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自然権と法律、どちらを優先させるべきか?
http://www.asyura2.com/11/senkyo124/msg/161.html
投稿者 グッキー 日時 2011 年 12 月 26 日 18:36:50: Cbr3d6O9vj7Mc
 

自然権と法律、どちらを優先させるべきか?

ーーーーーー
自然権ウイキぺディァより
自然権(しぜんけん、ius naturale/jus naturale)とは、人間が、社会の仕組みにたよることなく、自然状態の段階より生まれながらに持つ不可譲の権利。人権はその代表的なものとされている。今日の通説では人類の普遍的価値である人間の自由と平等を中心とする基本的人権及びそれを基調とした現代政治理論においてもっとも基本的な概念・原理であるとされている。ただし、その由来については神が個々の人間に付与したとする考えと人間の本性に由来する考えが存在する。
ーーーーーー

自然権の中に自己保存の権利と言うものが有る。当然ですね、動物にしろ人間にしろ、死ねと言われて、はいそうですかと死ぬ動物はいない。

イノシシは生きていくために畑を荒らす、自然権の行使です。人間は畑を荒らされたら生きていけないのでイノシシと戦う、これも自然権の行使です。
自然権同士が衝突する、そこには善悪も法律も有りません。

では人間は生活できなければ泥棒をしても良いか?
自然権と法律の対立です。私は当然のごとく自然権を優先する。
日本の憲法にも書いてあります
ーーーーーーー
ウイキペディァより引用
憲法への採用 [編集]
フランス人権宣言

18世紀以降、自然権の観念は各国の憲法で採用された。最も早く採用したのはアメリカとフランスで、まず1776年にアメリカで採択されたバージニア権利章典は、第1条において「全ての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、ある先天的な権利を持っている」と規定した。続いて1789年にフランスで採択されたフランス人権宣言は、第1条において「人は、自由かつ権利に置いて平等なものとして出生し、存在する」と規定した。なお、日本国憲法も自然権思想に立脚し、人権を「侵すことのできない永久の権利」(第11条・97条)として規定している。
ーーーーーー

人権には当然、自己保存の権利も含まれます。
ではギリシャやアメリカ、スペインで起きている、住宅占拠運動、税金不払い運動、高速料金不払い運動、これらは自然権の行使なのでしょうか?
私が認定することは出来ませんが、自然権の行使なら法律に優先させるべきことです。

問題は自然権を行使しなければ成らない状態に、社会や政治が放置することです。
人間が自然権を行使しなければ成らない時代とは騒乱の時代です。
これから騒乱の時代に入って行くのでしょうか。
造反有理の時代に成るのでしょうか。

日本でも世界でも、新自由主義という弱肉強食を当然とする政治が行われた。その結果が貧困の拡大です。
そしてその報いとも言うべき原発事故が起き、これから何百万人もが放射能健康被害に合うかもしれない。
それなのに政府はTPP、増税という、さらに酷い政策を進めようとする。
これでは人間が自然権を行使しなければ成らない時代に当然のごとく成ってしまいます。  

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コメント
 
01. 2011年12月26日 21:43:59 : 0EopofEgjc
ムズイっすよw
ほかのBBSでなんだけど「論客コミュニティ」なんかにスレ立てれば、答えいっぱい返ってくるかも・・・

02. グッキー 2011年12月26日 22:54:55 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>0EopofEgjcさん
こんばんは

なるほどね。
阿修羅では根本的な問題には興味が集まらない。
誰がどうしたなどということに興味が集まる。

だいたい小沢関連の話題が半分くらいある。
どうしてみんな小沢に期待するんだろうね???
ほとんど私には七不思議

小沢は最後の仕事とか言ってたけど、それは原発事故解決。
でも方法を知ってなさそう。
経済はすごい音痴そう。

管および現在は、現場と専門家の間に、政治家、官僚が挟まるという事故対策システムは最悪。とんでもない話ばかり出てくる。

佐賀大学の元学長が管に事故対策を上申したなんて言ってたけど、何で管に上申しなければならないのか。現場と色々な専門家が協議し、対策を考えた後、上申するものでしょう。
あっちこっちの専門家の意見を政治家、官僚がつまみ食いして、現場にああだこうだと言っていたのでは話に成らない。
縄張り意識が強くて、自分が中心に居ないと気がすまない人が多いんだろうね。

現場と専門家が会議を開いて対策を考える。政治家がそれに最終決断をして責任を取る。決まった対策に全面的バックアップをする。
こういう方法を取らなければ成らないのだけど理解していなさそう。
放射能健康被害対策には何も触れていない。
ほとんどそこらのおっちゃんが言ってることと変わりがない。
なのに支持者が多いとは七不思議。


03. 2011年12月26日 23:06:13 : 0EopofEgjc
>>02グッキーさん

阿修羅のいいところは、議論に加わり易いとこじゃないすか?
その点このスレのタイトル「自然権と法律、どちらを優先させるべきか?」なんてまさに「論コミ」にうってつけだと思うんだけど・・・

http://www.yamcha.jp/fnd/dsc/index.html


04. 2011年12月27日 00:18:48 : cmiP3p59TI
自然権と法律この二択の問題の立て方が変だと思います。
人権は近代以降の概念。
古代ローマ時代に厳密な法律が要請されたという点で法のほうがずっと歴史が 古いし、よく混同される民主主義にしても、古代ギリシアが初ですが、それは奴隷制度の上の民主主義で、今の均一な選挙権が普及したのは現代でしょう。
つまり古代や中世には人権がなかったし、自然権もなかった。
決まりはなくとも共同体内の相互扶助はあったでしょうけどね。

05. 2011年12月27日 01:19:27 : EVskgte9f6
一つの議論の取り掛かり(きっかけ)として。

自然権とは何なのか。

自然権が成立した背景には虐げられた労働者階級の声があるわけで、その声が認められるに至るには労働者が多数派として決起することが必要不可欠だったのではないか。とすると、自然権という概念は、時代の権力層の常識や慣習によって変わっていく。つまり「自然に発生する権利」という定義を持ちはしても、その内容はどんどん変わっていく。

となると自然権もまた、法律と非常に近い性質を持つのではないか。
二者の違いは、自然権は権力層の社会規範・習慣から発生するが故に、常に立法に先立つという一点に限られるのではないか。

そういう意味(=法律の先取りという意味)で、自然権は法律に優先されるべきと思いますが、時代と共に移り変わる社会規範が絶対的な基軸となりうるかどうかは色々意見があるだろうと思います。


06. 2011年12月27日 01:41:14 : cmiP3p59TI
>>05
認識の問題です。自明のものと受け入れるか、疑うか。
疑うにはそう認識させる情報が必要です。
つまり言語の問題です。虹の色は日本では7色ですが、アメリカで6色
ドイツで5色と同じものを見ても「分け方」が違うから数え方も違うんです。またフランスには肩こりがありません。これは生物学的、医学的問題でもなく認識させる
コトバの問題です。つまりデフォルトになってるフレームは母国語です。言語は時間とともに変化しますから当然動的に伸縮します。法律が改正を要請されるのは固定もされたコトバだと流動する社会にそぐわなくなるから。コトバを書き換え修正をして対処する。
自然権など革命につながる主張は、あるていどコトバの扇動を必要とします。病苦や空腹は認識できても、それを不正や抑圧に拠るものであると認識はできないわけです。

07. 2011年12月27日 03:40:21 : OIxNYWfJog
自然権には色々な考え方が有るみたいですね。
そして自然権への批判も有る。

私は自然権を生物、動物、人間が固有に持つ権利と認識します。法律がどう決めようが、社会がどうであろうが関係有りません。

生物、動物、人間には自己保存の権利がある。これは生存していれば良いということではなく、人間で言えば、健康で文化的な最低限の生活と自由、これが自然権だと考えます。

自然権と自然権が衝突すれば争いになる。政治や社会は自然権が衝突しないようにする義務があります。でなければ社会は崩壊へと向かいます。

もちろん仕事をする義務もあります。でなければ他者の自然権を犯すことにつながります。他者の自然権を犯す自由は有りません。

何らかの理由で仕事の出来ない人にも自然権は有ります。その自然権は他者の自然権が犯されない限り当然の権利です。
もしそういう人の自然権を力により封じれば、自分も力により自然権を封じられる恐れがあるということです。
力により自然権を封じることがゆるされるなら社会は崩壊へと向かいます。

もし病人の力の弱い乞食が、腹をすかせ私の食べ物を奪えば、それが自分の自然権を犯すようなもので無い限り、許容できることだと考えます。

このスレッドで言いたいことは、世界で起きているオキュパイ運動に付随する、住宅占拠運動などが、自然権の行使ならば、それは法律に優先されるべきことだということです。
つまり
造反有理
デモ有理
デモに理が有るということです。


08. 2011年12月27日 03:54:56 : cmiP3p59TI
>>07
反対はしませんが、主張されているのは全部 
「近代以降の価値」からのものです。
子供の権利やフェミニズムは近代以降の主張で、
動物愛護や環境保護運動は現代の課題です。
それ以前の時代はないがしろにされていました。
つまり生得的、本来的に備わっているという自然権に大きな疑問が向けられます。
古代から中世、近世の人は、なぜそれに気つかなかったのかということです。
権利は<認識>に先行しません。まず認識されてから権利主張という順です。
繰り返しなりますがそれは言語のフレーム問題です。
では近代の価値を打ち立てたフランス革命や南北戦争をどうとるかですね。
それ以降は現代に連続していますが、この二つの事件をどう解釈するか
ハンナアーレントは前者を糾弾し、後者を肯定します。
ここに自然権の解釈分岐が見て取れます。

09. グッキー 2011年12月27日 13:22:46 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>つまり古代や中世には人権がなかったし、自然権もなかった。
>自然権とは何なのか。

自然権とは何なのか、まだはっきりしていませんね。

私はそれを生物、動物、人間の持っている本来の権利だと考えます。
動物が餌を取る、危険から防御する、これらを自然権の原型と考えます。

自然権と自然権が衝突すれば争いに成ります。人間は社会を構成する以上、自然権が衝突しない状態を造らなければ成りません。

自由も自然権の一部です。人間が自由を必要と認識した時点で、人間の生存、生活に必要なものと価値観が転換し、生存権の一部に成ったものと考えます。

さて、住宅占拠運動などは、他者を追い出して占拠するのであれば、自然権と自然権の衝突です。
空き家を占拠するのであれば、自然権と財産権(法律に保護された)の衝突です。

自然権と財産権が衝突するのであれば、どちらを優先すべきことかということです。
もちろん自然権と自然権、自然権と財産権が衝突するような社会を造ることがいけないのですが。


10. グッキー 2011年12月27日 13:28:01 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>0EopofEgjcさん

>阿修羅のいいところは、議論に加わり易いとこじゃないすか?
その点このスレのタイトル「自然権と法律、どちらを優先させるべきか?」なんてまさに「論コミ」にうってつけだと思うんだけど・・・

興味のある分野が色々あるので、そのうち行ってみようかと思いますが、
今は火事なので(経済危機、原発事故)他の分野に関心が向かないのですよ。


11. my.test.done 2011年12月27日 16:41:36 : nh3G/e53Vu8.Q : FFIErVvouc
非常に同意できました。

12. 2011年12月27日 19:11:48 : qbXY8x5t1Q
>>09
>自然権とは何なのか、まだはっきりしていませんね。

だからあらゆる「〜権」は認識に先行しませんって。
常識や習慣(思い込み)から一旦離れ、もう少し深く考えてください。

自由のことも社会の衝突のことも権利のことも
二千数百年前、古代ギリシアの時点で十分議論されています。
途上でソクラテスの悲劇が起こり、
切磋琢磨の結果「ローマ法」として法律がまとまっています。
近代後、科学が勃興する代わりに神の不在が疑われ、
価値観が浮遊するようになり、古代、中世、近世まで
一旦定立した概念がわかりにくくなっています。
労働者の権利うんぬんも産業革命後の現象。信じられないかもしれませんが庶民
にとって近代以前は「私」という概念そのものがなかったんです。や
繰り返しますが、病苦や空腹は感覚として知覚できたが、善悪の判断は
神や教会や皇帝の定めた絶対価値で疑う余地はありませんでした。
今日は情報技術で価値観が揺らいでますが基本は古代と同じ。
権利以前にまず認識です。認識を形成するのはコトバです。


13. グッキー 2011年12月27日 19:43:33 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>12

>だからあらゆる「〜権」は認識に先行しませんって。

言葉が無ければ認識が無い
認識が無ければ権利がない。

では動物や生物には権利が無いのでしょうか?
自然権とは人間だけが持つものでしょうか?


14. 2011年12月27日 19:59:49 : XLmqvmRHGU
>>13
それも書きましたが、動物権は近現代の現象です。
自然の自己保存、自己増殖する欲求は生物学からみるともちろんあります。
しかし権利という概念そのものが人間の言語のフレームを通じた後に
立てられた<人間固有>のものです。
権利というコトバを使う以上そこに何も見えてきません。

それが良い悪いは抜きにして、アラブの春は、知ること、認識することで
初めて不満が噴出しました。それまでは独裁に対して何も疑っていません。
認識後にはじめて権利を申し立てることができます。それが正統性をもつもかどうかは別問題、アーレントの著書にはフランス革命もロシア革命も誤った蛮行であると書かれていますが、南北戦争は真の人間開放であったと評価をくだしています。
フランス革命は当のフランス人も論理的に肯定するのが困難であることを
多くの知識人は気付いています。

阿修羅は2chに比べてかつてはまともな議論ができる場でしたが最近は
信者の集いに落ちぶれています。それに気付いた人が示していくしかありません。
信者は教条や信仰の外が見えないのですから。小沢氏が言ってもいないことを自分の都合で平気で付け加えたりします。異様としかいいようがない。


15. グッキー 2011年12月27日 22:29:11 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>14

>しかし権利という概念そのものが人間の言語のフレームを通じた後に
立てられた<人間固有>のものです。

権利という概念は、人間が作り認識しているものです。
しかし人間が認識する前に、権利というものは有ったとも言えます。

我、認識する故に世界がある。
世界は元々有ったのを人間が認識した。
これは人間には解決不能な問題です。

>アラブの春は、知ること、認識することで
初めて不満が噴出しました。それまでは独裁に対して何も疑っていません。

体制を疑ってというより、生活苦への不満が強いような気がしますが。
生活苦への不満があり、その原因を考えたら体制だったということではないでしょうか。
人間は独裁だろうが王政だろうが、自然権を犯されない限り革命など起こさないものだと思います。

フランス革命、南北戦争については、申し訳ありませんが詳しい事実を知りません。勉強してみます。


16. 2011年12月27日 22:43:37 : XLmqvmRHGU
>>15 
失礼ですがグッキーさんは完全に
近代史観にそまっておられるようです。

>しかし人間が認識する前に、権利というものは有ったとも言えます。
論理破綻です。

>我、認識する故に世界がある。
近代の父、デカルトのコギトですか。

>これは人間には解決不能な問題です。
おっしゃる意味がわかりません。

>生活苦への不満が強いような気がしますが。
いやですからそれは病苦なり空腹なり感覚的なものとして
太古からあるとお答えしました。

思考判断や記号操作は二足歩行しだした人間の言語があって
はじめて可能となります。身体器官が生存特化された動物は
「本能の奴隷」です。移動に際し、「手」が余ったから道具を
つくることを覚えました。
この手の書物は田舎の図書館でもたいてい揃います。

歴史というのは前時代否定するのが常です。(近代は中世を否定し、
中世は古代を否定してきました。)
近代の情報技術が人間はに幸福を齎すとは限りません。
現代思想はまず近代史観(常識)を疑います。そこから見えてくるものが
多くあるからです。



17. 2011年12月27日 22:52:59 : XLmqvmRHGU
つづき
>その原因を考えたら体制だったということではないでしょうか。
その原因を考えるに至らないんですよ。
他との「比較照合」というプロセスを経ないと、つまり情報-言語です。
インターネットの情報共有が「判断」を可能にしたんです。
よくもわるくも。

>人間は独裁だろうが王政だろうが、自然権を犯されない限り革命など起こさないものだと思います。
論点先取りです。自然権の説明をする際に自然権を持ち出すのはおかしいです。


18. 2011年12月27日 22:56:01 : EVskgte9f6
>>06

認識論としては全く同意するのですが、この投稿では「自然権は天賦のもの」という大前提があるような気がするのです(ある意味とても形而上学的?なのかも)。

もしそうであるなら、認識論から見た自然権の進展というのは投稿者の論点ではない。むしろ、自然権の絶対性がどの程度なのかというのが論点ではないかと思うのです。

>>07, >>09

オキュパイ運動が起こることは、全く妥当だと私も思います。生存を脅かされた生物は必ず反撃に転じる。それはフランスで一度過激な革命が起こりながらも、その後の世界恐慌で革命が全く起こらなかった事に裏付けられているように思います。

オキュパイ運動には、生存権よりも深い、生物としての本能に動機があるような気がします。だからこそ世界中のいたるところから、この運動を批判するどころか賛同するような運動が起こっているのだと思います。


酔った状態でこういう真面目な話を考えると悪酔いするので、今日はここで止めます。あはは。


19. 2011年12月28日 01:00:17 : WcoDYLDUAY
>「自然権は天賦のもの」という大前提があるような気がする
だからそれは近代以降の考えです。
認識以前に「権利」を持ち出すなどナンセンスです。

近代の科学技術思想が貧富の差をさらに拡大させ、
植民地や戦争などの蛮行を正当化してきたのは自明です。

しかし法整備以前の古代は相互扶助が様々な形で存在してきたとされています。
また中世も宗教が共同体を機能させていました。
個が確立され、バラバラになり、価値基準が貨幣に置き換わったのは近代以後なんです。
人間の尊厳をアプリオリなものとして平等に
認めるかどうかは様々な議論はありますがそれは歴史でみればごく最近の出来事です。繰り返しますが古代ギリシアの民主主義は
奴隷制度の上にあるエリートのみの投票です。選ばれた富裕な学識者による選挙でさえ、デマが流布され、衆愚政治に陥ってソクラテスは処刑されるのです。
グッキーさんが何がしかイワンとすることは察することもできますが
やはり自然権と法律という二択、問いの立て方が奇妙なんです。
私はウォールストリートデモには共感を持ってながめていますが、
アラブの春は西側の扇動によるものであると心配しています。


20. グッキー 2011年12月28日 01:21:59 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>16

困りましたね。自然権というものの認識が違うのでしょうか。
たぶんこの解釈は色々な意見があるのでしょう。

私が考えるのは
ウイキペディアに有るように「生まれ持つ権利」とは認識無しにも存在する権利ということです。
生まれたばかりの赤ちゃん、自然権の認識は有りませんね。しかし自然権は持っています。

生物が食物連鎖をする。食べる権利があります。身を護る権利も有ります。
これを私は自然権の衝突と考えます。
生物は誕生してから何億年も、この自然権を持って続いてきました。人間の行動とは、この一寸した延長線上に過ぎないと思います。

食物連鎖でものを食べ、テリトリーを護り生活する。みんな自然権の行使です。
しかし人間は社会を構成する以上、この自然権が他者の自然権、社会の法律と衝突しないようにする必要が有るということです。

認識できなければ存在しないとは、
我、認識する故に世界が有ると同じことだと思うのです。
これが人間には解決不能な問題とは、
人間は自分がキチガイでは無いという証明を、誰も出来ないからです。
人間は現在見ている世界が、夢か妄想でないという証明も出来ません。
SFでよく有るじゃないですか。バーチャル世界に入ってしまった人間は、バーチャル世界を現実と認識するって


21. 2011年12月28日 01:32:50 : WcoDYLDUAY
>認識できなければ存在しないとは、
独我論そのものじゃないですか、なぜそう短絡解釈するのでしょうか。
ここでオントロジーの話をしていません、「権利の話」です、
すりかえないでください。

阿修羅の劣化を嘆いておられたから共感しましたが
自分のわからないことは何でも自分の尺度で裁断するって
ギリシャ神話にもありましたね。

フランス人に肩こりがないのは生物学的、医学的にないことを意味していません。
そう切り分け、呼ばないだけで、同じ症状は当然あるんです。
概念が志向性を生んでいるという現象学の問題です。
わたしたちは日常に追われ、そういう根本の問題に焦点が向かないんです。
日常を支配してるのが近代の貨幣経済、消費、損得勘定でしょうね。

下に下がってきて見難いので、もし議論を続けたいなら空いている議論板に
たててください。今の政治板は残念ながら損得勘定で扇動する者か小沢信者ばかりです。


22. グッキー 2011年12月28日 02:32:40 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>21

>自分のわからないことは何でも自分の尺度で裁断するって
ギリシャ神話にもありましたね。

自分の知っていることで判断するって、人間に限らず生物全般にそうではないですか。
知らないことで判断しようが無い。

>概念が志向性を生んでいるという現象学の問題です。

概念、言葉が指向性を持つということはその通りだと思います。
しかし貴方が「フランス人に肩こりがないのは生物学的、医学的にないことを意味していません。
そう切り分け、呼ばないだけで、同じ症状は当然あるんです。」
と言われているように、強弱、問題視されているかということではないですか。
自然権の存在自体が、有無、という問題では無いでしょう。

「認識後にはじめて権利を申し立てることができます。」

赤ちゃんがお腹が減ったと言って泣くのは、権利を認識後、泣くのでは無いでしょう(ここら辺に自然権の解釈の違いがあるのでしょう)

概念、言葉が指向性を持つというのは理解できます。それと自然権はまだ明確な定義が無いので、人により解釈が違い、議論が錯綜します。
しかしこれはこのスレッドの趣旨では無いので、議論はここら辺で終わりにしたいと思います。
従って別スレッドは立てません。

概念、言葉に重要性があると教えてもらえたことには感謝します。


23. 2011年12月28日 02:54:53 : WcoDYLDUAY
>>21
セクハラという言葉をとっても、男女不平等な中世や古代ではもっと醜い状況で
日常的に強要されたことは容易に想像できます。しかしそれを言語化し、
フェミニストの運動で社会化し、メディアで流通することによって 
はじめていっぱん人に浸透し、認識に到達できうるんでんです。
数十年前なら些細と見逃されていた行為も
今では目くじらたててセクハラをうけない「権利」を堂々と主張する。
女性専用車両などもその流れです。

>赤ちゃんがお腹が減ったと言って泣くのは、権利を認識後

これは欲求であって権利なんて概念と無関係です。
(かつ人間だけが子供が自律不能の未熟状態で産まれます。)
こういう事例で権利を説明するなんて無謀で、ここへ
持ち込むこと自体、近代史観なんです。それが悪いとはいいませんが、
根本概念へ接近することは不可能です。

「存在論」と「権利」は全く別問題です。ずっと繰り返し
それらを混ぜて思考されていますが混乱が生じるのみ。
この基本的な分別は解釈の多義性とかではありません。

多様性をさけべば自分の意見を肯定できると信じる風潮も近代の産物なんです。


24. グッキー 2011年12月28日 12:27:18 : Cbr3d6O9vj7Mc : OIxNYWfJog
>>23

ではスレッドを立てたのでこちらにどうぞ
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/524.html


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