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「認知症700万人時代」にどう立ち向かうべきか 避けられない認知症「破壊的増加」今こそ抜本的対策を 落下の日本学
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/772.html
投稿者 軽毛 日時 2017 年 3 月 17 日 01:00:53: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

「認知症700万人時代」にどう立ち向かうべきか

避けられない認知症「破壊的増加」、今こそ抜本的対策を

パラシュート無き落下の日本学「首都圏2030」
2017年3月17日(金)
山本 一郎

 形あるものはいずれ終わりを迎える。人の人生も星の一生も始まりがあれば終わりがあるのは世の理であって、この宿命から逃れることはできない。高齢社会と一口に言っても、人が亡くなることは自明として、人がどう終末を迎えるのか、周りがどう送るのかが高齢社会問題に対するひとつの視点だ。幸せを感じて安寧のうちに幕を閉じることができる人を増やせる社会が望ましいことは言うまでもない。人が人として生きていくにあたって、その最期にあたっては人として尊厳ある終わり方を迎えたいと願うのもまた、意識という恵みを持つ存在であるが故の理であろう。
 本稿では認知症が引き起こす社会問題について、主に都市政策にまつわる視点から取り上げる。いままでも、高齢社会を考えるにあたって重要なパートであった認知症を患う高齢者は重要だという認識は強かったが、九州大学久山町研究を通じて2025年に日本で認知症が700万人を超える推計が発表[1]され、概ねその進捗通りの認知症を患う高齢者の増加が確認されるようになると、対策の遅れや不徹底が改めて浮き彫りになる面も出てくるようになってきた。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/022700044/031500002/g1.png?

医療、地域、家庭でどう受け止めるか
 とりわけ、日本社会における認知症の破壊的な増加は、一口に高齢化社会現象と片付けることのできない強いインパクトを持つ。それは、高齢に差し掛かった一個人が生産をやめ社会に富を生み出さなくなることだけでなく、それを支える医療や地域、家族のリソースを消費し続けることになるからだ。介護も終末期医療の問題も、突き詰めれば「人間としての社会性を失いゆく高齢者をどのように社会は受け止めるべきか」という深淵な事実に向かい合わなければならない。
 その立脚点として、少なくとも2012年(平成23年)の段階ですでに自律的な生活に支障をきたしている認知症有病者が日本に462万人存在する[1]。このうち、精神科など医療機関に入院して治療を受けている人数は22万人ほどで、その過半は入院後一か月ないし半年しないうちに退院して家庭や地域に舞い戻ることになる以上、不便を感じながら自宅で家族や施設で暮らしている高齢者がそれだけいるということになる。つまり、だれか健常者の手を借りながら暮らしている認知症患者が生きていくためには、生活力や所得の乏しい本人だけでなく、本来であれば働きに出るなどして生産的な活動をしていたかもしれない誰かを巻き込んで暮らしている可能性がある。
 調査結果によって推計値や結論に差はあるが、厚生労働省「国民生活基礎調査」(平成25年)では認知症高齢者の家族との同居は61.6%(うち、子供や子供の配偶者の合計は33.0%)、事業者は14.8%である。自立した生活を送れている認知症患者の割合は少ない。老齢に差し掛かって伴侶・配偶者からの支援(26.2%)以外の人の手を借りて暮らしている高齢者は、年金など社会保障の収入とは別にそれだけの生産可能人口からの支援を受けながら生活していることになる。逆算すると、2012年すでに300万人ほどの日本人が認知症患者の生活支援を何らか行いながら暮らしており、2025年にはそれが500万人以上になるのであって、人口のおよそ4.6%が認知症患者を家族に持ち生産性を発揮せずに患者本人が亡くなるまで暮らしていく構図が浮かんでくる。
 一連の調査において、特に認知症との関わり合いの深い疾患として糖尿病が挙げられている。認知症有病率が2012年以降一定であると仮定した場合、推定認知症患者数は2025年に675万人とされる一方、将来糖尿病の頻度が2012年以降20%上昇すると仮定した場合、将来の認知症患者数は2025年には730万人に達すると推計されている[2]。また、主たる認知症の症状であるアルツハイマー病の患者数は、各年齢層の認知症有病率が一定と仮定した場合は2025年466万人と推計され、将来の認知症患者の過半がアルツハイマー病となる予測になり、認知症予防や治療にあたっては、このアルツハイマー病由来の認知症状を緩和したり、何らかの改善を促す施策を積極的に取らなければ大量に発生する認知症患者由来の高齢者問題が続発してしまうことになる。まさに認知症対策の策定と実施は高齢化する日本社会の急務と言えよう。
 また、軽度認知障害(MCI)を認知症予備軍として見込む調査も多い一方、かかりつけ医や物忘れ外来など軽度認知障害である所見がないまま、何となく家族が高齢者の物忘れに認知したころには相当程度の認知症状の進展が起きているケースも無視できない割合存在する。特に若年性認知症では本人の自覚もないうちに急速に進む症例は多数報告されており、効果的に把握したり、症状を認識して防ぐ治療を行うということがなかなかむつかしい。
 もっとも重要な政策の骨子は、2015年(平成27年)に取りまとめられた「認知症施策推進総合戦略」、通称「新・オレンジプラン」だ[1]。ここでは「認知症高齢者等にやさしい地域の実現には、国を挙げた取組みが必要」としたうえで、国家が策定する認知症対策の7つの柱に沿った政策パッケージを構成しているのが特徴であり、全体としては認知症に対する理解を促す普及・啓蒙と、認知症の事前・事後の治療など医療に関する政策支援、そして認知症患者を家族に持つ人たちに対するケアという色分けがなされる。本稿で前回述べた通り、認知症を発症後、本人が意図せず犯罪を犯してしまうケースが後を絶たないことも踏まえて、医療、地域、家庭で高齢者を受け止める中で認知症問題が一際クローズアップされざるを得ない。
 生まれたばかりの赤ちゃんがいきなりは社会性を備えないのと同じように、これから寿命を全うしようとする高齢者も死に向けて様々な機能を失いながら生活している。何らか保護者の世話を受けなければ生活が立ち行かない。認知症の進行の程度によっては社会性を完全に失うような状況にも容易に陥るうえ、本人の自覚症状の有無にかかわらず認知症患者が家族にいるだけで相当な家計的負担を強いる。
 子供の発育状況に個人差があるように、認知症の原因や経緯も様々であって、認知症患者を保護する家族の受け入れ度合いや症状の進行スピードも異なるため、認知症患者がいるからといって介護事業のようにどこまで踏み込んでよいかの線引きが極めてむつかしい。それゆえに、認知症対策には介護問題とは別の体制が必要とされる。2015年(平成27年度)予算案から盛り込まれている内容から見ると、医療・介護専門職による認知症初期集中支援チームの配置、医療・介護連携のコーディネーター(認知症地域支援推進員)の配置等、早期診断を行う認知症疾患医療センターの整備と、生活支援コーディネーターの配置等に予算が大きく振り分けられている[4]。家族のいない認知症患者に対するケアを行うためにも民生委員やコーディネーター、認知症サポーターといった制度に従事する人たちを増やすことは急務だが、そのほとんどは薄給か無報酬でのボランティアに近い状態であって、人数的な充足も、一人当たりの活動時間の確保も、認知症その他に対るケアのスキルや知識も、爆発的に増加する認知症患者の前には追い付かない状況に陥りかねない。
「to be」と「can be」をいかにすり合わせるか
 認知症対策を考える上で、特に問題となるのは認知症がもたらす生活上の機能低下がどのレベルで発生するかである。まさに政策上の「to be」(おこなうべきこと)と「can be」(起きるであろうこと)のすり合わせが求められる局面であるが、日常生活動作(ADL)レベルと要介護認定のレベルで調査する場合、脳卒中などの疾病の後遺症やがん治療中の患者などと並行してスパイラルな機能低下を起こした高齢者が不可逆に症状を悪化させ、高次脳機能障害を引き起こす状況が多数報告されている[3]。現状では、厚生労働省が介護度レベルを決定するための「1分間タイムスタディデータ」が基準となっており、根拠となっているのは高齢者約3,500人を対象として48時間にどのような介護サービスがどれ位の時間をかけて行われたかを調べて算出したデータが中心である。
 しかしながら、臨床例でしばしば報告されるのは「認知症の具体的な進行度合いと、介護保険で認定されるスタディデータが必ずしも一致しない」ことにある。簡便な例では、判定員という見知らぬ人物からヒヤリングされる痴呆症高齢者が、外部の刺激を受けることでその受け答えや動作テストのときだけ「シャキッとして、普段できないこともできてしまう」ことや、日常で困っていることが口頭では「できる」と説明してしまい要介護認定のレベルが下がる傾向にある。それ故に、要介護認定のレベルで認知症問題という人間の内面、脳の機能を調査しようと思っても、なかなか実態にたどり着かないという問題を引き起こす。
 認知症の進捗度を示す日常生活自立度と、介護保険を受ける上で必要な要介護認定のレベル判定とで差がある以上、本来であれば心・知覚能力と身体・生活能力とを分けて高齢者を判断し対策を打ってきた従来の政策方針を微修正する必要が出てきているのだ。
 それ故に、厚生労働省が策定した「新・オレンジプラン」の中では、日常生活自立度のランクに基づいて認知症の進行度合いを示すアプローチを「発症予防」「発症初期」「急性増悪時」「中期」「人生の最終段階」としたうえで、医療、地域、家庭の役割を明確にしながら対策を立てるとしている[4]。認知症の早期鑑別の重要性についてはかねてから指摘がなされており、とりわけ「物忘れ外来」で対応されることの多いBPSD(認知症の行動・心理症状)については、入院の95.2%が患者本人での対応が困難で生活に支障をきたすため診療即日入院とする措置が取られる。
 一方で、入院経過に伴い認知症症状が快癒するケースも少なくなく、入院1ヶ月時点でBPSDはほぼ改善し、BPSDの治療に要する期間は約1ヶ月が妥当と考えられるため、入院後すみやかに退院に向けてサービス調整を行う必要がある[5]。妄想や幻覚、強い抑うつ症状と不快感などNPIスコア(Neuro Psychiatric Inventory)の改善は入院後、適切な投薬治療が行われれば83%から87%程度の患者の精神状態は快方に向かう。その人たちは改善が見られれば退院してくるものの、処方される薬を飲み続けなければ再び深刻な認知症状に陥ることになるため、退院後も誰かがケアしてあげなければならない。すなわち、認知症を社会的に受け止めるためにはどうしても医療機関だけでなく家庭や地域の受け皿が必要になるのだ。
 しかしながら、医療機関として入院期間が満了したとして認知症高齢者を受け入れる家庭にはその対応余力がないケースが多い。実際に、先の厚生労働省分類における「急性増悪時」から「中期」以降の認知症患者を家庭が受け入れるとき、極端に困難が訪れる事例報告はむしろADL(日常生活動作)よりもIADL(手段的日常生活動作)に顕著に表れる。認知症患者を抱える家庭の大きなストレスは介護そのものよりもこのIADLの欠落や、認知症状が進んだ結果としての人格の喪失や徘徊に対するケア、さらには家庭内でところ構わず行ってしまう排泄の処理だ。人としての尊厳を失わないうちに進行した認知症患者を適切に対処や処置する仕組みが求められる点は、本人だけでなくそれを支える家族のためであって、それが2025年には500万人以上の苦悩を引き起こすことは目に見えている。
要介護認定から漏れ、経済的に逼迫、合併症も
 すなわち、日々の活動の中で歩いたり、ベッドから起き上がる、歯を磨くあたりから、排泄、入浴ぐらいまでであれば実施可能だという認知症患者は多数存在する。これらは、先に述べた厚生労働省の要介護認定のレベルからすれば、要介護度さえつかないレベルで日常生活は可能と判断されることになる。認知症がある程度進んでいると見られるのに、要介護認定がつかずに行政の目が行き届かなくなるケースが多い理由はここにある。実際に、事例研究でも80代女性の日常生活に不便はないと判断されたにもかかわらず、買い物に出かけられず栄養失調になるケースは事欠かない。高齢者本人が「できる」けれども日常的に「している」とは限らないうえ、バランスの良い食事を摂れているかや医師から処方された服薬が決められた通り飲むことができるかは、実際に生活の中に立ち入ってみない限りなかなか判然としないのだ。老々介護の現場においては、本人も配偶者も一緒に認知症になる悲惨なケースは特にケアが必要だと考えられる。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/022700044/031500002/g2.png

 加えて、人間が社会生活を送るうえではこれらの初歩的な生活動作だけでは暮らしていけない。電気代ガス代水道代は払わなければならないであろうし、買い物や口座管理といった、普段使いのために必要なお金の出し入れを本人が意志として充分に実施できる状況にない限り、文化的な生活を送る健常な人間とは言えなくなってしまうのも現代社会の特徴である。認知症患者はこの急性増悪期以降、個人差もあるが数か月から一年半程度でIADLの機能を喪失する可能性が指摘される。精神病床における認知症入院患者に関する調査概要では、認知症が原因として入院せざるを得なくなった高齢者454名を対象に実施した調査の結果が事態の困難さを示している[6]。すなわち、食事の用意が困難と判断された高齢者が95.4%にのぼったのをはじめ、金銭管理が困難と判断される高齢者が97.4%。家事全般が同92.9%、薬の管理が96.0%である。
 認知症以外の合併症を患っている高齢者は447名中388名の86.8%にも及ぶ。もっとも認知症状との合併症を起こしているのは上位から脳血管障害、高血圧、肺炎の順であり、基礎的な生活疾患である糖尿病、心疾患を含めると認知症を押し留めるにも医療で措置を行うには限界があることが良く理解できる。認知症の進行は、重度な他の合併症を呼び込んでいるということでもあり、円滑で安定した社会生活を送っていても糖尿病や高血圧その他の生活習慣病疾病の慢性化を伴って認知症にいたり取り返しがつかなくなるケースや、脳内出血など脳に関わる重篤な病気の後遺症として高次脳機能障害を経て認知症に至るケースも充分に想定する必要があろう。
 一方、認知症における割合が増加していくことが見込まれるアルツハイマー型認知症について、現状では決め手となる寛解、治療、予防の手段が確立していない。アルツハイマー型認知症による認知症の症状が出現する場合は、その出現の十数年前から脳内では特定のタンパク質の異常な蓄積が既に始まっている。自覚症状もなく、定期的な医療検診でアルツハイマーの初期症状を見つけることは極めてむつかしい。具体的に認知症と診断される時期には、相当の神経細胞が機能不全に陥り脳の委縮が相当程度進んでしまっていると考えられている[7]。そうである以上、今後激増が予想される認知症患者の、生活習慣由来であれアルツハイマー型であれ、これらの認知症予防は大変に困難であって、立てるべき対策も極力生活水準を維持するためのアプローチと受け皿づくりでどうにかしなければならない、という結論にならざるを得ないのが実情なのだ。
 認知症のケアや緩和で問題をハードランディングさせることなく対応を図っていくことが政策上重要な観点となる一方、具体的に生活能力を失っていく高齢者を地域や家庭で受け止めると言っても相当な困難を伴う。排泄が不可能になったり、徘徊が始まったなどの症状が具体的に出る患者数が、都市部を中心に今後激増することが予想される[8]。
 首都圏各都県および自治体でも、各々保健衛生プログラムの一環として認知症対策を目的とした調査や政策プログラムを実施している。具体的な事例として、東京都でも独居高齢者でもある認知症患者のケーススタディを公開しているが[9]、近隣住民との深刻なトラブルが認知症特有の妄想や周囲に頼る人がいないなどの事情で地域の問題に発展しかねない事例が後を絶たない。
人身事故、その責任と賠償…対策は急務
 また、首都圏でも地方同様に比較的事例として見られた認知症ドライバーが引き起こす悲惨な事故が続発していることに加え[10]、都市型の認知症対策で必須とされているのは鉄道など公共交通機関を巻き込んだ人身事故が頻発する可能性は捨てきれない。最高裁判所まで争われた[11]事例では、徘徊を頻発するなど重篤な認知症患者を介護する家族に賠償責任があるかは重要な論点となった。最高裁の判決では、生活状況などを総合的に考慮して決めるべきだとする初めての判断が下されたものの、認知症患者がどのような事故を起こしても必ず家族が監督義務者に当たらないと司法の判断が下されるかは微妙なところだ。
 行政としては、認知症患者が起こす事故そのものを減らしていかなければならない。事故に巻き込まれて尊い犠牲を払わされる本人や遺族はたまったものではない。先ほど警察庁は高齢者ドライバーの事故が相次ぐことから、免許更新の際の認知機能検査に関する結果を公表している[12]。認知機能検査を受けた運転免許保有者の高齢者約166万3,000人のうち、判定の結果「認知症の恐れ」があるとされた第1分類は暫定値約5万1,000人あまりで全体の約3.1%。調査が厳格化された効果もあるが、2010年の約1万6,000人と比べると実数で3倍以上、免許保有者に占める割合で言えば実に70%増という結果になった。
 この警察庁が自動車免許更新の際に高齢者に対して行う認知機能検査は、極めて簡単なものである[13]。絵を見て覚えているものを答えたり、指定された時刻を時計に書き込むなどの設問が中心であって、これが素早く解けなければ日常生活自立度は極めて低いものと判断される。そのぐらいハードルを低くしても3%の高齢者ドライバーが問題を解けないというのでは、自動車が容易に走る凶器になってしまう危険性は否定できない。
 東京都の事例では、これらの危険な高齢者ドライバーの分類を含めて、何らかの認知症状のある高齢者や見守りまたは支援の必要な認知症高齢者の実態調査を継続して行っている[14]。2013年(平成25年)の調査では、都内で何らかの認知症状を持つ高齢者数は378,192人(前回調査2010年から3年で16%増)、東京都の高齢者人口に占める割合は13.7%であり、全国ペースに迫る勢いで増加を続けている。増加ペースをコホート分析してみると、2030年には東京都の高齢者が現在のペースで増えた場合、65歳以上の高齢者人口は3,497,774 人であり、このうち20.8%、約73万人が認知症状を持つ高齢者となると予想される。この高齢者を支えるために45万人の労働人口が介護やケアのために動員される。
 首都圏全体で言えば、2030年の高齢者人口は一都三県で990万人(神奈川:2,557,863人、埼玉:2,016,056人、千葉:1,821,515人)。高齢化率は千葉の31.4%をピークに平均28%前後になると予想される。ここに、何らかの認知症状を持つ22.1%の高齢者がいるとき、首都圏だけで約219万人が存在する。2025年に700万人、2030年には820万人いると見込まれる認知症患者の4人に1人が首都圏で暮らし、認知症患者の生活を支えるために115万人が何らかの社会保障系の仕事に従事したり、家庭で介護をするという生活を送ることになる。
 問題は、東京都や首都圏がそのような都市設計になっているのか、という点もさることながら、社会的、産業的、経済的にそのような状況に陥って持続可能なのかという根源的な問いがある。単純に確率の問題として、家庭のある認知症高齢者が行方不明になるような徘徊や路上での事故に遭ったり引き起こす割合は年間約45人に1人だが[15]、母数が2030年に認知症219万人となったとき年間4万7,000人ほどの高齢者が何らかの問題を起こしたり行方不明になったりする。毎日130人以上の高齢者が首都圏のどこかで何かを引き起こす計算になり、これを防ごうとするならば社会制度やインフラに抜本的な対策を打たなければ大変なことになるのは容易に想像がつくだろう。
 単純に高齢社会だから交通機関や歩道をバリアフリーにすればよいだろうというだけの問題ではない。都市に住む認知症高齢者問題に悩む家庭に対して、監視や保護を適切にできる社会制度やインフラ、仕組みを提供できるようになって初めて「都市計画における高齢化対策」が可能になるといっても過言ではないのだ。
難易度高い「独居老人」対策、求められる集住化
 しかも、これは配偶者や子供夫婦など何らかの家庭内での手助けや監視がきちんとあっての数字である。帰るところがあってケアを家族にされてもなお、進んだ認知症患者は問題を起こすのであって、一人暮らしの認知症高齢者が目の行き届かないところで何をしてしまってもおかしくはない。2030年ごろの高齢者問題は家族から切り離された独居老人の認知症対策というさらに難易度の高い問題に直面することになる。
 現在、東京オリンピックにおけるレガシーについて議論が重ねられているが、実際の東京の未来を想像したときにこれらの高齢者のケアと、それを支える労働力の効果的運用が可能になるような都市設計を行わない限り、点在する空き家に住む独居老人の認知症対策が後手に回ると悪夢を引き起こす危険性は早くから考えておかなければならない。
 また、高齢者対策を行うための社会制度・ソフトウェアとして、しっかりと意志表示できる状況から行政ときちんと確認を行う事項を把握しておく必要は出てくるだろう。今後、予算的な事情もあり過疎地域における福祉系の公共サービスは切り下げざるを得ない状況も起き得る。その際に、点在する空き家対策のために公共サービスを行える施設への転居を余儀なくされる高齢者も少なくない数出よう。警察庁の発表通り、免許更新のたびに3%以上の自動車運転に適格でない高齢者が出たときの免許返納と、住む地域によっては自動車なしには買い物にもいけない生活の不便を強いるときの支援策など、自治体レベルでの政策では到底追いつかない、あるいは国、都県、自治体の連携で対処するべき事例が発生する際に、どのように持続可能な公共サービスを設計するかは、まさに首都圏が2030年に向けて大きく問われる政策分野なのだ。
 実際には、政策面での結論としてはひとつしかない。持続可能な公共サービスが展開できるエリアと、公共サービスが行われない居住をお薦めしないエリアとに分けていくことだ。人の住まない生産性のない地域を切り捨てるのかという批判は承知の上で、人が活動し機能的にやっていける地域にのみ公共サービスを展開できるような、人口減少時代の社会制度を実現し、採算に合い持続可能なところまで生活圏を限定しない限り、いつまでも大切な財源を捨てる政策ばかりが温存されることになるだろう。
 また、認知症患者については医療ケアの効率化のためにも集住可能な仕組みを行政が主体となって行える環境づくりがさらに重要になっていく。認知症患者の尊厳と、彼らが最後まで豊かに暮らせる仕組みを並立させるには、結局は限られた財政と労働人口をより効率的に使い、適切なケアが充分に行き渡らせられる仕組みが必要だ。生活の自立が難しくなった高齢者を医療施設に近い集住拠点へ引っ越しする制度作りは不可欠である。
 そして、この問題を厄介にするのは社会的な独身傾向が独居老人の割合を高からしめ、医療、地域、家庭の鼎状の仕組みのひとつが欠けてしまうことにある。次回本稿では日本人男性の3人に1人までになる「生涯未婚」のインパクトと未来の首都圏について論じる。
<参考リンク>
[1] 認知症施策推進総合戦略の概要
[2] 日本における認知症の高齢者人口の将来推計に関する研究
[3] 【参考】総合戦略に関連する平成27年度予算(案)
[4] 介護保険における要介護疾患と要介護未認定期間(健康寿命)
[5] 中医協(平成23年度) 精神科医療について
[6] 精神病床における認知症入院患者に関する調査概要
[7] 介護予防マニュアル(改訂版)本文について
[8] 「要介護者数・認知症高齢者数等の分布調査」の結果について
[9] 事例:一人暮らしの認知症
[10] 認知症ドライバーの事故で「家族は崩壊する」:PRESIDENT Online - プレジデント
[11] 認知症JR事故、家族に監督義務なし 最高裁で逆転判決:朝日新聞デジタル
[12] 免許保有の高齢者「認知症の恐れ」5万人超|佐賀新聞
[13] 認知機能検査マニュアル 警察庁
[14] 「要介護者数・認知症高齢者数等の分布調査」の結果について
[15] 警察庁 統計資料


このコラムについて
パラシュート無き落下の日本学「首都圏2030」
少子高齢化が進み、人口減少時代を迎えた日本。課題は多く、即効薬はない。しかし、手をこまぬいているわけにはいかない。パラシュートを付けずに落ちるに任せるわけにはいかない。まずはリアルなデータを基に現状を見つめ直すところから始めよう。例えば、声高に叫ばれる「地方の衰退」だけでなく、「首都圏の老朽化」も深刻だ。貧困、孤立がもたらす「高齢者犯罪」などもまた、暗い影を落とす。もう、浮かび上がってきた難題から目を背け、やり過ごそうとするのはやめよう。打つべき手を、打つために。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/022700044/031500002/

 

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コメント
 
1. 中川隆[7163] koaQ7Jey 2017年3月18日 18:46:57 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7634]
すべて見当外れなんだよ

認知症の原因は植物油(サラダ油・パーム油)

植物油(サラダ油・パーム油)を大量に使った食品:

インスタントラーメン、ピザ、クロワッサン、食パン
ショートニング、マーガリン、マヨネーズ、ドレッシング、
ホイップクリーム、アイスクリーム、コーヒーフレッシュ

市販のカレー、シチュ-、ハンバーグ、おでん、焼肉、から揚げ、トンカツやコロッケ、天麩羅


全部食べちゃダメだよ


3. 2023年8月27日 13:40:27 : srFjhqJINo : ZHZIemkzNFI2UUU=[11] 報告
高圧薬だろ

血圧すらでたらめ、高齢者ほど血圧があるのは自然節理である。

血圧が少ないと一番血液の必要とする脳は死んでしまう。これが認知症

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