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≪斎藤貴男 著『消費税のカラクリ』 第5章 消費税の歴史 より抜粋(1)≫
http://www.asyura2.com/12/senkyo128/msg/631.html
投稿者 Roentgenium 日時 2012 年 4 月 08 日 01:21:52: qfdbU4Y/ODJJ.
 

(回答先: ≪斎藤貴男 著『消費税のカラクリ』 第4章 消費者とワーキング・プア より抜粋≫ 投稿者 Roentgenium 日時 2012 年 4 月 08 日 00:56:51)

(4頁からの続き)


〔斎藤貴男 著『消費税のカラクリ』 第5章 消費税の歴史 より P.136−P.181〕


■強行採決で可決、導入

消費税の導入を柱とする税制改革関連6法が参院本会議で成立したのは、1988年12月24日午後5時59分のことである。自民党の賛成多数であっけなく可決されたのだが、それは勿論、新しい税制に対する抵抗が小さかった為ではない。

逆だ。自民党は衆参両院で強行採決を繰り返し、これに反発した野党が竹下 登(1924−2000)・首相兼蔵相(当時)や梶木又三(1919−2008)・参院税制問題等調査特別委員長らの問責決議案を提出していた。前日23日の午後4時に開会された本会議も社会、共産両党の牛歩戦術で13年ぶりの徹夜国会となり、遂には両院と二院クラブ、サラリーマン新党が退席した挙句の果ての、25時間と59分目の決着だった。

政府は直ちに「新税制実施円滑化推進本部」を設置。かくて消費税は翌89年4月1日、予定通りのスタートを切って、今日に至っている。当日の午前中に時の竹下首相が直子夫人(1926−2010)と大勢のSPを引き連れて東京・日本橋の三越百貨店を訪れ、15000円のネクタイと3切れ1000円の塩鮭を2パック買い、それぞれ3%の消費税450円と60円を笑顔で支払って見せたパフォーマンスをご記憶の読者も多いのではないか。

消費税に対する国民の憤りはたちまち頂点に達した。スタートから2カ月を経た1989年6月上旬、毎日新聞社が全国の有権者3030人を対称に行った世論調査によれば、回答者の90%が消費税に不満があり(「非常に」53%、「或る程度」37%)、49%の人が「廃止」、45%の人が「見直し」を求めていた。

同じ毎日新聞が国会審議に入る前の88年9月初めに行った調査では、消費税「反対」が58%しかなかったのと比べて興味深い(「賛成」は15%だった。対象は全国の20歳以上の男女5537人)。

頭を抱えた大蔵省は、大手広告代理店の電通に大々的なPR作戦を依頼した。消費税は法人税や諸遠く税の一部減税と併せて創設されている。そこで特に中高年サラリーマンを標的に減税面を強調したキャンペーンが展開され、或いは大企業が従業員に源泉徴収表を交付する際に、個人別の所得税減税額を通知して貰うなどの試みが積み重ねられた。

そもそもの反対世論が消費税の本質を外して消費者の損得ばかり問題視する悲壮なものに矮小化(わいしょうか)されていたせいもあり、国民の憤りはやがて沈静化。広告代理店のパワーを大いに評価した霞が関は、原子力発電や裁判員制度などの分野でも彼らを駆使した国策PRを大々的に展開することになっていくのだが、この話題については別の機会に譲りたい。


■自民党政権の3つの嘘

消費税は嘘に嘘を塗り固めて生まれてきた。国会での審議が最高潮に達していた頃、駒澤大学の福岡政行助教授(1945−、政治学、現在は白鴎大学教授)が、自民党政権はこの税制を巡って3つの嘘をついていると指摘したことがあった(『朝日ジャーナル』1988年12月23日・30日合併号)。

それによれば、第1の嘘はこの2年前、86年7月に行われた衆参同日選挙での中曾根康弘首相(1918−、当時)の公約だ。行政改革に着手する一方で“戦後税制の見直し”を打ち出していた彼は、しかし選挙戦では「国民や自民党員が反対する大型間接税はやらない。やらないと言ったらやらない。この顔が嘘つきの顔に見えますか」と大見得を切り、果たして自民党は圧勝した。

有権者が中曾根政権に寄せた信頼は、あっと言う間に裏切られてしまう。同政権は早くも翌87年2月、まさに大型間接税以外の何物でもない「売上税」法案を国会に提出。国民各層の反発の前に審議入り出来ないまま廃案となったが、次の竹下政権が名称も新たに消費税法として可決・成立させた。

《国民の猛反発を招きながらも消費税が短期間で実現したのは、同じ間接税である売上税法案に尽力した中曾根の“遺産”があってのことだった》(『東京新聞』2007年1月30日付朝刊)とする評価が近年では専らだが、国会審議の当時は「竹下政権と中曾根政権は違うので公約違反ではない」などとする詭弁さえ罷り通っていたのである。

第2の嘘は、リクルート事件における自民党政治家の偽証の数々だ。

人材情報サービス企業「リクルート」の江副浩正会長(えぞえ ひろまさ 1936−)が竹下首相(1924−2000)や中曾根元首相(1918−)、宮澤喜一(1919−2007)・副首相兼蔵相、安倍晋太郎(1924−1991)・自民党幹事長、渡辺美智雄(1923−1995)・同政調会長(何れも当時)らに関連会社の未公開株をばら撒いていた事実が発覚したのは、消費税法案が国会に提出されたのと同じ1988年7月だっただけに、腐敗し切った政治のツケを増税で埋め合わせる構図がくっきりと浮き彫りにされていた。

第3の嘘は竹下首相の嘘である。コンセンサス・ポリティックス(合意に基づく政治)を信条にしているはずの政治家が、にも関わらず反対意見を無視した――。

嘘塗れの消費税を、それでも導入したければ改めて総選挙で国民の信を問うべきだと、福岡・駒大助教授は強調していた。至極真っ当な主張は一顧だにされることのないまま消費税は強行され、但し幾人かの生贄(いけにえ)が捧げられた。

三越でのネクタイ購入のパフォーマンスから3週間後の1989年4月25日、竹下首相が突如、「政局混迷の責任を取る」として退陣する決意を表明した。翌26日には彼の金庫番と言われた元秘書の青木伊平氏(あおき いへい 1930−1989)が自宅で首を吊って死んでいるのが発見されている。リクルート事件との関係が動機だと報じられてきたが、謀殺説が根強い。

ポスト竹下には宇野宗佑外相(1922−1998)が就任した。自民党の有力政治家の尽(ことごと)くがリクルート事件に関与していた為の消去法の産物だが、新首相はたちまち女性スキャンダルに見舞われて、在任期間は僅か69日間。日本政治史上4番目の短命内閣に終った。


■徴税側による「大型間接税」小史

そもそも大型間接税の導入という政策課題は如何にして浮上し、消費税へと導かれたのか。2000年から06年まで政府税制調査会の会長を務めた石 弘光(いし ひろみつ 1937−)・一橋大学名誉教授〔※小泉政権下で政府税調の会長を務めた人物。民主党政権でも“民間有識者”として仕分け人を務めている〕の『消費税の政治経済学―税制と政治のはざまで』(日本経済新聞出版社 2009年刊行)から、いわば小正史を概観してみよう。

今日に至る大型間接税の本格的な議論は1979年、大平正芳政権〔※大平正芳(1910−1980)〕の「一般消費税」構想に始まったとされている。既に60年代後半から常態化していた均衡予算の放棄に加え、70年代半ば以降の財政赤字の累増が契機になった。

財政赤字の累増には、幾つもの要因が考えられるが、石名誉教授は特に2つの点を強調している。@高度経済成長の終焉に伴い、公共投資の拡大による総需要喚起政策が活発になったことと、A社会福祉プログラムをはじめとする公共サービスの充実が図られ、歳出増加の原因がビルトインされたことである。

このままでは国債費の増加が財政の硬直化を招くのは必至で、将来世代に負担を先送りしてしまいかねない。増税は不可避であり、分けても新しいタイプの大型間接税の創設が急務だとするムードが、財政当局或いは政府税調を中心に醸成されていった。

かくて大平政権が打ち出した一般消費税構想は、しかし、儚く潰(つい)えた。石名誉教授は、その最大の原因を《増税に反対するマスコミの執拗なキャンペーン》に求めつつ、現在に至ってさえ大型間接税に対する国民の反発が衰えない背景には戦後の一時期に実施されていた「取引高税」の悪夢があった、とも指摘する。


■シャウプ勧告の「付加価値税」が見送られた理由

取引高税は1948年9月から翌49年12月迄の1年4カ月間だけ実施された税制だ。製造から小売りに至る全段階の取引高に1%の税率を課するもので、現行の消費税から仕入れ税額控除の仕組みを除いた姿を想像されたい。1つの商品やサービスが消費者の手に渡るまでに経由した事業者の数だけ、税に税が幾重にも、複利で掛けられていた。

このような型の累積課税を、税の世界ではカスケード税(Cascade=累積課税)と呼んでいる。強権的で前近代的な税制だ。

具体的には、事業者が印紙を購入し、これを顧客に渡す領収証に貼り付ける形が採られた。そこで税務職員が客を装い、印紙の有無を確認しては摘発するというケースが相次ぎ、強い反感を買った為、間もなく申告納税に改められている。この手続きがまた煩雑だったらしい。

徴税側には都合がよくても、納税者の間では評判が悪かった取引高税は、1949年9月に発表された「シャウプ使節団日本税制報告書 Report On Japanese Taxation By The Shoup Misson(通称:シャウプ勧告)」でも廃止の勧告を受けた。原料の調達から最終製品の販売までを一貫して手掛けることの出来る企業グループに対して、そうではない事業者が圧倒的に不利になるのは不公平だ、と言うのである。

米国コロンビア大学のカール・S・シャウプ博士 Carl Sumner Shoup(1902−2000)の、いわゆる「シャウプ勧告」だ。戦後日本における所得税中心の租税体系を決定付けたと言われる重大な文書で、但し一方では新しい間接税――小売売上税と付加価値税――の検討も行っていた。

とりわけ後者は兼ねてシャウプ自身が可能性を検討してきた領域だけに、都道府県民税としての事業税の課税ベースを純所得から「付加価値を生み出す賃金、利子、地代の合計」に転換すべきだとするなど、具体的な方法論にも言及していた。実際に1950年度の税制改正で導入が図られたものの、見送られた経緯がある。

後に消費税のモデルとされることになるEC型付加価値税どころか、その前身となるフランスの付加価値税さえ登場していなかった時期で、一般には理解されにくかったし、シャウプ使節団にとっても実験的な性格を帯びた提言でしかなかったからだ。

《失敗したのも当然と言えよう。これが消費税導入の初めての失敗と言えるかも知れない。取引高税と異なり、実施されなかった為影響は無かったが、付加価値税伊は複雑で導入が困難というマイナスのイメージを人々に与えたことは事実である》

石名誉教授はこう総括し、それでも1960年代の初頭にかけて政府部内では何度も大型間接税導入への機運が高まっては沈静化する繰り返しだったと述べている。折からの高度経済成長が、しかし抵抗の強い新税の創設を必要としない状況を作り出し、事態は70年代以降の、石油ショックを契機とする日本経済の転換期まで持ち越されていった――。

〔資料〕戦後政治家 事件・犯罪データベース:疑獄・経済事件関連死 - GARITTO ZAKUTTO
http://www.geocities.jp/m_karitto_sakutto/politics/database.html

〔資料〕石 弘光(1937−) - Wikipedia ※小泉政権下で政府税調の会長を務めた人物。民主党政権でも“民間有識者”として仕分け人を務めている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%BC%98%E5%85%89

〔資料〕石 弘光 著『消費税の政治経済学―税制と政治のはざまで』(日本経済新聞出版社 2009年刊行)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A8%8E%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-%E7%9F%B3-%E5%BC%98%E5%85%89/dp/4532353939

〔資料〕Carl Sumner Shoup(1902−2000) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Shoup

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%A6%E3%83%97

〔資料〕シャウプ使節団日本税制報告書 Report On Japanese Taxation By The Shoup Misson(通称:シャウプ勧告) 序文・目次
http://homepage1.nifty.com/kybs/shoup/shoupj00.html

〔資料〕原子力発電の推進の根拠は全て嘘である - Beyond 5 Senses, tamekiyo.com 2011年3月30日 ※第1次&2次オイルショックの狙い、他
http://tamekiyo.com/documents/original/20110330.html

〔資料〕戦争と「石油ピーク」〜元「石油ピーク」信者の告白〜 By F. William Engdahl - Beyond 5 Senses, tamekiyo.com 2007年9月26日
http://tamekiyo.com/documents/W_Engdahl/peakoil.html


■徴税側がひた隠すシャウプ式「富裕税」の時代

以上の内容は大筋で正しいが、何処までも徴税側の論理による整理に過ぎない。敢えて省略されている重大な史実を指摘しよう。

シャウプ勧告には付加価値税だけでなく「富裕税」の新説も盛り込まれ、実際に創設もされていた。付加価値税が見送られたのと同じ、1950年度のことである。以下はシャウプ勧告のこちらの側面に注目した安藤 実(1934−)・静岡大学名誉教授(日本租税理論学会理事長)の『富裕者課税論』(桜井書店 2009年刊行)の記述に拠るところが大きい。

《富裕税は、純資産総額500万円超の資産家を対象に、0.5%から3%までの低い累進税率で課される国税として勧告された。それは差し当り、所得税の最高税率引き下げの代償措置という面を持った。すなわち、50%を超えるような高い税率は「脱税の誘因」になるという理由により、所得税の最高税率を下げる代わりに導入されたものである》

累進税率との引き換えでは意味が無いようにも思われるが、そんなことはない。直ぐには税収の増加に繋がらなくても、日本経済の復興が進めば、富の集中と蓄積が顕著になっていく。富裕税はその時にこそ真価を発揮するのだと、シャウプ勧告は位置付けていた。

予(あらかじ)め理解しておかなければならない大前提がある。シャウプ勧告はGHQ(連合国最高司令官総司令部)による日本民主化の一環としてあったという事実だ。財閥解体とも連動し、財閥の復活を阻止する狙いが込められたのは勿論、「公平の追求」という命題に非常な重点が置かれていた。


■「応能負担」と「応益負担」

税制に関する議論でしばしば登場する「応能負担原則」か「応益負担原則」課の二者択一を当て嵌めれば、シャウプ博士は明らかに前者を採っていた。これは納税者の担税能力に相応して徴税するという考え方で、法の元の平等や個人の尊重、生存権の補償などを定めた日本国憲法の精神にも合致している。

逆に近年の構造改革の広がりと共に浸透してきた、納税者は公共サービスから得られる利益に応じた納税義務を負うとする発想を「応益負担原則」と言う。

かくてシャウプ勧告では直接税を中心とする税制が構想された。安藤名誉教授は、勧告の原文を引きながら、シャウプ博士の考え方を解説している。

それによれば、博士は「間接税では、所得や資産の格差及び家族負担の差異を適正に考慮に入れることが出来ない」と強調していた。所得税であれば、納税者それぞれの個人的な事情に、課税最低限や累進税率の仕組みなどを通して配慮出来る。つまり税負担の公平さとは、人によって「違う扱い」をすることであり、「同じ扱い」をすることではないというわけだ。

「間接税収入に対する直接税収入の比率は、国民の納税義務に対する意識の程度を大まかに示す」とも、シャウプ博士は述べていた。税金を収めるという行為には、そのことを自覚させる一定の痛みが伴っている必要があると言うのである。

だからシャウプ勧告は、給与所得者の年末調整制度など速やかに廃止すべきだと強調していた。給与所得者が源泉徴収された所得税の精算を自らの確定申告によらず、勤務先に所得税の納税手続きの一切を委ねさせる仕組みは納税者意識を著しく損なう。国民が何も考えない愚民揃いになれば民主主義が機能不全を起こすからだが、日本政府が年末調整精度を手放す局面はその後も訪れることがないまま、今日に至っている。

尚、大平内閣の前後から声高に叫ばれるようになった「クロヨン」論が、この、源泉徴収と年末調整のコンビネーションで成るサラリーマン税制こそが望ましいとの前提で発想されている実態は、第2章で述べた通りだ。

間接税を評価したがらなかったシャウプ博士が付加価値税を提案したことには矛盾も感じるが、既に一定の税収を得てきた取引高税の廃止を勧告する以上、より洗練された間接税のあり方を検討してみせざるを得ない必要に迫られていたのではないか。国税ではなく、都道府県の事業税に限定されていた点にも、余り積極性が感じられない。

のみならず、名称は付加価値税であっても、課税j標準を先に触れた賃金などに求めるシャウプの手法は直接税に近かった。石名誉教授をはじめ、近年はシャウプ勧告の付加価値税をクローズアップする情報発信が目立つが、弊害を隠しきれなくなった消費税に正当性を装う為の、為にする議論のようにも思われる。

ともあれ富裕税は、そうした「公平の追求」を目指して打ち出された税制だった。年末調整の廃止要請には無視を貫いた徴税当局もまた。所得税の累進税率の引き下げ(85%⇒55%)とのバーターではあったものの、富裕税の創設には応じた。


■富裕税廃止の代替財源としての大型間接税

富裕税には当初から批判が付き纏った。シャウプ勧告が公開された翌年の1949年10月に中華人民共和国が成立し、50年6月の朝鮮戦争勃発、51年9月のサンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約締結・・・・・・と、アメリカの対日政策が転換され、いわゆる“逆コース”を辿っていく過程で、国内の保守層の発言力が高まっていった時代背景も大きい。

安藤名誉教授は、シャウプ勧告を契機として学会と産業界の有志が1949年に結成した「日本租税研究協会」の大会記録を引いて、当時の雰囲気を伝えている。それによれば、1951年の第3回大会ともなると税負担の公平という理念そのものを否定する声の大合唱になっていた。

「シャウプ勧告税制の所得税中心主義は考え直すというのが皆さん共通の意見。低い資本蓄積を高めていくことが、今日の政策目標である。その為には、総合課税に例外を設ける。累進税率を緩和する。間接税、消費税の相対的増大などが必要。法人税の引き上げ反対論が強い。富裕税を止めて、所得税の最高税率を引き上げるほうがいい」

こう述べたのは、同協会の会長だった汐見三郎(1895−1962)・京都大学教授である。以下、財界人達発言を列挙する。

金子佐一郎(1900−1978)・十条製紙常務「所得税はむしろ軽減して、資本蓄積に役立たせ、今後増徴という場合には、間接税を考慮に入れる」

原 安三郎(1884−1982)・日本化薬社長「所得税の基礎控除が増えますと、大衆の負担部分が減っていく。・・・・・・国費を負担しない階級が増えてきますから、負担公平の見地から、間接税の増額を考慮したい。間接税は補完税ではなく、所得税と並立して行くことになる」

松隈秀雄(1896−1989)・中央酒類社長(元大蔵次官)「直接税を減らして間接税に振り替えてくれと言う論者は相当多い。消費税の増徴の仕方によっては、もっと多くの税収入を期待出来ます」

代表的な富裕層である財界人や、彼らに近い専門家達による要望は、直ぐに叶えられた。1952年度いっぱいでの富裕税廃止。所得税の最高税率は55%から65%に引き上げられ、一時は75%(課税標準≒年間所得8000万円以上)にも達するが、1980年代半ばをピークに緩和が進み、99年には37%(課税標準1800万円以上)にまで引き下げられた。

≪≪何のことはない。消費税は既に1950年代初頭、“逆コース”に乗じた富裕層が自らの税負担を軽減する代替財源として提唱し、一定の時間を掛けて実現させた税制に他ならなかったのである。

尚、「日本租税研究協会」の会長職は初代汐見三郎(1895−1962)・京都大学教授が約10年間務めた後、堀 武芳(1898−1968)・日本勧業銀行頭取に交替。以来、金子佐一郎(1900−1978)・十条製紙会長、西野嘉一郎(1904−2003)・芝浦製作所会長、岩田弐夫(いわた かずお 1910−1992)・東芝会長、渡辺文夫(1917−)・東京海上火災保険元会長、那須 翔(なす しょう 1924−)・東京電力元会長と続き、2010年現在は今井 敬(いまい たかし 1929−)・新日本製鐵元会長(元経団連会長)が就任している。副会長にはキヤノンの副社長や日本生命の会長、三菱東京UFJ銀行の元会長ら、参与には財務省の幹部らが名を連ねている。

維持会員は403社。他に個人会員392人と特別会員5団体を擁する。一貫して日本の税制のあり方に強い影響力を行使し続けてきた社団法人で、中曾根政権が“戦後税制の見直し”を打ち出す前後、1985年11月にもいち早く大型間接税の導入を骨子(こっし)とする税制改革試案を纏めていた。2009年9月にも法人税減税と個人所得税における高所得者の減税、消費税増税を示唆する意見書を公表している。≫≫

〔資料〕安藤 実(1934−) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E5%AE%9F

〔資料〕安藤 実 著『富裕者課税論』(桜井書店 2009年刊行)
http://www.amazon.co.jp/%E5%AF%8C%E8%A3%95%E8%80%85%E8%AA%B2%E7%A8%8E%E8%AB%96-%E5%AE%89%E8%97%A4-%E5%AE%9F/dp/4921190577

http://www.sakurai-shoten.com/content/books/057/bookdetail.shtml

〔資料〕逆コース Reverse Course - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%86%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9

〔資料〕クロヨン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%A8%E3%83%B3

http://www6.ocn.ne.jp/~mirai/p35.htm

〔資料〕社団法人 日本租税研究協会
http://www.soken.or.jp/

〔資料〕租研60年の事業録(PDF、全39頁)
http://www.soken.or.jp/p_document/pdf/p_jgyoroku.pdf

〔資料〕(社)日本租税研究協会 役員名簿 2011年6月22日(PDF、全2頁)
http://www.soken.or.jp/p_info/deta/list_riji2011.06.pdf

〔資料〕(社)日本租税研究協会 評議員名簿 2011年12月6日(PDF、全2頁)
http://www.soken.or.jp/p_info/deta/list_hyougiin2011.12.pdf

〔資料〕日本租税研究協会組織表(PDF、全1頁)
http://www.soken.or.jp/p_info/deta/sosiki2011.pdf

〔資料〕日本経済団体連合会(日本経団連) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%9B%A3%E4%BD%93%E9%80%A3%E5%90%88%E4%BC%9A

※日本経団連会館のフクロウ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2972

〔資料〕≪関岡英之 著『国家の存亡―「平成の開国」が日本を滅ぼす』 より抜粋(7)≫|MelancholiaT ※【日経・CSISバーチャル・シンクタンクの顔触れ(新自由主義者達の饗宴)】 【CSIS-HGPI】細川佳代子 【三極委員会】
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11076818385.html

〔資料〕日本人が知らないニッポン - THINKER
http://www.thinker-japan.com/thinkwar.html

〔資料〕Ernest Ropiequet Hilgard(1904−2001) - Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Ernest_Hilgard

〔資料〕米国教育使節団報告書(要旨)1946年3月31日|文部科学省 ※Ernest Ropiequet Hilgardの名前あり
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198102/hpbz198102_2_034.html

〔資料〕日本はサンフランシスコ講和条約で独立国として承認されていなかった!?(苫米地英人著『脳と心の洗い方』より抜粋) - Anti-Rothschild Alliance
http://www.anti-rothschild.net/material/36.html

〔資料〕日本人が知らない 恐るべき真実 研究ノート目次:アメリカの占領政策、他 - Anti-Rothschild Alliance
http://www.anti-rothschild.net/truth/part3/find.html


■古代ローマとナチス・ドイツ

消費税のルーツは、古代ローマ帝国の時代にまで遡(さかのぼ)ることが出来る。

塩野七生氏(しおの ななみ 1937−)の『ローマ人の物語』(「第6巻―パクス・ロマーナ」新潮社 1997年刊行)によれば、独裁者ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー) Gaius Julius Caesar(100−44 BCE)の養子で初代皇帝のアウグストゥス(オクタヴィアヌス) Augustus, Gaius Octavius(63−14 BCE)が断行した大規模な税制改革の一環で、「チェンテージマ Centesima(百分の一税)」と呼ばれた。

ローマ人と属州民の区別は無く、あらゆる物品の販売に一律1%の税金が課せられる大型間接税だったと言う。

この大型間接税がアウグストゥスによって創設されたのか、カエサルやそれ以前の共和政の時代から引き継がれていたものなのかは分からない。ただ、目的税として定着させたのは、確かにアウグストゥスだったと、塩野氏は書いていた。何の為の目的税かと言えば、《防衛費用の補足》だ。《故に、「安全保障税」の意訳も成り立つ》と言い、これを含めたアウグストゥスの税制は、その後の300年程も続いたそうである。

近現代では、第1次世界大戦におけるドイツの大型間接税がよく知られている。かねて“帝国は間接税、領邦は直接税”という棲み分けで、たばこ税、塩税、砂糖税、蒸留酒税などを徴税していたドイツ帝国は1916年、戦費調達を図って税率0.1%の売上税を新設。敗戦後は賠償金の支払いに充てるとして段階的に税率を上げていき、1924年には当初の25倍、2.5%へと引き上げられた。

やがてナチスが政権を掌握し、第2次世界大戦が始まると、2.75%に。敗戦後の西ドイツでは1946年に3.75%、51年には4%になった。税率は高くなくても、まさにカスケード税そのものだったから、それぞれの事業者や消費者の負担はかなりのものだったとされる(湖東京至「消費税制の総点検」『日本税制の総点検』勁草書房 2008年刊行、等)。

〔資料〕塩野七生 著『ローマ人の物語 第6巻―パクス・ロマーナ』(新潮社 1997年刊行)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%80%886%E3%80%89%E2%80%95-%E3%83%91%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%8A-%E5%A1%A9%E9%87%8E-%E4%B8%83%E7%94%9F/dp/4103096152

〔資料〕塩野七生 著『ローマ人の物語 第15巻 パクス・ロマーナ(中)』(新潮文庫 2004年刊行)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%80%8815%E3%80%89%E3%83%91%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%8A-%E4%B8%AD-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A1%A9%E9%87%8E-%E4%B8%83%E7%94%9F/dp/4101181659

〔資料〕Gaius Julius Caesar(100−44 BCE) - Wikipedia
http://it.wikipedia.org/wiki/Gaius_Iulius_Caesar

http://de.wikipedia.org/wiki/Gaius_Iulius_Caesar

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%82%B5%E3%83%AB

〔資料〕Augustus, Gaius Octavius(63−14 BCE) - Wikipedia
http://it.wikipedia.org/wiki/Augusto_(imperatore_romano)

http://de.wikipedia.org/wiki/Augustus

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9

〔資料〕西暦 - Wikipedia ※≪Thomas Robert Malthus著『人口論』&菊川征司 著作複数、他より抜粋(14〜16)≫を参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9A%A6

〔資料〕北野弘久、谷山治雄 編『日本税制の総点検』(勁草書房 2008年刊行)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A8%8E%E5%88%B6%E3%81%AE%E7%B7%8F%E7%82%B9%E6%A4%9C-%E5%8C%97%E9%87%8E-%E5%BC%98%E4%B9%85/dp/4326450886


■近代日本の大型間接税

カスケード税は多くの国々の追随を呼んだ。日本でも取引高税が登場した史実は既に述べた通りだが、それ以前には大型間接税など存在しなかったというわけではない。

1878年(明治11年)には「営業税」が創設されている。商工業者の売上高に一定の税率を掛けて算出される事実上の売上税で、当初は地方税として始まり、1896年(明治29年)に国税へと格上げされた。日清戦争の戦費調達が目的だったが、納税義務を課せられた事業者の抵抗は根強く、1926年(大正15年)に営業収益税へと全面的に改定され、売上税としての性格は失われた。

大型間接税が再び浮上したのは1936年(昭和11年)、広田弘毅内閣〔※広田弘毅(ひろた こうき 1878−1948)〕の馬場^一蔵相(ばば えいいち 1879−1937)が打ち出した「売上税」構想だ。大蔵省の出身で、軍事費中心の積極的なインフレ政策を推進した人物として知られる蔵相の税制改革案は翌37年1月の議会に「取引税」として上程されることになったが、寺内壽一陸相(1879−1946)と濱田國松議員(1868−1939)のいわゆる「腹切り問答」がきっかけで広田内閣は総辞職。後継・林 銑十郎内閣〔※林 銑十郎(はやし せんじゅうろう 1876−1943)〕の結城豊太郎蔵相(1877−1951)は馬場前蔵相の改革案を撤回したので、審議にも至らなかった。

日本商工会議所(JCCI)をはじめ、激しい反対運動を展開していた全国の中小・零細事業者や百貨店関係者は大喜び。《われらが蔵相・結城さん/まるで神様扱ひ》の大見出しが『東京朝日新聞』(37年2月12日付)に躍り、九段の軍人会館と京橋の有馬小学校には数千もの事業者が集まって、皇居に向かって提灯行列を繰り広げたと言う(北野弘久, 湖東京至 共著『消費税革命―ゼロパーセントへの提言 「福祉税」構想批判』こうち書房 1994年刊行、等)。

〔資料〕統帥権の独立から軍閥政治へ:浜田国松と寺内寿一の腹切り問答 - 鳥飼行博研究室
http://www.geocities.jp/torikai007/bio/terauti.html

〔資料〕日本商工会議所(JCCI) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%95%86%E5%B7%A5%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E6%89%80

〔資料〕日本商工会議所(JCCI) 役員名簿 2011年11月8日
http://www.jcci.or.jp/about/board-members.html

〔資料〕北野弘久, 湖東京至 共著『消費税革命―ゼロパーセントへの提言 「福祉税」構想批判』(こうち書房 1994年刊行)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A8%8E%E9%9D%A9%E5%91%BD%E2%80%95%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8F%90%E8%A8%80-%E3%80%8C%E7%A6%8F%E7%A5%89%E7%A8%8E%E3%80%8D%E6%A7%8B%E6%83%B3%E6%89%B9%E5%88%A4-%E5%8C%97%E9%87%8E-%E5%BC%98%E4%B9%85/dp/4876472424


■日本の消費税のモデルはEC型付加価値税

現代の日本の消費税は、いわゆるEC方付加価値税(VAT=Value-Added Tax)をモデルにしている。以上のような、カスケード税を基本とする大型間接税の歴史を経た後の、1954年のフランスに生れた税制だ。「付加価値税」(仏語では Taxe sur la Valeur Ajoutée=TVA)の名称も基本的な税体系もこの年に確立されたのだが、理解する為には、そこに至る経緯も合わせて知っておかなければならない。

ドイツ帝国を真似た大型間接税は、フランスでも第1次世界大戦中から実施されていた。やがて1936年12月、それまでのカスケード税を製造段階(メーカーの売上げ)だけに課税する「生産税」へとへと組み替え、第2次世界大戦後の46年には税率を6%から10%に引き上げたところ、脱税が横行した。

そこで48年9月、原材料の納入業者にも課税し、メーカーは売り上げに課せられる税額から納入業者が負担した税額を控除する「分割納付制」(Paiements Fractionnées)という仕組みが導入された。これが仕入れ税額控除の原点であり、付加価値税としての大型間接税の端緒である。

この制度はメーカーの不公平感を薄めると共に、控除を受ける事業者に個々の取引内容の申告を求めるので脱税の防止にもなったとされるが、と同時に、後に日本の消費税が抱えることになる問題のルーツにもなっていた。

分割納付制には、消費税で言う輸出戻し税と同様の制度が伴う。一方では仕入れ税額控除のような仕組みには避けられない、取引先との力関係次第で税の負担割合が左右されてしまう、生産税の時代とは逆の不公正が顕(あらわ)れた。

すると、どうなるか。第3章の当該頁と同じ説明を重ねざるを得ないのだ。

輸出企業には彼らが仕入れの際に支払った(という形になっている)付加価値税分が還付されてくる。ところが力関係で優位な立場にありがちな輸出企業は、下請けメーカーや納入業者らに付加価値税分を上回る値引きを強いてくる場合が珍しくない。結果、還付金は輸出企業を大いに潤わせ、或いは輸出ビジネスに取り組もうとする企業の強烈な動機付けになっていく。

6年後の1954年、そして「生産税」は名実共に付加価値税の原形となった。原材料だけに限られていた仕入れ税額控除の対象が工場建築費や機械・工具、消耗品などの経費にも及んで拡大され、名称もずばり「付加価値税」へと改称されている。

1950年、シューマン・プラン(Schuman Plan)。51年、ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)発足。57年、EEC(欧州経済共同体)及び欧州原子力共同体(EURATOM)結成・・・・・・。

ヨーロッパが将来の統一市場に向けて歩み始めた時代だった。域内の参加国間で間接税制度が異なれば、共同市場は円滑に機能しない。EEC委員会は67年4月、フランスの付加価値税に基礎を置く大型間接税制を70年1月1日迄に整備するよう各国に指令する。

同年7月にはEEC、ECSC、EURATOMの執行及び決定機関を合併する融合条約が発効してEC(欧州共同体)が誕生。多少のずれ込みがあったものの、73年11月には足並みが揃い、かくてEC型付加価値税が完成したのである。

フランスの付加価値税がEECの共通税制になっていく過程に関するここまでの記述は、北野・湖東の前掲書『消費税革命―ゼロパーセントへの提言 「福祉税」構想批判』と湖東「仕入税額控除制度の廃止は可能か」(『税制研究』2009年2月号所収)、ジョルジュ・エグレ Georges Egret『付加価値税』(荒木和夫 翻訳、白水社 1985年刊行)と尾崎 護『G7の税制―税制の国際的潮流はどうなっているのか』(ダイヤモンド社 1993年刊行)などに依拠した。

フランス政府の徴税部門で要職を務めたエグレ Georges Egret(−)が次のように指摘していた事実が特に重い。

《実際には、調整税(輸出戻し税のこと)は、平均率という口実の下で、往々にして、“輸出に対する助成金または輸出関税に相当する税の側面を持っていた。このようにして、或る隣国は、自動車について、それがとりわけ統合された産業であるというのに、あたかもその車に組み込まれている全ての部品が既に二度、三度の取引を経ているかのようにして調整税を算定したのであった》

EECの指令が発動される以前の状況を描写した一節だ。事の善悪を措(お)く限り、戦禍からの1日も早い復興を図っていた当時のEEC加盟各国が、フランス式の付加価値税を輸出の復興にフル活用していた実態を物語って余りある秘史ではなかろうか。


■GATTと付加価値税と輸出振興と

EC型付加価値税もまた、事実上の輸出補助金としての機能を発揮していた。関東学院大学の元教授で税理士の湖東京至氏(ことう きょうじ 1937−)は、次のように断言している。

《何故、輸出販売に還付税制度が設けられたのだろうか。その背景には、1948年1月に締結されたガット協定がある。

ガットは自由、平等、国際協調をスローガンとし、国際貿易の発展を図るため関税や輸入制限、その他貿易上の障害を撤廃することを目的として設立されている。そのためガット協定は、その国の政府が輸出企業に対し補助金を交付することを厳しく禁じている。

フランス政府もそれまで輸出大企業に交付していた輸出補助金の交付を停止せざるを得なくなった。そこで考え出されたのが輸出大企業に国内で負担したとされる間接税分を還付する仕組みである》

(前掲「仕入税額控除制度の廃止は可能か」)

ガットとは言うまでもなくGATT〔※関税及び貿易に関する一般協定 General Agreement on Tariffs and Trade(GATT)〕のことだ。自由貿易の促進を目指したブレトン・ウッズ体制の下、IMF(国際通貨基金)やIBRD(国際復興開発銀行=世界銀行)〔※1960年に設立された国際開発協会(IDA)のほうは第二世界銀行とも呼ばれる〕に続いて発効した多国間条約である。

1948年のジュネーヴ・ラウンド(多角的貿易交渉)では23カ国だった締結国が、ラウンドを重ねる度に増えていき、86年に始まったウルグアイ・ラウンドでは125カ国に達した。このGATTが発展的に解消し、95年1月、国際連合の正式な専門機関としてWTO〔※世界貿易機関 World Trade Organization(WTO)〕が発足して現在に至っている。

《輸出企業に対し税金を還付することは実質的には輸出補助金に該当し、ガット協定に違反するはずである。それを「ガット協定に違反しないように、国内で負担した間接税の還付である」と主張する為、原材料納入業者に彼らが納付した税額を証明する請求書(インボイス)を発行させたのである。

1948年9月に分割納付制=仕入税額控除方式を制定した当時のフランスの大蔵大臣はモーリス・ローレ Maurice Lauré(1917−2001)であるが、彼は1943年に既にカール・S・シャウプ博士 Carl Sumner Shoup(1902−2000)が発表していた「附加価値税」が直接税に区分され、輸出戻し税制度がないことについて批判的であった。

そこでシャウプの考えた「附加価値税」を間接税に置き換え、輸出戻し税制度を確保する方策を捻出したのである。(中略)

以上に見たように、仕入税額控除方式はガット協定に違反せずに輸出補助金を確保する為に導入されたものである。すなわち、仕入税額控除方式導入の動機は極めて不純なものであると言ってよい》

(同前)

税の専門家が膨大な文献を読み込み、現地調査も踏まえて下した結論だ。消費税の導入から20年余りの歳月が経過し、定着したと言われている割にはこの税制の本質に迫る議論が極端に乏しい現状で、しかも素人に過ぎない私には、湖東税理士の分析を客観的に裏付ける知識も能力も欠落している。

だが、少なくとも結果として、EC型付加価値税には彼の強調するような側面があり、これをモデルにした日本の消費税にもそのまま受け継がれていることだけは間違いない。

だからヨーロッパでは以前から、日本でも近年は、輸出企業がより多くの還付金を得るノウハウが注目されているし、独自のビジネス化も進んでいる。例えばフランスで創業されたコスト戦略を専門とする某コンサルティング・ファームの日本法人は、「VAT(付加価値税)還付の手続き・コンサルティング」を主要業務の1つに掲げていた。

《Optimize:還付金額の最大化

経験豊かなオーディターによる監査により、出来るだけ多くの還付可能なインボイス(領収書)を抽出します。加えて申請書類提出後の税務当局からの質問などに対して的確・迅速に回答することにより、還付金額の最大化と短期間での還付を狙います。(中略)

Outsource:世界規模のリソース補完

当社(原文では社名)は世界16カ国18拠点にオフィスを構え、多言語に通じる200名以上の付加価値税専門スタッフが貴社の還付申請・税務申告を強力に支援します。煩雑かつ専門的な付加価値税業務をアウトソースすることにより、貴社は貴社のコアビジネスに集中頂くことが出来、その結果貴社の投資効率を一段と高めることが出来ます》

(同社HPより)


(6頁へ続く)  

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