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宗教
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/808.html
投稿者 haru 日時 2023 年 1 月 14 日 16:48:57: tQR1Zy22P.JHM aGFydQ
 

神を信じる全ての宗教は、人々に神への服従を求めている。
誰も神を見たことがなく、誰も神と直接話した証拠などない。
にも関わらず、宗教は人々に法を課す。

三大宗教の時代、ほとんどの人は文字を読むことができませんでした。
人々は、奴隷の様に使役されていました。

現代、人々は現代医学について何も知りません。
ただ、テレビや政治家の言われた通りに行動しています。

そして、彼らは科学に従いなさいと言う。
しかし、ほとんどの人は科学とは何かさえ答えることができないのです。  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 2023年1月15日 18:54:22 : H3qewymxyA : akJmdGxndm1hajY=[-4975] 報告
ディズニーは「危機にある企業」
https://bit.ly/3H5jM9e

コロナの影響で株価が低迷。2年前のおよそ半値。
https://bit.ly/3XwBlV6

ディズニー従業員が人身売買に関与。
http://rapt-plusalpha.com/33415/

フロリダ州議会はディズニーの自治権を剥奪。
http://rapt-plusalpha.com/36186/

中国共産党と共に滅びを。

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

2. 偽装皇帝[1] i1WRlY1jkuk 2025年8月02日 01:49:05 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[1] 報告
未読だが、某動画で大要を知った(誤解の可能性大だが)「サピエンス全史」によると現在の人類、ホモサピエンスが他の原始人類(実は同時多発したらしい)を駆逐して「唯一の人類」になった理由はホモサピエンスだけが「現実でないこと(虚構、フィクション、嘘)を信じる能力があったかららしい。その能力によって、通常の野獣や他の人類に可能な部族数を超えた巨大集団をまとめることが可能になり、地球を支配できたというわけだ。要するに、「嘘が巨大集団をまとめる」わけで、これがホモサピエンスの「見えない力」であり、これは現在でも宗教や政治や、ひいては科学の本質だろう。(もちろん、工学系の発展は科学を関係するのもあるが、実は科学自体が文明を進化させたわけではない。現在の文明はせいざいが「蒸気機関」とその発展形(原子力含む)、そして「電気の発見とその利用」であり、科学の恩恵は原子力くらいだろうし、その原子力を人類は統制できない。
いわゆるDSによる世界支配も「嘘の力」がその本質である。マスコミの利用、政治的扇動などだ。そうすると、「いかにして嘘と戦うか」ということも、「宗教、政治、科学」における嘘を丁寧に暴き出し、退治していくかにかかり、この「阿修羅」のような存在の価値は非常に高く、この場での「議論」も貴重だろう。
3. 偽装皇帝[4] i1WRlY1jkuk 2025年8月02日 12:20:31 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[4] 報告
<△22行くらい>
宗教について、私自身のブログ記事を転載。

(以下自己引用)

ファインマンとヴォルテール
ファインマンの発言だが、その趣旨とは別に、物理学者で頭の良さでは折り紙付きのファインマンが、人類の知性の最高峰としてヴォルテールを挙げているのが興味深い。
私は、青年時代にヴォルテールの「カンディード」を読んだ時から、その知性を至上のものと思っていたが、私の目は節穴ではなかったようだ。

なお、私は「カンディード」を、トルストイの「戦争と平和」を200ページ程度に圧縮したような小説だ、と見ている。もちろん、「戦争と平和」を何日もかけて読む楽しみもある。小説とは粗筋ではなく細部の「描写」を味わうものだからだ。しかし、人間がこの世に生まれた意味、世界はどのようなものか、その世界でどう生きるべきか、を1時間程度で知りたければ、「カンディード」を読むことをお勧めする。
ちなみに、キリスト教世界ではヴォルテールは無神論者の代表扱いで、多くの宗教者から攻撃されている。確か、「神が存在しなければ発明する必要がある」と言ったのはヴォルテールだとされているようだ。つまり、「あらゆる神は人間が作ったものだ」と言っているわけだ。


(以下引用)

人の能力がフルに発揮されないのはその殆どが無知だからだと考えられていました。では教育が普及した今、人は一人残らずヴォルテールになることができたでしょうか?悪もまた少なくとも善と同じくらい容易に教えることができます。教育は並々ならぬ力を持つものですがそれは善悪両方に働く力なのです。

4. 偽装皇帝[16] i1WRlY1jkuk 2025年8月17日 03:31:03 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[16] 報告
<■68行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
鵜飼秀徳「仏教の戦争責任」より一部転載。

(以下引用)


 日本仏教界が一体となって戦争に協力したのだ。いや、「協力」などという間接的なものではない。各宗門の宗教的トップ(法主)自らが、天皇制の下での仏教ファシズム(皇道仏教)を先導する役割を担っていたのだ。

 例えば、昭和天皇の従兄弟でもあった浄土真宗本願寺派二十三世門主大谷光照(勝如)は、歴代門主文書(1938年8月5日)の中で、こう語っている。

「国家の事変に際し進んで身命を鋒鏑(ほうてき)におとし一死(いつし)君国に殉ぜんは誠に義勇の極みと謂(いひ)つべし。一家同族の人々にはさこそ哀悼の悲しみ深かるべしと覚ゆれども畏くも上聞(じょうぶん)に達し代々に伝はる忠節の誉を喜びいやましに報国の務にいそしみ其の遺志を全うせらるべく候」

 (国家の一大事に際して、すすんで命を戦地に投げ打ち、天皇のために死ねることができれば、義勇の極みといってもよいだろう。家族や親戚にとって悲しみは深いだろうが、それは畏れ多くも天皇に届き、末代まで伝わる忠節の誉として喜び、さらにお国の為に戦って、その遺志をまっとうしてほしい)

 戦後は大谷光照らの戦争責任を追及する動きも起きた。法主による訓示は、末寺を通じてムラ社会のなかに浸透し、檀信徒の戦意を大いに発揚した。

 日米開戦直後には、真宗大谷派では東本願寺大門楼上に3メートル四方に書かれた「皇威宣揚」の看板を、門の左右には「生死超脱」「挺身殉国」の立看板を設置するなどしている。

 戦時下における戦争賛美の同調圧力と、熱狂の渦を作り上げた側面は否めない。

 こうした大量殺人を伴う戦争に、仏教教団は直接的・間接的に関わった。そこで、殺生を戒める仏教がなぜ? という疑問が湧き上がる。この矛盾を正当化したのが、日清戦争以降に構築された「戦時教学」と呼ばれる論理だった。それは国家神道体制のなかで生き残りをかけた、仏教側の方便といえるものだった。

 戦時教学に、僧侶は無批判に従った。なかには浄土教の「極楽往生」の考えをタテにして、戦地で死ぬことはむしろ歓喜すべきことと流布し、さらには「一殺多生(一人の敵を殺して、多くの日本人が生き残る)」を平然と唱える仏教者まで現れた。

 日蓮宗僧侶で活動家の井上日召はその思想に染まり、テロ集団を率いて政財界の要人を暗殺した「血盟団事件」を引き起こしたことが知られている。

 宗門の戦時協力の最たるものとして、軍用機の献納がある。日中戦争勃発以降、仏教団体は判明しているだけで零戦など50機以上の軍用機を軍部に献納している。

 浄土宗は「明照(天皇から下賜された法然上人の大師号)号」、臨済宗は「花園妙心寺号」などと機体に銘打って献納した。真宗大谷派では、軍艦建造のための多額の資金を海軍に差し出している。

植民地支配に乗じてつくられた寺院
 さらに、国の植民地政策に乗じて、各宗派は海外開教を推し進めた。わが国は日清戦争以降、中国、朝鮮、台湾といったアジア諸国へ侵出していく。そこに僧侶が従軍した。そして、最前線に多くの寺院を建立したのだ。

 例えば、もっとも熱心に植民地布教をした教団のひとつ、浄土真宗本願寺派(西本願寺)では極東全体で400か寺近い寺院や布教所を開いている。

満州に開かれた曹洞宗寺院
 戦線と教線(布教の前線)はぴたりと重なる。それは、国家と仏教とが共同で植民地化政策を推し進めた証といえる。

 私は調べるほどに、目を背けたくなるような事実の数々を目の当たりにした。

 宗教が国家権力と結びつき、暴走を始めるのは常。だが、そのメカニズムはどこにあるのか? 人民救済の目的を忘れた宗教はどうなっていくのか。いまこそ、私たちはそれを学ばなければならない。

 実は近代における仏教と戦争の歴史の源流は、明治維新時の神仏分離令と、それに伴う廃仏毀釈で仏教教団が解体的出直しを迫られた時点にある。それまで混淆していた神と仏が切り離され、ドラスティックな「宗教改革」が実行された。そこで新たに「仏教と国家の関係」が構築された。

 仏教界が生存をかけて、いかに国家に擦り寄り、植民地政策や戦争に加担し、自らを正当化していったのか。

 私は金属供出や顕彰碑など戦争の痕跡が残る多くの寺院に足を運んで取材した。また、かつて軍隊に入隊した老僧へのインタビューも実施した。

 こうした取材・調査の内容は拙著「仏教の大東亜戦争」(文春新書)に余すところなく記載した。その一部を本コラムで紹介してみたいと思う。

 「仏教界と戦争との関わり」は紛れもなく、仏教界最大のタブーといえる。だが、宗教の本分から逸脱した残虐な過去を暴き、それを断罪するのが本書の目的ではない。国家神道体制によって変質せざるを得なかった日本仏教の運命を俯瞰し、国家と宗教の関係性を学び、真の宗教のあり方について、本書を通じて深めてもらえれば幸いだ。

5. 偽装皇帝[19] i1WRlY1jkuk 2025年8月18日 10:00:44 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[19] 報告
私自身の旧ブログから転載する。

(以下自己引用)

キリスト教思想の独善性を日本人は見抜いている


カマヤンのツィートだが、これは「大きすぎて目に入らない重要事項」ではないか。
植民地的文化人はこれを日本人の西洋文化受容の皮相性と否定的に取るだろうが、私はむしろこれを日本人一般の健全性・賢明さと感じる。キリスト教は素晴らしい哲学を含んではいるが、教会化されたキリスト教は非西洋諸国侵略の手先となっている。その侵略は文化的侵略を含むのである。ついでに言えば、教会化されたキリスト教はキリスト自身の思想(新約思想)とかなり離れている。むしろユダヤ的思想(旧約思想)が強い。独善性がその特徴である。

(以下引用)

「なろう小説」読んでいると、「日本人て、欧州ファンタジーは好きだけど、欧州キリスト文化の独善主義は本当に嫌いなんだな」と時々感じる。

6. 偽装皇帝[34] i1WRlY1jkuk 2025年8月23日 06:39:46 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[34] 報告
ユダヤ・キリスト教(カトリック)の「原罪思想」を一言で明確にしているのは、太宰治の

「生まれてすみません」

という言葉である。
つまり、生まれたこと自体が罪であるということだ。

実際は「人間を作った」創造神に罪があるのに、この世界の罪は創造主ではなく人間にある、としたわけだ。

日本人がキリスト教を信じないのは、キリスト教(実際はローマカトリック)の思想のあちこちにある欺瞞性を見抜いているからだろう。


7. 偽装皇帝[43] i1WRlY1jkuk 2025年8月28日 10:25:14 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[43] 報告
<△28行くらい>

年間読書人という人のブログ記事から一部転載。
なかなか有益な内容だと思う。
要するに「質問」をするのは容易(馬鹿でもできる。)で、質問に答えるのは困難(頭をかなり使う。)なので、答えているうちにどんどん不利になる。「質問戦法」に対しては質問で返すのが正解だということ。真面目で誠実な人ほどこの「質問戦法」の罠に陥りやすいようだ。

(以下引用)「信賢」は人名。


他人の事例を見ているだけなら「私だって、こんなのには騙されない」と思う人は多いでしょう。
しかし、テレビニュースなどでもよく報じられるように「騙される人の多くは、自分は騙されないと思っていた人」なのです。

例えば「信賢の手口」である「質問攻撃」に引っかかって、ひどい目に遭う人とはどんな人でしょうか?
それは「意思表示をしっかりできない人」「他人から、良い人だと思われたいという願望に縛られている人」だと言えるでしょう。
つまり「嫌なものは嫌」だと言えず、つきあいたくもない人にも「良い顔」をして、つきあってしまうような人です。

言い換えれば、「こいつはあやしい」とか「こいつは礼儀知らずだな」と思っても、それを指摘することを過剰に恐れて、つい「良い顔」をしてしまう人です。

いらない品物でも、相手が熱心に薦めてくると、つい妥協して買ってしまうとか、そんなことをしてしまう人は、詐欺やペテンや「荒らし」のカモでもあるのです。

だから、大切なことは、変だと思えば「それは変じゃないですか」と言える程度の胆力です。「嫌なものは嫌。それに理屈はない」と言いきれる自負なのです。
それが無いと、いくら頭で疑っていても、結局は相手に押し切られてしまう。

ものごとは「わかっている(つもり)」だけではダメなのです。その認識を、適切に行動に反映できてこそ、人は自身を守ることができる。

危険な相手が近づいてきたと気づいても、すくんで逃げられない人は、食われてしまう。そういうことなのです。


8. 偽装皇帝[44] i1WRlY1jkuk 2025年8月28日 10:33:54 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[44] 報告
<△23行くらい>

前記ブログから、その「質問攻撃」撃退の事例を転載する。
見事なものだ。

(以下引用)


私のnote記事「YouTubeばかり視てると〈バカ〉になる」のコメント欄での、ハンドルネーム「信賢」さんと、私とのやりとりをご覧ください。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

信賢
2021/06/29 11:48
この記事とは直接関係ないコメントで恐縮ですが、毎日何件も記事を投稿して、レスバもされているのはすごいですね。寝ているとき以外はずっとそれに費やしていらっしゃるのではないですか?


年間読書人
2021/06/29 12:09
そんなことが可能かどうかですね。
ご質問の前に、ご自分なりに、よく考えてみることをオススメします。
これは、ものを考える習慣を身につけるためにも、とても大切なことですよ。


信賢
2021/06/29 12:30
これ、はいかいいえで答えられる質問ですよね。あなたに負担はほとんどかからないのに出し惜しみする理由はなんですか?答えをいただけたら、私は一切の異議を申し立てずに退散します


年間読書人
2021/06/29 13:16
馬鹿じゃないですか?
どこの誰とも知れない、こんな礼儀知らずの質問に、どうして答えなきゃならないんです?

出し惜しみせずに、あなたがこれに答えてごらんなさい。


信賢
2021/06/29 13:23
ではなぜ無視できなかったのですか?答えになっていない答えを返すよりもそちらの方が誠実だと思うのですが


年間読書人
2021/06/29 14:58
どうして?

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9. 偽装皇帝[45] i1WRlY1jkuk 2025年8月29日 10:53:32 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[45] 報告
<■82行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

「常識」のスレのコメントに入れるべきかもしれないが、あちらは書き込みし過ぎたので、このスレに載せる。
「(昭和)天皇の戦争責任論」の問題である。

(以下自己引用)


天皇の「戦争責任」問題

歴史観、あるいは歴史哲学の話になるので、思想問題としてここで考察してみる。
「混沌堂主人」の次の発言だが、氏はこの思想を延々と書き続けている。
まあ、日本人が飢えて死滅するのは、当然の結末なのです。
天皇廃止OR天皇家根絶 という、日本人が「過去の受容」が無い限りに。
つまり、この思想が氏にとって最重要の思想だということだろう。で、その布教のためには、原爆地上起爆説とか、原爆特許は天皇が持っているとか、天皇は(イギリス軍の何かの階級に任ぜられているから)イギリスの手下であるとか、いろいろ書いている。すべて愚論だと思うが、一番の問題である、「天皇の存在は日本にとって最大の害悪である」という考えの是非を考察しよう。

第一にというか、根本問題として、日本人の「過去の受容」は必ず「天皇廃止or天皇家断絶」とならねばならないのか。まあ、氏がいつも言う、「日本人の無責任体質の根源は天皇という存在にある」という主張だが、その論拠は、太平洋戦争での天皇責任問題だろう。
氏は、「天皇は戦争の責任を取っていない」という説だが、これは氏の主観的判断だろう。私は、昭和天皇が在位のまま、「神格的天皇」から「人間天皇」となり、さらに日本国憲法下で「象徴天皇」となったことが、最良の「責任の取り方」だったと思う。それが、米国とGHQの「合理的判断」だったのであり、あの時点で「天皇廃絶」あるいは「天皇死刑」となっていたら、日本はとんでもない「アモラル(無道徳)社会」になっていただろうと私には思える。「天皇でさえ殺してよい、それなら、一般人の命など、虫けら同然であり、いくら殺してもいい」、という精神が日本人に芽生え、瀰漫した可能性が高いと私はと思う。(あるいは、すべてを他人のせいにする「他責思考」の瀰漫)
神道は滅び、仏教もまた戦争協力宗教であった以上、韓国のようにキリスト教でも輸入するか? 宗教や権威を背景にしない道徳が、天皇処刑で生まれた可能性より、私はとんでもない無道徳社会になった可能性が高いと思う。つまり、「人間天皇」になったとはいえ、天皇という「象徴」が憲法で保障されることで、日本人は国民的アイデンティティを保持できた、というのが私の考えであり、それは「人間はすべて平等だ」という欺瞞的思想には反するだろうが、天皇という存在の「不平等性」こそが、現実の現実性をすべての国民に示す暗黙の教訓になっていた、あるいはなっていると思う。

さらに、より重要なのは、ある意味では「天皇が許されたことで、日本人全体が許され、精神的負担を持たなくて済んだ」のだ。神格的天皇の象徴天皇化で、日本人の「禊が済んだ」とも言える。これが、当時の天皇と国民の「精神的一体化」から推測できることだ。(その極度な形である「天皇神格化」に私が反対であるのは言うまでもないだろう。天皇神格化が日本人神格化となり、とんでもない夜郎自大な悪質行動に結びつくからだ。これがアジア侵略での日本軍の行動に明白に表れている。つまり、ここでは、あくまで敗戦時の話をしているのである。)

あの戦争で家族や親しい人を失った人間は日本に無数にいる。だからこそ、私は「絶対的平和主義」者なのである。だが、それと天皇問題はまったく別のことだ。一国の支配者は、政治的に誤った判断をすることもある。では、その判断の誤りの責任は、どう取るか。戦争という重大事なら、「国民が彼を死刑にすることで責任を取らせる」か。これは、イタリアのムッソリーニに国民がやったことだ。で、ファシスト党員がすべて殺害されたとは私は聞いていない。つまり、大多数の「戦争責任者」は上手く逃げたわけである。どの国も同じことだ。そもそも、なぜ敗戦国の元首だけが戦争責任を問われるのか。勝てば官軍で、勝利国のすべての戦争犯罪は許されるのか。

天皇の戦争責任問題というのが、しばしば自分を戦勝国や被害者の立場に置いて、元首ひとりに責任を押し付ける論法のように私は思うのである。そもそも、その「被害者」たちは、戦争の時には自ら進んで戦争に協力し、あるいは戦争で金儲けをした一族だったりする。

あえて暴論を言えば、私は「あの戦争での敗戦は、日本国民にとって史上最大の幸運だった」と思っている。少なくとも、現代の日本人の生活の向上や精神的向上は、あの敗戦の結果なのである。ただし、その結果としての「日本の属国化」は、日本国民が大きな反対運動を起こすべきだが、それもまた別の話だ。私は、あの戦争で死んだ人々は気の毒だと思うが、戦後に生まれた世代は、戦後復興の恩恵をもの凄く受けており、それは元をたどれば「敗戦の結果」なのである。
なまじ勝っていたら、それこそ日本は既に滅亡していただろう。
となると、「敗戦責任とは何か」という話になるわけだ。

まあ、蛇足になるが、要するに、「戦争責任論」のほとんどは、実は「敗戦責任論」でしかなく、勝っていればすべて許されたという、馬鹿馬鹿しい議論だ、ということだ。しかも、私は「日本はあの戦争では敗戦して良かった」という思想なのだ。
もちろん、最初から戦争などしないのが一番である。その点では昭和天皇にも大きな「戦争責任」はある、と思ってはいるが、天皇に判断ミスをさせる無数の問題(アメリカによる戦争への誘導工作や日本軍部の愚かさ)があったことは、多くの話がある。
あなたが天皇だったら、あの時正しい判断ができたか? それを天皇に求めるのは、それこそ「天皇は神でなければならない」に等しい天皇神格化思想だろう。 で、世の「戦争責任論」が実は「敗戦責任論」という愚論であるのは上に長々と書いた通りである。

10. 偽装皇帝[52] i1WRlY1jkuk 2025年9月04日 07:55:27 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[52] 報告
<■138行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

私のブログ(徽宗皇帝のブログ)の旧記事である。

ユダヤ・キリスト教と西洋文明の精神(「革命者キリスト」追記)


このブログの「カテゴリー」のひとつである長編論文「革命者キリスト」の後書きに追記したので載せておく。この後書き自体、現在の世界情勢を見るとき必須の「西洋文明の精神」という問題を明確に論じているので、ぜひ一読してほしい。

(以下自己引用)

革命者キリスト(12)

結語

以上で、この小論は終わりである。キリスト教信者やユダヤ教信者には失礼な事ばかり書いてあるが、実は私が言いたいのは、一神教的世界観から来る西欧人種的発想の危険性なのである。本論中に述べたように、神に対する倫理と人間に対する倫理のダブルスタンダードの結果、西欧人種は、世界にとって危険な存在となっている。彼らの推進する自由貿易は、必ずと言っていいほどその相手国を貧困に落としいれ、西欧国家との間で恒常的な貿易を続ける限り(モノカルチャーのプランテーションに縛られたアフリカ諸国のように)貧困から抜け出せない。そして、彼らの最大の特徴は、自分たちのルールを相手に押し付け、都合が悪くなるとそのルールそのものを平気で変えることだ。つまり、彼らには異民族や異人種へのモラルは無いのである。彼らのモラルは、あくまでキリスト教、もしくはユダヤ教を信じる同朋に対してのみ存在し、神を知らない異民族に対してのモラルなど存在しない。だから、東洋人やアフリカ人に対する西欧人の食言は当たり前の行為である。
現在、神の存在を信じている人間は、本当は西欧人にも多くはないはずだ。社会の上位層が嘘ばかりついていて、弱者の不幸に対して無関心で、毎年のように何万人もの人間が銃で死んでも平気で、何の正当な理由も無く他国に攻め込んでそこの住民を虐殺することを延々と続ける、アメリカのような国は、果たしてキリスト教国家なのだろうか。もしも、キリスト教という宗教がそれを許容するなら、キリスト教にはまったく価値は無い。アメリカ社会の上位層の多くはユダヤ人だから、ユダヤ教も同様だ。彼らは本当に、自分の宗教を信じているのだろうか。それとも、やはり、彼らの宗教とモラルは同朋に対してのみのものなのか。神への信仰が無くなった状態の(そして一神教的独善性のみを残した)西欧人とは、より悪質な、アモラル(無道徳)な存在となるのである。
私のこの文章を、非キリスト教徒の独断と偏見だと思う人も多いだろう。だが、これは、世界中の人間がキリスト教やユダヤ教に対して抱いている疑いを、歴史的な聖書と教会(私の言う「新キリスト教」)のあり方の分裂の点から切り込み、分析して考察したものにすぎないのである。同じような事を、紳士的に書けば、たとえば次のようなものになる。これは中央公論社刊「世界の名著13『聖書』」の責任編集者で、ご自身も敬虔なキリスト教徒である前田護郎氏の、同著作の序文中の一節である。

「キリスト教教会の歴史には東西ローマの分裂とか、血なまぐさい十字軍とか、残酷な宗教裁判とかがつづき、教会の権威が学問を圧迫したこともあり、近代になってもキリスト教徒同士の争いは絶えない。今世紀の二度の大戦で、いわゆるキリスト教国が大量殺人をしたので、教会はかなえの軽重を問われている。アジア、アフリカの人々の多くにとって、キリスト教は植民地帝国主義者の宗教である。六日間非キリスト教徒を搾取して七日目に教会へ行く人々がキリスト教徒である、という人が彼らの中にある。キリスト教国といわれる地域の中にも、白人と黒人とが別々の教会へ行かねばならぬほど人種的偏見が強いところがある。
われわれ日本人にとっては、スペイン、ポルトガルの侵略に協力したキリシタン・バテレンの歴史も忘れがたく、現代では、原子爆弾や戦争裁判に関係した諸国のキリスト教会の態度が問題にされるという事実も否定しえない。
しかし、これらはいずれもキリスト教会あるいはキリスト教徒のことであって、彼らによって聖書の精神が無視あるいは曲解されて、一部の人々の勢力を守るために他が犠牲にされた不祥事である。聖書と宗教体制としてのキリスト教会とを混同してはならない。」

この言葉は、私などよりよほど過激に、キリスト教会とキリスト教徒を批判しており、私が言いたいことの要点を尽くしている。同じ文中に、「哲学者ヤスパースが聖書の宗教をキリスト教と区別して扱うのは注目すべき例である」と述べているのも、同様である。
要するに、私が述べたことを一言で言えば、「キリストは『キリスト教徒』ではない」ということだ。逆に、「『キリスト教徒』はキリストの教えが分かっていない」と言ってもいい。
西欧人種は、彼ら自身の内面、彼らの宗教の根本を考える必要がある。日本人は? 我々は、宗教に規制されなくても、社会的モラルを守るという伝統がある。(その伝統も、西欧文明化=グローバリズムや西欧的拝金主義によってあやしくなってきたが。)日本人に必要なのは、そうした西欧人種の正体を知り、西欧人の利益のための「グローバル化」と「西欧化」をこのまま進めていいのかどうか反省することだろう。特に英語の世界語化による言語的階層世界への組み入れや、あるいは無意識の西欧崇拝根性育成の意味を。
世界中で、政治的な植民地的侵略の尖兵となった「キリスト教」に侵されなかった国はおそらく日本だけである。それは、「キリスト教」の侵略者的役割を見抜いた秀吉と家康の鎖国という英断によるものだ。他のアジア・アフリカ諸国はみな、「キリスト教」の宣教をカモフラージュとした侵略に国を食い荒らされたのである。その日本が今や、グローバル化という第二の植民地化の波に飲み込まれようとしているのである。ここで、「キリスト教」と西欧人種の本質についてよく考えておく必要があるだろう。
ついでながら、西欧植民地主義はけっして過去の話ではない。西欧人は、自分の植民地が独立した後でも、現地人政治指導者を傀儡として使うなど、何らかの形で、その植民地を支配しているのである。(自分たちの気に入らない政権が出来てしまった場合は「民主的指導者」を支援してその国に「革命」を起こさせる。)それは日本に対しても同じであり、被占領国であった日本はサンフランシスコ平和条約で形式的には独立したが、それと同時に結んだ日米安保条約で国内に米軍基地を置くことを余儀なくされ、米国への反抗は半永久的に不可能になったのである。(戦後すぐに、アメリカの政治資金と工作によって出来た政党が現在のJ民党である。その日本側の中心人物が本来なら戦犯である岸信介であることからも、アメリカの政治のニヒルなほどの現実主義がわかるだろう。)日本の政治はアメリカからの年次改革要望書などの形でアメリカから常にコントロールされており、一部の人間の間ではすでに常識だが、日本は決して本当の意味での独立国家ではないのだ。
しかし、政治的な次元での支配、つまり表面化している植民地的支配は、実はそれほど危険ではない。もっとも危険なのは、精神的な支配、我々の中に内面化された、自発的な被支配根性、奴隷根性である。支配のプロであるかつてのローマ帝国が被植民地の民族に養成しようとしてきたのも、自発的に支配に従う精神であり、「キリスト教」の利用もその一つである。話はキリスト教だけのことではないのだ。あらゆる宗教は政治との持ちつ持たれつの関係によってその力を拡大するのである。その信者には本来は罪はない。だが、政治と結びついたその行動によって彼らは世界全体に大きな被害を与えるのである。
「宗教は阿片である」という言葉は、それを言った人間が〈マルキシズム〉という「宗教的政治思想」の提唱者であるだけに価値を減じているが、その言葉自体は正しい。阿片は確かに現世の苦痛から逃避させてくれるというメリットがあり、終末期医療の手段としてなら大いに結構なものだが、現実的認識と行動を不可能にさせるという極端なデメリットがある。それが、私がこの小文を書いた理由である。

[補記] 神の存在については、中江兆民が『続一年有半』の中で完全に論破している。この書は、世界の哲学書の中でもっともすぐれたものの一つだが、その内容が西欧精神の根本を否定しているために、これまで批評の対象とならなかったものである。興味のある人は、是非、一読を願いたい。

                    2008年 11月24日 記
                       
                    2009年 8月24日 一部改稿


2025年5月28日追記

山本七平の「小林秀雄の流儀」を流し読み(文章が面倒くさい)していると、その中に架空の「山本七平批判者」の言葉として、こういう言葉が出てくる。つまり、「パウロは一大虚言者だ」とニーチェが言っていたという話である。まあ、ニーチェはキリスト教批判者だから、キリスト教の実際上の建設者であるパウロを批判するのは当然だが、私とニーチェがパウロに関して同じ意見(問題はキリストではなくパウロであるという意見)であるのは少し面白い。言うまでもなく、私はニーチェの発言を知らなかった。

「確か小林秀雄がどっかで書いていたなあ。福音書は十字架で終わりゃあよかったんだ。それなのにあのみすぼらしい復活などあるために、パウロという一大虚言者を生み出した、とニーチェが書いていたと」

実際、「文学的には」キリストの十字架上の死で終わったほうがはるかに「キリストの物語」は完璧だっただろう。だが、それだとキリストが「本当に神の子だったのか」という疑問を言う人がたくさん出るはずだ。それは「キリスト教を育て、広めるためには」政治的には不都合だったわけだ。そこで「みすぼらしい復活」をキリスト教信者、あるいは布教者(「キリスト信者」かどうかは不明)は作って書き込んだのである。そしてパウロはそれをネタにして一大虚言者として布教活動をしたのである。

11. 偽装皇帝[61] i1WRlY1jkuk 2025年9月12日 08:54:20 : 26yoYpJi4o : NlFmV2daQmlPZlE=[61] 報告
<△22行くらい>

私の別ブログから転載。
まあ、「宗教の意味」についての随想である。なお、「阿修羅」そのものについての引用部分は割愛した。


(以下自己引用)


阿修羅とは何か

「カラマーゾフの兄弟」を再読しているのだが、それを読みながらあれこれ妄想するわけである。その中には、たとえば神という「発明」と科学と、どちらが人間を幸福にしたのか、という問題がある。もちろん後者だとは思うが、しかし神という概念が発明されなければ人間の倫理は発達しなかっただろう、とも思われるわけだ。あるいは、神という概念無しに絶対的な倫理は存在しない、という考えもある。これはイヴァンの「神が存在しなければすべては許される」というテーゼである。
ところで、悪魔という「発明」も神と同様に、(逆説的には)「倫理装置」として機能していると思うが、これが「堕天使」だという発想は面白い。なぜ彼は神に反逆したのだろうか。
そこから、「阿修羅」という存在に思い至って、阿修羅とはどういう存在なのかと気になって調べてみた。(興福寺の「阿修羅像」を美少年として彫刻した彫師は天才だと思う。)

下に引用した記事の中の

つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。

というのは非常に深い見識だと思う。阿修羅とはそういう正義の象徴だろう。世の中の正義にはこの種の「阿修羅の正義」がたくさんあるようだ。正義を「(倫理的)美」とすれば、危険な美しさであり、中二病的正義でもある。つまり、興福寺の阿修羅像そのものだ。


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