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母を尋ねて三千里
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投稿者 中川隆 日時 2013 年 7 月 30 日 00:17:02: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: 「フランダースの犬」が言いたかった事は? 投稿者 中川隆 日時 2013 年 7 月 28 日 21:06:15)

母を尋ねて三千里 アミーチス

日本童話研究会訳
http://www.aozora.gr.jp/cards/001048/files/45381_18751.html


      一

 もう何年か前、ジェノアの少年で十三になる男の子が、ジェノアからアメリカまでただ一人で母をたずねて行きました。

 母親は二年前にアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスへ行ったのですが、それは一家がいろいろな不幸にあって、すっかり貧乏になり、たくさんなお金を払わねばならなかったので母は今一度お金持の家に奉公してお金をもうけ一家が暮せるようにしたいがためでありました。

 このあわれな母親は十八歳になる子と十一歳になる子とをおいて出かけたのでした。

 船は無事で海の上を走りました。

 母親はブエーノスアイレスにつくとすぐに夫の兄弟にあたる人の世話でその土地の立派な人の家に働くことになりました。

 母親は月に八十リラずつ[#「ずつ」は底本では「ブフ」]もうけましたが自分は少しも使わないで、三月ごとにたまったお金を故郷へ送りました。

 父親も心の正しい人でしたから一生懸命に働いてよい評判をうけるようになりました。父親のただ一つのなぐさめは母親が早くかえってくるのをまつことでした。母親がいない家うちはまるでからっぽのようにさびしいものでした。ことに小さい方の子は母を慕って毎日泣いていました。

 月日は早くもたって一年はすぎました。母親の方からは、身体の工合が少しよくないというみじかい手紙がきたきり、何のたよりもなくなってしまいました。

 父親は大変心配して兄弟の所へ二度も手紙を出しましたが何の返事もありませんでした。

 そこでイタリイの領事館からたずねてもらいましたが、三月ほどたってから「新聞にも広告してずいぶんたずねましたが見あたりません。」といってきました。

 それから幾月かたちました。何のたよりもありません。父親と二人の子供は心配でなりませんでした。わけても小さい方の子は父親にだきついて「お母さんは、お母さんは、」といっていました。

 父親は自分がアメリカへいって妻をさがしてこようかと考えました。けれども父親は働かねばなりませんでした。一番年上の子も今ではだんだん働いて手助てだすけをしてくれるので、一家にとっては、はなすわけにはゆきませんでした。

 親子は毎日悲しい言葉をくりかえしていると、ある晩、小さい子のマルコが、

「お父さん僕をアメリカへやって下さい。おかあさんをたずねてきますから。」

 と元気のよい声でいいました。

 父親は悲しそうに、頭をふって何の返事もしませんでした、父親は心の中で、

「どうして小さい子供を一人で一月もかかるアメリカへやることが出来よう。大人でさえなかなか行けないのに。」

と思ったからでした。

 けれどもマルコはどうしてもききませんでした。その日も、その次の日も、毎日毎日、父親にすがりついてたのみました。

「どうしてもやって下さい。外の人だって行ったじゃありませんか。一ぺんそこへゆきさえすれば[#「すれば」は底本では「すれぼ」]おじさんの家をさがします。もしも見つからなかったら領事館をたずねてゆきます。」

 こういって父親にせがみました。父親はマルコの勇気にすっかり動かされてしまいました。

 父親はこのことを自分の知っているある汽船の船長に話しすると船長はすっかり感心してアルゼンチンの国へ行く三等切符を一枚ただくれました。

 そこでいよいよマルコは父親も承知してくれたので旅立つことになりました。父と兄とはふくろにマルコの着物を入れ、マルコのポケットにいくらかのお金を入れ、おじさんの所書ところがきをもわたしました。マルコは四月の晴れた晩、船にのりました。

 父親は涙を流してマルコにいいました。

「マルコ、孝行の旅だから神様はきっと守って下さるでしょう。勇気を出して行きな、どんな辛いことがあっても。」

 マルコは船の甲板に立って帽子をふりながら叫びました。

「お父さん、行ってきますよ。きっと、きっと、……」

 青い美しい月の光りが海の上にひろがっていました。

 船は美しい故郷の町をはなれました、大きな船の上にはたくさんな人たちが乗りあっていましたがだれ一人として知る人もなく、自分一人小さなふくろの前にうずくまっていました。

 マルコの心の中にはいろいろな悲しい考えが浮んできました。そして一番悲しく浮んできたのは――おかあさんが死んでしまったという考えでした。マルコは夜もねむることが出来ませんでした。

 でも、ジブラルタルの海峡がすぎた後で、はじめて大西洋を見た時には元気も出てきました。望のぞみも出てきました。けれどもそれはしばらくの間でした、自分が一人ぼっちで見知らぬ国へゆくと思うと急に心が苦しくなってきました。

 船は白い波がしらをけって進んでゆきました。時々甲板の上へ美しい飛魚がはね上ることもありました。日が波のあちらへおちてゆくと海の面は火のように真赤になりました。

 マルコはもはや力も抜けてしまって板の間に身体をのばして死んでいるもののように見えました。大ぜいの人たちも、たいくつそうにぼんやりとしていました。

 海と空、空と海、昨日も今日も船は進んでゆきました。

 こうして二十七日間つづきました。しかししまいには凉すずしいいい日がつづきました。マルコは一人のおじいさんと仲よしになりました。それはロムバルディの人で、ロサーリオの町の近くに農夫をしている息子をたずねてアメリカへゆく人でした。

 マルコはこのおじいさんにすっかり自分の身の上を話しますと、おじいさんは大変同情して、

「大丈夫だよ。もうじきにおかあさんにあわれますよ。」

 といいました。

 マルコはこれをきいてたいそう心を丈夫にしました。
 そしてマルコは首にかけていた十字のメダルにキスしながら

「どうかおかあさんにあわせて下さい。」

と祈りました。

 出発してから二十七日目、それは美しい五月の朝、汽船はアルゼンチンの首府ブエーノスアイレスの都の岸にひろがっている大きなプラータ河に錨を下ろしました。マルコは気ちがいのようによろこびました。

「かあさんはもうわずかな所にいる。もうしばらくのうちにあえるのだ。ああ自分はアメリカへ来たのだ。」

 マルコは小さいふくろを手に持ってボートから波止場に上陸して勇ましく都の方に向って歩きだしました。

 一番はじめの街の入口にはいると、マルコは一人の男に、ロスアルテス街へ行くにはどう行けばよいか教えて下さいとたずねました、ちょうどその人はイタリイ人でありましたから、今自分が出てきた街を指ゆびさしながらていねいに教えてくれました。

 マルコはお礼をいって教えてもらった道を急ぎました。

 それはせまい真すぐな街でした。道の両側にはひくい白い家がたちならんでいて、街にはたくさんな人や、馬車や、荷車がひっきりなしに通っていました。そしてそこにもここにも色々な色をした大きな旗がひるがえっていて、それには大きな字で汽船の出る広告が書いてありました。

 マルコは新しい街にくるたび[#「たび」は底本では「旅」]に、それが自分のさがしている街ではないのかと思いました、また女の人にあうたびにもしや自分の母親でないかしらと思いました。

 マルコは一生懸命に歩きました。と、ある十文字になっている街へ出ました。マルコはそのかどをまがってみると、それが自分のたずねているロスアルテス街でありました。おじさんの店は一七五番でした。マルコは夢中になってかけ出しました。そして小さな組糸店にはいりました。これが一七五でした。見ると店には髪の毛の白い眼鏡をかけた女の人がいました。

「何か用でもあるの?」

 女はスペイン語でたずねました。

「あの、これはフランセスコメレリの店ではありませんか。」

「メレリさんはずっと前に死にましたよ。」

 と女の人は答えました。

 マルコは胸をうたれたような気がしました、そして彼は早口にこういいました。

「メレリが僕のおかあさんを知っていたんです。おかあさんはメキネズさんの所へ奉公していたんです。わたしはおかあさんをたずねてアメリカへ来たのです。わたしはおかあさんを見つけねばなりません。」

「可愛そうにねえ!」

 と女の人はいいました。そして

「わたしは知らないが裏の子供にきいて上げよう。あの子がメレリさんの使つかいをしたことがあるかもしれないから――、」

 女の人は店を出ていってその少年を呼びました。少年はすぐにきました。そして

「メレリさんはメキネズさんの所へゆかれた。時々わたしも行きましたよ。ロスアルテス街のはしの方です。」

 と答えてくれました。

「ああ、ありがとう、奥さん」

 マルコは叫びました。

「番地を教えて下さいませんか。君、僕と一しょに来てくれない?」

 マルコは熱心にいいましたので少年は、

「では行こう」

 といってすぐに出かけました。

 二人はだまったまま長い街を走るように歩きました。

 街のはしまでゆくと小さい白い家の入口につきました。そこには美しい門がたっていました。門の中には草花の鉢がたくさん見えました。

 マルコはいそいでベルをおしました。すると若い女の人が出てきました。

「メキネズさんはここにいますねえ?」

 少年は心配そうにききました。

「メキネズさんはコルドバへ行きましたよ。」

 マルコは胸がドキドキしました。

「コルドバ? コルドバってどこです、そして奉公していた女はどうなりましたか。わたしのおかあさんです。おかあさんをつれて行きましたか。」

 マルコはふるえるような声でききました。
 若い女の人はマルコを見ながらいいました。

「わたしは知りませんわ、もしかするとわたしの父が知っているかもしれません、しばらく待っていらっしゃい。」

 しばらくするとその父はかえってきました。背の高いひげの白い紳士でした。
 紳士はマルコに

「お前のおかあさんはジェノア人[#「ジェノア人」は底本では「ジェノマ人」]でしょう。」

 と問いました。
 マルコはそうですと答えました。

「それならそのメキネズさんのところにいた女の人はコルドバという都へゆきましたよ。」

 マルコは深いため息をつきました。そして

「それでは私はコルドバへゆきます。」

「かわいそうに。コルドバはここから何百哩まいるもある。」

 紳士はこういいました。
 マルコは死んだように、門によりかかりました。

 紳士はマルコの様子を見て、かわいそうに思いしきりに何か考えていました。が、やがて机に向って、一通の手紙を書いてマルコにわたしながらいいました。

「それではこの手紙をポカへ持っておいで、ここからポカへは二時間ぐらいでゆかれる。そこへいってこの手紙の宛名になっている紳士をたずねなさい。たれでも知っている紳士ですから、その人が明日お前をロサーリオの町へ送ってくれるでしょう、そこからまたたれかにたのんでコルドバへゆけるようしてくれるだろうから。コルドバへゆけばメキネズの家もお前のおかあさんも見つかるだろうから、それからこれをおもち。」

 こういって紳士はいくらかのお金をマルコにあたえました。
 マルコはただ

「ありがとう、ありがとう」

といって小さいふくろを持って外へ出ました。そして案内してくれた少年とも別れてポカの方へ向って出かけました。

      二


 マルコはすっかりつかれてしまいました。息が苦しくなってきました。そしてその次の日の暮れ方、果物をつんだ大きな船にのり込みました。

 船は三日四晩走りつづけました。ある時は長い島をぬうてゆくこともありました。その島にはオレンヂの木がしげっていました。

 マルコは船の中で一日に二度ずつ少しのパンと塩かけの肉を食べました。船頭たちはマルコのかなしそうな様子を見て言葉もかけませんでした。

 夜になるとマルコは甲板で眠りました。青白い月の光りが広々とした水の上や遠い岸を銀色に照しました、マルコの心はしんとおちついてきました。そして「コルドバ」の名を呼んでいるとまるで昔ばなしにきいた不思議な都のような気がしてなりませんでした。

 船頭は甲板に立ってうたをうたいました、そのうたはちょうどマルコが小さい時おかあさんからきいた子守唄のようでした。

 マルコは急になつかしくなってとうとう泣き出してしまいました。
 船頭は歌をやめるとマルコの方へかけよってきて、

「おいどうしたので、しっかりしなよ。ジェノアの子が国から遠く来たからって泣くことがあるものか。ジェノアの児は世界にほこる子だぞ。」

 といいました。マルコはジェノアたましいの声をきくと急に元気づきました。

「ああそうだ、わたしはジェノアの児だ。」

 マルコは心の中で叫びました。

 船は夜のあけ方に、パラアナ河にのぞんでいるロサーリオの都の前にきました。

 マルコは船をすててふくろを手にもってポカの紳士が書いてくれた手紙をもってアルゼンチンの紳士をたずねに町の方をゆきました。

 町にはたくさんな人や、馬や、車がたくさん通っていました。
 マルコは一時間あまりもたずね歩くと、やっとその家を見つけました。
 マルコはベルをならすと家から髪の毛の赤い意地の悪そうな男が出てきて

「何の用か、」

 とぶっきらぼうにいいました。

 マルコは書いてもらった手紙を出しました。その男はその手紙を読んで

「主人は昨日の午後ブエーノスアイレスへ御家の人たちをつれて出かけられた。」

 といいました。
 マルコはどういってよいかわかりませんでした。ただそこに棒のように立っていました。そして

「わたしはここでだれも知りません。」

 とあわれそうな声でいいました。するとその男は、

「物もらいをするならイタリイでやれ、」

 といってぴしゃりと戸をしめてしまいました。

 マルコはふくろをとりあげてしょんぼりと出かけました。マルコは胸をかきむしられたような気がしました。そして

「わたしはどこへ行ったらよいのだろう。もうお金もなくなった。」

 マルコはもう歩く元気もなくなって、ふくろを道におろしてそこにうつむいていました、道を通りがかりの子供たちは立ち止ってマルコを見ていました。マルコはじっとしておりました。するとやがて

「おいどうしたんだい。」

とロムバルディの言葉でいった人がありました。マルコはひょっと顔を上げてみると、それは船の中で一しょになった年よったロムバルディのお百姓でありました。

 マルコはおどろいて、

「まあ、おじいさん!」

 と叫びました。

 お百姓もおどろいてマルコのそばへかけて来ました。マルコは自分の今までの有様を残らず話しました。

 お百姓は大変可愛そうに思って、何かしきりに考えていましたが、やがて、

「マルコ、わたしと一緒にお出でどうにかなるでしょう。」

 といって歩き出しました。マルコは後について歩きました。二人は長い道を歩きました、やがてお百姓は一軒の宿屋の戸口に立ち止りました。看板には「イタリイの星」と書いてありました。

 二人は大きな部屋へはいりました。そこには大勢の人がお酒をのみながら高い声で笑いながら話しあっていました。

 お百姓はマルコを自分の前に立たせ皆にむかいながらこう叫びました。

「皆さん、しばらくわたしの話を聞いて下さい、ここにかわいそうな子供がいます。この子はイタリイの子供です。ジェノアからブエーノスアイレスまで母親をたずねて一人で来た子です。ところがこんどはコルドバへ行くのですがお金を一銭も持っていないのです。何とかいい考えが皆さんにありませんか。」

 これをきいた五六人のものは立ち上って、

「とんでもないことだ。そんなことが出来るものか」

 といいました。するとその中の一人は、テエブルをたたいて、

「おい、我々の兄弟だ。われわれの兄弟のために助けてやらねばならぬぞ。全く孝行者だ。一人できたのか。ほんとに偉いぞ。愛国者だ、さあこちらへ来な、葡萄酒ぶどうしゅでものんだがよい。わしたちが母親のところへとどけてあげるから心配しないがよい。」

 こういってその男はマルコの肩をたたきふくろを下してやりました。

 マルコのうわさが宿屋中にひろがると大勢の人たちが急いで出てきました、ロムバルディのおじいさんはマルコのために帽子を持ってまわるとたちまち四十二リラのお金があつまりました[#「あつまりました」は底本では「あつりまりました」]。

 みんなの者はコップに葡萄酒をついで、

「お前のおかあさんの無事を祈る。」

といってのみました。
 マルコはうれしくてどうしてよいかわからずただ

「ありがとう。」

といって、おじいさんのくびに飛びつきました。

 つぎの朝マルコはよろこび勇んでコルドバへ向って出かけました。マルコの顔はよろこびにかがやきました。

 マルコは汽車にのりました。汽車は広々とした野原を走ってゆきました。つめたい風が汽車の窓からひゅっとはいってきました。マルコがジェノアを出た時は四月の末でしたがもう冬になっているのでした。けれどもマルコは夏の服を着ていました。マルコは寒くてなりませんでした。そればかりでなく身体も心もつかれてしまって夜もなかなか眠ることも出来ませんでした。マルコはもしかすると病気にでもなって倒れるのではないかと思いました。おかあさんにあうことも出来ないで死んだとしたら……マルコは急にかなしい心になりました。

 コルドバへゆけばきっとお母さんにあえるかしら、ほんとうにおかあさんにあうことがたしかに出来るかしら。もしもロスアルテス街の紳士が間違ったことをいったのだとしたらどうしよう。マルコはこう思っているうちに眠ってゆきました。そしてコルドバへ行っている夢を見ました、それは一人のあやしい男が出てきて、

「お前のおかあさんはここにいない。」

といっている夢でした。マルコははっとしてとびおきると自分の向うのはしに三人の男が恐しい眼つきで何か話していました。マルコは思わずそこへかけよって、

「わたしは何も持っていません。イタリイから来たのです。おかあさんをたずねに一人できたのです。貧乏な子供です。どうぞ、何もしないで下さい。」

といいました。

 三人の男は彼をかわいそうに思ってマルコの頭をなでながらいろいろ言葉をかけ一枚のシオルをマルコの体にまいて、眠られるようにしてくれました。その時はもう広い野には夕日がおちていました。

 汽車がコルドバにつくと三人の男はマルコをおこしました。

 マルコは飛びたつように汽車から飛び出しました。彼は停車場の人にメキネズの家はどこにあるかききました。その人はある教会の名をいいました。家はそのそばにあるのでした。マルコは急いで出かけました。

 町はもう夜でした。

 マルコはやっと教会を見つけ出して、ふるえる手でベルをならしました。すると年取った女の人が手にあかりを持って出てきました。

「何か用がありますか」

「メキネズさんはいますか。」

 マルコは早口にいいました。
 女の人は両手をくんで頭をふりながら答えました。

「メキネズさんはツークーマンへゆかれた。」

 マルコはがっかりしてしまいました、そしてふるえるような声で、

「そこはどこです。どのくらいはなれているのです。おかあさんにあわないで、死んでしまいそうだ。」

「まあ可愛そうに、ここから四五百哩まいるはなれていますよ。」

 女の人は気の毒そうにいいました。
 マルコは顔に手をおしあてて、

「わたしはどうしたらいいのだろう、」

 といって泣き出しました。

 女の人はしばらくだまって考えていましたが、やがて思い出したように、

「ああ、そうそう、よいことがある、この町を右の方へゆくと、たくさんの荷車を牛にひかせて明日ツークーマンへ出かけてゆく商人がいますよ。その人に頼んでつれていってもらいなさい。何か手つだいでもすることにして、それが一番よい今すぐに行ってごらんなさい。」

 といいました。

 マルコはお礼をいいながら[#「いいながら」は底本では「いいならが」]ふくろをかつぎ急いで出かけました。しばらくゆくとそこには大ぜいの男が荷車に穀物のふくろをつんでいました。丈せいの高い口ひげのある男が長靴をはいて仕事の指図をしていました。その人がこの親方でした。

 マルコはおそるおそるその人のそばへ行って

「自分もどうかつれていって下さい。おかあさんをさがしにゆくのだから。」

 とたのみました。

 親方はマルコの様子をじろじろと見ながら

「お前をのせてゆく場所がない。」

 とつめたく答えました。
 マルコは一生懸命になって、たのみました。

「ここに十五リラあります。これをさしあげます。そして途中で働きます。牛や馬の飲水もはこびます。どんな御用でもいたします。どうぞつれて行って下さい。」

 親方はまたじろじろとマルコを見てから、今度はいくらかやさしい声でいいました。

「おれたちはツークーマンへゆくのではない、サンチヤゴという別の町へゆくのだよ。だからお前をのせていっても途中で下りねばならないし、それに下りてからお前はずいぶん歩かなければならぬぞ。」[#「」」は底本では欠落]

「ええ、どんな長い旅でもいたします。どんなことをしましてもツークーマンへまいりますからどうかのせていって下さい。」

 マルコはこういってたのみました。
 親方はまた、

「おい二十日もかかるぞ。つらい旅だぞ。それに一人で歩かねばならないのだぞ。」

 といいました。
 マルコは元気そうな声でいいました。

「はいどんな事でもこらえます、おかあさんにさえあえるなら。どうぞのせていって下さい」

 親方はとうとうマルコの熱心に動かされてしまいました。そして「よし」といってマルコの手を握りしめました。

「お前は今夜荷車の中でねるのだよ。そして明日の朝、四時におこすぞ。」

 親方はこういって家の中へはいってゆきました。

 朝の四時になりました。星はつめたそうに光っていました。荷車の長い列はがたがたと動き出しました。荷車はみな六頭の牛にひかれてゆきました。そのあとからはたくさんな馬もついてゆきました。

 マルコは車に積んだ袋の上にのりました。がすぐに眠ってしまいました。マルコが目をさますと、荷車の列はとまってしまって、人足にんそくたちは火をたきながらパンをやいて食べているのでした。みんなは食事がすむとしばらくひるねをしてそれからまた出かけました。みんなは毎朝五時に出て九時にとまり、夕方の五時に出て十時にとまりました。ちょうど兵隊が行軍するのと同じように規則正しくやりました。

 マルコはパンをやく火をこしらえたり牛や馬にのませる水をくんできたり角灯の掃除をしたりしました。

 みんなの進む所は、どちらを見ても広い平野がつづいていて人家もなければ人影も見えませんでした。たまたま二三人の旅人が馬にのってくるのにあうこともありましたが、風のように一散にかけてゆきました。くる日もくる日もただ広い野原しか見えないのでみんなは、たいくつでたいくつでたまりませんでした。人足たちはだんだん意地悪くなって、マルコをおどかしたり無理使むりづかいしたりしました。大きな秣まぐさをはこばせたり、遠い所へ水をくみにやらせたりしました。そして少しでもおそいと大きな声で叱りつけました。

 マルコはへとへとにつかれて、夜になっても眠ることが出来ませんでした、荷車はぎいぎいとゆれ、体はころがるようになり、おまけに風が吹いてくると赤い土ほこりがたってきて息をすることさえ出来ませんでした。

 マルコは全くつかれはててしまいました。それに朝から晩まで叱られたりいじめられたりするので日に日に元気もなくなってゆきました。ただマルコをかわいがってくれるものは親方だけでした。マルコは車のすみに小さくうずくまってふくろに顔をあてて泣いていました。

 ある朝、マルコが水を汲んでくるのがおそいといって人足の一人が、彼をぶちました。それからというものは人足たちは代る代る彼を足でけりながら、「この宿なし犬め」といいました。

 マルコは悲しくなってただすすりあげて泣いていました。マルコはとうとう病気になりました。三日のあいだ荷車の中で何もたべずに苦しんでいました。ただ水をくれたりして親切にしてくれるものは親方だけでした。親方はいつも彼のところへきては、

「しっかりせよ。母親にあえるのだから」

 といってなぐさめてくれました。

 マルコは、もう自分は死ぬのだと思いました。そしてしきりに「おかあさん。もうあえないのですか。おかあさん。」といって胸の上に手をくんで祈っていました。

 親方は親切に看護をしたので、マルコはだんだんよくなってゆきました。すると今度は一番安心することの出来ない日がきました。それはもう九日も旅をつづけたのでツークーマン[#「ツークーマン」は底本では「シークーマン」]へゆく道とサンチヤゴへ行く道との分れる所へ来たからです。親方はマルコに別れなければならないことをいいました。

 親方は何かと心配して道のことを教えてくれたり歩く時にじゃまにならないようにふくろをかつがせたりしました。マルコは親方の体にだきついて別れのあいさつをしました。


      三
 マルコは青い草の道に立って手をあげながら荷車の一隊を見送っていました。荷車の親方も人足たちも手をあげてマルコを見ていました。やがて一隊は平野の赤い土ほこりの中にかくれてしまいました。

 マルコは草の道を歩いてゆきました。夜になると草のしげみへはいってふくろを枕にして眠りました。やがていく日かたつと彼の目の前に青々とした山脈を見ることが出来ました。マルコは飛びたつようによろこびました。山のてっぺんには白い雪が光っていました。マルコは自分の国のアルプス山を思い出しました。そして自分の国へ来たような気持になりました。

 その山はアンデズ山でありました。アメリカの大陸の脊骨をつくっている山でした。空気もだんだんあたたかになってきました。そして所々に小さい人家が見えてきました。小さい店もありました。マルコはその店でパンを買ってたべました。また黒い顔をした女や子供たちにもであいました。その人たちはマルコをじっと見ていました。

 マルコは歩けるだけ歩くと木の下に眠りました。その次の日もそうしました。そうするうちに彼の元気はすっかりなくなってしまいました。靴は破れ足から血がにじんでいました、彼はしくしく泣きながら歩き出しました。けれども「おかあさんにあえるのだ。」と思うと足のいたさも忘れてしまいました。

 彼は元気を出して歩きました。ひろいきび畑を通ったり、はてしない野の間をぬけたり、あの高い青い山を見ながら四日、五日、一週間もたちました。彼の足からはたえず血がにじみ出ました、また急に元気がなくなって来ました、でもとうとうある日の夕方一人の女の人にあいましたから、

「ツークーマンへはここからいくらありますか。」

とたずねました。

 女の人は、

「ツークーマンはここから二哩まいるほどだよ。」

 と答えました。

 マルコはよろこびました。そしてなくした元気をとりもどしたように歩き出しました。しかしそれはほんのしばらくでした。彼の力はすぐに抜けました。けれども心の中はうれしくてなりませんでした。

 星はきらきらとかがやいていました、マルコは草の上に体をのばして美しい星空を眺めました。この時はマルコの心は幸福でありました。マルコは光っている星に話でもするようにいいました。

「ああおかあさん、あなたの子のマルコは今ここにいます。こんなに近くにいます。どうぞ無事でいて下さい、おかあさん、あなたは今何を思っていられますか。マルコのことを思って下さるのですか。」

 マルコの母親は病気にかかってメキネズの立派なやしきにねていました。ところがメキネズは思いがけずブエーノスアイレスから遠くへ出かけねばならなくなりコルドバへきたのでした、その時母親は腫物が体の内に出来たので外科のお医者さんにかかるためツークーマンに見てもらっていたのでした。けれども大変な重い病気だったのでどれだけたってもなおりませんでした。それで手術をしてもらうということになりました。けれども母親は

「わたしはもうこらえる力がありません。手術のうちに死んでしまいます。どうかこのまま死なせて下さい。わたしはもう苦しまずに死にとうございます。」

 といいました。

 主人と奥さんは

「手術をうけると早くなおるから、もっと元気を出しなさい、子供たちのためにも早くなおらなければなりません。」

としずかにいってきかせました。
 母親はたださめざめと泣きだしました。

「おお子供たち、みんなはもう生きていないだろう。わたしも死んでゆきたい。旦那様、奥さま、ありがとうございます。何かとお世話になりましてありがとうございます。わたしはもうお医者さまにかかりたくありません。わたしはここで死にとうございます。」

 主人は

「そんなことをいうものではない」

といって女の手をとって慰めました。

 けれども彼女はまるで死んだように眼をとじていました。主人と奥さんとはろうそくのかすかな光でこのあわれな女を見守っていました。

「家を助けるために三千里もはなれた国へきて、あんなに働いたあとで死んでゆく。ほん当に可哀そうだ。」

主人はこういってそこにぼんやりと立っていました。

 マルコはいたい足をひきずりながら、ふくろをせおって次ぎの日の朝早くアルゼンチンの国でもっともにぎやかな町であるツークーマンの町へはいりました。ここもまた同じような街で、まっすぐな長い道と、ひくい白い家とがありました。ただマルコの目をよろこばしたものは大きな美しい植物と、イタリイでかつて見たこともないようにすみ切った青空でありました。彼は街をずんずん歩いてゆきました。そしてもしか母親にあいはしないかと女の人にあうたびにじっと見ました。女の人みんなに自分の母親でないかたずねてみたい心持になりました。街の子供たちは四五人あつまってきて、みすぼらしいほこりだらけの少年をじっと見ていました。

 しばらく行くと道の左かわにイタリイの名の書いてある宿屋の看板が目につきました。中には眼鏡をかけた男の人がいました。

 マルコはかけていってたずねました。

「ちょっとおたずねしますがメキネズさんの家はどちらでしょうか。」

 男の人はちょっと考えていましたが、

「メキネズさんはここにはいないよ。ここから六哩まいるほどはなれているサラヂーロというところだ。」

 と答えました。

 マルコは剣で胸をつかれたようにそこに打ち倒れてしまいました。すると宿屋の主人や女たちが出てきて、

「どうしたのだ、どうしたというのだ、」

といいながらマルコを部屋の中へ入れました。

 主人は彼をなだめるようにいいました。

「さあ、何も心配することはない。ここからしばらくの時間でゆける。川のそばの大きな砂糖工場がたっているところにメキネズさんの家がある。誰でも知っているよ、安心なさい、」

 しばらくするとマルコは生きかえったようにおき上りながら、

「どちらへ行くんです、どうぞ早く道を教えて下さい。私はすぐにゆきます。」

といいました。

 主人は、

「お前はつかれている、休まないと行かれない。今日はここで休んで明日ゆきなさい、一日かかるのだから。」

 とすすめました。

「いけません。いけません。私は早くおかあさんにあわなければなりません。すぐにゆきます。」

 マルコの強い心に動かされて、宿屋の主人は一人の男をわざわざ町はずれの森まで送ってよこしました。マルコは大変よろこんで教えてもらった道を急ぎました。道の両がわにはこんもりとした並木が立ちならんでいました。マルコは足のいたいことも忘れて歩きました。

 その夜母親は大そう苦しんでもう息も切れ切れに、

「お医者さまを呼んで下さい。助けて下さい。わたしはもう死にます。」

 といいました。

 主人や奥さんや女中たちは女の手をとってなぐさめました。

 もう夜中でありました。マルコはもう歩む力もなくなっていく度となくころびました、けれどもマルコは

「おかあさんにあえるのだ。」

という心が胸にわいてきて足のいたいことも忘れてしまいました。

 やがて東の空がしらじらとあけてきて、銀のような星も次第に消えてゆきました。

 朝の八時になりました。ツークーマンのお医者さんは若い一人の助手をつれて病人の家へ来ました。そしてしきりに手術をうけるようにすすめました。メキネズ夫婦もそれをすすめました。けれどもそれは無駄でした。女はどうしても手術をうける気はありませんでした。手術をうけないうちに死んでゆくのだとあきらめているからでした。医者はそれでもあきらめずにもう一度いってみました。

 けれども女は、

「わたしはこのまま安らかに死んでゆきとうございます。」

 といいました、そしてまた消えてゆくような声で、

「奥さま、わたし[#「わたし」は底本では「わたく」]の荷物と、この少しばかりのお金を家の者に送ってやってください、私はこれで死んでゆきます。どうぞ私の家へ手紙も出して下さい。わたしは子供を忘れることが出来ません。小さい子のマルコはどうしているでしょう、ああマルコが……」

 といいました。

 その時、主人もいませんでした。奥さんはあわただしくかけてゆきました。しばらくすると医者はよろこばしい顔をしてはいってきました。主人も奥さんもはいってきました。[#「。」は底本では欠落]そして病人に、いいました。

「ジョセハ、うれしいことをきかせてあげるよ。」

「おどろいてはいけません。」

 女はじっとその声をきいていました。

 奥さんは

「お前がよろこぶことですよ、お前の大そう可愛がっている子にあうのですよ。」

 女はきらきらする目で奥さんを見ました。[#「。」は底本では欠落]そしてありったけの力を出して頭をあげました。

 その時でした、ぼろぼろの服をきてほこりだらけになったマルコが入口に立ったのでした。

 女はびっくりして「あっ」と叫び声をあげました。

 マルコはかけよりました。母親はやせた細い手をのばしてマルコをだきしめました。そして気ちがいのように

「どうしてここへ来たのほんとうにお前なのか。本当にマルコだねえ、ああほんとうに」

と叫びました。

 女はすぐに医者の方をむいていい出しました。

「お医者様、どうぞなおして下さい。早く手術をして下さい。わたしは早くよくなりたいです。どうぞお医者さま、マルコに見せないで。」

 マルコは主人につれられて部屋を出ました。[#「。」は底本では欠落]奥さんも女たちもいそいで出てゆきました。

 マルコは不思議でなりませんでしたから、

「おかあさんをどうするのですか。」

 と主人にたずねました。

 主人はおかあさんが病気だから手術を受けるのだといいました。
 と不意に女の叫び声が家中にひびきました。
 マルコはびっくりして

「おかあさんが死んだ。」

と叫びました。

 医者は入口に出て来て

「おかあさんは助かった、」

といいました。

 マルコはしばらくぼんやりと立っていましたが、やがて医者の足許へかけていって泣きながら、

「お医者さま、ありがとうございます[#「ございます」は底本では「ざざいます」]。」

 といいました。
 しかし医者はマルコの手をとってこういいました。

「マルコさん。おかあさんを助けたのは私ではありません。それはお前です。英雄のように立派なお前だ!」
 

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01. 2013年7月30日 09:32:38 : W18zBTaIM6


母を訪ねて三千里(ただしメキシコ北部) 2013年1月23日 (水)

Bc251最近のラテンアメリカ文学がオートフィクションだと言い続けているうちに、手に取る小説の大半がそうなってきた。特に若い世代に顕著で、もはや誰も自国の歴史や文化といった大きな物語を語ろうとしないのかと心配になるほど。なんだか魔術的リアリズムが懐かしくなったりする今日このごろです。

 本書はメキシコの1971年生まれの作家による。

 語り手が作家として実名で現われるとすべて自伝とも言えず、どこからどこまでが事実でどこからどこまでが虚構なのかよく分からない。そんなオートフィクションは、書き手にとってはお気軽な文体であり、読み手にとっては自伝を読むときのある種の好奇心を満たせるし、大きな物語はないのだ‥という安心感をもって臨める。読み手として安心しているようじゃケータイ小説を笑うことはできない気もするが、オートフィクションは安心して読めるように思う。

 この小説は語り手の母をめぐる話である。

 冒頭からその母親が白血病で死の床にいることが分かる。入院中の母のベッド脇でパソコンに本書を打ち込んでいるという設定である。その病院における今と、母と過ごしたメキシコ北部を転々とする幼少時代の記憶が同時進行していく。

 ちなみに本日の題だが、これは日本のアニメで知られているもので、原作は『アペニンからアンデス山脈へ』といい、デ・アミーチスというイタリア人作家が1886年に書いた大ベストセラー『クオーレ』に含まれているので読むことができる。イタリア人のマルコ少年が遠いアルゼンチンに渡った母を探して大冒険をする、という話。たぶんメンドサあたりで再会する。

 19世紀は多くのイタリア人がアルゼンチンへ移民した。いろいろな人種がいたと思うが、南部の貧しい人が多かったことは事実だろう。

ブエノスアイレスから流れ流れてメンドサまで来た定職をもたない外国人女性、とくれば、これはどうも、マルコのお母さんは売春婦とは言わずとも酌婦的職業についていた可能性が高い‥。

 てなことを言うと、特に日本では怒られる。

 なのでそれはさておき、本書の語り手の母親の職業は娼婦だ。

ラテンアメリカの娼婦は実はノマドが多い。もっとも有名なノマド娼婦はガルシア=マルケスの描いた『エレンディラ』だろうか。あれは幼い娼婦を連れて各地を回る因業ババアのお話だったが、こちらの娼婦マリセラは息子である語り手を連れてメキシコ各地を回っていた。

 (僕は一九七一年一月二十日にゲレロ州アカプルコ・デ・フアレス港市で生まれた。三歳で初めて死人に出会った。溺死者だ。この歳には初めてゲリラにも出会った。代母ヘスの弟キトだ。彼は銀行強盗で服役中だった。幼少期を僕は街から街、売春宿から売春宿へと移動するという、母の商売によって課せられたノマド生活のなかで過ごした。歳を重ねるたびに焼けるような焦燥に駆られつつ、南部の奥地から北部の輝ける都市群へと旅をして過ごした。(pp.78-79)>

 各地で生まれた子どもたちは成人するに従って家を、というか母のもとを離れてゆき、たとえば語り手の兄などは日本に渡って横浜に定住してしまっている。こうして語り手だけが母の最期を看取ることになるわけだ。

 第一章では病院内での日記と幼少期の記憶が交錯するが、第二章はドイツのベルリンが舞台。作家として招かれたベルリンで妻と街を放浪しながら語り手は時折母のことを回想するが、この章はどちらかといえば語り手自身の内的独白が中心になる。

 第三章はハバナが舞台。裏町を売春宿を求めて作家連中とウロウロしつつ、この章では「自伝」という語り口そのものが記述の対象になっていく。そうこうするうちにメキシコ北部の語り手が幼少期を過ごした地域で麻薬をめぐる殺人事件が急増し始める。そして最終章は前章に関する次のような言葉で始まっていく。

(すべてウソの切り貼りだ。オレは性的に抑圧されている。

アナルセックスなど一度もしたことはない。ボボ・ラファグアなる人物はオレの想像の産物だ。オレは実は中国の数ヶ国語を完璧に操ることができる。ディアブリート・トゥントゥンなる酒場をハバナで探しても徒労に終わるだろう。ハバナへなど行ったこともない。ウソ。約一回だけハバナへ行った。ウソ。一度ハバナへ行ったが、熱を出して病院のベッドでひとり暗い顔で黒いマスクをあてがわれて過ごしていたので、実は夜は何にも見ていない。朝と昼はカルロス・スリムが仕切るグループの子分として(いつもの文学商人、というか文学娼婦としての役割に従い)きりきり働いていた。このグループというのは、フィデルが死んだあとのキューバの将来をどうするか企んでいるラテンアメリカの極右企業家連中の集まりだ。(p.171)>


 こうしてオートフィクション特有の語りに関する自己言及を経つつ、最後はそれまでボンヤリしていた妻や兄弟たちの詳細な情報が断片的に語られ、そして妻とともに母の死の床に淡々と立ち会うまでが描かれる。

 よく考えると hijo de puta が語り手になるのはスペイン語文学の長い伝統なのかもしれない。たとえば『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』というピカレスク小説の原点とされる小説があるが、あれの母親も、はっきりそうとは書いていないけれど、身持ちの悪い女として描かれている。

娼婦の息子、という罵倒語が普及しているのを見ても分かるように、グアダルーペの聖母など数多くのマリア信仰を抱くラテン文化圏にあって母親を媒介とする心的操作は私たち日本人には想像もつかないほど根が深いものがある。特にメキシコはその傾向が強い。madre という語自体が日常語に組み込まれているので、実際の生活ではほとんどその愛称である mamá しか用いない。

 このような社会にあって娼婦の息子を自ら公言するというのは、すなわち心的関係性で最底辺に自ら身を置くことを意味する。これは自己卑下というのとも少し違っていて、おそらく社会のなかで唾棄されている存在、行為、できれば見たくないと思っている生き方、精神性、そういった陰の部分をなんらの感情的昂りなしに逍遥することを可能にするスタンスなのだ。

 小説を読んだ第一印象は漠然としている。

 特に物語があるわけでもない。

 自伝としてはつまらない。

 が、文体に漲る詩情は上のようなスタンスに由来するものに他ならず、それだけを味わって読むと奇妙な魅力があって、なんとなく再読したくなってしまうのである。そういう小説を私はラテンアメリカ文学であまり読んだ記憶はない。
http://bar-trilce.no-blog.jp/tenmablog/2013/01/post_1e9d.html


02. 2013年7月30日 09:40:35 : W18zBTaIM6


「母とたずねて三千里」哀愁のブエノスアイレス


ブエノスアイレスといえば、やはりアニメの名作「母をたずねて三千里」だなぁ。イタリアの少年マルコがアルゼンチンにいる母を求めて旅する物語。

大好きだったこのアニメのおかげで子供だったボクの中に少年マルコがめざすブエノスアイレスの名前はしっかりインプットされました。

今回は母といっしょに旅するアルゼンチン。アニメのストーリーとはだいぶかけ離れちゃった受難の旅。思えば「母をたずねて三千里」の第一話のタイトルは「行かないでお母さん」だったなぁ。

でもそんな願いもむなしくウチの母は「アタシは行くからね!」って来ちゃったもんね。(涙)

ブエノスアイレスはタンゴの本場です。
哀愁ただようタンゴはユネスコ世界無形遺産のひとつ。
アコーディオンの音色がふたりの間を流れ、
ギターのつまびきがふたりのステップを軽やかに弾ませる。


夜の街の娼婦たちと、船乗りの男たちの一夜の愛へのかけ引きが、

踊り化されたというタンゴ。
視線がせつない、吐息が甘い.....。
無言のささやきがふたりの間を交差する。
ン〜〜〜。とてもセクシー!!!

このおふたり、カメラを構えたボクのために2曲も踊ってくれました。
そしてこのあとこのイケメン兄ちゃんがボクにタンゴのステップを教えてくれました。(見物人が誰もいなかったからか?)

「1、2、3....。右、左」

「ウノ(1)、ドス(2)、トレス(3)....デレーチャ(右)イスキェルダ(左)」

くりかえし耳にするこの5つのことば。ステップの習得にはならなかったけど、スペイン語の習得にはなりました。ハハハ....どーもあざ〜した!

タンゴ発祥の地であるボカ ( Boca) 地区。
そしてアニメ「母をたずねて三千里」のマルコがたどりついた(?)ボカの波止場のホンモノがこれです。

サンテルモ地区は石畳に小粋なカフェやレストランがならびます。

ブエノスアイレスは南米のパリといわれるだけあって、カフェ文化がいきづく街です。
大理石の床がつくる軽快な靴音。
人々のざわめきとコーヒーの香り。

写真:街のあちこちにレトロなカフェがあります。
洗練された人っていうのは、流行(はやり)だからといって手軽だからといって、紙コップで出されるコーヒーや道を歩きながらのコーヒーなんて遠慮するものです。

写真:中でもカフェの代表格トルトー二 (Cafe Tortoni)


コロン劇場 ( Teatro Colon)
パリのオペラ座、イタリアのスカラ座とともに世界三大劇場のひとつ。
シャンデリアのきらめきに、貴婦人たちの胸元をかざる宝石は輝きを増し、

シャンパングラスの冷たい響き、
衣擦れの音、大理石の柱や壁にこだまする靴音。
人々の笑い、そしてさんざめき....。
そんな1900年初頭、ブエノスアイレスが世界の都市の繁栄の頂点であった証しを今に伝えます。


今なおアルゼンチン人の中に絶大な人気をもつペロン大統領とエビータの肖像画。
エビータは人気あるでしょ。こんなところにも!
人に一生があるように、国や都市にもそれがあるかもしれない。

青春期には都市や国は成長をとげ、壮年期にあって繁栄を謳歌する。
人の老いは止められないけれど、国や都市の繁栄や安定は、質のいいアンチエイジングさえあれば継続可能。繁栄をいかに長く保つか....それがその国や街びとたちの英知。

1900年の初めに世界の繁栄都市のトップにあって、「北半球にニューヨークあり、南半球にはブエノスアイレスあり」とまでいわれたこの町。

それからわずか70年も経たないうちに国家経済の大破綻。そして貧困と混乱の中に墜ちて恐怖政治をまねいてしまう..http://4travel.jp/overseas/area/latin_america/argentine/buenosaires/travelogue/10628240/


03. 中川隆 2013年7月30日 10:40:25 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

Corrientes 348
コリエンテス街348番地


コリエンテス街は ブエノス・アイレス市の主な通りです。 タンゴとブエノス・
アイレス人気質に密接に結びついています。 コリエンテスという名前は この
通りと平行しているサンタ・フェ通、 コルドバ通などと同じように州名からとられ
た。

コリエンテス街はエドアルド・マデロ通から始まり、69ブロック西へ伸びて、それから北西へ向かい 有名な チャカリタ共同墓地のあるチャカリタ地区のフェデリコ・ラクロセ通で終る。

この通の車は 西から東への一方通行であり、下は 地下鉄のB線が走っている。 

コリエンテス街愛好協会というのがあり、 40の街角に著名なタンゴ作詞家、作曲家の記念板がある。 「淡き光」はコリエンテス街348番地にかってはあった
高級売春マンションを歌ったタンゴの名曲である。

A Media Luz
淡き光に

Letra de Carlos Cesar Lenzi
Música de Edgardo Donato
1925


Corrientes tres - cuatro - ocho
segundo piso, ascensor
No hay porteros, ni vecinos,
Adentro cóctel y amor
Pisito que puso Maple,
piano, estera y velador,
un telefón que contesta,
una vitrola ( fonola ) que llora
viejos tangos de mi flor
y un gato de porcelana
pa' que no maúlle al amor

作詞 : カルロス セサル レンシ
作曲 : エドワルド ドナト 

コリエンテス街348番地
三階 エレベーター
門番もいず 訪ねてくる
町内の人もいない 

部屋の中には カクテルと愛
マプレ家具店の高級家具のあるエレガントなマンション
ピアノ、 マット、 小さな丸テーブル、
お返事できる電話

青春の懐かしきタンゴを
泣き奏でる蓄音器

恋の鳴き声をたてないように
瀬戸物で作った猫

Y todo a media luz,
a media luz los dos
A media luz los besos
a media luz los dos Y todo a media luz,
que brujo es el amor
A media luz los besos
a media luz los dosすべては 淡き光に
ふたりは 淡き光の中に
接吻は 淡き光に

恋は 魔法使い
接吻は 淡き光に
ふたりは 淡き光の中に

Y todo a media luz,
que es un brujo el amoro,
a media luz los besos,
a media luz los dos

Y todo a media luz
crepúsculo interior Que suave terciopelo
la media luz de amor!

そして すべては 淡き光の中に
恋は 魔法使い
淡き光に接吻
淡き光の中で ふたりだけ
そして すべては 淡き光に

部屋の中は たそがれ
なんとやわらかい ビロード
恋の淡き光

Juncal 12, 24
Telefonea sin temor De tarde, té con masitas;
de noche, tango y cantar Los domingos, tés danzantes;
los lunes, desolación,
Hay de todo en la casita:
almohadones y divanes;
como en botica, cocó;
alfombras que no hacen ruido
y mesa puesta al amor電話番号は フンカル1224番
いつでも お電話してください。
午後なら お茶とお菓子
夜なら タンゴと歌
日曜日なら お茶を飲んで
踊りあかしましょう
月曜日は またわびしくなるけど
家には 雑貨屋のように
なんでもあります

コカインに クッションに 
長いソファー、音を立てないじゅうたん
恋のための御馳走


歌詞 注 : このタンゴは 1925年に発表されてから 既に 90年近くたっている。 現代のアルゼンチン人もほとんどの人が この歌の意味を誤解している。 

コリエント街348番地に 裕福な人が住んでいて そこで パーティーをすると解釈している人、 また コリエント街348番地には 高級ナイト・クラブがあったと解釈している人。 いずれも 間違いである。 

コリエント街348番地にあったのは 個人営業の高級売春マンションであった。 

el segundo piso というのは三階であるが ”二階”という誤訳が 見受けられる。
三階の方が 二階より 秘密が より守られる。

アルゼンチン、その他 中南米の多くの国では 

planta baja 一階、 el primer piso 二階、 el segundo piso  三階 

日本のマンションに相当する言葉は スペインでは piso であり 中南米では
apartamento, departamento であるが ここでは piso の縮小辞である pisito という言葉が 使われている。 piso というのは ある階のフロアー全体を占めるマンションのことである。 つまり 三階のフロアー全体を占めている。

三階には 他の住民は住んでいない。 秘密は 完璧に守られる。 誰も部屋には来ないから 安心しなさい。 部屋の雰囲気は 最高ですよ、ロマンチックな照明、音響設備も整っています。 昼も営業しています。 交通至便(地下鉄の駅に近い )という宣伝のコマーシャル・ ソングみたいなものであった。 

当時(大正時代) アルゼンチンは 世界有数の経済先進国であった。 地下鉄
の最初の路線はすでに 東京に先んじて 1913年に開通していた。 

フンカル1224番というのは 高級売春マンションの電話番号である。現在の
ように自動でつながらず 交換手が接続していた。アメリカ製の蓄音機もあり、
タンゴのレコードが発売されていたことが歌の歌詞からわかる。ビルには すでに
エレベーターがあった。

第一次大戦後は アルゼンチンは ヨーロッパ人にとって夢のような豊かな国であった。 「 母のたずねて三千里 」は イタリアのジェノバから アルゼンチンに出稼ぎに行った行方不明の母をたずねて アルゼンチンをさまよい歩く少年マルコの物語である。 

国民的タンゴ歌手であった カルロス・ガルデルの母はフランスからの移民で
貧しい未婚の母であった。 20世紀初頭には こういう実話がたくさんあった。

「 母のたずねて三千里 」の作者の エドモンド・ダ・アミチは 実話に基づいてこの作品を書いたのであろう。

cocó コカイン : 1930年頃までは コカインは 比較的容易に入手できた。

コリエンテス街348番地 : この番地は 現在存在しない。 この番地のあったところに 記念の プレートが かけてあるだけである。
http://www.geocities.jp/general_sasaki/cancion-amedialuz-ni.html


04. 中川隆 2013年7月30日 19:12:45 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

「ブエノスアイレスへ行く」には、俗語で「売春婦になる」という意味がある(あった)らしい。
https://twitter.com/genkinanodesu/status/333837973168738304

とうとうブエノスアイレス五日目。
明日は早朝便で帰りますから、実質はブエノス滞在最後の日です。


今日の予定は午前中ボカ地区を見学し、午後は最後のお買い物。


ボカ地区はブエノスアイレスでも屈指の治安の悪い地域。気を引き締めて朝っぱらから出かけて行きます。タクシーの安さが分かったので、マンションの前で流しのタクシーを拾ってまずはカミニートへ突撃。料金は35ペソ(550円)。


カミニートとは、タンゴ発祥の場所と言われるボカ地区に作られた小道(caminito)のことで、周囲の家がカラフルに塗られているのが印象的です。


カミニートと言えばこのアングルですね。


タンゴ発祥の地として知られるボカ地区。

以前はここにブエノスの港があり、船乗りたちが沢山闊歩する地域だったんだそうです。もちろん、彼らを相手にする売春宿もあり、船乗りと売春婦の一夜のロマンスがタンゴへと昇華していったと言われています。そう聞くと、タンゴの官能的なダンスも理解できるわけですが、起源を聞くとドン引きする人も居そうですね。


タンゴと関係あるんですよというアピールがそこかしこに


お昼近くなってくると、レストランでタンゴショーが始まります。

わーお。こうして見るとタンゴって感じですが、実際にはステップがゆっくりでタンゲリーアで見たタンゴからすると随分レベルは落ちますね。タンゲリーアのタンゴが速度10とすると、こちらは4くらいしかないです。これはこれで待ったりしていて良いのですが、周囲のざわめきによって雰囲気が出ないのが残念です。


一旦帰ってマンション近くで食事をしようかとも思ったのですが、K氏がボカ地区を気に入ったようなので、こちらで食事をすることに。いつものごとくGuia Oleoで調べた結果チョイスされたのは・・・この店。


隣の店ではタンゴが始まっています。

なかなかいい感じですよ〜。しかも隣の店のタンゴだから、こちらまでお金を取りには来ないでしょう・・・と思ったら、こっちにも来ました(笑)。チップに値するほどのタンゴでもないように思いましたが、彼らも生活があるでしょうから・・・ということで寄付しておきました。


食事はまずまず。キルメス1Lでいい気分になってマンション方面に歩いていくと、

流しのバンドネオン奏者を発見。このアコーディオンみたいな楽器はバンドネオンといい、アコーディオンとは異なります。哀愁漂ういい音色がするこの楽器、タンゴには欠かすことが出来ません。それにしても、いい雰囲気を出していますねぇ。
http://blogs.yahoo.co.jp/parakisuke/39089786.html


05. 中川隆 2013年7月30日 19:18:37 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

1: 1: 03/05/13 18:53 ID:E6ixbg25

南米のナイトクラブ、売春宿などについて情報交換しましょ!


8: 1: 03/05/13 19:11 ID:E6ixbg25

アルゼンチン・ブエノスアイレス

CONSTICION駅の裏のCalleに立ちんぼがいるけど、レベル低し。化け物も多い。
まともな娘を探すのに一苦労。US$10

Av.CorrientesやLavalleに、マンションの一室でやっている売春宿がある。
夜にその辺を歩いていれば、客引きの親父に声をかけられるでしょう。

26: 名無し: 03/06/17 20:28 ID:rmRlfhas
>>8
>アルゼンチン・ブエノスアイレス
>CONSTICION駅の裏のCalleに立ちんぼがいるけど、レベル低し。化け物も多い。
>まともな娘を探すのに一苦労。US$10

その化け物が好みなんですけど。
ただ、US$10って、こんな安いの?アルゼンチンは。
経済崩壊したからって。タイの置屋並じゃん。
昔はUS$150から200だったでしょ。
http://21overseaxx2ch.blog.fc2.com/blog-entry-12.html



29: 0: 03/06/20 17:50 ID:H3InjpQT

アルゼンチンでは専門の仲買人がいて、中級ホテルに斡旋に来るそうな。
チリにもあると現地の駐在員が言ってた。
ペルー、コロンビアはマフィアが絡んでくるからやばいらしい。


06. 中川隆 2013年7月30日 19:36:34 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

私が愛した世界の女たち

アルゼンチン激安3Pプレー

 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにいる。この国は深刻な経済危機に陥り通貨ペソは下落して価値がない。

 しかし、ドルを持つ旅行者には安くリッチに遊べる天国である。ちなみに1ドルで生ビールが4杯飲める。

 カフェでビールを飲んでいる。

そこに2人連れの女が英語で話しかけてきた。

 2人は美人でもなく、そこいらにいるごく普通の女の子である。

「あなた、本物の日本人?!」

 大柄の女が尋ねた。
南米に多くいる日系人ではなく、日本からやって来た日本人かどうか尋ねたのだ。

「日本からの旅行者だ」

 そう応えると2人は抱きついて喜んだ。数億円を南米女に貢いだ間抜けな日本人のニュースのおかげで日本人は気前がいいと思われているようだ。

「あなたの部屋で遊ぼうよ」

 女たちはホテトル嬢といったところだろうか。とりあえず内容を確かめた。3Pにレズショー。客のニーズに応じて値段も違っていた。1時間で100ドルの最も高いコースを選んでホテルの部屋に2人を連れて戻った。

 大柄の女からシャワーを浴びてベッドに入るように指示された。ベッドで待っていると女たちもシャワーを浴びて全裸で出てきた。

 しっかりした下半身と黒々とした陰毛。2人は何かスポーツをしているのだろう。バストも筋肉質で腹筋もついている。

 ベッドの上で2人はスペイン語で話しながらキスを始めた。

目と鼻の先で繰り広げられているレズショー。女たちの2枚の舌が絡んでいる。本物のレズではないかと思うほど激しい。

 小柄の女がペニスをさわってきた。即勃起。大柄の女が乳首をなめる。その女のバギナを小柄の女がクンニする。大柄の女がフェラを始めると小柄の女が肛門をペロペロとなめた。

 69体勢なので目の前には2人のピンク色したバギナから熱気と共に愛液のニオイが立ちのぼる。

 両手の中指と親指で2人のクリトリスをつまんでやるとフェラがバキュームに変わり、小柄の女が肛門に舌を入れてきた。気持ちいい。

 大柄の女が跨りペニスを挿入する。小柄の女が大柄の女の乳首を吸い始めた。その女のバギナに指を入れた。大きなあえぎ声を上げる女たちは射精しても激しいキスを続けている。

(日刊スポーツ「世界の下半身」より)
http://www.ne.jp/asahi/nagumo/kaito/sex/057-aru/sex057.htm


 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスには日本庭園がある。ケーブルテレビで放映されている日本のアニメが大人気。おまけにアルゼンチンギャルは日本人男性が好きだ。

 この前まではバーにバイト感覚で売春する女の子たちがたむろしていたが、消えていた。

 バーテンダーによると夜になると街角に女が立つが、怖い系がバックにいて危険なのだそうだ。安全に遊べる相手探しはインターネットになっている。

 バーテンダーに教えてもらった女の子たちのホームページにアクセス。女の子たちの写真をチェック。気に入った女の子がいれば電話する。しかし、英語は通じない。電子辞書で場所や値段など簡単なやりとりをした。だが、写真と本人が合致しないケースがかなりある。そこで予約を数件取る。

 昼下がりである。最初の女の子のアパートはメインロードのアベニューダ・フロリダから路地を入ったところにあった。その女の子は大学生となっていたが、実際に会ってみると写真は10数年前のモノと思われる熟女が出てきた。日本式に丁寧におじぎして退散。

 次の女の子は古いアパートの4階にいた。暗い廊下のドアが開かれると部屋は陽光が差し込んでいる。女の子は若くて愛嬌はあるがセクシーさと皆無ギャル。とりあえず電子辞書で指さし会話。女の子は大きな瞳をくりくりさせて楽しそう。女の子は現役の女子大生だそうだ。

「両親は働きに出ているし。帰宅まで2時間あるから」

 プレーは時間と回数がある。1時間か1回か。そんな話をしたあと、50ドルで1回をお願いした。女の子の部屋に移動。勉強机にパソコン。壁にはアルゼンチン出身のチェ・ゲバラのポスター。女の子はカーテンを閉めないでスカートとシャツを脱いだ。白のブラジャーと白のパンティー。しかし、体脂肪の多そうな腹回り。シングルベッドで抱き合いキスをしたあとブラジャーを外す。大きなマシュマロみたいな乳房が垂れている。パンティーをずり下ろす。膀胱あたりも脂肪で覆われている。ペニスは下を向いた。

「ムーチャ・スエルテ(がんばって)」

 彼女の手コキにペニスは力を失っていく。両親の帰宅も気になり焦る。アカン。ギブアップした。女の子は気の毒に思ったのか30ドルにまけてくれた。

 いい女が相手でも男はたまにセックスできない時がある。そのことをどうにか伝えると女の子は微笑みながら金玉を思いきり握ぎりやがった。ピョンピョン跳びはねて外に出たあとしばらくその場にうずくまった。

(日刊スポーツ「世界の下半身」より。 
http://www.ne.jp/asahi/nagumo/kaito/sex/131-ar/sex131.htm


アルゼンチン風俗情報


7 : ハアハア : 2006/07/15(土) 10:55:56 ID:s/buvk9x

アルゼンチンは立ちんぼさんいっぱいいるよ〜。
女の子もめちゃくちゃ可愛いし。ムチムチしててうまそうだよ〜ん。ハアハア。

無理やりアルゼンチンの女の子の まんこなめなめして犯したいな〜

11 : _ : 2006/07/16(日) 12:42:54 ID:yYJmgDLp

金髪娘ばかりですね。 思わずアメリカと思いましたよ。
メキシコ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ブラジルなどはいろんなタイプの娘おりますがアルゼンチーナはヨーロッパやアメリカみたく金髪白人ばかりっすね。
俺は金髪好きですからヨリドリ緑っす。グラシアス!


12 : 月9 : 2006/07/16(日) 18:19:10 ID:EfXIjnPj

アルゼンチンの女はホント最高だよ。

15 : hh : 2006/08/24(木) 11:40:46 ID:1w3kSJhe

アルゼンチンの女は美しいよね

19 : ブエノスアイレス : 2006/08/25(金) 10:15:25 ID:9+SZOy1r2005年12月17日(土)

2005年11月、私はアルゼンチンで8週間過ごしました。
ブエノスアイレスのシーンは行くに値するものでした。
Sheraton Retiroの近くのエリアで最初に探し始めました。
バーはカティーサークなどでした。
このエリアの遊び場は比較的低予算で済みましたが、美女は少ないです。
ホテルへの1時間程度のお持ち帰りで、200ARS(約65ドル)でした。

私が推奨するエリアはRecoletaにあります。
私はここで少数の場所を訪れました。
最も高価で有名なものは黒と呼ばれます。
それは入るために20ドルです。

また、性別はそうです、のように、$200-$500 USD。
また多く。

しかし、少女は最も良く見る女性です。
私はかつて見ました...
また、私は広範囲に旅行しました。
私が推奨する場所はシャンプーです。
それは入力するべき10ドルおよび性別用の100ドルの+です。
ここの少女はこの少女たちが接近している南アメリカの至る所でからです。

モデル・レベル。
概して、Recoletaに行ってください。
そうすれば、取る約6-12の場所があります。
http://unkar.org/r/21oversea/1152767287


07. 2013年7月30日 20:24:34 : W18zBTaIM6

フリオ・イグレシアス ラ・クンパルシータ
http://www.youtube.com/watch?v=YNMcHaLhwlg
http://www.youtube.com/watch?v=5CHDOwsh8oQ

LA CUMPARSITA
http://www.youtube.com/watch?v=W8Ud0PS0H_k
http://www.youtube.com/watch?v=R7_rnucyZg8
http://www.youtube.com/watch?v=eHNz3vEnhUM

ティート・スキーパのタンゴ全録音
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12722887

アルパでラ・クンパルシータ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13250938


08. 中川隆 2013年7月31日 07:49:50 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

【ラテン】復活 南米・風俗情報交換【アメリカ】


116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 17:54:31.31 ID:IfbrAn0N

ブエノスアイレスで対戦したカミーラちゃん。スタイル抜群で顔つきもエロい。

尻穴に舌をねじ込まれ、強烈な愛撫に思わず反射的に射精。

二回目は肛門への攻勢をしのいだが、フェラでイカされた。

出ている間も吸い続けられて、腰が抜けそうになった。

私がシャワーに行っていい?と尋ねると、ノーと言って離してくれなかった。
彼女のいろんなところを丹念に舐めてあげたのがよかったようだ。
別れ際、いつまでもベロチューをやめてくれなかった。
また会いたいがちょっと遠いな。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/06(木) 08:41:40.12 ID:ipIrFqvK

ブエノスアイレスにて、かつてひいきにしていた嬢と10ヵ月ぶりに対戦。

彼女は性格もスタイルもよいのだが、マグロ気味でエロさが足りないので、このところ別の嬢たちと遊んでいた。
フェラのテクはイクまではふつうなのだが、発射した後が抜群にうまい。ああ、そうだったと思い出した、この感覚。

最後の一滴まで吸い取ってくれて、思わず声が出てしまった。
二回戦は騎乗位で合体、正常位でフィニッシュした。1時間で200ペソ。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 11:49:09.60 ID:wwVPKtyN

お店のおばさんが「カワイイから2時間にしなさいよ」という嬢を指名。予算が足りなくて1時間半にした。500ペソ。

確かにかなりかわいかった。挿入すると同時に柔らかかったチクビがピン!と立っておもしろかった。

一発目は私が早々とイッてしまったが、二発目は二人で同時に昇天した。
しかし調子に乗って股間その他を舐めまくったら、カゼをひいてしまった。冬のブエノスアイレスでのお話です。


207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 09:06:20.31 ID:AwYATj8k
>187
また会おうと思って電話したら店のおばさんに「もういないわ」と言われちゃった・・・。
一度抱けただけでも幸せだったのかも。美人でいい匂いがして最高だったんだけどな。
また開拓せねば。

アルゼンチンは性格がよくてサービス精神のある嬢が多いので、おすすめですよ。(もちろんハズレもあります。)
危険な地域に足を踏み入れなければブエノスアイレスはそこそこ安全です。
ただし英語の得意な嬢はかなり少ないので、(少しでもいいので)スペイン語が話せた方が絶対に楽しめます。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/26(土) 05:47:13.04 ID:Vy6mB2ZY

ブエノスアイレスにて、これまでに経験のないほど美人でスタイル抜群のパツキンポルテーニャと対戦したが、Dキス不可、股間も満足に舐めさせてもらえず、濃厚な愛撫がないのが不満だった。
ただ、すごい美人なのに足が酸っぱいニオイがして興奮。嗅がれまいとさりげなく足をずらそうとする彼女だったが、 正常位でガッツリ嗅がせてもらった。それに興奮してイッてしまった。

282 : 【19.4m】 :2011/12/02(金) 21:00:59.20 ID:mn6oWi4T

どっちがイったのか判断しにくい書き方だな。
嗅がれてしまい興奮してイったのか(女)、嗅いだことに興奮してイったのか(男)。


283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/03(土) 06:02:48.85 ID:99xjPg/z
>>282
イったのはもちろんこの私です。たしかにどっちかわかりませんでしたね。

彼女のサービスにかなり物足りなさを感じたので、知っている別の店をハシゴ。
古い雑居ビルの一室にあるアパートで、なぜかここにはエアコンがない。

そんなに美人ではないが愛嬌のあるチーカと、お互い汗まみれになりながら昇天。
彼女は私にしがみついたまま、しばらく動けなかった。
しばらくとりとめのない話をしてからもう一度求め合ったが、二回戦は時間切れで私のほうがイけなかった。

ブエノスアイレス出身でお小遣い稼ぎにやっている美人とパラグアイ出身で生活のかかっている子と。
対照的な二人でしたが、やり遂げた感は後者のほうが大いにありました。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 22:03:08.20 ID:q1OihvEa

116です。
私の経験した狭い範囲内ですが、アルゼンチンの嬢はサービス精神があり、
中には自ら楽しもうというチーカ(女の子)もけっこういました。

エスコート嬢によっては英語可のチーカもいますし、Webサイトによっては表示されていたりもします。でも、スペイン語がある程度わかったほうが断然いいです。
電子辞書かスマートフォン+Google翻訳を活用してみてはいかがでしょう。

121 :天使:2011/04/28(木) 22:05:16.66 ID:uIqRvfMb

肉欲の交わりに言葉いらないのでは。
ブエノスアイレス散歩して思ったのは背の低い女性が多いなと感じた。


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 22:51:59.74 ID:q1OihvEa
>121
一回出しちゃうと復活するまで時間がかかるので、しゃべって間を持たせています。
一回が長持ちするといいんですが、そうではないもので・・・。
おっしゃるように小柄な女性、けっこう多かったですね。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 03:28:12.83 ID:PgiFx8wW
>>120
置屋?エスコート? エスコートは写真詐欺が多いから嫌いなんだよな。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 03:30:55.08 ID:PgiFx8wW

おれが重視するのはやっぱ腰フリだな。こればかりはやらないとわからない。
いい腰の女は忘れられない。


125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 02:09:43.30 ID:OTucWs7x
>123
アルゼンチンはまだ写真詐欺が少ないと思いますが(ヤバいのはボカシが入っている嬢)
もちろん信頼の置ける置屋のほうがハズレが少ないでしょう。
写真じゃなくて実人物から選べますから。

(紹介時に若干のコミュニケーションがあるので、ビジュアルだけではなく性格やノリの善し悪しもある程度推測がつきます。)

ただ、来店した日時で嬢の選択肢が乏しかったり、逆に大当たりがあったり。


>124
たしかにわかりませんね。すごいパワフルな人もいますよね。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 09:23:30.76 ID:X2B4FUSb

ブエノスアイレスでなじみの店を訪問したら、主人のおばさんは私の予約を忘れていた。
予約していた嬢の代わりに彼女の妹ならいるというので会うことにした。

端正な顔は姉とうり二つだが、妹の方が鼻がもっと高かった。
身長も体型も同じくらいだが姉の方が堅く引き締まっていたのに対し、妹のほうは抱き心地が柔らかかった。
姉は十分エロかったが妹はそれ以上だった。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 09:25:18.44 ID:X2B4FUSbD

キスを繰り返しながら体を密着させ、腰をいやらしく動かして私の股間を愛撫する。
これが実にエロくて気持ちいい。

やがてベッドに移動。耳の穴と脇の下、足の裏が弱点らしく、なめてあげると切ない声を上げる。

股間に口をやると、自ら腰を動かし、何度も頂点に達した。

続いて攻守交代。彼女はムスコを優しく丁寧にしごきながら玉を口に含んだり、
口でねじを回すように先端をなめ上げたり、豊満なオッパイに挟んだり。
多彩な攻撃に持ちこたえることができず、彼女の口の中へ。

「いっぱいレチェ(ミルク)が出たわ。おいしかった」


168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 09:28:44.70 ID:X2B4FUSb

二回戦は彼女が上になってひとつになった。
ゴムごしに、彼女の温かみが伝わってくる。
激しい腰使いでベッドがきしむ。やがて頭が真っ白になった。

すべてが終わったあと、頬と体を密着させて添い寝(ドルミール・クチャリータと言うらしい)。
とりとめのない話をしていたら、故郷のフォルモーサに私を連れて帰っちゃおうかしらと言ってくれた。

営業だと思うがそう言われて悪い気はしない。
1時間半のはずが2時間以上過ごした。しかし追加料金もなければ終了を督促する電話もなかった。
次回は姉にしようか妹にしようか、うれしい悩みを抱えてしまった。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 10:52:30.59 ID:L6U73RTO

値段は?


171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 11:38:49.18 ID:X2B4FUSb
>169
1時間半で350ペソ(約7000円)でした。


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/04(月) 14:13:30.94 ID:L6U73RTO
>>171
サンクス。安いね。どうやっていい店を見つけるの?


173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 04:28:31.62 ID:kB/bj1ym1.

まず、google.com.arなどでキーワードservicio escortで検索。

2. いろんなエスコート紹介サイトがヒットするんで適当に選び、よさげな嬢を探す。

3. 複数の異なる嬢が同じ電話番号を持っている場合、それは置屋の番号。
よさそうな嬢が何人か登録されている番号にかけて住所を教えてもらい、訪問。

4. 訪問時にスタンバイしている嬢からお気に入りを探し出す。
このサイクルを何度か繰り返すと、きっといい感じの店や嬢に巡り会えると思う。
ホテルに呼ぶのは楽だが、約束の時間に来なかったり、別の嬢が見られなかったり、
料金が高くなる(タクシー代が込みになる)んで、極力ドミシリオを訪ねるよう心がけている。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 04:29:50.14 ID:kB/bj1ym

事前に特定の嬢の評判を知りたければ、その嬢の名前と電話番号か何かで Foro escortなどのエスコート嬢評価サイトで調べてみる方法もあり。
うまくすれば以前に利用した人のコメントが見つかるかも。
スペイン語がよくわからなければ、Google翻訳を活用すべし。

なお、011はブエノスアイレスの市外局番で15が付いていれば携帯電話。

たとえば011-15-XXXX-YYYYなら、54-9-11-XXXX-YYYYとダイヤル(相手が携帯の場合、国番号のあとに9を入力)。

011-ZZZZ-WWWWなら、54-11-ZZZZ-WWWWとダイヤル。
いい嬢が見つけられるといいですね。
Tenga suerte!

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 04:35:35.64 ID:kB/bj1ym

ところでアルゼンチンを訪ねるみなさん、アメ玉(カラメロといいます)を持参するとイイことがあるかも。

今回たまたま持っていたんで、一回戦が終わってまったりしているときに、アメがあるんだけど、なめてみる?と聞いてみたところ喜んで口に含んだ。

そのあとの展開はご想像通り。Dキスを繰り返しながら何度も口移しを楽しんだ。
彼女はほほえみながら、ひとこと。

「ケ・ロマーンティコ!」。


64 :sage:2011/01/27(木) 10:49:51 ID:zuxNb/Yt

今度ブエノスアイレスにいきます。お金はかかってもいいので、綺麗な人とHしたいのですが、エスコートサービスかバー、ナイトクラブからお持ち帰りがよいでしょうか?
おすすめのエスコートサービスや、この店に美人が集まると言った情報があればご教授ください。よろしくお願いします。

66 :a:2011/01/28(金) 01:03:48 ID:RDfW65b+

Google Argentinaに行く。
http://www.google.com.ar

そしたら

"buenos aires escorts modelos"

で検索してみる。


ちなみに、最近出たアンドロイド用の Google Translate のアプリにはSMSを翻訳する機能が付いてるので、エスコートのいろんな条件についてSMSで問い合わせとかに便利だよ。

まあ、ある程度、基本的な、あるいは、よく使いそうな文章についてはスペ語の言い回しを練習しておいたほうがいいけどね。


67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 06:44:00 ID:4S4Ye1KF
>64, 65
アルゼンチンではいくつかあるエスコートサイトで嬢(チーカと呼ばれる)を探してコンタクトするのが普通かと思います。
エスコートサイトの探し方は66さんのおっしゃるとおりです。
または「servicio escort」で検索かな。

これらサイトに登録されているチーカたちは、一部の(自宅等で営業している)独立系を除き、いずれもどこかの実体のある店に所属しています。 気に入ったチーカに電話でコンタクトすると、本人が出る場合もあれば、店のスタッフ(たいていおばさん)か、別の空いているチーカが応対します。 彼女の所属する店の住所を聞き出して、だいたいの時間を指定してゴーです。 目当てのチーカの予定がわからないか出勤していない場合、とにかく店を訪ねてみて、そのときに出勤しているチーカと対戦することもできます。

この場合は、パネルを見て選ぶのではなく本人が一人ずつ自己紹介してくれるので安心です。
たいていのチーカは当日にならないと出勤予定が決まらないので、当日の夕方、15時過ぎごろからコンタクトしてみるのがよいでしょう。
ただしウェブサイトの写真はパネマジが効いていることもあるので、くれぐれもご注意を。

相場は1時間200〜400ペソ(セルビシオ・コンベンショナルの場合)。
いい女が高いとは限らないのがおもしろいところです。

店の所在地さえ確認できれば、ホテルに呼ぶよりも店で対戦した方がリラックスできるしおもしろいと思います。
バスルームでシャワーを浴びていたら別のチーカが勝手に入ってきて用を足したりとか、ペットの子犬や猫がじゃれてきたりとか、のんびりしていますよ。


208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 09:32:23.07 ID:Q6CCx5UA

アルゼンチン人の人柄ってどんな感じ?

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 10:22:10.94 ID:AwYATj8k
>209
例外はありますが、一般的に親切でお人好し。
相手が誰であれ、質問すれば長々と丁寧に答えてくれる。
一人一人に対してとことんまできちっと応対する感じ。
世代が違ってもバス停とかどこでも気軽に会話をする。女子高生とおっさんとか。

あと、人と人の間の距離が非常に近い。
ベシートと言うのですが、あいさつするときは、
男女、女女だけではなく男男でも頬をくっつけてチュッとやる。
ひげもじゃが多いのでチクチクする・・・。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 10:53:37.33 ID:Q6CCx5UA
>>209
なるほど。南米の平均って感じですね。アルゼンチン人は欧州人に近いみたいな話を聞いたことがあったんで、もう少し堅苦しいのかな、と思ってた。

アジア人に対する差別みたいのはどうですか? 
特にお姉さんのアジア人男に対する態度は?
特にナンパとかできそうですか?

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:35:35.15 ID:AwYATj8k
>211 >212
アジア人に対する差別は少なくとも私の周辺ではまったく感じないですね。
ナンパはどうでしょう。話し掛ければ無視されることはなく、用件は聞いてくれるはずです。
その先に進めるかは運次第。道ばたに立って歩行者に話し掛けるよりも、 信号待ちやバス停などでさりげなく話し掛けるのがよいと思います。
アルゼンチン人は男女を問わずおしゃべりが多いので、 黙っているよりはしゃべってあげたほうがポイントが高いです。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:20:17.48 ID:gJoaaLNW

ブエノスのなじみの店の住所を教えてください。
ブエノスには何度か滞在したことがあり、今後また行く予定がありますので。


215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:47:45.57 ID:AwYATj8k
>213
私がよく行くのは2軒です。

一軒目はサンタフェ通り沿い、セリート(9 de Julio)との交差点近くの大きな商業ビル内5F(9 de Julioを向いて道路右側)。

もう一軒はコリエンテス通りのモンテビデオとロドリゲス・ペーニャの間の古い雑居ビル内3F(9 de Julioを向いて道路左側)。

ただし、どちらも看板は出ていません。事前に来意を電話で告げる必要があります。


216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 11:57:11.83 ID:gJoaaLNW
>>215
ありがとうございます。電話番号も教えていただけたらありがたいのですが。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 12:17:49.65 ID:AwYATj8k
>216
すみません、下四桁で勘弁してください。一軒は6815(携帯)、もう一軒は2444です。
あとはインターネットで探せばきっとわかるはずです。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 14:56:07.05 ID:cxLSUU7G
>>203
サウナハウスでいいんじゃない。 ボアッチはカフェホトで。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/21oversea/1290836608/


ブエノスアイレスのボアッチとクラブの地図
http://www.argentinaprivate.com/maps/jacksonsmapbook.html

ラブホテルのリスト
http://www.argentinaprivate.com/forum/showthread.php?2640-Jackson-s-Transitorio-List

ボアッチとクラブのリスト
http://www.argentinaprivate.com/forum/showthread.php?1702-Jackson-s-Clubs-and-Boliches-List

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http://capital-federal.vivavisos.com.ar/escorts-masajistas

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