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今こそ五・一五事件を問い直す   なぜ「青年」たちは決起したのか (月刊日本) 
http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/226.html
投稿者 大塩 日時 2012 年 5 月 15 日 21:03:19: .cSQld2Pk8LuA
 

80年前の今日、五・一五事件が起こった。自殺者や餓死者の増えている現在の状況は、当時の日本社会と極めて類似している。今こそ五・一五事件を見直さなければならない。

『月刊日本』5月号より
http://gekkan-nippon.com/?p=3734


五・一五事件より80年を迎える今日、我々は彼らが命を賭して提起した問いかけに、真剣に答えなければならない時期に来ている。

なぜ「青年」だったのか
 五・一五事件は「青年」によって決行された維新運動であった。青年将校・三上卓たちが首相官邸を襲撃して犬養毅を殺害し、橘孝三郎率いる愛郷塾の農村青年たちが変電所を襲って東京の停電を図った。
 事件の数年前に三上卓が「青年日本の歌」を創作したことからもわかるように、彼らは「青年」を自任し、「青年日本」を理想としていた。
 なぜ、それは「壮年」でも「老年」でもなく「青年」だったのか。「青年」とはいったい何を意味するのか。そこに、五・一五事件を読み解くためのカギがある。
 明治以来、日本の総人口は増加の一途をたどり、昭和時代に入ると六千万人を突破した。合計特殊出生率は5・0と高い値を示し、新生児や乳幼児の死亡数も低下したため、若年層が急増していた。
 人口の増加は社会的競争の激化を招く。特に、三上たちの属していた海軍は、ワシントン条約により戦艦などが制限されたため、海軍兵学校の合格数が削減され、競争はさらに激しいものとなっていた。彼らは軍縮の申し子だったのである(福田和也『昭和天皇』)。
 厳しい競争を勝ち抜いた若き軍人たちは熱気を帯びていた。彼らは国を変えなければならないという強い使命感を持っていた。
 当時、日本経済は世界恐慌のあおりをうけ、生糸などが暴落したため、農民の生活は窮乏を極めていた。重い小作料に苦しむ農村では、娘の身売りが日常的なものとなった。それにもかかわらず、政治家たちは不毛な権力闘争に明け暮れ、財閥や軍部と癒着して私利私欲にまみれていた。
 若き軍人たちは、そうした政治家や財閥、軍人が自分たちの上に居座っていることに強い不満を覚えた。実際、三上は教えを乞うために軍の上官のもとを訪れたが、何一つ教えられるところがなかったため、憤りの余り自殺し損なったこともあるという(花房東洋『「青年日本の歌」と三上卓』)。
 「青年」たちの熱気は、あたかもビン内の空気の膨張がそのフタを飛ばすがごとく、上の世代へと向けられた。殺害された犬養毅が76歳と高齢であったのは象徴的である。
 このように、五・一五事件には世代間闘争という側面があった。しかし、それで終わるならば古今東西を問わずよくある話である。もう一歩事件の本質へと踏み込む必要がある。


農民たちの五・一五事件
 五・一五事件には農民決死隊と呼ばれる人々も参加していた。彼らは橘孝三郎が主宰する愛郷塾のメンバーであった。愛郷塾では、農業の重要性や、農村がいかに都市から搾取されてきたかが説かれていた。
 資本主義に毒された都市を否定する橘たちは、兄弟村農場と呼ばれる農村共同体で生活していた。それは一種のコミューンであり、そこでは自給自足に近い生活が追求されていた。そして、農業の傍ら、愛郷塾で「青年」教育を行っていたのである。
 農村の現実を知るにつけ、橘たちの怒りは大きくなっていった。世界恐慌の影響により壊滅的打撃を受けたにもかかわらず、農村は都市よりも多額の税負担を強いられている。しかも、都会人たちは、農村の犠牲の下に都市の発展があることを顧みようともしない。これは、TPPで農業が壊滅すると説いても、まるで他人事のように振舞う今日の都会人たちと同様である。
 五・一五事件において橘たちが変電所を狙ったのは、電気がないだけで機能不全に陥るほど都市が脆く、貧弱な存在であることを思い知らせるためであった。そうすれば、電気もガス灯すらない暗闇の中で、農民たちがどれほどたくましく生きているかもわかるに違いない。
 原発事故の影響により東京電力が計画停電を実施したことに対する批判をよく耳にするが、現代人たちが当たり前のように電気に頼ってきたという事実そのものも顧みる必要があるのではないか。橘の行動がそのことを教えてくれている。


近代の超克としての五・一五事件
 橘が愛郷塾を通して目指したものは社稷の復活であった。これは権藤成卿による影響が大きい。権藤の『自治民範』は、五・一五事件の関係者たちの間でも広く読まれていた。
 社稷は古代中国に起源を持ち、「社」は土地の神を、「稷」は穀物の神を意味する。つまり、社稷とは、土地に住み、穀物を食べて生活する人々の祭祀共同体のことである。
 権藤たちは、この祭祀共同体に基づく民衆の自治こそが日本の国体であると考えた。しかし、この社稷は国家と資本主義によって蹂躙され、抑圧されている。それが現在の農村の荒廃を招いたのだ。
 この抑圧を払いのけて初めて、社稷は正常に機能することができる。それゆえ、五・一五事件に先だつ血盟団事件では資本主義の象徴である三井財閥の団琢磨を、五・一五事件では国家の象徴である犬養毅を標的としたのである。
 もっとも、これらは破壊や無秩序を目的とするアナキズムとは本質的に異なる。なぜなら、社稷を覆っている暗雲の上には、司祭である天皇がいるからだ。そこには天皇という秩序が存在するのである。そして、この暗雲を取り払うことで天皇と象徴的に直結することができる(絓秀実『反原発の思想史』)。これこそが彼らの目的であった。天皇アナキズムと言われる所以である。
 実際、彼らは決して権力を奪取しようとしなかった。国家権力に属する人間として行動しないために、武器や資金も民間から調達していた。また、二・二六事件とは異なり軍隊を動かすこともなかった。天皇の軍隊を私兵化することを避けたのである。
 このように、彼らの行動は国家や資本の論理を超越していた。それゆえ、五・一五事件には、京都学派が提唱した「近代の超克」としての側面もあったと言えよう。
 近代の超克とは、西洋に由来する資本主義や合理主義、近代国家などを超克しようとする思想である。しかし、それは資本や国家の存在しない社会を現実に構築しようとする共産主義とは異なる。そのようなことは不可能である。実際、レーニンたちはそれを試みたが、結局権力を奪取するという国家の論理に絡みとられた。そうではなく、資本や国家の論理に囚われない行動それ自体を近代の超克と言うのである。それは実践の問題なのである。
 ここに至れば、なぜ決起したのが「青年」たちであったかが明らかとなる。彼らは年齢が若かったことや農村出身であったことも幸いし、資本や近代国家の論理に染まっていなかった、あるいはそれを拒否したからである。
 逆に言えば、資本や国家の論理に囚われない人間のことを「青年」と呼ぶべきであり、年齢を問題とすべきではなかろう。60代、70代の「青年」がいてしかるべきである。(以下略)


本稿は編集部の許可を得て投稿しています。
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コメント
 
01. 2012年5月15日 21:18:23 : FijhpXM9AU
5.15も2.26もアガサ・クリスティの「ABC殺人事件」と同じような陽動暗殺事件だったんじゃないだろか。表向きの大義とは全然別な動機で特定の優れた人材(高橋是清等)を消すことがホントの目的だったんじゃないだろか。当時の「青年将校」は軍部の高官に扇動されたことになってるが、その高官を裏で操作した連中は日本人ではなかったはずだ。多分ウォール街(つまり究極的にはシティ)が指令の発信地だっただろう。

02. 2012年5月15日 22:24:10 : t3OuS3nAYI
>彼らは橘孝三郎が主宰する愛郷塾のメンバーであった。

橘孝三郎関連で

後北条氏の臣下風魔(本姓:風間)氏、江戸の盗賊、香具師、水戸藩隠密、風見章、橘孝三郎、立花隆 など
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/548.html


03. 2012年5月16日 01:41:38 : KfwhEQtcHQ

橘孝三郎
小汚い財界の犬である。

児玉誉士夫は言うまでもなく、岸信介、笹川良一らとともに、A級戦犯容疑者でありながら米国の言いなりに働くからという条件で無罪放免された米国の工作員で、日本最初の民放・読売(日本放送)設立に向け、日本国民を洗脳するためということで、米国CIAの全面支援を取り付けるため奔走した人物である。
その児玉誉士夫と共に最高顧問には三浦義一、井上日召、橘孝三郎がなっていた。
言うまでもない日米安保詐欺同盟成立に反対する国民を襲うために1959年(昭和34年)4月19日に設立された右翼団体全日本愛国者団体会議である。
議長団には佐郷屋嘉昭(日本同盟)、小崎金蔵(日本同盟)、高橋正義(日乃丸青年隊)、西山幸輝(昭和維新連盟)、荻島峯五郎(暴力団日本国粋会前川一家総長。愛国青年連盟)が選ばれた。
http://esashib.web.infoseek.co.jp/isiikoki09.htm
元保安庁(防衛庁の前身)長官だった木村篤太郎で、彼は昭和十八、九年ごろ、左翼勢力に太刀打ちするために、全国のヤクザ、テキヤを国粋会の傘下におさめこれを右翼と称した。
 安保闘争の時、このヤクザ右翼は大いに活動して、デモ隊の向こうを張った。
戦前からの右翼には、動員カはほとんどない。ヤクザ右翼にはナニワブシはあっても理論はないが、全国にかけてのその組織的動員力は、無視できない。
 ともかく、単なるヤクザを、右翼というもっともらしいものにつくりあげたのが有力政治家なのだから恐れいる。
それほどの規模のものではないとしても、山本宣冶代議士を計画的に刺殺した七生義団がうまれたいきさつを見ると、同工異曲のものが感じられる。

5・15事件とは、天皇親政の下、国家改革を口実に日本皇軍の利権拡張を目指しイカレタ厨房将校らが首相官邸などに政府要人を襲撃したむごたらしい殺人事件である。
「昭和維新の断行」を叫びながら全国民の命と資産を軍事殺戮によって根こそぎ奪い取ろうとした組織的な「強盗」殺人事件であった。
日本は「無制限に拡大する軍拡泥棒皇軍」のために農村部などの経済的惨状は目を覆うものがあった。
今の自衛隊と同じように国民の血税だけが目当ての財界の犬であった。
国民の困窮と疲弊をよそに日本皇軍は、跳ね上がりの「厨房将校強盗殺人事件」を利用し無制限の暴力装置を奮(ふる)って徹底的な利権拡大に突っ走り始めたのである。巧妙に踊らされた厨房将校たちの殺人事件は徹底的に軍部利権の拡張に利用された。
日本皇軍という利権集団の資産拡大のために、洗脳され、利用され、殺された日本国民は実に310万人であった。日本の歴史上、これほどの破廉恥暴力集団が登場したことはなかった。
国民の人生と資産の全てが日本皇軍という狂気の利権公務員集団に強奪されたのである。
226事件
軍部と財界に利用され尽くしたチンピラ将校磯部浅一は、獄中日記に「天皇陛下、何という御失政でありますか、何というザマです。」
と呪詛の言葉を残して処刑された。
http://blog.goo.ne.jp/fugimi63119/e/29ccca663b23645d9044876e57310274

橘孝三郎と血税強奪の憲法改悪と「陸上幕僚長」「航空集団司令官」「西部航空方面隊司令官」「呉地方総監」「第一師団長」などそうそうたる幹部の三菱顧問室
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031915_01_1.html
2月24日に閣議決定された答弁書によると、
「陸上幕僚長」「航空集団司令官」「西部航空方面隊司令官」「呉地方総監」「第一師団長」などそうそうたる幹部がPAC3のライセンス製造の軍事財閥三菱の「顧問」として天下りしていることが分かった。
「自衛隊装備本部会計課会計管理官」が、「嘱託」として三菱電機に天下り、
「官庁の契約制度に関する指導」にあたっていた。
国民をコケにした信じられないような血税泥棒振りである。
今回の自衛隊による沖縄侵攻・究極のインチキ兵器PAC3配備は、将来のMD軍拡20兆円に群がる自衛隊・財界・マスコミによる一大猿芝居であった。
http://esashib.web.infoseek.co.jp/tohokuzisin01.htm



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