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東大合格への登竜門「サピックス」「鉄緑会」が有名進学校を支配! 平等性を喪失させた“塾歴社会”
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/648.html
投稿者 てんさい(い) 日時 2016 年 3 月 31 日 13:33:29: KqrEdYmDwf7cM gsSC8YKzgqKBaYKigWo
 

https://twitter.com/tokaiama/status/715283787475587072
http://lite-ra.com/2016/03/post-2113.html

2016.03.30

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『ルポ 塾歴社会』(幻冬舎新書)

 立て続けに、東大生をひな壇に並べたバラエティ番組を見た。3月13日放送『日曜ファミリア・さんまの東大方程式』(フジテレビ)と、22日放送『ケンカ上等!大激論!好きか嫌いか言う時間 日本イライラ解消SP』(TBS)だ。大雑把に言えば、東大生を「やっぱりすごい」「さすがに変わった人ばかりだ」「でも悩みもある」「そして変わりつつある」と上げたり下げたりする内容。番組改編期に手早く作られる番組として、「東大」を抜群のブランドとして突出させる構成がまだまだ重宝されていることに驚いてしまう。

 自分が中高生だった20年近く前にもこの手の番組を頻繁に見かけたが、いざ学生期を通り過ぎると、この辺りの変遷への興味が薄れ、「少子化で大学全入時代が到来、定員割れした大学が経営に苦しんでいる」といった断片的な情報を得るに留まってしまう。そんな相当前に得ていた情報を一気に改めてくれるのが、「学歴ではなく“塾歴”が『勝ち組』を作る」と指摘する、おおたとしまさ『ルポ 塾歴社会』(幻冬舎新書)である。学歴ピラミッドの構造は変わらずとも、受験エリートの“生成方法”がガラリと変わっていたことを知らされる。

「今、日本の受験勉強においては、サピックスから鉄緑会そして東大へと、1本の『王道』が存在する」と著者。自分の学生時代に一世を風靡していた塾といえば「四谷大塚」「日能研」である。しかし、今、進学校の中学受験塾として突出した成績を上げているのが「サピックス小学部」であり、著者作成・2015年度のデータによれば、それぞれの合格者における占有率として、開成62.0%、筑波大付属駒場70.3%、桜蔭63.1%という圧倒的な数値を叩き出している。首都圏の中学受験塾大手6社の学力帯別合格者比率を比べてみても、偏差値65以上の最難関校の割合が26%と、サピックスが抜きん出ている。他の塾の数値を抽出すると、四谷大塚9%、日能研7%、私事ながら小学生の時に自分が通っていた市進学院はわずか4%に甘んじている。

 学力最上位層をターゲットにした塾「TAP」から独立してできた「サピックス」は、09年に中学部が、10年に小学部が、それぞれ代々木ゼミナールに買収される。小学部はとりわけ好調な成績を収めていただけに塾自体が「大衆化してしまうのではないか」との懸念もあったようだが、サピックスの快進撃は続く。知識の詰め込みではなく、「知識を素早くなめらかに使いこなす方法」を重視、授業に休み時間はなく、小学6年生になれば17時から21時までぶっ続け。復習主義に徹し、何度も繰り返すことで頭に知識を定着させる。塾の費用も、3年間で約250万円と割高なわけでもない。

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 これだけ一つの塾が寡占気味の状態を築くと、塾と学校のパワーバランスも崩れてくる。中高一貫校は、大学入学実績の良さで小学生を誘い出す。少子化の時代、出来の良い子にいかにして入ってもらうかが学校側の使命にもなる。そこで存在感を強めるのがサピックス。塾側が、生徒に対してどの学校を受験するように薦めるかも大きな“商材”なのだ。

 本書で最も驚いたエピソードが、著者が得た、ある名門校の教師の談。7〜8年前、校長宛にサピックスの職員から書簡が届いた。その手紙には「貴校の入試問題は癖がありすぎて努力した子供が報われないこともある。努力した子が報われやすい、もっと素直な問題に出題傾向を改めない限り、志望校を迷っている生徒に貴校をお薦めすることはできない」とあった。「出来の良い子」を欲する学校が、塾側におもねる事態が生じているというのか。あくまでも一つの事例でしかないが、パワーバランスの反転を知らされる事例である。

 そして、名門中学校に入学した生徒が一挙に入塾するのが「鉄緑会」。限られた学校の生徒だけが入会テストを免除される。その指定校制度が適用されるのはたったの13校。それ以外の学校の生徒が入塾を希望する場合は、入会テストを受け、相応の学力が備わっていることを立証しなければならない。結果的に、東大医学部合格者の6割が鉄緑会という最高レベルの生徒を輩出し続けている。元々、東大医学部の同窓会組織「鉄門倶楽部」と東大法学部の自治会「緑会」をルーツに持つ鉄緑会は、教える先生も全員東大生か卒業生。あたかも牛1頭からこれだけしかとれない稀少部位のごとく、あらかじめ量が限られ、質が確約されているのだ。

 鉄緑会の指定校に入っている事実を売り文句とする学校もある。指定校は固定されているわけではなく、その都度流動するので、ここでもまた、学校ではなく塾がイニシアチブを取る。鉄緑会のウェブサイトでは会の特色として「制限時間に縛られない徹底した指導」を掲げ、「全員に東大現役合格する学力をつけてもらうため、居残り指導も厭いません。また、余力のある優秀な生徒、やる気のある生徒にも個人指導は行われます。生徒一人一人に合った方法で、できる限り高い学力をつける、それが鉄緑会です」と力説されている。

 特段、スパルタ教育というわけではない。しかし、生徒にとって「いいほうに出るケースと悪いほうに出るケースの差が激しい」という。これだけの好条件が揃っていると、親は子に、なんとしてでも鉄緑会で奮闘してもらいたいと願う。願うだけならまだしも、強いる場合もあるだろう。そのなかでうまく機能しなくなると、塾でも学校でも生気を失う生徒がしばしば出てきてしまう。本の中では「鉄緑廃人」と形容されているが、なかなか笑えない。一つのレールが明確になれば、そのレールから脱線したが最後、元に戻れなくなる。それが競争社会の鉄則、と断じることもできるのだろうが、学校へ入る前段階である塾がそのレールを管轄することで新たに浮上する問題は多いだろう。

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 著者は言う。「日本の教育の平等性や公正さの中で発展してきた受験システムが『制度疲労』を迎えている」と。制度疲労の弊害を真っ先に食らうのは、一概には言えないとはいえ、塾ではなく学校でもなく、個人。今現在、大学入試改革により欧米型にシフトチェンジをはかろうとしている。小論文や面接なども含めた人間性の評価を強めようとしているのだ。旧来の塾が作る「ひとつのレール」と、人間性を定める「新しいけど曖昧なレール」がぶつかることになる。

 東京大学学生委員会・学生生活調査室の「2014年(第64回)学生生活実態調査の結果報告書」によれば、年収1050万位以上の家庭が35.8%、450万未満の家庭がわずか13.6%と、親の収入が生む学歴格差は年々ひどくなる一方だ。限られたエリート街道を更に強固に作り出す「塾歴社会」、その疲弊構造が見えてくる好著である。
(武田砂鉄)

■武田砂鉄プロフィール
1982年生まれ。ライター/編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「マイナビ」「Yahoo!ニュース個人」などのネットに加え、多くの雑誌でも執筆中。さらに、最近、「文學界」「Quick Japan」「VERY」で連載を開始した。『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社で、2015年ドゥマゴ文学賞受賞。


ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体 (幻冬舎新書) 新書 – 2016/1/29
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4344984072/asyuracom-22

アマゾンレビュー

東京進学校エリートたちと〈秘密結社的ハイ・ソサエティ〉
投稿者vidodaba212016年1月29日

この本は、「知る人ぞ知る」という状態であった日本の若年エリート社会を見事に描き出した、きわめて問題提起的な著作であると思う。

近年、辛酸なめ子氏の『女子校育ち』を始めとして、東京の進学校に通うおぼっちゃん・お嬢様たちの生態を描いた本が立て続けに出版されている。たとえば開成高校野球部の内幕を描きドラマ化もされた『弱くても勝てます』は当初はアマチュア野球の「弱者の戦略論」として注目されたものだが、実際の本の内容は、「野球部を通して開成高校の生徒たちの生態を描いた」という点が画期的であった。『弱くても勝てます』というタイトルとは裏腹に、「弱いと『勝てない』」「ではその『弱さ』というのはどこから来るのか?」ということが描かれていたのだ。その「弱さ」というのは受験エリート特有の「ひ弱さ」でもあったと思う。

それはいいとして、このおおた氏による『ルポ塾歴社会』を読み解く際には、いくつか必要な前提があるのでそれを列挙してみようと思う。

<学歴社会批判という文脈>
そもそも日本の一般社会において「学歴社会批判」というのは根強いものがある。大学生の就職活動において企業が学生をふるい分ける際に、「学歴フィルター」と言われるように大学名を裏の選考基準として用いていることは有名である。その学歴フィルターにかからない大学の学生からは「学歴で人を差別するのは不公平だ」という声が上がるわけであり、企業は学歴フィルターを用いていることはおおっぴらにできないので「うちの会社は選考基準に学歴を用いていません」ということを表向きにアピールしたりする。一方でその学歴フィルターの内側にいる学生たちは、「学歴で差をつけるのは当たり前」という感覚を持っていて恩恵も受けているので、学歴差別そのものには異を唱えずむしろ「何も言わずに利用する」。日本社会では「学歴で差別されるのは当たり前でしょ」ということをあからさまに言うことはできない、という構造はそれだけ強固なものがある。

<学歴社会批判批判という捉え返し>
そもそも「学歴差別」というものには何の正当性もないわけではない。シグナリング理論など社会科学のなかではいろいろな研究があるのだが、企業内部の経験知としても「学歴である程度のフィルタリングを行うのは、採用活動において一定程度以上の合理性がある」ということが広く認識されている。
しかし実際に運用されていることとは別に、日本の言論空間では学歴差別はタブーである。そういう状況に対して「学歴差別は当たり前」ということをカウンター的な言説として打ち出す動きがあり、その象徴的な存在が、東大受験を描き2005年にはドラマ化もされた漫画『ドラゴン桜』である。
『ドラゴン桜』には戦後民主主義的な教育観に対するアンチテーゼの側面がある。戦後民主主義的な教育観の現れのひとつとして「人間を学歴で差別するのは非人間的だ。学歴なんかよりも大事なこと、教育が実現すべき価値がある」という言い方がある。しかしドラゴン桜の主人公・桜木は「そんなのは綺麗事だ。実際に日本社会には厳然として学歴差別があるのだから、そのルートに乗っかった上で上手く活用すべきだ」ということを説いている。この主張には論理的にはかなりの程度の正当性が認められるだろう。

<さらにその先を「再考」する必要性>
しかし『ドラゴン桜』では描かれることのなかったものがある。実際の東大受験において、漫画のように無名進学校から東大に合格するのはかなり難しい。東大合格者のほとんどは、東京や関西の有名進学校から輩出されているという現実がある。それに大きく寄与しているのが、「鉄緑会」という有名進学校在学者のみが在籍を許される東大受験専門塾の存在である。そこでは東京の進学校トップ校の生徒たちが集まり、東大に現役合格するための〈ハイ・ソサエティ〉のようなものを形成している(ハイ・ソサエティとは「上流社会」「社交界」という意味である。「ハイソ」の語源)。お互いに競い合い、「東大に行くのが当たり前」という雰囲気と、「東大に受かるためのノウハウ」を共有する。悪い言葉を使えば、インサイダー情報を集めまくり、それでメンバー同士でボロ儲けする投資家クラブのようなものである。

そして鉄緑会への通塾資格のある有名進学校に通うために、子どもをエリートにしたい教育熱心な親たちは小学校高学年からSAPIXという中学受験専門塾に通わせる。
要するに私立進学校に通わせるにとどまらず小学校〜高校まで子どもを塾に通わせるなどの多大な教育投資をし、東大に送り出すというルートが、首都圏のエリート社会においてはかなり広範に、そして「公然の秘密」として存在しているのである。

しかし、本当に親子に多大な犠牲と金銭的負担を払わせ、子どもを東大に送り出そうという今の構造は「正しい」のか? そもそもそうやって東大に入った子どもたちに、今認識されているよりも大きな犠牲を払わせてしまう可能性もあるのではないか?
『ルポ塾歴社会』は、そういった観点をも丁寧に拾っていくことで、『ドラゴン桜』的な「学歴社会批判批判」の捉え直しを迫っている。

首都圏進学校エリート社会に関係した人にとっても、「こんな構造があったんだ」ということを全然知らなかった外側の人たちにとっても、今の日本エリート社会の構造を知る上で有益な本である。これを読み終わったときに、「東京のエリート校の子たちが羨ましい!」と思うか、「自分は関わりたくない、こんなことは非人間的だ」「自分の人生で関わらなくてよかった」と思うかは読者の判断に委ねられている。
なおこの本の読者は、子どもを中学受験させるべきか悩んでいる、もしくは現在子どもが進学校に在学中のご両親が多いと思うが、「こんなことには関わりたくない/非人間的だ」という感想を抱いた人は同じおおた氏による著作『追いつめる親』もぜひ併読されることをおすすめしたい。


5つ星のうち2.0ちょっと牽強付会な構成
投稿者かぬひもと2016年2月15日

不思議な本である。そもそも中学受験塾の覇者サピックスと、知る人ぞ知る大学受験塾界の鬼門鉄緑会をセットで論じようとしたところに無理があるという気がしてならない。両者を強引に抱き合わせで論じようとするがゆえに、後付けで「学歴社会」ならぬ「塾歴社会」なる新概念をでっちあげるしかなかった。しかし、著者は「塾歴社会」なる概念を深く考えた節がなく、その考察は迷走している。そんな印象を受けた。

まず、中学受験界の覇者サピックスについて論じてみる。既に何回も書いたが私は二人の子供をサピックスに通わせた。長男はそれで桐蔭学園に進学し、慶應大学に。長女は桜蔭学園に進学し首都圏の国公立大学医学部に進学した。二人を通わせて分かったことは、「サピックスは極めて生徒を選ぶ塾であり、サピックスに合う生徒(要するに最上位層のアルファクラスに入れる生徒)にとっては、「これほど頼もしく信頼出来る塾は無い」ということになるのだが、そうなれない生徒(いわゆるアルファベットクラスにしか入れない生徒)にとっては、サピックスは「本当に良い塾かどうか極めて疑問」ということである。サピックスのカリキュラムを貫く中心的な哲学は「平等・公平」である。開成・筑駒・桜蔭を目指すアルファワンの生徒が使うのとほぼ同じ教材をすべての生徒が同時に消化していく。最上位層にとってはなんでもないことでも、そうでないクラスの子にとっては、このやり方は猛烈な詰め込みに映る。桜蔭に進学した娘はサピックスで習う事柄のほぼ全てをサピックスの授業中に理解し暗記して帰って来たので、早ければ9時、遅くとも10時には寝ていた。それでもテストはほぼ毎回満点に近く、クラスは4年生以降ずっとアルファワンをキープ。アルファツーに「落ちた」のは2回程度だが、いずれも一回でアルワンに這い上がって来た。長男は違った。とにかく復習が終わらない。気が付くと夜中の12時を回っているということもしばしばだった。そもそも今の中学受験は親が教えられるほどヤワなものでもない。その「教える能力のない親」が教えるから、益々分からなくなる。こういう悪循環に簡単に陥るのである。もっとも、本書にはなぜか触れられていないが、最近ではサピックス直営のサピックス準拠塾プリバードというのがあって、こういうサピックスの授業についていけない層を拾い上げる仕組みが出来上がっていることは付記しておく。サピックスについては本書の59ページ60ページに出てくる水泳の比喩が非常に的を得ている。「水泳にたとえれば、自力で泳ぐことの出来る子供をそばで見守っているのと、自力では泳げずすぐに溺れそうになる子供を横から支えているのとでは親の負担はまるで違う」「そもそもひとりで泳ぐ力のない子は、サピックスに通うべきではないのかもしれない」「今は合格実績でサピックスがひとり勝ち状態なので、特に難関校志望者はサピックスに殺到しているが、みんながみんなサピックスに通う必要もない」「まだひとりで泳ぐ力が身についていない子は、バタ足から教えてくれる塾に通ってまずひとりで泳ぐ力を身につけたほうが、最終的にはより遠くまで泳げるということは十分にあり得る」。あくまで個人的な経験からでしかないが、長丁場で努力による逆転がありうる大学受験と違い、中学受験は小学生という幼い素材による短期勝負である。残念ながら中学受験に逆転はない気がする。トップに属する子供は初めからトップで、そのまま逃げ切っていく感じである。娘が属したアルファワンクラスでもメンバーの8割は固定化され、入れ替えは無かった。一番簡単な自分の子供のサピックス向き不向きの判断は小学校3年生の冬休みまでにサピックスの入塾テストを受けさせ、その時、最上位クラスに振り分けられたら、その子は「中学受験に向く」と考える方法である。菊川玲もそうやって中学受験に乗り出して行ったとどこかで読んだ。

次に本書で、おどろおどろしく「秘密結社」などと形容されている鉄緑会について書く。著者は「秘密結社」などと書きたてて煽っているが、首都圏のトップ層進学校に通う生徒及びその親にとっては鉄緑会は秘密でもなんでもない。とにかく入学の直後から父母が登校する集まりがある日は毎朝、鉄緑会をはじめとする「秘密結社塾」が大量の人員を導入して入塾のパンフを校門前で配っているので嫌でも覚えてしまう。鉄緑会の他に、SEG、平岡塾、駿台、河合塾、ENAなどがあったと記憶する。東進ハイスクールが配るチラシにはシャープペンシルと消しゴムがついているので6年間筆記用具に事欠いたことはなかったと娘はいっていた。鉄緑会のシステムは関西の灘中学校のそれを真似たものである。数学については中学1年生で中学3年間の範囲を学習し、中学2年・3年で高校3年間の範囲を学習し終える。高校に進むとそれらを2回ほど総復習しては本格的な受験対策に移るというやり方だ。この方式をすんなりと消化できる生徒には、この「究極の先取り学習方式」はおそらくベストなのだろう。これをやってしまうと、そうでない生徒たちを「まだそんなところに留まっているのか」と小馬鹿に出来る。しかし、これをきちんと消化できないと、下手すると鉄緑会の授業はおろか学校の授業も理解できない虻蜂取らずに陥り、いわゆる「鉄緑廃人」状態になってしまうのである。娘が桜蔭に入ってから、ネットでは、あたかも各進学校の進学成績は鉄緑会に通っている生徒数に比例するがごとき情報操作が熱心に展開されていた。私はそういう情報操作を見れば見るほど引いてしまい、ついに娘を鉄緑会に通わせることはなかった。娘も鉄緑会に行きたいとも言わなかった。それでも娘は超難関の首都圏の国公立大学医学部に現役で進学した。本書で著者は何度も書いているが、大学受験は決して最短コースを歩めば良いというものではない。進学先の大学であり学部は、下手をすると一生を決める選択である。自分は一体、どういう道を歩みたいのか、自分は何をしたいのか。こういう重たい問いを抱え悩むのも中学高校の大事な機能なのであって、もちろん大半の中高生は答えを見いだせないまま進路を決めていかざるをえないのだが、それが鉄緑会式の超詰め込み教育のせいで先送りされるとすると、何か大事な、重要な事柄を捨てることになると私には思えたのである。本書を読むと鉄緑会のモットーは「何とか東大に滑り込むのではなく、圧倒的な学力をつけて余裕で東大に合格する」ことにあるそうだが、そんなこと本当に必要なのかという疑念が今でも残る。幸いにしてというか、何というか、娘は鉄緑会に一切通わなかった。その間、ひたすら中学・高校生活を楽しんだ。マンガも思いっきり読んだし、ライトノベルもマンガ並みに読んだ。クラブ活動にも熱中し、桜蔭祭の前日には徹夜する勢いで展示物の作成に没頭した。いわば著者がいう「回り道」を思いっきりしたわけだ。それでも東大理科一類より偏差値が上の首都圏の国公立大学医学部に現役で受かることが出来た。何か著者は鉄緑会の在り様に疑問を呈しつつも「でも東大あるいは国公立の医学部に現役で受かろうとしたら鉄緑会に通わないとムリ」みたいな煽りを、婉曲ながら本書に差し込んでいる。このあたりが気になるところである。

さて、最後である。著者は牽強付会に「塾歴社会=サピックス・鉄緑会という鉄壁コースをくぐらないと東大もしくは国公立の医学部には進学が難しく、この塾歴社会では、いわゆる名門高校の独自教育は限りなく希薄化され、学校教育の個性が失われつつある」などと強引に結論付けるが、そもそもの前提が間違っているのだから、こんな結論が正当化されてよいわけがない。確かに首都圏の名門中学におけるサピックスの占有率は高まっている。しかし、それは「塾歴社会」などと呼ぶほど大仰なものではない。塾はしょせん塾であり、あくまで塾に通ったあとにどこの中学に合格したかが問われているのであるって、「どこの塾から入ったか」などと関心を持つひとは生徒含めほとんどいない。まして鉄緑会である。鉄緑会のカリキュラムは厳しく生徒を選ぶ。開成出身の友人に聞いたが、開成ではトップと最下位層に「鉄緑会」が目立つんだそうだ。うちの娘なんかもそのひとりだが、何も鉄緑会に通わなくても国公立大学の医学部に現役で合格することは出来るのである。このことは繰り返し強調しておきたい。

ただ著者の言い分に賛成な部分もあって、それは日本の教育システムが極めて公平・平等性を追求していて、教育格差が親の収入や家庭環境でついてはいけないという宗教的な思い込みの上に成り立っているというのは事実であるということだ。すべての子供が文部科学省が定めた教育指導要領の上に一直線に並べられ、その結果として順番がつけられる。裏道もバイパスも許されないから、そこでつく差はすべて本人の努力の差とされ(遺伝子レベルで差があって生まれる前から差が付いているとは公には言えない)るから、言訳の許されないぎすぎすした社会的空気が生まれるのだが(圧迫感というか無言の圧力というか「圧搾空気」が日本の高校には充満していると以前、外国人が例えていたのを思い出す)、これそもそもが公平性平等性を極限まで追求した結果だという説明は納得がいく。もう少し身分格差というか、階級格差があって、その中での「たしなみとしての教育」という位置付けでも構わないと私は時々思うが、平等真理教に取りつかれた教育学者にそんなことをいうと怒髪天を突く状態になってしまうこと請け合いである。しかし、平等を突き詰めていくと、受験の勝者は偉い人であり、勝利の美酒は努力した当然の結果であってひとりで味わうのが当然で、社会に還元するなんて一昨日来やがれという芥川龍之介が「蜘蛛の糸」で描いたカンダダみたいな受験勝者ばかりになってしまう。私はこうなることをむしろ恐れる。勝負は初めから不公平で、勝ったといっても、それは階級格差による必然という部分があって、勝った勝ったと浮かれてばかりおらず、勝って兜の緒を締めて、勝利の結果を社会を還元しないと、じきに社会そのものが壊れてしまうと教える方がはるかに教育システムがサステイナブルなものになると私は思うが平等真理教主義者たちは絶対にそうは思わない。ここにこそ、つまり平等性公平性の病的なまでの追求こそが日本の教育システムを疲弊させていると私は思うが、どうだろうか。


5つ星のうち3.0東大理Vを目指す最短コース
投稿者革命人士ベスト500レビュアー2016年3月24日

東大に入る学生の出身高校はバリエーション豊かだ。だが東大最上位である理Vには鉄緑会が過半数の学生を送り込んでいる。また、理Vに首都圏から入る生徒の大半は、小学校時代にSAPIX最上位クラスに通っていた生徒だ。という意味で、日本の学力最上位層は、出身学校のバリエーションはあるように見えても、出身塾のバリエーションには乏しい。本書は、今や「学歴」ではなく、「塾歴」が学力エリート層の代名詞になる時代、と評している。

東大やその出身校となる中高最上位校も、ある程度の難問にスマートな解法をあてはめ、短時間で大量に処理させる出題をしている。効率よくというか要領よく難問をさばいていく学生を求めていて、その出題傾向に最適化した指導カリキュラムを両塾とも作り込んでいる。復習の宿題も桁外れに多く、進度も超高速だ。SAPIXは小4,5であっても、1週間休んだら付いていけなくなるといい、鉄緑会では中1で中学全分野を終え、中学で中高の全分野を終わらせるという。学生生活のすべてを鉄緑会に打ち込んだ挙句、つぶれる生徒も少なくない。「入塾生を選抜しない」「短期間で志望校へ」という鉄緑会へのアンチテーゼ的な思いを打ち出す、成増塾のような塾が成長しているという話が印象的だった。

「『できる子』はこうした最短コースで、さらにできるようになる。『普通の子』もこの量と進度に耐えられれば、『できる子』に伍して東大に入れる」と著者はいう。その一方で、この最適化されたトラックにみんなが集まれば集まるほど、「普通の子」の負荷は増すばかりになる、と懸念する。また、徹底的に戦略が最適化された東大ゴールデンコースにおいて、もはや本人による受験戦略立案は不要になった。本人には処理能力と忍耐力だけが求められている。処理速度・忍耐力があれば、ほかの能力も恵まれている可能性は高い。だが、その2つの能力を欠いてもほかの分野で高い才能を示す人材も多いだろう。だから、東大が取りこぼしている有為な人材は増えているのではないかという。「最短コースだけではなく、答えのない問いに悩むなど、回り道も豊かな人生には必要」という著者の主張はやや紋切りな感じはするが、これだけの取材を積んでの結論なので、理解はできる。

ルポというほどの深みは持たなかったが、炎上しやすいネタであるにも関わらず、抑制の取れた記述できちんと取材している。両塾について、知ることが多かった。学齢期に入る子を持つ首都圏の親で、気になる人は読んでもいいかもしれない。子どもには酷となる最短コースを「同じように歩ませたい」とはそうそう思えないだろうが。


5つ星のうち4.0「王道」だけではなく「回り道」も知ってほしい
投稿者クマNo1レビュアー殿堂入りNo1レビュアー2016年3月21日

2015年の東大合格者数ランキングの上位には「開成」「筑波大付属駒場」「灘」「麻布」
などの学校が名を連ねる。さらにこれらの学校に入学するための中学受験塾として
「サピックス小学部」があり、大学受験のために通うのが「鉄緑会」だ。つまり、サピックス
から鉄緑会という流れができているのだ。

この二つの塾出身者が東大理V合格者のうち6割以上を占めるというから驚きだ。
これが塾歴社会の由来である。

しかし、この王道を歩んできた人が振り返ってみると「大学に入るまで塾に頼りきる
生き方は、もしかしたら私から、何か深く思考する能力を奪ったのではないか?」
という、秀才の目を開くのは「王道」ではなく、実は「回り道」であったと語る。

このことを心理学では「レジリエンス」と言い、塾では得られない貴重な「回り道」を意味
する。しかし合格者の多くはいわゆる「名門校」に通っていて、単に偏差値や、合格率が
高いというだけの進学校ではなく、独自の教育理念に基づいた伝統を身につけた
「ハビトゥス」は回り道をした時こそ、その効果を発揮するという。

名門校に通って、ハイエンドな塾に通うハイブリッドな教育を受けていて、「王道」を
歩みながら、「回り道」も経験するという生き方を彼らに期待したいものである。


5つ星のうち3.0受験の王道
投稿者Soeken2016年2月19日

中学受験はサピックス大学受験は鉄緑会そして東大進学が王道だそうです。私の子供はまだ幼稚園だしまだまだ先の話だけどこんなの嫌だなというのが正直な感想。大人として強くいきるには頭の良さも必要だけど気概、自分の人生を切り開く気迫のようなものが大事だと思っています。だから自分の子供には受験に当たっても自分の考えを持って回り道をしても良いからこの王道には乗っからないでほしい。


5つ星のうち1.0商魂
投稿者クラをタ2016年3月24日

商魂たくましい出版社とライターの涙ぐましいマーケティングの産物。サピックスを題材にした新書は他社からも出ているが、鉄緑までとりあげたものは珍しく、興味ある向きには参考になろう。但し、内容は塾のパンフレットを詳しくしたような提灯本で、もっと他の塾との比較が望ましく、親たちの需要にはこたえてない。それもそのはずで、この手の本は、塾に版元が大量購入してもらいパンフレット代わりに配ってもらうのも一つの営業目的なのだから。両方の塾ともに定評ある塾だけに、こうした破落戸の力など借りる必要もなさそうなものだが。客観的に親が判断出来るのなら損にはならないのだが、無分別な親が不相応なことに焦って嵌まるなら迷惑な話だ。他の方もおっしゃっていましたが、こうしたエリート志向の塾に通わずとも、旧帝大医学科や東大に入っている人は多く、それぞれ子どもに合った塾や勉強を心掛ければ良いのであり、サピックスや鉄緑会が絶対というのは、雑音でしかない。出版不況で大変なのだろうが、立ち読みで済むような底の浅い本が多すぎる。見城さんしっかりしてください。


5つ星のうち5.0素晴らしい
投稿者ヘルペス2016年2月17日

単なる受験情報でなく、教育とは何かということまで考えさせられる内容でした。難関大出身者が答えのない問題に対峙することが苦手で、問いを問いとして持ち続けられないことが、現実社会の問題に対応できない理由、というくだりは、ハッと霧が晴れるような感覚をおぼえました。素晴らしい書籍だと思います。


5つ星のうち5.0これから大学受験を目指す子を持つ親として、学校と塾、勉強の仕方、王道を進むのがいいのか否か、などいろんなことを考えさせられました!!
投稿者直いい親父ベスト500レビュアー2016年2月3日

 これから大学受験を目指す子供を持つ親として、興味を持ちましたから購入、通読しました。
 私が受験生の頃は、進学塾というものは殆どなかったので、私自身は塾というものの体験がありません。
 私たちの頃は、例えば私たちの学区では、東中学、大手前高校、そして、京大、阪大というのが、 
 いわゆるエリートコースということになるのだと思います・・・・大阪の場合です・・・。
 東京では、日比谷高校、東大というコースになるのでしょう。
 しかし、今は中高一貫の名門校、東大(医学部)というのがエリートコースで、それに「鉄緑会」「サピックス」という塾が絡んできているわけです。
 鉄緑会の名前の由来は、東大医学部の同窓会組織、鉄門倶楽部、そして、東大法学部の自治会、緑会で、
 簡単に言うと、東大医学部、法学部を目指す塾、ということになります。
 そして驚くべきことに、東大医学部の6割以上は、鉄緑会出身ということになるのです。
 逆に考えると、塾歴社会は、教育の画一性の結果生まれたもので、今の学校にとって、塾は必要不可欠のような存在であると言えます。
 塾があるからこそ、学校側は、受験勉強のみになることなく、学校独自の教育が出来るわけです。
 中には、塾に通わずともすべて学校で面倒を見る、という学校も出来ているようですが、果たしてどうなのでしょうか?
 鉄緑会は、講師陣が充実していまて、東大が身近に見えてくるという心理的側面もありますが、
 宿題が沢山出て、授業中にそれらをこなさなければならない、という弊害も出てきます。
 本書は、学校と塾の関係、利点、問題点、などを受験生の実例を挙げて色々検証しています。
 結局、著者があとがきで書いているように、塾とは勉強という才能に恵まれた子供たちが、
 切磋琢磨して成長していく場所と考えるのが妥当なのかな、と思います。
 通読して、これから大学受験を目指す子を持つ親として、
 学校と塾との問題、王道を進むのがいいのか否か、などいろんなことを考えさせられました。
 しかし、最後は、子どもの能力を親が過大評価しすぎないようにし、
 客観的に本人の資質に沿った適切な進路をとらせるのが一番大事なのかな、と思います!!


5つ星のうち5.0SAPIX→鉄緑会→東大医学部
投稿者Goldbird2016年2月4日

代々木駅の近くに鉄緑会のビルはある。最近立て直して新しくなった。
私の家の近くなので、時々前を通る。進学塾なのは知っていたがここまで凄い塾とは知らなかった。SAPIX→東大ランキングトップ10の学校→鉄緑会→東大医学部
という流れが出来ていると著者は述べる。又現在東大医学部の合格者の内6割以上が「鉄緑会」出身者で占められているとも。
つまり「学歴」よりも「塾歴」。日本では塾が受験エリートを育てているのだ。サピックス、鉄緑会の内幕、塾歴社会の光と闇についても著者は言及していく。
本当の教育とは何かについて考えるには最適の本である。


5つ星のうち3.0なんだかおどろおどろしい印象を受けるような書き方だが…
投稿者不良塾講師2016年2月16日

毎年、受験の季節になると週刊誌などで東大などの合格者数が報じられるが、鉄緑会をはじめとする名門中高一貫校生向け予備校の存在が語られることは少ない。その意味で、そういう予備校の存在を知らなかった人には意義があるかもしれない。
灘・開成・筑駒といった名門校の校長が、「うちでは受験のための詰め込み教育などしておらず、生徒の自主性を尊重している」というようなことを語っている。それはウソというわけではないが、こういう名門校の生徒の多くが鉄緑会をはじめとする名門中高一貫校生向け予備校に通っているという事実を見ないと重要な一面を見落とすことになると思う。そしてこういう予備校の存在は教育格差による格差社会の形成、また東大をはじめとする名門大学生の格差肯定的・保守的価値観の形成に大きく貢献しているのである。

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5つ星のうち5.0「塾歴社会」のままで日本は良いのか、考えるきっかけになりました
投稿者水鶏2016年2月14日

難関中学校、難関大学合格者のうち、多くの割合がサピックス・鉄緑会の出身者で、この二強が日本の頭脳を育てている「塾歴社会」と表現されています。著者は、そのサピックスも鉄緑会も否定的な書き方はしていません。例えば、サピックスの「アクティブ・ラーニング」の手法や復習をくり返すシステムなど、一保護者として教育的な魅力をたくさん感じられました。鉄緑力の東大入試を徹底的に研究しつくしたテキストやカリキュラムも見てみたいです。

「鉄緑会」。名前だけは聞いたことがありましたが、実態は知りませんでした。
毎年春頃に出る雑誌の「高校別 東京大学合格ランキング」特集で、筑波大学附属駒場、開成、桜蔭など常連校名を見て、「やっぱり偏差値が高い私立中高一貫校は優秀だな〜」と思っていました。それは学校の教育力のためだと思っていましたが、大学受験勉強に関しては塾の力、鉄緑会が背景にあることがこの本を通じて分かりました。

何がなんでも東京大学合格が一番の目的であれば、鉄緑会はありがたい塾であることは間違いないと思います。
ただ、その合格のために学校の授業中は塾の宿題をやるという時間の使い方、部活動や学校行事をおろそかにしかねない状況になるのは、本末転倒に感じました。

本書には、塾の講師、サピックス卒業生を受け入れている中学校の先生、サピックス・鉄緑会の卒業生など、たくさんの「生の声」が書かれています。子を持つ保護者で塾通いを検討している人は、「我が子(のレベル)で、この環境でやっていけるか」を見極めるヒントにもなると思います。

大量の課題をこなせる処理能力と忍耐力は受験生活で鍛えられるけれど、これらの能力は、人工知能が支配する未来で負けてしまうものとも感じられました。2020年の大学入試改革を契機に、学力だけでない多面的な能力を図る入試へと、そして塾歴社会も少しずつ変わってほしいと思います。


5つ星のうち5.0日本の所得格差が教育格差
投稿者Amazon カスタマー2016年2月13日

家に経済的余裕がない場合、子供に塾に通わせることはできません。
よって金持ちの子は大卒(東大を筆頭に)となり、貧乏の子は高卒や専門卒となる、そんな大人が親になって歴史を繰り返す。そんな格差を塾歴を通して感じましたね。


5つ星のうち5.0全く知らない事なので面白く読みました。
投稿者影2016年2月9日

 塾に通ったことないのでこんな世界があると知って驚くと同時に
こういう塾もあと何年かすると無くなってしまうか様変わりするのでは
ないかと思いました。


5つ星のうち5.0大学進学と鉄緑会
投稿者いせむしベスト1000レビュアー2016年2月8日

鉄緑会に関して興味をもっていたので読みました。

東大生による東大入試専門塾。
軽い選民的な気配はありますが、
普通のビジネス。
結構歴史のある塾。
カルト的な集団かと思いきや、
多少の肩すかしと安心を感じます。

大学進学についての格差はあらゆる観点で存在しているわけで、
その格差をつついている点で、憂鬱な1冊です。
大学入試を研究している人は必読かと思います。

SAPIXは、教育の中心は教師なのだなという感想。


5つ星のうち3.0公教育の必要性は?
投稿者INOUE Akihiro2016年2月7日

塾が学歴社会の形成に決定的な影響を及ぼしているということが書いてある。
しかし、苦労して入学した難関中高一貫校の効用については、誰も語らない。
冒頭のケースだと、受験生親子は、中高一貫校に合格した直後に、すぐに鉄緑会への入学手続きをしている。
だったら、塾だけに通っていれば、もっと楽に学力が上がるんじゃいないの?
途中は意味がないんじゃないの?
中学は入学手続きだけをすれば、通学しなくても、卒業証書はもらえるし、高校はスキップしても、高認試験に合格すれば、卒業したことになるんだし。


5つ星のうち5.0SAPIX→鉄緑会→東大医学部
投稿者Goldbird2016年2月4日

代々木駅の近くに鉄緑会のビルはある。最近立て直して新しくなった。
私の家の近くなので、時々前を通る。進学塾なのは知っていたがここまで凄い塾とは知らなかった。SAPIX→東大ランキングトップ10の学校→鉄緑会→東大医学部
という流れが出来ていると著者は述べる。又現在東大医学部の合格者の内6割以上が「鉄緑会」出身者で占められているとも。
つまり「学歴」よりも「塾歴」。日本では塾が受験エリートを育てているのだ。サピックス、鉄緑会の内幕、塾歴社会の光と闇についても著者は言及していく。
本当の教育とは何かについて考えるには最適の本である。


5つ星のうち5.0これから大学受験を目指す子を持つ親として、学校と塾、勉強の仕方、王道を進むのがいいのか否か、などいろんなことを考えさせられました!!
投稿者直いい親父ベスト500レビュアー2016年2月3日

 これから大学受験を目指す子供を持つ親として、興味を持ちましたから購入、通読しました。
 私が受験生の頃は、進学塾というものは殆どなかったので、私自身は塾というものの体験がありません。
 私たちの頃は、例えば私たちの学区では、東中学、大手前高校、そして、京大、阪大というのが、 
 いわゆるエリートコースということになるのだと思います・・・・大阪の場合です・・・。
 東京では、日比谷高校、東大というコースになるのでしょう。
 しかし、今は中高一貫の名門校、東大(医学部)というのがエリートコースで、それに「鉄緑会」「サピックス」という塾が絡んできているわけです。
 鉄緑会の名前の由来は、東大医学部の同窓会組織、鉄門倶楽部、そして、東大法学部の自治会、緑会で、
 簡単に言うと、東大医学部、法学部を目指す塾、ということになります。
 そして驚くべきことに、東大医学部の6割以上は、鉄緑会出身ということになるのです。
 逆に考えると、塾歴社会は、教育の画一性の結果生まれたもので、今の学校にとって、塾は必要不可欠のような存在であると言えます。
 塾があるからこそ、学校側は、受験勉強のみになることなく、学校独自の教育が出来るわけです。
 中には、塾に通わずともすべて学校で面倒を見る、という学校も出来ているようですが、果たしてどうなのでしょうか?
 鉄緑会は、講師陣が充実していまて、東大が身近に見えてくるという心理的側面もありますが、
 宿題が沢山出て、授業中にそれらをこなさなければならない、という弊害も出てきます。
 本書は、学校と塾の関係、利点、問題点、などを受験生の実例を挙げて色々検証しています。
 結局、著者があとがきで書いているように、塾とは勉強という才能に恵まれた子供たちが、
 切磋琢磨して成長していく場所と考えるのが妥当なのかな、と思います。
 通読して、これから大学受験を目指す子を持つ親として、
 学校と塾との問題、王道を進むのがいいのか否か、などいろんなことを考えさせられました。
 しかし、最後は、子どもの能力を親が過大評価しすぎないようにし、
 客観的に本人の資質に沿った適切な進路をとらせるのが一番大事なのかな、と思います!!


5つ星のうち5.0東京進学校エリートたちと〈秘密結社的ハイ・ソサエティ〉
投稿者vidodaba212016年1月29日

この本は、「知る人ぞ知る」という状態であった日本の若年エリート社会を見事に描き出した、きわめて問題提起的な著作であると思う。

近年、辛酸なめ子氏の『女子校育ち』を始めとして、東京の進学校に通うおぼっちゃん・お嬢様たちの生態を描いた本が立て続けに出版されている。たとえば開成高校野球部の内幕を描きドラマ化もされた『弱くても勝てます』は当初はアマチュア野球の「弱者の戦略論」として注目されたものだが、実際の本の内容は、「野球部を通して開成高校の生徒たちの生態を描いた」という点が画期的であった。『弱くても勝てます』というタイトルとは裏腹に、「弱いと『勝てない』」「ではその『弱さ』というのはどこから来るのか?」ということが描かれていたのだ。その「弱さ」というのは受験エリート特有の「ひ弱さ」でもあったと思う。

それはいいとして、このおおた氏による『ルポ塾歴社会』を読み解く際には、いくつか必要な前提があるのでそれを列挙してみようと思う。

<学歴社会批判という文脈>
そもそも日本の一般社会において「学歴社会批判」というのは根強いものがある。大学生の就職活動において企業が学生をふるい分ける際に、「学歴フィルター」と言われるように大学名を裏の選考基準として用いていることは有名である。その学歴フィルターにかからない大学の学生からは「学歴で人を差別するのは不公平だ」という声が上がるわけであり、企業は学歴フィルターを用いていることはおおっぴらにできないので「うちの会社は選考基準に学歴を用いていません」ということを表向きにアピールしたりする。一方でその学歴フィルターの内側にいる学生たちは、「学歴で差をつけるのは当たり前」という感覚を持っていて恩恵も受けているので、学歴差別そのものには異を唱えずむしろ「何も言わずに利用する」。日本社会では「学歴で差別されるのは当たり前でしょ」ということをあからさまに言うことはできない、という構造はそれだけ強固なものがある。

<学歴社会批判批判という捉え返し>
そもそも「学歴差別」というものには何の正当性もないわけではない。シグナリング理論など社会科学のなかではいろいろな研究があるのだが、企業内部の経験知としても「学歴である程度のフィルタリングを行うのは、採用活動において一定程度以上の合理性がある」ということが広く認識されている。
しかし実際に運用されていることとは別に、日本の言論空間では学歴差別はタブーである。そういう状況に対して「学歴差別は当たり前」ということをカウンター的な言説として打ち出す動きがあり、その象徴的な存在が、東大受験を描き2005年にはドラマ化もされた漫画『ドラゴン桜』である。
『ドラゴン桜』には戦後民主主義的な教育観に対するアンチテーゼの側面がある。戦後民主主義的な教育観の現れのひとつとして「人間を学歴で差別するのは非人間的だ。学歴なんかよりも大事なこと、教育が実現すべき価値がある」という言い方がある。しかしドラゴン桜の主人公・桜木は「そんなのは綺麗事だ。実際に日本社会には厳然として学歴差別があるのだから、そのルートに乗っかった上で上手く活用すべきだ」ということを説いている。この主張には論理的にはかなりの程度の正当性が認められるだろう。

<さらにその先を「再考」する必要性>
しかし『ドラゴン桜』では描かれることのなかったものがある。実際の東大受験において、漫画のように無名進学校から東大に合格するのはかなり難しい。東大合格者のほとんどは、東京や関西の有名進学校から輩出されているという現実がある。それに大きく寄与しているのが、「鉄緑会」という有名進学校在学者のみが在籍を許される東大受験専門塾の存在である。そこでは東京の進学校トップ校の生徒たちが集まり、東大に現役合格するための〈ハイ・ソサエティ〉のようなものを形成している(ハイ・ソサエティとは「上流社会」「社交界」という意味である。「ハイソ」の語源)。お互いに競い合い、「東大に行くのが当たり前」という雰囲気と、「東大に受かるためのノウハウ」を共有する。悪い言葉を使えば、インサイダー情報を集めまくり、それでメンバー同士でボロ儲けする投資家クラブのようなものである。

そして鉄緑会への通塾資格のある有名進学校に通うために、子どもをエリートにしたい教育熱心な親たちは小学校高学年からSAPIXという中学受験専門塾に通わせる。
要するに私立進学校に通わせるにとどまらず小学校〜高校まで子どもを塾に通わせるなどの多大な教育投資をし、東大に送り出すというルートが、首都圏のエリート社会においてはかなり広範に、そして「公然の秘密」として存在しているのである。

しかし、本当に親子に多大な犠牲と金銭的負担を払わせ、子どもを東大に送り出そうという今の構造は「正しい」のか? そもそもそうやって東大に入った子どもたちに、今認識されているよりも大きな犠牲を払わせてしまう可能性もあるのではないか?
『ルポ塾歴社会』は、そういった観点をも丁寧に拾っていくことで、『ドラゴン桜』的な「学歴社会批判批判」の捉え直しを迫っている。

首都圏進学校エリート社会に関係した人にとっても、「こんな構造があったんだ」ということを全然知らなかった外側の人たちにとっても、今の日本エリート社会の構造を知る上で有益な本である。これを読み終わったときに、「東京のエリート校の子たちが羨ましい!」と思うか、「自分は関わりたくない、こんなことは非人間的だ」「自分の人生で関わらなくてよかった」と思うかは読者の判断に委ねられている。
なおこの本の読者は、子どもを中学受験させるべきか悩んでいる、もしくは現在子どもが進学校に在学中のご両親が多いと思うが、「こんなことには関わりたくない/非人間的だ」という感想を抱いた人は同じおおた氏による著作『追いつめる親』もぜひ併読されることをおすすめしたい。

 

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コメント
 
1. 2016年6月04日 10:59:25 : 1uW2YYO4hE : TBDq2os1sxY[8]
>「貴校の入試問題は癖がありすぎて努力した子供が報われないこともある。努力した子が報われやすい、もっと素直な問題に出題傾向を改めない限り、

素直な問題を解くのはただの努力家でしかない。
真のエリートならば癖のある問題にも挑戦、解けなければならない。
世の中、素直なものではないのですから。


2. 2021年3月03日 14:55:24 : Nd4jv9yqCg : RWd3eWguMDhmS1E=[3] 報告
予備校「武田塾」一部校舎で「やらせ口コミ」 社員が塾生装い高評価投稿...運営会社が謝罪
https://news.yahoo.co.jp/articles/d43c33c8b011d969037f74545ae2722cc186af8f
 予備校「武田塾」の一部校舎の社員が、口コミサイトで塾生を装い好意的な書き込みをしていたことが2021年3月2日、J-CASTニュースの取材でわかった。
運営会社は取材に対して事実を認め、「みなさまに多大なるご迷惑・不愉快な思いをさせてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。

■「同じ回線で投稿しないこと。アンパイはモバイルデータ通信」

 武田塾は「日本初!授業をしない」のキャッチコピーを掲げ、全国で300校舎以上を展開する。

 「やらせ」口コミが発覚したのは、千葉県柏市にある校舎。同校の関係者とみられる人物が、従業員が参加するグループチャット上のやりとりを収めたキャプチャー画像をインターネット掲示板で公開した。

 画像では、社員が26人の従業員に対し、校舎の知名度を向上する目的で「Googleマップの検索順位UPを目指したいです。そしてこちらでやれることのひとつとして『口コミ投稿』をお願いします」と呼びかけるメッセージが確認できる。

 「Googleアカウントで★5評価をつけ、生徒目線で軽く口コミを投稿」と口コミの文章例とともに具体的な指示もしている。

 Googleマップは、米グーグルが提供する地図サービス。訪問した場所などに最大五つ星の評価と口コミを投稿できる。

 「講師の名前が分からないアカウントで操作する」「校舎のWi-Fiなど、同じ回線で投稿しないこと。アンパイはモバイルデータ通信です」と注意事項も挙げており、

「同時刻に一気に投稿しないこと。他校者(原文ママ)でこれをやってしまい、投稿が反映されませんでした」

と、他校舎でも同様の行為をしているとうかがわせる一文もあった。

「今後同じことを繰り返さないように努めます」
 グーグルマップの口コミを充実させるなどして、検索時に自社の地図情報の上位表示を目指す施策は「MEO(マップエンジン最適化)」または「ローカルSEO(検索エンジン最適化)」と呼ばれる。一般的なウェブマーケティング手法で、注力する企業は少なくない。

 しかし、武田塾のように消費者を装った宣伝行為は、いわゆるステルスマーケティング(ステマ)に該当する。グーグルも「自分の店やサービスのクチコミを投稿すること」を禁止している。

 柏市の校舎を運営するアカデミー・オブ・ファースト・パシフィック(東京都目黒区)は2日、J-CASTニュースの取材に「この度は、弊社が運営しております柏校で不適切な指示があり、みなさまに多大なるご迷惑・不愉快な思いをさせてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます」と事実と認め、謝罪した。

 同社は、武田塾を運営する「A.ver」(東京都文京区)のフランチャイズ加盟店に当たり、約40校舎を展開する。

 同社によれば、校舎長の指示で社員が口コミ投稿を依頼し、「校舎長の認識の齟齬(そご)により起こった事案」と説明する。動機は「グーグルの口コミ掲載がなく、数を増やすため」。

 会社や本部であるA.ver社の関与は「一切ございません」と否定した。チャット上では他校舎での実施も示唆されていたが、「他校舎で行ったという報告は受けておりません。校舎長からは『そのような話を聞いたことがあったため』に書いたと聞いています」と釈明する。

 関与した社員には厳重注意をし、「社員研修や制度を見直し、今後同じことを繰り返さないように努めます」としている。

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