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国民党は立法院院長の仲裁案に反し「審査メカニズム」と協定承認は併行して審議と主張
http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/866.html
投稿者 あっしら 日時 2014 年 4 月 09 日 16:11:06: Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: 台湾、学生が議会占拠の終了に同意 議長の譲歩案受け 投稿者 手紙 日時 2014 年 4 月 08 日 23:20:55)


 ロイターの記事には、「王金平院長は、立法院がサービス貿易協定を承認する前に、中国との貿易関連協定の「審査メカニズム」を承認すると約束」とあるが、国民党は、「審査メカニズム」を先行して審議することはなく、協定承認と併行して審議すると主張している。

 立法院の王金平議長と馬英九総統の仲は、内実はともかく表面的には昨年秋の“事件”で確執が生じている。

 「審査メカニズム」を先行して審議することはしないという国民党の主張がありながら10日に占拠を解くとする学生組織には“占拠疲れ”もあるようで、台湾政界の寝業師とも呼ばれている王金平議長がうまくとりなして事態を収拾したという見方もできるだろう。

※ 参考記事

台湾で決裂…馬英九総統と王金平議長、同じ国民党の「なぜ?」[サーチナ]
【政治ニュース】 2013/09/11(水) 14:12

  台湾の馬英九総統と王金平立法院院長の決裂が決定的になった。馬総統は10日夜、検察への介入があったとして王院長の辞任を求める声明を発表した。王院長は検察の職権乱用を食い止めるためと反論している。台湾の立法院は日本で言えば国会、院長は国会議長に相当する。これまで「二人三脚」で選挙を勝ち抜いてきた2人だけに、今後の台湾政局に大きな影響を及ぼす可能性がある。中国新聞社などが報じた。

  王院長は1941年に高雄州岡山郡(現在の高雄市)で生まれた。1975年から立法院選挙で連続当選している。99年には立法院院長、2000年に国民党副主席に就任した。
  馬英九総統は父親が湖南省の出身だが、本人は1950年に香港で生まれた。米国留学経験があり、台北市市長を経て05年−07年、09年以降は国民党主席、また08年からは中華民国総統を務めている。

  台湾では事実上の二大政党制がほぼ定着している。馬総統の前任者は民進党の陳水扁総統だった。馬総統と王院長は国民党の政権奪回のために、二人三脚で多くの選挙を戦ってきた仲だ。

  「決裂問題」が急浮上したのは9月6日だった。最高法院(最高裁)検察署特別捜査チームが、王院長と民進党の議員団責任者を務める柯建銘議員の電話会話の監視記録を発表したことだった。王院長の発言に、柯議員に絡む裁判で、検察に対して「無罪判決が出た場合には上告しないよう」に告げたと説明する部分があったという。

  馬総統は「司法に介入した」と批判し、「立法院機構の責任者として不適切」、「国民党の尊厳を保つためにも辞任をしてもらいたい」などと述べた。王院長は「台湾の検察は職権を乱用して上告する」ことが問題と反論し、台湾の司法改革チームも毎年のように、検察の職権乱用による上告の事例を発表していると指摘した。

  さらに、「電話の監視」も正規の手続きを経ていないとして「職権乱用であり違憲だ」と批判し、辞任勧告には応じず、徹底的に“抗戦”する考えを示した。

  国民党上層部の「決裂」について、馬総統と王院長の間には以前から対立が深まっていたとの見方もある。王院長は民進党との対決では比較的柔軟で、立法院院長に就任したのも民進党からの信頼を得たことが大きな理由だった。ただし、議会運営では国民党が重視する法案が通らないことがしばしば発生していた。馬総統はいらだっており、“王院長切り”を図っていたとの見方がある。
  台湾の有権者の間で、王院長への「同情」が高まり、馬総統の支持が低下する可能性があるとの分析もある。
**********

◆解説◆

  第二次世界大戦で日本が敗戦したことにより、中華民国が台湾を統治することになった。蒋介石が率いる国民党が大陸で共産党に敗北したことにより、国民党政府は台湾に拠点を移した。大陸部からは大量の国民党員と支持者が台湾に逃れた。1995年の調査では、台湾の人口2100万人のうち、戦後になって台湾に移った、いわゆる「外省人」は124万人で、それ以前から台湾に住む「本省人」と「外省人」の間に生まれた人は358万人とされている。

  「本省人」は1645万人と圧倒的に多いが、「外省人」は国民党政府とともに台湾に来たとの経緯があり、今も台湾社会の上層部では、外省人の占める割合がかなり大きい。
  国民党は1945年に台湾に移って以来、「圧政」を敷いた。それ以前の台湾住民は「大いなる違和感と失望」を感じたという。台湾原住民パイツ・ヤタウヨガナさんは蒋介石の前に出た人がナチス式の敬礼をするので「なに、これ? 馬鹿みたい」と感じたという(ドキュメンタリー映画『台湾アイデンティティー』より)。パイツ・ヤタウヨガナさんの父親は地域の指導者で、住民社会の向上のため尽力したが、国民党当局に「問題分子」とみなされ、銃殺された。

  国民党は共産党との内戦を進めるために、台湾を経済的に搾取した。そのために、人々の不満はなおさら高まった。47年2月28日には台北市内でヤミたばこを売っていた女性に、取締官が暴行を加えたことがきっかけで国民党政権に対する蜂起が発生。国民党側は軍を動員して徹底的に弾圧した。この2.28事件の犠牲者は2万8000人とされるが、今なお真相は分かっていない。

  2.28事件にともない台湾では戒厳令が出され、約40年にわたり「恐怖政治」が続いた。台湾ではその後も、裁判を経ない逮捕や処刑が続いた。
  台湾では1970年になり、民主化運動が盛んになった。蒋介石の跡を継いだ蒋経国総統は民主化と開放政策に着手。87年には戒厳令を解除した。背景には、米中が関係を改善させていったので、「独裁体制を続けていたのでは、米国にとって、台湾を支援するイデオロギー面での理由が希薄。切り捨てられる可能性がある」との危機感もあったとされる。
  次の李登輝総統はまず、台湾省、台北市、高雄市での首長選挙を実現させ、2期目となる1996年の総統選挙では民選選挙(直接選挙)を実施して当選した。2000年の総統選挙では民進党の陳水扁主席が当選した。

  1996年の総統選挙は中華系民族の安定した実質的国家において、初めての民選選挙による国家指導者の選出、2000年の選挙は初めての「平和裏に実施された選挙による政権交代」となった。

  台湾では選挙制度がほぼ定着したと言ってよい。しかし、司法については「関係者の思想などで結末が変わる」との見方もある。総統府機密費の不正流用などで実刑判決を受け服役中の陳水扁前総統は「不当な扱い」と主張しつづけている。
  民進党支持者の中にも「国民党の有力者だったら、あのように厳しい判決はなかった」との声がある。台湾の司法については、まだ不信感も根強いと言わざるをえない。(編集担当:如月隼人)

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0911&f=politics_0911_004.shtml

 

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コメント
 
01. 2014年4月09日 23:59:41 : Huc46W1eZ6
良いタイミングで理解理解を深めるに良い記事を拾って来て戴きました。感謝!

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