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石原慎太郎知事の「太陽の季節」を読んでみたら予想外に酷い内容だったについて( Mardock_09)
http://www.asyura2.com/12/senkyo141/msg/210.html
投稿者 希望の未来 日時 2012 年 12 月 15 日 19:18:30: anPo0F5T3EwEc
 

http://togetter.com/li/77227

「まずは戦うべき相手を知れ!」という精神から、新潮文庫の「太陽の季節」を読んでみました。奔放な時代だったのかもしれませんが、こういう小説を書く人がアニメ、マンガを規制するなんてちゃんちゃらおかしいよね、という所感です。/恐らく誰もまとめてくれないでしょうから、私自らがまとめました。/表題作以外も随時まとめる予定です。
※あくまでも個人の所感です。
by Mardock_09
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そして、新潮文庫版「太陽の季節」/石原慎太郎の表題作を読み終わったなう。問題点を
ツイートしていきますよ。 #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:01:35

10ページ目。大学生ボクサーが一般人相手に「いきなり左手で相手の鳩尾(みぞおち)を突き」…これってどうなの?スポーツマンが技使ってはいけないでしょう? #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:04:54

「太陽の季節」11ページ目からほぼ全般。学生なのに賭博をしてよいのでしょうか? #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:09:19

「太陽の季節」28ページ目。英子(ヒロイン)は飲酒運転なんじゃないのかな? #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:16:07

「太陽の季節」30ページ目、以降随所。「女、取引き、喧嘩、恐喝と彼等の悪徳が追求される題材は限りが無い」…こんな学生は嫌だ。これではまるでスーパーフリーのようではありませんか? #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:24:18

「太陽の季節」33ページ目。「女は彼等にとって欠くことの出来ぬ装身具であった」…何でしょうか、この男根主義は。こういう話は随所に出てくるのですが。 #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:28:45

「太陽の季節」最強の問題ページは敢えて後回しにいたしますよ。 #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:30:19

「太陽の季節」41ページ目。/さっきは失礼/「トランペット吹きの唇と鼻の辺りに狙いをつけて力一杯竜哉(たつや、主人公が殴りつけた」…学生とはいえ、ボクシングをしている主人公がまた一般人に暴力を振るいます。 #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:34:59

「太陽の季節」45ページ目。「俺は一泳ぎしよう。酒を飲んだら又少し暑くなった」…飲酒して海で泳ぐ危険性について。 #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:38:05

「太陽の季節」55ページ目。他にも後から出てくるのですが。「よし、あの五千円であ奴(英子)を売ってやらあ」…人身売買的な話は随所に。 #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:41:11

「太陽の季節」64ページ目。「きっと鬼子だよ、生まれて来るのは」…奔放に遊びすぎて英子は竜哉の子を孕んでしまったのです。それを竜哉の兄が茶化した?セリフ。 #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:47:17

「太陽の季節」65ページ目。「竜哉は子供を始末することに決心した。赤ん坊は、スポーツマンとしての彼の妙な気取りの為に殺されたのだ。」…主人公は英子のお腹の子どもを中絶手術させます。 #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:50:30

「太陽の季節」66ページ目。中絶手術に失敗した英子は亡くなってしまいます。「彼女は死ぬことによって、竜哉の一番好きだった、いくら叩いても壊れぬ玩具を永久に奪ったのだ。」…これって愛の話なのでしょうか?あまりにも残酷なのですよ。 #hijistuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:54:27

「太陽の季節」後回しにしていた最凶の34ページ目。敢えて他のサイトを紹介してみます。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/3578/2003/shoujiyaburi.htm #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 21:58:18

たぶん「太陽の季節」これで終わり。読後感は暴力三昧の青春物語という感じで気分の悪いものでした。/こういう話を書いた人がアニメやマンガを規制する?それって「ソープに行け!」という北方メソッドのような、女と遊んでアニメ、マンガは観るなということなのでしょうか? #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 22:03:07

以上、戦うならまず相手をよく知れ!という感じで読んでみた感想です。盗んだバイクで走り出すようなDQNっぽい青春はあんまりいらない話じゃないのかなー、と思います。暴力を振るうよりも、暴力的な作品を観て、「そういうのは良くないよねー」とか「戦いを避ける為には」とか考えた方が有益です。
Mardock_09 2010/12/07 22:06:54

まあ、石原慎太郎の小説は残りもそのうち読んでみますが、ツイートした通り、男根主義と暴力、ジェンダー的な配慮全くなしの小説です。時代が違うという意見もあるかもしれませんが、思想の根っこがこういう人が政治をしてはまずいでしょう、ということで終わりにします。 #hijitsuzai
Mardock_09 2010/12/07 22:12:57

せっかくなので「太陽の季節」を簡潔にまとめてみるテスト。主人公、バスケからボクシングに転向。仲間と酒と暴力の日々を過ごす。適当に女の子と付き合ったりする。ナンパした女の子がボクシングの試合を見に来る。付き合う。高級宿で勃起したナニを障子に突き刺し、快感を得る。(続く)
Mardock_09 2010/12/08 01:43:41

(続き)エッチしまくったりしているうちに女の子に飽きる。自分の兄に女の子を売る。売ったら女の子が自腹でお金を払ってよりを戻すように要求。子供出来ちゃった。一度は父になる気にもなるが、兄に茶化されて気が変わる。「堕胎せ」。手術の失敗で女の子死亡。(続く)
Mardock_09 2010/12/08 01:48:15

(続き)お葬式に突然キレて遺影に香炉を投げつけて立ち去る。ボクシングに戻る。女の子の幻覚を見るも、パンチでそれをかき消す。途中ちょっと割愛したシーンもありますが、「太陽の季節」とはそんな話。実にろくなものじゃないのですよ。(おしまい)
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(2)「太陽の季節」についてWikipediaによる評価・解説

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E5%AD%A3%E7%AF%80

作品評価・解説 [編集]

文學界新人賞の選評者5名中、賛成派が伊藤整、井上靖、武田泰淳の3名。反対派が平野謙、吉田健一の2名[2]。芥川賞の選評者9名中、賛成派が舟橋聖一、石川達三、井上靖の3名。しぶしぶ支持派が瀧井孝作、川端康成、中村光夫の3名。強固な反対派が佐藤春夫、丹羽文雄、宇野浩二の3名であった[3]。
なお、文藝春秋社の内部からも否定的な声があがり、当時「文學界」の編集者だった尾関栄は、「編集部員の一人が熱烈に支持したので、芥川賞候補にノミネートしたが、個人としては好きになれなかった。性器で障子を破るシーンにしても、武田泰淳さんの『異形の者』のなかにすでに同様の場面があり、賞に値するかどうかで相当迷った」[4]と回想している。刊行本が文藝春秋からでなく新潮社になったのも、当時、文藝春秋出版部長だった車谷弘が、「俺の目の黒いうちはこんなものは出せん」と出版を許さなかったからだと、同社元専務の西永達夫が語っている[1]。
伊藤整は、「いやらしいもの、ばかばかしいもの、好きになれないものでありながら、それを読ませる力を持っている人は、後にのびる」と推奨し、武田泰淳は、「彼は小説家より大実業家になるかも知れない」と述べている。
吉田健一は、「体格は立派だが頭は痴呆の青年の生態を胸くそが悪くなるほど克明に描写した作品」と酷評し、平野謙は、「私などの老書生にはこういう世界を批評する資格がない」とさじを投げた。
石川達三は、「欠点は沢山ある。気負ったところ、稚さの剥き出しになったところなど、非難を受けなくてはなるまい」「倫理性について『美的節度』について、問題は残っている。しかし如何にも新人らしい新人である。危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」「この作者は今後いろいろな駄作を書くかも知れない。私はむしろ大胆に駄作を書くことをすすめたい。傑作を書こうとする意識はこの人の折角の面白い才能を萎縮させるかも知れない」と述べている。
舟橋聖一は、「この作品が私をとらえたのは、達者だとか手法が映画的だとかいうことではなくて、一番純粋な『快楽』と、素直に真っ正面から取り組んでいる点だった」「彼の描く『快楽』は、戦後の『無頼』とは、異質のものだ」「佐藤春夫氏の指摘したような、押しつけがましい、これでもか、これでもかの、ハッタリや嫌味があっても、非常に明るくはっきりしているこの小説の目的が、それらの欠陥を補ってあまりあることが、授賞の理由である」と述べている。
井上靖は、「その力倆と新鮮なみずみずしさに於て抜群だと思った」「問題になるものを沢山含みながら、やはりその達者さと新鮮さには眼を瞑ることはできないといった作品であった」「戦後の若い男女の生態を描いた風俗小説ではあるが、ともかく一人の―こんな青年が現代沢山いるに違いない―青年を理窟なしに無造作に投げ出してみせた作品は他にないであろう」と述べている。
丹羽文雄は、「若さと新しさがあるというので、授賞となったが、若さと新しさに安心して、手放しで持ちあげるわけにはいかなかった。才能は十分にあるが、同時に欠点もとり上げなければ、無責任な気がする」「プラス・マイナスで、結局推す気にはなれなかった。私には何となくこの作品の手の内が判るような気がする」と述べている。
佐藤春夫は、「反倫理的なのは必ずも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった」「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。そうして僕は芸術にあっては巧拙よりも作品の品格の高下を重大視している。僕にとって何の取柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して、僕にはそれに反対する多くの理由はあってもこれを阻止する権限も能力もない」「僕はまたしても小谷剛を世に送るのかとその経過を傍観しながらも、これに感心したとあっては恥しいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わないよと念を押し宣言して置いた」と述べている。
宇野浩二は、「読みつづけてゆくうちに、私の気もちは、しだいに、索然として来た、味気なくなって来た」「仮に新奇な作品としても、しいて意地わるく云えば、一種の下らぬ通俗小説であり、又、作者が、あたかも時代に(あるいはジャナリズム)に迎合するように、(中略)『拳闘』を取り入れたり、ほしいままな『性』の遊戯を出来るだけ淫猥に露骨に、(中略)書きあらわしたり、しているからである」と述べている。
瀧井孝作は、「小説の構成組立に、たくみすぎ、ひねりすぎの所もあるが、若々しい情熱には、惹かれるものがあった。これはしかし読後、“わるふざけ”というような、感じのわるいものがあったが、二月号の『文學界』の『奪われぬもの』というスポーツ小説は、少し筆は弱いけれど、まともに描いた小説で、これならまあよかろうと思った」「この作家は未だ若くこれからだが、只、器用と才気にまかせずに、尚勉強してもらいたい、と云いたい」と述べている。
中村光夫は、「未成品といえば一番ひどい未成品ですが、未完成がそのまま未知の生命力の激しさを感じさせる点で異彩を放っています」「常識から云えば、この文脈もところどころ怪しい。『丁度』を『調度』と書くような学生に芥川賞をあたえることは、少なくも考えものでしょう」「石原氏への授賞に賛成しながら、僕はなにかとりかえしのつかぬむごいことをしてしまったような、うしろめたさを一瞬感じました」「しかしこういうむごさをそそるものがたしかにこの小説にはあります。おそらくそれが石原氏の才能でしょう」と述べている。
川端康成は、「私は『太陽の季節』を推す選者に追随したし、このほかに推したい作品もなかった」「第一に私は石原氏のような思い切り若い才能を推賞することが大好きである」「極論すれば若気のでたらめとも言えるかもしれない。このほかにもいろいろなんでも出来るというような若さだ。なんでも勝手にすればいいが、なにかは出来る人にはちがいないだろう」と述べている。
本作が発表された時期、三島由紀夫は日記形式の随筆の中で、学生にふさわしい文章はその清潔さにおいて、アスリート的文章だけで、どんなに華美な衣裳をつけていても、下には健康な筋骨が、見え隠れしていなくてはならないと考察しつつ、『太陽の季節』の文章に触れ、「学生拳闘選手のことを書いた若い人の小説を読んだ。よしあしは別にして、一等私にとつて残念であつたことは、かうした題材が、本質的にまるで反対の文章、学生文学通の文章で、書かれてゐたことであつた」[5]と記している。なお、この三島の随筆を読んだ時のことを、のちに石原は回顧し、「ぼくもあの人(三島)の保護だけは受けられるような庇護本能みたいなのが、ありましたよ。たとえば、(中略)『太陽の季節』について、あの人が『小説家の休暇』というソフィスティケイテッドなエッセイ集を出したときに、中にチラチラッと一、二行出てくるんですよ。それを見てぼくは文學界新人賞をもらったときよりもジーンときた。ついにこの人の目にとまったという感じがあってね」と対談で野坂昭如に語っている[6]。
村松剛は、三島由紀夫の『沈める滝』のドライ青年の主人公・昇が、その3ヶ月後の『太陽の季節』の主人公の先駆的存在となっていると述べている[7]。
『太陽の季節』発表5年後の解説で三島は、本作をあらためて読むと、スキャンダルを捲き起した作品にもかかわらず、純潔な少年小説、古典的な恋愛小説としてしか読めないことにおどろいたとし、「『太陽の季節』の性的無恥は、別の羞恥心にとつて代られ、その徹底したフランクネスは別の虚栄心にとつて代られ、その悪行は別の正義感にとつて代られ、一つの価値の破壊は別の価値の肯定に終つてゐる。この作品のさういふ逆説的性格が、ほとんど作者の宿命をまで暗示してゐる点に、『太陽の季節』の優れた特徴がある」[8]と述べ、「愛」という観念を極度に怖れる竜哉は、「愛」といふ観念に奉仕するために恋愛をはじめるロマンチック文学の恋人たちとは逆であるが、その恋愛の進行には、自分の不能のために「愛」の観念を怖れるオクターヴ(スタンダールの『アルマンス』の主人公)と同様、「心ならずも」愛するにいたるサスペンスが逆説的に顔を現わしていると解説している[8]。
また三島は、竜哉の恐怖の対象には、一定の系列のあることを指摘し、「それは情熱の必然的な帰結である退屈な人生と、もう一つは、情熱が必然的な帰結を辿らなかつたときの、人生と共に永い悔恨と、この二つである。そしてこの二つのどちらか一つを、人は選ぶやうに宿命づけられてゐる」[8]と述べ、『太陽の季節』が夏の短かいさかりのような強烈で迅速な印象を与えたのは、これらの恐怖に対する青年層の共感があったためだとし、竜哉が、「愛」の観念の純粋性を救うためには、その愛の対象(英子)が死に、自らは悔恨に沈まなければならず、竜哉が「愛」の観念を全面的に受け入れるならば世俗に屈服して、古い慣習的な象徴であるところの「丹前をはだけ」て子供を抱かなければならないという、観念的な二つの図式が明確に示されていると解説している[8]。そして、「この作品そのものよりも、この物語が水溜りにうかんだ油の虹のやうに光彩を放つてゐるとすれば、その水溜りのはうで人を感動させたのだとも言へよう。従つて、この小説にちらりと顔を出す、最も美しい水溜りの一部は、固い腹筋を誇る父の腹にパンチをくらはして血を吐かせ、その償ひに自分のめちやくちやにされた顔を示し、しかもそれが生温かい肉親の心配をしか呼び起さぬのを見て失望する竜哉の別の肖像画である。志賀直哉氏の『和解』以来、かういふ美しい父子の場面は、あまり描かれたことがなかつた」[8]と、作者が選んだ作品の観念的図式構成とはまた別の顔を見せる主人公の細部の美しい挿話についても言及している。
さらに三島は、本作はスキャンダラスどころか、「これはつつましい羞恥にみちた小説ではないか?」[8]と述べ、障子紙を破って突き出される男根の場面も、青年の羞恥にみちているとし、英子の愛に素直になれない竜哉についても、「ひたすら感情のバランス・シートの帳尻を合はせることに熱中し、恋愛の力学的操作に夢中になり、たえず自分の心をいつはり、素直さに敵対し、自分の情念のゆるみを警戒するのは、ストイシズムの別のあらはれにすぎないではないか? 恋をごまかす優雅な冷たい身振の代りに、恋をごまかす冷たい無駄な性行為をくりかへすのは、結局、或る純粋な感情のときめきを描くために、ロマンチックの作者が扇や月光を使つたやうに、扇の代りに性行為を使つただけではなからうか?……これだけ性的能力を誇示した小説にもかかはらず、この主題が奇妙にスタンダールの不能者を扱つた小説と似てゐるのは偶然ではない」[8]と解説し、「その『愛』の不可能と『現実』との関はり合ひは、のちに発展して秀作『亀裂』を生むのである」[8]と述べている。
中森明夫は、本作の主人公の心性は、「『おたく』(個に自閉して、他者性を欠いた心性のありようの総体)と呼ばれる種族のメンタリティーときわめて近い」[9]とし、太陽族はいわば、もてる『おたく』、アクティブな『おたく族』と呼べると述べ、「『おたく』の誕生は豊かな社会―すべて(物質的に)満たされている、ゆえに個に引きこもり、他者性を欠いて、決して(精神的に)満たされることのない社会―という存在条件が不可欠だった。(中略)『太陽の季節』の主人公の心性と存在環境は、『おたく』の誕生に三十年は先行していたとも言えるだろう」[9]と解説している。また中森は、オウム真理教による地下鉄サリン事件(「おたく世代のテロ犯罪」とも呼ばれた)の、「すべて満たされている、ゆえに変化のない日常の息苦しさに耐えられず、世界破壊を夢見る若者たちが現れる―という透視図」[9]は、1950年代後半の石原慎太郎の『亀裂』と、三島由紀夫の『鏡子の家』、1960年のフェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』にすでに先見的に描かれていたと分析している[9]。

◆コメント

石原慎太郎が、「太陽の季節」で芥川賞を受賞をしているという事は知っていたのだが、

たいしたものではどうもなさそうなのかなと思った。「芥川賞」だから作家として凄いの

かなと思ったけど、どうも「貧相」なのかもしれないなと思った。日本維新の会の代表の

人となりを知るのに手掛かりになると思い、掲載してみました。
 

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コメント
 
01. 希望の未来 2012年12月15日 19:30:18 : anPo0F5T3EwEc : 98QGPFdy7r
本田勝一氏

「記事 [昼休み52] 石原慎太郎の人生 」

http://www.asyura2.com/archives/12/11/18/other/0009.html


02. 2012年12月15日 20:04:59 : t3wweRQuK2
石原慎太郎は間違いなくサイコパスですね。親戚の小泉純一郎とよく似ています。
●【4コマ】石原都知事の小説が野放図すぎる件
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1150.html
●【4コマ】石原都知事の作品『聖餐』が変態すぎる件
警察関係者の娘の裸を撮影し、親に3千万円で買取らせるが結局逮捕される。
警察への復習のため、再び娘を使い、殺人前科者を男優にしてAVを撮影。
計画通り娘を殺害。まず喉を切り裂き、次に股から切り上げ内臓を取り出す。
その後男優も殺害。2人を埋めて、匿名で殺人AVビデオを販売する。
http://blog.chakuriki.net/archives/51111090.html

03. 2012年12月15日 20:13:28 : GLRiAfOCWI
やってる政治とそんなにかわらんな

04. 2012年12月15日 20:16:14 : cWIBtbognM
老害太陽は、一人で死にたくないから戦争を起こして
日本国民を道ずれにする気なんだろう。

05. 2012年12月15日 20:22:31 : Y28uZ2IjEw
>03
石原と小泉が親戚とは初耳です。どこでどう親戚ですか。親戚とは比喩ですか。

裕次郎をモデルに書いたんだろうがとんでもない話だ。今では全く受け入れられないつまらない本だ。あと続けていうのもばからしくて止めます。


06. 2012年12月15日 20:37:49 : LFOREn7CM6
結局、時間が経って見ると、「太陽の季節」を嫌悪した作家・評論家は炯眼であり、その若書きの乱暴さを面白いと好意的に評価した作家・評論家たちは石原の作家としての成熟に過大な期待を持ち過ぎた、と言うことになろうか。

まあ、当時の文壇の大御所たちはある意味「白い巨塔」の住人たちだったから、石原なんぞを理解できなかったんだろうな。当時はここまで知性の低い人間が作家を志すなんてこと、考えられんかったのかもな。


07. 2012年12月15日 20:45:44 : LGNY1xeR86
「太陽にほえろ」はテレビドラマでも毎週楽しみに見ていた。裕次郎のボス役が似合っていた。
「Gメン75」とともに人気番組で、刑事ドラマの走りだった。

08. 2012年12月15日 21:06:30 : T1wRcaJs12
裕次郎は兄である慎太郎が自分を政治的に利用していることを苦々しく思っていたという
兄弟仲が良かったことをことさらに強調しているのは慎太郎の方
そういえば裕次郎が生前時慎太郎について語ったことを不思議と聞かない
慎太郎が「弟・裕次郎が」と言うのはもう耳タコだが・・・

09. 2012年12月15日 21:18:39 : txKoq6KBVw
太陽にほえろの大ヒットは石原アニキと関係ないだろ

10. 2012年12月15日 21:22:26 : KwzxlT2Fm6
石原チン太郎、芸能界入りがふさわしい。
入る芸能社は、吉本堕落劇。

品位も何もない。
石原チン太郎のこれが本性である。
政治をする器でない。


11. 2012年12月15日 21:55:38 : mP5tGcCmYI
石原については保守派もカンカンに怒ってますよ。
「あんな若造(橋下)に騙されやがって・・・保守の信用をぶっ壊された・・・」
「さも『俺は三島と同格だった』と言わんばかりの与太話は許し難い。
三島さんは馬鹿馬鹿しくて相手にもしてなかったんだよ。
本当に対等な仲だったら自決直前の『後に続く者を信ず』を石原に託していた筈だろうが」ってね。
そういえば石原は「ゲイは遺伝子に問題がある連中」という差別発言をかましましたが、これも三島コンプレックスが歪んだ形で出たものでしょう。
・・・と思ったら本日の記事で取り上げているブログがありました。
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/

 なお体育会馬鹿ファシスト石原もゴリラ脳保守の安部も
「教育で子供たちに正義を教え込む」と言ってますが、聞き捨てなりません。
 友人で元自衛官の戦史研究家(無名ですが)が貸してくれた本で冷厳な事実が指摘されていました。二年程前に米国の学者が書いた物の邦訳版でしたが
 かつての南方戦線で恐ろしいほど精強だった旧日本兵は、一旦死に損ねて捕虜になると
「呆れるほど脆かった」と言うそうです。
 みな責めなくとも自白してしまい、米軍はそれらの情報を繋ぎ合わせて日本の軍需工場の位置から艦船の構造まで全て正確に割り出して対日戦の勝利を早めたと言うのです。
 日本軍が「捕虜になるな」と命じていたのは
「日本人は一旦敵の手に落ちたら脆い」という事を軍上層部が分かっていた為ではないか?とすら思ったものです。
 ゴリラ脳保守や体育会馬鹿ファシストは、過去に学ばぬばかりか学習能力が無いため、また同じ失敗を繰り返すでしょう。何度でも。
 こんな奴等に正義とやらを植えつけられて死んだらそれこそ犬死にと言うものですよ。


12. 2012年12月15日 21:56:27 : t3wweRQuK2
>>05
>石原と小泉が親戚とは初耳です。どこでどう親戚ですか。親戚とは比喩ですか。

石原慎太郎(都知事)の息子である良純と伸晃、小泉純一郎(総理大臣)の息子である孝太郎は、「石田」を通じて親戚である。小泉首相の実弟である正也夫婦の仲人は、石原夫妻がつとめた。
石原慎太郎は、小泉純一郎が首相就任以前のインタビューで以下のように言っていたらしい。
「小泉君は女房と同じ横須賀の出身で、親戚筋なんだ。血がつながってないんで、ほっとしているけど(笑)」
http://plaza.rakuten.co.jp/heat666/diary/200503150000/
http://episode.kingendaikeizu.net/27.htm


13. 2012年12月15日 22:43:26 : I0wUTwXRRk
>>11
>かつての南方戦線で恐ろしいほど精強だった旧日本兵は、一旦死に損ねて捕虜になると
「呆れるほど脆かった」と言うそうです。
>みな責めなくとも自白してしまい、米軍はそれらの情報を繋ぎ合わせて日本の軍需工場の位置から艦船の構造まで全て正確に割り出して対日戦の勝利を早めたと言うのです。

その後の話にはまだ現在まで続きがありそうですね。


14. 2012年12月15日 23:36:53 : 7oSKGju5kA
誤ったメッセージを送ってしまい。
始末に追えない天狗を作ってしまったと云う事ですな。なるほど。

大体解った。 なるほど。
敵を知るは重要ですな。
然すれば「誤ったメッセージでロクでもない物が育つ」近しい物に解を求めてみるのが良い事も見えて来た。

石原を下すには。北朝鮮を相手にする様に扱うのが宜しいと見た。


15. 2012年12月16日 00:14:14 : IdUjch4Rcc
石原慎太郎は「太陽の季節」以外に何か名作があるの? ほかにも小説を書いているのでしょうが、誰も知らないのでは? 

彼の話を聴いて、文学者らしい言葉がありますか???


16. 2012年12月16日 01:19:32 : w18f1GkoJs
若い人は意外に読んでいないんだろうな。

知事選に出続けていたころ、大々的に再版され、都民に広く読まれるべきだった。
さすれば、四選もすることはなかったろうに。


17. 2012年12月16日 10:36:56 : 6BZ3rYqtJ2
 石原慎太郎知事も「表現は幅広く自由なものだろう。しかし、子どもが強姦されるシーンを子どもが見ることを良いとするのか」などと述べた。

 石原慎太郎氏が書いた小説に「完全な遊戯」というのがある。初出は雑誌「新潮」1957年10月号。大雑把に言えば、2名の男性が精神病院から無断で出てきたと思われる女性を強姦し、他の友人たちにも強姦させ、最後は熱海の海岸に行き、彼女を崖から海に突き落とす、という内容。

この本は小中学生たちが自由に出入りできる公共図書館の開架書架に並べられている。よって誰もが閲覧でき、誰もが借りることができる。「強姦されるシーンを子どもが*見る*こと」は小説ゆえ不可能だが、「強姦されるシーンを子どもが*読む*こと」ことは可能だ。
 
 石原慎太郎妄想はキチガイの域を超えてる、それを担ぐ者もキチガイだと気づけ!


18. 2012年12月16日 12:55:05 : zm1OqaOhiI
読むに堪えないお粗末な小説、こんな駄作が賞を貰うのだから芥川賞も所詮は人脈と金次第でどうにでもなるというところでしょう。

こんな奴をもてはやし、もちあげるバカ共がいて、それを許す無知な国民がいる


19. 2012年12月16日 13:15:07 : GLRiAfOCWI
こういうデンパ作家が「憲法前文は醜い日本語」とか言うんだから、もうね…

20. 2012年12月17日 20:56:38 : EEPukz6NSM
こんな小説よく読んだね。三文作家。石原の書いた物などは昔も今も全く読む気がしない。文学者の内に数えていない。国会議員になっても知事になっても三流以下だった。こんな人物を選んだ国民や都民の政治感覚も三流だな。そういえば、弟も三文俳優、下らない歌をへたくそにしか歌えない三文歌手。まわりがちやほやして祭り上げただけで中身はゼロ。

21. 2013年2月14日 23:27:14 : LGNY1xeR86
>>09
>太陽にほえろの大ヒットは石原アニキと関係ないだろ

返事が非常に遅くなって申し訳ない。
微妙に関係あるのだよ。慎太郎が書いた「太陽の季節」というエロ小説と掛けて、その支持層の広さや人気の高さを訴えたかったのだ。
 


22. 2016年6月06日 01:38:12 : 9qGNlrE83E : AqJE6uc62XY[93]
石原新太郎がここまで酷い小説を書いていたとは…
知らずにいましたが、当時の文壇もチンピラと恐るべき
子供たちの才能とを峻別する能力を持たなかったんですね。
そんな日本の文壇を高みに置いてみていた自分の稚拙さを
本当に恥ずかしいと思います。今世紀に入ってやっと自分の
生きてきた時代の裏の筋書きを知りました。既に人生の
半分以上を過ぎましたが、若い方たちには早目に覚醒して
いただきたい。そして、真の自由を手にし、本物を見分ける
眼力を身につけて欲しいと願うばかりです。

23. 2019年12月22日 09:07:35 : 45qP55FaI2 : a0JYM1hQVFFweDI=[127] 報告
石原氏はベトナム取材で肝炎にかかり、無収入が続き一家心中
らしきことも考えたと言っている。この人なりに苦労はあったと言える。
不登校児でもあり、精神的にはかなり弱い、ナイーブな人だ。
右翼思想はその裏返しと思われる。
壮年時の政治活動、発言に慎重さがあれば、そして国民生活に配慮すれば
総理の器でもあったが後の祭りだ。

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