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科学的社会主義・日本共産党批判――マルクス主義の反人間(労働者)的・抑圧的本質を批判する。(その19)「等価交換の欺瞞性
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/577.html
投稿者 Y. Kakasi 日時 2012 年 3 月 13 日 23:58:03: BW32mpuE76J86
 

 日本共産党志位委員長の「綱領教室」が、最終12回(3/6)になりました。今回は綱領の「第5章 社会主義・共産主義の社会をめざして」という「未来社会論」になります。内容については、わかりやすい要約がHPに出ているので、動画を視聴しながらチェックすると簡単に理解できます。
動画・要約→http://www.jcp.or.jp/kk_kyousitu/#fragment-2

 今回は、最終回ということもあって感動的な講義になりました。内容はすでに不破さんの講義も含めると繰り返しが多かったですが、まとめとして今まで以上に志位さんたちの主張がよくわかりました。最後の言葉「日本共産党の名前は、人類社会の本来の姿が花開く理想とロマンに結びついた名前です」というのは、空想的共産主義の面目躍如という感じでした。

 しかし、前回までに述べたように、志位さんたちは、マルクスが解明した資本主義の運動法則の分析と見通しの誤り(「等価交換による剰余価値説」と「意識従属論による唯物史観」)を見逃したままで、どのような「未来社会=社会主義・共産主義社会」を実現しようとするのでしょうか。『共産党宣言』にみられるような、階級闘争主義による決定論的未来社会は、共産党の支配が花咲く、共産党だけの理想とロマンと自由の実現ということにならざるを得ないでしょう。Kakasiなどのような批判的労働者は、とても自由にさせてもらえない社会のようです。

 さて不破さんや志位さんの資本主義批判の眼目は、「利潤第一主義」にあります。この点ではKakasiの問題意識と同じであり、多くの人々の共感を得られると思います。問題は、その「利潤の源泉がどこにあるか」ということです。この問題は、社会主義実現の前提になる「生産手段の社会化」は、@所有・管理・運営が、どのように行われるのか、A市場経済・商品交換との関係はどうなるのか、またB「生産手段の社会化」の前提となる「労働者の連帯・団結(国民の合意)」は、どのように保証されるのか、ということと深く関連してきます。

 志位さんは、資本主義がもたらす社会悪の根源が、「生産手段の私的所有」にあり、そこから「利潤第一主義」が生じる、だから、「生産手段の社会化」をすれば、生産の目的・動機が「社会と人間の利益」に大きく変化する、と考えます。しかしこの捉え方は根本のところで間違っています。私的所有(私有財産)と私的利潤(私利)の追求は、人間の言語的(創造的)本性に由来する相互に一体のものなのです。そして、資本主義はその本性が、利己心・向上心・致富欲・権力欲・商品交換・国民国家・科学発達・技術革新等と結合して発展したものだからです。

 志位さんは、マルクスが「生産者は生産手段を所有する場合にはじめて自由でありうる」という命題から、「すべての生産手段の集団への返還」という目標を、きわめて簡潔かつ論理的に明らかにしたとしています。しかし、「生産者の集団」が、生産手段を所有したところで、誰がどのように指導・運営するのでしょうか。また綱領(一七)-(2)に「市場経済を通じて社会主義に進む」とあるように、社会主義・共産主義においては市場経済・商品交換は前提とされていません。一体、生活必需品や生活向上・享楽品はどのように分配されるのでしょうか。

 本当の自由は、マルクスや志位さんの考えるような「労働時間(労働日)の抜本的な短縮」による時間的自由だけによって得られるものでしょうか。党官僚主導の生産者集団が生産手段を所有して、恣意的な分配があっても、「市場における選択の自由」がなければ、本当の自由とは言えないでしょう。そもそも宇宙船地球号の成長の限界の中で、また限られた資源や生産・生活条件の多様性のなかで、市場経済・商品交換を前提としないで、個別的利害の調整や資源・財・価値の適切な配分が可能でしょうか。多くの学者が指摘するように、ソ連や東欧の失敗を検証するまでもなく、また、いかにコンピュータが発達した未来社会においても、それが不可能なことは、今日では常識的に明らかでしょう。

 そもそも資本主義の下では、生産手段を自由にできる資本=貨幣さえあれば自由な発達が保証されます(少数者のみ)。だから、社会主義においても、実体としての生産手段を所有して労働時間を短縮すると同時に、生産手段の別形態である貨幣=資本(株式)を所有する方が、自由の拡大には貢献できるでしょう。私的所有と商品交換を円滑にする貨幣は、人類の偉大な発明品です。貨幣は、経済社会(欲望と労働、交換と消費の人間活動)を調整する有効な手段でもあります。そして、貨幣は、市場経済・商品交換を前提としてのみ自由で効果的に機能します。

 資本主義がもたらす矛盾は、マルクスのように、貨幣(資本)が人間の交換関係を支配する(価値法則・等価交換)と考え、資本(家・企業=生産手段)の労働(者階級)支配を、労働(者階級)による資本の社会的所有によって終わらせ、解決できるというものではありません。人間の本性(利己心等)が商品交換を促進し、貨幣を創造し、資本の集積・労働者の搾取・欲望の肥大化を奨励しているのだから、交換そのものを公正と正義、社会的責任という道徳的原理で規制する必要があるのです。

 つまり、資本主義的運動法則(恐慌等)による階級闘争や団結の必然性ではなく、資本主義的生産と交換の矛盾や欺瞞に対する社会的自覚と責任が意識的に必要となるのです。人間は言語的創造的な動物だから、科学的知識や意欲によって、意識的に構想し、議論し、契約し、自らの未来社会を築くことができます。人間の意識は、社会的に規定されるだけでなく、自らを社会的存在として積極的に位置づけ、それによって社会を変革できるのが言語をもつ人間存在なのです。

「古典・綱領教室」は今回で終わりましたが、Kakasiの批判投稿はまだ中途半端です。もう一回すればちょうど20回になります。それで終われるように努力します。
 なお今までの投稿を、わかりやすく読んでいただけるように、以下にまとめてみました。→http://www.eonet.ne.jp/~human-being/asyura1.html  

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コメント
 
01. 2012年3月14日 16:19:41 : qcVEEsiCok
投稿のまとめはよくわかる。HPは、むずいが・・・・

反論を楽しみにしている。誰かいないか、いないな・・・

等価交換はたしかに欺瞞だ。

欺瞞を見抜くのが科学的検証だ。

現象の背後にあるものを表に出して知識にするのが科学だ。

現象をそのまま記述するのは詐欺師のペテンだ。

しかも.結果はメチャメチャ、

スターリンは何人殺したか、ポルポトは何人だ?

ヒトラーもハシモトもマルクスに毒されて狂った。

20世紀は、帝国主義とマルクスで狂った世紀だった。

で、21世紀はどうなるの?、Kakasiさん。

言語論の革新?、西洋思想批判?よくわからないが・・・


02. Y. Kakasi 2012年3月15日 00:29:58 : BW32mpuE76J86 : aXHUyUuvPo
副題が文字数オーバーで抜け落ちました(^_^;)。追加しておきます。→ 「等価交換の欺瞞性が、資本主義の矛盾と不正の根源」です。

 01)さん 読んでいただきありがとうございます。
 Kakasiも反論を期待しておりますが、皆さん小沢冤罪事件で話がもちきりのようです。まあ、政治に関心を持つ人は、マルクスにも関心を持ったと思うので、たまにマルクスや共産主義を思い出していただけるのもありかなと思っています。

「等価交換は確かに欺瞞だ」と端的に同意していただけるのは大変励みになります。交換が成立すれば等価だ、とか、価値が個々の交換を規定する、等という発想は、合理主義や法則主義、イデア主義や観念主義という、自らも自覚できない西洋的偏見・神話に過ぎないと思います。

 マルクス主義の根底にある唯物論や弁証法なども、本人たちは気づいていない観念主義の産物です。マルクスは言語や知識(科学)を相対化して、人間生命との関係を見いだすことができなかったのです。是非「生命言語説Life-words theory」L-W 理論を研究してみてください。

「現象をそのまま記述するのは詐欺師のペテンだ。」というのは意味深長な表現です。現象の批判でしょうか。今の世の中、学問も政治も宗教も金儲けも、詐欺師とペテンのオンパレードですね。「もうゴマカシはうんざり、本当のことを探す ★阿修羅♪」ことが本当に大切になっていると思います。


03. 2012年3月15日 15:11:50 : o3hH0dwaro
Kakasiさん いまいちわからないところがあります。
>資本主義は、その(人間の)本性が、利己心・向上心・致富欲・権力欲・商品交換・国民国家・科学発達・技術革新等と結合して発展したものだからです。

というのは単純すぎないでしょうか。人間の欲望に「狂気」は入らないのでしょうか。と言うのも、01さんのように、狂っているのはヒトラーやスターリン、ハシモトばかりでなく、オザワ冤罪事件を引き起こした連中も、常識の通じない「狂気」の部類にはいるし、金儲けで犯罪を犯す連中も、単なる「利己心・向上心・致富欲・権力欲」ではなく、「狂っている」のではないでしょうか。

04. 2012年3月16日 00:57:31 : r3ZBWmgvpo
私も、03さんと同じく、「人間の本性」に引っかかります。

「人間の本性(利己心等)が商品交換を促進し、貨幣を創造し、資本の集積・労働者の搾取・欲望の肥大化を奨励しているのだから、交換そのものを公正と正義、社会的責任という道徳的原理で規制する必要があるのです。」

 Kakasiさんの言われる本性は、利己心のように否定的なものだけでしょうか。スミスが言うように同情心や利他心・互助心というものが人間にはあると思います。そうすれば、押しつけ的な道徳的原理などなくても良いのではありませんか。

 自由放任とまでは行かなくても、道徳的原理は社会主義の考え方と両立するのでしょうか。生産関係や社会の仕組みを変えれば、利他的本性が芽生えてくるのではないでしょうか。意見を聞かせてください。


05. 母系社会 2012年3月16日 16:28:42 : Xfgr7Fh//h.LU : osJXujfQhI
多くの人が、マルクスの唱えたマルクス主義=共産主義とは、
まず、歴史観としては階級闘争史観であり、共産主義とは
共産主義社会の実現を目指している運動だと理解していますが、
これらは、厳密に言えばマルクスが唱えた共産主義の誤った
解釈です。

なぜ、このような誤解が生じたのかと言えば、それはマルクス
主義の後継者たちが共産主義を誤って解釈し、世間に広めた
からです。

マルクスが生きていた頃の西欧哲学界では、デカルトが唱えた
「物心二元論」をどうしたら克服できるかという大きな課題を
抱えていました。

なぜなら、物と心は別々の実体であり、別々の原理で活動=運動
しているという「物心二元論」では、物(身体)と心(精神)から
成る肝心の人間が説明できないからです。

また、この頃の西欧哲学界には、中世以来続く「普遍論争」という
未解決のテーマもありました。この「普遍論争」とは、概念は実在
するという実念論と、実在しないという唯名論の存在論を巡る論争
でしたが、これも未解決でした。

この二つをマルクスは、「唯物史観」=「関係主義」という新しい
世界観を確立することで解決し、その視点で「資本論」を書いたの
です。

ですから、マルクスは、たとえば人間は「社会的諸関係の総体」
であるとか、人間や社会、商品、資本などの重要な概念の全てを、
「関係」という視点で規定する理論をつくりあげたのです。

通常、「物心二元論」は、「唯物論」=「物質一元論」で克服された
と解釈されていますが、エンゲルスは「自然弁証法」で・・・

「人々は脳の分子・化学運動に思惟を実験的に還元することであろう。
だが、思惟の本質がそれで尽くされるであろうか。」

と述べて、思惟=思考=意識活動=を物質に還元しても、人間の意識
活動の有り様=機制が解明されたわけではないこと、つまり近代科学
流の「原子論的」、「要素還元主義」的発想法=対象の解明とは、
対象の究極的な構成物=素粒子=素材を解明することという考え方=
の誤りを指摘していました。

しかし、大半のマルクス主義者は、近代科学のこうした発想法=
実体主義=本質主義=はマルクスの唯物論と同じと考え、「心」を
「物質」に還元して、生理科学的=脳科学的な解明で「心」=「意識」
の機制が解明さると考えるようになり、エンゲルスの指摘・杞憂は
無視するレベルへと退化してしまったのです。

マルクスの唱えた「唯物史観」の核心は「物心二元論」と「普遍論争」
の対立を克服した上部構造と下部構造の相互作用の関係にあり、それ
以外の歴史についての記述などは副次的なものに過ぎません。

ですから、「唯物史観」は、単なる歴史観ではなく、認識論であり、
存在論であり、論理学でもあるもので、自然界と人間界を統合した
世界観です。

下部構造には、当然ながら自然界も含まれるのですから、下部構造を
人間界の<経済>のことのように理解する考え方は、旧ソ連のスターリン
公認「マルクス主義」の考え方であり、俗流化されたマルクス主義です。

マルクスは、マルクスの哲学的な、根本的な立場を書いた「ドイツ・
イデオロギー」で、共産主義とは永遠の改革運動であり、何らかの実現
すべき目標・状態を持つような運動ではないと明確に述べています。

ですから、いわゆる「社会主義社会」とか「共産主義社会」というのも、
資本主義時代に生きる人間の理想社会像に過ぎず、その意味では暫定的な
理想社会像に過ぎません。

マルクスは、人間の意識は歴史的・社会文化的制約・拘束を受けているので、
そもそも、ある特定の時代を生きる人間(マルクス)が、人類の究極的な
理想社会なるものを想像することはできないと考えていたのです。

これが、ありとあらゆるものが生成流転していると考える仏教的なマルクス
思想の大前提であり、正に仏教と同じように「関係性」で「物」も「心」も
一元的に規定するマルクス主義の立場です。

ですから、実体主義の立場でマルクス思想を解釈するのは、キリスト教の
教義を前提に、仏教の教義を解釈するようなものであり、<誤り>とし
か考えられないのは必定なのです。

商品に使用価値と価値が「ある」のは、物に5グラムと10グラムの二つの
重さがあるというのと同じですから矛盾そのものです。

そして、この矛盾は、物の「重さ」という「性質」はそのものの実体的な
性質ではなく、その物と地球、厳密に言えばその物と全宇宙との万有引力
の「関数」のような存在に過ぎないと考える「関係主義」的精神・非実体
主義的精神でないと絶対に解けない「ナゾ」なのです。

是非、広松渉の「ドイツ・イデオロギー」(岩波文庫)を読んで下さい。
そこには、もう一人のマルクスがいます。


06. Y. Kakasi 2012年3月17日 18:26:55 : BW32mpuE76J86 : r3ZBWmgvpo
03)04)さん 人間の本性についてのご意見ご質問ありがとうございます。返答が遅れました。簡単に説明するのが難しいのです。
 資本主義を発展させるのが、人間の本性であることを検証するのはKakasiの個人的な能力を超えています。これは研究者の課題です。しかしマルクスの考える人間の本質と比べることはできます。

 マルクスは人間の本質を、自然に対する生産的労働の、合目的的発展的性質に置きます。彼は、蜘蛛や蜜蜂の巣の作製と建築師の技術を比較して、人間の作製の場合は、事前に頭の中に表象(観念)として存在していた結果(目的)が出てきて実現したものと考えます。これを歴史的社会的に見ると「人間は、その生活の社会的生産において、一定の必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ」ということになり、この物質的生活の生産様式が土台となって、意志的意識的精神的形態(政治・宗教・芸術・思想等)が上部構造を形成しているとなります。

 しかしマルクスは、思想家・社会科学者であると同時に、革命家・扇動家でもあるので、『共産党宣言』でわかるように複雑な経済的利害を、階級的利害に一元化して支配階級への憎しみをあおります。階級概念は、歴史的分析概念であるにもかかわらず、実践的現実的課題として目的化してしまうのです。つまり、マルクス主義理論(知識)自体が意識的産物、しかも弁証法的偏見と人間抑圧の理論であるにもかかわらず、現実の生産諸関係を変革しようとするのですから、理論の存在自体が現実の矛盾と混乱を引き起こしてしまうのです。これを克服するには、理論崇拝の否定と止揚が必要(必然)となるのです。

 そこでマルクス理論を克服する理論が、Kakasiたちの「生命言語理論」ということになります。これをここで展開することはできませんが、マルクスとの対比で言えば、人間の意識や理論・思想とは何か、また、それらは人間の存在や行動(労働や生産、信仰や宗教、契約や政治、欲望や享楽等々)にとってどのような意味を持つのか。そして、それらの人間的意識を規定するのは、人間の本質としての「言語」であるということになります。「人間の本質は言語である」ということから、マルクス主義だけでなく、合理主義や西洋思想そのものの限界を克服する視点が明らかになります。

 マルクスやエンゲルスが展望した「自由の王国」としての共産主義社会も、マルクス的「必然の王国」の自然法則理論を克服するためには、マルクス主義自体の自己否定なくして、すなわち、「人間の本質である言語」の意義を理解し、自己自身について知ることがなければ実現不可能なのです。人間の本質についての新しい知識は、東洋と西洋、諸文明の特殊性、価値観の対立を乗り越え、人間の普遍性、文化や文明の伝統と普遍性のもとに共生することを可能にし、地上のすべての生命の更なる持続的繁栄の条件となるでしょう。

 なにやら難しい話になりましたが、人間の本質について考えると、以上のような理屈が生まれてきます。これはKakasiたちだけの考えということでなく、生命とは何か、人間とは何か、これからの社会はどうあるべきかという問題意識を持てば、誰もが考えつく解答だと思うのですが、どうでしょうか。試みにあらゆる偏見を棄てて、生命と人間について、その未来について考えてみてください。決して「日本共産党綱領」のようにはならないでしょう。

 質問の「狂気」と「利他的本性」については、もう少し時間をください。

 母系社会さん、投稿ありがとうございます。
もう一度マルクスの関係主義と、Kakasiたちの依拠する仏教の縁起主義との違いを考え直してみます。


07. Y. Kakasi 2012年3月19日 21:54:08 : BW32mpuE76J86 : r3ZBWmgvpo
母系社会さん 詳しいコメントで、考えを深める機会が得られて感謝します。
 おそらく母系社会さんがこだわっておられるのは、広松の指摘する次のことでしょう。

 「物象化の秘密を知らず、物神崇拝に陥るとき、客観主義的な歴史把握、ひいては決定論的な歴史把握を生ずることになる。
 そして不幸にも、唯物史観は、しばしばそのような科学主義的な客観主義として、しかも一種の歴史的決定論として誤解されている。読者の中には、それは誤解ではなくして、まさしくマルクス・エンゲルスの思想であると思われるむきもあるかもしれない。現にマルクスは『資本論』の中で次のように明言しているではないか、これは一種の客観主義的・決定論的発想の自己表明ではないか、と言う指摘を受けるかもしれない」(『唯物史観の原像』p125)

 そう、Kakasiたちは「物象化の秘密」などはないと考えるし、「歴史的決定論として誤解」もしていないのです。マルクスの言う「物象化の秘密」とは、資本主義とその歴史的運命の神秘化であり、『資本論』の基本法則である「等価交換=価値法則」は、商品交換の欺瞞性と非道徳性を隠蔽する独断的・決定論的法則・理論になっていると主張するのです。

 マルクスは、搾取の隠蔽性を暴露したと言います。しかし、それは西洋的認識の制約や偏見に毒された政治経済学者の「労働価値説にもとづく等価交換」、という虚構にもとづいているのです。マルクスや広松は、これらのブルジョア経済学の前提そのものを批判すべきだったのです。

 また広松は、上に続く『資本論』からの引用で、「経済的な社会構造の発展を一つの自然史的過程としてとらえる私(マルクス)の立場」から、「諸人格」は「経済的諸カテゴリーの人格化」にすぎない、とすることに対して、「いったい人間の意識的能動性はどう処遇されるのか?」という本質的な問いを発しています。そしてその答を、エンゲルスの説明に求めて、

「唯物史観が決して通俗の意味での意識的能動性を否認するものではないこと、唯物史観はこの意識的な能動性をその根底で規定しているところの究極的な起動力にまで問い進まねばならないという課題を対自的に設定し、それに答える場面で下部構造の究極的な規定性――これは協働の物象化に淵源するわけだが――意識形象の存在被拘束性を措定するのだということ、今やこの間の事情が明らかになったものと考える。」(同上p127-8)

と述べています。しかし、マルクスの唯物史観は、人間の意識的能動性すなわち階級的自覚と連帯に正しく反映されてきたでしょうか。むしろ多くの理論的解釈や対立を生じ、先進国ではマルクス的歴史法則とは逆に、共産党の存在によって労働者の自覚と連帯を阻害し、途上国では、歴史法則とは想定外の革命(ロシアや中国等)によって混乱と不幸を引き起こしたのではないでしょうか。いわゆる帝国主義が産み出した東西対立も、マルクス主義理論がもたらしたものです。
 
 つまり、「下部構造の究極的な規定性」や「意識形象の存在被拘束性」は、唯物史観という理論そのものによって否定されてきたのではないでしょうか。生産力と生産関係の発展に伴う「協働の物象化」(人間の物的関係性と連帯)が、物象化の理論・マルクス主義自体によって歴史の閉塞状況を生産してしまったのです。残念ながら広松理論は、マルクス主義の理論上の抑圧的性格を擁護・延命・発展させることはできないのです。

 母系社会さんの提起される問題は多いのですが、Kakasiたちの依拠する縁起主義について説明しておきます。
 マルクスの関係主義が、生産と再生産、生産力と生産関係という認識結果(原則的知識・法則)から出発するのに対し、仏教の縁起主義は、知覚できる実体(自然と生命)を基準にしますが、その認識論は「無明」(無知・迷い)から出発します。つまり科学的認識(知識)の成立根拠にさかのぼって、生命にとっての言語と知識の意味をまず解明します。

 縁起とは、「これがあれば、あれもあり、これがなければ、あれもない。」と相互に依存し合って存在することです。この意味は、始まりとしての原因があって、終わり(目的)としての結果があるという絶対的因果関係ではなく、原因から結果だけでなく結果から原因を認識し、最終的にその認識は「無知や明知」に相互転換するものです。つまり「これやあれ」の存在を、認識する前提にさかのぼって相対的・相互的に認識するということです。
 しかしマルクスの関係主義は、物心二元論は克服していると思いますが、『資本論』におけるマルクスの科学的因果認識は、認識の結果としての「等価交換」を前提として不等価や偶然性という実体自体を記述しているのではないのです。だから『資本論』の弁証法のように、明確な合理的因果主義(平均的法則による実体支配・制約)の立場は、現象の相互関係を認める関係主義(弁証法の一形態)ではあっても、縁起主義ではありません。

 なぜなら等価交換は認識の結果に過ぎません。認識に過ぎない因果の現象を、原理法則の根本に置くと必ず現実との間に矛盾が生じます。その意味でミクロ・マクロの自然は認識の限界があります。現代科学はミクロの世界での運動を、対象が確定できないため確率的にしか因果の説明ができないことを知っています。しかし、マクロの段階では、「ビッグバン」のような仮説的現象を、西洋的偏見に歪められて、さも実在的知識であるかのように流布しています。

 不十分な説明ですが、これぐらいしか答えられません。もう少し単純で具体的な質問ならもっと答えやすいです。よろしく。「狂気」と「利他的本性」については、また次に・・・・


08. Y. Kakasi 2012年3月23日 00:28:12 : BW32mpuE76J86 : r3ZBWmgvpo
03)さんの質問は、資本主義社会に、人間の本質として「狂気」が現れているのではないか、ということでしょうか。
 「狂気」の定義にもよりますが、ヒトラーのような独裁者を「狂気」であるとすれば、資本主義に限らず、いつの時代にも出現していました。特に社会が不安定な変革の時期に多かったのではないでしょうか。しかし、スターリンやハシモトを「狂気」であるとするには疑問があります。「狂気」が、自己の行動の異常さを自覚し秘密にしようとする限り、通常の理性と判断力をもっていることでしょう。

 ヨーロッパでは宗教改革後の混乱期に、魔女裁判などの集団的「狂気」が起こりました。戦争や災害、過度な競争のもとの不安は、人間から通常の判断力を奪い、恐怖や憎悪・怒り等の否定的感情を高めます。問題の原因を単純化して解決策を示すと、人間は一定の方向に扇動されやすくなります。

 問題は「金儲けと狂気」の関係ですが、モンテスキューは商業を肯定的にとらえ「野蛮な習俗を匡正し、温和にする」と述べています。経済が成長し社会全体が豊かになるときは、競争の問題が表面には現れませんが、弱肉強食の競争状態となると問題は深刻になります。営業(企業)の存立が危ぶまれるようになると、ヒトラーのようにわかりやすい敵(ユダヤ人、共産党)を作り、扇動と宣伝で正常な判断力が失わせ、合理的であるはずの資本主義が非合理的激情に動かされてしまうのです。

 競争、それは社会的成長が見込まれ、多くの大衆に多少とも見返りが目に見える場合であれば我慢できますが、競争相手を踏み台にして競争の勝者になるならば、著しく公正を欠いたものになります。競争自体が人間の悪性を喚起するものではなく、商品交換の欺瞞性(利益のための人間関係)が人間の悪徳と狂気性を誘発するのです。資本主義は、生活を豊かにし活力を生み出しますが、資源の浪費と道徳の退廃を招き、人類文明の衰退を促進します。


09. Y. Kakasi 2012年6月02日 15:59:26 : BW32mpuE76J86 : dvldzIXlGA
投稿は(その20)に続きます。

http://www.asyura2.com/12/senkyo128/msg/694.html


10. 2012年11月27日 18:02:05 : wXPShKYgaw

 はじめの(その1)に戻ります。kakasi
 ⇒ http://www.asyura2.com/11/senkyo122/msg/281.html
 一覧があります。
 ⇒ http://www.eonet.ne.jp/~human-being/asyura1.html

11. 2014年7月19日 20:58:31 : CYHWXkqbxA
今日も掲載されていることに感謝します。本投稿をより理解していただくために、「西洋思想としての経済学批判」を下記のページでお読み下さい。Y.Yamada
☞☞https://sites.google.com/site/sawatani1/keizaigakuhihan

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