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60年安保闘争や東大紛争で反原発が語られなかったのはなぜか
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/583.html
投稿者 taked4700 日時 2018 年 3 月 24 日 18:16:25: 9XFNe/BiX575U dGFrZWQ0NzAw
 

60年安保闘争や東大紛争で反原発が語られなかったのはなぜか

 1960年代から1970年にかけて、日本に於いては安保闘争や全学連の闘争が盛んに起こった時期でした。しかし、なぜか、原発については話題にならず、反原発運動が起こることはなかったのです。

安保闘争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89
>安保闘争(あんぽとうそう)は、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員、労働者や学生、市民および批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争、傷害、放火、器物損壊などを伴う大規模暴動である。自由民主党など政権側からは、「安保騒動(あんぽそうどう)」[1]とも呼ばれる。

であり、

60年安保闘争
http://yabusaka.moo.jp/60anpo.htm
>【ゼンガクレン】
>全学連が誕生したきっかけは、GHQの打ち出した国立大学の地方自治体委譲案、また反対を受けての代案である大学理事会法案、国立大学の授業料3倍値上げ間に対する抵抗運動だった。
>48年6月1日、こうした案に反対する5000人が日比谷音楽堂に集まり、「教育復興学生決起大会」を開き、デモを行った。また全国官公立大学高等自治会連盟が結成され、一斉ストライキを決議、私学系もこれを支援し、全国で114校でストが行われた。抗議活動はその後も続き、同年9月、全学連(全日本学生自治会総連合)は結成された国公私立145校、30万人が参加。本部は東大内に置かれ、初代委員長には東大自治会委員長・武井昭夫が就任している。他の中心的なメンバーには安東仁兵衛、力石定一、沖浦和光、不破哲三、上田耕一らがいた。
>56年10月、ハンガリー首都ブダペストでの反政府(反共産党政権)デモが起こり、ソ連が軍事介入(ハンガリー闘争)。日本共産党がこれを支持したことで、全学連や学生党員らが反発。離反の要因のひとつとなる。
>57年1月、元・日共党員らが「日本トロツキスト連盟」結成。10月には「革共同(日本革命的共産主義者同盟)」(後に革マル派、中核派に分派)に改称する。
> 58年12月、日本共産党を除名された全学連主流派の学生党員を中心に「共産主義者同盟(第1次ブント)」結成。
>全学連幹部がはじめ日共党員で占められていたが、活動家は共産党の方針にあきたらず、60年の大会で事実上離別した。
>59年6月、全学連第14回大会で、ブント執行部・唐牛健太郎が主導権を奪う。唐牛委員長―北小路敏書記長ラインで主流派構成し、安保問題にとりくみはじめた。
>安保反対闘争では、たびたび警官隊と衝突、国会に乱入、羽田空港座りこみなどの行動を続け、「ゼンガクレン」の名は世界的に知られることとなった。

しかし、反原発のことが語られた形跡はないのです。

東大安田講堂事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AE%89%E7%94%B0%E8%AC%9B%E5%A0%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>東大安田講堂事件(とうだいやすだこうどうじけん)は、学生の自発的組織である全学共闘会議(全共闘)および新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が1969年1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件である。東大安田講堂攻防戦ともいう。

であり、1960年前後から1970年前後は、日本に於いて原発が数多く建設された時期でした。

平成22年(2010年)に発行された「電源立地制度の概要」
https://www2.dengen.or.jp/html/leaf/seido/seido.html
の「8章」
https://www2.dengen.or.jp/html/leaf/seido/files/richigaiyo-201003_08.pdf
に平成22年現在での運転中及び計画中の原子炉の一覧があり、そこに原子炉設置許可年月日が載っています。これを基に、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年以降に分けて集計すると、次のようになります。

1960年代  : 7基
1970年代  :19基
1980年代  :22基
1990年代  : 4基
2000年以降: 5基

原発建設に際して、地元自治体へ話が行くのが設置許可の10年程度は前でしょうから、1960年代から70年代に原発建設へ動いた自治体が多くあったことが伺えます。

社会運動が急速に廃れたのは、安田講堂事件が敗北に終わったからではなく、1972年のあさま山荘事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>あさま山荘事件または浅間山荘事件[注釈 1](あさまさんそうじけん)は、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」[注釈 2]において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。

があったからでした。「総括」という名のリンチ殺人が行われ、これによって、社会運動に対する一般的な印象が一気に悪化したのです。

「内ゲバ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E3%82%B2%E3%83%90
>内ゲバ(うちゲバ)とは、内部ゲバルト(ないぶゲバルト)の略。ゲバルトは「ドイツ語: Gewalt、威力・暴力」の事で、同一党派または同一陣営などの内部での暴力を使用した抗争のこと。
>一般的には、左翼党派内または左翼党派間、特に日本の学生運動や日本の新左翼党派間での暴力を使用した党派闘争を指す場合が多い。逆に機動隊などの国家権力(公権力)に対する暴力を用いた抗争は外ゲバ(そとゲバ)[1]、同一セクト内の場合は内内ゲバ(うちうちゲバ)[2]とも呼ぶ。

という学生運動や社会運動内部での暴力が横行し、結果的に組合への加入率が急激に下がっていきました。しかしながら、そういった闘争で対象となった問題は、例えば


成田闘争(三里塚闘争)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%87%8C%E5%A1%9A%E9%97%98%E4%BA%89
>三里塚闘争(さんりづかとうそう)は、千葉県成田市の農村地区名称である三里塚とその近辺で継続している成田市・芝山町の地元住民及び新左翼活動家らによる新東京国際空港(成田空港、2018年現在の正式名称は「成田国際空港」)の建設・存続に反対する闘争のことを指す。成田闘争(なりたとうそう)とも呼ばれる。

とか、

東京教育大の「筑波移転反対闘争」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E7%A7%BB%E8%BB%A2%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E9%97%98%E4%BA%89
>筑波移転反対闘争(つくばいてんはんたいとうそう)は、東京教育大学が筑波研究学園都市構想に乗って、大学キャンパスを移転させようとしたことに対して、学生・院生が「移転反対・審議過程の民主化」を主張して起こした反対運動。1967年7月にはピケットストライキが、1968年6月下旬から1969年2月末まではバリケードストライキが行われた。

のような、冷静になって考えればあまり問題性のないことであったのです。どんなことであっても表と裏があり、利点だけでなく、そうではない点があるのは当たり前です。そして、大局的に考えればあまり大きな問題ではないことが大きな争点となり、殺し合いが繰り広げられていったのです。

そして、本来、どう考えても日本社会に大きな影響を与えることが予測できたはずの原発建設に社会の関心が向けられれることはありませんでした。

特に、1972年のあさま山荘事件は、事前に運動の上層部が警察によって逮捕され、結果的に森恒夫
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6
>森 恒夫(もり つねお、1944年12月6日 - 1973年1月1日)は、日本のテロリスト。新左翼活動家。連合赤軍中央委員会委員長。
>塩見や高原浩之が逮捕されると国内赤軍派の獄外メンバーの事実上のリーダーとなり、M作戦(金融機関強盗)などを指揮したが、1971年3月に捜査当局から銀行強盗を指揮した罪で指名手配された。その後、京浜安保共闘との連携を指導し、やがて統一組織連合赤軍を結成した。

が中心的な存在となっていたのです。そして、彼によって「総括」という名のリンチが提案され、あさま山荘事件が発生したのです。いわば、森恒夫はこの頃の世論操作の中心人物のひとりであったはずです。彼はその後、獄中で自殺したとされていますが、自分は偽装であろうと考えています。今でも存命であるかどうかは分かりません。

ただ、彼は彼なりに自分が正しいことをやっていると当時思っていたのでしょう。様々な形で問題を引き起こす学生運動を退潮させ、おとなしい勤勉な一般市民に誘導することが正しいのだというわけです。

しかし、その裏には、原発建設を世間の関心から外すというより大きな枠組みがあったのです。そして、実際に2011年福島第一原発事故が発生しました。津波が原因で事故が起こったのだという認識が広まっていますが、地震時に何があったのかの目撃証言はほぼまったく出て来ていませんし、原発内部に数多く設置されている監視カメラの映像も全く公開されていません。

福島県で行われている小児甲状腺がんの検査では、受診率が検査の進行に伴いどんどんと低下し、福島県の統計に挙げられていない患者数が数倍はあると思われます。

社会的に大きな関心を集める動きがあったときに、それが本当に正統的なものなのか、どこかで大きな誘導があるのではないのかと考えてみる必要があるのではないでしょうか。

現在の森友問題を見ていると、そもそも、安倍首相に神道を教える小学校設立の意向があったとはとても思えず、この問題は最初から世論の誤誘導を目指しているのではないかと思えてしかたありません。

1960年代から1970年代のあの間違えを今まさにまた繰り返すのでしょうか。

2018年03月24日18時10分 武田信弘  

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