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21世紀前半は、社会科学の中心が経済学から歴史学にシフトする…複雑系科学の成果も取り入れて/金子邦彦・安富歩
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/359.html
投稿者 仁王像 日時 2012 年 3 月 10 日 14:57:57: jdZgmZ21Prm8E
 

 これまでの「経済学」が現実を前にあまりにも無力なのに業を煮やした一部の学者が新しい道を模索し始めた動きと見られる/仁王像

『経済学の現在2』吉田雅明編集/日本経済評論社‘05年の冒頭と結部から一部抜粋(完全な中抜き)

第2章 経済学から歴史学中心の社会科学へ〜複雑系科学の立場から見たアプローチの歴史学/金子邦彦・安富歩
〔はじめに〕
 われわれは21世紀前半に大きな構造変革が起きると予測する。なかでも最大の出来事は、社会科学の中心が経済学から歴史学にシフトすることである。本章の目的はこのような重要局面に対応するための理論的装置を概観することにある。とくに、複雑系科学の分野で蓄積された知識のなかから、この目的に有用と考えられる数理的概念の紹介に重点を置く。
 歴史学が重要性を増す理由は、この学問が宿命的に静的な理解の枠組みの使用を禁止していることにある。時間の流れのなかで動きつづける社会というシステムを、動きのなかでとらえることは難しい。それゆえ、ほとんどの社会科学はこれを静的な枠組みに置き換えることで理解しようとする。ところが、歴史学はその方法を禁じられており、時間軸に沿った思惟を強制される。一方、数理科学の分野では、複雑系科学という、「生きた」システムを運動のなかで理解するための数理的枠組みを求める営為が、急速に発展しつつある。社会科学のなかでは、歴史学こそがこの分野と最も親和性が高い。

 20世紀に発展した数理経済は、最適化という静的な枠組みへの準拠によって構成するという道筋を選んだが、これは動いていることが本質的なシステムを理解するためには無理のある方法であった。むしろ、どんなに困難であっても、小数の優れた経済学者の試みたように、動的な方法の探究を目指すべきであったとわれわれは考える。複雑系科学が一定の水準に到達し、社会を理解するための新しい枠組みが成立すれば、最適化に依拠する経済学の成果のほとんどの部分は忘却されざるをえない。この種の経済学の20世紀後半における数量的膨張は、社会科学史上の興味深い研究対象としてのみ記憶されることになろう。
 本章では、歴史学者の「語り」が複雑系科学の最新の成果とどのような関係を持つかを検討し、そのなかで今後の社会科学のあり方を構想する。われわれは、フェルナン・ブローデルの大著『物質文明・経済・資本主義』に注意を集中し、この書物のなかで展開されている論理の発掘を中心として論じるという手法を採用する。

〔5.考察〕
 21世紀前半の社会科学は、ブローデルに代表されるような、歴史学的思考方法の上に構築されることになろう。この思考方法は、複雑系科学の発展によって数理的基礎を獲得し、両者の相互作用は広大な学問の新分野を切り開く。この方向は国民国家と資本主義システムという「よどみ」の崩壊によって促進される。なぜなら、さまざまの文化と歴史を有する人々が直接かつ大量に接触する時代には、こういったケテゴリーの持つ力が如実に現われるからである。
また、環境問題という重大なテーマがこの方向に強くかかわっている。

・「経済学」は「イデオロギー」であって、各学説間の対立はイデオロギー上の対立である。
 http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/117.html
   

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コメント
 
01. 仁王像 2012年3月10日 15:22:31 : jdZgmZ21Prm8E : zqw7Lv8Ckk
 ”第2章の冒頭と結部”の意味です。

02. 2012年3月10日 15:33:32 : XXJt3Rsjgc
議論か雑談でも行かれるが良いのでは?

03. 2012年3月10日 15:48:54 : IYyRSPdFJA
どうでもいい学者の東大話法を聞いてどうする?何ら現実には影響ないよ。

04. 2012年3月10日 16:07:08 : 1KcKf13hjU

>これまでの「経済学」が現実を前にあまりにも無力なのに業を煮やした一部の学者が新しい道を模索し始めた動き

どこが?

単に計算機の発展で、これまでの静的な経済理論の枠組みから
動的な理論構築が可能になったという現状を後追いで認識しているだけだな


05. 無段活用 2012年3月10日 16:49:55 : 2iUYbJALJ4TtU : pnFKtUyAeE
議論の根本がおかしい、と思う。

科学とは、「実験や観察により真理に到達する学術」を指す。その理論構築に
は、「帰納法」や「演繹法」が用いられる。学校でそう習ったはずだ。

歴史学は、過去の事実に関する記述と解釈がすべて。故に、歴史学は科学たり
得ない。

私が大学にいた時期は、学問が「科学」であることが重視され、どの学問も「科
学」の称号を得ようと必死になっていた。それが「科学」か否かで、補助金の額
が違った。今はどうか知らないが、そんな時期はあったのだ。

歴史学・哲学・文学などは、この世に「科学」が成立する以前から存在した。これ
らの学徒たちがどうあがいても、彼らは「科学者」になり得ない。科学が、もっと
言えば、カネになる学問がもてはやされる学術の世界にあって、文学部の古ぼ
けた建物の中で、彼らは肩身が狭そうに見えた。

ところが、一時期、哲学がアメリカで人気だと聞いた。就職に有利だそうだ。彼ら
は、「考える」ということそのものについて、訓練を積んでいる。だから、何をやら
せても、かれらは正しく「考える」ことができる、らしい。

難しい言葉を使い、難しい思考を展開すると、原点がどこにあるかを忘れがち
になるが、大事なことは「真理の探究」だろう。どうせやるなら、「科学」という学問
のあり方を批判し、それを乗り越える議論をしてもらいたいものだ。


06. 2012年3月10日 19:03:14 : 8UzFzDXlxw
例えば店にテレビを買いに来た客が、
私は今までずっとテレビはSONY製を買ってきた。
SONY製のテレビをくださいと言う。
それに対して店員が、今まではテレビはSONYだったかもしれないけれども、
今年の新製品についてはテレビは東芝ですよ、と説明。
それにも関わらず、客が今回もやっぱりSONY製を買ったとしたら、それが「現実」。
説得に負けて、今回東芝製を買ったとしたら、それが「現実」。
一方、今までSONY製を買ってきたというのは過去の「事実」で、「歴史」。

今回客がどちらを買うかに関して、「経済学」が現実を前にあまりにも無力なのに業を煮やした一部の学者が、社会科学の中心のことを今まで「経済学」と呼んでいたが、現実の
予測に対してあまりにも無力なので、今後は「歴史学」と呼びましょうと提唱し始めた。

そう言っているのでは。難しく言っているだけで。


07. 仁王像 2012年3月10日 20:00:06 : jdZgmZ21Prm8E : zqw7Lv8Ckk
 皆さん方思いのほか保守的なのは意外の感がしてます(やはり老人が多いのか。いや、失礼!)。
 私はそもそも経済学というものを信用していないので、こんな風な議論に興味がある。著者たちが言っているのはスーパーコンピュータによって複雑系経済学が発達するなどという意味を言っているのではないと思う。社会科学の主役は「経済学」から「歴史学」へシフトすると明確に言っている。その内容にここで深入りすることはできない(なにしろ中抜きだし、まだ試論の段階だろう)。

 さてひるがえって、経済学の理論の力を以って古今東西、一国でも地域でもよい、景気を浮揚させ長期に維持できた事例はどれくらいあるのだろうか。僅かに例はあるかもしれないが、大かたは無残は敗北を重ねた歴史ではないのだろうか。現実の前に無力とはそういう意味で言った。

 日本での成功例は、高度成長期の下村治の指揮による所得倍増計画がある。これが果たして経済学の理論の力によったものがどうか大いに疑問がある。彼のモデルの立て方が日本の当時の実情によく適合していて、また彼の判断が的確であったという下村個人の力に依存するのではなかったのか。さらに言えば、ベースのトレンドとして高度成長期という時代であったということ。

 そもそも経済学が適用できるのは、(小室直樹が指摘するように)資本主義が純粋に近い形で履行されている国なり地域である。裏返して言えば、経済学を適用できる場所は地球上でも極めて限られたところだと言っている。経済学を適用しても通用しないところに適用するから、無惨な失敗を招くということになる。
 さる高名な経済学者が「経済学は正しいが、現実が間違っている!」と言ったという。昔はこれを物笑いの種にしていたが、いまはこの気持の一端は分かる。

 現実の経済が、さまざまな理由で純粋資本主義の論理でまわっていないことは小室が指摘する通りだろう。この現実が、既存の経済学に合うように変わらない限り、この現実を土台にした社会科学の確立を目指す欲求が芽生えてくるのは必然だと思う。それを「新しい経済学」というか「歴史学」というか。著者たちは「歴史学」と言っている。


08. 2012年3月10日 20:26:51 : esmsVHFkrM

そうなる可能性は十分ある。

俺は最近、『歴史は「べき乗則」で動く』(マーク・ブキャナン著、水谷淳訳、早川書房)を読んだ。複雑系におけるべき乗則を歴史に応用したら「歴史物理学」が可能になるのではないかと言う本だ。この投稿が論じているのはそのような「歴史物理学」の可能性であるものと理解する。

決して東大話法ではない。俺もそこを出たからよく知っているが、このようなシフトが起こるとすれば東大がそれを受け入れるのは一番最後だ。

歴史物理学が成立するものかどうか興味深く見守りたい。


09. 仁王像 2012年3月10日 23:21:57 : jdZgmZ21Prm8E : zqw7Lv8Ckk
 >>08

 「歴史物理学」というのは面白い!

 そう言えば数年前、『経済物理学の発見』(高安秀樹著/光文社新書)を手にしたことがあった。内容は忘却の彼方だが、株価の変動を高度の数学を使って分析(あるいは予測?)したような内容だった(忘却というより難しいので読み飛ばしたというのが真相)。

 「歴史物理学」という学問が成れば、はじめて「科学」の称号を贈ってもよいのではないか。これまでの「社会”科学”」の「科学」は大盤振る舞いのし過ぎで、権威づけだけの意味しかなかったと思う。
 (ご紹介の本もぜひ読んでみたい)


10. 2012年3月11日 03:22:04 : Pijo5v1olc
人は食うに困らないことが第一だが、これからますますこれが難しくなっている。時代は人間を幸福にするのだろうか。経済学は人間生活のすべて、人間そのものの研究だ。歴史的な考察は当を得ている。高等生物ほど事象を時間軸をうまく活用して分析するものだ。

11. 2012年3月11日 22:25:31 : uyLQihv0Ww
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ、といいますね。

この場合の「経験」とは、自分自身の経験からしか学べない、という愚かさの象徴。
「歴史」というのは、自分が生まれる前の先人の経験をも学びの対象に出来るという
賢さの象徴。

現代の新自由主義的経済学は、前者に当たるものだと思います。
時代遅れといわれるマル経などは、どちらかというと後者の部類だったのでしょう。

バブル膨張とその後に訪れる大恐慌、という繰り返しは、「愚者」が世界にあふれている
という証拠です。


12. 2012年3月12日 17:34:47 : 8UzFzDXlxw
「経済学歴史論」とか「行動経済学」とか「経済は感情で動く」とかは、

歴史や本(教科書)の知識のに頼る”経済学賢者”の悲鳴のようです。

東大卒の人が書いた「頭のいい人は儲けられない」という本に書かれてるのも、

東大に入るような頭のいい人は、書いてあることを答えるのは上手だけれど

顧客の心をつかむなど教科書に答えの書いてないことはからきしダメ。

といった内容だったけれど、変化の激しい時代には過去の知識で対応しようとする

官僚型は対応できず、そういった時代には英雄が出現する、というのが

古の中国の「歴史」に書かれていますね?


13. 仁王像 2012年3月12日 20:25:09 : jdZgmZ21Prm8E : zqw7Lv8Ckk
 (続きです)
・経済学の世界でも「経済学村」という利権の構造があるのではないか。…そして経済学の終焉
 http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/563.html

14. 2012年3月13日 13:18:49 : IYyRSPdFJA
2人の名前がまずい。金子と安冨だ。金子は複雑系の2番煎じ。ユニークな奴かもしれないが、若い頃からオタクの走り。所詮はコンピュータ計算屋にすぎず、科学の何かを知っているわけではない。安富は「東大話法」で仲間を売って有名になった、菅直人のようなやつ。どちらも信用できず、所詮はどうでもいい話。それより東京から逃げろ。

15. あみな[1] gqCC3YLI 2017年1月08日 12:26:56 : FiteQBwhTQ : tEGTsbpoajw[1]
ただ一つの解を求め、実験での再現性を必要とするのが科学。歴史や社会科学などは文科省でも最近は人文科学とはいわず、人文学、という。
人間はカオスな存在であり、時間に制約を受けているので完全な「実験再現」は不可能である。
というので、わたしが最初に読んだのはブローデルのアナール派の歴史手法と、あとは2004年に歴史学の講義でつかった『歴史の風景』ジョン・L・ギャディスであった。ともかく教養としての歴史学というのを大学の文理総合混成で教養科目として受講した学生には目を開かせる効果はある。
そしていま、戦後70年で日本が変化しようとしていることや、ソ連崩壊などもほぼ70−80年の周期だということは、いわゆる個人史を最小単位とする短期持続歴史の上の中期持続であると思える。
調査では例えば、方言の継承について調査するといい。ほろびゆく方言は「聞き取れるが話せない」という世代をへて、「聞いてもわからない」というレベルに到達する。それは言語にともなう歴史記憶についても同様である。

16. 2021年5月06日 04:50:30 : pNlPCkSbrE : UHFWeXlvcDg5aEk=[244] 報告
>>15

「科学」という言葉は「全体学=哲学」の対比語で「個別の学」という意味ですよ。
再現性とか実験とかは対象の性質によるとしか言いようがない。
科学の絶対的要件ではありません。

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