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マルチタスクをやめる ゲーミフィケーション 有機綿 就職先が詐欺会社 自己無価値観対策 社会変革 無責任時代
http://www.asyura2.com/13/hasan79/msg/617.html
投稿者 eco 日時 2013 年 4 月 24 日 04:31:35: .WIEmPirTezGQ
 

(回答先: 自信を生み出す3つのサイクル 仮説設定能力 意欲 リーダー3条件 日英差別 瑞典学校崩壊 日露戦 危機管理 独医療過誤 投稿者 eco 日時 2013 年 4 月 23 日 01:16:52)

マルチタスクをやめる

2013年04月24日
ピーター・ブレグマン  CEOおよびリーダーにアドバイスを行う戦略コンサルタント。

やめる方法と、やめるべき理由

複数の作業を同時にこなすと、仕事の効率は上がるのか――賛否両論のこの問題を、ブレグマンが複数の研究と自身の経験をふまえて論じる。マルチタスクとは、実は作業を瞬時に切り替えているだけの「スイッチタスク」であるという。


 私が加わっているNPOの実行委員会と、電話会議をしている最中のこと。私は別のクライアントにメールを送ろうとしていた。

 わかっている。懲りない人だなあ、と読者の皆さんは思われるのだろう。先週、私は「運転中の携帯電話は危険」という記事を書いたばかりだ(未訳:英文記事はこちら)。でも今回は車の中ではなく、安全なオフィスにいるのだ。なにか問題があるだろうか。

 というわけで、私はクライアントにメールを送った。しかしファイルの添付を忘れたことに気づいて、もう1通送った。さらに3度目のメールで、添付ファイルが相手の求めていた内容とは別のものである理由を説明した。そして電話会議へと意識を戻した私は、委員長から私に向けられた質問を聞いていなかったことに気づいた。

 誓って言うが、大麻を吸って頭がどんよりしていたわけではない。しかしそれと同じような状態だったかもしれない。ヒューレット・パッカード発表の調査結果によれば、人は仕事中にメールや電話によって邪魔される時、IQが10も下がるという。このIQ(思考力)の低下は徹夜明けの時と同等であり、大麻吸引時の2倍に匹敵するというのだ。

 複数のことを同時にやれば、より多くを達成できる――これは私たちの思い込みにすぎない。それによって生産性は最大40%も下がるという研究結果がある。人は本当のところ、マルチタスクを行っているわけではない。「スイッチタスク」、つまりひとつのタスクから別のタスクに素早く切り替えているだけだ。これによって自分の集中力を自分で非生産的に妨げ、時間を無駄にしているのだ。

 自分はそうじゃない、と思う人もいるだろう。今までさんざんやってきたから大丈夫、訓練によって熟達している、という理由で。

 でも、それは間違いかもしれない。ある研究によれば、重度のマルチタスク従事者は軽度のマルチタスク従事者に比べて、物事を同時に処理する能力が低いという実験結果が出ている。別の言い方をすると、マルチタスクをやればやるほど下手になるということだ。他のあらゆる物事と違って、訓練があだになるのだ。

 そこで、私は実験をしてみることにした。1週間マルチタスクをしなかったら、どうなるだろうか。どんなテクニックが役に立つのか。1つのことに、これほど長く集中できるのか。

 大部分において、それは成功した。電話をしている時は、ただ話し、聞くことだけに集中した。会議中は、他に何もせず会議に集中した。メールやドアのノックなど邪魔するものは、その時やっていることが終わるまで遮断した。

 この1週間を通して、私は6つの発見をした。

1. マルチタスクのない日々は、素晴らしいものだった

 このことをはっきり感じたのは、子どもたちと遊んでいる時だった。携帯の電源を切り、彼女たちと濃密な時間を過ごすことができた。メールをチェックするわずかな時間が、目の前の人や物事からいかに自分を遠ざけるものか、それまでは気づかなかった。笑わないでほしいのだが、実は本当に久しぶりに、風に揺れる木々の葉を見てその美しさに気づいたのだ。

2. 難しい仕事が、大いに進んだ

 執筆や戦略立案のような仕事には、熟考と粘り強さが必要となる。普段なら私はすぐに気が散ってしまうのだが、今回は難しい局面を迎えても腰を据えていられたし、何度もブレークスルーを体験した。

3. ストレスが劇的に軽減した

 ある研究によると、マルチタスクは非効率であるばかりか、ストレスも高めるという。そのとおりであることを、身をもって知った。一度に1つのことだけをやると、心が安らぐのだ。マルチタスクがもたらす緊張からの解放を味わった。1つの作業を確実に終えてから次の作業に移ると、安心感が得られた。

4. 時間の無駄となるものに、我慢ができなくなった

 1時間の会議は果てしなく長いものに感じられた。とりとめがなく要点を欠く会話は苦痛だった。私は作業の完了に向けてピンポイントで集中するようになっていた。マルチタスクをしていないと、退屈をまぎらわす方法もない。無駄な時間を許容できなくなった。

5. 有意義なこと、楽しいことに対しては、大いに粘り強さを発揮できた

 妻エリナーが話をしている時は、じっくり耳を傾けることができた。難しい問題について検討している時は、それに没頭できた。他に意識を妨げるものがないので、腰を据えて1つのことに取り組めたのだ。

6. 不都合はなにも生じなかった

 マルチタスクをしないことで失ったものは、何もない。プロジェクトの進行が滞ることはなかった。電話に出なくても、メールを瞬時に返信しなくても、私に腹を立てる人はいなかった。

 それなのに、人はマルチタスクをやめられないから驚きである。不都合がないのなら、やめてしまえばいいのに。

 思うにそれは、私たちの脳が、外部の現実世界よりも格段に速く動いているからではないだろうか。1分間に口頭で話せる語数より、聞いて処理できる語数のほうがずっと多い。やるべきことが山積みなら、1秒でも無駄にしたくない。だから電話で相手の話を聞いているあいだに、「脳の余っている部分」を使ってフィレンツェ旅行の予約をしよう、という具合だ。

 しかし私たちは気づいていない。脳のそうした部分は、雰囲気を察知したり、聞いている内容を頭の中で掘り下げたり、創造性を発揮したり、周囲の状況を把握することに使われている。つまり「余っている」わけではないのだ。こうしたことを犠牲にして意識を他へと振り向けると、マイナスの結果を生む。

 ではどうすれば、私たちはマルチタスクの誘惑に抵抗できるのか。

 第1に、最もわかりやすい方法がある。集中を妨げるものを遮断すればよい。私は朝6時に執筆を始めるが、懸案事項がない場合はコンピュータのワイヤレス接続を遮断し、携帯電話もオフにする。運転中は、携帯電話を後部トランクにしまう。極端すぎる? そうかもしれない。しかし自分を信用しすぎないほうが賢明だ。

 第2に、これは少しわかりにくいかもしれないが、忍耐力の欠如を逆手に取ることだ。締切を非現実的なほど短く設定する。すべての会議を半分の時間にする。あらゆる作業について、必要と思われる所要時間の3分の1だけを費やすようにするのだ。

 締切ほど、物事を進捗させてくれるものはない。そして物事が速く進んでいると、集中を余技なくされる。徒競争をしている最中にテキストメッセージを送れる人がいるだろうか。1時間を見込んでいたプレゼン会議を30分でやるとなったら、途中で電話になど出るだろうか。

 また、マルチタスクは大きなストレスを生む。このため、厳しい締切を守ろうとしてシングルタスクに集中すると、むしろストレスが軽減される。つまり時間が限られると、生産性が上がり精神も安定するということだ。

 そして最後に、人は完璧ではないことも覚えておくとよい。たまになら、少しぐらいのマルチタスクをやってもかまわないと思う。この文章を書いている今の私もそうだ。2歳の息子ダニエルが部屋に入ってきて私の膝に這い上がり、「モンスターズ・インク」の映画を観たいとせがんでいる。だから、しょうがない――この記事を左側のウィンドウで仕上げながら、ダニエルを膝にのせ、右側のウィンドウで映画を観せている。

 ささいなマルチタスクなら、やらずにはいられない時もある。


原文:How (and Why) to Stop Multitasking May 20, 2010
http://www.dhbr.net/articles/-/1716?page=3


 


【第8回】 2013年4月24日 鶴井宣仁 [三菱総合研究所 研究員]
「ゆとり世代」の消費を読み解く(2)
訴求のキーワードは“実感できる価値”
ゲーミフィケーションで若者の実感に訴える
――三菱総合研究所研究員 鶴井宣仁
前回のコラムでは、“若者の車離れ”を切り口として、自転車を選択するゆとり世代に着目した。そして、彼らが持つ「協調の中にある個性」という価値観について触れ、今後有望な市場として「友人とのプチギフト」をターゲットにした商品・製品開発を取り上げた。
ゆとり世代の2回目となる今回は、若者たちの就業状況と生活満足度についてmifを通じて、彼らの実態を明らかにしていく。食品と衣服の消費から見る彼らの特徴は“実感できる価値”を大切にする合理的な購入行動だ。

ゆとり世代は低所得と
非正規社員が多数派

 図表1に各世代の就業状況を示した。ゆとり世代には未就業の学生が存在するため、ここでは就業者のみを対象としている(母集団の数はカッコ内で示している)。

 すると就業しているゆとり世代のうち、所得が「400万円未満」の層が96%を占める結果となった。特に「200万円未満」の層は66%となっており、他世代と比較して2倍強の比率を占めている。また、雇用形態に目を移すと、ゆとり世代のうち非正規雇用が約6割を占めていることがわかる。正規雇用は4割を切っており、昨今の若者の雇用状況の悪化を窺い知ることができる。

 厳しい就業状況に置かれ、年間所得が抑制されている若者たち。彼らはこういった状況での生活をどう感じているのだろうか。次項では彼らの生活満足度に着目してみる。


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経済的ゆとりが生活満足度に
与える影響が小さいゆとり世代

 図表2にバブル世代以降の各世代における生活満足度〔生活全般の満足度(満足+どちらかといえば満足)〕を示した。

 上の世代と比較して所得が抑制されているゆとり世代であるが、意外なことに各世代の生活満足度に差は見られない。「バブル世代」、「氷河期世代」、「ゆとり世代」のいずれにおいても生活に満足していると答えた率は40%前後であり、就業状況の厳しさからくる所得の低さは、全体の生活満足度にさほど影響を与えていないように見受けられる。

 では、経済的なゆとりは生活満足度に影響を与えていないのだろうか。その辺りをより深堀りするために、「経済的ゆとり」の有無別に集計したのが、図表2のうちの折れ線グラフである。こちらを見ると、やはり経済的なゆとりと生活満足度には相関があるようだ。いずれの世代においても、経済的ゆとりがあると生活満足度が高く、経済的ゆとりがないと生活満足度が低くなっている。

 しかしその一方で、若い世代ほどその差分が小さくなっていることが分かる。つまり、「経済的ゆとりあり」の生活満足度が若い世代ほど低く、「経済的ゆとりなし」の生活満足度が若い世代ほど高い。若者の中で、経済的要因が生活の満足に与える影響が相対的に小さくなっているようだ。バブル世代のように、消費を行うことで生活に満足を感じるといった図式が、若い世代では成り立たなくなってきたのではないか。

 では、若者たちは消費行動に何を求めているのか。次項以降では、「食品」と「衣服」について、ゆとり世代の消費スタイルと彼らが消費に求めているニーズを明らかにしていく。


「食品」消費から見るゆとり世代のニーズ
利便性が高い商品を選択する

 図表3に各世代の「食品」消費スタイルを整理した。

 彼らの食品消費スタイルからは、食の安全・安心について関心が薄い若者の姿が浮かび上がってくる。まだ若いこともあり、将来の健康には無頓着なのだろう。一般的に無農薬・有機農産物や遺伝子組み換えでない食品は、そうでない食品に対して割高の価格設定となっている。ゆとり世代の若者は、安全・安心と価格を天秤にかけ、安価な食材を選んでいることが伺える。

 一方で、レトルト食品やカット済み食材などの利便性が高い商品を選択する若者の姿が見えてくる。これら商品は自身で料理をするよりも、価格は多少割高なはずである。しかし、ゆとり世代は他世代に比べて利用意向が高い。調理する手間を省けること、食べきりサイズなため使い切れず腐らせることがないなど、支払うコストに対して“実感できる価値”、ここでは利便性を評価して購入していることが伺える。

 所得の問題から、価格は購入決定の要因となりうる。ただ、“実感できる価値”があれば、購入を検討する彼らの合理的な購入原理がこれらから読み取れる。彼らにとっての“実感できる価値”とは、例えば目先の利便性であり、将来的な安全・安心といった今実感できないものは考慮の対象外となるのだろう。

“実感できる価値”が消費のニーズとなっているのは食品消費だけではない。次項に述べる衣服消費からも実質志向な彼らの姿が見えてくる。


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「衣服」消費から見るゆとり世代のニーズ
「ブラ・リサイクル」が提供する価値

 図表4は各世代の「衣服」消費スタイルを示す。

 他世代と比べてゆとり世代の彼らは、贅沢品のレンタルや古着屋を活用したり、ブランドアイテムの付録がついた雑誌を購入したりする傾向にある。こういった姿からは、コストパフォーマンスを計算した賢い消費者となった実質志向な若者の姿が見えてくる。これら若者は、「利用頻度の低い贅沢品をレンタルすれば出費を抑えられる」、「付録がついた雑誌はトータルで見てお得」など、商品・サービスに“実感できる価値”を感じて利用しているのだろう。


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“実感できる価値”は、必ずしも低価格や割引といったものでなくとも構わない。

 例として、ワコールが2008年から毎年春に実施している「ワコール ブラ・リサイクル」を挙げる。このキャンペーンは、同社が実施店舗で「リサイクルバッグ」を配布、後日不要になったブラを入れて封をし、再び店舗へと持参してもらう仕組みとなっている。

 このキャンペーンでは原則、金券などは渡していない。にもかかわらず、実施初年度の2008年は予想以上の顧客が参加した。特に回収率が高かったのは、10〜20代がメイン顧客の「アンフィ」「ウンナナクール」といった直営店舗であり、回収率は12%にも及んだという。通常、DMなどで顧客に来店を呼びかけても、反応率は1%未満とされているため、いかに来店効果が高かったかがわかる。

 この例における“実感できる価値”は、実際にキャンペーンに参加した顧客の声から伺うことができる。

「ブラは捨てるときバラバラに解体しないといけないからラクで良かった」
「古いブラでタンスのスペースが無駄になっていたからなくなってスッキリ。トクした気分」

 リサイクルという銘を打っているが、ここで響いたのはエコの精神でなく、「ラク」「スペースが空いてスッキリ」といった顧客が“実感できる価値”だったのであろう。

ゆとり世代の価値観を生んだ
「デフレ社会」と「将来不安」

 ここまで、ゆとり世代のニーズとして“実感できる価値”について述べてきた。

 こうしたニーズが生まれた背景を、彼らが生きてきた時代背景から紐解いていきたい。

(1)学生時代は「デフレ社会」

 長引くデフレ不況のもと成長してきたゆとり世代は、待てば安くなりサービス・質が向上していく現実を経験してきた。株や地価が右肩上がりで、今買わないと損をする経験をしてきたバブル世代とは正反対である。

 ファストフード店の値下げ合戦やユニクロの出現により、彼らにとって「安かろう、品質もそこそこ良かろう」が普通となってしまった。そのため、“安さ”や“品質”はそれが当然と思っているゆとり世代への訴求にならなくなってしまった。

 そんな彼らへ訴求するには、“安さ”や“品質”以外の“実感できる価値”が必要となったのは想像に難くない。

(2)将来への不安からくる実質志向

 社会学者古市憲寿氏が『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で語った現代の若者論の一つに、「現状に不満はないけど不安がある」といったものがある。

 図表5からもそういった若者の姿が見えてくる。現在の生活について、約4割が満足と回答しているのに対し、不満は約3割。現状に満足している人の方が多い一方で、6割強が将来に不安を感じていると回答している。

 先行き不透明な将来への不安と足元の雇用状況の不安定さが、若者の財布の紐を締めさせ、本当に必要と“実感できるもの”しか買わない実質志向が育まれたと考えられる。


「ゲーミフィケーション」で
若者に価値を実感させる

 彼らの消費欲に訴求できるニーズは“実感できる価値”だと述べた。では、どうやって“実感できる価値”を感じてもらうのか。

 ここでは、供給者が提供する“付加価値”と、消費者へアプローチする“伝達手段”。その両方を兼ね備えたゲーミフィケーションについて取り上げたい。ご存じの方も多いだろうが、ゲーミフィケーションとは一般的に、「ゲーム(主にテレビゲーム)のなかで培われてきたノウハウを、ゲーム以外の分野で活用すること」を意味する。

 ゆとり世代は、ゲームへの親和性が高い世代と言える。図表6をみると、自分専用の「据置型」「携帯型」ゲーム機を保有し、「ゲームセンター」や「携帯電話ゲーム」を利用している彼らの姿が確認できる。また、スマートフォンの保有率も高く、ゲーミフィケーションを受け入れる下地があると言える。


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 ゲーム性を取り込むことで、供給者は商品に“実感できる付加価値”を用意し、消費者であるゆとり世代の若者に、その価値を実感してもらうことが、彼らへの効果的な訴求となりうる。

 実際にゲーミフィケーションを取り入れたアプローチの例としてNike+を挙げる。Nike+とはスポーツ用品の世界的ブランドであるナイキが提供している健康管理記録アプリである。スマートフォンなどにNike+をインストールして携帯したままジョギングをすると、GPS機能によりジョギングしたルート・時間・距離を記録、その情報をネット上で閲覧することができる。

 Nike+が画期的だったのは、こういった数字の記録にゲーム性(目標要素/可視化要素/ソーシャル要素など)を取り入れたことだ。運動したことを“実感できる”場面を多く用意することで、ジョギングを継続するモチベーションを高める工夫がなされている。具体的には、SNSと連動した声援機能やチームでの競争機能を備えることで、「応援してくれる人のために走ろう」「チームの皆のためにがんばろう」といった気持ちにより、一人きりでは続かない運動も長く続けられるようサポートしている。

 また、ナイキは「Game On, World」キャンペーンと題し、ゲーム性を取り入れたキャンペーンを世界各国で展開している。日本でも、2012年夏、最新のデジタルイノベーションを体験できる「UGOKIDASE STATION」を期間限定で原宿にオープン。体験型デジタルスポーツを売りとして、最新シューズの貸し出しを行い、原宿に集まる若者たちに価値を実感させる試みが行われた。若者に対してまずは興味を抱いてもらい、お試しの体験からファン化してもらいたいというナイキの狙いが伺える。

 現代の若者たちは、物心がついた時からゲーム機やインターネットが当たり前の存在であり、いわばバーチャルなコミュニケーション環境で育ってきた。そんな彼らに対して“実感できる価値”をいかに伝達し、商品・サービスを購入・使用してもらうのか。ゲーミフィケーションによるアプローチはその鍵となりうるだろう。

 バーチャルとの親和性が高い彼らにこそ、今「リアルの実感」が求められている。
http://diamond.jp/articles/print/35130


 


オーガニックコットンは体にいい?

消費者の“誤解”を販促に利用してはいけない

2013年4月24日(水)  南 充浩

 H&Mの関西旗艦店である心斎橋店が4月13日にオープンした。オープン前に行われた内覧会に出席した際、オーガニックコットンを使用した子供服を見つけた。

 売り場面積3000平方メートルのこの巨大店舗では、これまでよりもランジェリーコーナーやマタニティーコーナーが広く取られていたり、170センチまでの子供服がフルラインで揃っていたりする。その子供服の中に92〜128センチサイズで二枚一組999円のオーガニックコットンTシャツや、新生児向けで三枚一組1190円のオーガニックコットン使用のロンパースなどが並んでいた。

 無印良品でもオーガニックコットン100%使用のTシャツやポロシャツが並んでいる。価格は一枚がだいたい1550〜3900円の範囲内に設定されている。

 オーガニックコットン製品はこれまでも存在していたが、かなり高額な物として認知されていた。例えばTシャツで1万円前後というレベルである。ところが最近では、H&Mや無印良品に限らず低価格のオーガニックコットン製品が市場に多く出回っている。これまでと何が違うのだろうか。

広がるオーガニックコットンの産地

 オーガニックコットンとは、栽培地の土壌汚染を緩和するために化学肥料や農薬を使わずに栽培する綿花のこととされている。もともとは米国で起きた消費者運動で、米国の綿花農場での有機栽培を指したものだった。米南部は綿花栽培が昔から現在に至るまで盛んに行われており、アフリカ大陸からの奴隷連行もその多くは綿花栽培のためだったことは広く知られている。

 化学肥料と農薬を使わないで栽培すると、当然ながら通常の栽培よりも人手が必要となり、通常品よりも生産コストが上昇することになる。ましてや先進国で人件費の高い米国でやろうとすれば、栽培された綿花の価格は通常よりもかなり高くなる。本来、オーガニックコットンといえば米国で有機栽培された綿花のみを指していた。従来のオーガニックコットン製品が高価格だったのは、こうした背景があったからだ。

 デニム生地メーカーの営業本部長や繊維業界に詳しいコンサルタントによると、昨今の低価格製品に使用されているオーガニックコットンはアジア諸国やアフリカ諸国、中南米で栽培されたものだという。インドやトルコや中国、パキスタンなどがアジアの綿花栽培国として知られているし、ブラジルやアフリカの国々でも綿花栽培が行われている。これらの国では気象的条件から除虫用の農薬が必要なかったり、設備投資が遅れているために「仕方なく」有機栽培せざるを得ない農場が数多く存在する。

 こうした国で栽培された綿花はオーガニックコットンといえども価格は安い。そのため、低価格品にもオーガニックコットンがふんだんに使えるようになったようだ。ただ、本来のオーガニックコットンの定義とは、少しズレが出ているとも感じる。

 低価格品に広い意味合いでの「オーガニックコットン」が使用されるようになって、一般消費者にもなじみが広がった。低価格で様々な商品が出回るようになったのは、オーガニックコットンの定義以外の要素もある。

 従来の高額オーガニックコットンの多くは色彩的には面白みのない物が多かった。オフホワイト、ベージュ、薄緑、薄茶色とだいたいこんな色のアイテムが多かった。これは、綿花本来の色合いであり、染色がなされていない商品が多いことを意味する。真っ白の製品もない。漂白する際に化学薬品が使用されるからだ。

 染色する場合でも草木染めという天然植物由来の染料に限られていた。そのため、色展開にも限界があるし、化学染料のように大量生産できない草木染料を使えば価格はやはり高くなる。

 一般の衣料品には様々な色が使われる。今春はネオンカラーやビビッドカラーがブームで、特に鮮やかな色彩のアイテムが市場に溢れている。これらは化学染料で染めているため、草木染めで同じ色合いを再現するのはかなり難しい。

オーガニックコットンを化学染料で染める是非

 昨今の低価格オーガニックコットン製品には通常の衣料品と同様のビビッドな色が使用されている。もちろん、これらの多くは通常の衣料品と同様に大量生産された化学染料で染められている。これに対して業界内には、「せっかく有機栽培された綿花を化学物質の塊である化学染料で染めたら意味がないのではないか」と指摘する声がある。この指摘はある意味、納得できるものではある。

 話はやや脱線するが、皮革にもエコレザーなるものがある。皮革は鞣(なめ)さないと素材として使用できない。鞣す方法として、草木から抽出したタンニンを使用する「フルベジタブルタンニン鞣し」と、重金属を使った「クロム鞣し」の2つが存在する。エコレザーといった場合は「フルベジタブルタンニン鞣し」を指す。

 エコレザーは染色する染料も限られるので、本来のオーガニックコットン製品と同様に地味な色合いが多い。しかし、ごく稀にビビッドにカラーリングされたエコレザー製品がある。これは化学染料で着色されている。当然、レザー業界関係者の中には「エコレザーに化学染料で着色したら台無しじゃないか」と指摘する人もいる。オーガニックコットンと似たような状況にあるのだ。

 染料や加工剤に含まれる化学物質は本当に有害なのだろうかと以前から疑問に思っていたら、2008年4月にやはりそれなりに有害だと分かった事件があった。大阪を本社とする中規模子供服メーカーが製造・販売したTシャツを着用した乳幼児に湿疹が出たというニュースだ。このTシャツは中国産で、ロゴの文字などをプリントするためのインクの溶剤にホルムアルデヒドが含まれていたと伝えられている。やはり一定の濃度以上になると有害なのだろう。ちなみに生地の整理加工や表面の加工にホルムアルデヒドが使われる場合もある。

 そういう観点からすると、染色しない、または天然由来の草木成分以外の染料は使用しない本来のオーガニックコットン製品というのは、好き嫌いは別として意義のある商品だと言える部分もある。しかし、衣料品である以上、鮮やかな色柄を求める消費者も多数存在するため、従来の地味な色合いしかないオーガニックコットン製品では支持者が広がらないこともまた事実である。

「オーガニックコットン」は品質や機能を指さない

 重要なのは、オーガニックコットンとは綿花の栽培方法を指す言葉であって、何らかの効能や機能、品質を示しているわけではないことである。

 通常、綿花の良し悪しは繊維長の長さによって決まり、多くの場合、繊維長が長い綿花が高級とされる。繊維長が長い綿花を紡績し、その糸で織った生地は滑らかで柔らかいからだ。綿花の繊維長は栽培される土地の気候風土で左右されることが多く、スーピマ綿やエジプト綿、インド綿などといったように品種や栽培地の名前がブランドとなっている。

 先ほども書いたように、最終製品までオーガニックであることにはもちろん意義があると思う。一方で、あるテキスタイルコンバーターのベテラン企画担当者はこう話す。「化学染料で着色したオーガニックコットン生地やオーガニックコットン製品に批判があるのは知っています。しかし、化学染料でさまざまに着色することでファッション用途が広がり、オーガニックコットンの支持者が増える要素もある。そういう意味では化学染料による着色という手法も全面的な誤りだと言えないのではないでしょうか」。

 オーガニックコットン製品が「化学物質を一切使っておらず、体にいい」という機能をうたっているのであれば、化学染料を使うことは問題だろう。だが、オーガニックコットンはあくまで栽培方法を指している。単純に支持者が増え、オーガニックコットンの栽培が広がることで、地球環境への負荷を減らすことができるという考え方もある。

 となると、問題は売り方かもしれない。一般的な消費者はオーガニックコットンに対し、「エコロジーな素材」というイメージに加えて、「高級品」「健康にいい」というイメージを持っていると思う。もしかすると、「高級品」だから「健康にいい」という認識もあるかもしれない。そして、「『高級』で『健康にいい』オーガニックコットンがこの値段!お買い得だわ〜」という反応になる。

 しかし、価格が下がったのは先ほど述べたような事情があるし、「健康」とオーガニックコットンの関係はよく分からない。にもかかわらず、現在のオーガニックコットンの売り方には、こうした消費者のイメージを利用しているように見受けられる部分がある。オーガニックコットンという言葉が過度に販促に利用されているような気がしてならない。

 オーガニックコットンの普及は大いに結構なことだと思う。しかし、もう少しその内容そのものを知ってもらう努力をすべきなのではないだろうか。


「糸へん」小耳早耳

普段、私たちが何気なく身に着けている衣服の数々。これらを作る世界では何が起きているのか。業界に精通した筆者がファストファッションから国内産地の実情まで、アパレルや繊維といったいわゆる「糸へん」産業にまつわる最新動向を鮮やかに切り取る。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130418/246903/?ST=print


 


「就職先が詐欺会社だった!」どうする?

業務上横領、背任そして詐欺というビジネス上の事件

2013年4月24日(水)  岡野 武志

 第5回の今回は、ビジネス上で問題になり得る経済事件について説明します。過去に話題になった経済事件をみると、ビジネスを行うにあたって利益の追求をするあまり、合法とされる行為を逸脱し、犯罪を犯して逮捕されてしまったというケースも少なくありません。

 そこで、こうした事態を避けるためには、どういう行為が刑事事件として問題になるのかを知り、ビジネス上特に問題になりやすい業務上横領、背任そして詐欺との違いをしっかりと把握しておくことが大切です。

業務上横領、背任そして詐欺の違い

 ビジネス上で問題になり得る経済的な刑事事件でメジャーなものとしては、業務上横領罪、背任罪そして詐欺罪が挙げられます。まずは、それぞれの犯罪の法律上の定義を明らかにしておきましょう。

・業務上横領罪とは
 「業務上自己の占有する他人の物を横領した」場合を言います。
 業務上横領罪にあたるとされると、法律上「10年以下の懲役に処する」と定められています(刑法253条)。

 具体例で言うと、「経理担当者が自分が管理する会社の小口現金を持ち逃げした」「集金担当者が自分が管理する回収金を着服した」などのケースが該当します。

・背任罪とは
 「他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたとき」を言います。

 背任罪の刑罰は、法律上「5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」と定められています(刑法247条)。具体例で言うと、「銀行の貸付担当者が自分の利益を図るために不良貸し付けをした」などのケースが背任罪に該当します。

・詐欺罪とは
 「人を欺いて財物を交付させた」場合を言います。詐欺罪の刑罰は、法律上「10年以下の懲役に処する」と定められています(刑法246条1項)。具体例で言うと、「存在しない架空の未公開株を販売することを業としていた」、「虚偽の取引で手形をだまし取った」などのケースが詐欺罪に該当します。

 上記3つの犯罪は、一見するとどれも同じように感じられるかもしれませんが、いくつかの特徴によって分類することができます。

 まず、業務上横領罪や背任罪は、ビジネスの場面においては、従業員が加害者・会社が被害者となるケースが多く、その意味で性質が共通しています。これに対して、詐欺罪は、会社の人間が加害者・外部の第三者が被害者となるケースが多く、その点で他の二罪とは性質を異にします。

 また、背任罪は、法律上「5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」と定められているのに対して、業務上横領罪と詐欺罪は、「10年以下の懲役に処する」と、法律上より重い刑罰が設定されています。そのため、業務上横領罪や詐欺罪においては、背任罪の場合と異なり、事件が立件され起訴されれば、必ず刑事裁判が開かれることになります。

 これに対して背任罪の場合は、罰金刑が定められていることから、たとえ事件が起訴されたとしても、法廷での裁判を行わず、罰金の納付によって終了する「略式罰金」という手続きで事件が終わる可能性もあります。

ビジネスで問題になる業務上横領罪の典型

 業務上横領罪とは、「業務上自己の占有する他人の物を横領した」場合を言います。少し難しい言い回しですが、ここで言う「業務」とは、「社会生活上の地位に基づいて反復・継続して行う事務」を言い、他人の委託に基づいて他人の財物を占有したり保管したりすることを言います。倉庫業、運送業、質屋、クリーニング業、修理業、会社の経理担当や集金担当などが典型例ですが、業務は職業や職務となっていなくてもよく、本務に付随して行う業務でもよいとされています。

 また、それが報酬や利益を目的とするものでなくてもかまいません。つまり、業務上横領罪は、これらの業務に基づいて他人から委託を受けて占有している財物を奪う行為を言います。

 業務上横領罪にあたると判断された場合の法定刑については、前述のように「10年以下の懲役に処する」と定められています(刑法253条)。他方で、単純な横領罪の場合、つまり単に自分が占有・保管している他人の財物を横領した場合には、法律上「5年以下の懲役に処する」と定められています(刑法252条)。

 このように、業務上横領罪について重い刑罰が定められている理由としては、社会生活上の地位に基づいて反復・継続して他人の財物を占有する人による横領行為であるという性質を有するため、多数の人との信頼関係を壊すものであり、また多くの法律上の利益を侵害しやすいこと、さらに横領行為が繰り返し行われる可能性が高い、といった点が指摘されています。

 ビジネスで問題になる業務上横領罪の典型としては、経理担当者による会社の金銭の着服が挙げられます。

 普段、弁護士として、女性を被疑者とする刑事事件の法律相談を受けていると、その背後に男性の影がちらつくことが多いのですが(例えば、「覚せい剤を使用し始めたのは当時付き合っていた彼氏の影響からだった」「交際相手に持ち掛けられて美人局を行った」など)、業務上横領に関しては、他の犯罪と比べて、女性単独で犯行を計画し、実行するケースも多いように感じます。

 これは、業務上横領が経理担当者一人で行われることが多く、ビジネスの現場においては、経理担当者として女性が採用されることも珍しくないことが影響していることも考えられます。

 例えば、先月は、某県JAで経理担当だった元派遣社員の女性が、取引先から集金した売上金の一部を着服するなどして約2560万円を横領していた事件が、業務改善調査から判明したというニュースが話題に上りました。

 また、昨年には、製薬会社の企業年金基金を扱う法人で会計処理を担当していた元パート職員の女性が、銀行の振り込みサービスの暗証番号を使い、基金の運営費から自分の口座に振り込ませるなどして計1880万円を横領していたとされる事件の裁判で、実刑判決が下されました。

出来心を起こさせない鉄壁の管理体制を

 横領罪には未遂犯の処罰規定がなく、犯罪は着手したと同時に既遂になります。例えば、実際の裁判例においては、他への支払いに充てるために口座に振り込み入金を受けて預かり保管中であった877万5136円について、その一部である10万6370円を自動引き落としに充てた段階で、「全額について…着服行為ということができる」として、877万5136円全額の横領が認められたケースがあります。

 また、先月初旬には、某社団法人の役員夫婦が、社団法人の預金口座から百数十万円を引き出して横領したという業務上横領の容疑で逮捕されたというニュースが流れましたが、このように、業務上横領罪で問題となる財物は、個人のものだけではなく、会社などの法人の預金などの財物も含まれます。

 また、業務上横領の加害者側(従業員側)の法律相談を受けて感じるのは、加害者側は、横領行為が刑事事件として発覚した際には、すでに横領した金銭を生活費や遊興費などに充てて使い果たしているケースがほとんどで、被害弁償を尽くした上で示談を締結することが難しいということです。

 業務上横領罪は被害者がいる犯罪ですので、被害者側に対して被害を弁償し、示談を締結すれば、その事実は刑事手続きにおいて有利に考慮してもらえることが期待できます。しかし、業務上横領の場合は、そもそも被害弁償のための資金を用意できないというケースが多いのが実情です。

 一方、同時に業務上横領の被害者側(オーナー、社長側)としても、資力のない加害者を相手に民事裁判を起こしても賠償金を支払ってもらうことが期待できず、訴訟の時間と手間が無駄であるとして、結局は、あきらめて被害の回復が図られないまま終わるケースも少なくありません。

 ビジネスの現場で業務上横領事件が起きないようにするためには、従業員としては、会社のお金を横領しないことは当然ですが、経営者側としても、従業員に出来心を起こさせない鉄壁の金銭管理体制を敷いておくことが大切です。

 というのも、業務上横領の被害に遭う会社というのは、往々にしてお金の管理がずさんであることが多い、経営者側にも一定の落ち度がある(…とまでは言えないかもしれませんが、チェック体制の甘さがあるなど)のではないかと思われるケースも少なくないからです。

就職先で「何かおかしい」と感じたら…

 弁護士として、刑事事件の法律相談を数多く受けていると、就職先の会社が実は詐欺会社だったというケースに出くわすことがあります。例えば、求人広告を見て応募し営業職として就職したら、実は詐欺的な商品を通信販売している会社だったとか、知らない他人の免許証を渡されて複数の銀行口座を開設するように命じられた、などのケースです。

 このようなケースでは、働いている本人が「何かおかしいのではないか」という疑問を抱いて法律相談に来て詐欺だと発覚する場合もあれば、「何かおかしい」と思いながらもズルズルと働いているうちに同僚と一緒に逮捕されて、その段階になって初めて自分が行っていたのは詐欺だったという確信に至るケースもあります。

 いずれにしても、詐欺に加担した責任は、最終的には働いている本人が負わなければなりません。当初の求人広告の内容が違っていたので詐欺とは思わなかった、といった言い分が理解されるのは難しいと言えるでしょう。

 また、直ちに詐欺には該当しないものの、詐欺まがいの強引な商売を行っている会社も多くみられます。訪問販売や通信販売など、消費者とトラブルを生じやすい取引類型については、別途「特定商取引に関する法律」によりさまざまな規制が設けられているため、営業担当者はトラブル防止のためこれらに精通しておく必要があります。

 加えて、昨今は金融商品や投資の対象が多様化したこともあり、本来は利益を上げることを目的として金融商品の販売を行ったが結果として顧客に財産上の損害を与えてしまったというケースと、いわゆる「投資詐欺」との線引きを行うことが、客観的な事情からは判断しにくいような事例も散見されます。

 少し前の事例にはなりますが、2010年には東京地方裁判所において、エビ養殖の投資を目的とした詐欺事件で、組織犯罪処罰法違反(組織的詐欺)の罪に問われた投資会社幹部の男性に、詐欺の故意がないとして無罪判決が下された事例もあります。

 とはいえ、もしご自分が携わっている業務が詐欺にあたるのではないかなど不安に感じられる要素がある場合は、まずは専門家である弁護士に相談されることをお勧めします。

バイト先が振り込め詐欺の現場だったケースも

 なお、最近は振り込め詐欺などを行う犯罪集団の低年齢化が目立ちます。十代後半の子供をお持ちの読者の方は、子供のバイト先にも注意を払った方がよいかもしれません。先輩から紹介されたアルバイト先だということで現場に向かったら、実は振り込め詐欺の現場だったというケースが実際にあります。

 振り込め詐欺の場合、被害者の人数が多数にのぼり、被害金額も多額になるケースが多いため、被害者全員に対して被害を弁償し示談に応じてもらうことは難しく、また事件の社会的影響の大きさを考慮して、昨今は厳しい判断が下されがちです。

 このように、本人の意図に反して、思わぬ形で犯罪に加担することになったとしても、そのことを容認した以上、最終的に責任を負うのは本人です。仕事やアルバイトなどに応募する際は、注意深くその内容を確認し、違法な仕事をしている現場に配属された場合は、勇気をもって逃げて帰ってくる必要があります。

 いかがでしたか? 今回は、ビジネス上で問題になり得る経済事件のパターンと対処法について解説しました。特に、業務上横領罪に関しては、日常業務の延長上で起こり得る犯罪であることから、日々いろいろな法律相談を受ける中で、本人の法律遵守という意識づけの大切さはもちろん、犯罪を防ぐための会社側の金銭管理体制の大切さを痛感しています。

(次回は犯罪になり得る企業活動について解説します)


冤罪トラブル回避マニュアル

ビジネスパーソンにとっての冤罪。痴漢始め、自分は関係ないと思っていても、意図せず巻き込まれることがあるのが恐ろしいところ。このコラムでは、刑事事件を専門に扱う弁護士が、万が一、トラブルに巻き込まれた際の対処法を具体的に指南します。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130416/246767/?ST=print

【第3回】 2013年4月24日 潮凪 洋介
「自分は必要とされていない」。
もし、こんな気持ちに襲われたら?
知識でも、ノウハウでもなく、大切なのは「自信」。
19歳で起業。成功と失敗を繰り返し、2回目の脱サラ後、32歳で5000万円の借金を背負った著者が、どん底状態から、人生を大逆転させた行動力の秘密を語る。根拠がなくても、実績がなくても、やる気を生み、恐怖心を消し去る「強い心」のつくり方

「自信が持てない人」は、
マイナスの出来事を大きくとらえる

 本連載では、「自己肯定感を高めることがいかに大切か」を繰り返し述べている。さて本日は、自己肯定感を高め、自分自身のことを好きになるためのコツをご紹介したい。

 たまたまの失敗で「これは不得意だ」「自分に合わない」と落ち込んだことはないだろうか?あるいは「自分は世の中に必要な人間なのだろうか」とふさぎ込んだ経験はないだろうか?

 ほんの一瞬のマイナスの出来事で、全体の印象までこうだと思い込んでしまい、「できない」「無理だ」と決めつけてしまう。心当たりはないだろうか?

 自信が持てない人ほど、1つのマイナスの出来事を大きくとらえて、どんどん自分の中で膨らませてしまう。

 しかし、そんな自信喪失の多くはたいてい「思い込み」によるものであり、妄想にすぎない。「思い込み」の力は大きい。あなたの人生を加速させる、アクセルにもブレーキにもなりうるものだ。この「思い込み」を武器に変えてほしい。

「プラスの思い込み」で、
人生を変えよう!

 人間は思考の生き物だ。プラスの思い込みを持てれば、それは必ずプラスに還元される。しかし逆に、マイナスの思い込みは、マイナスしかもたらさない。

 ダメな理由、できそうもない理由があったとしても、それがデータに基づいたものでなければ信じるに値しない。「思い込みの自信喪失」につき合ってはいけない。

 さてここで、「思い込み」の正体について話したい。少しでもいい、今、あなたが自信を持っている分野とは何だろう?

「資格試験の取得には自信がある」
「会社内での人間関係構築には自信がある」

 あなたはそう思っている。しかし、それもおそらく単なる思い込みにすぎないのだ。多くの場合、昔の成功体験がそうした思い込みを支えている。しかし以前うまくいったからといって、また次回うまくいくとは限らない。運が悪ければ失敗し、その自信も覆される可能性がある。

 1秒先のことは何もわからない。うまくいく保証なんてどこにもないのだ。あなたが抱くその自信だって、単なる思い込みなのである。とすれば、自信を持つも、自信を喪失するも、実は同じ思い込みなのだ。

「自分が世界の主役である」。
そんな思い込みを持とう

 別の視点からも「思い込み」を探ってみたい。例えば、あなたはコピー機を売る営業マンだったとする。アポをとって、先方と商談を行ったものの、成約には至らなかった。帰社後、上司からこう声をかけられる。

「お疲れさま。残念だけど、仕方ないね。今日はすぐ帰ってゆっくり休みなさい」

 相手の言葉を素直に受け止められる状態ならば、がんばりに対して、「ねぎらいの言葉」をかけてもらえたと思うだろう。

 ところが、精神状態が不安定な人は、「役立たずだから、早く帰れってこと?」「早く帰れっていってるけど、商品は売れてないし、本当はもっとがんばれっていいたいの?」という解釈をしてしまう。

 相手の言葉をどう受け止めるかも、その人の精神状態、つまり「思い込み」次第で、大きく変わるのだ。悪意なく、ねぎらいの気持ちからこぼれた言葉なのに、自分の中で解釈をねじまげる。こんなもったいないことはない。

 あなたにとって、都合のいい「思い込み」を持とう。自分が世界の主役である、それぐらい気持ちを持つぐらいでちょうどいい。「思い込み」こそが、あなたの人生を変える。ここで生まれる自尊心こそが、さらなる目標への情熱を呼び起こすのだ。

(次回連載は、4月25日の予定です)

第41回ダイヤモンド著者セミナー
『折れない自信をつくる48の習慣』
著者・潮凪洋介氏による無料ワークショップを開催!
日 時 : 2013年5月24日(金)
時 刻 : 19時開演(18時30分開場) 20時30分終了予定
会 場 : 東京 ダイヤモンド社 本社ビル9階セミナールーム
住 所 : 東京都渋谷区神宮前6−12−17
料 金 : 入場無料(事前登録制)
定 員 : 30名(先着順)
主 催 : ダイヤモンド社
お問い合わせ先: ダイヤモンド社書籍編集局
TEL : 03-5778-7294(担当中島)
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『折れない自信をつくる48の習慣』
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 根拠がなくても、実績がなくても、やる気を生み、恐怖心を消し去る「強い心」のつくり方
http://diamond.jp/articles/-/35089


 


【第7回】 2013年4月24日 鈴木博毅
ちっぽけな個人が社会を変えるには?
実際に世界を変えた3つの武器
小さく無力な個人でも社会を変えることは可能か。ソーシャルデザインが注目されるなか、誰もが閉塞感を感じる日本をどうすれば変えられるのか。明治維新という奇跡のソーシャル・イノベーションを、国民の精神変革によって実現させた名著『学問のすすめ』から、世界を変える「3つの武器」を読み解く。

たった一人がつくり上げた仕組みが、
全世界で1600万人を支える力に

「マイクロクレジット」という言葉を聞いたことがある方は多いと思います。バングラディッシュで貧困問題に取り組んだ、ムハマド・ユヌスという人物が開発した貧困層向けの新しい融資の形態です。

 1970年代に彼によって設立されたグラミン銀行が起源となった「マイクロクレジット」は、現在では世界各国で実施されており、1600万人を超える人々に融資をしていると言われています。

 ユヌスは元々アメリカの大学で経済学の教育を受けて祖国に戻った人物ですが、経済学者らしからぬ実践的研究に飛び込んで、現地の農家を訪問し貧困問題の根源を探りました。

「大学が知識の宝庫だというなら、一部でもいいから、その知識を周辺地域にも広めるべきだ。大学は、成果を社会に還元せずに学者が知識をきわめるだけの孤島であってはならない」(フランシス・ウェスリー他著『誰が世界を変えるのか』よりユヌスの言葉を引用)

 この言葉は140年前に福沢諭吉がとなえた「実学」の概念と共通する響きがあります。諭吉は実社会で使えない学問ではなく「実学」こそ学ぶべきであり、あらゆる分野で自らが得た学びを活かすことを説いています。

 2006年にグラミン銀行とユヌスはノーベル平和賞を受賞しますが、現在では広く知られているこの仕組みは、たった一人の人物が孤独の中で始めた革新から生まれていたのです。

世界をたった一人で説得はできない、
ならばどうするか?

 当たり前のことですが、どれほど良いアイデアがあっても、あなた一人では説得できる人間は数えるほどしかいないでしょう。さらに言えば「説得する」「売り込む」ことには膨大なエネルギーが必要です。これでは良いことでさえ、広がる前に疲弊してしまいます。

『学問のすすめ』第4編は、「世の中の改革を目指すならば、命令するより諭す、諭すより良い手本を見せるほうが効果的である」と述べています。

 相手を説得するよりも、変化すべきと要求するよりも「相手が真似したくなるような手本」を目の前に見せるほうが何倍も効果的だと諭吉は指摘しているのです。

 諭吉は指導した学生たちに、学んだことを実業の世界で活かすことを強く勧めていますが、新たな学問を学んだ者が実社会で成功すれば、その成功者を真似たいと思う人が増えていく最高の「手本」になると考えていたのです。

 最近、新型の電気自動車が高速道路を走っているのを目にする機会が増えてきました。ビジネスでも「真似したくなる手本」を人の目の前に見せることが効果的なのは言うまでもありません。ショールームで航続距離のカタログを読むよりも、実際に高速道路を颯爽と快走している電気自動車をその目で見るほうが、よほど説得力があります(そして、見ている側に購入意欲を抱かせることができます)。

 諭吉が幕末明治初期にとった戦略も同様で、書籍『西洋事情』や『学問のすすめ』を世に出すことで、世界各国の実情をまずわかりやすく読ませるほうが、当時の日本人の固いアタマの中身を変革するのに、よほど効果があったのでしょう。

 変革の起点が「真似たくなるような良い手本」であることは、私たちが生きる現代社会でも同じです。口を酸っぱくして人の説得を続ける、叱るよりも、誰もが憧れて真似をしたくなる手本を示す方が遥かによいアプローチです。なぜなら、周囲が自発的に変化してくれるからです。

 その意味では、新社会人の教育研修に「誰もが憧れるエース」を登場させることも意味があります。真剣に仕事を楽しみながら、最前線で活躍している人を入社した職場で見つけることができれば、新人でさえ自然に仕事に興味を抱くことができるからです。

名著『学問のすすめ』は、
ソーシャル・イノベーションの先駆けだった!?

 明治初期に超ベストセラーとなった『学問のすすめ』では、ソーシャル・イノベーションの先駆けを感じさせる、効果的な3つの武器が勧められています。

(1)全員の課題だという「当事者意識」を高める

 社会組織全体から、新しい発案やアイデアを生み出すために、諭吉は国家の出来事が国民全員の課題であることを論じています。

 私たちの所属するビジネス組織や社会貢献活動でも、これまで従事した人たちとは異なる分野の専門家を巻き込めるような、広い範囲での当事者意識を醸成することは、新たな視点や解決力がその問題に注ぎ込まれることになり、飛躍を生み出すイノベーションが起こりやすくなるのです。 

(2)周囲を変化させる「手本」を見せる

 これはすでにご説明したことですが、集団や周囲を変化させるには、みんなが真似したくなる「良い手本」をまず上手に生み出すことが重要です。

 憧れる手本もないのに、言葉だけで「あの方向に進むべきだ!」と強くあなたが主張しても、相手には嫌々やらされているという気持ちだけが先に立ち、自ら変化しようとする気持ちや勢いが生れません。これではこちらが疲れるばかりで、説得や変革の効果はほとんど期待できないでしょう。

 自然にブームになる商品や社会現象も同じです。周囲が憧れる、真似したくなる「良い手本」があるからこそ、自発的な変化を生みながら波状的に広がりを見せていくのです。

(3)「人的ネットワーク」を活かす

 諭吉は研究室に閉じこもる、閉鎖的な学究ではなく、実社会に飛び出して世の中を変革することを進めた人物でした(マイクロクレジットの創造者・ユヌスとも類似する点)。彼は理論があっても、周囲に信頼される「人望」がない人物は、何一つとして事を成し遂げることはできないと『学問のすすめ』最終章で語っています。

 また「多くの分野に友人知人をつくり続けること」も大切であり、そのためできるだけ多くの分野に常に関心を持つことを私たちに勧めています。

 人が溢れている世の中で、人を嫌いになり避けていれば何を成すにも不便です。諭吉は「人間のくせに、人間を毛嫌いするのはよろしくない」と述べて、人と付き合う能力が社会における重要な要素だと140年前の時代から、私たちに教えてくれています。

 これら3つの武器は、個人から始まりながら「集団を変革する」ための効果的なツールとして使用できるものです。たった一人の個から始まる変革が、より大きな集団に良い影響を与えて、結果としてさらに大きな成功や幸せ、豊かさを生み出すことが可能になる。

 このような「変革」あるいは波及効果の高いソーシャル・イノベーションこそ、現代日本で私たちが求めている活動ではないでしょうか。『学問のすすめ』は140年前にソーシャル・イノベーションの要素も兼ねた、良い未来を生み出す変革の教科書でもあったのです。(第8回に続く)

次回は5月7日更新予定です。

新刊書籍のご案内

『「超」入門 学問のすすめ』


この連載の著者・鈴木博毅さんが、『学問のすすめ』を現代の閉塞感と重ね合わせながら、維新の「成功の本質」を23のポイント、7つの視点からやさしく読み解く書籍が発売されました。歴史的名著が実現させた日本史上最大の変革から、転換期を生き抜く方法をご紹介します。変革期に役立つサバイバルスキル、グローバル時代の人生戦略、新しい時代を切り拓く実学、自分のアタマで考える方法など。140年前と同じグローバル化の波、社会制度の崩壊、財政危機、社会不安などと向き合う転換期の日本人にとって、参考となることが満載です。

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『「超」入門 失敗の本質』

野中郁次郎氏推薦!
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13万部のベストセラー!難解な書籍として有名な『失敗の本質』を、23のポイントからダイジェストで読む入門書。『失敗の本質』の著者の一人である野中郁次郎氏からも推薦をいただいた、まさに入門書の決定版。日本軍と現代日本の共通点をあぶり出しながら、日本人の思考・行動特性、日本的組織の病根を明らかにしていきます。現代のあらゆる立場・組織にも応用可能な内容になっています。
http://diamond.jp/articles/print/34999


 


【第20回】 2013年4月24日 渡部 幹 [早稲田大学 日米研究機構 主任研究員/客員准教授]
チャレンジャー社員の魂を奪い去る職場の力学とは?
“仕事から学ぶ意義”を見出せぬ無責任時代への警鐘
――処方Sチャレンジする社員を潰すも引き上げるも上司次第
「それ、まだ何も聞いてないです」
やる気のない新人の言葉に隠された真意

 最近、ある企業の女性社員Aさんから聞いた話だ。

 Aさんは、あるプロジェクト専門の総務兼経理担当で、もう10年近く担当してきた。彼女には、同じく10年近く働いてきた同僚がいて、2人3脚で仕事をこなしてきた。プロジェクト自体が特殊な業務なので、他の人に任せるのは難しかったそうだ。

 その同僚がこの春に異動になった。新人が来てもすぐには使い物にならないため、Aさんは春から実質的に1人で業務を回さなくてはならず、その覚悟もしていた。

 新人にはいわゆる「派遣社員」が雇われる予定だったため、新年度になるぎりぎりまで人事は難航していたそうだが、土壇場で決まった人物が、他社の同種のプロジェクトで働いていた経験のある人だったため、Aさんの上司も含め、皆喜んでいたという。

 実はAさんは、夫が夏に海外赴任することになり、6月までに引継ぎを済ませたかった。仕事のことが全くわからない素人が来たのでは、引継ぎだけで、数ヵ月かかる。そのことを考えれば、経験者が来てくれるのはまさに「渡りに船」だった。

 新しく入った人物も女性で、Bさんといった。Bさんは性格も社交的で、人間的に問題はなかったのだが、彼女が職場に来て2週間ほどで態度が大きく変わった。

 というのは、引継ぎに必要な情報を話しても、翌日には「聞いてません」「存じません」と返答が返ってくることが多くなったからだ。Aさんは、その後口頭ではなく、メールで用件を送るようになったが、「あ、メール見てませんでした」「そんなメール、受け取ってないです」といった具合で、全く仕事を覚える気がないように感じる。

 上司から何か聞かれても、「それ、まだAさんから何も聞いてないです」と答えるため、Aさんは上司から「ちゃんと引継ぎをやってくれ」と言われた。

 性格的に問題があるようにも思えないし、日常の会話は楽しくしているので、Aさんはどう対処すべきか悩んでしまった。

 しかし、Bさんがそのような態度をとっていたのには、理由があったのだ。それが先日判明した。

 Bさんはその週で辞める、と上司に報告していたのだった。理由は、「病気の父親のそばにいてあげたい」というものだった。しかし彼女には、兄弟がたくさんいて、父親のそばに住んでいる兄弟もいる。何より独身で1人暮らしの彼女が仕事を辞めて収入がなくなるリスクを負ってまで父親のそばにいてあげる理由は、よくわからなかった。

すぐに辞めるのは気が引けるので……。
新人の都合に翻弄された先輩社員の落胆

 少なくともはっきりしていたのは、Aさんが6月で辞めるのを聞いてから、Bさんの態度が変わったことだ。実はBさんは、大変な業務を引き継ぐのが嫌で、すぐに辞める決心をしたのだが、「1ヵ月もしないうちに辞めるのはさすがに気が引けるので、1ヵ月だけ勤めた」というのが真相のようだ。

 Aさんは落ち込んでいた。Bさんがすぐに辞めるということよりも、そんなBさんに2週間以上、自分の仕事を減らして、引き継ぎのために骨を折っていた努力が無駄になったことに対して、落ち込んでいたのだった。

 その後Aさんは気を取り直して、6月までに是が非でも継続業務は終わらせ、その後入ってくる人に引き継ぐ事項は最低限にしよう、と奮闘している。

 このことは、今の日本の職場が抱えている問題を象徴する出来事だと筆者は感じている。

 実はBさんの経歴を見ると、色々な仕事を転々としていて、Aさんと同種の他社のプロジェクトで働いてはいたが、最も大変な立ち上げ時と終了時には、そこで働いていない。特に終了時の大変な時期に、すっぱりと辞めている。

チャレンジせずに逃げる人
チャレンジして学ぶ人

 ここからわかるのは、Bさんは「できるだけ面倒な業務はやりたくない」という方針で仕事をしていることだ。

 この考え自体、特に悪いものではない。できるだけ少ない作業で多くの実りを得る「効率的」な仕事の仕方につながるからだ。

 しかし、Bさんに決定的に欠けているのは、「チャレンジングな業務に挑んで自分を伸ばそう」と思うメンタリティだ。将来の自分への投資と考えて、目の前にある仕事にチャレンジする、とういう発想はないようである。

 その点、Aさんは逆だ。今となっては1人でこの状況を打破することで、ステップアップできると信じて仕事をしている。

 彼女らの仕事に対する考え方の違いは、根本では「仕事と自分との関係」についての見方の違いが原因となっている。

 少し極端に言うならば、Bさんにとって、仕事とはお金を稼ぐための手段であり、少ない仕事量で多くのお金を得ることが望ましい状況と言える。それに対し、Aさんにとっては、仕事は自分を成長させる機会を与えてくれるもので、チャレンジングな仕事から学べるものが多いと考えている。

 むろん、Aさんだって100%きれいごとを言えるはずもなく、「お金を稼ぐ手段としての仕事」という側面も認識している。だが、少なくとも上記のBさんの状況では、Aさんは引継ぎを拒否して辞めるという選択はしない。それが職場の他の人に与える影響も考えるだろう。

 つまり、職場の環境や仕事がチャレンジングでも、そこから何かを学ぼうと思う人とそうではない人の間には、大きな違いが生じるのだ。

 筆者はそれこそが最近の「ゆとり社員への不満」の正体だと思っている。飲み会に参加しないとか、「それ、教えられてないんでできません」と言って仕事をしようとしない、という行動の1つ1つは、大した問題ではない。問題なのは、その背後にある「仕事に挑み、それを糧にする意識」の欠如なのだ。

 仕事に挑み、そこから学ぼうとする人は、まず仕事を大切にする。それをやることに真剣になる。わからないことを自分からわかろうとし、調べ、人に尋ねる。仕事をしていくら稼げるかではなく、仕事を通じて、自分自身がどれだけ発展できたかを気にする。成功ではなく成長を求めるのだ。

 そうしているうちに、仕事が無性に面白くなる。仕事に真剣に向き合っていれば、仕事もまた期待に応えてくれることに気がつくのだ。

若い世代で薄れる「成長」の意識
暗黙知に代わり形式知が溢れる職場に

 今の若い世代の間では、こうした意識が急速に薄れているような気がしている。

 それはなぜか。筆者自身は、若い世代は「仕事から学ぶ」ことの大切さを認識できていないからだと考えている。そして、その本当の理由は、仕事から学んでも、それを将来活かせる可能性が低くなってきたからだと思っている。

 このコラムで何度も述べているように、21世紀に入ってから、日本の労働者の流動性は極端に高くなった。このことは、多くの人が職場を辞め、また新しい人が入ってくる、というケースが増えていることを意味する。

 そのような状況では、時間をかけてじっくりと学ぶ「暗黙知」はなかなか継承されず、文書化、マニュアル化をしやすい「形式知」のみで仕事が回る。冒頭の例のように、その業務に長年関わっている人でなくてはできないような仕事は、「暗黙知」の部分が多いため、引き継ぎのコストが非常に高くなるのだ。

 そして、たとえ仕事を一生懸命やって「暗黙知」を得たとしても、すぐに職場が変わる可能性が高いならば、新しい職場でその暗黙知が役に立つとは限らない。むしろ、役に立たない可能性のほうが高いだろう。

 そのように考えると、コストをかけて現在の職場の暗黙知を学ぶ意味がなくなる。表面上のマニュアルのみを憶えて、あとは適当にしのぐほうが個人にとっては楽だろう。

 冒頭の例のBさんは、現在の日本の状況に適応して行動しているだけなのだ。それを「無責任」とか「社会人としてどうか」とむやみに批判するのは間違っている。

 むしろ考えるべきは、Bさんのような人が、1つの職場に長くしっかりと勤められるような制度づくりだ。大手企業はすでに、自分を成長させる行動(英語の習得など)を推奨し、金銭的サポートや、人事上の好待遇などのインセンティブを与えるような措置を講じている。

 学ぼうとする意欲のある人をサポートしているのだ。このことは、多少つらい目に遭っても、頑張ることができるきっかけも与えてくれる。

若い世代が仕事に挑むかどうかは
結局、上司と組織にかかっている

 あなたが上司ならば、部下が仕事から何かを学ぶ癖をつけさせるべきだ。マッキンゼーなどでは、新人が入ってくると、毎日「その1日で自分はどんなバリューを身に着けたか」を報告させる。経験したこと全てから学ばせ、自分の中の進歩を自覚させるのだ。

 こういった小さなことの積み重ねは、やがて大きな業務上のパフォーマンスの差を生み出す。そして、学ぶ部下にはどんどん「大変だがやり甲斐のある仕事」を与える。もちろん、体を壊さないように気をつけてだ。そして、部下の失敗の尻拭いは自分がやる。

 これら全てが実行できたとき、部下は上司を尊敬し、上司から学び、職場に対して強いコミットメントを示すだろう。

 最終的には、若い世代が仕事に果敢に挑むかどうかは、上司と組織次第なのである。私は今の日本には、それができるだけの潜在能力はまだまだあると思っている。「上司」に当たる中間管理職の世代が、それに気づくことができたとき、日本の会社組織は再び世界の注目を集めるに違いない。
http://diamond.jp/articles/print/35128  

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コメント
 
01. 2013年4月30日 02:02:23 : niiL5nr8dQ

自分の経験から本物の自信を得るには「概念化」が必要

体験を積み重ねて経験則を導くには

2013年4月30日(火)  好川 哲人

 あなたがどのような仕事をしていようが、「こうすればうまくいく」というやり方を持っているはずだ。これを「持論」と呼ぶ。

 意識しているかどうかはさておき、だれにでも持論はある。ただし、それを文章にまとめておき、仕事に取り組む際、読み返している人になるとそう多くはないのではないか。

 そこでプロジェクトマネジメントに関心を持つ有志に集まってもらい、持論を書く活動を昨年実施し、その模様を本連載で報告してきた。昨年末で、27編の持論が出そろったので、その骨子を2回に分けて紹介した(『私はプロジェクトをこう成功させた』『成功のカギは「執念、親心、主体性、臆病、明るさ」』)。

 持論を作成してくれた人全員について、持論の骨子を紹介できたので、今回は振り返ってみたい。

 一連の活動は持論を作ることによる交流を目指したものであったので、個々の持論に対する評価ではなく、27編の持論をまとめて見たときに、筆者が感じたことを述べてみる。

 前々回に持論の読み方として書いたように、持論に書かれている内容はその人がうまくやっている方法であるので、良しあしはないし、ましてや正しい正しくないという議論は成り立たない。

 ただし、持論の書き方については、巧拙あるいは好ましい好ましくないという評価があり得る。ここから先は持論の内容ではなく、持論の書き方について考えていく。

 本連載の第1回『あなたの「持論」は文章に書けますか?』で持論を「経験から生まれ、行動を導いている方法論」と定義した。方法論とは「うまくいくことが証明されているやり方」を指す。証明は理論的にできる場合もあれば、統計的に示す場合もある。

 今回書いてもらった持論を読んでみると、人によって証明のやり方に差があった。複数の体験に基づく経験を持論としている人と、実際にうまくいった体験をそのまま持論とした人がいた。数でいうと、経験に基づいた人は少数で、体験を書いた人が多かった。

 つまり「経験から生まれ、行動を導いている方法論」として記述した人は少数で「行動を導いている体験」を書いた人が多かったことになる。

体験と経験は違う

 上記の説明は分かりにくかったと思う。「体験と経験は違うのですか」と聞かれたら、「その通り」と答えたい。そこでまず、体験と経験はどう違うのか、整理してみたい。

 デジタル大辞泉を引くと「体験とは自分で実際に経験すること」と説明されている。この説明はなかなかよくできていて、経験は自分でするとは限らないという前提になっている。体験しない経験もあるわけだ。

 プロフェッショナルの学習に関する研究の第一人者であるドナルド・ショーンの学習論においては、体験が積み重なり、経験になっていくと考える(参考文献『省察的実践とは何か―プロフェッショナルの行為と思考』、ドナルド・ショーン、柳沢昌一・三輪建二訳、鳳書房、2007)。

 色々と体験をしていくうちに、法則が見つかり、それが経験となるわけだ。つまりここでいう経験は「経験則」のことだとすれば分かりやすくなる。

 では、体験を積み重ねて経験(経験則)にしていくとき、具体的には何をやっているのか。難しげな言葉を持ち出すが、概念化である。我々はいくつかの体験を概念化して経験にしている。

 例で考えてみよう。多くのリーダーが挙げる持論として「ステークホルダー(利害関係者)はプロジェクトの都合など考えない」というものがある。残念ながらそういう実態がある以上、プロジェクトリーダーはステークホルダーとの関係に気を配らなければならない。

 この持論が生まれる経緯は以下のようなものだ。

 あるリーダーがプロジェクトを担当していたとき、顧客(発注者)の課長がプロジェクトの進捗状況を全く考慮せず、しかも契約にない要求を「検討してくれ」と頼んできた。リーダーが上司に相談したところ、「お客さんの要望だから断れないだろう」と言いつつも「増員は無理だ。プロジェクトチームにいる人員でなんとかしてくれ」という指示が返ってきた。

 この体験からリーダーは「あの顧客の課長はプロジェクトの都合など考えない」「上司もプロジェクトの都合など考えない」ということを知る。ところが別な顧客でプロジェクトをやってみると、やはり同じような事態に陥った。

 こういう体験を繰り返しているうちに「(顧客や上司など)ステークホルダーというものはプロジェクトの都合など考えない」という経験(経験則)、すなわち持論が生まれる。ごく単純な例だが、個別の体験を概念化して経験を導いていることになる。

概念化を経た持論は効果を発揮する

 このようにして経験はできていく。今回の持論を作る目的から考えてみると、概念化を経て経験を導いてから書いたほうが望ましい。

 なぜ望ましいか、目的を再確認してから説明する。第1回で述べたように、今回の活動で持論を作る目的を3点設定した。

(1)行動のガイドラインを持ち、速やかに自信を持った行動をとれる
(2)仕事における工夫の効果を評価し、問題があれば是正する
(3)学び続けることができる
 それぞれの目的に対して、体験をそのまま持論した場合と、概念化して経験にした場合と、どのように異なるだろうか。

 「(1)行動のガイドラインを持ち、速やかに自信を持った行動をとれる」について考えてみよう。体験を持論にしておけば、それ以降、同じ状況になったとき、自信を持って行動できるようになる。

 ステークホルダーに関する例を続けると「A社の課長は要求を後から出してくるので、それに備えてプロジェクトのスケジュールをしっかり合意した上で要求を決めていく」という持論があれば、少なくともA社の課長と仕事をする場合、自信を持って対処できるようになる。こうした体験に基づくノウハウは確かに実務で役立つ。

 しかし、本当の意味で自信を持つには、個別の体験だけでは不十分であり、他の類似の状況における体験と合わせて、経験にしておく必要がある。

 例えば、A社の体験にB社の体験も加え、概念化して1つの経験とし、「ステークホルダーは勝手なことばかり言うもの。プロジェクトの進行に影響のある人を最初に洗い出しておき、意思決定の方法を合意しておく。その上で常にコンタクトをとりながら、プロジェクトを進めていく」という持論を導いておく。

 こうした経験に基づく持論があれば、顧客が勝手なことを言い出した場合や、上司が協力してくれない場合など、ステークホルダーが絡む様々な問題が生じても、自信を持って行動できる。それでうまくいけば一層の自信になる。

やり方を修正し、学び続ける方法

 次に「(2)仕事における工夫の効果を評価し、問題があれば是正する」について考えてみよう。

 「A社の課長は要求を後から出してくるので、それに備えてプロジェクトのスケジュールをしっかり合意した上で要求を決めていく」という体験に基づく持論の例を続ける。

 持論の効果があり、A社の課長はスケジュール通りに要求を確定してくれるようになった。ところが課長の上司が、いったん課長が合意した要求について変更を依頼してくることがたびたび起きてきた。つまり、体験に基づく持論においては、課長の上司というもう1人のステークホルダーが洗い出されていなかったことになる。

 改めて課長の上司もステークホルダーに入れ、要求確定のスケジュールと意思決定の方法の見直しをお願いし、課長の上司のレビューも含めたスケジュールを策定、そのスケジュールに従って要求を確定していくことにした。

 こうすると課長との体験、課長の上司との体験が重なって、経験則と言える持論を用意できるようになる。経験に基づく持論は、体験に基づく持論よりも、起こっていることを広くとらえることができ、早期の問題発見や行動修正が可能になる。

 言い換えると、経験に基づく持論は、より感度の良い問題発見のツールとなり、プロジェクトマネジャーやリーダーを助けてくれる。

 さらに「(3)学び続けることができる」という目的についても、経験は役立つ。 先に紹介したドナルド・ショーンの考えのように、経験から学ぶということは、体験したことを経験に変えていく、すなわち体験を経験に概念化していくことにほかならない。

 体験を概念化して経験という持論にしておき、新たな体験があるたびに経験(という持論)に反映し、それを維持する。これこそが学習である。というわけで、学び続けるという目的からみても、体験だけではなく、経験になった持論が求められる。

成功体験だけでは自慢話に終わる

 今回の持論を作成する活動に参加した人たちに聞くと、筆者が設定した3つの目的に加え、「持論によって後輩のプロジェクトマネジャーにアドバイスする」という目的を持っていた人が多かった。

 この目的についても、体験だけではなく、経験に基づく持論が望ましい。

 あなたがプロジェクトマネジャーで、相談してきた部下に助言するため、自分の成功体験を話すとしよう。成功体験を具体的に話しても、部下には自慢話にしか聞こえない。

 成功体験を話すあなたからすると、「ここから何かに気づいてくれ」という意図があるわけだが、部下はなかなかそうは思わず、そのまますぐ使える助言を欲しがる人が多い。

 「そのまますぐ使える助言を欲しがる」あるいは「ありがたがる」姿勢は大きな問題なのだが、それはともかく、部下に仕事をさせなければならないとすると「自分で考えろ」と突き放すわけにはいかない。

 そこで部下を指導するにあたっては、まずあなたの成功体験を振り返り、いったん概念化し、個別体験ではなく、経験則の持論として話をするといい。

 顧客から契約外の要求を突きつけられた部下が相談にきたとしよう。体験で答えてしまうと、例えば次のようになる。

 「自分もプロジェクトマネジャーを任されていたころにそんな体験をした。そのとき自分は色々な人脈を調べ、出身大学の先輩が契約外の要求を出してきた顧客担当者の上司と同級生だということを発見した。早速、先輩に頼んで、上司との宴席を設けてもらい、その場で本音の話をして、上司から費用の一部は持つ、そのように部下の担当者に指示する、という言質をとりつけた」

 まさしく成功体験であるが、これをそのまま部下に伝えたら「大学の先輩とか、宴席とか、本音の会話とか、浪花節を語って一体どうしろというのだ。今のご時世では難しい」と反発され、それで終わってしまうだろう。

 そうならないためにも、成功体験を概念化し、経験と呼べる持論を作ってからアドバイスをしていくことが望まれる。

 一例として「無理を言ってきた担当者に影響を与えられる人はいないか? そういう人を探して、君が考えている線で説得し、上から話を落としてもらったらどうだ」とアドバイスする。

 このような概念的な指示で部下が動けないとすれば、具体的なところまで一緒に考えてあげればよい。その過程で、成功体験の一部を話してもいいだろう。あるいは部下の別な体験から導かれることを一緒に考えたりする。こうして部下を後押しするのである。

 経験則としてまとめた持論があれば、相談に来た部下だけではなく、あなたの部下全員が活用できる。仕事の一部を委託した相手が契約を最小限に解釈し、「うちはここまでしかやりません」と言い張ってしまい、それに困っている部下がいたとする。彼は持論を参考にして「影響者を探して影響を与える」という具体策を見つけられるかもしれない。

 顧客が契約を無視した要求をするという問題と、業務委託先が最小限の動きしかしないと問題は本来全く異なるわけだが、問題を概念化して解決方法を考えることによって、同じ持論を適用できるわけだ。

概念化スキルは誰でも身に付けられる

 以上が、複数の体験を概念化した経験として持論を記述することが望ましいと述べた理由である。

 実は今回の活動で使った持論の作成方法には概念化のステップを組み込んであった。第2回『「自分を高める文章」を7ステップで書き上げる』で紹介した持論作成の7つのステップを再掲する。

【1】「プロジェクトがうまくいった」というのはどのような時か、できるだけ具体的に考えてみて下さい。

【2】「プロジェクトがうまくいった」という状況にするために、必要なことを列挙しましょう。まず、あなたがプロジェクトリーダーあるいはプロジェクトマネジャーのスタッフとして参加したプロジェクトの中から、「うまくいったと思うプロジェクト」と「うまくいかなかったプロジェクト」をそれぞれ思い浮かべます。
 次にプロジェクトの違いを生み出したと思われる要因のうち、「自分自身に起因する要因」をできるだけ具体的なシーンと結び付けながら考えて下さい。

【3】プロジェクトの違いを生み出したと思われる要因のうち、「ステークホルダー(上司、顧客、経営層など)に起因するものはなんでしょう。ステークホルダーに問題があった場合、それを回避するためにあなたは何をしたか、何をすべきであったかを具体的なシーンと結び付けながら考えて下さい。

【4】あなたがメンバーとして参加したプロジェクトのリーダーの中から「この人は信頼できる」と思った人を挙げて下さい。そのリーダーには、思考の特性、行動の特性、人間性について、それぞれどのような特徴がありましたか。

【5】歴史上のリーダーの中で、「あの人のプロジェクトなら参加してみたい」と思う人を思い浮かべて下さい。なぜ、そのように思うのか、リーダーの思考の特性、行動の特性、人間性について考えてみて下さい。

【6】「プロジェクトがうまくいった」という状態に持っていくための、プロジェクトマネジャーとしての持論を書いてみて下さい。【1】から【5】までの思考に基づいて記述していきます。

【7】書き上げた持論を読み直し、プロジェクトマネジメントの理論や概念、達人の持論など、だれかの影響を受けていた場合、持論ごとにその旨を書き留めておきましょう。

 このように具体的な体験をまず抽出し(【1】)、その中からキーワードを探し出し(【2】)、キーワードを使って持論を組み立てていく(【3】)。【4】と【5】は個別体験を概念化しやすくするために、外部の概念を参照する狙いである。こうすることにより、経験、すなわち概念的なレベルの持論を作っていける。

 今回の参加者には、ワークショップを通じて、7つのステップを踏んでもらった。にもかかわらず、体験に沿った持論が多く、経験に基づく持論になっていないものが多数あった。これは最初の方のステップ(【1】【2】)で中途半端に具体的な名称を消したり、実際に起こったことや感じたことを端折ったりして、それをそのまま持論にしてしまったからだろう。

概念化を進め、抽象度を上げて「持論」を目指せ

 「A社の課長は要求を後から出してくるので、それに備えてプロジェクトのスケジュールをしっかり合意した上で要求を決めていく」

 こういう成功体験を持つ人が、固有性を取り去り、「顧客は要求を後から出してくるので、それに備えてプロジェクトのスケジュールをしっかり合意した上で要求を決めていく」として、それを持論にしてしまう。

 概念化には違いないが、厳しく言えば、中途半端な一般化になってしまっている。前述した通り、顧客の要求にどう対応していくかという問題は要求の後出しにとどまらない。もう少し概念化を進め、抽象度を上げないと使える持論とはいえない。

 今回の活動はまず持論を作ってみること、その過程を通じてプロジェクトマネジメントの仲間と交流することを重視しており、持論の書き方のレビューにまでは踏み込まなかった。持論は1回書いて終わりというものではないから、引き続き見直し、その際に概念化や経験ということを考えていただければと思う。

 ここまでの説明において話を分かりやすくするため、かなり単純な例を使っている。このため「概念化などと難しいことを言わなくても、そのくらい考えるでしょう」と思った読者の方がおられるかもしれない。

 確かに現実のプロジェクトや仕事ははるかに複雑な要因が絡んでいる。だからこそ、問題をいったん概念化してから、具体策を検討することが欠かせない。複雑な問題に個別対応していくと、いわゆるもぐら叩きの状態になり、疲れるし効果も出ないという状況に陥ってしまう。

 それを避けるには、概念化のスキルを身に付け、体験から経験を導く、現場の諸問題に通底するさらに大きな問題を見抜く、といった取り組みが必要である。

◇  ◇  ◇

 本連載で報告させていただいた持論作成の活動から学んだことを生かし、今年度は「体験を概念化した経験に基づく持論」を作成するために『リーダーシップ持論作成ワークショップ』を実施していく。リーダーシップの持論を作ることにより、持論を持つ効用を得ると同時に、概念化スキルを高める狙いである。

 概念化スキルはトレーニングで身に付けられる。その方法を体験いただく『コンセプチュアルスキルトレーニング〜企画力・構想力・洞察力は訓練できる』も開催する。どちらについても興味のある方がおられたら参加いただければ幸いである。


あなたがプロなら 持論を作れ、持論を磨け

だれもが仕事に関する「持論」を持っています。「営業とはこうだ」「新商品開発で重要なことは二つ」といったようにです。あなたの持論を文章で表現し、仕事の折々に見直してみましょう。そのつど発見があり、あなたの力を高めていくことができます。この連載では、持論の作り方、磨いていく際のコツ、持論の実例、をお伝えしていきます。読みながらぜひ、ご自分の持論を書き、磨いてみて下さい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130423/247127/?ST=print


【第6回】 2013年4月30日 潮凪 洋介
新入社員、若手社員必読!
「こんな会社辞めてやる」と思ったら?
仕事で結果を出せないとき、大きな失敗をしたとき、同僚・後輩に追い抜かれたとき、誰しも一度は「会社を辞めたい」と思ったことがあるはずだ。本日はそんなときの対処法をご紹介したい。特に、この4月から社会人になった人に読んでもらいたい。

「会社を辞めたい」。
そんな気持ちが出てきたら?

?会社ではいつもイライラ。納得いかないことだらけ。後輩にも追い抜かれ、肩身も狭い。自尊心も傷つき、心なしか声も小さくなる。「会社を辞めたい……」、そんな心の声も聞こえてきそうだ。

?しかし、それは未来に向かうすばらしい資源でもある。あなたがじきに飛び立つためのジェット燃料だ。世界最大のSNS、フェイスブックの創業者であるマーク・ザッカーバーグを描いた映画、『ソーシャル・ネットワーク』を知っているだろうか。

?この映画はマーク・ザッカーバーグの伝記なのだが、「個人的劣等感」が、フェイスブック創業の原動力として描かれている。

?恋愛への劣等感、エリート集団への劣等感。この2つだ。いわば、ネガティブエネルギーを爆発させ、世紀の発明を行ったのだ。

?自信を失い、鬱憤がたまる日々を抜け出すためには、ポイントが2つある。

みじめさ、挫折感、不安感こそ、
大切に

?1つは「あんな会社もう辞めてやる!?限界だ!」といった心の声を大切にすること。

?もう1つは「現状維持をしない」ということ。「もうこれでいいか」という妥協、諦めの声に耳を貸さないことも大事だ。身を痛めて得た貴重なエネルギーなのだから、友好的に活用したい。

?渾身の努力をしても的外れが多く、みじめさ、挫折感、不安感が四六時中胸に渦巻く。そんなビジネスタイムを過ごす人は少なくない。20代のころの私もそうだった。

?私の挫折は就職活動の失敗に始まった。個性を前面に出した活動の結果、希望したほとんどの会社から採用されなかった。

「あれだけがんばってきたことが就職活動にはまったく役立たなかった」

?それを思い知ったとき、社会から「不要」のレッテルを貼られたような気分になり、敗北感が脳裏にこびりついて離れなかった。かろうじて就職した会社ではさらなる屈辱が待っていた。

「希望した職種ではない分野で叱られる」という屈辱だ。甘い考えだとは思うが、「やりたくない仕事」で評価されることは本当に苦痛だった。

負の感情を、
未来に飛び立つエネルギーに!

「いつか見てろよ」。会社で過ごす時間、いつもこの感情を胸に抱いていたような気がする。

?転職を何回かしたが、どの会社に行っても「自分を出し切った感」「成長している感」を持つことができなかった。そんな状態だから、上司、先輩からも「使えない」と何度も頭ごなしにいわれた。「粗大ごみ君」といわれたこともある。それでも表面上は笑っていた。完全なつくり笑いで。

?しかし、それは仮の顔だった。私は会社員でいながら、仲間と事務所を借り、そこを拠点にさまざまなビジネスや勉強会、イベントを組織的に行い始めた。

?もともとは「自分が心の底からしたいと思えること」をやるために始めたのだ。思えばそこで行った通称「本当にやりたいことを語る会」が今の仕事につながる突破口となっている。いつか飛び立つための「秘密基地」を心の中につくり、その中にエネルギーを充填させよう。

?挫折感、屈辱、怒り、不安。すべての負の感情を未来に飛び立つエネルギーに変えてしっかりため込もう。職場でのみじめさ、悔しさこそ大切にしてほしい。

(次回連載は、5月2日の予定です)

第41回ダイヤモンド著者セミナー
『折れない自信をつくる48の習慣』
著者・潮凪洋介氏による無料ワークショップを開催!
http://diamond.jp/articles/print/35327


【第3回】 2013年4月30日 山元賢治
伝説の元アップル・ジャパン社長が教える
「これからの世界」での働き方 2
“「新しい課題」を自らつくり出せることが才能である”
iPodからiPhoneまで、アップル復活の舞台裏を知る「唯一の日本人経営者」が、アップル退社後に初めて語る「これからの世界」での働き方。人と企業を成長させるのは「前向きな不満」である。では、止まらず新たな課題を生み出し続けるために必要なこととは何か?

「新しい課題」を自らつくり出せることが才能である

?アップル時代、しばしば知らない外国人から突然電話がかかってきました。

「こういう部品を見つけたのだが、何とか手に入らないか?」
「この会社と交渉したいのだが、何とかしてくれ」

?いきなり見知らぬ人からの電話なので面食らいます。「お前、誰なんだ!?」と何度となく聞いたものです。彼らは「日本で困ったらケンジに頼めと聞いている」と、国際スパイのように詳しいことは教えてくれず、そう答えるばかりです。

?彼らは世界中を飛び回って、アップルの課題、例えば「MacBook Air」の薄さを実現する部品を探し出す要員なのです。日本においても地方までくまなく調べ、最適な部品を最適な価格で購入できるメーカーをいつも探しています。

?例えば、iPhone の裏のシルバー素材。これは鏡面仕上げのデザインにこだわって、刃物などの産地である新潟県の燕三条で作っています。MacBook Air は厚さ約17ミリという薄さを実現したノートPCですが、この薄さを生み出すまでに、血のにじむほどの企業努力がありました。

?2010年の発売後、数年がたちますが、いまだにこの薄さを超えるウルトラブックが生まれていないことからも、いかにアップルが執拗に薄さを追求していたかがわかるはずです。もちろん、MacBook Air は薄さだけにこだわっているわけではありません。ユーザーがもっと手軽に持ち運べる理想のデバイスとは何か、という問いは、現状に対する不満への答えの一つであって、いまだ完成しておらず、今なお完成型を追い求めています。

?新しい商品やサービスが生まれる起点は、既存にあるモノ・コトに対する不満。その不満をしっかり見出し、ビジネスの「新しい課題」としてとらえられるかどうかです。今から30年以上前のこと。意気揚々と臨んだ日本IBMの入社式で聞いた言葉を、私は今でも座右の銘にしています。

「Glorious Discontent」(栄光ある不満)

?つまり、上司や先輩が教えることはそれが正しいとは限らない。現状で満足せずに、もっといいやり方があるのでは、もっと楽しいやり方がきっと見つかるはずと、「前向きな不満」を抱けという、当時の社長の訓示でした。

?日本の教育は、学校の先生の言うことが「正解」と教えます。生徒は先生に口答えすることができず、「言われたことをきちんとやれ」と言われ続けてきました。その点、アメリカでは先生はファシリテーターに近い。確かに、知識や経験は生徒より持っていますが、生徒からひょっとするといいアイデアが生まれるかもしれないというスタンスです。だから、クリエイティブなことや人と違うことを高く評価します。

?アップルのスティーブも、オラクルのラリーも、現状に満足しないことから新たなビジネスを創造してきました。ラリーはIBMが作ったデータベースが、検索するのに相当時間がかかることに不満を持ち、構築を簡単にすれば検索が速くなり、地球上のすべてのデータが管理できるはずだとして新たなデータベース・ソフトウェアを開発したのです。

?ビジネスには終わりというものがありません。「ここまでやれば十分だ」というのは、永遠に訪れることはないのです。私が携帯電話をはじめて購入したのは1995年ですが、まだ20年も経過していないのに、恐ろしいほどの進化を遂げています。

?しかし、今のスマートフォンに誰も満足はしていないでしょう。もっと通信速度が速くなるべきだ、画面がもう少し大きくなってほしい、使い方が難しい、まだまだ重い、バッテリーの消費が速すぎる……など、人間は常にディマンディング(多くを要求する)な生き物です。

?すべてのビジネスは最終的に人間を相手にしますが、人間を相手にしている限り、永遠に完結することはありません。薬なら苦くないもの、痛くないもの、副作用のないものへの欲求はまだまだ満たされていませんし、車なら燃費のいいもの、カッコいいもの、安全なものといったニーズを完璧に叶えてくれるものは登場していません。ビジネス活動はこうした人間の欲求への絶えまぬ挑戦の連続です。

?ただ、不満と思った課題の克服は、単にカイゼンを繰り返しているだけでは無意味です。カイゼンの端的な例が、日本のガラパゴスケータイです。これによって、単純に速度やハードウェアのスペックの進歩だけにとどまるようなビジネスモデルでは破綻することを多くの人が学んだと思います。

?日本の場合は、キャリア会社が儲けのためにどんどん制限をつけたことも大きな衰退の原因ではありますが、いずれにしろ、そのビジネスをつくり出した張本人が、新しい課題を自らにどんどん課して、単なる小手先のカイゼンに留まらない、新たなモノやサービスの創造まで達しないと、どんなビジネスもやがて衰退を迎えるのです。

「不満なら、顧客に尋ねるのが一番の近道」という意見もあるでしょう。ここで間違いやすいのが、顧客ニーズを集めるという発想です。実は、それだけだとカイゼンだけで終わって、違う方向にいってしまうケースが多々あります。顧客ニーズは時に顕在化していないこともあるので、課題の創出はお客様の声を聞くだけでは不十分なのです。

?製品の価値のさらなる高見への挑戦と同時に、既存のルール自体を変えたり、勝ち馬を乗り換える勇気が必要になってきます。カイゼンの流れとは違う課題を新たにつくり出す能力が求められるのです。iPod の大成功で満足していたり、製品のカイゼンだけで終わっていたら、今日のアップルの隆盛はなかったでしょう。

?当時、社内で語られたのが、ハードウェアボタンによって限界を迎えていたパソコン市場を「アップルがホワイトナイトになって救える」という気づきであり、新たな課題でした。ボタンをソフトウェアで実現し、アプリケーションやゲームの開発会社に無限大の発想の自由度を与えることができれば、それが消費者のメリットにつながると考えたのです。そうしてコードをオープンソース化することで、アップルという会社を新しいステージへと押し上げることができました。

?iPad の販売というのは、一見、タブレットという新しいデバイスによって、従来のパソコンの価値を下げることにもつながるように思えます。しかし、ウィンドウズとの歴史的なパソコン戦争を新たな展開に変換させるため、アップルはOSやオフィスソフトで対抗するのではなく、パソコンそのものの価値に対して新しい挑戦を行いました。

?そのことによって、iPad やiPhone をPOS端末として活用するような動きが一気に加速していますが、「POS端末として活用」という発想は顧客の声を聞くだけでは辿り着けませんでした。

?作り手が目指す方向やビジョンを明確にして、そこに向かって動いた結果の「イノベーション」です。顧客ニーズを集めただけの従来のカイゼンからはきっと生まれなかったでしょう。

?時には自らのつくってきた道を壊し、常に今の成果を疑い、ユーザーにとってもっと心地いい状態へ、新たな課題を絶えずつくり出していく姿勢が「これからの世界」では企業も人も求められるのです。

?止まることなく、次々と自らに課題を課していく企業のみが勝ち続けられるということを、私はアップルの社内にいて肌で勉強させてもらいました。満足して変化を止めたら、そこで成長は終わります。自分たちがつくった成功パターンを、自分たちでもっと高めていく不断の努力が必要なのです。(第4回に続く)

次回は5月1日更新予定です。

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山元賢治(やまもと・けんじ)
1959年生まれ。神戸大学卒業後、日本IBMに入社。日本オラクル、ケイデンスを経て、EMCジャパン副社長。2002年、日本オラクルへ復帰。専務として営業・マーケティング・開発にわたる総勢1600人の責任者となり、BtoBの世界の巨人、ラリー・エリソンと仕事をする。2004年にスティーブ・ジョブズと出会い、アップル・ジャパンの代表取締役社長に就任。iPodビジネスの立ち上げからiPhoneを市場に送り出すまで関わり、アップルの復活に貢献。
現在(株)コミュニカ代表取締役、(株)ヴェロチタの取締役会長を兼任。また、(株)Plan・Do・See、(株)エスキュービズム、(株)リザーブリンク、(株)Gengo、(株)F.A.N、(株)マジックハット、グローバル・ブレイン(株)の顧問を務める。その他、私塾「山元塾」を開き、21世紀の坂本龍馬を生み出すべく、多くの若者へのアドバイスと講演活動を行っている。
著書に『ハイタッチ』『外資で結果を出せる人 出せない人』(共に日本経済新聞出版社)、共著に『世界でたたかう英語』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。
http://diamond.jp/articles/print/35021


【第123回】 2013年4月30日 小川 たまか [編集・ライター/プレスラボ取締役]
習いごと、1年以内で辞める人は63%
続く人と続かない人の違いは?
?プライベートの充実やキャリアアップのために、習いごとを始める人は少なくない。しかし、約60%の人は1年以内に習い事を辞めてしまっているという。教室を運営する側からすると、特に気になるこの問題。なぜ多くの人が続けずに辞めてしまうのだろうか。

?アンケートを行ったのは音楽教室「EYS音楽教室」を運営するESY-STYLE。調査対象は、習いごとへ通った経験のある20〜59代の男女1000人。調査方法はインターネット。

辞める理由、
半数が「飽きてしまった」

「習いごとはどのぐらいの期間続けましたか?」という問いに対し、1年未満と答えた人は全体の63%。継続度には男女差が若干あり、1ヵ月程度で辞めた人は男性が10.5%だったのに対し、女性は5.4%、3〜6ヵ月程度で辞めた人は男性が32.3%、女性が25.8%、1年程度と答えた人は、男性が25.3%、女性が27.4%だった。女性より男性の方が、「見切る」のが早い傾向があるのかもしれない。

?習いごとを辞めた理由で最も多かったのは、「飽きてしまい、通うほどのモチベーションがなくなった」(男性49.2%、女性42.4%)。「仕事が忙しく、続けることが困難となった」(男性32.4%、女性34.1%)、「金銭的に苦しくなった」(男性12.8%、女性22.0%)よりも多い結果となった。

?半数程度の人が感じてしまう「飽き」「モチベーションの低下」の問題。それでは、どのような環境であれば、飽きずに続けられるのだろう。調査では、習いごとを続けられる理由については、「先生・講師との相性が合っている」(男性54.1%、女性51.9%)が最も多かったが、「レッスンの予約と取りやすく、自分のスケジュールに合わせやすい」(男性31.1%、女性38.9%)、「通う場所が都心からのアクセスに優れていること」(男性29.5%、女性24.1%)など、実務的な問題も挙がった。忙しい合間を縫って通う習いごと。通いやすさはモチベーションに直結するようだ。

「楽しい」だけでは続かない?
続く人と続かない人の違い

?実際に社会人になってから習いごとを始め、1年以上続いている人とそうでない人に話を聞いてみた。特徴的な回答は以下の通り。

■1年以上続いている人

「社交ダンスを始めてスタイルがよくなった友人を見て始めた。仲間がたくさんできて楽しく、恋人もそこでできたこともあって続いている」(29歳女性)

「仕事で英会話能力の向上が必須なので…」(30歳男性)

「ホットヨガ。家の近くで通いやすく、いい運動になるので続いている」(28歳女性)

■1年以上続かなかった人

「着付けに通ったが、個人指導が少なく全く上達しなかった。結局着られるようにならなかったが、3ヵ月の初級コースだけで辞めてしまった」(30歳女性)

「英会話。金額的に週に1回しか通えず、あまり効果が出なかった。本当に身につけたいなら、スクールに通う以外にも自分で外国人の友だちをつくるなどしなければ無理だと思った」(34歳女性)

「料理を習っていたが、割と上達したかなと思ったのと、生徒同士の交流に馴染めなかったことで『もういいかな』と思った」(29歳女性)

?女性に多いことかもしれないが、一緒に習いごとを楽しめる友人の存在はモチベーションを保つ上で重要な様子。また、ただ「楽しいから」という理由で続けられる人は意外に少なく、仕事での必要や、資格試験などの目標、通いやすい環境など、いくつかの理由があって続けている人が多そうだ。

?趣味であればなるべく気軽に始めたいものだが、長く続けたい習いごとを始める前には、自分はどんな条件の下でモチベーションを保てるのかについても考える必要があるだろう。

(プレスラボ?小川たまか)
http://diamond.jp/articles/print/35286


「迷信的学習」の落とし穴
2013年04月30日
リタ・ギュンター・マグレイス  コロンビア大学ビジネススクール教授

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成功要因を誤って特定してしまうことは、事業、人事考課、キャリア形成などに広く見られる落とし穴である。相関性はあるが因果関係はない要因に、目を奪われないよう注意すべきであるとマグレイスは述べる。


?我々専門家は事業を調査する際、相関関係が認められる証拠を頼りに、何が有効で何がそうでないかという理論を打ち立てる。それらの証拠はしかし、因果関係を示すものではない。ある1つの結果(たとえば好業績)に着目し、その原因を誤って特定してしまうのだ。私の同僚フィル・ローゼンツバイクが「ハロー効果」に関する研究で指摘している通り、これは我々が犯す過ちのなかでも重大なものである(ハロー効果とは、目立ちやすい結果がもたらす強い印象に引きずられ、その他の要因を正確に判断できなくなること)。

?企業でもこれと似たような現象があり、私は「迷信的学習」と呼んでいる。ある行動の原因と結果の関係が明らかではない時、あるいは関係を誤って判断する時に、この迷信的学習が起きる。たとえば、成長市場に期せずして絶好のタイミングで参入できてしまった企業のマネジャーについて考えてみよう。このマネジャーは功労者と目され、度重なる昇進という見返りを受けて上級幹部の地位に就いた。常に成功を体験してきた彼は当然、それに見合った実力を備えているはずであろう――ところが、事実はそうではない。現代のビジネスで最も不公正な現実のひとつ、それは特に優れたスキルがなくても良い結果を手にできるということだ(漫画「ディルバート」が大人気の理由もこれに他ならない)。多くの場合、過大評価にとらわれている皆の目を覚ます唯一の気付け薬は、失敗や挫折が起こることである。このマネジャーをトラブルの対処に当たらせてみれば、彼の本当の能力が試され、明らかとなるはずだ。

?たとえば、ある大手小売り企業が長期にわたって音楽CD事業で着実に収益を伸ばし、自社の成功を誇りとしていた。他社からシェアを奪い、多くのポピュラー音楽ファンを集める人気スポットになった。この例では、何が問題となるのだろうか。問題は、音楽業界全体の売上に対するCD売上の変化に、この会社の誰も注目していなかったという点である。デジタル・ダウンロードが爆発的に普及する一方、音楽業界全体の収益は減少傾向にあった。実際に起こっていたのは、CD売上による成功ではなく、深刻な低迷にあえぐ業界内でのシェア拡大にすぎなかったのだ。フォレスター・リサーチは、音楽業界全体(CD以外の分野も含む)が今後も緩やかな衰退を続けると予測している。マネジャーたちは業界全体を見渡して初めて、自分たちの成功が実際には行き詰まりであったことを理解した。

?この原則は、キャリア形成においても当てはまる。失敗を経験したことがない人は、気をつけるべきである。予期せぬことが起きた時に、対処できない可能性が高いからだ。

?成功の正しい原因を探る方法として望ましいのは、「事実を矛盾なく説明しうる理論」を組み立てておき、結果が判明する前に、現実と照らし合わせながらその理論を検証することである。次に、可能であれば、異なるさまざまな状況でその理論を検証し(学術用語で境界条件という)、すべての状況に当てはまるかどうかを確認する。再現可能な結果をもたらすプラクティスであれば、信用に値すると考えてもいいだろう。


HBR.net原文:On the Pitfalls of Superstitious Learning July 19, 2011
http://www.dhbr.net/articles/-/1766


【第40回】 2013年4月30日 江上 剛 [作家]
其の40「論語」を読む。「死」とはなにか?
親しい人の死に臨んで
?親しい人が亡くなった。71歳だった。本人は、ガンモドキと言っていたが、肝臓癌だったのだろう。

?手術もせず、抗がん剤も飲まず、癌で死ぬのが一番いいとうそぶきながら、悠々と逝ってしまった。

?私が、銀行で大きなトラブルに巻き込まれた時も、退職した時も、作家になって順調な時も、逆境の時も、いつも変わらず励まし、支えてくれた。

?定期的に食事をし、銀座で飲ませてもらい、いろいろな話を聞かせてもらった。

?亡くなる2週間前にも一緒に食事をした。痩せて腹水が溜まり、苦しそうだったが、ほんの少しビールを飲み、肴を口にすると、目が輝き、話に熱が入った。6月にまた会おうと日程を決めたが、もたないだろうなという予感があった。タクシー乗り場まで歩こうとされたので、心配になって見送った。タクシーに乗りこまれ、軽く右手をあげられた。それが最後だった。

?告別式に参列し、笑顔の写真を見たら、号泣してしまった。せめてもう何年か生きてほしかった。本当にありがとうございました。

今を大切に生きる

?人は死ぬ。死ぬとは別れだ。もうこの世では二度と会えない。残された者は、どうすればいいのか。

?論語の中で「死」について述べているのは、次の章句だ。

?季路鬼神に事(つか)ふることを問ふ。子曰はく、「未だ人に事ふること能(あた)はず。焉(いづ)んぞ能く鬼に事へん。」敢へて死を問ふ。曰はく、「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」(先進第十一)

?子路が、鬼神にはどのように仕えたらいいのかと孔子に聞いた。鬼神とは、人が死んでなる神のこと。それに対して孔子は、生きている人間に対してさえ、十分に仕えることができないのにどうして鬼神に仕えることができるか、と答えた。すると子路は、敢えて死とはなんでしょうか、と質問する。すると孔子は、生についてすら十分に分かっていないのに、どうして死のことが分かるだろうか、と答えたのだ。

?孔子は子路に何を教えたかったのだろうか?

「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」

?孔子は、この言葉で一生懸命に、今を生きることが大事であって死のことなんか考える暇はないということを言いたいのだろう。

?人は、鬼神や死など、目に見えないものを畏れ、それに悩み、中にはそれに取り憑かれるようにして自殺を選んでしまう人もいる。孔子は、そんな死に囚われるようなことをしてはいけないと強く言っている。そんなものに悩まされずにとにかく今を大切に生きることだと言うのだ。

理屈抜きに嘆き悲しむ

?孔子も人の死については、身も世もなく取りみだし、号泣する。

?顔淵死す。子曰はく、噫、天予(われ)を喪(ほろ)ぼす。天予を喪ぼす。(先進第十一)

?顔淵が死んだ。孔子は最も期待した弟子だった顔淵が死んだことで前途に絶望し、天が自分を滅ぼしたのだ、天が自分を滅ぼしたのだと嘆いた。

?天は、天命といい、孔子が信じている万物の神とでもいうべき存在である。それによって生かされていると考えていた孔子が、天が自分を滅ぼそうとするというのは、相当に絶望が深い現れだ。

?さらに、

?顔淵死す。子之を哭(こく)して慟(どう)す。従者曰はく、「子慟せり。」曰はく、「慟することあるか。かの人の為に慟するに非ずして誰がためにせん。」(先進第十一)

?顔淵が死んだ。孔子が慟哭した。弟子が、お嘆きが過ぎませんか、と言った。孔子は、それに対して、悲哀が過ぎることはない。本当に惜しい人材だった。顔淵のために嘆かないでいったい誰のために嘆いたらいいのか、と答えたのだ。

?孔子のように道を究めようとする聖人であっても人の死は悲しい。別れは辛い。そんな時は理屈抜きに嘆き悲しめばいい。そう思うと、普通の人である私たちは、なんとも楽な気持ちになる。

新しい生を始める

?愛する人が死んだら、本気で悲しめばいいのだ。無理して悲しみを堪えることはない。そして生き残った者は、しっかりと死者の分まで生きることだ。孔子は、顔淵が亡くなったとき、天が自分を滅ぼしたとまで嘆いたが、だからといって道を究めることを忘れたわけではない。孔子は、その後も悲しみを乗り越えて道を求め続けた。それは本気で顔淵の死を嘆いたからだろう。

?孔子は、亡くなった顔淵を偲んで、

?子曰はく、賢なるかな回(顔淵のこと)や。一箪の食、一瓢(いっぴょう)の飲、陋巷(ろうこう)に在り。人は其の憂ひに堪へず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や。(雍也第六)

?と言った。

?顔淵は、実に賢い人間だ。彼は竹器一杯の飯を食べ、瓢に一杯だけ飲むだけだ。住むのは、狭い小屋のような家である。こんな生活は、普通の人には耐えられないだろう。顔淵は、そんな生活でも心は平安で、安定していた。到底、他人の及ぶことではない。誠に顔淵は賢い人間だ。こんな意味だ。

?これは顔淵が亡くなった後の孔子の思いを述べたものといわれているが、彼の生き方である「一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。」という姿を絶賛し、それを生きている人に示すことで、今を生きることの意味を考えさせようとしているのだろう。

?それは死者が生者を生かすということなのだろう。私たちは、多くの人と死によって分かたれてしまう。しかし、それは終わりではない。むしろ始まりなのだ。生きている私たちが、死者の生き方を問い直すことで、自分の生き方を見直すことに繋がればいい。そして新しい生を始めるのだ。

?顔淵の死を本気で嘆いた孔子ならばこそ、辿りついた死が生を生かす道だ。この意味を私たちも考えていきたい。
http://diamond.jp/articles/print/35289


テレビはいま「重すぎる荷物」を降ろしつつあるのだ

電通CDC 林信貴氏 第1回

2013年4月30日(火)  清野 由美

 ネット時代の今、個人の人格で企業全体を体現する、ジョブズのようなカリスマ経営者なき日本企業にとって、顧客とのコミュニケーションは極めて難しい問題です。今、そこにどんな手法があるのか、何に悩んでいるのか、顧客と日本のトップ企業の間を一貫して取り持ってきた電通、そのトップクリエイターの本音を聞き出すシリーズ連載です。
 前回の樋口景一さんのインタビューでは、ストラテジーベースのクリエーターの視点から、今とこれからの「コミュニケーションデザイン」を読み解いていただきました。今回から前後編でお届けする林信貴さんは、同じストラテジー・チームでも、市場分析からのアプローチ。電通内での呼称は、その名も「ミスター・プランニング」。このポジションから見た、いまのコミュニケーションの課題とは?

林信貴(はやし・のぶたか)
電通コミュニケーション・デザイン・センター・シニア・プランニング・ディレクター
1963年生まれ。88年東京大学文学部卒業、同年、電通に入社。マーケティング局、第2マーケティング・プロモーション局、7年間のクリエーティブセクションの兼務やクリエーティブ・プランニング・センターを経て2010年より現職。広告キャンペーンの戦略から表現企画立案、企業ブランディングからメディアコンテンツ開発、商品開発や事業開発など、戦略、企画、実施まで、川上から川下まで幅広くクライアントへのソリューションを提供。最近の主な仕事に、「スカパー!リブランディングキャンペーン」「AXA生命保険キャンペーン」「gift新創刊DRESS」「中国Acura」など。(写真:的野 弘路 以下同様)
今回からは、CDCの「シニア・プランニング・ディレクター」の林信貴さんにお話をうかがっていきます。「コミュニケーションデザイン」は、言葉自体もそうですし、概念自体も、まだとても新しいものです。最初にCDCの中での林さんの役割をうかがえればと思います。

林:実は、CDCという組織の中での役割を、明確に言われたことがないんです(笑)。

そうなんですか。

林:それは組織が無責任ということではなくて、あまりにも対象となる領域が広すぎて、会社側もちゃんと定義しづらいということが一つあります。

 それともう一つ、これから先、ビジネス社会に何が起こるかわからない環境で、自分の職種や仕事の領域をあえて定義しないようにしている、と。

その二つですか。


林:自分の仕事を説明する唯一の手掛かりは、たぶん「プランニング」という言葉だと思います。その「プランニング」と言われるもののすべてに取り組む、ということが大前提ですね。

その前提には、この10年ぐらいの広告業界の変化がある、ということを、これまで、他のメンバーの方へのインタビューでも、うかがってきました。

「新しい概念」を、さらに「掛け算」

林:10年前までは、我々の業界で「コミュニケーション」という言葉は、「広告」あるいはその中での「キャンペーン」や「PR」などの場面で使われていたのですが、今はそう単純ではなくて、たとえばクライアントの社員同士のコミュニケーション、そのクライアント企業と流通の間に生じるコミュニケーション、もしくは、お客さまとのコミュニケーションと、対象が幅広いんですね。

 要するに、人間同士の意思疎通、ないしはお客さまやターゲットに、こういうふうに動いてほしいと意図する場面など、とにかくすべてが「コミュニケーション」ということになってきているんです。

「デザイン」という言葉も、単なるレイアウトを超えた概念を指すようになっていますよね。

林:グラフィックや映像として目に見える「デザイン」だけではなく、その裏側にある「アーキテクチャー(構築、構成)」であったり、あるいは時間軸に沿った「設計」であったり、というようになっていますよね。ですから、CDCが対象とする「コミュニケーションデザイン」とは、新たな概念の掛け算であると考えていただくのが、一番いいのかもしれません。

(次ページに続く)

電通CDCとは?
高度化する企業の抱える課題を複合的に解決するため、様々なセクションから実績のあるスペシャリストを集め、2009年に電通内に設けられた。構成は、テレビなどマスメディア・ベースのクリエーティブチーム、デジタル・ベースのクリエーティブ・チーム、ストラテジー・ベースのクリエーティブチーム。それぞれの専門性によって分かれているが、プロジェクトごとに横断的にチームを組む。今回のインタビュー・シリーズでは「マスメディア・クリエーティブチーム」から古川裕也氏、澤本嘉光氏、高崎卓馬氏、「デジタル・クリエーティブチーム」から佐々木康晴氏、岸勇希氏、「ストラテジー・クリエーティブチーム」から林信貴氏、樋口景一氏に話を聞く。
すごく膨大な領域になりますね。ここで、林さんのご経歴をうかがってもよろしいですか。ご入社は何年でしょうか。

林:昭和63年、1988年の入社ですね。ですから、今、25年目になります。

広告業界は志して入られたんですか。

林:僕は、根っこにはちょっと、映画会社とかに行きたいな、という気持ちがあったんですが、邦画が氷河期の時代だったので。

そのほかはバブルで超景気がいい時代でしたが。

林:もちろん広告にも興味があったということで、幸いにも拾っていただきました。

大学でのご専攻は何だったんですか。

林:僕は文学部です。大学の4年になってから就職活動を始めたんです。広告には興味はありましたが、広告がどんなメカニズムで世に出てきているか、なんてことは、まったく興味もなくずっと過ごしていて。

「テレビ広告」がデフォルトだったよき時代

このシリーズで、CDCのコアメンバーの方にお話をうかがうと、電通なんて知りませんでした、という話がけっこうな頻度で出てきて、びっくりしています。林さんの最初のご配属はどちらだったんですか。

林:当時のマーケティング局です。

電通に限らず、当時の広告会社のビジネスは、とにかく大きな広告をテレビでバーンと打つ、というイメージが一般的でした。そのときのマーケティングの意味合いは、どのようなものだったのでしょうか。

林:特徴的だったのは、クライアントから話をいただいた時点で、すでに「テレビ広告をします」「新聞広告をします」ということが決まっていた、ということです。その前提で、「マーケティング的な見地から、どんなテレビ広告を作ればいいでしょうか」というクライアントの問い掛けに答えていく。そういう仕事でした。

今から振り返ると、極めてシンプルな。

林:いい時代でした(笑)。

その当時の印象的なお仕事はありますか。

林:いろいろありますが、たとえば1994年、ホンダ初のワンボックスカー、「オデッセイ」が登場したときの仕事は印象に残っていますね。ご存知ですか? 「アダムス・ファミリー」を使ったテレビCMを流したのですが。

今、頭の中で音楽が鳴りました。ジャジャジャジャン♪ のCMですね。

林:覚えていてくださって、うれしいです(笑)。もちろんマーケティングとは別に、クリエーティブのスタッフはいたのですが、ホンダさんと広告の中身をどうしていくかについて、いろいろ話をさせていただきながら、5年ほど継続して担当した仕事でしたので、その後もずっと自分の記憶に残っていますね。

オデッセイは、「スポーティー」や「独身」のイメージを売りにしていたホンダが、新しいマーケットの開拓に乗り出したときの車でしたよね。


林:おっしゃる通りです。つまり、家族を持つお父さんやお母さんに、オデッセイという車を魅力的に思ってもらい、かつ販売店やディーラーに足を運ぶ気になっていただくために、CM表現はどうあるべきか。そのことについて、クリエーティブとは別の観点から、毎回、分析しました。

 クライアントと長いお付き合いができた仕事でしたので、媒体はテレビだけではなく、こういう状況下においては新聞や雑誌を使った方がいいんじゃないかとか、そういうことも提案しましたね。とはいっても、当時のことですので、まずテレビをやりますという、そういう大きな前提の中での取り組みだったのですが。

マーケとコミュニケーション、似て非なるもの

80年代は感性的、感覚的なクリエーティブが華々しい時代でしたが、90年代は、マーケティングという分析的な、テクノロジー的なものが、広告界で頭角を現したという印象があります。

林:僕の記憶だと、90年代に入る直前ぐらいにマーケティングをはじめ、「コンセプト」や「プレゼンテーション」といった言葉が、広告業界だけでなく、一般にも流行った記憶があるんですね。

慶應義塾大学の村田昭治教授の深夜番組とかありました。

林:そうでしたよね。ただ、今、思うと、広告とマーケティングというものは、関係はあるんですけどイコールではない、というか。もっと言うと、マーケティングとコミュニケーションって相性がよいように見えて、実は悪いと僕は思っていますので。

どういう部分で、でしょうか。

林:マーケティングとは、戦略でいうと兵力分析であったりとか、敵情の視察であったり、あるいは兵站確保であったり、と、そういうことです。それを分析した上で、陣形をどう取るか、襲撃するのは夜か昼か、といった攻略の作戦が来ます。コミュニケーションとは、その後者、作戦のほうです。両者には関係がありますが、まったくイコールではない。

「戦略」と「戦術」みたいな違いでしょうか。

林:そちらで言えば、どの武器を使おうか、といった「戦術」は、「戦略」の先にあります。広告に引き付けると、戦術として可能かどうかは、先にマーケティングとしての分析がないと、できないことなんです。その意味で、マーケティングとは、効率論に基づいて情報を絞り込んでいく作業です。

 ただし、実際に広告やキャンペーンを作っていくときというのは、もう少し全体の状況を見ながら、いろいろなことを考える必要が出てきます。僕自身の仕事でも、マーケティング的な仕事から、クリエーティブな仕事まで、振れ幅があるのですが、その二つをやってみると、やっぱり頭の使い方が全然違うなあ、と実感します。実際には奇襲なくして勝利なし、という、戦略の前に戦術ありきな場合もあるわけで、コミュニケーションにはそのような側面もあります。

その二者をいかに融合させるか、というのが、2000年代に入ってからの課題になった、ということでしょうか。

林:そうですね。80年代、90年代、2000年代と時代が変わるにつれて、広告の中の違う思考回路を融合させて、本当に効果のある広告活動やキャンペーンをやろう、ないしは、領域を超えてさまざまなことをビジネスにしていこう、というふうに広告会社でも考え方が変わり、結果、「コミュニケーションデザイン」という言葉が出てきたと僕は思っています。

その変化は段階を追って、みたいな感じですか。あるいは、あるときに、かなりドラスチックに変わったのでしょうか。

林:徐々にだと思います。それは、ご存じのように、成長華々しい時代の後に、バブルが崩壊して、「少し頭、使わないかんな」という90年代があって、その後、さらに状況が厳しくなって、広告業界、広告会社の存続自体を考えなければいけなくなった。その中で、広告会社もビジネスの領域をもっと広げていかないといけない、と、そういうふうに変化したんだと思います。

その時代の変化を端的にいうと、物が売れなくなった、売りにくくなったということでしょうか。それとも、広告戦略をより高度化しないと戦えなくなった、ということなのでしょうか。

林:業種や業界によっても違うと思いますが、その両方じゃないでしょうか。

テレビは「重荷」を降ろしつつある

そうでしょうね。

林:自分が物を買うときの判断基準を考えても、それがテレビ広告かというと、もう今はそういう時代ではなくなっています。実際、クライアントからご依頼を受けるときに、広告制作ではなく、ゼロベースからの商品開発という仕事もあります。

 ただ、だからといって短絡的に、テレビ広告の役割がなくなった、と言うことは間違いだとも思うんです。逆に言うと、昔のテレビ広告は、あまりにもいろいろな重荷を背負いながら世の中に出ていった、ということだと思うんですね。

テレビ広告一つで、すべてを賄っていた、と。

林:この商品をみんなが買うようにしてください、いいイメージにしてください、とすべてを背負わされて。ですから、今はテレビの力が絶対的に下がったのではなく、課せられていた役割が、他の方法論に分散した状況だと思うんです。現実に、大きな広告効果を上げているテレビCMの例も、なくなっているわけではありませんし。

これはやっぱりテレビ広告しか背負えない、という部分は、どういったところにありますか。

林:みんなが、かつてほどテレビを見なくなったということは事実だと思いますが、それでも、テレビ以上に情報を流布させる手段って、ないんです。

今現在はそうだと思います。

林:SNSでいろいろな情報が広がっていくときでも、テレビ情報があるものとないものとでは、広がりの度合いがだいぶ違います。「日本の一億数千万人に知らせたい」というときに、一番便利な、しかもコスト効率のいい方法は、テレビというメディアを使うことなんです。ただ、「だから買ってもらえます」という結論を、僕たちは持ってはいけない状況になっています。

大勢に知らせるまでは、テレビは相変わらず最強の手段であるけれども、その次に来るセールスプロモートの段階が、テレビだけでできるか、という課題が浮上した。そういう理解でいいですか。

林:その通りです。ただ、その状況は、僕がコミュニケーションデザイン云々を語る、というほどの話ではなく、広告業界にいる人間はみな、そう思って仕事をしています。しかし、そうなってくると、コミュニケーションをより立体的に、拡張的にとらえた上で、アイデアが求められていく、ということになるんです。

それをプランニングと言わず、デザイニングと呼ぶ、ということですか。

林:デザインという言葉の方が、仕事を表すメタファーとして、たぶん適切なんだと思いますね。ですから、「コミュニケーションプラン」ではなく、「コミュニケーションデザイン」になるわけです。

クライアントから、こんな質問、こんな相談が来ちゃうの!? と林さんが実感したタイミングはいつごろでしょうか。

林:うーん、いろいろあり過ぎて(笑)。具体的なお答えにはなっていないんですが、僕らが聞かれて一番困る質問は、「この商品を目標数売るには、広告やプロモーションでいくら使えばいいですか」というものなんです。非常に難しい話ですが、僕らはもちろん、それに応えていかなければなりません。それで、どれぐらいが最適投資かというのは、90年代の終わりから結構詰めるようになったんですね。

 一方で、クライアントからのご質問というよりも、僕ら自身が自主的にご提案をするようになったという、大きな変化もあります。つまり、「広告やコミュニケーションをすることによって、こういうチャンスが広がります」ということを、広告会社サイドが見つけながら提案していかなきゃいけなくなった、ということです。

その背後には、どういった変化があったのでしょうか。

この商品、企業が「存在すべき理由」を見つけ、伝える


林:もう単純に経済環境が変わって、クライアントとなる企業には、コストの削減であり、効率を最大に高めることが大きな課題になった、ということだと思います。ただし、コミュニケーションの力というのは、効率論だけでは、なかなか計れないものでもあるんです。もちろんそれは、その前に計る努力をした上で、という話ですが。

コミュニケーションの効果を、年度切りで測定することは無理ですよね。

林:単純に効率論だけを追い掛けると、どの広告も同じ効果しかない、という話に陥ってしまうのですが、僕らとしては、そういうロジックを超えたところに、コミュニケーションの可能性を提示していかなきゃいけないと思っているんです。

 商品であれ、サービスであれ、企業であれ、世の中にとって存在価値がない限り、物もサービスも売れない。その存在価値の見つけ方と見せ方の方法論が、コミュニケーションデザインなのだ、という気がしています。

 すなわち、便利ということだけで支持される場合も、もちろんあるでしょうけれども、それだけでは選択もされない、支持もされないという時代になってきた。そのときに、コミュニケーションデザインという新しい概念の中で、商品や企業の存在価値をどのように設計をしていくか。そういう方法を意識せざるを得ない時代になったということなんです。

(→続きます)


“ジョブズなき会社”のCD論

本やウェブを読んで、スティーブ・ジョブズのように魅力的なプレゼン、顧客への“布教”ができるなら誰も苦労はしない。集団戦、細やかな配慮、才能の摺り合わせで信じられない成果を挙げる、それが日本企業の戦い方だ。単独のヒーローに頼らない、しかしマスの冷たさには墜ちない顧客とのコミュニケーションデザインを、この分野で最先端を走るチームと共に考えていく。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130419/246960/?ST=print


【第6回】 2013年4月30日 開沼 博,和合亮一
心の記録を続けることで記憶をつくりたい
「結」のない福島のいまを伝え続ける
【詩人・和合亮一×社会学者・開沼博】
原発立地地域のフィールドワークで注目を集め、最新刊『漂白される社会』(ダイヤモンド社)では、売春島、ホームレスギャルといった「見て見ぬふり」をされる存在に迫り続ける社会学者・開沼博。そして、東日本大震災を機にそれまでの自分を捨て去り、「詩の礫」としてTwitterでありのままを紡ぎ始めた詩人・和合亮一。
3月11日の震災報道を見ても、ありもしないゴールを震災復興に見出だし、安心しようとする動きが少なくない。開沼・和合両氏は、なぜ安易な結論を求める流れに抗い続けるのか?対談最終回ではその真意が語られる。

心の記録を続けることで記憶をつくる

開沼?『詩の礫 起承転転』(徳間書店)を通読して、いろいろな思いが込められていることを感じましたが、なかでも「怒り」は印象に残りました。様々な形で表現される怒りがひとつの方向に向かっているようにも感じましたし、その怒りの正体が何かとは明言できるものではないのかもしれません。

?例えば、ベン・シャーンの話にしても、「事故を起こした人が悪いのか」「作品展示を企画した人間が悪いのか」「作品展示を受け入れるときに少しでもできたことがあったんじゃないか」といったように、様々な責任の所在があり得えます。明示はされていませんが、和合さんが怒りを伝えたいことはわかるというのが僕の感想です。

?本当は「これが悪い」と断言すべきなのか、ご自身のなかで曖昧だから書いていないのか。その迷いは最後に登場する「鬼」という表現に集約されているのかもしれません。怒りが中心にあるんだけど、その中心をあえて消しながら書かれている。もっと言うと、名指さないからこそ書けることを書いているのかなという印象を持ちました。いかがでしょうか?


和合亮一(わごう・りょういち)
1968年、福島市生まれ。現代詩人として活躍しつつ、国語教師として高校の教壇に立つ。第1詩集『After』で第4回中原中也賞受賞。第4詩集『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞受賞。2011年3月11日の東日本大震災以降、ツイッター上で詩を投稿し、『詩の礫』(徳間書店)、『詩ノ黙礼』(新潮社)、『詩の邂逅』(朝日新聞出版)を3冊同時刊行。これらの作品は「つぶてソング」「貝殻のうた」他、楽曲にもなる。最新作『詩の礫 起承転転』(徳間書店)を2013年3月に刊行。
オフィシャルウェブサイト:
http://wago2828.com/
Twitter:
@wago2828
和合?怒りをぶつけようがないんですよね。例えば、除染1つにしてもそうです。これも『起承転転』には書きましたけど、僕の家には、僕が小さいときから育てている柿の木とクルミの木がありましたけど、除染のときに全部切ることにしたんです。除染の作業はとても丹念に行いました。取り除いた土は庭の一角に埋めて、そこには棒を立てて近づかないようにしています。一事が万事ですが、その土すらどこかに持っていきようもないんですよ。

?持っていきどころのない感情というのは、これまで我々が経験してきた感情のどれにも属さないわけですよね。そういった属さない感情を記録したいと思います。たぶん、これが作家であれば、ベン・シャーンの件ついて細かく追求したり、除染にしても何にしても、もっと違うアプローチがあるのでしょう。詩人の僕は、心の記録を作っていきながら、記録を続けることで記憶をつくり出したい。『起承転転』もそういった想いで書きました。

?本来、1冊の書物には、問いがあって、入り口があって、1つの答えがあって、出口があるのかしれません。しかし、例えば復興にしても、福島の現状はすべてが起承転転です。そうした「出口のなさ」というものを心に記録したいなと思っています。

開沼?なるほど。おっしゃることを裏返してみれば、出口のない現実があるにもかかわらず、無理にでも出口があるような雰囲気がつくられようとしている側面もありますよね。例えばそれは、怒りの向けどころを何かに定めて過剰に吊るし上げようとしてしまうことかもしれないし、とりあえず復興予算を消化してしまうことかもしれません。震災から2年が経つなかで、現実が「起承転転」なのに「結」をでっち上げようとする力学はますます強まっているような気もします。

?例えば、今年の3月11日前後の報道を見ていても、とりあえず「復興が遅れている」「風化が進んでいる」と多くが口にしていました。そういった「懺悔姿勢」を押し出した問題設定のもとに議論が進み、被災地が切り取られている。僕はその問い自体が不思議でした。「復興が遅れている部分もあるし、進んでいる部分もある」「風化が進んでいる部分もあれば、遅れている部分もある」というのが現実です。そんなことは足を運べばわかります。その光と闇を丁寧になぞってこそ、復興を促し、風化を抑えることができるわけです。

?しかし、それを行わずに、とりあえず「懺悔姿勢」を全面に出す。「懺悔姿勢」は一見すると事態に真摯に向き合っているようだけど、実際は極めて安直な態度でしかない場合もあります。沈痛な表情を浮かべて「懺悔姿勢」を示していれば、誰からも責められず、その場をやり過ごすこともできるでしょう。

?それでは、「はい、これでセレモニー完了」とアリバイをつくり、安心することにしかならないのかもしれません。和合さんの言葉を借りれば、「結」を置いてしまうこと、ゴールを無理矢理に設定しようとする方向に向かう思考が強まっていると感じます。その意味では、「転転」としてあえて「結」を見ずに状況を捉えることを押し出す点には、非常に共感するものがあります。

小学4年生の作文から感じた衝撃

開沼?ただ、和合さんがどれだけ「転転」と言い続けても「結」を見てしまう人もいると思うんですよね。怒りの矛先を見つけたり、こうしたら解決できたんじゃないかと無茶な解決策を性急に出したり。

?もちろん、それが効果を生めばいいんですが、実際は憎悪の感情を煽りたてるだけの結果になったり、多様な立場を無視して無理に1つの結論にまとめようとする暴力的な動きになることも多い。「結」ではなく「転転」なんだということを、和合さんは真っすぐに伝えています。どうすれば「結」がないことが理解されると思いますか?

和合?井上先生の最初の言葉が自分の中でも残っているかもしれませんが、とにかく時間、時間をかけることだと思います。おそらく、僕が生きている時代にはおおよそ何も解決していないでしょう。誰もがそう思っているはずですが、口には出しません。開沼さんがおっしゃったように、ちょっとしたら復興がもたらされるような文脈になっていますけど、そんなレベルではないですよね。

?廃炉にしても30年、40年で本当にできるのかよって。ネズミ一匹で大山鳴動していますが、これからもいくらもネズミが出ることだって考えられます。30年、40年の間に、現場の方々のモチベーションが大きく下がっている可能性だってある。帰郷するにしても、僕の世代、子どもの世代、もしかしたら孫の世代でも解決していないかもしれません。


開沼 博 (かいぬま・ひろし)
社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年〜)。
主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。
第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。
開沼?そうですね。

和合?だけど、僕が富岡の人のインタビューしていたとき、それでも「『いつか帰れる』って言ってくれるんだったら、30年くらいであれば我慢できる」という声を聞いたんですよ。30年、50年という時間がかかったとしても、何か約束があれば福島の人間は頑張れるんです。目先の復興ではなく、その可能性を模索すべきだと思います。

?今すぐの復興が無理だってことは、誰だって、子どもだってわかっています。福島民報に「ふくしま・きずな物語」という作文が掲載されていますが、これは僕が審査しています。そのなかで、渡利の小学校の4年生が、僕が今話したことを書いていました。

?実は、僕はその子どもの受け売りで話しているんです。それを読んだとき、非常に衝撃を受けました。子どものほうがそういった思想を持っているんですよ。3代後の孫に伝えるために勉強したいという思想です。

開沼?なるほど。

和合?それは執念ですよね、「それでも取り戻すんだ」という執念。誇りです。そういうものを我々の内側に持っている。「20キロ圏内に帰れる」と誰かに約束させる。これは人間としての勝負だと思うんです。3世代、4世代後であったとしても、帰ることができたとしたら、少なくとも負けではないわけです。生まれ育ってきた場所を奪われることに対する勝負です。1人の人間としての尊厳が問われています。

?こうした「転転」の状態を受け止めるためには、長く助走していくという感覚が必要だと思います。ホップ・ステップ・ジャンプじゃなくて、ずっとホップ・ホップ・ホップ、ステップ・ステップ・ステップです。「転」「転」「転」の繰り返しのなかの真理でしょうね。

開沼?その感覚はとても大事ですよね。

和合?きっと、「3世代、4世代してから富岡に帰ったとしてそれが勝利なのか?」と言う人もいるでしょうが、僕はそう思います。

福島の物語に起承転結の「結」はない

和合?開沼さんの『フクシマの正義』(幻冬舎)はとてもいいタイトルだと思いました。

開沼?ありがとうございます。

和合?大の大人が正義について語り合うなんて、普通ならあり得ないですよね。僕は昨日、六本木にいましたけど、六本木では誰も正義なんて語れていないですよ。だけどね、どんどん減っていく子どもたちに、正義、「フクシマの正義」をどう見せるかということが重要な思想の根本だと思います。

?今はみんな日本全国グダグダですから。グダグダというより、考えられずにいますよね。だけど、我慢して我慢して助走を続けていく。今の状態を続けていかざるを得ないなかで、それでも目を背けずに向き合っていくことです。

?公園に大きな穴を掘って、そこに除染した土を埋めて覆いかぶせることは絶対におかしいんですよ。それを当たり前だと思ってしまったら我々の負け、我々自身が蹂躙されてしまいます。起承転結の「結」を迎えるということは、牙を抜かれることになってしまいます。最後まで今を今として見つめ続けなければいけません。

開沼?『漂白される社会』で僕が言っていることは、和合さんがおっしゃった通りの話をしているつもりです。「あってはならぬもの」を「見て見ぬふり」する現代社会、というキーワードを何度も出しているんですけど、「見て見ぬふり」をして「これは終わった話だ、みんなでそのあとを見とこうぜ」としてしまう欲望とは何かを明らかにしたい。

?社会の周縁的な部分や弱い部分を切り離し、固定化することによって、何となくみんなが幸せになれる。そういう構図が現代社会の様々な側面に広がっている印象があります。本を書きながら、「それでいいのか?」と問い続けなければならない、僕がやりたいことはそれなんだなと思いました。

?繰り返して「起承転転」という言葉を使った背景について聞いてしまいますが、きっと和合さんにも、この2年間で「結」を導こうとする動きへの違和感がずっとあったのだと思います。『起承転転』というタイトルにしたのは、そこがポイントだったんじゃないですか?

和合?震災以降、福島の物語として起承転結が描かれて続けています。だけど結末は、「結」はないわけですよね。僕は、西のほうにも講演に行きますが、そこでは福島の復興は進んでいるという印象なんですよ。

開沼?なるほど。

和合?福島大学の天野和彦さんと話をしたときのことです。彼は避難所で自治組織をつくりました。その後、被災者が仮設住宅に移っていく様子を見ています。みんなが仮設住宅に移るって決まったときに「良かったね、これで復興がひとつ進んだね」と言われたそうです。「和合ちゃん、ガッカリしたよ。復興進んでるって言われたんだよ」って電話をくれました。

?仮設住宅に移れたから進展した。そこで起承転結を迎えて、どうしても次に進んだと見ちゃいますよね。それが西の人だったらなおさらでしょう。なんでもそうなんですけど、結局は不条理なことにフタをして、次に進んできた国民性なのかもしれませんね、日本は。そんなことを考えもしなかったですよ、震災前は。いろんな活動をしていましたけど、平和でしたよね、世の中が。

ノンフィクションへの挑戦は始まったばかり

和合?開沼さんには社会学者として透徹した視点を感じますが、私はもともと文学の人間で、どちらかというとイメージを追いかけてきた人間です。ノンフィクションにあまりコミットしてきませんでした。ノンフィクションを避けてきたところすらあります。だから、『詩の礫』(徳間書店)で新潮ドキュメント賞の候補作に挙げていただいたことはとても意外でした。

?詩を書くためにはすごく時間がかかります。今日起きたことを即時に作品にはしません。「誰々が犯人で、こういう事件があった」と伝えるのではなく、それを自分の心の中で温めておいて、時間を費やしてから自分の言葉に易化して、そして比喩として書くということなんですよ。震災後に書き続けてきたものを含めて『廃炉詩編』(思潮社)というタイトルで5月の下旬に出版する予定ですが、ノンフィクションへのコミットは自分のなかで始まったばかりですね。

開沼?詩人としての和合さんの立場を考えれば、ノンフィクションへのコミットは本来やらなくてもいい仕事なのかもしれないですよね。それでもやるべきだと考えていらっしゃる。

?一方で、学者の世界を見ていると、学者はそれこそノンフィクションに近いところにいるはずなのに、とりわけ福島の問題については、いまでもフィクショナルなことを続けて成り立っているように思うところもあります。正確には、コミットしている人としていない人の差が明瞭になったのかな。

?もし和合さんが、福島にいない、福島と関係ない詩人だとしたら、震災にコミットしようとは思わなかったであろうという感覚はありますか?

和合?どうでしょう。ただ、東京も福島も地続きなわけじゃないですか。東日本と西日本であればその差異は大きいかもしれませんが、もっと書かれるべきだと思いますね。だけど、ほとんどの詩人たちが震災の詩を書くことがありません。「和合が書いたから書かないんだ」という人もいます。

開沼?それは「役割分担」の意識があるということですか?

和合?どうなんでしょう。Twitterに、このように書いたことがあります。

?日本中の詩友よ、今こそ詩を書くときだ、日本語に命を賭けるのだ、これまで凌ぎを削ってきた詩友よ、お願いする、詩を、詩を書いて下さい、2時46分、黒い波に呑まれてしまった無数の悲しい魂のために、お願いする、私こそは泣いて、詩友に、お願いする。

?でも実際は、詩人たちは、すぐには書かなかったなぁ。震災に関する詩・小説・短歌・俳句として初期に出版されたのが、僕と、長谷川櫂さんの『震災歌集』(中央公論新社)だったんですよね。その後、小説として川上弘美さんなどが出版されています。

開沼?そこから2年が経って、今の状況はどうですか?

和合?これから出てくると思うんですよね、震災の小説。僕も機会を見つけて書こうと思っています。

福島で想う「レスキュー来ない感」

開沼?僕の場合は、この「レスキュー来ない感」はなんなんだろうと感じることが多いです。そこは阪神・淡路大震災で被災した神戸との一番大きな違いなのかなと思いますね。

和合?「レスキュー来ない感」ですか?

開沼?はい。神戸は太平洋ベルトの上にあって新幹線も通り、西から東へ移動する際に通過せざるを得ない場所です。大学や短大などの高等教育機関の数を見ても、福島はおそらく20校弱程度なのに対して、神戸近辺には100校以上あるでしょう。研究者やメディアに関わる人の数もそれに比例するわけで、層としての厚みの違いは当然でてくるはずです。

?そうなると、神戸であれば研究者もそこに活動の拠点をおいて、自分の言葉で語る人がいろいろと成果を残してきたのに、他方で、福島には「東京から新幹線に乗って1泊2日でふらっと来てみました。すると福島はこんな感じでした」という印象論でとどまってしまい、誤った像がつくられてしまっている部分もあります。

?そういった発信が全国の共通認識になってしまうことへの問題をとても強く感じているんですよね。言い方は悪いかもしれませんが、研究対象としてこれほどの「ネタの宝庫」はありません。せっかくだから研究すればいいのにと思ってしまうんです。

和合?これは開沼さんもすでに書かれていたと思いますが、この問題は単に福島の問題ではなくて、現代社会の裏側とつながってきますよね。

開沼?そうだと思います。

和合?「詩の礫」では震災のことを書き続けていますけど、僕もそこから社会の様々な問題につながっていきたいなと思っているんですね。きっと、「詩の礫」で扱う内容も変わっていくと思います。開沼さんが書かれたものを読みながら、開沼さんがどんなところにアンテナを立てているのかというところも注視していますよ。

?例えば、イジメや虐待の問題を書いたり、あるいは孤独死もそうかもしれません。こうした三重苦、四重苦と言われる問題は、社会全体の問題へとつながっていきます。同じように、福島の問題を語ることは、現代社会の問題を語ることに比喩化して語り得ることだと思うんです。ただ、こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが、みんなが一元的に見て満足して、東京に戻っていくように感じます。誰がどうしたってそこに落ち着いてしまうんですよねぇ。

開沼?そうなんですよね。

和合?「あれ?これなんか違うのかな?」と思うことはよくあるんですよね。

開沼?例えば、どういう瞬間にそう考えましたか?

和合?「福島の人を想ってこれをやっていこう」というもの、いっぱいありますよね?福島の人はもっと深く絶望していて、もっと傷は深いですよ。だけどね、単純に福島を飛び超えてしまって、あえて厳しい言い方をすれば、彼らは福島を食い物にして、騒いで帰っていきます。そういうイベントが残念ながらあると思います。ちょっと極端な言い方をしています。こんな言い方、申し訳ないんですけどね。

?だからと言って、彼らに悪気はないんですよ。あちらこちらで開かれているシンポジウムだって、どこか同じですよね。みんな悪気はないんですよね。悪気なくやって来て、悪気なく話をする。だけど、最終的には変わらないですよね。まさに「レスキュー来ない感」なんですよ。南相馬市は放射能の影響でトラックが入らなかったじゃないですか?基本的にはあれと変わらないと思います。この人たちはここに入れなくなったら絶対来ないだろうなって。

開沼?その通りでしょう。

和合?その感覚を福島の人たちは本能的にわかっているので、そういう人たちの話は基本的に聞かないんです。抽象的な表現をしていますが、具体的にあるんですよ、あまりにたくさんの例が。

?彼らとの間にどうしても温度差があるんです。それをどうしていったらいいのかなと常に考えています。こっちだって、そっちだって、みんな一生懸命なんですよ。一生懸命なことは伝わるんですけど、そこにある温度差をどのように伝えていったらいいのかなと。それが我々の役割なのかもしれないですね。

開沼?そうですね。同時に、震災から2年が経って、当初は玉石混淆だったものが、だいぶ振るいにかけられてきた感じもあるのかなと僕は思っています。今も福島に残ってここにある問題に関わり続けている人や、今からあえて関わろうとする人はそうだと思います。

和合?開沼さんはまだ20代ですよね?素晴らしいですよ、開沼さんのような方がいらっしゃることは。今からが正念場ですよね。

開沼?そうですね。僕は「課題整理の功罪」といつも言っています、課題は、時間が経つとシンプルになっていきます。それ自体はいいことだと思います。例えば、補償について考えよう、除染について考えよう、避難について考えようということは課題整理の「功」の部分です。

?しかし、その一方で、課題整理を行って物事をシンプルに見るようになると、まったく別な問題がより表面化している可能性があるにもかかわらず、それが見えなくなっています。それが課題整理の「罪」の部分です。課題を整理しました、「結」をつけましたで終わりじゃないよ、と言い続ける人はいないといけませんね。

http://diamond.jp/articles/print/35106



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