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“雪爆弾”を“援護射撃”に  「物乞い子供」の写真が続々アップされている理由 アラブ版「ベルリンの壁」崩壊
http://www.asyura2.com/11/hasan71/msg/134.html
投稿者 tea 日時 2011 年 2 月 17 日 02:56:30: 1W1IXELjjF6i2
 

中国の社会保障システムの整備や、韓国やアラブのインフラ整備は、まだまだ、かなりの投資が必要になりそうだが、日本企業の出る幕はどうかな


日経ビジネス オンライントップ>アジア・国際>日本と韓国の交差点
“雪爆弾”を“援護射撃”に
1メートルを超える雪で被害続出、冬季五輪の誘致には好機

* 2011年2月16日 水曜日
* 趙 章恩

大雪  冬季五輪  平昌 

 韓国の東海岸沿いを中心に、雪が止むことなく降り続けている。ソウルを含めほとんどの地域が氷点下10〜15度の寒さの中にある。風がものすごく強いため、体感温度は氷点下20度以下。外を歩く人はみんなスキー場にいるかのような防寒状態である。目だけ外に出して歩いている状態だが、目の周りが裂けそうなほど痛い。

 筆者の住むマンションはベランダの水道が凍破して洗濯機が使えなくなってしまった。仕方なく、洗濯物は手洗いしている。雪がロマンチックに思えなくなると年をとった証拠と言うが、この寒さを体験すれば年齢に関係なく雪が嫌になるかもしれない。暖かい東京に逃げたい。

 2010年の夏は、例年は湿気のない韓国が蒸し暑くなり、記録的な暑さだった。今度は毎日のように雪が降り記録的寒さとなっている。

 2月11日には韓国の最東北地域である江原道で、たった1日で1メートルを超える雪が積もった。雪が凍りタイヤが空回りする国道で立ち往生した車が続出し、バスの乗客400人ほどが道路の上で一晩孤立する事故もあった。山で孤立して凍死した人もいるほどである。

 江原道のあちこちで、住宅や農作物を育てるためのビニールハウスが雪の重みで壊れた。その他の地域でも大雪による被害は広がるばかりである。口蹄疫で家族のように大切に育てた牛をすべて殺処分したばかりの農家が、今度は大雪で被害を受けている。韓国では「これは“暴雪”というより“雪爆弾”」であると嘆いている。

平昌が冬季五輪の誘致運動を展開

 農家の苦しみは残念であるが、雪祭りや山、スキー場は全国から集まった観光客で賑わっている。

 江原道では、今回の雪爆弾が災い転じて福となることを願っている。江原道平昌郡(ピョンチャン郡)は2018年の冬季オリンピック開催地に立候補している。

 平昌と言えば、ドラマ『冬のソナタ』のおかげで名所となった「ドラゴンバレー」をはじめ、韓国でも有数のスキー場が集まっている。山も多く、高度600 メートルに位置しているせいか空気が澄んでいて、きらきら輝く雪景色はとても有名だ。冬のソナタに感動して日本、中国、台湾、東南アジアから集まった韓流ファンが、今では平昌の景色に感動して毎年観光に訪れるという。

 江原道はこの記録的な雪が、2月16日から始まるIOCの冬季オリンピック開催候補地調査に良い影響を与えるのではないかと期待している。最近は雪が少なくなり人工雪に頼る冬季オリンピック競技場が増えている中、平昌は冬季オリンピックに適した積雪量を持ち、どんな大雪でも瞬時に除雪を完了できるという優秀な環境をアピールできるチャンスと見たからだ。暴雪の中、3日間除雪を続け、IOC調査団が訪問する競技場への道路をはじめとする主な道路226キロの除雪作業を終えた。

 IOC調査団は2月14日仁川空港に到着し、20日まで平昌に滞在しながら競技場調査、記者会見などを行う予定である。

冬季五輪への3度目の挑戦

 平昌のスキー場はリゾートとしては有名であったが、競技場として使える施設ではなかった。予算の無駄遣いという非難を受けつつも、冬季オリンピックを誘致するために研究を重ねてきた。現在の平昌のオリンピックスタジアムと選手村は、選手と関係者が30分以内にどこにでも移動できるよう建設した。新しい高速道路も2017年完工する予定で、ソウルから、車で1時間15分程度で来られるようにする。今はソウルから平昌まで3時間ほどかかる。

 2018年冬季オリンピックの候補地はフランスのアヌシー、ドイツのミュンヘン、韓国の平昌である。開催地は7月6日、南アフリカ・ダーバンで行われるIOC総会で決まる。

 冬季オリンピックはアジアでは札幌と長野でしか開催されたことがない。韓国で冬季オリンピックが開催されれば、日本に続いてアジアでは3度目になる。オリンピック、アジアンゲーム、ワールドカップ、世界陸上選手権大会など、世界的規模のスポーツ大会を何度も誘致したことのある韓国でも、冬季オリンピックだけは縁がなかった。

 日本では3度目の正直というが、韓国でも「サムセボン」といって、3度目で本当の勝負が決まるという言葉がある。平昌の冬季オリンピック立候補も「サムセボン」だ。2010年、2014年に続いてこれで3度目の挑戦である。平昌がオリンピック開催地となれば経済的にも文化的にも大きな利益を得られる。

 「今度こそは」と願う地元の人の気持ちは分かる。雪爆弾で被害を受けながらも、調査団が乗ったバスが通ると一生懸命手を振る江原道住民の姿を見ると心が痛む。

スポーツマンシップに則った誘致運動を望む

 ただし、注意してほしいことがある。平昌には、冬季オリンピックを開催することだけが目的となり、外側だけ立派で、今後、持続的運営することができない競技場になってほしくはない。また、スポーツ精神を忘れた利権争いになることは避けてほしい。監督やコーチが自分の派閥を持続させるために有利な選手だけを起用する、試合で負けた青少年選手へのひどい体罰、過度なスポンサーシップなど、も同時に解決していきたいものだ。恥ずかしいことだが、過去にこうした問題があった。

 平昌は、こうしたスポーツ精神を実現するための冬季オリンピックを開催するという点も強調している。

 2004年からは、「ドリームプログラム」を運営し始めた。冬季スポーツにかかわる人材を育成し、スポーツの国際的な発展に貢献するプログラムである。世界各国から青少年を集め、冬季スポーツ――スキー、クロスカントリー、ボブスレー――を体験してもらう。韓国観光を通して、韓国文化も体験してもらう。こうしたプログラムを自治体が主催するのは世界でも平昌が初めてという。

 これまでに、42カ国806人が参加した。中にはドリームプログラムがきっかけとなり、自国のオリンピック代表になった人もいるという。2011年のドリームプログラムには、障害のある青少年を含め33カ国143人が参加する。

 3度目の正直、サムセボンで、平昌で冬季オリンピックが開催できるようになれば、うれしい。それと同時に、雪害の対応をもっと徹底してほしい。雪爆弾で、農業も畜産も大きな被害を受けた。農業ができなくなって物価がこれ以上高くなっては、日々、生きていくだけで大変だ。オリンピックどころではなくなる。冬季オリンピックも誘致できて、物価も下がって、みんなが雪をロマンチックに感じられる日々を送れるといいな。
このコラムについて
日本と韓国の交差点

 韓国人ジャーナリスト、研究者の趙章恩氏が、日本と韓国の文化・習慣の違い、日本人と韓国人の考え方・モノの見方の違い、を紹介する。同氏は東京大学に留学中。博士課程で「ITがビジネスや社会にどのような影響を及ぼすか」を研究している。
 趙氏は中学・高校時代を日本で過ごした後、韓国で大学を卒業。再び日本に留学して研究を続けている。2つの国の共通性と差異を熟知する。このコラムでは、2つの国に住む人々がより良い関係を築いていくためのヒントを提供する。
 中国に留学する韓国人学生の数が、日本に留学する学生の数を超えた。韓国の厳しい教育競争が背景にあることを、あなたはご存知だろうか?

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著者プロフィール

趙 章恩(チョウ・チャンウン)

 研究者、ジャーナリスト。ソウルで生まれ小学校から高校卒業まで東京で育つ。韓国ソウルの梨花女子大学卒業。現在は東京大学社会情報学修士。ソウル在住。日本経済新聞「ネット時評」、西日本新聞、BCN、夕刊フジなどにコラムを連載。著書に「韓国インターネットの技を盗め」(アスキー)、「日本インターネットの収益モデルを脱がせ」(韓国ドナン出版)がある。
 「講演などで日韓を行き交う楽しい日々を送っています。日韓両国で生活した経験を生かし、日韓の社会事情を比較解説する講師として、また韓国のさまざまな情報を分りやすく伝えるジャーナリストとしてもっともっと活躍したいです」。
 「韓国はいつも活気に溢れ、競争が激しい社会。なので変化も速く、2〜3カ月もすると街の表情ががらっと変わってしまいます。こんな話をすると『なんだかきつそうな国〜』と思われがちですが、世話好きな人が多い。電車やバスでは席を譲り合い、かばんを持ってくれる人も多いのです。マンションに住んでいても、おいしいものが手に入れば『おすそ分けするのが当たり前』の人情の国です。みなさん、遊びに来てください!」。

日経ビジネス オンライントップ>アジア・国際>中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス
「物乞い子供」の写真が続々アップされている理由
根絶ほど遠い誘拐事件、始まった草の根救済運動

* 2011年2月16日 水曜日
* 福島 香織

中国  物乞い  社会保障  子供  黒社会  微博  誘拐 

 北京の日本大使館や米国資本の高級ホテル「セント・レジス」などがある建国門街は心優しい金払いのいい外国人観光客が多いこともあってか、夕暮れには垢に汚れた子供の物乞いがいつも、何人かいた。

 しかし、私は彼らが近づくとひどくイライラして、焦った。一般に物乞いは組織化されていて、裏では黒社会的な人物が仕切っていることが多い。だから子供に同情して金をやっても、後ろで監視している「母親」役の大人か裏の物乞い組織のボスに吸い上げられるのは分かっている。かといって、か細い手を差し伸べてすがってくる子供を足蹴にすることもできない。どうしたらいいか分からなくなるからだ。

仲間の物乞いには身体障害者もいる

 それである日、「シーカイチェン(10元)、シーカイチェン」と声をあげて、まとわりつく男の子の垢だらけの腕をぐっと捕まえて、「あなたはいくつ? お父さんとお母さんはどこ?」と詰問したことがあった。2007年のクリスマスの頃だ。

 男の子はさすがに最初おびえていたが、そのあと、コンビニでアイスクリームを買ってやると、少し打ち解けて話すようになってきた。買い与えるものがアイスクリームだったのは理由がある。時間がたてば溶けてしまい、あとで物乞い組織の大人たちに巻き上げられることもないだろうから、と判断したからだ。ただ、今思えば凍えるような夕暮れ、もっと体の温まるものを買ってやればよかった。それでも彼は、白く霜のついたアイスクリームのカップに唇をくっつけるようなしぐさで喜びをにじませ、2、3の質問には答えてくれた。

 年齢を聞けば、5歳と答えた。故郷はどこかと聞けば河南(省)と答えた。とりあえず、そう答えろと教えられているのだろう。彼のなまりはどちらかと言えば、山東省なまりだ。私が彼と話しこんでいる様子を遠巻きに眺めている「母親」役について、「本当のお母さんか?」と聞けば違うと答えた。「なぜ、北京にきたの?」「おじさんが、北京で稼いでこいって」「おじさんって血がつながっているの?」「うん」「本当は学校に行く年じゃないの?」「…」

 そのあと、顔を見知りになって、会うたびに、アイスクリームやちょっとしたお菓子で釣って、聞き出したことを総合すると、彼は北京市内の撤去予定の空き家に大勢の仲間の物乞いたちと共同生活し、「老板(ラオバン=ボス)」と呼ばれる男の指示に従って、「母親」役とペアで建国門外界隈に物乞いに出ているのだという。

 彼は血のつながったおじさんから、家が貧乏だから両親を助けるために北京でお金を稼いでこいと言い含められて、その老板に預けられた。老板は「いい人」らしい。つまり虐待などはなく、可愛がってくれるようだ。彼は老板に褒められたくて、毎日物乞いしている。仲間の物乞いには身体障害者もいること、彼自身は農村の暮らしより、北京の暮らしを結構気に入っているようなことを言っていた。

 彼は意外に頭の回転がよく、おそらく本当は5歳より年を食っているだろう。外国人観光客にお菓子などをよく買ってもらっており、それが楽しいようだ。

 私はある時、遠巻きに私たちを見守っている「母親」役の女物乞いに聞こえないように、雅宝路の物乞い組織のアジトに案内してくれとか、老板に故郷から訪ねてきたおばさんといって会わせてくれないかとか、彼に交渉を持ちかけた。物乞い組織の正体を見極めたいと考えた。100元あげるよ、とささやくと、彼はその気になったようだが、結局その親子物乞いは春節前には姿を見かけなくなった。北京市が五輪に向けた市内の管理を強化し、ホームレスや物乞いたちは市外へと追い払われてしまったらしい。

 なぜ、その物乞いの男の子のことを急に思い出したかというと、今、中国で子供の物乞いの問題が急にクローズアップされているからだ。

 発端は社会科学院農村発展研究所の于建嵘教授が1月17日に受け取った1通の手紙だという。福建省のある母親からの手紙で、わが子が2009年に誘拐され、2010年にたまたま、ネットの上で見かけたアモイの街角の写真の中にわが子を見つけた。体に障害を負わされた上、物乞いにさせられていたという。

 于教授はこの手紙の内容を微博(マイクロブログ=前回参照)上で発表したところ、大反響を呼んだ。そこで、こういう子供たちを救う方法をネットユーザーたちと話し合い、街で見かける子供の物乞いの写真を携帯電話などで撮って微博上にアップし、両親が子供を探す手掛かりにしてもらおうという活動を1月25日から開始したのだった。

 多くのネットユーザーがこれに協力し2月上旬の段階で2000枚以上の写真のデータベースができ、6人の子供の物乞いが、誘拐されて売られていた子供と判明し、救出された。公安当局もこれに協力して、微博に上げられた情報をもとに捜査しているという。

保護し採血してそのDNAをデータベース化

 この事件にあわせて、新聞・雑誌メディアらがこぞって「子供の物乞い」特集記事を発表している。例えば海峡都市報(2月12日付)が掲載した「物乞い村」潜入ルポでは、記者が福建省福州市の街角で見かけた幼い姉妹の物乞いの跡をつけてある集落を発見した。そこでは、物乞いを専業とする貴州省出身の出稼ぎ者が固まって暮らしており、戸籍のない子供の物乞いたちが20人余りいたという。

 もちろん、親子、家族の形態をしてはいるが、この取材後に警察が来て、誘拐された子供の可能性があるとして保護した。報道によれば、福州市警察ではローラー式に子供の物乞い捜索をしており、見つけ次第保護し、採血してそのDNAをデータベース化し、子供たちの身元確認の手掛かりとする、子供の物乞い救出作戦を始動しているらしい。

 中国では、子供の誘拐は身代金目的よりも販売目的の方が圧倒的に多い。子供の売り先はおもに闇工場や闇売春窟、それに物乞い組織だ。哀れを誘う子供の物乞いにすがられれば、多少なりとも金を払ってしまう人は少なくない。幼い子供は物乞いの「必須アイテム」だ。

 2009年4月当時の公安当局が行った第5回全国誘拐根絶行動で摘発された子供の誘拐事件は4595件で6785人の子供が救出された。ちなみに女性の誘拐事件はもう少し多く、6574件で救出人数は1万1839人だ。女性も誘拐されては、売春窟に売られたり農村の嫁に売られたりする。

 これほど深刻な中国の子供の誘拐問題に対し、微博などを使って大きな世論を喚起できたことはよかった、と言えるのだが、この一見世論に支持されているように見える于教授のこの活動や、警察の子供の物乞い保護の動きには、批判の声も少しある。

 1つは、子供の物乞いの写真を勝手に撮って微博にアップすることも、強制的に保護して血液を採取しDNAを調べることも、プライバシー侵害ではないか、という声だ。

 子供の物乞いのすべてが誘拐され売られてきた子供ではない。本当の親子の物乞いであれば、強引に子供を親から引き離して保護するのはかわいそうではないか、という意見もある。数の上でいけば、冒頭で紹介した例のように、親自身や親せきが子供を「売る」あるいは「貸す」などして関与している場合の方が多い、とする見解は公安関係者もメディア上で述べていた。

派手な手術跡を見せ、涙ぐんで訴える父親

 私がもう1つ思い出すのは、やはり2007年のクリスマス前後に、北京市三里屯界隈で出会った親子3人の物乞いだ。クリスマスの電飾で飾られたバー街の酔客を相手にしていたその親子の物乞いは本当の親子で、証拠に7歳という娘の顔が父親にそっくりだった。聞けば、山東省済南市郊外の農村出身だったが、父親が病気で腎臓を1つ摘出するような大手術を受け、農作業に従事できる体力がなくなり、親戚友人に大きな借金も負ってしまった。食うに困って、思いついたのが北京に「物乞い」の出稼ぎに行くことだったという。

 村には他にも物乞いに出稼ぎに行く人があり、実はその前に娘を「貸した」ことがある。その時にもらった「貸し賃」が意外に多かったので、意を決して、自ら親子で北京に出てきたという。彼らはいわゆる物乞い組織には属していないが、同じ村から「出稼ぎ」に来ている仲間ら十数人で簡易宿舎の1室で身を寄せ合っているとか。

 寒空の下でわざわざ服をめくって派手な手術跡を見せながら涙ぐんで訴える父親の言葉は嘘ではないと思ったが、100元札を渡しながら「いくらぐらい稼げるのか?」と聞くと「そんなに多くはない、先月は2000元ぐらいだ」という言葉には信じられない気持ちだった。そのぐらい稼げるものならプロの物乞いになろうという農民も出ようものだ。

 彼らのようなケースを考えると、確かに子供の物乞いがすべて悪徳組織に利用され搾取されているというわけでもないのだろう。もちろん、どんな理由であれ、子供に物乞いをさせるような社会がいいわけがない。建国門外のあの男の子が例え、農村生活より都会の物乞いライフを気に入っていたとしても、彼の将来はあのままでは絶望的だ。

 だが于教授の提案ですべてが解決できるほど単純な問題ではない。子供の物乞い救出作戦がホットなテーマとして社会の注目を集めている間は、金をねだって足元にまとわりつく幼い子供の姿が街から消えていくだろうが、それは物乞いをせざるを得ない貧困、子供を売らざるを得ない貧困がなくなったと言う意味ではない。極端な言い方をすれば、于教授のやり方で、視界に入る街角の子供の物乞いは減るかもしれないが、闇売春窟や闇工場に放り込まれる子供は増えるかもしれない。

突き詰めていくと格差、体制の問題

 中国の社会問題は、突き詰めていくと格差の問題になり、体制の問題となってくる。GDP世界第2位の国なのに、どんなに貧しくとも子供を売らずに済み、物乞いをしなくて済む最低生活保障の設計がなぜできないのか。なぜここまで富が偏在するのか。中国の言論や報道の統制をあざやかに突き抜けて情報や議論を広めるといわれる微博ですら、そこの部分になってくるとなかなか矛先が鈍ってしまう。

 しかし、そういうことを机上で考える私は、北京の真冬の空の下で、「10元!」と甲高い声をあげてまとわりつく男の子に面と向かっては、アイスクリームを買う以上のことができなかった。今、北京の街角で彼と同じような子供と出会えば、私はやはり携帯電話でその子の写真を撮り、于教授のデータベースに送るに違いない。しかしたぶん、あの垢じみた男の子にまとわりつかれたときの、イライラした気持ちはまだ、どうしようもないのだ。
■変更履歴
3ページ最後の行、「イライライ」は「イライラ」の誤りでした。お詫びして訂正します。本文は修正済みです [2011/02/16 11:55]

福島香織さんの近著
『潜入ルポ 中国の女』
(文藝春秋、1500円=税込)

モンゴル人に扮してのエイズ村取材、都市の底辺で蠢く売春婦たち、華やかなキャリアウーマン…。女を取り巻く驚愕の実態が今明らかに!
このコラムについて
中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス

 新聞とは新しい話、ニュース。趣聞とは、中国語で興味深い話、噂話といった意味。
 中国において公式の新聞メディアが流す情報は「新聞」だが、中国の公式メディアとは宣伝機関であり、その第一の目的は党の宣伝だ。当局の都合の良いように編集されたり、美化されていたりしていることもある。そこで人々は口コミ情報、つまり知人から聞いた興味深い「趣聞」も重視する。
 特に北京のように古く歴史ある政治の街においては、その知人がしばしば中南海に出入りできるほどの人物であったり、軍関係者であったり、ということもあるので、根も葉もない話ばかりではない。時に公式メディアの流す新聞よりも早く正確であることも。特に昨今はインターネットのおかげでこの趣聞の伝播力はばかにできなくなった。新聞趣聞の両面から中国の事象を読み解いてゆくニュースコラム。

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著者プロフィール

福島 香織(ふくしま・かおり)
ジャーナリスト

松田 大介 大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002〜08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。著書に『潜入ルポ 中国の女―エイズ売春婦から大富豪まで』(文藝春秋)、『中国のマスゴミ―ジャーナリズムの挫折と目覚め』(扶桑社新書)、『危ない中国 点撃!』(産経新聞出版刊)など。


日経ビジネス オンライントップ>アジア・国際>時事深層
アラブ版「ベルリンの壁」崩壊

* 2011年2月16日 水曜日
* 大竹 剛

民主化ドミノ  独裁政権  自由  GDP(国内総生産)  インフレ  民主化デモ  欧州・中東・アフリカ  民主化  ベルリンの壁 

チュニジアで始まったアラブの「民主化ドミノ」が止まらない。もはや民意を反映しない体制の存続は困難になりつつある。独裁政権を支援してきた欧米も外交戦略の見直しを迫られる。

 14カ月間、食料はタダ――。2月1日、オイルマネーで潤う中東の小国クウェートで、壮大なバラマキ政策が始まった。独立50周年の記念行事として、移民を除く約110万人のクウェート人に約30万円の祝い金に加え、食料を1年以上にわたって無料にするというのだ。

 だが、それを単なる記念行事と受け止めた専門家は少ない。英国際戦略研究所(IISS)バーレーン事務所のアラノウド・アルシャレク氏は、「エジプトのような暴動を未然に防ごうとする動きが中東に広がっている。クウェートの取り組みはその1つ」と指摘する。

 北アフリカで民主化デモが勃発した契機の1つが、食料価格の高騰。産油国のクウェートは1人当たりのGDP(国内総生産)が3万ドルを超え、エジプトの同2771ドルよりも圧倒的に豊かな国だ。それでも、国王が食料の補助金政策に踏み切るほど、国民の不満をガス抜きする必要に迫られている。

インフレより自由の抑圧に怒り

 ヨルダンでも、相次ぐデモの沈静化を狙い国王が首相を解任して政治改革の推進を約束。イエメンでは、大統領が次期大統領選には出馬しないと公約した。シリアの大統領も、米ウォールストリート・ジャーナルのインタビューで、政治改革を実行すると表明した。

 多数の死傷者を出したエジプトと比べれば、すべての中東アラブ諸国が深刻な事態に陥っているわけではない。だが、英ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)・中東研究所のハッサン・ハキミアン所長は、「大規模なデモが起きていなくても、アラブ諸国で国民の声を反映する政治体制に向けた改革の流れは止まらない」と断言する。それは、ベルリンの壁が崩壊した時と状況が似ているという。

 1989年のベルリンの壁の崩壊は、東欧で連鎖的に民主化革命を引き起こし、ソビエト連邦の崩壊へとつながった。チュニジアで起きた「ジャスミン革命」も同様に、エジプトに飛び火し、北アフリカ諸国から中東の産油国へと伝播している。

 1人当たりGDPで見れば、産油国にはまだ余裕がある。しかし、より問題なのは、「インフレなどの経済問題より、自由が抑圧され、閉鎖的な環境に国民が置かれている状況だ」とハキミアン所長は指摘する。

 例えば、サウジアラビアでは、選挙で議員が選ばれる国会はない。国王が議員を任命する諮問評議会はあるが、立法権は限定され、民意が十分に反映されているとは言い難い。メディアが国王を批判するのも皆無で、言論の自由は厳しく制限されている。

 アラブ諸国で民意が政治に反映されるようになると、皮肉にも民主主義を主唱する米国をはじめとする西側諸国が懸念する事態を招くかもしれない。エジプトではムバラク政権崩壊後、イスラム教勢力のムスリム同胞団が議会で多数派を占めれば、「イスラエルとの和平条約の正当性が疑問視される可能性もある」(IISSのアルシャレク氏)。米国はエジプトをイスラエルとアラブ諸国の仲介役と位置づけてきただけに、外交戦略の見直しは必至だ。

 今、西側諸国は、民主化を求める国民の側に立ち、独裁政権との関係を見直してアラブ諸国との新たな秩序形成を推進することができるか、政治的な岐路に差しかかっている。「西側、特に米国は、民主主義が大切と言いながら、非民主主義的で独裁的な国と親密な関係を築いてきた。しかし、もう二枚舌は許されない」(ハキミアン所長)。

 民主化が進み、政策決定過程で多様な意見をくみ取る必要が出てくると、混乱が生じて経済開発が停滞する可能性が高い。それは、北アフリカや中東を次代の成長地域として捉えてきた西側諸国や日本の企業にとっても、手痛い事態だ。だが、それは民主化を進めるうえで、避けて通れない代償である。
このコラムについて
時事深層

日経ビジネス “ここさえ読めば毎週のニュースの本質がわかる”―ニュース連動の解説記事。日経ビジネス編集部が、景気、業界再編の動きから最新マーケティング動向やヒット商品まで幅広くウォッチ。

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コメント
 
01. 2011年2月18日 10:57:46: nJF6kGWndY
>中国では、子供の誘拐は身代金目的よりも販売目的の方が圧倒的に多い。子供の売り先はおもに闇工場や闇売春窟、それに物乞い組織


日経ビジネス オンライントップ>アジア・国際>世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
父親の思いが3年前に誘拐された我が子を取り戻した
物乞いする子供たちの写真がブログに溢れる悲しい現実

* 2011年2月18日 金曜日
* 北村 豊

中国  誘拐  物乞い  人さらい  携帯電話  ミニブログ 

 「人攫(さら)い」という言葉をご存知だろうか。「攫(さら)う」とは「人の油断を見て奪い去る」という意味であり、「人攫い」とは「女性や子供の隙を見て連れ去ること、また、そうする人」を指す。筆者が小学生であった昭和30年代の前半(1950年代)くらいまでは、夕方になって辺りが暗くなっても遊びに夢中で家に帰らない子供たちがいると、大人は「いつまでも遊んでいると人攫いに連れて行かれるぞ」と脅して早く家に帰るよう促したものだった。誰が言い始めたのかは知らないが、これには「人攫いに連れて行かれるとサーカス団に売られて、曲芸をするために厳しい訓練を受けさせられる」という暗黙の了解があり、「人攫い」が怖い子供たちはそれを聞くと素直に家路を急いだものだった。

子供を抱えて走る黒色のジャンパーを来た男

 2008年3月25日の夜7時頃、広東省深圳市光明新区の公明街道合水社区で“電話超市(公衆電話店)”を営む、湖南省出身の“彭高峰”とその妻は、幼稚園から帰って店の前で友達と遊んでいたはずの息子が戻ってこないことに気付いた。息子の“彭文楽”は当時3歳のいたずらっ子で、時々遊びに夢中になって帰りが遅くなることはあったが、7時になっても戻ってこないのはおかしい。そこで夫婦は近所を探し回ったが、彭文楽の姿はどこにもなかった。

 もしや誘拐されたのではと不安を感じた彭高峰は、8時過ぎに警察の派出所に、「息子が戻らないが、誘拐されたのではないか」と届け出たが、警官は「ここでは誘拐なんか10年以上起こったことはない」と相手にしてくれなかった。すがれるのは警察しかないのだ、彭高峰はひざまずいて警官を伏し拝んで捜査を行うよう懇請した。これを見た警官は渋々ながらも受け入れて、捜査手配を管内の警察署および派出所に通知すると約束してくれた。

 そこで、彭高峰は警官に対し、街路の各所に設置されている監視カメラの録画映像を調べさせて欲しいと依頼した。初めのうちは拒否していた警官も最後には折れて動いてくれたが、残念ながら彭高峰の自宅兼店舗周辺の監視カメラは道路工事の関係でケーブルが切断されていて映像は録画されていなかった。警察から戻っても息子は帰らず、彭文楽の行方不明は確定的なものとなり、彭高峰夫婦は打ちひしがれたが、息子を探そうにも手掛かり1つ残されていなかった。息子の失踪から十数日後、警察が正常に作動していた監視カメラの映像の中に手掛かりを発見したことで、彭文楽が誘拐されたという事実が判明した。

 事件当日の監視カメラの映像には、彭文楽と思われる子供を抱えて走る黒色のジャンパーを来た男の姿が映っていた。子供は泣き叫びながら必死に抵抗し、一度は男の手から逃れて路上に落ちたが、すぐまた男にとらえられた。男は子供を抱え直すと、ちょうどそのそばを通りかかったバスに飛び乗ると悠然と去って行ったのだった。

『子供捜しショップ』の先駆け

 この映像の発見により彭文楽が誘拐されたことは明らかとなった。息子が行方不明となった翌日にパソコンを買い入れた彭高峰は、インターネットを通じて子供探しを開始した。3月27日には同じ深圳市の南山区で誘拐された息子を探す、彭高峰と同じ湖南省出身の孫海洋と知り合い、共同してメディアの協力を求めてゆくことを約束した。それから間もなくして、彭高峰は自分の経営する“電話超市”の店の上に“尋子店、変売家産、懸賞10万”という看板を掲げた。意味は「子供を捜す店、家産を処分して金に換え、懸賞金は10万元」となるが、これは中国における『子供捜しショップ』の先駆けとなり、その後多くの子供を誘拐された親たちが同様の看板を掲げるようになったのだった。

 彭高峰は息子の写真を載せたポスターを何万枚も印刷して深圳市内のあらゆる場所に張り出すと同時に、インターネットの掲示板に息子の写真を掲載して情報の提供を求めた。そうこうする間に“電話超市”の経営は立ち行かなくなって閉店となったが、兄に頼み込んで借金をした彭高峰は2009年6月にネットカフェを開業し、仕事の合間を縫ってネットを通じて息子捜しができるように生活方式に切り替えた。こうしてネット上には数えきれないほど多くの「彭文楽捜し」の書き込みがなされたし、友人の新聞記者のブログにも「彭文楽捜し」の記事が何度も掲載された。それらがネットで転載されることによってより広範囲に伝えられた。さらに、彭高峰は2010年9月30日にミニブログを開設して「彭文楽捜し」を強化したが、2011年2月11日時点では彼のミニブログには 2万2539人もの読者が登録していた。

 彭文楽が誘拐されてから3年が過ぎようとしていた2011年2月1日、この春節を2日後に控えたその日に、彭高峰は江蘇省鄭集中学の“王東”という高校三年生から「彭文楽を見かけたし、写真も撮った」という電話を受けた。王東はネット上で彭文楽の写真を度々見ていたが、春節休みを利用して江蘇省邳州市<注1>に住む親せきを訪ねたが、そこで彭文楽によく似た子供を見かけて驚き、彭高峰に知らせようと写真も撮ったのだという。

<注1>邳州市は徐州市の管轄下にある県級市で山東省に隣接する。

DNA検査で親子関係が確認された

 以前にも幾度となく同様の電話を受けて、期待しては裏切られた経験を持つ彭高峰はまたかという気分だったし、翌2日に送られてきた写真を見ても、「自分によく似た子供が写っているけど、加工されたインチキ写真じゃないか」といった気持だった。ところが、写真を見た専門家が加工された痕跡はないと判定した瞬間に、それは激しい動揺に変わった。彭高峰は速やかに深圳市公安局に電話を入れて状況を説明し、公安局は協力を約束して邳州へ人を派遣すると言ってくれた。

 時期が春節の民族大移動に重なったために、飛行機のチケットはすぐには取れず、彭高峰および深圳市公安局刑事分隊の朱隊長を含む深圳市警察の人員が徐州市経由で邳州に到着したのは2月6日であった。翌7日に地元警察と打ち合わせた上で、一行は彭文楽と思われる“韓龍飛”という名の子供のいる家に向かったが、“韓龍飛”は祖母の家に行っていることが判明してその日の捜査は中止となり、翌8日午後に警察が祖母の家に出向いて子供を保護すると同時に子供の養母を邳州市公安局に連行した。

 邳州市公安局の門前で子供の到着を今や遅しと待ち構えていた彭高峰は、到着した車から降りた赤い服を着た子供を見て大声を上げて泣きだした。すると、子供は警察官に「あの泣いている人は僕の父さんだ。僕は覚えている」と叫んだ。これを聞いた彭高峰は携帯電話を取り出すと深圳市にいる妻に電話をかけて「文楽が見つかったぞ」と伝えたが、それに続いて電話を受け取った子どもが「ママ」と叫んだ。その「ママ」という発音は誘拐される前に覚えた、紛れもない彭家の「湖南なまり」だった。

 2月9日夜には彭文楽のDNA検査の結果が判明し、彭高峰との親子関係が確認された。そして、2月10日夜7時、彭高峰と文楽の父子は南京発の飛行機で深圳空港に到着し、文楽は出迎えた母親との再会を果たし、彼が行方不明の間に生まれた弟とも対面して、一家4人は新たな生活に踏み出すことになった。一方、彭文楽を誘拐したのは邳州市の養母の夫である可能性が濃厚だが、養父は既に死去している模様で、貧しい生活ながら文楽を学校へ通わせて大事に育ててくれたことを考慮して、彭高峰は養母を告訴することには消極的である。ただし、養母のところには文楽の下に妹がいて、この妹も広東省から誘拐してきた可能性が浮上していることから、子供たちの誘拐に養母が無関係ということにはならないだろう。

掲載された写真は2000枚以上になった

 さて、中国では子供の誘拐事件は頻繁に発生している。彭文楽の例のような単純な子供欲しさの誘拐事件はまだましで、子供を誘拐した上で身体に損傷を与え、人々の同情を集めやすい障害者にして物乞いを強制する事例が後を絶たないのが実情である。2011年1月17日、中国社会科学院農村発展研究所教授で、社会問題研究センター主任の“于建エ”は、ある母親から「子供が誘拐されたのでネットを通じて子供を捜したところ、ネットユーザーから送られてきた写真の中に、両脚を損傷されて障害者となり街頭で物乞いをさせられている子供を見つけた。急いでその土地まで出かけて子供を捜したが見つからなかった」という趣旨の救援要請を受けた。

 この要請に応えて、1月26日に于建エは“随手拍照解救乞討児童(すぐに写真を取って物乞いする子供を救おう)”というミニブログをポータルサイト“新浪網(sina.com)”に開設し、読者に街頭で物乞いする子供を見たら即座に写真を取って当該ブログに張り付けるように要請したのである。このミニブログの反響は大きく、開設から5日間で1万人近くが読者登録を行い、ネットユーザーが撮影した224枚もの物乞いをする子供たちの写真が掲載されたのだった。さらに、開設からわずか半月の2月11日時点では、読者登録は11万人を突破し、掲載された写真も2000枚以上となった。この掲載された写真の中に誘拐された我が子を見出したと書き込みを行う親も現れ、その要請を受けた公安局から捜査する旨の書き込みがなされるまでになった。

 于建エはメディアに対して、今後は物乞いする子供たちの写真を集めたデータベースを作り、哀れな子どもたちを少しでも多く救い出したいと抱負を語っている。しかし、今では物乞いする子供たちが写真を撮られることを怖がるようになり、物乞いをさせている黒幕たちが子供たちを別の地域に移動させたり、写真を撮られても認識できないように子供たちの身体に新たな損傷を加えたりする危険性があるとも、于建エは警告を発している。

 物乞いする子供たちは誘拐された子供のほかに、貧困の故に親が子供を乞食の親方に売り渡した者や貸し出した者、親に捨てられた子供、さらには両親や親戚が子供を引率して物乞いをさせている者などがあり、物乞いする子供を一律に誘拐された子供と断定することはできない。そうした中で最も憎むべきものは、誘拐した子供の身体を故意に損傷して身障者とする非人道的な悪辣な行為であることは言うまでもない。

 2月7日付の“中国広播網(中国放送ネット)”は、長年にわたって子供を誘拐して売り飛ばしたり、売られた子供に物乞いをさせる拠点として地元で有名な安徽省阜陽市太和県宮集鎮の宮小村およびその周辺地区で、記者が実地調査を行った結果を報じて、中国社会に大きな衝撃を与えた。その調査結果を要約すると次の通りである。なお、この地域は“十年九荒(十年のうち九年は凶作)”と言われる中国でも有数な貧国地帯であることが、こうした状況を生み出した背景にある。

【1】村人によれば、この地域の乞食商売は100年の歴史があり、“香主(親方)”が“香(雇われた子供)”を使って“帯香(“香”を連れて旅に出て乞食をさせること)”が長年にわたって行われてきた。しかし、1933年頃から宮集鎮宮小村の村人が、周辺の村や近隣の県あるいは省で年端も行かない身体に障害のある子供を物色し、仕事があると親を騙して連れ出したり、金を払って借り出したりするようになった。これらの子供たちは身体に損傷を加えられた上で、親方に連れられて全国を回って物乞いをするのである<注2>。

<注2>中国メディアは“帯香”と“帯郷”の2種類の書き方をしているが、“香”も“郷”も発音はxiangで声調も一声で同じ。現地の方言を発音が近い漢字で表したものと思われる。

【2】乞食商売は、早朝に朝食が終わると、子供たちはある決まった場所に運ばれて物乞いをさせられる。親方は子供たちの働き振りを遠くから監視し、夕方あるいは夜になると彼らを収容して回り、稼いだ金を集める。子供の稼ぎが一定の金額に届かないと、その子供は夕食抜きとなるだけでなく、ひどいせっかんを受けるのが常である。

【3】子供たちは“帯香”に出発する前の半月から1カ月を親方の家で過ごして物乞いの訓練を受けるが、夜は動物と同様に檻に入れられて親方に対する絶対服従を徹底的に教え込まれる。「お恵み」を少しでも多くもらうためには同情を引くことが重要であり、子供たちは脚を首に引っ掛けることを要求されるが、ほとんどの子供はこれができない。すると、親方は子供の脚を無理やりに首まで引っ張り上げるが、子供の肉体はこの虐待に耐え切れず、最後には深刻な障害を抱えることになる。また、親方の一部には、子供の手脚、身体、顔面を刃物で傷つけたり、硫酸で焼いてケロイドを残す虐待をする悪辣な者もいる。

「10日以内に自首するよう要求する」

【4】当初は宮小村で始まった“帯香”は既に周辺の地域にも広がってますます増大する傾向にあり、一部の村では“帯香”を行う親方の数が宮小村を上回っているという。この地域の農民にとっては、“帯香”を行うことは富裕への近道という認識であり、親方には少なからぬ村の幹部までもが含まれていると言われている。

 上記の報道を受けて、太和県共産党委員会および太和県政府は100人近い警官と60人以上の鎮・村の幹部を動員して宮集鎮の宮小村およびその周辺の村落を捜索し、“帯香”に関連する犯罪2件を摘発し、障害を持つ子供に物乞いをさせた容疑で5人を捕まえた。また、2月8日付で宮小村および周辺の村落では、「“帯香”は犯罪行為であり、“香主”は10日以内に自首するよう要求する」とのポスターが至るところに張り出されている。

 “帯香”が宮小村およびその周辺だけに限定されたものとは思えないが、今回の報道を契機にして、子供に物乞いをさせる乞食商売が少しでも減少し、将来的には根絶できるようになれば喜ばしい限りである。しかし、日本では「人攫い」という言葉は既に死語となって久しいが、中国では依然として「人攫い」に類するものが存在し、多数の子供たちがその犠牲者となっている。世界第2位の経済大国という表看板とこの現状はあまりにも対照的で不均衡だが、中国が真の意味で「世界の経済大国」となるには、この先にまだ相当に長い道程があることは間違いのない事実と言わざるを得ない。

(北村豊=住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト)

(注)本コラムの内容は筆者個人の見解に基づいており、住友商事株式会社 及び 株式会社 住友商事総合研究所の見解を示すものではありません。
このコラムについて
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」

このコラムはニューヨーク、ロンドン、サンノゼ、香港、北京にある日経BP社の支局と協力しながら、米国や欧州はもちろんのこと、世界経済の成長点とも言えるブラジルやロシア、インド、中国のいわゆるBRICs、エネルギーや国際政治の鍵を握る中近東の情報を追っていきます。記者だけではなく、海外の主要都市で活躍しているエコノミスト、アナリストの方々にも「見て、聞いて、考えた」原稿を提供してもらいます。

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著者プロフィール

北村 豊(きたむら ゆたか)
北村 豊

住友商事総合研究所 中国専任シニアアナリスト
1949年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。住友商事入社後、アブダビ、ドバイ、北京、広州の駐在を経て、2004年より現職。中央大学政策文化総合研究所客員研究員。中国環境保護産業協会員、中国消防協会員


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