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あっしらさんへ まだもしいらっしゃれば野田内閣(鉢呂経済産業大臣)の原発政策への評価をお聞かせ頂けないでしょうか?
http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/292.html
投稿者 よしゆき 日時 2011 年 9 月 06 日 22:20:35: .fHdROTysEMxI
 

あっしらさんへ


ご無沙汰しております。
まだ阿修羅へはいらっしゃるのでしょうか?


以前(6月頃)原発推進派の巣窟自民党も「津波破局説」:地震には備えてきたが想定外の津波でやられた:失念禁止!≪地震が破局要因!≫(http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/113.html)の版で種々の質問に対して丁寧に解説して頂きありがとうございました。
コメント欄にも関わらず非常に深く切り込んだ返事を頂き感動&恐縮しておりました。
ただお恥ずかしく、そして申し訳ない事に自分のキャパシティーを超えてしまいどうお返ししたら良いのかと思い巡らす内に返すタイミングを失ってしまっておりました、、


お返事を頂いたのに無視する様な形になってしまい申し訳ありません。

さて今回なのですが、1あっしらファンとして、あっしらさんの見解をお伺いしたい記事があったのでスレッドを立てさせて頂きました。


経産相「原発はゼロに」 既存立て直しも否定 産経新聞
http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/287.html


上記の記事を読みますと鉢呂経産相は(積極的ではないにしろ)脱原発を表明しております。
新内閣の任命されたばかりの経産相がハッキリと「原発は0に」と口にした事は大きな事だと思います。
(本来は笑)大臣の発言と言うのは重いものだと思うので。


菅前首相は「脱原発」を口にしながらも最後の最後は割合あっさりと退陣されましたが、現段階での民主党の原発政策への評価を含めざっくりとしたもので構いませんのでお答え頂けます出ようか?


宜しくお願い致します。  

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コメント
 
01. 2011年9月07日 05:24:29: zBp4PLSELA
おれはべつに聞きたくないね。
個人的な私用をここではいちいち掲示板でやりとりするのかね?
メールでやるなりなんなりしてはどうかな?

02. 2011年9月07日 06:47:24: FeHILUUZ5w
是非聞きたいです。 
最近、あっしらさんの投稿が無いので、とても寂しく感じていました。
あっしらさんの深い洞察力に裏打ちされた冷静で節度のあるコメントの
ファンです。
>1さん、メールアドレスをご存知でしたらお教えください。

03. よしゆき 2011年9月07日 07:40:56: .fHdROTysEMxI : GQfzSeUgMA
>01さんへ

はじめまして。
今回の様な投稿をすればその事を不快に思われる方もいるだろうなとは思っておりました。
01さんに対してその様な思いを感じさせてしまい申し訳なく思います。

ただ今回の投稿は阿修羅の掲示ルールの範囲内だと思っておりますので、ご容赦頂ければと思います。

※掲示ルールの範囲内かどうかの判断は管理人さんにお任せします。>>02さんへ

同じく。
あっしらさんの洞察を色々と伺いたいんですね。


04. 2011年9月07日 10:43:55: AQqyLULhMc
聞きたいか聞きたくないかよりも、ある特定の投稿者を祭り上げて権威付けし、
それを利用して自分たちの意見を正当化しようとするやり方に違和感を持ちます。
それにこの話題、政治板に投稿すべきなのでは?

05. あっしら 2011年9月09日 15:54:54: Mo7ApAlflbQ6s : DvLZNEv2EI

よしゆきさん、お久しぶりです。

少しバタバタしていたので久しぶりに阿修羅にアクセスして、その後もいくつかのスレッドで引っ掛かったりしたために、よしゆきさんのスレッドを見落としていました。

レスがたいへん遅くなり失礼しました。

まず、原発問題に対する野田政権への評価ですが、菅政権(というより菅首相自身)のそれより大きく後退したと受け止めています。

ご提示の記事にある鉢呂経産相の「原発は0になる」も、野田首相の「世論動向から原発の新増設はできず、老朽化した原発は廃炉にする」という説明をなぞったものです。

確かに、新任の経産相がハッキリと「原発は0に」と口にした事は重要なことだと思いますが、経産省官僚のコントロールを受けた発言で、積極的な評価はできないと考えています。
今月から経産省所管の総合資源エネルギー調査会が開かれるようなので、その審議内容で“本音”がわかるでしょう。

野田政権の考え方は、5月から6月にかけての自民党の「原発政策」に近いものだと受け止めています。

野田政権的な考え方は主体的な脱原発ではないので、世論の風向きが変われば、原発の新増設も視野に入ってくるはずです。

3年後に、「この間の実績で国民のみなさんには原発の高い安全性をご理解いただいた。いくつかの自治体から原発の増設に関する要望もいただいている。最大限の努力でより安全な原発にしていくつもりなので増設のご理解をいただきたい」という説明がなされないとも限らないと思っています。

福島を中心に、被曝による健康問題が表面化しなければ(政府はできるだけそうするでしょう)福島第一の事故も緩やかに風化していき、“地域活性化”や“電力の安定供給”の名のもとに“原発復活”に動き出す可能性があると思っています。

そう言っても、福島などでの健康被害が“原発抑止”になるのは不幸の極みです。

問題が起きて泥縄的に判断するのではなく、理性的判断で脱原発を進めていくべきだと考えています。

菅首相は結局脱原発の道筋を提示できないまま退陣しましたが、総理大臣として初めて他の事故とは質が違う原発事故のリスクを説明したこと、政治的駆け引きながら玄海原発の再稼働を止めたことに関しては高く評価しています。


06. よしゆき 2011年9月09日 18:50:02: .fHdROTysEMxI : 1zf6yv1u06
>あっしらさん

コメントありがとうございます!!
仕事中できちんとしたレスができないため、後ほどまたレスをさせてください。

コメント、本当にありがとうございます。


07. 2011年9月10日 00:46:54: vdTZNC5yCw
あっしらさん。

菅政権が掲げた震災復興ビジョンの中に、津波が襲った地域は、今後も津波の可能性があるので、高台に移住してもらおうというものがありました。

菅政権が延命策に走る頃は、菅政権を引きずり降ろすためもあり、菅氏が打ち出すアイディアは総否定の雰囲気がありましたが、菅政権が退陣した今見ると、高台移転は、真っ当な判断だと思われます。

震災復興で予算を使うのなら、何年先かはわからないが、次の津波も今回同様と見立てて、安全圏に生活基盤を築くのは、誰もが納得する復興計画です。

ところが、先日のNHKニュースでも紹介されていましたが、震災復興に際して国の関与が100%ではないため、高台移転は断念して、次の津波に対処できるかわからないが、当該市町村の財政出動できるレベルで行うようです。

国が9割負担する事業であっても、地方の零細市町村では、その1割の負担ができない。だからあきらめるしかない。

つまりは、全てが「財源論」に行き着いてしまっています。

これを持ち出されると思考停止になるように、あたかも家計のように、自らの財布を見つめてしょぼくれてしまいます。

しかし、国家予算は家計にたとえるのはミスリードであり、もしたとえるとするなら、国家はタヌキであり、葉っぱも金に変えられる事をこそ伝えるべきでしょう。
タヌキが金に替えた葉っぱが、金で無くなるのはタヌキが死ぬ時です。
日本国は続くと信じる日本人が居る限り、日本は滅びないのです。


私は2000年頃より阿修羅を見ていますが、あっしらさんは、大蔵官僚とのやりとり、そしてその後の国政に嫌気が差して、阿修羅から遠ざかったのではないでしょうか。

しかし、当時の大蔵省の亡霊は、原発事故の今も依然猛威を振るっています。

原子力の専門家の小出氏は、原発村との戦いを続けていますが、小出氏にも限界があります。それは財源論です。それがあるから、分かち合い云々となってしまいます。

日本は国の借金が多く、消費税増税しか無いと、ほとんどの国民が刷り込まれています。

だから、普通の国民である小出氏は、金の無い国家を前提とすると、分かち合いかなと結論づけるのでしょう。

財源つまりマネーですが、マネーを巡る創造とは、とてつもないフィクションです。
歴史上、鉱物ではない紙幣がどのように誕生したか。

紙幣と言っても、日銀の紙幣と、政府の紙幣とはどう違うのか等等。

あるいは、信用創造とは何か。

これらの事実を知ると、今縛られた「思考」は解き放たれる可能性があります。

日本の科学者に、経済とは何かを、一般に言われる経済ではない経済を示せば次の扉は開かれるのではないかと思います。

あっしらさんだけに、大蔵省と戦えとは言いません。

しかし、あっしらさんにこそ、日本を縛ってきた財源論から脱する論理攻勢を作るきっかけになって欲しいと思っています。

一ファンより。


08. よしゆき 2011年9月10日 03:27:46: .fHdROTysEMxI : GQfzSeUgMA
あっしらさんへ


あらためてコメントありがとうございます。
「あっしらさん、また阿修羅から居なくなっちゃったのかな?」とかなり不安に感じておりましたので、またやり取り出来る事がとっても嬉しいです。


>まず、原発問題に対する野田政権への評価ですが、菅政権(というより菅首相自身)
>のそれより大きく後退したと受け止めています。


あっしらさんの読みでは野田首相や鉢呂経産相に対して脱原発的なエネルギー政策は期待出来ないとお考えなのですね。
鉢呂経産相の発言に期待したい気持ちがありました。そして、大臣としての言葉と存在の重みを自覚して欲しいと言う気持ちがありましたのでとても残念に感じています。


1人の庶民・国民として眼前の原発事故も稼働中の原発も恐ろしいですが、大臣の発言がパフォーマンスでしかないと言うのは同じかそれ以上に怖いと思いますので。


直感的な説明で恐縮ですが、この怖さは"大臣"が軽んじる事は"一票"を軽んじる事に通じ、"言葉"を軽んじる事は"言霊の力"を軽んじる事に通じるようなイメージを持ってるから感じるのだと思います。
(※この場合の言霊は日本人同士の信頼と団結を礎としたサムシング・グレートと言うか国の力というほんわかしたイメージです)


大臣の存在・言葉が軽い事はまあ何を今更な現象ですが(笑)


>問題が起きて泥縄的に判断するのではなく、
>理性的判断で脱原発を進めていくべきだと考えています。


あっしらさんの言わんとするニュアンスと同じか分からないのですが、反原発か進原発かと言うのは原発問題(またはエネルギー問題)を超えて日本人の政治(意思決定)の在り方を強烈に問うているのでは無いかと最近感じております。


一庶民の素直な感覚として、日本は凄く大事な事が良く分かんないうちに何となく決まる事が本当に多くて怖いです。


これは25の若造が学生時代や1年半という短い社会人経験を基に学んだ経験則でしかないのですが、およそ人の集団が納得感のある形で物事を決めるには最終的な決断の方法論(投票・意思決定者の判断など)以上に、決断前の「議論=話し合い」の"共有度"が相当重要だと思っています。


意思決定の為の思考の流れは抽象的な説明ですが、

1.取り得る選択肢を複数上げて
2.メリット/デメリットを検討し
3.集団にとって重要だと思う判断軸定めて(この辺で集団の哲学が決まります)
4.判断軸に沿って決定

と言う流れでしょうか。

そしてその判断のプロセスを議論等を通じてしっかり共有する事で、集団は同じ様な世界観を持って結束出来るし、何か問題が起きてもどこまで立ち返って修正すれば良いかを判断し易いです。


ただ日本が国家としての重要事項を決定する際、この様なプロセスが広く共有されていると感じられる事は非常に稀です。
その原因が誰か(アメリカとか官僚?)が先に答えを決めているせいなのか、文化的に得意では無いせいなのかは分かりませんが。


今回の福島の件でも、それ以外の多くの社会問題でも割を食うのはいつも普通の人達ですが、割を食ってしまう理由として意思決定に参加はおろかプロセスの共有すら出来ていないこの政治状況にあると感じてしまいます。


ところで、私は感情的には反原発ですが、一度原発推進も選択肢の一つとしてオープンに議論をすると言う手法はありなんじゃないかと思っています。
(リスクも結構ありそうですが、、)
そうやって"オープンな議論"を引張り出さないと確かな脱原発は得られないのではないかと。


尚、上記の様な政治思想を持つので、政治家に必要な資質の一つは取り得る選択肢のメリット/デメリットを包み隠さず話し、議員・国民間で共有させる事だと思っております。
その文脈で管首相が原発のリスク(他の選択肢と比較しての質的危険性)を語った所は同じく評価しています。
(国民の議論が盛り上がらなかった、と言うかメディアが黙殺したのが残念ですが)


あっしらさんが管前首相のその発言を評価されているのはどの様な文脈からなのでしょうか?
またあっしらさんの言う「理性的判断で脱原発を進めていくべき」とはどの様な意味合いでしょうか?


>今月から経産省所管の総合資源エネルギー調査会が開かれるようなので、
>その審議内容で“本音”がわかるでしょう。


経産相の総合資源エネルギー調査会と言う組織は不勉強なため初見だったので検索させて頂きました。資源エネルギー庁総合政策課主催の部会なのですね。
○○省△△課が決めた事なのに、いつの間にか××調査会とか◎◎審議会が決めたかの様に感じてしまうのは一種の印象操作なのですかね?


09. 2011年9月10日 19:14:46: 03bw0jfJsI
07>様 財源について参考にしていただきたく思いますので転載いたしました



題名:No.970 円高は本当に「悪」か

From : ビル・トッテン
Subject : 円高は本当に「悪」か
Number : OW970
Date : 2011年09月05日
8月、円高の史上最高値を更新しそうな中、日本政府は単独で4.5兆円規模の円売り・ドル買い介入をおこなった。この為替介入によって一時円相場は下がったものの、最終的には何事もなかったかのように値を戻した。4.5兆円というのは、1日の円売り介入として最大であったという。
(ビル・トッテン)

円高は本当に「悪」か

この為替介入について、当時の野田財務相は、『日本経済が(大震災から)復興に向かっているときに、円高は経済・金融に悪い影響を与えるため』と語ったというが、これこそ真実を直視していない無能な政治家の発言にほかならない。(しかしその野田氏は総理大臣となった。)

円高、つまり円の価値が高くなって損をするのは輸出企業だ。輸出企業は海外での価格競争力を上げて製品を売りやすくするために円安を望む。だからたとえ日本企業や個人の所得や富の価値が目減りしても、政治家に圧力をかけ円安を誘導させる。

日本は資源がなく輸入に依存しているから、輸出で外貨を稼がなければという説も今では当てはまらない。真実は輸出が過剰であるがゆえに、その分余計なものを輸入しなければならなくなっている。そして純輸出(輸出額から輸入額を引いたもの)は、ここ数十年間の平均でもGDPのわずか1%に満たないのである。

一方で日本という国は、国民の生活に必要なエネルギー資源や食料の大部分を輸入に頼っている。石油や石炭をはじめとする資源やその他鉱物、野菜や果物、そして放射能によって今後米が汚染されれば、国民の主食である米さえも、日本は海外から輸入しなければならなくなる可能性がある。そうなったときに、円高と円安ではどちらが国民にとって都合がよいのだろうか。

それだけではない。4.5兆円というお金があるなら、それをまず復興に使わないのであろうか。家や仕事、土地を失い、途方にくれている人々の救済に使わないのか。震災や原発災害によってどれだけ多くの人の生活が崩壊したか、政府は知らないはずはない。一部の企業のために1日で4.5兆円を使うことを決定できる政治家や官僚は、いまだに原発事故による深刻な放射性汚染が広がる中、被ばくのリスクにさらされながら生活している多くの子供たちを、より安全なところへ移動させることもしていない。正当な賠償や行政的なサポートを一般国民に保証しない政府はしかし、輸出企業のための円高介入には簡単に4.5兆円を使うのである。

私はすでに10年以上も、日本政府が借金、つまり国債を発行してまで円の価値を下げるためにドル買い介入をすることを批判してきた。それは一般の国民のためではなく、政治家や官僚に、選挙資金や天下り先を提供してくれる一部の大企業のための政策だからだ。

しかしアメリカが債務超過となった今でも、日本の国内でこれほど多くの国民が不安の中で暮らしている今でも、政府は円高のメリットを国民生活に生かす道も模索せず、増税だけが唯一の方策であるかのように振る舞う。政府にも、正直な報道をすることはないメディアにもこれほど憤りを感じることはない。


10. 2011年9月10日 19:52:20: 03bw0jfJsI
09>
ですお節介のようですが、これも参考になるかと思います。1年前ほどから愛読してます。

新ベンチャー革命2011年8月5日 No.414

タイトル:3.11大震災パニックの虚を突いて、今起きているのは『新帝国循環』ではないか

1.また政府・日銀は為替介入に踏み切る

 2011年8月5日の報道によれば、政府・日銀はまた円売り・ドル買いの為替介入に踏み切ったようです。一時、80円台まで円安に振れましたが、再び78円台に戻したそうです。

 このような日銀による円売り・ドル買いオペは3.11事件直後にも行われています(注1)。なお、このときは、3月14日より8営業日で、総額102兆6000億円の資金供給が行われたと朝日新聞が3月24日に報道しています(注2)。ということは、前回、日銀はその都度、資金供給の規模を公表していたのです。しかしながら、今回は、資金供給規模を公表していません、実に不思議です。

2.マスコミ報道の不思議

 マスコミの報道姿勢は実に紋切型であり、“超円高が続けば、日本企業への打撃が大きく、日本企業の日本脱出が止まらない、日本経済は大変なことになり、国内雇用に影響が及ぶ”といった、まさにオオカミ少年論調です。

 さらに、経済界や財界の人間に“何とか円高是正してほしい!”と悲鳴を上げさせ、日銀の為替介入を正当化させています。

 ところが、不思議なことに、マスコミは、経済苦境の日本の円がなぜ、こうも買われるのかについての理由はさっぱり触れないのです。米国連邦政府の財政危機で米ドル売りが起きていることは周知の事実ですが、なぜ、苦境日本の円が買われるのかは謎です。さらに言うと、なぜ、高度経済成長の中国の人民元が買われないのでしょうか。対ドル人民元相場は長期的には右肩上がりですが、最近はむしろ下落しているようです。

3.3.11事件以降に起きている現象は『新帝国循環』ではないのか

 本ブログでは、3.11事件後に起きている日銀による円売り・ドル買いオペは、いわゆる『新帝国循環』ではないかとみています。

 簡単に言えば、日本国民にとって、“自分のカネで自分が買われる”という世にも悲惨な珍現象です(注3)。

 新帝国循環とは、故・吉川元忠・神奈川大教授の唱える日米間の金融循環を意味します。本ブログの理解する新帝国循環とは以下です。

 (1)米国の国際金融資本などが、外為市場にてドル売り・円買いを仕掛け、日本の経済競争力の強弱にかかわらず、超円高相場を意図的・計画的に創出する、(2)円高を是正するという名目にて日銀が円売り・ドル買いオペを実施する、ただし、資金は特別会計の外国為替資金特別会計(原資は国民の税金)である、(3)日銀(日本国民の税金で米国債を買う)や日本の外為金融機関(国民から預かった預貯金で米国債やドル建て金融商品を買う)の引き受けた米ドルにて、米国債を購入する、(4)大量の米ドルが米国連邦政府に還流する、(5)米国の国際金融資本はドルを売って得た円にて、円キャリートレードを行うほか、日本企業の株を購入したり、日本企業を買収したり、日本の不動産を購入して日本資産の権利を獲得する、(6)日銀や日本の外為金融機関の保有する米国債は償還を迎えても、借り換え債などで契約更新していき、日本の対米債権(累積利子含む)は増える一方となる。なぜなら、米国連邦政府の財政は、常に真っ赤化であり、到底、返済できないからである。ちなみに、日米関係評論家・副島隆彦氏の試算では日本の対米ドル債権累積は官民にて総額700兆円から1000兆円規模(米国債およびドル建て金融商品含む)に達するようであるが、正確な実態は公表されないので不明である。

 日本と並び、中国も大量の外貨準備金(3兆ドル規模)を保有していますが、対米輸出で得たこの豊富な米ドルで、世界中の油田利権や鉱山利権獲得に多額投資しています、すなわち、第二次世界大戦戦勝国・中国は、手持ち米ドルを有効に活用しています。ところが、第二次世界大戦敗戦国・日本は今なお、米国の属国であり、日米間の暗黙の取り決めにて、手持ちドルを米国政府の了解なしに勝手に使えないよう縛られています。その証拠に、日本のもつ米ドル資産(外貨準備金)は、財務省の公表している分だけで、1兆ドル強(1ドル80円で80兆円)もありますが、これほどのドル安でもこの米ドルが売られていません、それどころか、逆にドル買いオペをやって、米ドル相場の暴落を阻止しているほどです。

 したがって、日本の場合、実質的に、国富が一方的に日本から米国に垂れ流され続けるわけです(注4)。皮肉なことに、日本の対米ドル債権が膨らめば膨らむほど、日本は米ドル相場を維持するために、米ドルの買い支えを永遠に続けざるを得ないわけです。一方、米国は膨大な対日負債を返済しないよう、日本を永久に属国化し続けるわけです、そして、在日米軍が駐留し続けているのは、そのためと考えるべきです。

4.菅政権と政府・日銀は東日本復興より米ドル救済を優先してはいないか

 菅政権の背後に控える財務省官僚や日銀のトップは、とにかく米ドル相場を維持することを最優先しているようです。そして、マスコミは、この属国日本の悲惨な実態をひた隠しするのに協力しています。

 われら国民の願いは、3.11事件の真相究明と一刻も早い東日本の復興ですが、日本の政官財に巣食う“悪徳ペンタゴン日本人”連中は、東日本の復興を差し置いてでも、いくらでも国民資産を米ドル救済に湯水のように使う覚悟です。そのために増税を言い、平気で国民を欺きます。

なお、上記、“悪徳ペンタゴン日本人”および、その支配者・米国戦争屋の定義は、本ブログのNo.225の注記をご覧ください。

 日銀の円売り・ドル買いオペに関する悪徳ペンタゴン・マスコミの報道ぶりから、彼らは日本国民のための報道機関ではなく米国覇権主義者の中の日本支配者のための報道機関であると改めて痛感します。とにかく、彼らは国民に『新帝国循環』現象を絶対に悟られたくないようですが、これは彼ら悪徳ペンタゴン日本人を支配する米戦争屋やFRBを含む米国覇権主義者の強い意思なのでしょうか。

5.新帝国循環という米国の巧妙な対日搾取のカラクリを暴いたのは故・吉川元忠氏(長州藩毛利家の末裔?)

 米戦争屋を母体とする米国覇権主義者が日本国民に知られることを非常に恐れているのが、この新帝国循環の実態でしょう。

 このカラクリを暴いた国士・吉川元忠氏は遺作となった『国富消尽』(注4)を脱稿した直後、2005年10月26日に急逝されていますが(注3)、生前、同氏は何者かに狙われていた(本人の発言による)と聞いています。


11. あっしら 2011年9月11日 03:23:34: Mo7ApAlflbQ6s : DvLZNEv2EI

07. のvdTZNC5yCw さんへ:

暖かいコメントありがとうございます。

財源をあれこれ問題にし、償還年限は延ばすようですが増税で財源を担保して行おうとする復興策は愚の骨頂だと考えています。

第一に、今はまだ広く国民に被災者に対する“思いやり”の心があるようなのでいいのですが、復興財源=増税では済まず復興財源不足→追加増税といった話になっていくと、「一部地域のために国民全体にどれだけ負担させようというんだ!」といった怨嗟の声や「一部地域のために日本全体が沈没することになってもいいのか!?」といった批判があがる可能性もあります。


第二に、税収に匹敵するか超えるほどの赤字国債を発行していながら、インフレが亢進するどころか、デフレ基調が続いている日本で増税に動く政策は日本経済の首を真綿で締めるようなものです。

自国通貨が国際通貨で公的借り入れがその自国通貨であれば、不足する物資の国際調達も可能で、利払いや償還ができなくなることは原理的にありません。
(菅前首相のように、“ギリシャ危機”を日本に結び付けるような説明は犯罪的なものです)

問題なのは、今でも実質的に日銀からの借り入れですが、今後、借り入れによる財政支出が供給力を超える需要をもたらすことでインフレや円安が亢進し、国民(とりわけ年金・生活扶助世帯)の生活を維持するために、さらに借り入れで財政支出を増大せざるを得なくなるという悪循環に陥ってしまうことです。
この場合は、高額所得者への増税で所得移転を行ってインフレを少しでも鎮静化させる政策が必要になります。

デフレ基調が続くことこそが、円高要因でもあり企業収益の劣化要因でもあります。
増税はデフレ基調をさらに強める話ですから、生産拠点の海外移転などで国内の供給力を弱体させていきます。
現在のような経済状況での増税は、将来の抑制できないインフレ・円安(円安そのものが大きなインフレ要因)を招来することになります。

政府や人々が、問題は「お金ではなく人々の経済的活動力」ということに気づくかどうかだと思っています。
(これに関する説明は気持ちが萎えなければ徐々に行うつもりです)

>私は2000年頃より阿修羅を見ていますが、あっしらさんは、大蔵官僚とのやりとり、
>そしてその後の国政に嫌気が差して、阿修羅から遠ざかったのではないでしょうか。


阿修羅から遠ざかったいちばんの理由は、財政赤字やデフレなどのやり取りを通じて、「私の投稿を読んで理解してもらえるかたは読まなくてもわかっている人で、理解してもらえないかたにはどれだけ働きかけてもムダなんだろうな」と思ったことにあります。

初めから何も期待しないつもりで“復帰”したつもりですが、現在、少々無力感に襲われているようです。
野田政権の誕生も影響しているのかもしれません(笑)

※ 最近投じた財政赤字や円高に関するコメント

http://www.asyura2.com/11/senkyo118/msg/763.htmlのコメント欄03.


今後ともよろしくお願いします。


12. あっしら 2011年9月11日 04:09:49: Mo7ApAlflbQ6s : DvLZNEv2EI

よしゆきさん、こんばんは。

>一庶民の素直な感覚として、日本は凄く大事な事が良く分かんないうちに何となく
>決まる事が本当に多くて怖いです。

日本に限ったことではないでしょうが、支配者は、大事なことであればあるほど、できるだけ内容に入り込まないようにして、イメージやムードで決まるようにしようとするようです。

9.11以降にブッシュ政権が世界中のメディアを利用しながら、イメージとムードで、米国民と世界の国々を戦争遂行に動員していった経緯を考えるとよくわかると思います。


【引用】
「これは25の若造が学生時代や1年半という短い社会人経験を基に学んだ経験則でしかないのですが、およそ人の集団が納得感のある形で物事を決めるには最終的な決断の方法論(投票・意思決定者の判断など)以上に、決断前の「議論=話し合い」の"共有度"が相当重要だと思っています。

意思決定の為の思考の流れは抽象的な説明ですが、
1.取り得る選択肢を複数上げて
2.メリット/デメリットを検討し
3.集団にとって重要だと思う判断軸定めて(この辺で集団の哲学が決まります)
4.判断軸に沿って決定
と言う流れでしょうか。
そしてその判断のプロセスを議論等を通じてしっかり共有する事で、集団は同じ様な世界観を持って結束出来るし、何か問題が起きてもどこまで立ち返って修正すれば良いかを判断し易いです。 」


【コメント】
これも日本だけではありませんが、とくに日本では、フラットに議論ができないように思えます。
権力や権威に代表される発信者の肩書きで、人々の判断が大きく左右されるようです。
同じことを言っても、東大教授が言ったのか、隣りのおっさんが言ったのかで、聞いた人の諾否が変わることがあります。
(声が大きい人が議論をリードするという傾向もあるようですね(笑))

挙げられている流れのなかで、「集団にとって重要だと思う判断軸定めて」の部分が、いちばん重要であり、いちばん難しいテーマだと思います。
まさに「集団の哲学」であり、“当座のお金”が最たる判断軸のような状況では、これまでと同じ繰り返しになってしまうでしょう。


【引用】
「今回の福島の件でも、それ以外の多くの社会問題でも割を食うのはいつも普通の人達ですが、割を食ってしまう理由として意思決定に参加はおろかプロセスの共有すら出来ていないこの政治状況にあると感じてしまいます。 」

【コメント】
官僚や政治家かといった支配者は、口先はともかく、人々を質ではなく量でしか考えていません。
福島で人々がどれほど放射能の恐怖におののいていようが、農業者・水産業者・地場産業などの人々が生活にどれほど不安を抱えていようが、東電の賠償金や財政支出との比較でどうするかを考えます。

よしゆきさんやあっしらといった生き生きとした存在は彼らの頭のなかでは捨象されてしまいます。

意思決定への参加も、質ではなく量になってしまう投票行動だけが許されています。


【引用】
「ところで、私は感情的には反原発ですが、一度原発推進も選択肢の一つとしてオープンに議論をすると言う手法はありなんじゃないかと思っています。
(リスクも結構ありそうですが、、)
そうやって"オープンな議論"を引張り出さないと確かな脱原発は得られないのではないかと。 」

【コメント】
私もそう思います。
まやかしの“安全宣言”ではなく、今回の福島第一事故で国民が受けた災厄は国家的見地に照らすと“許容範囲”だと堂々と主張する言論を期待しています。(笑)

【引用】
「あっしらさんが管前首相のその発言を評価されているのはどの様な文脈からなのでしょうか?
またあっしらさんの言う「理性的判断で脱原発を進めていくべき」とはどの様な意味合いでしょうか? 」


【コメント】
管前首相の発言で評価しているのは、よしゆきさんと同じく、他の選択肢と比較して格別の質的危険性を語ったところです。

理性的判断でというのは、事故が起きたから恐くなってというのではなく、そのような存在がどのようなことを引き起こす可能性があり、その結果、自分を含む家族や人々にどのような災いをもたらす可能性があるかを事前に考えて判断すべきという意味です。

事故が起きたから恐くなってというのでは、ほんとうはそんなことないのですが、政府やメディアの発信内容に惑わされたり時間の経過とともに恐怖心が薄れたりで、新たな「安心説明」や「経済メリット説明」で、なんとなく原発があってもいいと思うようになる可能性があるからです。


【引用】
「経産相の総合資源エネルギー調査会と言う組織は不勉強なため初見だったので検索させて頂きました。資源エネルギー庁総合政策課主催の部会なのですね。
○○省△△課が決めた事なのに、いつの間にか××調査会とか◎◎審議会が決めたかの様に感じてしまうのは一種の印象操作なのですかね?」

【コメント】
役人や政治家が決めたわけではなく有識者が合議で決めたということで、“もっともらしさ”を印象付ける操作だと思っています。
そして、実質は官僚が決めたことなのに、その決定が重大な問題を引き起こしても、官僚が責任をとる必要がなくなることが最大の“魅力”の制度だと考えています。


13. よしゆき 2011年9月11日 19:58:40: .fHdROTysEMxI : GQfzSeUgMA
あっしらさんこんにちは。


私宛のコメントへのレスの前に、07. のvdTZNC5yCw さん宛のコメントへのレスの部分で一言申し上げたい部分がありましたので横槍を入れさせてください。
(07さん失礼してすみません)


【引用】

阿修羅から遠ざかったいちばんの理由は、財政赤字やデフレなどのやり取りを通じて、「私の投稿を読んで理解してもらえるかたは読まなくてもわかっている人で、理解してもらえないかたにはどれだけ働きかけてもムダなんだろうな」と思ったことにあります。


【コメント】

ここは反論させて頂きたいです。
丸であっしらさんの投稿に意味が無かったかの様な口ぶりですが、そんな事は無いのではないかと。


私自身の話しをさせて頂きますと、阿修羅を訪ねる前は当時高校生だった事もあり「何となく世の中の事とかニュースとかきちんと勉強した方が良いのかなー」良くある説(当時流行の新自由主義的な)を本や雑誌で勉強してました(初めは竹中平蔵とか大前研一とかの本ばっか読んで「小泉万歳!構造改革万歳!外資万歳!」って信じてました笑)。


でも阿修羅を訪れて、主にあっしらさんの投稿に刺激されて違う見方もあるのかと気づけた部分は大いにあります。


それと少し切り口は変わりますが、時代の変化か今は資本主義など「近代的」価値観と生活に対して違和感や疑問を感じる人がこの10年で凄く増えた様に感じています。
自分自身も大学へ進学し、その後就職活動を経て就職する事で「お金を稼いで生きる」という現実をやっとリアルに感じる様になったのですが、今の社会と生活への違和感と不満をより強く感じる様になりました。


そんな違和感を感じている人に取って、あっしらさんの投稿を読むと凄く効くと思います。
何となくの違和感に形を与えてくれ(理論化)、考えるヒントをくれますし。やりようによっては皆で楽しく生きていける社会は築けるのかも!と思えますので。


また、それだけでは無くあっしらさんの投稿はその"投稿態度"も"投稿理由"も(少なくとも自分に取っては)大きな影響を与えるものでした。
経済やそれにまつわる理論の部分だけではなく影響を受けた人は多いと思います。


正直、阿修羅での投稿が世の中を動かす可能性は母集団から言っても高くは無いでしょうし、もしかしたら原発もまた立つかもしれません。
でもあっしらさんの投稿が人に影響を与えないと言う事は無いと思います。
そしてあっしらさんの中に膨大にストックされているであろう智慧(ただの知識と言う意味でなく)をどんどん吐き出して欲しいし、受け取らせて頂きたいと思っています。


横槍、失礼いたしました。


14. 2011年9月11日 23:44:52: 8Ys4incr0g
>>13
よしゆきさん、横槍ありがとうございます。

私も同様の趣旨のレスをすべきと考え、あれこれと思い巡らしていましたが、よしゆきさんが、筆法鋭く勢いのある言葉で綴ったレスで、「そう、そうなんだよ、あっしらさんの一歩は、最近検証された月面のアポロの一歩と違って、もっと深く踏みしめられた一歩でずっと心に残るんだよ、壮大な広報を伴うアノ一歩とは違うんだよ」と叫んでしまいました。

ちょっと軽薄な投稿ですが、この記事のアクセスカウンターを鑑みると、コアな人だけがチェックしていると思われるので、あっしら氏の再引退は無い件の、祝福です。


15. 2011年9月11日 23:56:06: 8Ys4incr0g
ちょっと軽薄な投稿とは、私のコメントの事です。

誤解の無いようにお願いいたします。


16. よしゆき 2011年9月12日 00:21:48: .fHdROTysEMxI : GQfzSeUgMA
>14さん

コメントありがとうございます。
あっしらさんの文章、14さんが仰られる通り「心に残る」んですよね。
歩み自体は小さなものかもしれないけれど、でもその一歩一歩が凄く重く、そして深い。

(だからコメントをするのに他の人の5倍〜10倍くらいの時間とエネルギーを使います笑)

もの凄く大勢と言う事は多分無いけど、でも決して少ない人があっしらさんの言葉に良い意味で心揺さぶられていんだという事をお伝えしたくて、感情的な文章になってしまいました。

あっしらさんにはご無理を申して恐縮ですが、再引退は本当に勘弁してくださいと(笑)


17. あっしら 2011年9月13日 01:23:06: Mo7ApAlflbQ6s : DvLZNEv2EI

8Ys4incr0gさん、よしゆきさん、元気が出るレスありがとうございます。

私もヒトの子なので、喜んでもらえたり激励されると晴々とした気分となり、罵倒されると気落ちします(笑)。


7年ほど前に阿修羅にいたときはこのような「コメント欄システム」がなかったので、復帰してしばらくは、やりとりがスレッドのなかに埋もれてしまうことでちょっとなじめない感じもありました。

今こうしてだらだらと利用させてもらっていることで、秘密の隠れ家のようで妙に落ち着く場所だということがわかりました(笑)。
スレッドが立ってしばらくすると新しいスレッドに覆われ埋もれていくので、8Ys4incr0g さんが指摘されているように、ほとんど開かれることもなくなりますからね。

よしゆきさんの「(当時流行の新自由主義的な)を本や雑誌で勉強してました(初めは竹中平蔵とか大前研一とかの本ばっか読んで「小泉万歳!構造改革万歳!外資万歳!」って信じてました笑)」という部分には、ホントなの!とびっくりしました。

そのようなよしゆきさんがいることがわかったことだけでも、あれこれ投稿したカイがあったと思っています。

9月に入ってからは、雑談板に投稿したように、9.11十周年・3.11後半年という節目で特別番組が放送されているのでその録画を見たり、先週末からは大好きなラグビーのワールドカップも始まったのでその放送も録画で見たりと、奇妙な多忙生活を送っています(笑)。

NHKで先週末にサンデル教授の震災や原発事故の費用負担問題をめぐる討論番組が放送されましたが、ある種のフィルターにかけられて選抜された学生たちとは言え、東京・ボストン・上海の学生たちが総じて「金融危機の尻拭いは国民負担(害を少なくするため)」、「原発事故の損害賠償も国民負担(東電にはムリ、東電をつぶすと電力供給に障害。国民は原発の受益者などの理由)」という考え方をしていることに愕然としました。

(税金投入の目的自体は許容できるのですが、それが証券会社・投資銀行・生保会社の救済や東電の救済を不可欠なわけではないことくらいわかると思うのですが...)

こういう人たちが、将来、国家機構や大企業のなかで枢要な地位を占めると考えるとお先真っ暗になります(笑)。

増税の話だったのでテレビ朝日のTVタックルを見ましたが、増税に否定的な論調で“ベーシックインカム”の解説もあったりで、そこそこ面白いものでした。

(旧財務省の高橋洋一氏も出演していましたが、ベーシックインカムと給付付き税額控除(政府がある条件の国民にお金を支払う“マイナスの税金”)を同一視しているのを聞いて、この人は大丈夫かなと思いました。公的機関が人手(=お金)をかけずにダイレクトのお金で扶助するというフリードマン的合理性から生まれた給付付き税額控除と、近代的“口分田”とも言えるベーシックインカムは思想的にまったく異なるものです。ベーシックインカムは個人的にはあまり好きな制度ではありませんが...)


また、原爆関連の投稿で紹介された書籍(ナチスと原発開発や日本軍の諜報能力など)を読んだりもしています。


阿修羅から遠ざかったもう一つの理由は、自分に見えている世界が少し世の中の常識からズレ過ぎていると思ったことです。

真珠湾攻撃にまつわる陰謀まではそれほどのズレではないのでしょうが、「ヒトラー一派と英米支配層の共作で起きた第二次世界大戦」や「大和政権7世紀末成立説」・「イエス・キリストでっち上げ創作説」・「サダム・フセイン“お友達”説」などを真顔で信じていますから、それらの説を掲げて世の中と調和するのは難しいだろうし、それらの説の根拠をきちんと示して説得しようとしたら膨大な時間と労力を要すると考えると、残り少ない人生をのんびり過ごした方がいいのかなと思って遠ざかったという面もありました。

(私には変なものが見えてしまう悪弊があるようです(笑)。誤りや思い違いかもしれないという気持ちは常にあるので、それらを真実や事実と主張する気持ちはあまりありません(笑))


隠れ家だということで気軽な気持ちで書いたとりとめのない近況報告ですので、読み飛ばしていただければ幸いです。



18. エテ公 2011年9月14日 20:47:51: .XQ.mNI0RTQBI : H4U7nWpIzk

あっしらさん、8Ys4incr0gさん、よしゆきさん、こんにちは。

ここなら個人的な書き込みもできると思い、失礼させていただきます。

あっしらさん、先日は失礼なコメントすみませんでした。あっしらさんのスレッドに書き込めるというだけで舞い上がってしまいました。謝罪するチャンスを失っていたので、こうして復帰してくださり感謝しております。

私が阿修羅を知ったのは2008年で26歳の頃です。それまで淡々と日々を過ごしていましたが、偶然ここを知り、あっしらさんの投稿を開き、まったく前後で別人格になったと思えるほど世界観に衝撃を与えられました。

それからは貪るように過去投稿をあさり、ニュースなどで疑問に思うたびに、あっしらさんの投稿を検索しては読んでいました。あまりにハマりすぎたので、あっしらさんの記事は誰よりも読んでいると自負があります。ひょっとしてご本人よりも内容を記憶しているんじゃないかしら? などと思うことさえあります(笑)

よしゆきさんの『あっしらさんの投稿はその"投稿態度"も"投稿理由"も(少なくとも自分に取っては)大きな影響を与えるものでした。
経済やそれにまつわる理論の部分だけではなく影響を受けた人は多いと思います』には私も大いに同意します。照れつつ言わせていただければ、あっしらさんは私の“心の兄貴”です。本当に父よりも尊敬しています(すまん父よ)。

ただ残念だったのは、あっしらさんは過去の“レジェンド”で、読むしかできなかったことです。なので、いまこうして三年もの間ずっと夢想してきたことが叶い、格別の思いを抱いております。

あっしらさんが阿修羅から遠ざかった理由として「自分に見えている世界が少し世の中の常識からズレ過ぎていると思ったことです」と書いておりますが、そんなことありませんよ。

あっしらさんはご存じないと思いますが、『早雲さん』という東北の農家の方がやっておられる『晴耕雨読』というブログ(http://sun.ap.teacup.com/souun/)に、あっしらさんの投稿がデータベースのようにまとめられております。そこそこアクセス数も多いブログで、私もそのブログを通じてあっしらさんの投稿を知りました。また『日々是勉強』というブログのろろさんという方は、実際に“脱近代”のための行動に踏み出そうとチャレンジしております(参照:http://roronotokoro.blog113.fc2.com/blog-entry-287.html)(http://roronotokoro.blog113.fc2.com/blog-entry-289.html)。私も興味深く見守っておりますが、あっしらさんご本人にも一度見てほしいなと思い紹介させていただきました。

ずっと訊きたかったのですが、『産業資本主義の終焉』シリーズのあとにもまた別のシリーズも予定していると書いていたと記憶していますが、どうなったのでしょうか? それから『経済板』や『議論板』で今後、現在のことおよび過去の投稿のことで質問してもいいでしょうか?

もし気力回復の一助になるのでしたら、わたくしエテ公、ない知恵と勇気を振り絞り経済政策や近代論など持論を書き込み、あっしらさんにガンガン刺激を与えていきたい所存です(・・・ろくな頭もないので期待しないでください 涙)

だらだら書いちゃいました。ずっと念願だったのでお許しください。こんな私ですが、あっしらさんだけでなく、よしゆきさんや8Ys4incr0gさんとも今後いい関係を築いていければと願っています。

よろしくねっ!!


19. あっしら 2011年9月16日 01:44:27: Mo7ApAlflbQ6s : 9Orh3yBHY6

エテ公さん、お久しぶりです。

ちょっとレスポンスしづらい流れですが(笑)、読みましたよという確認の意味で...
代替策で質問をいただいたとき、そういう“ご縁”とはまったく思っていませんでした(当り前ですね(笑))。


書き込みするからにはできるだけ多くの人に読んでもらいたいし、読んでもらったからには、何かを感じてもらえたらいいなとか、反応も欲しいなとか思っています。

言葉でじかにやり取りするのではなく文章でやり取りするのは、もどかしくもあり、行き違いも多々あると思っています。
対話なら、相手のひとが何にこだわりを持っているのか、腑に落ちないところはどこなのかなどを確認しながらやり取りを進めることができますが、文章でのやり取りはどうしても自分の思いの吐出に傾いてしまいます。
ニュアンスや感情を読み取るのは難しいので、相手の文章を読み間違えてあらぬ方向に逸脱することもあると思っています。


今回のレスだけで十分気力回復の助けになりましたが、さらに気力が奮い立つよう刺激的な書き込みも期待しています。

ご紹介いただいた二つの二つのブログのうち、『晴耕雨読』はちょっと調べ物をしているときに検索で遭遇したことがあります。
阿修羅では昔書き込んだものは深く深く埋もれていますので、あのように整理して掲載してもらっているのはありがたいと思っています。

『日々是勉強』は初めて知りました。なかなかおもしろそうな方なので少しずつ読んでいきたいと思っています。

阿修羅での書き込み内容の方向性を少しずつ固めていきたいとは考えています。

今後ともよろしくお願いします。



20. よしゆき 2011年9月18日 01:47:51: .fHdROTysEMxI : GQfzSeUgMA
あっしらさんへ


コメントへのレス、大変遅くなってしまい申し訳ありません、、。
このスレッドの事はずっと心にあったのですが、感じた事を思考に繋げたり、考えた結果を文章に落とし込むスピードに欠けお返事が遅くなってしまいました。

"隠れ家"とは素敵な呼び名をありがとうございます。
あっしらさんと同じ屋敷に入れて頂け光栄です(笑)
コメントシステムについては同じく少し馴染めないものを感じ、困惑していたのですが、見方と使い方次第なのかもしれないですね。

この投稿の元の目的(鉢呂"前"大臣の発言の件)に関しては最早語るも虚しい状況になってしまいましたので(笑)、ゆるゆるとお喋りさせて頂ければと思います。


【引用】

よしゆきさんの「(当時流行の新自由主義的な)を本や雑誌で勉強してました(初めは竹中平蔵とか大前研一とかの本ばっか読んで「小泉万歳!構造改革万歳!外資万歳!」って信じてました笑)」という部分には、ホントなの!とびっくりしました。

【コメント】

本当です。
ついでにいうと落合信彦も好きで(当時SAPIOが好きで)「テロと独裁者から世界を守る為にアメリカとの関係を強化し民主主義と資本主義を世界に広めねば!」とも本気で思ってました。
笑ってください(笑)

ちなみに当時は「オニオン」というHNで少しだけ投稿やあっしらさんに対しての質問をさせて頂いておりました。
覚えてらっしゃいますでしょうか?
パスワードも忘れてしまったので現在はこのHNで投稿させて頂いております。


【引用】

私もヒトの子なので、喜んでもらえたり激励されると晴々とした気分となり、罵倒されると気落ちします(笑)。

【コメント】

あっしらん、御自ら火中の栗を拾われますから(しかも油を撒きながら笑)。
ただ、ここが一番あっしらさんに対して「凄い」と感動する所でもあります。

あっしらさんは「無視すりゃ良いのに」と思いたくなる様な野次レベルのコメントやマナー違反な投稿態度に対してもとことん向き合われますものね。
(7年前は特に笑)
その結果として論敵が増え、罵倒される事も多い様に感じておりました。

どうしてそこまで拘るのか当初は理解出来ず「よせば良いのに」とさえ思ってました。
しかし下記の投稿の引用部分を読んで、ほんの少しですがあっしらさんの見てる世界が見えた気がしました。

認識における「主―客二元論」の超克:「純粋主観」・「純粋客観」そして「純粋感覚」の不在
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/228.html

引用部「人が他者関係的な活動を通じてしか生きていけない存在であるのなら、人によって感覚さえ違い理性的判断も違うという事実を踏まえ、自分の感覚や認識内容を言葉でできるだけわかりやすくひとに伝え理解を求めなければならず、相手の言葉もそのような背景から発せられたものとして理解に務めなければならないはずだ。」

正直言って震えました。
そして納得も出来ました。「ああ、だからあっしらさん、『開かれた地域共同体』というコンセプトを生み出せたし、掲示板内の投稿態度にもここまで拘りを見せるのか」と。

そしてもう一つ。

高校生だった当時よりは(ほんのちょっぴり)歳を重ね、不快な投稿態度や野次を何の疑問も持たずに「無視すりゃ良いのに」と思っていた自分の浅はかさにも気づけた部分があります。
(ここは"隠れ家"と思っい素直に白状しますが)当時の自分が無視すりゃ良いのにと考えていた心根は、やはりどこかでそう言う投稿をする人を低く見ていたからです。「相手は人格の低い人なのだから、それに付合って自分まで落ちて行く事は無いよ」と何とも愚かな考えを抱いておりました。

人が人を格付けしレッテルを貼ってしまうと言うのは、結構皆が陥り易い人間の悪癖だと思うのですが(私はいまだに良く陥ります)、種々の投稿からあっしらさんはその悪癖に陥らない為に努力しているのではないかと勝手に想像しています。
そしてそれ故に火中の栗も拾われると。


【引用】

東京・ボストン・上海の学生たちが総じて(中略)という考え方をしていることに愕然としました。(中略)こういう人たちが、将来、国家機構や大企業のなかで枢要な地位を占めると考えるとお先真っ暗になります(笑)。

【コメント】

私とほぼ同世代の方々ですね。
確かにエリート街道に行くのはこう言う人達だったかも(笑)

でもこう言う人達って、一人一人個別で接すると結構利他的で魅力的な良い人達が多いんですよ(笑)

話しが脇道に逸れますが、大学時代の印象深い出来事の一つに学問状況の変化があります。
私が大学に入学した2005年辺りは経済の授業も結構多様で「マルクスの循環理論」とか「自然経済論(家事やサークルなど貨幣・計画経済に含まれない活動)」とか主流派では無いけど面白い切り口の授業があったんですが、そう言う授業は年が変わる毎にどんどん減っていきました。
(変わりに経営学的なものとか社会起業関係のものが増えたかな?)

私共の世代は昭和に生まれても平成に育った世代ですので、エロスが低下し続ける社会を原体験としてしまっています。
それ故に価値観や感性的には"アンチ近代"と言う人もかなり多いのですが、「ではどうしたら良いのか」とを理性的・論理的に論じる能力は自分を含め充分でないかもしれません。(※代わりに身の回りの出来る所から行動に移している人が結構多いのも特長です。)
そしてその様な能力を身に付けられなかった理由の中には、上記の高等教育の内容の変化も少なからず関わっているのかなと思ったりしています。

引用部に登場する学生の方々も、個別の感性・価値観的には良い人が多いと思うのですが(本当に悪い人も少数いるかも知れませんw)自分たちの発言が正義だと心から信じているのではないでしょうか。


【引用】

阿修羅から遠ざかったもう一つの理由は、自分に見えている世界が少し世の中の常識からズレ過ぎていると思ったことです。(中略)それらの説の根拠をきちんと示して説得しようとしたら膨大な時間と労力を要すると考えると、残り少ない人生をのんびり過ごした方がいいのかなと思って遠ざかったという面もありました。

【コメント】

軽々しくコメントは出来ませんが、「でもその通念とは異なる世界観に影響を受けた人間も多数居るんです!」とは伝えさせてください。

ところで阿修羅から離れていた間はあっしらさん、どういったお気持ちだったのでしょうか?
阿修羅(や類似のサイト)を離れればスッキリ忘れて気持ち良く過ごせるのか、それともそうでは無かったのか。
答えは人や過ごし方に寄って様々でしょうが、阿修羅に集う人達に取って共有出来る悩みの様な気がいたしました。

掘り下げると相当重いテーマだと思うのですが、いかがでしょうか?


【ところで】

この様な事、全く厚顔無恥なお願いであり恐縮極まりないのですが。
あっしらさん、ぜひ一度お会いさせて頂けないでしょうか。

6年前にあっしらさんが阿修羅を去られてより、ご連絡を取れる方法も無く諦めかけていた事なのですが、もしまたコンタクト出来る機会があればぜひお願いさせて頂きたいと心に決めておりました。

お会いさせて頂きたい理由は、文章だけではなく、生の対話を通してあっしらさんの「世界」に触れたい、感応したい。強くそう思うからです。
それは単純な好奇心では無く(もちろんそれもありますが)、あっしらさんの中に凝縮されている智慧(哲学/信念/世界観/理想/その他諸々)を受け継ぎ、日本と言う共同体に残していきたいと思うからです。

もちろんあっしらさんのお気持ちやお考え、ご都合次第ですのでご無理は言えませんが。
直ぐにではなくとも、掲示板での対話を通して私の信頼が得れてからでも構いませんのでどうぞお願いいたします。


21. あっしら 2011年9月19日 00:47:16: Mo7ApAlflbQ6s : 9Orh3yBHY6

ゆしゆきさん、こんばんは。

オニオンさんというHNは覚えております。

おかしな話ですが、引用していただいた「認識における「主―客二元論」の超克」を読んで、そうだよな、そんなんだよと妙に感心しました(笑)
確かに、よしゆきさんのほうが私の投稿内容については熟知しているかもしれませんね。

阿修羅に復帰して、自分に近い価値観のひとにきつくあたり、正反対のひとにやさしく対応している自分に気付きました。
「そうしたいのなら、こうしなければダメじゃないの」という気持ちが先立つからだと思っています。
7年前も、そのような対応の仕方から“敵”を増やしたきらいもあったのではと思っています。


よしゆきさんの「でもこう言う人達って、一人一人個別で接すると結構利他的で魅力的な良い人達が多いんですよ(笑) 」というのはわかる気がします。
彼らは強い自負心もあり、世の中(国家社会)で有為な存在になる(なれる)と固く信じているはずですから...。

彼らがあのような判断をするのは、世の中の主流派の考え方を反映したものだと思っています。

私が学生のころは、資本主義的自由主義者や民族派は人でなしやアホというのが時代の気分で左翼的な考え方や行動がもてはやされていましたが、井上陽水の傘がないの歌に象徴されるように、70年代中期以降は政治をあれこれ語ること自体がヤボったいものになっていきました。

「私共の世代は昭和に生まれても平成に育った世代ですので、エロスが低下し続ける社会を原体験としてしまっています」って、なかなか怖い時代ですね。

生きること即エロスだと思っている私には、なかなか実感できない気分が時代に流れていたのですね。

阿修羅から離れていた時期は、思考する意欲も少々衰え、世の中の流れも好転しそうにないなか、殻に籠って世の中を斜に見ていたと思います。
ですから、復帰してしばらくは、文章が思うようにまとまらないことにめげたりもしました。

よしゆきさんとお会いすることはまったく問題ないどころか、こちらも興味津々でお会いしたいと思っています。
問題は連絡のとり方だけです。何かいいアイデアがあればご提示ください。


22. よしゆき 2011年9月19日 01:11:06: .fHdROTysEMxI : GQfzSeUgMA
あっしらさんへ


レスポンス頂きありがとうございます。
内容についてもレスをさせて頂くべきですが、お会いして頂けると言うのが嬉し過ぎまして(笑)。
まずそちらにお答えさせてください。


>問題は連絡のとり方だけです。何かいいアイデアがあればご提示ください。

連絡方法についてですが、今回用のフリーアドレスをただ今作りましたので、そちらにあっしらさんからメールを頂き、そこで私も普段使いのアドレスを交換させて頂くという形はいかがでしょうか。

comsen@hotmail.co.jp

尚、上記が作成したアドレスとなります。
この方法で問題ないようでしたら、宜しくお願いいたします。


23. あっしら 2011年9月21日 16:32:54: Mo7ApAlflbQ6s : DvLZNEv2EI

よしゆきさん、こんにちは。

先ほどメールを送りました。
よろしくお願いします。


他にお読みになっているかたへ:掲示板をこんな使い方で汚して申し訳ありません。


24. 2011年10月03日 00:51:43: FKKgD5g6Og
ゲゲゲの鬼太郎の郵便受けのような、ダイレクトにあっしらさんに届く場所として、知る人ぞ知る場所として投稿します。

ただ、あっしらさんに届けと限定して投稿するのではなく、集う方々も、あっしらファン他のコアな方々と思われますので、そこへ向けてのものです。

ご感想をよろしくお願いします。

ラジオ版 学問のススメ
http://podcast.jfn.co.jp/poddata/susume/susume_vol281.mp3

>今回のエキスパートは、神戸女学院大学名誉教授、内田樹さん。
>そして作家の高橋源一郎さん。お二人が選者となった
>『嘘みたいな本当の話 [日本版]ナショナル・ストーリー・プロジェクト』を踏まえつつ、
>人を惹き付ける文章の極意について、本当の話から見えてくる本当の日本人についてお伺いします。

以上の番組は、60分近くある番組ですが、最初は気楽に聴け楽しめるのですが、311の原発事故に掛かる部分で戦慄いたしました。

>荒ぶる神を神殿に祭るか、世間とするか。
>欧米は荒ぶる神を神殿に祭り、丁重に幾重にも神殿の壁を厚くした。
>日本は、荒ぶる神もやおろずの神の一つとして、世間の中に溶け込ませた。
>原発の危険性を直視するよりも、原発は危険でない事を共有することを善しとした。

荒ぶる神とは、人知に負えないもののたとえで、原発も含まれますが、私には、財務省が国家財政を家計にたとえたがる姿勢も同様だなと感じました。

直視できない深刻な問題を、世間の中に溶け込ませる。

高度成長が終わり、さまざまな問題点が噴出するようになって、庶民感覚という言葉で語る事が多くなった気がします。


とりとめもない終わり方で投稿を閉じますが、上記mp3をお聞きになれば、むくむくと問題意識が湧き上がります。

ただし、私はその答えや、明確な結論へは至れず、そうだ、阿修羅のあの場所に投稿してみよう。という所まで来た次第です。


25. あっしら 2011年10月17日 18:20:07: Mo7ApAlflbQ6s : DvLZNEv2EI

FKKgD5g6Og さん、こんにちは。
経済板でお声をかけていただきありがとうございます。


しばらくは隠れ家の郵便受けを毎日のようにのぞいていたのですが、お手紙や発送物がない日が続いたのでついつい見に行かなくなりました。

ということで、レスポンスが遅くなり申し訳ありません。


ご紹介いただいた「ラジオ版 学問のススメ」、ナガラ族ですが楽しく拝聴しました。
前半の物書きによる“作文作法”の話もなかなか面白いものでした。


【3・11原発事故にかかわる引用部分】

「>荒ぶる神を神殿に祭るか、世間とするか。
>欧米は荒ぶる神を神殿に祭り、丁重に幾重にも神殿の壁を厚くした。
>日本は、荒ぶる神もやおろずの神の一つとして、世間の中に溶け込ませた。
>原発の危険性を直視するよりも、原発は危険でない事を共有することを善しとした。


荒ぶる神とは、人知に負えないもののたとえで、原発も含まれますが、私には、財務省が国家財政を家計にたとえたがる姿勢も同様だなと感じました。
直視できない深刻な問題を、世間の中に溶け込ませる。
高度成長が終わり、さまざまな問題点が噴出するようになって、庶民感覚という言葉で語る事が多くなった気がします。 」


ラジオでお二人も話していましたが、遺伝子に沈殿したというか、骨絡みというか、歴史的に培われてきた世界観は、国や地域によって大きく違うものだと思っています。
 日本の場合、明治維新以後の日本的近代化の過程でそれ以前までにしみついていた世界観と混ざり合いましたが、超越神(一神教)信仰の人たちとは同じ近代に生きていても世界観(価値観)が違っています。

(日本の世界観は、中国や朝鮮半島など儒教色が強い地域とも異なっています。日本の世界観にはバリヒンドゥのそれが近いと思っています)

 日本は、太陽や雨など自然に対して、恵みの度合い(重要度ないし希少性)で崇拝度が変わりますが、それらのなかから突き抜けて“これ”というものはなく、ましてや、ユダヤ・キリスト教やイスラムのように目に見えない論理的存在に絶対性や万能を感じたりしないひとが多数派のようです。

(絶対性や万能を感じないどころか、目に見えない(感じない)ものの存在そのものを認めない心性が強い)


 原発に対する“親和性”は、日本的近代化のなかで育まれた価値観と古層の世界観の両方がまざったものとして出てきているように思われます。

 権威あるものが安全で問題がないと言えば、だったらそうなんだろうとそれなりに信じ、原爆で敗戦を迎えたということも背景にあると思いますが、科学技術の力が豊かで幸せな生活をつくり出すというイメージも持たれています。

 古層の世界観がラジオで語られていたもので、恵みである雨風そして太陽も、あるときには洪水・嵐・日照りでとんでもない暴威をふるうことがあるのと同じで、原発も、恵みと暴威という相反する性格を内包するものとして受け止められているのではないでしょうか。

 日本では、超越神世界のように善悪が対立する別々の存在として語られるのではなく、一つの存在のなかに善と悪が併存しているという見方が強いと思っています。

 とりとめのない話になりましたが、郵便受けからお手紙を取り出し読ませていただきましたという証の意味で...



26. slower 2011年10月18日 05:25:19: bUBJjrlXtIGr6 : 0QrGaiaVUU

あっしらさんへ

はじめまして。

数年前に阿修羅を知り、それ以降、あっしらさんの膨大な投稿を検索や「晴耕雨読」などを使って読みあさっていました。

あっしらさんの理論を理解して消化するには、今の私では難しいものがありますが、諦めずに読み込んでいきたいと思っています。

そこで、この「隠れ家」を見つけ、叶わぬ夢と諦めていた「あっしらさんはベーシックインカムについてどのように考えているのだろう?」という質問をさせてください。

私自身、一般的なベーシックインカム(以下BI)議論である「徴税方式」には懐疑的で、租税国家と議会制のもとでは実現不可能だと思いますが、公共通貨(政府通貨)+国民配当(BI)を思想とする「社会信用論」のほうに可能性を感じます。

以前のコメントに「ベーシックインカムは個人的にはあまり好きな制度ではありませんが...」とありましたが、どのような考えからなのか、是非ともあっしらさんの生の声が聞いてみたくて、恐れ多いながらコメントいたしました。

板とは無関係なコメントで恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い致します。


27. あっしら 2011年10月18日 23:39:00: Mo7ApAlflbQ6s : DvLZNEv2EI

Slowerさん、はじめまして。
拙文を数多くお読みいただきありがとうございます。


【引用】
「私自身、一般的なベーシックインカム(以下BI)議論である「徴税方式」には懐疑的で、租税国家と議会制のもとでは実現不可能だと思いますが、公共通貨(政府通貨)+国民配当(BI)を思想とする「社会信用論」のほうに可能性を感じます。」


【コメント】
「ベーシックインカムは個人的にはあまり好きな制度ではありません」というのは、かつて書いたこともありますが、すべてが自営農民として共同体化(社会化)された社会を好ましいと思っているからです。
すべてが自営農民といっても、すべてのひとが現実に田畑を耕したり牧畜酪農を営むわけではなく、国民ひとりひとり(家族単位)に生きていく糧を生み出す自然条件が付与されることを意味します。歴史的にどこまで実現されたかわかりませんが、均田制・口分田に似た制度です。
そのような基礎的条件のうえで社会的分協業が形成され、現実的には、農業活動をまったくしないで機械設備の設計に日々を費やす人もいます。
また、お金を媒介とした交換も、社会的分協業の形成にも寄与するものとして利用されます。

 なぜ、そのような古めかしいものをいまさら持ち出すかと言うと、生きるための基礎的条件を持っていてこそ、それなりの自立と自由が確保されると考えているからです。


まず、「徴税方式」のBI論は、実現可能性も問題ですが、ダグラスのBIに関する思想やロジックから逸脱したもので、福祉国家論の延長線でしかないと思います。
また、金融家や高額所得者の多数が身を削ってもという殊勝な考え方に“転向”しない限り、現在と先々の見通しを考えると、担税能力を持つ人々がますます減少していくはずですから、「徴税方式」によるBIは実現不可能です。

 金融家や高額所得者の多数が “転向”しないまま、低中所得者の意思で「徴税方式」によるBIが実現できるのなら、「公共通貨(政府通貨)+国民配当(BI)」へと駒を進められるはずです。

メモ風に書きとめたこととコメント欄に書いたことがごちゃごちゃになっているので、投稿したかどうかわかりませんが、フリードマン的「負の所得税」はそう遠くない時期に導入されるだろうと思っています。

 なぜなら、これまでそして現在のような政策が続けば、今後ますます失業者が増大し生活困窮者も増大することになり、圧倒的少数者に対する公的扶助の制度であった故に可能だったケースワーカーなどによるチェック&フォロー制度が“財政”的に維持できなくなるからです。

(このままいけば、日本もそう遠くない時期に欧州並みの失業状況に陥ります。無策のせいなのか、金融家や多国籍企業のためなのかわかりませんが、年金支給年齢の引き上げも画策されています。さらに、90年代後半以降の就職難と劣悪な派遣労働制度のなかで生きてきた最初の世代はすでに30歳後半になっており、年金受給条件もろくにないままあっという間に(20年ほどで)“高齢者”の仲間入りです。そういった生活困難者を低いレベルでしか救済しないことはできても、見殺しにすることは政治的にできないことです)

 生活保護受給者については、働きたくない人や自堕落な人をも救済しているという見方が付きまといますが、失業率が恒常的に10%を超え、年金非受給ないし低額受給の高齢者が増加し生活保護受給者が300万人(40人に1人)を超えるような状況になると、正当な受給資格があるのかとか、まじめに職を探そうとしているのかといったチェックやフォローをする公務員を抱える方が無駄という考え方が主流になります。

 そして、こういうかたちになると、福祉的考え方のBI論はそれに“吸収”される可能性もあります。
 一定程度の所得があるひとは、Biを受け取る代わりに、論理的にその分の税金が免除されているという説明ができるからです。一定以上の所得がある人は、税金負担額が少ないことで「仮想のBI」を受け取っていると..。

Slowerさんのコメントをきっかけに関 曠野さんのBIに関する講演録を読みました。なかなか的確で上手く説明されていると思いました。関 曠野さんの講演内容に即したやりとりでもいいかなと思っています。

 BIに関してはこれまでほとんど考えてきていないので、いろいろ刺激を与えていただければと思っています。


28. slower 2011年10月19日 03:33:50: bUBJjrlXtIGr6 : 0QrGaiaVUU

あっしらさん、こんばんは。

突然の質問に真摯にお答え頂き、ありがとうございます。
まさか、あっしらさんとやり取りが出来る日がくるとは。
緊張と興奮で頭が真っ白ですが、何とかコメントしてみます。


【引用】
国民ひとりひとり(家族単位)に生きていく糧を生み出す自然条件が付与されることを意味します。歴史的にどこまで実現されたかわかりませんが、均田制・口分田に似た制度です。(中略)生きるための基礎的条件を持っていてこそ、それなりの自立と自由が確保されると考えているからです。

【コメント】
内山節さんの著書にある『村に暮らす人間がおこなわなければならない営みを「仕事」と呼び、それに対して「稼ぎ」とは、村の営みとしてはしなくてもよいのだけれど、生活のために、つまり稼ぐためにおこなう労働をさしている』という一節を読み、BIは「稼ぎ」を補うものだと思っていましたが、やはりそれだけでは『「生存できる最低限の物的手段を」排他的に保有』(早雲さんの受け売りです)することにはならず、貨幣や国家への隷属を強めてしまうかもしれない。そこがBIの難点でもありますね。


【引用】
「徴税方式」のBI論は、実現可能性も問題ですが、ダグラスのBIに関する思想やロジックから逸脱したもので、福祉国家論の延長線でしかないと思います。
また、金融家や高額所得者の多数が身を削ってもという殊勝な考え方に“転向”しない限り、現在と先々の見通しを考えると、担税能力を持つ人々がますます減少していくはずですから、「徴税方式」によるBIは実現不可能です。

【コメント】
私も社会保障や福祉といったカテゴリーでBIが議論されていることに違和感がありました。生存権や基本権として議論されるべきではと常々感じています。
ウォーレンバフェット氏のように「回りまわって自分のところに戻ってくるんだから」くらいの読みが出来ない小金持ちばかりの日本では「徴税方式」は無理がありますよね。


【引用】
「金融家や高額所得者の多数が “転向”しないまま、低中所得者の意思で「徴税方式」によるBIが実現できるのなら、「公共通貨(政府通貨)+国民配当(BI)」へと駒を進められるはずです。」

【コメント】
ここは詳しい説明をお願いしたいところです。何故「駒を進められる」のか、いくら考えてもあっしらさんの意図するところがわかりません。お願いします。

以前より、あっしらさんの投稿やエンデの本などを読み、近代の根源的問題点は「民間銀行」「利子」であると考えていました。

そんな時に「BI」を知ったのですが、徴税方式のBIでは、銀行を含めた既存の「システム」を延命することは出来ても解決には至らないだろうとあまり興味を抱きませんでしたが、関 曠野さんの最初の講演録を読んで「中央銀行改革」と「BI」が結びつき、国民配当の根拠についてもとても明快で目からウロコでした。


>関 曠野さんの講演内容に即したやりとりでもいいかなと思っています。

お言葉に甘えて、いくつかお聞きしたいです。


関 曠野 講演録
「生きるための経済」
― なぜ、所得保証と信用の社会化が必要か ―
http://bijp.net/transcript/article/27

「国民配当と文化的遺産(カルチュラルヘリテージ)」
http://bijp.net/transcript/article/27#chap016

関 曠野 講演録
ベーシック・インカムについて考える
― マネーは何のためにあるのか ―
http://bijp.net/transcript/article/248

「政党政治と租税国家」
http://bijp.net/transcript/article/248#chap016


この国民配当の根拠の一つとされる「カルチュラルヘリテージ」と、公共通貨発行の障害である「政党政治と租税国家」について、漠然とした問いで申し訳ないですが、あっしらさんの考えをお聞きしたいです。

頭が真っ白で取り留めのないおねだり投稿になってしまいましたが、私の能力ではこれくらいが限界のようです。
お願いばかりで心苦しいですが、お時間のあるときで構いませんので、宜しくお願い致します。

あっしらイズムを継承できるように日々精進していきます。


29. slower 2011年10月21日 20:44:11: bUBJjrlXtIGr6 : 0QrGaiaVUU

>27のレスに対する書き足りなかった追加のコメントです。

【引用】

「フリードマン的「負の所得税」はそう遠くない時期に導入されるだろうと思っています。
なぜなら、これまでそして現在のような政策が続けば、今後ますます失業者が増大し生活困窮者も増大することになり、圧倒的少数者に対する公的扶助の制度であった故に可能だったケースワーカーなどによるチェック&フォロー制度が“財政”的に維持できなくなるからです。」

【コメント】

「負の所得税」は、新党日本の田中康夫代表が公約として挙げているBI(「月5万円、年間60万円、所得税率30%」「行政組織と労働組合のスリム化を同時に達成し、個人に立脚した中福祉・低負担の社会を実現」)に近いものがあると思ってます。
もし日本で徴税方式のBIが施行されるのであれば、これに近い形だろうと。

ゲッツ・W・ヴェルナー氏が提唱する「所得税の段階的廃止、消費税率50%」よりはまだ現実的ではないかと思ってますが、私が知る限り、BI論者は意外と消費税案(公平だからという理由で…)を支持する方が多いように感じます。(消費税が悪魔の税制だと分かって支持しているとは思えませんが…)


【引用】

「福祉的考え方のBI論はそれに“吸収”される可能性もあります。」

【コメント】

BIを社会保障や福祉の「制度」と捉えてる論者は、生活保護などを廃止して、ミーンズテストの無いBIへの一本化や税率の一元化など、あっしらさんが言う「チェックやフォローをする公務員を抱える方が無駄という考え方」、効率の良さから支持している割合は少なくはないはずです。そうしてみると既に”吸収”されているのかもしれません。

しかし、「無駄」といってもそこにはそれで生活している多くの方がいるわけですし、私はBIをそんな事業仕分けのような政策としては考えたくはありません。


ですが…、経営者側に有利なる(解雇しやすくなる、景気対策になる)という理由から支持している方(当たり前の価値観だとは思いますが…)も多いのが現実ですかね…


30. kyunkyun02 2012年5月22日 12:25:15 : seoSL0okkM2Uc : npdo4WQRSo
あっしらさん、slowerさんへ。

はじめまして。

こちらでslowerさんも紹介されている、C・H・ダグラスの社会信用論についてなのですが、この考え方には 「A+B理論」 (又はA+B定理) というものが核心の一つになっていると思います。

あっしらさんは、以前、このA+B理論についてかなり懐疑的な見解の投稿をされていたと思いますが、英語で調べてみると、この理論についての、より詳しい情報が沢山あります。

どなたか翻訳紹介していただけると、大変ありがたいです。

◆ あっしらさん、2003年の投稿
http://www.asyura2.com/0311/idletalk6/msg/313.html

* A+B理論についての、海外ブログ・サイトでの説明 @
http://social-credit.blogspot.com/2007/10/douglass-ab-theorem.html
* Google機械翻訳
http://goo.gl/jbCGm

* A+B理論についての、海外ブログ・サイトでの説明 A
http://social-credit.blogspot.jp/2011/01/quantity-theory-of-money.html
* Google機械翻訳
http://goo.gl/HSIeg

* A+B理論についての、海外ブログ・サイトでの説明 B
http://www.martinfrost.ws/htmlfiles/feb2010/social-credit-douglas.html
* Google機械翻訳
http://goo.gl/NEvkz
(* 「A + B定理と反論を批判 」 の項を参照)


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