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Re: 2012.6.21.14:30知りたがり伊藤アナ:伊藤淳夫の政局読みの的中率の検証して使っているのか??!!
http://www.asyura2.com/12/senkyo131/msg/716.html
投稿者 アサマタロー 日時 2012 年 6 月 21 日 15:04:55: UiY46YlCu.Moc
 

(回答先: 2012.6.20.14:50知りたがり伊藤アナ:三党合意が重かったなら政権交代選挙公約はより軽いのか??!! 投稿者 アサマタロー 日時 2012 年 6 月 20 日 19:25:21)

国会審議もろくにしないで問題点は無いのか!本当に国会無視軽視の密室の3党合意で消費増税が決まるのか!!!

決して増税させはしないが、国民のエネルギーをこんな馬鹿馬鹿しい野田劇場で潰して良いのか!!震災復旧復興は済んだのか??
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財務省は庶民が死んでも平気は平安貴族の気分なのだ!欧米に貢いで権力を振いたいのだ。

今日も玄葉が30億ドル約束していたが、国民から搾取し、海外に貢ぐ!!国民の血税をこんなアホにばら撒かれて国民は平気なのか!!金を見せないと感謝も拍手も無いのか!!

お前らヘブライ渡来人の子孫で同族のユダヤ金融貴族が世界恐慌でヤバいから征服した日本被支配者から大衆消費増税で略奪し、ユダヤ同胞にばら撒きたいのか!!やりたいなら資産課税・相続課税で金持ちから出させてくれ!!!
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小沢が言ったと言う『国民への背信行為になる!』当然だろう!!それが政治家の良心だ。政治家や政治評論家を志して、いつから国民を出汁にして国民を搾取する特権階級の走狗になったのか??

この伊藤淳夫も小人160cm?【伊藤アナ176cm比較】だった。

小醜男が威張っているのが芸能界?政治評論家業界?芸も能も無いのに良く言うよ!!
背も低いが声もボソボソ小さい。やましい事を言っていると思われる!!姑息な証拠。信念があるなら大声で言え!!本当にムカツク人相だ!!

 

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コメント
 
01. 2012年6月21日 15:12:12 : opuSlfFAh2
大王四神記再放送が終わり、これからは知りたがり伊藤アナを見るよ!
朝の10時は流れで良く見たが、14時になり大王で見れなかった。
うっぷん晴らしで徹底批判しそうで自分が怖い?!

02. 2012年6月21日 19:14:03 : opuSlfFAh2
初めて民主党のウイキペディアを見ても伊藤淳夫事務局長のいの字もない。隠れ自民の回し者だろう。小沢に縁もゆかりも無いが、民主党を政権交代させたのは小沢だろう。それ以外は考えられない。そして、日本人は判官贔屓と言うか、正論吐く者を応援したい。検察・司法も可笑しい。出鱈目だった。徹底的に日本の膿を出そう。
これが日本の本当の民主市民革命なのだ!!!
小沢頑張れ!!

池田勇人と田中角栄は日本人の大半が支持した。そんな総理を小沢に望みたい。本当に腐った日本を洗濯して下さい。我慢の限界です。政治も法律も経済も全て狂っている日本だ。世界の常識に日本の非常識を正して貰いたい。局長以上は一旦辞表を出さそう!!それを鳩山がしなかった事が反動クーデターを誘った。


03. 2012年6月22日 00:10:26 : opuSlfFAh2
伊藤淳夫が事務局長時代は万年野党だった。彼が辞めてから民主党が政権選択選挙で政権交代可能となった!彼は隠れ自民と見られ、解雇されたから恨んだ遺恨発言ではないか!日の当たる小沢への恨み辛みの発言か?

小沢が絡むと理屈も理念もお構いなしに、小沢憎しなの??どんな恨みが有るのか?
本音を聞いてみたい!!


04. 2012年6月22日 20:04:13 : opuSlfFAh2
【小手川 大助】
元IMF日本代表理事
プロフィール
研究分野
BRICsや東南アジアを中心とする諸国についての社会経済分析ならびにネットワーク構築
コラム
2012.05.15現在の経済危機について(5):欧州経済バブルが生じた背景
2012.04.03現在の経済危機について(4):財政緊縮策の誤り
2012.03.13現在の経済危機について(3):米国の金融危機対応の失敗
2012.01.25現在の経済危機について(2):リーマンショック後の世界的な経済危機発生の原因
2011.12.12現在の経済危機について(1):10月27日未明発表のEU首脳会議の債務金融危機の包括戦略
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開催報告
2012.02.06CIGSセミナー「Recent Development of the Thai economy - Opportunities and Challenges」開催報告
2012.02.02CIGSセミナー「ロシア経済の現状と欧州経済の危機」開催報告
小手川 大助 その他の開催報告をもっと見る
プロフィール
学歴
1975年東京大学法学部卒業
1979年スタンフォード大学大学院経営学修士(MBA)
職歴
1975年大蔵省入省(大臣官房)
1984年世界銀行シニアファイナンシャルエコノミスト
1991年山形県総務部長
1994年大蔵省国際租税課長(1995年 OECD租税委員会副議長)
1996年大蔵省証券局業務課長
1998年金融監督庁監督総括課長
1999年金融監督庁金融監督局参事官
2000年財務省主税局総務課長
2001年財務省大臣官房政策評価官
2002年産業再生機構設立準備室次長
2003年財務省大臣官房審議官(大臣官房、国際局担当)
2005年関東財務局長
2006年理財局次長
2007年IMF理事
2010年財務省退職
2011年2月 - 現在キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹
経歴
 小手川大助氏は2007年7月から2010年8月までIMF日本代表理事。理事としてIMF史上最大規模の予算と人員の削減を行ったほか、世界金融危機に対処するためのIMFの諸々の新規措置の承認に携わった。特に、IMFの資金の増強のための新規借入取極め(NAB)の最終会合の議長を勤めて6000億ドルの資金増強の合意に導いた。1990年代の後半から氏は日本の金融危機の対応を担当してきている。1997年に大蔵省証券局の課長として、三洋証券、山一證券の整理を担当。1998年には金融監督庁の課長として長期信用銀行、日本債券信用銀行の公的管理を担当。2001年に日本政策投資銀行の再生ファンドの設立、2003年には産業再生機構の設立を行った。このほか、日本の地位を5位から2位に押し上げた世界銀行の増資交渉(1983-84)、円ドル委員会(1984年)、構造改革協議(1990年)、WTOの金融サービス交渉(1993年。相手方は、サマーズ、ガイトナー)、日米包括協議(1993-94年)、OECDの移転価格税制ガイドラインの設定(1995年)等の数多くの国際交渉を担当したほか、OECD租税委員会の副議長として、ブラックリストの設立に至ったOECDの「税の競争」委員会を設立に携わった。氏はこのほか大蔵省の大臣官房、主計局(外務省、経済協力担当)、主税局、理財局、国際局の要職を歴任している。
 大蔵省以外では、世界銀行シニアエコノミスト(第2世銀増資交渉と新金融商品の開発担当)、山形県総務部長を務めた。最近氏はハーバード大学ビジネススクール、アメリカン大学、ヴァンダービルト大学、カリフォルニア大学サンディエゴ校、モスクワの国立経済高等学院、サンクトペテルブルグ国際経済フォーラム、北京大学長江ビジネススクール、リークアンユービジネススクール、上海国際経済フォーラム、アジアイノベーションイニシアチブや環球国際シンポジウムに講師やパネリストとして招かれている。
 九州大分県の臼杵市出身で東京大学の学生時代には訪日したソ連の芸術家のロシア語通訳として働いたほか、ガイドとして1970年代のソ連に3回渡航した経験を有する。日本語、英語に堪能なほか、ロシア語、ドイツ語にも造詣が深い。
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野上 弥生子(のがみ やえこ、本名:野上 ヤヱ(のがみ やゑ)、===============旧姓小手川、1885年(明治18年)5月6日 - 1985年(昭和60年)3月30日) は、日本の小説家。大分県臼杵市生まれ。=============
目次 [非表示] 
1 人物2 受賞歴3 著書3.1 翻訳4 参考文献5 外部リンク人物 [編集]

フンドーキン醤油の創業家に生まれる。14歳の時に上京し、明治女学校に入学。夏目漱石門下の野上豊一郎と結婚する。『ホトトギス』に『縁』を掲載して作家デビュー。以来、死去するまで現役の作家として活躍する。法政大学女子高等学校名誉校長も務め、「女性である前にまず人間であれ」の言を残す。
昭和初年のプロレタリア文学が流行した時代には、社会進歩のための活動の中にあった非人間的な行動を追及した『真知子』を発表する一方で、思想と行動について悩む青年に焦点をあてた『若い息子』『哀しき少年』などを書き、また日本が戦争へ傾斜していく時期には、時流を批判した『黒い行列』(戦後、大幅に加筆して長編『迷路』に発展させる)と、良識ある知識階級の立場からの批判的リアリズムの文学を多く生み出した。中条(宮本)百合子や湯浅芳子とも交友を持ち、『真知子』は、百合子の『伸子』を意識して書いた作品であるといわれ、1920年代の女性の生き方を描いた作品として日本文学に大きな位置を占めている。第二次世界大戦が勃発した時期にはちょうど夫とともにヨーロッパに滞在しており、その前後の紀行文『欧米の旅』(現在は岩波文庫全3巻)は、この時期の激動の証言としての価値も高い。
戦後は宮本百合子が中心人物であった新日本文学会に賛助会員として加わったが、まもなく辞退している。しかし、百合子との交友は続き、1951年に百合子が亡くなったあとも、命日には宮本家に花を贈ることを恒例としていた。宮本側からも、1950年に亡くなった豊一郎の命日には、毎年花が贈られてきたという。
戦後も知識人の生き方を問う作品は多く、戦時下には書けなかった『黒い行列』の続編『迷路』で、敗戦までの日本の知識層のさまざまな生き方を重層的に描き、その後は秀吉という政治的人間と芸術的人間・利休の葛藤を描いた『秀吉と利休』を発表した。最晩年には、自らの少女時代の周辺のひとびとから材料をとった『森』を執筆していたが、後数章を残し完結には至らず、それが絶筆となった。また、『迷路』が完結した後に舞台となった中国を訪問し、延安まで足を伸ばすなど、行動力も旺盛であった。
野上弥生子文学記念館(大分県臼杵市)

軽井沢高原文庫に移築された野上弥生子の書斎兼茶室
臼杵市に生家の一部を改装した記念館がある。軽井沢町の軽井沢高原文庫には、春から秋にかけて過ごしていた北軽井沢の山荘の離れ(書斎兼茶室)が移築されている。
イタリア文学者の野上素一は長男、物理学者の野上茂吉郎は次男、哲学者の長谷川三千子は三男の娘である。高野岩三郎、穂積陳重らは遠戚。
1985年3月30日、老衰のため死去。99歳没。戒名は天寿院翰林文秀大姉。墓所は鎌倉の東慶寺。亡くなる直前までの日記が全集に入っている。
受賞歴 [編集]
1948年 - 日本芸術院会員
1957年 - 『迷路』で第9回読売文学賞
1964年 - 『秀吉と利休』で第3回女流文学賞
1965年 - 文化功労者
1971年 - 文化勲章
1981年 - 第51回朝日賞
1986年 - 『森』で日本文学大賞
著書 [編集]
人形の望 愛子叢書 第5編 実業之日本社、1914
新しき命 岩波書店 1916 のち角川文庫
海神丸 春陽堂 1922(ヴエストポケツト傑作叢書 のち岩波文庫、角川文庫
小説六つ 改造社 1922
人間創造 岩波書店 1926
大石良雄 岩波文庫 1928
小さき生きもの 岩波書店 1928
真知子 鉄塔書院 1931 のち角川文庫、岩波文庫、新潮文庫
入学試験お伴の記 小山書店 1933
若き友への手紙 子供の研究と教育叢書 第8 刀江書院 1936
妖精圏 中央公論社 1936
秋風帖 相模書房 1937
虹の花 中央公論社 1937
お話 小さき人たちへ 岩波書店 1940
藤 甲鳥書林 1941
朝鮮台湾海南諸港 野上豊一郎共著 拓南社 1942
山姥 中央公論社 1942
お能の物語 小学館 1943 (少国民日本文学)
欧米の旅 岩波書店 1942-1943 のち文庫
山荘記 正続 生活社 1945-1946 (日本叢書)
草分 小山書店 1947
山彦 生活社 1947
迷路 第1-2部 岩波書店 1948 のち文庫、角川文庫
鍵 実業之日本社 1948
おばあさんと子ブタ 中央公論社 1949 (ともだち文庫)
野上弥生子選集 全7巻 中央公論社 1949-1952
迷路 第3-4部 岩波書店 1952 のち文庫
若き姉妹よいかに生くべきか 岩波書店 1953 (岩波婦人叢書)
政治への開眼 若き世代の友へ 和光社 1953
迷路 第5部 岩波書店 1954
若き女性と語る 1955 (角川新書)
お能・狂言物語 日本少年少女古典文学全集 弘文堂 1956
迷路 第6部 岩波書店 1956
私の中国旅行 1959 (岩波新書)
秀吉と利休 中央公論社 1964 のち新潮文庫、中公文庫
鬼女山房記 岩波書店 1964
哀しき少年 偕成社 1966 (ジュニア版日本文学名作選)
笛・鈴蘭 岩波書店 1966
一隅の記 随筆 新潮社 1968
花 随筆集 新潮社 1977.10 のち文庫
若い息子 1978.1 (新日本文庫)
野上弥生子全集 全23巻別巻3 岩波書店 1980-1982
野上弥生子日記 震災前後 岩波書店 1984.5
森 新潮社 1985.11 のち文庫
野上弥生子全集 第2期 第29巻 岩波書店 1986-1991
山荘往来 野上豊一郎・野上弥生子往復書簡 岩波書店 1995.7
野上弥生子随筆集 竹西寛子編 1995.6 (岩波文庫)
野上彌生子全小説 全15巻 岩波書店 1997-1998
野上弥生子短篇集 1998.4 (岩波文庫)
田辺元・野上弥生子往復書簡 岩波書店 2002.10
翻訳 [編集]
伝説の時代 (トマス・ブルフィンチ、尚文堂、1913 のち岩波文庫、さらに『ギリシア・ローマ神話 付 インド・北欧神話』に改題)岩波少年文庫
『The Age of Fable』の翻訳。日本で最初のギリシア・ローマ神話集。序文は夏目漱石。1953年に完訳し上下巻に改版。1978年に改題し全1巻に改版。
中世騎士物語 (トマス・ブルフィンチ、1942年、岩波文庫)
『The Age of Chivalry』の翻訳。日本では最も古い部類に入るアーサー王物語集。
ハイヂ ヨハンナ・スピリイ 世界少年文学名作集 第8巻 家庭読物刊行会 1920 「アルプスの山の娘」岩波文庫
ゲスタ・ベルリング セルマ・ラゲルレェフ 世界少年文学名作集 第16巻 家庭読物刊行会 1921
ソーニャ・コヴァレフスカヤ 自伝と追想 岩波書店、1924 のち文庫
沙翁物語 チヤールズ・ラム、メアリ・ラム 岩波文庫、1932 「シェイクスピア物語」岩波少年文庫
美しき世界 エレナ・ポオタア 中央公論社 1940
コルネリの幸福 ヨハンナ・スピリ 愛宕書房 1946 のち角川文庫
うさぎの丘 ロバート・ローソン 小峰書店 1950
うさぎのラバット ロバート・ローソン 小峰書店 1950
黒い灯 イルムガルト・リッテン 和光社 1954
参考文献 [編集]
『新潮日本文学アルバム32 野上弥生子』新潮社、1986年
狭間久『野上弥生子の道』大分合同新聞社、1987年
渡邊澄子『野上弥生子 人と文学』(日本の作家100人)勉誠出版、2007年
稲垣信子『「野上彌生子日記」を読む』上下 明治書院、 2003年
同『「野上弥生子日記」を読む 完結編』上中下 明治書院 2008年
外部リンク [編集]
野上弥生子逸話
野上弥生子文学記念館:臼杵市観光情報協会のページ
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小手川の叔母さん?でしたか!お父さんの姉さん?
酒屋でなく醤油屋でしたか。教えてくれたゼミ友も醤油より酒屋が池田勇人で有名だったから。もっと発言出来ませんか!!!!!日本人が爆発し、分裂しそう。
これを見たTV局は彼をコメンテーターに呼べ!!その辺の馬鹿どもより素晴らしい。天才?本当の秀才?聞きたい。財界の御用学者はダメだよ!!
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勝は早稲田法卒から東大法学部3年に横口学士入学だった!!野田の正真正銘の先輩だ!
だから、直勝内閣なんだ!!!痩せたソクラテスでなく、闘争家なのか!!私は1970.4〜71.2に早稲田授業全出席だが、ゲバ学生がパイプ持って走っていた。1文講堂の入学式にも乱入して来た。肝も据わったろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【勝 栄二郎】(かつ えいじろう、1950年(昭和25年)6月19日[1] - )は日本の財務官僚。財務事務次官。埼玉県出身。
目次 [非表示]
1 略歴2 人物3 エピソード4 脚注略歴 [編集]

1973年(昭和48年)3月 - 早稲田大学法学部卒業
1973年(昭和48年)4月 - 東京大学法学部学士入学[2]
1975年(昭和50年)3月 - 東京大学法学部卒業
1975年(昭和50年)4月 - 大蔵省入省
1995年(平成7年) - 国際金融局為替資金課長
1997年(平成9年) - 主計局主計官
2000年(平成14年) - 財務省大臣官房文書課長
2002年(平成16年) - 主計局次長
2006年(平成20年)7月 - 大臣官房総括審議官
2007年(平成19年)7月 - 理財局長
2008年(平成20年)7月 - 大臣官房長
2009年(平成21年)7月 - 主計局長
2010年(平成22年)7月 - 財務事務次官
人物 [編集]

獨協高校卒業後、1969年度の東京大学の入学試験が中止となったため早稲田大学に入学した。「十年に一人の大物次官」「最後の大物次官」「影の総理」と呼ばれ、消費税増税に驀進する財務省にとっては切り札的存在といわれている。野田佳彦が総理大臣の座につくことができたのも勝ら財務官僚が増税推進派の野田を総理にすべく工作をしたとされ、野田は勝に組閣について相談したぐらい頼っているといわれている[3]。
一部報道によって、「野田内閣は財務省に完全に支配されており、真の総理は野田ではなくその背後にいる勝であることが、永田町と霞が関の共通認識になりつつある」と報じられたことがある[4]。たちあがれ日本の片山虎之助は2011年9月29日の参議院予算委員会で鈴木善幸内閣が田中角栄の影響下にあったことを「直角内閣」とよばれたことにならい、野田内閣を「直勝内閣」と揶揄した[5]。
エピソード [編集]

霞が関では「勝が勝海舟の曾孫」という都市伝説がながれていたが、勝は雑誌『AERA』の取材で否定している[6]。
世界銀行副総裁(欧州・中央アジア担当)の勝茂夫とは兄弟。
大蔵省への同期入省は、篠原尚之(国際通貨基金副専務理事)、小手川大助(国際通貨基金理事)など。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【勝 茂夫】(かつ しげお)は、日本の国際公務員。ナザルバエフ大学学長。
世界銀行副総裁などを歴任した。
目次 [非表示]
1 来歴1.1 生い立ち1.2 国際公務員として2 家族・親族3 系譜4 脚注5 関連項目
6 外部リンク来歴 [編集]

生い立ち [編集]
父はトーメンに勤務する商社マンであり、業務の都合により西ドイツに赴任することになった[1]。それにともない、勝も西ドイツに渡り、現地のギムナジウムに通うこととなった[1]。そのため、勝家の会話は、日本語よりもドイツ語が主として用いられていたという[1]。日本に帰国した際、日本の学校に通った経験が皆無であり、日本語にも不安があったことから、ドイツ語教育を手がけるなど西ドイツに縁のある獨協高等学校に通うことにした[1]。
高等学校卒業後は、獨協大学にて学んだ[2]。オーストリアの首都であるウィーンへの留学を経て、東京大学の大学院を修了した[2]。
国際公務員として [編集]
大学院生の頃から開発に興味を抱き、大学院を修了すると国際連合工業開発機関に勤務した[3]。国際連合工業開発機関では発展途上国の開発事業を手がけ、カリブ海の小国グレナダでは同国の計画省にて開発アドバイザーを務めた[3]。2年ほど勤務する間に、発展途上国の開発により深くかかわりたいとの思いを抱き、1979年に世界銀行に入行した[3]。世界銀行では、主として西アフリカプロジェクト局のエコノミストとして勤務し、ベナンやコートジボワールなどにも赴任した[3][4][5]。2003年、世界銀行にて、欧州・中央アジア地域を所管する副総裁に就任した[3][4]。
世界銀行副総裁を退任後は、カザフスタンに渡り、2010年に開学したナザルバエフ大学にて学長に就任した[6][7]。
家族・親族 [編集]

祖父である勝正吉は、永年に渡り医師として海軍に勤務し、海軍軍医少将にまで昇進した[8]。父である勝正一は、トーメンの常務やアマダの顧問を歴任するなど、実業家として活躍した[1]。次兄の勝栄二郎は大蔵省に入省し、財務省の官房長や事務次官などを歴任した。
祖父:勝正吉(医師) - 海軍軍医少将
父:勝正一(実業家) - トーメン常務
兄:勝栄二郎(大蔵官僚) - 財務事務次官
系譜 [編集]

茂夫の母によると「昔は勝、と書いて『すぐろ』と読ませたようです」[2]と述べたうえで、勝家は久留里城の城主であった武田真勝(のちに改姓して勝真勝)の末裔と伝えられていると説明している[8]。なお、茂夫の兄である勝栄二郎が財務省の高級幹部になるにつれ、栄二郎や茂夫らが勝安芳(勝海舟)の子孫だとする報道が流布された。しかし、それらは全て誤報とされている。茂夫の母は勝安芳との縁戚関係を否定しており[1]、勝安芳の直系の子孫もこれらの報道を否定している[9]、また、財務省広報室も、勝安芳と栄二郎の縁戚関係を否定するコメントを出している[10]。
脚注 [編集]

[ヘルプ]
^ a b c d e f 石井妙子「現代の家系――勝栄二郎――『勝海舟の子孫説』を追う」『文藝春秋』90巻9号、文藝春秋、2012年6月1日、360頁。
^ a b c 石井妙子「現代の家系――勝栄二郎――『勝海舟の子孫説』を追う」『文藝春秋』90巻9号、文藝春秋、2012年6月1日、361頁。
^ a b c d e 「勝茂夫欧州・中央アジア担当副総裁」『Japan (日本語) - 第一回 勝茂夫 欧州・中央アジア担当副総裁』世界銀行。
^ a b "Shigeo Katsu", Europe and Central Asia - Shigeo Katsu, World Bank Group.
^ 「PICコーヒーアワー『世界銀行で働く』」『Japan (日本語) - PICコーヒーアワー「世界銀行で働く」』世界銀行。
^ 「fromカザフスタン――新しい首都をデザインする」『ジャイカズワールド』36号、国際協力機構、2011年9月1日、11頁。
^ “Executive staff Shigeo Katsu Rector (President)”. Nazarbayev University. 2012年6月11日閲覧。
^ a b 石井妙子「現代の家系――勝栄二郎――『勝海舟の子孫説』を追う」『文藝春秋』90巻9号、文藝春秋、2012年6月1日、362頁。
^ 石井妙子「現代の家系――勝栄二郎――『勝海舟の子孫説』を追う」『文藝春秋』90巻9号、文藝春秋、2012年6月1日、366頁。
^ 石井妙子「現代の家系――勝栄二郎――『勝海舟の子孫説』を追う」『文藝春秋』90巻9号、文藝春秋、2012年6月1日、367頁。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用終わり〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
兄弟とも東大ブランドを学士入学・院入学で利用したもんだ。それで本当の難関東大入試に合格した者が代わりに反感や意地悪される。東京に来てそれが一番驚いた。三四郎だと思ったら、民間は大違い。

正面から入って、ドロドロ民間銀行の他大学・高卒の東大への反感で散々だった者も居る。事例:私。軟派の方が世渡りに良い様だ。

教養もやらず、公務員試験や学士入学に全精力投入?

政治の正統性や適正手続きのなんたるかも知らず、何でも有りの剛腕が同世代の早稲田経由東大で似たルート。勝をテレビに出そう!!豚息野田の陰に隠れるな!!出て来い!!


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