★阿修羅♪ > 雑談専用40 > 314.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
王菲が尊敬するテレサ・テン
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/314.html
投稿者 矢津陌生 日時 2012 年 12 月 24 日 21:33:47: fqfGCq6zf5Uas
 

私の好きな王菲が尊敬する人がテレサ・テンだった。どんな関わり合いがあったのかと、調べてみると、私の知らなかったテレサ・テンがいた。日本でヒット曲を出した台湾の歌手だという認識しかなかったテレサ・テンは台湾から香港に進出して、中国語圏で絶大な人気を誇るアジアの歌姫だった。

テレサ・テンの中国語名は「ケ麗君」、父親は蒋介石と一緒に台湾に渡った軍人である。中国語圏でヒットした「何日君再来」が大陸で禁止されたがゆえに、隠れて聴かれ、口コミで彼女の歌と名前が広がっていったそうである。台湾では、積極的に彼女のカッセトテープを大陸に向けて風船に入れ飛ばし、自由の象徴としてアピールしたらしい。ケ小平が絶対的権力を持っていた1982年頃、大陸ではテレサ・テン(ケ麗君)の人気を表現するのに、“中国の昼は老ケが支配し、夜は小ケが支配する”と言われた。(人を呼ぶ時、年長の人には姓に「老」を付け、年少の人には「小」を付ける)

その後、天安門事変(1989年)に衝撃を受けて、香港で民主化運動にかかわり、中国本土の政府からにらまれてもずっと民主化運動を支援し続けて、中国政府との折り合いのつかないままタイで亡くなってしまった。彼女の活動が政治的問題を抱えていたために、日本のテレサ・テンとの縁が深かった音楽関係者も彼女を助けることをはばかった。日本人の事なかれ主義がよく表れている。中国圏で居づらくなった彼女を日本に亡命させる勇気はなかった。(今でも同じだろうが…)

このあたりの経緯が、有田芳生氏の「私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実」に詳しく書かれている。もしもの話になってしまうが、日本の音楽関係者が政治家を動かして彼女を庇うことが出来ていれば(そういう動きもあったようだが実現しなかった)、アジアの歌姫としてもっと活躍できたに違いない。アジアでの日本の評価もずっと良くなったのではないかと思う。こういう文化での価値を堂々と政治に反映させることも自主独立の大きな一歩となる筈だ。(フランスやイギリスという国では、こういう行動は反射的にとる。)

彼女は日本語の歌もうまいが、中国語(北京語)で歌うときの彼女独特の伸びやかな声は日本語の歌とは全く別物である。台湾で歌っていた10代の頃の彼女はとてもキュートで魅力的だ。香港に進出したのは1970年、わずか17歳のときである。彼女の日本でのデビューは1973年20歳、翌74年に「空港」の大ヒットにより一躍日本で有名になった。ところが1979年に不正パスポート使用事件を起こし国外退去となった。5年後の84年に再来日が許され、この年「つぐない」、85年「愛人」、86年「「時の流れに身をまかせ」、87年「別れの予感」と立て続けにヒット曲を出し、日本でもメジャーの仲間入り。

1978年頃にヒットした「何日君再来」の歌や演奏が中国本土で禁止となり、台湾政府は逆にこの件を機に、テレサ・テンを政治的メッセージに利用した。本人は軍の慰問や国父(蒋介石)記念会館でコンサートするなど台湾での活動が目立った。その後は中国での開放政策の中テレサ・テン解禁の方向へ向かった。1989年天安門事件で一気に政治色を強めていった。中国本土からは危険人物扱いをされる。同時に、中国本土の音楽好きの人達に圧倒的な人気を確立した。(王菲もその一人)

彼女は中国系人気歌手として中国語圏(台湾、香港、シンガポール、世界中の華人の間で圧倒的な人気を誇った。本人の日本の歌も他の日本人の歌も数多く中国語カバーがあり、中国本土の人も本土外の華人も原曲は日本の歌と知らずに歌ったり聞いたりしている人が多い。日本に来た留学生はなんで中国の歌が日本にあるのかと思う人が多いそうだ。
(まるで、中国語になった日本製漢字語のようである)

漫歩人生路(ひとり上手‎)、襟裳岬(襟裳岬‎)、再來一杯(二人でお酒を‎)
再見我的愛人(グッバイ・マイ・ラブ‎)、誰來愛我(港町ブルース‎)
北國之春(北国の春‎)、四個願望(四つのお願い‎)、X+Y就是愛 (X+Y=Z)
愛的理想(あなた‎)、旅愁(旅愁‎)、又見炊烟(里の秋)
泪的小雨(長崎は今日も雨だった)、誰来愛我(港町ブルース)
など他にもたくさんある。
動画はこちら↓
テレサ テン を偲ぶ ページ-「日本のカバーソング」-


彼女自身の日本の歌は
我只在乎你(時の流れに身をまかせ)
空港(空港)
つぐない(償還)
愛人(情人)
動画はこちら↓
ケ丽君 - 15周年纪念集


なぜか中国語カバーのない「別れの予感」が私は一番好きだ。

テレサ・テンが宋詩(蘇軾 但願人長久)を現代の音楽家の作曲で歌っているのを聞くと彼女の歌手としての素晴らしさがよくわる。全部で12の詩と現代の作曲家が作った「淡淡幽情」のアルバムは一番の出来かもしれない。続編がないのがはなはだ残念である。

1995年、タイ・チェンマイに年下のフランス人ボーイフレンドと休暇滞在中、まだ42歳の若さで、気管支喘息の発作による呼吸困難で死去(謎の死と騒がれる)。日本でも彼女の死去がトップニュースで流れた。

台北市で国葬並みの葬儀が行われ、台湾政府より国民栄誉賞に当たる「華夏一等褒賞」授与。
テレサ・テンの追悼コンサートで王菲が「我只在乎你」(時の流れに身をまかせ)をうたう。

矢津陌生ブログ http://yazumichio.blog.fc2.com/blog-entry-216.html より転載

   

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2012年12月27日 10:30:49 : EYHTwT0u8w
何日君再来を歌うテレサの声は、愛人、やつぐない、と言ったオトナな歌の印象が強かった私には意外だったほど、かわいらしい。
去年だったか一昨年だったか、北京でSMAPが『月亮代表我的心』を披露していた。日本人がテレサの歌を北京で歌う.....
うぉーだしん♪ではなくちゃんとお約束通り『うぉーでぃしん♪』と歌っていたのが印象的でした。

02. 2012年12月29日 20:38:59 : GVYsLuFuCE
テレサ・テンの思い出と言えば、当方が子供の頃、土曜日の夜8時から放映されていたTBSの「8時だョ!全員集合」にゲストとして出演されていたことを思い出します。同番組は驚異的な人気を誇っていたが、番組前半のドリフターズのコントが終わると「廻り舞台」が回転しはじめ、大勢のスタッフが一気に片付ける。廻り舞台は、表側がコントのセット、裏側がオーケストラになっていて、オーケストラが見えてくるとゲストの歌手が歩いて登場した。確か1973年の頃、彼女がアイドル路線で登場した時期に見たような気がします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%99%82%E3%81%A0%E3%83%A7!%E5%85%A8%E5%93%A1%E9%9B%86%E5%90%88

話は飛びますが、前年の1972年、日本は中国大陸の中華人民共和国と国交を結び、北京で日本の田中角栄首相と中国の周恩来首相が日中共同声明を発表しました。日本は1952年に中華民国台湾と結んだ、日華平和条約を一方的に反故にしてしまったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84

この「日中共同声明」には、日華平和条約を完全に否定する内容が含まれていました。

●日本国政府は、中華人民共和国政府(共産党政権)が中国の唯一の合法政府であることを承認する。

●中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%81%A8%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%81%AE%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%A3%B0%E6%98%8E

日本のマスゴミは、突然中国大陸を持ち上げ、台湾をわざと取り上げなくなりました。完全無視と言うか、勝手なものです。社会科の地図帳から中華民国の表記が消え、台湾は中華人民共和国の一部分として取り扱われることになったのです。当時の中華民国台湾は1971年の国連における中国代表権問題で、中華人民共和国を中国の代表と決議したことから、国連から脱退しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%A2%E6%B1%BA%E8%AD%B0

日本は中国代表権問題で最後まで中華民国台湾の味方だったのですが、佐藤栄作首相が1972年7月に辞職して田中角栄首相に交代すると、これまでの立場とは一転して中国大陸を占拠する中共政権との国交を画策するようになり、9月には突如中国大陸を訪問して国交を樹立しました。この間、たったの2ヶ月。中共は中華民国台湾と国交を結んでいる国々に対し、「我々と国交を結びたいのなら、台湾と断交せよ。」と脅迫を繰り返し、その結果、中華民国台湾は国際的に窮地に立たされました。テレサ・テンのパスポート問題の背景に、この問題がありました。

さて当方は当時から国際短波ラジオ放送を受信するBCLを楽しんでおりますが、最初に使用した中波のラジオでは大陸からの北京放送しか聴けず、毛沢東賛美の内容や革命歌と言ったプロパガンダばかりの内容に嫌気が差し、両親に頼んで短波の聴けるラジオを買ってもらいました。中華民国台湾からの「自由中国の声」放送は短波で行なっていたためです。
http://www.youtube.com/watch?v=T8tUkfdBsx0&gl=JP&hl=ja

この「自由中国の声」放送は華僑に人気がありましたが、当時は音楽番組が充実しており、テレサ・テンの歌も聴けました。日本の歌謡曲のカバーあり、台湾のヒット曲ありで、混信や雑音の中でも楽しめました。しかし中共は妨害電波(ジャミング)を日本語放送にまで発射しており、折角の彼女の歌声も聴こえなくしていました。中共の正体はBCLにはバレバレでした。

雑談版には相応しくない政治的な内容ばかりで申し訳ありません。彼女も国際政治に巻き込まれた被害者の一人だと言えるでしょう。


03. 2013年2月02日 08:20:20 : GVYsLuFuCE
台湾週報によりますと、中正紀念堂でテレサ・テン特別展が1月26日から開催されるとのことです。詳しくは下のリンクをご覧下さい。
http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=346479&ctNode=3591&mp=202

報道発表の内容です。4月21日まで開催される特別展ですが、写真撮影は禁止だそうです。

高雄市にテレサ・テンの常設記念館がありますので、こちらも紹介します。ちなみに完全予約制だそうです。
http://www.taipeinavi.com/miru/126/

中正紀念堂の紹介記事です。蒋介石総統の偉業を称えて1980年に建設されました。中正とは、彼の本名だそうです。(中華民国台湾では、蒋中正と呼ばれる。)
http://www.taipeinavi.com/miru/15/


04. 2013年11月09日 21:30:48 : xTMp0o167E
野良もおすきなようで

  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 雑談専用40掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 雑談専用40掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧