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インド大好き _ 信心深い人々が暮らす理想の社会とは
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/678.html
投稿者 富山誠 日時 2013 年 3 月 02 日 11:19:53: .ZiyFiDl12hyQ
 


レイプ大国インドの実態 顔に硫酸、素手で腸を出す……信仰とカーストが生んだ獣たち


 ITを中心に高度成長の真っ只中にあるインド。しかし……。

 インド政府の統計では、性的暴行が20分に一件。

 2月20日、インドのメディアは、インド西部マハラシュトラ州で、6歳と9歳、11歳の姉妹3人が性的暴行を受けた後に殺され、遺体が井戸に捨てられる事件が起きたと伝えた。姉妹は14日に行方不明になり、16日に通学かばんや靴と共に遺体が発見された……。 

 しかし、インドではこの事件以前から残忍な強姦事件が相次いで起こっている。1月には32歳の子供連れの女性が、集団レイプされたうえに殺害。遺体は木につるされた状態で見つかった。また、32歳の男が顔見知りの女児を拉致。レイプ後に殺害……など。

 そして、インドでレイプ事件が大きく取り上げるきっかけとなった事件は、昨年12月に起きていた。

■インドを揺るがす社会問題の発端となったレイプ事件  凶悪犯罪と無関心を装う周囲

 昨年12月16日夜、首都ニューデリー。当時23歳の女子学生は、28歳の恋人の男性と映画鑑賞後に帰宅しようとしていた。帰宅時間が予定より遅くなり、三輪タクシーもつかまらなかった。そこへ、未成年の容疑者が彼らを私営のバスに乗るように誘い込んだ。多少のためらいはあったものの、私営の乗り合いバスに乗車。あとで分かったことだったが、実は過去に事件を数件起こしたこともあるという、無認可のバスだった。

 乗車後、運転手の男が猥褻な言葉を投げかけ、同乗の仲間もからかいながら言いがかりをつけてきた。

 恋人の男性はバスを止めるように要求した。が、すでにカギはロックされていた。男らは金属の棒で男性を殴り、女性の衣服を刃物で裂いて集団でレイプし始める。男性は暴行を阻止しようとしたが、金属の棒でメッタ打ちにされた。

 男らは、代わる代わる暴行しただけでなく、金属の棒で女性を殴り、局部に鉄の棒を突き刺して腸を引っ掻き回し、なんと素手で腸を引きずり出すという蛮行にまで及んだのだ。

 男らは、2人の身元がわからないように、持ち物、携帯電話を奪い、服も全部剥がした。そして、全裸の2人をバスの外に放り投げたうえ、証拠隠滅のため、バスで轢き殺そうとしたのだった。そして、男性は自ら重傷を追いながらも、女性をバスの下からひきずり出し救った。

 男性は全裸で血まみれの状態で何度も周囲に助けを求めたが、車やバイクは何台も通り過ぎていった。人々も通り過ぎていった。誰もが見て見ぬ振りをしたのだった。数十人の人が集まって話をしていたが、好奇の目で見るぐらいで誰も助けようとはしてくれない。

「服が欲しい。誰か救急車を!」……と、叫んだが、誰も振り向かなかった。

 ようやく来た警察に悲痛な訴えをしたが、無視されるだけ。結局、救急車は来ることなく、パトカーで病院に運ばれるまで2時間以上もかかったのだった。

 激しい暴行を受けた女性は、病院でやっとシーツの切れ端が与えられただけだった。女性は頭部や内蔵に損傷を受けていたが意識はあった。

 被害者の女性は大学の成績もトップクラスの優秀な学生であった。日夜勉学に励み、将来は収入を得て親孝行するのが夢だったという。彼女は入院中、母親に何度も「ごめんなさい」と謝り、「生きていたい」とも話していたという。彼女はジェスチャーで、「私は天に向かっている」と家族に伝えた。しかしこれが最期の言葉となったのだった。

 女性は繰り返し強姦された上に、鉄の棒で性的暴行を受け、腸管を損傷していた。臓器移植を受けるためにインドから医療環境の整ったシンガポールに搬送されたが、29日に息を引き取った。

 男性自身も骨折などの重傷で、恋人を救えなかったことによる心の傷に今も苦しんでいる。被害者の友人の証言によれば、2人は2月に結婚式を挙げる予定であったという。


■インド社会が抱える闇 カースト制度、男尊女卑がもたらした恐るべき因習

 このように、インドでは今、急激に凶悪なレイプ犯罪が問題となっている。しかし、これは過去から黙殺されていたものが明るみに出たに過ぎない。

 実は、インドでのレイプ犯罪は日常茶飯事。夜中に複数の男に家に侵入され、抵抗したら硫酸をかけられ顔を破壊された女性。レイプ被害を警察に訴えても相手にされず、挙句の果てに犯人との婚姻を勧められて自殺した少女など。しかも、加害者の男はお咎めなしで釈放される……。これには、宗教的な思想が少なからず影響しているはずだ。

 インドでは、国民の約7割がヒンズー教である。ヒンズー教にはカースト制度という世界的にも有名な身分差別がある。大きく分けて以下の4階級からなっている。

1. バラモン(司祭)
2. クシャトリア(王族・武士)
3. ヴァイシャ(平民)
4. シュードラ(奴隷)

 そのほかに、カーストに属すこともできない人々がおり、その人々は「アチュート」、「不可触賎民(アンタッチャブル)」といわれている。この身分の人は、触れたり見たりしたら汚れる人々とされ、人間扱いされない。彼ら自身は、自分たちのことを「ダリット」と呼んでいる。

「インド独立の父」と讃えられるマハトマ・ガンディーは、ヴァイシャ(平民)出身。ヒンズー教徒の彼は、最下層のダリットには同情的であったが、カースト制度自体をなくそうとはしなかった。なぜなら、カースト制度は、ヒンズー教の根底となる制度。ヒンズー教では、輪廻転生の概念があり、今の人生を一生懸命頑張れば来世で上の階層に行けるという教えがあるのだ。なので、カースト制度をなくすことは、ヒンズー教の信仰そのものを否定することになってしまうのだ。

 昨年11月には、小さな村に住む最下層のダリットの16歳の少女が3時間近くにわたり7人の男にレイプされた。男たちの1人がレイプの様子を携帯で撮影。その映像を村中に流され、それを見た被害者の父親は絶望し殺虫剤を飲んで自殺した。

 また、別の村の16歳のダリットの少女が、昼食を取ろうと畑から自宅に向かっていたところ、2人の男たちに別の家屋に連れ込まれ、レイプされた。叫び声を聞いた父親が現場に駆けつけたときには、男たちの姿はなかった。少女はその後、灯油をかぶり焼身自殺した。

 そのほかにも、ダリットの女性はレイプされたうえに、手足を切断されたり、火あぶりにされたり、人糞を食べさせられることを余儀なくされたり、悲惨な事件が後を絶たない。低カーストやダリットの女性に対するレイプは上位カースト男性の力を示すものであり、彼女らは常にレイプの危険にさらされているのだ。

 しかし、このカースト制度がもたらした影響だけが、レイプ犯罪を誘発しているわけではない。昨年12月にバス車内で起きた集団レイプ事件の被害者女性は中流階級のカーストだったといわれている。

 インドには、カースト制度がもたらすレイプ事件誘発以外に、強烈な男尊女卑が残っているのだ。

 未亡人殉死の恐るべき因習「サティ」。夫が死んで火葬されるとき、妻も火に身を投げて自殺することを強要させるというもの。これは近年まで続いてきた。

 さらに、女性が結婚する時に持参金を持ってくる「ダウリー」という制度。法的には禁止されているものの、まだまだ健在である。嫁から持参金を搾り取るために、虐待したり、充分でないと火をつけて焼き殺したりする場合もある。ダウリー殺人と言われる。

 こうした女性に対する暴力はインドで繰り返され、犠牲になる女性たちがどんなに多いことか。女性が危害を加えられたところで警察が動くこともなければ、裁かれることもない。女性に対して罪を犯しても罰せられないことがまかり通っているインド社会では、「女性に対していくらでも酷い虐待をしてもいい」という認識に繋がっている。


■変わりゆくインド社会

 こうした残虐極まりないレイプ事件の連続から、インドでは性的犯罪の厳罰化を求めるデモ隊と警官隊が衝突するなどの事件も起こった。

 今年1月、自称スピリチュアルの指導者であるというアサラーム・バプ氏が、女子学生集団レイプ殺人事件に関して、「この被害者女性も強姦した少年たちと同様に罪がある」「彼女は犯人の少年ら手をとり、姉弟として接するべきだった」などという発言をし、大非難を浴びたのも、進歩といえるだろう。

 そして、ついにインド政府は、女性に対する性犯罪の厳罰化を求める世論が高まっているのを受けて、「性犯罪の最高刑を死刑とする刑法」の改正案を閣議決定したのだ。

 女子学生集団レイプ殺人事件で暴行を加えた6人の男はすでに逮捕。男らのうち1人は未成年。5人に対し死刑を求刑する方針である一方、 未成年の容疑者1人については少年院に送致される見通しであるという。

 インドの現実を変えるために、虐げられた状況でもあきらめずにたくましく戦っているインドの女性たちがいる。日本もこの残酷な状況から目をそらさず、しっかり見据えていく必要があるだろう。


■カーストが生んだインドの進歩

 ちなみに、カーストは親から子へ代々継承されるので、その家に生まれたら生涯カーストの階層を変えることはできない。ほかのカーストのとの婚姻は不可能。それぞれのカーストによって就ける職業にも制限があり、カーストの最下層は死体処理や糞尿処理など人の嫌がる仕事しか与えられないのが現状だ。唯一そこから逃げ出す方法が、新しい職業であるIT産業。インドでIT産業が急速に成長している理由には、実はカースト制度が深く関係しているのだ。ITと宗教とカースト制度。この3つが、今後のインドの行く末を左右していくのだろう。
http://news.livedoor.com/article/detail/7458790/  

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コメント
 
01. 中川隆 2013年3月02日 11:24:43 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか 2011年8月27日土曜日


1980年代後半まで、タイ・ヤラワーやスティサンには冷気茶室という売春宿が当たり前にあった。そこには見るからに幼い少女が監禁されている場所だった。今の人たちには信じられないかもしれないが、少女が監禁されていることくらい誰でも知っていた。1990年代のカンボジアにもあちこちの置屋でベトナムから売られてきた少女が雛壇に並んでいた。ベトナム人の売春村もあって、そこにも10歳にもならない少女が売春していた。少女が売春していることくらい誰でも知っていた。


セックスの奴隷

インドネシアのとある売春村ではもっと悲惨だった。少女が売春宿の地下に監禁されていたのである。

まだ知っている。

インド・ムンバイの売春ストリートも少女を水浴び場に監禁しているし、他の売春地帯では鍵のかかった部屋に押し込められていた。警察が来ると、さらに屋根裏の空洞に隠される。

娼婦が売春するための部屋には天然痘にかかってイボだらけの子供が疲れた身体を横たえて苦しんでいる。娼婦が客を取ってくると、子供は追い出される。娼婦と客は、さっきまで病気の子供が寝ていた温かい体温の残ったベッドでビジネスをする。

コルカタでは、売春する少女が客を部屋まで連れてくると、エイズに罹って幽鬼のようになった痩せさらばえた母親が金を受け取りにやってくる。売春する娘の隣の部屋でエイズの女性が治療もされずに横たわっている。これがあちこちの売春宿で普通に見る光景であると言えば驚かれるだろうか?

あるいは父親が誰だか分からない子供を産み、その子供を脇に置いたままビジネスをする娼婦もいる。この世の地獄とはまさに売春宿のことを指すのだろう。少女たちは、ただ売春宿が儲けるためだけに生かされている。

この恐るべき実態はもちろんユニセフ(国連児童基金)やNGO団体も承知しており、それだからこそ最近は様々な機会で児童売春の深刻な問題を議題に上げるようになってきている。

毎年100万人もの娘たち(少女たち)がセックスの奴隷として売買され、性的搾取されているのはユニセフの報道を読むまでもない。

この国の矛盾はいつか大きな暴力に

この中で、人身売買がもっとも多い国として、インドが挙げられている。インドは世界最大の売春地帯であり、世界最悪の人身売買国家である。東南アジアのどの国よりも劣悪な環境の中で、ネパールなどから売られてきた少女たちが凶暴な売春宿の経営者によって監禁され、虐待され、売春をさせられている。その数が一年間に40万人ということなので、先に挙げた毎年100人の犠牲者の約4割はインドが占めていることになる。

インドはカースト制度の中で国が成り立っている。上位カースト(ブラーミン)は、不可触民(ダリット、アンタッチャブル)の娘たちを面白半分に好きなだけ犯しても罪に問われない。カーストを身分制度というが、私に言わせればそれは間違った訳語であって、正確には「差別制度」である。インドでは陰でこのようなことが囁かれている。

「不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいない」

なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか。理由を聞くと、あまりの恐ろしさに絶句する。

不可触民の娘なら何をしても警察は相手にしないので、男たちが道を歩いている不可触民の娘たちを好き勝手に集団レイプするからだという。もちろん、警察は動くことはないし、悪が糾弾されることはない。果敢に訴えた不可触民もいるが、家ごと燃やされて焼き殺されたりして凄惨な末路を迎えている。ほとんどが泣き寝入りになる。

ちなみにダリットはよく建物ごと焼き殺される。何もかも燃やしてこの世から消してしまいたいと上位カーストは思っているようだ。


生きたまま燃やされた不可触民の少女
顔は残っているが、身体は炭化している
輪姦されて殺されて焼かれた不可触民の姉妹
レイプされ、縛られ、焼き殺された不可触民の女性
性器から血を流しているので乱暴なレイプだったことが分かる


なぜこんなことになるのか。なぜなら、彼らは不可触民(アンタッチャブル)だからである。人間ではないと思われているのだ。不可触民は不可触民というカーストに属しているのではない。彼らはカーストにも属せないほど穢れている、すなわちカースト外(アウト・オブ・カースト)なのである。

この恐るべき差別の国で、売春宿がどういう実態になっているのかは想像するまでもない。売春宿の女性たちのほとんどが不可触民の女性である。カースト色が薄らいできたというのは、上位カースト(ブラーミン)だけの話である。


あらゆる悪が置き去りにされている

カースト制度はすでに過去のもので法的にも廃止されているはずだし、差別的言動は認められないはずだと言う人もいる。しかし、一週間もインドにいれば、それは単なる理想だったということが分かる。法律は機能していない。売春禁止法がどこの国でもまったく機能しない以上に、カースト廃止も機能していない。地方の村では相変わらずカーストに縛られて人々は暮らしており、それは今後も変革される見込みもない。

インドの人口は10億人を越えており、次世代を担う新興国と世界は持ち上げているが、そのうちの約5億人は貧困の中にある。その貧困が半端なものではない。

世界最大の売春地帯であるインド。神々が棲み、すべてが混沌とし、あらゆる思想と哲学が渦巻くこの国。

あらゆる性の技巧が記された古典「カーマ・スートラ」を生んだ国。

『ラ・マン』を生んだフランスの大作家マルグリット・デュラスの愛した国。

しかし、この国は今でもあらゆる悪が置き去りにされて跳梁跋扈としている。

ひとつ注意しなければならないのは、この国の矛盾はいつか大きな暴力となって国を覆っていくということだ。それこそ国が割れるような騒乱が起きても不思議ではない。一筋縄ではいかない国で、一筋縄ではいかない人たちがひしめき、それで何もかも順調に経済発展が享受できると思ったら大間違いだろう。

この国では何が起きてもおかしくない。
http://www.bllackz.com/2011/01/blog-post_5583.html



02. 中川隆 2013年3月02日 11:41:35 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

インド人身売買の現状。インドは依然として児童売買のハブとなっている



アメリカ国務省の人身売買報告書で7年に渡って最低ランクを更新している国のひとつとしてインドを名指ししているが、インドの人身売買は消滅に向かっているのだろうか。

インディア・ウエスト紙は改善に向かっていないと「India Remains Hub of Child Trafficking, Says State Dept.(インドは依然として児童売買のハブとなっていると米国務省の指摘)」という記事で述べられている。

インディア・ウエスト紙の報告


インドは、人身売買・強制労働・性的搾取の重要な拠点になっており、特に子供たちが狙われている。米国国務省が6月16日に公表した人身売買報告書でそう述べた。

インドの周辺国であるパキスタン・ネパール・スリランカもまた同様の問題を抱えている。

いくらかの改善はあるかもしれないが、全体を通してみると、(人身売買の)波を防ぎ切れていない。

児童売春は昨年よりも30パーセント成長している。ムンバイはその主要都市のひとつである。

クライアントを拒否する児童は、食料や水が与えられないという虐待を受ける。また性的搾取を受けている子供たちは、恒常的にムチで打たれる生活をしている。

ネパールとバングラデシュの女性もまた、インドで強制売春の危機にさらされている。

負債を抱えた男女、子供は、レンガ窯、精米所、刺繍工場、農業で、強制的に働かされている。

子供はカーペット工場、家庭内奴隷、乞食として働くことを強制されている。

売春宿については公務員(警察官)が売春宿と癒着している。

ここに書かれた内容は、数年前にも扱ったが、あれから何が変わったか。何も変わっていない。数年経ってインドはどうなったのかというと、実は根本的なところで、何も変わっていないということなのだろう。


投資家と現実の乖離

世界中の投資資金が集まって発展している国であるはずのインドが、その「底面」では何ら変わらず、数年前の絶望的な闇を引きずったままであることが見て取れる。

では、今後はどうなのだろうか。中産階級を生み出し、高層ビルが林立し、女性たちがジーンズをはき、ジャガーに乗って街を流すインド人が、これらの暗い闇を消して行くのだろうか。

もちろん、そんなことはない。かつてのマハラジャが圧倒的な貧困者の上に君臨したように、今度は資本主義の成功者が圧倒的な貧困者の上に君臨するだけだ。

カーストが違うと、インド人はもうその人間たちとは関わろうとしない。同じインド人だという共有観念がないし、結婚相手の対象にもならない。

そして、貧困者の貧困の度は日本人の考える貧困のレベルを超える貧困にある。

そんな中で、貧困者が自由になれるのだろうか。貧しい子供たちが解放されるのだろうか。

彼らは労働力だと考えればなるほど10億人の人口を抱えるこの国は素晴らしい人材の宝庫に思えるかもしれない。

しかし、カーストが違うと常識が違い、つきあいが断絶し、まったく教育がなされず、字も読めず、数の計算どころか時計の読み方さえも知らない人間が膨大に存在している。

中産階級が1億人いるのであれば、貧困階級は6億人を超える。どう考えても彼らが中国のような均質な労働力になるとは思えない。

インドがこれらの問題を解決するには世代が2つ、3つ以上変わらないと無理だろう。それまで子供たちは貧困から抜け出すことはできないし、依然として強制労働や売春の現場にいる。
http://www.bllackz.com/2010/06/blog-post_28.html


インドの売春地帯に売られ、性奴隷にされていくネパール女性の悲劇



エベレスト山に興味を持つ人はいても、ネパールという国に興味を持つ人は少ない。この国はとても貧しい国で、大抵の人はインドの属州みたいなものだと思っているし、事実そういうところはある。

ネパール女性にとっては殊さらそれは重い意味を持つ。

私が今まで見てきた中でもっともひどい状況に置かれていると思ったのはネパール女性の人身売買だ。

インドのムンバイとコルコタ(カルカッタ)は、インドで有数の売春地帯を抱える地区だが、ここで廃人のようになっている女性の多くがネパールから来た女性だった。

性奴隷、と彼女たちは呼ばれている

どの女性も非常に荒んでおり、喘息やHIVに侵され、皮膚はボロボロになっている。

BBCが報道した内容で、インドからネパールに戻っていく女性たちの38パーセントはエイズに罹っていたという内容もあった。

ちなみに、14歳以下の少女であればエイズ感染率が60パーセントに跳ね上がる。

なぜなのか。それは一時インドで、エイズに罹ったら若い処女を抱けば治るというシャーマニズム治療が信じられて、ネパールの少女が買い漁られた結果でもある。

そうでなくても、インドでは白い肌の女性は魅力的だと思われているので、モンゴロイド系のネパーリーは売春地帯でもよく売れている。それだけエイズ感染率が上がってしまうのだろう。

真夜中に売春地帯を歩いて見ると分かるが、彼女たちの目つきは凶悪で邪見で道行く男たちに親近感などまったく持っていない。憎しみの気持ちがその目つきや威嚇の態度で読み取れる。

彼女たちは売春ビジネスを自ら行っているわけではなく強制されているのだから、やって来る男たちに愛着を持つはずもない。

NPO団体は彼女たちの境遇を「性奴隷(セックス・スレイブ)」と呼んでいる。ムンバイの売春婦の25パーセントはネパーリーだという報告もある。

CNNが取材したあるネパーリーは、9歳のときに一日60人の男を相手にしたということだった。このような未成年のネパーリーはインド圏の売春地帯ではどこでも見る。

ムンバイのフォークランド・ストリート(売春ストリート)でも売春宿に匿われていた少女がいる。

この通りの端には交番のようなものがあって、警察官が定期的に見回りをする。警察官の姿が見えると彼女たちは売春宿の管理者に天井裏に押し込められるのだった。ずっと表に出してもらえない少女も多い。

あと、この界隈の売春宿はほとんどが突き当たり奥が浴室(というよりも単なる水が使える空間)になっているのだが、電気もない暗い一室に押し込められている少女もいた。

一度私は何も知らずにドアを開け、水場の暗闇の隅でひとりの少女が佇んでいるのを見て驚いたこともあった。


フォークランド・ストリート
真ん中に立っているのは客待ちの娼婦

ムンバイやコルコタの売春地帯にいる女性のほとんどがプロのブローカーによって人身売買されたか、誘拐(キッドナップ)の被害であると言われている。

ネパールでは人身売買のブローカーたちが暗躍していて、若い女性が次から次へと売り飛ばされている現状がある。

地理的に見ると、ネパールからは、インドのニューデリーがもっとも近いが、彼女たちの多くはボンベイに供給される。

それはボンベイがインドでも最悪の売春地帯が存在しているというだけではなく、ネパールから距離的にも遠いことが人身売買には都合が良いのである。

どこの国でもそうだが、売買や誘拐された女性は、逃亡の気持ちを失わさせるために、彼女たちが暮らしていた国や場所から遠ざけられる。

遠ければ遠いほどいい。ネパールではヒンディー語を解せない女性も多いから、インドという異国に連れて行かれると、もはや為す術もない。

コミュニティを断ち切り、距離的にも遠いところに隔離すればするほど女性たちを絶望に追いやり、あきらめさせることが容易になる。


横行する人身売買業者

人身売買のブローカーは私も会ったことがある。そのひとりは平気で女性に暴言を吐き、殴り、私にも「日本の女を連れてきたら買う」と言うような男だった。

このような男は見るからに悪人であり、ある意味で危険を避けられる。

問題は別の種類の男だ。仮面をかぶることに長けている演技派の人間が恐ろしい。彼らは、そのビジネスをしている人間のわりには非常に「誠実」に見える。

にこやかな笑みを絶やさず、こちらの目をしっかり見つめて話をする。コルコタでそのような男と会ったことがある。

もし彼と別の場所で会ったら、彼がそんなビジネスをしていると知っても信じられなかっただろう。

彼のような人身売買ブローカーは、清潔な服装を心がけ、誠実に振る舞い、貧しい村の女性と自然に恋に落ちた振りをして、両親と会って結婚式を挙げさえする。

しかし、すべてが偽りだ。やがて、新婚旅行と偽ってムンバイやコルコタに連れて行き、結婚したばかりの自分の「妻」を売り飛ばす。

2010年11月、西ベンガル州で女性を売春地帯に売り飛ばす仕事をしていた27歳の男が逮捕された。

この男は貧しい女性に近づいては結婚して女性を新婚旅行か何かに連れて行くのだが、その行き先がインドの売春宿だった。5年間で60人もの女性を売春宿に売り飛ばしていたという。

このような男がインドには何千人もいて、しかも手口やテクニックが男たちに継承されている。人身売買の歴史もある。社会がそのシステムを組み込んでいる。

警察も売春宿の経営者も全員がグルになっているので、女たちは逃げようがない。

インド・ネパール・バングラデシュの広大な大地で、貧困を背景にした壮大な人身売買の横行が、まったく是正されないまま今日に至っている
http://www.bllackz.com/2010/01/blog-post_25.html


03. 中川隆 2013年3月02日 12:21:44 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

2012-07-31
人間以下(Sub-human)と呼び捨てられて、生きている人たち


人身売買されて売春宿に放り込まれ、精神を病んだ若い女性を知っている。

彼女は感情を失い、まるで小さな人形のようにイスに座り、ほとんど何もしゃべることもなかった。

何か問いかけても、彼女の声はほとんど聞き取れないほど小さく、人間としての生気が消えかけているように思えた。(コルカタの売春地帯で、デビーは人間性を叩きつぶされていた)

あとで彼女は拉致されて売春宿に放り込まれたのだというのを知ったが、猥雑で混沌としたエネルギーがうねっているようなインドの売春地帯で、彼女の醸し出す雰囲気はとても不気味なものがあった。


彼らはインドの中では人間扱いされていない

インドは自他とも認める「人身売買国家」である。他人の子供を拉致・誘拐して、売春地帯や組織に売り飛ばす職業の人間が存在していて、インド・ネパール・バングラデシュ全域をテリトリーにしている。

信じられないかもしれないが、子供が行方不明になるのは珍しい事件でも何でもなく、日本では重大な事件に発展するようなケースが警察に訴えても放置される。

なぜなら、誘拐される子供たちのほとんどが低層のカースト、もしくは不可触民であるからだ。

彼らはインドの中では人間扱いされていない。

上位カーストの男たちが下層カーストの娘たちをレイプするのは日常茶飯事だ。

思春期になって処女のままの下層カーストの娘はほとんどいないともいわれている。集団レイプが横行しているのである。(なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか)

そういえば以前、こんな事件があった。

下層カーストの少年が上位カーストの少女に恋してラブレターを送った。それを知った上位カーストの男たちは少年をリンチしたあげくに、少年の母親の目の間で、少年を走っている列車に放り込んで轢殺したのである。

凄惨な事件だが、インド人が聞いたら「そういうこともあるだろう」で終わってしまう。

なぜなら、下層カーストの男と上位カーストの女は「交わってはならない」文化になっており、それを破るのは命を捨てることだからである。


最悪の種類の排斥を受けて搾取され、虐待を受けている

インドではいまだに身分制度が堅牢であり、低カーストの人間は人間以下なのだから「豊かになる権利」すらない。

カーストにすら入る権利のない人間(アウト・オブ・カースト)の人間は、インドでは Sub-human であると言われているが、この言葉にインド人の信じるヒンドゥー教のおぞましさが潜んでいる。

Sub-human。人間以下。

低カースト、不可触民(ダリット)たちは、人間の形をしているが、人間ではないことになっている。

彼らは前世で罪を犯したので、今のような身分に生まれてきたのだと社会は定義しており、彼ら自身もまたそのように信じている。

そこに、ヒンドゥー教という宗教の恐ろしさがある。人間以下の人間がいることを、宗教が断言し、社会がそれに染まり、固く信じられているのである。

ヒンドゥー教は人間以下の人間がいると定義しており、ヒンドゥー教徒はそれを潜在意識にも刷り込まれて、社会全体で洗脳し合っている。

そういうわけだから、人間ではない「Sub-human」に人権などない。彼らの富はいつでも奪うことができるし、彼らの女性はいつでもレイプすることができる。

彼らの子供たちが拉致されても、人間ではないのだから、真剣に捜査する必要性すらないと信じられている。

インドが経済発展して貧困がなくなるとは恐れ入った概念だ。

確かに上位カーストは豊かになるだろう。立派な教育を受けたり、いい家に住むこともできるだろう。

しかし、低カーストの人間が果たしてその仲間入りができるかどうかは分からない。

もちろん、多少の例外は出てくるだろうが、圧倒的大多数は無視され続けるだろう。

文化的に彼らは抹殺されており、教育すら受けられないのだから、今のままでは救われることなどありえない。圧倒的大多数のスラムドッグはミリオネアにはなれない。

インドの売春婦たちの惨状をレポートしているNPOでは、このように嘆いている。

They live in sub-human conditions, are abused and exploited and their progeny suffer ostracism of the worst kind.

(彼らは人間以下の状況で暮らしており、彼らの子孫は最悪の種類の排斥を受けて搾取され、虐待を受けている)

インドの貧困地区の現状は、恐らくインドに行ったことのない欧米人や日本人の想像をはるかに圧倒するほどの劣悪さの中にある。

ムンバイのダラピや、コルコタのカリグハットの向こう側のスラムに足を踏み入れれば分かる。

そこに展開されている世界は、今もなおインドが激しい身分制度を内包したいびつな国家であることを示している。

人身売買はなくなるのだろうか。100パーセントの確率で私はなくならないと断言したい。人間ではない人間がいるという社会通念が南アジアの大地に根強く浸透している。

野良犬を捕獲するように、人間以下の身分の子供たちを捕獲して売り飛ばす悪魔や女衒が跳梁跋扈している。これは過去の話ではない。現代の話である。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120731T2334260900.html

2013-02-28
今でもインドでは排泄物を集める仕事しか就けない女性がいる


インドにおける非常に厳しい差別の実態はブラックアジア第三部のインド編でしばしば言及した。(ブラックアジア「第三部」)

この中で、ダリット(不可触民)と呼ばれる人たちが、私たちの目から見ると、信じられない差別の中に放り込まれていて、苦難の人生を歩んでいることも書いた。

たとえば、掃除や死体処理やトイレのくみ取りの仕事を強制され、それしかできない人たちがいる。(人間の排泄物を両手で集めることを強いられた人たちがいる)

これは昔々の話ではなく、2013年に入った今でも現状は変わらない。インドでは生まれながらにして、「トイレ掃除しかやってはいけない」というカースト(身分)があるのである。

インドの社会全体が、誰もやりたがらない仕事を下位カーストに押し付け、そしてそれを固定化させたのだ。


非人=人に非(あら)ず=人間ではない

ダリット(不可触民)は、日本人にも分かりやすく言うと、「非人」である。

江戸時代、日本も身分制度の社会にあって、それは士農工商制度と言われているが、その士農工商のいずれにも属さないカテゴリーも設定されていて、こういった人たちを「非人」と言っていた。

非人=人に非(あら)ず=人間ではない。

そういう身分を作っていた身分制度があったのだ。私たちは明治時代になってから誰が何の仕事をしても構わないようになったが、今でも「家業を継ぐ」という考え方が依然として社会に残っていることもある。

芸能や事業や政治のような「高尚」な分野では家業を継いだほうが楽して儲かるので、利権を守るために自然に「家業を継ぐ」という考え方になる。

金の儲かる仕事に就いている一族であれば、家業は継ぐべきものなのである。

貧困者にとっては家業を継いでも何も得しないので、家業を継がないことが多い。また、家業を継がないことが許される。

もし、これが許されなかったら、あるいは社会に身分を強制されていたら、日本の社会はこれほど発展しなかったということが分かるはずだ。

身分制度は捨てて正解だったのである。

しかし、インドではいまだカーストと呼ばれる身分制度が続いており、カーストによって下位カーストや不可触民に対しての差別が色濃く残っており、継承されている。

排泄物の処理を仕事とするインドの「不可触民」

AFPがこの排泄物処理をしているインドの女性たちの短い特集をユーチューブに上げているので、ここでも紹介したい。いまだにこのような現状にあることがよく分かる映像だ。

映像では、NGO団体が彼女たちを救い出そうと努力している姿が映し出されているが、50万人以上の女性がここで救い出されるわけではない。

インドの闇では依然としてこのような女性たちが差別されたまま放置されて、現状の改善はなされない。

そして、もっとひどいことに、このような仕事に就いている家庭で娘が生まれると、若いうちからレイプされてしまったり、売春地帯に売られることも日常茶飯事のように起きる。(なぜ、不可触民(ダリット)の娘たちは処女がいないのか)

コルカタの売春地帯に売られてやって来た女性たちのうちの何人かは、このようなカーストから来た女性たちである。現実は、この映像よりもはるかに沈鬱で救いがない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130228T0037110900.html

2013-02-28

身分の低い人間は穢れていると考えるのが、身分制度の無意識

インドのカーストの最底辺の中の最底辺、カーストにすら入れないほどの身分の人間を「不可触民」と言う。英語ではアンタッチャブルである。

「触ることすらできないほど穢れた人たち」

そういう侮蔑が込められた恐るべき言葉が「不可触民」という単語に現れている。

インドでは売春女性が最下層のカーストであるのは意味がある。それは不道徳だからという理由もあるだろうが、他人にかなり密接に「触れる」からだ。

インドでは他人に触れるというのは「汚らわしい」と考える文化が根底にある。まして、カーストの低い穢れた人間など触りたくもないと思うようだ。

穢(けが)れ……。

「不可触民」というのも触れないほど「穢れて」いるのだという思想で定義された。


自分までもが汚れてしまうと無意識に考える

私たちは普通、「他人が穢れている」「他人が汚い」とは思わない。触りたくないという感覚も起きない。

それは、あまりにも当たり前のように感じるかもしれない。しかし、それは人間が平等であるという意識があるから感じないだけかもしれない。

人間には上下関係があって、自分より身分が下の人間は「劣っている」という傲慢な意識があれば、どうなってしまうのだろうか。

あまりに「穢れている」ので、そんな身分の人間を触れば自分までもが汚れてしまうと無意識に考えるのだ。

少なくとも、カースト制度の中のインド人は、そのように考えたようだ。

今でも程度の差こそあれ、そんな文化がインドでの暗黙の了解になっている。意識化されていないことも多いが、意識してそう語るインド人もいる。

だから、人に触ったり人の持ち物に触ったりしなければならない職業の人間は、最低ランクのカーストと見られるのは自然の流れだったのだろう。

他人の排泄物を扱うバンギー・カーストや不可触民が最低底のカーストと思われているのは、最も汚れたものである排泄物に「触れる」からだ。

そして、他人と肉体交渉することが仕事になっているような売春女性は、女性の中でも最も穢れていると言われている。

誘拐されて売春地帯に放り込まれ、救出されて村に戻っても、売春ビジネスをしていたということが分かったら、村人はこの女性を受け入れない。

彼女は、穢れてしまったからである。


売春地帯に堕ちた女性は、そこを抜け出しても村で受け入れてもらえないことも多い。


劣情の前には不可触民が「不可触」ではなくなる

売春ビジネスに放り込まれる女性は多いのに、いったん放り込まれると抜け出しても彼女は過去を清算することができない。

一度穢れると、今がどうであれ、すでに穢されて元に戻らないと社会が考えているからだ。

NGOが売春女性を救出して女性を村に戻しても、誰も関わろうとしないので生きていけず、仕方がなくまた売春ビジネスに戻る女性も多い。

売春というビジネスの中身を考えると、他人に触れることを無意識に嫌うインド人には「身の毛もよだつ」ことに違いない。

売春女性は他人に「触れる」どころか、男の肉体を自分の体内にまで侵入させるのを許さなければならないからだ。

しかも、1日に何人もの男を受け入れなければならず、それを拒むことができない。

必然的に売春女性は、不浄の極まった女、もはや清くなることはあり得ないまでに穢れてしまった女として扱われるようになる。

どこの国でも売春女性は存在を酷評されるが、インドは格別にそれがひどい。人権を認めるに値せず、もはや人間として扱う必要すらないとでも考えている。

しかし、皮肉な現実もある。

自分の欲望が抑え切れなくなると、「彼らは不可触だから何をしてもいい」と言いながら、ダリット女性の意志も無視して押し倒す男がいるのである。

ボロボロになるまで「不可触」の女性をレイプする警察官の存在もある。

つまり、劣情の前には「不可触民」が「不可触」ではなくなる。触ってもいいことになってしまうのだ。

インドが変わるのは、まだまだ時間がかかる

いったい、どういうことなのだろうか。

これは、別に難しい話ではない。本当は、男たちは誰も「不可触民に触れたら自分も穢れる」とは思っていないのだ。

ただ、そういうことにしておいた方が、最下層の人間を常に奴隷的に扱えるので都合がいい。だから、上位カーストの人間は思っているフリをしている。

現在でも、インドでは最下層の女性たちに対する性的虐待の事件が次々と起きている。国際ニュースになるほど事件が起きているのに、なぜ改善されないのか?

犯人を死刑にすれば状況は変わるのか?

無駄だ。身分制度(カースト)が、社会や、人々の心の中にある限り、最下層の人を見下したり、最下層の女性を見下す状況は変わらない。

また、身分制度とは別に、インドでは保守的な家長主義も浸透しているから、女性であること自体に身分に関係なく虐げられる現状もある。

下層カーストでなくても、女性は男に虐待されたり、虐げられたり、家庭内暴力を受けたりする。これが、インドの女性の置かれている厳しい現状だ。

インドの歴史は、そうやって苛烈な差別を内包したまま続いてきた。しかし、1992年からこの国は経済成長に向けて動き出しており、それから約20年近く経った。

インドはこれでも少しずつ変わりつつある。

しかし、未だ国民の6割が貧困層である現状を見ると、経済発展の動きはとても鈍いことが分かる。インドが根本的に変わるのは、まだまだ時間がかかるのだろう。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130228T0248220900.html


なぜインドでは「自由恋愛など絶対に許さない!」となるのか

日本はもう数十年も前から自由恋愛で結婚するのが当たり前の世の中になっている。親が決めた相手と結婚する若者は、ゼロとは言わないが、ほとんどいないはずだ。

しかし、インドは延々と見合い制度が続いている。いまだにそうだ。これからもそうだと言われている。

その根底に「持参金制度」があるからだと言われている。インドでは「ダウリー」と言う。要するに結婚するとき、女性は「嫁ぎ先の男性にお金を持っていく」のである。

しかし、もちろん娘がそんなお金を持っているはずがないので、娘の親がお金を用意して持たせる。

ここにインドで「見合い結婚」が続く理由がある。なぜ、インドでは結婚相手を親が決める権限があるのか? 金を払うのは親なのだから、結婚相手を決めるのも親なのだ。


父親にとっては娘の自由恋愛など「もってのほか」

娘が3人も続くとどんな金持ちでも破産すると言われている。娘の結婚は親にとっては、ある意味「ひとつの悪夢」なのである。しかし、伝統だから、誰もそれに逆らえない。

これは「マヌ法典」で記されたものから解釈され、伝統化されたものだと言われている。

ちなみにこの「マヌ法典」は、カースト(身分制度)を規定し、不可触民という概念を生み出した問題の書でもある。その問題の書が、「娘は持参金を持ってこい」と書いている。

そこで、想像して欲しい。

あなたに、年頃の娘がいるとする。あなたはもちろん財産を持っている。自分が必死に働いて貯めた大切な財産だ。娘が結婚するとき、その大切な金を娘の結婚相手に渡すのだ。

場合によっては、どこの馬の骨とも分からない男に……。

父親であれば誰でも、自分の財産が、娘の選んだ訳の分からない男に渡って無駄に使われたいと思わない。

だから、しっかりした男を「娘の目」ではなくて、「自分の目」で推し量りたいと思う。

それが見合い制度だ。

つまり、ダウリー制度がある限り、父親にとっては娘の自由恋愛など「もってのほか」だということになる。

娘が勝手に恋をして勝手に結婚するなど、絶対に許せない。金が絡んでいるのである。とにかく、絶対に見合いで結婚させることになる。

また、娘夫婦が多少の喧嘩をしたくらいでは離婚も許さない。離婚した瞬間、ダウリー(持参金)が無駄になる。

インドでは法律よりも宗教・伝統のほうが優先される

インドで保守的な社会が崩れないのは、すべては金のやりとりがそこに絡んでいるからだ。

そう思えば日本人にも分かりやすいだろう。

日本でもダウリー制度が入っていれば、たぶん一瞬にして日本も保守的な社会になる。それは金の問題に直結するからだ。日本人の父親も、恋愛結婚など絶対に認めなくなるだろう。

「どこの馬の骨とも分からない男にやる金などない」と父親は叫ぶはずだ。

自分の大事な貯金が軽薄な男に渡ると思えば、世の父親は心配でおちおち眠ることもできなくなる。

逆に言えば、日本が恋愛結婚の社会でいられるのも、父親が財産を持って行かれるわけではないから「真剣になっていない」からだと言うこともできる。

もっとも、ダウリー制度を取り入れているインドでも、真剣に考えているのは、娘の幸せよりも自分の金かもしれないが……。

ダウリーの弊害は近年に入ってから盛んに取り上げられるようになり、1961年には廃止されている。

ダウリー(持参金)が足りないと言われて夫や夫の家族に虐待される女性が続出していたのだ。焼き殺された女性もいれば、切り刻まれた女性もいる。

あるいは、ダウリー目当てで結婚して虐待死させ、次々と女性を殺していた殺人鬼もいる。

「ダウリー死」する女性が社会問題化した。

しかし、インドでは法律よりも宗教・伝統のほうが優先される社会だから、奥深い農村に向かえば向かうほど因習が残り、ダウリーが優先される。

もちろん、ダウリーの習慣など間違っているのは言うまでもない。女性は、自分の意思で相手を決める権利がある。

女性は、自分の人生を金で換算されるべきではない。
女性は、自分の人生を伝統で決められるべきではない。
女性は、自分の人生を親の思惑で決められるべきではない。

インドの伝統は基本的に女性を不幸にしている。だから、インド女性自身がこれらの悪習から逃れ、伝統を打破していこうとする動きを見せているのはとても心強く思う。


虐待され、救出された女性。

ダウリーが少ないと言われて殺された女性。

激しい虐待で殺された女性。ダウリーが少なければ、こうやって虐待され、傷つけられる。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20121109T0245310900.html

2012-06-30
新郎60歳、新婦10歳。女性が「モノ扱い」される時代とは?

インドでは2005年〜2006年の調査で分かったことは、女性の約45%が18未満で結婚しており、そのうち約3%は13歳以下のときに結婚していたという事実だ。

実は、現在のインドでは18歳未満での結婚は法律で禁止されており、「幼児婚」は明確に認められていない。にもかかわらず、その闇の伝統は未だに地方で行われているのである。


女性の意思をまるっきり欠いた一方的なもの

幼児婚というのは、正式には新郎新婦揃って未成年の結婚を指すのだ。たとえば、織田信長は14歳のときに15歳の濃姫と結婚している。伊達政宗は13歳のときに、11歳の愛姫と結婚している。

当時は人生50年と唄われていて人の寿命はずっと短かく、医療も未熟だったから40歳も過ぎれば誰もがボロボロになっていた時代だった。

だから、10代の初めから半ばに精通や生理が始まってすぐに性交や結婚が行われたのはむしろ自然なことであり、生物学上ではむしろそれが自然だったかもしれない。

しかし、南アジアの風習としてはびこっている現代の幼児婚は、女性のみが幼児というものが多い。

そして、こういった幼児婚ではパキスタン・バングラデシュ・アフガニスタンでも珍しくない伝統として続いている。

そのうちいくつかは、新郎60歳、新婦10歳というような極端なものであり、女性の意思をまるっきり欠いた一方的なものであることを糾弾されている。

アフガニスタンではタリバンが、老戦士への「ご褒美」として少女を差し出したり、略奪してきた少女を無理やり花嫁に仕立て上げて妻にしてしまうような行為も未だに行われている。

そうでなくても、貧しい家庭が口減らしのために娘を早く結婚に追いやってしまう。


アフガニスタンの結婚風景。新郎60歳、新婦10歳。老人の冷めた目と、どこか無邪気な少女のコントラストは、とても痛ましいものがある。


アフガニスタンの結婚風景。こちらは、新郎が40歳、新婦は11歳。祝福すべき結婚なのだろうか?

平和と女性の人権は明確に比例している

極端な年齢差のある結婚で、女性が未成年どころかまだ初潮さえ迎えたのかどうかも分からないような少女である場合、そこで何が起きていると考えればいいのか。

伝統や文化で考えてはいけない。これは明確に女性が「モノ扱い」されているということの証拠である。

北朝鮮国境では中国の貧農がコメで脱北女性を買っているが、法が遵守されない時代になったとき、女性は「モノ扱い」にされていく。

アフガニスタンでも、南アジアでも、未だ女性がモノ扱いされているということなのである。

暴力がはびこる社会、イスラム原理主義が席巻する社会は、西欧が生み出した「人権」という意識は浸透しておらず、女性はモノ扱いにされる。

さらに、人間社会は平和と女性の人権は明確に比例していて、騒乱・内戦・戦争の時代になって行けば行くほど、女性は肉体的に虐げられ、暴力の標的にされていく。

戦争状態のときは、もっとも法が機能していないときだが、組織的レイプは往々にして戦争状態のときに行われる。これについては、さんざんダークネスにも書いてきた。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120630T1808500900.html


04. 中川隆 2013年3月02日 13:06:04 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

2012-09-26
ストーキングされ続け、最後に酸を投げつけられたインド女性

インド圏では自分の言うがままにならない女性をアシッド・アタック(酸攻撃)するという卑劣な犯罪が、何十年も前から延々と続いている。

バングラデシュでも、パキスタンでも、アフガンでも、イランでも、そしてインドでも、莫大な女性が酸を浴びせられ、顔面を破壊されているのである。

卑劣で、卑怯で、残虐で、おおよそ人間が考える犯罪ではない。

女性の容姿を完全に破壊し、その後の人生に激しい苦痛と恐怖を与えるこの犯罪が「珍しくない」とは、いったいどのような世の中なのだろうか。


苦境に陥っているアーチャナ・クマリ

2009年にアシッド・アタックされ、医療費が払えずに苦境に陥っているアーチャナ・クマリという女性が、インドの英字新聞「ザ・ヒンドゥー」で紹介されていた。

彼女は隣人から2年以上に渡ってストーキングされ、性的な嫌がらせを受けていたが、男を頑として拒み続けていた。

そして2009年11月12日のこと、男は歩いて彼女の家にやってきて、そして彼女に酸を浴びせたのだった。

言うまでもなく、インドの警察は被害者・加害者の力関係で事件を握りつぶしたり、なかったことにしたりする。

彼女の父親は教育もない一介の労働者に過ぎず、警察がまともに調査をするはずがなかった。また、警察沙汰にすることによって、さらなる報復を受ける可能性があった。

酸攻撃された彼女の治療のために、そして何よりも、さらなる攻撃を受けるのを恐れ、彼女の両親は傷ついた彼女をウッタール・プラデシュから連れ出してデリーに移った。


アーチャナ・クマリ。2年以上も男に付きまとわれ、性的嫌がらせを受け、最後にアシッド・アタックされた。

酸攻撃された証拠を書類として提出して下さい

彼女の両親は、傷ついた娘アーチャナ・クマリのために、持てる財産をすべて治療費に充てた。

入院費、医薬品代、検査代、治療費、交通費、生活費……。

彼女の母親が持っていた大切なジュエリーから何まで売り飛ばし、さらにあちこちから借金を重ねた。

そして、彼らは限界に達した。

政府に助けを求めると、資金援助を受けるためには「アシッド・アタックされた証拠を書類として提出して下さい」と言われて追い返されたという。

彼女が悲惨な姿になっているのはどうでもよくて、アシッド・アタックされたことが確実であるという証明書を出せというのである。

ところが、彼女とその家族はさらなる報復を恐れて身を隠しており、当時は警察によって十分な調査を受けていなかった。だから、書類が用意できないのである。

そして、彼女は新聞の取材を受け、自らの苦境を訴えることになったのだった。

効果はあったようだ。

政府はすぐにこの報道に反応し、「すべての女性が不当に苦しむことがないよう対処」することを確約した。

そして、彼女を専門の病院で治療を受けさせて、他の要求にも応えていきたいとしている。

躊躇なく女性に酸を浴びせる男が、山ほどいる

アーチャナ・クマリは当面は何とかなる。しかし、この物語は決してハッピーエンドではない。

彼女はアシッド・アタックの結果、どうなったのか。写真を見ても分かる通り、もう彼女の片目はまったく見えなくなってしまっている。

そして、彼女の左耳も聴力を完全に失った。彼女の顔半分は溶解し、彼女の身体もケロイドになってしまった。

これからも彼女は長い困難な治療を受ける必要がある。そして、どんなに治療を受けたとしても、完治することはない。失った容姿は取り戻すことができず、彼女は人生を失った。

女性にアシッド・アタックするというインド圏の卑劣な犯罪はこれで収束したわけでもないし、根本的な対処もまったくなされていない。

私が激しい怒りを感じるのは、こういった残虐なアシッド・アタックが、まるで日常茶飯事にインド圏では起きていることである。

以前、「ジーンズを履いた女性はインドの伝統に反している。見かけたらアシッド・アタックする」という脅迫が女子大学に掲示されて、大騒ぎになったという事件があった。(ジーンズの女性には硫酸テロをすると宣言するインド民族主義者)

日本の女性に「酸攻撃(アシッド・アタック)」と言っても、大半の女性はそれがどんなものだか理解できないはずだ。そんなことをする男はいないからだ。

しかし、インド圏には、何の躊躇もなく女性に酸を浴びせる男が山ほどいて、毎年毎年、何百人もの女性が犠牲になっているのである。

私は、これが許せない。

アシッド・アタックについては、このブログだけではなく、ダークネスでもしばしば取り上げている。

卑劣な男たちの狂気の犯罪が蔓延していることに、世界中の女性たちが声を上げてくれることを心から願っている。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120926T0324370900.html


2012-05-11
青、緑、黄色。変わった瞳の色を持つインド女性のいくつか

唐突だが、あなたの瞳の色は何色だろうか。確認しないで「黒だ」と思う人もいるかもしれないが、まず自分の瞳を鏡で確認してから以下の文章を読んで欲しい。

日本人は自分の瞳が「黒」だと思っている人がいて、私もずっと自分の瞳の色は「黒」だと言っていた。

しかし、「あなたの瞳は黒ではない。ブラウンだ」と笑って指摘したのがロシア人の女性だった。(マイクズ・プレイス。緑の虹彩を持った女性とロシアの崩壊)


多くの日本人の瞳は焦げ茶色(ダーク・ブラウン)

改めて自分の瞳の色を確認したら、本当に「濃い茶色」だった。客観的にはそうなのだが、私たち日本人は自分の瞳の色のことを「黒」と言う。だから、意識下では黒だ。

しかし、黒は「比喩」であり、本当は日本人のほとんどが「茶色」なのである。もしかしたら、本当に「真っ黒」だと思い込んでいる人もいるかもしれない。

もちろん、全員がそうだとは言わない。しかし、多くの日本人は恐らく「焦げ茶色(ダーク・ブラウン)」だというのが正確なところだろう。

そういえば、どこかの国のアライバル・カード(出入国カード)で瞳の色を書かされた国もあったような気がするが、そのときにも黙って訂正されたような気もする。どこの国だったか思い出せない。

恐らく日本人は全員、無意識に"Black"と書いて"Brown"に訂正されるだろう。

しかし、人を判断するのに、瞳の色をとても重要視する国もあったりして、欧米人なども自分の瞳の色をよく知っている。それが自分の個性であり、自分の「お気に入り」だからである。

私の目をブラウンだと言ったロシア女性に、「君の目はブルーだね」と言ったら「違う、グリーンよ」と言われてよくよく見たらグリーンだったことも強い印象として残っている。

瞳の色は、日本人よりも外国人のほうが敏感なのである。

日本人はずっと「目の色は黒(茶色)」が当たり前だと思って暮らしているから、外国で相手の色が違うと本当に引き込まれる感じになるのではないだろうか。


インドの「多彩さ」に触れると病みつきになる

ところで、インド圏の女性に惹かれて戻ってこれない理由がひとつある。

それは、女性たちの肉体、衣服、文化、見た目、ファッション、持っている小物、美的感覚、匂い、声調、肌の色、すべてが東アジアや東南アジアの女性と違っていることだ。

何もかも違っている。「違っている」というのは、日本人等の東アジア女性と違っているという意味だけではない。

同じインド圏でも、あきれるほどの女性のバリエーションがあって、ひとりひとりが何もかも違うのである。

インドは広大な大陸で、北と南では文化も人種もまったく違っているので、そういった違う人種がすべて国内でめちゃくちゃに混ぜられていて、膨大な「異種」の人間を生み出している。

最初、インドの神がなぜ、たくさんの顔や手があるのか分からなかったが、インドをさまよいながら、ひとりひとり「極端に違う」のを見て分かったような気がした。

インド人は、人を見て「人間とはたくさんある」というのが子供の頃から脳裏に刻み込まれている。

だから、神を描くときは潜在的に「たくさん」が強調され、顔も手もたくさん描かれるのではないかと思ったのだった。

よくニューヨークは「人種の坩堝」と言われる。しかし、それは混ざっていない人種を指している。

インドも人種の坩堝だが、インドとニューヨークが違うのは、インドの場合は人間がまとめて交配して混ざった状態で違っているということだ。

混ざるというのは、当然、青い瞳も緑の瞳も黒も茶色も全部混ざるわけで、それが多彩なインド人の印象をさらに多彩にする。

コルカタの女性は多くがベンガル人だが、ベンガル女性の中にもドキリとする女性がいる。

顔は普通のベンガル女性のはずなのに、瞳の色が緑色だったりすることがあるのである。ベンガル女性の瞳の色は、一般的に明るいブラウンだ。

それが、たまに違う瞳の女性がいたりする。もちろん、数としては多くないのだが、日本人のように全員が全員「単色」ではないところが興味深くて仕方がない。

そういったインドの「多彩さ」に触れると、もう病みつきになって戻ってこれない。瞳でさえ、同一でない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120511T0348550900.html


2012-04-28
インド人というのは、白人なのか黒人なのか黄色人種なのか?

世界は三大人種群に分かれているとはよく言われている。白人、黒人、黄色人種というのがそれだ。

コーカソイド=白人
ネグロイド=黒人
モンゴロイド=黄色人種

中国や日本ではもちろんモンゴロイドが多い。アフリカ大陸ではネグロイドが多い。ヨーロッパではコーカソイドが多い。それは恐らく誰でも分かるだろう。

では、インド人はこの分類で言うと、どこに当てはまるのだろうか?


人によってイメージが変容する国

答えは、「そのどれでもない」が正解であり「そのすべてだ」というのも正解だ。つまり、どれを選んでも正解になる。

なぜなら、インド大陸にはこの三大人種群のすべてを内容し、さらにはそれらの混血も混じり、混血の混血もいるからだ。インドはすべてマサラ(混合)して存在しているのである。

インドの北部・北西部はコーカソイド系が多い。インドの南部はネグロイド系が多い。インドの北東部・東部はモンゴロイド系が多い。

ただし、この分類はとても大雑把なもので、細かく見れば違う。そのすべての地域にありとあらゆるタイプの「混血」がいるからだ。

その混合具合が本当にバラバラで、それがインドの面白いところなのだが、同時に複雑なところでもある。

これだけ人種が違うと、当然、宗教も文化も言語も違ってくるわけで、一言でインドと言っても、日本のように「人種はこれだ」「宗教はこれだ」とまとめ切れないのである。

「典型的なインドとはこれだ」と言った瞬間に、そこから漏れ落ちるものが多すぎて、まとめにならない。あまりにも違いが多すぎて、国民すべての「相互理解」というものがまったくない。

だから、インドはつかみどころがなく、人によってイメージが変容する国でもある。

「何も分からない」「何も確実なものはない」

ボリウッド映画に出てくる美男美女は、ほとんどが白人系(コーカソイド)であることに気がつくと、インドでも白人系が影響力や力を持っていることが理解できる。

しかし、彼らもよくよく見てみると、金髪碧眼ではない。確かにコーカソイド的な特徴を持っているようだが、では彼らが「白人か?」と言われれば、誰もが返事に窮してしまうだろう。

白人の骨格をしているが、褐色の肌や黒い髪の特徴はどう見ても白人のものではない。かと言って、ネグロイド(黒人)かと問われれば、やはりそれも違う。

虹彩が黒く、髪も黒く、肌も黒いとは言ってもネグロイド(黒人)とは明らかに違うのである。

モンゴロイド(黄色人種)でもない。ボリウッド映画の美男美女を見て、自分たちと同じ人種だと感じる日本人は皆無に等しいはずだ。まったく違うのである。

つまり、インド人は世界のどの民族と比べても、違うようで同じ、同じようで違う。

民族の混血度が進んでいると言えば、ブラジルもまたそうだが、ではブラジルとインドを比べて人種的な外観が似ているかと言われれば、違うと思う人も多いだろう。

後で調べてみると、インド・スリランカ人、つまりアーリア系のインド人はコーカソイド(白人)系なのだという。そういうことになっている。

私はその学術的根拠が何に基づいて発表されたものか知らないが、どうも信じる気にはなれそうにもない。

私の中ではアーリア系インド人は白人ではないのだ。アーリアは、コーカソイドでもネグロイドでもモンゴロイドでもない、

まったくの「新種」だと言われた方がまだ納得が行くし、私は自分の中ではそんな気でいる。

本当にインドは混沌としており、いろんなことを思いつかせてくれる国で飽きない。こんな国は、世界のどこを見ても、他には見つからない。

「何も分からない」「何も確実なものはない」という気持ちにさせてくれるこのインドが好きだ。

答えはひとつしかない、と学校教育の弊害に悩んでいる人は、インドを放浪すれば思考の解放ができるのではないだろうか。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120428T0523320900.html

2012-09-27
いったい何という混沌なのか。インドが理解できなくて当然だ

インドには完全完璧なまでに無学で、野獣のように粗暴な人間がいる。しかし、その一方で世界でも有数の知的レベルを持ったハイテクに強い人材を莫大に抱えている。

インドには女性にアシッド・アタックするような残虐な人間がいる。しかし、その一方で生き物すべてを敬い、虫すらも殺さない完全菜食主義のジャイナ教を信奉するような優しい人たちも莫大に抱えている。

インドには売春地帯があちこちに存在していて堕落した男も大勢いる。しかし、その一方で完全に禁欲してしまった瞑想者や、享楽を悪とする仏教徒も莫大に抱えている。

インドには、極端なものがすべて同時に存在して、完全に混沌としている。

カレーの中には多くの種類のハーブ(香辛料)が混ぜられてそれがひとつの味を醸し出す。インドではこれを「マサラ」と呼ぶ。

インド社会は、まさにいろんな「違うもの」がひとつの鍋の中に詰め込まれた「マサラ」なのである。


果てしのない饒舌さと、完全なる沈黙

インドはハードな国だ。最初は、あの猥雑さと混乱と喧騒に、とても馴染めなかった。

貧しい人たちの必死の生き様に巻き込まれたりすると、それだけで精根尽きるような疲労感を感じた。

いつだったか、知り合ったインド女性と話をしていたことがあった。

彼女の口調は、一方的で、激しく、そして確信的だった。それが、延々と続く。それは、もはや閉口を通り越して、困惑すら感じさせるものだった。

彼女は英語に堪能というわけではない。

単語にヒンディー語が混じり、かつ、インド独特の「r」まで発音する単語読みや、インド独特のイントネーションも、すべて混じっていた。

流暢な英語も分からないが、あまりにローカルな英語もまたつらい。途中で何を言っているのか分からなくなる。

しかし、その饒舌さに、もう聞き返したり内容を把握しようとする気力すらもなくなってしまう。だから、インドを出るときはいつも疲れ果てていた。

饒舌は、大部分のインド人に共通するところがある。

しかし、よくよく思い出してみると、まったくその逆に、言葉が話せないのではないかと思うほど寡黙な人の存在もあった。

それは、まるで自分の存在を消し去ろうとしているかのような、病的なまでの寡黙さだった。インドには、そういう人もいるのである。


私がインド人らしいとイメージするインド女性。確かにインド人らしいとは思うが、彼女とはまったく異なる人種のインド女性も莫大にいる。


インドでは神まで混沌としている

インドは何から何まで極端だ。猥雑で、混乱している。しかし、それが一種の無法地帯のような自由さを醸し出して、中毒のような気持ちを生み出す。

インドは麻薬だ。一度でもインドにとらわれると、もう二度と逃れられない。インドという国そのものが、「放浪者の麻薬」にもなっている。

中毒になってしまって、一生インドがつきまとう。

常に両極端なものが存在するから、その両極端がたまらなく面白い。そもそも、インド人が信奉する神まで混沌としている。

インドで美と豊穣の女神パールバティなどは、まさにインドを象徴している神だ。インドの混沌を思い出すときは、いつも女神パールバティを思い出す。

パールバティは、美の象徴だ。
しかし、怒ると凶悪な神ドゥルガーに変異する。

さらに怒髪天を衝くような怒りにとらわれると、もはや地球をも破壊してしまうような真っ黒な異形神カーリーとなっていく。

美の象徴が、凶悪と破壊の象徴と結びついている。

美が割れると中には凶悪が入っており、それが高じると、さらに割れて中の破壊神が出てくる。

美しさと凶悪さが同居している。


パールバティ。美の化身。しかし、この女神が怒ると真ん中からふたつに割れて、怒りの神や破壊の神が出現する。


一国多文化で見識がガラリと変わる

日本は「あ・うん」の呼吸がある国だ。黙っていても相手の考えていることが読めるのが日本社会の美徳であると言われている。

それは裏を返すと、相手も自分と同質だから、考えが読めるということになる。

もっとも、最近は同じ日本人同士でも、話が通じない異質な世界に住んでいる人も増えたが、基本的には日本人は協調し、同質化する。

「誰もが同じ」
「異質を嫌う」
「同じことで安堵する」
「似たような考えでまとまる」
「相手と違うことはしない」

つまり、全体的にみれば、「みんなが右を向けば右」で、「みんなが左を向けば左」の国である。

日本のようにベクトルが常に同じ方向を向く国民性は、それが当たったときは強い力を発揮する。1950年代からの高度経済成長期はそうだった。

しかし、目指している方向が間違っていると、みんなまとめて浮かばれない。戦前の軍国主義時代がそうだった。

良くも悪くも、日本は「一国一文化」の特徴を持つ。

インドは完全なる「一国多文化」だ

だから、日本を見るのと同じ目で、インドが「一国一文化」であると思って見ていると、まったく分からない国になってしまう。

インドは完全なる「一国多文化」だ。

言葉も、文化も、宗教も、人種も、哲学も、何もかもが完全にバラバラで、同じインド国内でも隣の村でさえ言葉が通じない。

美意識ですら違う。太っている女性が美しいと思い込んでいる人もいるし、痩せている女性が美しいと思い込んでいる人もいる。

書き言葉も、ヒンディー語と、タミル語と、ベンガル語と、ウルドゥー語では、まったく違っている。

こんな国だから、インドとはいったいどんな国なのだとイメージがつかめずに悩む人がいてもおかしくない。

私も、インドという象の尻尾しかつかんでおらず、まだ鼻すらも触ったこともないと言える。

インドは「A」だ、と説明すれば、インドの中にある「B」も「C」も「D」もすべて取りこぼす。では「B」だと説明すれば、「X」も「Y」も「Z」も取りこぼす。

だから、インドについてよく分からなくなっても、分からない国がインドなのだと開き直るくらいでちょうどいいのかもしれない。

インドがどれだけ混沌としているのか

ちなみに、インドがどれだけ混沌としているのかは、ヒンディー語、英語以外の公用語を見れば分かる。

・アッサム語
・ベンガル語
・ボド語
・ドーグリー語
・グジャラート
・カンナダ語
・カシミール語
・コーンカニー語
・マイティリー語
・マラヤーラム語
・マニプル語
・マラーティー語
・ネパール語
・オリヤー語
・パンジャーブ語
・サンスクリット語
・サンタル語
・シンド語
・タミル語
・テルグ語
・ウルドゥー語

これ以外にも500万人以上の人々に話されている言語が16種類ほどある。いったい、何という混沌なのか……。

こういったものをすべて1つにして、「インド」というラベルを貼った国が、インドである。


マサラ(カレー)の中にはたくさんのスパイスが入っている。すべてまとめて、カレーというひとつの料理になる。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120927T2313140900.html


2012-07-08
インドに亡命することになったら、生きていけるだろうか?

インド圏をさまよったことのある人間なら誰もが思うのは、インド人の自己主張の強さである。

インド人の政治家も壇上に上がって演説を始めると、原稿も見ないで延々と1時間でも2時間でも話している。

政治家だけではない。ビジネスマンの押しの強さ、粘り強さ、交渉のうまさも東南アジアや東アジアのものとはまったく違う。

話していると、まるでクモの糸に絡め取られるかのようにやられてしまう。とてもかなわないと思う。


「謙譲の文化」と「自己主張の文化」

商売人だけならまだいいが、物乞いまで強い。

小銭では満足せず、抱えている子供がいかにかわいそうかを堂々と訴えて喜捨をするように「説得」してくるのである。

当然、女性でも性根が据わっていて、「金を出せ」と激しく突き上げてきて折れない。

東南アジアでは、このような激しい交渉をする状況はあまりなかった。タイの歓楽街の女性も常に金を狙っているが、それでもタフな交渉相手ではない。

彼女たちは男たちと直接対峙するような交渉はしない。もし、仮に客と激しい口論になったとしても、インド人の執拗さ、執念深さに比べると、明らかに見劣りがする。

それは、東南アジアには人と人が対立するのを嫌う「謙譲の文化」が根底にあるからだろう。

謙譲とは、「へりくだり、譲ること」と辞書にある。日本でもそうだが、「譲り合う」ことは美徳である。

譲り合うどころか「それは俺のものだ」と自己主張するのは、感情すらも制御できない未熟者であると考えられる。そして、それは恥ずかしいことだ、とも考える。

仏教思想の「悟りを開く」状態の対極にあるのが、自分の感情すら制御できない混乱の状態である。

だから、たとえ共産国家であっても仏教圏の影響が強い東南アジアでは、そんなみっともない姿を見せたくないと考えてしまう。

激しい自己主張や、金銭に対する際限のない執着も、悟りを開いていない証拠だと見なされる。

インドという国はひとつだが、中身はカオス

しかしインドは違う。

ヒンドゥーは戦う神、怒り狂って手のつけられない神、セックスにまみれた神に溢れている。

荒々しい原始の感情、人間の持つあからさまな欲望は、すべて神々に投影され、誇張され、神話のスケールに増幅される。何もかも剥き出しであり、直接的である。

そのような感情を剥き出しにした宗教が根底にあって、さらに「分断」が社会を覆っている。

カースト制度で分断された分かり合えない各階層、シヴァ派、ヴィシュヌ派、クリシュナ派、カーリー派……と、神によって違う文化と思想。

そこに混じり込む仏教派、イスラム派、シーク派、キリスト派という異教徒の思想。

また、異人種の侵入もまたインドの文化を細分化し、それぞれを異質なものにする。

イラン側から侵入して来たアーリア系という侵略者、中国・モンゴル方面から侵入して来たモンゴロイド系。そして南アジアに土着していたドラヴィダ系。

それぞれの民族は異なった歴史を持ち、異なった言葉を持ち、異なった文化を持つ。ひとことに「異なった言語」と言うが、主要な言語だけでも、数え切れないほどだ。

ヒンディー語、ベンガル語、テルグ語、マラーティー語、タミル語、ウルドゥー語、グジャラーティー語、カンナダ語、マラヤーラム語、オリヤー語、パンジャービー語、アッサム語、カシュミーリー語、スィンディー語、ネパーリー語、コーンカニー語、マニプリー語、サンスクリット語……。

つまり、インドとは恐ろしいほどの雑多な文化・思想・民族・宗教・言語・社会・階層を無理やりひとつに包括した国である。

インドという国はひとつだが、中身はカオスだ。完全に違う存在が凝縮されてそこにある。

インドでは女も男もタフな交渉人

だからこそ、インド人は生きるために自己主張しなければならなかったと言える。「自己主張の文化」だ。

単一民族であれば主張などしなくても、目が合っただけで分かり合える。「謙譲」の文化だ。

インドは単一民族でもないし、言葉も文化もバラバラだから、何も分かりあえない。だから、訴え、叫び、説得するのである。そういう世界だった。

これほどまでに違うものを抱えていると、分かり合うために、自分たちの特徴を主張しなければ、永遠に無視されてしまうだろう。

また、自分たちの民族や宗教が勢力を広げるという野望があるのなら、その利点を説き、圧倒するしかない。

相手に飲み込まれないためには、それぞれの個体が自らの生存を示すために、声高に権利を主張する。

そうやって長い時間をかけて、インドという国は主張する国になっていったと考えられる。

・自分の立場を「主張」する。
・生き残るために「交渉」を重視する。
・自らの正しさを「断言」する。

アメリカは移民の国であり、さしずめニューヨークなどは「人種のるつぼ」だと言われている。同じことはインドでも言える。インドもまた想像を絶する「人種のるつぼ」なのである。

だから、インドでは女も男もタフな交渉人になる。

決して折れないし、あきらめない。自らの利益を主張することにかけては、執拗で、強迫観念に取り憑かれているようにも見える。

いろいろな国を巡ったとき、旅人であった私は無意識に「この国に亡命することになったら、生きていけるだろうか?」と考える。

タイやインドネシアでは生きていけると思った。しかし、インドでは、生きていけない。彼らと対等に駆け引きする能力は自分にはない。

あなたはインドで生きていけるだろうか。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120708T0007210900.html


2012-06-29
色(ヴァルナ)。黒い肌は人間的に劣る人間だと制度化された

インドの女性は「黒」が嫌いだ。

インドの肌の黒い女性は、自分の肌を嫌悪している人もいて、男が「黒い肌が好きだ」と言うと、自分の肌が黒いにも関わらず、必死でその意見が間違っていることを諭そうとする。

「白い肌が美しいのよ。黒い肌は美しくない」

インドでは「色」のことを「ヴァルナ」と言うが、このヴァルナは容易に肌の区別に結びついて、それが最終的には人種差別にまで行き着く。

すなわち、黒い肌の女性は劣っており、ロー・カースト(最下層)であり、醜い女性であると社会通念として通っている。


白肌に価値があると洗脳するかのようなCM

インド女性は顔貌(かおかたち)が美しい人が多い。とくに横顔を見るとその端正さが際立って目を離すことができない。

インドの男たちも自国の女性は東アジア(中国・韓国・日本)の女たちよりも美しいと言って憚らない。

もちろん個人差はあるので美醜の比較は一般論でしかないが、それにしてもインドの美しい女性は、世界中の美しい女性を圧倒的に引き離していて足元にも寄せつけない。

しかし、それでも肌の黒い自国の女と白い肌の東アジアの女がいたら、肌が白いというだけで東アジアの女性と一緒になりたいという男は多い。

白い肌は彼らの中では崇拝に値するものになっている。

女性もそれを知っているので、インドではやたらと美白化粧品が売れる。

たとえば、「Fair & lovely」という化粧品がインドにあるのだが、このコマーシャルは露骨だ。

黒肌で自信喪失の女性が見る見る白い肌に変身して輝く笑みを浮かべるのである。

あるいは、白い肌になったら注目されて成功して幸せになるようなコマーシャルが恥も外聞もなく流されている。

テレビに出てくる女性も、コマーシャルに出てくる女性も、映画に出てくる女性も、みんな判を押したかのように「白肌」だ。

インドは白い肌の人々だけが住んでいるのかと思わせるくらい、白肌俳優の採用が徹底していて、それがボリウッド映画が「夢うつつ」のような下らない内容のものにしてしまっている。

歌あり、踊りあり、シリアスあり、ドラマあり、アクションあり、サスペンスありでも、「真実」だけがない。それが、あまりに「黒」を排除するからだという遠因もある。


白肌崇拝を煽るコマーシャル。白い肌であることが重要であると洗脳するかのようなコマーシャルである。

黒は嘲笑の的になった

インドはインダス文明の担い手だったドラヴィダ族(黒肌)が、アーリア族(白肌)に征服されていく過程で生まれた国である。

アーリア族(白肌)はどドラヴィダ族(黒肌)を屈服させたあとに、肌で身分を分けた。

白肌は崇高で高貴であり、黒肌は劣っていて価値がないという身分制度である。ヴァルナで分けられた身分制度だ。

それをカーストと呼んで社会に定着させて、黒という色は「醜い」という意味を持たせるような徹底ぶりだったから、アーリア族の悪質さが分かる。

とは言っても、アーリア族はまったく躊躇なくドラヴィダとの混血を進めたから、もしかしたら実際には黒肌が劣っているとは思っていなかったのかもしれない。

本当に黒肌が「醜い」と思っていたのであれば、彼らと交わることなどなかったはずだ。

歴史はその逆の結果を見せつけている。インドほど白肌と黒肌の混血が進んだ国家はない。

口ではあれこれ言いながら、アーリア族はドラヴィダ族の女性が美しかったのを実は知っていたのだろう。これも、建前と本音の乖離であって、結果がすべてを物語っている。

肌が白くなったら、とても注目されて人気者になれるというメッセージを露骨に主張するコマーシャル。

黒は白に変えられた。そして、白は崇拝されている

インドでもっとも注意を惹くヒンドゥーの女神にシヴァの妃であるパールヴァティーがいる。

パールヴァティーは「白肌」だ。しかし、怒りに駆られると額が割れて、ドゥルガーという女神が飛び出して来る。

さらにドゥルガーが激怒していくと、今度は正真正銘の「真っ黒の神」であるカーリーに変異していく。

これはパールヴァティー(白肌)からカーリー(漆黒)の順番で語られている。

しかし、歴史から見ると逆だろう。

ドラヴィダの黒がアーリアの男の血を受けて白肌になっていったのだ。

だから、パールヴァティー(白肌)がカーリー(黒肌)になっていくのは先祖帰りであって、元々は「黒」がルーツなのだということを如実に示している。


黒肌のカーリー(左)と、白肌のパールヴァティー(右)。

ドラヴィダ族は征服されたのだから、内心では怒り狂っているのは当然だ。

カーリーがいつも怒り狂っているのは、そういった歴史の悲哀がそこに静かに込められているのであろうと推測している。

黒は白に変えられた。そして、白は崇拝されている。

しかし、インド圏で白が美しいというのは、白い肌の人が歴史の闘争に勝ったからであって、それ以外の何者でもない。

白い肌の人々が負けていれば、白が醜いヴァルナになっていたはずだ。

民族が闘争に負けるというのは、その民族の持つ特質が否定されることでもある。たとえば、日本人が闘争に負ければ、日本人の持つ何らかの特性は嘲笑の的になる。

ドラヴィダは民族闘争に負けて、インドの大地でその肌の黒さが嘲笑の的にされた。ヴァルナ(色)でその嘲笑が制度化されて、インドの歴史は黒を否定した。

私ひとりが黒い女性が美しいと思っていても、当の黒い肌のインド女性がそれを否定する。それでも、私は「黒」が好きだ。


黒い肌の女性が美しくないなんて、いったいどこの誰が考えついた冗談なのだろう。黒い肌の女性も、美しい。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120629T2225080900.html


2012-06-13
溜め息をつくしかない。あまりにも美しすぎるインド女性

インドは10年前までは貧困でしか語られることのなかった国だが、国民の1割でも中産階級になっていくと、10億人の1割は1億人なので、日本の人口と同じくらいの中産階級が生まれることになる。

こういった中産階級はもう貧困で語られることがなくなり、女性たちもまた華々しさを身につけ、アピールするようになる。

そうすると、撮られる写真もいよいよ豪華絢爛になっていくので、インド女性の美しさはいよいよ際立つことになる。


それにしても、この盛装

インド女性の美しさは以前にも写真で紹介した。「溜め息をつくしかない。あまりにも美しすぎるインド女性(1)」

(1)でも書いたが、インド人は「肌の白い」インド人が美しいと思い込んでいるので、まだまだインド中部〜南部を占める褐色のインド女性を美しく撮る写真家がいない。

いるのかもしれないが、あまり目立ってこない。

しかし、マジョリティをいつまでも無視することはできないから、やがては褐色の美しい女性が登場してインドの偏った美の概念(白肌信仰)が覆される時代が来るだろう。

それまでは、白肌のインド女性だけを見つめることになる。それにしても、この盛装はどうだろうか。溜め息をつくしかない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120613T1202200900.html

2012-07-17
美しいインド女性を、さらにゴールドで飾り立てるCMの数々


PRINCE FINAL
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=riLWMbUKt-o

Saravana Stores antiq jwelary HQ
http://www.youtube.com/watch?v=zWsv6D5BN2Y&feature=player_embedded

GRT Wedding and Celebration Jewellery
http://www.youtube.com/watch?v=5pLs4g7EVZo&feature=player_embedded

SHREYA GHOSHAL'S JEWELLERY COLLECTION FROM JOYALUKKAS
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=oZvgTbKe_Pw

Nathella Jewellery- Chennai, India
http://www.youtube.com/watch?v=CUXkYu_FZdo&feature=player_embedded

TANISHQ ARIA TVC
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=HciYNzlLLxc

東南アジアではゴールドは宝飾というよりも財産として考える。世の中が激変したときに紙幣は価値を失ってしまうことがある。

たとえば、ベトナムでは1970年代に米ソの代理戦争である「ベトナム戦争」が共産主義側の勝利となって、それを嫌った南ベトナムの人たちが大挙としてベトナムを逃げ出した。

あるいは、カンボジアでもロン・ノル政権が崩壊してクメール・ルージュが勝利したときも、共産主義を嫌った華僑もみんなプノンペンを捨てて逃げ出した。

現地の紙幣など、海外では何の役にも立たない。まして、カンボジアではポル・ポト政権が最初にやったのは「通貨の全廃」である。

現地通貨など屑も同然なのである。


ゴールドを好きだと言っても、それは財産保全のため

だから、東南アジアの人たちや華僑の人たちがゴールドを好きだと言っても、それは財産保全のために好きなのであって、ゴールドそのものが好きだというわけではない。

もちろん、ゴールドの宝飾に惹かれてアクセサリーを楽しむ女性もいるだろうが、それは特に目立って存在するわけでもない。

インドでも女性が小さなゴールドをたくさん身につけるのは、財産保全のためという理由もひとつにある。

なにしろ、つい10年ほど前までは、「銀行」すらも信用ならないと人々は考えていた。

なぜ他人の経営する得体の知れない「銀行」に自分の大切な金を預けなければならないのかと思っていたのだ。今でも大半は変わっていないかもしれない。

銀行などいつ倒産するかも分からないし、倒産したら必死で預けた金も戻ってこない。

だから銀行のコマーシャルも、「あなたのお金を、貯金しませんか?」と言うのではなく、「あなたのお金を、厳重な貸金庫に預けませんか?」というコマーシャルをやっていた。

そんな国だから、財産はゴールドに変えて持っておこうと人々は考える。

美しいインド女性を、これでもかと飾り立てる

しかし、である。

インドが他の国と違うのは、インドの女性たちは、本当に心から宝飾としてのゴールドも愛していることだ。

特に結婚式ともなれば、女性の身体は「動く金宝飾」と言っても過言ではないほどゴールドで着飾られる。

ゴールドだけではない。シルバーもダイヤモンドも、ありとあらゆる宝飾が女性の身体にまとわれる。

そのきらびやかさを見ると、本当にインドは「新興国なのか?」と驚いてしまうほどだ。

世界でもっとも現物としてのゴールドを消費するのは、インドである。これがいったい何を意味しているのかというと、インドの女性が、世界で一番ゴールドの宝飾を愛しているということだ。

いかにインドの女性たちが宝飾を愛しているのか、毎日膨大に流されるインドのテレビ・コマーシャルを見れば分かる。

美しいインド女性を、これでもか、と飾り立てるコマーシャルを、あなたにも見て欲しい。

結婚式ともなれば、インド女性は完全に「歩くゴールド宝飾」と化して見る者を圧倒する。娘が3人いれば破産すると言われるのがインドだ。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120717T2050130900.html

2012-07-05
憎しみが転化して生まれた最凶・最悪の女神カーリーの秘密

カーリー女神は、殺戮と血の神である。ヒンドゥー教の中でもっとも凶暴で、もっとも手の付けられない女神である。インド・コルカタで中心に信奉されている。

カーリー寺院では山羊がカーリー女神の生け贄として屠られるが、それはこの血を好むカーリー女神を鎮めるためなのだと言われている。

ある神話が残っている。

かつて、アスラ(阿修羅)族の悪魔が神々に闘いを挑み、その悪魔が神々に打ち勝ったことがあったという。そのせいで、神々が天界を放逐されてしまった。


殺戮の女神カーリーの伝説

神が天国から追い出されてしまったのだから、これは大変なことになった。神々は困り果て、そこでシヴァ神に救いを求めた。

シヴァ神の怒りと神々の憎悪は、やがて光となってひとつの形に結晶した。それが、ドゥルガーだった。

ドゥルガーは、シヴァの妻の身体が半分に割れて出てきたと言われている。

さらにこのドゥルガーが変異したのが、この世に並ぶべくもないほど凶暴な女神カーリーだった。

カーリーは「黒」という意味がある。

憎悪が結晶して生まれたこの女神の肌は真っ黒で、手には肉塊を切り刻む円盤、三叉の杖、肉切り包丁、そして人間の生首を持つという異形ぶりだった。

憎しみから生を受けたカーリーは、アスラ(阿修羅)に戦争を挑み、彼らを殺し続けた。

カーリーは残虐だった。腰には殺戮した死体の腕を巻き、手には血まみれの杯を持ち、首から髑髏を巻きつけた。

カーリーは高笑いを上げ、敵を次々と喰い殺した。

そして、ついにアスラを全滅させたにもかかわらず、カーリーの暴走はとまらない。

殺戮する相手を求め、死体を求め続けるカーリーだったが、殺す相手がいなくなり、勝利のダンスを狂気のように踊り始めた。

大地を踏み叩くそのダンスはいつまでも続き、世界が振動して壊れそうになった。

とめようとしてもカーリーは聞く耳を持たない。そこでシヴァ神はやむなく彼女の下にくぐり、カーリー女神が踊りをとめるのを待ったのだった。

やがてシヴァを踏みつけにしているのに気がついたカーリーは、やっと正気に戻って踊りをやめた。彼女は照れ隠しに長い舌をペロリと出したが、それは血で真っ赤に染まっていたという……。


インド・ヒンドゥー教でも最凶・最悪の女神と言われる殺戮神カーリー。踏みつけにしているのはシヴァ。

神話の裏には、白人と黒人の戦争があった

神々を追い出す悪魔。暴走するカーリー。困り果てる神々。

伝説や神話には大抵、その民族の歴史が巧みに織り込まれていると言われている。このカーリー女神の神話もまた血の歴史が覆い隠されている。

インドは古来、ペルシア・イラン人の襲撃を受けて来た。ペルシア・イラン人は血統的に言うとアーリア系民族である。

アーリア系民族が思い浮かばなかったら、白人の現代イラン人を見て欲しい。彼らはアーリア族だ。

そして、そのアーリア系はゲルマン、アングロ、サクソン、ラテン、スラヴ、ギリシアを含んでいる。つまり、コーカソイド(=白人系)の民族である。彼らは伝説ではアシュラと呼ばれる悪魔である。

一方、インドに土着していた先住民は、白人ではない。南インドのドラヴィダ族を見ても分かる通り、ハム(=黒人系)の民族である。彼らが神話では「神々」になる。

つまり、ヒンドゥー教での伝説では、枝葉末節の細かい部分を全部はしょってシンプルに言うと、こうなる。

白人=悪魔。(アーリア系)
黒人=神々。(ハム系ドラヴィダ族)

カーリーの伝説は、この白人(アーリア)と黒人(ドラヴィダ)の血まみれの殺戮戦争が元になっているのである。

いくつかの符号がそれを象徴している。

カーリーがシヴァの系統で語られ、しかも肌の色が「黒」であるという事実は、カーリーがドラヴィダ系だったことを意味している。

一方、敵方はアスラ(阿修羅)という象徴が与えられているが、これはかつてアーリア族が信奉していたアフラ(アフラ・マズダー)を指している。

アーリア族の言葉で言う「H」は、ドラヴィダ族では「S」に転化して呼ばれるという事実を合わせると、「アフラ」はまぎれもなく「アスラ」である。

最後に白人が勝って、身分制度が定着した

読み替えると、この伝説は何が言いたかったのか。それはこういうことだったのではないかと言われている。

・先住民族として黒人(ドラヴィダ族)がいた。
・白人(アーリア族)の侵入してきた。
・黒人は戦いに負けて追い出された。
・憎悪の燃えた黒人が立ち向かった。
・白人たちを皆殺しにした。

恐らく、遠い遠い過去に、インドの大地でそういった戦争があったのだろう。それが、神話として残したのではないかと推測できる。

「カーリー」は、同じドラヴィダ族さえ眉を潜めるような激しい殺戮を繰り返したひとつの集団(軍隊)を指していたのかも知れない。

あまりにも凶暴すぎてドラヴィダ族さえも手に負えない状態になって、そこで指導者(シヴァ)に何とか事態を収めてもらったのではないか。

もちろん、神話であり、その真意については様々な解釈があるので、一様にそれが正しいかどうかは分からない。

しかし、そういう解釈が成り立つ事態が過去にあったことは間違いないようだ。

しかし、時代が新しくなるたびに黒人勢力は白人勢力に破れていき、やがてどこかの段階で完全に屈服させられてしまったのだ。黒人は奴隷化されたということだ。

黒人の信仰する土着信仰(アニミズム)は残ったが、白人はバラモン教というものを持ち込み、「白人は偉い。黒人は奴隷」という身分制度を徹底させた。(色(ヴァルナ)。黒い肌は人間的に劣る人間だと制度化された)

それはカースト制度として定着して、やがてはアニミズムとバラモンが渾然一体化したヒンドゥー教が生まれて、それがインドに定着していった。

現代インドはもはやドラヴィダ族とアーリア族とさらにモンゴロイド系が幾多にも混じって混血している。

互いに互いを引き離すことはできなくなった。

しかし、その血の中に、異質な血が戦争という猛烈な主張を繰り返して交じり合ってきた歴史を持っており、インドの人々はそれを忘れることは決してない。

戦争というのは、ひとつの集団が別の集団を暴力で持って叩きつぶす激しい「主張」だ。

そんな主張が過去に凄惨な形で行われ、神話という形態で現在にも語り継がれているところにインドがある。

この女神を奉るカーリー寺院では、現代でも山羊や鶏が生け贄として捧げられているが、かつては少年が生け贄にされていた。

人間の生け贄は1835年に禁止されたという。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20120705T0338070900.html


2010年3月3日水曜日
サンスクリット語の「ダルマ」はカーストを定着させた卑劣な言葉だった


サンスクリット語に「ダルマ」という言葉がある。これは「義務」や「業」と訳されるが、「義務」という言葉で覚えれば分かりやすいかもしれない。

何の義務かというと、自分の運命を受け入れて、その運命をまっとうする義務である。

インドで運命と言えばすぐに「カースト」を思い出すが、これにダルマを重ねると、何が言いたいのかよく分かる。

ダルマというのは、自分のカーストを受け入れてそれをまっとうする義務のことを言っている。

統治のダルマだとか、宇宙のダルマだとかは枝葉末節の部類であり、カーストを守るのがとても大切な「ダルマ(義務)」であるというのがダルマという言葉の言いたいことである。

ダルマを守ることは大切であると言われている。誰が言っているのか? もちろん上位カーストの人々である。

それぞれのカーストは異なるダルマを持つ。そして、それぞれのカーストが自分に与えられたダルマを果たさなければならない。

カーストには大きく分けると以下のようになっている。

僧侶(ブラフミン)
兵士(クシャトリア)
商人(ヴァイシャ)
農民(シュードラ)
ーーーーーーーーーーー
不可触民(ダリット)

上から順番に権力を持つカーストで、一番下の不可触民(アンタッチャブル)というのは、カーストすら属していないので「アウト・オブ・カースト」だと説明される。

生まれたときに子供は親のカーストを受け継ぐことになっている。

一番偉いブラフミンの子供はブラフミンである。そして、不可触民の子供は不可触民である。

身分が固定されている。

教育から待遇まですべて差別されて、どんなに優秀な子供であっても、不可触民であれば教育すら受けさせてもらうことはできない。

他のカーストは彼らと接するべきではないとされていた。だから、「触ることが不可な民=不可触民」なのである。

上位カーストは、誰であっても不可触民が用意した食べ物や飲み物を食べることを禁じられた。

いや、不可触民が触った食器すらも忌避されたし、不可触民を見ることすら「穢れる」とされたのである。

マヌ法典というものがそれを詳細に記しており、このマヌ法典こそがダルマ(義務)を説いているのである。

カースト制度で読み書きが許されるのはブラフミンだけである。

日本人なら、これが「士農工商、穢多非人」という身分制度を持っていた江戸幕府のことを思い浮かべるかもしれない。

まさに江戸幕府はインドのカーストを参考にして作られた制度である。不可触民は、穢多非人と同様の立場になる。

カーストは人間を「人間ではない」という制度である。ダルマはそれを受け入れてその立場を守る義務を果たせ、という意味である。

ダルマという言葉は、身分を固定させるために考えられた卑劣な言葉であることが窺える。
http://www.bllackz.com/2010/03/blog-post_03.html

2013-01-13
ディーバ。アプサラ。巫女。神聖なる女性に隠された闇とは?


今から1000年ほど前、ちょうどインドで大勢力を誇っていたのがチョーラ帝国(チョーラ朝)だった。

最盛期のチョーラ帝国は現在のインド・ベンガル州からバングラデシュを抜け、東南アジア南部、あげくにインドネシアまでを含む大帝国だった。

そして、インドのみならずアジア一帯のあちこちに石窟寺院を残している。

こういった寺院には非常に多彩で複雑な彫刻が施されているが、そこに描かれている女性が、「デバダシ(Devadasi)」である。

チョーラ帝国の時代、寺院で信者ややってくる人々に踊りや歌やサービスを提供する女性たちがいた。

彼女たちが「デバダシ」と言われる存在であり、初期は恐らく崇高で崇められる女性たちであったと思われる。

若干ニュアンスは違うが、日本の巫女(みこ)を想像すれば、彼女たちの存在は分かりやすいかもしれない。


ディーバ、デバダ、デバダシ。この共通点

アンコールワットもびっしりと女性の彫刻が施されているが、彼女たちはデバダ(Devada)と呼ばれており、やはりチョーラ帝国のデバダシと同様の役割があった。

こちらはよく「仙女」と訳されている。現代のカンボジアでは、仙女と言えば、デバダという古語ではなく、アプサラという言葉のほうが使われている。

ベトナム戦争からポルポト政権の激動を生き抜いたカンボジアのシハヌーク王は、ことさらアプサラたちが踊るのを見るのが好きだったと言われる。

あの手首を独特に回すアプサラたちの踊りは確かに優雅で美しく魅力的だ。歌や踊りの訓練を受けて、寺院に来る人々を魅了したデバダシ、デバダ……。

ヨーロッパではオペラ歌手のプリマドンナのことをディーヴァ(Diva)というが、これは「歌姫」と訳される。

今はもう歌姫というのはオペラのプリマドンナのことだけではなく、カリスマのある女性歌手はみんな歌姫(ディーヴァ)と言うようになっている。

この Diva というのが、Devadasi、Devada に近い語感があるので、もしかしたらチョーラ帝国のデバダシから派生した用語なのかもしれない。

Devadasi
Devada
Diva

並べて見ると、一目瞭然だ。


デバダシ・カーストの女性。チョーラー帝国の巫女がデバダシだ。


神聖なるものと裏返しの、「闇」が存在している

1981年にはフランスでそれを題名にしたディーヴァという映画が公開されているが、出てくるのはオペラ歌手であり、これに映画の主人公と「娼婦」が絡んでくる。

このフランス映画の監督が、ディーヴァと娼婦を登場させたのは、深い意味があったのかどうかは知らない。しかし、それほど奇妙な取り合わせではなかった。

カンボジアの仙女(アプサラ)をことさら愛したシハヌーク国王だったが、かつてアプサラは歌や踊りだけではなく、妖艶な「性の化身」でもあった。

そして、ポルポト政権からその崩壊までの東南アジア史上最悪のジェノサイド(大量虐殺)を生き抜いたアプサラたちは、その貧しい教え子たちに踊りを継承させることになる。

しかし、教え子たちは踊る前に生きる必要があり、若い女性が売春に駆り立てられていたのが1980年代以降の現状だった。

2000年に入っても、アプサラ志願の女性は、相変わらず売春ビジネスをしていた。(アプサラを踊る娘。貧困地区に棲む天使(アプサラ)の笑み)

日本の巫女はかつては処女性が重視されていたのだが、一方で密教の巫女には「性の儀式」もあったという噂もあって、その姿は一様ではない。

宗教の裏側で、なぜか神聖なるものと裏返しの、「闇」が存在しているのである。神聖なる女性に隠された「闇」とは、すなわち「セックスの提供」だ。

巫女はかつて漢字で「神子」と書くこともあった。

そして、「神子」と言えば、英語では「シャーマン(shaman)」、すなわち呪術師と同一にされている。

だから、巫女を Devada ではなく、Shaman と訳すのが正しい現代語かもしれない。


写真はカンボジアのアプサラ。カンボジアのアプサラは「仙女」。インドでのアプサラは「水の妖精」になる。


現在、デバダシは寺院に囚われた「娼婦」

シャーマンとはシャーマニズム(呪術)を通して神と交信する人なのだが、密教系のシャーマンは、しばしばセックスを通して神と交信する。Shaman と Devada と 性がここでも結びついている。

密教と言えばキリスト教にも拝蛇の密教があって、その教義は性と結びついていた。

キリスト教は歴史的にも数々の異端の教え、異端の集団を生み出しており、セックス教団も数多く存在する。これらの教団に属する女性たちは信者であって、デバダでもある。

では、チョーラ帝国のデバダシはどうなっているのだろうか。

もともとインドは神々と性は別に秘されているものではない。神々が何百日にも渡ってセックスをやめなかったような伝承が残っているくらいで、リンガ・ヨーニに至っては、それが何を意味しているのか誰もが知っている。

シヴァリンガというのは、シヴァ神の男性器をそのまま現しており、ヒンドゥー寺院にはそれらのシンボルが安置されている。女性たちは男性器に礼拝し、油を先端に差す。

リンガ・ヨーニのミニチュア版もインドではどこにでも売っているが、それらはすべて聖なるものであり、礼拝に欠かせないものである。

ヒンドゥー教というのはそのような宗教であり、はじめてインドにやってきてトラヴィダ人やタミル人と接したアーリア人は、その土着のアミニズムに取り込まれて、今では彼らもインド人でありヒンドゥー教徒になった。

そして、そのヒンドゥー教の中にデバダシはしっかりと根づいているが、時代が繰り上がるたびにデバダシは世俗化し、カースト化し、そして意味合いが変質した。

現在、デバダシは寺院に囚われた「娼婦」として残されており、一種の売春カーストになってしまっているという。

貧困家庭が子供をデバダシとして売り飛ばし、少女は性奴隷としてずっと売春をしながら生きていく。

聖女、巫女、神子、仙女、歌姫、と様々な単語や意味となって世界の歴史をくぐり抜けてきた Devadasi が、最後には売春カーストとなっているわけだ。

男は誰でも彼女たちを金で買うことができる。しかし、かつての神聖なる姿がそこにあるのかどうかは分からない。


デバダシ・カーストの女性。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130113T0403570900.html

2011年2月4日金曜日
無意識を自覚する方法。自分が何に洗脳されているか、一瞬で知る方法


インドの女性は歌が好きだ。

インド・コルコタにいたとき、ひとりの女性が口ずさむように、静かで優しい歌を歌ってくれたことがある。

彼女は普段はどちらかと言えば粗野な喋り方をする女性で、感傷的な感情をほとんど持っていないようにも見えた。

しかし、物憂げな部屋の中で暇を紛らわすように歌ったその歌は、とても感傷的なリズムで、抑制された美しい声に私は聞き惚れて涙がこぼれそうになった。

マントラという歌

声のトーンも彼女の普段の粗野なものが消えていて、まるで彼女が別人になったかのような不思議なものであった。

「それは何の歌だい?」と尋ねると、彼女は部屋の神棚に飾っている私の知らない神の写真を指さして「昔の歌(Old Song)よ」と答えた。

確かにそうだろうと思う。街の騒々しいボリウッドソングとはまったく違った趣(おもむき)の歌だった。

そのとき、私は知らなかったのだが、のちにこのような歌をマントラというのだと分かった。

マントラという言葉は初めて聞く言葉ではない。それは呪文だか呪術だとか、そういうニュアンスで私は覚えていたので、歌までマントラという括りをすることに驚いた。

今となっては彼女がアカペラで歌ったそのマントラがどんなものだったのか旋律が思い出せないのだが、その歌を聞いたときの感情は生々しく思い出すことができる。

美しい歌を聞いたときの感動の震えがそこにあった。そして、ずいぶん後になって私は「これは危険だな」と意識したのだった。

美しさに取り込まれてしまいそうなのが分かっていた。

その歌がマントラなのであれば、その歌の先にヒンドゥー教が待っている。


ガヤトリ・マントラ

人は美しい歌を聞いて感動し、その歌の世界観に浸って自分の心を癒すことができる。

宗教はそういった歌の効用をよく知っていて、それを巧みに使って心を操っていく。

キリスト教徒は賛美歌やゴスペルに涙を流す。

たとえば、「アメイジング・グレイス」や「What A Friend We Have In Jesus」などをじっくり聞いていると、キリスト教徒は涙がとまらなくなるという。

人口に膾炙する美しい旋律(リズム)と、その詩の内容の優しさが加わって心に響くようだ。

インドのマントラも美しい旋律のものがいくつかあって、ガヤトリ・マントラ(GAYATRI MANTRA)などはよく知られている。

ただ、古い歌にはよくあることだが、ひとことでガヤトリ・マントラと言っても、膨大な種類のリズムと歌詞があって、同じ歌でもまったく違うように聞こえる。

私が聞いているガヤトリ・マントラは YouTube で見つからないのだが、近いのはドイツ出身の歌手、デヴァ・プレマールの歌うガヤトリ・マントラかもしれない。

Deva Premal and Miten - Gayatri Mantra
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=d63COahIpVM

Om bhur bhuvah svaha
tat savitur varenyam
bargo devasya dhimahi
dhiyo yonah prachodayat

彼女はドイツ人だ。なぜドイツ人女性がヒンドゥー語でガヤトリ・マントラを歌っているのか最初は戸惑った。

調べてみると、彼女は子供の頃から父親にマントラを聞かされていたらしく、その影響が強かったようだ。

こういった珍しい経歴の人もいる。彼女は歌を通してヒンドゥーに取り込まれていた。

欧米でも、このようなヒーリング的なものを求める人たちにはよく売れているようだ。

人は、このような歌から精神世界や宗教に取り込まれていく。その典型的な例がマントラの旋律にあった。

美しさは無条件に人の心に染み入っていく。

そして何度も何度もそれを繰り返すことによってその歌の世界が自分の感情と同化していく。

そこに宗教的なメッセージがあれば、歌と同時に人はそれをも無意識に受け入れてしまう。歌が美しいゆえに拒絶反応すら起きることがない。

美しい旋律の歌が人生を変える

これは一種の巧妙な洗脳とも言える。

アメイジング・グレイスやガヤトリ・マントラのような美しい旋律の中に宗教を散りばめて人々を取り込んでいくのである。

教会や寺院で人々は何をやっているのか。賛美歌を歌っているのではなかったか。

賛美歌は神を讃える歌詞をリズムに載せたものである。それを皆と一緒に歌い、感動を共有し、その宗教と一体化する。

日本が無神論者のような人が多いのは、仏教が美しい歌を「開発」しなかったからだと私は強く思っている。

念仏は眠気を誘うが宗教心を芽生えさせない。そういう意味で仏教の親玉は他の宗教と比べると知恵が足りなかったのだろう。

ヒンドゥー教もキリスト教も、歌だらけだ。

インド人は幼い頃からマントラを聞いて、歌って、その世界観の中で生きていき、成人する頃には頭の中はその思考から離れられない。

あの真っ青な荒唐無稽な神は私にとっては単なる滑稽なフィクションだが、彼らにはそうではない。それが自分の血肉に染み付いた大切な精神世界なのだ。

同じことがキリスト教にも言える。あの十字架にぶら下がっている死体は、やはり私にとっては滑稽なフィクションだが、彼らはそれを「なんという友、私たちのジーザスよ」と感極まっている。

子供の頃からくり返しくり返しそれを聞いて、それを歌い、それが思考の基盤になっていている。

父親も母親も、そして兄弟も地域社会も、自分のまわりがすべてそのひとつの宗教に染まっている。

そこまで行くと、その宗教を否定することは両親や地域社会や文化をすべて裏切ることになる。

美しい歌があり、心地良い思い出がすでに蓄積されている。だから、いくら荒唐無稽だとしても、その宗教を否定することなどできなくなってしまっている。否定する意味もない。

そして、村ぐるみで、町ぐるみで、国ぐるみで宗教を擁護し、それを認めない者を「自分を否定した」と憎むようになる。


アメイジンググレイス
http://www.youtube.com/watch?v=uofG9z66LXg&feature=player_embedded#!

多くの国の美しい曲

たったひとつの美しい旋律の歌が、そのような篤い宗教心の人間を生み出しているのは間違いない。

私が感銘を受けたガヤトリ・マントラは、その一曲で私をヒンドゥー教に向かわせる威力もあったはずだ。

美しい旋律の曲が人生を変えるというのは本当だ。自分の気に入った歌を思い出して欲しい。

あなたは無意識にその歌の世界をなぞって生きているはずだ。

それに気がつかなかった人もいるかもしれない。そして、それに気がつくと、恐ろしくなる人もいるかもしれない。

あなたが子供の頃から知っている好きな歌が、あなたを洗脳した歌だ。そして、その歌の世界が、あなたの世界観である。

あなたの自分の世界観は、実はあなたが考えた世界観ではなく、歌で洗脳された世界観だ。

あなたが何に洗脳されたか知る方法は、あなたがどんな歌が好きなのかを思い出すだけでいい。

自分の愛する歌は、それ自体が自分の感情に対する訴えかけを失ってからもずっと後まで、意思決定や性格形成に影響を与え続ける。

私がガヤトリ・マントラでヒンドゥーに染まらなかったのは、理由はひとつだ。

私は、タイでタイの美しい歌に聞き惚れ、カンボジアでカンボジアの美しい歌にしっとりとし、インドネシアでやはり美しい歌に心を奪われた。

多くの国の美しい曲が、私をひとつの思考や哲学や宗教や国にとどまらせるのを許さなかった。
http://www.bllackz.com/2011/02/blog-post_3799.html



05. 2013年3月03日 07:51:55 : W18zBTaIM6

インド 酒に酔った6人の男にレイプされた女子大学生死亡 
鉄の棒で性的暴行を受け腸管を損傷
2013-01-31


殺害されたジョティ・シン・パンディ(Jyoti Singh Pandey)さん(23)/大学生


・事件直後に警官も通行人も見向きもせず、裸同然にされた女性を助けようともしてくれなかった

・バスに乗り込んだ2人は、運転手を含む酒に酔っていたとみられる男たちに襲われ・・・バスを運転していた男がわいせつな発言をし、仲間がそれに同調してカップルをやじり始めた

・抗議運動のきっかけは、16日夜にニューデリーで起きたレイプ事件だ。
女子学生(23)が友人男性と私営乗り合いバスに乗ったところ、別の男に「こんな時間に何をしている」といいがかりをつけられた。
その後、酒に酔った6人にレイプされ、鉄パイプで暴行を受けたうえ車外にほうり出された。 女性は重体で腸を摘出する手術を受けた。 犯人は全員逮捕された。

・鉄の棒で性的暴行を受け、腸管を損傷していた

・女性は重体で腸を摘出する手術を受けた

・病院側によると、臓器不全を起していたという

・死亡した女性の担当医によると、女性は事件で体や頭部に重傷を負い、臓器不全を起こしていた

・鉄棒で殴られるなど残忍で

・インドでレイプ犯罪は多発しており、幼児が被害者となるケースもある。
インド紙ヒンドゥスタン・タイムズによると、2010年は報告分だけでも2万2千件あり20年間で倍増した。

・女性は約1時間にわたって暴行、レイプされた後、車外に放り出された。

・被害女性は逃れようとして容疑者のうち3人にかみついたと報じられている

・被害者をひき殺そうとした疑いも浮上


「彼女の状態は相当深刻で、たくさん出血していた」と語るのは、最愛の恋人を失った男性。

自らも重傷を負った事件は、あまりにもむごいものだった。

2012年12月16日の夜、インドの首都ニューデリーで、バスに乗った恋人同士の2人が、6人の男に暴行を受けた。

2人のうち女子大生は、1時間近くにわたり、レイプされたうえに鉄の棒で殴られ、その後、走行中の高速道路で、バスの車内から投げ捨てられた。

被害女性と交際していた男性は「3台の警察車両が止まっていたけど、(警察官らは)何の事件かわからないみたいで、ただ、ぼうっと見ているだけでした」と話した。

女性は、しばらくしてようやく病院に搬送されたが、12月29日に亡くなった。

被害女性と交際していた男性は「もし1人でも、誰かが助けてくれていたら、こんなことにはなっていなかった」と話した。

最近、女性の旅行先として人気が高いというインドでの事件に、街の人は

「(友人が)ガンジス川に入ったりとか、そういう行っているのを見てすごいなと。
価値観が変わると聞いたので、いいなと思ったことはあります」、

「ひどいですよね。女性って、社会的に力の弱い人間なので」


などと話した。デモの参加者は「政府はクズだ」と話した。


インドでは、強姦(ごうかん)事件が急増していて、2012年は2万4,000件と、10年間で1.5倍になっている。さらにインドでは、警察の女性に対する対応が、男性への対応と大きく違うという。

日本に住むインド人は

「警察は(事件が起きても女性に)注意を払おうとしないし、女性が何を言っても、ちゃんと聞こうとしない」、

「夜に1人でどうして出歩いているんだと、女性の方の過ちにされる」

などと話した。


昔からの女性差別が根強く残り、女性への犯罪についても取り締まりが甘いというインド。

女性への残忍な犯行は、レイプだけではなかった。

ソナリ・ムカルジーさん(28)は、10年前に日ごろから男に性的嫌がらせを受けていたが、それを拒否すると、3人の男に顔に酸をかけられ、大きな被害を受け、両目は光しか見えない状態になってしまったという。

ムカルジーさんは「この顔のせいでわたしにとって人生は大きな痛みです」と話した。

以前からインドでは、こうした男が女性に酸を浴びせるという凶悪事件が頻発していた。

インドには、こうした酸を浴びせる行為を取り締まる特別な法律はないという。

莫大(ばくだい)な治療費のねん出に困っているというムカルジーさん。

追い詰められたムカルジーさんは、2012年7月、自らの安楽死を許可してくれるよう、政府に要請するまでにいたった。ムカルジーさんは

「正義を求めて、わたしは今まで政府にさんざん訴えてきましたが、もう疲れました。正義をくれないなら、 もう安楽死を選ぶしかありません」

と話した。
(2013/01/11 18:38)
http://news.livedoor.com/article/detail/7299811/


インド女性暴行“誰も助けてくれず”2013年1月5日 18時6分

インドの首都ニューデリーで女性が性的暴行を受けたうえ死亡した事件で、女性と共に被害に遭った交際相手の男性が

「暴行のあと2人とも路上に裸で放置され、助けを求めたが、誰も助けてくれなかった」

と証言し、国民の間でさらに衝撃が広がっています。この事件は、インドの首都ニューデリーで、先月16日、23歳の女性がバスの中で複数の男から性的な暴行を受けたうえ、バスから放り出され、その後、死亡したもので、女性への性犯罪に対する取り締まり強化を求める運動が、インド全土に広がっています。

事件では、女性と共に交際相手の28歳の男性も暴行を受けており、4日、この男性が初めてインドのテレビ局のインタビューに応じました。そして、

「2人とも大けがをして、路上に裸で放り出されたため、大声で助けを求めた。車やバイクなどが私たちのそばで止まったが、そのまま走り去り、誰も助けてくれなかった」

と証言しました。さらに、男性は

「およそ45分後に警察官が到着したが、どの警察署の管轄かを巡って警察官同士が議論をし、その間、放置されていた。 バスから放り出されてから病院に搬送されるまで1時間半もかかった」

などと話しました。この事件を巡っては、警察のずさんな対応への批判が強まっていますが、今回、警察だけでなく一般の市民も被害者に冷淡な対応をしていたことが明らかになり、
国民の間でさらに衝撃が広がっています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130105/k10014603511000.html


インド女性暴行死事件、恋人男性が絶望を語る 2013年01月05日 15:29

インドの首都ニューデリー(New Delhi)で前月16日、女子学生(23)がバスの中で男6人から性的暴行を受け死亡した事件で、一緒に襲われた恋人の男性(28)が、
自分たちが受けた残虐行為や、強姦犯らを退けられなかったことで自らが負った心的外傷について語った。

約1時間にも及んだ犯行で、脚の骨を折られるなど自分も大けがを負った男性は、事件直後に警官も通行人も見向きもせず、裸同然にされた女性を助けようともしてくれなかったと悲観した。

ニューデリーのコンピューター・ソフトウエア会社に勤務している男性は事件後、仕事を休み、インド北部の地方部にある実家に身を寄せている。

「語れることなんてない。起こってはならない残虐行為だった」。

ウッタルプラデシュ(Uttar Pradesh)州ゴラクプル(Gorakhpur)の実家から、匿名でAFPの電話インタビューに答えた男性はこう続けた。

「(最初は)男たちと戦おうとしたけど、後はひたすら彼らに、彼女(被害者の女性)を放してくれと懇願するばかりだった」

2人は事件の夜、映画を見に出かけたが、ニューデリー郊外にあった被害者女性の家へ帰るために人力タクシーを拾おうとして何台かに断られた後、個人バスに乗ることにした。

しかしバスに乗り込んだ2人は、運転手を含む酒に酔っていたとみられる男たちに襲われ、女性は集団に強姦された上、鉄の棒でも内臓が激しく損傷するほど性的暴行を受けた。

一連の残虐行為の後、2人は運転中のバスから突き落とされたが、そのときに通行人たちが助けに来てくれなかったとも男性は語った。

「通行人が1人、僕たちに気付いたけど、(裸同然の)彼女にジャケットを貸してもくれなかった。僕たちは警察が助けに来てくれるのを待った」

しかし警察も無神経で、被害を受けた2人の精神状態に注意も払わなかったと男性は批判した。

被害者の女性は病院に搬送されたものの、男性のけがと精神的ショックに対するケアはなかったという。

「駆けつけた警察には物のように扱われた。彼らは事件の解決にだけ夢中で、僕の治療は二の次だった」
 
男性は4日、事件後初めて公の場に姿を現し、現地のヒンズー語系ケーブルテレビ局「Zee News」のインタビューに苦悩に満ちた様子で答えた。

「バスに乗るのは乗り気じゃなかった。けれど彼女が早く帰らなくてはいけなかったので2人で乗った。今まで自分が犯した中で最悪の過ちだった。
その後、何もかも滅茶苦茶になった」
 
バスを運転していた男がわいせつな発言をし、仲間がそれに同調してカップルをやじり始めたとみられる。

被害者の男性は運転手にバスを止めるよう言ったが、その前に仲間がバスの2か所のドアをロックしていた。

「そして彼らは短い棒で僕を殴りつけ、彼女を運転室近くのシートにひきずり込んでいった。それから運転手と奴らは彼女を強姦し、さらにこれ以上ない最悪の方法で局部を痛めつくした。あのときのことを思うと、言葉になんてない。苦しすぎて震えてくる」

男性はさらに女性が最初に搬送された公立病院で受けた救急治療についても、適切だったかどうか疑問を呈した。

女性はインドの公立病院で3回の大手術を受けたが心停止し、シンガポールの専門病院へ搬送された。

事件発生から13日間にわたる救命治療の甲斐なく、12月29日に亡くなった。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2919030/10053734


インド集団暴行事件 女性に危害が及ぶまでを時系列で追う 2013-01-14


昨年12月16日の昼下がり、インドの首都、ニューデリーである若い女性が友人の男性に会うために電話をかけた。

「さっさと起きて。もう午後1時よ」

2人は会う約束をした。

世界を震撼させることになる暴行殺人事件はこの何気ない外出から始まった。

ニューデリーの20代の若者がちょっとした買い物や、インドの経済発展によってもたらされた魅力を少しだけ味わうために集うおしゃれなショッピングモール、セレクト・シティウォークで2人は待ち合わせた。

ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のインタビューに応じたこの友人によると、娘を意味する「ビティア」という愛称で家族に呼ばれていたその若い女性は、
店のウインドーに飾られたロングコートに見ほれていたという。

友人は、後日にそれを彼女に買ってあげようと思ったそうだ。

そのあと、2人は映画『ライフ・オブ・パイ』を観た。

以前、『ガリバー旅行記』を一緒に観たときに座ったのと同じ座席だった。

その数時間後、2人は裸で、血を流した状態で無許可営業のバスから幹線道路脇に放り出された。

警察によると、2人は鉄の棒でひどい暴行を受けていたという。

若い女性は強姦され、13日後の12月29日に治療を受けていたシンガポールの病院で息を引き取った。

社会の自由化や経済の活性化が進んだにもかかわらず、首都の街路であろうと地方の村の小道であろうと、インドの女性は脅威にさらされている。

彼女の死は、こうした脅威に対する内省の機運を高めるきっかけとなった。

一世代で生活を向上させるという、この国の多くの人が追い求める現代のインディアンドリームを彼女の人生は体現していた。


被害女性の横顔

共に事件の被害者となった28歳のソフトウエアエンジニアの男性を含む家族や友人にWSJはインタビューし、彼女の生活の詳細を知ることができた。

被害男性は処置を受けて退院したが、怪我が完治したわけではない。

レイプの被害者の身元に関するインドの法律に従ってここでの彼女の実名報道は差し控える。

7000ルピー(約1万1000円)の月給で空港に勤務する父親を持つ彼女は、カースト制度における農民階級出身の一族で初の専門職に就こうと心に決めており、その実現の一歩手前まで来ていた。

彼女は理学療法士になることを目指してヒマラヤ山脈の麓にある都市の大学に在籍していた。

家族や友人によると、彼女はその学費を稼ぐために、夜間はアウトソーシング企業で働き、住宅ローンに関するカナダ人からの問い合わせに応じていたという。

自分で使える分が貯まると、彼女はその使い道を考えるのを楽しんでいた。

最近はサムスン電子のスマートフォンに目を付けていた。

いずれは高級車のアウディに乗りたいという夢も持っていた。

ソフトウエアエンジニアの友人によると、彼女は「大きな家を建てて、車を買って、外国に行って、そこで働きたい」と話していたという。

彼女を強姦し、殺害したとされる5人の男が7日、ニューデリーの裁判所に初出廷した。

男たちの顔はグレーのウールキャップで覆われていた。

5人全員が誘拐、強姦、殺人、その他の容疑で起訴されており、有罪が確定すれば死刑となる。

6人目の容疑者は未成年であるため、少年裁判所で審理される。

被告人たちの弁護士から話を聞くことはできなかった。

被害女性の家族はもともとウッタルプラデシュ州のバリアに住んでいた。

女性の父親によると、「より良い生活」を求めて30年ほど前に首都ニューデリーに移り住んだという。

父親は電気製品の工場で機械工として13年間働いたあと独立し、10年ほど電圧計を組み立てる工場を営んだがうまくいかず、病院の警備員としても働いた。

3年ほど前、父親は空港で荷を積む仕事に就いた。娘と息子たち(17歳と15歳)の教育費を捻出するために所有していた小さな土地の半分を売ったりもした。

一家の住まいはマハビールエンクレーブの靴屋、酒屋、宝石店などが立ち並ぶさびれた通りから一本入った幅2メール弱の路地に面している。

ニューデリーの豊かになりつつある中流層向けアパートの建設に従事する出稼ぎ労働者が多く住む地域である。

身長160センチ、体重41キロと華奢な体格の彼女と、まくら投げをして遊んだことを弟たちは懐かしく思い出す。

学校の成績が優秀だった彼女は、他の子供に勉強を教えることで小銭を稼げた。

かつてのクラスメイトのニシャさんは「彼女がクラスでいちばん頭が良かった」と振り返る。

ビティアは当初、医者になりたがっていた。

ところが父親には高額の授業料が払えず、銀行から融資を受けるのに必要な保証人も見つからなかった。

そんなとき、ヒマラヤ山脈の麓にある都市、デヘラードゥーンにあるサイ・インスティテュート・オブ・パラメディカル・アンド・アライド・サイエンシズは、
より手頃な学費で受講できる4年半の理学療法士コースという別の選択肢を提示してくれた。

彼女は2008年11月に同校に入学した。同校の卒業生は3万ルピー(約4万8000円)近くの月給を得ることが見込まれている。

彼女にとってこれは父親の給料の4倍以上となる。

学校のスタッフや友人によると、彼女は正午から午後5時まで授業を受けていたという。

学費を支払うために働いていたコールセンターでは、午後7時から午前4時までのシフトに入り、カナダ人からの住宅ローンに関する質問に対応し、複数の従業員の監督も任されていたという。ただし、この会社の所在はつかめなかった。

理学療法士学部部長のバワナ・ガイ教授によると、デヘラードゥーンの学校に来た当初の彼女は地味で伝統的な服を着た内向的で従順な学生だったという。

それでも授業が進んでいくうちに、彼女の心は開放されていった。

彼女は寮を出て、2人の友人とアパートに住んだ。

学校のダンス発表会では振付や司会もするようになった。

英語が達者だった彼女は熱心な読書家で、特にシドニー・シェルダンの小説を好んで読んだ。

インド人作家チェタン・バガットによるベストセラー小説『One Night @ the Call Center(コールセンターでの一夜)』も気に入っていた。

金銭面で楽になることはなく、彼女は学業とコールセンターの仕事の両立でかなり無理をしていた。

彼女のルームメイトの1人、シーン・カウラさんはインタビューで彼女が「2時間ほどしか寝ていなかった」と述べている。

彼女が支払った学費の総額は29万円ほどになる。

そうしたなかでも彼女はファッションを見る目を養っていった。

弟たちによると、彼女はショッピングモールで高価で買えない服を見つけると、市場で売られているものを改良してそれを再現したという。

彼女はハイヒールが好きで、靴の収集もしていた。

彼女は昨年10月、理学療法士コースの修了に欠かせないボランティアのインターンシップ先を探すためにニューデリーに戻った。

事件当日

事件があった12月16日、彼女の家族は家に集まっていた。

彼女は母親と一緒にヨーグルトソースがかかったフリッターやインド風揚げパン、プリなどの昼食を作った。

彼女と弟たちは、父親の分からつまみ食いをするのは誰かといったことでからかい合った。

昼食後、父親は空港での仕事に出かけた。

午後2時からのシフトだった。

彼女も電話で約束した友人とショッピングモールで会うために出かけていった。

2人は長年にわたる友人同士で、交際しているわけではなかった。

ショッピングモールで、友人は彼女の髪に白、金、赤色のメッシュが入っていることに気付いた。

彼女にどう思うかと聞かれた友人は、あまりいいとは思わなかったが、彼女に気を遣って「悪くないよ」と答えた。彼女に少しやせ過ぎだとも言った。

すると彼女は「この体形を手に入れるために多くの人が苦労しているのよ」と言い返した。

彼女が大いに気に入っていたと友人が話す『ライフ・オブ・パイ』を観終えると、2人は料金が安いオートリキシャ(3輪タクシー)を拾い、ニューデリー南部の主要幹線道路沿いのムニリカに向かった。

そこは自宅方面に向かうバスに乗るのに好都合な場所だった。

警察によると、同じ日の夕方、そこから約8キロ離れたラビダスキャンプとして知られている300ほどの住居からなるスラムではラムとムケシのシン兄弟が鶏肉と酒でちょっとしたパーティを開いていた。

ラム・シンは無許可営業バスの運転手だった。

そこに地元のジムで助手として働き、月に3500円ほどを稼いでいる若者、ビネイ・シャーマが加わった。

その母親、チャンパ・デビさんによると、ビネイは家でテレビを観ていたが、その友人で地元で果物売りをしているパワン・ガプタが訪ねてきたという。

最終的にこの2人は、路地の先に住んでいるシン兄弟と合流した。

もう1人の男と未成年を含むこのグループは、ラム・シンが運転するバスで、警察が言うところの「危険なドライブ」に繰り出すことにした。

警察によると、若い女性とその友人が待っていたバス停にそのバスが乗りつけたのは午後9時15分前後だったという。

バスに乗っていた男たちは若い女性の自宅近くのドワルカまで乗せていくと約束した。

友人の話では、容疑者のうちの4人は普通の乗客を装っていたという。

一味の1人が運転手のシンを除く乗客から運賃として1人約17円を徴収した。

友人によると、容疑者たちは彼女をわいせつな言葉でからかい始め、それがケンカに発展したという。

その友人は何人かの男たちに鉄の棒で殴られ、気を失ってしまった。

大使館や海外駐在者の住居が多い高級住宅地であるバサントビハールを通過するなど、バスはその後部で女性が強姦されているときも走行し続けていた。

約40分に及ぶ犯行のあと、バスはスター、ビーナス、ハイウェイクラウンといった空港周辺の旅行客をターゲットにした安ホテルのネオンサインが並ぶ通りに停止した。

警察と被害にあった友人によると、男たちは道路脇の枯れ草だらけの埃っぽい場所に裸の2人を置き去りにした。

女性は意識がほとんどない状態で倒れていた。

その友人は頭部の傷から血を流しながらも立ち上がると、両手を大きく振って通りかかる乗用車に助けを求めた。

20分以上ものあいだ、1台の車も止まってくれなかった。

この付近で働いている数人の話では、午後10時ごろに、最初に2人を助けたのは幹線道路の建設と運営をしている会社DSCの2人の従業員だった。

同社はこの件に関してコメントを避けている。

この時の事情をよく知る人物によると、DSCの従業員の1人が警察に通報したという。

その直後、近くのホテルで働く28歳のがっしりとした体格のマネジャーがバイクで帰宅の途についた。

そのマネジャーは現場をいったん通過したが、男性の顔を伝う血に衝撃を受けてすぐに引き返した。

マネジャーはホテルに戻り、警察の到着を待つ間にからだを覆うためシーツと飲料水を2人に与えた。

あるDSCの従業員は女性にセーターを、その友人にシャツを提供した。

ようやく警察が到着したのは、2人が道路脇に置き去りにされてから約45分後のことだった。

女性が警察によって現場から13キロほど離れたサフダージン病院に搬送されているころ、家族も心配を募らせ始めていた。

というのも、ビティアはたいてい、午後8時半には帰宅していたからだ。

「本当に心配していたけれど、待つことしかできなかった」と弟は話した。2人の携帯電話がつながることはなかった。

午後11時15分ごろ、警察は家族に電話を入れ、女性が事故に遭ったと告げた。

彼女の父親は近所の人が運転するバイクで病院に急行した。

弟はその時の心境を次のように振り返った。

「悪い予感がしていた。最悪の結果を恐れていた」
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323942504578232883039235430.html

http://blog.goo.ne.jp/alcoholismgoo/e/656eb6555d8098949b4f2b991b6c80b2


06. 2013年3月03日 07:57:15 : W18zBTaIM6

インド レイプだけでない!女性の顔に酸をかける事件が多発 2013-01-19


レイプだけでない!嫉妬、報復…女性への凶行やまぬインド

インドでは首都ニューデリーで昨年起きた残忍なレイプ殺人事件を受けて、性犯罪の防止や女性の人権尊重を訴える学生らが連日、政府への抗議デモを展開している。

しかし、女性を標的にした悪質な犯罪はレイプだけではない。

嫉妬や報復に狂った男が女性の顔面などに強力な酸をかけ、人生を破壊しようとする凶悪事件も多発している。

被害者らは取り締まりの甘さに怒り、治療費の捻出に悲鳴を上げている。(ニューデリー 岩田智雄、写真も)

インド南部カルナタカ州バンガロール近郊に住むジャヤラクシュミさん(35)が酒に酔った夫から顔面に酸を浴びせられたのは2003年のことだった。

「夫はいつも私に暴力を振るい、カネを無心していた。ある晩、酒代ほしさに私の宝飾品を差し出すよう要求した。拒絶して、もう実家に帰るというと、
私が再婚するつもりだと邪推した夫は、私に酸を浴びせて顔をめちゃくちゃにした」

ジャヤラクシュミさんは、電話口でこう当時を振り返った。

左目は光を失った。

計8回の形成手術を受け、1回の手術費だけで4万ルピー(約6万4千円)かかった。

それでも痛みは消えず、あと、最低4回の手術が必要だ。

被害を警察に届け、夫は事件から4年後に逮捕された。

懲役10年の刑を受け服役中という。

バンガロールを拠点に、被害女性らを支援する非政府組織(NGO)「女性への酸攻撃反対運動」を設立したスシマ・バルマさんによれば、こうした犯罪は被害女性の顔を醜くし、残りの人生を破滅させようという動機によって起こされるケースが多い。

交際を断られた男や報復心を燃やす夫、ストーカーらが犯行に及ぶ。

過去、何人もの被害者の治療に当たってきた東部ジャルカンド州の医師、アナント・シンハさんは、

「これまで診た患者の7〜8割は、病院から遠く離れた村に住んでいたために、治療を受けるまで24時間以上たっていた。こうした場合、失明したり、耳が聞こえなくなったりするケースが多い」

と酸攻撃の深刻さを指摘する。また、

「都会の私立病院なら、費用は一般的に100万〜150万ルピーかかり、庶民にはかなりの高額だ」

と話した。インドには酸攻撃を取り締まる特別な法律はなく、正確な被害件数は分からない。

英ロンドンを拠点にする国際酸生存者基金(ASTI)のジャフ・シャー氏によれば、酸攻撃を罰する法律がある隣国パキスタンでは報告されているだけで毎年150件の事件が起きており、実際の被害は約400件とみられる。

人口が約7倍のインドでの件数は、こうした数字や被害報道から年間500〜1千件と推測されるという。

被害に遭ったジャヤラクシュミさんにまだ救いだったのは、酸攻撃反対運動の裁判所への訴えが実り、カルナタカ州政府が被害者に20万ルピーの支援金を与えることを決めたことだった。

ただし、こうした制度は全国的には広がっていない。ほとんどの被害者は自前で治療費を工面したり、ボランティアの医師の好意にすがったりしている。

ソナリ・ムカジーさん(28)もその1人だ。

大学生だった10年前、ジャルカンド州ダーンバードで男3人に酸を浴びせられた。

日ごろから性的いやがらせを受けていたムカジーさんだが、ある日、これ以上の行動には法的措置を取ると告げると、就寝中に侵入してきた3人の凶行に遭った。

治療のために滞在しているニューデリー市内で取材に応じたムカジーさんは

「両眼は光しかみえず、耳も右側は40%しか聞こえない。
頭と首には皮下組織を再生させるための器具が入っている」

と話す。公的な援助は一切なく、両親は土地や財産を売り払ってこれまで22回に及ぶ手術費を工面したが、追いつかない。

手術は少なくともあと6回必要だという。

思い悩んだムカジーさんは昨年11月、インドのテレビ局が放送するクイズ番組に出演し、賞金250万ルピーが贈られることになった。

お金は今後の治療費に充てる予定だ。

勇気を出して出演したムカジーさんに、多くのインド人が拍手を送っている。

そんなムカジーさんにとって、いまなお許せないのは、3人の犯人は最長で4年半拘束されただけで保釈されたことだ。

「たった5千ルピーの賠償金さえ、受け取っていない」と憤る。

酸攻撃反対運動のバルマさんは、犯人の報復を恐れてひっそりと暮らす被害者もいるとし、

「酸攻撃の罰則は現在、最高で10年の懲役だが、終身刑にし、保釈も認めないようにすべきだ。酸攻撃を取り締まる法律を一刻も早く成立させてほしい」

と訴える。

酸攻撃に使われる清掃やサビ落とし用の液体は誰でも容易に購入できることも問題で、強力な酸の販売を規制する必要性も強調している。

ただし、バルマさんは、重要なのは「法が適正に運用されることだ」とも指摘する。

パキスタンやバングラデシュでは、酸攻撃への処罰が強化されたものの、捜査が十分に行われておらず、「犯罪抑止にはほとんど効果を上げていない」としている。

インドでは、レイプ事件も取り締まりの甘さが指摘されている。

インド政府によると、11年に被害届があったレイプ事件は約2万4千件。

この年の同事件の有罪率は26%しかなかった。

経済では、昨年まで高成長を続け、新興国の一角として存在力を高めているインド。

日本など外国企業の進出も加速している。

その陰で、女性の人権を尊重する国民の意識はまだ低く、貧困層も多い。

各地では、レイプだけでなく、酸攻撃や家庭内暴力に抗議するデモが連日続いている。

全インド民主女性協会のアルビーナ・シャキルさんは

「他国と競争していく上で、女性差別だけでなく、カースト制度、貧富の差などあらゆる分野の差別をなくしていかなければならない」

と話す。ムカジーさんも

「レイプや酸攻撃の被害者は、家に閉じこもっていてはだめ。団結して声を出して、政府を動かさなければ」

と訴えた。

    ◇   ◇

酸攻撃 製品加工、洗浄用などの強力な酸が使われる。

英NGO国際酸生存者基金(ASTI)によれば、インド、パキスタン、バングラデシュ、カンボジアなど世界では年間約1500件が報告されており、被害者の8割が女性。

4割が18歳未満の子供。

カンボジアでは夫の不倫に怒った女性が加害者となるケースも多い。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130113/asi13011312010002-n1.htm

http://blog.goo.ne.jp/alcoholismgoo/e/78779cc0d74cd6695b684b9003033d9d


07. 中川隆 2013年3月03日 10:33:24 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

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カースト制の起源


インドへのアーリア人侵入


「アーリア人侵入説」は、言語学の分野から持ち上がってきたものだ。

「インド・ヨーロッパ語族」という分類から、北インドのヒンズー支配層は、BC3000〜8000年に、欧州・中東・小アジア・コーカサスから移動してきた西ヨーロッパ人ではないか、と推理されるようになった。

つまり「白人、金髪、青い目」の侵略者たちが、先住民のドラヴィダ語族の民族を南に押しやり、北インドではカーストの支配者となったのではないか、という話なのだ。


_________


アメリカのユタ大学とインド南部のアンドラプラデシュ大学による共同研究

インドのカースト別のDNA分析から、侵攻したのは「コーカソイドの男子」であり、先住民の下層階級の女子と混血してきたことが証明された。


インドのカースト制度は、「4階層+不可触民」で、実質5階層になっている。

1930年にイギリスがとった人口統計によれば、


1)バラモン(僧侶)・・・・5%
2)クシャトリア(武士)・・・・7%
3)ヴァイシャ(商人)・・・・3%
4)シュードラ(農民工民)・・・・60%
5)アンタッチャブル(穢多非人)・・・・15%


という比率で、これにイスラム教、シーク教、キリスト教、ゾロアスター教などの「異教徒10%」をたすと、100%になる。

1930年以来、1度も統計調査がないというも驚きだが、不可触民(穢多非人)の「15%」という比率は、実際はもっと高いと言われている。

DNA分析の共同研究では、

上層カースト(バラモン+クシャトリア+ヴァイシャ)、
中層カースト(シュードラ)、
下層カースト(アンタッチャブル)

に分類し、アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人のDNAと比較している。

表内の数字は、小さいほど関係性の距離が短い(先祖の共通性が高い)ことを示す。
http://jorde-lab.genetics.utah.edu/elibrary/Bamshad_2001a.pdf

 

Y染色体のSTR分析

  アフリカ人  アジア人   ヨーロッパ人
上層カースト 0.0166 0.0104 0.0092
中層カースト 0.0156 0.0110 0.0108
低層カースト 0.0131 0.0088 0.0108


日本の皇位継承問題でもおなじみの「Y染色体」だが、これは男系の遺伝を示す。
インド人の「男系遺伝子」は、ヨーロッパ人とアジア人と同じぐらいの距離にある。

カースト別でいうと、上層カーストとヨーロッパ人の関係がもっとも近い。

低層カーストはアジア人にもっとも近い。

■ミトコンドリア染色体のHVR1分析

  アフリカ人  アジア人   ヨーロッパ人
上層カースト 0.0179 0.0037 0.0100
中層カースト 0.0182 0.0025 0.0086
低層カースト 0.0163 0.0023 0.0113


ミトコンドリアのDNAは、母親のものだけが子供に伝わり、父親のものは次世代にはまったく関与しない「母系遺伝」になっているので、母系分析に使われる。

この分析によると、インド人の「先祖の女性」は、歴然とした数値をもって、アジア人に近い。

低層カーストがもっとも近く、上層になるにつれて距離が離れていく。


以上の研究から、インド人の母系と父系に明らかな「系統」が生じており、


1)「アーリア人の男性」が「ワンランク下の先住女性」と混血を繰り返した、
2)「低いカーストの男性」が「高いカーストの女性」と結婚するケースはほとんどなかった、

という結論になる。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1354332

「武士」「庶民」「奴隷」の上に絶対的権力をふるうカーストの最上位階級、バラモン(婆羅門)というのは、中央アジアにおいて極めて少数であったこの「白色人種(アーリヤン)」は、圧倒的多数の「黄色人種」や「黒色人種」の先住民と混血して、完全に同化されてしまうのを極度に恐れ、「バラモンの村」という特別区域に居住していました。

そして、彼らの持って来た民族宗教「バラモン教」の神々を武士階級と庶民階級には強制的に信仰させ、また、奴隷階級がバラモン教にふれることは禁止して、その権威を保とうとしたのでありました。

 この白人支配下のインドに生れた釈迦は、この皮膚の色にもとづく苛酷な人種差別と職業差別とに反対し、「人間みな平等」(「四姓平等」)の立場に立って、かの宗教を創始したのでありました。

 最新の研究によれば、ブッダが積極的に人種差別廃止を目指した事実はないとされている。しかし、ブッダは不可触民に対して最上格の敬語をもって接した。この事実そのものが既に革命的なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090111/p2

紀元前2500年頃、ペルシア(現在のイラン)に定住していた遊牧系のアーリア人種がドラヴィダ人の支配する地域に侵入した。そのとき、ドラヴィダ人のセックス観と性の放縦ぶりに、やってきたアーリア人は仰天したという。

ヴェーダ聖典によれば、セックスの自由は完全に許されており、男も女も気に入った相手を自由に選び、自由に取り換えていたのだという。結婚という概念は、地域によってあったりなかったりした。女性が妊娠して子供を産むと結婚するカップルもいた。しかし、そうでなければ、女性は子供を捨てて、別の関係を結ぶようにしたようだ。

ドラヴィダ人の信仰していた原始ヒンドゥーは、女性を讃え、賞賛し、そして崇拝した。つまり、女性は尊い存在だった。


白肌信仰は、潜在的にアーリア系崇拝になる

しかし、アーリア人はそうではなかった。彼らはゾロアスター教を信じていたが、その宗教は極めて倫理的で天国や地獄の概念を持ち、預言者や終末論の思想があった。

現在、預言者・終末論と言うとすぐにユダヤ教・イスラム教・キリスト教を思い浮かべるが、ゾロアスター教がそれらの宗教に影響を与えていたという学説がある。

その家長的な宗教を持つ遊牧民族アーリアがインドに侵略を開始してから、インドに土着していたドラヴィダ族は次第に追いつめられて南部へと押し込められていく。その過程で膨大な混血と宗教的な融合が起きて、インド・アーリア族とも言うべき混血民族が出来上がった。

インド人とは異なる民族と血が混じり合った人種だ。その混じり具合にもグラデーションがあって、それがカーストとしての身分制度につながったと見られている。

侵略戦争に勝利したのはアーリア人であり、彼らは人種的には白人か、白人に近い特徴を持っている。ドラヴィダ人は黒い肌を持ち、黒人に近い特徴がある。そこで、侵略に打ち勝ったアーリア人の「白肌」は高貴なものと見なされるようになり、侵略されたドラヴィダ人の「黒肌」は唾棄すべきものと決めつけられた。

ボリウッド映画に出てくる主人公たちを見れば分かるが、主演の男女はみんな白い肌の美男・美女ばかりだ。いまだにアーリア色が強いものであることが分かる。

白肌信仰は、潜在的にアーリア系崇拝になる。くだらないボリウッド映画がインド文化に根付けば根付くほど、インド人は意識的にも無意識にも洗脳されて、白い肌をさらに尊ぶようになる。

ドラヴィダ系の血筋を色濃く残した女性。肌が黒く、黒人種の特徴を多く残しているのが特徴だ。

ツァラトゥストラは何も語らないほうが良かった
白い肌にそれほど意味があるのかどうかは疑問だ。

しかし、近年の歴史は白人が有色人種を支配してきた歴史なのだから「白人の優位性」は、どこの有色人種の国でも見られる傾向だ。

当然、宗教や文化にもやはりアーリアの思想が優位になっていくのだが、それはゾロアスターをも取り込んだヒンドゥーの思想にも反映されていった。

初期ヒンドゥーの女性崇拝は静かに消されていった。家長主義、父権主義の思想が女性崇拝に取って変わり、やがて「女性はひとりの男性に従うもの」という保守的な文化へと変容していった。

ツァラトゥストラ(ゾロアスター教開祖)が何を語ったにせよ、自由を束縛されたインドのドラヴィダ女性にとっては、実に迷惑な話だったのは間違いない。

ツァラトゥストラは何も語らないほうが良かったのだ。

家長主義の特徴である「一夫一婦制」は、古代のドラヴィダ女性だけではなく、全世界の全人類にとって、人間の本性と合致していない。

人間は最初から雑婚だ。ドラヴィダ人の方が正しかった。一夫一婦制は、古臭く、宗教臭い。結婚制度は、もう形骸化しているし、そもそも最初から無理がある。

人間は成長したり、老化したり、考えが変わったり、気質が変化したりする。自分も配偶者も、いつまでも結婚した時と同じ人間であるはずがない。それなのに、なぜ同じ配偶者と一緒にいなければならないのか。

かつての古代ヒンドゥーの世界のように、自由のままでよかったのではないか。そして、人間はその方向に軌道修正すべきなのではないか。


現在のイラン人はインドに踏み入ったアーリア系の末裔であると考えられている。

産む子供は、父親が別々のほうが子供の生存に有利
女性は特に、これらの宗教には距離をおいたほうがいい。
本来、女性にとっては、産む子供は父親が別々のほうが子供の生存に有利である。

なぜなら、多様な遺伝子を残すことができるので、環境が変わったときに、子供たちの誰かがその環境に適応できる確率が高くなるからだ。

最初の男は肉体的に優れていて、次の男が頭脳的に優れているとする。次の時代が戦争の時代だったら最初の男の子供が生き残るし、平和の時代だったら、二番目の男の子供が生き残る確率が高い。

一夫一婦制であったとき、結婚した相手が愚鈍な男だった場合は、どんなに子供を産んでも愚鈍な子供しか生まれてこない確率が高い。

女はたまったものではない。しかし、結婚さえできれば、男は愚鈍でも自分の遺伝子を残せるのだから有利だ。

今の社会はユダヤ・キリスト・イスラムの影響が世界の隅々にまで浸透していて、それらの宗教の作り出す文化がグローバル社会によって画一化されている。したがって、放縦な性的関係は批判されるものになるし、無批判に結婚制度や一夫一婦制を受け入れなければならない。これらの呪縛から逃れようとした女性は、「売春婦」だとか「淫売」だとか呼ばれて蔑まれる。

もしドラヴィダ人が世界を征服していたら、人類の性に対する考え方は、今とは180度違うものとなっていただろう。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20130105T0318320900.html


08. 中川隆 2013年3月03日 16:17:35 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

女性の社会進出に反感? インドでレイプ事件急増、最下層の少女標的に
2012.11.11 18:20

インドでは、北部ハリヤナ州で被害者が焼身自殺するなどのむごたらしいレイプ事件が相次いで伝えられ、これまで議論されることすらまれだった、女性に対する暴力への問題意識が高まった。レイプ被害者は身分制度最下層の少女であることが多い。近年のレイプ事件の急増は、女性の社会進出が要因の一つだと指摘される。

 最下層の少女が標的

 ハリヤナ州はデリー首都圏に隣接しており、州内の町村はニューデリーからそう遠くないところにある。英BBCなどによると、9月9日、州内の小さな村で、16歳の少女が大勢の男たちに襲われ、3時間近くにわたり7人にレイプされた。少女はインドの身分制度カーストの最下層民ダリットの出身だった。「しゃべったら殺すぞ」と脅され、黙っていた。だが、男たちの1人がレイプの様子を携帯で撮影。村中に流され、被害者の父親の目に触れた。父親は9月18日、殺虫剤を飲んで自殺した。

 10月6日、別の村のやはり16歳のダリット出身の少女が、昼食を取ろうと畑から自宅に向かっていたところ、2人の男たちに別の家屋に連れ込まれ、レイプされた。もう1人の男が家屋の前で見張っていた。叫び声を聞いた父親が現場に駆けつけたときには、男たちの姿はなかった。住民らが集まってくると、少女はその場を逃れ、親戚(しんせき)の家へ行って灯油をかぶり焼身自殺した。センセーショナルな事件は全国的な話題となり、市民団体などが、暴力と取り締まり当局の無策に抗議の声を上げた。


原因はグラビア!?

 ハリヤナ州は保守的な土地柄で、多くの町村は昔からあるそれぞれの「評議会」が実質的に支配している。男性だけがメンバーになれ、カーストには厳格だという。評議会支配がレイプ多発の土壌を作っているとの指摘もある。評議会長老らのレイプ事件に対する認識はどんなものなのか。いくつかの発言が伝えられている。

 「最近は新聞や雑誌、テレビに半裸の女性が氾濫し、青年を堕落させた。これがレイプ事件の原因だ。ここはインド。欧州のようになってはならない」

 「私は女性は16歳までに結婚すべきだと考える。夫婦間の交渉で満たされればレイプ事件は起きない」。インドでは「幼児結婚」が広く行われ、国際的に問題視されている。

 インドの与党、国民会議派のソニア・ガンジー総裁(65)はハリヤナ州に赴き、「レイプ事件を強く非難する。罪を犯した者は厳しく罰せられるべきだ」と述べた。だが、国民会議派の地元幹部の認識は、評議会の長老たちとほとんど変わらないようだった。「レイプの90%は同意の上」と発言して、市民団体などの猛反発を買った。


女性の社会進出に反感も

 インドでのレイプの報告件数は2006年の1万9300件から11年には2万4600件に増えた。ハリヤナ州では同じ期間に608件から733件に増加している(州内で1日2件の届けがあったことになる)。

 被害者が声を上げるようになったことも一因とみられるが、米ニューヨーク・タイムズ紙は、専門家の話から女性の社会進出も要因の一つだと指摘している。経済成長に伴い、より多くの女性が高等教育を受け、仕事を持ち、伴侶を(親でなく)自分で決めるようになった。これに対し、自分たちの領域を侵されたと感じる一部の男性がストレスを募らせているというのだ。
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/121111/mcb1211111821011-n1.htm


9. 2016年12月27日 00:59:49 : yQoHxcYLcY : IlaFiT@QdWk[14]
DON JAPAN

【前代未聞】インド仏教、一億人の頂点に立つ「日本人僧侶」佐々井秀嶺 来日
http://japan.digitaldj-network.com/articles/40151.html


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