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科学的社会主義・日本共産党批判――マルクス主義の反人間(労働者)的・抑圧的本質を批判する。(その13)
http://www.asyura2.com/11/senkyo124/msg/563.html
投稿者 Y. Kakasi 日時 2012 年 1 月 09 日 23:58:15: BW32mpuE76J86
 

(前ふり)この投稿には反発される方が多いのですが、Kakasiは「案山子」「鹿驚」なので目障りでしょうが我慢してください。
 投稿のきっかけは、この「阿修羅」掲示板に、日本共産党の機関誌「赤旗」の記事が目立ってきたのでそのHPを見たことです(検察批判ではなく小沢批判をしている!)。HP中に「綱領・古典教室」があり、今でもマルクスの古典が、共産党の理論的背景になっていたことに驚きました。日本共産党はすでにマルクス主義を卒業していると思っていたからです。これは党員にとっても日本の国民にとっても不幸なことです。
 共産主義という理想をめざす政党があるのは問題ないのですが、その理念がマルクス主義に支配されているのは時代錯誤であり、ましてこれを科学的真理とみなすことは、人類にとっては知的怠慢に他ならないと思うのです。そればかりか21世紀の時代に19世紀の自由競争万能の市場原理主義(マルクス主義も結論は真逆ですが、自然経済法則優先の思想です)がまかり通ることは、地球上の生命と人類の持続的生存を脅かすことになると考えるからです。

(本論)前回「生産手段の社会化」だけで社会主義を論じることはできない、ということを述べました。マルクス主義は、生産手段の社会化が生産過程の社会的管理につながり、社会主義の実現の基礎が作られると考えています。しかし、以前にも指摘しているように、Kakasiたちの考えである剰余価値が交換過程(労働力商品の売買)から生じるのであれば、社会化にも契約関係の透明化が必要になります。社会主義社会は生産手段の社会化だけでなく、社会主義的契約が必要になるのです。そうでなければ理論的に考えて、管理・経営する党組織(前衛・官僚)の労働者支配が生じてくるのです。

 このような見方は、資本主義市場の捉え方とも関わってきます。というのも、マルクスは市場の商品交換(等置)を「等価交換」と見なしましたが、これでは商品交換の多様性の問題点(非対称性=不等価性=格差性)を見逃すことになります。利潤を追求する資本主義市場では、商品交換の非対称性を利用することによって、他人の所有する価値(商品=富)からより多くの価値を取り出し、自己の財産(価値)を増大させようとします。だから、表面的には「等置(交換契約)」によって相互利益(互酬性、win win)が成立しているように見えても、労働者のように弱い立場の商品所有者は、交渉(取引契約)によっては、あからさまな損失(loss)を受けていることもあるのです。

 マルクスを含む経済学者たちが、資本主義市場の不等価性(価値の不等移動性)を見逃すことは、同時に社会主義市場においても交換価値の不等価性を見逃すことになります。すなわち商品交換市場では、表面的・形式的に自由で平等とされる商品交換の等価性(合意・納得・互酬性)が、実質的には不平等・不公正な社会契約の可能性(現実性)になるのです。つまり、過剰な利益(損失・格差)の生じるようなリスクのある取引契約(特に労働力商品や金融商品、独占商品、貿易商品等)が、自己労働(犠牲)によるのではなく、他者を犠牲にして欺瞞的に成立できることが、利己的利潤追求を目的とする資本主義社会の活力源になっているのです。

 だから、戦前のファシズムにおいて、資本主義と国家社会(全体)主義が反撥しながらも、しばしば結合して海外侵略や諸個人の自由を奪い抑圧することになったのは、商品交換という契約関係を、国家による形式的な自由平等で捉え、実質的には欺瞞的全体主義によって運用しているためなのです(独占資本主義)。全体主義は、今日のような大衆民主主義においても、欲望を拡大し営利を追求しようとするメディアの大衆支配という姿をとって現実のものとなるのです。

 しかし、民主国家のあるべき「社会契約」は、単に人権保障を基本にした(分配的正義の実現を含む)国家との社会契約だけではなく、個人と個人の公正公平で互助的な交換関係――「実質的な等価関係」、利己的かつ利他的な「交換的正義」を市場的に実現する関係――を必要としているのです。なぜなら、今までの資本主義的社会契約は、人権の保障、権利の保護を国家に要求することが中心の社会契約でしたが、これからの社会契約は、国家や社会を構成し参加するものとしての「社会的責任」が、すべての構成員に求められるべきと考えるからです。

 また社会契約の基本にある「財産権」は、社会的・法的に守られてこそ、その保全と拡大を保障されるのですが、それが一部の人間にのみ集中的に利益をもたらしてしまうということが問題なのです。私有財産は、国家・社会によって保全されているのだから、それ(私有財産の保全)に対して「社会的対価が払われてこそ社会的責任が果たされる」はずです。だから近代国家においては、その収入(所得・財産)に応じた社会的対価が税金によって徴収され、社会的責任が果たされているのです。

 しかし、「交換的正義(不等価交換の是正)」を強調する我々の立場からは、商品交換(市場)を通じて得られる資本家優先の所得・財産について、不等価性を是正する道徳的要請(公正・公平性)を、社会的責任(交換的正義)に加えることが必要と考えます。具体的には、すべての個人の所得・財産の透明化と格差の是正を、課税を通じた再分配だけでなく、金銭と商品交換のあらゆる場面で行うことです。そのような動きは、前回紹介したように「国際標準化機構/社会的責任作業部会(ISO/SR)」のISO2600等で始められています。
  
 今まで経済学において、「分配的正義」はアリストテレス以来、盛んに議論され、社会民主主義的福祉国家政策として実現されてきました。しかし、合意にもとづく売買契約を前提とする「交換的正義」については、十分配慮されてきませんでした。合法的な契約は、明白な詐欺でない限り正義であり、当事者の貧富の差や力関係、有利不利の売買条件は、偶然や交渉能力の違いであって、不正ではない(等価交換)と考えられてきたのです。
  
 今回の結論としては、@社会主義は「生産手段の社会化(共有)」という「等価交換(労働価値説)」を前提とした「分配的正義」の実現だけでは不可能であり、A分配的正義だけでなく、市場経済の永遠性を前提に、不等価な交換関係を透明化し、公正・公平な「交換的正義」を不断に追求する「社会的責任」が要請される、ということになります。この考えは、単にマルクス主義的社会主義の批判だけでなく、今日の厚生経済学や福祉国家理論の限界を克服するためにも有効です。

 今回理屈に片寄りました。次回は政治板にふさわしく、志位委員長の「綱領教室」第10回(1/10予定)を、表題のように述べる予定です。  

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コメント
 
01. 2012年1月10日 00:37:31 : GWQq0ADEc2
いや、難しく考えなくていいんでね?

人間イデオロギーに支配されると
それがどんな理想から生まれた物でも
心が歪みます
何かに心が支配された人間は他者の心も支配しようとしてしまう

ま、そんだけの話です


02. 2012年1月10日 00:57:30 : E8oRzIz44U
マルクス主義は結局プロフェッショナルな(党)官僚に依存することを否定できない限り、限界は見えていたし、その意味で日本の現状と大差ない。

03. Y. Kakasi 2012年1月10日 21:44:53 : BW32mpuE76J86 : fXOQhCwWGs
01)さん お読みいただきありがとさんです。
 おっしゃることは、まったくそのとおりです。
世の中をそのように達観できるのは、うらやましい限りです。

 ところが残念なことに、
「人間の本質(人間とは何か)」がわからないために、
問題の解決をわざと難しくしようとする人達がいて、
またそれで飯を食っているという悲しい現実があるのです。
今日の宗教や哲学、政治学や経済学、
アカデミックな学問や権威のほとんどが、
そのような部類に入ります。

 ところで
>人間イデオロギーに支配されると・・・・・
→とありますが、01)さんもふくめて、イデオロギーに支配されない人間はいないのです。問題は、「どんなイデオロギーに支配されるか」だと思います。01)さんのように、「心の歪まないイデオロギー」が一番です。
それだけのことですが、それが難しいのです。

 さらに残念なことに、世の中には悪意や強欲が満ちています。
 心の歪みがどこからやってくるのか、
 歪まない心をいつまでもと願わずにはおられません。


04. 一隅より 2012年1月10日 22:17:25 : PnbUj1IYwR18o : ErQdBkXZLA
Kakasiさん

今回のは平易に説いてあって、私にもすこし分かりやすかったです。(このように分かりやすく、引き続きお願いします。)

Kakasiさんの問題意識も、
>社会化にも契約関係の透明化が必要・・・、そうでなければ・・・党組織(前衛・官僚)の労働者支配が生じてくる。
のあたりにあるのか、と思います。

しかしそうだとすると、その解決策として、
>不等価性を是正する道徳的要請(公正・公平性)を・・・加える、
>交換関係を透明化し、公正・公平な・・・「社会的責任」が要請される、
というのは、どうなのでしょうか。
いわば、「透明化され公正公平な商品交換経済より成り立つ社会主義社会」とでもいうものでしょうか。

それではあまりにも人々の善意、モラルに頼ることになりませんか。

まず第一に、そのようなモラルはどこから得られるのですか。アプリオリに与えられているものなのでしょうか。

つぎに、公正・公平をよしとするモラルは、競争と優勝劣敗をよしとする考え方よりも、なぜ優れたものといえるのでしょう。
価値的な優劣はないのではないでしょうか。

第三に、(かりに我々のあいだにそのようなモラルが得られた〔共有できた〕としても)、競争の中で利を得ることをよしとする勢力にたいして、どうのようにしてそれを(そのシステムを・モラルを)守るのでしょうか。
けっきょく経済外原理で(強力=体制的暴力によって)、でしょうか。


公正・公平の概念は、価値相対主義の前には、やや力弱くはありませんか。

そのような(基盤の弱い)善意、道徳心によらなくても、経済原理そのものから資本主義・競争原理社会の行き詰まりの可能性をさぐるほうが確実ではないでしょうか。
マルクスは、それをしようとしたのではないでしょうか。


05. Y. Kakasi 2012年1月11日 00:21:37 : BW32mpuE76J86 : fXOQhCwWGs
04. 一隅より)さん、本質を突いた有益な質問・意見をありがとうございます。
直ちに返答できる問題ではないので、時間の猶予をおねがいします。

おそらく04)さんの問題意識に答えられたら、今日の閉塞状況はかなり改善するでしょう。Kakasiにはその力はありませんが、よく考えて後日コメントします。あしからず、ご容赦を・・・。


06. Y. Kakasi 2012年1月12日 00:17:08 : BW32mpuE76J86 : fXOQhCwWGs
一隅より)さん、コメントが遅れて申し訳ありません。
 確実に理解してもらうにはあまりに根源的な問いなので、「人間存在研究」のHPの全体を見ていただくとありがたいです。しかしそれでも疑問の背景がややわかりにくいので、本当に納得してもらうほど十分な答えにならないと思います。

 まずマルクスを擁護しようとされているようですが、どうでしょうか。多少とも理解していただくには、マルクス主義の二つの柱である、「等価交換による剰余価値説」と「唯物史観」が明確に誤りであること、そればかりか人間理解の欠陥による抑圧の理論であることを理解していただく必要があります。

 具体的には今まで説明してきたのですが、前者については「商品交換は異なる価値の移動であること(不等価交換)」、後者については「人間の意識は、社会的に規定されると同時に、人間の主体的判断(意識・知識・理論)が社会を変えるものであること」ということになります(後者は、「フォイエルバッハに関するテーゼ」の限界を前提にしています)。

 その上で、モラルがどこまで社会的矛盾や悪徳(搾取、格差、恐慌、失業、差別、欺瞞、犯罪、暴力、抑圧等の人権侵害)の解消や解決に実効性があるのかということになります。
 まず「生産手段の社会化」によって商品経済を消滅させる(空想的共産主義)なら別です。しかし商品交換の消滅(配給計画経済の永続)はあり得ないので、搾取や格差を解消するために、交換の不等価性を透明化し公正公平な交換的正義を実現します。今日の修正資本主義のもとで、それらのことはある程度(分配的正義として)実現されていますが、その背景は「基本的人権の保障」というモラル意識と民主主義による政治的(法的)強制です。福祉国家の成立は、資本主義の経済原理(競争)にもとづいているという考えもありますが、Kakasiは「モラルの力」が民主主義を成長させたと考えています。

 利己心(競争)による社会調和(自由主義)ないし社会破綻(マルクス主義)の理論では、《商品交換を通じて》社会関係に起こる矛盾(搾取・格差・失業等)についての問題意識(交換の不等価生)がなく、せいぜいケインズ的な調整策かマルクス的な要求実現・階級闘争をおこなうしか対応策がありません。福祉国家でさえ富の分配政策なので、不透明で(!)高率の消費税に頼らざるを得なくなります。

 福祉国家の実現に見られるように、モラルというのは「(基盤の弱い)善意、道徳心」という心の在り方ではなくて、具体的な知識・論理・人間の正義(人権)にもとづくとても力強いものなのです。ところが自由主義やマルクス主義は、このように人間の行動・欲求・感情を力強く動かす道徳原理を、「自生的秩序」や「需給の均衡」、「階級闘争」や「諸要求実現」という言葉でごまかしてきました。その背景になったのが、欧米の経済学の根本にある「同意・契約の結果はすべて正義である」という「等価交換法則」なのです。

 この等価交換の法則の誤りを解明して交換的正義のモラル体系(道徳的社会主義=新社会契約)を構築すれば、「経済原理」に由来する資本主義の矛盾を、自然に、又は積極的に解消・解決していけるというのがKakasiたちの考えです。前回指摘したような「社会的責任SR」や「成長の限界」「環境問題への対応」という国際的な大きな動きと共に、世界はすでにこのような方向に向かって進んでいるのです。

 それをさらに前進させるためには、政治・経済・哲学などの西洋的常識を打破する必要があります。その第一歩とするために、人間存在研究所の主筆大江による「言語論の革新と西洋思想批判」が必要だったのです。以下に紹介していますので是非ご覧ください。(宣伝ですがお許しを)
  →http://www.eonet.ne.jp/~human-being/index.html



07. 2012年11月27日 17:52:16 : wXPShKYgaw

 (その14)につづきます。kakasi
 ⇒ http://www.asyura2.com/12/senkyo125/msg/266.html

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