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科学的社会主義・日本共産党批判――マルクス主義の反人間(労働者)的・抑圧的本質を批判する。
http://www.asyura2.com/11/senkyo122/msg/281.html
投稿者 Y. Kakasi 日時 2011 年 11 月 13 日 11:54:38: BW32mpuE76J86
 

 共産党の「赤旗」が阿修羅に頻出するのは、いかにも時代錯誤なことです。共産党のホームページでは、今でも不破哲三さんが社会科学研究所所長として「綱領・古典の連続教室」を主催しています。そこではマルクスの剰余価値説を論じていますが、全く説得力がありません。
   http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/#fragment-2

 そこでKakasi流のマルクス批判を紹介しておきます。詳しくは「人間存在研究所」HPの「マルクス主義批判」を参照してください。なお批判のポイントは「等価交換」の正当性ですが、アカデミックな議論でも説得力のある説明はなされていません。異論・反論がいただけたらありがたいです。
   http://www.eonet.ne.jp/~human-being/page9.html

■ 科学的社会主義は、私有財産制度にもとづく資本主義的営利活動を、非人格的・抽象的な「資本の運動」の支配によるととらえます。だから、私有財産である資本(生産手段:土地、原材料、労働手段等)を所有する資本家階級を倒せば、私有制度も消滅するときめつけます。
 しかし私有制度は、自己を守り他者を支配しようとする人間の、利己的権力的欲望のために形成され、国家制度として発達したものです。つまり人間の本性から生じているから、階級闘争という自然史的過程として消滅するような単純なものではありません。国家制度は、生活手段や生産手段が有限でありかつ競争的な自然や社会発展の中で、自己と家族や仲間の生存を守るために、物理的精神的強者が、武力と言葉と呪術と神による威嚇によって、所有の独占と支配を行うために創出したものなのです。 
 日本共産党が描く社会主義像では、「生産手段の社会化」によって「搾取の自由」の制限・廃止を目指そうとします。しかしマルクスの主著『資本論』における、「等価交換」による「搾取の自由」理論では、搾取の廃止は不可能です。マルクス主義では、資本家を排除することはできても、<商品交換が等価であると前提される限り>、共産党員階級による新たな搾取が行われ、労働者の社会的自覚による社会主義、すなわち自立した主権者による民主的な社会の成立はあり得ません。
 なぜなら、『資本論』によれば労働者の低賃金(劣悪な労働条件)は、人間的な欲望と生活水準を満たさないにもかかわらず、等価交換の結果として正当とされているからです。社会主義のための「生産手段の社会化」は、労働者階級に還元されるのではなく、党員階級が生産手段を管理することになるだけなのです。共産党独裁国家がそれをよく示しています。
 マルクス主義のような理論的欠陥のある反人間的・抑圧的思想によって、統一戦線とか民主連合政府のような連帯行動をしても、民主主義の進展や社会の進歩はあり得ません。マルクス主義は、利害の一致によって生活向上や平和のために共同して階級解放闘争を行えるという側面もありますが、<人間を労働や生産に矮小化する>ことによって支配抑圧するという否定的側面をもちます。またマルクス主義では、労働や生産力の発展を重視しても、人間の欲望や精神文化の意義を正しく捉える思想を持たないため、未来の文明を左右する資源エネルギー問題や地球環境問題等の成長の限界に抑制的に対応することはできません。
 いずれにせよ、マルクス主義は、西洋思想の限界と19世紀資本主義発展の時代の産物であり、グローバル時代の諸課題を解決できる思想としては時代錯誤であるばかりでなく、強欲資本主義と独裁社会主義の変革にとっても障害となるものです。人間解放に反する理論に未来を託すことはできません。それでも希望を語ろうとするなら、人々に欺瞞と不信を拡大するものとなるでしょう。

※『資本論』におけるマルクスの誤りは、産業利潤(剰余価値)は、労働力商品が等価交換によって交換過程でなく生産過程から得られるから、経済科学上では隠されている(搾取の隠蔽性)と考えることです。つまり労働者の低賃金は、必要労働価値分(生活再生産分)であり「正当」であるとします。すると、低賃金でも必要労働分だから、マルクス的社会主義社会においても、低賃金は論理的に正当ということになり、剰余労働分(利潤)は労働者に分配する必要はなくなります。
 等価交換による労働者(人間)の低賃金は、抑圧された労働者の必要労働であるかもしれませんが、決して「人間としての再生産」を保障するものではありません。労働者の低賃金は、抑圧された人間に対する不当で不等価な「必要労働」なのです。経済学で一般的な商品交換の等価性は、西洋思想に見られる偏見の典型例の一つにすぎません。
 マルクス主義的社会主義によって社会化された生産手段と利潤は、共産党の一党独裁の下で計画的に管理され、労働者は搾取され続け、自由で民主的な主権者とはなれないでしょう。マルクス主義の下では、「労働」は抑圧的概念であり、自らを止揚して自由な人間になることはできません。
 それでは、事実として産業利潤はどうして資本家のもとに蓄積されるのかと言えば、等価交換から生産過程において得られるのではなく、交換過程の不等価交換から得られるのです。つまり産業資本家は、生産手段と労働力をできるだけ安く買い、それらを技術革新と搾取によってできるだけ安く大量に作り、できるだけ高く販売するのです。利潤の基本は不等価交換(安く買い高く売る)と技術革新(安く作る)です。その具体的典型例が、搾取と独占価格、機械と自動制御の駆使なのです。

 

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コメント
 
01. 天橋立の愚痴人間 2011年11月13日 12:42:39: l4kCIkFZHQm9g : M1dRyg1AKE
投稿者さんは、マルクスが経済論(資本論)で言ってる労働と貨幣(富)の関係が、人間本来が持っている感情(利己心)との関係で良く抱合出来てない面から批判をされています。

私も、その面には同意します。
しかしながら、話が進んで(200年先)人間が好む、好まざるに関係なく、いずれ殆どの商品が国家ないし少数の機関で計画的に生産されるような事態も考えられます。

確かに、そのような状況になれば、マルクスの意見は今よりも適ってくると思いますが、問題は、そのようになることこそが、人類は避けなければならないことと思います。

経済は確かに人間が生きる上での重要な要素ではありますが、人生と言うもの、人間が生きると言うことは、それだけでは決して充足できるものではありません。

マルクスまでの哲学や宗教が、人間性のそれに対応してきました。
マルクスも、もちろん哲学的な意味での人間性の把握もしたようですが(名前は忘れてしまいましたが当時の哲学者との手紙のやりとりもあったようです)、この面(人間性の探求)のことが、余りにもあっさりと切り捨てられて登場したのが資本論と思っています。

資本論を書こうと思えば、未来社会のことを言ったように、確かにこの面を切り捨てる必要があったのでしょう。
その瑕疵が、貴方の言われる

>マルクス主義のような理論的欠陥のある反人間的・抑圧的思想によって・・・

と言うように認識されていると思います。
そうして、結局は実験的共産主義国家の破綻を生んだのでしょう。

マルクス研究家の多くは、これには触れることなく、マルクスが指摘した資本主義の欠点に納得し価値を認めていますが、これは共産主義の評価ではないのです。

また資本論の技術的解釈に没頭し、解説に勤しんでますが、これも解説だけで、その運用面の効果には、批判的に見ることをしていません。

私は、マルクスが切り捨てた領域を重要視する故に、マスクスを評価出来ないのです。


02. Y. Kakasi 2011年11月13日 14:34:08: BW32mpuE76J86 : fXOQhCwWGs
○早速のご指摘ありがとうございます。
私の考えは、HP「人間存在研究」の立場に共感するものであり、マルクス批判はその一部です。従ってまず

>この面(人間性の探求)のことが、余りにもあっさりと切り捨てられて登場したのが資本論と思っています。
という点については、マルクスの時代的制約もありやむを得なかったと思います。私の考えについては、
   http://www.eonet.ne.jp/~human-being/
を参照していただければ、「人間性の探究」が中心になっていることをご理解いただけると思います。なおそこでは斬新な「生命言語説」がベースになって理論が展開されています。
 私が問題に思うのは、マルクス主義が正しく批判されておらず、いまだに社会的発言権を持っていることです。もちろん思想信条、表現の自由は大切なのですが、労働者の搾取(低賃金・劣悪な労働条件)の根拠に「等価交換」があるなど学者の発想であって、常識的には考えられないのです。

>話が進んで(200年先)人間が好む、好まざるに関係なく、いずれ殆どの商品が国家ないし少数の機関で計画的に生産されるような事態も考えられます。 
という点については、想像の限界を超えますが、世界連邦政府の思想(憲法)がどのようなものになるかによって異なると思います。おそらく人間中心・功利主義・個人主義・基本的人権の思想がさらに深化され、生命存在の在り方が問われて、道徳的社会的自覚が高度に求められることになるでしょう。

>私は、マルクスが切り捨てた領域を重要視する故に、マスクスを評価出来ないのです。
という点については同意できます。私はさらにマルクス理論の誤りが、西洋思想の限界を背景にしているという考えに共感したいのです。

ご意見ありがとうございました。


03. 一隅より 2011年11月13日 18:00:54: PnbUj1IYwR18o : ErQdBkXZLA
思想は、>「人間の欲望や精神文化の意義を正しく捉える」ものでなくてはなりません。

しかし、「人間の本性」は、つねに、>「自己を守り他者を支配しようとする」、「利己的権力的」なものでしょうか。
それは時代により、社会のありかたにより、違ってくるのではないでしょうか。

たとえば、「自己を守る」と言いますが、この「守るべきもの」は、時代により社会により、違っていなかったでしょうか。

今はそれは、自分個人であり、あるいは家族でしょう。
でも、たとえば原始部族社会では、あるいは古代奴隷制社会では、そこのところはどうだったのでしょう。

たとえば、古代インカで太陽神に生けにえにささげられる者(=子供?)にとって、「自分」とは何だったのでしょう。
あるいは古代中国や日本で、支配者の埋葬とともに埋められた者たちの気持ちは(後に廃止され、兵馬俑や埴輪になった。)。

こんなふうに考えれば、人間にとって、「自分」や「他者」、あるいは両者の関係のありかたについての意識のもちようというものも、時代により社会により変わりうるものです。
つまり、時代を変え社会を変えていけば、新しい人間のありかた/人間の関係のありかた、それについての意識というものも生まれ、あらわれてくるのではないでしょうか。

それはまだ見えない姿のものかも知れません。
しかし少なくとも、人間は・つ・ね・に・利己的なもの、人間は人間にとって(永遠に)オオカミ、と前提してかかる必要はない。

私は、以上が、マルクス主義の大前提と考えます。
だから、「人間というもの(の本性)は・・・なのだから、マルクス主義は間違っている/間違っていた」という考えかたは、少し違うのではないかと思います。


04. Y. Kakasi 2011年11月13日 19:56:55: BW32mpuE76J86 : fXOQhCwWGs
ご意見ありがとうございます。
>「人間の本性」は、つねに、「自己を守り他者を支配しようとする」、「利己的権力的」なものでしょうか。それは時代により、社会のありかたにより、違ってくるのではないでしょうか。

というのはおっしゃるとおりです。私が言いたいのは、私有や階級の制度、資本主義の発展を支えているのが利己的本性である、ということです。
「生命言語説」では人間の本性を、生物学的な「個体と種の維持・存続」から出発して理論を組み立てています。個体維持は利己的本性であり、種族の維持は家族や仲間と共に生きようとする本性です。誤解を与える文章になったのは、マルクス主義の欠陥を強調したいためでした。次の項などを読んでいただければ、ご理解いただけると思います。
  http://www.eonet.ne.jp/~human-being/keiji1.html#27
http://www.eonet.ne.jp/~human-being/page3.html


05. 2012年11月27日 18:05:33 : wXPShKYgaw

 (その2)につづきます。kakasi
 ⇒ http://www.asyura2.com/11/senkyo122/msg/328.html

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