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ネパールのカースト制
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/551.html
投稿者 中川隆 日時 2014 年 12 月 06 日 19:44:02: 3bF/xW6Ehzs4I
 


ネパールの実権を握る上級カーストの中には日本人ボランティアを明らかに見下す態度が見え隠れする場合があります。


 ネパールのカーストは大きく4段階(学者によって分類も異なる)に別れますが、チベット系部族も多いネパールではインドと違い日本人の様なモンゴロイド系の人々を概ね第2階級(第3とする説もある)に、欧米人はその下に位置付け(日本人はカーストとは関係ないと思っていますが、彼らは勝手に外国人を位置づけします)ています。

 従って、第1階級のカーストは日本人を下層階級と見ますし、日本人で医療や技術支援に行ったボランティアは第3階級と見られる場合が有るそうです。

 穢れを嫌うヒンズー教徒は、血に触れる医師や他人の物に触る技術者を不浄としてローカーストに位置付けするからで、最下層の第4階級は上級カーストが触れてはいけないと言う意味で「不可触民」さらにその下は「不可触賤民」と呼ばれます。

 国の発展に必要な技術者(医師はさすがに第3階級の最上位だそうですが)ですが社会的地位は低く、生産性のない上級カーストが政治を動かしているのでなかなか技術が生かせません。

 カースト制は、その弊害が指摘され表向きは法律上差別が否定されていますが、ヒンズー教と表裏一体なので改革は容易ではなく、弊害は中々無くなりません。

 街でローカーストのルール違反者に対する制裁を見たことがありますが、その容赦のなさに差別の根強さを感じ暗い気持ちになりました。

 観光ガイドに載っていない場所を旅すると、世界中の至る所で差別がある事に気付き度々不愉快な思いをします。

 特に、インドや中国の様な多民族国家には民族や階級による差別が必ずあるもので 、ネパールも決して例外の国ではありません。

 営利の観光や文化交流ボランティアは、差別を気付かせないようにプログラムを組んであるようで、業者さんの素晴らしいお膳立てで楽しい思いでだけを持って帰ってきた人達は幸せですし、ネパールまで行った意欲に敬意を表します。

 でも、それがネパールの本当の姿だとは思わないでください、と言ってもネパールには姿が沢山ありすぎて真実の姿の方が無いのかも知れませんが、本当に貧しい最下層カーストに手を差し伸べるボランティアなら、かなり不愉快な思いをすることを覚悟しなければなりません。

 ネパールで最も必要なボランティアは、差別が当然とする時代遅れの上級カーストの意識改革活動(多分無理です)かも知れません。


※マオイストが政権を握った時に変化が来ることを期待したのですが、権力の座に着いた途端、腐敗するのはどの国も同じなのかもしれません。


モンゴロイド系は、バウン、チェトリの下だから第三階級だと思う。

都会のネパール人は、白人をバウンと同視してる者もいると思う。

ただ、モンゴロイド系なら誰が見ても「ボテ」だが、えたいの知れないコーカソイドということになると、最下位カーストと見られるのかも。

「ネパール ボランティア」で検索して
https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E3%83%8D%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%20%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2


上の方に出てくるのは皆、ヤラセ事業ボランティアの観光業者。


http://kuantan2007.wordpress.com/2014/12/06/nepal_volunteer/  

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コメント
 
01. 2014年12月06日 19:53:03 : b5JdkWvGxs

ボランティア活動の難しさ
http://www6.ocn.ne.jp/~n.rifle/page6.html


 貧しいネパールでは多くの国の団体や個人がボランティア活動していますが、多民族国家で複雑なカースト制に対する理解不足からトラブルが発生する例が少なくなく、特に、日本人は見当違いの思い込みから思わぬ失敗をすることがあります。

 以前、紛争地域で日本人ボランティアが事件に巻き込まれ、日本のマスコミが「その国の為に活動しているボランティアに危害を加えるとは・・・」と報道しましたが、マスコミがこんな見当違いの報道をする程日本人の感覚はズレているのです。

 ネパールの法律ではノン・ツーリスト・ビザでボランティア活動する国際NGOは、年間10万ドル以上の資金を提供し、地元のカウンター・パートナーと共同で活動しなければなりませんが、それ以外の観光ビザや就学ビザで入国し、目的外のボランティア活動を行ってトラブルに発展して、ネパール政府の支援は期待できず、ネパールの為にボランティアをしている等と言う言葉も通じません。

 日本人は、ボランティアは善意の行為だから相手も裏切らないと勝手に思い込んでいるところがあり、簡単に騙されます。

 寄付した援助物資が無くなったりバザールで売られていたなどはまだかわいい方で、学校建設の資金を援助したらホテルになっていたなどという日本では考えられないような事が起こります。

 このような事例で訴訟に持ち込もうとした例も有ったそうですが、欧米の影響を受け日本以上の契約社会のネパールで、ボランティアだから悪用されないとの甘い思い込みから契約書も作らず口約束で資金を出した日本人が訴えたところで、法律的にも勝負にならず(実際は部族の力関係や賄賂が重要な場合も多いのですが)結局泣き寝入りです。

 ネパールでボランティア活動をするなら(他の国でも同じだと思いますが)先ず現地に腰を落ち着けて現地の事情を知る事から始めることをお勧めします。

※ 以下は、ネパールでの本格的な貧困者対象ボランティアについて書いたものですので、興味のある方だけお読みください。

 複雑な状況を簡略に書いたのでかなり説明不足の部分があります。

 便宜上「ネパールでは」と言う包括的な書き方をしましたが、あくまでも色々な顔を見せるネパールの一面にすぎないことをご承知の上、参考にしていただければ幸いです。



ネパールのおしんたちとチャイロ・チベット難民キャンプを支援してください!
http://www6.ocn.ne.jp/~n.rifle/page7.html

●日本人と異なる価値観

 ネパールでは、社会的に成功した人は利益を社会に還元することで宗教上の功徳を積み、来世でより良い地位に生まれ変わると信じられています。

 この為、社会的に成功した人が寄付することは自分の功徳の為と見做され、感謝はされますが誰が寄付したのかはそれ程重要ではありません。

ネパールに学校を建設した日本人ボランティアが、後日現地を訪問したら先生が日本の支援で学校が建てられたことを子供に教えていなかったと怒っていましたが、先生からすればそんなことにこだわる日本人が理解できないでしょう。

 特に教育と医療に熱心な日本人は学校を建てれば住民から無条件に感謝されると思っているようですが、未だに老人がボランティアの支援食糧を拒否して口減らしに自殺し、病気になったら祈祷師を頼る僻地に生活の足しにならない学校を建てても、喜ぶのは出費が減った長老会議(村を運営しています)と一部の人で、関心のない人や迷惑だと思う村人もいるのです。

 延命治療を拒否してダイルームで死を待つヒンズー教徒や、古くなった仏像を汚いからと薪にし、代わりに太陽電池のイルミネーション付仏像を有難がる仏教徒等、ネパール人の価値観は日本人と異なります。

 忘れられたくなかったら記念碑でも建てて(これもセコいような気もしますが)おくと良いでしょう。

忘れられないように支援国が中心の世界地図を壁に描いた小学校

●賄賂なしでは進まない手続き

 観光ビザや就学ビザでネパールに入国し、法律に触れない範囲でボランティア活動を行うなら行政と係る必要はありませんが、ボランティアとしてビザを取得しSWC(ネパール政府社会福祉評議会)の監督下で活動するには色々な手続きが必要になって来ます。

 ところが、この団体は賄賂なしでは至って不親切な団体で、要求を聞けば切りがなく聞かなければ手続きが遅れます。

 ご批判を覚悟で敢えて言わせてもらえばボランティアにたかる害虫の様なもので、発展途上国ではこのタイプの下級役人は珍しくないものの、支援金の一部が賄賂に使われるのはやりきれない気持ちがします。

 SWCと係りを持つのは主に資金が豊富な欧米の大きな企業ボランティアで、役人にしてみれば賄賂が取れないような弱小団体や個人などはボランティアの範疇に入らず、相手にする価値は無いのです。

●売名ボランティア

補助金を流用した為遂に完成しなかったキノコ工場  

遠いネパールでは名誉欲に取りつかれた売名ボランティア団体も見かけますが、中身のある売名ならそれも良いでしょう。

 欧米の大きな企業ボランティアは売名による資金集めも賄賂の使い方も上手です。

 しかし、詐欺まがいの行為は許されません。

 ボランティア団体がヒマラヤの山村に行って村の有力者に何が必要か尋ねます。
 学校を建設し、送迎の車と学用品や体育用品も欲しいと要望はきりがありませんが、それを寄付しても恩恵を受けるのは限定された人々です。

 貧しい子供が通えない学校、何時の間にか有料の観光タクシーになっている送迎車、何故かバザールで販売されている学用品等、日本でボランティア団体の成果として紹介される内容とはかけ離れた現実に直面します。

 
私が参加した団体も規模の大きい有名な団体で、会員として参加していたときには良い活動をしていると信じていたのですが、事務方として参加したところ、名声を維持するために詐欺まがいの資金作りをしている事に気付き、悪事の片棒は担げないと退会しました。

 村の有力者の要望に応える事で得た名声を維持する為、日本の補助金を本来の事業に使わず、村の有力者が希望した他の事業に流用し、日本の支援者には補助金事業が如何にも進んでいるような虚偽の活動報告をしていたのです。

 無農薬、有機肥料のリンゴ栽培を指導すると聞くと日本なら多くの人が関心を持ちますが、全く採算が取れないため(無農薬のリンゴ栽培に関心のある人はこちらをどうぞ)見習う農家は1軒もなく、出来たリンゴで見てくれの良いものはカトマンズに空輸し、ネパール政府要人や日本大使館、JAICの幹部などに贈られる一方、日本からの援助物資の古着や文房具は有力者に贈っても喜ばれないため、現地の倉庫で朽ち果てていました。


配られずに腐った大量の支援物資

●商業主義の文化交流ボランティア

 最近、海外でホームステイをしてボランティアや文化交流を行い、併せて観光も楽しもうと言う広告を良く見かけるようになりました。

多くは観光会社が看板を変えただけのものですが、本格的な海外ボランティアの切っ掛けになるならこれも良い企画ではないかと思います。


話題作りにヒマラヤの養魚池に放された食べられない錦鯉

私の所属していた団体も観光会社と組んで随分ボランティア・ツアーをやりました。

 ボランティア団体の資金集めと売名を兼ねた完全やらせツアーです。

 活動場所のヒマラヤ山村で一番の高級ホテル(温水シャワーがあると言うだけですが)を借り切り、歩いて20分ほどのボランティア農場には付近の村の観光用乗馬を集めてまるで大名行列のように向かいます。

 農場見学を兼ねて申し訳程度の農作業のまねごとをしたら、後はボランティアで建設した学校の授業風景見学や付近の観光です。

 夜は地元住民との交換会で折り紙を教えたり、お互いの踊りや歌を披露し親睦を深め、最終日に地元スタッフと記念植樹をしてメモリアルは完成です。

別れの時に、地元の人にカタ(幸運を祈る絹の布)を掛けて貰い、感激で涙を流す人もいて参加者は大満足、日本に帰ればボランティアに参加してきたと自慢できますし、事務方はこれで来年も寄付を頂けると一安心、観光会社はツアーで儲かり、地元の村はお土産などの現金収入でボランティア団体に感謝と良い事尽くめです。

 ボランティアをダシに使ったやらせのツアーですが効果は抜群です。

 しかし、本当は日本人が来て簡単にボランティアに参加できるような場所ではありません。

 なにしろ、標高2700mの山村には満足な医療施設も無く、JICAの職員すら派遣されない(JICAは病院のない地域には職員を派遣しないそうです)僻地で、慣れない人は高山病で歩くのすら大変です。

 ツアーで馬を使うのは歩くと30分の農場にさえ到着出来ない人が出て来るからで、現地の人と同じ農作業をすれば直ぐ倒れてしまいます。

 住民との交換会も自発的なものではなく、普段の寄付の見返りに村の有力者に人集めをお願いしたのです。

 時折、商業主義の楽しいボランティア経験者から本格的なボランティアに参加したいと言う申し込みがありましたが、空気の薄い現地で働けるようになるのに1月〜3月もかかるうえ、風呂も無く、夜は氷点下マイナス10度まで下がるヒマラヤの寒村の生活に耐えられる人はそうはいません。

 十分事前に事情をお話し、それでも参加したいならどうぞと言う事になるのですが、3日も我慢でず帰った人も含めて2度来た人の話は聞いたことがありません。



植林されたヒマラヤスギは今も成長している

 ここに限らず、本当に救いの手が必要な貧しい人々は概ね厳しい環境の中で暮らしている人達で文化交流や交換会に出て来ることはありません。

 ボランティアで文化交流をうたったこの手のツアーに参加される方は、上辺だけでなくその向こうの真実の姿を是非見て来ていただきたいと思います。


●ボランティアに立ちふさがる医者や技術者を下層とするカースト

 ネパールでは、複雑な世襲のカーストを持つヒンズー教徒が人口の約8割を占めています。

 インドに比べると結構融通が利くような気がします(複雑過ぎて説明が難しいのですが)が、それでもボランティアの対象となる貧しい人達は殆どローカーストで多くの制約があり、それが障害となって活動の前に立ち塞がります。

 上級カースト(中には理解のある人もいますが)からすれば、前世の徳の結果下層カーストに生まれた人達が、ボランティアの援助で前世の徳を越える豊かさを手に入れる事は宗教上の理念に反します。



洗濯カーストは第3階級

仕立て屋カーストは第4階級

で不可触民  彼らにすれば国の発展とは自分たちが先ず豊かになる事で、その結果得た富をローカーストに施すのが上級カーストの勤めなのです。

 ボランティアは、ネパールの為にとローカーストを支援するのですが、上流カーストから見れば自分たちが恩恵を受けない活動はネパールの為ではなくローカーストに対する施に過ぎず、外国人が自分の為に徳を積んでいるとしか見えないのです。

 ネパールの実権を握る上級カーストの中には日本人ボランティアを明らかに見下す態度が見え隠れする場合があります。

 ネパールのカーストは大きく4段階(学者によって分類も異なる)に別れますが、チベット系部族も多いネパールではインドと違い日本人の様なモンゴロイド系の人々を概ね第2階級(第3とする説もある)に、欧米人はその下に位置付け(日本人はカーストとは関係ないと思っていますが、彼らは勝手に外国人を位置づけします)ています。

 従って、第1階級のカーストは日本人を下層階級と見ますし、日本人で医療や技術支援に行ったボランティアは第3階級と見られる場合が有るそうです。

 穢れを嫌うヒンズー教徒は、血に触れる医師や他人の物に触る技術者を不浄としてローカーストに位置付けするからで、最下層の第4階級は上級カーストが触れてはいけないと言う意味で「不可触民」さらにその下は「不可触賤民」と呼ばれます。

 国の発展に必要な技術者(医師はさすがに第3階級の最上位だそうですが)ですが社会的地位は低く、生産性のない上級カーストが政治を動かしているのでなかなか技術が生かせません。

 カースト制は、その弊害が指摘され表向きは法律上差別が否定されていますが、ヒンズー教と表裏一体なので改革は容易ではなく、弊害は中々無くなりません。

 街でローカーストのルール違反者に対する制裁を見たことがありますが、その容赦のなさに差別の根強さを感じ暗い気持ちになりました。

 観光ガイドに載っていない場所を旅すると、世界中の至る所で差別がある事に気付き度々不愉快な思いをします。

 特に、インドや中国の様な多民族国家には民族や階級による差別が必ずあるもので 、ネパールも決して例外の国ではありません。

 営利の観光や文化交流ボランティアは、差別を気付かせないようにプログラムを組んであるようで、業者さんの素晴らしいお膳立てで楽しい思いでだけを持って帰ってきた人達は幸せですし、ネパールまで行った意欲に敬意を表します。

 でも、それがネパールの本当の姿だとは思わないでください、と言ってもネパールには姿が沢山ありすぎて真実の姿の方が無いのかも知れませんが、本当に貧しい最下層カーストに手を差し伸べるボランティアなら、かなり不愉快な思いをすることを覚悟しなければなりません。

 ネパールで最も必要なボランティアは、差別が当然とする時代遅れの上級カーストの意識改革活動(多分無理です)かも知れません。

※マオイストが政権を握った時に変化が来ることを期待したのですが、権力の座に着いた途端、腐敗するのはどの国も同じなのかもしれません。

●ボランティアと信仰心

 日本人は冠婚葬祭以外は宗教に無頓着な人が多く、ボランティアを宗教と関連づけて考える人(宗教関係者の行うボランティアもありますが)は少ないと思います。

 しかし、ネパールでは宗教と生活が一体になっているのでボランティアも信仰を尊重しないと活動できません。

 鈍感な日本人がうっかり宗教上の禁忌に触れた場合、ボランティアだからと大目に見てくれると期待してはいけません。

 少なくとも信仰心を尊重できない人はネパールでのボランティア活動には向きませんし、無神論者に至っては軽蔑され相手にされません。

ところが現実には、牛を敬う国で、牛革の靴を履いて施設から追い出されたり、道端のお供え物をうっかり蹴散らして抗議されたりと日本人の無神経な感覚が非難を買っている場合があります。

 ボランティアで一緒に活動するとなると最初に宗教を尋ねられることがよくありますが、これはお互いの信仰を尊重するネパール人の心遣いです。

 例えば、ヒンズー教も仏教も一部の宗派を除けば敬遠な信者は殆どベジタリアンですので、間違って食べられないものを料理の中に入れて食べさせたりすると、その人は長年積み上げた功徳を失う事になり、謝る位ではとても申し訳が立ちません。

 この意識は今の日本人には恐らく理解できないと思います。

 ネパールでは、異教徒であっても信仰心の篤い人は戒律を守る自制心の強い人としてそれなりに尊重(但し、インドと同じく仏教徒をローカーストと見做し差別する人もいる)され、反対に信仰心のない人は戒律を守れない心の弱い人として軽く見られます.


異教徒は入れないヒンズー教寺院

  しかし、無神論者となると全く受け止め方が違います。

 信教が自由な日本では無神論も選択の一つにすぎませんが、国民の8割が生まれながらにヒンズー教徒のうえ、熱心な仏教徒も多いネパールでは信仰と人格が云わば一つとして見られますので、信仰を持たない無神論者は倫理の基準を持たない人間として決して信用されないのです。

 日本人の感覚では「私は神を信じないが、あなたが神を信じるのは自由です。だからお互い仲良くやりましょう」と言う事になりますが、ネパール人にすれば、

「私が信じている神はいないと言いながら仲良くやろうなどと言う馬鹿な日本人」

と言う事になります。

 宗教に鈍感な日本人の勝手な理論はネパールでは通用しません。

 日本人には、「神」はみな同じと思っている人がいるようですが、宗教によって信者の心の中の「神」は全て異なります。


ボダァナートで五体投地

をする仏教徒   ネパールで敢えて無神論を唱えるのなら軽蔑されても信念を通す覚悟(通しても信頼は得られません)が必要ですが、軽蔑までされてボランティアなどやる意義は無いと思います。

 観光ツアーでさえ宗教施設を訪問するなら、最低限の敬意を払うのは礼儀だと思いますが、格好がいいから(意味分かりませんが)と言ってキリスト教徒でもないのに首にクルスを掛け軽蔑されたり、まるでコールガールの様な恰好をして寺院で門前払いをされる恥知らずの日本人が居て、しばしば肩身の狭い想いをします。

 どこの国でも愚かな人はいるので観光ならそう問題になることは無いでしょうが、ボランティアには絶対参加してもらいたくないものです。

 ネパールでは、信仰心がないボランティアは金持ちの道楽にしかみられません。

 そして本当に残念なことですが、宗教に鈍感な日本人のボランティアが金持ちの道楽と見られているのではないかと思われることが多くあります。

 堂々とキリスト教を前面に出す欧米ボランティアに比べ、明らかに感謝の気持ちが薄いと感じらる場合が多いのです。

 ボランティアの為に信仰心を持てとは言いませんが、相手の信仰を尊重する謙虚さはボランティアに必要だと思います。

●学校建設の恩恵を受けられないロー・カーストの子供

現場で働く中学生位の少年

 貧困からの脱出は教育からと、多くのボランティア団体がネパールの学校建設を支援しましたが、最下層の貧困家庭の子供達には支援の手が届かないのが現状です。

 もともとネパールの小中学校は無料なので都市部では入学率は高いのですが、経済的に苦しいロー・カーストの子供は小学校の高学年位になると家計を助ける為、学校を辞めさせられ働かされます。

 いくら、学校を建設しても本当に貧しいロー・カーストの子供には勉学の機会は与えられないのです。

 しかも、ロー・カーストの賃金は驚くほど安く、まさにワーキングプアーの泥沼から抜け出せない状態です。

 日本人の感覚からすれば、子供を学校に行かせない親を非難したくもなりますが、例え彼らが教育を受けたとしてもカーストの枠から抜け出ることは非常に難しいのです。


火葬場をあさる最下層カーストの子供  

カーストで職業が制限される実態は、部族別の職業割合を見れば一目瞭然です。

 今流行のIT産業やメディア関係はカーストがありませんが、学歴社会のネパールでは大卒でなければ採用されないのでローカーストからの転入は不可能です。

 ネパールのテレビに出演する人気歌手や俳優が皆年寄り(失礼ですが日本に比べればという意味です)なのは、大卒でなければ採用されないためで、AKBやジャニーズ系がネパールのメディアに出てくるようになれば、カーストに風穴が開くかもしれません。

 学校さえ建設すれば問題が解決するというのは日本人の思い込みで、最低限の生活をする彼らにとっては明日の教育より今日の食料が大切です。

 ボランティアの前にもカーストの厚い壁があります。

●ボランティアも手が届かないネパールのおしん達

 日本のテレビ・ドラマ「おしん」はネパールでもそのまま通じます。

 トレッキングで山村に行くと、ロッジや商店で学校にも行かず朝から晩まで働くネパールのおしんたちに出会いますが、この少年、少女たちの境遇は日本の物語より厳しいかもしれません。

 彼らの多くは貧しくて親が育てられない子供か孤児で、ロッジ等のオーナーが引取り、衣食を提供する代わりに無給の従業員として働かせているのです。

 いわゆる奴隷労働者なのですが、間引きの習慣が未だに残り、まして孤児院など無い山間部ではそれなりに子供たちの命を守っているのです。

 しかし、学校に行かせてもらない為、読み書きはもちろん簡単な計算もできない子供も珍しくありません。

 ボランティアがいくら学校を建設し、地元の小学校に文房具を寄付してもオーナーが彼らを学校に行かせる事は無く、おしん達がボランティアの恩恵を受けることはないのです。


ネパールのおしんちゃん


13才のホテル従業員  

毎朝学校に行く同年代のオーナーの子供たちの背中を見ながら、手の空いた僅かな時間にノートを広げ勉強する姿に心打たれ随分文房具等を贈りましたが、その様な境遇の子供たちがどれほどいるのか想像も付かず、個人では運べる荷物も僅かです。

 行政から無視され、ボランティアの手も届かない子供達に幸多かれと祈るのみですが、もし皆さんが現地でこの様な子供達を見かけたら、是非文房具等(現金は不可)を支援して下さい。

 但し、このような子供たちを援助する場合は決して直接、品物を手渡たさないでください。

 隠れて子供に渡すことも厳禁です。

 子供達には一切所有権がなく、渡したものは全て一旦ロッジや商店の収入としてオーナーが取り上げてしまいます。

 必ずオーナーに話を通さないと品物は子供たちに渡りません(現金はほぼオーナーの収入になります)し、下手な渡し方をすると子供が怒られる場合があります。

 参考ですが、あなたがトレッキングに行ってロッジを選ぶ時、そこで働く子供の表情を見るとロッジの良し悪しが一目で分かります。

 子供の表情が明るければ、そのロッジのオーナーは間違いなく善人で、多分安ホテルです。

  18年間ネパールのボランティアに係ってきましたが、急激に進む近代化の前に支援者の熱い思いで建てた学校が次々と廃校になったり道路が作り替えられるなど、ボランティア活動の努力が如何に小さいか思い知らされ、ボランティアの意義が分からなくなってきます。

 それでも貧しくても明るい子供たちの笑顔を見ると、何かしないではいられない気持ちになります。

 小さなボランティアが大きな実を結ぶ可能性を信じています。
http://www6.ocn.ne.jp/~n.rifle/page6.html


02. 2014年12月06日 20:00:42 : b5JdkWvGxs

被差別カースト
http://kuantan2007.wordpress.com/2014/12/02/caste/

ネパールのカーストシステムは複雑で、よくわかりません。

日本の学校でもインドのカースト制度について学びますが、北西から侵入してきた「アーリア人」が原住民を征服し、原住民が下位カーストとされた、というふうに単純に覚えていることが多いのではないでしょうか。

少なくともネパールのカースト制度は、そう簡単なものではないようです。

インドとも違い、「ヴァルナ」という話は聞いたことがない。

「ジャティ」というのはよく聞きます。

民族もジャティであり、氏姓もジャティで、苗字を聞けばカーストがわかってしまう。

職業により、その仕事をしている以上確実にあるカーストに属しているというのがあります。

他のカーストの人は参入できないのだろう。参入しようとも思わない。

英語に Smith とか Taylor という苗字がありますが、これらの仕事はネパールでは非差別カーストの仕事になります。

仕立屋は

ダマイ
http://internet.cybermesa.com/~rotto/damai.html

と言われていた。

バサンタプルではよく靴を直してもらいましたが、露天を構えている最下位カーストの靴直し職人の男は色白で白人そっくりの容姿だった。

モンゴロイド系の仏教カースト
http://internet.cybermesa.com/~rotto/basya.html

は一括してバイシャとみなされているようでしたが、カトマンドゥで知り合いだったあるタマン族の若い男は、自分たちは「彼ら」(被差別カースト)の作ったものは絶対に食べないのだと自慢気に語っていた。

「彼ら」が触った水も飲まないと。

だから、エアインディアなどの客室乗務員はおそらくブラーマンばかりでしょう。床に落ちたフォークを客に拾わせるという話も聞いたことがある。地べたに触ると穢れるからです。


この人はラクシミという人で、英語は一切話さないけどよくしゃべり面白い人でした。私は結構仲良くしていました。

ここが自宅で、この仕事をしているというだけでカーストははっきりしています。

私はこの家で出されたお茶も飲み、物も食べさせてもらいましたが、水は確かにまずかった。水源に近づけないので新鮮な水が手に入らないのかもしれない。私は「ビデシ」で「ビスワ」なので、この家にも出入りし、チェトリの家にも出入りできた。

カトマンドゥのタメルなどで早朝道の掃除をしている女の人たちは、

Sudra
http://internet.cybermesa.com/~rotto/sudra.html

にも入らないカースト外の被差別民(不可触民)なのかもしれない。そのへんはよくわかりません。

前にも書きましたが、豚の商売をしていて豚の屠殺や解体もするモンゴロイド系の人は、保守的なチェトリの家に出入りして女主人と談笑していた。そのチェトリのおばさんは、「ダマイ」が自分の家の前を通るだけで嫌がっていた。そのおばさんにとっては、モンゴロイドの屠畜業者は「穢れ」ではないが、アーリア系の仕立屋は「穢れ」だということになります。


03. 2014年12月06日 20:02:18 : b5JdkWvGxs

マオイストだらけのネパール
http://kuantan2007.wordpress.com/2009/03/24/%e3%83%9e%e3%82%aa%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%a0%e3%82%89%e3%81%91%e3%81%ae%e3%83%8d%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%ab/

タメルの「日本人宿」『チェリーゲストハウス』は、ボスも従業員たちもみなバウン(ブラーマン)で、縁者たちのようである。

ボーイの話では、彼を含めて従業員の男は二人とも「マオイスト」なのだとか。

このあたりで「マオイストだ」ということがどの程度の重みなのか、いまだ測りかねるところがある。民青ばかりいる学校で民青同盟員だというくらいのことなのかもしれない。

しかしマオイストはつい最近まで戦闘していた組織であり、現在も武力闘争を完全放棄したわけではない。暴力革命組織なのだ。

もっと疑問なのは、マオイスト幹部たちに、ネパールの貧民どもを救おうという意思が本当にあるのかどうかである。ネパールはどっちにしろ援助に頼って生きている国だから、問題は外国からもらったものをどう公平に分配するかということだけである。

それ以上に疑問なのは、彼らがカースト制度を何とかしようと思っているかどうかだ。バウンやチェトリなど上位カーストばかりのマオイスト指導者たちが、カースト制度を悪いことだと思っているかどうかも疑問である。

私は「カースト制度を悪いと思うべきだ」と主張しているのではない。

そうではなくて、共産主義だの「人民を愛する」だのと言って権力をめざし、権力を獲得した以上は、まずマオイスト支持者の知識人にも強いカースト差別意識や被差別カーストの境遇を何とかすることを考えるのが当然ではないか、と思うだけである。

少なくとも、私が日ごろ接するマオイストからカースト制度批判を聞いたことはない。せいぜい自分たちの薄給の嘆きであり、俺たちは教育があるのに・・・・、という話ばかりである。

マオイストからカーストに関して聞くことは彼らの間の「インターカーストマリッジ」(異カースト間結婚)自慢くらいである。

モンゴロイド系のマオイスト有力者一族の娘リナによれば、インターカーストマリッジ(といってもアーリア系とモンゴロイド系との間に限られるが)で生まれた子供は「頭が良くてかわいい」のだそうだ。

「白人の子が欲しい」といっている馬鹿日本人女と変わらない。

上位カースト・マオイストの「教育」へのこだわり、「教育があること」の誇り、「教育がない連中」に対する軽蔑は大変なものである。

田舎に行くと女の人が石割などのきついヨイトマケ仕事をしているのをよくみかける。

マオイスト地盤の田舎では道路がどんどん良くなっているのだが、石と土での簡易舗装のための石作りをしている人は女が多い。

彼らの顔を見ると、普段あまり見かけない東南アジア系またはドラビダ系の色黒の人たちで、容姿から判断する限り被差別カーストの人々が多いようである。

マオイスト有力者たちがお金持ちで、その一族縁者も特権的な恩恵に浴していることは前にも書いた。彼らは若者の教育にも熱心で、自分たちの子供をイギリスに留学させることに熱心である。

ところが、マオイストは、「外国から援助してもらった金を分配する権力」を取っただけだというのに、本当に貧しい人や被差別カーストないしカースト差別を何とかしようという気持ちはほとんど持っていないように見える。


04. 2015年3月14日 21:01:25 : b5JdkWvGxs

「ボテ」という言葉について

ネパールで言う「ボテ」についてです。

以前、カトマンドゥのバウンから「お前ら日本人はボテだ」と言われたことがあり、一般に「ボテ」は、いわゆる「モンゴリアン」カースト全般を指していう言葉だと思っていました。(元来の意味は「チベット人」のことのようです)。

ところが今日複数の教育のあるバウンから、「ボテ」というのは(「モンゴリアン」カースト)の中でもタマン族(ラマ姓を自称する場合が多い)に限って使う言葉だと聞きました。グルン、タカリ、マガル、ライ、リンブー等々は「ボテ」とはいわないのだということです。

本来の意味の「ヒマラヤに住むチベット人」という意味では、「ボテ」は少なくともネパールでは一般には使われないようです。ほとんどがシェルパ族なので「シェルパ」です。シェルパのなかにも亡命系のシェルパと昔からヒマラヤの南側に住んでいるシェルパ(ソルクーンブ)のシェルパがあり、言葉もアイデンティティも違うようです。

ネパール人はカースト意識もまだ強いですが、ネパール人同族意識もやはり強いようで、少なくとも教育のあるバウンは、モンゴロイド系の少数民族も同族として考えているようです。

なお、ネパール人が今でも使う「モンゴリアン」、「アーリアン」という言葉は、おそらく人種主義的な白人が吹き込んだものだと思われます。支配層のバウンやチェトリを喜ばせるために、あるいは、カースト差別を前提として支配層のバウンやチェトリが白人を喜ばせるために、互いに使いあって(ネパールの)英語に定着しているものだと思います。

今でも世界中の白人が使っている「コーケイジアン」(コーカソイド)という言葉にも根拠はなく、むしろ旧約聖書の解釈に基づく人種主義的な概念です。(神に選ばれたノアの一族を乗せた箱舟は洪水のあとコーカサスのアララト山に漂着した。そこからセム、ハム、ヤフェトの民族が生まれ、白人はヤフェトの子孫だとされる)。

「モンゴリアン」「モンゴロイド」などという概念はますます根拠のないものです。大スンダ(今のマレーシアやインドネシアを含む地域でかつて大陸があったといわれる)の先住民や縄文人がなぜ「古モンゴロイド」などと呼ばれなければならないのか。モンゴルとは何の関係もありません。

現在の人類学説では、人類は一種であり、ユーラシア大陸については、「西ユーラシア人」と「東ユーラシア人」に分けているようです。しかし、目も青く金髪で肌も白いタタール人は「モンゴロイド」なのか、とか、中央アジアや西アジアでは血統的にはペルシャ系でトルコ語化した諸民族が多数いるようですが、彼らは「モンゴロイド」なのか「コーカソイド」なのか、とか、あいまいなところはいくらでもあります。そもそも「人類学」という学問が、白人の人種的な優越性を証明するために作られたものなので、自然人類学自体がいかがわしい学問だと思ったほうが良いと思います。「モンゴリアン」とか「コーケイジアン」という言葉を不用意に使う者を見たら、無教養な人間とみなしてよいです。
https://kuantan2007.wordpress.com/2015/03/13/about-the-word-bhote-in-nepal/


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