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中央銀行券の債務性と政府紙幣の特質に関する研究   〜日銀が債務超過になっても、大丈夫
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/781.html
投稿者 MR 日時 2012 年 4 月 28 日 23:31:44: cT5Wxjlo3Xe3.
 

(回答先: 日銀のケチャップ購入策 投稿者 MR 日時 2012 年 4 月 28 日 23:20:14)

>日銀がケチャップや不動産をどんどん買うことになれば、所謂不良資産を大量に保有することに繋がり、ひいては日銀が債務超過に陥る恐れがあるのです。そして、日銀が債務超過に陥れば、今度は財政出動で日銀に税金を投入することが必要

これは勘違い
実際は、日銀が債務超過になっても、大丈夫


「銀行券は債務性と資本性の 2 つの性格を併せ持つという銀行券の「二重性」
に着目すれば、中央銀行という組織に独自の特徴を浮かび上がらせることがで
きる。そのために 1 つの仮想ケースをとりあげたい。
今、仮に日本銀行がバランスシートの上で債務超過(資産が負債を下回る状
態)に陥ったと想定してみよう。この場合日本銀行は債務超過を解消するため、
増資を実施することにしたとしよう。通常の増資であれば日本銀行以外の外部
から資本の提供を受けるのが一般的である。しかし日本銀行の場合、外部から 17
資本の提供を受けるのでなく、日本銀行自身が銀行券の一部を資本勘定に振り
替えることにより、増資を行うことが可能である。これは日本銀行がわが国で
唯一の銀行券の発行権限を有する組織だからこそ可能なことである。この場合、
バランスシート上は、銀行券が減少し、資本金が増加する形となるが、これは
一種のデット・エクイティ・スワップ(debt equity swap 債務の株式化)とい
える。 」


http://mokuroku.biwako.shiga-u.ac.jp/WP/No126.pdf
1
滋賀大学経済学部 Working Paper No.126
2010年3月

中央銀行券の債務性と政府紙幣の特質に関する研究
A Study on the Nature of Central Bank Note
and Government Note

小栗 誠治

目次
(はじめに)
T 中央銀行券―中央銀行券は中央銀行の債務か―
1.日本銀行の見解
2.銀行券の債務性を認めない見解
3.銀行券について通常の意味での債務性に疑問を持つ見解
4.銀行券の債務性を認める見解
5.銀行券の債務の内容
6.銀行券の債務の弁済方法
7.商品貨幣と不換紙幣の統一的把握
8.銀行券の資本性
9.中央銀行の自己資本
U 政府紙幣―歴史を元に戻すものか―
1.政府紙幣の特質
(1)スティグリッツの提言
(2)吉田暁氏の見解
(3)渡辺佐平氏の見解
(4)小幡道昭氏の見解
(5)西川元彦氏の見解
(6)日本銀行の見解
(7)小括
2.通貨発行の仕組み
3.政府紙幣発行の方法と帰結
(結び)
参考文献


滋賀大学経済学部教授(E-mail: oguri@biwako.shiga-u.ac.jp) 2
(はじめに)

わが国で唯一の発券銀行である日本銀行は、2009年末時点で80兆9,543億円の
銀行券を発行している。発行した銀行券は日本銀行の債務として認識され、貸
借対照表上の負債に計上されている。銀行券はなぜこのように負債に計上され
るのか、すなわち銀行券は中央銀行にとって債務か否かという問題は、通常ほ
とんど意識することがないかあるいは見落としがちであるが、そこには中央銀
行の本質に迫る問題が潜んでいるのである。
その一方、銀行券とは別に、長期不況やデフレへの対応という観点から政府
による政府紙幣の発行についても政府や識者の間で議論が行われている。とく
に2003年4月にスティグリッツが日本に対し政府紙幣発行の提言を行ったこと
は大きな注目を集めた。政府紙幣と銀行券は一体どこが違うのか。本稿で検討
するように、両者は、同じ通貨であっても、全く質の異なるものである。政府
紙幣について根本的な検討を加えることは、銀行券の本質を解明することにつ
ながるのである。歴史を振り返れば、通貨の発行を国家の手から離し、中央銀
行という制度を形成してきたことが一番の根幹のところであり、そうした教訓
を忘れてはならない。
近年主要国の中央銀行は、グローバルな経済・金融危機に対処するため、伝
統的な金融政策に加え、様々な非伝統的金融政策を実施してきた。本稿は、こ
うした金融のダイナミックな動向を念頭に置きながら、改めて中央銀行の本質
に遡り、マネーの本質を探ろうとする試みの1つである。
本稿の目的は2つある。1つは、中央銀行券は中央銀行にとってなぜ債務であ
るのかを検討することである。これについては、まず中央銀行の債務性を巡る
諸見解を検討したあと、債務の実質的内容や弁済方法に関し考察するほか、中
央銀行券を含めた不換紙幣と商品貨幣を統一的に把握する方法、中央銀行券の
資本性、中央銀行の自己資本について論じる。もう1つの目的は、政府紙幣の
本質を検討することである。これについては、政府紙幣と中央銀行券の比較を
通して両者の違いを明らかにし政府紙幣の本質を浮き彫りにしたあと、実際の
政府紙幣の発行の仕組み、帰結、問題点を検討するほか、関連してヘリコプタ
ーマネー論についても言及する。 3
T 中央銀行券
―中央銀行券は中央銀行の債務か―


1.日本銀行の見解

銀行券は上述のように日本銀行の貸借対照表の負債の部に計上されているが、
発行主体である日本銀行は、銀行券の債務性についてどのように考えているの
であろうか。まず日本銀行の見解を見てみよう。日本銀行はこのことについて
次のような説明を行っている。
「日本銀行が設立された当初、日本銀行の発行する銀行券は、金や銀との
交換が保証されていました。こうした制度の下で、日本銀行は、銀行券の
保有者からの金や銀への交換依頼にいつでも対応できるよう、銀行券発行
高に相当する金や銀を準備として保有しておくことが義務付けられていま
した。このような銀行券は、いわば日本銀行が振り出す『債務証書』のよ
うなものだと言えます。このため、日本銀行は、金や銀をバランスシート
の資産に計上し、発行した銀行券を負債として計上しました。
その後、金や銀の保有義務は撤廃されました。一方で、銀行券の価値
の安定については、『日本銀行の保有資産から直接導かれるものではなく、
むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべきである』
という考え方がとられるようになってきました。こうした意味で、銀行券
は、日本銀行が信認を確保しなければならない『債務証書』のようなもの
であるという性格に変わりがなく、引き続き負債に計上しています。この
ような取扱いは、米国や英国の中央銀行など、主要中央銀行において一般
的となっています」1

つまり、現代の不換銀行券は、金や銀との兌換がなくなったとしても、引き
続き日本銀行にとって債務としての性格を有しているというのが日本銀行の見
解である。なぜならば、銀行券の保有者に対してその価値を護ることが中央銀
行の責務であるが、それは中央銀行が適切な金融政策の運営を行うことによっ
て達成することができるのであって、銀行券発行の見返資産として金や銀など
の兌換資産を保有することから直接的に導かれるものではないと考えられるか
らである2
。こうした意味から、中央銀行は適切な金融政策を行う責務、すなわ
ち債務を負っているということができ、そうした金融政策への信認そのものが
銀行券発行の担保になっているのである。

1
日本銀行「経理、決算」日本銀行ホームページ.
2
金融制度調査会(1997)第五4(2). 4
また、中央銀行による銀行券の発行と政府による政府紙幣の発行を比較する
視点から、政府紙幣の発行が行政行為に基づくものであるのに対し、銀行券の
発行は本質的にビジネスとしての行為であり、従ってそれは債務証書であると
日本銀行は述べている。
「そもそも中央銀行の発行する銀行券は中央銀行の債務証書であり、信用
通貨に外ならない。・・・銀行券の発行は信用に基づくものであり、政府紙
幣の発行は強権即ち行政権に基づいている。即ち中央銀行のバランスシー
トにおいて、負債勘定の銀行券発行高に対し、同額の資産が資産勘定に確
保されているという仕組を通じて銀行券の発行が信用に基づくものである
という実体が示されている。之に反し政府紙幣は国家の債務証書であると
いう点において国債に似ているが、併し国債と異なり、支払われる約束の
ない(支払期限なし)、しかも無利息の債務である。従って政府紙幣の発行
は強権によらざるを得ず、その行為は行政権に基づく行為、即ち行政行為
であり、私法上の原則を無視して行われる。・・・・ 銀行券の発行が行政行
為ではなく、本質的にビジネスであることは明らかであろう」3

これは、銀行券と政府紙幣の本質的な違いに基づき銀行券の債務性を説明し
たものであり、極めて重要な論点である。中央銀行が政府と異なるのは、政府
の場合は通常「市場の外から」政策を実施するのに対して、中央銀行は「市場の中
にあって」市場のメカニズムに即して政策を行うところにある。中央銀行は「市
場の中の銀行」であることが大きな特徴であり、このことが銀行券を政府紙幣
とは本質的に異なるものとしているのである。
2.銀行券の債務性を認めない見解

他方では、銀行券は中央銀行の債務と認識すべきではないとする見解が存在
する4
。例えば、建部正義氏は「不換銀行券はなんらの債務性も負わない文字ど
おりの不換紙幣」5
であるとして中央銀行券の債務性を否定した上で、その流通
の根拠を国家によって付与される法定通貨性に求めている。
「不換銀行券は、兌換銀行券と異なり、いまや金支払約束はもとより金以外

3
日本銀行(調査局)(1995)pp.547-549.
4
兌換が停止された不換銀行券は信用貨幣から国家紙幣に転化するのかどうかを巡って、わが国
では、戦後 1950 年代から 60 年代にかけて一大論争が行われた(不換銀行券論争)。依然として
信用貨幣であるとする説(不換銀行券=信用貨幣説、岡橋保)と国家の強制通用力に基づいて流通
するとする国家紙幣説(不換銀行券=国家紙幣説、飯田繁、麓健一、三宅義夫ほか)との論争であ
ったが、そこでは不換銀行券の債務性を巡る問題が大きなテーマの一つであった。ただし本稿で
はこの論争の内容には立ち入らない。不換銀行券論争のポイントについては、泉正樹(2004)を
参照のこと。
5
建部正義(1997)p.69. 5
のいかなる意味での貨幣支払約束も負うものではないから、もはや兌換銀行
券のように信用貨幣とみなすことはできず、たんなる不換紙幣であると称す
る以外にはない存在となっている。しかし、それにもかかわらず、今日、不
換銀行券は強制通用力を付与された法定通貨の資格において、兌換銀行券と
等しく、貨幣の流通手段機能や支払手段機能はもとより、さらにすすんで蓄
蔵貨幣機能をも果たしつづけている。・・・兌換をつうじて現実の金との同
一性が保証されている兌換銀行券とも異なり、文字どおりペーパーマネーに
すぎない不換銀行券が、なぜ、このような貨幣的性格を備えうるのであろう
か。その理由は、上にみた国家による法定通貨性の付与という点に見出され
る」6

では、なぜ、日本銀行は銀行券を自らの債務というのか。この点について、
建部氏は次のように述べている。
「その理由は、直接的には、日本銀行の貸借対照表において、銀行券が、兌
換銀行券以来、負債の部に記帳されてきたという事実に依拠したものである
と考えている。じっさい、複式簿記には、資産、負債および資本という 3 つ
の項目しか存在しない以上、貸出しという資産の見合いとして、不換銀行券
といえども負債たる項目に仮記される以外にはありえない。あるいは、簿記
上は、金融機関による日本銀行に対する債務の履行にあたり、日本銀行は自
らが発行した不換銀行券の受領義務を負う(経済学的には、この事実は、金
融機関による不換銀行券の受容という事実じたいを含めて、より一般的に、
法貨規定ないし強制通用力の付与によって証明することができる)、という
場合のこの銀行券をも負債とみなしうるということであろうか」7

また、三宅義夫氏も「兌換停止下では、中央銀行は銀行券を発行しても債務
を負うわけではないし、預金の方も、銀行券で引出されてもその銀行券を自分
で自由につくりだすことができるのであるから、これまた債務を負うものでな
い」8
と述べ、中央銀行券の債務性を否定した上で、これが中央銀行のバランス
シートの負債に計上されている事実について「エレガントなパズル」であると述
べている。
「不換銀行券も発券銀行の債務であるとする岡橋説は、おそらく岡橋教授以
外のなにびとをも納得させえないと思われるものであるが、不換銀行券発行
高は発券銀行の貸借対照表においてその『負債の部』の計上項目となってい
ることは、どう説明したらよいか。これは一つのいわばエレガントなパズル

6
建部正義(1997)p.17.
7
建部正義(1997)p.70.
8
三宅義夫(1981)p.223. 6
となりうるであろう」9

では、銀行券が中央銀行のバランスシートの負債の部に計上されている点を
どのように理解するのか。これに対する三宅氏の回答は次のようなものである。
「中央発券銀行のバランスシートは兌換停止のもとでも兌換制下のそれが
そのままの形で引きつがれており、不換銀行券でも負債の部にその発行高が
計上されている。しかし中央銀行はこの発行銀行券に対する兌換義務、つま
り兌換債務を負っているわけではない。負債の部に計上されていてもそれだ
けのことであって、計上することによって負債となるものではない」10

以上のように、建部、三宅両氏とも、現代の不換銀行券に債務性は認められ
ないとした上で、それにもかかわらず、銀行券が中央銀行のバランスシート上
「負債」として計上されているのは、銀行券が不換銀行券に移ってからも兌換銀
行券時代の記帳の仕方を単にそのまま引き継いだからに過ぎないと理解するの
である。
次に、現在財の概念を用いて銀行券の債務性に異議を唱えるミーゼスの見解
を検討しよう。ミーゼスは『貨幣および流通手段の理論』において、銀行券は
金貨たる貨幣と全く同様の機能を果たしており、この意味から銀行券は手形の
ような将来財ではなく現在財であると述べている。
「銀行券を受取り所有する者は、信用を供与するのではなく、現在財を将来
財に交換するのではない。・・・銀行券は例えば貨幣と同じ現在財である」11

このようにミーゼスは、銀行券は債務を負わない貨幣と同様の現在財である
と捉え、将来の貨幣支払いを約束した債務、すなわち将来財とは考えない。こ
の見方に立てば、中央銀行は、銀行券の発行に要するごく僅かな製造費用を別
とすれば、何らの債務も負うことなく銀行券を発行することができるため、事
実上、無から現在財を創り出す力を持っていることになる。
銀行券は現在財であるとするミーゼスの考え方によれば、銀行券が中央銀行
から流通過程に入っていく方法も、債権・債務関係を形成する貸出等の信用関係
を伴うものではなく、信用関係を伴わない財・サービスの直接的な購入という形
になる。これは、政府の発行する政府紙幣が流通過程に入る方法と同じである。
ミーゼスの考える銀行券は、中央銀行の発行する銀行券というよりも、政府紙
幣が想定されているといえよう。

9
三宅義夫(1970)p.152.
10
三宅義夫(1970)p.134.
11
Ludwig von Mises(1912)邦訳 pp.288-289. 7
3.銀行券について通常の意味での債務性に疑問を持つ見解

館龍一郎・浜田宏一氏は、基本的には銀行券の債務性を認める立場をとって
いるが、銀行券の債務を銀行券で弁済するという点を捉えて、これは通常の意
味での債務というにはやや疑問が残るとしている。また両氏は、銀行券の流通
性の根拠について、銀行券の債務性を認めない立場の論者が重視する法貨であ
るという国家権力の保証よりも、銀行券は任意の財と交換に必ず受容されると
いう人々の一般的受容性の観点がより現実的だと主張している。
「われわれが日本銀行券を受け取るのは、それが一般的支払手段として国
家によって保証されているという事実に基づいているという主張がなされ
ることが多い。すなわち日本銀行券は法貨(legal tender)であるから、あ
る債務の弁済に日本銀行券を支払えば、債務の弁済を行ったと法律的に認
められるのであり、そうした法律的な取決めを基礎にしつつ、日本銀行券
は貨幣として通用している。したがって、そうした国家権力の保証によっ
てこそ円は流通しているのだという主張である。しかしながら、われわれ
が普通に貨幣を貨幣として受け取るのは、其れが法貨だということが念頭
にあるからではなく、やはり一般的受容性をもつものだということに基づ
いて受け取るのだと考える方が、より現実に即した考え方であるといえよ
う。なお、貨幣は時に政府の債務であるといわれるが、それは政府に円を
持っていけば、また円を返してくれるという意味での債務であって、それ
を普通の意味での債務と考えてよいかに関しては、依然として疑問が残ら
ないわけではない」12

現在でもイングランド銀行が発行するポンド紙幣の券面には、例えば 20 ポ
ンド紙幣であれば「I promise to pay the bearer on demand the sum of twenty
pounds」との文言が記載されているが、かつての金兌換時代と異なり、20 ポ
ンド紙幣を同行に持ち込み引換えを請求したとしても、同額がポンド紙幣によ
り渡されるだけである。
また、岩井克人氏は、中央銀行券は形式的には中央銀行の負債であるが、そ
れは返済する必要のない負債であり、実質的には負債として機能しないもので
あると主張している。
「銀行券はそれを保有している人にとって資産である。・・・ 他方、銀行券
は、形式的には他の債権と同様に発行者である中央銀行の負債である。だ
が、個人や私企業の場合(返済期限あるいは償還期限が過ぎているならば)、
自分が発行した借金証文や債券を持ってきた人に対して、自分の他の資産
を取り崩して指定の金額を支払わなければならないのにひきかえ、中央銀

12
館龍一郎・浜田宏一(1972)p.74. 8
行の場合は銀行券を持ってきた人に対しては全く同額の銀行券を手渡せば
よい。その人が持ってきた同じ銀行券を手渡したって一向にかまわない。
中央銀行にとって、支払のために他の資産を取り崩す必要など全くないの
である。すなわち、銀行券の発行額が記載されている中央銀行の負債勘定
は、中央銀行にとって決して
・ ・ ・
返済

する
・ ・
必要
・ ・


ない
・ ・
負債
・ ・
を表していることに
なる。結局、それは形式的には負債に他ならないが、実質的には負債とし
て機能しない。・・・発行した当の中央銀行が決してその保有者に負債額を
支払うつもりはないのだから、その保有者にとっては、それは結局、決して
・ ・ ・
返済
・ ・


期待
・ ・
し得ない
・ ・ ・ ・
貸付け
・ ・ ・
に等しいはずである。では、決して返済を期待
し得ない貸付けとは何であろうか。それは明らかに、当の本人の意識がど
うであれ、一方的な贈与というべきものである」13

岩井氏は、中央銀行券の性格をこのように規定し、中央銀行券の通常の意味
での債務性に疑問を呈している。しかし、銀行券は、岩井氏が述べるように、
返済する必要のない中央銀行の負債なのではない。発行された銀行券の一定残
高が常に経済界に存在しているが故に、それは返済する必要のない中央銀行の
負債であるように見えるけれども、その実体は絶え間なく発生している銀行券
の発行と消滅の結果なのであって、決して返済がなされていないのではない。
従って、また銀行券の発行は贈与でもないのである。
また岩井氏は、中央銀行券が貨幣として機能することを説明するのに、貨幣
商品説も貨幣法定説も無力であるとして退ける。そして「貨幣が貨幣であるのは、
それが貨幣として使われているからだ」という自己循環的論理によって貨幣の
機能を説明するのである。
「貨幣商品説というのは貨幣の裏にはそれ自体価値のある商品が存在して
いるという主張です。もちろん、金銀が貨幣として選ばれるのにはそれな
りの理由があるわけですが、しかしそれが本質的な理由じゃない。金が貴
重であるとか細かくできるとか薄くのばせるとかいっても、それが根本的
な理由ではなくて、金が貨幣であったのは単にそれが貨幣として選ばれた
という自己循環的論理によってなのです。同時に、われわれのモデルは貨
幣法定説―貨幣が貨幣であるのはそれが法律によって貨幣として選ばれた
からだという説―の批判にもなるわけです。今までの簡単なモデルで説明
した貨幣の論理は、政府とか共同体の規制がなくても、人々が仮にある財
を貨幣として選んだら、それが貨幣として選ばれたことが逆に人々に強制
的にそれを貨幣として使わせるというもので、ここには国家や共同体の強
制は何も働いていません。国家や共同体の強制力と関係なく、何かが貨幣
として選ばれれば、それ自身のいわば自己循環的論理によって貨幣として

13
岩井克人(1985)pp.117-119. 9
機能し続けるということです」14

4.銀行券の債務性を認める見解

兌換銀行券の場合は、銀行券発行には金等の本位貨幣の準備が必要とされる
が、不換銀行券の場合はそうした制約をもたず自由な発行が可能である。しか
し兌換が停止されていても、日本銀行は銀行券を発行すれば必ずその見返りと
なる資産を保有している。見返資産には、金、銀のほかに、貸付、手形、国債
等があり、原則としてこれらは優良資産であるというのが中央銀行の原則であ
る。したがって仮に銀行券の債務の弁済を求められた場合、日本銀行はこれら
の優良な見返資産の返済を求めることによって、最終的には見返資産の元とな
った物の返済を受け、これを銀行券の弁済を求めた人に渡す形で銀行券の債務
を完了させることができるのである。
民間銀行の預金の場合、預金は発行銀行にとって債務であり、預金者にとっ
て債権である。預金については、現実的に銀行券によって引出され、弁済され
るので、預金の債務性は明らかである。しかし、中央銀行の発行する不換銀行
券の場合は、現実的に弁済されることがないにもかかわらず、債務と認識され
ている。これは何故であろうか。西川元彦氏は銀行券を中央銀行の債務とみる
立場から、銀行券の弁済性について、次のように述べている。
「預金通貨が銀行券により現実に弁済(引出)されうるのに対し、弁済され
ることのない不換銀行券がなぜ負債であり、流通しうるのかということに
ついて一言しよう。・・・仮に不換銀行券を実際に弁済すると空想してみよ
う。その場合は、再割引した手形(保証物件)の弁済を求めざるをえず、商
業 銀 行 か ら 問 屋 や メ ー カ ー に 弁 済 請 求 が 順 次 及 ん で い く 。 最 終 的 な 姿
は、・・・最初の買い手から商品を取り戻し、それで銀行券所持者に弁済す
ることになる。実際には、そんな不便な回り道をせず、銀行券所持者は市
場で商品を買うことによって、銀行券という債権の弁済を受けたのと同じ
結果を得る。市場でその商品を売った人の手に渡った代金は、最終的には
当初の借入(手形割引)の返済に充てられ、中央銀行の勘定の上でも、実際
に、割引債権と銀行券という債務の双方が消滅する。空想上の弁済と同じ
ことが間接的には市場取引で実現するわけである。これが『信用通貨によ
る交換経済』の機構であり、銀行券発行の全経済的な『仕組み』なのであ
る。金による弁済を行わなくなった不換紙幣にも一種の弁済性があるとい
ってよいだろう」15


14
岩井克人(1990)p.9.
15
西川元彦(1984)pp.47-48. 10
筆者も不換銀行券は単なる紙片と捉えるべきではないと考えている。中央銀
行が銀行券を発行する場合は、その見返りとして保証物件を取得するので、こ
れを通じて中央銀行は外部との間で債権・債務関係を形成するのである。中央
銀行が市場の中でセントラル・バンキングを行うという意味合いもそこにある
といえる。中央銀行券は債務であるとの認識を中央銀行がしっかり持つことは、
中央銀行が国民から篤い信認を受け、これを維持していくに当たり肝要である
と考える。西川氏の見解は、貨幣・信用経済への深い洞察のもとに銀行券の債
務性を全経済的な「仕組み」の中から捉えるものであり、銀行券の債務性の説明
として最も説得性を持っている。
また、吉田暁氏も中央銀行の発行する銀行券は債務であると主張しているが、
中央銀行と民間銀行の性格の同質性を強調する点に特徴がある。
「中央銀行も貸した金は返済されなければならないという原則に立って、
自らの債務(銀行券、預金)で貸し出しを行う。この点は歴史上の民間発
券銀行とも、今日の預金を創出する民間銀行とも異なるところはない。・・・
中央銀行の場合でも、取引先銀行は銀行券を持ち込むことにより借入を返
済するか預金を増やすのであって、これが銀行券弁済の具体的な姿である。
銀行券は与信をもとに発行されるが、その銀行券が還流するときには中央
銀行の与信(資産)は消滅する」16
5.銀行券の債務の内容

銀行券が中央銀行の債務であるとすれば、その債務の内容は何であろうか。
筆者はその内容として、捉える視点はそれぞれ異なるものの、以下の4つがあ
ると考えている。
第 1 は、中央銀行は、銀行券を発行する場合、保証物件・見返資産の取得とい
う形で中央銀行の外との間で債権・債務関係を形成している。従って、銀行券債
務に対しては、金や銀などとの兌換が行われなくても、再割引手形や国債等の
保証物件・見返資産が資産として対応しており、もし銀行券所持者が銀行券の弁
済を求めてきても下記の6で述べる形で弁済が行われることになる。この場合、
銀行券の対応物である保証物件・見返資産の健全性を維持しておくことがきわ
めて重要であるが、銀行券発行に対する債権・債務関係は明確である17

第 2 は、銀行券はかつては金との兌換に応じるという義務があり、その意味

16
吉田暁(2002)pp.126-127.
17 中央銀行の貸借対照表を見れば債務である中央銀行券の裏側には対応する資産が張り付いて
いる。資産の中心がかつてのように金準備でなく債権であっても、それが確実に支払われるのは
背後に商品が存在しているからである、そう考えることができるとすれば、中央銀行券は実物的
な基礎に支えられているといえよう。 11
から債務性は明らかであった。しかし、現在は銀行券に金との兌換の義務はな
いが、代って日本銀行は適切な金融政策を遂行することによって銀行券の価値
の安定を図り、銀行券のもつ購買力を維持する「責務」を負っている。こうし
た意味から銀行券は引き続き債務性を有し、その債務の内容は「適切な金融政策
の遂行による銀行券の価値の安定」といえる。これは既述のとおり日本銀行の見
解であり、また新日本銀行法を答申した金融制度調査会の見解でもある18

第 3 は、銀行券は、これを取引相手に支払うことによって取引相手との決済
を終了させるという支払完了性(ファイナリティ)を有している。例えば、民
間銀行は顧客の要請があれば預金を銀行券に引き換える義務を負っているが、
顧客が銀行券を安心して受取るのは、それに支払完了性がきちんと備わってい
るからである。銀行券のもつ支払完了性を維持するのは日本銀行の「責務」で
あり、信用経済の基盤となるものである19
。この意味からも、銀行券には債務性
があるといえ、この場合の債務の内容は「銀行券の支払完了性の維持」である。
上記の第 2 および第 3 の債務の内容である「適切な金融政策の遂行による銀
行券の価値の安定」や「支払完了性の維持」は金や商品といった具体的な有形
のものではなく無形のものであり、この点が大きな特徴である20

しかし、債務の内容が有形のものから無形のものへと変化を遂げたとしても、
中央銀行の財務の健全性が重要であることに全く変わりはない。銀行券に債務
性がある限り、銀行券の見返資産はできるだけ優良なものに限定しておくこと
が財務の健全性の上から極めて重要である。この点で、1998 年 4 月から施行さ
れた新日本銀行法において、旧法では存在していた銀行券の「発行保証制度」
が廃止されたが、この制度は、例えば近年における日本銀行による株式等のリ
スク資産の購入や非伝統的金融政策の実施の是非を評価する場合 1 つの基準を
提供するものである。銀行券の「発行保証制度」は日本銀行の財務の健全性と
結びつくものであるだけに、本制度の持つ意義については再検討する必要があ
ると思われる21


18
金融制度調査会(1997)は、「管理通貨制度の下、日本銀行券の価値はその保有する財産から直
接導かれるものではなく、日本銀行券の価値の安定のためには、発行保証制度より、むしろ日本
銀行の金融政策の適切な遂行が求められているところである」との見解を述べている。
19 銀行券のもつ支払完了性を維持する責務は「資金決済の円滑の確保を図り、もって信用秩序
の維持に資する」(日本銀行法第1条第2項)という中央銀行の目的から出てくるものである。
20
不換銀行券の債務性を認めない立場の論者は、銀行券と金との結びつきを重視し、銀行券は
金への兌換請求権があって初めて債務性があるのであって、それがない不換銀行券には債務性が
認められないとする。これを基に、「不換銀行券の債務性を証明するために、物価安定(通貨価値
の維持)を持ち出すというのは、論理破綻以外のなにものでもない」(伊藤<2003>p.63)と批
判する人もいる。
21
金融制度調査会(1997)は、新日本銀行法の制定に当たり、銀行券の発行保証制度の廃止を答
申したが、但し書きとして「発行保証制度の廃止後においても、中央銀行の財務の健全性の重要
性が減ずるわけではなく、銀行券の価値に対する信認を確保するためにも、中央銀行の全体とし 12
第 4 は、銀行券は、日本銀行法により、法貨としての強制通用力が付与され
ており、この意味で銀行券は政府保証付き債務の性格を有している。つまり、
日本銀行の資産サイドに政府保証というオフバランス資産があるといえる。政
府保証の裏には国の徴税権があるので、結局のところ、銀行券は税金を見合い
とした債務であると考えることができる。この場合には、債務の内容は「徴税権
を背景にした政府の保証」ということになる。2.で検討した中央銀行券の債務
性を否定した上でその流通の根拠を国家による法定通貨性に求める見解も、こ
の第4の観点に立つならば、銀行券には債務性があると考えることができるの
ではなかろうか22

実際、旧日本銀行法には、附則として政府財政による損失補填規定が存在し
ていた。これは、日本銀行に損失が発生した場合、政府が不足額を補填すると
いう内容であった。ただし、政府による補填は日本銀行の決算上の損失に対す
る補填であり、銀行券の発行と直接結びついたものではなかった。しかし、こ
の規定は日本銀行の財務の独立性の観点から問題があるとして、新日本銀行法
においては廃止された。銀行券の債務性に関する第 4 の観点に立つ限り、銀行
券の発行と直接結びついた政府の保証を明示化することが検討事項となろう。
6.銀行券の債務の弁済方法

銀行券が債務性を持つとした場合、債務の弁済はどういう形で行われるのだ
ろうか。以下、上記5で述べた銀行券の債務の内容のうち第1の観点に沿って
検討する。今、銀行券所持者が日本銀行に銀行券の債務の弁済を求めてきたと
想定しよう。日本銀行は銀行券を発行した場合、その見返りとなる資産を保有
している。ここでは手形、国債、貸付の3つの典型的な資産をとりあげ、もし
日本銀行が銀行券の債務の弁済を求められた場合、どう対応するのかを3つの
資産別に検討しよう。
第 1 は、日本銀行が見返資産として保有している再割引手形について、手形
を持ち込んだ民間銀行に対してその弁済を求めるケースである。これは西川氏
が上記で述べたケースに該当する。この場合、日本銀行から弁済を求められた
銀行は、さらにその手形を持ち込んだ企業に弁済を請求するだろう。こうした
弁済請求が順次関係者へ遡及されていき、最終的には一連の流れの始発企業か
ら商品を取り戻すことになる。そして、日本銀行はその商品を日本銀行へ弁済
を請求してきた銀行券所持者に渡すことによって、銀行券の弁済が完了するこ

ての財務の健全性に対する十分な配慮が必要である」としている。
22
泉正樹(2004)は、不換銀行券は国家紙幣を貨幣として発行される貨幣債務証書であると捉
え、「不換銀行券が発券銀行の貸借対照表の『負債の部』に計上されるのは、モノとしては実在
していない国家紙幣の貨幣債務証書であるから」(p.51)だと述べている。 13
とになる。
第 2 は、日本銀行が見返資産として保有している国債の弁済を国に請求する
ケースである。この場合、国は基本的には税金でもって日本銀行に弁済するこ
とになるが、実際の弁済形態は銀行券である。したがって、日本銀行は弁済を
求めた銀行券所持者に対して銀行券でもって弁済することになるので、この点
で第 1 のケースのように銀行券の債務を商品で弁済するのと異なる。またこの
ケースでは、国の徴税権の存在が弁済の前提になっており、第 1 のケースのよ
うに現実的な商品の生産という経済的背景が前提となっていない点で大きく異
なる。
第 3 は、日本銀行が見返資産として保有している貸付について、貸付先の銀
行に対してその弁済を求めるケースである。この場合、日本銀行から弁済を求
められた銀行は、銀行券でもって日本銀行に弁済することになる。仮に貸付先
の銀行が弁済不能の場合でも、日本銀行は貸付先から適格担保を徴求している
ので、この担保を処分することにより貸付の回収を図ることができる。担保が
国債である場合は、第 2 のケースと同様であり、商業手形の担保を処分する場
合は、第 1 のケースと基本的に同様となる(ただし、この場合は日本銀行が商業
手形発行企業に直接弁済を請求することとなり、この点で再割引手形の持ち込
み銀行が企業に弁済を求める第 1 のケースと異なる)。
以上、典型的なケースについて銀行券の弁済方法を検討したが、中央銀行に
とって債務である銀行券は、もしその弁済を求められた場合には、基本的に上
記のような形で弁済されるのである。
7.商品貨幣と不換紙幣の統一的把握

以上、現代の中央銀行が発行する不換銀行券に関して、これの債務性を巡る
問題について検討してきた。貨幣が金貨、銀貨等の商品貨幣から金貨、銀貨等
に兌換できない不換紙幣へと移行したのは 20 世紀中葉であるが、商品貨幣と不
換紙幣は、貨幣としては全く異なるものであると一般に考えられている。しか
し両者は多くの人が考えるようにほんとうに異なるものであろうか。商品貨幣
と不換紙幣を同一のフレームワークの中で統一的に説明することはできないだ
ろうか。バーグルンドによればこれは可能であるという。以下、彼の見解を紹
介し、検討しよう23

国家は租税の支払いをどんな資産で受け入れるかを決定し、宣言する。同時
に、国家は租税の支払いのための資産を必要な規模だけ国家の債務として発行
する。国家の債務を資産として保有する所持者は国家に対し金融的請求権を持

23 以下は、Berglund, P.(2004)による。 14
つことになる。ここでいう国家は、政府のほか中央銀行も含まれたものである。
金融的請求権は貨幣として知られているトークン(token)の形で存在する。ト
ークンは、金貨、銀貨等の貴金属貨幣のように素材価値を有することもあるし、
単なる紙の証書のように素材価値を有しないものもある。前者は商品貨幣、後
者は不換紙幣である。
国家はトークンの額面価値を定めるとともに、租税の支払いにおいてトーク
ンを額面価値で受け入れる。トークンの額面価値と素材価値の差額は通常プラ
スであり、これはシーニョレッジとして知られている。トークンの製造が国家
の管理の下にあり、その製造量が適切に制限されている限り、プラスのシーニ
ョレッジが存在するであろう。不換紙幣の場合は、そのシーニョレッジの規模
は大きいが、商品貨幣の場合は、その規模は小さく、マイナスの場合もありう
る。シーニョレッジがマイナスということは、貨幣としての価値よりも、商品
としての価値の方が高いということである。もし、シーニョレッジのマイナス
があまりに大きい場合は、公衆はトークンを保蔵するかあるいはそれを物質的
素材そのものとして使い、貨幣として使うことを止めてしまうであろう。
トークンの素材価値そのものは、実物資産であり対応する負債をもたない。
そこで、トークンの素材価値に注目した場合、実物資産の実際の所有者は誰か
という問題が出てくる。結論を先に述べれば、会計学的には、この実物資産は
国家の貸し方に記入すべきだということになる。上述したように租税の支払い
にトークンを受け取ると宣言したことによって、国家は自動的にトークンの額
面価値に等しい債務を有している。もし国家がそれだけの金額の債務を負って
いるならば、トークンの所持者は国家に対し同額の請求権を持っていなければ
ならない。しかし、トークンの所持者は国家に対する金融的請求権と実物資産
の物質的素材に対する所有権の 2 つを同時に持つことはできない。つまり、所
持者は、トークンに対する財産的な権利を、債権として持つと同時に、物権と
して持つことはできない。もしそうすれば、財産権の明らかな二重計算になる
からである。従って、トークンの素材価値である実物資産はトークンの所持者
の資産として記帳することはできない。国家は、トークンを造幣する際、所有
する金・銀地金等の実物資産を使用するので、国家のバランスシート上は実物資
産の金・銀地金等が減少する一方、金貨・銀貨等の金融債務が増加する。つまり、
トークンを発行した場合、それに伴い実物資産はマイナスとなるので、この実
物資産の価値の減少は国家のバランスシートの貸し方(負債サイド)に記帳する
ことになる。他方、発行済みの金貨・銀貨等のトークンが市中から国家へ還流し
てきた場合、それらの貨幣は国家の金庫の中ではもはや貨幣ではなく、その素
材価値をもつ単なる実物資産にすぎない。つまり、金貨・銀貨等のトークンが国
家に還流した後においては、金貨・銀貨等の金融債務が減少する一方、実物資産 15
が増加する。従ってこの場合、実物資産は国家のバランスシートの借り方(資産
サイド)に記帳されることになる。
トークンが経済の中で流通し、その所持者が転々と変わっても、トークンは
所持者の国家に対する請求権であることに代わりはない。つまり、トークンが
所持者の手元に存在する限り、国家とトークン所持者の間の債権、債務関係は
継続するのである。このように国家に対する請求権はトークンと固く結びつい
ている。そこでこの結びつきを消滅させるため、トークンの所持者がそれを貨
幣として使用することを放棄し、溶解した場合を考えることにしよう24
。この場
合、貨幣としてのトークンは溶解されてしまうので、所持者の請求権は消滅し、
したがって国家の債務も消滅する。つまり、トークンの貨幣としての債権、債
務関係はなくなるのである。トークンを溶解したあとに残るのは貴金属の塊で
あり、その素材価値は所持人の所有物となるのである。トークンを溶解するこ
とは、所持者の観点から見れば、金融資産を実物資産に変換することであり、
国家の観点から見れば、金融債務を消滅させるとともに、トークンが国家に還
流すれば獲得できたところの実物資産を取り戻す可能性を排除してしまうこと
である。従って、会計学的に整合性をとるための論理的方法は、たとえ所持者
がトークンを所有していたとしても、バランスシート上ではトークンの素材価
値を国家のバランスシートの貸し方に記入することである。国家は、トークン
が溶解されずに国家の債務として存在する限り、素材価値に対する権利を保持
するのである。
まとめれば、トークンを溶解すれば、@金融資産・負債関係を消滅させるとと
もに、A実物資産を国家のバランスシートから所持者のバランスシートに移転
することになるのである。国家は、実物資産を失うが、また負債も失う。所持
者は、実物資産を獲得するが、金融資産を失う。トークンの溶解に伴う所持者
のネットの損益は、額面価値と素材価値の差であるシーニョレッジの規模とそ
れがプラスかマイナスかに依存する。
現代の不換銀行券は素材価値がほとんどないので、不換銀行券は上記の議論
において実物資産を考慮しない場合に相当する。ここで見てきたバーグルンド
によるトークンの議論は、これまで全く異なるものとみられてきた商品貨幣と
不換銀行券を統一的視点から把握することを可能にするものである。今後より
一層の検討、深化が必要とはいうものの、貨幣の本質を解明する上で有益な示
唆を与えてくれるものである。

24 ケインズはかつて、インドの通貨ルピーを「銀に印刷された紙幣」(Keynes, J.M.(1913)訳
p.28.)と定義している。これはルピーの所持者が、それを貨幣としてもあるいは銀としても使
用できることを意味している(ただし、両方の使い方を同時に行うことはできない)。 16
8.銀行券の資本性

銀行券についてこれまではその「債務性」に焦点を絞って検討してきたが、
実は銀行券は「負債」という性格だけでなく、もう 1 つ会計学上の「資本」と
いう性格も併せ持っている特別の金融手段なのである。ひとたび銀行券の資本
性を認めるならば、この視点は中央銀行の本質に迫る問題を考察する際に有力
な手がかりを与えてくれるように思われる。以下では、その一端について論じ
てみたい。
金本位制の場合は、銀行券は金への兌換請求権をもっていた。しかし、不換
銀行券の場合は、仮に銀行券の金への引き換え要請があったとしても、金への
兌換は行われない。中央銀行に銀行券を持ち込んでも銀行券で弁済されるだけ
である。不換銀行券の下では、そもそもこうした銀行券の引き換え要請が出て
こないよう、政府が銀行券に対して法貨としての強制通用力を持たせていると
いえる。したがって、不換銀行券は、約束どおり何かに引き換えるという普通
の意味での債務とは性格を異にしており、債務とはいうものの実質的には「償
還請求権のない債務」のようなものであるといえる。また「時効」という点か
らみても、通常の債務は、例えばある時点までは償還請求権があるがそれ以降
はなくなるといったように、償還請求権に「時効」が存在するが、銀行券には
こうした時効というものが存在しない。銀行券は債務とはいうものの「時効の
ない債務」なのである。
このように銀行券は実質的に永久に償還請求権のない債務とみなすことがで
きるとすれば、償還請求権も時効もない金融手段には、ここであげた銀行券の
ほかに、典型的なものとして株式がある。銀行券が債務でありながらその保有
者にとって引き換え請求が事実上できないものであるとすれば、それは実質的
には、株式と同じ性格を有しているといえる。この意味から、銀行券は「負債」
でありながら会計学上の「資本」の性格を併せ持つものであるといえる。もし
こうした観点に立つならば、銀行券を会計上の負債勘定ではなく資本勘定に計
上することも可能となるのであり、銀行券を負債勘定だけに計上することにこ
だわる必要はないということになる。
銀行券は債務性と資本性の 2 つの性格を併せ持つという銀行券の「二重性」
に着目すれば、中央銀行という組織に独自の特徴を浮かび上がらせることがで
きる。そのために 1 つの仮想ケースをとりあげたい。
今、仮に日本銀行がバランスシートの上で債務超過(資産が負債を下回る状
態)に陥ったと想定してみよう。この場合日本銀行は債務超過を解消するため、
増資を実施することにしたとしよう。通常の増資であれば日本銀行以外の外部
から資本の提供を受けるのが一般的である。しかし日本銀行の場合、外部から 17
資本の提供を受けるのでなく、日本銀行自身が銀行券の一部を資本勘定に振り
替えることにより、増資を行うことが可能である。これは日本銀行がわが国で
唯一の銀行券の発行権限を有する組織だからこそ可能なことである。この場合、
バランスシート上は、銀行券が減少し、資本金が増加する形となるが、これは
一種のデット・エクイティ・スワップ(debt equity swap 債務の株式化)とい
える。
今一つの考え方は、銀行券が負債と資本の両方の性格を併せ備えたものであ
るとすれば、上記のようにあえて増資という形はとらなくても、銀行券発行残
高と資本勘定の両者を合わせたものを改めて広義の資本勘定と認識することも
可能である。すると、中央銀行の場合、実質的な債務超過は一般的に起こり得
ないことになる。仮に実質的な債務超過が生じるとすれば、それは銀行券発行
残高が資本勘定のマイナス額の大きさを下回る場合のみだが、中央銀行のバラ
ンスシートにおいて銀行券のウェイトはきわめて高いので(日本銀行の場合、
銀行券は資産全体の約6割を占め、資本勘定の26倍の大きさである<2009 年
3 月末>)、そうした事態が生じる可能性は一般的には考えられない。銀行券発
行残高と資本勘定を合わせたものを中央銀行の広義の資本勘定としてカウント
することは、銀行券が債務性とともに資本性を備えているからこそ可能になる
ものであり、中央銀行という組織の大きな特徴といえる。
以上の考察は、あくまで 1 つの思考実験であるが、中央銀行の本質、銀行券
の性格を考察するに当たって大変興味深い手がかりを与えてくれるものである。
9.中央銀行の自己資本

銀行券の性格を検討する中で中央銀行の資本の問題を採り上げたので、ここ
では中央銀行にとって自己資本とはいかなる意味を持つのかについて若干述べ
ておきたい。
中央銀行の自己資本については、福井俊彦氏が日本銀行としての見解を述べ
ている25
。福井氏は、純粋に経済理論的観点からというよりも、むしろ政治経済
学的観点から中央銀行の自己資本の持つ役割を評価し、中央銀行が政府財政の
領域に近づくことを阻止する役割の 1 つとして中央銀行の自己資本の維持を強

25
福井俊彦(2003)「現実の中央銀行の行動や経験からすると、中央銀行が自己資本基盤に拘るの
は、必ずしも純粋に経済理論的な動機に立脚しているからではなく、むしろ、より広い政治経済
学的な知恵なのではないか、と考えられます。これを分かり易くいえば、『中央銀行は与えられ
た自己資本の範囲内でリスクをとるべきだ』という箍を外すと、途端に、中央銀行の機能と政府
の機能との境目が不明確になってしまう、ということではないでしょうか。… 現実的な対応と
しては、中央銀行は、やや長い目で見て適正な自己資本の水準を保つことを目途としつつ、その
範囲内で情勢に即して機動的に行動する、そういうプラクティスが多くの国で確立して来ている
のではないでしょうか。」(pp.10-11)。 18
調している。中央銀行といえども適正な自己資本比率を維持することが大切で
あり、もし中央銀行がリスクのある行動をとる場合にもバッファーたる自己資
本の範囲内で行うべきであるというのである。この考え方はセントラル・バン
キングの原則をよく踏まえたものと評価できるが、同時に政策実行者としての
プラグマチックな側面も併せ持っているように思われる。
渡辺努氏は、中央銀行における自己資本の持つ意味は中央銀行と政府の協調
関係如何によるとしている26
。米国のように両者が協調的に行動する国の場合は、
政府による中央銀行への資本補填が容易に行えるため中央銀行の自己資本に格
別の意味はないとする一方、欧州のように欧州中央銀行と各国政府の間の協調
関係が完全でない国では、中央銀行の自己資本は意味を持つといえるのである。
筆者は、中央銀行が適正な自己資本比率を維持することは、何よりも国民に
安心感を与える上で大変重要なことであるうえ、中央銀行の使命である物価安
定の確保や独立性の維持の観点からも大きな意義を持つと考えている。なぜな
ら、中央銀行は、仮に自己資本がマイナスになったとしても、銀行券を発行す
る権限があるのだから業務を継続することは可能である。しかし、例えば自ら
の自己資本をカバーすべく銀行券を増発すれば、中央銀行の目的である物価の
安定を脅かすことになるし、もし中央銀行が政府から損失補填を受ける事態に
なれば、中央銀行の独立性が損われることになるからである。
中央銀行の自己資本をどう考えるかは、中央銀行の財務の健全性、中央銀行
の独立性、財政と金融の役割分担等ともかかわる重要な検討課題であり、これ
については別稿により十分な考察を行いたい。









26
渡辺努(2009)p.26. 19
U 政府紙幣
―歴史を元に戻すものか―

1.政府紙幣の特質

(1)スティグリッツの提言

スティグリッツが、2003 年 4 月、長期不況に悩む日本に対し政府紙幣発行を
提言したことに驚いた人も多いと思う。スティグリッツは「これから申し上げ
ることはほとんど異端的な考え方であることから、信頼あるエコノミストとし
ての私の切り札を失うのではないかと危惧しています」27
と前置きしたうえで、
政府紙幣発行論を述べたのである。スティグリッツによれば、デフレ経済の下
では、政府紙幣の発行は議論に値する考えであり、政府紙幣の発行によるハイ
パーインフレションの懸念に対しても「緩やかに増発すればハイパーインフレ
を引き起こすことはありません」28
といい切っている。スティグリッツは政府紙
幣を発行する利点として 2 点を指摘する。
すなわち、「その一つとして、債務ファイナンスの場合には、3 ヶ月毎、6 ヶ月
毎、1 年毎、5 年毎というように債務を借り替える必要があります。しかし、政
府紙幣を発行した場合にはその必要はありません。発行された紙幣は恒久的に
償還されません。第 2 の利点として、会計上の枠組みにおいて政府の債務の一
部として計上されないことが指摘できます」29
と述べる。
スティグリッツの提言を受け、政府や多くの識者の間で政府紙幣の問題が議論
され、さらにそれ以降も政府紙幣の発行を巡る様々な議論が行われている状況
にある。こうした状況を踏まえ、本章では、政府紙幣について、改めてその本
質に遡って考察するとともに、実際の政府紙幣の発行の仕組み、帰結、問題点
などについて検討する。
政府紙幣で歴史上有名なものとしては、フランス革命時のアッシニア紙幣、南
北戦争時のグリーン・バック、明治維新政府の太政官札等があるが、まず本節
では政府紙幣の特質について考察する。すでにTにおいて考察した中央銀行券
との比較を通して両者の違いを明らかにしつつ、政府紙幣の本質を浮き彫りに
したい。

27
Stiglitz, Joseph E(2003)p.10.
28
Stiglitz, Joseph E(2003)p.10.
29
Stiglitz, Joseph E(2003)p.10. 20
(2)吉田暁氏の見解

政府紙幣を中央銀行券と比較しつつ両者の特質を明確に論じているのは吉田
暁氏である。吉田氏は、中央銀行券と政府紙幣の根本的な違いは、中央銀行券
は金融取引の中で発行され、中央銀行の債務であるのに対し、政府紙幣は債務
性を伴わず、直接的に購買手段として流通に投入されるところにあると指摘し
ている。
すなわち、「今日の支配的な経済学においては中央銀行券と政府紙幣は区別さ
れず(fiat money)、政府(=中央銀行)が発行するものとされる」30
。また、「マ
ルクス経済学でも不換銀行券=政府紙幣とする理解が有力である」31
。しかし、「政
府紙幣は国家権力により政府の購買手段として流通に投じられる(その典型が
軍票)。これに対して中央銀行券を含む銀行券は金融取引を通じてしか、流通に
投じられることはない。この点が両者を区別する重要な特色である。金融取引
を通じてしか、ということは誰かが負債を負うことによってしか、の意味であ
るから、銀行券の発行者はそのような負債を債権として、自らの負債(銀行券)
と交換に取得し、リスクを負うのである」32
。政府紙幣には債務の認識が極めて
希薄であるが、もしその弁済が求められるとすれば、「政府紙幣の場合にはその
弁済可能性は徴税権によっているが、銀行券の場合は発行の原因となった債権
の返済可能性に依存する」33
という違いがある。
経済学における貨幣の考え方を大観すれば、近代経済学では、貨幣は国家の
創造物と考える結果、中央銀行を政府の 1 機関とみなし、政府紙幣と不換銀行
券を区別せずに一括してフィアット・マネー(法令による貨幣)として考える34

サムエルソンは「アメリカのすべての紙幣および硬貨が結局のところ『法令に
基づく』貨幣である。すなわち、政府が法令でそれを貨幣であるとし、われわ
れ誰もが貨幣として認めるから貨幣なのだ。金属の裏づけはもはや何の意味も
もたない」35
と述べている。このように、中央銀行を政府に含めた政府・中央銀
行の統合バランスシートを考え、中央銀行券と政府紙幣を区別する認識に乏し
いのは、次のような米国に特有の中央銀行制度が背景にあるからではないかと
筆者は考えている。すなわち、米国では、中央銀行の連邦準備制度理事会は合
衆国政府の1機関(ただし、狭い意味での行政府とは異なる存在)と考えられ

30
吉田暁(2002)p.141.
31
吉田暁(2002)p.142.
32
吉田暁(2002)p.142.
33
吉田暁(2002)p.142.
34
Buiter, Willem H. (2008) p.6.では、中央銀行は政府の一部とみることができるので、中央銀行
の貸借対照表、損益計算書とも政府の勘定に含め、政府の統合勘定を見るべきであると述べてい
る。
35
Samuelson, Paul A. (1980)訳 p.295. 21
ており、発行する連邦準備券についても連邦準備法により合衆国の債務と規定
されている36
。連邦準備券の発行主体も連邦準備制度理事会であり、各地区の連
邦準備銀行ではない。このため連邦準備券の発行は連邦準備制度理事会から各
地区の連邦準備銀行に移管した段階でとらえられ、各地区の連邦準備銀行の窓
口から市中に払いだす段階ではないのである。
他方、マルクス経済学では、商品交換から貨幣の必然性を認識する結果、中
央銀行券については兌換銀行券を当然と考え、現在の不換銀行券は信用貨幣で
はなく政府紙幣と同じであると見ることが多い。
これに対し吉田氏は、これら両者に対し批判的であり、中央銀行券はたとえ
不換になったとしても信用関係の中で生成、消滅する信用貨幣であると主張す
る。つまり、中央銀行券は兌換であれ、不換であれ内生的な信用貨幣であるの
に対し、政府紙幣は信用関係を伴わない単なる不換紙幣であり、政府による外
生的なフィアット・マネーであるとみるのである。
(3)渡辺佐平氏の見解

渡辺佐平氏によれば、政府紙幣の特質として,債務性がないこと、流通は強
制に基づくものであること、還流がないこと、発行の大きさが財政要因によっ
て決定されること、の 4 点があり、これらはいずれも銀行券とは際立って異な
る特質であると指摘している。ただし、渡辺氏のいう銀行券は金、銀という貨
幣への支払いが約束された兌換銀行券が想定されており、政府紙幣の特質も兌
換銀行券と比較する形で述べられていることに留意する必要がある。
「政府紙幣は、一般的にはおよそつぎのような特質と機能を備えていたと
いえる。第1に、政府紙幣は、その券面にそれぞれある額の貨幣名目が記
載されているが、その貨幣額について政府が金・銀貨幣をもって支払うと
いう約束を何らしていないか、もしくは名ばかりしかしていないところの
紙券である。つまりそれは決して政府の債務を表示していない。・・・第2
に、政府紙幣は決まった貨幣額を代表していないのにかかわらず、人から
人へと授受されるが、それは、政府が強権によってこの紙券を貨幣と同様
に受領するようにと国民に強制するからである。・・・第3に、政府紙幣
は・・・発行者である政府の債務を表わしていないから、それが貨幣で払
われるということによって、流通から消滅することがない。政府紙幣も租
税の納入に当たっては政府もこれを受け取らざるをえない・・・しかし租

36
連邦準備制度理事会は central, governmental agency であり、independent entity within the
government である(連邦準備制度理事会ホームページ)。また、連邦準備券は obligations of the
United States と規定されている(Federal Reserve Act,Section16)。 22
税納入によって政府の手に入った政府紙幣は特別の場合以外は再び払い出
される運命にある。こうして政府によって払い出された政府紙幣は絶えず
流通の中をさ迷うほかはない。・・・第4に、政府紙幣は財政困窮に当面し
た政府によって払い出されるのであって、その発行の大きさは財政困窮の
度合によって主として決まってくる。このことは商品流通のうえで必要と
される貨幣量とは、拘わりなく政府紙幣が発行されるということを意味す
るわけである」37

これに対し、銀行券は「銀行の債務を表示している債務証券なのである。・・・
約束手形の形式で表示された貨幣債務であることが、まさに銀行券の本質であ
って、それが政府紙幣と全く異なるところである」38
。また、「銀行券はいつで
もその表示する貨幣額と引き換えられると信ずる人たちによって、その貨幣額
の換わりに受け取られ、そして流通する」39
。さらに、「銀行券は貸付けること
によって流通に送り込まれるから、そのことは銀行券がまず流通の必要にもと
づいて発行されるという関係を表わしている。少なくとも銀行券については発
行者の必要や都合によって流通に送り込まれるのではない。また、銀行券はい
ったん流通に送り込まれても、その受領者が銀行に貨幣支払いを請求すれば、
紙券は銀行に戻って来てしまうし、また貸付の返済に当たっては銀行券でそれ
がなされる限り、紙券は流通から姿を消すことになる。こうして銀行券につい
ては発行銀行がその流通量を自由に増大させえない」40

こうした銀行券の特質に関し、フラートンは 19 世紀においてすでに次のよう
に指摘している。「銀行券を発行するのは銀行業者であるが、しかしそれを流通
さすのは公衆一般である。だから公衆の協力を俟たなければ、それを発行する
力も意思もともに無益である」41
。まことに正鵠を得た指摘であり、現代の通貨
論争である「ハイパワード・マネーのコントローラビリティ」問題に対する回
答でもある42
。さらにフラートンは、「正常状態にあって銀行券発行の過多を不
可能とするものは、銀行券の金兌換よりは、むしろ還流の規則性に俟つところ
大である」43
と述べ、政府紙幣と銀行券の実質的な違いが還流規則の有無にある
ことを論じている。政府紙幣は初めから購買手段として流通に入り、商品と交
換されるのに対し、銀行券はたとえ不換銀行券であっても、貸付関係のなかで

37
渡辺佐平(1975)pp.63-64.
38
渡辺佐平(1975)p.64.
39
渡辺佐平(1975)p.64.
40
渡辺佐平(1975)p.65.
41
Fullarton, John (1844)訳 p.116.
42 現代の通貨論争とは、1990 年代に行われた翁邦雄氏と岩田規久男氏によるハイパワード・マ
ネーの内生性・外生性等を巡る論争を指している。
43
Fullarton, John(1844)訳 p.93. 23
発行され、債権回収の際に戻ってくるところが重要である44
。後述する政府紙幣
発行の方法と帰結の中でこの点は改めて採り上げる。なお、銀行券と物価の因
果関係についても、フラートンは「銀行券の伸縮は、ある一定の事情のもとで
は、物価の変動を惹起すると見られているのであるが、実は、かかる変動の原
因ではなく、結果なのである。すなわち、それは、かかる物価の変動に先行す
るのではなくて、反対にそれに追随するのである」45
と主張しているのが注目さ
れる。
(4)小幡道昭氏の見解

小幡道昭氏によれば、国家紙幣(政府紙幣)は商品の価値とは独立に国家権
力によって商品経済の外部から紙幣が注入され、直接に財・サービスの購買に
充てられるものであり、本来、永続し得ないものである。他方、信用貨幣は商
品の本来持つ価値が債務証書として分離されて現れたものであり、国家紙幣と
は全く質の異なるものであると論じる。小幡氏が国家紙幣と比較するのは信用
貨幣であり、これは兌換銀行券、不換銀行券をともに含めたものである。前記
の渡辺氏が国家紙幣を兌換銀行券と比較した場合とは比較の対象が異なる点に
留意が必要である。
なお、貨幣の学説には「商品貨幣説」と「貨幣表券説」46
の 2 つの立場が存在
するが、小幡氏の定義を用いれば47
、貨幣商品説は「諸商品に内在する貨幣性を
基礎に、貨幣を特殊な商品と考える立場」であり、これには「特定の商品の商
品体がそのまま貨幣の素材」となった物品貨幣(このうち、金や銀などの貴金
属が貨幣素材であるものを金属貨幣という)と「商品価値が債権のかたちで自
立化した貨幣」の信用貨幣が存在する。貨幣表券説は「市場の外部から、商品
ではないモノでも貨幣として導入できると考える立場」であり、これには国家
紙幣を含めたフィアット・マネーがある。なお、貨幣商品説は貨幣が商品経済
の内部から発生したとする貨幣内生論であり、貨幣表券説は貨幣が商品経済の
外部から導入されたとする貨幣外生論に対応する。
「信用貨幣も国家紙幣も、通例、素材が同じであるため、紙幣として一括さ
れ、これら両者と金属貨幣との区別が強調される。しかし、これは貨幣の外
見にこだわった混乱である。金属貨幣を含む物品貨幣と信用貨幣はともに商

44
竹内晴夫(1997)pp.114−115.
45
Fullarton, John(1844)訳 p.132.
46
貨幣表券説の代表者である Knapp, Georg Fredrich(1905)は「貨幣は法制の創造物である」(訳
p.1.)とし、「貨幣は常に表券的支払用具を意味する。凡ての表券的支払用具を吾々は貨幣と呼
ぶ。貨幣の定義は即ち、表券的支払用具である」(訳 p.48.)と述べている。
47
小幡道昭(2009)pp.44−47. 24
品貨幣で説明可能な範疇に属する。貨幣表券説をベースにした、国家紙幣を
含むフィアット・マネーとは概念的に異なるのである。等価物の統一と固定
化には、国家や制度などが大きな役割をはたす。しかし、貨幣を生みだす基
本的作用は商品世界の側にある。この基本作用に逆らって、国家や制度が独
自に貨幣を創出することはできない。・・・もしフィアット・マネーが無制
限にバラ撒かれると分かれば、その保有者は早く別の商品に換えようとする
だろう。・・・裏付けなしにいくらでも増発すると公言すれば、紙幣は購買
力を失い、やがてだれも受け取らなくなる。・・・純粋なフィアット・マネ
ーは持続しない。それは、外的条件を追加しても、原理的にその存在を説明
できない概念である」48

また、金属貨幣、国家紙幣、信用貨幣の 3 者の関係について、小幡氏は、商
品経済の論理で説明することができるのは金属貨幣と信用貨幣であり、国家紙
幣はこれらからの派生態であり、次元が異なるものと論じる。銀行券は兌換さ
れる限りにおいて金属貨幣と結びついており、兌換が停止され不換化するや否
や、銀行券は国家紙幣化してしまうと一般に考えられがちであるが、貨幣の機
能を果たすうえで、銀行券が兌換か不換かは本質的なことではないとし、小幡
氏は不換銀行券を国家紙幣と結び付けてきた通説を覆す。貨幣の分割線は、「金
属貨幣・信用貨幣(兌換銀行券、不換銀行券)」と「国家紙幣」の間に引かれ
るのである。国家紙幣との比較対象を渡辺氏のように兌換銀行券とせず信用貨
幣としたのもこのためである。
「登場するのは、金鋳貨に代表されるような金属貨幣、いわゆるフィアッ
ト・マネーないし象徴貨幣に相当する国家紙幣、そして中央銀行券に連な
るような信用貨幣の三者であり、問題はその関連である。・・・たしかに、
国家紙幣も信用貨幣も紙券という外観をもち、金鋳貨とのマテリアルの違
いはだれの目にも明らかである。国家紙幣と信用貨幣は、金鋳貨からみれ
ば、いずれも同じような派生貨幣だとみることは自然であり、ここに大き
な分割線が引けそうにみえる。しかし、貨幣とは商品に内属する価値が使
用価値から独立した形態だという商品貨幣の観点からみると、分割線は移
動する。金鋳貨も信用貨幣もともに商品価値に基礎をおくものであり、そ
れ自体無価値な紙券が商品流通の外部から注入され、あるいは相殺関係を
通じて創造され、その分だけ購買力を追加するわけではない。金鋳貨の先
方に、国家紙幣と信用貨幣が並立するのでないのはもとより、国家紙幣を
原理的に除外したとしても、金属貨幣の基礎のうえに信用貨幣が存立する
のでもない。信用貨幣は、商品価値の基礎のうえに、金属貨幣と同列にな

48
小幡道昭(2009)pp.47-48. 25
らぶのであり、両者はともに商品貨幣説の正嫡というべき存在なのある」49

なお、政府紙幣に関連し、強制通用力について言及しておこう、政府により
決済機能を与えられた貨幣を法貨(legal tender)というが、貨幣の強制通用力
とは、この法貨規定を背景に、既存の金銭債権を解消させる作用を指している50

強制通用力は、政府紙幣や不換銀行券を流通させる 1 つの根拠ではあるが、イ
ンフレーションのような購買力が極めて不安定な状況においては、どんなに強
制力があっても額面での流通は困難となる場合が多い。このことを考えれば、
強制通用力が政府紙幣や不換銀行券を流通させる唯一の根拠とはなりえないと
いえよう51

(5)西川元彦氏の見解

西川元彦氏は、政府紙幣の発行は信用関係の中で生成、消滅する信用通貨の
基本原則を破るものであると論じている。
すなわち、「政府紙幣の発行や、国債の中央銀行引受けによる銀行券の国への
引渡しは、信用通貨発行の原則に反している」52
。国家の権力は「超規律的な通
貨取得とその支出という政治的誘惑もあり、これに囲まれやすい」ものであり、
「権力と誘惑が結びつけばインフレーションを引き起こす。そういう歴史の教
訓が、通貨の発行『規律』を生み、具体的にも通貨の発行を国自身の手から離
すという、機構的な信用通貨『制度』を形成してきたといえるだろう」53
と述べ
ている。けだし正論である。
(6)日本銀行の見解

日本銀行自身は政府紙幣についてどのように考えているのだろうか。日本銀
行(調査局)(1955)はこれについて明快に述べている。すなわち、政府紙幣は
返済の必要がない無利子の債務であり、強権によらなければ発行できない性格
のものである。政府紙幣の発行は行政権に基づく行為であり、銀行券の発行が
私法上のビジネス行為であるのと全く質が異なる。もし政府紙幣を発行しよう
とすれば、政府は別途公法人の運営機関を作り、私法上の原則に基づき厳格な
運営を行うことが必要となる。公法人の役割を中央銀行が担うとすれば、これ
は実質的に中央銀行の国有化に外ならない。

49
小幡道昭(2006)p.21
50
小幡道昭(2009)p.72.
51
竹内晴夫(1997)pp.35-36.
52
西川元彦(1984)p.63.
53
西川元彦(1984)p.63. 26
「政府紙幣は国家の債務証書であるという点において国債と似ているが、
併し国債と異なり、支払われる約束のない(支払期限なし)、しかも無利息
の債務である。従って政府紙幣の発行は強権によらざるを得ず、その行為
は行政権に基づく行為、即ち行政行為であり、私法上の原則を無視して行
われる。政府紙幣の発行には、銀行券発行にみられるが如き、支払いを可
能とさせるような保障体制は何等備わっていない。若し政府紙幣に支払い
の保障をあたえる仕組みをとろうとすれば、必ず別に公法人の発行機関を
作り、それに伴う業務の経理を厳密に隔離し、私法上の原則に基づいてこ
れを運営しなければならない。この形態は正に中央銀行が国有化された場
合の実態に外ならず、その場合政府紙幣たる本質を失い銀行券に近づいて
くる」54

(7)小括
以上の検討から分かるように、政府紙幣は、同じ通貨であっても、中央銀行
券とは全く質が異なるものである。中央銀行券は、債権・債務という信用関係
の中で発行されるものであり、中央銀行の債務である。信用関係が終了すれば
中央銀行に還流してくる。これに対し政府紙幣は、債務性を伴わず、政府によ
り直接的に購買手段として流通に投入される。債務性がないため、規則的に政
府に還流することはない(ただし、市中に滞留した政府紙幣が当初の投入とは
全く独立に租税の納入等として政府に戻ってくることはある)。歴史を振り返
れば、法律的な概念である通貨高権は政府に残したまま、現実の通貨の発行権
限を中央銀行に譲ることによって、健全な通貨の基礎を作るというのが、近代
的な資本主義の仕組みの一番根幹のところである55
。資本主義の発展の中で、政
府紙幣がなくなり、国債の中央銀行引受けが禁止され、中央銀行の独立性が強
調されるようになった歴史をよく理解すべきであろう。政府紙幣の発行は、歴
史を大きく元に戻す発想といえる。
2.通貨発行の仕組み

通貨に関する基本法である「通貨の単位及び貨幣の発行等の関する法律」に
よれば、硬貨である「貨幣」と紙幣である「日本銀行券」を「通貨」と規定し
ている56
。貨幣は政府が発行し、五百円,百円、五十円、十円、五円、一円の6

54
日本銀行(調査局)(1955)pp.548-549.
55
福井俊彦(2003a)p.19.
56
「通貨の単位及び貨幣の発行等の関する法律」第 2 条第 3 項. 27
種類が定められており57
、日本銀行券は日本銀行が発行し58
、現在、一万円、五
千円、二千円、千円の4種類の紙幣が発行されている。日本銀行券の種類の決定
権限は政府にある59
。政府は、貨幣を独立行政法人造幣局で製造させ、日本銀行
に交付し、その後日本銀行から市中に出て行く。貨幣が日本銀行に交付された
時点を貨幣の発行、日本銀行から市中に出て行った時点を貨幣の流通といい、
発行と流通が分離している60
。貨幣の交付を受ける日本銀行のバランスシート上
では、貨幣は日本銀行の資産の「現金」に計上される一方、その見合いは負債
の「政府別口預金」に計上される。その後貨幣が日本銀行から市中に出た時点
で、「政府別口預金」から「政府当座預金」に振り替えられ、使用可能な貨幣
となる61
。これに対し日本銀行券については、製造は独立行政法人印刷局が行う
ものの、日本銀行はこれを買い切り、その後市中に流通させることで日本銀行
券を発行させる。このため、日本銀行券の場合は発行と流通が一致している。
なお、日本銀行券は法貨として無制限に通用するが、貨幣は額面価格の20倍
までに限って法貨として通用する62

このように、わが国においては、日本銀行は千円以上の紙幣を発行し、政府
は五百円以下の貨幣を補助貨幣として発行することにより、通貨発行に関して
日本銀行と政府の間で役割分担がなされている。留意すべきは、「通貨の単位
及び貨幣の発行等の関する法律」で規定される貨幣とは金属貨幣の硬貨であり、
紙幣は含まれないことである。「通貨の単位及び貨幣の発行等の関する法律」
に基づき中央銀行券もどきの紙幣を政府が発行することは、現行法のままでは
無理があるといえる。
政府が貨幣を発行し、流通させた場合、国の歳入への計上方法はどうなるの
か。政府は、貨幣の発行、引換え、回収を円滑に行う目的から「貨幣回収準備
資金」を保有しており、この資金は歳入、歳出外の資金である。政府が貨幣を
発行し、流通させた場合、貨幣流通高(発行残高ではない)の95%を歳入と認
識し、残り5%は将来回収する際の準備として貨幣回収準備資金に計上する扱い
になっている。かつては貨幣回収準備資金への留保割合は、流通残高の100%で
あったが、その後1983年度に10%、1995年度以降は5%となっている。最終的に
国の歳入となるのは、貨幣の製造コストや貨幣回収準備資金の運用益も考慮し
た「貨幣流通高の95%−貨幣製造コスト+貨幣回収準備資金の運用益」である。

57 「通貨の単位及び貨幣の発行等の関する法律」第 5 条第1項。このほか記念貨幣として一万
円、五千円、千円の 3 種類を規定してある.
58 「日本銀行法」第 46 条第 1 項.
59 「日本銀行法」第 47 条第 1 項.
60 「通貨の単位及び貨幣の発行等の関する法律」第 4 条.
61
大久保和正(2004)pp.3-4 参照。
62 「日本銀行法」第 46 条第 2 項および「通貨の単位及び貨幣の発行等の関する法律」第 7 条. 28
これに対し、日本銀行が日本銀行券を発行した場合、それは日本銀行の「負債」
に計上される。日本銀行券は債務として認識されるのである。このため、日本
銀行券を発行した時点で発行益が丸々直ちに日本銀行に発生することはなく、
日本銀行券の見合いの資産(貸付、国債等)の収入から銀行券製造コスト等を
差し引いた残額が利益として計上される。つまり、政府の発行する貨幣は現金
主義会計で経理されるのに対し、日本銀行の発行する日本銀行券は発生主義会
計で経理されるのである。通貨の発行益を考える場合この経理方法の違いは重
要なポイントである。この点について大久保和正氏は次のように指摘している。
「日本銀行がもし政府と同じように現金主義会計を取るのであれば、銀行
券を発行した時点で直ちに利益が発生し、その利益を国債などに運用して
いるというような経理になると考えられる。現実は、日本銀行は発生主義
会計を採用しているため、発行された日本銀行券は日本銀行の債務として
経理されている。そのため、銀行券発行によって直ちに利益が生じること
はない。逆に、政府の貨幣発行を日本銀行や民間と同様の発生主義会計で
経理した場合には、貨幣の流通残高は債務として計上される。資産と債務
の差額が利益ということになるから、政府が貨幣を発行しても利益は発生
せず、単にキャッシュフローが発生するだけということになる。それでは
通貨発行益は生じないのかというと、そうではなく、発生したキャッシュ
フローを運用することにより得られる利益が通貨の発行益になる。現に、
貨幣流通高の5%は貨幣回収準備資金に留保され、その運用益が一般会計
の歳入に計上されている」63。
政府貨幣と日本銀行券でこのように発行利益の計上方法は異なるものの、製
造費用や貨幣回収準備資金を差し当たり捨象するとすれば、「政府貨幣発行の
利益」と「日本銀行券発行の利益の現在割引価値」は、理論的には等しくなる。
以下このことを示そう64
。ここでは現行のように政府が貨幣を発行(紙幣の発行
ではない)した場合の発行利益を考えるが、もし政府が紙幣を発行した場合も
これと同じである。
政府貨幣発行の利益は貨幣流通残高の増加額とその製造費用(その他経費を含
む)の差額であり、日本銀行券発行の利益は有利子金融資産の金利収入から日本
銀行券の製造費用(その他経費を含む)を差し引いた額である。
政府貨幣および日本銀行券を M で示すと、政府貨幣発行の利益は貨幣の増加
額(ΔM)を物価(P)で除したものであり、次のように定義される。

63
大久保和正(2004)pp.6-7.
64
小栗誠治(2006)pp.26-27. 29
P
M
SM

 (1)
ここでは発行利益を実質ベースで考えるとともに、政府貨幣の製造費用は極
めて小さく、実際上ネグリジブルであるので捨象している。また貨幣回収準備
資金も捨象している。
日本銀行券発行の利益は、次のように定義される。

P
M
So  i (2)
ただし、i は市場金利である。ここでも日本銀行券の製造費用は極めて小さく、
実際上ネグリジブルであるので捨象している。
この場合、「政府貨幣発行の利益」と「日本銀行券発行の利益の現在割引価値」
は等しくなる(ここでは実質ベースで検討)。すなわち、今、初期時点 t=0 に
おいて、日本銀行券の需要がΔM だけ増加し、日本銀行は、金利 i の金融資産
を購入することによって日本銀行券を供給したとする。この取引に伴い、日本
銀行は毎期 iΔM の利益を永続的に獲得していくことになる。このとき日本銀行
券発行の利益の実質現在価値は、1 年目の利益 iΔM を(1+i)で割り引き、2 年目
の利益 iΔM を(1+i)2 で割り引き、以下同様に将来の利益をそれぞれの割引率で
割引いた額の合計額となり、これは、以下のとおり、政府貨幣発行の利益に等
しくなる(ただし、市場金利 i は将来にわたり一定と仮定)。NPV(So)は日本銀
行券発行の永続的な利益の実質現在価値を示す。
   
S
1 i P
i
1 i
i
1 i
i

P
1
NPV(SO
)
2 3
 M


















M M M M
3.政府紙幣発行の方法と帰結

さて、政府が政府紙幣を発行するとした場合、どのような方法で発行し、そ
の帰結はどうなるのだろうか65

1つの方法は政府が政府紙幣を発行し、これを日本銀行に交付し、その後日本
銀行から市中に流通させるというやり方であり、これは現在の貨幣の発行、流
通の場合と同じ方法である。もう1つの方法は、政府が政府紙幣を発行し、これ
を日本銀行に交付するものの、その後これを市中に流通させず、そのまま日本
銀行に資産として保有させるというやり方である。

65
白川方明(2009)、杉本和行(2009)を参照。 30
第1の方法の場合、市中で政府紙幣が日本銀行券と併行して流通することとな
るが、政府紙幣の所持者の判断に基づき政府紙幣が不要となった場合は、日本
銀行に還流してくることになる。発行元の政府が日本銀行に還流した政府紙幣
を回収しようとすれば、そのための財源を調達する必要があり、結局のところ、
これは政府が国債を発行したのと同じことになる。
一方、日本銀行に還流してきた政府紙幣を政府が回収せず、そのまま日本銀
行に資産として永続的に保有させることとした場合は、事実上、第2の方法と同
じになる。この場合、日本銀行は無利子・無期限の政府の債務を保有すること
となり、これは無利子・無期限の国債を日本銀行に引き受けさせることと同義
である。確かにこの場合は政府紙幣回収のための財源が必要でないため、政府
紙幣は政府の債務として認識しなくてよいことになる。しかし、こうしたやり
方は、国債の日本銀行引受けを禁止した財政法第5条に抵触するものであり、政
府の財政規律を弱める結果になり大きな問題である。さらに無利子の政府紙幣
が日本銀行の資産として永続的に存在するため、日本銀行の円滑な金融調節が
阻害され、日本銀行の財務の健全性が損なわれる懸念がある。ひいては通貨の
信認を落とし、政府紙幣の発行規模が大きければインフレーションを招く恐れ
がある。白川日本銀行総裁、杉本財務省事務次官とも政府紙幣発行に否定的な
見解を示している66

政府紙幣が還流するという場合、それは中央銀行券がもつ還流規則とは質が
異なる点に注意が必要である。中央銀行券の場合は、貸付や国債の購入などを
見返りに中央銀行券が発行されるが、これらはいずれも債権・債務関係を伴う
金融取引である。金融取引には期限が存在し、それが到来すれば当初の中央銀
行券は返済され、還流してくる。つまり、金融取引は返済条件付きの資金供給
であり、還流がルールとして組み込まれている。中央銀行券は発行と還流が結
びついているのである。これに対し、政府紙幣の場合は、発行した政府紙幣で
直接的に財・サービスを購入するので、その時点で取引は完了する。将来の返
済条件付きの資金供給ではない。供給された政府紙幣が還流することもあるが、
それは当初の取引とは全く関係なく、政府紙幣所持者の独自の要因に基づくも
のである。つまり、政府紙幣は発行と還流が結びついたものでなく、独立して
いる。中央銀行券には還流規則があるが、政府紙幣には還流規則はなく、ある
のは発行とは独立した還流である。
政府紙幣の場合、発行した資金を何に使うかという資金使途も重要である。
もし、政府紙幣発行益を発行時点で全額消費に支出してしまえば、何も資産と
しては残らないし、その後の利益も発生しない。他方、これを投資に使うとす

66
白川方明(2009)は「非常に慎重な考慮を要する」、杉本和行(2009)も「慎重な検討が必要」
と述べている。 31
れば、投資対象は政府の資産としてバランス・シートに残ることになり、それ
が金融資産であれ、実物資産であれ、それらの資産の収益から製造コスト等を
差し引いたものが利益として発行時点以降発生することになる67
。これは中央銀
行券の場合と同様である。つまり、政府紙幣の場合の際立った特質は、それを
全て消費に支出することにより発行利益を丸々最初に先取りしてしまう点にあ
るといえる。
政府紙幣と関連し「ヘリコプター・マネー論」に触れておきたい。これは、
政府が紙幣をばら撒けば、政府はコストをかけずに、不況やデフレに対応でき
るというものである。既に述べたように政府紙幣の発行は、実質的には国債の
発行と同じとなるか、あるいは無利子・無期限国債の日本銀行引受けと同じに
なるので、こうした政策もヘリコプター・マネーの実際の内容となる。このよ
うにヘリコプターマネーは本来は政府が行う財政政策の範疇に入るものだが、
実際に行うに当たっては中央銀行と密接に連携して実施されることになる68
。し
かし政府の財政と中央銀行の金融は、本来その性格が全く異なるものである。
財政資金は直接的に購買手段として流通に投入されるのに対し、中央銀行の資
金は金融取引、つまり債権・債務関係という信用関係を通じてしか供給されな
い。中央銀行が政府のエージェントとなり財政行為を行うのは、本来認められ
ていないことである。これは中央銀行という制度を生み出した歴史の教訓であ
る。
ここではこのことを十分踏まえた上で、あえて1つの思考実験を行い、政府の
対応を絡ませないで日本銀行だけでヘリコプター・マネーを実施しようとすれ
ばどういう形になるのか考えてみよう。1つの方法は、日本銀行がその自己資本
を見合いに日本銀行券を発行し、市中に撒布することである。このことは日本
銀行のバランスシート上では、日本銀行の自己資本が減少し、その分日本銀行
券が増加することになる。これは日本銀行だけで行いうる方法であり、日本銀
行のバランス・シートの負債サイド内の変化だけで対応できるものである。

67 政府紙幣の資金使途が投資であり、その投資対象が政府の資産としてバランス・シート
に残る場合、政府において資産の投資物と負債の政府紙幣との期間のミスマッチ・リスク
が問題となる。もし日本銀行が政府紙幣を永続的に保有する場合は、政府紙幣は無利子・
無期限の政府の債務と同じになるので、保有する資産がいかなるものであれ期間のミスマ
ッチ・リスクはクリアされることになる。
68
Buiter, Willem H. (2003), (2007)は、政府と中央銀行の密接な連携によるヘリコプターマネー政
策を実施すれば、経済は「流動性の罠」から脱出できると主張する。 32
(結び)

以上、本稿では中央銀行券と政府紙幣に関していくつかの特質を検討してき
た。中央銀行券の性格に関して、これの債務性を認める見解と債務性を認めな
いか疑問視する見解が存在するが、筆者は債務性を認める立場である。中央銀
行券は、債権・債務関係という信用関係の中で発行され、信用関係が終了すれ
ば中央銀行へ還流してくる性格のものである。中央銀行券の債務の内容は4点
ほど考えられるが、これに関連し、現行の日本銀行法が制定された際に廃止さ
れた日本銀行券の「発行保証制度」は再検討する必要がある。また中央銀行券
は債務性とともに会計学上の資本性も併せ持っており、このことが中央銀行と
いう組織に独自の特徴を与えている。さらに、中央銀行の自己資本は、中央銀
行の財務の健全性、中央銀行の独立性、財政と金融の役割分担等ともかかわる
重要な意味を有している。
他方、政府紙幣は、同じ通貨であっても、中央銀行券とは全く質が異なるも
のである。政府紙幣の発行は、信用関係の中で生成、消滅する信用通貨の基本
原則を破るものであり、歴史を大きく元に戻すものといえる。仮に政府紙幣を
発行するとしても、それは実質的に国債の発行かあるいは無利子・無期限国債
の日本銀行引受けと同じものとなる。
金融経済を巡る状況が大きく変化する中で、不易と流行を見極めつつ、中央
銀行の本質を改めて確認し、再構築することが筆者の目標である。本稿はそう
した研究の一環をなすもので、中央銀行券について政府紙幣との比較も行いつ
つ幅広い観点から問題の提起と検討を行った。これを踏まえた一層の深い考察
は今後の残された課題である。 33
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学部研究年報』第 7 巻、pp.105-118.
小栗誠治(2006)「セントラル・バンキングとシーニョレッジ」『滋賀大学経済
学部研究年報』第 13 巻、pp.19〜35.
小幡道昭(2006)「貨幣の価値継承性と多態性―流通手段と支払手段―」『経済
学論集』(東京大学)72−1.pp.2-29.
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01. 2012年5月02日 03:26:06 : 3CNLte9sGM
農林金融2012・5
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〔要   旨〕
1  金融システム全体の安定確保を目指すマクロプルーデンス政策主体としての日本銀行の
ガバナンス問題を分析することが本稿の目的である。日本銀行がマクロプルーデンス政策
主体として行動する場合,日本銀行のインセンティブとそのインセンティブがもたらす行
動をいかにモニタリングし規律づけていくかという点が重要なポイントとなる。
2  マクロプルーデンス政策の内容は未だコンセンサスが得られていないが,その重要性に
ついては,2007年に発生した金融危機で改めて認識された。そして,このマクロプルーデ
ンス政策主体をどうするかについての議論が欧米では活発に行われた。なお,米国やユー
ロ圏では,各国の中央銀行をマクロプルーデンス政策主体とはしないこととされたが,日
本では,金融庁との連携のもと日本銀行がマクロプルーデンス政策主体となっている。こ
のような状況を踏まえ,マクロプルーデンス政策主体としての日本銀行のガバナンス問題
についてエージェンシー理論を用いて分析する。
3  分析の結果,日本銀行が国民からマクロプルーデンス政策運営を委譲された関係(国
民=プリンシパル,日本銀行=エージェント)および日本銀行がマクロプルーデンス政策運
営のために金融機関をモニタリングする関係(日本銀行=プリンシパル,金融機関=エージ
ェント)の2 つのエージェンシー関係が指摘される。そして,いずれのエージェンシー関
係でも,日本銀行のインセンティブが歪み,公共の利益のためよりも自らの利益のために
行動するようなモラルハザードが起こる可能性が指摘される。
4  以上の分析結果を踏まえて,日本銀行のインセンティブを歪ませないように規律づけし
ていくガバナンスシステムとして,対外的に自らの行動や意思決定の内容を説明しその結
果によっては制裁などを受ける可能性もあるアカウンタビリティーを,日本銀行に義務付
けることを提案する。
マクロプルーデンス政策主体としての
日本銀行のガバナンスについて
─エージェンシー理論からの一考察─
前 調査第二部長 矢島 格
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農林金融2012・5
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の金融機関経営の健全性を図ることを重視
するミクロプルーデンス政策は従来から取
り組まれてきたが,金融システム全体の安
定確保を重視するマクロプルーデンス政策
への取組みは疎かにされてきたことが、金
融危機の発生をもたらしたと広く認識され
ている。このため、マクロプルーデンス政
策の考え方を実際の政策運営に取り入れよ
うという動きが一般的となった
(注2)。
そして,マクロプルーデンス政策を具体
的に実施していくために,その目的,ツー
ルなどの内容についての議論が展開される
なかで,マクロプルーデンス政策を運営す
る主体をどうするかについての議論および
制度変更が各国で盛んに行われた。とりわ
け,金融システムの安定を従来から担って
きた主体が中央銀行であるという前提のも
と,中央銀行がマクロプルーデンス政策に
いかに関与すべきか,あるいは中央銀行が
マクロプルーデンス政策主体になるべきか,
などについての議論が注目されてきた
(注3)

日本では,マクロプルーデンス政策に関
はじめに
本稿の目的は,金融システム全体の安定
確保を目指すマクロプルーデンス政策
(注1)
の担
い手としての日本銀行のガバナンスに関す
る問題を分析することである。
2007年のサブプライム危機とそれに続く
2008年のリーマンショックによって引き起
こされた米国発の金融危機は,世界経済に
大きなダメージを与えただけでなく,現在
の欧州危機の要因のひとつとして考えられ
ている。このような金融危機の主な発生原
因としては,プルーデンス政策が不十分で
あったことが指摘されており,これまで,
バーゼル銀行監督委員会(Basel Committee
on Banking Supervision)をはじめとする国
際機関などで,プルーデンス政策の見直
し・強化が図られてきた。
こうしたプルーデンス政策の見直し・強
化の背景にある基本的な考え方として,マ
クロプルーデンス政策の視点がある。個々
目 次
はじめに
1  マクロプルーデンス政策と中央銀行
(1) マクロプルーデンス政策の概要
(2)  マクロプルーデンス政策主体としての
中央銀行
2  エージェンシー理論からの評価
(1) エージェンシー理論の概要
(2)  エージェンシー理論におけるプルーデンス
政策
(3) エージェントとしての日本銀行
(4) プリンシパルとしての日本銀行
3   日本銀行のインセンティブに関する観点
からの提案
(1) アカウンタビリティーの重要性
(2)  日本銀行のアカウンタビリティーに
ついて
おわりに
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センティブに関する観点から対処案を提示
したい。
なお,マクロプルーデンス政策主体とし
ての日本銀行に関連する主な先行研究とし
ては,翁(2010),折谷(2011)および白塚
(2011)が挙げられる。翁(2010)は,物価
の安定という目標と両立し得るのか,また,
経営資源を十分に監督機能に割り当てるこ
とが可能なのかといった点についての多角
的な議論が必要としながら,日本銀行は,
金融庁と密接に連携してマクロプルーデン
スの視点での政策運営の役割を期待されて
いると主張している。折谷(2011)は,取
引コスト理論(Transaction Cost Economi
(注8)
cs)
など用いて日本銀行のプルーデンス政策に
おける役割を分析し,マクロ・ミクロのプ
ルーデンス政策主体を統合すること,しか
も統合の主体はできれば日本銀行とすべき
ことを明らかにした。白塚(2011)は,物
価の安定とプルーデンス政策(特にマクロ
プルーデンス政策)の組み合わせが必要と
されるとして,柔軟なインフレターゲティ
ングの概念的な基礎として提唱されてきた
金融政策に関する限定された裁量を,金融
政策とマクロプルーデンス政策を包含した
政策運営全体に拡張することを提案してい
る。しかし,これらの先行研究のいずれも,
本稿の目的であるマクロプルーデンス政策
主体としての日本銀行のガバナンスの問題
については,分析の焦点にはしておらず,
十分な議論はなされていない。
本稿の構成は次のとおりとする。最初
に,1で,マクロプルーデンス政策の概要
する明示的な規定は存在しないが,金融庁
がマクロプルーデンス政策を含めたすべて
のプルーデンス政策の主体になっている
(注4)。
そのほか,日本銀行は,金融庁や海外中央
銀行・監督当局との連携のもと,「マクロプ
ルーデンスの視点を重視して,金融システ
ム全体のリスク動向の分析・評価や必要な
施策の企画立案・運営に関し不断の努力を
続ける」こととしている
(注5)
。つまり,日本銀
行としても,マクロプルーデンス政策に関
与しその政策主体として行動していく考え
であると解釈できる。
プルーデンス政策主体の能力が完全なも
のでなく,プルーデンス政策主体のインセ
ンティブは,政治的な圧力や官僚組織の持
つ組織優先の誘因が働くことによって歪ん
でしまい,モラルハザードが起きる可能性
がしばしば指摘される
(注6)
。従って,日本銀行
がマクロプルーデンス政策主体として行動
する場合,マクロプルーデンス政策の適切
な実現のためには,日本銀行のインセンテ
ィブとそのインセンティブがもたらす行動
をいかにモニタリングし規律づけていくか
という点,すなわちガバナンスの問題が重
要なポイントになる。
かかる観点から,本稿では,マクロプル
ーデンス政策主体としての日本銀行のガバ
ナンスについて,近年著しい発展を遂げた
新制度派経済学(New Institutional
Economics)を構成する理論群のひとつで
あるエージェンシー理論(Agency Theory)
を用いて
(注7)
,分析・評価し,さらに,その分
析・評価結果を踏まえて,日本銀行のイン
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1  マクロプルーデンス政策と
  中央銀行        
(1) マクロプルーデンス政策の概要
マクロプルーデンス政策については,こ
れまでも議論が活発に行われてきたが,そ
の内容については,未だコンセンサスが得
られていない。マクロプルーデンス政策に
関しての先行研究は多いが,政策の目的に
ついての統一的な見解を得るまでに至って
いない。政策の手段についても考えられる
手段は検討されているが,主要な手段の選
定を含めて標準的な手段を体系化するよう
な段階にはなっていない
(注9)。
こうしたなかで,Borio(2003,2010)に
よって示されたマクロプルーデンス政策の
概要が,多くの先行研究で引用されている。
同様に,本稿でもBorio(2003,2010)に基
づきマクロプルーデンス政策の概要を紹介
する。
Borio(2003)では,従来のミクロプルー
デンス政策との比較を行い,マクロプルー
デンス政策の概要を説明している(第1表
参照)。基本的に,マクロプルーデンス政策
は,個々の金融機関の健全性を規制監督す
ることではなく,金融システム全体の観点
から規制監督を実施することと言える。
政策目標としては,金融システム危機拡
大を防止し,経済成長へのマイナスの影響
(経済成長率が下押しされるなどの影響)を回
避することである。これは,ミクロプルー
デンス政策が,個々の金融機関の破綻を防
を説明し,その政策主体としての中央銀行
をめぐる議論を概観する。次に,2では,
エージェンシー理論の概略について説明
し,そのエージェンシー理論を用いてマク
ロプルーデンス政策主体としての日本銀行
のガバナンス問題を分析する。そして,3
では,その分析結果を踏まえて,日本銀行
のインセンティブに関する観点からの対処
案を示す。最後に,本稿のまとめと今後の
課題について述べる。
(注1 ) マクロプルーデンス政策の概要については,
1 の(1)で詳述。なお,プルーデンス政策とは,
信用秩序維持政策あるいは規制監督政策と訳さ
れる(翁(2010)参照)。これに従い,本稿では,
信用秩序維持政策あるいは規制監督政策を意味
する際には,プルーデンス政策という用語を使
用する。また,規制監督政策を運営する当局を
示す用語として,プルーデンス政策主体を使用
する。
(注2 ) たとえば,2013年より適用開始が予定され
ているバーゼルVでは,銀行による行き過ぎた
与信行為がもたらすリスクに対応する「カウン
ターシクリカルな資本バッファー」などの規制
内容がマクロプルーデンス政策の考え方に基づ
いている。なお,バーゼルVの詳細については,
Basel Committee on Banking Supervision
(2010a,2010b)を参照。
(注3 ) こうした議論の展開については,翁(2010)
および折谷(2011)が詳しい。
(注4 ) 日米欧の体制比較については,折谷(2011)
が詳しい。
(注5 ) 日本銀行(2011)を参照。なお,文中の括
弧内は日本銀行(2011)の10頁より引用。
(注6 ) こうした見解については,例えば,堀内
(1998)やBarth et al.(2006)を参照。
(注7 ) 新制度派経済学およびエージェンシー理論
の概略については,菊澤(2006)が詳しい。
(注8 ) 取引コスト理論は,本稿でも使用するエー
ジェンシー理論と同様,新制度派経済学を構成
する理論群のひとつである。その概略について
は,菊澤(2006)が詳しい。
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融システム全体を捉えて金融システムのリ
スクがどういう状況になっているかについ
て分析し対応することを内容としている。
そして,マクロプルーデンス政策を実行す
るうえで,金融システムに影響を与えるマ
クロ経済や金融市場全般への配慮が必要で
あることから,中央銀行がマクロプルーデ
ンス運営の中心的な役割を担うべきである
と主張している。
(注9 ) マクロプルーデンス政策に関する先行研究
のサーベイは,Galati and Moessner(2010)
およびLongworth(2011)を参照。
(2) マクロプルーデンス政策主体として
の中央銀行
プルーデンス政策への中央銀行の関与の
あり方については,古くから議論されてき
た。その内容は,金融政策を担う中央銀行
がプルーデンス政策も合わせて担うように
なると利益相反が起きるという主張と,金
融システム全体のリスクを防ぐという中央
銀行の目的を考えれば金融政策とプルーデ
ンス政策は統合すべきであるという主張
に,分かれてい
 (注10)
る。
前者の主張は,金融政策とプルーデンス
ぎ,投資家や預金者の保護を図ることが目
標にされていることと異なる。リスクの特
性は,金融機関をはじめする各主体の個々
の行動ではなく,各主体の集団としての行
動の結果生じるものと考えている。このた
め,ミクロプルーデンス政策とは異なり,
金融機関間のつながりの状況や相互に影響
を与え合う関係の内容が重視される。政策
の実施方法は,金融システム全体の望まし
い状態を目指した鳥瞰的(トップダウン的)
なもので,それを通じて個々の金融機関の
健全性を図っていくというものである。こ
れに対して,ミクロプルーデンス政策の実
施方法は,個々の金融機関の健全性確保を
最初に図るという積み上げ的(ボトムアッ
プ的)なものである。
さらに,Borio(2010)では,マクロプル
ーデンス政策の概要を時系列面と横断(ク
ロスセクショナル)面の2つの観点から説
明している。時系列面の観点からは,金融
システムのリスクが時間の経過とともにい
かに変化していくかについて分析し対応す
ることを内容とし,横断(クロスセクショナ
ル)面の観点からは,ある時点における金
第1表 マクロプルーデンス政策とミクロプルーデンス政策の比較
マクロプルーデンス政策ミクロプルーデンス政策
資料 Borio(2003)から筆者作成
 
短期的な目標金融システム危機拡大の防止個々の金融機関の破綻の防止
最終的な目標経済成長へのマイナス影響を回避投資家/預金者の保護
リスクの特性集団としての行動の結果によると
みなす
個々の主体の行動の結果によると
みなす
金融機関間の相関関係や
共通のエクスポージャー重視される重視されない
信用秩序のコントロール
方法
システムリスクの観点からのコント
ロール(トップダウン型)
個々の金融機関のリスクの観点か
らのコントロール(ボトムアップ型)
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能を中央銀行であるFRBに持たせるべきと
いう主張がなされたが,最終的にはFRBの
権限強化に根強い反対意見が出され,新た
に,マクロプルーデンス政策主体となる金
融安定監視協議会(FSOC:Financial
Stability Oversight Council)が設定され
 (注13)
た。
ユーロ圏では,プルーデンス政策が各国
に任されていた状態から,マクロプルーデ
ンス政策については,ユーロ圏全体をカバ
ーする政策主体として,欧州システミック・
リスク委員会(ESRB:European Systemic
Risk Board)が新たに新設され
 (注14)
た。
これに対して,日本では,日本銀行がマ
クロプルーデンス政策主体になることにつ
いての議論やマクロプルーデンス政策主体
設置などに関する議論は,筆者の知る限り
欧米ほどは活発にはなされなかった。これ
は,日本が今次金融危機の主要な発生源で
なかったことが影響していると考えるが,
いずれにせよ,従来からプルーデンス政策
を担ってきた日本銀行が,金融庁との連携
のもと中央銀行の特性を活かしてマクロプ
ルーデンス面の様々な取組みを行っている
のが実態であ
 (注15)
る。
(注10) 詳細については,Goodhart and
Schoenmaker(1995)を参照。
(注11) 経営資源を,金融政策とプルーデンス政策
に対して,それぞれ適切に振り分けないような
事例が想定される。
(注12) 例えば,White(2009)やYellen(2009)を
参照。
(注13) このあたりの事情は,翁(2010)および折
谷(2011)が詳しい。
(注14) このあたりの事情は,折谷(2011)が詳し
い。
(注15) 日銀(2011)では,「中央銀行は,物価の安
定と金融システムの安定を通じて,持続的な経
政策は分離すべきというもので,中央銀行
によるLLR(Lender-of-last-resort:最後の貸
し手)機能を考えた場合,ベースマネーの
供給につながるLLR機能が必要な時点が,
ベースマネーの供給をすべきでない物価安
定を図る必要がある時点と重なってしまう
事態などが想定されている。一方,後者の
主張は,金融政策とプルーデンス政策は統
合すべきというもので,モラルハザード発
生の懸念はあるもの
 (注11)
の,中央銀行がプルー
デンス政策も担った方が,金融システム全
体のリスクの拡大が防げる効果があるとい
う考えに基づいている。
ところで,2007年に発生した今次金融危
機に伴い,マクロプルーデンス政策の重要
性が改めて認識されたという状況を踏まえ
て,金融政策とプルーデンス政策は分離す
べきであるという前者の主張は見直すべき
であるという指摘がなされるようになっ
 (注12)
た。
たしかに,マクロプルーデンス政策に焦点
を当てて考えれば,金融政策との相互連関
性が強く,金融システム全体のリスクに対
処しなくてはならない事態が起きる場合に
は,金融政策とマクロプルーデンス政策は
密接に組み合わせて運営していく必要性は
高いと言えよう。
しかし,今次金融危機の教訓からプルー
デンス政策の体制見直しが行われた米国や
ユーロ圏では,マクロプルーデンス政策の
政策主体が新たに設立されることになり,
中央銀行をマクロプルーデンス政策主体と
して位置づける体制は組まれなかった。
米国では,当初,マクロプルーデンス機
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8 - 302
利害の不一致の仮定:
すべての人間は,自己の効用を最大化し
ようとするが,その利害は必ずしも相互
に同じではない。
以上の2つの仮定のもとでは,プリンシ
パルとエージェントの両者がそれぞれ自分
の効用を最大化しようとするならば,エー
ジェントは,契約履行において必ずしもプ
リンシパルのために最善を尽くすとは限ら
ない。エージェントがプリンシパルの不備
につけ込んで自己の効用最大化のために行
動する可能性や,隠れて怠慢を働くなどの
可能性がある。このような現象はエージェ
ンシー問題と呼ばれ,この問題を反映する
コスト(無駄)が,エージェンシー・コス
トであ
 (注16)
る。
エージェンシ―問題の発生を抑制して,
エージェンシー・コストを節約するために
様々な制度が作られるという考え方から,
現存する制度・体制の分析や各種の政策展
開を図ろうとする理論がエージェンシー理
論である。
(注16) Jensen and Meckling(1976)は,エー
ジェンシー・コストを,プリンシパルがエージ
ェントを監視するためのモニタリング・コスト,
エージェントが自らの潔白を示すためのボンデ
ィング・コスト,そしてプリンシパルとエージ
ェントのそれぞれの行動の根本的な差異が生み
出すプリンシパルの富の減少である残余ロスに
区分している。
(2) エージェンシー理論における
プルーデンス政策
エージェンシー理論におけるプルーデン
ス政策については,プルーデンス政策の必
済成長の実現に貢献することを目的とする組織」
であり,その実現のために有する特性を活かす
ことがマクロプルーデンス上有効であるという
説明をしている。
2  エージェンシー理論からの
  評価          
次に,エージェンシー理論を用いて,マ
クロプルーデンス政策主体としての日本銀
行のガバナンス問題について論じる。
(1) エージェンシー理論の概要
本稿の分析で使用するエージェンシー理
論はJensen(1998,2000)にもとづくもの
で,この理論は,人間の行動や組織の行動
を,エージェンシー関係として捉えて分析
する。エージェンシー関係とは,プリンシ
パル(依頼人)が自己の目的を達成するた
めに,エージェント(代理人)に権限を委譲
して仕事を代行させる契約関係のことであ
る。そして,この理論では,プリンシパル
の行動とエージェントの行動のいずれにお
いても次の2つの仮定がなされる。
情報の非対称性の仮定:
すべての人間は,情報収集・処理・伝達
能力に限界があり,この限定された情報
のもとでのみ合理的に行動するという
「限定合理性の仮定」が導入される。その
結果,すべての人間は,情報収集・処
理・伝達能力に限界があり,相互に同じ
情報を有するとは限らない。
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9 - 303
など)が,直接,金融機関をモニタリング
してその経営が健全に行われるように規律
づける必要があるが,実際には,様々な手
間やコストなどがかかったり,フリー・ラ
イドの問題が生じたりすることから,金融
機関の利用者(預金者など)は,プルーデン
ス政策主体に金融機関のモニタリングや経
営の規律づけを委譲しているという見方が
できる。換言すれば,プルーデンス政策主
体は,金融機関の利用者(預金者など)か
ら,金融機関の破綻や金融システムリスク
の顕在化を防止することを委譲されている
という見方が成り立つ。こうした見方に従
えば,金融機関の利用者(預金者など)がプ
リンシパルでプルーデンス政策主体がエー
ジェントというエージェンシー関係が考え
られる。
そして,プルーデンス政策主体と金融機
関との関係については,プルーデンス政策
主体は,金融機関の利用者(預金者など)の
代表者として金融機関をモニタリングして
いるという見方が成り立つ。この見方か
ら,プルーデンス政策主体がプリンシパル
で金融機関がエージェントというエージェ
ンシー関係が考えられる。このエージェン
シー関係は,プルーデンス政策主体は,プ
リンシパルとして,金融機関としての健全
経営や金融システムの安定を実現させるた
め,エージェントである金融機関に様々な
種類の規制を課し様々な形態の監督を行っ
ていると捉えられる。
ところで,金融機関破綻などに対して公
的資金を投入する事態を考えると,公的資
要性を裏付ける主要な理論である代表仮説
(Representation Hypothesis)に基づいて考
察する。
代表仮説はDewatripont and Tirole
(1994)が提唱した理論で,本来的には金融
機関経営をモニタリングする必要があるの
は金融機関の利用者(預金者など)であると
いう考えに基づく。しかし,金融機関のモ
ニタリングは煩雑でコストも時間もかかる
し,金融機関の利用者(預金者など)の多く
は,金融機関の業務内容を十分に理解でき
るような能力を持っていない。さらに,金
融機関の利用者(預金者など)の各人ひとり
ひとりにとっては,他の誰かによって金融
機関をモニタリングしてもらえば良く,あ
えて自分から行おうとは思わない。つま
り,金融機関の利用者(預金者など)は,金
融機関のモニタリングにあたってはフリ
ー・ライド(Free-Ride;ただ乗り)を志向す
るという問題が生じる。
このような問題を解決するためには,金
融機関の利用者(預金者など)が,金融機関
をモニタリングできる能力を持つ代表者を
指名して,その代表者に金融機関の利用者
(預金者など)の意向を汲み取って行動して
もらうようにすればよいというのが代表仮
説の趣旨である。そして,代表仮説では,
その代表者としてプルーデンス政策主体が
存在していると説明され
 (注17)
る。
この代表仮説の見方に従えば,エージェ
ンシー理論におけるプルーデンス政策につ
いては,以下のように解釈できる。
本来ならば,金融機関の利用者(預金者
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ることにしたい。
(注17) この代表仮説に従えば,仮に,金融機関の
利用者(預金者など)が,十分な能力を持ちフ
リー・ライドの問題を克服できるように互いに
協調し合えるとすれば,金融機関をどのように
コントロールするかについて考察してみること
が,プルーデンス政策のあり方を議論する際の
ポイントになる。
(3) エージェントとしての日本銀行
まず,上記(2)で示したエージェンシー
関係@において,日本銀行をエージェント
として考えた場合,どのようなエージェン
シー問題が起こり得るかを述べる。
(1)で説明したとおり,エージェンシー
理論においては,エージェントは,プリン
シパルのために最善を尽くすとは限らず,
プリンシパルの不備につけ込んで自己の効
用最大化のために行動する可能性や,隠れ
て怠慢を働くなどの可能性がある。とりわ
け,エージェントが日本銀行のような公的
部門である場合には,公共の利益ではな
く,自らの権限拡大や自己の報酬あるいは
名声を得ることを目標にするインセンティ
ブが働く可能性もあるという見方もでき
 (注18)
る。
いずれにしても,エージェンシー理論に
よれば,マクロプルーデンス
政策主体としての日本銀行
(エージェント)が,国民(プ
リンシパル)のために最善を
尽くすとは必ずしも言えな
い。具体的な例としては,次
の2種類の例が考えられる。
1種類めの例は,金融政策と
プルーデンス政策(マクロプ
金の究極的な負担者は納税者である国民で
ある。また,金融システムリスク顕在化の
場合を考えると,金融機関の直接の利用者
ではない者にもマイナスの影響が及び,最
終的には国民全員の生活にも波及するに至
る。つまり,金融機関の利用者(預金者な
ど)とプルーデンス政策主体とのエージェ
ンシー関係においては,プリンシパルを金
融機関の利用者(預金者など)ではなく国民
とした方が,より実態に合ったふさわしい
ものと言えるだろう。
ここで,上述したエージェンシー関係を
整理すると,第1図のようになる。
第1図のエージェンシー関係@は,国民
がプリンシパルでプルーデンス政策主体が
エージェントというエージェンシー関係に
あたり,エージェンシー関係Aは,プルー
デンス政策主体がプリンシパルで金融機関
がエージェントというエージェンシー関係
にあたる。
次に,この第1図で示したプルーデンス
政策主体をマクロプルーデンス政策主体と
しての日本銀行と考えて,本稿の目的であ
る日本銀行のガバナンス問題について論じ
第1図 プルーデンス政策のエージェンシー関係
プリンシパル
エージェンシー関係@
エージェントプリンシパル
エージェンシー関係A
エージェント
国  民
プルーデンス政策主体
金融機関
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ましい局面も考えられる。こうした局面で
は,マクロプルーデンス政策の観点からは
個別の金融機関を早期に破綻させる選択を
とるべきであるが,ミクロプルーデンス政
策の目標との相反が障害になってしまう。
この場合,一般の人々にとってはわかりや
すい身近な出来事である個別金融機関の破
綻を避けるというミクロプルーデンス政策
の目標の方を,日本銀行によって優先され
てしまうことも想定できる。
ふたつめは,本来ならばミクロプルーデ
ンス政策をマクロプルーデンス政策よりも
重視すべき局面であるにもかかわらず,マ
クロプルーデンス政策が優先されてしまう
場合も考えられる。ある金融機関の経営が
悪化している場合,ミクロプルーデンス政
策の観点から,その金融機関の破綻を回避
するために貸出伸長などを促して収益性を
高める必要があることも考えられる。しか
し,その時,折しもマクロ経済の状況が過
熱気味に傾いていたとしたら,日本銀行に
よってマクロプルーデンス政策の観点から
銀行貸出量を制限するような措置が取られ
るということも想定できる。この背景に
は,マクロ経済の状況についての認識は広
く一般の人々に行き渡るが,個別の金融機
関の経営状況は特定の人々にしか認識され
ないことが考えられる。
要するに,日本銀行は,「一般の人々」に
代表される外部者の反応を見ながら,日本
銀行の名声を維持し権限拡大などにつなが
るような行動を優先する可能性があると考
えられ
 (注19)
る。その結果,マクロプルーデンス
ルーデンス政策とミクロプルーデンス政策の
両方を合わせたプルーデンス政策)が両立し
得ない例であり,2種類めの例は,プルー
デンス政策の運営のなかで,マクロプルー
デンス政策運営とミクロプルーデンス政策
運営が両立しえない例である。
1種類めの例としては,金融機関のモニ
タリングよりも物価の安定を優先すること
が考えられる。これは,1の(2)で紹介し
た金融政策とプルーデンス政策を分離すべ
きであるという主張と整合的なものであ
る。例えば,金融機関のリスクテイク行動
が行き過ぎたレベルに達して,プルーデン
ス政策としては政策金利の予防的な引き上
げなどによる金融引締めが必要な局面にも
かかわらず,当面の目途とされる物価上昇
率を目指して金融引締めが選択されないよ
うな状況が典型的な例と言える。
2種類めの例としては,1の(1)で整理
したようにそれぞれ異なった政策目標を持
つことから,マクロプルーデンス政策とミ
クロプルーデンス政策の運営は両立し得な
い可能性もあると考えられる。具体的に
は,次の2通りの場合が想定される。
ひとつめは,本来ならばマクロプルーデ
ンス政策をミクロプルーデンス政策よりも
重視すべき局面であるにもかかわらず,ミ
クロプルーデンス政策が優先されてしまう
場合が考えられる。不良債権を抱えて経営
が健全でない金融機関は,破綻処理を先延
ばしにするよりも早期に破綻させた方が,
長期的なマクロ経済への影響の軽減あるい
は最終的な国民負担の軽減を考えれば,望
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いという欲求があるとしたら,金融機関と
日本銀行との間で何からの結託(coalition)
が行われ,国民や社会全体の利益を減じる
可能性があ
 (注20)
る。
このような結託が発生するメカニズムに
ついては,(2)で説明したエージェンシー
理論の前提となる2つの仮定のうち,利害
の不一致の仮定が緩められた場合に発生す
るという解釈もできる。プリンシパルであ
る日本銀行とエージェントである金融機関
の両者とも限定合理的であり不完全な情報
しか有しないなか,マクロプルーデンス政
策目標の追求などの公共の利益ではなく自
己の利益を優先したいとするプリンシパル
である日本銀行のニーズと,日本銀行によ
る厳しい規制監督をできるだけ避けたいと
いうエージェントである金融機関のニーズ
が一致した結果,結託が実現すると言えよ
う。
ところで,結託が発生するメカニズム
は,日本銀行をミクロプルーデンス政策主
体とした場合にも当てはまる。金融機関を
破綻させないために金融機関経営者に健全
経営をさせようとする日本銀行との結託へ
の誘因が,金融機関サイドに働く可能性が
あるだろう。けれども,経営状態が良好な
金融機関にとっては,経営状態が悪化して
いる金融機関に比べれば,ミクロプルーデ
ンス政策主体としての日本銀行との結託へ
の誘因はそれほど働かないだろう。健全経
営を行っている金融機関にとっては,ミク
ロプルーデンス政策主体としての日本銀行
から受ける規制監督はそれほど恐れること
政策とミクロプルーデンス政策との望まし
い両立がなされないおそれもありうる。
(注18) こうした見方は公共選択理論(Public
Choice Theory)にもとづくもので,詳細は,
Masiandro et al.(2007)などを参照。
(注19) よりわかりやすい事例としては,一般の
人々から多くの支持(得票)を得たい政治家の
意向を,プルーデンス政策運営にあたって優先
することなどが考えられる。
(4) プリンシパルとしての日本銀行
次に,(2)で示したエージェンシー関係
Aにおいて,日本銀行をプリンシパルとし
て考えた場合,どのようなエージェンシー
関係が起こり得るかを述べる。
(1)で説明したエージェンシー理論に従
えば,プリンシパルである日本銀行は,エ
ージェントである金融機関が日本銀行の不
備につけ込んで自己の効用最大化のために
行動する可能性や,隠れて怠慢を働くこと
などを防ぐために,金融機関をモニタリン
グしなくてはならない。この場合,プリン
シパルである日本銀行は,モニタリング・
コストというエージェンシー・コストを負
担する主体として捉えられる。
しかし,(3)でも述べたように,日本銀
行が,公共の利益ではなく,自らの権限拡
大や自己の報酬あるいは名声を得ることを
目標にするインセンティブがあるとすれ
ば,日本銀行は,金融システム安定という
マクロプルーデンス政策の目標の追求より
も自らの権限拡大や自己の報酬あるいは名
声を得ることを優先することになる。そし
て,金融機関サイドとしても,日本銀行か
ら厳しい規制監督を課されることを避けた
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行が,本来追求すべき金融システム安定化
を図るよりも自らの権限拡大や名声の維持
などにつながる行動をとる可能性があるこ
とである。換言すれば,エージェンシー理
論に従えば,日本銀行において本来期待さ
れる行動をとるようなインセンティブが弱
まり,公共の利益のためよりも自らの利益
のために行動するようなモラルハザードが
起きてしまう可能性も否定できないことが
考えられる。このような可能性の実現を抑
えるためには,日本銀行のインセンティブ
を歪ませないように規律づけしていくガバ
ナンスメカニズムが必要になるだろう。
これまでの多くの先行研究では,アカウ
ンタビリティー(Accountability)が,プル
ーデンス政策主体に対する重要なガバナン
スメカニズムになると考えられてき
 (注21)
た。一
般的に,アカウンタビリティーとは,対外
的に自らの行動や意思決定の内容を説明し
その結果の影響について自ら責任を持つも
のと定義される。このアカウンタビリティ
ーが課せられることによって,プルーデン
ス政策主体のインセンティブは自らの利益
の追求を控え公共の利益を追求するように
働くことになるとこれまで説明されてきた。
この定義に加えて,Amtenbrisk and Lastra
(2008)は,プルーデンス政策主体のアカウ
ンタビリティーには,公共の利益を追求さ
せ自らの利益の追求を控えさせるようなイ
ンセンティブをより有効に機能させるため
に,行動や意思決定についての適切なパフ
ォーマンス評価にもとづく報酬(rewards)
や制裁(sanctions)が必要であると主張し
はないからである。これに対して,マクロ
プルーデンス政策の影響を受ける対象は,
経営状態にかかわらず,あらゆる金融機関
である。つまり,日本銀行がミクロプルー
デンス政策のみを運営する場合よりも,ミ
クロプルーデンス政策とマクロプルーデン
ス政策の両方を運営する場合の方が,影響
を受ける金融機関の範囲は広がるため,日
本銀行と金融機関との結託はより発生しや
すくなると言えよう。
(注20) この場合の結託とは,プリンシパルとエー
ジェントが自分たちの利益のみを享受し,さら
に,その他の関係者(国民など)が本来得られ
る利益を奪うような事態を指す。このような結
託が生じるメカニズムの理論的な可能性につい
ては,Tirole(2006)で論じられている。そして,
大瀧・花崎・堀内(2008)では,結託の具体的
な例として,監督官庁などの役職員が退職後に
金融機関の役員ポストに就くという「天下り」
現象を説明している。なお,「天下り」現象につ
いての実証的な分析は,Horiuchi and Shimizu
(2001)を参照。
3  日本銀行のインセンティブ
  に関する観点からの提案 
2の(3)と(4)で指摘した問題は,マ
クロプルーデンス政策主体としての日本銀
行のガバナンスの問題として対応すべきで
ある。以下では,日本銀行のインセンティ
ブに関する観点から,この問題に対する対
処案を示す。
(1) アカウンタビリティーの重要性
エージェンシー理論から指摘できる問題
は,2の(3)と(4)で述べたとおり,マ
クロプルーデンス政策主体としての日本銀
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14 - 308
き役割や責任などについては,基本的には
日本銀行法(平成9年法律第89号)が法律的
な裏付けである。そのため,アカウンタビ
リティーが法律的に課せられているか否か
については,日本銀行法の規定内容を調べ
るべきだろう。
この日本銀行法では,日本銀行の目的が
第1条で次のように定められている。
マクロプルーデンス政策の運営を含んだ
プルーデンス政策(条文上では「信用秩序の
維持に資すること」)の運営については,第
1条の第2項で日本銀行の目的と定められ
ている。そして,第3条で,日本銀行の自
主性の尊重と透明性の確保について定めら
れている。
第1条の第1項で定められた目的である
「通貨及び金融の調節」については,第3条
の第2項で,「通貨及び金融の調節に関する
ている。この主張は,プルーデンス政策運
営が誤っていたり不十分であったりした場
合には,制裁される可能性もある結果責任
が問われることで,プルーデンス政策主体
が公共の利益を優先するように,より強く
規律づけられるという考えにもとづいてい

(注22)

従って,日本銀行に対しても,対外的に
自らの行動や意思決定の内容を説明
 (注23)
し,そ
の結果について自ら責任を持ち,さらにそ
の結果によっては報酬や制裁を受ける可能
性もあるというアカウンタビリティーを課
せば,エージェンシー理論から発生可能性
を指摘されるガバナンスの問題は防げると
考えられる。
(注21) この点については,Dijkstra(2010)が詳
しい。
(注22) さらに,Amtenbrisk and Lastra(2008)
は,報酬や制裁を実施するためには,そのもと
になるパフォーマンス評価が適切に行われるこ
とが求められ,プルーデンス政策主体の行動基
準や目的を明確化する必要があるという説明も
合わせて行っている。
(注23) 白塚(2011)も,次のように述べ,中央銀行
行動の対外的説明の重要性を指摘している。「中
央銀行の政策行動に関するトラック・レコード
とその信認が重要になる。この場合,中央銀行
のトラック・レコードとは,単に物価の安定を
含めたマクロ経済のパフォーマンスが良好であ
るということだけではなく,それが,中央銀行
の具体的な行動とそれに対する明確な説明によ
って裏打ちされていることが重要と考えられる。」
(2) 日本銀行のアカウンタビリティー
について
では,実際に,マクロプルーデンス政策
主体としての日本銀行に,上記(1)で述べ
たようなアカウンタビリティーが課せられ
ているのだろうか? 日本銀行が果たすべ
(目的)
第1条 日本銀行は,我が国の中央銀行として,
銀行券を発行するとともに,通貨及び金
融の調節を行うことを目的とする。
  2 日本銀行は,前項に規定するもののほ
か,銀行その他の金融機関の間で行われ
る資金決済の円滑な確保を図り,もって
信用秩序の維持に資することを目的と
する。
(日本銀行の自主性の尊重及び透明性の確保)
第3条 日本銀行の通貨及び金融の調節におけ
る自主性は,尊重されなければならな
い。
  2 日本銀行は,通貨及び金融の調節に関す
る意思決定の内容及び過程を国民に明
らかにするよう努めなければならない。
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15 - 309
アカウンタビリティーの実施を,日本銀行
法の改正などによって法律的に義務付ける
ことを提案したい。
おわりに
本稿は,マクロプルーデンス政策主体と
しての日本銀行のガバナンス問題につい
て,エージェンシー理論を用いて考察し
た。考察の結果,マクロプルーデンス政策
主体としての日本銀行が陥る可能性のある
モラルハザード(他の政策と両立が難しいこ
とや金融機関との結託が発生する可能性)に
ついて指摘した。そして,日本銀行のイン
センティブに関する観点から,自らの行動
の対外的な説明とその結果にもとづき報酬
や制裁を受ける可能性のあるアカウンタビ
リティーの重要性を説明して,そのアカウ
ンタビリティーを日本銀行に課すことを提
案した。
今後の課題としては,次の2点が挙げら
れる。1点めは,本稿で指摘した日本銀行
が陥る可能性のあるモラルハザードが,実
際に起きているのか否かについて実証的に
検証することである。2点めは,報酬や制
裁を日本銀行に与える可能性も兼ね備えた
アカウンタビリティーの実施を実現させる
ために,その前提となる日本銀行の政策運
営に対するパフォーマンス評価が公平かつ
適切にできる仕組みを考察することである。
 
・ 大瀧雅之・花崎正晴・堀内昭義(2008)「誰がモニ
ターをモニターするのか−金融機関の規律づけと
意思決定の内容及び過程を国民に明らかに
するよう努めなければならない」と定めら
れているが,第1条の第2項で定められた
目的である「信用秩序の維持に資するこ
と」は,それに関する意思決定の内容及び
過程を国民に明らかにするよう努めること
については明確には定められていない。
つまり,マクロプルーデンス政策につい
て,その意思決定の内容や過程を対外的に
説明することは法律的には求められていな
いことがわかる。(1)で述べたようなエー
ジェンシー理論から指摘されるガバナンス
の問題の解決策となるアカウンタビリティ
ーというガバナンスメカニズムは,日本銀
行法のもとでは規定されていないことが明
白と言える。ちなみに,日本銀行のマクロ
プルーデンス面の実際の取組みをとりまと
めた日本銀行(2011)にも,ガバナンスメ
カニズムとしてのアカウンタビリティーに
関連する記述は当然ながら見当たらない。
これまでのところ,エージェンシー理論
から発生可能性が考えられるマクロプルー
デンス政策主体としてのインセンティブの
歪みとそこから生じるモラルハザードが,
実際に起きていることは証明されていな
い。しかし,インセンティブの歪みやモラ
ルハザードが起こりうるような状況を事前
に想定して,そのような状況の実現を回避
させるような措置を講じておくことは重要
である。
以上より,マクロプルーデンス政策主体
としての日本銀行が陥る可能性のあるガバ
ナンス問題に対処するために必要と考える
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