★阿修羅♪ > 原発・フッ素19 > 249.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
放射能汚染を避けて沖縄に脱出した家族をオーストラリアのThe Age紙がインタビュー (EX-SKF-JP) 
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/249.html
投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 12 月 11 日 00:50:26: igsppGRN/E9PQ
 

放射能汚染を避けて沖縄に脱出した家族をオーストラリアのThe Age紙がインタビュー
http://ex-skf-jp.blogspot.com/2011/12/age.html
2011年12月9日  EX-SKF-JP


「あの日の放射線量がどれだけ高かったかを知ったとき、そしてうちの子が粒子を吸い込んで外部被曝だけでなく内部被曝もしたかもしれないと気づいたとき、なぜ誰も危ないと言ってくれなかったのかとものすごく腹が立ちました。事故そのものよりも、そちらのほうがよほど私にはショックでした。」

オーストラリアのThe Age紙に、福島第1原発事故からの放射能を避けて東京から沖縄に脱出した人たちにインタビューした記事が掲載されました。

以下、東京茶とら猫さんのご好意の翻訳をお届けします。記事の中でインタビューされている竹野内真理さんは翻訳家で、このブログでもご紹介した肥田舜太郎さんとご一緒に、『人間と環境への低レベル放射能の脅威―福島原発放射能汚染を考えるために』(ラルフ・グロイブ, アーネスト・スターングラス著)を翻訳なさっています。

もとの英文記事はこちら。

======================================

沖縄への脱出

オーストラリア The Age
ジェーン・バラクラフ
2011年12月6日


放射線量の高いホットスポットが東京にも現れ、国中が放射能汚染にあえぐなか、一部の日本人は福島からの放射性降下物を避けるために沖縄に逃れている。だがすでに手遅れなのだろうか。

日本で史上最大の地震が発生して巨大な津波が福島の海岸を繰り返し襲い、東京電力福島第一原子力発電所が放射能まみれの残骸と成り果てたその3日後、竹野内真理は赤ん坊を背負って東京の東部を必死に自転車で走っていた。

竹野内は東京生まれの翻訳家。わずかな時間でぎりぎりまで用事を片付けたあと、1歳の息子を連れて沖縄に逃げた。沖縄は日本の最南端の県であり、事故の起きた福島からは2000km離れている。空港に向かう途中、予約を入れておいた歯科医の治療に息子を連れて駆け込んだ。

竹野内も、ほかの数百万人の人々も、東京の上空に放射能の雲がかかっていることを知らなかった。3基の原子炉ではすでに全面的なメルトダウンが起きていた。ウランの詰まった燃料棒は過熱して融け、それが3月12日と14日に爆発を引き起
こした。

「かすかに風の吹く晴れた日でした。あの子を背負って自転車を漕いでいるときに、顔に当たった風のことは一生忘れないでしょう」と竹野内は振り返る。

竹野内と息子のジョーが本土を離れる前に外にいた3時間は、放射能の雲が最も濃くなった時間帯だった。竹野内が自転車で走っていたのは東京の世田谷区。その世田谷区で東京都が採集した空気の分析結果によると、ジョーが浴びた放射線量は平常時の背景放射線量の145倍に達する。

京都大学の測定によれば、放出の続く原発から20〜30km圏で住民が自主的に避難したホットスポットと、東京の数値は同程度だった。

「できるものなら時間を巻き戻したい」と竹野内は語る。「本当は朝の便で発つ予定だったのに、電話を修理したり歯の治療を終えたりといった用事を済ませたかったから午後3時の便に変更したんです。今思えばそんなことは沖縄でもできたのに。でも、あのときは東京は安全な距離だと聞かされていたから」

当時、東電は大規模な炉心溶融で放射能が漏れている可能性を過小評価していた。政府のスポークスマンのひとりはのちに、パニックを防ぐために当初は事故の規模を過小に発表していたことを認めた。政府が正式に3基のメルトダウンを認めるのはようやく6月になってからである。

しかし、爆発後に警戒感がなかったために、竹野内とジョーは半日余計に東京に留まり、放射性降下物を避けることができなかった。その降下物は、風雨や雪の残酷な気まぐれで少しずつまき散らされ、家に、畑に、野原に降り積もり、やがて竹野内の家の近くの校庭も汚した。

足立区の小学校では、自治体が定める安全基準値の16倍の放射線量が配水管の泥から検出された。これは、3月以降次々に現れたホットスポットのほんの一例にすぎない。

首都圏の南では、横浜の住民がストロンチウム90(骨がんとの関連が指摘される物質)を含む土砂を見つけた。その濃度は、福島で確認されている最高レベルの2倍。冷戦時代の核実験の名残りより10倍以上高い。

だが、放射能不安の一番大きな原因物質はセシウム137である。セシウム137は環境中に何十年も留まり、一定量以上の被曝をすると発がんリスクが高まるおそれがある。福島原発からのセシウム137の総放出量は、1986年のチェルノブイリ原
発事故時の約42%であると、最近発表されたノルウェーの研究は指摘する。

包括的核実験禁止条約に基づく世界各地のモニタリングステーションからデータを集めたこの研究によると、セシウム137の放出量は日本政府の公式発表の2倍以上になっている。日本政府発表の数値は、諸外国や海に流れた放射性物質が考慮されていなかったからである。

公式発表の数字にはここ数ヶ月間の放出量も含まれていない。破壊された原発はいまだに安定しておらず、融けた燃料が地面を侵食しないように懸命の作業が続けられている。

爆発当初の放射性降下物は、その約2割が最終的に地面に落ちたと見られている。田舎のみならず、人口の密集した都市の地面にも。

柏市では、ある公園の近くで1日当たりの地面付近の空間線量が非常に高く、個人の年間平均自然被曝量の2分の1以上の値になっている。これは、3月下旬にセシウムを含む大雨が何度か降ったためとされている。

竹野内はこうしたホットスポット問題が表面化する前に避難したものの、やはり自分の子供の健康を心配している。取り返しのつかないダメージを負ったのではないかと気がかりでならないのだ。

「大人に対してはもちろん、低線量被曝が幼い子供にどんな影響を及ぼすかは、世界中のどんな医者にもわからないんです。なのにどうして政府は、東京では健康リスクはない、と言えるのでしょう」と竹野内は言う。

3月11日の前日、竹野内は偶然にも「ペトカウ効果」に関する本の翻訳の仕上げをしていた。ペトカウ効果とは、低レベル放射能でも不治の病を引き起こす可能性があるとする仮説で、賛否両論ある。

低線量放射線の影響については科学者の間でも意見が一致していない。しかし、チェルノブイリの被害住民のあいだでは白血病、甲状腺がん、ダウン症、先天性欠損症が多発した。この唯一福島と同等以上の原子力事故を起こしたチェルノブイリで明らかになったこうしたリスクは、ある程度は日本にも当てはまると考えられる。

「あの日の放射線量がどれだけ高かったかを知ったとき、そしてうちの子が粒子を吸い込んで外部被曝だけでなく内部被曝もしたかもしれないと気づいたとき、なぜ誰も危ないと言ってくれなかったのかとものすごく腹が立ちました。事故そのものよりも、そちらのほうがよほど私にはショックでした。事故は前から予測されていたことでしたから」

地震が引き金となって日本の原発が停止するという予測を竹野内が知ったのは、10年前のこと。アメリカの原子力安全問題の専門家が開いたシンポジウムでのことだった。以来、原子力事故が起きたら沖縄に逃げて永住しようと心に決めていた。

東北地方を自然災害と原子力災害が襲ってから数日のうちに、竹野内は東京の住まいを引き払い、那覇のワンルームマンションに移り住んだ。那覇は、沖縄県民150万人の半数以上が集中する都市である。

沖縄はかつて貿易で栄えた王国であり、独自の文化と言語をもつ。東シナ海に位置し、台湾から九州にかけて連なる亜熱帯の島々で構成され、夏には日本のみならず台湾や中国からも観光客が訪れる人気の土地である。

竹野内が新たに腰を落ち着けたのは、那覇中心部にある久茂地地区。久茂地はバックパッカーや地元の活動家が集まる場所だ。地区の目抜き通りでは、今や日常茶飯事となった米軍基地反対デモの周囲を警官が穏やかにパトロールする。そしてこの地には新たなスローガンが生まれた。「脱原発」である。

最近行なわれた脱原発デモには、おもに本土から避難してきた人々200人以上が参加した。これはごく一部にすぎず、全体では今年3月から8月にかけて17,521人が本土から沖縄に移住している。前年の同時期と比べると12.3%の増加だ。

沖縄県は、日本で原発のない地域の中でもっとも大きい。

沖縄最大の島である沖縄本島には美しい浜辺が連なり、スローフードの文化が根いて、音楽や芸術が盛んな場所である。毎年、数千人の移住者を引き付けている。ところがつい最近になって、福島原発の事故以前には沖縄への移住など考えてもみなかった親たちが放射能を心配して沖縄に移り住むようになった。

竹野内が住む那覇の低家賃マンションには、本土の各地から避難してきた人たちがほかに30人暮らしている。ほとんどが幼い子供を連れた母親で、誰もが同じ不安を抱えている。彼女たちの話題は奇妙な発疹のこと、高熱のこと、鼻血のこと。そして政府と原子力産業の「絶対に許せない」怠慢のことだ。

3月11日の津波で仙台の自宅を失ったタナカ・ユリコは、福島県北西部との県境に近い仮設住宅に住んでいたが、そこを出る決心をする。子供にとって安全な場所だとは思えなかったからだ。しかも、4歳の息子の発疹がなかなか治らないのを心配していた。

「8月に発疹が出てから治らず、腕や手にまで跡が残っています。医者はステロイドの軟膏をくれましたが、かえって悪くなっただけでした」とタナカは語る。「同じ地域に住んでいた友人の子供にも、今年の中頃から似たような発疹が出ました」

それが福島からの放射性降下物のせいかどうかは証明が難しいものの、タナカは大事をとって沖縄に移住することを決めた。

クボタ・ミナホも沖縄本島に逃げてきたひとりだ。事故のニュースを聞いた瞬間、自分の人生が変わったと語る。クボタは2児の母。以前は福島第一原発の存在すら知らなかった。

クボタは原発から190km南の茨城県水戸市に住んでいた。7歳になる息子のダイトが外で遊んでいるとき、ラジオをつけると原発で一連の爆発が起きたことを知る。

「とにかく泣きました」とクボタは振り返る。「それからダイトの首に発疹ができたんです」

4週間後、すでに日本を離れることを考え始めていた頃、まだ赤ん坊の下の息子が初めて鼻血を出した。「日本のできるだけ遠いところに行こうと決めました。でも、夫を説得するのに2ヶ月かかってしまった。夫は『自分たちにはどうしようもないことなんだから、そんなに心配しても仕方がない』って言うんです」

近所の人や友人の多くが福島の話題を「タブー」にしているのと同じように、クボタの夫も放射能の話をするのをいやがった。

過度のセシウムが検出されて牛乳が回収される騒ぎがあったあと、クボタは学校に行って息子に牛乳を飲ませないでくれと頼んだ。学校はその要請を無視した。

「結局、息子がアレルギーだという作り話をしたら、ようやく牛乳を飲ませるのをやめてくれました」

クボタは避難する以外に「選択肢がなかった」と話す。「福島の事故のせいで病気になった人の統計に、いつか自分の子供が仲間入りするのかどうか。それをただ黙って見ているのはごめんです」

一方、いくつかのNGOは、一部の人たちの体調不良と福島の放射性降下物との関連を指摘している。

3月に大量のヨウ素131に被曝して避難していない福島の子供130人を検査したところ、10人に甲状腺異常が見つかった。

6月に、原発から60kmの地域で実施した戸別訪問調査からは、大勢の住民が長引く鼻血や下痢に悩まされているのがわかった。同じ症状は東京でも確認されている。

自身も広島の被爆者であり、チェルノブイリや広島の被害者向けに非営利の病院を運営している肥田舜太郎博士は、今年の中頃に単発のクリニックを開いて50人の患者を診察した。

「青あざ、鼻血、高熱、下痢、骨の痛み、極度の疲労といった症状が見られました」と肥田は語る。

こうした症状は、広島の原爆による放射性降下物に被曝した人々にも程度の差はあれ現れていた。広島の原爆にはセシウムやヨウ素はもちろんだが、高濃度のストロンチウム90も含まれていた。広島の被爆者に見られた長期的な影響としては、悪性腫瘍、脊椎の不具合、先天性欠損症、白血病、乳がん、甲状腺機能障害、放射線白内障、肝疾患、心疾患などがある。

放射線による複数の症状がクリニックで確認されたのを受け、肥田は東京の放射線を心配している。世界保健機関は、日本国民の健康がただちに脅かされることないと言うが、肥田は沖縄に逃げた人たちを決して被害妄想とは呼べないと考えている。

「これは個人が選ぶ問題です。何に優先順位を置き、健康リスクをどう認識するかは、人それぞれですから。ですが、放射性降下物による色々な影響を見てきて、すぐに現れる症状もあれば遅れて現れる症状もあるのを知っている者として、私はどちらかというと用心に越したことはないという立場です」

竹野内は、広島の被爆者に関する肥田の本で翻訳を手伝ったことがある。息子が、沖縄に着いてから2ヶ月で8回目の38度を超す熱を出したとき、彼女は肥田に電話をした。

「先生はこうおっしゃいました。すでに本土を離れているし、3月15日に放射能を浴びた時間はもう元に戻せないのだから、今はとにかくお子さんを愛し続けてあげて、沖縄で普通の暮らしを送らせてやるようにすることが一番です、と」

(ジェーン・バラクラフは、日本を拠点にするオーストラリアのフリー・ジャーナリスト。)

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2011年12月11日 01:30:40: WDXVTlrXQw
事故直後、数日のうちに東京から沖縄まで避難された方が 「もう手遅れなのだろうか」っと心配しておられる。
福島県内の避難所に今だに残り、一部は仮設住宅に移り住んだ人達。事故以来 福島県を一歩も出なかった人達の体は では今、どうなっているのか?
この先どうなってしまうのか?
本当のところが知りたい。
あの日から私はずっと家族と共に、千葉県柏市に暮らし、東京都内の会社へと今日も通勤を続けている。
来年中には大阪以西へ移住を果たすべく、中古住宅•マンション探しをしているが………
「もう 手遅れなのだろうか?」

02. 2011年12月11日 02:28:41: j8DlsR41DQ
1番さんへ

子供さんは直ぐ今、西へ避難してください。妊婦もです。避難がさきです。政府マスコミは無視してください。すでにとっくに危険です。阿修羅では春に即時避難をいってます。全部すててうつること。全部被曝してます。放射化します。服も全部です。

3月12日ごろには海外のブロガーは米軍の航空機や人口衛星などの熱探知によりメルトダウンを盛んにいってました。15日の核爆発も3回の爆発音とともに海外ネットでは盛んに議論されてました。これは海外ネットを毎日検索する一部の人間しかしりえなかったのでしょうね。ほとんどの人がわからなかった。

多分関東東北4000万人は全部が危険になる可能性があります。ドイツが最近発表してますよ。アルファー線ベーター線核種の内部被曝は数千倍から数万倍になるのです。あらゆる病気になります。セシウム云々は目くらましでしょうね。

東日本は終わりです。低線量でも非常にきけんです。政府データーはインチキです。すでに日本人は良心を失ってます。自然放射能は人類は適合してるから問題ないし外部線は距離の二乗に反比例しますから大丈夫です。呼吸や食料、水の内部被曝の総量が問題です。色んな者を毎日たべますから積算概算値で考えるのです。一種だけだから安全だというのは目くらましです。


沖縄も汚染度が少したかいのです。気おつけてください。津波の多分数十メートルがアジェンダされてるようですから、出来たら九州の高地がいいです。ただしこれから起される地震で次々原発が爆発さされると九州も住めません。


03. 2011年12月11日 04:35:07: cFh3H7qAds
琉球大学 比嘉名誉教授
http://dndi.jp/19-higa/higa_Top.php

>被爆者がEM・Xゴールドを1日30cc〜50ccを目安に飲用を続けると、30日内外で、外部被爆はもとより、内部被爆(放射物質が体内に入った状況)も正常に戻る。その後、飲用を中止しても再発は起こらない。我が国では広島の原爆症の方々でもその効果は確認されています。

>修士論文名は「EM・X服用による身体負荷量放射性物質セシウム137の排出に関する研究」となっている。実験に協力してもらった子供達は、地図の大きな赤い丸で示された汚染度の高いゴメリ州とモギリョフ州に住んでおり、21人が参加した。子供達は日本への出発前に現地で放射能全身計数装置(screener-3m)と携帯Y線々量計で測定し、日本へ入国した。日本での療養は7月23日〜8月31日の40日間で、すべて、野呂さんを中心とした「チェルノブイリへのかけはし」の里親の方々に協力いただいた。
21名の子供の平均年齢は9.7才、3グループに分け、EM・Xを1日30cc飲むグループをA、1日50cc飲むグループをB、飲まないグループをCとした。飲まなかったグループには、実験終了後の12月上旬以降に、EM・Xを飲むように関係者を含め協力をお願いした。出発前のセシウム137の身体負荷量はグループAが81.61ベクレル/kg、グループBは88.65ベクレル/kg、グループCは62.99ベクレル/kgであった。
療養が終了した8月31日後、ベラルーシへ帰国した直後に測定した結果は、グループAが26.78に減少、グループBは全員が測定不能、すなわち正常値となったのである。グループCも33.81とかなり減少したが、ベラルーシ政府の目標である15〜20ベクレル/kgに達することは困難であった。
また、EM・Xの持続性について検討するため、10月と12月の2回にわたって測定した結果、Aグループは12月2日の時点で帰国時の26.78よりも下がり22.16、Bグループは全員、測定不能の正常値を維持し、Cグループは37.31となり、帰国後の数値が高まるという従来のパターンが確認された。
これらのデータと、その後の測定値を参考に、コノプリヤ教授と協議した結果、EM・Xは1日当り50ccを服用すると40日でセシウム137の身体負荷量を完全に消去すると同時に、耐放射性機能が長期にわたって保持されるという従来の常識に反する結果となった。
EM・Xは、その後、改良に改良が加えられ、日本では、EM・Xゴールドとして市販されているが、現在のEM・Xゴールドは、実験に使われたEM・Xの5.6倍、80℃以上に加熱して適当な温度で飲用すると10倍以上の効果があることも確認されている。福島第1原子力発電所の今後がどのようになるのか、予測は不可能であるが、最悪でもベラルーシのようにはならないことは確かである。
この観点に立てば、内部被曝対策としてのEM・Xゴールドは、ラベルに書かれている一般的なレベルで十分であり、子供はその2分の1、乳幼児は3分の1〜4分の1が目安と考えるのが妥当である。当然の事ながら、EM・Xゴールドは飲み過ぎても害はない清涼飲料水であるが、もしも日常と変わったことが発生すれば量を50%以下に減らす配慮は必要である。また外部被曝に対しても量を増やせば十分な対応が可能である。


04. 2011年12月11日 09:34:13: 6Od39Yey22
沖縄アミークスインターナショナル
http://www.amicus.ed.jp/

沖縄科学技術大学院大学の開校に合わせて整備された、同学の研究者子弟および外国人を主に対象とした幼・小・中一貫校。授業は全て英語。

外国人を対象としているが日本人でも、英語が堪能であれば入学可とウェブサイトにはある。

設立の経緯 http://www.amicus.ed.jp/?page_id=18

>沖縄県恩納村に平成24年開校予定の「沖縄科学技術大学院大学(以下OIST)」の存在です。開校時には世界中から研究者や学生とその子女が多数集まり、研究及び生活をすることになると想定されています。そのため、沖縄県としては、外国人を多く含むOIST関係者子女の受け入れ校を設立する必要性がありました。

>本校はOIST職員の子女やアジアゲートウェイ構想の実現を担う諸機関や企業の子女はもちろん米軍や県民の子女等、英語教育や国際教育に関心のある人びとが、気兼ねなく進学先の選択ができるような、国際教育機関として整備されました。


05. 恵也 2011年12月11日 14:45:49: cdRlA.6W79UEw : 8auIplyhMc
>>01 千葉県柏市に暮らし、東京都内の会社へと今日も通勤を続けている。

柏市とはちょっと場所が悪すぎる。
出来れば家の空間線量も市に線量計を借りて、測られたらどうだろう。
0.3μSv/h以下であることを希望しますが・・・

チェルノブイリ事故でのことを参考にすると、子供さんが大きくなって徴兵検査
に不合格になる程度の危険性が40%くらいあるという所じゃないかな。
スモル医師の話だと、3000Bq/kgの土壌地域ではその程度の危険性がある。

ーーーー引用開始ーーーー
子供は50Bq/kgから危険がはじまる。大人は200Bq/kgから危険です
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/164.html


06. 2011年12月11日 16:21:10: xTBLVK9vu4
200キロ圏内です。柏・松戸に近い。
3・11以降 ストレスで体調を壊しています。
が ストレスだけでは無いと 自分では思っています。
(周りから 神経質ね!と言われて 余計にストレスを感じています)

07. 2011年12月11日 20:25:52: re8pZWEQuE
東京で
マスクする人
俺一人

08. 2011年12月11日 21:18:21: txKoq6KBVw
>>07

マフラーで隠してでもつけてた方がいいよ。

年末にも避難した方がいい。

pirea @pirea3 20時間
"@hanayuu: @kikko_no_blog @tokaiama @CHIBAREI_DURGA 中川翔子(しょこたん)が「鼻血が吹き出した」(7月12日) http://ameblo.jp/nakagawa-shoko/entry-10951485276.html さっき打ち合わせにいこうとしたら鼻血が吹き出したwwwww"マジック?ww

onodekitaさんがリツイート


09. 2011年12月12日 10:08:49: 2fXtWUupxM
肥田先生をテレビで見た時は
「心配しなくてだいじょうぶ」と言って笑ってたぞ。
自分は彼の本も読んだから彼の気持ちがなんとなくわかる。
もう被曝してしまった人を不安にさせるような事をわざわざ言わないように思う。
彼は本当の意味で賢いのだろう。
この掲示板で、もう死ぬだの東京はもうだめだだの
書く人達とはぜんぜん次元が違うのだ
被曝での死者を沢山見てきて、思うのは
とにかく今生きている事が大切で、絶望してはいけない、させてもいけない
ということなんじゃないのか。
だからテレビで笑っていたのじゃないかと思う。

それから、沖縄は仕事がないぞ。
行ってもいいけど、さびれた田舎だ
北海道、沖縄開発庁があるくらいだ。
収入がなくても仕事がなくても生きていける人しか引っ越せない。
円高で沖縄より海外の方がだんぜん安いし面白い。
観光業も期待できない。


10. 2012年10月23日 23:39:46 : SRyPieliDg
東京から沖縄に移住したあとに、福島の原発事件がおこりました。
ですので、1年間は怖くて里帰りができませんでした。1年後、両親の顔を見に里帰りしましたが、鼻血が産まれて初めて、でたのです!びっくりしました。

そのときはあまり気にしませんでしたが、先日も2回ほど実家に帰りましたが2回とも少量ではありますが、鼻血がでました。

生理中でもあったので、血が余っているはずないので、、、本当に怖くてもう里帰りできません。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素19掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 原発・フッ素19掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧