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西部ゼミナール 「若き日本人が語る古き良き日本論」
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/808.html
投稿者 富山誠 日時 2013 年 6 月 01 日 21:51:29: .ZiyFiDl12hyQ
 


2013.6.1 放送分
tokyo mxtv 西部邁ゼミナール 土曜日10:30〜

http://www.youtube.com/watch?v=_liwqM4UQ4E
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21008506

@ナショナリズムは人間の常識

ゲスト:
中野剛志(元京都大学大学院准教授・評論家)※ホサ官
柴山桂太(滋賀大学経済学部准教授・雑誌「表現者」編集委員)
施光恒(九州大学大学院比較社会文化研究院 准教授)


内容

▽国家が危機に直面している中で大所高所からの論義
▽現代の政治は雪崩打つように変な方向へ進みつつある
▽教育再生の英語教育はグロービッシュ
▽俗悪なものを広めれば言葉は単純化する
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 中川隆 2013年6月01日 21:58:15 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
まさに英語教育の真っただ中にいます。

ここはアメリカ。日本人の子どもたちは現地の公立校に放り込まれバイリンガルになる期待を一身に受けESLで教室で頑張っています。

結果、不幸なことに日本語がぐだぐだになってしまった子もいます。

小学校高学年までは、まず日本語を完成させるのが先です。

コーヒーを連れてくるとか、お昼ご飯を持つなんて表現する日本人を信用できますか?

無理でしょう。近所の子は小学校6年生でありながら日本語のおしゃべりは小2レベルで止まっています。親は気づいていません。

英語は今の日本の教育の中で骨子を学べます。ただし語彙もスピーキングもリスニングも不十分ですから授業外で毎日英語字幕で映画を見たり英語の書籍を読んだりすることが大切です。エッセイを英語で書いたり、スピーチをしたり訓練すれば英語を使う仕事についてもなんとかなるでしょう。要は勉強時間の問題です。
http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/387.html


英語を学ぶなら日本語を勉強しよう 2012年11月17日

私は言語学者でもなければ、英語を教えるのプロでもないのですが、日本語力がある人は英語も上手くなるように思います。

ずっと海外で暮らしていた人は別にして、普通は第二外国語は母国語を超えることはない、と言われています。この考えに従えば、英語だけをがんばったとしても、日本語能力もアップさせないことには、英語は上達しない、となります。

言語能力の発展についてはいくつか考え方があるのですが、こちらの図をご覧下さい。

これは言語を能力を図式化したものなのですが、表層部と深層部に分かれています。表層部は、読み、書き、話し、聞く、といった、日常的に目に見える能力を表しています。

一方で深層部では、言語生活を支える層で、基底能力と呼ばれます。これは、普段はそれほど使いませんが、簡単にいえば「知っている」「理解できる」言葉です。

例えば、語彙を例にとると「初詣」や「奉納」といった言葉は、は日常生活の中で使わないけど、誰もが知っている言葉です。普段自分で使うことがないけど、あるいは使う自信のない単語であっても、いつでも理解したり引き合いに出せる能力が、基底能力です。そして、表層部は基底能力の大きさに比例するので、基底能力が大きければ大きいほど、表層部の発達度合いも大きくなります。

では、バイリンガルの人の言語能力の発達はどのようなものになるかといいますと、それを表したものがこちらの図です。

バイリンガルの人は、表層部に2つの山があります。表層部は分かれていますが、深層部では分かれておらず、共通基底能力として一体化しています。なお、表層部の山の大きさはきれいに同じではなく、言語の発展段階によって、母国語は大きく、第二言語は小さくなったりします。

これは言語能力発展の一つの理論で、他にも考え方はあるので、正しいか正しくないかは自分にはわかりません。

でも、確かに、自分の留学中に色々な人と出会いましたが、日本人だけではなく他の国の人も、母国語の能力が高い人は、英語力もしっかり身についていたように思います。

英語をすぐに身につけたい人には遠回りな方法かもしれませんが、英語を学びたい!と思ったら、新聞や本とかで日本語にも触れて、日本語能力をアップさせると、しっかりとした英語が身につくかもしれません。

余談ですが、最近日本でも小さい頃から英語英語、と言われていますが、日本語もしっかりと学ばないと、将来的にはその子どもが困るのではないかと思う今日この頃です。。。
http://blog.gcsgp.com/english_japanese_study.html


02. 2013年6月29日 18:59:47 : W18zBTaIM6

【西部ゼミナール】 6/8 「若き日本人が語る古き良き日本論」part2
http://www.youtube.com/watch?v=qwJgeJReU2c

03. 2013年7月02日 02:34:19 : W18zBTaIM6

消える楽天らしさ 英語公用語化で社員ため息 2013年07月01日16時00分

英語公用語化に踏み切り、話題を呼んだ楽天。

しかしその弊害も起こっているようだ

オレの言ったこと、ちゃんと伝わってるだろうか。

不安にかられて部屋を抜け出し、携帯電話をこっそり取り出す。

かける先は、ついさっきまで会議で一緒だった他部署の管理職だ。

「英語で説明したあの件だけど意味を取り違えてないよね」

グローバル企業を標榜し、昨年7月に英語の公用語化に踏み切った楽天。

会議、メール、食堂のメニューに至るまですべて英語になったが、ある社員によると、 以来、社内にはこんな「ケータイ管理職」が目立つようになった。

社員は職位に応じて到達すべきTOEICの点数を課されており、管理職は650〜750点。

だが、にわか仕込みの英語力では会議の発言もカタコトになる。

二度手間でもケータイで事後確認せざるを得ない、というわけだ。


04. 2013年7月27日 21:23:36 : W18zBTaIM6

【西部ゼミナール】 6/29 「若き日本人が語る古き良き日本論」part3
http://www.youtube.com/watch?v=Jn9tPEiE58Q

05. 2013年9月20日 19:31:27 : W18zBTaIM6

ドサクサ紛れのグローバル化 From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学


2020年の東京オリンピック開催が決まったのはよろこばしいことだと思うんですが、やはり少し懸念もあります。

9月11日付の東田剛さんのメルマガ記事「東京五輪を素直に喜べない理由」にもあったように、「オリンピックだから」というのを言い訳にして、新自由主義的な政策がドサクサに紛れて進められそうな気もします。

http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/09/18/korekiyo-62/

直接に新自由主義的政策というわけではないですが、グローバル化対応という意味では、下記のように、小学生への英語教育強化の政策も、ドサクサに紛れて持ち込まれそうです。

「おもてなし」へ小学校で英語教育強化 義家文科政務官インタビュー(産経ニュース 9月14日付)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130914/plc13091407390005-n1.htm

このリンク先の産経記事では、「義家弘介文部科学政務官が…、東京開催が決まった2020年夏季五輪に向けて『おもてなし』の精神を醸成するため、小学校での英語教育の強化に取り組む考えを示した」とあります。

じゃあ、英語国であるアメリカとかイギリス、オーストラリアとかは、すでに「おもてなし」精神にあふれまくってるのか〜、などと、ちょっとズレたツッコミをいれたくなります…
f(^_^;)

個人的には、小学校の英語教育には反対です。日常生活が日本語だけで済む恵まれた日本に住んでいる限り、週に一、二度、小学校で英語の歌をみんなで歌ったぐらいで、英語がうまくなるわけはありません。

もし、これを拡充して週に三、四度にしたところであまりかわらないでしょうし、それに、国語をはじめとした他の教科がおろそかになるでしょう。

それよりも、国語の時間を拡充して、日本語の感覚を磨いてほしいと感じます。よく言われるように、母語である日本語を通じて得られた言語感覚こそが、英語などの外国語を含めたすべての学習活動の基礎になると思いますので。

それに、政治との関連でいえば、日本語をしっかり学び、日本語から得られる各種の感覚を共有することが、日本人としての連帯意識(仲間意識)の基礎になるはずです。たびたびこのメルマガにも書いてますが、グローバル化が叫ばれる現在だからこそ、国民の連帯意識の維持や育成はとても大切です。

震災などの災害でも頼りになるのは、国民の助け合いですし、福祉も結局は国民の間の相互扶助を基盤としています。

民主主義的な話し合いだって、仲間意識がないところでは、なかなか成り立ちません。
(`・ω・´)

日本で最初の近代的な国語辞典『言海』(げんかい)をほぼ独力で作り上げた国語学者・大槻文彦(おおつき・ふみひこ)(1847−1928)は、国語の意義を次のように説いています。

「一国の国語は、外に対しては、一民族たるを証し、内にしては、同胞一体なる公義感覚を団結せしむるものにて、即ち、国語の統一は、独立たる基礎にして、独立たる標識なり」(『広日本文典序論』)。

国語は、海外に対しては一つの民族(ネイション)であることを宣言し証明するもので、国内的には、国民の連帯意識や団結心を育むものだということですよね。

現在、小学校の英語教育の強化や、はたまた幼児からの英語教育の必要性まで主張する人が結構います。最近、街中で『英語幼稚園』なるものの看板も見ました。

母語である日本語もまだほとんど身に付いていない幼児や小学生の段階で英語教育に時間を割いてしまったら、日本語の感覚や、それを基礎とする日本人同士の連帯意識や、社会に対する愛着が、子供達にしっかりと備わらないんじゃないかと少々心配になります。
(´−`;)

ところで、少々脱線ですが、大槻文彦が1891年(明治24年)に出版した『言海』という辞書、なかなか面白いです。語釈が秀逸で、まさに、「一人の著者に統率された、味のある、引き締まった文体。しばしばことばの急所を言いあて、あるいはうねるように説き進み、ユーモアすら醸し出す書き方」(ちくま学芸文庫版『言海』の解説)という感じです。

たとえば、「猫」の項目はこうなっています。

「ねこ(名)猫。人家に畜(か)う小さき獣、人の知る所なり。温柔にして馴れ易く、又よく鼠を捕ふれば畜う。しかれども、窃盗の性あり。形、虎に似て、二尺に足らず。性、ねむりを好み、寒をおそる。毛色、白、黒、黄、ぶち等、種々なり。その瞳、朝は円く、次第に縮みて、正午は針の如く、午後また次第にひろがりて、晩は再び玉の如し、陰処にては常に円し。」

この猫についての語釈、「窃盗の性あり」というのがいいですね(笑)。猫はきっと、「そんなことないよ!」と怒るでしょうけど。
(=^x^=)

「猫」のついでに「犬」も。

「いぬ(名)犬、狗。家に畜(か)う獣の名、人のよく知る所なり。最も人に馴れ易く、怜悧にして愛情あり。走ること早く、狩りに用い、夜を守らすなど、用少なからず。種類多く、近年、舶来の種ありて、いよいよ一ならず。」

犬は、「怜悧にして愛情あり」となっています。大槻文彦は、犬派だったのかな。
∪・ω・∪

もう一つだけ。昨夜(9月19日)は、中秋の名月でした。福岡はとてもよく晴れていて、大きな満月がよく見えました。

『言海』で「中秋」の項をみると、「十五夜」の項をみよ、となっています。
「十五夜」は次のように書かれていました。

「じふごや(名)十五夜。もっぱら、陰暦8月15日の夜に、満月の光を賞する称。秋の半ばにして、暑からず、寒からず、天澄みて、月色甚だ明なれば、特に明月と称し、中秋の月などいひ、一年の観月の節とし、宴など開く。」

名文だと思います。「秋の半ばにして、暑からず、寒からず、天澄みて、月色甚だ明なれば…」というのは、まさに昨晩でした。

話が脱線しまくりました。
英語教育の話をしていたのでした。

言語学者の大津由紀雄氏は、小学校での英語教育に反対し、かわりに「母語である日本語を使って、ことばに対する意識を育成する」ための言語教育の導入を提言しています(大津由紀雄編著『日本の英語教育に必要なこと』(慶應義塾大学出版会))。

(ネット上では、下記の最近のインタビューに、同様の趣旨が掲載されています)
大学のTOEIC、TOEFL重視 小学校英語の教科化… 破綻に向かう英語教育
「英語教育、迫り来る破綻」 大津由紀雄氏インタビュー
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3095?page=1

大津氏の述べるように、母語である日本語を用いて、日本語の感覚を磨くとともに、将来の外国語学習の基盤ともなる言語感覚一般を鍛えていく。現在の英語活動のかわりに、そういう「ことばの力を鍛える活動」を小学校時代に行うのも、一つの手かなと思います。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/09/20/se-22/


06. 2014年5月02日 16:52:57 : 3cdYZYbVIc

【施 光恒】「オール・イングリッシュ」の愚


最近、気になったニュースがこちらです。

「文科省、省内会議に英語導入「まず自分たちから」(『日経新聞 電子版』2014年4月30日付)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG28049_Q4A430C1MM0000/

英語教育をめぐる議論を活発化させる目的で、文科省が省内の会議の一部を英語で行うことにしたというニュースです。省内の英語教育に関する企画立案にかかわる部門の会議の一部を英語で行うということです。

記事によると、文科省の幹部は、「職員自らが英語を活用することで、英語教育への視野が広がるはずだ」と期待しているそうです…。

このニュースを読んで、私は頭が痛くなりました。日本の教育行政をつかさどる中央官庁が、日本人だけなのにたどたどしい英語を使って、日本の英語教育の在り方について会議している姿は滑稽でしかないですね。
(´・ω・`)

いい大人は「英語ごっこ」なんぞしていないで、日本国民の将来にとって外国語教育がいかなる意味で必要なのか、国語教育とのバランスをどのように考えるべきなのかなどについて真剣に討議してもらいたいと思います。もちろん日本語で。

しかしアメリカ人は、日本の文科省で日本人同士が英語で会議しているのをみたらほくそ笑むでしょうね。「日本人も劣化したなあ、こんな国民には金輪際負けることはないなあ」と。

もし立場を入れ替えて、アメリカの役人たちがアメリカの教育省で自分たちだけなのにたどたどしい日本語で会議をしていたら、多くの日本人はそれを微笑ましさと憐れみを感じながら見つめ、「アメリカも劣化したよなあ」と思い、アメリカという国を軽く扱うようになるのではないでしょうか。
(´・ω・`)

文科省は、最近、ますます「教育のグローバル化」なるものに熱心です。

例えば、上記の日経電子版の記事の後半でも触れられているのですが(登録が必要なのでみられない方も多いかもしれません、すみません)、文科省が昨年12月に公表した「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」によると、小学5年生から英語を正式教科化し、週三時間それに充てるようになるそうです。

http://www.mext.go.jp/a_menu/kokusai/gaikokugo/1343704.htmまた「モジュール授業」なるものも導入し、英語の授業のない日も、15分程度、英語の「聞き取り」や「発音」などの反復練習に充てる時間を取りたいと考えているようです。

日本語もまだ不確かな小学生にそんなことする必要あるんでしょうかね。英語圏で将来働きたいという希望を持っている子が大多数だというわけでもないでしょうし。

ちょっと意地悪な言い方をするとすれば、文科省は、日本が将来、アメリカの正式な属国になると予想しているのかもしれません…。

中学に目を移すと、中学校の英語の授業は、原則英語で行うことにするようです。高校では昨年度の一年生から始まっていますが、「英語の授業は全部英語でやるべきだ!」といういわゆる「オール・イングリッシュ」という取り組みです。数年後には、それを中学校レベルでも導入しようというのです。

基本的に、英語の時間は日本語禁止で、文法の説明も英語で行い、訳読はしないというのでしょう。ただ、高校の英語の先生に尋ねたところ、現場はやはりそういうわけにはいかず、文法や単語の説明は日本語でするし、和訳も当然しているとのことでした。

ですが、文科省が「英語の時間は英語でやるのが基本」だと強く打ち出していますので、数年後には、英語の時間に日本語を用いる中学や高校の先生がたは、うしろめたさを感じるようになるのではないでしょうか。

不思議なことに、英語教育の専門家には、中学校や高校における「オール・イングリッシュ」の英語の授業を推奨する人は少ないようです。また、英語教育学の研究者のなかでは、「英語は英語のみで教えるべきだ」という説は、学術的に正しくないという意見がかなり強いようです。

たとえば、イギリスの応用言語学の大家ガイ・クック氏は、「オール・イングリッシュ」のように児童・生徒が日常使っている言語を教室から排除する教授法のことを「直接教授法」と呼び、これを批判しています(クック/斉藤兆史、北和丈訳『英語教育と「訳」の効用』研究社、2012年)。

クック氏は、「英語は英語で教えられなければならない」とか「ネイティヴ・スピーカーこそが最良の英語教師である」というような一連の「直接教授法」の考え方には、学術的根拠はあまりなく、それが広まったのは、むしろ「商業上の理由」からではないかと述べています。

つまり、つまり「英語は英語で」とか「ネイティブの先生こそ最良の教師だ」という見方が広まれば、イギリスやアメリカなどの英語国の出版社や学校は、相手国の言語や文化に関係なく、自国の教師や教材を一律に輸出できるので都合がいい。そういうビジネス上の都合から、直接教授法が正しいものとして世界に広まっていっただけなのではないか、と推測しています。

同じように、言語教育の専門家ロバート・フィリプソン氏も、世界の英語教育業界において、誤っているのに広く受け入れられてしまっている5つの誤謬を列挙しています(フィリプソン/平田雅博ほか訳『言語帝国主義──英語支配と英語教育』三元社、2013年(原初は1992年に出版))。

興味深いので5つとも書いておきます。(1)単一言語使用の誤謬、つまり「英語は英語で教えるのが最もよい」という信条

(2)母語話者の誤謬、つまり「理想的な英語教師は母語話者である」という信条

(3)早期教育の誤謬、つまり「英語学習の開始は早いにこしたことはない」という信条

(4)最大受容の誤謬、つまり「英語に接する時間は長いにこしたことはない」という信条

(5)減算的言語観の誤謬、つまり「英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させる」という信条

フィリプソン氏は、多くの論拠を挙げながら、これら5つの信条がいずれも誤りで、学術的根拠はあまりないのではないかと論じています。

たとえば、(1)に関しては、児童・生徒がすでに身に付けている言語の土台があり、それに十分関連付けられて初めて外国語の学習が進むのであり、そうした関係を軽視してはならないという点に言及しています。

(2)については、たとえば、学習者と言語や文化を共有し、また自らが第二言語として英語を学習してきた経験を持つ非母語話者のほうが、学習者の言語的および文化的ニーズをよく理解しているため、単なる母語話者よりも教師としてふさわしいとする研究を示しています。そして「理想的な英語教師を母語話者とすぐに結びつける発想自体が拙速である。この信条は科学的妥当性をもたない」と論じるのです。

フィリプソン氏も、「単一言語使用の誤謬」や「母語話者の誤謬」が学術的裏付けが乏しいにもかかわらず広まった原因について、これらが広まることによるアメリカやイギリスなど英語国やそこの各種業者の政治経済上のうま味について指摘しています。アメリカ人やイギリス人の英語教師は、相手国の言語や文化を知らなくても、英語教育関連の世界中の職場で職を得られるようになるわけですし、アメリカやイギリスの出版業者は相手国の言語・文化にかかわらず世界中に教材を売ることができるようになりますので。

フィリプソン氏は、「単一言語使用の誤謬」がもたらす学習者への心理的な悪影響についても強調します。学習者の言語を教室から締め出すことは、学習者の言語や文化が劣ったものだと意識させることにつながらないかと懸念するのです。

フィリプソン氏によれば、ドイツの言語や文化の広報機関であるゲーテ・インスティテュート(ドイツ文化センター)の付属のドイツ語学校も、かつては単一言語使用の方法論に従っていたそうです。

しかし、ゲーテ・インスティテュートは80年代にこの方針を改めました。「学習者の母語を教室から締め出すような教育は、彼らに疎外感をもたらし、彼らから文化的アイデンティティを奪い取り、異文化間コミュニケーションの能力の向上ではなく文化変容を引き起こす」と指摘されたからだそうです。

フィリプソン氏は、この点について、「確固たる文化的アイデンティティを身に付けていると考えられる成人の学習者に対する外国語としてのドイツ語教育にすら、こうした異論があるというのであれば、感受性の強い子供たちに一言語のみを用いて行う教育が壊滅的な結果をもたらしうることは想像に難くない」と論じています。

私も、中学校や高校での「オール・イングリッシュ」の方針は、「百害あって一利なし」に近いんじゃないかと思います。中学、高校の英語の時間は、せいぜい週5時間程度でしょう。一年35週、一時間の授業が50分だとすると、英語の時間は、一年365日中、丸6日程度しかありません。学校教育の外国語学習など、時間的にみれば、たかが知れています。

丸6日程度のうち、英語の音に触れたり、英会話の練習をしたりする時間が授業内で少し増えたところで、たいして英会話がうまくなったりするものでもないでしょう。

それよりも、「オール・イングリッシュだから日本語禁止!」とか、「小学校から英語を学ばせなければ!」とか、「スーパーグローバル人材だ!」とか、「会議は英語でやるお!」とか、グローバル、グローバル、英語、英語と大人たちが叫んでいることの子どもに与える悪影響の方が心配になります。

このような状況は、子どもたちに、「英語や英語文化のほうが、日本語や日本文化よりも圧倒的にえらい」という見方をはからずも刷り込こんでいるのではないでしょうか。

以前のメルマガ記事でも書きましたが、日本の文教政策の短期的な目標の一つとして「英語力向上」というのがあってもいいとは思いますが、それが日本の教育政策の柱となってしまうのはまずいでしょう。

いくら日本人の英語力が向上したといっても、アメリカ人やイギリス人の英語力には適うわけありませんし、おそらく日常生活で英語を必要とするシンガポール人やインド人、フィリピン人にも勝てないでしょうから。

ですので、日本の政策目標としては、「たとえ英語ができなくても、豊かになれ、多様な機会が得られる国づくりを維持し徹底する」のほうがずっと望ましいでしょう。(また「英語による文化支配が事実上行われている世界の現状を長期的には是正し、公正化をはかる」という国際戦略も必須でしょう)。

文科省は、東京オリンピックが開かれる2020年をめどに英語力向上!と叫んでいますが、片言で英会話できる日本人が少々増えたところで別に外国の人はよろこばんでしょう。

それよりも、「日本人は英語がかなり下手だけど、街は豊かさにあふれ、清潔で、安全だ! そして人々は親切だ!『英語化=近代化』などではなかった」という当たり前の事実を外国の人々に認識して帰ってもらった方が今後の世界のためにずっといいように思います。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/05/02/se-37/

[32削除理由]:アラシ

07. 中川隆 2014年5月16日 21:45:41 : 3bF/xW6Ehzs4I : 3cdYZYbVIc

明治時代の大学関係者や知識人は、「学問の独立」を大切にしました。

たとえば、大隈重信の親友で、大隈とともに早稲田大学(前身の東京専門学校)の創設に深くかかわった法学者の小野梓(1852-1886年)は、東京専門学校の開校式(明治15年)で次のような演説を行っています。

「一国の独立は国民の独立に基ひし、国民の独立はその精神の独立に根ざす。しかして国民精神の独立は実に学問の独立に由来するものなれば、その国を独立せしめんと欲せば、必ずまずその民を独立せしめざるを得ず。その民を独立せしめんと欲せば、必ずまずその精神を独立せしめざるを得ず。しかしてその精神を独立せしめんと欲せば、必ずまずその学問を独立せしめざるを得ず」(山本利喜雄編『早稲田大学開校・東京専門学校創立廿年記念録』早稲田学舎、明治36年、所収)。

すなわち、一国を独立させるためには、国民の精神の独立を図らなければならない。国民精神の独立は、学問の独立に由来する。したがって、一国の独立のためには、学問の独立が必要だ。そのように小野梓は開校式で主張し、学問の独立、ひいては日本の独立を確立するために東京専門学校を作るのだ。そのように宣言したのです。

ちなみに「学問の独立」を実現するために、東京専門学校が非常に重視し、開校の理念の一つにしたのは、「邦語による授業」です。つまり大学の講義を日本語で行うことでした。

明治の最初のころの日本の大学は、東大をはじめとして、講義をすべて英語などの欧米諸語でやる場合が大部分でした。日本語の教科書もなく、日本語の専門的語彙も不足し、日本人の教員も育っておらず、「お雇い外国人」の教員などが、英語などで授業を行わざるを得なかったからです。日本人教員の場合も、英語などで講義する場合がほとんどでした。

大隈重信や小野梓、あるいは高田早苗(政治学者)などの東京専門学校の創設メンバーは、これでは日本の学問の独立は達成できないと考え、日本語で授業を行い、日本の学問の独立や発展を担う人材を育成する学校を作ろうと考えました。それが、東京専門学校、つまりのちの早稲田大学の創設趣旨の一つでした。

小野梓は、上記の東京専門学校開校式の演説のなかで次のようなことも述べています。

「当時(明治15(1882)年)の世界情勢では、独立を保っている非欧米諸国は、かろうじて日本と中国(清)のみだ。インドは英国に、インドネシア(ジャワ)はオランダに、ベトナムはフランスに植民地化されてしまった。

独立を維持している日本も、欧米諸国との不平等条約改正問題や、清や韓国との関係など深刻な国際問題が山積している。日本に隙あらば付け込もうとする外国も多い。

日本国民の元気を養い、その独立の精神を発揚しなければ、日本の独立を保つのも危うい。日本国民の元気を養い、その精神を独立せしめる方法はいろいろあるとしても、その根本的基礎となるものは、やはり学問の独立である!」
m9(`・ω・´)キリッ!
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/05/16/se-38/

[32削除理由]:アラシ


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