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恐慌以来、初めて連邦準備法13条3項を発動  AIG救済は今後の危機管理の手本ではない
http://www.asyura2.com/12/hasan77/msg/403.html
投稿者 MR 日時 2012 年 8 月 23 日 11:48:58: cT5Wxjlo3Xe3.
 

(回答先: 米住宅バブル崩壊が深刻な金融危機に発展した理由   90年代末の楽観主義が招いた米住宅バブル 投稿者 MR 日時 2012 年 8 月 10 日 10:11:14)

恐慌以来、初めて連邦準備法13条3項を発動
第3回 金融危機に対するFRBの対応 その3
2012年8月22日(水)  ベン・バーナンキ
 
 さて、米連邦準備理事会(FRB)には「割引窓口(discount window)」という機能があります。この機能を通じて、例えば1日の業務の終わりに資金不足が判明した銀行などに、FRBは通常業務として短期資金を供給しています。こうした立場にある銀行は、翌日物資金を借り入れたいと考えます。銀行はFRBに担保を差し入れ、その担保に基づいて、銀行は「公定歩合(discount rate)」と呼ばれる金利で翌日物資金を借り入れることができます。「公定歩合」とはFRBが課す金利です。
 FRBが銀行に貸し出しを行う機能を担う「割引窓口」は常に開かれています。(金融危機発生)当時も、銀行に貸し出しを行うための特別な措置は必要ありませんでした。FRBは常に銀行に貸し出しを行っているからです。しかし我々は、信用供与について銀行を安心させるため、この制度に若干修正を加えました。
 金融システムにさらに資金を注入するために、「割引窓口」を通して行う貸し出しの満期を延長したのです。「割引窓口」を通じて行う貸し出しの満期は通常は1日です。この貸出の満期を長くして、割引窓口貸出については入札方式にしました。つまり、借り入れを希望する企業は、(FRBが貸し出すと提示した)その資金に対して金利をどれだけ負担する用意があるかを示し、入札するわけです。こうした措置を取った理由は、一定規模の資金を入札にかけることによって、金融システムに少なくとも確実に多額の資金を投入できると考えたからです。
 とにかく「最後の貸し手」としての機能を果たすため割引窓口は開いているので、この機能を積極的に活用して、「銀行」が確実に資金にアクセスできるようにし、パニックを鎮めようとしたのです。

「最後の貸し手」として銀行ではない金融機関にも資金を供給
 しかし、FRBが創設された1913年当時と比較して、金融システムははるかに複雑になっています。市場には現在、銀行以外に様々な金融機関が存在しています。前も話したように、危機自体は昔からの「銀行危機」と同様のものでしたが、もはや金融システム自体が従来とは全く異なる複雑な制度に変質していたため、従来とは異なる様々な企業や機関を巻き込んでいったのです。
 このため、FRBは「割引窓口」以外の手段が必要でした。つまり、従来とは別の対策を用意して特別な流動性や信用枠を設定し、(銀行とは)別の種類の金融機関に貸し出しを行うことが必要だったのです。「バジョットの原則」にあるように、資金調達の道を閉ざされた企業に資金を提供することこそ、パニックを鎮圧する最善の方法だからです。
 銀行以外の金融機関に貸し出しを実施するにあたっても、もちろんすべて担保を取りました。納税者のお金をリスクにさらしたりはしません。この点は後で詳しく説明します。とにかく、金融システムの安定性を強化すべく、銀行だけでなく金融システムに幅広く資金を注入することで信用の流れを再開させました。
 強調しておきたいのは、これは中央銀行が何百年も前から実施してきた「最後の貸し手」としての伝統的な機能です。違ったのは、対象が伝統的な銀行だけでなく、様々な金融機関をも対象に行われたという事実です。
 ここ(下)に示したのは、FRBが特別な対策を取って、対応した金融機関と市場です。銀行は当然、「割引窓口」でカバーされていました。しかし、ベア・スターンズやリーマン・ブラザーズ、メリルリンチ、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーといった証券や金融派生商品(デリバティブ)を扱う証券会社(broker-dealer)も、深刻な事態に直面していたので、こうした証券会社に対してもFRBは担保を取って短期の資金を貸し付けました。

金融危機の発生に伴い、FRBは金融市場の信用を回復させるべく、「最後の貸し手」として銀行だけでなく、証券会社、CPの借り手(CPを発行する企業)、MMF、資産担保証券市場に対しても積極的に資金を供給した

連邦準備法の「危機下の例外的非常時対策」条項を初めて発動
 また、これから説明しますが、「コマーシャルペーパー(CP)の借り手(CPを発行する企業)」や「マネー・マーケット・ファンド(MMF)」にも支援を提供しました。両者については簡単なケーススタディーを行い、最後に「資産担保証券(ABS)」市場について取り上げます。
 近代経済、近代金融システムにおいては、住宅ローンだけでなく自動車ローンやクレジットカードなど、あらゆる種類の消費者信用に必要な資金は、証券化プロセスを通じて調達されています。
 例えば、銀行はクレジットカード債権をひとまとめにして証券化し、市場を通じて投資家に売却しています。このプロセスは、住宅ローンの売却方法とほぼ同じです。これらは「資産担保証券(ABS)市場」と呼ばれています。金融危機が発生して、ABS市場の流動性がほぼ失われる事態となったため、FRBはABS市場の機能を回復させるため、新たな流動性対策を取り、この対策は成功しました。
 「割引窓口」を通じた銀行への貸し出しは、通常の「標準的な貸し出し」形態であるということを言っておく必要があります。つまり、ほかの形態の(金融機関等に)貸し出しを行うには、「緊急権限」を発動する必要がありました。
 連邦準備法の第13条3項に「経済危機下における例外的非常時対策」と呼ばれる条項があります。「異例かつ切迫した状況、基本的には緊急の場合には、FRBは『ジャンク債』を除くすべての種類の主体に対して融資をできる」と規定しています。FRBはこの権限を1930年代以来、使用したことは一度もありませんでした。しかし、今回の金融危機では、様々な市場と金融機関で問題が発生していることを踏まえて、FRBはこの権限を発動し、各市場の安定化を図ったのです。

MMFとCPへの資金供給をケーススタディーで見よう
 ここで皆さんの理解を助けるため、FRBがどんな措置を取り、それがどのように経済を下支えしたのかについて簡単なケーススタディーを行いましょう。
 まず、マネー・マーケット・ファンド(MMF)について見ていきます。MMFは基本的に投資信託の一種で、投資家がMMFの持分を購入すると、MMFはその資金で短期流動資産に投資します。MMFの基準価額は、歴史的にほぼ1ドルを維持してきました。したがって、MMFは実際には銀行のようなものだと受け止められており、年金基金のような機関投資家がしばしば利用してきました。
 例えば、3000万ドル(約23億5000万円)の現金を保有している年金基金があるとします。この年金基金は資金をおそらく銀行に預けることはしません。この規模の金額は保証されないからです。知っていると思いますが、銀行の預金保険でカバーされる金額には上限があります。このため年金基金は銀行に預ける代わりに、MMFを利用したりします。元本が確実に返ってくるうえ、若干の利子がつくからです。機関投資家にとって、現金をごく短期の安全性の高い流動資産に投資することは現金を管理する方法として非常に有効です。このスライドは、多くの投資家がMMFを利用していることを示しています。

安全性が高いと見られてきたマネー・マーケット・ファンド(MMF)には、多くの投資家が投資してきた。短期間で資本を運用したいと考える機関投資家と、CPを発行することで短期の資金を調達しようとする企業のニーズが合致して、MMFは2兆ドル(約156兆円)という大きな市場規模を誇っていた
 前も指摘しましたが、MMFの持分には保険は付きません。預金保険ではカバーされないのです。しかしMMFに投資する投資家は、いつでも額面の金額を引き出せると考えています。つまり、投資家は基本的にMMFを銀行口座のようなものとして扱っているのです。一方、MMFは何らかの商品に投資する必要があります。通常はCPなどの短期資産に投資しています。
 CPは、企業が発行する典型的な短期債務で、通常、満期は90日以内です。一般企業は、キャッシュフローを管理するなどの目的からCPを発行します。給料の支払いや在庫に関連する費用に充てるために、短期資金が必要になることもあります。そうした場合、米ゼネラル・モーターズ(GM)や米キャタピラーといったメーカーはCPを発行して、資金を調達し、日々の事業運営に充てるわけです。
 銀行を含む金融機関もCPを発行して資金調達を行い、流動性ポジションを確保したり、それによって民間企業に融資したりします。フローチャートで、左側の「投資家」が余剰のキャッシュをMMFに投資するわけです。MMFはCPを購入しますが、これがメーカーなどの一般的企業にとっても、資金を調達して融資を行う金融機関にとっても基本的な資金の調達源となっているわけです。

リーマン破綻で特に激震が走ったのがMMFだった
 さて、金融危機において、この互いにうまく機能していたMMFとCPに何が起こったのでしょうか。リーマン・ブラザーズの破綻は、激烈な衝撃をこのシステムに与えました。リーマンは投資銀行で、世界的に金融サービスを展開していました。しかし、銀行ではなかったためFRBの監視下には置かれていませんでした。
 リーマンは投資銀行として多額の証券を保有し、証券市場で大規模なビジネスを展開していました。銀行ではないために預金を受け入れることはできなかったので、代わりにCP市場を含む短期調達市場から資金を調達していました。
 同社は2000年代に、住宅ローン関連証券や商業用不動産に積極的に投資していました。周知のように住宅価格が下落し、住宅ローンの延滞が増加するに伴って、リーマンの財務ポジションは悪化し、商業用不動産への投資に絡んで多額の損失を計上しました。やがてリーマンは債務の返済ができなくなり、すべての投資で損失を出し、強い圧力にさらされたのです。
 債権者はリーマンに対する信頼を失い、同社から資金を引き揚げ始めました。投資家はリーマンのCPの借り換え資金を提供することを拒否し、ビジネス・パートナーは「来週まだ存続しているかどうかわからない以上、事業を継続することはもはやできない」、としてリーマンとのビジネスを打ち切りました。リーマンは損失が膨らむと同時に、資金調達の道も閉ざされていったのです。
 リーマンは、FRBと財務省に資金の貸し手か買収先を見つけてくれるよう依頼しました。しかし、さっきも話したようにリーマンはそのいずれも見つけることができず、9月15日に破産法の適用を申請するに至ったわけです。
 これは激甚なショックとなって世界中の金融システムに影響を及ぼしました。リーマン破綻による数々の影響の中でも、とりわけ大きかったのがMMFへの影響でした。ある大手MMFは、リーマンが発行したCPをほかの資産とともに大量に保有していました。そのため、リーマンの破綻に伴ってそのCPも無価値になったか、あるいは少なくとも長期的に完全に流動性を失いました。このMMFはそのため突如、預金者に額面金額通りの払い戻しをできなくなったのです。損失を被ったため、支払いができなくなったのです。
 皆さんがMMFの投資家だったと考えてください。MMFの投資家として、必要な時にはいつでも投資額を額面で引き出すことができると知っていて、突然、自分のMMFにはすべての投資家に額面通りの金額を払い戻すだけのお金がないことがわかったら、どんな行動を取るでしょうか。
 19世紀の銀行の預金者が、銀行が損失を出したと知った時と同じ行動を取るでしょう。実際、このMMFの投資家も、さらにはほかのMMFの投資家も、資金を引き出し始めたのです。まさに典型的な「銀行の取りつけ」です。
 スライド(下)を見れば分かるように、投資家ができる限り早く資金を引き出そうとMMFに殺到したことで、深刻な銀行取りつけ、この場合、MMFの取りつけが起きたのです。

リーマン・ブラザーズの破綻に伴い発生したMMFからの資金流出額の推移。リーマンの破綻から2日で、1日当たり約1000億ドル(約7兆8400億円)もの資金が流出、そのためMMFは「額面割れ(breaking the buck)」となり、投資家に元本の払い戻しができなくなった。その2日後に財務省が「保証プログラム」を発表、FRBがMMFの流動性支援に乗り出したことから、「取りつけ騒ぎ」が沈静化していったことが分かる
 FRBと財務省はこの事態に機敏に対応しました。財務省はMMFへの預入金に対する一時的な保証を提供すると発表、「MMFへの預入金は保証するので、すぐに引き出さないでもらいたい」と投資家に要請しました。FRBは破綻の連鎖を食い止めるために流動性支援策を打ち出し、この支援策の下で銀行への貸し出しを行いました。銀行はその借り入れ資金でMMFの資産の購入に動きました。この結果、MMFに流動性が提供され、預金者への払い戻しが行われ、パニックが沈静化していったのです。
 スライド(上)を見れば、その時何が起きていたのか把握できると思います。MMFからの流出額を示しています。MMFは規模が2兆ドル(約156兆円)の業界で、ここに示したのは1日の流出額です。グラフは、リーマンの破綻後数日でMMFが「額面割れ(breaking the buck)」となり、投資家に元本をすべて払い戻しできなくなったことを示しています。
 リーマンの破綻発表後約2日の間に、1日当たり約1000億ドル(約7兆8400億円)もの資金がこれらのファンドから流出しました。その2日後に財務省が「保証プログラム」を発表、FRBもこれらのMMFの流動性支援に乗り出した結果、グラフにあるように、「取りつけ騒ぎ」はかなり迅速に終息したわけです。
 つまり、典型的な「銀行取りつけ騒ぎ」と同じことが起こり、当局が典型的な対応をしたのです。つまり、取りつけが起きていた機関に資金と保証を提供し、これにより投資家に現金を支払い、取りつけを終息させたということです。

MMFの取りつけ騒ぎはCPにも衝撃を与えた
 しかし、これですべて問題が解決したわけではありません。MMFがCPを保有していたことを思い出してください。MMFは取り付けが起きるや、可能な限りCPを安値で売り急ぎました。そのため、CP市場も衝撃に見舞われたのです。
 これは、金融危機がいかに様々な方向に波及し得るかを示す格好の例と言えます。リーマンが破綻すると、MMFに取りつけが発生し、これがCP市場に衝撃を与えました。つまり、すべてがあらゆることとつながっていたことから、金融システムの安定性を保つことが困難だったわけです。
 MMFがCP市場から資金を引き揚げるのに伴って、CP市場では金利が急騰しました。貸し手は企業がいつの日か破綻することを恐れて、CP市場でのさらなる貸し出しに消極的になったため、企業は機能不全に陥り、金融機関は資金調達能力を失いました。
 FRBはこうした事態に対して、まさにバジョットが実行したであろう方法で即、対応し、緊急救済案を実行しました。FRBは破綻の連鎖を食い止めるための貸し手として機能し、「(企業に対して)貸し出しを実施して欲しい。もしこれらの資金で問題が発生したら、FRBが救済する」とのメッセージを発しました。こうした対策が奏功してCP市場における信頼感が回復したのです。
 スライド(下)を見てください。これはCPの金利です。市場は明らかにパニックに陥り、金利が凄まじく急騰しています。これでもCP市場に実際にかかった圧力を十分表しているとは言えません。なぜなら、多くの企業がどんな金利でも資金を調達できなかった事実は、ここには現れていないからです。
 企業が資金調達を受けられた場合でも、それは翌日物などの極めて短期の資金に限られていました。FRBの行動により市場の信頼感が回復し、2009年初めには金利が低下に向かったことが見て取れます。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120810/235509/zu44.jpg
リーマンの破綻に伴って発生した金融危機によって、CPの金利が急騰、その後、財務省やFRBによる緊急救済策によって2009年初めには金利は低下していった
バーナンキ議長による講義の録画は下記でご覧頂けます。
第3回(3月27日)金融危機に対するFRBの対応(The Federal Reserve's Response to the Financial Crisis)
 なお、動画画面の左下にある「transcript」をクリックすると講義の英文おこしをダウンロードできます。


ベン・バーナンキ(Benjamin Shalom Bernanke)
薬剤師の父と学校教員の母の長男として、1953年12月13日に米ジョージア州オーガスタで誕生、サウスカロライナ州ディロンで育つ。高校時代、大学進学適性試験SATで1600満点注1590点というその年の州で一番の成績を収め、1972年ハーバード大学に進学、経済学を学ぶ。1979年、年米マサチューセッツ工科大学(MIT)で経済学博士号を取得し、同年以降、米スタンフォード経営大学院で教える一方、ニューヨーク大学で客員教授も務める。1985年プリンストン大学経済学部教授に就任、この時、日銀の政策がいかに間違っていたかを研究。デフレ史の研究でも知られ、友人でノーベル経済学賞受賞のポール・クルーグマン氏とともにインフレターゲットの研究者としても名声を高める。2002年にブッシュ政権下でFRBの理事に就任、2005年6月に同ブッシュ政権下で、米大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長に就任したのに伴いFRB理事は退任、2006年1月までCEA委員長を務め、同2月1日にFRB議長に就任。2010年1月再任される。



さあ、バーナンキ議長の講義を聞こう!
この連載は、米連邦準備理事会(FRB)のベン・バーナンキ議長が今年3月下旬に、米ジョージワシントン大学ビジネススクール(同大学は学部としてビジネススクールを持つ)の大学生を対象に「米連邦準備理事会(FRB)と金融危機」と題して、4回にわたって行った講演の全文である。中央銀行が誕生した歴史的背景から、その使命、1930年代に恐慌が起きた際のFRBの対応、その後金融政策が発展した経緯、なぜ米住宅バブルが発生し、なぜその崩壊によって2008年秋の金融危機が発生したのか、何が問題だったのか、そして危機に対してバーナンキ議長を筆頭にFRBがいかに対応したのか――その全容を大学生を対象に分かりやすく説明している点がポイントで、金融危機の深層を明らかにしてくれる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120810/235509/?ST=print


 

AIG救済は今後の危機管理の手本ではない 第3回 金融危機に対するFRBの対応 その4
2012年8月23日(木)  ベン・バーナンキ


 さて、米連邦準備理事会(FRB)が取った行動について、最後にもう1つ触れたいと思います。ここまで話してきたことの多くを、皆さんは新聞などであまり読んだことがなかったのではないでしょうか。私はこうした重要な市場の問題に取り組み、金融機関全般に幅広く流動性を供給して金融パニックの終息を図りました。FRBと財務省はその間、同時に、一部の重要な金融機関が直面した問題についてもその解決に取り組みました。
 既に話しましたが、FRBは2008年3月、融資を提供して米銀大手JPモルガン・チェースによる大手証券会社ベア・スターンズの買収を支援し、ベア・スターンズの破綻を食い止めました。こうした行動を取った理由は第1に、当時、金融市場が強いストレスにさらされていたため、ベア・スターンズが破綻すればストレスがさらに増幅され、本格的な金融パニックが起きるとを恐れたからです。

金融危機による影響を抑えるため、FRBはベア・スターンズとAIGの救済に動いた
 我々は、ベア・スターンズは少なくとも支払い能力は失っていないと判断していました。JPモルガンもそのように判断して同社の買収に同意し、ベア・スターンズの買収に伴って(ベア・スターンが抱える負債の返済などの)義務を履行することを保証しました。したがって、ベア・スターンズへの融資は、「返済の公算が大きい機関に対して融資を実行する」という条件遵守したものでしし、FRBは、ベア・スターンズに対する融資は十分な担保を有していると感じていました。
「最後の貸し手」としてAIGに実に850億ドルを融資
 第2の例は2008年10月に行ったAIGへの支援です。皆さんも知っていると思いますが、AIGはまさに破綻の瀬戸際に追い込まれていました。AIGは米国最大の、おそらく世界でも最大の保険会社でした。このAIGのケースについて簡単に話します。
 AIGは複雑な企業でした。多国籍金融サービス企業として、世界的な保険会社をはじめたくさんの金融サービス企業を傘下に抱えていました。同社は同時に、AIGファイナンシャル・プロダクツという子会社も抱えていました。AIGファイナンシャル・プロダクツは、複雑な金融派生商品(エキゾチック・デリバティブ)や、前に話した信用保険(credit insurance)など様々な金融商品を扱っていました。
 信用保険は、MBS(住宅ローン担保証券)の保有者に販売されていました。MBSのパフォーマンスが悪化し始めるにつれ、AIGが大きな問題を抱えていることが明らかになり、AIGの取引先は同社に現金での支払いを要求したり、資金提供を拒むようになりました。その結果AIGは甚大な圧力にさらされたのです。
 我々は、AIGの破綻は「終末」を意味すると判断しました。同社があまりにも多くの企業と密接に結び付いていたからです。米国だけでなく欧州の金融システムとも、世界中の銀行とも結び付いていました。もしAIGが破綻すれば、もはや危機をコントロールできなくなるとの懸念を強めていたのです。
 AIGは金融商品部門で多大な損失を被っていましたが、「最後の貸し手」としての見解からすれば、幸運なことがありました。同社が世界最大の保険会社だったことです。つまり、AIGは非常に健全な資産を沢山、保有していました。つまり、FRBに担保を差し入れることができ、それによってFRBは貸し出しを行い、AIGを存続させるために必要な流動性を供給することができたのです。
 FRBは、AIGの破綻を食い止めるため同社の資産を担保に取って、850億ドル(6兆6700億円)を同社に融資しました。まさに巨額の融資です。その後、財務省もAIGを存続させるうえで支援を提供しました。これは激しい論議を呼びましたが、我々はこの措置は2つの点から正当だったと思います。
 第1は、AIGへの融資は担保をきちんと取った融資だったという点で、「最後の貸し手」の概念から見て正当なものだったということです。それに、AIGに融資した資金は既にFRBに完全に返済されています。
 第2の点としては、AIGは世界の金融システムにおいて極めて重要な位置を占めていたということです。前に話したように、時間の経過とともにAIGは安定を取り戻しましたし、AIGはFRBに対して利子とともに借りた資金の返済を終えています。同社の株式については、財務省が今もなおその大半を保有していますが、AIGは財務省に対しても返済を行っており、完済途上にあります。
ベア・スターンズ、AIG救済策は本来の危機管理の処方箋ではない
 ただ、ベア・スターンズとAIGに対して取った措置が、明らかに将来の危機管理の処方箋ではないことを強調しておきます。何より、両社の救済は多くの点で極めて困難かつ苦渋に満ちた介入でした。システムの崩壊を阻止するために止むを得ない措置だったのです。
 しかし、システムにおいて一部の企業が「大きすぎて潰せない」という状況にあることが、基本的に誤っていることは明らかです。仮に企業が自分たちは大きすぎるため救済されると知っていれば、それはほかの企業に対して極めて公平性を欠きますし、その不公平性を棚に上げても、そうした企業は過剰なリスクを取るインセンティブを与えられることになります。彼らはこう言うでしょう。
 「大きなリスクを取ろう。どっちに転んでも我々が損することはない。もしリスクが報われれば大儲けできるし、リスクが報われなくても政府が救けてくれる」
 「大きすぎて潰せない」というのは、こうした状況を意味するわけで、容認することはできません。したがって、次の講義で詳しく話しますが、2008年9月に我々が直面していた問題は、リーマン・ブラザーズやAIGなどの企業を破綻させてもシステム全体に信じがたい打撃を与えずに済ませられるような法的手段も、政策的手段も、何ら持ち合わせていなかったことです。ですから、(破綻の危機に陥った金融機関を救済せずに破綻にまかせる選択肢と、莫大な資金を投入してそうした危機を救うという)2つのひどい選択肢の中でよりましな選択肢を選んでAIGの破綻を食い止めたのです。
 とは言っても、今後はこうしたことは2度と起こしてはなりません。そして将来、AIGのような大規模でシステム的に重要な企業が今回のような圧力にさらされた時、安全に破綻させられるようにシステムを確実に変える必要があります。
 破綻の影響は経営陣と株主、債権者に負担させるようにし、金融システム全体を破綻のリスクにさらしてはなりません。次の講義では、「大きすぎて潰せない」という問題を最終的に終わらせるシステム構築に向けて、我々、当局が協力しあってこれまでに成し遂げた成果についてお話しします。
メルトダウンは防げたが世界経済は深刻な景気後退に
 最後に、危機の影響について少し話します。我々は金融のメルトダウンを阻止しました。世界の金融システムの崩壊を引き起こしかねなかった事態を回避したのです。これは明らかに好ましいことでした。ただ、私もFRBも、こうした一部の大規模な金融機関が破綻すれば、極めて深刻な影響が広範囲にわたって及ぶということを常に意識していました。しかし、2008年9月(のような深刻な状況)になっても次のように主張する人々がいました。
 「そうした企業は破綻させてシステムに任せるべきだ。米国には破産法がある。なぜ、破綻を食い止めようとするのか」
 このようなことが賢明な選択肢だと我々が考えたことは一度もありません。何よりも、システム全体が破綻すれば、極めて深刻な影響が出ていたでしょう。
 このようにシステム全体のメルトダウンは防げたわけですが、米国経済だけでなく世界経済に極めて深刻な影響が及んだことは、ご存じの通りです。このため、危機が終息したにもかかわらず、米国経済と世界経済の大半が急激に深刻な景気後退に陥りました。
 米国のGDPは5%以上縮小しました。これは景気後退が極めて深刻だったことを意味します。850万人が職を失い、失業率が10%に上昇するなど様々な深刻な影響を招きました。

金融危機による生産や雇用への影響は甚大だった。米国では、GDPはピークから5%縮小し、製造業の生産高は20%落ち込み、住宅建設は80%落ち込んだ。2009年10月には失業者は850万人に達し、失業率も10%に達した
 これは、前にも話ましたが米国だけの状況ではありませんでした。米国の景気後退は実際には平均的なものにすぎませんでした。米国以上に大幅な経済の縮小を余儀なくされた国も多く、特に貿易への依存度の高い国は厳しい打撃を受けました。まさしく国際的な景気後退だったのです。
 こうした過程において、1930年代のような大恐慌が再来する、という不安は非常に高まっていました。しかし、大恐慌は今回の金融危機に伴う景気後退よりもずっと深刻でした。そして、最近では2008〜2009年初期にかけて実施された強力な政策対応によって金融システムが安定を取り戻していなければ、経済はもっと深刻な事態に陥っていたとの見方がかなり受け入れられているようです。
 本日の講義の締めくくりとして、これらのグラフを見てください。興味深いグラフだと思います。これ(下)は株式市場のグラフで、青線は1929年8月から始まっています。この年に株式市場は天井をつけ、以降、経済は大恐慌へと向かいました。赤線は最近の株価動向を表しています。始点は2007年10月です。青線が大恐慌時の株価推移を、赤線が直近の危機における株価の推移を示しています。
 注目されるのは、直近の危機が発生してから最初の15〜16カ月間は、米国の株式市場は1929〜30年当時と極めて似た足取りを見せたことです。次に危機が始まった15〜16カ月後、つまり金融危機が落ち着きつつあった2009年初期の状況を見てください。大恐慌時には株価は下落し続け、最終的には既に述べたように、価値の85%を喪失しました。これに対して今回の危機では、米国の株価は15〜16カ月後の2009年初めに底入れして、以降、長期的に回復基調をたどっており、現在は3年前と比べ2倍以上に値上がりしています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120816/235630/zu52.jpg
1929年の大恐慌時と今回の金融危機発生時の米国株式市場の動向を比較したもの。いずれも危機発生前の株式市場のピークを100として、その後の推移を表している。危機発生から15〜16カ月後の状況を見ると、恐慌の時(青線)は株価が下がり続けたのに対し、今回の危機後(赤線)では、株式市場は回復基調にある
 このグラフ(下)は、生産動向を示す代表的な指数である鉱工業生産指数を示しています。やはり赤線は直近の危機における推移を、青線は大恐慌時の推移を示しています。
 今回の鉱工業生産の落ち込みは、大恐慌時ほど厳しいものではなかったことが分かります。このグラフでも、さっきの(株式市場の)グラフと基本的に同じ現象がみられます。つまり、今回の危機では、金融危機の発生から15〜16カ月が経過し、危機が抑え込まれた頃に鉱工業生産は底入れし、着実に回復に向かったのに対し、大恐慌当時はさらに数年間、減少を続けました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120816/235630/zu53.jpg
1929年の大恐慌時と今回の金融危機発生時の鉱工業生産の動向を比較したもの。
今回の危機による影響は、大恐慌の時ほど深刻でなかったことがうかがえる
 さて、2008年及び2009年の危機の状況を駆け足で振り返ってきました。第4回の講義では、危機の余波としての景気後退と、景気後退に対処するためにどのような金融政策が取られたかについて見ていきます。現在の景気回復はなぜ勢いを欠いているのか。今回のような事態を2度と再び起こさないために、金融規制面でどんな対処がなされたのか。そしてFRBはこの経験から何を学んだのか。次回はこうした点について検討を行います。

第4回の講義のテーマ
それでは質疑応答に移りましょう。質問をどうぞ。
バーナンキ議長による講義の録画は下記でご覧頂けます。
第3回(3月27日)金融危機に対するFRBの対応(The Federal Reserve's Response to the Financial Crisis)
 なお、動画画面の左下にある「transcript」をクリックすると講義の英文おこしをダウンロードできます。

ベン・バーナンキ(Benjamin Shalom Bernanke)
薬剤師の父と学校教員の母の長男として、1953年12月13日に米ジョージア州オーガスタで誕生、サウスカロライナ州ディロンで育つ。高校時代、大学進学適性試験SATで1600満点注1590点というその年の州で一番の成績を収め、1972年ハーバード大学に進学、経済学を学ぶ。1979年、年米マサチューセッツ工科大学(MIT)で経済学博士号を取得し、同年以降、米スタンフォード経営大学院で教える一方、ニューヨーク大学で客員教授も務める。1985年プリンストン大学経済学部教授に就任、この時、日銀の政策がいかに間違っていたかを研究。デフレ史の研究でも知られ、友人でノーベル経済学賞受賞のポール・クルーグマン氏とともにインフレターゲットの研究者としても名声を高める。2002年にブッシュ政権下でFRBの理事に就任、2005年6月に同ブッシュ政権下で、米大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長に就任したのに伴いFRB理事は退任、2006年1月までCEA委員長を務め、同2月1日にFRB議長に就任。2010年1月再任される。



さあ、バーナンキ議長の講義を聞こう!
この連載は、米連邦準備理事会(FRB)のベン・バーナンキ議長が今年3月下旬に、米ジョージワシントン大学ビジネススクール(同大学は学部としてビジネススクールを持つ)の大学生を対象に「米連邦準備理事会(FRB)と金融危機」と題して、4回にわたって行った講演の全文である。中央銀行が誕生した歴史的背景から、その使命、1930年代に恐慌が起きた際のFRBの対応、その後金融政策が発展した経緯、なぜ米住宅バブルが発生し、なぜその崩壊によって2008年秋の金融危機が発生したのか、何が問題だったのか、そして危機に対してバーナンキ議長を筆頭にFRBがいかに対応したのか――その全容を大学生を対象に分かりやすく説明している点がポイントで、金融危機の深層を明らかにしてくれる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120816/235630/?ST=print
 

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