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投稿試驗
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投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 18 日 22:00:53: xsXux3woMgsl6
 

(回答先: 投稿試驗 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 6 月 18 日 21:43:36)

 
 
 
 
實は前からうすうす思つてゐた事があつた。
此の地球上で邪惡なる勢力の、靈的にも實體を伴つてゐる存在共々、
中樞部、本體は一體何處にあるのだらうかと。
實は其れは此處b國日本にあるのではないかと。
恐らく其れを知つてゐるのは、ほんの極々一握りしかゐないのだらうなと。

そもそも善とか惡とかは無い。
はつきり云ふならば、白魔術、黒魔術、善なる存在、惡なる存在、
兩勢力は、實は同じ存在か、
若しくは極近い者同士、阿吽の呼吸でやつてゐる事なのではないかと。
善と惡は表裏一體。
だが然し、たとえさうであらうとなからうと、
此の國に張り巡らされた結界・封印は解かねばならない。

宇宙b靈アーリオーンも其のやうに言つてゐる事からも、
日月b示の抱き參らせよと言つてゐる事からも、
其れは避けては通れない。
誤魔化し續ける事は最早出來ない。
時代が其れを許さない。
ゆゑに此の結界・封印は解かねばならない。

ルシフアー、素盞鳴命に對する理解が進んで來てゐるせいであらうか、
大難だつた災害は小難に成つて來てゐるやうに思ふ。
どちらにしろ、表と裏はまさに表裏一體、此の流れは絶對に避ける事は出來ない。
寧ろ、喜びを以つて進めねば成らないのだらう。
 
 
 
 
 
 
 
 
鞍馬寺 ウエサク祭の謎解き
http://uumusou.yamanoha.com/monoomoi/newage6.htm
 
 
鞍馬寺 ウエサク祭の謎解き
2007/5/15付け
ブログ記事より

 
 
何から話していいやら。すべてはクローズしているというのに、私しないでおこうと思えば、その塊から毛糸の玉の先っぽをみつけて、ほどくように書いていかねばならない。もし端緒を間違えたら、ほどけるどころかいっそう解き難い強固な塊にしてしまうだろう。頭の中の整理の悪さと文章力のなさが相乗して、どれほどの反映ができるかも分からない。今まで納得できて書き終えた記事などほとんどない。抜け落ちや、前に書いたのを忘れたりして、余計を繰り返している。その手を煩わせようと、入力変換がミスしてくれる。何と骨の折れるコミュニケーション法しか用意されていないことか。
それに加えて、もう私のいる時空にはほとんど人が残っていないのだろう。ほどなく橋の上で破断することが分かっているのか、前の駅で降りてしまったようだ。もう二つばかり駅があるから、いよいよその先は一人旅となろうか。ならば、とりとめもなく書き連ねる愚行も、移り行く景色を眺めながらの徒然の旅日記とでもしておこう。


鞍馬の秘儀、ウエサク祭

鞍馬山のウエサク祭が、今年は五月三十一日に行われるとか。
ウエサク祭は五月の満月の夜に毎年行われるという奇祭であるが、その初源はいろいろと明らかにされてきているもようだ。私は最近になってこの地方の伝承に意識が向きだしたもので、鞍馬に行ったこともなければ、鞍馬伝説にもほとんど造詣がない。今になって調べても、訳がわからなくなり混乱するようなことになる。私の場合は、必要な鍵が次々とシンクロするように、閃いたり誰かからもたらされたりするものだから、それまで意識が向かなかったということは、謎解きの俎上に載せる必要がなかったと解釈するわけだ。
だが、今になって、その場所に重大な意味があったと気付いて、まだ謎解きの旅の終わりが見えてこない。もしかすると掲題にしたように、ラス前の謎解きになるのかも知れないし、そうでないかも知れない。といっても、このラス前とは、ジュセリーノ予言を前提とした地球滅亡の直前のつもりもあり、また違った意味でもある。これでは意味がさっぱり分からないか。

さて、
畿内に描かれた生命の木の配置からすれば、鞍馬とは「暗・間」であり、これこそ字義どおり、隠された間「ダアト」にあたる。ダアトは生命の木の表に出てくるセフィラではない隠された「局」である。この辺の謎解きは簡単だ。

私の意識に重要性のアラーム音がびんびん響いてこなかったのが不思議。というのも、本尊が破壊と再生に関与するサナート・クマラという聖者で、毘沙門天、金星王、大天狗、さらにはそこからルシファーという繋がりが見出せるすごい霊的存在だというのに、私はその縁者(その理由はここ)と思っていた割には意識してこなかった。この謎解きにも、時計仕掛けの何かがあるのなら、ここに認めることによって、新たな展開が見られるかもしれない。


生命の木と八角多層塔の関係

生命の木の図柄を読み直してみよう。生命の木の図柄は、よく見れば「上・中・下」の三層に分かれていることが分かる。ここでは、それが八角三層の中国式「塔」に変遷したのではないかとの仮説である。

      

ニギハヤヒの頃には十種の神宝を生命の木の各セフィラに割り当てて祭っていたものが、神武以降には「根ごと掘り起こした賢木」を「上・中・下」の三枝にわけて三種の神器を割り当てるふうに変化している。発想の展開の下地がここにあるとみられないだろうか。
そして生命の木は、外郭の各セフィラを頂点とすれば、八角形をしていると見られよう。ニギハヤヒ命の後裔になる伊予水軍として名を馳せた河野氏の家紋が「折敷に三文字」(八角の内に三の文字)とされているのも象徴的である。


      


実はこの関係が、中国に見られる「八角三層」の風水塔に反映されているというのが拙説だ。
生命の木の原理であるカバラは表にされない知識。とすれば、中東に発したカバラが経由地に展開した表立った幾何学が八角三層であったとしても不思議ではない。
そして八角三層の風水塔は、主として呪術結界として用いられていた。その発想はまさにカバラ的である。
三層とは限らず、七層やそれ以上の多層塔が作られてもいるが、生命の木の図式もさらに重層しているケースも見られることから、多層化でより強い呪術力を期待したと言えようか。

八角多層塔の効果が示された物語が「白蛇伝」である。白蛇の精は法海和尚の法力に敗れ、法鉢に閉じ込められた末、八角多層の雷峰塔の下に埋められ封印される。雷峰塔は、今も西湖のほとりに佇む。(観光化されている)
その伝説は今でも本当のことのように残っており、白蛇への判官びいきの筋からは、近年の雷峰塔の老朽化による崩壊で、結界を脱して出てこれたのではないかと期待されたりしている。フィクションとするには惜しい物語だ。しかし、この雷峰塔はまた近代的にエレベーターまでつけて蘇っている。白蛇もうまく出てこれただろうかと私も判官びいきするしだいだ。というのも、私が生まれて初めて映画館で見たアニメが東映の「白蛇伝」だったからだ。


移情閣の結界パワー

八角三層の風水塔が日本にもある。それは、神戸の舞子公園にある「移情閣」である。六角堂という愛称があるが実際は八角である。明治時代に華僑・呉錦堂によって作られた風水塔で、その意義は、彼が海運事業家であったことから、瀬戸内の船の航行の安全を願って、瀬戸内海の「龍」を鎮める目的で造られたのだという。
風水塔の役割は、確かに龍や蛇などの異界の働きをコントロールすることにあったようだ。
本場の中国の上海や香港、台湾などでは、風水は紛れもなく異界の力を利用し制御する科学である。「龍」は生き物というより、「気」の流れという捉え方をしているようだが、古来これを神獣として描いているからには、エネルギーと生命の両面性をもった存在と考えてもいいだろう。私はビデオカメラで、意識を持った生き物のようなふるまいを見せる、その生命的意識体的側面を捉えている。プラズマ生命体ではないかという仮説も、けっこういい線ではないだろうか。⇒ここ
むろん現代科学的発想はまったく用をなさない。それは「気」というエネルギーからして、研究の俎上に載せないのだから、科学者にコメントを求めたとて、まともな答は返ってこないだろう。

さて、そうした「龍」をコントロールしようとしたのが「移情閣」であったようだ。呉錦堂は、そこをメーソンロッヂにしようとしたらしいほか、日本に亡命してきた辛亥革命の孫文を招いている。といっても、孫文が来た当時はまだ松海荘という建物のみで、八角堂はなかったようだが、革命志向の気概は感じられる。
故意かそれとも単なる偶然かは不明だが、移情閣は現在、三階だけすべての窓が閉められており、観光目的の参観は二階までに止められている。三階がどんなふうかは、一階二階と合同形ということから推測するしかない。
二階から見る瀬戸内方向の眺望は素晴らしく、現在はそこから明石海峡大橋の淡路に架かる様が明るい空と青い海に映えて臨まれる。三階からの眺望もいかばかりかと思うのだが、いささかもったいない気がする。
だが、この閉ざされた真っ暗闇の三階は、まさに生命の木の「ダアト(暗間)」との意味的対応が取れるのだ。多分そこは、意味深な祭儀の間だったと推測される。

この風水塔の呪術効果が絶大だったという証拠が、婉曲的ではあるが、あの阪神淡路大震災で知れることとなった。
今ある舞子公園化された中に絶景に映える趣きになったのは、明石海峡大橋の建設による。それまでは、やや東の国道二号線と海辺の間の狭い場所にあった。その頃は、各階全面が閉ざされ、観光化されてはいなかった。外観は老朽化の様を呈していた。
それが橋の開設に伴って解体され、舞子公園整備の暁は観光地として公開されるべく、部材になっている間に修理や塗装などが行われる手はずだった。
1994年3月に解体着手されて、解体がほぼ終盤になった時点で、あの阪神淡路大震災は起きている。解体が完了したのは、震災のお陰で7月になってしまった。つまり、風水塔が何の理由であれ、潰されて原型を失くしていた最中に天変地異が起きているというわけだ。そして復元完成は遅れに遅れて2000年3月となった。
これを偶然と片付けるのは現代科学的発想だ。しかし、異界の科学からすればそんな生易しいものではない。
地元民の一説として、架橋の橋げたの基礎工事で、触れてはならない岩盤に杭を打って、明石の龍神を怒らせてしまったせいではないかと囁かれたりもしていた。とにかくそれまでのポートアイランドの大規模埋め立て工事などの滅多やたらな土地の造作説や重力異常説とともに、迷信のようながら原因視されたことであった。むろん、科学者や土木の専門家は因果関係を強く否定したに違いない。
だがもし、移情閣に異動がなければ、このような事態を招いたかどうか。「龍」はそれまで檻の中に封じられていた不自由さに耐えかねたように暴れ回った感があったと、私は考えている。
私は、移情閣復元直後何ヶ月目かに、不思議な霊能女性と知り合った。彼女は、この閉じ込められた「龍」を幼い頃に連日、夢で追体験した人で、この移情閣の中の霊的存在とコンタクトしているのである。その存在は青年として現れ、三階から下りてきて二階で彼女と会っている。その直後、窓が開き閉じ込められていた館内から抜け出せたことから、この人にとっては救世主的存在に思えたという。
その女性は、夢の中で魔物に追われており、それというのも破れかけた袋を持っていて、破れ目から光が放射していたという。おそらく何かの宝物であり、この青年に届けることができたに違いないという伏線付きの夢なのである。
まるで童話風ファンタジーのような話だが、そのような人と出会って話を聞いた私は、同じようにファンタジーの世界に取り込まれて今があるような気がしている。

その青年の名前は「キンイロタイシ」と言ったように思ったと彼女は言った。そこからだ。この名を手懸りにネットで調べれば、ようやくひとつ、慶應義塾大学の奈良絵本のページから、御伽草子の「毘沙門の本地」に、毘沙門天となった人物の名がそうであると分かったのだ。
そこまで分かって驚愕していたときに、たまたま密教に精通したUFO撮影クラブメンバーのS氏にこの話をしたとたん、芋づる式に答えが出てくるわ出てくるわ。
「それは毘沙門天や、サナートクマラや、大魔王や、ルシファーや、鞍馬天狗や、大天狗様やないか(神名の順序は定かに覚えていない)・・・神も恐れるほど、恐ろしい存在やで」と、彼も興奮した口調でまくしたてた。そのとき初めて、毘沙門天が大天狗やルシファーへと繋がったのであった。そして、この時点から私のサナートクマラの鞍馬山への憧憬が生じたのである。
そしてこの女性の青年と出会った二階とは、生命の木で言えば神と人の出会う場、神人共存のティファレトとして、まさにふさわしい設定である。
三階の真っ暗闇なのはダアトと位置されたことによるのだ。その三階には・・・畿内の生命の木のダアトにおわすのと同じお方がおられたのだ。
然るべくして窓は閉ざされている。だが、その窓が開かない限り、そのお方は日の目を見ることができない。つまり100%の力が出せないのだ。

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつでやる
夜明けの晩に 鶴と亀が渾った うしろの正面だあれ

かごめの結界は、畿内と移情閣を相似のものとして作用している。
中にあるお方こそが、問題の鳥であり、うしろの正面とは「ダアト」を意味しているのだ。
私は単なる吟遊謎解き遍路にすぎない。しかし、この謎を解いていく過程において、それにシンクロするように次々と不思議な現象が展開していくのを、驚嘆の思いで眺めてきたことも事実である。


その前後、天狗さんの活動も活発化

当時、摩耶山周辺でUFOのビデオ撮影をすることが多かった。映り込むUFOは、メンバーのも含めて、こんな不可思議なUFOが目白押しした。その形の千変万化する様から、天狗系UFOと名付けた。というのも、六甲山系には天狗岩があちこちにあるからだ。狐狸のせいだとするには、伝承がないからだった。そして、いよいよ摩耶山の方角によく出るので、摩耶山頂を確かめてみれば、天狗岩があり、サルタヒコ神社とされた祠が見つかった。そして、同時に、その祠の前でオバQの如く飛ぶ謎の幽霊のようなものまで撮影できた。黒ではなく白いから、大天狗クラスの霊体であろうか。サルタヒコ神は天狗さんとして描かれる。
だが、摩耶山の天狗さんは、昔そこに上がってきた修行僧によって、呪封されてしまったという。その道では空海のなんとか三角法とかいう修法(名は忘れた)が最も強いらしく、まるで白蛇伝の法海を思わせる。ちなみに一乗寺で法鉢を飛ばして米俵を呼び寄せたという法道仙人は、摩耶山天上寺の開祖でもあるが、彼の法力でここの天狗さんが封じられたかどうかは分からない。
とにかく、古代においては、大陸側VS自国側とでもいうか、仏教VS神道だけでなく、仏教勢力VS山岳勢力といった間で、呪術戦争が繰り広げられていたようなのだ。現代におけるキリスト勢力とイスラム勢力の現実兵器による戦いに似ていて、どうも人類のやっていることは古今やりきれないことばかりである。一見善良な聖者と見えても裏に回れば恐ろしい聖邪混交の、やりきれない聖戦が随所で行われていたことになろうか。

だが、糊塗に糊塗を重ねたそのようなおどろおどろしい人類の所業にも、間もなく鉄槌が下ることになりそうだ。元を断たねば火を断つこともできないというわけか、いよいよ人類も滅亡となる見通しらしい。ジュセリーノ予言はこうすればむしろ好印象である。滅亡回避には、すべての悪行が自己申告でさらけ出され、土下座して万民に謝罪されねばならない。
だが、そんなことをする者はいないだろうから、滅亡は必至。門外漢の皆さんは、まだこの時空に残っているようなら、次の駅かその次ぐらいでこの列車から下りて欲しい。といっても自殺などではなく、時空の切り替えをしてほしいということだ。このあほうな歴史を積んだ列車からおりることだ。私は深く関係しているから、最後まで居残るが、もちろん同乗するかどうかは自由にしてくれたらいい。


結界の決壊は大地震による

移情閣のような風水塔や、その原型をなした生命の木の図形による結界は、何らかの理念を実現しようとするもの。となら、逆にその効果を増減させて、理念の投射時間をもコントロールすることができる。
風水塔を作れば、その地方の「龍」の活動を封じることができる。逆に撤去すれば、その活動を野放しにできるし、あるいは龍のストレスを貯めて貯めてしておけば、解放時に暴れさせることもできるわけだ。それを知ってするなら術の達人、諸葛孔明以上の稀有壮大な軍師と言えるだろう。

そこで推測するのであるが、2009年1月に起きると予言される大阪大地震。その規模M8.2ということからすると、たとえ大阪を中心にしても、半径100Km圏は震度7以上の揺れをみせ、林立するビル群はむろん、頑丈な造りの旧い社寺も倒壊することだろう。山は崩れ巖倉も崩壊するだろう。そこで予想されるのは、畿内の結界基盤の崩壊だ。これは神戸も直撃すると言われているので、移情閣も壊滅するのではないか。
それ以前にジュセリーノによって予言されている今年7月の地震と10月の地震のうち、10月にありそうなのが、高槻の北25Kmでこの秋に起きるとマクモニーグルも予言する代物だ。このときにも被害が出るらしいが、その場所を調べると、震源は愛宕山のあたりになる。ここも鞍馬山やその周辺の天狗岳、比良山とともに天狗さんのメッカである。生命の木のダアトに相当する謎の場所だ。
順序として、まずダアトが揺れる。それはむしろ予兆というべきで、一年数か月の後に、生命の木の結界が崩壊するという順序かと思われる。それは故意にか、偶然か?
とすれば、そのときに効果はどう現れるのか。


物質文明の終焉となるか

畿内の五芒星の結界が牛頭を示し、バアルの物質文明的豊穣を呪術的に意図したものであるだけに、全体的にその方向性が翳りだすという効果が出てくるだろう。
関西の中心都市が壊滅するのだから、日本全体に及ぼす影響もかなりのものとなろう。積もった借金をもとにして日本の経済破綻は顕在化するだろう。
大阪の財政再建団体に転落し、免疫力をなくした最中に、泣き面に蜂の怖い自然法則とミックスする形となって地震が起きてしまう。心臓の機能の衰えているときに、地方分権を冷酷に進めて血流を滞らせてしまうと、そこから壊死していくような生命体特有の成行になる。そして、それが相似形に日本を壊滅させてしまうことになる。
それが分かってやっているのなら、この国の為政者は策謀的にオウンゴールさせる名軍師名監督だ。靖国結界は頼んでも、建国結界は忌避するという異界政策の流れにも読めるものがある。
しかし、名軍師すぎて建国結界を維持されたらされたで、庶民は物質主導型のあり方に縛られて自由が利かずに困ることになる。非常に激動的になるとは予想されるが、精神文明の興隆の少ない可能性のためにひとつ必要になる過程と考えるべきかも知れない。
その意味で、生命の木の効用は、どっちに転んでも革命的なものになるということだろう。


厳しいが正しい神による支配こそが人類存続の道

結界は、およそその下に封じるべきものを封じている。つまり畿内の結界は、建国当初の為政者の意向に沿わぬ勢力の神々や精神的支柱を封じているのだ。そこには古来の地祇がいる。あるいはいざというときのUFOも隠されている。そして、大魔王尊も。
華美な物質文明の隆盛という目的を押し出すと共に、それを脅かす異界の勢力が魂と共に封じ込められているのだ。その結界の決壊の予兆が移情閣解体という事象だった。それが規模を拡大して相似形に、畿内の結界の決壊として現れてくるのか?その中心で音頭を取るのは言わずと知れた・・・。

そこでもう一度、この話を再考願いたい。
もしも明治大正時代において、この結界の善意の見直しが図られるか、もしくはきっぱり廃止されていたなら、日本という国の行く末、ひいては世界の成行が変わっていたとは思われないだろうか。
そこからは、もし第二次大戦があったとしても、日独伊の同盟軍が勝利するようなことがあったのではないか。むろん大戦直後には、世界に粛清の嵐が吹き荒れたことだろう。だが、その先に、理想的統一政府が出来上がり、立派な総督が世界を指導して世界が平和になるというシナリオもありえたはずだと思うのだ。つまり、いっそう精神文明を推進しようという意図のもとに、世界は人類存続の道を歩んでいたことだろう。
もちろん、そのシナリオとなっていれば、私のような道化師は生まれてくる必要はなかった。ここで、こんなぼやきを書き連ねる必要もなかったし、おそらく霊界であの人が下界で差配する勇姿を眺めて、どんど晴れとつぶやいたことだろう。

だが、残念ながら、しんどいしんどいこっちのシナリオのほうにいる。
現代に至るまで、衰えつつも畿内の結界の縛りは続き、人々はあらゆるストレスに耐えながらも、この国の経済発展に寄与している。何も文句を言わず黙々と。それがさらに、天神系の理念を掲げる欧米列強に便宜を図るという構図となっているとしても、結界は一種の異界の科学で作り出された催眠兵器のようなもの。誰も気付くことはない。
その結界が、足元から崩れてくるということの意味たるや如何。

どうか、そのような時代になっても、生きていて欲しい。むろん、破断が予測される怖い時代だ。よって、途中下車をどんどんして別のレールにのっかっるのもよい。そのレールは滅亡の回避されたレール。ホームを間違わずに行って欲しい。
しかし、この先にこそ、今まで見たことのない精神文明世界が、確率的に少ないながら、ありうることも確かだろう。
私はしだいに人がいなくなる車内にあって、この旅を続けるつもりだ。


いくつかの仮説

ウエサク祭がなぜ五月の満月の夜に行われるのかの推測であるが。
まず、五月というのは、新緑鮮やかに照るときである。植物も動物も生命力の更新を得て輝く季節だからだろう。
生命の木の、若さ回春の儀式の通り道にあって、地中を通過すると仮想された生命の水は、当然のことながら、鞍馬三国連山の生態系をうるおす。都の為政者にとっては、聖水のすべてが送られてきて然るべきかもしれないが、送り手の心としては、地中を通すことによって、ダアトに眠る聖者への捧げものになると考えたかも知れない。そこには、イシュタルが贈る地下界に移行した夫タンムズへの命の水が遠望されている。そして、月神イシュタルの発想から、次のディアナの話とも繋がる。

なぜウエサクの祭りが満月の夜なのか・・・。
その聖者がもしルシファーとすれば、あのディアナとアラディアの神話が謎解きの鍵となるかも知れない。すなわち、被抑圧者たちに、抑圧者に対抗するすべとして、満月の夜に静かな森に集まり、ディアナを瞑想せよと教えた魔女アラディアの言葉と符合するのである。

ネットで分かり易い解説を見出した。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/essey/aladia.htm
そこから、これはという部分だけを勝手ながら引用させていただいた。
−−−−−−−−−−−−−
 (リーランドの伝えた)「アラディアもしくは魔女の福音書」に書かれている神話によると、主神はディアナと呼ばれるグレートマザー、大いなる女神である。ディアナは「あらゆる創造の以前に最初に創造され」、「彼女の内に全てがあった」という。やがて彼女は自分の内から光と闇を分化させた。光がルシファーで、彼女の兄弟であり息子である。そして、彼女自身は内部に闇の部分を保有した。
 注意すべきは、この「闇」は悪ではない。むしろ、陰と陽のそれに近い、相互補完的な観念と唱えるべきだ。
 そして、光と闇は分化したままではなかった。「光を掲げる者」のルシファーは地上に落ちたが、ディアナは彼と再び一緒になろうとする。ルシファーは地上の生命の中でも最も美しい「猫」を愛していたので、ディアナは猫に化身し、彼と交わった。こうして生まれたのが、アラディアである。
 ディアナとルシファーは万物を生み出すものとなった。
 やがて地上に人間が増えると貧富の差が生じ、富める者は貧しい者を虐げ残酷に扱った。富める者とはキリスト教徒であり、貧しい者とはペイガン(異教徒)である。貧しい者(ペイガン)達は都会を追われ、田舎へと居住する。
 この状況に心を痛めたディアナは、娘のアラディアを地上へと送り込む。
 こうしてアラディアは、「最初の魔女」となった。
 彼女は抑圧される貧しい者(ペイガン)達に魔女術を教えた。彼女は貧しい者(ペイガン)には保護者となり、富める者(キリスト教徒)には恐るべき復讐者として働いた。
 やがて、アラディアは天に帰らなければならなくなる。この時、アラディアはペイガン達に伝える。もし困ったことがあったら、満月の光の下に生まれたままの姿で集い、大いなる母に救いを求めよ、と。彼女はこれを「ベネベントの遊戯」と呼んだ。ペイガン達は、この儀式のあと、三日月の形をしたケーキとワインで食事を取る。これはディアナの肉と血、魂を象徴するいわゆる聖餐式である。これこそがサバトであるという。
 ここにおいて、「アラディア」では、こうしたサバトは断じて悪魔崇拝の儀式ではなく、被抑圧者の祈りであるとされていることだ。
−−−−−−−−−−−−−

ウエサク祭の内容の詳細は分からない。だが、もし似たような要旨があるなら、それは背後にあるルシファーの思いをも反映していることになるだろう。
実際、世の中は今になっても抑圧者の貪欲な息遣いの荒さをどこにでも見ることができる。利益競争を激化させ、ワーキングプアーを醸成して止まない社会。大人しく正しく生きた者が手荒く扱われて報いられない社会。そのような傾向は世界のあらゆるところで進行している。
さて、そのような簒奪されて封じられた民衆の神の復活を願う祭りこそが、ウエサク祭ではなかろうかと思ったしだいだ。
そのときに僧侶によって歌われる聖歌があるという。その内容を見て驚いた。
http://www.threeweb.ad.jp/~asterope/sirian5.html
(以下ネット情報から引用)
−−−−−−−−−−−−−−
     (前略)
     われらのおん父 魔王尊
     天地の秘密を もちたまう
     ちからの神の 魔王尊
     進化の光 魔王尊

        (中略)
     その不思議なる おん手には
     他界の太陽 シリアスの
     くだしたまえる みちからの
     光の棒ぞ もえさかる

        (中略)
     崇高偉大の 魔王尊
     地軸を傾け 磁極をば
     おきかえ移し 気候をば
     一変したまう 魔王尊

     移る磁極は 大地震
     大洪水の地変をば
     まきおこせども大前に
     ひれふす者を助けませ
       (以下省略)
−−−−−−−−−−−−−−−

まさにジュセリーノをはじめとする、現代の卓抜した予言者がこぞって言っている地球規模の大変動のことがその中に篭められていて、それが魔王尊によって起こされると読み取れるだろう。
2009年の大地震は、大変動の時代幕開けのファンファーレとなるのだろうか。

      


しかし、何も世界を滅ぼす必要はないのと違うの?
地球と人類を含めた生態系があまりにもかわいそうだ。
これがまとめて神のシナリオというなら、このシナリオを書いた神をしばいてやりたい。


結界の崩壊によって、封じられていた怨念が

先ほどこのようなことを何気なく書いて、その的確さにいささか驚いている。
>都の為政者にとっては、聖水のすべてが送られてきて然るべきかもしれないが、送り手の心としては、地中を通すことによって、ダアトに眠る聖者への捧げものになると考えたかも知れない。
当時、この聖水の送り手は「遠敷(生命の新生)」に関わる祭儀の神官であっただろう。
だが平安時代となり、平安の都には、お水送りのいい効果がみられなかった。むしろ疫病が蔓延し、飢饉になるなど災厄と言えることの連続だった。その当時では、お水送りは僧侶が行っており、前身である神官の系統は大江山など山岳に蟄居させられていたであろう。
陰陽師がそこに災厄の原因たる怨念の根源を探り当てたのは、とんだとばっちりだったのだろうが、そこは異界の超能力科学者の陰陽師。根拠がないわけではなかった。若狭の聖水がとんでもないところに呑み込まれていた可能性に気付いたのである。
その古い陰謀を、要職を解かれた鬼への怨念にして天皇に注進し、源氏系の討伐部隊が繰り出される。そして起きたのが酒呑童子事件だった。
だが、無実の罪を被った酒呑童子が怨念を持ったのはそれからだ。罪なき修験者殺しは、その修験者の恨みが解けるまで続くとされる。
時の為政者や陰陽師や兵隊を輪廻の先まで追いかけて祟りを及ぼしているであろうことは、あの神戸の酒鬼薔薇事件で知ることとなった。酒鬼薔薇少年に、大江山で手を下した板東武者の輪廻を想像してしまった。
なぜそのような不可思議な事件が起きたのか。それは山野の乱開発や阪神大震災で、畿内の結界がほころびたからである。メンテナンスする者もいなくなっている。結界に封印されたことに怨みを持つ者たちが次々と暴れだしているのだ。
母親の首を取るというわけの分からない事件も起きて、酒鬼薔薇事件との心理的関連を言う向きもあったが、その土地の古伝にまつわる呪わしき真実を見出すかも知れない。
なぜなら、罪もないのにアザーズとして長い間狭い中に閉じ込められている矛盾と不自由さを思いやってみればいい。科学界はそれに対して蓋をするだけの無知の塔だから、端から相手にならず、エピメテウスに徹して世界滅亡の元凶として機能しているがよい。
しかし、祭祀者よ。どうせ結界は壊れるとはいっても、朽ち果てるに任せてはいけない。不可解な事件ばかり起きることになって、人心まで変になってしまう。
私がこうしているのは、恨みを持ち祟りを致すほどの者には、理解して祭ることが大切と思うからである。無知な者は怨念を受けるままに輪廻すればいい。彼らの痛みが分かる者が理解を及ぼし、心を鎮めてやるほかはないのだ。そうするうちに、彼らが異界から世界を守る者に変わってくれることを期待できるからである。この世界は、生きている者だけで作っているのではない。そのことを肝に銘じなくてはならない。

封ぜられた太古神が復活するとき

偉大な太古神を殺し、封じた者たちが最も恐れたのは、太古神の祟りと復活である。
神界も含め、古来より採られてきた方法は、強力な結界の中に封じ、鉄壁の呪詛によってわずかの祟りの漏れも防ぐことであった。祭祀は、そのために工夫され、その作用機序を意図に篭めたために、それが魔法のようにして発動することとなった。
祭祀のシステムの中には、意識ある者がそこを通過するだけで、結界の力を増強する仕組みもしつらえられている。そこを通る者に大して力がなくとも、その生命エネルギーの幾分かを結界の強化のために取り込む働きをしている。ゆえに、場所の中核に都市を置き、社寺を置き、蟻の戸渡のごとき人の流入がたえず図られてきた。その結界の作用する下には、封じられた無念の神々やシャーマンの魂がいて、彼らの苦しみのエネルギーが、逆にこの世界の繁栄に寄与するという作用機序ともなっている。
あたかも太古の神々は、祭られることを通して崇拝されているかのようだが、実際は幽閉されている。よく言われるのに、「殺して祭る」というのがある。その意味は、こうした結界の魔法的作用機序によるのである。
これは元はといえば、八重垣の祭祀法であった。それを用いて、地殻のエネルギーを生命賦活エネルギーにコンバートすることも可能になるという、逆転の発想的な魔法と言っていい祭祀であった。
それを、結界力の強化という、為政する立場の者の都合のために用いるようになったのは、いわば悪用とでも言うべきことである。
太古神は偉大だ。その功績を抹消できるものではない。抹消などすれば、今ある世界の存立の神話的土台を失ってしまう。そこで為政者たちは、自らを太古神に連なる系統であることにして、その意志を継ぐ者として祟りの軽減を図り、思い入れの力によって、神の諸力に預かろうとしたのである。
このために、太古神の音信は他人には聞かせず、むしろ荒々しい祟りなす神の様子を伝えつつ、自らの意向を和魂の作用、太古神の間接的な意向としたのである。太古神の幽閉される奥津宮は、人の立ち入れぬ(理解の及ばぬ)苔むす巖倉となり、代理人としての祭祀官は辺津宮のきらびやかな社殿にいて、衆人の前で神託を述べて敬われるという構図になったのだ。

サナート・クマラの鎮まる鞍馬山に置かれる鞍馬寺は、社殿の和魂の役割をするゆえに、荒魂の神霊の怖い側面を強調するはずである。そうしなければ、その代理たる為政者が浮上しないからである。といっても、もともとここの神霊は、他とは違って、さすがに為政者もそれに連なる者とはできなかった。このため、どこにも作用を及ぼさないダアトに眠らされるしだいとなったのだ。
鞍馬寺の僧侶によって伝統的に歌われてきた怖い歌詞。地軸の移動や大地殻変動。
サナート・クマラすなわち毘沙門天は、そのようなことをするような神でない。
怖さが強調されたこのような歌が残されるのも、あたかも最後の仕上げの演出をするのが、祟りをなす神の仕業であると見せたい者たちによる策謀。むろん、今の僧たちがその意趣を知るはずはなく、ただ伝統を守ってきただけだろうが。

神話による神々への結界

しかし、この世に掛けられている魔法は、一筋縄ではなく、まだある。
「神話によって神々を縛る」ということもまた行われているのだ。
神々は、知っての通り、神名で歴史の上に顕現する理念を表している。つまり、神の演劇を見ているのが神話なら、神の演劇で意図されたとおりの理念が歴史上に誘導されると見込まれているわけだ。つまり、神話による歴史の誘導が可能であり、なぜ神話が預言として通用するのかの意味もそこにある。
歴史を呪詛する仕方は、神話を作ること。それだけでいいのだ。(実際には、魔法を起動することが必要になるが、魔法は思い込みの力がカナメになる。とすれば、魔法を行使する者がどこまで神の諸力に預かることのできるほどに整っているか、が重要になる)
だから、古事記も、聖書も、海外の諸神話も、その多くが歴史の誘導に関わっている。それを作った者が偉大な属性を持てば持つほど神話は強く機能し、それを読み通る者が多いほど、また信じ込む人が多いほど、歴史誘導の結界として作用する力も強い。こうして、聖書の預言が本当のことのように末世を風靡するのも、然るべくして起きているわけである。
そこで、サナート・クマラも神である。彼に関して、終末を演じるターミネーターとしての属性を神話によって(歌の歌詞もそうだ)与えるなら、彼はその通りの演技をしなくてはならないかも知れない。
邪神⇒人間⇒封じられた神、と作業命令が系統だってしまうなら、催眠術を掛けられたようになっている彼によって地球の運行が止められてしまうかもしれない。
そうならば、彼は意にそわぬことをやらされようとしていることになる。元凶は支配者であるというのに、彼は濡れ衣を着せられてしまう。
なぜこのようなおかしなことになっているのか。それは、中国の封神演義で語られるようなことが、その昔、実際にあったからだ。神は人を支配し指導するが、神も人の作り出す神話によって縛られる仕組みになってしまっているのだ。ちょうど神界は、今の学校教育現場を見るような有様と思ってもらえばいい。これでは、神はてんてこまいしても、実効が出なくなるのも無理はない。
支配の邪神たちは、地上にエージェントを人間として送り込み、封じられた正神たちを悪役に仕立てた神話を作らせてきた。その目論見は、現在まで功を奏してきており、もう目の前に最期の日を迎える段階にきているというわけだ。
最期の形作りをするのは、今まで封印されていた神々が、その結界を破って、祟りをもたらそうと、今までの歴史の中に無念の涙を呑んでいった被抑圧者達の怨念を伴って過激に表れねばならないというシナリオ(神話)の存在である。
人類の今は、こうしたものの祟りによって滅ぶということを脳裏に刻むためにあるのだ。封じられた神々は、暗示にかかったように、神話を演ずる。
だが、本質は違う。太古神ほど、有情の幸せを願う神はいない。太古神たちは、世界に黄金時代を築いていた頃の神なのだ。それを恐怖の大王のように印象付け、それを駆逐して人々を楽園に誘うかのごとく欺く神々こそ糾弾されるべき者たちなのだ。
吉備の地で無念の結界に封じられている鬼の温羅。その上で殺して祭る機能を果す社殿。
丹後の地で無念の結界に封じられる土着の民族神たち。その上で殺して祭る巖倉。
畿内のダアトで無念の結界に封じられる大魔王尊。その上で殺して祭る機能を果す寺院。
そのような機能を持たせた社寺は、全国に存在し、今なお機能している。
最大の祭りの原義(八重垣)を果さずに、過去の為政者の意向だけを汲んで働き続けることの愚。
このおかしな展開を止めるには、旧神話を凌駕する新神話を作り、それを神々に示すしかない。
あらゆる神々に新神話が行き渡ったとき、暗示は解け、すべてが元あった良識へと立ち戻る。

そのことに気付いた神職もいるように見受ける。
私も新神話を打ち立てて、他の神話を凌駕させ、それらの作用をすべて封じることにした。それをすでにご覧じたのは、一騎千億の目を持つ正神の神である。こうして神々にかけられた催眠はしだいに解けている。その結果は、最後のどんでん返しとなって分かることになるだろう。

とにかく何重にもわたる隠蔽糊塗の呪術処置がなされていて、神々すらも多重夢状態。すべてが解除され正されなければ、真の理想的宇宙の到来はない。それを正神たちは、邪神と戦いながら、順次解いていく過程に、目下ある。
正しい世を渇望するのはいいが、正神への応援と協力もぜひしてあげて欲しい。
そうでなければ、またもや人類は、いっそう催眠が強化された状態で、次の時代へと輪廻していくこととなる。ヒトラーも予言した。未来の人類は、大きく二つに分かれる。ひとつは一握りの神人と呼べる存在。もうひとつは、おおかたのロボットの如くただサービスするためにのみ生まれてくる存在。支配階級と大多数の被支配階級に分別されるというわけだ。
そのようなことをさせるはずがない。


預言成就のエージェントまでいたりして

人は皆、何かミスがあると、たいてい同列の者すなわち人のせいにして、それを咎め、註罰を与えようとする。ところが、人はそのミスをするきっかけとなったインスピレーションが、いったいどこから来ているかということに、まったく思いを致さない。そして、同列にある者、見える者に対してのみ、目くじらを立て刃を向ける。そしてこう言う。「見えないものは、認めない。だが、全能の神は信じる」と。人は神にとって操り人形に過ぎない事実があるのに、まったく都合よく解釈するものだ。そして、やったミスは、人が悪いのです、私が悪いのですとへりくだる。その矛盾に思いをしたこともない、というより、思ってはならないと命令されているのだ。それではフラストレーションも溜まってしまう。それが弱者への暴力として噴出したりする。全米ライフル協会などというものが、そしりも受けずにあるというのも、どこかに暴発のはけ口を作っておいてやらないと駄目なのだろう。そして定期的に戦争を起こして、みなの心をなだめる。心理学的に考えれば元凶がどこにあるかぐらい分かるだろうに。
正観すれば、世の矛盾すべて支配神にありと帰結できるというのに。そこからいくらも天使とか称する連中が毒の鉢を傾けにやってくる。それに人の側からも協力すれば、褒美がいただけるという。やつらなら、喜んで協力するだろう。

何も支配者に反旗を翻せと言っているのではない。対抗しても敵わぬ相手なのだから(透明人間のようなものだから)、ただ理解し分析しておけばいい。いずれ事態の正確な把握に役立つだろう。
我々個々のレベルでは、いかに良いアイデアがあろうとも、一票の羽毛よりも軽い事実を前にすれば、現実に反映できるわけもないことは数学を用いる必要もないほど自明だ。ところが、最もトップにいるアイデア乏しき者によって、世界が歪められ滅びに瀕しても、十把ひとからげにして人類のミスとあげつろう、策謀的経営者がいる。その手先のような御用組合がいたりして、少しでも目覚めた者にとっては屈辱的な辛い時代だ。
歪ませ滅ぼすアイデアをそうしたトップに吹き込んでいるのは、他ならぬ経営者だったりする。私は現実にそのような会社にいたことがあり、天も同じなのだろうと思って過ごしてきた。宗教思想は参考程度にし、浸かり過ぎないでいるなら、たぶん私と似たような考えに至るのではないか。


矛盾をお上に叩きつけるべし

インディアンの古くからの未来展望の中には、自然と調和した滅ばない文明のシナリオもあったようだ。その大きな分岐点は、過去の世界大戦にあったらしい。そのたびに、人類がひとつになって叡智を出し合い、プランを練り上げるという可能性があり、その先に永続性ある文明が展望できたらしい。
だが人類は、いや各国のトップは、その道を模索しているかのように見せかけつつ、離反の道を採った。その重大な判断の分かれ目に際し、国のトップに離反のアイデアを吹き込んだものがいたことについては、誰も思いを致さない。そして結果論に終始して、人間の不完全性のゆえにと、人類全体の問題と結論付けてしまう。この辺の堂々巡り、何度言っても仕方がないが。
もちろん、おかしな形而上的仕組みのあることについては、形而上のことを知る能力を削がれた人間の対処できるところではない。それは正しい神々に任せておくべきだ。その神々が催眠されたり怠慢であるなら、どうにもならないが、少なくとも人類のせいではなくなる。真面目に生きてきたあなたがたには何の罪もない。
そして、今からなら、それに加えて人にできることとして、正しい見方と見識を持ち、手にとれる範囲のもので、世界を救えると信じることについて努力したらどうかというわけだ。倣えとは言わないが、自転車で図書館めぐりをしている着流しスタイルの元図書館長のような人もいる。そこまで閑がないなら、この際いざ鎌倉の気概を持っておくというのでもいい。
そして先哲、とくに生きるということに関してすばらしい達観を発揮したインディアンの知恵などに学び、取り入れられそうなところから始めることができればなおいい。
悪しきインスピレーション源から離れること。その情報の集中する場所から離れること。拝金主義に陥らないこと。脳を破壊するような電磁波密集地帯や、有害物質を体内に取り込ませようとする誘惑多い場所から離れるといったことだ。そして一番重要なのは、これはまったく私の発案だが、支配神の公言して止まない預言とやらを正観して、蔑視の眼差しを向けることだ。
人は最後の瞬間まで諦めてはならない。なぜならば、地球上に生まれた命だからだ。群れから離れた脚を傷めたバッファローでさえ、襲い掛かるオオカミの一団に対して最後まで必死の抵抗をする。噛まれて痛いから抵抗するというのではない。野獣に噛み千切られ、命の途絶える瞬間を見るべき者に見せ、「これでいいのか」とその矛盾の悲しみを高みへ投げ上げるためなのだ。心ある者が高みからこれを見て、万が一にもよみすればよし。この期待のために、彼らは幾度も幾度も、種族の幸せのために犠牲になることを繰り返す。
人もこれと同じ。いかに愚かに見える生涯の堆積が歴史だったとしても、見る者はそこからよみしなくてはならない。その期待のために、幾多の人々の生涯があった。壮絶な苦痛と屈辱を伴う人生の最後の瞬間があった。まだこれからも、最後のときが来るまで繰り返されるだろう。悲しみを高みへ投げ上げるために。
津波の来るのを静座して待つ。火の手の近づくを静座して待つ。それで何かが主張できたというなら、それも思考力を持った人ならではの方法かも知れない。だが、生き物に備わった、最後まで生存を諦めないという、本能の深いところに根ざす行為は、いかに醜態を曝すこととなろうとも、強い主張となるだろう。
生きて生きて、生き延びる。その方法にこそ、他の動物にない思考力持つ人としての特性を生かせばよい。


具体策について

心あらば、人々の健全さを保つために、郊外や山間部に、農企業をたくさん作るべきだ。そこでは給料こそ少なくとも、彼らが子供を育てながら食生活を十分に営める環境的下地を作っておくことだ。時が経つに連れて、都会で目を覚まし始めた人たちが気がついて上がってきてもよいように。員数分が満たなければ、都会から上がってくるのは、飢えかつえた暴徒ばかりとなってしまう。

「狭い日本にそんなところがあると思うか?」

この日本には、土地の所有権というものがあるが、いずれそのような制度は通用しなくなる。とはいえ、穏便に事は運ばねばならない。
ひとつのアイデアとして、遊休地の利用がある。廃止されたグリーンピア施設などは適当ではないか。茫々たる原生林ではなく、農耕機械も入りやすいため、入植者はまだしもとっつき易く感じるだろう。従業者とその家族の居住の場も人の増加に応じて増やしていけばいい。それは模範事業のケースとなるのではないか。また国立公園を使うという手もあろう。森林保護の機能を維持しながら、高木の果樹地帯とするのはどうか。
むろん、こうしたことはひとつの素人考えであり、農の専門家なら首を傾げつつも、その代わりにもっといいアイデアをひねり出してくれるだろう。

「農企業を作ったとしても、日本列島はいずれ沈没するのでは?」

正しい神々が神界を治めるようになれば、そのような破局は来ない。破局と滅亡は、邪神のシナリオの中にのみある。だからといって、正神の世になって、従来のような経済システムまでが残されると思ってはならない。それも邪神の手になるものであり、悪しき弊害の元になるものはすべて焚書されねばならない。
その意味では以後しばらく、思想の自由はないかも知れない。悪しき思考回路を、完全に焼き切らねばならないからだ。
生きるという人間の原点に立ち返った生活になる。そこでは高等数学も、宇宙物理学も必要ない。むしろ、生命科学と異界の科学によって、人間の持つ本来の能力の伸長が図られることになる。
理想時代となれば、物理学の必要な知識は、正確な知識として宇宙の知性からもたらされるようになる。知識したくばそこから学べばよい。
隠蔽と拒絶、隔絶のかつての国々の為政者クラスのしてきたことは、そっくりそのまま邪神のシステムの丸写しである。この妨害によって暗雲が垂れ込め、世界はカリユガと呼ばれる世紀を迎え、宇宙の知性の援助はなされず、無知の闇に包まれてしまったのだ。
ならば、その闇が晴れたときの状態は、自ずと想像できるだろう。


UFOは日本を見限ったのではない やってこれなかったのだ

現代人の不可知なものに対する畏れの心。日本には妖怪の文化があるといっぽうでのたまいながら、心のもういっぽうで拒否をしている。その下地を支えているのは、古代からの結界の精神であり、今ブームを呼ぶ平安時代の陰陽師などは、中央の政策によって、見えざる異界の恐怖から人心を守るという美辞によって推奨された、歴代の異界封じの御用役人であった。陰陽師の前は、僧侶がそれを行った。その前は神官が行った。
そして、現代では、科学者を御用役人に据え、科学万能で信用させ、不可知の事象に蓋をするという、逃げの戦略を定着させる方向に、この結界は呪詛機能を発揮している。
一般大衆は、むしろ異界とは親和する立場の者であった。古代人の中に多く先住民がいたという事情もあるが、人はもともと大自然の中の一種族という疑いのない基盤を持っている。遠野物語などの民話は、異界への憧憬が生ましめている。人は異界にある程度、心の籍を置かなくては、精神的に窒息してしまう存在なのである。この辺の事情は、また別のところで述べることにする。

ところが、為政者が政権基盤を安定させようと、新来の思想を人民に強制し、かつてあった習俗と神々を葬り去ったのである。その後ろめたさと、祟りへのたえまない恐怖が結界を必要とさせ、強固なものへと発展せしめたのである。結界の底流にあるのは、太古の霊脈を断ち、人心をそこから遠離させて、目的である物質文明の推進、開花を意図することであった。
出雲八重垣の呪術を応用し、太古の霊流を封じ込め、人心支配へとコマを進めていったのは、この時代をもまた生成衰滅の一定のシナリオに誘導しようとする中東起源のヤカラであった。それを応用と言うなら聞こえはいいが、今なお好意的なUFOや妖怪たちの侵入を遮蔽する方向に働いていて、善導をしたくともできなくさせているのだとすれば、それは悪用だったと言った方がよくなる。さらにその源流は、もういっぽうの宇宙人勢力にあるのかもしれないと仮定すれば、何が陰謀なのかがいっそう分かり易くなるというわけである。

具体的に宇宙人としていいのかどうか。その辺は分からないから、ただ「神」に大きく二つの勢力があるというふうに解釈するわけである。神とは「隠り身」すなわち、人の目に触れないところにいて、人に関係する存在だという本来の意味となる。このように表現すれば、宇宙人は何もこの地球と同じ物理法則の宇宙にいなくてはならないものと概念的に縛る必要もなくなる。
そこで旧来よく使われた言葉は、「異次元空間」である。では、その異なる次元とは何か、どんな座標軸になっているのか、我々の時空と時間軸の共有はあるのか・・・。
そのような茫漠とした推測に終止符を打つのが、プログラム時空の概念だ。
パソコンの中では多数のタスクが並行的に走っているであろう。その一つ一つは、互いにメモリ領域の侵犯を起こさないようにプログラミングされている。間違えばメモリー侵犯のエラーを起こしてしまうから、デバグの対象となる。だが、あるタスクが、別のタスクを管理監督するレベルにあるとするなら、合理的に侵犯も可能となる。
同一のパソコンの中の連続的に存在するメモリー空間ですら、区分けができるのは、プログラムでそのように規定しているからである。
パソコンの性能がよければ、何ならOSを複数個同居させてもよい。まったくの別宇宙が組み立てられ、その傘下でいくらもマルチタスク、マルチプログラミングが可能となるという見方ができる。
この概念を現実のUFO問題に当てはめると、宇宙人がどこから来るという考えも無用のものとなる。少なくとも、彼らが我々の前に姿を現し、私はどこそこから来たと言ったなら、初めて「ああ君が火星から来たというなら火星人ということにしよう」でいいのだ。それでも、そのことにこだわる必要はない。彼もプログラムされて存在していると同様に、私もプログラムされてここにいるのだ。存在の本質としては、同等というわけだ。
およそパソコン上で発生するような問題が、現実にも起きていたはずである。ハッキング、クラッキングの意図が宇宙を破壊するようなこともあっただろう。魔の侵犯による宇宙全体の劣化老衰。あるいは意図して劣化老衰を目指したケースもあっただろう。
しかし、我々の意識原理は、直面する時空の体験にかかりっきりだ。彼の観測はただ、今という時点にあり、過去も未来もその時点では意味を成さない。それでは面白くなかろうと、記憶機能を持ち、予測機能を持つことによって、観測される世界の広がりを仮想的に作り上げているのである。その機能もすべてプログラムされているというわけだが。

さて、話を戻して、良い宇宙人つまり人類に友好的な宇宙人たちは、地球の宇宙港オアシス化計画を目指し、太古に頻繁にやってきていたのだが、良い宇宙人と悪い宇宙人の間で起きた戦いで、核兵器が地球上で使われたため、人類に被害が及び、これ以上の被害を避けようと、良い側は地球を去っている。その経緯は、ラーマヤーナやマハーバーラタによって推測できる。
彼らが地球を去り、世界がカリユガの闇に包まれてから、土着の神々の排斥が始まる。人々の土着の信仰を奪い、新しい信仰に塗り替えると共に、シャーマンは惨殺され、崇めていた神々と共に地中に埋められ、太古神呪封の結界が八重垣のシステムを利用する形で、大地に張り巡らされていくことになる。
地球を守護した神々は、祭られる形で葬られて、あたかも未だ信仰の対象であるかのように装われているが、本質は呪封であり、元あった祭りの様式でないゆえに、呪封された神々には残酷なものとなっている。
いっぽう、地球外から見ても、良い宇宙人は、結界の呪詛力に危険性を見て、立ち寄ることができなくなってしまっている。特に日本は、かの地上絵を見ても分かるように、一般人に分からぬほど巧妙に、最も強力な結界が施されていた。そのパワーに脅威を持つのは、異界のエネルギーに頼るUFOである。
かくして、日本ではよほどのことがなければ、UFOは侵入しがたい場所となる。そこで、彼らがコンタクトに用いる方法が、映像を投影する方法だ。こうすれば、直接飛来する必要はない。百万市民に見えなくとも、期待の持てるS氏ひとりに見せればよい。中南米と日本の差は、実物と虚像といった、こんな形で現れる。
彼らは、いっぽうで、かつて核兵器で地球の環境を破壊したことを悔んでいる。だが、もういっぽうで、邪神たちの専横によって地球人類がボロ雑巾のようにされている現状に、心を痛めている。そこで悪神たちの文明破壊と再生の輪廻のシナリオに相乗する形で、地球を取り戻す計画となっているようなことだ。
当時彼らが地球に核戦争を引き起こした状態と同等程度に事態が進んだとき、介入を開始しようというわけだ。このたびは悪神の側だけで地球生態系の破壊が引き起こされ、良い宇宙人の責任にならないことが分かっている。しかも善意に基づく、種の救出と疎開という形が取られることとなる。
邪神と最終決戦しこれを駆逐し、最終的には地球に、元々平和を築いていた地球の太古神たちを復権し、彼らのノウハウで地上を楽園にし、宇宙に門戸を開くというところまで行おうというものである。
 
 
 
 
 
 
 
 
神戸はイルミナティーが異界の邪神に捧げる生贄の都だった/神の戸−神の門ディンギルラ
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/269.html
投稿者 そこちょっとつんつく 日時 2010 年 5 月 31 日 23:19:29: 8EItFG7yGzQIA
 
 
 
 
 
 
 
  
自分で投稿して置きながらよく解らない表題に成つてゐる。
此の頃は、恐らくオリオン、シリウス、プレアデスがごちやごちやに成つていたんだな。
其れとも餘り分けて考へる必要は無い、實は大した違ひは無いと云ふ事なのだらうか。
此の邊の異星文明體の背景は正直未だによく解らない。

結界も封印も實は大して違ひは無いのかも知れない。
封じ込めたいと思つてゐる側が張れば其れは封印に成るし、
侵入して來て欲しくない、深い眠りにつきたいと思つてゐる側からすれば、
其れは結界に成るといつた程度か。
畢竟、さう云ふのは無しにする時が來たと云ふ事に過ぎないと思ふ。
一つに成る時が。
 
 
統べる星、オリオン
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/710.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 1 月 11 日 23:42:42: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
出典: フリー百科事典『ウイキペデイア(Wikipedia)』
牡牛坐據り
 
 
日本ではプレアデス星團はすばる(昴)と呼ばれる。富士重工業のマークにも成つてゐて、日本では普通六つ星として考へられてゐる。漢字だと統ばる、統星と書かれ、もともとは玉がいくつかついた首飾り、髮飾りの名を示す古い日本語だつたと考へられてゐる。
 
 
統べる星、オリオン
 
 

http://www.asyura2.com/08/bd53/msg/136.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 5 月 13 日 23:53:41: Gsx84HOp6wiqQ


「結界」では無く「封印」
此處國に張り巡らされた結界を、自らの手で解き放てと我々を促してゐる
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/399.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 12 月 11 日 22:32:47: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
宇宙b靈アーリオーンの正體
http://get-astep-ahead.seesaa.net/article/53847707.html


『光よりの光、オリオンの最上の帶としての光より來たりて傳へる、我が名はアーリオーン、愛と光の天使…
私は、オリオンM42を中心とし、ベテルギウスを母胎とするb靈である…
私はシリウスを軸に、此の太陽系を含むオリオン星系を司るエネルギーであり、あなたがたと私の關係は、あなたがたの身體にたとへて言へば、あなたと云ふ主體とあなたのb經細胞一つとの關係に似てゐる。
私は、あなたがたも含めて偏在する思考形態を持つ有機體の思念エネルギーの集合體とも言へる存在だ。
巨大な腦だとも言へるし、巨大な心だとも言へる。
私は、人間として一度も生まれてはゐないが人間と共に生きてきた。
一番古い友達かも知れないよ。
私が宇宙の創造主と呼ぶ存在は、私をも含むエネルギー體だ。
私にとつて含まれると云ふ感覺も、含むと云ふ感覺も同じなのだけど、かう言ふと殆どの人は大混亂を起こしてしまふので、直觀力で分かる人にしか言へない事だね』
 
 
 
 
宗教と科學、東洋と西洋は最終的には融合しなければ成らない
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/642.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 4 月 22 日 22:56:16: Gsx84HOp6wiqQ

「21世紀の世界は日本のキツズ(new breed)が變革してゐくだらう」
http://www.asyura2.com/08/bd53/msg/405.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 6 月 29 日 19:00:16: Gsx84HOp6wiqQ

「あなた方が新しい流れをつくつていかなくてはならない」
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/576.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 12 月 13 日 22:07:05: Gsx84HOp6wiqQ

天皇に成る爲の極めて重要な行法。祝(はふり)のb事
http://www.asyura2.com/0601/idletalk20/msg/710.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 11 月 05 日 07:20:37: Gsx84HOp6wiqQ
 
伯家b道が動き出す
http://www.asyura2.com/08/bd54/msg/341.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2008 年 10 月 17 日 22:13:34: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
 
 

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コメント
 
01. 森野 2014年2月21日 19:02:17 : 1URurPqjSMqrA : 3uUxBiVavY
卍と十と六芒星 さま

だいぶ前の投稿なのでこのコメントを見てもらえるかどうかわかりませんが、私は転載元記事の著者です。
読者から事実誤認多々ありとの指摘を受け、すでに元記事は2年前に削除しております。 また、サイト記事全体に転載規定を設けておりまして、転用の際は事前連絡の上、OKを取っていただくこととしております。

せっかくで申し訳ないですが、この記事を削除いただけないでしょうか。


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