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「フランダースの犬」が言いたかった事は?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/864.html
投稿者 中川隆 日時 2013 年 7 月 28 日 21:06:15: 3bF/xW6Ehzs4I
 


チャンネル桜の関係者はアホが多いけど、これはいくらなんでも物の見方が皮相過ぎて呆れてしまいました:


【古谷経衡】「フランダースの犬」の教訓

From 古谷経衡(著述家&『月刊三橋』ナビゲーター)

日本人なら「フランダースの犬」を知らない人は居ないと思う。

原作は19世紀末の英国文学だが、日本では特に1975年から世界名作劇場内で放映されたアニメ作品として、いまなお児童アニメの金字塔と言われている。地上波でも「懐かしアニメ特集」ときたら、本作が登場しない方が寧ろ不思議なくらい。

先日、この「フランダースの犬」について知人からこんな話を聞いた。

「この作品の何が面白いのか正直よくわからない。ネロとパトラッシュが失意の内に教会で死ぬ。こんなかわいそうな話のどこに教訓があるのか。なぜこの作品が名作と言われているのか謎だ─」

というもの。少年と犬が無慈悲に死ぬ。誰もが知っている本作のラストは、なるほど悲劇といえる。が、この知人はすごく大事な視点が欠けているように思う。「フランダースの犬」は、お涙頂戴の悲劇が重要なのではない。本作の舞台は19世紀後期のアントワープ(ベルギー)だが、ネロとパトラッシュの直接の死因は、ネロの祖父であるジェハン(牛乳の運搬で政権を立てている)が過労で死に、結果、賃貸住宅の家賃を滞納していることを理由に部屋を追い出され、ネロが路頭に迷う事による栄養失調と凍死である。

当然のことだが、この過酷な19世紀のベルギーの社会環境の中には、孤児となったネロに温かい手を差し伸べる、という人間は皆無である。「フランダースの犬」は、ネロとパトラッシュの路上死、という衝撃のラストを通じて、如何に社会福祉が重要であるかを逆説的に問いただすものだ。


つまり、国家による社会福祉が整備されていれば、ネロには施設への入所や生活保護、あるいは里親制度という選択肢が用意されている。犬であるパトラッシュも、なんらかの保護が講じられるはずだ。

ところが、社会福祉という概念がない世界では、富者は貧者に対し、強者は弱者に対し、あまりにも冷酷な仕打ちをするのだ、という人間社会のむきだしの自然状態をあえて描くことによって、社会福祉の重要性と、それを疎かにすることによって起こった少年と犬の死をことさら悲劇的に描いているのである。

よって「フランダースの犬」の教訓とは、社会福祉をおろそかにしている社会がいかに悲惨で、いかに人間を不幸にし、そして新自由主義的な考えがとことん間違っているかを説いているものである。

この観点がどこかに吹き飛んで、単にこの作品を児童向けアニメとして観る向きがあるが、よもや人の命を金で換算するような医療改悪を含むTPP導入が危ぶまれている昨今、本作のネロとパトラッシュは、どこまでも社会福祉の重要性を、その身を持って訴えていると解釈して相当である。

こんな社会になってはいけないと、ネロとパトラッシュは無言の中で叫び続けているのだ。いまだからこそ、彼らの悲劇をたんなる物語ではなく、社会学的に考察しなければならないだろう。

因みに、同じく19世紀の孤児を描いた英国文学の古典の中にはディケンズの「オリバー・ツイスト」がある。

この作品はロマン・ポランスキーによって近年映画化されているが、こちらはネロと違って、孤児になったオリバー少年が苦難を乗り越えて成長する姿を描く名作だ。

産業革命の只中にあった19世紀前期の欧州では、このような貧困にあえぐ子供たちを社会的にどのように救済していくか、という問題が沸き起こるのだが、それはまた別の話。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/07/20/furuya/

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ドストエフスキーでもチェーホフでもすべてそうですが、一流の文学では社会問題や単純な善悪をテーマにする事は有り得ません。 文学は道徳や宗教ではないですからね。


「フランダースの犬」のテーマは以下のサイトで解明されている通りでしょう:

立場や境遇による視点の違い・・・童話「フランダースの犬」を例にして


昨年(07年)の末の頃に、茨城県の方で、事件がありました。なんでも痴呆症のお婆さんが徘徊してしまい、寒空の中にいたところ、たまたま老犬が通りかかり、その老犬と抱き合っていたために、命を取り留めたとのこと。しかし、その老犬も、お婆さんの命を助けようと思って一緒にいたわけではないでしょう。

「エサでももらえるかな?」と思って人間に近寄って言ったら、何ももらえなかったけど、まあ、めんどうなので、そのままいた・・・そんな感じなんでしょうね。犬には犬の行動原理がありますよ。

なんでも、その犬の名前はウシと言うらしい。模様が牛とよく似ているので、そんな名前になったんだそう。しかし、その犬がウシという名前でヨカッタよ。もし、その老犬の名前がパトラッシュという名前なら、お婆さんはその老犬とともに寒空の下でお亡くなりになっていたでしょう。まあ、日本中にニュースとなって広まってしまうでしょうね。
いや!世界中に広まるのかな?

とは言え、その「フランダースの犬」の話が好きなのは、世界中で日本人だけなんだそう。

日本人はどうして、その「フランダースの犬」の話が好きなのか?その物語の舞台となったベルギーの人がドキュメンタリー映画を作ったらしい。

その人いわく、「日本人には『滅びの美学』があって、そのせいで、ネロやパトラッシュの『滅び』に共感するんだ!」そんなご説のようです。この話はインターネットのニュースサイトに載っていましたよね?

しっかし、『滅びの美学』って・・・

アクの強い文章が並んでいるこのメールマガジンを購読されておられる皆様方にも、子供の頃に「フランダースの犬」の本なりアニメを見て号泣なさった方もいらっしゃるでしょ?あまりに印象に残っているので、パトラッシュという名前や「フランダースの犬」という文字を見ただけで条件反射的に涙ぐむ人もいるかも?こうなると、「フランダースの犬」だか「パブロフの犬」だか分からないくらい。まあ、それくらいに日本人は、あの「フランダースの犬」が好きのようです。

この点は、購読されておられる方だけでなく、書いている、この私も・・・は、さておき、あのラストにおいて強いエモーションを受けた方にしてみれば、それを『滅びの美学』と言うには、抵抗があるのでは?

そもそも、子供は『美学』と言われてもピンと来ない。

日本人に『滅びの美学』があることには異論がないけど、「フランダースの犬」と『滅びの美学』を結びつけるのには、釈然としない・・・そんな方が多いのでは?

じゃあ、世界中で日本人だけが「フランダースの犬」に反応するのはなぜ?
と言うことで、私がアタマの中で検索を掛けることにいたしました。
そして「ピンっ!」と、「ああ!これだな?!」と思ったのがこの言葉です。

『もののあはれ』

この「もののあはれ」という言葉は、江戸時代の国学者である本居宣長が提唱した考え方です。

日本人には、移り行くもの、はかないもの・・・そのようなものに接すると無常の感興が生じる・・・そんなものですよね?本居宣長は平安時代の『源氏物語』にその頂点を見ましたが、その「もののあはれ」という感じ方は、21世紀の日本人にも脈々と残っているもの。

そんな「もののあはれ」を元に「フランダースの犬」を見てみると、見事なくらいにハマルでしょ?

善とか悪などの問題ではなく、ネロやパトラッシュの「はかなさ」「あはれさ」ゆえに、多くの日本人は号泣するんじゃないの?

「フランダースの犬」を日本人だけが好きなのは、「滅びの美学」ではなく、「もののあはれ」という日本人ならではの感じ方が元になっている・・・

私のそんな見解には、100人中100人の方が賛成するのでは?というか、「このメールマガジンは気に入らない内容ばかりだけど、今回初めて、心から賛成できる見解が出てきたよ!」と思う方もいらっしゃるでしょう。

まあ、日本人の方は、そんな見解に簡単に合意するでしょう。

しかし、ヨーロッパ人はそうはいかない。そもそも「もののあはれ」という概念は漠然としている。あいまいでわかりにくい概念ですよ。それに対し、「美学」と明確に規定されると、たとえそれが「滅びの美学」であっても、彼らにも受け入れることが可能になる。だから、「アンタたち日本人が『フランダースの犬』に見たのは滅びの美学なのかい?」と聞いてくることに。

だから、日本人として、「ちょっと違うんじゃないのかなぁ・・・」と思っていても、「美学だ!」なんて明確に言われてしまうと、「そんなモンかなぁ・・・」と思ってしまうもの。

このメールマガジンでは、基本的には子供の目線で物事を書いています。しかし、子供は自分の感じ方を、大人にわかるようには表現できない。だから大人の側の明確な表現に押し切られてしまう。

このようなことは、このメールマガジンで頻繁に書いていますが、明確に言語化されると、それが、不自然でも、あるいは、完全に納得しているわけではなくても、通ってしまうものなんですね。

日本人とヨーロッパ人では、ものの見方も違うし、それを客観的に言語化する能力も違う。

同じようなことは、大人と子供の間にも起こっているもの。

どっちがいいとか悪いのとかの問題ではなく、それぞれの見方があるわけです。

さてさて、その「フランダースの犬」ですが、私は以前より、不思議に思っていたことがありました。ちょっと不自然なシーンがあるんですね。その不自然なシーンというのは、まさにクライマックスといえる最後のシーンです。

「どうして、物語の最後で、ネロとパトラッシュが見る絵がルーベンスなんだろう?」
そんな私の疑問を申し上げると、こう言いたいでしょ?

『オマエはバカか?物語の舞台がベルギーのアントワープ周辺であり、ご当地出身の大画家ルーベンスが重要な役割を果たすのは当然じゃないか?!』

そう思う方もいらっしゃるかもしれませんが、あの物語の舞台は何もアントワープである必要はありませんよ。それこそ舞台を東洋の日本にしてもいいくらいでしょ?どうせ日本人しか読まない話なんだし。

苦悩の果てに死に行くものが、月明かりの元で見上げる絵が、どうしてルーベンスの絵なの?

美術について、ある程度の教養がある方なら、ちょっとヘンと思うのでは?

もっと別の画家にした方が、最後のシーンをより感動的にできるのでは?

たとえば、ベルギーのお隣のオランダの画家のレンブラントの方が、はるかに適切な選択ですよ。

レンブラントの絵が持つ、現世の苦悩と、神へ救済を求める気持ち。おまけに、光を使った明暗を効果的に使っている絵なんだから、月明かりで見ると、すばらしい『絵画的』効果になりますよ。

最後になって、月光がレンブラントの絵を照らす。そのレンブラントの絵を見ながら、ネロが「ああ!神様!このボクをお救いください!」と言いながら、事切れる。

ルーベンスよりレンブラントの絵を使った方が、ネロの境遇を、より「かわいそう」にできますよ。レンブラントはオランダの人だから、プロテスタント系であり、ベルギーというカトリックの国の教会には絵が飾られない・・・そんな理由もあるでしょうが、それだったら、最後のシーンをベルギーの教会ではなくオランダの集会所にすればいいだけ。「フランダースの犬」は、地理の本ではなく、芸術作品なんだから、舞台の場所をオランダに変えることには問題はないでしょ?

あるいは、ベルギーは以前はスペインの支配下でした。

スペインの画家に、ムリーリョという画家がいます。イノセントで純粋な精神で聖母マリアの絵を描いたりしています。イノセントな精神で描かれた、柔和で慈愛あふれる表情のマリアの絵を見ながら、

「ああ!マリアさま!もうすぐおそばへまいります!」

そう言いながら息絶えるネロ。
このシーンが決まらないわけがない。

ルーベンスより、ムリーリョの方がはるかに適切な選択ですよ。

あるいは、イタリアの画家でフラ・アンジェリコという画家がいます。こちらも、その名のとおりの天使のように清らかな精神をこめて絵を描いた人。

そんな絵を見ながら、パトラッシュと抱き合ったネロが「ああ!ボクたちはもうすぐ天国に行けるんだ!!」

その他、舞台をロシアにして、最後にはアンドレイ・ルブリョフのイコンを見ながら生き絶える・・・そんな光景でも、感動的。

あるいは、宗教的な題材を離れて風景画にする手もある。

ウィーダと同じイギリス人の画家ターナーの絵を使っても、実に効果的。
ターナーの絵を見上げながら、ネロが

「ああ!光が!色彩が!ボクたちに降ってくる!!」

素人の私ですら、より効果的にできるんだから、玄人のウィーダができないはずがない。そもそもネロはルーベンスの絵を見ても「とうとう見たんだ!」と言っているだけ。絵についての具体的な感想は出てこない。せめて「なんて迫力のある絵なんだ!」「こんな絵をボクも描きたかった・・・」くらいは言えばいいのに・・・

いずれにせよ、最後に見る絵がルーベンスというのは、不適切。それも、もっと適切な絵があるというレヴェルではなく、「よりにもよって、どうしてルーベンスなの?」それくらいに、不適切なんですね。

このような例だと、それこそ人生最後に聞く音楽が、ベートーヴェンの交響曲とか派手なイタリアオペラという選択は、ドラマの「効果」としては不適切でしょ?それが音楽的に名曲であるとか、崇高な内容があるとか、そのような問題ではないわけ。人生最後に聞く音楽だったら、それこそバッハの「主よ、人の希望よ、喜びよ!」とか、モーツァルトの合唱曲の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」とか、クラリネット五重奏曲の第2楽章とか、あるいは、それこそ日本人好みでフォーレの「レクイエム」とか・・・人生最後にふさわしい、ちょっと静かな作品がありますよ。

そんな疑問を持ち続けて来た私は、その「フランダースの犬」を読み直して見ることにいたしました。

ちなみに、私はアニメの方は見ていません。どうも、ヒューマンドラマの匂いのあるシリーズの一環なので、その面で敬遠しているんですよ。

さて、何回も書いていますが、ネロとパトラッシュが息絶えるシーンにおいて使われる絵が、ルーベンスの作というのは、そのシーンとしては不適切な選択といえます。

じゃあ、作者のウィーダは、どうしてルーベンスにしてしまったの?

皆さんもチョット考えてみてくださいな。

とりあえず、考えられるのが、「フランダースの犬」の作者であるウィーダが、美術についての知識がない・・・だから、有名な画家として、とりあえずルーベンスの名を使ってしまった・・・そんな理由である可能性も、当然のこととして考えられます。それこそクラシックの作曲家として一番有名なベートーヴェンの名前を使った・・・それくらいの感覚。だから「結果的に」不適切な選択となってしまった。ああ!これが「ゆとり教育」の弊害なのか?!

別の考え方として、作者のウィーダは美術についてよく知っていて、つまり最後のシーンにおいてルーベンスが不適切であることがわかった上で、「意図的に」ルーベンスを使っている。

その可能性もありますよね?

さあ!ウィーダは考えもなしにルーベンスにしたの?
考えた上でルーベンスにしたの?

このようなことを判断するにあたっては、本の『読み手』の立場よりも、『書き手』の立場から見た方が結論が得られるもの。皆さんが『書き手』のウィーダだったら、どうしますか?

もし、書き手が、考えもなしにルーベンスだったら、「フランダースの犬」という作品に出てくる画家の名前はルーベンスただ一人になります。だって、他の画家の名前は知らないんだもん。

逆に、考えた上でルーベンスだったら?

不適切なことが判っている上で、意識的にルーベンスを選択していたのなら?

そんな場合には、作品中に別の画家の名前を多く出すことによって、「実は、ワタシは、美術について詳しいのよ!考えた上で、ヒネリを効かせて、ルーベンスの絵を使っているんだから、ちゃんと意味があるのよ!その点は誤解しないでね!」と言えることになりますよね?

ということで、「フランダースの犬」を何十年ぶりに読み直す前に、「たぶん・・・多くの画家の名前が出てくるのでは?」と予想した上で読み始めました。

すると、やっぱり出てくる。ヨルダーンスやファン・アイク兄弟のような有名どころばかりではなく、テニエやミールスやヴァン・タールのような私も知らないようなマイナーな画家の名前まで出てくる。

つまり、作者のウィーダは美術にかなり詳しいことが判ります。

だから、ドラマの一番重要なシーンと言える最後のシーンにおいて、その情景とマッチしない画家といえるルーベンスの絵を使っているのは、意図的なんですね。

美術に対する教養のある人と、その方面ではあまり知らない人では、文芸作品の見方も変わってくるでしょ?ネロはルーベンスの名画を見たがっていて、最後になってやっと見ることができました・・・というストーリーの意味も、読む人によって違ってくるわけです。そして「読み手」と「書き手」では、作品の見方も違っているもの。

じゃあ、どうして、ルーベンスという不適切な選択を、あえて、したの?
作者ウィーダにとって、ルーベンスにはどんな意味があるの?

では、画家というか芸術家のルーベンスとは、どんな特徴があるでしょうか?

ルーベンスは、実に社交的な人でした。本業の画家の傍ら、なんと外交官までやっていました。彼は実社会において大変な成功を得た人といえます。本業の画家としては、自分が運営する工房で絵画を次々と制作し、それが周囲に絶賛されました。

当時の人が絶賛しただけでなく、今の時代でも、その作品の価値は高いものです。工房で制作していたと言っても、手を抜いて制作したわけではない。その作品には芸術家としての良心がこもっている。

つまり、ルーベンスは芸術家人生と現実人生を、高い次元で両立させた人と言えます。

それに対し「フランダースの犬」の主人公のネロは?

「フランダースの犬」において、ネロは牛乳販売の仕事のかたわらで、絵を描いている。つまりネロは芸術家の卵といえます。作品中で、そのネロが、芸術家人生と現実人生の対立に直面するシーンが頻繁に登場いたします。そしてネロは、いつだって芸術家人生の方を選択し、現実人生を捨ててしまう。

そもそも、彼女であるアロアとの付き合いを、アロアのお父さんであるコゼツさんに禁じられたのは、ネロが貧乏だからではありません。ネロが現実人生に立ち向かわないからなんですね。ネロが自らの牛乳販売の仕事を、どうやって拡充していくのか?そんなビジネスに真剣に向き合っていけば、コゼツさんだって、娘との付き合いを認めますよ。あるいは、そんな仕事に見切りをつけて、コゼツさんの助手になる方法もあるでしょう。ネロはこの世においてどうしたいの?どうするつもりなの?しかし、ネロは、現実世界における将来展望を何も持っていない。

15歳にもなって、マトモに働きもせず、絵を描いている状態だからこそ、コゼツさんも問題にする。

15歳にもなって、現実上のビジネスに真剣に向き合わずに、絵ばかり描いている人間と、自分の娘を結婚させようと思う親の方が異常ですよ。絵を描きたいのなら、まずは経済的に安定してから、趣味として描いていけばいいじゃないか?そんなコゼツさんの判断は、一般人としては常識であり健全なものでしょ?

そんな周囲の常識なり善意は、ネロにも分かる。しかし、ネロは現実人生よりも芸術人生を選択してしまう。ネロは生きるために絵を描くのではなく、絵を描くために生きているだけ。ネロは周囲の人を、まったく恨んでいない。しかし、善人に「ありがち」なキャラクターと言える「信心深さ」を持っていない。つまり、ネロはいわゆる善人ではない。ネロはそもそも現実世界に価値を見出していないだけ。ネロにしてみれば、現実人生と、芸術人生は、まったく相反する状態となっている。

・・・だからこそ、その両立の中に生きた芸術家ルーベンスに憧れを持つわけです。

ネロが最後に、ルーベンスを見るのは、ルーベンスの絵そのものというより、現実人生と芸術人生の両立の象徴なんですね。ネロはその両立に憧れ続け、そして最後にその絵・・・つまり両立に到達し、そして、それは夢のようにはかなく終わってしまう。

原作では、ネロは15歳です。つまり分別はできる年齢といえます。いわば少年ではなく青年の年齢です。その年齢の人が、分かっていて、現実人生を捨ててしまっている。らんぼうな言い方をすると、ネロは破滅型のティーンエイジの芸術家といえる。だから「もののあはれ」というより、「滅びの美学」に近く、それよりも「破滅の美学」に、もっと近い。

「もののあはれ」を描きたいのなら、あるいは、かわいそうな少年の話にしたいのなら、ネロの年齢設定を12歳以下の年齢にして、そして最後に見る絵をレンブラントにしますよ。

そんなちょっとした設定で、作者の意図が分かったりするもの。

とは言え、このような「読み」ができる人はそうはいないでしょう。文学研究者ふぜいでは無理でしょうしね。

そもそも一般的には、ルーベンスが不適切であるということも言われない。

ルーベンスが不適切であることは、美術に対する教養があれば分かるでしょうが、この作品中で頻繁に現れる、現実人生と芸術人生の対立の構図は、一般人の方は、教養ある方にも理解できないかも?

ちなみに、この「フランダースの犬」を今回読み直す際には、岩波少年文庫に収録されているもので読みました。その本には同時収録で、「ニュルンベルクのストーブ」という作品が掲載されております。この「ニュルンベルクのストーブ」においても、現実人生と芸術人生の対立がテーマとなっています。こちらの作品では、主人公は、最後にはその両立を成し遂げることができます。バイエルンの王様のおかげで、両立することができるわけです。この作品に登場するバイエルンの王様ルードヴィッヒは実在する王様で、芸術家を援助した王様でした。しかし、ルードヴィッヒ自身は、歴史上有名な破滅型です。彼を描いた有名な映画もありますよね?

芸術家を援助した王様のルードヴィッヒ自身は、現実人生と芸術人生の対立の中に破滅していきました。

「フランダースの犬」も、「ニュルンベルクのストーブ」のジャンル的には童話になるのかもしれませんが、作者はどんなジャンルでも、自分自身を反映させるもの。
なんでも、作者のウィーダは、最後には困窮の中で、お亡くなりになったとか。
だからダメダメということではなく、それを分かった上で、その選択をする例もあるわけです。

『どうして?』

多くの方が、そう思われるのは当然です。

「ニュルンベルクのストーブ」の最後の文は、こんなもの。

「普通の人には見えない景色を見、普通の人には聞こえない声を聞くことこそ、詩人や芸術家の才能というものなのですから。」

いやぁ!ウィーダさんもタイヘンだねぇ!

彼女も、見えてしまうだからしょうがないんですよ。何も見たくて見ているわけでもないし、聞きたくて聞こえるわけでもない。それに周囲の人に説明しても「ふつうの人には見えないし、聞こえない」んだから、どうしようもない。だから、どうしてもルーベンスではなくネロのような状況になってしまう。

しかし、だからこそ、ルーベンスの作品というより、芸術家としてのルーベンスの「あり方」に憧れることになる。

芸術的なフィーリングがない一般の人と、そんなフィーリングがある人とでは、同じ作品に接しても、やっぱり見方が違うもの。

日本人なりヨーロッパ人なり、大人なり子供なり、その分野の教養のあるなし、書き手の心理がわかる人と読み手に徹している人、あるいは芸術的なフィーリングがあるなし・・・色々な立場によって、ものの見方が違ってくる。

まあ、あまり特定の見解を押し付けてはダメですが、細かい部分部分を見てみると、作品の作り手の意図が見えてくるものなんですよ。見いだされた意図に賛成するしないは、当人の自由ですが、不自然な表現にも、それなりの意図があることが多いものなんですね。

このメールマガジンで言及しております子供の行動も、子供なりの意図なり、元になる体験があったりするもの。それを大人として、上からの論理で分かろうとしても無理というもの。むしろ、その子供の立場に自分をおいてみると、分かったりするものなんですよ。

今回は「フランダースの犬」を例示して考えて見ましたが、よく『作品をどのように受け取ろうと、観客や聴衆の自由だ!』なんておっしゃる方もいます。

まあ、確かに法律的には自由なんですが、そんな人の『見解』とやらを聞いてみると、やっぱり「つじつま」が合わないことが多い。

「もし、作者がアナタが言っている考えで作品を作ったのなら、この部分は、このような設定にするのでは?」

などとこちらが言ったりすると、相手は黙ってしまって、やり取りは終了してしまうことになる。

まあ、作品に接していると、

「あ〜あ、この部分は同族にしか分からないだろうなぁ・・・」

と思ったりする箇所も多いものなんですよ。

そんな時は、

「・・・というか・・・いつのまに、自分は同族になっちまったんだ?!」

とアタマを抱えることになってしまうものなんですが。

ウィーダの「フランダースの犬」を考える際にも、何も文学研究者の解釈論に参加するつもりはなくて、私としては、ただ

「ウィーダの心そのものが見えて、ウィーダの心の声が聞こえる。」

だけなんですよ。あるいは

「ウィーダが見ているものが見えて、ウィーダが聞こえているものが聞こえる。」だけ。


まあ、それが同族というものなんでしょうね。


***************************************************


さて、この「フランダースの犬」における主人公ネロは、原作では絵描き・・・つまり芸術家志望の15歳の青年です。

芸術家志望の青年となると、よくいうボヘミアンという言い方がありますよね?

ボヘミアンとなると、パリなどの大都会に住んでいるものですが、ネロはいわば「田舎のボヘミアン」という位置づけとなっているわけです。

そう見ると、作品中の設定もすんなり理解できるでしょ?

ボヘミアンというと、あらゆるオペラ作品中で、もっとも人気の高いオペアといえるプッチーニの「ラ・ボエーム」というオペラがあります。パリのボヘミアンたちの哀歓を描いたオペラ。

あるいは、ロック好きの方は、イギリスのバンドであるクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を思い出す方もいらっしゃるのでは?

「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞で描かれている心理と、この「フランダースの犬」におけるネロの心理は、実に近い。

ご興味がありましたら、今回の私の文章と合わせて、読み直してくださいな。

「ボヘミアン・ラプソディ」では、ガリレオとかフィガロなんて名前が出てきますが、ガリレオもフィガロも、現実社会の権力者と、自分の信念との「あつれき」に直面した人間の象徴なんでしょうね。

まあ、心理が近いからといって、「ボヘミアン・ラプソディ」の作者のフレディ・マーキュリーが、ネロのように15歳でお亡くなりになる・・・ということはありませんでしたが・・・

ただ、やっぱり似ているでしょ?

逆に言うと、「フランダースの犬」も、「ボヘミアン・ラプソディ」も、その受難の覚悟が示されているわけです。そんな作品は、他の作家にも結構あったりするものなんですよ。

その作家にとっての芸術家宣言のような作品。

往々にして、そんな作品は、「中期の冒頭」にあったりするもの。初期の習作や模索を経て、自分自身の能力や使命を実感して、「自分は、現実人生よりも、芸術人生を選ぶ。」そんな宣言がこもった作品を作るわけ。

受難を覚悟し、宣言したんだから、やっぱり受難になってしまう。
そんな受難は、芸術家にとっては「Anyone can see 」で「 Nothing really matters」なのも、昔からなんですね。
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/08-03/08-03-14.htm


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          "i     /^ヽ! / !,/ -―-  |,/ |   ハj         そ 人
         i    l ハ i/      ━    ヽ. l/ /           ゙ヾ. ヽ、
         ゙l.   ヽ_             { 、_ソノ   ,.. -  ..、      '; !~
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01. 2013年7月28日 21:21:25 : W18zBTaIM6

■フランダースの犬にまつわる救われない話

「オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。

『フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。

しかしヨーロッパではほとんど知られていなかった。

もとは1872年発表のイギリスの童話だが、原作者の女性がベルギーの風俗をイギリス人の目で偏見的に描いている。

なにしろ、帝国同士の争いが激しかった19世紀。

イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。

「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」

こんなことをずらずらと書いているのだ。

ベルギーを始めとするヨーロッパで人気が出るわけがない。

その上、本家イギリスでは、運命に抗わずに教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。

結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ。

ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得する。

80年代からの海外旅行ブームでは、ベルギーのフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。

もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。

地元の人間すら誰も知らないのだから当然か。

日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりのパターンだったとか。

ところが、1982年、大きな転機がやってくる。

ベルギー・アントワープの観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、運命を変えた。

日本人観光客から『フランダースの犬』という物語の存在を聞いたことが発端である。

生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼には浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。

地元を愛し、それが故に地元の観光局に勤めた彼。

そんなオタク青年の彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかった。

だが日本人観光客に詳しいことを尋ねても、

「アニメをやってたんだけど、もしかしたら原作があったのかもなぁ」

というだけで『フランダースの犬』について、はっきりとしたことが分からない。

今と違ってインターネットがない時代。

日本語の情報はそう簡単に手に入らない。

街の誰に尋ねても、何もわからなかった。

しかし彼はあきらめない。

「この地方を舞台にしているのなら、図書館にヒントがあるかもしれない」

そう考えた彼は、地元の郷土史などを調べ始める。

図書館であらゆる資料をあさり、……そしてとうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけたのだ。

欣喜雀躍たる、彼の喜びが想像できるだろう。

……だが、読み終えた彼はがっかりした。

感動するほどの物語ではないからだった。

実は原作には、最後にネロが天使に救われて天国へと召される……というシーンはない。

ただただ暗いだけの作品なのだ。

原作者は夫に捨てられた後、犬の保護に尽力していたが周囲に相手にされなくなり、晩年は30匹の犬に見守られて亡くなっていた。

そんな原作者の厭世観が反映された作品でしかなかった。

(この原作と日本人の感動との間の乖離は、いったいなんなのだろう?)

日本人からアニメの素晴らしさを聞いていた。

もしかしたら、それがヒントになるのかも?

彼は、日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオや童話集を取り寄せてみた。

その結果……感動したのだった。

彼は、今のジャパニメーションギークの先駆けだったのだろう。


情熱は、いよいよ膨らむ。

一年半かけて調査を行ない、原作の舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。

原作に描かれた運河がスケルト川だったことも分かった。

ついには風車の跡も発見する。

変わり者のコルテールのその姿は、周囲から嘲笑を受けていた。

当時の日本なんて、極東の島国で、ドイツに加担して負けた挙句に少々景気を持ち直しただけの国、というイメージだったから、仕方ないだろう。

だが、彼の熱意は次第に周囲を突き動かしはじめた。

ルーベンス以外にこれといって観光資源のないこの街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。

そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年、ネロとパトラッシュの小さな像が、ホボケン情報センターの前に立てられた。

除幕式にはアントワープ州知事、市長、在ベルギー日本大使らも参席、盛大なパーティーが開かれたという。

風車は観光客向けに作り直された。

ネロとパトラッシュが共に埋められた(ことになっている)街の教会は、観光コースとなった。

ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。

その地域は観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。

フランダースの犬はベルギーで放送され、80%近い視聴率をとったという。


ヤン・コルテールは『フランダースの犬』研究家として知られるようになる。

その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになった。

研究のために日本へ何十回となく訪れるようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性の石井ヨシエと結婚した。

彼は妻と共に、今でも地元でつつましやかに幸せに暮らしている。

……はずだった。

2008年、彼が妻を殺害した容疑で逮捕されるまでは。

なぜなのか?

コルテールが日本人の妻をもらい、日本とベルギーの架け橋として活躍していることまでは、いろいろなサイトで詳しく取り上げられていた。

ところが、彼が犯した殺人についての続報をいくら調べても、日本語のサイトでは何一つその理由が分からないのだ。

英語のサイトで調べても、アメリカ人などが『フランダースの犬』に関心がないためか、まったくヒットしない。


仕方ないのでグーグル先生の力を借りて、オランダ語のサイトを日本語に訳したり英語に訳したりしながら調べた。

その結果、驚くべきことがわかった。

コルテールが妻を殺したのは、妻の浮気のせいだった。

コルテールとヨシエが結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。

だが、次第にヨシエは旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。

彼女が帰宅する時には、職場にまで迎えに来る。

もっと自由にさせて欲しい、自由にいろいろな場所に行きたい、というのがヨシエの欲求だったそうだが、コルテールはそれを許さない。

異国の地にやってきて、海外でしか味わえない自由を満喫したい日本人女性。

彼女を大切にするあまりに、彼女の全てを管理したいと願うベルギー人男性。

だんだんと、二人の間には溝が生まれるようになった。

二人の間はギクシャクし始める。

その時に彼女の前に現れたのが、口が堅いという噂のピエールだった。

「夫とは長いこと話してないの。夫は頑固でさ」

秘密を守れるピエールへの心安さからか、ヨシエは彼へ愚痴をこぼすようになった。

「彼は変わり者だからね。我慢さ」

愚痴を聞いてもらううちに、ヨシエがピエールに親しみを感じ、やがて二人が愛しあうようになるまでに時間はかからなかった。

ピエールの口は固かったが、ヨシエの下の口はゆるかった。

ところが二人の仲は、コルテールに最悪の形でばれてしまう。

二人がバスルームで愛し合っているところを、コルテールが発見してしまったのだ。

口がゆるい上に、脇も甘かったというわけだ。

だが、そのときヨシエは豹変した。

日本女性のおしとやかさはどこへやら、情事を発見したコルテールを怒鳴りつけたという。

「あんたさぁ、男としての魅力がないんだよ!!」

彼女の口は、悪かった。

その時に、コルテールは、彼女のことを深く深く愛していたことに改めて気づく。

何があろうと、彼女の気持ちが戻ってくればそれでいい、というのがコルテールの偽らざる気持ちだった。

彼は、離婚を迫るヨシエに対して、仲を修復したいと取りすがった。

しかし、彼と別れてピエールと一緒になりたい、というヨシエの気持ちは変わらない。

コルテールは、一つの提案をする。

それは、最後のお願いとして、彼女と日本を一緒に旅行することだった。

二人が出会った日本で過ごせば、彼女の気持ちも戻ると思ったからだ。

……これ、男にありがち。

男の浮気は「名前をつけて保存」だが、女の浮気は「上書きして保存」

他の男に気持ちが移った以上、振り向くわけなんてないのだ。

日本でヨシエは、両親にコルテールを引きあわせたという(この辺りは女性特有の図太さといえよう)。

それでいながら、彼女の気持ちが変わることはついぞなかった。

ベルギーに帰国後「自分を自由にして欲しい」と迫るヨシエ。

それを拒むコルテールを、ヨシエは罵った。

そして、決して犯してはならないラインを越えてしまった。

彼女は、職場のベルギー人の同僚達と彼とを一人ひとり比較して、いかにコルテールが劣ったオタク野郎なのか、痛罵したのだ。

……こと、ここにいたっては、どうしようもない。

この時のコルテールの失望は、いかばかりであったのだろうか。

その時の衝撃は、彼の行動が示している。

コルテールは逆上し、ヨシエをナイフで22ヶ所切りつけて、殺害したのだ。

リアルは、『フランダースの犬』以上に救いようのない話だった。
http://anond.hatelabo.jp/20120119122239


02. 2013年7月28日 21:39:23 : W18zBTaIM6

フランダースの犬

「食べ物がなければパトラッシュを食えばいいのに・・・。」
〜 フラダンスの犬ではなくフランダースの犬 について、足利義昭


「泣きながら一気に読みました」
〜 フランダースの犬 について、柴咲コウ


フランダースの犬(−いぬ)とは、童話&世界名作劇場シリーズのアニメのうちの一つ。ベルギーが舞台。


小泉純一郎も泣いた。

主な登場人物


ネロ・ダース(Nello Daas)、日本名:清(きよし)

この物語の主人公。正式なフルネームはNicolas Daas。なんでNicolasがNelloになるのかは不明。WilliamsがBillyになるようなものらしい。不幸な自分をあるがままに受け入れ、いつも不幸なままでいたために貧乏神が背後にいたといわれている。もしも凍死しないでそのまま思春期になってたら非行に走ってハンスとコゼツをボコボコにしていただろう・・・


ハンスに対して怒りを感じてる思春期のネロパトラッシュ(Patrasche)、日本名:斑(ぶち)
飼い主に捨てられた犬。ジェハンに拾われてそのまま居候していた。不幸なために貧乏神が背後にいたと(ry。パトラッシュの吐く粘液は教会の床を溶かすと言われている。あと触手も出せるらしい。てか、ホントに犬?


ジェハン・ダース(Jehan Daas)、日本名:爺(じい)
ネロのおじいさん。娘であるフランに先立たれ、老体に鞭打って働くうちに過労で倒れ、幼い孫を残してポックリ逝ってしまった。不幸なために貧乏神が背後に(ry。

フラン・ダース(Flan Daas)
原作初版にのみ登場する真の主役。ネロの母親。アニメ版には未登場。「フランダースの犬」というタイトルはよく「フランダース地方にいた犬」という意味と誤解されているが、実はフラン・ダースさんの犬というのが正しい語源である。不幸なために貧乏神が(ry。

バース・コゼツ(Baas Cogez)、日本名:小郡の旦那(をごほりのだんな)
アロアの父。通称「コゼツの旦那」。バースと言っても三冠王を取ったりはしない。嫁とは逆にアニメでは個人名が出てこなかった。村一番の金持ちという設定だが、2千フラン(約8千円弱)が入った財布を落として青くなっていたことを考えると、実は大した金持ちではないと思われる。実はネロの…。

エリーナ・コゼツ(綴り不明)
原作には「バース・コゼツの嫁」としか書かれておらず、個人名が出てこないかわいそうな人。アニメ版でエリーナさんという名前がついたのはおろか、「エリーナの花畑」というエピソードまでついた。

アロア・コゼツ(Alois Cogez)、日本名:綾子(あやこ)
ょぅι゛ょ。ネロの嫁候補。


ステファン・キースリンゲル(Stephen Kiesslinger)、日本名:木蔦捨次郎(きつた すてじろう)
金の力で絵画コンクール優勝を成し遂げたボンボン。


内容

フラン・ダースが小さい頃にジェハンが拾ってきた犬がパトラッシュであった。ジェハンは若い頃から病弱で家計を支えることができず、フランは10代半ばで貧困のために身体を売る生活に追い込まれた。

そこに客として来たのがコゼツの旦那であった。コゼツはフランを気に入り、何度となく通い詰めるうちに子供ができてしまった(ちなみに、パトラッシュは毎晩そのセックスシーンをベッドの横で見学していた)。しかし、その頃既にコゼツには婚約者のエリーナがいたため、妊娠が判明すると雀の涙ほどの手切れ金を渡してフランをあっさり捨ててしまった。

そして、コゼツがフランと別れた後、エリーナと結婚して生まれた子供がアロアだった。つまり、ネロとアロアは腹違いの兄妹であり、後にネロとアロアが恋仲になりかけた時にコゼツが強硬に反対したのはこのためである。エリーナはこの秘密を最後まで知らなかったらしく、ネロとアロアが仲良くなっても「いいじゃないですか」と言っている。

反対の理由を妻に説明するわけにも行かず苦悶するコゼツの表情は、アニメからも読み取ることができる。ただし、一説には、この時エリーナは既にネロとアロアの関係を知っており、それを逆手に取って、浮気をした上に外で子供まで作ったコゼツを責めるためにあのような態度をとったとも言われている。アニメでは善人そうに見えるが、やることがエゲツナイ女である。

フランは産後の肥立ちが悪く、生まれたばかりの息子を残してポックリ死んでしまう。死の直前、フランはパトラッシュを枕元に呼んで言った。

「この子を教育して、あの男(コゼツ)に復讐を……(ガク)」

パトラッシュはジェハンに代わって、牛二頭から搾った牛乳をリヤカーで輸送するという名目で毎日数十kmのロードワークを行ってネロを鍛えたり、愛らしい犬の振りをしてネロとアロアをくっつけようとする、などの手を打っていった。そのようなパトラッシュの愛情が通じたのか、いつしかネロとパトラッシュは会話できるようになった。ある日、パトラッシュはネロに母の死の真相を伝える。

復讐に萌えるネロはまず、風車小屋に火を付けた。しかし、やはり子供の犯罪は穴だらけで、ネロに疑いがかかって牛乳運びの仕事がなくなってしまい、急速に経営が悪化した。そうなるともう自暴自棄である。

どうせ死ぬなら、それを利用してコゼツに最もダメージを与えてやろう。そう考えたネロとパトラッシュが打った一世一代の大芝居が雪の日の昇天であった。

まず、コゼツが外出した時、気をそらしているうちに財布を盗む。その上でわざわざ雪が降る日を選び、その財布を目立つように届ける。その上で教会で寒さと飢えのために、パトラッシュと共に天使に囲まれながらどこかに飛んでいく。こうすることによって、

「こんな正直者の少年につらく当たったコゼツはとんでもない奴だ」

と評判を落とすことに成功した。さらに、一人娘のアロアはネロが死んだのを悲観して教会のシスターになってしまった。これでコゼツ家は断絶である。

こうして、フラン・ダースの犬に託した復讐は成功した。しかし、これらの真実の物語はアニメではドロドロにすぎるということで、すべてカットされてしまっている。



風車小屋の火事をハンスや村人たちに擦り付けられて怒りをあらわにするネロ。(つい殺っちゃんだー☆BYネロ)

[編集] エピソード

「違反をしなけりゃ食っていけなかった」
〜 ネロ

無認可輸送

運送業を営むためには運輸省(当時)に許可料と言う名目の賄賂を渡さなければならなかったが、運輸省に賄賂を渡さずに無断で輸送をしていたため、取り締まりを受けたが、無視してそのまま運送業を続けた。


牛乳の保存温度

牛乳を常温で保管・輸送しており、厚生省(当時)から衛生上問題ありという指摘を受けている。そのため営業停止処分を受け、経営が悪化した。


車両無免許運行

公道で輸送車両を動かす場合、運転免許が必要であり、ネロ少年は免許の取れる年齢ではなかった。アントワープ市警察局では彼に運転免許を発行したことは無いと説明している。ネロ少年の、このような行為は暴走族と同じであり道路交通法によって厳しく処罰される。

[


動物愛護法違反

犬に重い荷物を引かせる行為は、農林水産省の許可があった場合を除いて、動物愛護法に違反する犯罪である。犬や猫を虐待している者の多くが、いずれは殺人に手を染めるとの犯罪学統計も根拠となっている。


リコール隠し

たびたびハブ(車輪と車軸をつなぐ部分)が故障していたにもかかわらず、当局に無届けのまま車両の使用を続けていた。通常であればリコール(無償回収修理)を届け出る必要がある欠陥であり、三菱自動車、トヨタ自動車に続くリコール隠しの疑いが持たれている。


迷惑防止条例違反

当時ルーベンスの絵は条例により猥褻物と判断されていたため、公開されていなかったがネロとパトラッシュはこれを無視して閲覧した。(今風に言うと女子高生のパンツをこっそり見てしまったあのお方という感じです)

「どこまで違反しているんじゃ!俺まで殺されるかと思ったわ!!」
〜 ネロの違反行為 について、トム


かわいそうな話

みなさんは最終話の最後のナレーションの本当の意味にお気づきだろうか。

「ネロとパトラッシュは・・悲しいこともお腹がすくこともない天国へと旅立って行きました」

と語っていた。なに?不幸がない?まてそれは幸福ではない!

山が幸福で谷が不幸とする。不幸になりたくないから不幸を埋めた。何もなくなる。それでもわからない人もいるだろうからこうしよう・・

あなたは3日間何も食べてないそこにラーメンがあった。食べてる間そして食べ終わったあと あなたは幸福だろう。しかしお腹が減ることがなければどうだろうか・・・

食べきれたとしてもお腹が空いてた頃に比べれば幸福だろうかと思うだけで ちっとも幸福じゃないのである。かと言って不幸でもないということである。こうやって考えてみると違う意味でかわいそうなのである。



各国版と各国での反応

飲みすぎには注意。ベルギー

物語の舞台であるにもかかわらず、ベルギー国内での知名度は低く、評価も低い。これは作者がイギリス人であり、ベルギーでは「自分たちはこの物語のように(子どもを一人で死なせるほど)非道ではない、ケチなオランダ人ならやりかねないが」との意見があるためである。ただし、観光に来る日本人がやたらとこの物語に関して質問してくるので、不審に思いながらも銅像を設置したり説明プレートをつけたりしている。だが銅像がアニメとは違う犬種なので、日本人観光客の81%が違和感を感じている。

オランダ

日本と同様、非常に人気が高い。

「ベルギー人なら、これくらいの酷い仕打ちはやりかねない。」

「風車のメンテナンスを怠っての発火を、子供の責任にかぶせるとは、さすがベルギー人クォリティwww。」

「ベルギー人に風車を使わせるな!」


イタリア
ネロとアロアのアーン♥♥がやたらと詳しく描写されている。


ロシア
ソビエトロシアでは、牛乳がパトラッシュを運ぶ!

アメリカ
ネロが年齢不相応なマッチョであったり、パトラッシュが死後にサイボーグとして復活するなど、勘違いが多い。


ブラジル
ネロは貧しい少年でしたが、リオのカーニバルに参加している時だけは幸せでした、としている。また、ネロが後に伝説のFKの名手としてブラジル代表で活躍し、セリエAの有名チームに移籍して契約金でルーベンスの絵を買い取ったことになっている。


イラン
ネロは死の直前に不幸の原因は邪教を信仰していたことにあると気がつく。こうして死を免れ、教会を立ち去ったネロは、モスクを訪れて正しい信仰に目覚める。やがてアラーの祝福の中、絶大な権力を握ったネロは、偶像崇拝の産物であるルーベンスの絵を焼き払い、イスラム教の勝利を宣言した。


南アフリカ
「そんなに危険なはずがない」と言って牛乳を運びに行ったネロとパトラッシュが、5分後に身ぐるみ剥がされて殺されてしまったためにそこで物語が終わっている。

ジンバブエ
ネロが拾った財布の中身が全てジンバブエドルであり、あまりの重さに耐えきれず届けるまでに圧死した。

中国
「胡然打的狗」というストーリーがよく似た物語のアニメDVDが、日本のフランダースの犬と全く同じ絵柄、同じ日本語音声、TV放映時のCM入りで中国語字幕付きで売られている。しかし、当局の担当者は「これは我が国オリジナルのアニメである」と主張している。


韓国
主人公ネロが教会で補身湯(ポシンタン)を食べるシーンがあり、そのシーンの前にパトラッシュが不審な消え方をしている。なおネロは寄生虫にあたってルーベンスの絵の前で息絶える。また、「フランダースの犬は韓国起源ニダ」と主張している。

北朝鮮
ジェハン、フラン、ネロ三代に渡る貧困の理由を、日帝資本家野郎の収奪にあるとして糾弾する内容となっている。最終的にネロはベルギー労働党を率いてベルギー革命を起こし、自分をいじめていた村の住民を粛清した。出身成分の悪い地主野郎であるコゼツ家が真っ先に粛清の対象となったのは言うまでもない。ただし、アロアについては親愛なる指導者ネロ同志直々の命により「喜び組」へ編入され、ネロ同志の寵愛を受けた。
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%8A%AC


03. 2013年7月28日 21:44:26 : W18zBTaIM6

フランダースの犬は地元では不人気

地元ベルギー人の批判

 ”子供一人を空腹で亡くすような残酷なことを私たちは決してしない” 


日本では絶大な人気を誇る世界名作劇場のテレビアニメ、フランダースの犬。ご存知のとおり、ベルギーのフランダース地方の小さな村で画家になることを夢見る少年ネロと愛犬パトラッシュの物語である。

その最終回のラストシーンで、ノートルダム大聖堂の中に飾られた画家ルーベンスの絵の前でネロとパトラッシュが天に召されるシーンはあまりにも有名であり、「アニメ名場面特集」などのテレビの特番では必ずと言っていいほど取り上げられ、それを見るたびに涙する人も少なくないのでは。

さてこのフランダースの犬という物語、意外にも地元ベルギーではあまり有名ではないとのこと。


先日ベルギーを訪れる機会があったので、その際にベルギー在住の観光ガイドさんに話を聞いてみた。実はこの物語を書いたのはベルギー人ではなくイギリス人であり、地元ベルギーでも原作は出版されてはいたようであるが、知名度が低くあまり評判にはならなかったとのこと。

またこの物語のラストでは、住むところも食べるものもなくなってしまった少年ネロとパトラッシュが最後は空腹のため天に召されるというストーリーとなっており、そのストーリーに対して地元ベルギーの方たちは ”子供一人を空腹で亡くすような残酷なことを私たちは決してしない” といった批判的な意見さえあるようだ。

原作者の母国イギリスにおいてもほとんど知られていない物語のようであるが、日本では作家の菊池寛が原作の翻訳を行い、それが世界名作劇場にてテレビアニメ化したことで一気に知名度が高くなった。こんなにこの物語が有名になっているのは実は日本だけのようである。

日本でテレビアニメが放映された後、物語の舞台となったベルギーのアントワープを観光で訪れる人が急激に増えたらしく、アントワープの郊外にあるホーボーケンにはネロとパトラッシュの銅像が建てられている。

またラストのシーンでネロが訪れた同じくアントワープにあるノートルダム大聖堂前の広場には、ネロとパトラッシュの顔が彫られ、日本語で書かれた記念碑もおかれているが、広場にいる地元の方たちがその記念碑に普通に座っていたりして、日本人観光客は記念碑がどこにあるのかなかなか見つけられないこともあるとのこと。…


確かに一見しただけではどれが記念碑なのかわからない。この前で記念撮影をするのはおそらく日本人だけだろう。

さて、ノートルダム大聖堂の中には、ネロが夢見た画家ルーベンスの傑作「キリストの降架」、「キリストの昇架」が今でも飾られており、大聖堂への入場料さえ支払えば誰でもこの絵を見ることができる。大聖堂の前方の左右に飾られているこの絵は、実際に見てみると3つのパネルからなる連画で想像以上に大きく(4.6×5.8m)、非常に躍動感溢れる迫力のある美しい絵であった。フランダースの犬の最終回で涙した方には、この大聖堂を訪れてみることをおすすめする。 ただし、大はしゃぎしているとすぐに日本人とばれてしまうことは、知っておいたほうがいいかもですね。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091178537634.html


04. 2013年7月28日 21:50:57 : W18zBTaIM6


(以下は物語最後の4ページです)


急に 闇を通して 大きな白い光が通路に流れ込みました。高く昇った月が雲の間から現われたのです。雪は 降るのを止めていました。光は 夜明けの光のように明るく雪に反射していました。光は二つの絵の上のアーチを通り すでにここに入ってきた時に少年の手によって覆いが取り払われていた 「十字架を立てる」と「十字架から降ろす」の二つの絵を一目で見ることができました。

ネロは立ち上がり それらへ彼の腕を伸ばしました。激しい恍惚の涙が彼の青白い顔に光りました。

「とうとう見たんだ!」

彼は大声で叫びました。

「ああ 神様 これで充分です!」

彼の四肢は崩れ落ち 彼が羨望した威厳をまだ上方へ見つめながら跪きました。ほんの僅かな時間 光は彼が見ることを望み続けてきた神聖な絵を照らしました。明るく甘美な そしてあたかも天の王座から流れ出ているかのような光が。

そして急に それは過ぎ去り もう一度 大きな闇がキリストの顔を覆いました。

少年の腕は再び犬の身体を引き寄せました。

「僕たちは彼の顔を見られるだろう。あそこで。」

とネロはささやきました。

「そしてイエス様は私たちを離れ離れにしたりはしないと思うよ。哀れんでくれるよ。」

W

翌朝 大聖堂の聖壇所に アントワープの人々は彼ら二人を見つけました。二人とも死んでいました。夜の寒さは 若い生命も年老いた生命も静かに凍らせていました。クリスマスの朝が明け 聖職者たちが寺院へ来た時 彼らは二人が石の上に重なり合っているのを見付けました。その背後には 引き剥がされた覆いの上に ルーベンスの大きな絵があり 爽やかな朝日の光が 冠を被ったキリストの頭に触れていました。

その朝 彼らの上に日が昇ると 年をとった怖い顔の男の人があたかも女のように泣きながら来ました。

「私はこの若者に残酷だった」

彼はつぶやきました。

「今 私はその埋め合わせをしたかったんだ・・・財産の半分を分けてでも・・・そして 息子として受け入れるつもりだったのに。」

日が高く昇ると さらに 世界的に名声を得た 自由な手と精神を持った画家が来ました。

「私は 昨日賞を取るべきだった少年を捜しています。」

彼は人々に言いました。

「まれにみる有望な天才少年でした。夕刻の倒れた木に一人の年老いた木こりが腰掛けている・・・ それが彼のテーマの全てでした。しかし その中には将来の偉大さがありました。私は彼を見つけ 私のところに引き取って 彼に芸術を教えるつもりでした。」

それから ブロンドの巻き毛の女の子が父親の腕につかまって 激しくすすり泣きながら声を限りに叫びました。

「あぁ ネロ。来て! 私たちあなたのために準備できているのよ。幼児キリストの手は贈り物でいっぱいだし 年を取った笛吹きは私たちのために遊んでくれるでしょうし お母さんも言ってるわ あなたが炉床のそばで私たちと木の実を焼いていいって。

クリスマスの週の間中 いいえ 東方の三博士の日まで! それにパトラッシュだって嬉しいわよ! あぁ ネロ! 起きて来て!」

しかし 偉大なルーベンスの絵の光に向けられ 口の上に微笑をたたえた若い青白い顔は 彼ら全てに答えました。「遅すぎます。」

甘美にこだまする鐘の音が霜に鳴り響き 日光は雪の平原を照らし 陽気な人々が嬉しげに道を通っていきました。しかし ネロとパトラッシュは もう何も慈悲を求めませんでした。二人が必要とした全てのものを 今 アントワープは自ら与えたのでした。

この世に生きながらえるよりも 死の方が二人にとっては慈悲でした。死は 愛に報いず信頼に答え無いこの世から 愛に忠実な犬と 無垢な信頼の心を持った少年を連れ去って行ったのでした。

その生涯のすべての時間を 彼らは一緒に過ごしました。死をも 二人を分かつことはできませんでした。余りにも固く抱き合っていて 無理をしなければ 少年の腕から犬を離すことができないと分かったとき 悔恨に恥じ入った小さな村の人々は 特別のはからいにより 二人をひとつの墓に並んで休ませることにしました---永遠に!
http://www.a-dog-of-flanders.org/3-0.html


05. 2013年7月30日 00:01:48 : W18zBTaIM6

フランダースの犬 A DOG OF FLANDERS

マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー Marie Louise de la Ramee

菊池寛訳
http://www.aozora.gr.jp/cards/001044/files/4880_13769.html


ネルロとパトラッシュ――この二人はさびしい身の上同志でした。

 ふたりともこの世に頼るものなく取り残されたひとりぼっち同志ですから、その仲のいいことは言うまでもありません。いや、「仲がいい」くらいな言葉では言いあらわせません。兄弟でもこれほど愛し合っている者はまずないでしょう。ほんとにこれ以上の親しさはかんがえられないほどの間柄でした。しかも、ふたり、と言っても人間同志ではないのです。

ネルロは、フランスとベルギーの境を流れるムーズ河の畔の田舎町アンデルスに生れた少年。パトラッシュは、フランダース産の大きな犬なのです。このふたりは、年数としかずから言ったら、いわゆるおなじ年ですが、一方はまだあどけない子供ですのに、一方はすでに老犬の部類に入っています。ふたりが友達になったそもそものはじまりは、お互いに同情し合ったのがもとで、日を経ふるにしたがって、その気持はますます深まり、今ではもう切っても切れない親しさにむすびついてしまいました。

 村はずれの小さな小舎こや、それがふたりの家でした。

 この村というのは、ベルギーの首府アントワープから一里半ばかり離れたフランダースの一村落で、まわりには麦畑や牧場が広々とつらなっていて、その平野を貫ぬく大きな運河の岸には、ポプラや赤揚樹はんのきの長い並木が、そよそよ吹く微風そよかぜにさえ枝をゆすぶっていました。村には家屋敷がおよそ二十ばかり、その鎧戸は、みんな明るい緑色か、青空そのままの色に塗られ、屋根は、多くは紅あかい薔薇バラ色、または黒と白のまだらに塗られていました。壁は雪のように真白で、太陽[#「太陽」は底本では「大陽」]に輝いている時は目がいたくなるほどでした。

村の中央には、苔こけむした土手の上に風車がそびえ立っています。この風車はこの辺一帯の低地の目標ともなっているものでした。ずっとずっと昔、この風車は翼はねも何もかもすっかり真紅まっかに塗られたこともありました。が今はもうその燃えるような赤い色も風雨にさらされて汚なく色あせてしまい、まわり具合も、よぼよぼのおじいさんのように、止ったり、動いたり、という有様になってしまいました。とは言えまだこの辺の人達の麦搗むぎつきの役は充分足しています。この風車と向き合って古ぼけた小さな教会堂が建っています。その細長い塔の上の鐘は、朝に夕に、静かな、かなしげな音をひびかせるのでした。東北の方広々とした平野の彼方にはアントワープの旧教寺院の尖った塔が、そびえ立っているのが望まれました。平野にははてしもなくあおやかな穀物の畑がひろがって、まるで一面海のようでした。

 さて、その村はずれの小屋の主人というのは、大へん年とった、そして大へん貧乏で、ジェハン・ダアズというおじいさんでした。このおじいさんも、ずっと以前は軍人で、あのナポレオンの大軍がこのベルギーに攻め入って来た時には、戦いに出た経歴も持っています。しかもこのおじいさんが、その戦場から持ちかえった[#「持ちかえった」は底本では「持ちかえた」]ものとしては何一つなく、ただ、大きな傷を受けて、一生跛ちんばをひきずらねばならないことだけでした。

 ジェハンじいさんが八十才になった時、じいさんの娘が、アンデルスというところで死に、二才になったばかりの男の子をおじいさんの手に残しました。自分一人の暮しさえやっとであるこの貧乏なおじいさんは、それでも愚痴一つこぼさず、この厄介者を引き受けました。そしてこの厄介者はじき、おじいさんにとって、可愛い、尊い、なくてはならない大切なものになってしまったのでした。その忘れがたみのネルロ――実の名はニコラスというのだが、それを可愛らしく呼んでネルロとしたのです――は、この上ないおじいさんの慰め手となって、この小さな小屋はほんとうに平和でした。小屋は粗末な掘[#「掘」は底本では「堀」]っ立て小屋にすぎませんでしたが、おじいさんは、いつもきちんと片づけ、貝殻のように白く塗り立てて、まわりには、ささやかな豆や薬草や南瓜かぼちゃの畑をつくっていました。

 このおじいさんと孫とは、おそろしく貧乏で、全くなにも口にすることのできない日が幾日もあり、たとえどんなにうまく行った日でも、これで十分というほど[#「ほど」は底本では「ぼど」]食べられることなど決してありませんでした。ですから二人にとっては、これで腹一ぱいというだけ食べられれば、それがもう天国へ登ったほどありがたいことなのでした。しかしこんなに貧乏でも、おじいさんは親切でやさしく、孫のネルロも、嘘を言わない、無邪気な素直な心を持っていました。

 ふたりはもうほんのわずかなパンの皮とキャベツの葉っぱで満足して、その上はなんにも望みませんでした。ただ一つ、ねがいと言っては、犬のパトラッシュが、いつまでも側にいてくれればいい、と言うことだけでした。ほんとうにパトラッシュがいなかったら、今頃このおじいさんと孫はどうなっていたことでしょう。

 パトラッシュは彼等にとって全くなくてはならないものでした。この犬一ぴきが、彼等――老いぼれた不具者と頑是がんぜない幼児おさなご――にとっては、ただ一人の稼ぎ人、ただ一人の友達、ただ一人の相談相手、杖とも柱ともたのむ、ただ一つの頼りなのでした。フランダースの犬は、一体に頭も四本の脚も大きく、耳は狼のようにぴんと立っていて、何代も何代も親ゆずりの荒い労働で鍛え上げたがっしりしたその足は、何いずれも外側にひらいてふんばっていて、見るからに異常な筋肉の発達を示しています。

全くフランダースの犬は、親子代々、一生、はげしいむごたらしい労働にこきつかわれ、力つきて、ついには路上に血を吐いて行き倒れる、という運命を持っているのでした。そうした犬を両親にしてパトラッシュは生れました。彼は悪罵あくばと鞭とに育てられ一疋前いっぴきまえの犬となる前にすでに荷車を挽く擦傷すりきずのいたさと、頸環くびわの苦しみを味いました。彼は生れてやっと、一年たつやたたずで、もう、ある金物行商人の手に売られ、そこで、思い出すもおそろしい生活を強いられたのでした。

その主人と言うのは、飲んだくれの情知らずで、食物たべものなどろくろく与えず、山のような荷をひかせ、絶え間なく鞭をふり下すのでした。幸か不幸か、パトラッシュには力がうんとありました。根がこう言った残酷な労働をするように生れ落ち、慣らされて来た、鉄のような血統を受けているのですから、大抵の労働には、へたばることなく、したがって苦痛は増すばかりでした。重荷、鞭、飢※(「渇」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-63)きかつこれらの苦しみが、この憐れな犬の、その主人からもらうただ一つのお給金のようなもので、その他には何一つむくいられるものはありませんでした。

 こんな、地獄のような苦しみを、二年ばかりも堪えて来た後のある日のことでした。その日パトラッシュは、いつもの通り、あの有名な画家ルーベンスが生れたアントワープの町に通ずる埃っぽい気持ちの悪い道を、あえぎあえぎ、車をひいて行きました。車には、鍋類、鉄皿、鉄瓶、バケツ、その他いろんな瀬戸物類、真鋳類、錫類などが山と積んでありました。丁度夏の真盛りでその暑さと言ったらありません。そうした中をパトラッシュは一日中何も食べずその上半日も水を口にしないのでした。

パトラッシュは苦しげにあえぎました。けれども主人は知らぬ顔で、のっそりのっそりついて行くばかり、時たま犬の方を見るかとおもえば、すでに鞭は打ち下されて、その長い革ひもの先は、擦傷も露わな犬の腰にぐるぐると巻きつくのでした。金物屋は、道ばたに酒屋でもみつければ、忽ち入りこんでビールをひっかけるのでしたが、犬には、運河の水を一飲みするだけの暇さえ与えず、ただもう追い立てに追い立てて鞭をならすのでした。

 くわッと照りつける太陽に、焼けるように熱くなった道。饑うえ切ってきりきりいたむ腹、かわき切ってひりひりいたむ喉、目は砂ぼこりでかすみ、腰に結びつけられた重荷の軛くびきの情け容赦のない重さ。さすがのパトラッシュも、ぼっと気が遠くなり、生れて初めてよたよたとよろめいて、口から泡をふいて倒れてしまいました。これを見ると金物屋は、彼独特の気つけ薬をとり出しました。ああ、それは蹴ることでした。どなることでした。かたい樫の棒でなぐりつけることでした。

しかし、どんなに蹴ってみても、どなってみても、なぐってみても、今度はもうパトラッシュには利目ききめがありませんでした。彼は、ただもうぐったりと身動きもせず、白っぽい埃の中に横たわったきりでした。しばらくして行商人は、もうこれはとてもだめだと分ると、さもいまいましげに舌打ちをして、手荒く梶棒からとき放し、犬の体を、どん、と草のしげみへ蹴とばして、このやくざ野郎め、蟻にさされるとも、烏につつかれるとも、勝手にしやがれ、と口汚く罵って、それから、ぷんぷん怒りながら今度は自分で車を坂の方へ曳いて行きました。

丁度その日は、向うのルーヴァンの町でお祭りがある前の日でした。で、金物屋は、早くその市場へ行きついて、金物の店を出すのに都合のいい場所をとろうといそいでいるのでした。ですからこんなことになった今、金物屋の癇癪は大へんなものでした。そのルーヴァンまでは、まだなかなかなんですもの。金物屋は、どこかに飼主にはぐれた犬でも居ないものか、いたら、なるたけ大きな奴をひっ捕えて、しばりつけてやろうと、悪ごすい目をきょろきょろさせながら、さもやり切れなそうに車をひいて行きました。パトラッシュは蹴こまれたままでいました。茫々と草のしげった溝のなかに――

 その日、その街道は大へんなにぎわいでした。てくてく歩く人、驢馬に乗る人、あるいは二輪馬車、四輪馬車を走らす人、いずれも、お祭り気分で浮かれながらぞろぞろ行くのでした。もちろんその人達の目にも、倒れた犬はうつったでしょうが、みんな、そのまま行きすぎてしまいました。要するにたかが死んだ犬一ぴき、――それが、この地方でなんのめずらしいものですか。世界中どこへ行ったって、やはりなんでもないことなんでしょう。

 しばらくすると、人波にもまれながら、腰の曲った、よぼよぼの跛ちんばのおじいさんが、やって来ました。別にお祭りに出かけるらしくもなく、みすぼらしいぼろを着て、埃の中をだまりこんでやって来ました。このおじいさんが、パトラッシュをみつけるとふしぎそうに立ち止り、草を分けてそばへ寄り、親切な目つきで、しげしげと犬のからだをしらべてみるのでした。

 おじいさんのそばには、三才ばかりの、バラのような頬っぺたの、髪の房々ふさふさした瞳の黒い子供がくっついていました。草は、その子の胸までもあるのでした。子供はおじいさんにつかまり、これは大へんだ、と言わんばかりに目をまるくして、可哀想な犬をじっとみつめていました。こうしてふたりははじめて会ったのでした。――子供のネルロと、大犬のパトラッシュとが。――

 さて、ジェハンじいさんは、いろいろに骨を折って、ようやく犬のからだを、じき近くの、自分の小屋へ運びこみ、息のたえたこの犬を、心をこめて介抱してやりました。しかし、パトラッシュの倒れたのは、暑さと饑渇とつかれで、一時目がくらんだためですから、日かげへしずかにねかしておくうちに、やがて、元気をとり戻して来ました。そうして、はや、よろめきながら、立ち上ろうとさえするのでした。それから何週間もの間、パトラッシュは、力もなく、役にもたたず、全くの病犬で、死にはすまいかと、案じられるようでした。

しかしその間、犬は決して、荒くどなられることもなく、いたい鞭も受けませんでした。ただ受けるのは、可愛らしい子供の、片言まじりなぐさめと、おじいさんの、親切ないたわりばかりでありました。まことに、このさびしい年寄と、幼児おさなご、この二人だけが、心をつくして病気の犬を見守るのでした。小屋の隅には、枯草を山のように積んで、犬の寝床ができました。そうしておじいさんと幼児とは、じっと耳をすまして、犬の寝息をうかがい、その息さえ聞こえれば、ほっと安心するのでした。

 犬はようやく元気になって、はじめて、一声吠えてみると、それをうれしがって、おじいさんと子供とは、どっと笑うのでした。そして、元気になってよかったと、うれしなみだをこぼすのでした。殊にネルロは、夢中になってよろこんで、すぐかけ出して行って、野菊を摘みあつめて頸環をこしらえて来て、それを荒毛のパトラッシュの頸にかけてやり、子供らしい赤いやわらかい唇で、何度も何度も、接吻キスするのでした。こうしてパトラッシュは、すっかり元気をとりもどして、もと通りの大きな、がっしりと力が満ちた犬になりました。

はじめ、パトラッシュは、以前と様子のちがっているのが、気がかりな風でしたが、間もなく、すべてのことが分って来たので、すっかり安心しました。こうしておじいさんと子供の親切な心が分ると共に、パトラッシュの心の内には、生れてはじめて愛というものが、非常な力で湧き上ったのでした。そしてその愛は、その後一生、パトラッシュが死ぬまで、一度も鈍ったことはありません[#「ありません」は底本では「ありありません」]でした。パトラッシュは、恵まれた、今度の新しい生活のすべてを知ろうとして、その澄んだ目で、じっと注意深く、おじいさんと子供のすることを見守っていました。

 さてこのジェハンじいさんの仕事と言うのは、毎朝、近所の、牧場主たちの牛乳を、小さな手車で、アントワープの町へ運ぶことでした。村の人達は、このおじいさんをあわれんでそうした仕事を与えていたのでした。何しろごくの正直者ですから、牛乳を運んでもらうばかりでなく、村にいて、仕事としては、畑の番、牛小舎、鶏小舎の番、小さな田の番、などいろいろたのまれるのでした。しかし、もうそろそろおじいさんには、仕事がむずかしくなって来ました。なにしろ八十三という年寄になったのですもの。アントワープへ行くにしても、三里からの道を歩かねばならないのでした。

 パトラッシュは、はじめて、しゃんと起き出た日、おじいさんが持って出たり持ってかえったりする牛乳缶を、じっと気をつけてながめていました。鳶いろの頸に野菊の花環を巻かれたままで、日向ぼっこをしながら。そして、そのあくる朝になると、パトラッシュは、おじいさんがまだ車に手をかけないさきに起きて行って、ぴったり、車の梶棒の間にからだをおきました。それは丁度、私は車をひくことを知っています。どうかせめてこんな仕事でなりと、御恩がえしをさせて下さい、と言うかのようでした。が、このおじいさんは、犬に車を曳かせるのは、神さまが犬をつくられた御心ではない、と信じている人でしたから、それを長いこと、許さずにいました。しかし、パトラッシュはどうしてもそれを止めません。おじいさんが、自分のからだを梶棒に結ゆわいつけてくれないと知って、今度は、歯でくわえて曳いて行こうとするのでした。これには、さすがのおじいさんも根まけがし、また、自分の助けた動物の、恩をかえそうとする心のけな気で熱心なのに打たれて、とうとうそれを承知してしまいました。そこで、犬が挽きよいように車をつくりなおし、おじいさんの命のあるかぎり、それを毎朝犬が、せっせと曳くことになったのでした。冬になると、おじいさんは、ルーヴァンの祭の日に、死にかかった犬を溝どぶから救いあげてやったことの仕合せを、つくづく感謝するのでした。何しろ、年老いて、おとろえる一方のおじいさんです。もしこの忠義な犬が、骨身惜しまず働いてくれなかったとしたら、雪道や、ぬかるみの深い轍の跡を、重い牛乳缶をつけてひっぱって行くのが、どんなに辛いことだったでしょう。

 ところで、パトラッシュにとっては、こうして働くことがまるで天国のように思われました。あの因業な昔の主人に、山なす重荷をつけられて、一足毎に鞭でぴしぴし打たれた身には、このおじいさんの緑色の小さな手車に、ぴかぴか光る真鍮の缶をのせて行くことなど、思いもかけなかったたのしさでした。まして親切なおじいさんが、たえず、やさしい声をかけてくれたり、抱きしめたりしてくれるのですもの。なおありがたいことには、一日の仕事が、三時か四時にはすんでしまって、あとはパトラッシュの自由な時間なのでした。日向ぼっこをしようが、子供と一しょにふざけようが、近所の犬と遊ぼうが、まったくしたい放題。パトラッシュはもうもう満足し切っていました。殊に運のいいことには、前の主人の金物屋は、あのルーヴァンのお祭りさわぎに、ひどく酔っぱらったあげく、喧嘩をして殺されてしまったのです。生きていて、もしもみつけ出されでもしたら、パトラッシュ[#「パトラッシュ」は底本では「パートラッシュ」]は否応なし、この新しい居心地のいい家から、ひきずられて行かねばならなかったでしょうに。

 それから二三年たちました。ジェハンじいさんは、それまでなやんで来た跛びっこの上に、今度はリュウマチをわずらって足がひどくしびれるようになり、もうこの上は、車について出かけられなくなってしまいました。この時六才になっていたネルロは、それまで何遍となくおじいさんにつれられて行って、アントワープの町の様子も知りつくしていましたので、おじいさんに代って車について行くことになりました。牛乳を売って代金を集め、それを、それぞれの牧場主にとどける。その様子がいかにもいじらしくて気の毒なので、見る人の心を感じさせずにはおきませんでした。

 ネルロはほんとうに美しい少年でした。黒目勝ちな凉すずしい瞳、薔薇のように生々いきいきした頬、そしてつややかな髪が、ふさふさときゃしゃなえり元までたれていました。で、この少年と犬と牛乳車をモデルにする画家が、たくさん出て来ました。――緑色の牛乳車にかがやく真鍮の缶、それを曳くのは大きな鳶色の猛犬。梶棒につけた小鈴が、一足毎に可愛い音ねをたてて、つきそうのは可憐な美少年。小さな白い素足に大きな木靴をはいて、ルーベンスの名画から抜け出して来たようなたのしげな邪気あどけないその顔は、どんなに人をひきつけたことでしょう、大勢の画家たちが我勝ちにと画えがいたのも尤もなことでした。

 ネルロとパトラッシュとはすっかりこの仕事に慣れ、また、こころからこの仕事を好いていたので、夏になってジェハンじいさんの病気がよくなっても、もうおじいさんは出かけて行かなくてもすむのでした。おじいさんは日あたりのいい小屋の入口に腰を下して、ネルロとパトラッシュがいそいそと畑の木戸をくぐり、やがて、その姿が遠くへ消えてしまうまで見送り、とろとろっと居ねむって、短い夢さえみる。やがて目をさまして、お祈りをしたり、畑のものなど見廻ったりする、そうこうするうちに時計が三時を打つと、おもてへ出て、ネルロたちを待ち受けるのでした。うちへ近づくと、パトラッシュはうれしそうに一声高く吠えます。そして梶棒をはずしてもらって、ゆっくりとくつろぐのです。ネルロはその日の賃銀を得意そうに計算し、やがて、みんなそろってライ麦のパンに、牛乳やちょっとしたスープをそえて食べるのでした。

 目をあげれば、野は、次第々々に暮れて行き、宵闇が、遥かな旧教寺院の尖った塔をぼかし初めるのです。それから、おじいさんにお祈りをしてもらって、みんな安らかなねむりにつくのでした。こう言うたのしい暮しが、幾日とつづき、幾年とつづきました。そして、ネルロとパトラッシュの生活は、相変らず幸福で平和でした。

 春と夏とは、ネルロたちにとって、一番たのしい時でした。一体フランダースというところは見渡す限りどこまでも牧場や田畑がつらなっているだけで、変化に乏しい、あまり面白おもしろいとは言えない土地ですが、そこにはまた、この地方独特の景色もあるというものです。

 運河の岸の、梢あざやかな長い並樹みち、水際には、高い藺いの間に花が咲き、古ぼけた荷足り舟が、青い樽を積み、さまざまな旗をひらめかして、しずかにすべって行く。変化に乏しく退屈であっても、ネルロとパトラッシュにとっては実にこの上もない楽園でした。ふたりは仕事がすむと、きっとつれだって出かけて来る。運河の土手の、したたるような青草のしげみに身をうずめて浮び来り、浮び去る重たげな舟をながめる。すると、かぐわしい夏花の匂いと、爽やかな潮うしおの香とが、混り合って、漂って来るのでした。ふたりは、やさしげな満ち足りた瞳をして、いつまでもいつまでも、そうして坐っているのでした。しかし冬はほんとうに辛いのでした。ふたりはまだ暗いうちから起き出るのに、それでも、ひるのうちに仕事がすっかり終るようなことはめったになく、それに小屋は、あたたかい時には思いもしなかったような隙間や節穴が一ぱいで、冬の夜更けには、寒い冷たい風が吹き込んで、まるで家畜小屋にでもいるような気がするのでした。

春から秋へかけて、実らないながらも、そのしげった緑の葉で小屋をつつんでくれたぶどうも、冬になるとみすぼらしく枯れはてて、黒い汚い蔓がからみついているばかりです。あやまって水を床にこぼしたりすれば、じきそれが凍りついてしまうのでした。広い荒野あれのは雪に埋れて、ネルロのきゃしゃな手足は痺れパトラッシュの頑丈な脚も氷柱で傷ができました。しかしふたりは健気にも泣き言一つ言わず、梶棒の鈴の音もほがらかに、毎朝三里の道を行くのでした。アントワープの町の人々はみないじらしがって、パン切れにスープをそえて、持ち出して来てくれるおかみさんや、かえりの空車あきぐるまの中へ薪たきぎの束を入れてくれる人などあらわれました。また同じ村の女などで、わざわざ牛乳などとっておいて、ふたりのかえりをねぎらってくれる人もあるのでした。

 そういうわけで、知るかぎりの人々に愛され、いたわられて、この小さな藁小屋の中はいつもたのしげな笑声わらいごえがみちていました。

 パトラッシュは、ほんとうに幸福しあわせでした。同じ炎天の下もとでも、同じ氷雪の路でも、昔と今では地獄と極楽の相違です。たとえひどく空腹をかんじ、足の傷いたみがひりひり痛むことがあっても、おじいさんの親切ないたわりと、少年のやさしい接吻キスとは、すべての苦痛をおぎなって余りあるのでした。パトラッシュはこの上何をのぞみましょう。けれどもそのパトラッシュにたった一つ、不安と言えば言えるものがありました。それはこうでした。アントワープの都には、古代石造建築の名残りが、たくさん残っています。今はもうアントワープは、俗っぽい商業地になってしまいましたけれど、それでも、尊いお寺やお社が、昔の名残りを止とどめていました。

 世に名高い大画家ルーベンスはこの町に生れたのです。アントワープが商業地以外に芸術の都としても世に知られるようになったのはひとえにこのルーベンスのおかげでした。彼の尊敬すべき偉大な魂は今もなおアントワープの町の上をさまよい、見守っていると言えましょう。ほんとにアントワープ到るところにルーベンスを感じ、ルーベンスを感じることによって、この町のすべてが清められ深められるとも言えましょう。

 そのルーベンスの白い墓標は、アントワープの中央、セントジャック寺院内の、いとものしずかなところに立っています。そのしずけさの上を、時折、おだやかなオルガンの音と、讃美歌の合唱がながれていくのでした。芸術家の墓のうちでも、こんないい場所にこれほど立派に立っているのは少いでしょう。

 さて、パトラッシュの心配というのはこれでした。この、厳かにそびえている古びた石造建築の中に、時折ネルロの姿が消えてしまう。その暗いアーチ型の玄関の奥にネルロが吸いこまれてしまって、パトラッシュだけがぼんやり、敷石の上にとり残されるのです。

 パトラッシュは、一体どんな面白いものがあって、自分と離れたことのない仲よしをいつもいつもあの門内へさそいこんでしまうのだろうと、ふしぎでたまらないのでした。一二度、彼はそれを見きわめようとして、牛乳車をくっつけたまま、入口の石段をガラガラのぼりかけたことがありましたが、その度、黒服に銀のくさりをつけた脊せの高い門番に一言の下に追いかえされてしまいました。パトラッシュは仕方なく、小さい御主人に変りがなければいいがと案じながら、じっとねそべって、ネルロが出て来るのを辛抱強く待っているのでした。

 パトラッシュはどこの村の人たちも教会へ行くことを知っています。大ぜい揃って、あの赤い風車のむかいの、古ぼけた教会堂へ出かけるのも見ていますから、ネルロが、お寺へ入るのが別に心配というのではありません。ただ、気になるのは、その町の寺院から出て来る時のネルロの顔いろなのでした。非常に興奮したようにあかくほてった頬をしているかとおもえば、またひどくあおざめている時もあって、そう言う日にかぎって、家へかえってからも、ぼんやり夢みるような眼をして、すわりこんだきり、一向遊ぼうともしないのです。そして運河の彼方に暮れていく空をながめては、いかにも、思い沈んだかなしげな様子をしているのでした。

 パトラッシュは、心配で心配でたまりません。これは一体どういうわけなのだろう、なんにせよ、こんな小さい子供が、こんな真面目くさった顔つきになるのは、普通でもないしよいことでもないと、パトラッシュは口にこそ出さね、気をくばって、ネルロの行くところは野と言わず、市場の人混みと言わず、片時もそばをはなれないことにきめたのでした。

 おかしいことには、ネルロは村の教会へは行こうともしません。ただ行きたがるのはあの町の大寺院だけです。パトラッシュはその寺院の大門のそとに取り残されて脊のびをしたりため息をついたり、はては大声に吠えたりしますがどうにもなりません。やがて門の扉が閉められる頃になってネルロはようやくつまみ出されるようにして追い出されて来ます。そして、すぐ犬の頸に抱きついて、そのひろい鳶いろの額に接吻キスしながら、いつもきまったように、

「パトラッシュ、僕は見たくって――一目でいい。見さえすれば――」

と、きれぎれにつぶやくのです。それは一体なんのことであろう。パトラッシュは、思いやりのこもった目で、じっと少年の顔をみつめるのでした。

 ある日、門衛がいないで、扉があいたままにしてあるのをさいわい、犬は少年のあとを追ってこっそり内へ入りこんでみました。少年はうっとりとして「キリスト昇天」の画の前にうずくまっていましたが、うしろに犬の来ているのに気がつくと、立ち上ってやさしく犬を胸のあたりまで抱き上げました。その顔は、涙にぬれていました。ネルロは、堂内の両側にかかげて[#「かかげて」は底本では「かがげて」]ある二つの画をぴったりと覆った厚い布を指して、言いました。

「パトラッシュ、貧乏でお金がはらえないからあの画が見られないなんて、なんて情ないことだろう。貧乏人には見せられないなんて、どうしてあの画の作者が言うものか、いつだって僕らに見せるつもりだったんだ、毎日見ててもいいと思ったにちがいない。それだのに、こんなに覆ってしまうなんて、金持が来て、金を払わなければ、いつまでも美しい画に光りもあてないなんて。ああ見たいな、見たいな見さえすれば僕、死んでもいいんだが――」

 パトラッシュははじめて知りました。あんなにもネルロをひきつけ、さそい入れたものが、この覆われた二つの大きな画だったということを。しかしパトラッシュにもどうすることもできませんでした。

「キリストの昇天」「十字架上のキリスト」この二つの名画の見物料を儲け出すことは、ネルロにとってもパトラッシュにとっても、丁度この寺院の高い尖塔によじのぼると同様全く思いもよらぬ難事だったのです。ふたりは、余分なお金など、それこそ一文もありはしません。炉に焚く薪の一束、うすいスープの一鍋さえ思うに任せぬあわれな身ですもの。

 しかしながら、ネルロの心は、このルーベンスの二つの名画を見たいと言うねがいを、どうしてもあきらめることができず、いや、ますます燃えさかるのみでした。身は水呑百姓の子供のあわれな牛乳配達にすぎなかったけれど、ネルロの心は常に高く、大画家ルーベンスを夢見ていました。

 ひもじさ寒さも気にとめず、いつも心に描いてたのしんでいるのは、かつて見て知っている『キリスト昇天』のその神々しい顔つき、金髪を肩に波打たして、その額に消えることなき栄光のてりかがやいている図でした。貧しい中に育ち、何の教育も受けていないが、少年ネルロは、まさしく天才の素質を持っていたのです。もとより、誰一人そんなことを気づく者はなく、ネルロ自身も、そんなことは思ったこともありません。ただそれを知っているのは、ネルロのそばを離れたことのない犬のパトラッシュだけでした。パトラッシュは、ネルロがよく白墨で石の上などへ、動物や植物などをいろいろと描くのを、また、一しょに枯草の床にねむる時など、そうしてそんな時のネルロの顔が、どんなにぱあっと輝いているかを見知っていました。ネルロが大画家ルーベンスの魂にむかって、いろいろな賛ほめことばや、思いつめた祈りを捧げているのを聞きました。また、度々、よろこびとかなしみとが混り合ったような、なんとも言うことのできない涙が、この小さな子供の瞼からあふれ落ちて、パトラッシュの皺のよった、鳶いろの額へかかるのも知っていました。

 その頃、ジェハンじいさんは病気になって床についていました。

「ネルロやお前が早く大きくなって、せめてこの小屋でも自分のものにして、田の一反でも持って、近所の衆に旦那と言われるようになってくれたら、おじいさんも安心して目がつぶれるがな。」と、おじいさんは床の中で、何遍もこんなことをくりかえし言っていました。このあたりの百姓の望みと言ったら、土地を少しでも持って、村の人達に旦那と呼ばれるようになる、それがもう何よりの最大の望みなのでした。このおじいさんも、若い時にはとび出してあらゆる地方を流れあるき、しかも何一つ儲けてかえったと言うでもなく、とうとうこんなに年寄ってようやく一つ所に落ちつき、やっぱり百姓は百姓の分相応な望みで暮すのが一番だと悟って、可愛い孫のために、ひたすらそれをねがったのでした。

 だが、ネルロはだまっていました。ルーベンスやヨーンデェンスや、ヴァン・グィリなどの大芸術家、その人達の天才と同じものが、少年ネルロの血にも流れていたのです。

 ネルロの考えている未来は、おじいさんの考えとは全くちがっています。わずかばかりの土地を耕して、小っぽけな家に住み、自分より貧乏な人や、せいぜい同じくらいの貧乏人同志から、旦那と呼ばれて満足するなどと言うことは、ネルロにとっては思いもよらぬことです。あかあかと燃える夕映ゆうばえの空、うっすらと狭霧の立ちこめる朝などに、遠くそびえるあの大寺院の尖塔は、ネルロの心と、おじいさんの言葉とは全くちがったものを告げているのでした。しかし少年がこれをはなすのは、犬のパトラッシュだけで、まるで赤ん坊にでも言いきかすように、ゆっくりゆっくりその耳にささやくのでした。車について野原を行く時にも、風そよぐ運河の岸の叢くさむらに並んでねころぶときにも、きまって、これをささやくのでした。

 パトラッシュのほかにもう一人だけ、ネルロは話相手がありました。それはアロアという小さな女の子で、あの丘の上の風車の家の娘で、お父さんの粉挽屋は、この村一番のお金持でした。アロアは、まだほんの幼い少女でした。ぽっちゃり肥えて、なにか紅い花のような子でした。そのぱっちりした黒い瞳の愛らしさと言ったらないのでした。アロアはよく、ネルロやパトラッシュと遊びました。野原で鬼ごっこをしたり、雪投げをしたり、野菊を摘んだり、くるみひろいに行ったり。ある時は手をつないで教会堂へ行ったり、水車小屋の中の大きな炉ばたにすわりこんだり。――アロアはその金持な粉挽やのたった一人娘でした。いつもさっぱりと可愛い着物をつけて、お祭の時など両手に持ち切れないほどお菓子だの、おもちゃだの買うことができるのでした。

アロアがはじめて洗礼式に出かけた時、その捲毛の金髪の上へかぶった帽子はおばあさんゆずりのクリン織のとても見事なぜいたくなもので、万事がそういう風ですから、アロアはまだやっと十二なのに、もう近所の人々の口の端にのぼって、あの娘をうちの息子のお嫁にもらったらさぞいいお嫁さんになるが、などと噂されました。しかし本人のアロアは一向無邪気な可愛い子供で、自分の家うちの財産のことなど知りもせず、とにかく一番好きなのはジェハンじいさんとこの孫と犬とでありました。

 アロアの父親は、コゼツの旦那と言われていい人だが、すこし頑固でした。

 ある日、彼が水車小屋のうしろの畑を通りかかると、丁度ネルロとアロアが遊んでいました。娘が真中の高くつんだ枯草の上にすわり、パトラッシュの大きな鳶いろの頭をひざにのせている。あたりにはひなげしや、矢車草などと色とりどりにちらばっていて、それをネルロが松のけずり板に、写生しているところでした。コゼツの旦那は、立ち止って、その写生をながめました。ぽちゃぽちゃした頬、黒い瞳、ふしぎによく似ています。彼はこの一人娘を、目に入れてもいたくないほど、可愛がっていたのでした。ふいに彼は、何を思ったか、お母さんが呼んでいるのに、なぜぐずぐずしているのかとアロアを叱りつけ、アロアがびっくりして泣き出すのもかまわず、家の方へ追いやってしまいました。そして振りかえって、ネルロの手からその板ぎれを取り上げました。

「なぜ、こんなばかげた真似ばかりしているんだ。」

 ネルロはあかくなってうなだれ、

「僕は見えるものを何でも写生するんです。」

と小さい声で言いました。コゼツはだまっていましたが、やがて五十銭銀貨を一つさし出しました。

「それは悪いひまつぶしというものだ。だがこれは大層よくアロアに似ているから、うちの母さんにみせたらよろこぶだろう。この金をやるから、この絵はわしにくれ。」

 するとネルロは顔をあげ、手をうしろへやって、

「いいえ、僕、お金なんかいりません。この絵がよかったら持っていらっしゃい。いつもあなたは親切にして下すったんですもの。」

こう無邪気に言って、そして少年は犬を呼び、畑を横切ってさっさとそこを立ち去りました。

「あの銀貨をもらっていたら、あれがみられたんだが、でも僕はあの絵を売ることはできない。たとえあれが見られるにしても。」

と、少年は犬に向ってつぶやくのでした。その夜コゼツは、

「あの子供をあまりアロアと遊ばせちゃいかんね。あとできっと心配事が起って来るよ、あの子供は今年十五だし、娘は十二だ。それにあの子は、ちょっとした顔つきでもあるし。」

とおかみさんにはなしかけました。おかみさんは、ストーヴの上におかれたさっきの絵につくづく見入りながら、

「それにまじめな子で、一本気のようでもございますしね。」と言いました。

「そこじゃて。それをわしはおもうのじゃ。」と、コゼツはたばこをつめながら言いました。

「ほんとにそうでございますね。あなたのお考えどおりになります。」とおかみさんは口ごもりながら、

「大そう結構のように思われますわ、娘だってこの財産をつぎますればふたりの一生は安楽ですし、それに越した二人の幸福しあわせはありませんわ。」

「だから女は困るというのじゃ、ばかな。」と、主人はパイプをテーブルに打ちつけて、

「あの子供が何じゃ、乞食じゃないか。おまけに画家になろうなどと自惚れているからなお始末が悪い。これ、よく注意して、もう決して遊ばせてはならんぞ。」

 おかみさんは、ネルロを可愛がっていましたが、気の弱い人だったので、そのままだまって、主人のいうとおりにすることにしてしまいました。けれども、母親として、娘が一番仲よくしている友達と裂こうということもできず、主人としても、貧乏ということ以外には何一つ欠点のない子供に対して、そうむごいことをしむけることもできませんでした。が、わざわざそんなことをしなくても、コゼツの目的は達せられました。

 ネルロは男らしく、しずかで感じ易い少年でしたから、もうそれ以後はあきらめて、たといひまがあっても、丘の上の赤い風車の方へは、足をはこばなくなったのでした。なにがあんなにコゼツの旦那の気にさわったのか、ネルロには分りませんでした。ただ大方、牧場ぼくじょうでアロアを写生したことがいけなかったんだろうと思っていました。で、時として、アロアが彼をみつけてとんで来て、手にすがりつくことでもあると、彼はかなしげにほほえんで、いろいろとなだめるのでした。

「ね、アロアちゃん。お父さんの御きげんを悪くしないで下さいね。お父さんは、僕があなたを怠け者にでもするようにおもっていらっしゃるんだからね。だから僕と一しょに遊ぶのがお気に入らないんでしょう。でもお父さんはいい方で、ほんとにあなたを可愛がっていらっしゃるんだから、僕たちは、御きげんを損ねるようなことをしてはいけない。ね、アロアちゃん。よく分ったでしょう。」とは言えそれは、かなしさ、さびしさをおさえぬいた言葉でした。

 ネルロにとっては、微風そよかぜにそよぐポプラ並木の朝の景色も、もはや以前のように、たのしげに晴々しくは見えませんでした。その古ぼけた赤い風車は、ネルロにとっては一つの目印で、そこまで来ると、一休みするのがきまりでした。そして、往きにもかえりにも、水車小屋の人達に元気よく挨拶すると、その低い水車小屋の木戸の上にアロアの金髪がちらとゆれて、やがて、アロアの小さなもみじのような手に、パトラッシュの御馳走のパンの皮や魚の骨などが持って来られるのが常でした。――が、いまは――パトラッシュはふしぎそうな目つきで、木戸がかたく閉じられてあるのをながめます。少年はさっさと通りすぎて行くが、その心の中では辛いのでした。

 アロアは窓の中で、編ものをしている手に、ほろっと涙を落す。主人のコゼツは、粉袋や粉挽機械の間をせっせと働きながら、いよいよ心をかたくなにして独言ひとりごとを言うのでした。

「こうして離しておく方がいいのじゃ。あの子供はどうせ乞食みたいで、その上画家になろうなどと、とんでもないばかげた夢を見ている。まかりまちがえば、こののちどんな不幸ふしあわせが起って来るかもしれん、用心用心。」

 こうした間にも、れいの松の板ぎれは、粉挽屋の食堂のストーヴの上の置時計と十字架像の間に、大事そうにかざられてありました。ネルロはときどき、絵だけがこうも歓迎されて、それを描いた自分はなぜ除けものにされるのかしらと、かなしい、さびしいおもいを抱くのでしたが、ネルロは決して恨みがましいことは口に出しませんでした。ひとりずっと、心の中のかなしみに堪こらえているのが、彼の性でした。ジェハンじいさんは、よく彼に言い聞かせました。

「わし等は貧乏人じゃ、何でも神さまが下されたものをそのままお受けせねばならぬ。それにはよいことも悪いこともあろう。だが、貧乏人は、えり好みをするのじゃない。」

 少年はだまって、おじいさんの言葉を聞いていました。彼はなんにもその言葉に逆いませんでした。しかし、

「いや、貧乏人だって、時にはえらばねばならぬこともある。えらくなる道をえらぶ、それを誰がいけないというものか。」

 ネルロはけがれない心に、一途にこう考えていました。

 ある日、運河のほとりの麦畑に、ネルロがたった一人で佇んでいると、ふとそれを可愛らしいアロアがみつけてかけ出して来ました。そしてネルロによりそいながら、しくしく泣き出すのでした。明日はアロアの誕生日なので、これまでなら、ネルロを招いて、おいしい御馳走をしたり、大きな納屋であそびまわったりして、たのしくすごせるはずなのに、今年に限ってお父さんもお母さんも、ネルロを呼んではいけないと言い渡されたのでした。ネルロはやさしく少女に接吻キスしてそして、深く胸の中うちに決心したことをささやくのでした。

「ね、アロアちゃん、僕もいつかはきっとえらくなってみせますよ。やがて時が来れば、お父さんが持っていらっしゃる僕の描いたあの松の板ぎれだって、あの大きさの銀を出しても変えない程な値が出ますよ。そうなったら、お父さんだって、戸を閉めて僕を入れないようなことはなさらないでしょう。ただ、アロアちゃん僕を忘れないでね。忘れないで下さいね。僕きっとえらくなるから――」

「まああたしがあんたを忘れるって言うの、そんなこと言うならいいわ。」

と愛らしく泣きぬれたアロアは、頬をふくらしてすねたように叫びました。その眼には、まごころがあらわれていました。少年はそれをみると胸がせまって、いそいで目をそらしました。遥か彼方には、宵闇にほの白く、あの旧教の大伽藍がそびえ立っていました。少年の顔には、一瞬間、何か崇高なかがやきがひらめきました。アロアはちょっとこわくなったほどでした。

「僕はえらくなる。」と、少年は深い息をして呟きました。

「アロアちゃん、えらくなれなかったら、僕は死ぬ。」

「死ぬんですって、じゃあたしを忘れてしまうのね。」

と、アロアは少し苛立ってネルロを押しのけました少年は頭をふって、ほほ笑み、脊丈ほどもある、黄色に熟れた麦のかげを、家の方へかえって行くのでした。少年の目には幻が浮んでいました。――いまにきっと幸福しあわせになれる時が来る。名を成して再び故郷にかえって来て、あらためてアロアのお父さんに挨拶したら、その時、お父さんはどんなに僕をよろこびむかえてくれるだろう。村の人達も僕を見ようとして集まって来て、あわれだった昔のことなど思い出し、よけいその成功をよろこんでくれるだろう。その時が来たら、ジェハンおじいさんには、あのセント・ジャック寺の中に描いてあるえらいお坊さんのように、毛皮や紫の着物を着せてあげて、その肖像を描いてあげよう。それから忠犬パトラッシュの頸には金の頸環をつけてやり、自分のすぐそばへおいて、集まって来る人々に、

「この犬が、前には私のたった一人の友達だったのです。」

と紹介しよう。住む家は、あの大寺院の塔のみえる丘の上へ大理石の宮殿のようなのがいい。そこへ多くの貧乏な淋しいそして大きな望みを抱いている少年たちをあつめ、明るくたのしい生活を与えてやって、彼らをはげまし、もし彼らが自分の名をほめたたえるようなことがあれば

「いや、私に感謝する程のことはない。ルーベンスに感謝しなさい。もしルーベンスがなかったら、私はなんにもなれなかったろう。」

と言おう――こんな空想が、全く清らかにあどけなく、ほほえましく少年の胸を掩おおいつつむのでした。

 このアロアの誕生日の夜、ネルロとパトラッシュはうすぐらい小屋で、まずい粗末な夕食をとっていました。丁度その頃水車小屋の中では、村の子供たちがすっかり招かれて、明るい灯の下で、おいしいめずらしいお菓子や御馳走を頬ばりながら、笛や胡弓こきゅうに合せて、おどり狂っているのですから、ネルロにとっては、よい気持のしない日であるにもかかわらず、彼はよく堪えて、小屋の入口に犬と並んで腰かけ、

「ね、パトラッシュ。くよくよするのは止そうよ。」

こう言いながらパトラッシュの頸をだいて接吻キスしてやるのでした。粉挽場の方からは、たのしげな笑声わらいごえがつたわって来ます。

「いいさ、いいさ。いまにだんだんかわって来るからね、辛抱おしよ。」

 少年は未来のことを確かたく信じていますが、パトラッシュはさすがに犬ですから、現在うまい肉の御馳走にありつけないことには、将来にどんなたくさんの御馳走を思い浮べてみても、それではつぐないがつかないのでした。で、その日以後パトラッシュはコゼツの旦那の姿を見れば、いまいましそうに唸り声をあげるのでした。

「今日はアロアさんの誕生祝いの日だろう。」

とおじいさんは、小屋の隅っこの床の中から聞きました。少年はだまってうなずきました。おじいさんが、それをおぼえていたのが少年はどんなに切なかったでしょう。

「じゃどうしてお前出かけないんだい。」

と、おじいさんはまた問いかけました。

「お前、いつの年だって行かないことはないじゃないか。」

「だって僕、おじいさんが病気だし――」

と少年は、うつむいて言葉を濁しました。

「なんの、なんの、わしのことなら気にせんで行っといで。出がけにビュレットのおばさんに頼んで行ってさえくれればすぐ来てみてくれるよ。――ネルロ、お前どうしたんだ。まさかあそこのお嬢さんの悪口でもしゃべったんじゃあるまいな。」

と、おじいさんはふしぎでならないのでした。

「いいえ、おじいさん。悪口なんか――」

と、少年は口早に答えましたが、そのうなだれた顔はあかくなりました。

「なんでもないのよおじいさん。ただ、コゼツの旦那が、今年は僕を招よばなかっただけ。あの人、ちょっと僕に思いちがいをしてるらしいの。」

「だってお前、なんにも悪いことはしなかったんだろう。」

「それが、いいかわるいか、僕には分らないんです。僕は、アロアちゃんの顔を、松の板ぎれへ写生しただけなの。」

「ああそうか。」

 おじいさんはだまってしまいました。ネルロの無邪気な言葉を聞いて、おじいさんにはすっかりわけが分ったのです。老いぼれて、長い間、掘立小屋ほったてごや[#「掘立小屋」は底本では「堀立小屋」]の中にねたきりではありましたが、おじいさんは、まだ、世間がどう言うものかと言うことを、忘れてはいませんでした。おじいさんはやさしく孫の美しい顔を自分の胸のへんに引きよせて、

「お前は貧乏な子だからのう。」

 その声はかすれてふるえました。

「ほんとに貧乏なんだからのう。お前も辛い目を見るのう。」

「いいえ、おじいさん。僕は金持と同じよ。」と、ネルロはささやきました。実際のところ、ネルロはそう信じていたのです。自分は強い力を持っている。王様の力でもどうすることもできないほどの力を持っているように思えました。少年は立ち上って、再び戸口に佇みました。秋の夜はしずかで、高いポプラの枝が微風そよかぜに揺らいでいます。空は夥おびただしい星でした。少年は目をあけてじっとそれをながめました。粉挽屋の家の、窓という窓はあかあかと灯ともしびがもれて、時折、笛の音ねがひびいて来ます。涙が少年の頬をつたわりました。まだ何と言ってもほんの子供ですから、かなしいのでした。けれども、にっこり笑顔をつくって、

「なあに将来だ。」

とひとり言を言いました。夜が更けるまで彼はそうして佇んでいましたが、やがてパトラッシュを抱いて床につき、さびしくもおだやかな眠りに落ちて行きました。

 さて少年には、パトラッシュのほか誰にも知らせない一つの秘密がありました。小屋には小さな次の間があって、そこはネルロだけが入るところになっていました。ひどく荒れた部屋ですが北側から光線が入ります。この部屋でネルロは、木片で無細工な画架をこしらえ、それに大きな紙を張り、そこへこれぞとおもうものをぜひ一つ描きあげようと一生懸命になっているのでした。ネルロは、誰にも画の描き方を教わったことはありません。

むろん、絵具を買う余裕などもありません。ただ、白と黒の使い分けで目にうつるものを描くだけでした。いま、彼が木炭筆で描いたばかりの大きな画は、一人の老人が、倒れた樹に腰を下しているところ、ただそれだけです。少年は以前、年取った樵夫きこりのネッセルが、夕方になると、そんな様子で休んでいるのを度々みたのでした。輪廓の具合や影の描き方など、誰におそわったでもないけれど、ネルロは自分の考え一つで、さも老いぼれた、つかれた老人を描きました。宵闇がせまって来る暮れどき、倒れた樹に腰を下して、あらゆる世の苦労をなめつくしたようなつかれたかおつきで、じっと思い沈んでいるこの老いた樵夫の様子は、全く詩の趣きがありました。もとよりその画は素人らしく、欠点もありますが、しかし、ほんとうに自然な素直そっちょくな画です。いかにも、かなしさに咽むせんでいるようで、ある美しささえ持っています。パトラッシュはいつも、何時間でも動かずにこの画ができ上っていくのをながめていました。そして、ネルロの心に希望が燃えているのをさとりました。その希望と言うのも、おそらく、向う見ずな、無駄なことかもしれませんが、ネルロはこの画を出品して、年額二百フランの賞金を得るために競争してみようとしているのです。

そのころ、アントワープの町では、十八才以下の天分ある少年は、身分にかかわらず、鉛筆画か木炭画の自作の作品を出して、その中うち一枚だけがえらばれてこの賞金をもらうことになっていました。ルーベンスに縁の深いこの町では、一流の画の大家が三人審査員になって、それらの作品の優劣をきめることになっていました。

 春と夏と秋を打ぶっ通して、ネルロはこの大作の完成に余念がありませんでした。もしこれがうまく栄冠を担えれば彼にとっては、年来の宿望に向って第一歩をふみ出すことになるのです。ネルロはこの企てを誰にも言いませんでした。おじいさんに言ったところで分ってはもらえないし、それはアロアは、もう彼にとって、ないも同じでした。打ち明けるのはただ犬のパトラッシュだけ。そうしていつも、

「ああルーベンス、ルーベンスの魂が知っていたら、きっと僕をえらび出してくれるのだが。」

とつぶやくのでした。パトラッシュもまた、こんなことを考えていました。ルーベンスと言う人は、きっと犬を愛していたにちがいない。もし犬を深く愛していたんでなければ、あんなに正しく、美しい、犬が描けるものではないと――。

 出品する画は、いずれも十二月の一日に運ばれて、その月の二十四日に結果が発表されることになっていました。で、もしうまく、入選すれば、クリスマスには二重のよろこびを持てるわけでした。身を切るような寒風の吹き荒すさぶその日、ネルロは波打つ胸をおさえて、いよいよでき上った苦心の画を、牛乳車にのせて、パトラッシュと一しょに、町へ運んで行きました。そして、きめられた通りに展覧会の入口のところにおきました。

「大抵だめだろう――僕には分らない――。」

 ネルロは、妙に臆病になって、なにか、胸がいたいほどでした。画はおいて来たものの、考えてみれば、ずいぶん向う見ずな話です。靴下もないようなこの貧乏な子供が、自分の名さえろくろく書けない無学の身で、はずかしくもなく、そんな一流の大家たちに、自分の画を見てもらうなんて――

 だが、ネルロは、大寺院に近づくにつれてだんだん元気をとりもどしました。威厳のある王様のようなルーベンスの姿が、暗い中からすっと浮んで来て、ネルロに微笑みかけ、ささやくようにおもわれたからです。

「気を落してはいけないよ。私だって、アントワープに名を残すようになったのは、決して、弱い心ではできなかったことだよ。」

 冷たい夜を、ネルロは、わが心をはげましつつ、かえって行きました。彼は全力をつくしたのです。あとはもう、神様の御心に任せる他ありませんでした。

 その夜、ネルロが家へかえってから雪が降り出し、幾日も幾日もふりつづきました。田も畑もあぜみちも、すっかり雪にうずもれてしまい、川という川はみんな、かたく凍りついてしまいました。もうこうなると、牛乳を持ちまわるのは、実に辛いのでした。吹きさらしの野、夜明けの暗い人気のない町は、よけい寒さがこたえるのでした。殊に犬のパトラッシュは、少年が年毎に次第に力を増して行くのに反し、ますます老いぼれて行くのみで、骨の節々が硬こわばって来てはげしく疼いて苦しいのでした。

「パトラッシュ、お前はもううちでねておいでよ。お前ももう隠居してもいい頃だ、大丈夫、僕ひとりで車はひけるから。」

と、ネルロが無理にも止めようとしたのは、一朝ひとあさや二朝ふたあさのことではありませんでした。が、パトラッシュはききません。毎朝、起きると、彼はちゃんと梶棒のところへ行っています。そして、今まで長ながの年月通い慣れたその野道を、雪を蹴って、進むのでした。ただ少年に、以前より手数をかけるのは、牛乳車の輪が、凍った轍の跡にはまって、動きのとれない時、後から棒をさしこんでもらうだけでした。これだけ、昔より力がおとろえたのです。

「死ぬまでは休息と言うことはない。」

パトラッシュはいつもこうかんがえていました。が、ときどき、ふっと、その最後の休息が、間近に迫って来たようにかんじられて、なんだか目が前ほどはっきり見えなくなったし、教会堂の鐘が五つ鳴って、パトラッシュに、起きて働かねばならぬ時が来たと知らせると、ぱっとはね起るのに変りありませんが、それが前とちがって、非常な苦痛にかんじられるのです。

「かわいそうなパトラッシュ。お前も、わしと一しょに、安楽往生をするのかい。」

 ジェハンじいさんは、やせこけた皺だらけの手で、犬の頭をなでました。このおじいさんと老犬とは、いつも、パンの皮を分けてたべました。そしていつも同じ心で、年を取るのを嘆きつつ行末ゆくすえのことを案じ合うのでした。お互いが死んでしまったら、あとに残るあの可愛いネルロはどうなるでしょう。

 ある日の午後のこと、少年と犬とが、アントワープからのかえりみちでした。雪は凍って、まるで大理石のようにひろい野原にしきつめていました。ふと足許を見ると、可愛らしい人形が落ちていました。五六寸の、たいへん美しい太鼓叩きの人形で、ちっとも傷のついていない立派なおもちゃでした。ネルロは拾い上げて、いろいろ探してみましたが、落し主が分らないので、それをアロアにやったら、さぞよろこぶだろう、とかんがえました。落し主が分らないのだから、それを長い間の仲よしにやっても、別にわるいことではあるまい、と彼は思ったのでした。

 ネルロが粉挽屋のところを通った時は、もうしずかな晩になっていました。アロアの部屋の小さい窓はよく分っています。その窓のすぐきわから斜下ななめしたにつき出た屋根、彼はその屋根によじのぼって、しずかに窓をたたくと、中で小さな灯ともしびがつきました。アロアは窓をあけてびっくりしました。ネルロは太鼓叩きの人形をアロアの手に握らして、小さな声で口早に言いました。

「アロアちゃん、お人形だよ。雪の上で拾ったの。とっておおきなさいよ、ね、神様が下すったんですもの。」

 ネルロはするすると屋根をすべりおりて、アロアが、ありがとう、と言う間もなく、闇の中に消えてしまいました。その夜、粉挽場が火事になって、水車場と母屋だけは助かりましたが、納屋と沢山の麦がやけました。村中は大へんなさわぎで、アントワープからは、雪を蹴立てて、蒸気ポンプがかけつけて来ました。さいわい、保険がつけてあったので、大した損害にはなりませんでしたが、主人のコゼツは、かんかんに怒って、この火事はあやまちからではなく、きっと誰かが、つけ火をしたにちがいないと、どなりました。この時ネルロも、円まろらかな夢を破られて、びっくりしてかけつけて来ましたが、コゼツの旦那は荒々しく彼をつきのけて、腹が立ってたまらないように、

「貴様は宵にここらをうろついていたな。俺はちゃんと知っているぞ、貴様こそ今夜の火事には一番覚えがあるはずだ。」

と怒鳴りました。ネルロはあまりのことにぼんやりしてしまって口が利けませんでした。場合が場合だから、聞いている人は、それを冗談だと聞きすごしてくれないだろうと、全く途方にくれてしまいました。

 粉挽屋の主人は、翌日になっても、近所の人の前で大っぴらにこの言葉を口にしました。すると中には、ネルロがその夜、別に用もないのに粉挽場の辺をうろうろしていたの、アロアと遊ぶことを断られたので、ネルロがコゼツの旦那を恨んでいたのと、蔭口をきく者も出て来、その上何とかしてこのお金持に取入って、その一人娘を息子の嫁にもらい、財産にありつこうと言う腹ぐろい人達も交って、ジェハンじいさんの孫は、全く可哀想な立場におかれてしまいました。

 村の人達は誰もまさか、コゼツの旦那の言葉を、信じるわけではないのですが、何しろ、狭い村のことではあり、村一番のお金持の気に逆っては何かと自分たちの損ですから、あんまり親切そうにしているところをコゼツの旦那に見られては面倒だと、みんな、申し合せたように、ネルロを避けるようになってしまったのでした。ですから、それからは、ネルロとパトラッシュが、毎朝アントワープへ運んで行く牛乳の御用を聞きにまわっても、牧場主たちは、以前のように、何かと親切に計らってくれず、素気ない態度で、あまり口も利いてくれないのでした。

 粉挽屋のおかみさんは、涙ぐんで、おそるおそる主人に言いました。

「あなた、それではあんまり可哀想ですわ。私、あの子が気の毒でたまりません。あの子はほんとに、無邪気な正直者ですもの。いくら、くやしくかんじたことがあったとしたって、ゆめにもあんな大それた悪いことをするような子ではありませんわ。」

 けれどもコゼツの旦那は一徹者ですから、一度、自分の口から言いふらしたことは、是が非でも、押し通さねばすまないのでした。たとえ、心の奥底で、悪かったが、と気がついて居りながらも、あわれなネルロ、いかに身が潔白なればかまわないとは言え、そこはまだ子供です。

「なあに。僕の画さえ入選したら、村の人達だって、すこしは僕に同情してくれるだろう。」

と気をとりなおしとりなおしても、パトラッシュとたったふたりでいる時など、止めようもない涙があふれ落ちるのでした。全く幼い時から会う人毎に可愛がられ、ほめられて大きくなった身が、突然あられもない汚名をきせられ、その頼りにしていた世間の、打って変った冷たい素気ない態度を堪えしのんで行くことは、死にも勝る苦しみでした。雪がふりつづき、村の人達はみんな炉ばたに集まるのに、ネルロとパトラッシュは除者のけもので、もう用はないのです。

隙間の多いあばら家に、ふたりはしょんぼりとおじいさんのお守りをする。炉は、いつしか火が消えて冷たく、食卓の上には、食べもののない時がつづくのでした。それもそのはず、近頃アントワープから驢馬を仕立てて、毎日牛乳を買い出しに来る商人があらわれたのです。そうして、少年をあわれんで、その商人の牛乳を買わず、緑いろの小さな牛乳車を待っていてくれる家は、ほんの三、四軒に減ってしまい、そのために、パトラッシュが曳かねばならぬ車の荷は軽くなったものの、ネルロの財布に入る端金はしたがねはいよいよわずかになってしまったのでした。

 犬は、いつも止る家の前には、ちゃんと車を止めますが、その門は、もはや彼等のためには開かれませんでした。あわれみを乞うようにじっと見上げる犬の眼は、見る人の胸を打ちましたがみんなむりに目をつぶって心を鬼にして閉め出すのでした。パトラッシュは、力なく空車あきぐるまをひいて行きます。誰だって、人情のないものはありませんが、コゼツの旦那の気にさわるのをおそれたからでした。

 いよいよクリスマスは近づいて来ました。寒さは一そうきびしくなり、雪は六尺も積もり、氷は、牛や人間が、どこをふんでも大丈夫な程厚くなりました。この季節が、このあたりでは一番たのしい時なのです。どんな貧乏な家にも、あたたかなおいしい御馳走やお菓子が用意され、ストーヴの上には、スープ鍋が、さもうまそうに湯気を立てていて、部屋は色美しくかざられて、たのしげな笑声わらいごえがもれるのでした。馬という馬はみんな鈴をつけられ、その音が、いたるところに、にぎやかにひびくのでした。またそとには、若い娘たちが美しい頭巾に厚い上着をつけ、キャッキャッとはしゃぎながら、雪みちをあちこちの集まりに行きつ戻りつしています。その中うちに、ただ、ネルロの小屋だけが、暗くつめたいのでした。

 ネルロとパトラッシュは、全くのふたりっきりになってしまいました。クリスマスの一週間前とうとうジェハンじいさんは息をひきとってしまったのです。おじいさんは、ねている間に死にました。明け方のうす明りに、はじめてそれを知ったふたりの嘆きは、どんなだったでしょう。おじいさんは、どんなに彼等を愛しぬいていたことでしょう。

おじいさんは、長い長い間、病の床についたきりで身動きもならず、ふたりのために何をしてやることもできませんでしたが、しかもこの親切な言葉とやさしい笑顔とは、つかれてかえって来るふたりにとって、どんなに大きな慰めだったことか―― そのなきがらを松板の棺におさめ、小さな教会堂のとなりの名もない墓に葬ったとき、ふたりは悲しみ極まわって、雪の上に泣きくずれたまま、立ち去ろうともしませんでした。ああ、犬と少年――彼等は全く、この世に頼るものなく取残されたのでした。

 今度こそはあわれにおもって心も解けるだろう、と信じたおかみさんの心だのみも空しく、粉挽屋の主人は、そのささやかな葬式が、門前をすぎるのを見ても、眉をよせたままくやみ一つつぶやこうとはしませんでした。気の弱いおかみさんは、とりつく術もなく涙をふきふき、そっと凋しぼまない花を花環に編んで、アロアにそれを墓場へ持って行かせ、今は少年も立ち去って、人影もないその墓の上にうやうやしくおかせたのでした。

 ネルロとパトラッシュは、はりさけるような悲しい胸を抱いて墓場を立ち去ったが、そのかえり行く小屋さえも、なおふたりに[#「ふたりに」は底本では「ふたりにめ」]慰めを与えることをしませんでした。それは、この小さな家の地代が一月おくれになってしまっていたところへ、このかなしい葬式のために、ネルロは、最後の一銭まで、払ってしまったのです。小屋の持主というのは靴やのおやじで、世の中に金ほど可愛いものはないと思っている人情知らずでした。

彼は、ネルロの詫言わびごとに耳をも貸さず、家賃や地代が払えないなら、その代り小屋にあるものは、鍋から釜から、木片きぎれ一つ、石塊いしくれ一つに至るまで、すっかりおいて明日限り立ち退けと、むごい宣告を下したのでした。小屋は、貧しく小さかったが、ネルロたちは、どんなになつかしい思い出を、そこに持っていることでしょう。夏になれば、一面にまといついて繁るぶどう。朝まだき、露をふくんで彼等にほほえみかける、畑の豆の花。彼等のどんなよろこびも、どんなかなしみも、みんな見守っていたこの小屋。どんなにつかれてかえって来ても、安らかにいこわせてくれたこの小屋。――その晩ネルロとパトラッシュは、一晩中火の気のない炉ばたで、灯ともしびもつけず抱き合っていました。めいめい、心の中に、この小屋の、すぎ去った日のことを思い起しながら――

 やがて一夜があけました。それはクリスマスの前の日でした。ネルロはふるえながら、冷え切った両腕でかたく犬を抱きしめた。大粒の涙が、はらはらと犬の額にかかりました。

「パトラッシュ、行こうよ。ね、行こう。僕らはじっとして蹴り出されるまでもない。ね、さ、行こう。」

 ふたりは、かなしげに並んで小屋を出ました。どんな大事なものも、どんななつかしいものもすっかり残して、全くの着のみ着のままで――。緑いろの牛乳車のまえをとおる時、パトラッシュは、さも切なげに頸をたれてしまいました。ああこれももうふたりのものではないのでした。

 彼等は、通いなれた道を、アントワープの方へ辿りました。まだ太陽は登らず、道に沿うた大抵の家は、まだ戸を閉めていました。町には、二三の人影もありましたが、誰も少年と犬をふりむく人はありません。

 ネルロはある家の前に来ると、立ち止って、訴えるような目つきで家の中をのぞきました。それは、おじいさんが元気だったころ、よくやって来たことのある人の家でした。

「もし。パンの堅皮がありましたら、犬にやって下さいませんか。これはもう老いぼれている上に、きのうのおひるから、なんにも食べてないのです。」

と、ネルロはおそるおそる言いました。すると家の女の人はすばやく戸をしめて、このごろは麦が高くって、というようなことをぶつぶつ呟くのでした。ネルロとパトラッシュはとりつくすべもなく、またとぼとぼとつかれた足をひきずって行きました。町についた時には、もう鐘は十時を鳴らしていました。

「僕がなんか売れそうなものを持ってたら、パトラッシュにパンを買ってやれるんだが。」

 だが、ネルロが身につけているものと言っては、ぼろぼろの着物と、汚れた木靴だけでした。パトラッシュはネルロの心持を悟って、鼻先をネルロの掌ての中うちに押しつけ、どうか、自分のためなら心配してくれるな、なにもいらぬからと、頼むような様子をみせました。

 その日の十二時には、例の画の審査の結果が発表されることになっていました。その会場の入口には、もう大ぜいの少年が集まっていました。みんなお父さんやお母さんにつれられていろいろささやき合っているのでした。その群に入りこんだ時、ネルロの胸は激しく波打って、いたいようでした。彼はパトラッシュをしっかりと抱きしめました。やがて町の大鐘が音たかく鳴りわたりました。十二時になったのです。と同時に玄関の扉ドアが開いて、大勢はときめく胸をおさえながら、なだれこみました。

当選の画は、上段においてある台の上にかざられることになっていたのです。はっと思った瞬間、ネルロは目がくらみ、頭がぼーっとして、からだがくずおれかかりました。ようやく気をしずめて、も一度そのかざられた画を見ましたが、ああ、それは彼の描いた画ではありませんでした。やがて、よくひびき渡る声で、当選した画は、アントワープ生れの埠頭場主はとばぬしの子、ステフアン・キイスリングの作であると告げられました。

 ネルロが気がついた時は、彼は玄関先の石の上に倒れていて、パトラッシュが一生懸命彼を正気づかせようと鼻をすりつけていました。すこしはなれたところでは、アントワープの少年団が入選した名誉ある友達を大さわぎをしてとりかこみながら、これからその埠頭場はとばの家まで威勢よく送って行こうとしているところでした。ネルロはよろよろと立ち上って、パトラッシュをしっかり抱きしめました。

「ああ、もうだめだ。パトラッシュ、もう何もかも。」

 ネルロは幾度も倒れそうになるのを、ようよう踏みこらえました。もう、お腹が空き切って、辛抱できないほどです。やっぱり、村へひきかえすほかはないのです。犬は頭をたれて、したがいました。パトラッシュの強い足も、もうつかれはてているのでした。雪はますます降りしきりきびしい北風が吹きつけました。野原は殊に凄まじく、慣れた道を横切るにも、並大抵ではないのでした。やっとの思いで村に近づいた時、鐘が四つ鳴りました。突然パトラッシュは立ち止りました。なにか、雪の中にかぎつけたものとみえ、妙な吠え方をして、咬くわえ出したのは小さな革袋で、それをネルロにわたしました。

丁度その近くに小さな十字架像があって、その下にささやかなお燈明とうみょうがあったので、ネルロは気のない様子で、そのうすあかりに袋を近づけてしらべると、コゼツという名が書いてあり、中には六千法フランという大金の切手が入っていました。これを見るとぼんやりしていた少年の気持が、しゃんとして来ました。彼は早速それをふところに押しこんで、犬をなでて歩き出しました。パトラッシュも小走りにつづきました。ネルロはまっすぐに粉挽小屋へかけつけて、入口の戸をたたきました。開けたのはおかみさんで、目を泣きはらしていました。アロアもそばにすがりついていました。

「ああお前さんだったの、可哀想に。」

とおかみさんは涙をこぼしこぼし優しい声で言いました。

「でもね、早くおかえりよ。旦那さんが見たらやかましいからね。今夜、うちでは大変な心配事ができたんだよ。旦那さんが、さっき馬でおかえりの途中、大金の入った財布を落してね、今探しにお出かけなすったところなの。生憎この雪ではねえ――。もしみつからなかったら、うちは丸つぶれになってしまうんだよ。ほんとにうちの人が、お前さんに辛くしたむくいが、今来たのですよ。」

 少年は革袋を取り出し、パトラッシュを家の中に呼び入れました。

「この犬が、このお金をいま見つけたんです。」

と、ネルロは口早に言いました。

「どうぞ旦那さまにそうおっしゃって下さい。もうこの犬も老いぼれて来ましたから、どうかこの犬だけ宿を貸して饑うえないようにしてやって下さい。おねがいです。僕の跡を追いますから、どうかやさしくなだめてやって――。」

 待って、と言う間もなく、少年は身をかがめて犬に接吻キスしたかと思うと、すばやく扉ドアを閉め、闇の中へ走り去ってしまいました。おかみさんもアロアも、あまりのよろこびとおどろきに言葉も出ませんでした。パトラッシュは閉めこまれた樫の扉ドアに腹立たしく吠えかかったがもうだめでした。おかみさんもアロアも、ネルロのことは気になりましたが、何事も父親がかえってから、今はせめてパトラッシュだけにもと、お菓子や肉を一ぱい出して来て、一生けんめいなだめ、炉ばたの温あたたかいところに誘おうとしましたが、それは何の甲斐もありませんでした。パトラッシュは石のように扉ドアの前に頑張ったままみむきもしないのでした。

 しばらくたって、別の入口から、主人のコゼツがしょんぼりかえって来ました。どっかと腰を下すと、うめくように言いました。

「ああ、もうだめだ。提灯をつけて残らず探して見たのだが、もうない。――娘にゆずる分も何もかもすっかりなくなってしまった。」

 おかみさんは革袋を差出して、事の次第をはなしました。聞いているうちに、コゼツはたまらなくなって、ぶるぶるふるえるからだを投げ出し、両手でしっかりと顔を掩おおってしまいました。

「ああ、わしはあの子に辛く当って来た。わしのような人間が、どうしてあの子の親切を受けることができようか。」

と、彼は身悶えしてうめきました。小さなアロアは、それに元気づいて父のそばへにじり寄り、その美しい捲毛の頭を父の膝におしつけながら、

「お父さん、ネルロはもう家へ来てもいいのね。明日招んでもいいのね、先せんのように。」

 コゼツは娘をしっかり抱きしめました。その顔は涙でぬれていました。

「ああ、そうとも、そうとも。明日のクリスマスには招ぶのだよ。いつでも遊びに来たい時は来てもらうがいい。わしの剛慾ごうよくがこんな罪をつくったので、いま神様がこらしめて下すったのだ。わしは神様におすがりして、あの子に償いをせねばならぬ。罪ほろぼしをせねばならぬ。」

 アロアはうれしさのあまり、父親に接吻キスして、大きな膝からすべり落ちるか早いか、扉ドアの方ばかり、見守っている犬の許にかけて行って、

「今夜、パトラッシュに御馳走してやってもいいの。」

とさもうれしそうに叫びました。

「いいとも、いいとも。うんと御馳走しておやり。」

とコゼツは言いました。この老いた頑固なおやじさんも、全く心の底から改心してしまったのでした。

 その夜はクリスマスの前夜ですから、大きな粉挽場の中は、目のさめるように美しくかざり立てられていました。吊された線の枝々えだえだ。うめもどきの赤い実がたくさんなっている枝の間から、十字架像と、時鳥ほととぎすの形をした置時計がのぞいています。アロアをよろこばせるための、紙でこしらえた提灯には灯ともしびがつき、いろいろなおもちゃや、目のさめるような絵紙につつんだおいしいお菓子が一ぱい並んでいます。このクリスマスのかざりをした明るいたのしい、そして食物たべもののたくさんある部屋で、パトラッシュを一番のお客さんにしようと、アロアは一生けんめいでした。が、パトラッシュは暖あたたかい炉ばたへ行こうとも御馳走をふりむこうともしませんでした。からだは凍え、おなかは空き切っているにもかかわらず、ネルロがいなければ犬はなんにも食べたくもなく、なぐさめられもしないのです。パトラッシュはただ石のように扉ドアのそばにすわりこんで逃げ道はないかと、そればかりねらっているのでした。これを見たコゼツは言いました。

「あの子がいないといかんのだな。よしよし夜があけたら、何はおいてもわしがむかいに行ってやるからな。」

 ああ、パトラッシュのほかに、誰がネルロの心を知っていよう。犬を残してただひとり、饑うえと悲しみとを覚悟して出て行ったその雄々しくもいたましい心――それはただ、パトラッシュだけがかんじていることなのです。

 粉挽屋の台所は大へん暖あたたかです。炉のなかでは、大きな榾ほだがぱちぱちと赤く燃え、隣近所の人々は、夕飯のために焙った鵞鳥の肉一片ひときれとお酒一ぱいとにありつくために、交る交るやって来ます。アロアは、明日こそ大好きなネルロと遊べるといううれしさにはしゃぎまわって、その金髪が頭のうしろでおどってばかりいました。

主人のコゼツは、胸が一ぱいになって、涙ぐんだ眼で娘に笑いかけながら、どうしたら娘のなつかしがる友達と仲なおりができるかとかんがえています。また、おかみさんはやさしい、満足そうなかおつきで、静かに糸車のそばにすわりました。置時計は時鳥の啼き声そっくりに時を告げました。その中でパトラッシュは、第一のお客さまとしていろいろ親切な言葉をかけられても、やはり頑張って動きません。ネルロがいなくては、どんなにたのしみも御馳走もパトラッシュをよろこばすことはできないのです。

 やがて、大きな食卓の上に、さまざまな御馳走が並べられ、お客さんたちは席につきました。部屋の中にはよろこびの声が満ちて、キリスト降誕の仮装をした大ぜいの子供が、それぞれ心をこめた贈物おくりものをアロアに贈った、その時でした。今まですきをねらっていたパトラッシュは新しく来たお客が思わず扉ドアの掛金をはずしたとたん、風のようにぬけ出しました。

パトラッシュはその疲れ切った足がつづく限り、暗い夜の雪みちを走りに走って行きました。ただひたむきにネルロの跡を追うばかりです。もしこれが人間であったら、あるいはそのおいしい御馳走と、暖い炉ばたと、安楽な眠りとに誘われて、止ったかもしれません。が、しかしパトラッシュは、この老いたフランダースの犬は、遠い昔を忘れてはいませんでした。あのおじいさんと幼児とが、道ばたの泥溝どろみぞに息絶った自分を救い上げ、見守ってくれたその遠い昔を。

 そとは吹雪でした。もう十時でしょう。ネルロの足跡は大方消えてしまっているので、匂いを嗅いで足跡を辿って行くパトラッシュの苦心は実にいたましいようでした。ようやく見つけ出す、すぐ消えている、また探し出す、また見失う、そんなことを百度以上もくりかえしつつ、パトラッシュははしりつづけました。この一寸先も見えない吹雪の夜を、饑えと寒さによろめきながらパトラッシュは、ただ主人を探し出すという一途な愛に支えられて走りつづけて行くのでした。ネルロの足跡は、吹雪にかき消されてはいるものの、とにかくまっすぐにアントワープに向っていることだけは分ります。パトラッシュがやっとの思いでアントワープの町はずれまで辿りつきそれから狭い曲りくねった道に入った時は、もう真夜中をすぎていました。町の中もまっくらでただ、ところどころ戸の隙間から細いあかりがもれているだけでした。酔っぱらいの歌声がどこかで起って、そして消えて行きました。

しんとしずまりかえった中に、風だけが街燈の高い鉄柱につきあたって、すさまじいひびきをたてるのでした。ネルロの足跡はこの町に入ってから、大ぜいの通行人の足跡にまじり合い、ふみにじられて、それを拾って行くのは、今までより、もっともっと困難でした。寒さが骨までしみ通り、足は凍った角で傷つきました。而もパトラッシュは、恐ろしいほどの忍耐を以て、ネルロの跡を嗅ぎ求めて行きました。

 こうして、堪えに堪えて、パトラッシュはついに愛する主人の足跡を追って、町の中央の旧教寺院の入口までのぼりついたのでした。ああ、ここは、一番慕っていたところだ、と、犬は思いました。ネルロが芸術というものに憧れている心持は、パトラッシュには分らないながら、なにか、哀れにかなしく、そして神々しくかんじられたのでした。

 大寺院の門は、真夜中の集まりがすんだあと、扉ドアが閉じていませんでした。門番が、早くかえって御馳走が食べたかったか、それとも眠くて鍵をかけ損ねて気づかなかったのか、なにかそんな手抜かりがあったからでしょう、扉ドアが半分開けたままんなっていて、パトラッシュの求める足跡は、そこからてんてんと白い雪を落して奥へつづいているのでした。そのかすかな白い一すじにみちびかれて、神々しい静かな堂内の、ひろびろした円天井まるてんじょうの下を通って、まっすぐに聖堂の入口まで来ると、そこに倒れているネルロを見出しました。パトラッシュは、よろめくようにかけよって、ぴったりと顔をすりよせました、「あなたを見すてるような、そんな不忠ものと思わないで――」と言うように。

 ネルロは低く叫んで身を起しました。そして、しっかりと犬を抱きしめながらささやきました。

「おおパトラッシュ、可哀想なパトラッシュ。ふたり一しょに死のう。世間の人は、もう僕たちには用がないのだ。ここで横になって死のう。僕たちはたったふたりっきりだ。」

 ものの言えないパトラッシュは、答えの代りに、なおもネルロの胸にひしとその頭をおしつけました。大粒の涙が、その茶色の悲しそうな瞼にたまりました。

 ふたりは刺されるような寒さの中で、しっかりと抱き合って横になりました。

 ふたりが横たわっている石造建築の広い内部は、野ざらしよりもっと寒さがひどいのでした。そのふれるもの一切を凍らせずにはおかないような狂風。――闇の中を、ときどき蝙蝠がとびまわるのでした。ルーベンスの画の下にふたりは横たわっていました。あまりの寒さに、からだはしびれ、ふしぎな眠気がおそって来て、ふたりは次第に気がとおく、うっとりとなって行きました。ふたりの心にはすぎ去った楽しい日のことが浮び出ました。夏の牧場の花の咲きみだれた中を互に追いつ追われつかけまわったことや、運河の岸のしげった草の中にすわり、静かにすべり行く船をながめくらしたことや――。

ふたりは争いというものを知りませんでした。ネルロはパトラッシュをいとしみ、パトラッシュはネルロを慕い、お互に深く深く愛し合っていました。ふたりがこの世に生きていたのは短い間でしたが、ふたりがつくさねばならない義務はつくしました。どんな人にも獣にも恨みを持ったことがなく、きわめて素直でしたから、決して心に何のとがめることもなく、はればれしていました。そして今、饑えにおとろえはて、血は寒さに凍りクリスマス前夜の夜あかしのたのしさを思い浮べながら、昏々こんこんと死んで行こうとするのです。

 突然、大きな白い光が、がらんとした堂の中に流れ入りました。月でした。いつしか雪はふり止んで、いま、雲間を逃れ出た月の光は、二つの名画を照し出しました。画をつつんであった覆いは、少年がここへ入った時すでに引き裂いてしまったから、この一瞬、「キリストの昇天」と「十字架上のキリスト」の二名画は実にはっきり認め得たのでした。思わずネルロは立ち上り、両手を画の方へさし出しました。感きわまった涙が、そのあおざめた頬にあふれ落ちました。

「見た、ああ僕はとうとう見た。」

と、少年は叫びました。

「ああ神さま、もうこの上はなんにもいりません。」

 足の力がつきて、膝がしらでようよう身を支えながら、なおもネルロは喰い入るように、その崇拝している荘厳な画に見入りました。清らかな月の光は、そのあこがれの画を隅々まではっきりと示しました。が、これも一瞬にしてかくれ、堂内は再びまっくらな闇がひろがりました。画の方にさし出されていたネルロの両手は、再び犬のからだを抱きました。

「ああ、神さまのお顔が拝めるだろう。――あそこに。」

彼の唇がかすかに動きました。

「神様は私たちをお見すてにはならない。神様は御慈悲深い――。」

 夜があけました。アントワープの町の人々は、この大伽藍[#「伽藍」は底本では「迦藍」]の内に、少年と犬とを見い出しました。もうふたりとも、冷たく息絶えていました。さびしい夜の寒さは、若い命と、年老いた命とを一しょに凍らして、しずかな、永いねむりにつかせたのでした。クリスマスの朝がほのぼのと明けて、坊さんたちがやって来た時には、石のようにかたく抱き合った少年と犬のなきがらの上に、ルーベンスの名画は覆いをむしりとられて、その偉大なる天才の筆の跡をあらわし、清々しい朝の光が、神の子の頭においたいばらの冠をてらしていました。やがて、一人の頑固そうな顔をした老人が、おいおい泣きながらやって来て、

「わしはまあこの子供に、何というむごい扱いをしたことだろう。ああすまないすまない。罪滅しをせねばらなぬ。わしの、聟むこになるべきはずの子だったのに――。」

 またしばらくすると、そこ頃有名な画家がやって来て集まっている人々に言うのでした。

「本当の値打から言ったら、たしかにこの子がえらばるべきだったのに。あの夕暮の、倒れた樹に腰を下した老樵夫の画。あの画には天才のひらめきがあった。未来にはきっとすぐれた画家になれる児こだった。わしは何とかして探し出してみっしり仕込んで、その天才をみがかそうとかんがえていたものを――。」

 また、捲毛の美うるわしい少女は泣きくずれながら、父の腕にすがって、声を惜しまずかきくどくのでした。

「ネルロいらっしゃいよ。支度はみんなできてよ。あなたのために、仮装した子供たちが、めいめい贈り物を手にしているし、笛吹きのじいさんが、いま吹きはじめるところなの。あなたと私は、このクリスマスの一週間は、ちっとも離れず炉ばたで栗をやいてていいんですって。クリスマスの一週間どころかいつまでいたってかまわないって。ね、パトラッシュもうれしいでしょう。早く起きていらっしゃいよ、ネルロ。」

 けれども、偉大なルーベンスの画の方にむけたままのその死顔しにがおは、口許にかすかな笑を浮べたまま、あたりの人々に、「もうおそい」と答えているかのようです。

 ほがらかな鐘の音ねが鳴りわたり、太陽はうららかに雪の野を照らし、華やかに着飾った人々は往来にむらがって、よろこんでいますが、もはやネルロとパトラッシュとは、人の慈悲にすがる必要はありませんでした。ふたりが生きている間に一生けんめいに求めていたものを、死んで何もいらなくなった今になって、はじめてアントワープの人達が与えたのです。

 生命いのちのある間はなれられなかったこのふたりは、死んでからもはなれませんでした。少年の腕はどうしてもはなすことのできないほどしっかりと犬を抱きしめていました。

 恥じ入って後悔した村の人達は、ふたりのために、神さまが特別のお恵みをお与え下さるように祈りながら、墓を一つにして、主従抱き合ったままで葬りました。――永遠とこしえに――(おわり)


06. 2013年7月31日 08:07:59 : W18zBTaIM6

「フランダースの犬」の舞台になったアントワープの聖母大聖堂。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Antwerp_Cathedral_at_dusk.jpg

作中に登場するルーベンスの絵画「キリストの昇架」。
Rubens Kreuzaufrichtung
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rubens_Kreuzaufrichtung1.JPG
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Rubens_Kreuzabnahme1.JPG


07. 2013年7月31日 08:15:21 : W18zBTaIM6

■ キリスト降架 (Descent from the Cross) 1611-1614年
http://www.salvastyle.info/menu_baroque/view.cgi?file=rubens_cross00b&picture=%83L%83%8A%83X%83g%8D~%89%CB%81i%8F%5C%8E%9A%89%CB%8D~%89%CB%81j&person=%83s%81%5B%83e%83%8B%81E%83p%83E%83%8B%81E%83%8B%81%5B%83x%83%93%83X&back=rubens_cross_b

421×311cm(中央), 421×153cm(各翼) | 油彩・板 |
アントウェルペン大聖堂


キリスト昇架
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/rubens_cross_a.html

を描き終え取り組んだ、ルーベンス随一の代表作『キリスト降架』。

アントウェルペン大聖堂の火縄銃手組合礼拝堂のために発注された本作の注文主は当時市長だったニコラス・ロコックスで、当初は「火縄銃手組合の守護聖人クリストフォロス」を主題に注文をおこなったが、失いかけた教会の権威を取り戻すため、そして何よりアントワープの平和のため、見るだけで感動を伝えられる祭壇画をとルーベンスが注文主を説得し、磔刑に処され絶命したイエスの亡骸を降ろす≪十字架降下≫の主題が描かれた。

キリストの亡骸を降ろす人物の力強い肉体表現は『キリスト昇架』同様、ミケランジェロによる古典的表現の影響を感じさせ、この劇的で緊張感溢れる本場面を、より一層盛り上げているほか、画家自身もデッサンに残している

古代ギリシア彫刻≪ラオコーン≫
http://www.salvastyle.com/images/collect/sculpture_laocoonte.jpg


のポーズを参考にしていることが指摘されている。また本作は『フランダースの犬』で画業に憧れていた主人公ネロの憧れの絵画としても知られている。


【十字架から降ろされるキリスト】
十字架から降ろされるキリスト。この劇的で、教義上最も重要な瞬間のひとつを見事に捉えたルーベンスの豊かな才能が示される本作は、『キリスト昇架』と共に、画家随一の宗教画の代表的な作品として、現在も人々を惹きつける。



【人物の力強い肉体表現】
キリストの亡骸を降ろす人物の力強い肉体表現。『キリスト昇架』同様、ミケランジェロによる古典的表現の影響を感じさせ、この劇的で緊張感溢れる本場面を、より一層盛り上げている。



【死したキリストを見つめる聖母マリア】
死したキリストを見つめ嘆く聖母マリア。見る者の感情に深く迫る聖母マリアの青ざめた表情は、聖性を重要視する古典的な感情表現とは異なり、聖人の人間的な一面を描いたものである。




【美しく透き通る白い肌】
輝かしい光によって美しく透き通る白い肌。カラヴァッジョの影響を思わせる劇的な光彩表現は、後のルーベンス作品でも多用され、画家の様式の大きな特徴のひとつとなった。
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/rubens_cross_b.html


08. 2013年7月31日 08:28:02 : W18zBTaIM6

「アントワープ聖母大聖堂」には、アントワープ出身の画家ルーベンスの作品4点を鑑賞することができます。そのルーベンスの作品4点とは、

「キリストの昇架」、「聖母被昇天」、「キリストの復活」、そして「キリストの降下」です。

肉感的な女性を描くことで有名なルーベンス、「肉屋のルーベンス」と呼ばれていたそうです。
http://ameblo.jp/tonton3/entry-11298577979.html

ルーベンス「聖母被昇天」
「フランダースの犬」のネロが、母の姿と重ねたマリア像として有名。
http://www.a-dog-of-flanders.org/8-2-1.html
http://www.art-library.com/rubens/assumption-virgin-mary.html

ルーベンス-主要作品の解説
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/rubens.html

ルーベンス画像 - Google 検索
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B9&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=YUn4UaSqAoPIlAXb24EI&ved=0CDYQsAQ&biw=1067&bih=886


09. 中川隆 2013年7月31日 09:05:24 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

1 ルーベンスについて(幼少期から青年期)

ルーベンスの両親は元はフランドル(現ベルギー)の良家の家柄でした。

ただ当時はカトリックとプロテスタントの宗教対立が激しく、父がプロテスタント信者であったため、一家でドイツに亡命しました。

これで一安心と思いきや、この親父が勤め先の公妃のアンナさんと浮気をして
こともあろうか、子供まで身ごもらせてしまいました。

浮気相手のアンナ・ファン・サクセンさん。
http://bmimg.nicovideo.jp/image/ch2563646/10085/aac6d879f09ea14f716129c28e82ee0b584f220d.jpg


美しくもなく、狭量で、足が不自由だったそうですが、お金持ちの娘だったので求婚者は多かったそうです。逆玉ですよ!!逆玉!!


そのときのドイツは市民階級と貴族女性の不貞は死罪とされていたため、


ごめん、君、死刑☆


……となるところを妻の必死の嘆願によってなんとか死罪を免れ、自宅軟禁で許されました。

このエロ親父が自宅軟禁の際に産まれたのが後の天才画家ルーベンスだったのです。

ルーベンスはこの事実をあまり好ましく思っていなかったのか、自身はケルン産まれだと称していたそうです。まぁあんまり言いたくない出自よね。

わかるわ。


ただ浮気エロ親父も、さすがは良家産まれの弁護士。
ルーベンスには高等な教育を施しました。

母も父がいない間、一人で家庭を支えるほどのタフな女性ですし、
ルーベンスの教育環境は当時の時代ではかなり恵まれていたようです。

ルーベンスが11歳くらいのときに父が亡くなり、家族は故郷のアントウェルペンに移り住み、その際にルーベンスはカトリックへと改宗します。

この改宗はルーベンスの絵画に大きく影響を与えるのです。

兄のフィリップスは後に高名な古典学者になるほどの才覚と知識の持ち主でしたから、共に学んだ彼が描く寓話や宗教画の礎になるには十分な知識をここで得たのでしょう。

その後ルーベンスは伯爵の小姓勤めという資産のない名家出身の子供のエリートコースを歩むも、画家として生きることを決意します。

画家は今でこそ社会的地位や名声を博すこともできる職業ですが、当時はどちらかといえば「職人」という扱いで決して高い身分とされていたわけではないようです。


あの日本が産んだ偉大な画家、手塚治虫先生の言葉に


医者は生活の安定を約束していた。
しかし、僕は画が描きたかったのだ。


という名言がありますが、ルーベンス君もそんな感じだったんじゃないですかね。


わかるわ。

ルーベンスですが、すぐさま画家としての頭角を現し、20過ぎには独立して弟子をとるほどにもなりました。

しかし彼はさらなる芸術を求め、芸術の本場イタリアに旅立つのです。

これが彼の画家としてのさらなる飛躍と転機であり、後にオールド・マスター(18世紀以前の優れた画家への敬称)と呼ばれるほどの画家になるはじめの一歩なのです。


イタリアでルーベンスは芸術を鑑賞し目を肥やし、研鑽を積みました。

またマントヴァ公国に仕えながら、模写や芸術品の管理をしながら、外交使節としての役割もこなすなど、俗に言う仕事のできる男でした。そこにはルーベンスが幼少から培ってきた教養と品格が多いに武器になったのでしょう。

外交使節をしながら、出張先で個人的な絵の注文をもらってきたりと、抜け目ないビジネスセンスの持ち主でした。

また訪れたローマでは新たな芸術の潮流「バロック」に触れたのもこの時期です。

バロック芸術は16世紀前後に花開いた芸術表現です。
激しい明暗の対比・鮮明な彩色・力強くインパクトのある表現などが特徴です。

たぶん。

代表的なのはやっぱりレンブラントの「夜警」でしょうか。たぶん。


イタリアでめざましい活躍をしていたルーベンスですが、母マリア危篤の知らせをうけ、急ぎ地元アントウェルペンに戻ります。

しかし母の死を看取ることはかないませんでした。
その後またすぐイタリアに戻るつもりでしたが、祖国は彼の才能をみすみす他所の国にやりたくありませんでした。

ハプスブルク家が彼を宮廷画家として任命し、囲い込み作戦を行ったため、ルーベンスの拠点は再び地元フランドルになりました。


実は16世紀のフランドル地方は宗教戦争などにより、かなり疲弊していましたが、ルーベンスが戻ってきたころにはようやく経済復興のめども立ちはじめました。

ですから彼が工房をもち、芸術活動に勤しむには絶好の機会だったみたいですね。

そしてやはりルーベンスといえば、我ら日本人が一番ピンとくるのはあの名作アニメ「フランダースの犬」の主人公、ネロ少年だと思います。

ネロが惚れ込んだとされる作品もこの時期に制作されたものです。ルーベンスは故郷アントウェルペンでも数々の作品に携わり、その名をヨーロッパに知らしめ、地位と名声を我が物にしたのです。


2 ルーベンスについてA 壮年期から晩年

そして40歳になるころ、知性・品性だけでなく、ダンディズムまで身につけたであろうルーベンスは、外交官・宮廷官として、ヨーロッパ諸国を飛び回ことになります。

彼の尽力によってイギリスとフランスの和平条約が実を結んだ際には、チャールズ一世から功績を認められ、ナイトの称号を授かるほどでした。

外交官としての任を解かれ、帰郷したルーベンスは再び画業に専念し、更に数々の名作を世に送り出しました。

そしてこの激動の時代を画家として、また外交官として、時には宮廷官としてヨーロッパを東奔西走したルーベンスでしたが、62歳のとき、郷里アントウェルペンの自宅でその生涯に幕を下ろしました。


ルーベンスの作品の題材には、宗教画・寓話・またそれを元にした政治的寓意画、そして人々の生活と自然を描いた風景画など実に多岐に渡ります。

このような多岐に渡る作品群が語りかけてくるメッセージにはルーベンスが偉大な画家だということだけではなく、神話や文学などにおいて長けた敬虔なカトリック信者であり、その優れた品性を評価され、優秀な外交官としての諸外国との交渉に奮闘し、何よりも平和を願い、郷里を愛した心の持ち主であったことがわかるのです。


ルーベンスは芸術家として、順風満帆な生涯を送った数少ない人物であり、バロック時代の、いえ、ヨーロッパの芸術家としてとっても偉大な人物なのです。

3 まとめ

フランダースの犬は地元ベルギーでも出版されているそうですが日本のように有名ではないそうです。

ヨーロッパの価値観では『「負け犬の死」としか映らない」』から好まれないそうです。

うーーん、世知辛い。


更にアメリカ版では

『「こんな結末では、主人公たちが可哀想過ぎる」

という出版関係者の意向により、(中略)

「ネロとパトラッシュは聖堂で死なない」
「ネロの父親が名乗り出る」といったハッピーエンドを迎えるように改変してある』

とのこと。

うーーん、さすが富と名誉の国です。
イッツ ア アメリカン・ドリーム。ってところですかね。


しかし、日本は人の生とは儚くも切ないものであり、まるで胡蝶の夢であるかのような哀愁を深く理解している民族です。

ネロ少年の不幸な結末に嘆きこそすれ、嘲笑することはありません。

自分の理想に懸けたネロと忠犬パトラッシュの生き様は生命の本懐を遂げたとすら思う方もいるでしょう。そして、むしろ、


「ネロ! 頼む! 死ね! 死んでくれ!
 死ねーーーーーーーーー!!!!」


と願って止まないのが、「 CRフランダースの犬と世界名作劇場」を遊技場で遊んだことがある方でしょう。


世界よ。これがジャパニーズ・ワビサビだ。


ルーベンス展は次の休みにでももちろん見に行きますよ!!

一人で。
あ、だれかパトラッシュのようについてきてくれてもいいのよ?
もし女性でしたら、雌犬として連れていきます
そして夜はそれこそ快楽という名の天国に連れて行きます
http://ch.nicovideo.jp/konishizuru/blomaga


10. 中川隆 2013年7月31日 09:13:31 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ルーベンスの工房

 さて、ルーベンスに関して、あるいはその周囲に与えた影響力に関してお話していると、どうしても彼の工房に触れざるを得ない感じになります。ルーベンスはたいへんに作品数が多いし、個々の作品が大規模であったりして、到底一人では描けない。彼は宮廷画家という資格を得ていたので、ある町で開業するときの画家の義務である画家組合への登録をしなくて済んだのです。税金も払わなくてよかったそうです。

ヴァン・ダイクは助手だった

 つまり、ある時期、彼に何人弟子がいたかというようなことは記録からはわかりません。画家組合、つまりギルドの記録からはわからないんです。たまたまある契約書の中で筆頭助手としてヴァン・ダイクの名前が挙がっているので、1610年代の末にヴァン・ダイクがルーベンスの助手であったことは記録で裏付けられているといえます。しかし、他に関してはわからない。そのために、ルーベンスが工場みたいにたくさん人を雇って大規模に制作していたと考える人もいるんですが、それはちょっとどうかなと思います。

 いま映っているのは16世紀後半、つまりルーベンスよりちょっと前のアトリエの様子ですが

(スライド15)、
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/64/tk2/slide/slide15.JPG


こういうふうに工房では何人もの人が親方と共に働く、あるいは学ぶことが当たり前であったわけです。要するにルーベンスの作品にいろんな段階で人の手が入っていることは間違いないと思います。

 これはストラダヌスというラテン語系の名前で知られている、もともとはフランドル出身でイタリアで活動した画家がデザインした銅版画です。版を彫ったのは別の人です。真ん中にいるこの工房の主宰者、つまり親方は、龍退治、「聖ゲオルギウスの龍退治」という宗教画を描いている。それから一番弟子というか、もう一人前になっている親方の右腕のような人は左端で肖像画を描いています。後ろに描きかけの聖母像があったり、この辺(棚の上)も肖像画です。部屋の右端では下働きの人が絵の具を作っている。

分業制度

 これは顔料を砕いてるんです。今みたいなチューブ入りの絵の具はありません。多くは鉱物性の絵の具の元を砕いて、それを油と混ぜたりするわけで、それはそれで専門の職人がいるわけです。画面手前の若い人たちは絵の勉強をしている。たぶんこの子はこの彫刻をデッサンして勉強中。こうやって十代のはじめぐらいに弟子入りをして、そこで下働きをしながら学んでいく。一定の修業を積むと一人前ということで画家組合に加入する。そういうプロセスをとっていたわけです。

 これらの人たちは、たとえばこうした大画面の背景をちょっと塗らせてもらうとか、あるいはこの肖像画を描いている人のようにうまくなれば、この親方のところに注文が来たのだけれど、その代理として作品を制作する(署名がなされるとすれば、親方の名前ですが)。そんなふうにしていたわけです。ですからこのような分業は多かれ少なかれルーベンスの時代には当たり前でした。

 しかし、一方で、ルーベンスの作品が、本人はスケッチしか描かなくて、拡大した完成作は全部弟子が描いたという説はちょっと極端です。工房の助手の大きな仕事としては、コピー作りがあったのだろうと考えられます。

 いま映っているのはこの前見た

『パリスの審判』(スライド16の左)。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/64/tk2/slide/slide16.JPG

ルーベンスの30年代、つまりわりと晩年の作品ですが、右はコピーで、ドレスデンにあるこのコピーは、ここでは同じ大きさで映していますが、実際はだいぶ小さいものです。よく見ると、うまい下手は別として、ちょっとモチーフが違っているところがあって、たとえばコピーでは原作よりキューピッドの数が多いのです。それからパリスの脚のポーズが違う。ところが、ロンドンにある原作をX線写真や赤外線写真で見ると、この二人の女神のあいだと画面の左端とに、キューピッドがもう一人ずついました。それからパリスの足も、もともとはちょっと上げていたということがわかるんですね。

コピーづくりは助手の仕事

 とすると、ドレスデンの作品は非常に早い段階で作られたコピーであって、おそらくまず最初に描かれたときに工房の誰かがコピーを作って、その後でルーベンス自身が「どうもこれはちょっとまずかったかな」というので足のポーズとか、キューピッドとかを、変えたり取ったりしたと考えられます。

 このようなコピーがたくさん作られて広く流通した。工房の助手の仕事は、たとえば背景のあまり重要じゃないところを部分的に塗ったとかいうことに加えて、このようなコピー制作にあったのだろうと考えられます。このコピーとか工房とかいうことで、われわれの身近に問題になっている作品があるんです。

 これは上野の西洋美術館にある『ソドムを去るロトとその家族』という作品です

(スライド17)。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/64/tk2/slide/slide17.JPG

旧約聖書に基づいた作品。1970年代にドイツのあるコレクターから西洋美術館が買ったときにはルーベンスの作品として買ったわけです。しかし、その後ベルギーの学者が「これはルーベンスに基づくヨルダーンスの絵である」と言いだして、そのときに新聞などで「西洋美術館は偽物を買った」と騒がれたことがあるんです。でもこれはべつに偽物ではない。作者がヨルダーンスという固有名詞で呼ばれる画家であるか、固有名詞がなくなってしまったかは別として、ルーベンスの工房で作られたコピーの一つであろうということになるわけです。

 これが西洋美術館の作品です(スライド18の左)。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/64/tk2/slide/slide18.JPG

よく知られているコピーが2点あって、これに関する限り、ルーベンスの貢献度が非常に高いオリジナルはなくなっちゃったみたいです。あるいは、もしあるとすれば、アメリカのフロリダ州リングリング美術館にあるこの作品(右上)がいちばん出来がいいと言われています。こちら(右下)はマイアミのバス美術館所蔵。どちらもフロリダ州にこの2点があるのは不思議なんですが、どちらも個人の美術館です。


コピー制作に力を入れていたルーベンスの工房

 どれも幅2メートル近い、けっこう大きな絵です。1点ずつバラバラにして、「どれがどれだか当ててみろ」と言われるとちょっと困るんですけども、「どこが違うかな」を一生懸命見たんですが、西洋美術館の作品は、わりと目立つようにここ(画面左下隅)に草が生えています。あと、この右端の人物の後ろにどれぐらい空間があるか。このスカートで隠れている足の描き方がどうか。色もちょっと違います。

よく見ると区別すべき点はあるんですが、たいへんよく似ている。こういう相当な大作で、よく似た作品が作られているということは、当然需要があったからですが、ルーベンスの工房の人たちは、こうしたたいへんに見事なコピー制作にかなり力を入れていたんじゃないかと考えられるわけです。

 この絵が描かれた時期はだいたい1610年代の後半と考えられています。ヨルダーンスの画風に近いものがあるということなんですが、よくわかりません。わかりませんが、先ほど言ったように記録がないので、ヨルダーンスがルーベンスの工房にいたという文字の資料はないんです。しかし、画風の点からいって、ヨルダーンスもルーベンスの助手だった時期があったのだろうかと考える。そうすると、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスという、ルーベンスに次ぐ17世紀フランドルの人物画家たち2人ともルーベンスの助手だったということになるので、まさにルーベンスの惑星であったことがいっそう強く主張できるわけですね。

 「ルーベンスの作品は小さな油彩のスケッチだけで、完成作は工房の助手がそれを単に拡大したんでしょう」という見方をする人もいるかもしれないのですが、それは違うんですね。というのは、下絵を拡大してもぜったい完成作にはならないんです。

これはオイル・スケッチです(スライド19の右下)。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/64/tk2/slide/slide19.JPG


ルーベンスの作品に関しては、小さな板に非常に簡略な筆遣いで構想を描き留めた下絵がたくさんあります。一方、左上の絵は完成作で、1630年代にスペイン王の狩猟館を飾るために描かれたシリーズの一つ、『天の川の起源』という神話画です。女神ユノー(英語読みはジュノー)がヘラクレスに乳をふくませようとしたところ、ヘラクレスは赤ちゃんでも怪力だったので、すごく力が強かった。で、ミルクがこぼれて、それが天の川――英語ではミルキーウェーと言います――になったという話です。


構想はルーベンス、制作は他の画家の場合

 その『天の川の起源』という絵なんですが、これがスケッチだとすると、これを拡大しても、この絵にはならないわけです。人物のポーズが違い、構図自体も違います。1630年代にルーベンスはかなり体調が悪い時期もあって、これは非常にたくさんの作品からなるシリーズだったので、「構想はルーベンスに任せるけれども、制作はアントウェルペンの独立した一人前の画家たちが分担していい」という契約を結んでいるんです。しかし、この場合は、ルーベンス自身が本絵まで制作しているので、こういう大きな違いがある。

 ところが、同じシリーズでも、完成作にそれぞれ分担した画家のサインが残っているものがあります(スライド20)。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/64/tk2/slide/slide20.JPG


左上は完成作、右下がルーベンスのスケッチですが、ほとんど構図が変わっていないことがわかると思います。完成作はヨルダーンスが担当したことがわかっています。つまり、第三者がスケッチを元に制作するとすれば、スケッチも相当きちっと描いておかなければいけないし、完成作の方はその元のスケッチからなるべく違わないようにする。当人がちょっと下手で間違っちゃったところはあるにしても、あるいは当人の癖が出るということはあるにしても、構図に関しては非常に忠実にスケッチを拡大しています。この場合は、そういう制作をしてもいいという契約をしているわけです。そうじゃなくて、一般的な場合には、最後の最後までルーベンス自身が自分の構想が最もよく大画面に反映できるようにと工夫しているだろうと思います。

 そういう工房のあり方は、たとえば建築家とかデザイナーの事務所の活動とか、漫画家の活動を考えていただけばいいわけですが、実際の制作に何人の手が関わったにしても、漫画であればアシスタントの人がたくさんいて、ある人は車だけ描いてるとか、ある人はバックだけ塗りつぶしてるとかいうことがあるにしても、その漫画は何とか先生の名前で、その人の個性を表したものとして流通するわけですね。それに近いことがこの時期の工房活動にはあったとご了解いただきたいと思います。 

 いま映っている2作品(スライド21)
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/64/tk2/slide/slide21.JPG


はその工房で、助手が親方のバージョンを描いたというケースです。左はルーベンスの作品。同じ主題で、右側がルーベンスのもとで助手を務めていた若きヴァン・ダイクが制作した作品です。これは『皇帝テオドシウスのミラノ大聖堂入堂を拒む聖アンブロシウス』という聖人伝のエピソードなんですが、世俗の権力者と宗教界の権力者の対立とお考えください。構図はほぼ同じですが、人物の表し方、特にこの皇帝の描き方はずいぶん違いますね。

 ルーベンスの方はたいへん彫刻的で力強い、どっしりとした感じです。それに対して、ヴァン・ダイクの方は、神経質なぐらいタッチが目立ちます。人物のポーズとかタイプにしても、あまりどっしりしていなくて、ワナワナと揺れ動いている感じです。それがこの画家、つまりヴァン・ダイクの特色と言ってもいいんじゃないかと思われます。
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/64/tk2/tk2.htm


11. 中川隆 2013年7月31日 09:37:51 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ぺーテル・パウル・ルーベンスの「エレーヌ・フールマン」2011.02.24


17世紀、北方バロック美術の巨匠、ぺーテル・パウル・ルーベンスの理想の女性像はどのような女性像だったのでしょう。ここに掲げる「エレーヌ・フールマン」から、ルーベンスの理想の女性像を探ってみましょう。


ぺーテル・パウル・ルーベンス作 「エレーヌ・フールマン」
http://www.salvastyle.info/menu_baroque/view.cgi?file=rubens_fourment00&picture=%83G%83%8C%81%5B%83k%81E%83t%81%5B%83%8B%83%7D%83%93%81i%96%D1%94%E7%82%B3%82%F1%81E%8F%AC%82%B3%82%C8%96%D1%94%E7%81j&person=%83s%81%5B%83e%83%8B%81E%83p%83E%83%8B%81E%83%8B%81%5B%83x%83%93%83X&back=rubens_fourment
1631頃/ウィーン・美術史美術館

この作品は、フランドル(仏語、英語ではフランダース)のバロック期の巨匠ルーベンスの二人目の妻を描いたものです。ルーベンスが53歳、エレーヌ・フールマンが16歳で、1630年に結婚し、その翌年あたりに、この絵が制作されています。当時も現在も、フランドル地方は夫婦別姓だそうで、結婚後もエレーヌ・フールマンを名乗り、この絵のタイトルも、ルーベンスの妻でありながら、「エレーヌ・フールマン」なのです。

フランドルは今のベルギー西部、オランダ南部、フランス北部にまたがった旧フランドル伯の領地からなり、中世には毛織物業を中心に商業が発達し、経済的に繁栄した地域でした。フランドル、とくにアントウェルペン(蘭語、英語ではアントワープ)を中心に活躍したルーベンスですが、その力量はヨーロッパ中に響き渡り、各国から数多くの大作の注文を受けていました。多くは工房制作や他の有力画家との共作ですが、この「エレーヌ・フールマン」は、ひとりで描いた、まったくの私的な作品だったようです。

当時の女性の裸婦像は、古代神話の女神や、宗教画の中で表現されるのが普通で、単に裸婦として描くことはなかったといわれています。この作品はしたがって、近代以降の裸婦像の最初のものという説もあるほどです。ルーベンスは、この作品の売却を禁止する遺言を残していたそうですから、この絵が、若き妻の姿を永遠にカンバスに描き残した、いわば記念の肖像写真といえます。37歳の年齢差のある16歳の少女に、ルーベンスがいかに夢中になっていたか、想像に難くない話です。

現代のわれわれ日本人からみると、体つきは明らかに豊満過ぎるように思いますが、当時のヨーロッパでは、肉付きがよくなければ美人の範疇に入らなかったなのでしょう。とにかくルーベンスは、最愛の新妻の姿を自身の理想の女性像を投影させて仕上げていますが、あからさまに描くことには、やはり抵抗感があったようで、その後の研究で、エレーヌの裸婦を古代のヴィーナスに見立てて描いたのではという推測がなされています。

さて、私的に描かれた愛妻とは別に、公に発表されたエレーヌ・フールマンの肖像画があります。下に掲載する「四輪馬車のあるエレーヌ・フールマンの肖像」です。


ぺーテル・パウル・ルーベンス作 「四輪馬車のあるエレーヌ・フールマンの肖像」
1639頃/パリ・ルーヴル美術館


この作品は、前作の裸婦像の「エレーヌ・フールマン」から、8年ほど経過して制作されています。ルーベンスの最晩年の作品でもあります。黒光りする豪華な衣装の、貴族夫人然としたエレーヌが、宮殿のようなルーベンス邸から出たところでしょうか。後ろからは、1633年に生まれた息子のフランスが、白い襟に赤い上着をまとって後に従っています。左下遠方から2頭立て四輪馬車が、お迎えのためにこちらに向かってます。

功成り名を遂げたルーベンスの幸せに満ちた心境が、この絵からじゅうぶんに伝わってきます。外交官としての功績により、実際に貴族の称号を得ていた晩年のルーベンスが、このような豪華でエレガントな肖像画を描いても、決して不自然ではありませんが、前作の「エレーヌ・フールマン」で表現されたエレーヌとは、趣が少し異なります。前作の方が、ルーべンスのエレーヌへの素直な愛情表現が高揚感をもって、観るものに迫ってくるような感じがします。


ルーベンスにとって理想の女性像は、抽象的なイメージで存在するというよりも、具体的にエレーヌという実在の女性によって、追い求めていた理想の女性像が明確化したと思います。画家として幾度となく、マリア像や女神たち、あるいは女王や貴婦人たちを描く過程で美化、理想化する作業を重ねてきたルーベンスですが、最終的には、エレーヌという血の通った女性の中に、その理想像を発見したのではないでしょうか。

ぺーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens)は、1577年に、両親の亡命先のドイツのジーゲンで生まれ、1640年、現在のベルギーのアントウェルペンで死去します。享年63歳。幼いころは、ラテン語学校に通いますが、父の死による経済事情から、画家への道を志し絵の修業をします。

1598年、21歳の頃には独立し画家組合に入り、1600年イタリアへ修業に出ます。幸運にもマントヴァ公の宮廷画家となり、イタリア各地で活躍し、1608年に故郷に戻ります。まもなく当時のスペイン総督のアルブレヒト大公夫妻お抱えの宮廷画家になり、1609年最初の結婚をイザベラ・ブラントとします。以降、有名な祭壇画「キリスト昇架」「キリスト降架」など数多くの傑作を制作し、1622年にはパリでフランス皇太后マリー・ド・メディシスの連作画を3年がかりで完成させます。

1626年に妻のイザベラがペストのため死去。1628年には、外交使節としてスペインに派遣され、ベラスケスと会います。1629年には英国へも外交官として派遣され、絵の注文も受けています。

1630年、53歳のときに、友人の娘で16歳のエレーヌ・フールマンと2度目の結婚をします。1638年には、平和を希求する大作「戦争の惨禍の寓意」を制作します。これはピカソの「ゲルニカ」などに影響を与えた作品といわれています。

なお、ルーベンスはドイツ語読みで、オランダ語の発音ではリューベンスあるいはリュベンスといいます。
http://t-jikkosan.jugem.jp/?eid=91



■ エレーヌ・フールマン(毛皮さん・小さな毛皮)
http://www.salvastyle.info/menu_baroque/view.cgi?file=rubens_fourment00&picture=%83G%83%8C%81%5B%83k%81E%83t%81%5B%83%8B%83%7D%83%93%81i%96%D1%94%E7%82%B3%82%F1%81E%8F%AC%82%B3%82%C8%96%D1%94%E7%81j&person=%83s%81%5B%83e%83%8B%81E%83p%83E%83%8B%81E%83%8B%81%5B%83x%83%93%83X&back=rubens_fourment
(Helene Fourment (Het Pelsken)) 1631年頃
176×83cm | 油彩・板 | ウィーン美術史美術館


ルーベンスが私的に描いたとされる作品であり、画家の全作品中、最も愛されている傑作『エレーヌ・フールマン』。

毛皮さん、小さな毛皮とも呼ばれる本作は、1626年最初の妻イザベラ・ブラントが死去し失意に暮れるルーベンスが新たに出会った友人シュザンヌ・フールマンの妹で、1630年に挙式した若々しい二番目の妻エレーヌ・フールマンを描いた作品である。

本作は画家の死後、売却することを禁止され妻エレーヌ・フールマンに寄与されるようルーベンス自身が遺言に書き残していたことからもルーベンスにとって特別な作品であることが示されているが、注目すべきは、この見事なまでの美しさを秘める裸体の表現にある。

近年まで本作は妻エレーヌ・フールマンの入浴直後か、アトリエでの休憩中を即興的に描いた裸婦像であると考えられていたが、研究が進み、現在は古代ローマの彫刻

≪メディチのウェヌス(慎みのウェヌス)≫
http://www.salvastyle.info/menu_baroque/view.cgi?file=rubens_fourment02b&picture=%83%81%83f%83B%83%60%82%CC%83E%83F%83k%83X%81i%90T%82%DD%82%CC%83E%83F%83k%83X%81j&person=%8C%C3%91%E3%92%A4%8D%8F%96%CD&back=rubens_fourment


と、ルーベンス自身も模写をおこなったルネサンスの巨匠ティツィアーノの

≪毛皮のコートをまとう婦人≫
http://www.salvastyle.info/menu_baroque/view.cgi?file=rubens_fourment02c&picture=%96%D1%94%E7%82%CC%83R%81%5B%83g%82%F0%82%DC%82%C6%82%A4%95w%90l&person=%83e%83B%83c%83B%83A%81%5B%83m&back=rubens_fourment


を典拠とした美の女神ヴィーナス(ウェヌス)の姿を妻エレーヌ・フールマンをモデルに描いた作品であるとされている。また暗い背景であることから室内を描いたものとされてきたが、背景には微かに獅子頭の噴水と空が描かれていることが判明している。



【エレーヌ・フールマンをモデルに描いた】
妻エレーヌ・フールマンをモデルに描いた美の女神ヴィーナスの姿。本作は友人シュザンヌ・フールマンの妹であり、1630年に挙式した画家の若々しい二番目の妻≪エレーヌ・フールマン≫を描いた作品で、ルーベンスが私的に描いたとされている。




【官能的な美の女神ヴィーナスの裸体】
滑らかで官能的な美の女神ヴィーナスの裸体。画家が53歳の時に再婚したとき妻エレーヌ・フールマンはわずか16歳であり、ルーベンスはこの若々しい妻に強い霊感と性欲を受けていたことが数々の作品に示されている。



【身に纏う毛皮で裏打ちしたコート】
『ヘット・ペルスケン(毛皮さん、小さな毛皮)』とも呼ばれる所以となった、身に纏う毛皮で裏打ちしたコート。この表現は、古代ローマの彫刻≪メディチのウェヌス(慎みのウェヌス)≫と、ルーベンス自身も模写をおこなったルネサンスの巨匠ティツィアーノの≪毛皮のコートをまとう婦人≫を典拠としている。
http://www.salvastyle.com/menu_baroque/rubens_fourment.html


12. 中川隆 2013年7月31日 09:51:57 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

■ フランダースの犬

日本人にとって、ルーベンスを語るに欠かせないのが、アニメ「フランダースの犬」。

「パトラッシュ、ぼく、もう疲れたよ」

といって、クリスマスに天に召されてく少年ネロと愛犬パトラッシュの最期を涙なしで見られる人はいないでしょう。画家を目指すネロが最後にたどり着いたアントワープの大聖堂で、どうしても見たかったのが、ルーベンスの「キリストの降架」。この絵を見ながら、ネロは静かに微笑みながら天使に導かれていくのです。

ピーテル・パウル・ルーベンス『キリストの降架』(1610年〜1611年)
http://www.salvastyle.info/menu_baroque/view.cgi?file=rubens_cross00b&picture=%83L%83%8A%83X%83g%8D~%89%CB%81i%8F%5C%8E%9A%89%CB%8D~%89%CB%81j&person=%83s%81%5B%83e%83%8B%81E%83p%83E%83%8B%81E%83%8B%81%5B%83x%83%93%83X&back=rubens_cross_b
(聖母マリア大聖堂/アントウェルペン)


この絵を見るために、世界中から観光客が訪れます。
したがって、おそらく門外不出。ルーブルのモナリザのようなものですね。

■ 美の基準とは…

ルーベンスは、多くの女性(裸婦)を描いていますが、こちらはうってかわって日本人にはイマイチ人気がないのです。それはなぜか。

ピーテル・パウル・ルーベンス『三美神』(1635年)
http://www.salvastyle.info/menu_baroque/view.cgi?file=rubens_graces00&picture=%8EO%94%FC%90_&person=%83s%81%5B%83e%83%8B%81E%83p%83E%83%8B%81E%83%8B%81%5B%83x%83%93%83X&back=rubens_graces
(プラド美術館/マドリード)


肉感的というよりも、セルライトまみれで「絶対にこうはなりたくない」という感じ。一番可愛らしく描かれている左の女神は、ルーベンスの二番目の妻エレーヌがモデルと言われています。それにしても、ちょっとねぇ…。


ピーテル・パウル・ルーベンス『ロムルスとレムスの発見』(1612年〜1613年)
http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-746.html
(カピトリーナ絵画館/ローマ)


今回の目玉作品。世界最古の美術館、ローマのカピトリーナ絵画館が所蔵するこの作品は、ローマの建国にまつわる故事を描いたもの。兄から王位を奪った弟が、復讐を恐れて兄の孫である双子の兄弟ロムルスとレムスをテヴェレ川に捨てるよう命じましたが、彼らは生き延びて狼とキツツキに育てられました。


やがて羊飼い夫妻に引き取られ、成人し、双子は都市を建設しようとするのですが、兄弟で争いが起こり、弟は兄に殺されてしまいます。こうして兄が建国者となり、多くの人々を街に住まわせましたとさ…というのがローマ建国のお話。

これは、狼が乳を与え、身体を舐めて清潔にし、キツツキが食べ物を運んで双子を育てている場面を、やがて養父となる羊飼いが発見する場面です。左のマッチョな老人は、今もローマを流れるテヴェレ川の擬人像。彼の後方にいる女性は、川の水源を象徴するナーイス(美しい女性の姿をした泉や川のニンフ)。

ナーイス(あるいはナイアス)は英語でnaiad、語源はnurseと同じで、泳ぐこと、流れること、乳を飲ませること、養うこと。控えめに描かれていますが、この物語全体を象徴する重要な役割を担っているように思います。


■ 「ルーベンス」か「ルーベンス工房」か

ルーベンス作品のクレジットをよく見ていくと、「ルーベンス工房」とされているものが多く存在します。現代の我々の感覚では、画家は個人で作品を完成させるものというイメージがありますが、それは近代になってからのこと。

画家は芸術家という扱いではなく、王侯貴族や富豪の注文あっての職人に過ぎませんでした。万能の天才ダ・ヴィンチもヴェロッキオという親方の工房に弟子入りし、腕を磨いたのです。ルーベンスもイタリアで修行を重ね、故郷アントワープ(ベルギー)で工房を構える親方となりました。

ルーベンスが育てたもっとも有名なスターといえば、ヴァン・ダイク。自身が描く肖像画と同じように繊細な美貌の持ち主だったとか。

■ ルーベンス型とゴッホ型

画家というと、つい「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり…」という石川啄木の短歌が浮かんできそうなイメージがあります。(日本人が大好きなゴッホはこのタイプの典型ですね)しかし、必ずしも貧しい生い立ちから立身出世した人たちばかりではありません。

ドラクロワ(3月24日付記事「ルーブル・ランス−自由を探して−」をご参照くださいませ)やルーベンスは政府高官の子息として生まれました。おまけにルーベンスは、画家でありながら数カ国語を操る外交官としても活躍し、文字通り成功と栄光に満ちた人生を歩んだ人物です。

一方、ゴッホは常に無一文で弟のテオに生活の面倒をみてもらい、おかげで弟夫妻が不仲になるわ、生きている間に売れた絵はたった1枚しかないわ、認められるということを味わうことのない一生を送りました。
http://salondeangeaile.blogspot.jp/2013/04/blog-post_24.html


ピーテル・パウル・ルーベンス《三美神》

ルーベンス最晩年の作にして彼自身が死ぬまで手放さなかったほど愛着した、プラド美術館の誇る至宝の1つです。

  与えること、受け取ること、返すこと――三美神の司る「おおらかな気前の良さ」というものの3つの側面が、互いに微笑み合いながら踊る彼女たちの形成する円環によって象徴されています。

与え、受け取ることがただ一方通行となるのではなく、感謝と親愛をもって循環していくこと、それが「恵み」のあるべき姿です。

  それにしても何と明るく優しく、また力強い輝きに満ちた絵でしょう。澄んだ青空と平原を背景に描かれた3つの豊麗な裸体からはこの世に生きて在ることの歓びがこれでもかとばかりに発散されています。画面右隅のキューピッドの噴水は尽きることなく溢れ出る愛と豊饒のメッセージ。作品全体が生命と現世に対するこの上もない讃歌です。

  ちなみに、3人の中でも最も美しく描かれている左端の金髪の女神はルーベンスが愛してやまなかった2度目の妻エレーヌ・フールマン(死別した最初の妻イザベラの姪)の面差しをしています。

1630年に16歳の若さで53歳の画家と結婚したエレーヌは、この絵が制作された頃には20代前半という女性美の絶頂期を迎えていました。この絵から我々が受け取る親しみと優しさは、描き込まれた妻に対して画家が惜しみなく注いだ大きな愛情のひとしずくなのかもしれませんね。
http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/page294.html


13. 中川隆 2013年7月31日 10:26:20 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ルーベンス

 美術オンチが知っている画家の名前など限られているが、ルーベンスだけは昔から知っていた。おそらく大多数の人間がおなじ理由でこの画家の名前を知っているのではないかと思われる。

 もう勘のいい方ならおわかりだろう。「フランダースの犬」というアニメーションが、刷り込みの張本人である。

 昭和50年「世界名作劇場」の第一作目としてTV放映されたこの作品は、当時の子供たちの評判となった。作品は平成9年に劇場版としてリメイクされ、昔の作品を知る人間をがっかりさせた ( 私だけかも知れない )。

 TV放映当時、新聞配達をしていた関係で、「小学生新聞」だの「中学生新聞」などを無料で読める機会に恵まれていた。そのときの記憶によると、最終回に近づくにつれTV局に「(主人公の)ネロを殺さないで」という投書が殺到しているという記事が載っていた。それを読んだとき、すでに原作を読んでいた私は、「死ぬという終わりが決まっている話なのに、どうしようもないだろう」と思ったものだ。かわいげのない、冷めた子供であった。もしかしたら、運命論者だったのか?

 結局、そうした圧力(?)にも負けず、「フランダースの犬」は原作通りの、あの有名な悲劇で幕を閉じる。

 私は原作至上主義者ではないが、「世界名作劇場」には、どうみてもアレンジしたために質を落としてしまったと思える作品があった。中に上質な作品があったがため、余計に目についてしまったのも、たしかであるが。

    さて、ルーベンスである。

 「フランダースの犬」の主人公のネロ少年が、あこがれ、見物料を払わねば見ることのできない教会に蔵されている絵を描いた人物。それが、私の持つ知識のすべてであった。

 古くからの知り合いであるが、その人の仕事の実態はよく知らない。というのは、実生活でも結構ありそうだ。そういうものは気になりだすと、止まらない。
 今回の京都市美術館行きも、多少は似た気持ちが背中を押したようなものだ。

 以前に行った「フェルメールとその時代展」よりは人出がすくなく、人いきれに疲れる心配はなかったが、目当てのルーベンスの絵の持つ熱気のようなものに襲われた。その絵の熱気は、多くの色彩によるものなのか、構図によるものなのか、あるいはよく描かれる人物がぼってりと太っているためなのか、よくわからない。

 肥満は裕福さの象徴でもあったのだろうが、個人的に知り合うならともかく、観賞用としての絵画で太った裸婦を見るのはあまり好みではない。こういう見方は美術品鑑賞としてよくないのかもしれないが、評論家ではないのでかまわないだろう。結局、気に入るか、気に入らないかであろう。すくなくとも、裸婦は気に入らない。たしかに名画なのかもしれないが。

 前回のアンデルセンもルーベンスの裸婦画は気に入らなかったと日記に書いてあるそうだ。

 しかし、なぜ、神々は絵に描かれると裸にされるのかねぇ。服は人工的なものの象徴なのかな。虚飾の象徴? 

 やはりアダムとイブが知恵の実を口にして羞恥心を覚え、楽園を追い出されたという連想からなのか。いや、知恵は神々だけのものだったから、知恵の実は禁忌とされたなら、神々は裸ではなかったということで……。神の衣装は人間の想像の及ばぬものとしたためか。まさか、裸が見たいからというわけでもなかろうが。

ルーベンスとその時代展

   ルーベンスといえば、宗教画である。ネロ少年が見たいと望んだ絵も、教会に飾られている絵だった。  今の常識で考えると信じられないことだが、当時、絵画は依頼主からの注文を受けて描かれることが主で、画家自身の欲求で描かれることは皆無ではないが、少ないことだったそうだ。

 ルーベンスの宗教画、祭壇画も教会の依頼によって描かれたもので、注文品であるから完成の期限は決められている。もちろん、飾られる場所も決まっているし、テーマも注文される。ローマのサンタ・マリア・イン・バァッリチェッラ教会の祭壇画にいたっては、下絵の段階から教会の審査を何度も受けなければならなかったそうだ。それでも、教会の祭壇画を描くということは、画家にとって非常な利益をもたらすものだった。

 芸術品の公開というのは、現在とは違い、価値のわかる人とかそういう人の紹介状を持った人にしかなされなかった。さしずめ、私などは門前払いの口だったろう。

 唯一、現代の公開と同じ意味で『公開』されているのが教会の祭壇画であったらしい。教会の祭壇画を描けば、その絵はより多くの人に知られ、画家の名も上がるということである。広く名を知られるには、効果的な方法であったようだ。

 当然、ルーペンスは成功を収め、国際都市ローマに集まる外交官は本国への報告書にその名をとどめたに違いない。情報メディアの発達していない当時では、外交官は広範囲の情報収集にあたっていたそうだ。

 ネロ少年が見たいと望んだ祭壇画は、布に覆われ、金を払わないと見せてもらえなかったそうだが、本当なのだろうか。本当だとすれば、祭壇画が『公開』されていたというのは、例外もあったということだろうか。現在はそんなことはないらしいが。

 ルーベンスが生まれたのは、1577年のドイツのジーゲンだった。両親はフランドル地方のアントワープの中産階級だったが、宗教問題からドイツのケルンに亡命していた。ところが、父のヤン・ルーベンスは雇い先のオレンジ公の妻と不倫関係になってしまい、投獄されて死刑を宣告される。しばらくして、ルーベンス夫人のマリアの助命活動が実を結び、一家はジーゲンに移り住むことになる。ここで、私たちが知るピーター・ポール・ルーベンスが誕生することになる。

 のちに一家はケルンにもどることを許されるが、ほどなく父のヤン・ルーベンスは死去し、一家はアントワープに帰国する。ピーター・ポール・ルーベンスは十歳だった。

 ルーベンスの勤勉で誠実な性格は、どうやら父親よりも母親に似ていたらしい。

   やがて、画家を目指したピーター・ポール・ルーベンスは、遠縁の画家の見習いとなり、次に二つの工房で修行し、画家として一人前になる。
 このころの画家は、職人として認識され、工房をもち、弟子をかかえる。注文に応じ、絵を描く。つまり一人前とは、画家組合への加入と弟子をとることを許されるということである。

 やがてイタリアに留学したルーベンスは、ほどなくマントヴァ公の宮廷画家となり、外交官としての役割もはたすようになる。

 数年後、母の危篤の知らせを機会に、マントヴァでの職を辞し、アントワープにもどる。

 それから、アルブレヒト大公の宮廷画家となる。


 ルーベンスは人当たりがよく、話も上手で魅力的な人物であったらしい。

 中産階級の出の彼は、困窮するということを知らなかったと思われる。見計らったように有力者と知り合う機会がおとずれ、画業の名声もトントン拍子に高まっていく。幸運な人だったらしい。

 それはもちろん、彼の努力もあったろうが、天性のものだったろう。

 収集家としても名高く、商売も上手だったようだ。よく想像してしまう、生活能力のない芸術家というものとはかけ離れた人だったようである。

 そのうえ、教養も高く、古典の朗読を聞きながら絵を描き、同時に手紙を口述筆記し、来客とも話をするという、ある意味おそろしい人物であった。

 生活は規則正しく、朝四時に起床。礼拝をしてから仕事にかかり、夕方五時頃まで絵を描き続けたという。

 多くの弟子を抱え、注文主の要求に応じて絵を描き、仕事中は音(朗読)を聞く。
 なんだか、現在の漫画家のようにも思えてくる。といっても、実際の漫画家の仕事場をのぞいたことはないが。


 もちろん、ルーベンスが個人的に描いた作品もある。二度、結婚しているが、家族の肖像画も描かれている。今回の展覧会にはなかったが、画集でみると、いかにも裕福な夫婦という感じである。

最初の妻は早くに死去し、その娘も若くして亡くなるという不幸もあったが、二人目の妻との間にも子供をもうけ、幸福な人生を送ったと思われる。ちなみに、この後妻の裸婦像も描かれている。

 また「フランダースの犬」にもどるが、この作品の中でルーベンスが大きな扱いをうけているのは、ネロ少年との対比の意味もあっただろう。

 裕福な家に生まれたルーベンスと貧困に育つネロ。ブルジョアの家の出で幸運の申し子のような画家と、周りの理解を得られずに不運に見舞われる少年。

 年端もいかない少年ネロが、生活能力のない芸術家の卵の象徴ならば、ビジネス感覚にもすぐれ、莫大な遺産をのこしたルーベンスの対極である。

 あの結末を当然と思うか、やはり芸術は援助せねばならないと読むか、ただただ可愛そう、不憫と感じるかは、人それぞれだろう。

 そういえば、アンデルセンにも、天才をもちながら機会や理解に恵まれず、一生を終える音楽家の小説がある。

 音楽家のメンデルスゾーンが感動し、アンデルセンと親交をむすぶきっかけとなった「ただのヴァイオリン弾き」というその小説は、当時大学生だったキルケゴールが、初めての著作を出し、ケチョンケチョンにけなしているそうだ。

 「いくら天才があっても、周囲の理解と援助がなければ、つぶれてしまう」という小説の内容が、「天才は、どんな苦難があろうと、花開くものである」という考え方のキルケゴールの気にさわったのではないかと、本に書いてあった。二人の性格の違いだろうか。
http://homepage1.nifty.com/IKIATARI-BATTARI/october.html


14. 中川隆 2013年7月31日 10:33:05 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア 2013.05.04

北九州市立美術館にルーベンス展を見に行ってきました。

ルーベンスといえば、メタボ体型な裸婦や天使の絵というイメージがあり、人間はともかく、あんなブヨブヨな天使があんな小さい羽で飛べるわけがなかろう、などと思っていました。

では、ネロとパトラッシュ(パトラッシュ違うか)がルーベンスになぜそれほど憧れていたのかf^^;、確かめるつもりで行ったところ、いろんなことがわかりました。


まず、豊満体型ですが、今回見た限りでは案外そうでもなかった。ものによっては、ある程度の肉付きを良くする方向性は認められましたが、まっとうな人物画も多く、必ずしもデブ専というわけではなかったらしいf^^;。

鮮やかな色彩とふくよかな肢体、華麗な構図、おそらくはこのコンビネーションが王侯貴族たちの支持を得たのではないでしょうか。

要するに、貧乏臭さとは対極の世界。

ルーベンスはこの需要に応えるために工房を設立したもののようです。

こうして、ルーベンス自身は原画や仕上げに携わった程度の絵画や版画が「ルーベンス作」として量産されたほか、工房に属さない画家との共同作業もこなしており、いまでいうプロデューサー的活動の走りというべきか。工房の弟子だったヴァン・ダイクの『悔悟するマグダラのマリア』や共同作業の相手だったヤン・ブリューゲル(父)の作品もあり、個人的にはむしろこれらの絵のほうがインパクトがありました。

また、ルーベンスは絵も人気でしたが、外交官としても活躍し、城みたいな家に住んでいました。画家としては史上最も成功した人物といえるでしょう。

ネロが憧れたのはこっち?(爆)。
http://yuhinomado.jugem.jp/?eid=1059


15. 中川隆 2013年7月31日 11:09:04 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

ルーベンス  来日した名画を回顧して


東京の国立新美術館開館で12月23日まで「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」が開催され、久々にバロック美術の巨匠・ルーベンスの傑作が展示されています。この機会にフェルメールやレンブラントとくらべ人気の日本であまり親しまれていないルーベンスの絵画の魅力についてまとめてみました。

バロック芸術はルネサンスの後、マニエリズムを経て生まれた芸術運動で、ルネサンスの秩序とそのあとのマニエリズムも含めた矛盾を超越するための大胆で劇的な芸術を生み出しました。バロック美術の典型的な特色はこの大胆で劇的な画面空間とダイナミックな動きで、彫刻ではベルニーニ、絵画ではルーベンスに代表されると思います。

人気のあるフェルメールはバロック時代を代表する画家ですが、フェルメールの抑制された芸術はバロック芸術を代表するものとは言えないかも知れません。

 ルーベンスが人気のない理由はいろいろ考えられます。

その一つは美男で性格も魅力的で処世術にもたけていたため、画家としても外交としても成功した嫉妬したいような順風漫歩の人生であったこと、

ゴッホのように生きている時代に評価されなかった不幸な芸術家を多くの人は好む傾向があるようです。

もうひとつは生きている時に最大級の評価を受けていたため、簡単に運べないような大作をたくさん制作しておりルーベンスの傑作は殆ど日本にきていないこと、作品が小さく代表作が殆ど日本に一度は来ているフェルメールとは対照的です。

そしてもうひとつ大きな理由は、ルーベンスの芸術はバロックの典型といえる大胆で劇的であり、ときにはグロテスクな醜さと美しさがせめぎ合う緊迫した世界が展開されます。これも抑制された美しさで癒し系とし人気のあるフェルメールと対照的です。

ルーベンスは以上のようにあまり日本人に好かれていないようですが、以下来日した傑作といえる作品を親しみやい作品から追っていきたいと思います。


「聖母マリアと幼子イエス」
http://desireart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=16689520&i=201210/29/18/a0113718_1054137.jpg

 ルーベンスはイタリア滞在中にヴェネツィア派絵画、特にティチィアーノの影響を強く受けました。この作品のようなイタリアやローマの雰囲気の抑制された調和のとれた表現の作品も描いています。聖母マリアの衣服の強い赤が画面を鎮静化する作用をしています。この作品ではイタリアバロックの巨匠、コルーナやテイエポロの作品に共鳴する輝かしさがあります。しかし赤に隣接しているものがすべて緑とさえ思えてしまうほど燃えるよう真っ赤を用いているのはルーベンス独自の個性と見ることもできます。赤が大量に用いられていながら全体からくる印象は爽快です。

「フィレモンの家を踊れたユピテスとメルクリウス」
http://desireart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=16689520&i=201210/29/18/a0113718_1063528.jpg

 この作品もイタリア的雰囲気の作品で、最も幸せな時期のルーベンスの作品と思われ、ルーベンスの繊細で精妙な一面が表現されています。即興性があるが適格で過剰なところない色彩の豊かさが魅力的な作品です。赤、青などの色がいぶし銀といえるように協奏し、光の最もみごとな、もつとも見る人には思いもよらないような和音が生まれています。眼の表現は愛をこめて見ているようで、親密さと深さを併せ持った作品に仕上がっています。

 ルーベンスは非常に技量の高い画家で、どの作品も近づいて見ると絵具の塗りの厚さに節度があり、塗り重ねた跡がみられず、色面の表現、輪郭の表現なども非の打ちどころがないほど節度があることが分かります。それは画面な全体に女性の裸体が占めるような大作の画面でも変わりません。


三美神
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/catalogue/wien_akademie/chap02.htm

 魅惑的な装飾的な着想で描かれた作品です。甘い画面に優雅と情愛と豊麗を備えています。移ろいやすいような天気の庭にバラ色の美しい肌の三美神が最も魅惑的な姿で描かれています。

「ケレスとバッカスがいないとヴィーナスは凍ってしまう」(右図)
http://desireart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=16689520&i=201210/29/18/a0113718_11285088.jpg

 美しい赤、美しいK、背景の空に漂っている灰色と木々の緑が見事に協奏し、美しいヴィーナスの肌の光まばゆい和音を形成しています。といつた感じが生まれる。「三美神」と同様に最もみごとな色彩と光の和音を感ずる作品です。


「ヴィーナとスマルスとキューピツト」
http://desireart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=16689520&i=201210/29/18/a0113718_11293595.jpg

ルーベンスは、赤に沈んだ豊かさを与える優れた技量を持っています。赤系の色以外が光線を煌めかせる役割を担い、他の色の感じを変えてしまう役割を担っているようです。肩肘を張っていない力強さも持ち、無意味のようなくらい背景の色も華やいだ雰囲気を与えられています。

 ルーベンスは新しいことに挑戦いする熱情を持って、まさにバロックを象徴するような、激動的な精神の作品も描いています。その形態は強烈で、やや粗放ですが独創的で強荘なデッサンが迫力ある作品を描いています。肉体はふくらみがあり、濃厚な熱気をこめて響きあっています。色の輝きは重視され、色彩はまばゆく輝き、輪郭に柔らかさが出ていくます。ルーベンス独特の若々しさ、揺るがぬ自信があふれ、激しさが爆発的に表面化する同時に抑制力により見事に内に蓄えられ、弱まらずに持続している表現に成功しています。そこには心の動揺があり、大胆不敵ともいえる何か新しいものを感じさせます。単に美しいというのではなく、グロテスクな醜さと美しさがせめぎ合う緊迫した世界となっています。


「ボレアスとオレイテュイア」
http://desireart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=16689520&i=201210/29/18/a0113718_11325780.jpg

 ルーベンスは健康な肉体に偏愛を寄せていました。鋭い感受性で熱情と愛情を持って美しい肉体を描くという精神、あるいは理念を意識していたようです。この作品でも画面はすべて生きて動いており、呼吸しながらこちらを見つめ、見る人に働きかけてきます。美しいオレイテュイアの肉体の色に画面が染まり、またふとふとかき消えるように見えなくなり、額縁に結びつくかと思うとまた離れていく、そしてふたりの肉体は明るい部分に収まり、垂直に組み込まれていきます。濃淡の移ろいは交錯します。画面の豪華さ、いくつかの色の色調の激しさ、別の色の甘味さ、これらはルーベンスだけの天賦の才能といえるものです。人物の動き、身振り、顔の表情はルーベンス自身からこぼれ出してきているようで、作品を良くみられるにつれて、主題の論理に導かれてこの形態で描くことの必然性がわかってきます。全画面に頭の先から血が通って一人の人物を描きだす、みごとなボレアスの顔がそれぞれ肖像画と言っていいほどで、真に迫ってきて心に訴えてくるものがあります。人物群全体がひとつの輪を作っていて、グロテスクさを感じさせながらもなんとも美しい、この作品では醜と美のせめぎあいは美の勝利で完結しているようです。

 ルーベンスの作品は離れてみる人にも聞こえ、遠くで見る人の心もとらえ魅了します。音楽でいえばフェルメールが小音量の音楽とすれば、ルーベンスは音量を上げた芸術です。その重厚壮大な芸術は音響学的な透視法が重要な役割を演じているように思えます。

「ユノに欺かれるイクシオン」
http://desireart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=16689520&i=201210/29/18/a0113718_11334887.jpg

 小さな画像で見るとバラバラな構図かと思うような作品ですが、実際の大きな作品を見るとその無理な構図が画面に緊迫感を与え迫力ある作品になっています。ここにも醜と美のせめぎあいがあるようです。ルーベンスはいかなる主題を扱っても、堂々と大真面目に屈託がなく大胆不敵に描きだします。仕上がった作品はモデルの引き写しが鮮やかに行われている部分があるおかげで救われています。傑作と失敗作が紙一重のところを狙っているかのようです。

 ルーベンスは音楽に例えるなら、ピアノの鍵盤の1/4しか使わないで演奏しているようです。たくさんの音を飛ばし、最高音と最低音の鍵盤をたたいて演奏しているようでもあります。

 ルーベンスは好きなように夢想し、地人のことなどほとんど興味を示さず、自分のことに執着しました。外面の美しさを捕えることにかけてはたぐいまれな恵まれた才能を持っていました。ひとり自分の中の心を表現するのにモデルを活用して自分に従属させ、都合の良いところだけモデルから奪って描く。ある時は見事な観察力を示すが、ある時は全く見ていない。ルーベンスの絵画はモデルの美しさや内面を表現するのではなく、ルーベンス自身の心を表現しているかのようです。

「ヒッポメイアの略奪」
http://desireart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=16689520&i=201210/29/18/a0113718_11361632.jpg

 ルーベンスのこの作品はまさにルーベンス的に解放的で大胆な作品と言うべきです。この作品はまさにグロテスクな醜さと美しさがせめぎあいといえますが、純粋露吐の述べ言葉で貫かれています。動きとざわめきと興奮、緊迫感が絶頂に達するとき、形態にも、身振りにも、表情にも、右から左に、対角線を左右に切り込んで走る斜め方向の張力が感じられます。対角線は画面を二分し垂直の力が働いて画面を引き絞ってきます。盲目で邪悪で意地の悪い世界に向けて描きぬいてくかのようです。この作品を美しいと感ずるのは、邪悪の醜とそこに潜んでする美のせめぎあいの緊迫感に刺激されるからでしょう。

 ルーベンス作品は宮殿を飾る神話の大画面を制作し、大聖堂向きには宗教画を多く描きました。その技量はずば抜けていて、他の画家の尺度をはみ出し、真実を訴える思想と最高級ともいえるリズム、情念がこめられ、人体の様々な姿勢、表情、人間界の多様な目立った特色、頑固な形態など、表現されるものの増殖は尽きることを知りませんでした。

「ジェノヴァのサン・タンブロジア教会の主祭壇画の習作」
http://desireart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=16689520&i=201210/29/18/a0113718_11363550.jpg

 ルーベンスの純粋直感は創造力に加えて透視力を得た時、最も深いところに、何事にもとらわれぬ筆の運びで突き進んでいきます。デッサン、配色、仕上げの段階で色彩が加わり、遊びも加わっても陰影にあまりこだわらなくなり、輪郭も消え失せていきます。作品の美意識が明かりを照らし、崇高な一編の詩の最も高く響く表情豊かな音となります。いかにも澄み切った音色が聞えてくるようです。

 ルーベンスは自分自身の尊重によって、逸脱と正道の狭間で、感動的ともいえるほど熱中してひときわ抜きんでた超越した趣味を発揮しました。部分的な無造作、真剣さの不足は作品全体の緊迫感で償ってしまいました。人の真になるものに含まれる最高の美を、この世に存在しうる最高の大きさを作品で示そうとしたようです。そして新しい美の基準を決定シ定着させました。ある意味ではイタリアの画家の残した最も良いものを継承し、弟子たちに伝承したといえます。ルーベンスの工房からはヴァン・ダイク、ヨルダーンスなど美術史上に残る画家を輩出しました。その意味では美術史における影響力はレンブラントより大きいと言えるかかもしれません。


「十字架降下」
http://desireart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=16689520&i=201210/29/18/a0113718_11383954.jpg

 ルーベンスの代表作の一つで、今まで来日したルーベンスの作品では最高の傑作だと思っている作品です。

 イエスの処刑が終わった後、すでに日が暮れています。誰一人物も言わず、泣きながら厳粛に死体を手厚くとり納めている様子が厳粛に飾り気なく表現されています。大切な人の死に、皆唇から洩れる言葉を互いにかわすだけで精一杯です。蒼白な死せるキリストと対照的に血の通った肉体がいくつか描かれています。聖母マリアの母の愛、儚さ、脆さ、優しさの共存する悔恨する弱い女マグダラのマリアは罪が許されています。

キリストは切られた1輪の花のように、自分ために泣いている人の声も聴くことも今はなく、もはや人界に属さず、死すらも手放しできない所にきています。実際の作品を見ないと理解できないかも知れませんが、ここに描かれたキリストの姿は素晴らしく、ルーベンスでなければこの位置にキリストを描かなかっただろうと思われます。心に神を感じ痛苦に耐える美しい顔、男らしく優しい顔のキリストは例えようもなく美しいです。イタリアのヴェネツィア派の最盛期でも、ここまで高まった表現力はできなかった、芸術の理想は実現できなかっただろうと思われるほどこの作品は素晴らしいです。

 ルーベンスは生きている活動する人間を思わせる気迫のこもった表現をし、人の心の奥にある燃えるような生き生きとした魂がもめられたような人物を表現しました。しかし、内部に込められた魂はどの作品もおなじように見えます。それはモデルの魂を表現したのではなくルーベンス自身の魂を表現したからだと思います。

 意外にもルーベンス肖像画は得意でなかったようです。ルーベンスの描いた肖像画はモデルの体臭に欠け、レンブラントのようにモデルの内面的なところを表現していません。ルーベンスはモデルの内面的なところに興味を示さない画家だったようで、肖像画を得意としていなかったようです。

ルーベンスはイタリア・ヴェネツィア派の画家など自分の師の意向を明快に誠実に表面から受け止め、画家として天才を発揮して自らの画風を確立しました。ルーベンスは美男で礼儀作法、教養にたけ、外国語、ラテン語などに堪能で、仕事の運営管理、統率力に優れ、自分自身の精神の統率力もあり冷静沈着な人だったようです。

ルーベンスは処世術にも優れ、画家として、全権大使として人望を集めました。性格が開放的で、血の熱いところは広く堂々として華麗でしたが、人間として均衡がとれているため多くの人から尊敬を受けていました。立派な風采と性格も含め画家としての才能が極めて高く評価されていたと考えられます。生涯不遇だったフェルメールや自らの性格的欠陥により晩年借金生活だったレンブラントとは対照的に順風漫歩の人生だったようです。

 ルーベンスは自分の能力を可能な限度まで拡大したが、自分の限界は心得ていて無理なことまで挑戦しようとはしなかったようです。例えばエル・グレコやカラヴァジョのようにミケランジェロになろうという野望はもっていなかつたようです。思い煩うことは好まず平穏な心での制作活動を追求したと言われています。

  ある意味で非常に頭がよく身のほどををわきまえていて、芸術家として時代に挑戦することはせず堅実に生きて世の中から高い名声を受けていた。凡人から見れば嫉妬することあれ拍手喝采ようなおもしろいエピソードがほとんどない芸術家、そんなところが波瀾万丈な不遇な英雄を好む日本人には人気がないのかもしれません。
http://desireart.exblog.jp/16689520


16. 2013年7月31日 11:54:07 : W18zBTaIM6

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17. 中川隆[-7926] koaQ7Jey 2017年4月30日 18:25:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
阿修羅管理人に投稿・コメント禁止にされましたので、本日をもってこのスレは閉鎖します

18. 中川隆[-7874] koaQ7Jey 2017年5月01日 11:28:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

参考に、僕が阿修羅原発板で反原発派の嘘とデマを明らかにした為に、阿修羅で投稿・コメント禁止にされた経緯を纏めました:

これが阿修羅に巣食う電通工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html#c73


19. 中川隆[-14444] koaQ7Jey 2021年12月26日 01:20:15 : 23yWDfOfDo : VWIwRFFkbWFaY0U=[2] 報告
【フランダースの犬】ネロが死ぬほど見たい絵!鬱エンドに新解釈!?【クリスマス企画・ルーベンス】
2021/12/24



今夜はクリスマスイブ!
そんな聖夜にピッタリの祭壇画をご紹介します!

皆さん、この絵に見覚えはありませんか?

不朽の名作【フランダースの犬】で登場した、
ネロが最期にどうしても見たかった絵ですよね!

アニメの最終回は超有名!
なのに「どうしてこの絵を見たかったのか」までは分からない・・・🤔
その疑問に五郎さんが答えます!

さらに、五郎さんが従来の鬱ストーリーとは違った解釈を提示!
”シン・フランダースの犬”!?

ルーベンス第1弾はコチラ

https://youtu.be/QVaIkUqJTcA

ルーベンスが影響を受けたカラヴァッジョの動画はコチラ

https://youtu.be/eZp4KvoQ_Fs
https://youtu.be/HxqT5gBkpNY
20. 中川隆[-13535] koaQ7Jey 2022年3月10日 08:02:52 : D449mu3fMw : bGNPOGhwY2pvOHc=[4] 報告
ルーベンス【長編解説/前編】十字架昇架・十字架降架で有名だけどどんな人?超天才の生涯と傑作を徹底解説(アート 美術 画家 絵画)
2022/03/05



「ピーテル・パウル・ルーベンス」の生涯と傑作を長編で解説しました!(前編)

↓十字架昇架・十字架降架のピックアップ解説動画はこちら↓
https://youtu.be/DWcLG8yRnDQ



0:00 オープニング
0:48 父と3人の師匠
3:38 「アダムとエヴァ」
4:29 イタリアでの進化
5:09 「マントヴァの友情記念肖像画」解説
6:48 マントヴァの宮廷画家
7:54 「レルマ公騎馬像」解説
9:39 「聖母子の画像をあがめる聖グレゴリウスと諸聖人」
10:51 帰郷、名声の獲得
13:29 「十字架昇架」解説
16:29 「十字架降架」解説
20:46 エンディング

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