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岡孝氏が小沢一郎に付けたpolicy entrepreneurshipに絡めて (古村治彦の酔生夢死日記)
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/202.html
投稿者 五月晴郎 日時 2011 年 6 月 16 日 11:52:46: ulZUCBWYQe7Lk
 

@http://suinikki.exblog.jp/16471332/
Ahttp://suinikki.exblog.jp/16475499/
「古村治彦の酔生夢死日記」から
@英語で書かれた小沢一郎代議士の伝記を産経新聞の古森記者が取り上げた
A昨日の続き:岡孝氏が小沢一郎に付けたpolicy entrepreneurshipに絡めて
を下記に転載投稿します。

=転載開始=

@

小沢一郎代議士の英語で書かれた伝記が出版されたということが産経新聞に記事として掲載されました。これは、小沢氏の国際問題顧問をしている岡孝(おか・たかし)氏(日系アメリカ人)がオックスフォード大学に提出した博士論文を基にしているそうです。調べてみると、岡氏は2008年に博士号を取得しているそうです。小沢氏の伝記を書いただけで博士号が授与されるようなことはないでしょう。

ここからは予測ですが、理論的な部分を除いて、実証の部分で書いた小沢氏の個人的な歴史と政治の歴史の部分を本にしたのではないかと思います。政治学では、個人の分析をする研究をファースト・イメージと言います。今回の小沢氏についての岡氏の研究はこれに分類されます。そして中身は、典型的な日本の政治家である小沢氏が、どうして「改革者」としてこれまでの日本政治では提起されなかった政策を提案してきたのかという問題提起をし、それを心理学や社会学、国際関係論的な手法を使って分析した内容ではないかと推察します。

記事の中で古森氏は、政策企業家という言葉を使っています。これは原題では、policy entrepreneurshipとなっています。これは企業家精神とも訳せますが、恐らく、ヨーゼフ・シュンペーターの企業家精神とほぼ同義ではないかと思います。企業家精神によって革新が進められるのですが、大企業になると企業家精神が失われていく、とシュンペーターは述べています。彼の政治人生を見てみると、政界に革新をもたらしながら、いくつもの政党を壊してきたという特徴があると私は考えます。これは彼が革新を求める企業家精神の持ち主であり、政党もある程度の大きさになると大企業のようになり、小沢氏の企業家精神が発揮できなくなり、政党を壊してしまうということになるのだろうと思います。小沢氏は一兵卒でも革新的な政策に向けて動ける、企業家のような人なのです。小沢一郎という政治家を表す言葉として、このpolicy entrepreneurshipを選んだ岡氏は大変な慧眼の持ち主であると思います。

今回の本は、Nissan Institute/Routledge Japanese Studiesのシリーズです。このシリーズはイギリスやオーストラリアの学者たちが多く執筆しているシリーズで、お固い学術書ばかりです。値段もなかなか手が出ないほどに高額です。私は全く買えませんので、図書館で借りだして読んでいました。日本に関する研究であれば出版できるので、歴史、政治、文学などの本が出版されています。オックスフォード大学には、日産自動車が資金を出して設立した日本研究所Nissan
Institute of Japanese Studiesがあります。オックスフォード大学はいくつかのカレッジの集合体であり、研究所は、セント・アントニーズ・カレッジに置かれているそうです。ウェブサイトを見てみると、この研究所は、学際的地域研究学部の一部であると書かれています。ここから推察されることは、アメリカ流の政治学というよりも、イギリス伝統の外国研究、地域研究の一環として日本研究が確立されているということです。研究所のウェブサイトには、修士課程の卒業試験の試験問題が掲載されていたので、私の専門である日本政治について見てみました。なかなか刺激的な試験問題でした。

Nissan Institute of Japanese Studiesのウェブサイト
http://www.nissan.ox.ac.uk

Nissan Institute of Japanese Studiesが設置している現代日本研究修士号授与試験の過去問(日本政治)
http://www.nissan.ox.ac.uk/__data/assets/pdf_file/0003/9975/Japanese_Politics_2008.pdf

日本では総理の座に近づいた有力政治家が自伝や伝記を英語で出版するということはよくありました。しかし、いまはおそらく行われていないでしょう。インターネットの発達で、日本の政治家の情報も外国語で容易に得られる時代になりました。岡氏は今回の本の中で、小沢氏の首相就任の可能性について、言及しています。そこも重要であると考えますが、この本の肝はそこではないと私は考えます。

今回の岡氏の本の出版の肝は、小沢代議士について、policy entrepreneurshipという言葉を使ったことだと私は考えます。岡氏は長年、ジャーナリストとしてクリスチャン・サイエンス・モニター紙、ニューヨーク・タイムズ紙、タイム誌を舞台に活躍してきた人物です。ジャーナリストとして岡氏は、小沢氏に対して最高の見出しを付けたのがこの本であると私は考えています。

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

●「「失望が多く、成功は少なかった」…米英で初の小沢一郎伝記」

2011年6月14日付 MSN産経ニュース

 日系米人ジャーナリストによる初めての英語での小沢一郎民主党元代表の伝記が米英両国でこのほど出版された。同書はいまや刑事被告人にまでなった小沢氏
の政治面での複雑な動きが単なる権力欲からなのか、特定の政策推進を目指すからなのかを問い続け、政策面での動因を強調した。

 同書は「日本の政策企業家と選挙=小沢一郎政治伝記」(ラウトレッジ社)と題され、米英両国で5月に発売された。著者はクリスチャン・サイエンスモニタ
ーなど米大手紙の記者として長年、活躍した日系米人の岡孝氏で、英オックスフォード大学に出した博士論文を基礎としている。岡氏は1990年代から小沢氏
の国際問題顧問をも務め、直接の交流も深い。

 同書は小沢氏の生い立ちから政界入り、田中角栄氏との絆などを追い、小沢氏の政界での動きを「権力欲か、政策追求か」という観点から分析した。特に同氏
の著書「日本改造計画」や小選挙区制度の推進に焦点を合わせ、「集団的コンセンサス志向から個人の意思による政策の競合での選択への移行を求め、米英両国
のような政権交代が可能な二大政党制を実現することを意図した」と指摘した。

 同書は小沢氏の動きの最大要因について、権力欲とする見方をも詳述しながらも、同氏が平成3年10月に首相就任を求められても断った実例などを挙げて、
政策傾斜の見方を優先させている。小沢氏の過去20年ほどの軌跡としては「失望が多く、成功は少なかった」と述べる一方、21年8月の総選挙での民主党大
勝を小沢氏の功績に帰した。

 同書は小沢氏が検察審査会の議決で強制起訴されて、刑事被告人となった経緯を説明しながらも、なお同氏が今後の裁判で無罪を獲得し、今度こそは首相にな
るという可能性も記している。(ワシントン 古森義久)

(新聞記事転載貼り付け終わり)

Policy Entrepreneurship and Elections in Japan: A Political Biogaphy of Ozawa Ichiro (Nissan Institute/Routledge Japanese Studies),Routledge
(2011/4/21)
Takashi Oka is a journalist who received his PhD from St Anthony's College, Oxford in 2008.

Prying Open the Door: Foreign Workers in Japan (Contemporary Issues Paper, No 2),Brookings Inst Pr (1994/11)
Takashi Oka, a non-resident associate of the Carnegie Endowment, draws on forty years of experience as a foreign correspondent for The Christian
Science Monitor, Time magazine, Newsweek Japan, and The New York Times.


岡孝氏のブログ:The Oka Report
http://02dea0c.netsolhost.com/blog1/?page_id=2


“Stability in East Asia”by Takashi Oka, Foreign Affaris, 1984
http://www.foreignaffairs.com/articles/39406/takashi-oka/stability-in-asia

A

昨日、産経新聞に掲載された小沢一郎代議士の英語の伝記の記事について、私の考えを当ブログに掲載しました。

私は昨日の記事の中で、岡孝氏が小沢一郎代議士に対してpolicy entrepreneurshipという「見出し」をつけたことは大変素晴らしいと書きました。それは、この言葉こそ、英語が理解できる人であれば、「なるほど、小沢一郎という日本の政治家はそういうひとなのだ」ということが理解しやすくなると考えたからです。細かいディテールも重要でしょうが、やはり一言で決めるのは、長年ジャーナリストをしてきた岡氏ならではだなと感心しました。

それをもっと詳しく説明すべきであったと思い、補遺という意味も込めてこれについて書いていきたいと思います。policy entrepreneurshipは、「政策的企業家」と産経新聞の記事を書いた古森義久記者は訳くしていますが、私は「政策的企業家精神」の方がより良いのではないかと思います。それは、昨日も書きましたが、岡氏は恐らくヨゼフ・シュンペーターの提唱した「企業家精神」と絡めて使っているからだと私は考えるからです。

シュンペーターの提唱した企業家精神とは「資源を陳腐化した古いものから新しい生産性の高いものへと移す企業家精神こそ経済の本質」であり、そのために革新(イノベーション innovation)をもたらすということです。小沢一郎代議士のこれまでの政治行動を見ていると、まさに企業家精神の発露であったと言えましょう。

一方で、この企業家精神と対立してしまうのが、官僚制(bureaucracy)です。官僚制の研究者でもあったマックス・ウェーバーは官僚制の特徴について、集権化、公式化、没人格性が挙げられます。この官僚制の特徴は、国家機関や軍隊だけではなく、民間企業は政党にも当てはまります。どんな組織でも、規則やルールにがんじがらめに縛られ、杓子定規な行動を取るようになり、その活力を失っていく過程で、「あそこは昔は元気だったが、今は官僚的になったね」などと言われてしまうのです。(この部分は以下のサイトを参考にしました。http://www.initiaconsulting.co.jp/archives/management/1_05.html

日本の中央官僚の官僚たちはまさに、ウェーバーの提唱した官僚制の特徴をすべて備えています。そして一番の問題は効率性も活力も失っているのに、革新が全くもたらされていないということなのです。小沢氏はこの官僚制に革新(イノベーション)をもたらそうとする「企業家」でした。それに対して官僚たちが頑なな抵抗したことはもうすでに明らかになっています。

1990年代以降の日本政治は、その中心にいて官僚制に革新をもたらそうとした「企業家」小沢一郎と、アメリカの後ろ盾を得て、革新をさせまいとする官僚たちの戦いであったと言えるでしょう。今回の伝記についての記事を読み、さらにこのように考えました。

=転載終了=

(投稿者)参照;我が国の「選良/エリート」たちは、いまどき、なぜ、わざわざ各駅停車(年功序列)の鈍行に乗るのだろうか?(uedam掲示板
     http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/161.html  

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コメント
 
01. 2011年6月16日 17:43:01: yxstEvnWG6
上記ポリシー・アントンプレーナー・シップを、時代を共有する者としては小沢一郎に感じますが、戦後政治史で感じるのは、石橋湛山、田中角栄、江田三郎です。

機能が低下したシステムは「アントンプレーナー・シップ」がないと改革できません。
政治のシステムも例外でないと考えます。
私が小沢一郎を支持する大きな理由です。

石橋湛山、田中角栄はともに脳溢血で志を半ばにしましたが、小沢一郎も今68歳です。健康そうですが、残念ながら今の状況だとメイン・プレーヤーとして志を貫いていくのは無理じゃないでしょうか。


02. 2011年6月16日 18:51:11: yxstEvnWG6
>>1
表記は
Xアントンプレーナー
○アントンプレナー

すいません。


03. 2011年6月17日 10:18:36: GqSxitx6i2
脱自民党以来、幾多の艱難辛苦を乗り越えてきた政治家人生は筆舌に尽くせないものだろう。民主党政権を樹立しても反動勢力に足はすくわれたものの、絶対に土俵は割らない二枚腰だ。

小沢氏は時代の趨勢を見通す慧眼の持ち主だと思う。国内政治はもちろん国際政治の真実を知る数少ない政治家のひとりだ。

イギリスのRとアメリカのLの相克を知ると、アホ菅ではとても日本政治はおぼつかない。

隷米から脱却し、日本の自主独立を成し遂げられるのは小沢氏しかいないと考えている。


04. 2011年6月17日 13:03:31: hoX4Ed01no

菅氏の常軌を逸した動きにも、地上波テレビは後押ししている。

小沢氏もしばらくは、様子見とのこと。

なんと辛抱のいることか。

それにしても、思いつくままやりたい放題の菅がこのままで

いいのですか。ありえないこの国の現実。


05. 2011年6月17日 15:18:53: yxstEvnWG6
>この国の現実。

米国の情報関連の報告書に、恐るべく(terribly)有能と記された石橋湛山が脳溢血で倒れた後に、閣内の外務大臣で副総理級の岸信介が首相になっています。

石橋以外にも戦後脳溢血で倒れた首相経験者は、鳩山一郎、田中角栄、大平正芳、小渕恵三。大平以外は党人派ですが、大平は田中角栄と日中国交正常化をしています。鳩山一郎は日ソ国交正常化ですか。小渕恵三は二千円札と地域振興券の発行をしました。

=引用開始= (引用元:ウィキペディア 石橋湛山)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1

 ジャーナリスト時代

早稲田大学を卒業して、更に一年間研究科で勉強する。1908年(明治41年)12月に、 島村抱月の紹介で毎日新聞社(旧横浜毎日新聞や旧東京横浜毎日新聞で、当時は東京毎日新聞を出している。現在の毎日新聞社とは無関係)に入社する。

兵役を経て東洋経済新報社に入社する。大正デモクラシーにおけるオピニオンリーダーの一人として、いち早く「民主主義」を提唱する。また三・一独立運動をはじめとする朝鮮における独立運動に理解を示したり、帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張する等(小日本主義)、リベラルな言論人として知られる。1924年(大正13年)12月に第五代主幹となり、翌年1月には代表取締役専務(社長制となるのは、1941年以降)に就任する。また同年から1936年(昭和11年)まで鎌倉町議会議員を務める。

部下の高橋亀吉と共に経済論壇の一翼を担い、金解禁に当たっては1円=金2分(1/5匁・0.75g。旧平価)での金本位制復帰に反対して、実体経済に合わせて通貨価値を落とした上での復帰(新平価金海禁)を勝田貞次らと共に主張し、旧平価での復帰や財界整理を主張する池田成彬や堀江帰一、大蔵大臣として金解禁を旧平価で行う井上準之助と論争している。行政面では、中央集権・画一主義・官僚主義との訣別を主張する。

日中戦争勃発から敗戦に至るまで『東洋経済新報』誌上にて長期戦化を戒める論陣を張っている。同誌は署名記事を書く事が困難だった多くのリベラリスト(清沢洌等)にも匿名での論説の場を提供する。石橋や匿名執筆者の論調は常に冷静な分析に基づいておりかつ婉曲・隠微に読者を啓蒙する特徴を持っていた為に、同誌は政府・内務省から常に監視対象にされてインクや紙の配給を大きく制限されたが廃刊は免れる。

太平洋戦争では、次男和彦が召集され戦死している。

日本敗戦直後の1945年(昭和20年)8月25日には、論説「更正日本の進路〜前途は実に洋々たり」で科学立国で再建を目指せば日本の将来は明るいとする先見的な見解を述べている。10月13日『東洋経済新報社論』で、「靖国神社廃止の議」を論じて靖国神社の廃止を主張している[6]。

政界へ

戦後すぐに日本社会党からも総選挙出馬を誘われたが断り、1946年(昭和21年)に日本自由党から総選挙に出馬して落選するものの、第1次吉田内閣の大蔵大臣として入閣する。

大蔵大臣在任時にはデフレーションを制える為のインフレーションを進めて、傾斜生産(石炭増産の特殊促進)や復興金融公庫の活用を特徴とする「石橋財政」を推進する。

しかし戦時補償債務打ち切り問題、石炭増産問題、進駐軍経費問題等でGHQと対立する。進駐軍経費は賠償費として日本が負担しており、ゴルフ場や邸宅建設、贅沢品等の経費も含んでいて日本の国家予算の3分の1を占めている。このあまりの巨額の負担を下げる様に、石橋は要求する。アメリカ合衆国は諸外国の評判を気にしたことと以後の統治をスムーズに進行させることを考慮して、日本の負担額を2割削減することとなった。戦勝国アメリカに勇気ある要求をした石橋は国民から“心臓大臣”と呼ばれるもアメリカに嫌われ、1947年(昭和22年)に第23回衆議院議員総選挙で静岡2区(中選挙区)から当選したが、公職追放令によりGHQによって公職追放された。この公職追放は吉田茂が関わっていると云われた。1951年(昭和26年)の追放解除後は、吉田の政敵であった自由党・鳩山派の幹部として打倒吉田に動いた。

1954年(昭和29年)の第1次鳩山内閣で通商産業大臣に就任した。石橋は中華人民共和国、ソビエト連邦との国交回復などを主張したが、アメリカの猛反発を受ける。アメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官は「中共(中華人民共和国)、ソ連との通商関係促進はアメリカ政府の対日援助計画に支障をきたす」と通告してきた。このアメリカの強硬姿勢に動揺した鳩山一郎首相に対し、石橋は「アメリカの意向は無視しましょう」と言った。1955年(昭和30年)11月、日中輸出入組合の結成を支援し中国との貿易が軌道に乗るようになる。

同年11月15日の保守合同により、鳩山の日本民主党と吉田から継承した緒方竹虎の自由党が合同し自由民主党が結成され、石橋も合流入党した。

総理総裁

内閣総理大臣に就任した頃
外務大臣岸信介(最前列左)、大蔵大臣池田勇人(最前列右)ら石橋内閣の閣僚と石橋(最前列中央)詳細は「石橋内閣」を参照

1956年(昭和31年)10月19日に日本とソビエト連邦が日ソ共同宣言により国交正常化するも、同年12月、鳩山首相が引退。これを受けてアメリカ追従を主張する岸信介が自民党総裁選に立候補、これに対し石橋は社会主義圏とも国交正常化することを主張、鳩山派の一部を石橋派として率いて立候補した。総裁選の当初は岸優位であったが、石井光次郎と2位・3位連合を組んだ。1回目の投票では岸が1位であったが、決選投票では石橋派参謀の石田博英の功績もあって岸に7票差で競り勝って総裁に当選、12月23日に内閣総理大臣に指名された。しかしながら前述のような総裁選であったため岸支持派とのしこりが残り、更に石橋支持派内部においても閣僚や党役員ポストの空手形乱発が行われ足並みが乱れ、組閣が難航したため、石橋自身が一時的にほぼ全ての閣僚の臨時代理・事務取扱を兼務して発足している(一人内閣)。親中派でもある石橋政権の樹立によって日本を反共の砦としたいために岸を望んでいたアメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは狼狽したという。岸派より主張された「党内融和の為に決選投票で対立した岸を石橋内閣の副総理として処遇すべき」との意見が強かったため、石橋内閣成立の立役者だった石井の副総理が無くなり、副総理格は岸が就任した。

内閣発足直後に石橋は全国10ヵ所を9日間でまわるという遊説行脚を敢行、自らの信念を語るとともに有権者の意見を積極的に聞いてまわった。しかし帰京した直後に自宅の風呂場で倒れる。軽い脳梗塞だったが、報道には「遊説中にひいた風邪をこじらせて肺炎を起こした上に、脳梗塞の兆候もある」と発表した。副総理格の外相として閣内に迎えられていた岸信介がただちに総理臨時代理となったが、2ヵ月の絶対安静が必要との医師の診断を受けると、石橋は「私の政治的良心に従う」と潔く退陣した。1957年(昭和32年)度予算審議という重大案件の中で行政府最高責任者である首相が病気療養を理由に自ら国会に出席[7]して答弁できない状況の中での辞任表明には、野党でさえも好意的であり[8]、岸の代読による石橋の退陣表明を聞いた日本社会党の浅沼稲次郎書記長は石橋の潔さに感銘を受け、「政治家はかくありたいもの」と述べたと言う。石橋の首相在任期間は65日で、東久邇宮稔彦王・羽田孜に次ぐ歴代で3番目の短さである。日本国憲法下において、国会で一度も演説[9]や答弁をしないまま退任した唯一の首相となった。後任の首相には岸が任命された。

石橋はかつて『東洋経済新報』で、暴漢に狙撃されて帝国議会への出席ができなくなった当時の濱口雄幸首相に対して退陣を勧告する社説を書いたことがあった。もし国会に出ることができない自分が首相を続投すれば、当時の社説を読んだ読者を欺く事態になると考えたのである。

退陣後

幸い脳梗塞の症状は軽く、若干の後遺症は残ったものの石橋はまもなく政治活動を再開するまでに回復した。

1959年(昭和34年)9月、岸より「同盟国アメリカの意思に反する行為であるため日本政府とは一切関係ないものとする」と言われながらも中華人民共和国を訪問した。政府の一員ではない石橋は訪問してから数日はなかなか首脳と会える目処はつかなかったが、交渉に苦労の末、同月17日周恩来首相との会談を実現させた。冷戦構造を打ち破り、日本がその掛け橋となる日中米ソ平和同盟を主張。この主張はまだ国連の代表権を持たない共産党政権にとって国際社会への足がかりになるものとして魅力的であり、周はこの提案に同意。周は台湾(中華民国)に武力行使をしないと石橋に約束。「日本と中国は両国民が手を携えて極東と世界の平和に貢献すべきである」との石橋・周共同声明を発表した。1960年(昭和35年)、大陸中国との貿易が再開した。この声明が後に日中共同声明に繋がったともいわれる。

その後も少数派閥ながら石橋派の領袖として影響力を持ち、岸が主導した日米安保条約改定には批判的な態度をとるなど自民党内ハト派の重鎮として活躍したが1963年の総選挙で落選し、そのまま政界を引退した。
=引用終了=


06. 2011年6月17日 15:29:25: yxstEvnWG6
=引用開始=

元来官僚が国民を指導するというが如きは、革命時代の一時的変態に過ぎない。国民一般が一人前に発達したる後おいては、政治は必然に国民によって行われるべきであり、役人は国民の公僕に帰るべきである。政治が国民自らの手に帰するとは、一は最もよくその要求を達成しうる政治を行い、一は最もよくその政治を監督しうる意味にほかならない。このため、政治はできるだけ地方分権でなくてはならぬ。できるだけその地方地方の要求に応じえるものでなくてはならぬ。現に活社会に敏腕をふるいつつある最も優秀の人材を自由に行政の中心に立たしめえる制度でなくてはならぬ。ここに勢い、これまでの官僚的政治につきものの中央集権、画一主義、官僚万能主義(特に文官任用令)というが如き制度は根本的改革の必要にせまらざれるを得ない。今や我が国はあらゆる方面に行き詰まってきた。しかしてこの局面を打開して、、再び我が国運の進展を図るためには、吾輩がこれまで繰り返しいえる如く、いわゆる第二維新を必要とする。第二維新の第一歩は、政治の中央集権、画一主義、官僚主義を破壊して、徹底せる分権主義を採用することである。この主義の下に行政の一大改革を行うことである。

– 大正十三年(1924年)『東洋経済』社説

=引用終了=
(引用元:ウィキペディア 石橋湛山)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1


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