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宗教現象の基本形としてのシャーマニズム
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投稿者 中川隆 日時 2014 年 7 月 20 日 08:47:01: 3bF/xW6Ehzs4I
 


宗教と宗教的職能者


宗教の定義と分類

宗教 religion を定義するのは難しいが、おおよそ、神 god や霊 spirit などの超自然的存在 supernatural being とかかわる観念 idea と実践 practice の体系である、ということができる。宗教を歴史的な文脈でとらえる場合、その起源の古い順に、自然宗教(原始宗教)、民族宗教、世界宗教と分類する。

(→世界の諸宗教)
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/religion/religions.htm


あるいは、自然発生的な宗教に対し、開祖がはっきりしているという意味で創唱宗教という分類も用いられる。

(→民族宗教と創唱宗教)
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/religion/regional_religion.htm


あるいは、比較的新しい時代になってあらわれた創唱宗教を新宗教 new religion ということもある。ただしふつうに宗教というと、キリスト教、イスラム教や仏教のような世界宗教のことを示すことが多い。逆に自然宗教というのは「その他」というような消極的なカテゴリーである。

いっぽう、宗教を社会人類学的な文脈でとらえる場合、むしろ宗教的職能者 religious prectitioner と超自然的存在との関わり方に注目し、狭義の宗教(祭司宗教)と呪術 magic ・シャーマニズム shamanism を対比させて分類する。シャーマニズムの担い手であるシャーマン shaman (巫師)が、変性意識状態に入り、超自然的存在と直接かかわるのに対し、祭司宗教の担い手である祭司 priest は、変性意識状態にはあまり入らず、超自然界とは間接的にしか関わらない。呪術・呪術師 magician または呪医 witch doctor /medicine man はその中間的な性格を持っている。

さらに、シャーマンは、

自分が超自然界に「行く」タイプの脱魂型シャーマン、または狭義のシャーマンと、

超自然的存在が向こうから「来る」タイプの憑霊型(憑依型)シャーマン、または霊媒 medium

に分類される。脱魂型シャーマンだけを「シャーマン」と呼び、憑霊型シャーマンは「霊媒」と呼んでシャーマンには含めない場合もある。

(→呪術・宗教的職能者の分類)
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/religion/practitioner.htm


宗教現象の基本形としてのシャーマニズム

ところで、これらのさまざまなタイプの職能者や宗教的実践がひとつの社会の中に全種類存在しているということはない。たとえば、コン・ムアン Khon Muan(北部タイ)、バリ島民 Balinese(インドネシア)、沖縄本島、シピボ族 Shipibo(ペルー・アマゾン)を例にとり、それらの社会での職能者の種類をまとめてみると表のようになる。

さらに一般的な通文化比較として、アメリカの人類学者M.ウィンケルマンは、全世界からランダムサンプリングされた47の民族の社会に存在する115の呪術・宗教的職能者を、その生理的・心理的・社会的特徴によってクラスター分析し、それらが、おおよそ、

シャーマン、霊媒 medium 、祭司 priest、呪医 healer

の四種類に分類できることを明らかにした。

ここで霊媒というのは、日本のイタコやユタのような、神や霊を自分に憑依させることで占いや病気治療などを行なうタイプの職能者で、意識の状態を変容させ、超自然的存在と直接交流しているという点で、やはりシャーマンの一種であるともいえる。だから霊媒は「憑霊型シャーマン」とも呼ばれるが、この場合狭い意味でのシャーマンは「脱魂型シャーマン」と呼ばれて対比される。

いっぽうの祭司は、キリスト教の神父や神道の神主などのことで、神に祈ることはあっても、自分が神になったり、神の世界にまで飛んでいったりはしないという点で、シャーマンとは区別される。

最後の呪医は、呪術師ともいわれるカテゴリーの人たちで、シャーマンと祭司の中間的な性格をもっている。呪術を使って病気を治したり、時には敵を攻撃したりもするが、やはり深い変性意識状態に入ることはない。


ウィンケルマンの分析(表)によれば、47のサンプル社会のうち、宗教的な職能者が存在しない社会は中部アフリカのムブティ・ピグミーと、ボリビア・アマゾンのシリオノの二社会だけで、シリオノの社会にもじっさいにはシャーマン的な人物がいることを考えると、なんらかの形での宗教的な実践というのは人間社会にほとんど普遍的な現象だといえる。また霊媒も含めた広い意味でのシャーマンは全体の約三分の二の社会に存在し、さらに呪医の一部も含め、なんらかの形で変性意識状態に入る職能者は全体の9割にあたる43社会に存在するから、意識の状態を変容させ、超自然的世界とコンタクトする文化というのは人間社会にほとんど普遍的にみられる現象だといっていい。


狭い意味でのシャーマン(脱魂型シャーマン)だけにかぎっていうと、全世界の四分の一の社会にしか存在しないのだが、その大部分はカラハリ砂漠や極東シベリアや北米の先住民で、伝統的には農耕も牧畜も行なわず、狩猟採集生活をおくってきた人たちの社会である。このことは、シャーマニズムが人間社会における普遍的な宗教的実践であると同時に、さらにその基本形は脱魂型の、狭い意味でのシャーマニズムだということをうかがわせる。

人間の宗教活動の起源を特定するのは難しい。儀礼や意識状態それ自体は考古学的な遺物を残さないからだ。最初の埋葬の跡は、6万年前のネアンデルタール人の遺跡から見つかっている。洞窟壁画などの旧石器時代美術が出現するのはおよそ3〜4万年前だが、旧石器時代の洞窟壁画にみられるサイケデリックな幾何学模様や、人間と動物が融合したような存在の描写と、現在の狩猟採集民の描く岩壁画、およびシャーマン的意識状態で体験されるビジョンはよく似ている。

またアフリカ、ユーラシア、オーストラリア、南北アメリカなど、世界各地に分散して分布している脱魂型シャーマニズムの技術や世界観などが互いによく類似していることから、これらの人間集団の共通の祖先がシャーマニズム的な技術(または意識変容の能力)をすでにもっていたと考えると、そのような技術あるいは能力の発生は、約3万年前よりも新しいことはないということができる。シャーマニズムの起源は現代人(Homo sapiens sapiens)の起源と同じぐらい古いといえそうである。


化石の記録を見るかぎり、人間の脳の大きさや形はここ5万年ぐらい、ほとんど変化していない。5万年という時間は日常生活での時間感覚に比べればとほうもなく長いが、生物進化40億年の時間のスケールからするとほんの短い時間である。それぐらいの時間では生物学的な進化はほとんど起こりようがない。

人間の社会はここ1万年ぐらいの間に急速に変化したし、人々の生活や思考の様式も大きく変化したかもしれないが、脳の遺伝的な設計図はほとんど変化していない。進化心理学 evolutionary psychology によれば、人間行動の基盤にある脳構造は1万年以上の過去の環境下で淘汰を受けて形成されてきたもので、少なくとも農耕や牧畜の発明以降の約1万年間、人間の生得的な情報処理のアルゴリズムは基本的に変化していないとされる。

アメリカの心理学者S. Krippnerは、この進化心理学の立場から、意識の状態を変容させ、シャーマニズムという形でそれを利用する能力は、すべての人類が狩猟採集生活を送っていた時代に適応的なものとして進化し、その後現在に至るまで変化せずに受け継がれてきているとしている。現代の都市社会では、それは抑圧ないし無視されていて、社会的に利用され開発されることがないだけで、シャーマン的な能力じたいは、われわれの脳の中に生得的に配線されているのかもしれない。

宗教的職能者の分化


全世界の呪術・宗教的職能者の分布を統計的に通文化比較したWinkelmanの分析に戻ると、全体の8割の社会に脱魂型または憑霊型のシャーマンが存在したわけだが、さらに、脱魂型と憑霊型のシャーマンが同じ社会に共存することはほとんどない。だから、脱魂型のシャーマニズムと憑霊型のシャーマニズムは、同じ現象の異なる社会的表現だとみることができる。

ウィンケルマンのサンプルにあらわれた17社会の憑霊型シャーマンはすべて南北アメリカ以外の農耕・牧畜社会に存在し、しかもほとんどの場合、祭司とセットで存在している。

またWinkelmanのサンプルをジェンダーと社会的地位の立場から分析した蛭川は、脱魂型シャーマンと祭司の多くが男性であるのに対し、憑霊型シャーマンの多くは女性であること(表)、祭司の社会的地位が高いのに対し憑霊型シャーマンの社会的地位が低いこと(表)を明らかにしている。

いままでの議論は以下のようにまとめることができる。


・シャーマニズムは、人間社会にほとんど普遍的な現象である

・人間社会の原型である狩猟・採集社会では、狭義のシャーマニズム(脱魂型シャーマニズム)が社会で中心的な役割を果たしている、

・アメリカ大陸以外の農耕・牧畜社会では


脱魂型シャーマン(男性)→祭司(男性・地位高)/憑霊型シャーマン(女性・地位低)

という分化が進んできたと考えられる。

・アメリカ大陸の先住民社会ではこのような分化は起こらなかった

http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/theme/religion/religion_text.htm  

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コメント
 
01. 2014年7月20日 12:23:23 : 3cdYZYbVIc

岡本太郎が見た沖縄の力


岡本太郎は言わずと知れた芸術家ですが、沖縄に興味を持ちそこに日本人の根源的な力を感じていたようです。今回は岡本太郎が沖縄滞在を通して感じたものを執筆した「沖縄文化論」を紹介していきます。

その著書の中でも岡本氏が特に着目し、感動したものにこそ現代日本では失われてしまった“沖縄の力”が潜んでいるのではないか?考えます。人並みはずれた洞察力を持つ彼の心を動かしたものは一体どこだったのでしょう。楽しみです。

 

次の話は岡本氏が観戦していた闘牛場で、試合後に女が踊った踊りについて書かれている一説です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

歓声のど真中に、女が飛び出したて来た。粗末な木綿のスカートにひっつめ髪、飼主らしい中年のおばさんだ。笑みあふれた顔、ひょこひょこと手を振り上げ、足を踏む。アッと思うような見事な踊りである。

踊っている、というよりは身体全体で喜んでいる。喜んでいるというよりは、やはり踊っているのだ。誇らかに、ほとんど挑むような姿で、牛に正対して迫ってはつんと離れ、軽やかに廻る。

それは私が沖縄で見たすべての踊りの中で、最も純粋で、直接的なエキスプレッションだった。

もちろん、少しも儀式的なものではない。本当に嬉しくてたまらない、みんなと喜び合う気持ちが自然とあふれ出てくる表現。ひどく率直な肉体のリズムであるということはすぐわかった。

だが、このような踊りの感動は、言い換えれば、生きるアカシの儀式かもしれない。人は生きるために、如何に耐えなければならないか。だからこそ、生きるよろこびが証しだてられなければならない。そのとき生活と踊りはまさに一体であり、ほとんど生きることの儀式といってよい様相をおびるのではないか。芸術の本質がまたそこに暗示されているのだろう。

中略

社会のルール、風習、モラルなんて、こうるさいもんだ。その正しい、また正しくない、さまざまの理由、圧力が人を抑圧している。だが忘れられた自由感、肉体と精神の渾然と溶け合う初源的感動は、肉体の底に深く生き、うなずいている。それは奪回させなければならない。このような矛盾にこそ舞踏芸術の理由があるのではないか。
歓喜が全身をつき動かす。人は踊る。よろこびの極みが踊りであり、そのエネルギーの放出はまた強烈な歓喜である。

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岡本氏は沖縄の伝統的な踊りではなく、闘牛場で全身で喜びを表現する女の踊りが最も感動したと述べています。

それはただただ嬉しくてたまらない、供のようにそのエネルギーを放出したくて、表したくてしょうがないといった、とても素直で無邪気な踊りでした。

芸術というと、時間をかけて洗練され様式化されたものを指すように思いますが、岡本氏が感動したものは全くその逆で、人が生きていく中で自然に起こる、ありのまま無邪気に発散されたエネルギーでした。

次は歌について書かれた一説を紹介します。

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ありったけの人数を田圃にずらりと並べ、指揮者が真ん中で指揮をとる。それを「イゾウ(気あい)」といって、その音声は厳粛を極めた。明治末年頃までは実際にそうやって仕事をしていたそうだ。

イゾウがはじまれば列から離れることは許されない。少しでも遅れると、指揮者にいやというほどひっぱたかれる。昔は庶民の女は越中褌のような黒い下帯をしめていた。それがずり落ちても、前にはさむひまさえない。褌を後にひきずりながら、夢中で進んで行ったということだ。

こういう形で掛け声をかけると、黙ってただ働くより確実に、三割ははかどるという。これはだから芸術とか音楽なんてものじゃない。美学ではないのだ。生産のリズムであって、それに乗らなければ仕事は進まない。

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現代では生活には直接関係なく娯楽として認識されている歌や踊りですが、沖縄では歌や踊りが生産に大きく関係していました。

明治末まで、沖縄は重い人頭税の重いノルマがかけられ、それを達成するには一人一人ばらばらではない徹底した共同作業が行われていたそうです。そして歌に合わせて田植、草とり、刈入れ、米つきを行い生産力を上げていったそうです。

それは人間が最も効率的に活動するリズムを追求し、歌に合わせてみなで動く事で生産力をあげていく、まさに生き抜く為に必要な歌と踊りであったともいえます。
最後に祈りについて書かれた一説を紹介します。
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久高島では三十歳から七十歳までの女性はすべて神事に参加しなければならない。そして十二年に一回、午の年に、新しいナンチュ(神人)を資格づける厳粛な儀式が行われる。イザイホーの神事だ。

儀式は三日間にわたる。神アシャギはクパで葺いた小屋を作って、三十から四十一までの女は厳重なおこもりをする。さらにミソギで身を浄める。二日目のたそがれ、裸足で、黒々とした長い髪をふりみだした白装束の女たちが何十人も、「エーファイ!」と掛声をかけながら、疾走して、順々に「七つ橋」を渡るのだ。

むきだしに粗野、だからこそ、凄い。ドラマティックだ。それは原始の神秘である。
橋渡りは祭りの最高潮で、女たちは極度に緊張して真青になるそうだ。これによって、人間の女から、ナンチュに変身する。つまりこれは神聖なイニシエーションの儀式なのだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

久高島の神事=祈り は必ず女のみ、集団で行われるといいます。

島の一画で女達だけで三日間歌い踊り続けます。そしてそれは緊張して青白くなるほど、ただの娯楽ではない事が伺えます。久高島周辺は男達が漁を行い、生計をたてますが、非常に海流が複雑で難しい漁で知られています。但し、遭難事故の記録はありません。それはナンチュによる祈りによるものだと言われています。

歌・踊り・祈りは彼女らにとっては一体で、女として集団を守る事そのものだったと言えます。

「沖縄文化論」において、岡本太郎は一般的には、日本らしさと言われる「もののあはれ」や「わびさび」と言う考え方、または桂離宮、東大寺、金閣銀閣などの日本文化の代表とされる建物を、「生命力に乏しく何の魅力も感じない」とまで言い切って捨てました。

それに対して、一見 文化ともとれないような素朴な、限りなく日常的な歌・踊り・祈りにひどく心を動かされています。

そこにあるのは、日本が高度な文明を築いていくにつれて失われていった「人間本来の生命力」だったのではないでしょうか?

歌、踊り、祈り、これら3の儀式を通じてそれらを伝えたが、考えればこれらは人類が文明や文化を作り出す以前からあった行動様式であり、以降も変わらず私たちの生活に密着してきました。しかし、太郎氏が発見したような生活と一体化した踊りや生産のリズムを作り出す歌や、精霊が降りてきて語る祈りはとうに私たちの生活の中から離れていっています。

そして精霊の言葉を聴くために女性たちが繰り返し踊り、謳い、祈るその行為の中に最初に提示した「無邪気」というキーワードがあるように思います。

文明社会や共同体を超えた組織の中で生きる私たちは秩序、規範、効率に慣らされてきました。そして少しでも良い生活、良い社会、良い人になろうとします。

しかしこの沖縄の事例はそれらに全く当てはまらない。むしろ目的は全く別のところにあるにも関わらず、明らかに本土の私たちより生きる力に満ちています。

太郎氏が言いたかったのはそういう事ではないか?皆で喜びを表し合い、共感し、体を突き動かします。まったく原初的な行動様式をしっかりと集団の中に組み込んでいるこの土地に大きな可能性を感じたのでしょう。そしてこれは私たち日本人に欠けている運動性であり、忘れてきた原初体験です。これからの共認の時代、理論や規範と両輪となって必要なのは、人類の本源時代にあったこれらの生きる力を意識的にでも再生させることかもしれません。

それは踊りや歌や祈りという行動様式を呼び戻す事ではない。そういう事に大きな可能性があると、このシリーズを通して発見できればよいと思います。
http://web.joumon.jp.net/blog/2014/05/1791.html


2. 中川隆[3715] koaQ7Jey 2016年8月23日 12:43:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[4100]

踊りによる変性意識状態→精霊に出会う→皆に伝えるために壁画を描いた
http://bbs.jinruisi.net/blog/2016/08/2635.html

人類、500万年の歴史。

人類の先端機能たる観念機能(言語)は、いつ頃、どのように獲得したのだろうか。


・500万年前 最初の人類=猿人が登場(アウストラロピテクス、パラントロプス)
・400万年前 精霊信仰の始まり⇒観念原回路の形成(400万〜300万年前と推定)
・220万年前 原人の登場(ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス、ホモ・エルガステル)
生存様式の進化=貯蔵、火、道具etc=言語機能の獲得?
・180万年前 原人の出アフリカ
・ 30万年前 旧人の登場(ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・ハイデルヘル)
・ 20万年前 新人の登場(ホモ・サピエンス)
・ 10万年前 新人の出アフリカ
・ 5万年前 新人がスンダランド到達
・ 4万年前 新人が欧州〜ユーラシアほぼ全域へ
生存力進化→壁画象徴表現、舟、調理具、衣服、戦闘防衛具、、
=共認機能⇒観念機能⇒精霊信仰と原始科学?
・ 2万年前 弓矢の発明→生存力・生産力上昇→地上居住(洞窟脱出)


400万年前から精霊信仰が始まり200万年前には火や道具を使っていたとすれば、弓矢の発明まで時間かかり過ぎ。

現在につながる人類の歴史として、原人、旧人の進化を受け継ぎながら登場した20万年前の新人からと考えれば、スンダランド到達以降、急速に観念機能⇒生存力を進化させてきたことが分かる。

観念機能の獲得は、セックスのエクスタシーにおける宇宙との交信、踊りによるトランス状態における宇宙との交信が始まりと思われるが、トランス状態で見た世界をみんなに伝えるため、共有するために壁画が生まれ、次第に言葉化していったのかもしれない。「彼岸の生物学@ ダンスと変性意識」より紹介する。

■太古から人類はシャーマニズムを持っていた

ネアンデルタール人の埋葬跡やクロマニヨン人の残した壁画等、人類の精神文化史をたどっていくと「シャーマニズム」が見られる。その初源的な姿のヒントとなるのが、先住民社会等に残される「シャーマニズム」の伝統だ。

シャーマンは世界各地域に事例が見られ、その歴史は長い。「シャーマン」という言葉は、東シベリアのアルタイ系先住民、ツングース族の「エヴェンキ語」の「シャマン」に由来し、「暗がりの中で見える人」「知識と知恵のある人」。したがって、シャーマニズムはアルタイ語系諸民族の宗教的伝統と言える。


■エクスタシーの語源は体外離脱体験

そもそも、シャーマンとは、自ら変性意識に入って聖なる源にコンタクトする者をいう。シャーマンたちの他界への旅を人類学では「脱魂」「呪的飛翔」「エクスタシー」と呼ぶ。宗教学者のミルチャ・エリアーデは、シャーマニズムを「エクスタシーの技術」と定義する。なお、エクスタシーという言葉は、気持ちいいというニュアンスで使われているが、もともとのギリシア語「エクスタス」は「外側に立つ」という意味で体外離脱体験を示唆している。体外離脱体験は、深遠な法悦感を伴うことからそういう感覚がエクスタシーと称されるようになったのであろう。


■脱魂型シャーマン文化が最も基礎

シャーマンの変性意識は、「脱魂型」と「憑霊型・憑依型」とにわけられるが、体外離脱体験によって、自我への執着を瓦解させる狭義の「脱魂型」のシャーマンは、全世界の4分の1の社会にしか存在しない。その大半は、カラハリ砂漠や極東シベリアやアメリカ先住民で、狩猟採集生活をおくってきた人々の社会だ。そして、脱魂型のシャーマニズムには、魂の解放そのものをもたらす深さがあり、旧大陸でキリスト教や仏教が果たしていた世界観を与える役割も果たしている。このことから、脱魂型シャーマンが最も普遍的な宗教実践の基本形であることをうかがわせる。


■最古の人類クン・サン族にも微細な身体の概念がある

クン・サン族のシャーマンは、トランス・ダンスという踊りを通じて意識状態を変容させて、彼岸の世界に入っていく。シャーマンたちは、『ンム』と呼ばれる大変な高温と活力を発生させる能力を持つ。人類学者リチャード・カッツ博士に対して「踊って踊って踊る。すると、ンムがお腹の中に入り込んで背中を持ちあげる。すると身体が震え始めて熱くなる。ンムが身体のあらゆる部分、足の先から髪の毛の中にまで入り込む。それは神から与えられる」と語っている。

鍵となるのは、踊りであり、長時間踊っていると、臍の下にある生命エネルギーが熱くなり、脳天を突きぬけて上昇する。中国では、人間を「気」や生命エネルギーの場としての「微細な身体」として捉えてきた。けれども、興味深いことに、これを見れば、「気」やインドのプラーナに相当する概念が、最古の狩猟採集民、クン・サン族にもあり、クンダリニーの覚醒とほぼ同一の体験をダンスを通じてしていることがわかる。

■シャーマニズムでは動物の精霊が重要な地位を占める

太古のシャーマニズムでは、動物の精霊が聖なる象徴で、熊や鷲は特別重要な存在とされていた。旧石器時代の壁画が、現在の狩猟採集部族が、共通して動物霊を聖なる存在として重視していることからも、そのことがわかる。

動物霊と交信する宗教は、アニミズムと呼ばれ、原始的とされがちである。けれども、アニミズムが多神教に発展し、多神教が一神教へと発展していくとする図式はかなり怪しい。現存する部族社会においても至高神信仰が多くあり、狩猟採集社会の最初の神の観念も至高神であったとの主張もある。

とはいえ、部族社会の至高神の観念には、地球生態系への深い感謝や祈りが付随する。動物の精霊が重要な地位を占めていて、上から人格神が支配するといった観念は見出せない。

■ホモ・サピエンスはなぜ15万年、文化を持たなかったのか

現在、最古されるホモ・サピエンスは、エチオピアで発見された19万6000年前のものである。彼らは、解剖学的には現代人とまったく同じ肉体に進化し、現代人と同じ高度な脳も手にしていた。にもかかわらず、象徴化の能力が示され始めるのは10万年前からであり、かつ、アフリカでしか起きていない。

「シンボル化」の最古の事例は約11〜9万年前に南アフリカに出現した骨で作られた道具である。また、約7万7000年前には、南アフリカのケープ州のブロンボス洞窟で、幾何学模様が付いた赤色のオーカーや小さな貝殻に穴を開けたビーズのセットが発見されている。

オーストラリアにも古くから人類が移住している。その年代は6万年前とされるが、大洋を航海するためには高度な抽象化の能力が必要であろう。そこで、ブロンボスのオーカーの年代に近い7万5000万年前にまで遡るとする意見もある。


■4〜5万年前に意識革命が起きた

フランスのラスコーやスペインのアルタミラ等の洞窟には世界最古の芸術が残されているが、これまで発見されているヨーロッパ最古の洞窟壁画は3万5000年前のものだ。すなわち、4〜3万年以降に突如として洞窟芸術の爆発が怒り、約1万2000年前まで続いている。

すなわち、洞窟芸術の爆発が起こり、人類の意識革命が起きたのは4〜5万年前のことでしかない。約25万年前に出現したネアンデルタール人は、象徴化の能力を欠いており、ホモ・サピエンスも15万年は文化を持たなかった。すなわち、原生人類の脳の肉体構造と精神との間にギャップがあることを意味している。

■変性意識状態から洞窟壁画と宗教は産まれた

古代サン族が描いた格子、網目、梯子、ジグザグ模様の幾何学パターンは、現在のボランティアの被験者たちが幻覚物質で体験した「内視現象」やヨーロッパの洞窟壁画と似ている。そのことに南アフリカのウィットウォータースランド大学のデヴィッド・ルイス=ウィリアムス教授は気づき、1988年に「現代人類学」で、洞窟壁画と宗教の起源に関して神経心理モデルを提唱している。

■洞窟壁画に登場する動物は変性意識で出会った

マイケル・ウィンケルマン教授は、ペンシルバニア大学のユージーン・ダギリ博士や人類学者ウィリアム・ラフリン博士が、提唱する「神経現象学」をさらに深め、脳科学とシャーマニズムの研究をつなげようと試みている。

後期旧石器時代に起きたこの精神革命は宗教につながるが、洞窟や岩絵に描かれたモチーフは、現代人が変性意識で体験する光のビジョンと共通する。すなわち、その背景にシャーマニズム的な呪術的実践で生れた変性意識状態があったことは間違いない。

壁画のほとんどは馬、野牛、マンモス等を描いている。このため、狩猟の対象となる動物を支配するための魔術のためだと考えられた。けれども、洞窟に残された骨から祖先が食べていたものを知ることができるが、それは壁画に描かれたものとは一致しない。

また、壁画には人間と動物とをあわせた想像上の怪物が描かれている。ギリシア語の野獣を意味する「テリオン」と人間を意味する「アントロポス」を合わせ、「テリアントロプス」と呼ばれる。例えば、約1万7000年前のフランスのトロワ・フレール洞窟には、フクロウ、狼、鹿、馬、ライオンが混ざった「呪い師」と呼ばれる絵が有名である。イタリア北部の約3万5000年前のフマネ洞窟にも人間と野牛があわさった野牛人間がある。これはフランスの約3万2000年前のショーベ洞窟のものと一致し、スペイン北部の約1万5000年前のエル・カスティーヨ洞窟のものにも酷似している。


アフリカのナミビアの洞窟でも約2万7000年前の下半身が人間でライオンの頭部をもつ絵が発見されている。南アフリカには下半身が人間で上半身がカマキリである絵もある。南アフリカのサン族は、カマキリのイメージを含めて、自分たちの祖先が残した洞窟壁画について説明しているが、彼らによれば、壁画は部族のための情報を得るために霊界を旅したシャーマンによって書かれたという。ヨーロッパ南西部にある300程の洞窟壁画はビジョン芸術だったのである。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2016/08/2635.html


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