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デキる男は尻がイイ 転職時「円満退社こだわらない 「飯・風呂・寝る」を「人・本・旅」 やさしい上司が増、やさしさ過剰社会
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/315.html
投稿者 軽毛 日時 2017 年 4 月 17 日 13:16:22: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

デキる男は尻がイイ

河合薫の『社会の窓』
他のメディアには出ない河合さんの本音が読める
生き方・働きかたを考えるきっかけになる
河合さんに直接質問ができる
発行日:毎週 水曜日(祝祭日・年末年始を除く)
登録料:毎月540円(税込)
初月無料で読んでみる



元ANA国際線のCAであり「ニュースステーション」の初代気象予報士としても知られる河合薫さん。現在は健康社会学者として大学で教鞭をとるだけでなく、執筆や講演、コメンテーターなども務めている。そんな河合さんが2016年11月に『デキる男は尻がイイ−河合薫の「社会の窓」』というメルマガを創刊した。一風変わったこのメルマガタイトルに込められた意味とは?そして河合さんが研究する健康社会学とは?ご本人にたっぷりとお話を伺った。

●『デキる男は尻がイイ』に隠された深い意味

――2016年11月に創刊した河合さんのメルマガですが、まずはメルマガを始めようと考えたきっかけを教えていただけますか?

河合:色んなサイトで文章を書かせてもらっているのですが、もっと読者と正面と向合いたかった。無料で誰でも読めるコラムだと、いい意味でも悪い意味でもコメントが荒れます。本当は「自分」の問題なのに、他人事になりがちなんです。

私がやっている健康社会学にある「健康」っていうのは、別に肉体的なことだけじゃなくて、社会的健康であり、あるいは精神的健康でもあるんです。つまり、誰もが「こうありたい」と思う姿を追求する社会学ですから、全ての人にとって足元の問題を専門にしてるんですね。だから自分のコラムに対しても、「河合さんの窓からはそういうふうに見えるけども、自分の窓からはこういうふうに見えるよ」っていう意見をもっと聞きたい。そして、書いて終わり、ではなく、そのコメントを読んだ人も私も「ああ、そういう意見もあるよね」と学び、「でも……」といった議論が活発にできるようなプラットホームを持ちたいっていうのは、以前からずっと思ってたんです。
社会にある問題って、小さなことからコツコツとやっていかないと解決しないんです。過労死の問題も育児の問題も介護の問題も、「明日は我が身」です。GDPやら経済成長、トランプ大統領就任で世界はどうなるだとか、そういう大きな問題ばかりがよく取り沙汰されますけど、みんなが本当に苦しんだり不安やストレスを感じてることって、やっぱり自分の足元の問題。今日どうするか、明日どうするかっていうことですよね。そういった問題について、自分が発信するだけじゃなくって、色んな人からの意見を聞きたいし、みんなにちゃんと考えてもらいたいっていう気持ちはすごくありました。

河合薫さん1
――より濃厚なやりとりといいますか、真剣度の高いリアクションを求めて、ということでしょうか?

河合:真剣というよりホンネ。普段書いているメディアでは書けない、ここでしか言えない私の本音の部分みたいなものも書いていければと。……例えば今こうしてインタビューを受けている時は、「河合薫スイッチ」が入ってるんですけど、そのスイッチを切った時の私は、皆さんと同じようにすごい不安を抱えていたり、悔しい思いをしたり、あるいは泣くこともあれば、怒ることもある、キレることもある。そういったこともちゃんと書いていくことで、同じような問題を抱える人たちが「なんだ、河合薫もそうなんだ」「私もこれでいいんだ」と思ってくれたりとか、そういったことも分かった上で向き合えればって思ったんです。

――そういった思いで始められたメルマガですが、実際に始めてみていかがですか?

河合:自分でハードルを上げ過ぎちゃって、もう大変です(笑)。ワンコインで気軽に読めるものをっていうことで始めたんですが、お金を出してもらう以上は、ちゃんと価値があるものを、役立つようなものを、ちょっと笑えるものをって、読んでくれる人の顔を思い浮かべて考えていたら、結構なボリュームになってしまって……。

一番最初にメルマガを出した後は、「こんなのずっと1人で続けていくの無理」って泣きそうになってたんですけど、そんな私を見透かしたように「ちゃんと読んでますよ」っていうメールがすぐに来て。救われたし、本当にうれしかった。涙がぼろぼろ出ちゃうぐらい。その後も、配信を重ねるごとにすごいボリュームの相談なども届いたりして……。掲載するために短くするのが大変なんですが、うれしい悲鳴です。読者のホンネのグチャグチャの相談がモチベーションになってますね(笑)。

――ところで『デキる男は尻がイイ−河合薫の『社会の窓』』というメルマガのタイトルですが、とてもインパクトがありますよね。一体どういう経緯で決まったんですか?

河合:デキる男って、本当に尻がいいんですよ。プリッとしてるってことじゃないですよ(笑)。例えば一緒に仕事してて「この人デキるな」とか「手ごたえのある人だな」って思う方っているじゃないですか。そういう人って、立ち上がってドアから出ていったりとか、「じゃぁ、また」って言って後ろを振り向いた時に、お尻が絶対にいいんです。鍛えてるお尻というわけではなく、キュッとしてるというか、周りの空気も含めてぼよよーんとしていないというか。……説明がしにくいんですけど、お尻の雰囲気が必ずいいんですよ。

河合薫さん2
そういう人は、お尻だけじゃなく、例えば仕事の締め方がキレイだったり、メールのやりとりがよかったり、お金の払い方がよかったりと、そういった色んな意味での尻がいいんですよね。……そんな話を打ち合わせのときにしていたら、まぐまぐのスタッフが「タイトルはそれでいきましょう」ってことになったんです。

でも、これって健康社会学とも通じるところがあるんです。お尻って、回りの人には見られるけど、自分じゃ見えない。健康社会学は、自分自身をとりまく周りの環境から「自分」を捉える学問なんですね。「社会の窓」を通じて自己を見つめます。……「尻」と「社会の窓」なら、前と後ろっていう意味でもイイかなって。ただ最近は「社会の窓」はすっかり死語ですから、30代後半の人じゃないとピンと来ないみたいなんですよ(笑)。

●健康社会学へと辿り着いた奇妙な道筋とは

――先ほどのお話の中にも少し出たんですが、河合さんが研究されてる健康社会学という学問について、どういうものなのか教えていただけませんか?

河合:健康社会学って、心理学と比較すると一番わかりやすいんですね。心理学は簡単に言うと、究極のところ自分自身が強くならなくちゃいけないんですよ。自分が変わらなくちゃいけない。いきつくところは自分で、自分が強くなって、どうやって前に進んでいくのかをゴールにするのが心理学です。

いっぽうで健康社会学は、へなちょこな自分でイイんですよ。どんなに強くなれって言われても強くなれない、「何か目標持てばイイ」と言われたって、どんな目標持てばいいのかさえ分からない。どんなに「自分を信じることが一番」と言われたって、自分は本当にこれでいいのかって不安だらけになる。そんなへなちょこな自分でも、この会社であれば、この人がいれば、このチームがあれば不安だけども一歩前に踏み出してみようって思える環境をゴールにするのが健康社会学です。人は環境で変わります。環境が人を作るというのが、健康社会学の考え方です。

ただ、環境というの必ずしも、自分の都合のいい環境ばかりではありません。でも、自分を取り巻く環境を、真正面からだけじゃなく横から見たり上から見下ろしたりすると、「あ、こんな面白いところがあった!」と気付くことがある。あるいは自分のちょっとした行動が環境を変えることもあります。だからこそ「自分が見ている社会の窓」だけではなく、「他の人の社会の窓」から見える景色を知る必要があるんです。さまざまな窓からのぞいてみることで、環境と自分との関わり方って変わるんですよね。健康社会学は「大変なこともあったし、全ては思いどおりにはいかなかったけど、意外といい人生だったな」と思える生き方を追求する。究極の悲観論の上で成立する楽観論。それが健康社会学です。

河合薫さん3
――この健康社会学とは、昔からある学問なんですか?最近できたものなんですか?

河合:私の専門としている健康生成論に基づく健康社会学は、米国のイスラエル系健康社会学者アーロン・アントノフスキーの理論に基づき、1970年代から広まりました。健康生成論というのは、ひとことでいえば「病気じゃない=健康」ではない、という考え方です。それまでの医学の世界では、病気にさえならなければ人は健康は健康になれるとかんがえられていたんですね。

でも、病気でもイキイキと生活してる人もいるし、肉体的には健康なのに元気じゃない人もいる。アントノフスキーは人が健康でいるためには「元気になる力」が必要だと考えた。たとえば、がんを患っていても元気な人はいるでしょ? あるいは、残業が続いてもその仕事が終ったときに、「うぁ?ビールが旨い!しんどかったけどがんばったな!」って思えるときってありますよね?

そういう時って、大切な人が地近くにいたり、同じ方向を向いてふんばる仲間がいたり、仕事が意味のあるものだったり、それなりの報酬が得られるものだったり……。そういった「元気になる力」が存在する。

一方、自分をきにかけてくれる人もいない、一緒にやる仲間のもいない、意味不明の仕事、信じられないほどの低賃金だったら、残業で心身蝕まれていって疲れ果てる。人が生きていくには「元気になる力」を増やすことが大切なんです。

ストレスや困難は雨だと考えてください。雨が降ってきても、傘があればぬれずにすみます。この傘の役目をするのが「元気になる力」です。傘をちゃんと準備して、雨をやりすごすことができれば、ストレスは成長の糧になる。雨上がりに草木が成長するのと同じです。

人生もそれと一緒で、生きてりゃ辛いこともあるんですよ。人生晴れ続きなんて、どんなに恵まれた人でもなかなかないんです。だから雨を無くそうと考えるんじゃなくって、雨をしのぐ傘……「元気になる力」を持っておこうと。雨は必ずやみますから。地球上に24時間365日、ず?っと雨が降り続いてる場所はありません。止まない雨はありません。殻ならず太陽の光りが差し込みます。
――そんな健康社会学に、河合さんが出会ったきっかけとは何だったんでしょうか?

河合: CAをやっていた時に「自分の言葉で伝える仕事がしたい」って強く思って、CAを辞めました。その後に飛び込んだお天気の世界で、気象予報士の第1期生になり、『ニュースステーション』に出演することになった。そこで「生気象学」という学問に興味を持って、お天気コーナーの中で取り上げたりしていたんです。……生気象学というのは、例えば晴れている日は朝から気分がいいけど、逆に雨がずっと降ってると気が滅入るとか、あるいは花粉が飛んで来て具合が悪くなるとか、そういった天気によって人間の心とか身体の調子が変わるというのをテーマにした学問なんです。

『ニュースステーション』で4年間、その後TBSにお引っ越しして4年間やってきて、『体調予報―天気予報でわかる翌日のからだ』という一冊の本にまとめて出版しました。その延長線上にあったのが、健康社会学です。

確かにお天気で気分や体調は変わりますが、人間関係とか仕事とか、あるいは家族のことやお金のこととか、そういうことで悩んだり楽しんだりするわけで。天気っていうのはあくまでも人の周りを囲む環境のひとつでしかない。じゃぁ、他の社会的な様々な環境要因が人間の心や身体にどう影響するかを知りたい。もっと自分の言葉を持ちたいと思った。当時、東大の医学系研究科に健康社会学という研究室があり、そこを受験しました。

でも、社会人入試制度などないし、東大の研究室は研究者、世界に通じる博士を目指す人間しか採らないと言われた。事実上、門前払いです。ところが研究室の先生が私が書いた『体調予報―天気予報でわかる翌日のからだ』を読んでくれて、「あなたの本は面白い」「あなたみたいな人はすごくいい研究ができると思うから、試験を頑張りなさい」って言われたんです。

河合薫さん4
――でも、テレビなどのお仕事をやりながらの受験勉強は、大変だったんじゃないですか?

思い立った時点で試験は2か月後だったので、地獄でした。その頃は朝の番組をやっていたんですが、朝2時起きで局に入って、朝8時半に仕事が終わった後は、ずっと勉強。結局、最後まで受かる自信はなかったんですが、いざ試験を受けてみると、英語論文のテーマがCA時代から縁深かった「エコノミー症候群」だったりとラッキーが重なって、なんとか合格できた。そういった偶然が味方してくれました。

最初は修士課程しか行く予定がなかったんですが、「博士まで行ってちゃんと学ばないと、自分の言葉なんか持てない」と思って、それで今に至っているというわけです。……

私自身も、環境の中で変わってきてるんですよね。ちゃんとした研究者を目指している研究室のみんなを見て、「修士だけじゃダメだ」って思い立ったわけですからね。

人生は想定外の連続です。

気象予報士や博士になるだなんて、CAをやっているときは想像したこともないですから。でもCAを振り出しに色々な経験を経て、思いもかけない今の自分につながった。環境で変わり、大変なことも元気になる力で乗り切った。まさしく健康社会学です。

人は環境で変わるし、環境を変えることもできる。おもしろいですよね。健康社会学って今の時代に必要な学問だと思うんです。

自分の中に行き詰まりを感じていたり、変わりたいと思いながら変われなかったりといった悩みを抱えている人に対して、元気になる力のことを伝えたい。「私も一緒だよ」「みんな一緒に社会の問題考えてみようよ」「あなたにも他の窓あるんじゃないの」ということを言いたい。そんな気持ちが、ものすごくあるんですよね。

――これまで色々な職業に挑戦して、どんどん自分を変えていらっしゃる河合さんですが、その原動力となるものは一体なんでしょうか?

河合:出会った人たちですね。最初の全日空の先輩たちから始まり、気象会社の気象庁OBのおじちゃんたち。テレビに出演するようになってからは、『ニュースステーション』の久米宏さんや制作スタッフや視聴者のみなさん、そして大学院に入ってからは先生や院生の人たち。それこそ最近なら、メルマガを初めて配信した直後にメールをくださった方たちとか。そういった人たちが「頑張ろうよ」「もっと世の中に発信していこうぜ」って後押ししてくれる。そういう、傘を差し出してくれる人たちがいることで、ここまで来てるんですよね。

ただ、ひとつだけ決めてるルールがあります。

それは最後まできちんとやり抜こうっていうことなんです。

河合薫さん5
期待したような結果につながる、つながらないにかかわらず、傘を差し出してくれた方がいるんだから、きちんと真面目にやり抜こうって。その繰り返しです。

世の中捨てたもんじゃなくって、腹の底から真面目にきちんとやっていると、ちゃんと見ていてくれる人がいるんですよね。そういう人がまた声を掛けてくれる。何度も「あー、もうダメだ?」ってなるんですけど、不思議とそういうときに「ちゃんと見てるよ」とメッセージをくれる人がいる。しんどい雨が降り続くようなことがあっても、やがて晴れ間が出る……、人生ってその繰り返しなんですよね。

――こうやってお話を聞いていると、健康社会学というのはすごく優しさにあふれた学問なんだなぁという気がします。

河合:そうですね。ただね、傘を借りても傘を持つのは自分自身です。もちろん、傘が重たければ手を添えてもらえばいいんですけどね。あるいは、雨の中で一歩踏み出すのは自分自身。なかなか踏み出せないなら背中を押してもらう、あるいは手を引っ張ってもらう。つまり、傘の貸し借りをするということは、人生の伴走者を得るってことなんです。

おそらく誰もが、周りの人と傘の貸し借りができる関係になれればいいなって思ってるはずなんですよ。私自身、雨に濡れてる人の傘になれたり、元気な人のちょっとしたビタミン剤になれたらいいなっていう思っています。これもメルマガを配信している動機のひとつなんです。

河合薫が送るおじさんへのエール

――河合さんのメルマガといえば、中高年の男性を題材に現代社会の生き方や働き方を論じていく連載企画「他人をバカにすることで生きる男たち」が、とても興味深い内容で面白いのですが、このように河合さんが他の媒体も含めて「おじさん」をよく取り上げるのには、何か理由があるのでしょうか。

河合:うーん、あんまり意識したことがないかもしれない(笑)。でも「生気象学」を学んでいたときに、「おじさんは正しいな」って思ったことはあって……。

例えばおじさんっておしぼりを出されたら、手だけじゃなくって顔から頭まで拭いたりするじゃないですか。周りからは「止めてよ」なんて言われちゃうんですが、これって生気象学的に見てみると、汗をかいたときに首元の汗を拭いたり、暑くて体温が上がった時に首の後ろを冷やすのっていうのは、とても理にかなった行動なんですよ。それ以外にも、室内でよく靴を脱いで足をブラブラさせてるおじさんっていますけど、あれも実は温度が上がって細菌が繁殖しやすい靴の中を乾燥させてるってことで、実に理にかなった行動なんですよね。

あとは私自身がこれまで、そういうおじさんの世界で生きてきたっていうのもあって。それこそ研究者の社会は男社会だし、私が連載を持っていた日経ビジネスやプレジデントにしても、読み手も書き手も男性がほとんどですからね。自分の中では全く意識をしてないんですけど、そういう風に男性の社会の中でずっと生きてきたので、おじさんたちの切ない気持ちだったりとか、悔しい気持ちっていうのは、すごく分かるんですよ。私も同じようなことを経験してるから。

――河合さんのメルマガでは、そんな様々なおじさんの姿をリアルに切り取ってらっしゃいますけど、過去の時代のおじさんと今を生きるおじさんとでは、その行動に結構違う特徴があったりするのでしょうか?

河合薫さん6
河合:おじさんだけじゃなく、若い学生とかを見ていても、確かにそういう違いはあります。でも根っこの部分にある悩みは、それほど違ってないと思うんですよ。

私が大学で授業をする時って、毎回学生からレビューシートを提出してもらうんですけど、社会学って学生にとってもすごく身近なテーマを扱うので、レビューシートにも人生相談のような内容をみんなすごく書いてくるんですよ。そういうのを読んでいると、私たちのときと何ら変わらない。同じようなことに悔しいと思ったり、悲しいと思ったりしてて。

人との接し方っていう点では、私たちの時代だと直接対面で会うしかなかったのが、今ならスマホとかでパーソナルなやりとりができるとか、そういう違いはあります。ただコミュニケーション手段は変わっても、根っこの部分はあまり変わっていない。だから、その人たちがおじさんになった時に、その時代なりに様々な問題にぶち当たるかもしれないけど、根っこの人間の本質の部分は変わらないから、今から当事者意識を持ってよく考えておけば、将来の問題を解決する方法が得られるかもしれないし、辛い中でもやっていける勇気をもらえるんじゃないかなと思うんです。

とはいえ、コミュニケーション手段が変化したことで、おじさんたちの女性や部下たちに対する距離の取り方に関しては、ちょっと変わったんじゃないかっていう気はします。例えば私たちの上の世代のおじさんは、それこそ失礼なことも平気で言うし、何事にもズケズケと立ち入って来る。でも私の世代だと、そういう部分もあるんだけど「いいのか、これで」って思わず立ち止まるところもある。で、それより少し若い世代になると、「いいのか」って心の中でも思いながらもズケズケとは立ち入らないで、実に微妙にバランスを取って、上と下との板挟みという状態になっている。さらに若い世代になると、色々と考えながらもどうすることもできなくなって、ものすごく孤立している。世代論ってあんまり好きじゃないけど、そういった状況はあると思います。

もっと言うと、より上の世代になるほど、学歴や社歴といった属性にしがみついている人が多いです。でも、そういう傾向って30代、20代にもあるんですよ。それを表に出すか出さないかの違いだけで。……そういった話を授業で学生とかにすると、みんなズキッと来るみたいで、「私は属性にしがみつかないでやっていこうと思います」みたいな反応になるんですけどね(笑)

河合薫さん9
――そういうふうに属性にしがみつかないで生きるというのが、メルマガのタイトルにもある「尻がイイ」人間になるための、ひとつの秘訣ということですね。

河合:そうなんですよ。私はよくメルマガで「ジジイの壁」っていう言葉を使うんですけど……これって例えば、小池都知事の前に立ち塞がる人を想像すると分かりやすい。ジジイ独特な厚い壁って存在するじゃないですか。でも、ジジイというのは上の世代だけではなく現在40代ぐらいの人間でも、気が付けばジジイの壁の向こう側の住人になってしまうことがある。世代論ではなく、人間の弱さやズルさがジジイの壁を作るんです。

「ジジイの壁」はどこにでも存在します。ジジイとは単なる年齢ではなく、組織のためを装いながら自分のために生きる人の象徴としての言葉です。

なので私がおじさんを取り上げるのは、不毛な「ジジイの壁」を無くそうぜっていうメッセージでもあるんですよね。日本中にいる40〜50代の男たちに「ジジイの壁の中で息をひそめるな」「あなたたちが変わんないと、後でしんどい思いをするし、その下の世代はもっとしんどい思いをするんだ」「あなたたちは、ジジイになりたいのか」って訴えかけるというか。……それってもちろんおじさんだけの話じゃなく、おばさんにも当てはまる話なんですけどね。

――さて、今後のメルマガの展望についてですが、取り上げたいテーマや、こういう企画をやってみたいなど、そういった構想はありますか?

河合:そうですね。今でもメールでご意見を送ってくださる読者の方は多いんですが、もっと送ってもらえるようにしたいと思っています。ひとつのテーマを持続的に考えていくのもいいんじゃないかなって思ってます。例えば介護の問題とか育児の問題だったりとか……。

今の時代ってニュースの寿命が、ものすごく短いじゃないですか。話題になるのは一瞬で、メディアが報じなくなると何事もなくなったようになっちゃう。でも、問題は起こり続けているわけですし、今は自分にとって関係ないと思っているテーマでも、将来的にその問題に直面することもあると思うんです。だから、読者のみなさんが当事者の意識を持って、色んな意見を寄せてくださるよう、私のほうからもどんどんと新しい情報、みんなが知らないような情報を出して行ければと思っています。

河合薫さん8
最近はフェイクニュースっていう言葉が流行ってますが、実際にフェイクじゃないと思われてたことでも、後からフェイクだったっていうこともあるんですよ。例えば古い話なんですけど、マイナスイオン効果ってあったのを覚えていますか? 私が天気予報をやっていたときにも、マイナスイオン効果の特集を組んだりして、取り上げたこともあるんですが、実はその後の研究で、当時言われていたような効果はないっていうのが分かった。後々になって初めて分かることって結構あるんで、そういう意味でも持続して考えることってすごく大切なんですよね。

メルマガ上での読者のみなさんと私とのやりとりは、書籍でもサイトでもいいんですが、まとめた形で世の中に出すことができれば、おもしろいと考えています。メルマガの読者のみなさんも、自分がメルマガに寄せたひと言が、他人や世の中を変えるひとつのきっかけになるかもしれないと思うと、モチベーションも上がるんじゃないかって。

とはいえ、これは私ひとりじゃできないことだから、みなさんにホント参加して欲しいです。初月無料の期間に4回ある配信の中で、みなさんがそれぞれ抱えている問題、心の中で密かに感じてたり引っ掛かってるようなテーマを、一度は絶対に取り上げる自信はありますので、試しにぜひとも読んで欲しいですね。

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健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士 河合薫さんプロフィール
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。全日本空輸を経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。働く人々のインタビューをフィールドワークとし、その数は600人に迫る。長岡技術科学大学、東京大学、早稲田大学非常勤講師などを務める。
◇主な著書
『考える力を鍛える「穴あけ」勉強法』草思社『穴あけ勉強法』(草思社)、『5年後必要とされる人材になる!人生を変えるココロノート』(東洋経済)「上司と部下の「最終決戦」』(日経BP) など他多数。
http://www.mag2.com/magspe/interview222/ 


 


 


【第60回】 2017年4月17日 丸山貴宏 :株式会社クライス・アンド・カンパニー代表取締役
転職時「円満退社」にこだわらないほうがいい理由


「辞めたいけれど会社が辞めさせてくれない」という話を聞くことがありますが、その背景に退職を認めない職場のトラブルが少なくないようです
退職を認めないトラブルに遭遇したら
どんな人に相談したらいいか

「バカヤロー!お前に辞める権利なんかないんだ!!」

 新卒で入社したある人が勤務していた会社で退職を申し出たときに、上司からこう怒鳴られたといいます。

 もちろん「辞める権利なんかない」なんてことがあるわけはないのですが、この方は当時まだ若く、上司から怒鳴られたために「そういうものか……」と思い込んでしまったそうです。

 残念ながら世の中にはこうした会社が存在します。まだ知識や経験のない新卒社員に対し、「これが世の中である」と間違った“常識”を信じ込ませて辞めさせないのです。

「辞めたいけれど会社が辞めさせてくれない」という話を聞くことがありますが、その背景に退職を認めない職場のトラブルが少なくないようです。会社全体でなくても、上司によってこのような状況が作られている職場もあります。

 そんな職場では「そういうものか……」の“常識”がカルチャーになっており、先輩などに相談しても上司と同じようなことを言われてしまうため、頼りになりません。

 退職を巡るトラブルで悩んでいる人は、「非常識が常識」の世界である会社の外側にいる第三者に相談することをオススメします。親でもいいし、親戚のおじさんでもいい。大学の先生でもいいし、もちろん我々キャリアコンサルタントでも構いません。

会社側の承認がなくても
個人の意思で退職できる

 会社側の承認がなくても、社員が辞めたければ辞められます。「辞めさせてくれないから辞められない」ということは絶対にありません。退職の申し出から退職するまでの期間は就業規則に書かれており、3週間という会社もあれば1ヵ月という会社もあります。民法第627条では、期間の定めのない雇用契約については申し出から2週間が経過すれば認められます。

 常識的には「辞めます」と申し出てから1ヵ月程度。置き換えがきかない仕事をしているような場合でも、最大で2ヵ月プラスアルファだと思います。退職を申し出てから退職日までにきちんと業務の引継ぎをして円満退社するのが理想ですが、強引に辞めざるを得ないこともあるでしょう。

 冒頭に挙げたようなひどいケースではない一般的な会社でも、周囲と摩擦を起こさずに良好な関係のまま「うまく辞める」ことは難しいと考えておいたほうがよいと思います。

 会社を辞めるということは、これまで仲間だった職場の裏切り者になることを意味します。裏切り者に対し、優しくしてくれるわけがありません。それなのにうまく辞めようと思うと、いろいろな心理的負担が生じてしまうのは必然ですが、うまく辞めようとしてかえって余計な苦労をしている人が非常に多い。

 摩擦なしに辞めることはまずできない。もし「うまく辞められたらラッキーだ」というくらいに考えておけばいいのです。

 心配することはありません。退職を申し出ることで一時的に上司や社長と関係が悪くなっても、多くの場合、時間が解決してくれます。大切なのはビジネスパーソンとして礼を尽くし、後任にきちんと引継ぎを行ってから退職していくことです。それでも関係が悪化したままであれば仕方がないと割り切ることです。

退職理由は
正直に伝えればよい

 退職理由は、基本的には正直に伝えるのがよいと思います。一昔前は退職するのが大変で、正直に「転職するから」と伝えるわけにはいきませんでした。

 なぜ退職が大変だったかというと、部下が転職で退職するとなれば、上司の人事考課に大きなバツ印が付けられたからです。まして競合への転職となれば大問題になりました。そのため転職しようとする人は、上司から強く慰留されるのが常でした。

 これを回避するため、昔は「叔父が倒れたため、田舎に帰り商売を継ぐことになりました」といったウソをついて辞めることが少なくありませんでした。こうすれば不可抗力による退職なので人事考課で上司にバツ印が付けられることはなく、誰も傷つけずに円満退職できるからです。


本連載の著者・丸山貴宏さんの『そのひと言で面接官に嫌われます』が好評発売中!
青春出版社
192ページ
926円(税別)
 不思議なことに、半年も経つと噂で「転職した」とバレてしまうのですが、その頃、元上司にあいさつに伺って「すいません、円満に辞めるためにウソをつきました」と謝ると、たいてい「いや、そうじゃないかと思ったよ。あっはっは(笑)」で終わったものです。トラブルになることはありませんでした。

 現在は部下の退職で上司にバツ印が付けられることはまずないので、退職理由は正直に伝えればよいでしょう。

 最近、私が指導をお願いしているトレーニングジムのトレーナーから、「会社を辞めて独立したい」と相談を受けたときのことです。

「それなら正直に『独立します』と会社に伝えたほうがいいですよ。すぐに、というと角が立つかもしれないので、『落ち着いたら』とか、『ゆくゆくは』といった修飾語をつけても構わないですから。狭い業界でいずれ知られるのだから、『よろしくお願いします』ときちんと仁義は切ったほうがいい」

 そうアドバイスしたところ、彼はその通り実行して独立する意思を社長に伝えました。すると、会社は拠点を閉鎖統合するタイミングであったため、社長はこう言ってくれました。

「独立するなら、いらなくなったトレーニング機器があるから持っていくといい。拠点の統合で来られなくなるお客様もいるから、お前が引き継いでやってくれ」

 社長も素晴らしいですが、もう渡りに船の展開になったのです。

 たまたま会社の都合と個人の独立のタイミングが一致しただけで、こんな超・円満退職となったケースはめったにありませんが、正直に独立を告げていなければ「トレーニング機器を持っていくといい」という話は出て来ませんし、後に、他人から独立の事実を聞かされたら、社長は気を悪くしたかもしれません。やはり退職理由は正直に伝えるのが無難といえるでしょう。

(株式会社クライス・アンド・カンパニー代表取締役 丸山貴宏)
http://diamond.jp/articles/-/124976

 


【第3回】 2017年4月17日 出口治明 :ライフネット生命保険(株)代表取締役会長
「飯・風呂・寝る」の生活を「人・本・旅」に、それが働き方改革の本質だ

今月の主筆 出口治明 ライフネット生命会長【第3回】

Photo by Yoshihisa Wada
「なぜですか病」と「星取り表」の新人時代

 4月に入り、街が少し華やいで見える。まだ慣れていないと分かるネクタイの結び目や、丁寧にアイロンをかけた真っ白なブラウスの襟。仕事人としての生活が始まったことへの緊張と安堵が交じったような表情。かつて、自分はどんな新人であったかと思いがよぎる。

 講演に呼ばれると、「出口さんの社会人生活の始まりはどんなものでしたか」と質問されることも多い。残っている記憶は実に鮮明で、僕は「なぜですか病」の新人だった。一方で、だからこそ仕事に対して一生変わらない思いを持つようにもなった。

 京都大学を卒業し、司法試験に落ち、無礼な僕を拾ってもらったのが日本生命保険だった。まず配属されたのが京都支社で、事務を担当した。

 僕は何事でも、中途半端な理解のままでは行動できないタイプなので、新人時代も上司に、「この仕事はなんのためにやるのですか」「これはなぜ僕がやるのですか」などと、「なぜですか」を連発していた。上司には、「君のようなうるさい新人は見たことがない」と嫌がられていた。でもこれは僕の癖で、目的が分からなければエンジンがかからないのだ。

 決して仕事を減らしたいとか、手を抜きたいのではない。仕事の目的がわかれば、後は「この仕事を効率よくかつ面白くするにはどうしたらよいだろうか」と自分でとことん考えるタイプでもあったからだ。

 就職とは会社と雇用契約を結ぶことだ。何時から何時まで働き、労働の対価としていくら払う云々。しかもいっぱしの大人として自分の責任で結んだ契約である。

 だとすれば仕事を効率よくかつ面白くしたほうが双方にとって得だし、「面白くないな」と思いながら9時から18時まで働くよりは、どうしたら仕事は面白くなるだろうと考えながら過ごしてこそ生産性も上がるし、日々の生活も圧倒的に充実する。だから、仕事の目的が本当に腹に落ちていないと仕事はできないのだ。

 しばらくすると、「なぜですか病」にうんざりしていた上司から、「出口は、あまり仕事のやり方を聞かないな」と不思議がられるようになった。しかし僕からすれば目的が腹に落ちていれば、求められているアウトプットも理解でき、後は自分で考えればいいと思っていただけだった。周りの先輩たちの仕事の仕方を参考にはしたが、それはあくまで参考であって、自分なりの効率よく面白いやり方を創ろうとしていた。

 例えばロールモデル方式で、「この人はすごい」と思った先輩や上司のやり方を徹底的に研究し、「1年後には僕のほうが上手に仕事をしてみせる」と決意すると、これが意外にもできてしまうものなのだ。

 もう一つやり続けていたのが「星取り表」だ。上司から仕事を頼まれると、どんなアウトプットが必要かを考える。そして報告の際に、上司が重要なポイント3点を指摘して僕が5点考えていたら僕の勝ちだ。

 逆に、僕がまったく気づいていなかった点を指摘されると完敗。「もうちょっと仕事を深く考えなければいけないな」とか「腹落ちが足りていなかったな」などと反省する。

 そういう勝負が1日に5回あり、4勝1敗ならば「本日は勝ち越し」と気分がよくなり、帰りに居酒屋に寄る。「負け越し」ならばおとなしく家に帰り資料を読んだりして勉強した。

 星取り表には時間軸も加味していた。つまり勝った回答や報告を短時間で用意できたら「圧勝」。どんなすばらしい報告でも、だらだらと時間がかかっていては、決して優れた仕事とは言えない。

 2日も負け越しが続くと、「これはあかん。気が緩んでいる。気合を入れないと」などと自分を引き締める。そんな新人時代だった。

腹落ちには具体的なデータが必要であり、エピソードとエビデンスは違う

 僕が入社した当時は、ものすごくバンカラな社風だった。夕方になると酒盛りが始まり、あぁでもない、こうでもないと熱のこもった仕事の話を互いにぶつけ合う。これは新入社員の僕には究極のOJTであり学校のようなもので、とても勉強になった。僕はあの空気感が大好きで、今でも忘れない。

 あるとき上司から、「企画部には会社のすべての情報が集まってくるのだから、会社の中で知らないことがあるのは恥やで」と督励された。「そうやな」と思うと同時に、「自分は日本生命についてなにも知らない」と自覚し、それからは図書館にあった30年史、50年史、70年史などの社史を順番に読み漁っていた。

 この「社史を読む」という経験が後々、僕の仕事人としての人生に大きな影響を及ぼすようになるのだが、その話は後ほど書こう。

 とにかく、「なぜ自分がこの仕事をするのか」が腹に落ちさえすれば、後は自分で仕事を効率的かつ面白くする方法を考える。そのために必要だったのがデータだった。

 例えば「業績の伸びが鈍い理由と対応策を検討してみてくれ」と言われたとする。まずは本当に業績が伸びていないのかどうかから確認しなければならない。上司は「業績は伸びていない」と言うが、それは一時的なことなのか、もっと重大なトレンドなのかなど生の数字を見て自分なりに判断する。その見極めがしっかりしていないと有効な対応策にはたどり着けない。

 ここでぜひ考えてみてほしいのが、「エピソード(Episode)」と「エビデンス(Evidence)」はまったく違うということだ。

 例えば、課題の実態をつかむために現場へのインタビューを重ねる。たくさんの事実や考え方が伝えられる。しかし、それだけで報告書をまとめるようでは単にエピソードを収集したにすぎない。それらの事実や考え方を裏付ける具体的な証拠、つまりエビデンスを探しだし、裏を取ってこそ真に価値のある報告書ができあがる。

 僕は、30代の頃、ゴーストライターとして日経新聞証券面の匿名コラム「大機小機」を2〜3年下書きしていた。そうした経験があって今でも同コラムを愛読しているが、先日、とても感心した次のような原稿があった。

「経済財政諮問会議の議事録を読んでいたら、あるテーマについてある委員が『当社ではこんなことがあった』と発言した。他の委員も『うちではこうだった』『こんな話を聞いた』などと真顔で議論している。」筆者は、「これらの委員は適性がないのでは」と訴えていた。

「経済財政諮問会議は国の政策を検討する場であり、個人の体験や聞いた話を話し合う場ではない。エビデンスをベースに、国全体にこういうデータがあり、こういう統計があるから、こうすべきなのだと話し合うべきだ。自分たちの会社の話をする場ではないのだ。」

 これがエピソードとエビデンスの違いだ。エビデンスがあって初めて腹に落ちるし、目的や目標がはっきりと分かるからなにをすべきかも明確になる。

 人は、自分が経験したり見聞きしたことのないエピソードであれば、なるほどと思いエピソードだけで納得した気になってしまいがちだ。つまり、その段階で物事の理解が止まってしまうのだ。だからこそしつこいぐらいに数字やファクト、つまりエビデンスを基にしてロジックを組み立て考える癖をつけなければならない。

仕事は巡り合わせと運の世界でもある

 数字、ファクト、ロジックをベースに仕事をする。と同時に自分の仕事人として人生を振り返れば、「仕事は巡り合わせの部分も大きい」と思う。

 先に、会社のことを知ろうと社史を読み漁った話を書いた。それが僕の仕事の巡り合わせともつながっていた。

 日本生命は、創業から10年後の1899年に保有契約高で業界1位になった。国内基盤は盤石で、その上で3代目の社長であった弘世助太郎氏は外遊に出た。

 国内ではトップだが、世界を見ればプルデンシャルやメトロポリタンなどの巨大な生命保険会社がある。それに比べれば日本生命はアジアの小国の小さな生保にすぎないということに気づく。助太郎氏は帰国後、「臥薪嘗胆20年」という今で言う長期経営ビジョンを掲げる。つまり「20年頑張って世界一になる」との旗だった。後に「日本生命中興の祖」と呼ばれる人物だけあって、掲げる目標も大きい。

 残念にもこの壮大な目標は、第二次世界大戦でとん挫してしまうのだが、そういう先人の思いは僕の記憶に強く残った。僕は縁あって1995年に国際業務部長になり「海外戦略の策定を頼む」と言われたので、「トリプル20」という事業計画書を提出した。2020年に売上高と利益、つまりトップラインとボトムラインの双方で20%を海外から生み出す計画だ。これは、助太郎氏のアイデアを借用したものだ。

 結果的には「トリプル20」は具体化することはできなかったが、先人たちの志は確かに生きており、人の仕事に幸福な巡り合わせをもたらしてくれる。

 ライフネット生命を立ち上げてからしばらくしたあるとき、名前も知らない日本生命の若い社員さんが、「常務会の議事録でトリプル20を読みました。必ず僕らが実現しますので、見ていてください」とメールをくださった。これには驚くと同時に感激した。OBとして本当に嬉しかった。

 巡り合わせはたくさんあった。30歳で関西から東京に出てきた僕は、大蔵省(現・財務省、Ministry of Finance)や日銀から情報を収集するMOF担になった。銀行や証券会社を訪ね、金融政策や金融制度、規制に関わる情報を集める日々が続いたが、そうこうしているうちに当時の日本興業銀行には優秀な人材がおり、充実した教育システムや調査機能があることが分かった。

 そこで「興銀への派遣研修制度」という企画をまとめ提案すると、「言い出しっぺのお前からだ」と1年間、銀行員として勉強させてもらえる機会に恵まれた。そこには同じ金融と言ってもまったく異なる世界が広がっていた。

 さらに80年代の後半には金融制度改革の議論が始まり、生保業界も対応を迫られた。主舞台は業界団体の財務委員会。「このポストは僕たちがやりましょう」と働きかけたら運良く順番が回ってきて、「ではお前が事務局をやれ」と命じられた。金融制度改革という大きな時代の変化の中で、いろいろな新しい仕事や勉強に巡り会えた。

 何か新しい仕事をやれと言われ、たとえそれが巡り合わせや運だったとしても、それを効率的に面白くできるかどうかは自分次第だ。どんな仕事も面白く楽しそうにしているからどうか。仕事とは、そういうものだと思うのだ。

 僕の社会人人生は34年間が日本生命であり、当時の会社と諸先輩方には、僕のようなわがままな人間を30年以上も面倒を見てもらって、本当に感謝している。当時の楽しい思い出も、苦しい思い出も、「人生は喜怒哀楽の総量」なので、全てが僕にとってはかけがえのない宝な物のようなものだ。今でも飲みに誘ってくれる上司がいて、頭が上がらない。

働き方改革は、2つの軸で議論されるべきだ

 今春、社会人になった若者は「働き方改革1期生」と呼ばれる存在だ。社会が新たな働き方を求めて本格的に試行錯誤を始め、新入社員自身もまた自ら働き方改革を担っていかなければならないことになる。

 僕は、働き方改革は、ある意味、とても単純な問題だと考えている。例えば書籍編集の仕事なら、朝8時に出社して夜の22時頃までまできっちり作業して帰って行く編集者と、朝10時ぐらいに来てスタバで誰かとコーヒーを飲み、18時になると会社を出て誰かと会っている編集者とでは、どちらがベストセラーを頻発できるか、つまり良い仕事をできるかは、だいたい想像がつくだろう。しかし、これが物をつくる工場であれば話は真逆になる。

 つまりサービス産業モデルと工場モデルとでは働き方がまったく違うのだ。戦後の日本は、冷戦下にアメリカの庇護の下で、人口ボーナスにも恵まれ、工場モデルを基軸にアメリカにキャッチアップしていけば高度成長する幸せな時代を過ごせた。そうしたときは「飯・風呂・寝る」の長時間労働が適しており、女性が家庭にいて夫を支えるのが一番合理的であった。

 今でもそうした社会形態を、「日本人の性格に合っている」と主張する人もいる。しかし数字、ファクト、ロジックでよく見れば、この主張は間違っているし、それを伝統だの日本人だのとあいまいなエピソードで済まそうとするから経済の低成長からなかなか抜け出せないのだと思う。

 日本は先進国で一番高齢化が進んでいる。これは疑う余地のないファクトだ。そして予算だけを見ても毎年5000億円ベースで社会保障関連の出費がかさんでいく。とすれば、なにもせずに放置すれば市民も国も貧しくなるばかりだ。選択肢は2つに1つで、「皆が平等に貧しくなる」か「それが嫌なら生産性を上げる」のどちらかだ。GDPは「人口×生産性」だから、人口が減っている現状では生産性を上げるしかない。

 具体的にどうすれば経済が成長するかを考えれば、経済の構造が第3次産業、サービス産業に大きくシフトするなかでは、この分野の生産性を上げるしかない。そしてサービス産業のニーズ、消費の7割は女性がリードしている。これは世界のどの国の統計を見ても同じだ。ユーザーが女性であるならば、女性が輝ける社会を創らなければ経済は伸びない。

 だからこそヨーロッパでは早くからクォータ制(政治や経済における男女平等を実現するために議員や会社役員などの一定数を女性に割り当てる制度)を導入して一所懸命に女性を引き上げようとしている。そうしなければ貧しくなるしかないのだから必死だ。その結果、ここ数年間は日本の2倍ぐらいの経済成長率を実現している。

 逆に言えば、日本はヨーロッパよりもさらに厳しいクォータ制を導入するぐらいの覚悟がなければ、未来を開けないのだ。にもかかわらず、日本では工場モデルの時代と同じように、男性は相変わらず長時間労働を続け、女性はそれを支えている。そうしながら女性自身が仕事をするとなれば、ショートスリーパーで2時間ぐらいの睡眠で夫や家族、そして自分の仕事を支えなければならない。男女雇用機会均等法の施行以来、女性の正社員の数が減っているのは、よく考えれば至極当たり前のことなのである。

 サービス産業モデルと工場モデルでは働き方が異なること、そして長時間労働を止めないと女性が働けないので経済が成長しない。この2つをきっちりと軸に据えて議論しなければ前に進まない。

 付け加えれば、サービス産業はアイデア勝負でもあるので、「飯・風呂・寝る」の生活では脳が疲れていいアイデアが生まれない。早く退社して、人に会い、本を読み、多くの現場に足を運んで(≒旅)、脳に刺激を与えないとアイデアが浮かんでこない。つまり、働き方改革とは、一言で述べれば「飯・風呂・寝る」の生活から「人・本・旅」の生活に切り替えることなのだ。

 女性が輝く社会とは何か。それは、産業に求められるニーズが女性中心というダイバース(多様化)の変化があるので、供給側の人員構成もダイバースしなければいいアイデアなど生まれるはずがない、ということの本質である。それを放置するのは供給・需要の大きなミスマッチを放置することであり、言葉を換えればこのミスマッチを解消すればよいだけの話なのである。

 しかし多くの議論を見ていても、今僕たちがどういうステージにいるのかという本質的な認識が欠けたままの議論が続いているような気がしてならないのである。

(ライフネット生命会長 出口治明)
http://diamond.jp/articles/-/124975

 

 
【第41回】 2017年4月17日 flier
なぜ「やさしい」上司が職場や教育現場で増えたのか『「やさしさ」過剰社会――人を傷つけてはいけないのか』

何かとほめてくれる上司は部下を気持ちよくさせるため、部下からは「やさしい」上司といわれることが多い。しかし、「やさしい」といわれる人たちは、はたして本当に「やさしい」のだろうか?
要約者レビュー

 部下を持つ上司であれば、だれでも一度は部下への注意の仕方に悩んだことがあるのではないだろうか。なにせ、厳しく注意したらヘソを曲げられてしまったり、パワハラだと訴えられたりする時代だ。まちがいを指摘するときも、細心の注意を払わなければならない。それが、たとえ部下に完全なる非があったとしても、である。


『「やさしさ」過剰社会――人を傷つけてはいけないのか』
榎本博明
206ページ
PHP研究所
800円(税別)
 こうした事情が関係しているのか、日本社会には一見すると「やさしい」上司が増えたようにも思える。だが、それがはたして本当のやさしさと言えるのか、大いに疑問だ。

 この点に関して、『「やさしさ」過剰社会――人を傷つけてはいけないのか』の著者の指摘はするどい。著者は現代日本における「やさしさ」の正体を、「予防としてのやさしさ」と看破する。つまり、一見すると「やさしい」上司というのは、あくまで相手を傷つけないようにしているだけで、実はたんに利己的かつ保身的な態度をとっているだけだというのだ。

 相手のためを思い、ときに厳しく接する「治療としてのやさしさ」は、たしかに現代では許容されにくくなっているかもしれない。しかし本当に重要なのは、本当に相手のことを思って接すること、そして相手からの厳しい言葉の裏に隠された想いを見落とさないことなのである。

 もちろん、真のやさしさは本書だけで定義できるものではない。だが、傷つき傷つけられることを許しあうということは、現代の日本が忘れかけている「やさしさ」のかたちかもしれない。

 本当のやさしさについて考えさせてくれる一冊として、本書をお読みいただければと願う。 (池田明季哉)

本書の要点

・傷ついた相手を癒す「治療としてのやさしさ」よりも、相手を傷つけない「予防としてのやさしさ」に対する感受性が日本で広まっている。
・「予防としてのやさしさ」が求められる「やさしさ社会」は、一度でも他者を傷つけることは許されないという意味において、きびしい社会である。
・心の傷は癒すことができるという信頼のもと、相手の長期的な利益を考えて、ときに厳しく接する「やさしさ」への感受性に回帰していくべきだ。

要約本文

◆部下に注意をすることがむずかしい時代
◇その上司は本当にやさしいのか

 上司、恋人、家族、先生など、現代ではあらゆる人間関係の場面で「やさしい」人が人気である。たとえば、何かとほめてくれる上司は、部下を気持ちよくさせるため、部下からは「やさしい」上司といわれることが多い。

 しかし、「やさしい」といわれる人たちは、はたして本当に「やさしい」のだろうか。たしかに、気分で口うるさくする上司や、心配性で不必要に口うるさい上司にはうんざりさせられるものである。

 だがその一方で、相手のためを思う口うるささというものもある。部下に実績を上げさせるためにアドバイスを送る上司に対して、鬱陶しさを感じつつもありがたいと思う人も少なくないはずだ。

 また、口うるさいことも厳しいことも言わない、「やさしい」上司だとされている人に話を聞いてみると、「単にめんどうだからうるさく言わないだけだ」と漏らすことがある。結局、彼らは若手に反発されて逆恨みを受けるリスクを減らすために、何も言わないことで距離を取っているだけなのだ。

 部下から嫌われないための「やさしさ」は、部下のためというより、むしろ自分のためである。部下からパワハラで訴えられないための「やさしさ」は、本当のやさしさではなく、保身のため以外のなにものでもない。それにもかかわらず、そうした人物が、「やさしい」上司だと言われているのが現状なのである。

 現代の日本では、このような怪しげな「やさしさ」がはびこっている。だが考えてみてほしい。厳しいことを言ったりむずかしい課題を与えたりして部下を鍛えようとする上司と、部下のいたらない点を指摘せずに甘やかす上司、はたしてどちらが本当に「やさしい」のであろうか。

【必読ポイント!】

◆やさしさは予防なのか、治療なのか
◇現代の「やさしさ」はきびしい

 なぜ、現代ではあやしげな「やさしさ」がはびこりがちなのであろうか。

 精神科医の大平健(おおひらけん)は、やさしさが「治療としてのやさしさ」から「予防としてのやさしさ」へ変化していると指摘する。彼の考察によれば、旧来のやさしさとは、相手の気持ちを察し共感することで、お互いの関係を円滑にするものであった。一方、新しい「やさしさ」とは、相手の気持ちに立ち入らずに傷つけないための社交術なのだという。

 たとえば、ある意識調査のデータを見ると、「年長者からアドバイスされて、うっとうしいと思うことがある」というものは2割以上、とくに20代では3割近くになっている。また、「他人に批判されると、それが当たっていてもいなくても無性に腹が立つ」と答えた者も、とくに20代で45%と飛びぬけて高い。

「正しいことであっても注意されたら腹が立つ」という人が増えている背景には、「予防としてのやさしさ」の流行があると考えられる。「治療としてのやさしさ」の場合、一度注意をして相手を傷つけても、いつかその傷は癒えると捉える。そしていっとき気まずい思いをしたとしても、長期的に見れば相手の成長につながると考える。一方、注意をして相手の気分を害することは避けるべきだと考えるのが「予防としてのやさしさ」だ。そこでは、傷は一度つけたら癒えないものとして捉えられてしまう。つまり、一度相手を傷つけたら終わりなのだ。

 社会学者の森真一(もりしんいち)は、意図せず傷つけてしまったときにその傷を癒そうとする「治療としてのやさしさ」よりも、傷つけること自体を回避しようとする「予防としてのやさしさ」のほうが、実際は「きびしいやさしさ」だとしている。なぜなら、後者は関係の「修復」がそもそも考慮されていないからである。

 正しいことであっても注意をされて腹を立てる人々は、「予防としてのやさしさ」という非公式ルールにしたがい、人に注意をすることを控えてきた人たちだ。彼らにとって、振る舞いを注意する人はマナー違反を犯している存在なのである。このような理由から、現代の「やさしさ社会」とは、生きづらく閉鎖的な社会であると言えよう。

◇傷つきやすい若者が急増している

 経営者や管理職の人たちのあいだでは、「最近の若手の扱いはむずかしい」と口にする人が後を絶たない。これは、現代の「やさしさ」のありかたが変化していることが原因である。

 最近の若者は、注意したり叱ったりすると、落ち込んで仕事が手につかなくなってしまう。ひどいときは翌日から休んだり、パワハラだと訴えたりしてトラブルになることさえある。実際、訴えられたケースでは、とくに横暴なことを言ったわけでもないのに、なぜそこまでの事態に発展してしまったのか、理解しがたいものも含まれているという。しかしそれは、彼らにとっては予防的やさしさが常識であり、注意を受けること自体が許しがたいゆえに起こったことなのだ。

◇「やさしさ」が脆弱性を生みだす

 傷つきやすい若者が生まれた原因は他にもある。最近の若者はほめられて育った人が多いため、怒られ慣れていないのだ。

 現在日本で流行している叱らずほめる子育ては、アメリカが発祥である。アメリカでは親が子どもに厳しすぎることから、1970年代から子どもの人権を守ろうという動きが起こった。そのなかで、ゴードン(フライヤー注:アメリカの臨床心理学者)が提唱した「親業(おやぎょう)訓練講座」という子育てマニュアルが流行り、ほめる親が増えてきた。これは、ほめて子どもの自尊心を高めれば、能力を伸ばすことができると説いたものであった。

 しかし、現在ではアメリカでも揺り戻しが生じている。アメリカの心理学者トウェンギとキャンベルは、うまくいかなかったときでも子どもをほめそやすことは、自尊心を育むのではなくナルシシズムを引き出してしまうと批判をしている。

 さらに、親が子どもをほめすぎることの弊害として、忍耐力の低下が指摘されている。「自分は特別である」という認識を育んだ結果、それに反する現実にうまく立ち向かえなくなってしまっているというわけだ。日本でも1990年代から取り入れてきた「ほめて育てる」思想は、このように発祥の地アメリカでも悪影響が取り沙汰されるようになっている。

 アメリカのような厳しい父性原理を背景とした社会でも、「ほめて育てる」ことが深刻な甘やかしにつながるのであれば、日本のような社会では、より一層の弊害が出ることが予想される。実際、「ほめて育てる」ことで自己肯定感が高まると言われていたにもかかわらず、「ほめて育てる」風潮が広まってから、日本の若者の自己肯定感はむしろ低下の一途をたどっている。

 大した努力をしなくてもほめられて育った子どもたちは、厳しい現実に直面したときに傷つきやすい脆弱な心の持ち主となる。日本でも、ちょっとしたことで傷つきやすい、忍耐強さがなく逆境でがんばれない若者が増えており、教育現場や企業でもきびしく育てることができなくなっている。

 教師や上司、先輩からの注意やアドバイスから学ぶのではなく、反発を示してしまう若者が増えているのは、ほめられることに慣れてしまい、きびしい環境に馴染みがないからだと言えるだろう。

◆子育てとやさしさ
◇「友だち親子」は誰のためか

 最近では友だち親子と呼ばれるような、仲のよい親子が増えている。

 親子仲がよいということはもちろんよいことだ。しかし、親のやさしさというのは自分のさびしさを堪えてでも、親の役割を担い、親離れを促すことなのではないだろうか。友だち親子を演じている親は、「自分がさびしいのは嫌だから」と子どもの自立を邪魔している親に他ならない。それはけっして子どもにやさしいのではなく、自分に甘いだけなのだ。

 友だち親子のように、子どもに対するきびしさに欠ける親は、子どもの将来を見越して、ときに厳しくしつけ育てるという視点を持ち合わせていない。そのような甘い親たちの間で「叱らない子育て」が広まったため、教育的配慮に欠けた甘い子育てが横行してしまった。

 だが、子どもの将来のために厳しく育てようとする親と、目の前の子どもを喜ばせるためにひたすら甘い顔をしている親、どちらが本当にやさしいのかは明白である。

 子どもを叱れないのは、「嫌われたくない」という心理があるからだ。たしかに、叱った子どもから「嫌い」と言われれば少なからずショックを受けるものではある。しかし、子どもの未熟で感情的な言葉に大人が振り回されて、子育ての使命を忘れるべきではない。

 親子の関係は、もっと深い結びつきのあるものだ。子どものためを思ったら、一時的に嫌われるようなことがあっても、親としてきびしく注意しなければならないこともある。子どもに嫌われないために叱らない親は、結局自分のために子どもにやさしくしているだけなのである。

 子どものために憎まれ役を買って出るのは、親にしかできないことといっても過言ではない。将来のわが子のことを考えてその役を引き受ける親の方が、甘くしている親よりも本当の意味でやさしいと言えるはずだ。

◇親にきびしさを求める子どもたち

 友だち親子というあり方に疑問を感じていない人々がいる一方で、親には「もっと堂々としてほしい」「もっと頼れる存在であってほしい」と願っている子どもたちもいる。

 たとえば、朝日新聞の読者投稿欄である「声」に、おしゃべりをしている生徒をしっかり叱らない先生に対して、本気で叱ってほしいと願う中学生の読者からの投書が寄せられたことがあった。中学生ですら、先生たちが本気で叱らなくなったことを嘆いているのだ。きちんと叱れない大人が抱えている利己的な思いを、子どもたちはしっかり見抜いているのである。

 叱られずに育った子どもたちは、打たれ弱く、傷つきやすく、辛い状況でがんばることもできなくなる。つまり、生きづらくなってしまう。また、そのような若者を相手にすることになった上司も頭を悩ますこととなる。とくに、上司として部下を鍛え、力をつけさせてやらなければと思うタイプほど、部下の対応に悩むことになるだろう。

 叱られずに生きてきた若者が教師や親になり、「叱らない」教育が続いてしまうのは悪循環以外のなにものでもない。今こそ、やさしさのあり方について考え直し、「治療としてのやさしさ」への感受性を高める方向に回帰すべきなのではないだろうか。

一読のすすめ

 要約では、著者の主張するやさしさのあり方について、ビジネスシーンに関係する場面を中心に取りあげた。通読することで、自分や周囲のやさしさについて、考えなおすよいきっかけとすることができるだろう。

評点(5点満点) 


※評点基準について
著者情報

榎本 博明(えのもと・ひろあき)

 1955年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒業。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士過程中退。川村短期大学講師、カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授等を経て、現在はMP人間科学研究所代表を務める。心理学博士。心理学をベースにした企業研修・教育講演を行なう。

 主な著書に『「上から目線」の構造』『薄っぺらいのに自信満々な人』『「みっともない」と日本人』(以上、日経プレミアシリーズ)、『ほめると子どもはダメになる』(新潮新書)、『中高年がキレる理由』(平凡社新書)、『他人を引きずりおろすのに必死な人』(SB新書)、『傷つきやすくて困った人』(イースト新書)など。

(要約の達人 flier)
http://diamond.jp/articles/-/124756  

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