で騒ぎつる世の破滅、汝等の仕組みし世を祓ふ大掃除のことであるぞ。
    今までの世でありたならケガレと光、共にある事も仕組み有りて出來た事なれど、
    新しき御代に成りたればケガレと光、共にある事適はぬのぢや。
    仕組み變はるのぢや。
    此のことよくよくハラに入れて下されよ。
    今迄のb佛説きし轉生は古き教への中でのことぢや。
    今迄は中つ世のb々のお役目なればいたしかたなくありたなれど
    古き轉生の教へこ度で終はりぞ。
    取り違へ致すなよ。
    こ度の事は元つbの仕組みなれば、中つb々樣でも解からぬ事ぞ。
    元つ心にスミキリてなくればb々と申せど何處へも逃げおおせぬお仕組みなるぞ。
    光ひとつ上ぐるのぢやから、ケガレ持ち越せぬのぢや。
    汝初めてのこと由、解かり難きも無理なきが、
    ケガレ持ちた儘何處へ生まれ落つる積りぞ。
    こ度は汝の生まれ落つる所、何處にもなきぞ。
    b、許さぬが由ぞ。
    此れ程申してもマコト持ち行けぬ者、止むなし。
    其の者の尤も避けたき苦難、
    萬倍の有りざまにして未來へ打ち捨つる外なきも解かるであらうが。
    もうb、待たれんのぞ。
    汝、マコトbのb民なから身魂の大掃除、自ら勇んでして下されよ。
    ケガレ自ら拂ふミチ、こ度の、bの、手傳ひと、知るが始めのマコトミチ。
    解かりたか。
    しかあれ、
    こ度の大掃除は人民樣だけでは大變なから
    日本の國の上に立つお偉い樣方のマハタラキ大切でありたなれど、
    身魂既に病み重きに至り、曇りに曇りて九分九厘、
    天の賊と成り果てしもうてをるのぞ。
    改心既に遲く、最早痛い目見るより外なき有りざまと成りてしもうたのぢや。
    由に殘されしマコトのb民一人一人、早う改心傳ふるが、
    此のフミ出せしワケなるぞ。
    とどめの傳ふるフミなるぞ。
    スミキリてスナオに聞くがお陰受く取るミチノリと思ひ勵んで下されよ。


                                               火水傳文 八 - 十一
 
 
 
 
 
 
 
 
    今今に惡に見ゆるは、惡を使うて惡拂ふこ度に使ふ道具なれば、
    まだまだ惡の世が續く思ひて居ると、怪我をする傳へあらうがな。
    此れからは惡と惡の共喰ひに成りて參りて、
    惡bも苦しくあるから暴れる程に益々危うき世と成りて參るから、
    汝等は卷き込まれん樣に氣を附けて下されよ。
    メグリ多く持ちあると卷き込まれてしもう由、
    早う自ら清まりてメグリ拂ひて下され申し參りたのぢや。
    自らに嚴しく三眞釣り持ち行くが急ける事にてござるぞ。
    人民樣の眞中にありても同じ事が起こりて居るのぢや。
    汝、未だ氣附かず。
    なれど汝等は宇宙コトワリのに似素型にてある。
    なれば今今のb經綸の御ハタラキ、
    そつくり其のまま、汝等の眞中にても既にハタラキあるを知りて下されよ。
    汝等の眞中に殘りありた一厘のマコト、
    元つ大bのお出ましに呼應致して、
    汝の眞中を占據する身欲を基の臺と成す、
    九分九厘の『あやま知』を自ら拂はんと鳴り響きて居るのぢや。


                                            火水傳文八十三
 
 
 
 
 

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