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日本の中のCIAエージェント
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投稿者 中川隆 日時 2015 年 11 月 08 日 16:11:20: 3bF/xW6Ehzs4I
 

(回答先: アメリカ → 官邸 → マスコミによる支配 投稿者 中川隆 日時 2015 年 10 月 25 日 08:26:53)


日本の政界、財界、マスコミ、学者、評論家、右翼・暴力団などあらゆる分野に張り巡らされたCIAのスパイ・エージェントの数は一体どのくらいになるのであろうか

日本で活動する実行部隊(オペレーション担当)は工作員指揮官として、まず3人の現地工作員の指揮に当たる。そして、工作員はそれぞれ3人の配下(協力者)を抱え、3人の配下もさらに3人の部下を抱える。つまり、1人の指揮官が3×3×3=27人の工作要員を指揮して情報収集などに当たっている。CIAエージェントとされる中には、本人が意識せずにCIAに対して情報提供をする者も含まれる。

外交官や軍人に偽装するOCS(Official Covers)と民間人に偽装するNOCS(Non Official Covers)とに分かれ、それぞれ活動しているというが、最近はNOCSを増やしつつあると分析されている。その理由は、2001年9月11日、米国で起きた同時多発テロが関係する。

 要するに、通常総勢、数百人もの工作要員が活動しているというのである。それが東日本大災害による福島原発の破壊に伴うデーター収集や、混乱に乗じたる各国のスパイの増員により、CIAも当然増員されているものと思われる。ようするに、スパイ防止法すらない日本はまさにスパイ天国というわけである。

★吉田茂

幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。

天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。

吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。

元自民党総裁=麻生太郎の祖父。


★辰巳栄一 (1895年1月19日ー1988年2月17日)

コードネーム「POLESTAR―5」

元陸軍中将
戦後の連合軍占領中は旧軍の反共主義工作機関「河辺機関」を率いた。警察予備隊の幹部人選に駐英武官当時からの上司であった吉田茂の腹心として関与。
内閣調査室や後の自衛隊の設置に関わる資料をアメリカ政府に流していた事が2009年10月、有馬哲夫・早稲田大学教授のアメリカ国立公文書記録管理局における機密解除資料調査で確認された。1975年1月から1978年12月まで偕行社会長を務めた。


★緒方竹虎 (1888年1月30日 - 1956年1月28日)

コードネーム「POCAPON(ポカポン)」

ジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。三男の緒方四十郎は元日本銀行理事。

緒方は12月にA級戦犯容疑者指名、1946年8月に公職追放、1947年9月戦犯容疑解除、1951年8月に追放解除となっている。A級戦犯容疑者指名がなければ、敗戦で社内の緒方派と反緒方派の対立が再燃して自らも調停に乗り出し、村山長挙社長が辞任していた朝日新聞社の社長に就任するはずであった。

追放解除の翌年にあたる1952年10月、第25回衆議院議員総選挙で福岡1区(当時)から出馬し、中野正剛の地盤を引き継いだうえに地元財界の支持を得て当選する。

第4次吉田内閣で当選1回ながら、国務大臣兼内閣官房長官、さらに副総理に任命され、翌1953年5月成立の第5次吉田内閣でも副総理に就任した。この政界での急速な階梯昇段の要因には、吉田茂の政治指南役だった古島一雄の紹介や、吉田が重光葵の後任として東久邇宮内閣外務大臣に就任したのが、近衛文麿と緒方の推薦によるものだったことなどが挙げられる。

なお、緒方は政界復帰前の1952年4月、吉田茂、村井順とともに、アメリカのCIA、イギリスのMI5、MI6などを参考にして、内閣総理大臣官房に「調査室」という小さな情報機関を設立した。これが現在の内閣情報調査室の源流である。

緒方は、これとは別に強力な情報機関、いわゆる日本版CIAを新設する構想を持っており、吉田内閣入閣でこの構想は一挙に表舞台に登場したが、国会や外務省、世論の激しい批判を浴び、第5次吉田内閣の下で内調の拡充・強化を図るにとどまった。しかし、このときの緒方の動きを、アメリカCIAは高く評価した。


★岸信介 (1896年11月13日 - 1987年8月7日)

言わずもがなスパイ。岸の『系譜』の政治家は、CIAのスパイである。
政治的に岸は日本の歴代首相のだれよりも右寄りだった。岸は、APACL(アジア人民反共連盟)、MRA(道徳再武装
運動)、統一教会など、右翼組織やCIAのフロント組織に深く関わっていた。

 首相をしりぞいた二年後の1962年9月には、東京で5日間にわたって開催されたAPACLの会合で基調演説を行なっている。また、日本郷友連盟や祖国防衛同士会など、民主主義の粉砕と天皇の政権復帰を擁護する極右団体の顧問もつとめた。

 岸は首相在任中に、日本を訪れたMRAの代表達に次のように挨拶している。「諸君は全世界に対して道徳的バックボーンを与えるようにしておられる。私はMRAが6週間にわたって(1960年5月から6月までの期間)我が国に与えた圧倒的な影響力に対して感謝の気持ちを表明したい」時あたかも、岸打倒を叫ぶ運動がピークに達しており、MRA代表団の訪日のタイミングのよさには目を見張るものがあった。

 岸は日本でもっとも反動的な首相だった。1957年から60年までの短い首相在任中に、岸内閣は史上まれに見る反進歩的な法案を提出した。一つは1958年、警察官の権限を拡大強化する警職法(警察官職務執行法)改正案であり、もう一つは1948年に廃止された紀元節の復活であった。統一教会といえば、CIAの命によりKCIA(韓国中央情報局)が組織し、操る宗教団体であることが後に明らかになった。岸と教会との密接な関係を示す一例として1974年5月、東京の帝国ホテルで開かれた『希望の日』実行委員会主宰の大晩餐会がある。『希望の日』とは、教会の世界的宣伝キャンペーンの一環の集会名だが、同実行委員長が岸信介だった。(『週刊新潮』1974年5月23日号より)>


★ハリー・カーン

ニューズウィークの元編集長。岸信介の英語の教師。ハリー・カーンはGHQの「アメリカ対日協議会」(ACJ)のエージェントだった。ACJはA級戦犯の釈放、公職追放された旧官僚の復職、解体された財閥の復興を仕切ったことで、戦後の日本に「ジャパン・ロビー」ともいうべき組織を作り上げていた。その中心メンバーなのに、その実態は本当に闇に包まれ日本国民には知られていない。日本のニューズウィーク編集部は今でもCIAのたまり場。


★児玉誉士夫 (1911年(2月18日 - 1984年1月17日)

日本の右翼運動家、黒幕、CIAエージェント。
暴力団・錦政会(後の稲川会)や東声会の顧問で、これら反社会勢力はCIAの行動隊。

朝鮮戦争(50年—53年)当時、CIAの前身である米戦略サービス局(OSS)の旧幹部グループは、右翼の児玉誉士夫氏らと組んで、日本の貯蔵庫から数トンのタングステンを米国に密輸、ミサイル強化のためタングステンを必要としていた米国防総省に1000万ドルで売却。これを調べている米メーン大学教授の資料によると、CIAは280万ドルを児玉にその見返りとして提供したという。

アメリカの国立公文書館が公開したCIA・中央情報局の機密文書に記されていたものによると、東西冷戦の初期、CIAは「右翼の大物」と言われ、戦犯の疑いで逮捕されたあと釈放された児玉誉士夫氏や、元陸軍参謀の辻政信氏らと接触し、中国など、共産圏の情報収集活動に当たらせたということだ。 しかし、文書の中でCIAは、こうした試みは、工作資金を持ち逃げされたり、情報をねつ造されるなどしてほとんど役に立たなかったと分析している。特に、児玉氏については「自身の富や権力を得ることが目的で、母国の将来には関心がなかった。諜報員としての価値はないに等しい」と酷評している。

★笹川良一 (1899年5月4日 - 1995年7月18日)

日本の政治運動家、右翼活動家、社会奉仕活動家。CIAエージェント。

★正力松太郎 (1885年4月11日 - 1969年10月9日)

コードネーム「PODAM」
読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍の、コードネーム・スパイ組織暗号名は、「ポハイク POHIKE」

ペンタゴンの資金提供で、日本テレビは創立される。
読売新聞と日本テレビはフル稼働で原子力のイメージアップに努め、CIAは原子力に対する日本の世論を転換させたのは正力の功績だと認めている。

日本の警察官僚、実業家、政治家。元読売新聞社社主。従二位勲一等。富山県高岡市名誉市民。京成電鉄OB。長期わたって、CIAエージェント。 正力松太郎や、読売ジャイアンツとの関係で、野球は警察利権。CIAの管轄下にある。

マスコミ操作を通じアメリカが常に「善」であると日本の市民を洗脳し、アメリカを批判する言論をマスコミに「登場」させない。アメリカ映画、音楽を大量に流し、アメリカが「すばらしい」国だと連日宣伝することが目的だとアメリカ国立公文書館 米国政府の心理戦争局の内部文書に書かれている。

★渡辺恒雄

読売新聞経営者。敗戦当時、日本にはテレビ局はNHKしか存在しなかった。米軍は3S作戦実行のため、戦前からのCIAスパイである読売新聞の創立者、正力松太郎とその部下渡辺恒雄(現在の読売新聞・経営者)に「命令」し、CIA直営のテレビ局として日本テレビの創立を命令する。CIAスパイエージェント正力松太郎は、CIAの資金で読売新聞を日本最大の新聞に育て上げるが、戦争中読売新聞は、日本の中国侵略と日米戦争を大々的に「アオッタ」新聞である。日本に中国侵略と日米戦争を行わせる事は、CIA新聞である読売新聞を使った米国の戦略であった。

正力松太郎と渡辺恒雄がCIA工作員として、読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍を創立し、その経営資金がCIAから出ている事実は、米国政府の心理戦争局の内部文書Records Relating to the Psychological Strategy Board Working Files 1951-53に明記されている。

米軍が武器を持ち日本に駐留し、日本を支配下に置いているように、読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍は、米軍の「兵器」として「作られた」。

 政治部の渡辺記者は大野番として出発したが、大野伴睦や児玉誉士夫に密着して子分役を務め、暴力団の東声会のクラブの運営委員に連なったり、ロッキード事件の前にワシントン特派員として、児玉の対米窓口を果たしたとも噂された。また、児玉が乗っ取った出版社の「弘文堂」では、若き日の中曽根と共同経営者に名を連ね、その時の株主仲間には児玉や中曽根の他に、大橋富重、萩原吉太郎、永田雅一、久保満沙雄のような、戦後の疑獄史の裏面に出没した政商たちが、読売の現役記者だった渡辺と共に名を連ねている。

★船橋洋一

朝日新聞が親中、新ロ論陣と左右に別れていた時代には、世論調査の信頼度も一定の範囲で存在したが、朝日新聞が小泉純一郎政権以降、船橋洋一主筆を筆頭に急速に親米化一色になった時点で、マスメディアが持ち続けるべきジャーナリズム精神は失われた。
人民日報提携紙、同じ住所に東亜日報を置く朝日新聞は、CIA資料からCIAエージェントと明らかにされてから、記事内容も支離滅裂である。過去の高飛車な断定報道を無かったかの様にスルーし、追いつめられると言い訳ばかりで決して謝罪もしない低レベルのゴシップ新聞社である。

★東久邇稔彦 (1887年12月3日 - 1990年1月20日)

旧皇族、陸軍軍人、陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。

第二次世界大戦後、敗戦処理内閣として憲政史上最初で最後の皇族内閣を組閣した。連合国に対する降伏文書の調印、陸海軍の解体、復員の処理を行い、一億総懺悔を唱え国内の混乱を収めようとしたが、歴代内閣在任最短期間の54日で総辞職した。

★辻政信 (1902年10月11日 - 1961年に行方不明)

元陸軍大佐。政治家。衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)。

旧軍人グループとの繋がりで反共陣営に参画。著書を次々出版しベストセラー作家としての知名度を確立した。旧軍の参謀だったという要素がプラスに働き、追放解除後の1952年に旧石川1区から衆議院議員に初当選。自由党を経て自由民主党・鳩山一郎派、石橋派に所属。石橋内閣時代に外遊をし、エジプトのガマール・アブドゥン=ナーセル、ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトー、中国の周恩来、インドのジャワハルラール・ネルーと会談している。衆議院議員4期目の途中だった1959年に岸信介攻撃で自民党を除名されて衆議院を辞職し、参議院議員(全国区)に鞍替えして第3位で当選した。

2005年(平成17年)に公開された、米中央情報局(CIA)極秘文書には『辻政信ファイル』が存在する。しかし、経験不足で諜報活動は失敗に終わった」としているほか、日本の再軍備をもくろんでいたとしてアメリカ側が警戒していたことが記されている。


★五島慶太 (1882年4月18日 - 1959年8月14日)

1944年(昭和19年)、東條英機内閣の運輸通信大臣に就任し、名古屋駅の交通緩和や船員の待遇改善などに貢献する。終戦後の1947年(昭和22年)、東條内閣の閣僚だったという事で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって公職追放者指定を受けた。公職追放後も影のご意見番として事実上企業活動に参加。大東急分割騒動の際も、むしろ自ら企業分割を推奨し大東急再編成の推進役を果たした。東急電鉄創業者。

★秋山浩
(旧731部隊情報提供者)


★有末精三 (1895年5月22日 - 1992年2月14日)

元陸軍中将 駐留米軍顧問 日本郷友連盟会長
CIAの記録によると有末とその部下は在日中国共産党員に情報を売っていたとされている。戦時中から、アメリカと中国共産党の二重スパイか。


★麻生達男 詳細不明


★福見秀雄 (1914年4月20日 - 1998年12月19日)

昭和時代後期の微生物学者。(旧731部隊関係者)
昭和22年創設の国立予防衛生研究所入所、細菌部長をへて、53年所長。55年長崎大学長。
藤野恒三郎と腸炎ビブリオを発見。インフルエンザワクチンの開発、集団接種などに力をそそいだ。死去。84歳。愛媛県出身。東京帝大卒。

★服部卓四郎 (1901年1月2日 - 1960年4月30日)

戦時中からアメリカのスパイであることが疑われる。
元陸軍大佐。
1942年(昭和17年)8月に始まったガダルカナル島の戦いにおいては、現地を視察した際、「補給路が確立されつつあり、この点について問題なし」と実情とかけ離れた報告をした。結果、陸軍は3万人以上の部隊を投入したが、撤退できたのは僅かに1万人足らずだった。

終戦後は、チャールズ・ウィロビーの元で日本の再軍備にかかわる。当初は、創設される警察予備隊の幕僚長に任じられる予定であったが、公職追放された人物を入隊させることはできないと民政局及び吉田茂首相(吉田に進言したのは辰巳栄一元中将を中心としたグループ)が反対したため、服部の幕僚長就任は実現しなかった。

1952年(昭和27年)10月31日付のCIA文書によると、服部らは、自由党の吉田茂首相が公職から追放された者や国粋主義者らに敵対的な姿勢を取っているとして、 同首相を暗殺し、民主党の鳩山一郎を首相に据える計画を立てた。辻政信が「今はクーデターを起こす時ではない」と服部らを説得し、服部らはクーデターは思いとどまったものの、政府高官の暗殺を検討したという。

★今村均

元陸軍大将。戦場で将兵の守るべき教訓を列挙した訓示、いわゆる「戦陣訓」を作成 した。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」。
インドネシアでは、民族独立を目指すスカルノとの友情を貫き、ラバウルでは陸軍7万人の兵を統率して、米軍の攻撃をもの
ともせずに、玉砕も飢えもさせずに敗戦まで持ちこたえ、無事に帰国させた。

オーストラリア軍の禁錮10年の判決により、1949年(昭和24年)に巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)に送られた。だが今村は「(未だに環境の悪い南方で服役をしている元部下たちの事を考えると)自分だけ東京にいることはできない」として、1950年(昭和25年)には自ら多数の日本軍将兵が収容されているマヌス島刑務所への入所を希望した。

積極的にスパイ活動に関与したとは思えない。

 戦犯として捕まった部下を救うために、自ら最高責任者として収容所に乗り込み、一人でも多くの部下を救うべく奮闘した。帰国後は、部下や、遺族の生活のために奔走した。その姿はマッカーサーをも感動させたのである。政治家や官僚、企業経営者の責任が問われる今、責任をとるとはどういうことか、今村将軍の生涯を振り返えれば答えが出るであろう。

★石井四郎 (1892年6月25日 - 1959年10月9日)

(旧731部隊長)
元陸軍軍人、軍医。関東軍防疫給水部長、第1軍軍医部長を歴任する。階級は陸軍軍医中将功三級医学博士。731部隊の創設者として防疫活動に従事した。多くの人体実験を行い細菌兵器を開発したとされる。

★賀屋興宣 (1889年1月30日 - 1977年4月28日)

コードネーム「POSONNET-1」

広島県広島市出身の大蔵官僚〜政治家。
大蔵(現財務省)官僚は、アメリカCIAのスパイである。

戦後A級戦犯として極東国際軍事裁判で終身刑となり、約10年間巣鴨プリズンに服役。

1955年(昭和30年)9月17日に鈴木貞一、橋本欣五郎らと共に仮釈放。1958年(昭和33年)赦免。同年第28回衆議院議員総選挙に旧東京3区から立候補し当選(以後5回連続当選)。岸信介首相の経済顧問や外交調査会長として安保改定に取り組んだほか、池田内閣の法務大臣、自民党政調会長などを歴任し、自由民主党右派・タカ派の政治家として有名だった。

1972年(昭和47年)、政界引退。「自由日本を守る会」を組織、中華民国擁護など独自の政治活動を続けた。

アメリカ共和党、中央情報局(CIA)や中華民国の蒋介石政権と強固な人脈を持ち、日本遺族会初代会長となる等、国際反共勢力、自民党、右翼のトライアングルを結ぶフィクサーとして国内外の右翼人脈を築いた。2007年(平成19年)に開示されたアメリカ国立公文書記録管理局所蔵の文書に、CIAの協力者(日本反共化のためのスパイ)だったことが記されている。


★小宮義孝 (1900年 2月18日埼玉県にて出生。

元東京大学医学部助教授国崎定洞(ドイツ共産党日本人部創設者で、旧ソ連に亡命後スターリン粛清の犠牲になったコミュニスト)の親友であり、東大医学部助手時代に治安維持法違反で検挙され、上海に渡った経歴を持つ。七三一部隊の石井四郎・秋山浩・福見秀雄と同様に細菌戦関与を疑われたが、もともと治安維持法で検挙され東大医学部助手から上海へ左遷された左翼。この小宮義孝を唯一の例外として、今回機密解除されたCIA個人ファイルには、左翼関係者は公開されていない。

★久原房之助 (1869年6月4日 - 1965年)

明らかにスパイ。
衆議院議員当選5回(16、17、18、19、25回総選挙)。逓信大臣、内閣参議、大政翼賛会総務、立憲政友会(久原派)総裁を歴任。日立製作所創立の基盤となった久原鉱業所(日立銅山)や久原財閥の総帥として「鉱山王」の異名を取った。義兄の鮎川義介と共に「政界の黒幕・フィクサー」と呼ばれ、右翼に資金を提供して二・二六事件に深く関与した。戦後はA級戦犯容疑者となり、公職追放となった。

明治の政商として活躍、藤田組を創業した藤田伝三郎は父・庄三郎の実弟にあたる。なお、庄三郎は伝三郎が「藤田伝三郎商会」(後の藤田組、現在のDOWAホールディングス)設立の際には共同経営者として名前を連ねている。

2回結婚しており(最初の妻が鮎川義介の妹・キヨ)、妾腹の子を含めると3男10女計13人の子に恵まれた。長女は元衆議院議長・石井光次郎に、三女は大隈重信の孫・信幸に、四女は元東京急行電鉄社長・五島昇に、八女は元スタンレー電気社長・北野隆興に嫁ぎ、九女と十女は米国人と結婚している。孫にシャンソン歌手の石井好子と元東急建設社長の五島哲、スタンレー電気社長の北野隆典がおり、曾孫に詩人・フランス文学者の朝吹亮二が、玄孫に小説家で第144回芥川龍之介賞を受賞した朝吹真理子がいる。

★前田稔 (1945年3月1日 - 1945年10月1日)

元海軍中将。航空艦隊司令長官。
「親ソ」でコミュニストの可能性。海軍内で暗躍したさほどの形跡はない。

★野村吉三郎 (1877年12月16日 - 1964年5月8日)

日米開戦時の駐米大使。
昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。

終戦後の1946年(昭和21年)8月に、野村は公職追放となるが、ACJ(アメリカ対日協議会)の面々は積極的に野村に近づき、定期的に(違法ではあるが)食料や煙草を送り、経済的に苦しい野村の便宜を図った。メンバーの一人であるウィリアム・リチャーズ・キャッスルは、野村を「日本を正しい道筋で、再び重要な国家となるように再建するのに役立つ人物の一人だ」と評した。

1953年(昭和28年)3月24日、同郷の松下幸之助に請われ、松下電器産業の資本傘下となった日本ビクターの社長に就任。空襲による会社や工場施設の焼失、戦後の労働争議などでの危機的経営を創生期の親会社で疎遠となっていたアメリカRCAと技術支援契約を結び再建の道筋をつける。

追放解除に伴い、吉田茂の要請で再軍備問題の調査にあたり、海上自衛隊の創設に深く関わる。これが縁で1954年(昭和29年)の第3回参議院議員補欠選挙(和歌山選挙区)に出馬・当選し、参議院議員となり、続く第5回参議院議員通常選挙(和歌山選挙区)にも当選した。

自由民主党に参加して、防衛政策を担当した他は、外交調査会会長を務め、松野鶴平の参議院議長就任に伴い党参議院議員会長に就任した。鳩山内閣・岸内閣で防衛庁長官への起用が取り沙汰されたが、日本国憲法における文民統制の観点から見送りになった。その後の人事では旧軍・自衛隊の士官経験者の防衛庁長官も誕生しているが、当時としてはまだ時期尚早で、なによりも野村が旧海軍軍人として大物過ぎたこと、そして日米開戦時の駐米大使としてあまりにも有名でありすぎたことが逆にたたる結果となった。


★大川周明 (1886年12月6日 - 1957年12月24日)

積極的にスパイ活動に関与したとは思えないが、CIAは、満鉄の情報を収集していたのではないだろうか。

日本の思想家。 1918年、東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、1920年、拓殖大学教授を兼任する。1926年、「特許植民会社制度研究」で法学博士の学位を受け、1938年、法政大学教授大陸部(専門部)部長となる。その思想は、近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政面では社会主義もしくは統制経済、外交面ではアジア主義を唱道した。晩年、コーラン全文を翻訳するなどイスラーム研究でも知られる。


★小野寺信 (1897年9月19日 - 1987年8月17日)

元陸軍少将。
スウェーデン公使館付武官に発令され、翌年1月、ストックホルムに着任し太平洋戦争を迎えた。1943年(昭和18年)8月、陸軍少将に進む。
この頃からSD国外諜報局長であるヴァルター・シェレンベルクと共に和平工作に従事する。敗戦後の1946年(昭和21年)3月に日本に帰国復員したが、同年7月まで4ヶ月間戦争犯罪人として巣鴨プリズンに拘留された。

★重光葵 (1887年7月29日 - 1957年1月26日)

第二次世界大戦期の、日本の外交官・政治家。
1943年(昭和18年)11月の大東亜会議を開くために奔走。人種差別をなくし亜細亜の国々が互いに自主独立を尊重し対等な立場での協力を宣言した。

公職追放解除後、改進党総裁・日本民主党副総裁を務めた。鳩山一郎派と合同して日本民主党を結党させる。1955年(昭和30年)の保守合同で自由民主党結党に参加。


★下村定 (1887年9月23日 - 1968年3月25日)

元陸軍大将。政治家。
終戦時下村は満州におり、下村の帰国まで東久邇陸軍大将宮が陸軍大臣を兼務している。第5回参議院議員通常選挙で全国区から出馬、当選し参議院議員を1期務めた。


★和知鷹二 (1893年2月1日 - 1978年10月30日)

元陸軍中将。1946年(昭和21年)1月、戦犯容疑(橘丸事件)で逮捕され巣鴨拘置所に拘留。1948年(昭和23年)4月13日、重労働6年の判決を受け、1950年(昭和25年)8月に仮釈放された。


★和智恒蔵 (旧姓・大野、1900年7月24日 - 1990年2月2日)

元海軍大佐で、硫黄島では海軍警備隊司令を務めた。
1946年4月25日から9月まで巣鴨プリズンに拘禁された。戦争から生還したことに責任を感じて出家し、天台宗の僧侶になる。硫黄島協会を設立して、慰霊と遺骨収集に生涯を捧げた。


★土肥原賢二

★中曽根康弘

ロッキード事件の発覚直後の1976年2月、中曽根康弘・自民党幹事長(当時)から米政府に「この問題をもみ消すことを希望する」との要請があったと報告する公文書が米国で見つかった。裏金を受け取った政府高官の名が表に出ると「自民党が選挙で完敗し、日米安全保障の枠組みが壊される恐れがある」という理由。三木武夫首相(当時)は事件の真相解明を言明していたが、裏では早期の幕引きを図る動きがあったことになる。中曽根事務所は「ノーコメント」としている。

 この文書は76年2月20日にジェームズ・ホジソン駐日米大使(当時)から国務省に届いた公電の写し。米国立公文書館の分館であるフォード大統領図書館に保管され、2008年8月に秘密指定が解除された。

 ロッキード事件は76年2月4日に米議会で暴露されたが、ロ社の裏金が渡った日本政府高官の名前は伏せられた。

 与野党いずれも政府に真相解明を要求。三木首相は2月18日、「高官名を含むあらゆる資料の提供」を米政府に要請すると決めた。

 文書によると、中曽根氏はその日の晩、米国大使館の関係者に接触し、自民党幹事長としてのメッセージを米政府に伝えるよう依頼した。中曽根氏は三木首相の方針を「苦しい政策」と評し、「もし高官名リストが現時点で公表されると、日本の政治は大変な混乱に投げ込まれる」「できるだけ公表を遅らせるのが最良」と言ったとされる。

さらに中曽根氏は翌19日の朝、要請内容を「もみ消すことを希望する」に変更したとされる。文書には、中曽根氏の言葉としてローマ字で「MOMIKESU」と書いてある。中曽根氏はその際、「田中」と現職閣僚の2人が事件に関与しているとの情報を得たと明かした上で、「三木首相の判断によれば、もしこれが公表されると、三木内閣の崩壊、選挙での自民党の完全な敗北、場合によっては日米安保の枠組みの破壊につながる恐れがある」と指摘したとされる。

 文書中、依然として秘密扱いの部分が2カ所あり、大使館関係者の名前は不明だ。

 結果的に、事件の資料は、原則として公表しないことを条件に日本の検察に提供された。

★池田勇人


★佐藤栄作

2007年に公開された日本占領中のマッカーサーの諜報活動を詳述しているCIA文書など5万点に上る機密解除文書には、岸信介の弟である佐藤栄作元総理大臣が米国に対し「共産主義と戦うためにアメリカからの財政援助を願い出ていた」ことが書かれている。
また、佐藤栄作大臣(岸政権下の大蔵大臣)が当時の米国駐日大使館S.S.カーペンター大使館一等書記官と東京グランドホテルで秘密裏に会談し、資金援助を要請したことがS.S.カーペンター大使館一等書記官作成の覚書の中に書かれている。

米国のエージェントであった岸信介総理大臣が日本国民の反対運動を弾圧して調印した1960年の「日米安保条約」および米国のエージェントの佐藤栄作総理大臣が国民の反対運動を弾圧して調印した1970年「日米安保条約」は、調印した二人の日本国総理大臣が米国に買収されていたエージェントであった事実が暴露された時点で法的根拠を失い無効となるのは当然である。

なぜなら外国に買収された一国の総理大臣が買収した外国との間で調印した条約は無効となるからである。

★小泉純一郎

★竹中平蔵

★飯島勲

小泉元首相の秘書官だった。

★麻生太郎

第二次世界大戦後、中国とロシアが共産主義国になったため、日本を共産主義への防波堤に使おうと米国政府は考えた。日本が共産主義にならないよう米国は日本を豊かな国に育て、また巨大な米軍とCIAを日本に置き、日本を暗黙の「監視下」 に置いた。

その任務を担ったのが、初代CIA日本支局長ポール・ブルームであった。

ブルームは東京の渋谷区神山町22番地に住居を持ち、その近所には2008年現在の麻生太郎元首相の生家があった。当時の総理大臣吉田茂は麻生の祖父であり、麻生の家で、CIA日本支局長ブルームと吉田首相は、日本の経済成長や米軍駐留の政策について深夜まで話し合った。

やがてブルームは麻生太郎を自宅に引き取り、自分の「後継者」として、CIA日本エージェント=工作員として育てる。

★佐野忠克

鳩山由起夫政権時の政務担当首相秘書官。
首相秘書官の内訳は、慣例的に政務担当1名、事務担当4名の計5名で構成され、それぞれ外務省、財務省、警察庁、経済産業省の各省庁から1名ずつ出向する形で就任する。財務省出身者が事務秘書官の中で筆頭格とされ、他の事務秘書官よりも年次が上の者が就けられる。

佐野忠克氏は、1969年(昭和44年)4月 通商産業省入省、 1993年(平成5年)8月 総理府 細川護熙内閣総理大臣秘書官(事務担当)につき、鳩山総理と接点ができている。

当初、鳩山総理は、小泉元首相の秘書官だった飯島勲氏のように、芳賀大輔氏を首相秘書官に起用する予定だったようだが、偽装献金事件で潰されてしまった。だから、旧知の佐野氏に白羽の矢が立った、ということだ。

平野博文官房長官は14日午後の記者会見で、鳩山由紀夫首相とともに訪米して米国に残っている佐野忠克首相秘書官が、スタインバーグ国務副長官と会談することを明らかにした。米国務省「ナンバー2」が日本の首相秘書官と会談するのは極めて異例。米軍普天間飛行場移設問題について、佐野氏は日本側の検討状況などについて説明するとみられる。(時事トッドコム  2010/04/14-17:23)≫

また、記事の主旨には賛成できないが、「現代ビジネス」に「徳田虎雄との会談を仕掛けた佐野忠克首相秘書官」と題し、田崎史郎が書いている。(参照)

≪ 鳩山が動きだしたのは4月28日、徳之島出身の元衆院議員・徳田虎雄との会談からだった。そもそも徳田と会談したことがまず疑問だ。 徳田虎雄が1980年代に衆院奄美群島選挙区(定数1)で保岡興治と「保徳戦争」と呼ばれるほど激しい選挙を戦い、選挙違反で逮捕者が続出したこと、徳洲会の病院経営、彼の政治活動などを多少知っていれば、接触することにもっと注意を払っただろう。

案の定、会談内容は、同席した衆院議員の二男・毅からマスコミに公表された。毅は自民党に所属している。毅がマスコミに、あるいは自民党にすべて話してしまうことは容易に想像できたはずだ。

徳田が会談を受けた時、「これはトラップ(罠)かもしれない」という懸念を抱かなかったのだろうか。
 
この会談の設定は政務担当の首相秘書官・佐野忠克を中心に進められた。・・・佐野は鳩山と徳田との会談を他の秘書官はもちろん官房副長官・松井孝治らともほとんど相談しなかった。時期もまずく、住民の反対集会が4月18日に徳之島で開かれた後では、地元を説得しようとしてもできるはずがない。≫

★勝栄二郎 (元財務省事務次官)

★松元 崇(財務省)
★清水 治(財務省)
★竹歳 誠(財務省)勝栄二郎と東大時代からの盟友
★太田 充(財務省)
★宇波弘貴(財務省)
★小宮義之(財務省)
★吉井浩氏(財務省)
★井藤英樹(財務省)
★宇波弘貴(財務省)
★大串博士 衆議院議員(財務省出身)

★東京地検特捜部

東京地検特捜部の歴代トップは、全員CIAに留学し、CIAの対日工作員としての徹底的教育を受け、日本に帰国する。この教育を受けた者でなければ、東京地検特捜部、そして日本の警察機構の中で、上層部に出世する事は出来ない。

時には、防衛省の守屋事務次官の事件のように、米国CIAから東京地検への直通ファックスによる「摘発指令」が来ることもある。


★マイケル・グリーン CSISの日本部長


★ジェラルド・カーチス(コロンビア大学教授)=CIA工作員。

その妻・深井翠の父は深井武夫

日本を経済植民地にするためにマスコミに暗躍。要注意人物。大学教授、自民民主議員はCIA工作員多い。小泉純一郎と同じく、日本属国化の手先である。郵政民営化、消費税=法人税減税、外資による日本企業買収法、TPPは、米国の命令によってなされた。

 CIAエージェントリスト

★深井武夫 米国による日本情報統治の父。時事通信社

昭和24年(1949年)に当時アメリカ占領軍のC I E の調査担当のハ−バ−ト・パッシング博士等の推薦で、アメリカ、ミシガン大学のサ−ベイ・リサ−チ・センタ−に招かれた。そこで知ったことは、世論調査とともに科学的な市場調査の重要性であった。帰国後そのことはいち早く時事通信社にもたらされた。すぐにこの事が話題になり、市場調査研究会が結成され、日本で初めて世論調査を導入する。(時事通信社と共同通信はCIAによって設立された。)

★稲盛和夫

「アブシャイア・イナモリ・リーダーシップアカデミー」をCSIS内に作った。稲森は、生前から松下幸之助と昵懇で政経塾の世話人となってきた。その稲森が典型的な「ジャパン・ハンドラー」であるCSISに、政経塾メンバーを送り込むという構図。


★江口克彦

江口は松下幸之助の側近中の側近。松下の意向を受けで、松下政経塾の司令塔であるPHP研究所の社長になっでコントロールしていた。その人物が最高位に就任している以上、「みんなの党」は松下政経塾政権の別働隊と分析できる。

★加藤紘一娘、加藤亜由子


★中曽根康弘の孫、中曽根康隆


★小泉進次郎

 右の女性は、カーチス教授の娘・ジェニー

小泉進次郎 だけでない。3人とも、ジェラルド・カーティス教授とのコネで国際関係(SIPA)に入学。

★浜田和幸

CSISで研究員をしていた、国民新党所属の参議院議員。


★渡辺恒三

CIA指令「小沢抹殺」実行の主役の一人である。原発利権とCIA工作によって寝返った。国のレベルでも地方のレベルでも、渡辺恒三一族は従米ネオコンエージェント活動を主導している。


★渡辺恒三の息子、渡辺恒雄

グリーンの教え子で、肩書きもCSIS(シー・エス・アイ・エス)の研究員である。
鳩山・小澤の政権時、息子の恒雄が、前原誠司や枝野幸男ら民主党内の反小沢グループを何かあるとすぐにそそのかして民主党分裂策動を開始する。「七奉行の会」とかを作って定期的に会っている。ここに、岡田克也までがすぐにひきづられて連れて行かれる。そうして「アメリカとしては、鳩山、小沢のあとはお前たちに日本の政治を任せようと考えている」とマイケル・グリーンが、渡部恒雄と出てきて盛んに扇動していた。

★渡辺恒三の甥っ子、佐藤雄平

福島県知事


★松下政経塾

★前原誠司

★長島昭久

SAIS(ジョンズホプキンズ大学高等国際問題研究大学院)ではプレジンスキー教授のゼミで仕込まれ、防衛省の政務官を経て野田の首相補佐官。マイケル・グリーンの使い走り。


★玄葉光一郎

★長浜博行

★樽床伸二

★創価学会

自民党にCIAの政治資金を流すと同時に、会館に名を借りてCIAの事務所・拠点を建設。

★池田大作


★統一教会

CIAが文鮮明(ムン・ソンミョン)に作らせた教団。公明党が出来てからは創価学会に代わって自民党に政治資金を流すと同時に、統一教会の資金で各国会議員に秘書を提供している。秘書と言ってもCIAの情報網であり議員の監視役である。


★文鮮明(ムン・ソンミョン)

★電通

★NTT

もともとCIAが作った通信網。

★時事通信社

CIAが作った通信社。


★共同通信社

CIAが作った通信社。


★三宝会

竹下登元首相の指示で96年に設立された。新開、テレビ、週刊誌、政治家、官僚、評論家が集まって、自民党にとっで最大の脅威だった小沢一郎をメディアの力で抹殺する作戦が展開された。

最高顧問は竹下登、世話人が高橋利行(読売新聞世論調査部長)、後藤謙次(共同通信 編集委員)、芹川洋一(日本経済新開政治部次長)、佐田正樹(朝日新開電子電波メディア局局長付)、湯浅正巳(選択出版)(肩書きはすべて当時)。いま現在は、共同通信、ホリプロ、朝日、毎日、読売、日経、TBS、日テレ、フジ、テレ朝、講談社、文春、プレジデント、選択、朝日出版社が会員だというから、狙われたら抹殺される。中曽根内閣によるバブル経済時代にCIAと結んで日本の核装備のために、原発の建設を財界とともに推進して、現在の破局の基盤作りをしていた。それに協力したのがマスコミという構図。


★田中健五

「諸君!」初代編集長で文春タカ派路線の生みの親。文藝春秋の取材記者を経て、「諸君−!」から「文藝春秋」の編集長を経て、その後は社長にと出世していく。

大量の政府広報が記事のスタイルで、政府の機密費として文藝春秋に流れたことは、誌面を占めた政府提供記事で明白。
右翼の日本文化会議の機関誌が、内閣調査室の資金で文藝春秋から出て、保守的な言論活動を展開したわけである。
http://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/31b8776d983469bad82ffec40288122b
 

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コメント
 
1. 中川隆 2015年11月19日 20:28:48 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs

日本にいるCIAエージェントの方たちは、具体的にどういう活動をしているのですか?- Yahoo!知恵袋


>日本にいるCIAエージェントの方たちは、具体的にどういう活動をしているのですか?

日本政府内の経済分野での政策、そしてもちろん対米方策や近隣諸国(特にロシア、中国、北朝鮮)への外交政策を探っているようです。

まあここまでは日本に限らずどこの国も同じですが‥更には日本企業に対する産業スパイ活動もアクティブに行っているようです。これは冷戦後に顕著になり、今では諜報活動の半分位を占めるのでは、とも言われてます。なので日本の名だたる大企業に彼らが今まさに潜入していることは想像に難くないです。

>日本人エージェント及び、それ以外の外国人エージェントの割合はどんな感じですか?

エージェントの割合、とのことですがCIAが日本で活動するのに白人では目立ちすぎるので当然日本人エージェント(大抵は正規構成員ではなくお金で釣った協力者が多いようです)が活動します。中には正規のエージェントもいるようで北芝健氏の著書「警察裏物語」シリーズ等を読むとその記述があります。

「とにかくCIAの連中は金回りが良かった。その日本人エージェントもアメックスのカードで私と飲み歩いて全て彼持ちだった‥」

>公安や暴力団、宗教団体、政界などとの関係性も知りたいです。


CIAは警視庁公安部と公然の協力関係にあり互いに情報提供をしています。まあ諜報の世界ですから本当に有益な情報は滅多には入ってきませんが「アメリカにも利する」と判断した場合には公安にもいろいろ提供しているようです。逆に公安側は北朝鮮関連には強いのでそれらをアメリカに流すこともあるようです(金大中拉致の時、日本政府に通報したのはアメリカと言われています。また、金正男が日本に入国したのを教えたのもCIAでは?と言われてます)

また、暴力団に関してですがCIAが日本で暗殺工作をする場合暴力団のヒットマンを雇う、という流れがあり完全に両者は協力関係にあると言えます。某有名広域暴力団が主に請け負っているらしいです。これらのヒットマンのことを「コントラクト(契約)・エージェント」といい、ヒットが終わったらお疲れ様、サヨナラという訳です。これは暗殺が発覚した場合でもCIAは関与を否定できるからで本国アメリカでもマフィアを雇い、決してCIA職員がこの手の仕事をすることはありません。

政界に関しては自民党はCIAが創設に協力した、とも言われてます(諸説あり)。自民党議員であり読売新聞社のオーナーだった正力松太郎がCIAエージェントだったことは既にアメリカ側の文書で判明していますし、鳩山邦夫もエージェントだったことを告白しています。当然もっと居ると見るべきでしょう。とはいえ日本はスパイ天国ですから自民党内部にはソ連KGBや中国、韓国などのスパイも多数潜入しているとか。


私から見て面白いサイト↓
http://intelligence.livedoor.biz/archives/cat_50030997.html

ざっとCIAとKGBの歴史が分かる番組 なかなか秀逸です↓
www.youtube.com/watch?v=IWhRLGm1L2g

補足:私はウェブよりは本や動画中心なんですよ〜、それでよければどうぞ。

↓ロバートケネディ暗殺にCIA関与?
www.youtube.com/watch?v=nRW8-HpiiI8

「イスラエル諜報機関モサド」やばいです、彼らの優秀ぶりは。
http://hexagon.inri.client.jp/floorA1F/a1f1805.html

ゴードン・トーマス著「憂国のスパイ」あたりも面白いので機会あれば読んでみてください。ダイアナ事故死にモサド関与?イラク原子炉爆撃の裏側やCIA、FBIを完全に出し抜いたイスラエル核武装‥など。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1259645667


2. 2015年11月19日 20:30:34 : b5JdkWvGxs

CIA vs. KGB 冷戦時代のスパイ戦
https://www.youtube.com/results?search_query=CIA+vs.+KGB+%E5%86%B7%E6%88%A6%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E6%88%A6+Part+

3. 2015年12月20日 03:45:12 : SkTbcvDyAw : 1AQ5Pf3EizA[4]
GXS自体がエイジェントだろ。

4. 2015年12月24日 22:13:09 : 4OAG5Jdpn6 : lmN1oQvkOoY[25]
>日本で活動する実行部隊(オペレーション担当)は工作員指揮官として、まず3人の現地工作員の指揮に当たる。そして、工作員はそれぞれ3人の配下(協力者)を抱え、3人の配下もさらに3人の部下を抱える。つまり、1人の指揮官が3×3×3=27人の工作要員を指揮して情報収集などに当たっている。

まず3人の現地工作員の指揮(現在4人)
指揮官1人→工作員3人

工作員はそれぞれ3人の配下を抱え(現在13人)
指揮官1人

工作員1人→配下3人
工作員1人→配下3人
工作員1人→配下3人

3人の配下もさらに3人の部下を抱える(現在40人)

指揮官1人

工作員1人→配下1人→部下3人
       →配下1人→部下3人
       →配下1人→部下3人

工作員1人→配下1人→部下3人
       →配下1人→部下3人
       →配下1人→部下3人

工作員1人→配下1人→部下3人
       →配下1人→部下3人
       →配下1人→部下3人

なぜか人数が合わないんですけど。 どういうこと?
 


5. 中川隆[6043] koaQ7Jey 2017年1月14日 11:19:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6488]

i

米国国立公文書館機密解除資料 CIA 日本人ファイル 解説 加藤哲郎
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:_PppsJAuQs4J:members.jcom.home.ne.jp/tekato/CIAJAP.pdf+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja

はじめに――「日本の黒い霧」の実相に迫る機密解除資料

 本資料集は、米国クリントン政権末期、2000年日本帝国政府情報公開法にもとづき機密解除

された戦時・占領期の日本関係資料約10万ページの中から、特に注目度の高い、米国中央情報

局(CIA)が収集した日本人31人の個人ファイルを収録したものである。

 このなかに、PODAM のコードネームを持つ読売新聞社主・正力松太郎が日本のテレビ放

送開始や原子力発電の出発に暗躍した役割が見出され、元朝日新聞論説主幹・情報局総裁・緒

方竹虎を吉田茂の後継首相にする POCAPON 工作があったことなどは、すでに報道され、研

究が始まっている。本資料集の解読で、「日本の黒い霧」といわれた戦後日本における米国の

インテリジェンス活動の実際が、明らかになるであろう。

一 米国国立公文書館ナチス・日本帝国戦争犯罪記録の機密解除

 2007年 1 月12日、米国国立公文書館(NARA)は、「日本の戦争犯罪記録研究のために10万

ページを機密解除」として、以下の記者発表を行った。

 ナチス戦争犯罪記録及び日本帝国政府記録省庁間作業部会(IWG)は、日本の戦争犯罪に関連す

るファイルを精査した結果として、10万ページの最近機密解除された記録を利用可能にすると発表し

た。それに加えて、IWG は、Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays とい

う参考文献、electronic records finding aid という研究者が太平洋戦争に関して国立公文書館の数千

の新たな拡張されたファイルを探し利用するためのガイドを発表した( 1 )。

 これは、帝国日本についての記録の記者発表であるが、もともと米国民主党クリントン政権

末期に、ナチスの戦争犯罪記録公開に準じて行われたものである。この経緯を、日本のドイツ

現代史研究者清水正義は、自身のウェブサイトで詳しく説明している。

 アメリカ議会は1998年10月 8 日にナチ戦争犯罪情報公開法(Nazi War Crimes Disclosure Act)

(以下、ナチ情報公開法と略す)を、次いで2000年12月27日に日本帝国政府情報公開法(Japanese

Imperial Government Disclosure Act)を制定した。前者はナチ戦争犯罪に関して合衆国政府機関が

保管する機密扱い記録の機密解除と公開を、同様に後者は戦前日本政府・軍の戦争犯罪に関する機密


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ii

扱い記録の機密解除と公開を主旨としたものである。両者はほぼ同一内容であり、後者は前者の執行

過程で前者を補完するものとして制定された。……ナチ情報公開法は、アメリカ政府機関が所有する

ナチ関係記録で現在なお機密扱いされているものについて、なるべく広範に機密解除をするべく、し

かるべき機関が 3 年間の期間限定で記録調査、目録作成、機密解除指定等を行うことを定めている。

すなわち、同法によれば、

一、法発効後90日以内に関連機関を横断する機関「ナチ戦争犯罪人記録省庁間作業部会(Nazi War

Criminal Records Interagency Working Group)」(以下「省庁間部会[IWG]」と略)を設立し、

二、省庁間部会は 1 年以内に次の任務を行う。

 ( 1 )合衆国のすべての機密扱いされたナチ戦争犯罪人記録を探索し、確認し、目録を作成し、機

密解除を勧告し、そして国立公文書館記録管理局で公衆が利用できるようにし、

 ( 2 )各省庁と協力し、これらの記録の公開を促進するのに必要な行動をとり、そして

 ( 3 )これら記録のすべて、これら記録の処理、及び本セクションに基づく省庁間部会と各省庁の

活動を記した報告書を、上院司法委員会及び下院政府改革監視委員会を含む議会に提出する。

三、ナチ戦争犯罪人記録は原則として公開され、公開しない場合の例外事由について詳細に規定され

る。例外事由を要約的に列挙すれば、

 (A)個人のプライバシーを不当に侵すもの

 (B)国家安全保障上の利害を損なうような情報源、情報手段を暴露するもの

 (C)大量破壊兵器の情報を暴露するもの

 (D)暗号システムを損なう情報を暴露するもの

 (E)兵器テクノロジーの情報を暴露するもの

 (F)現行の軍事戦争計画を暴露するもの

 (G)外交活動を弱体化させるような情報を暴露するもの

 (H)大統領その他の保護に当たる政府官吏の能力を損なうような情報を暴露するもの

 (I)現行の国家安全保障非常事態準備計画を損なう情報を暴露するもの

 (J)条約または国際協定に違反するもの

である。機密解除の例外となるこれらの事由はきわめて個別的具体的であり、記録を公開しないとい

う判断は、それが上記(A)から(J)までの事由のいずれかにおいて「有害であると省庁の長が決

定した場合にのみ許され」、しかも「かかる決定を行った省庁の長官は、上院司法委員会と下院政府

改革監視委員会を含む適切な管轄権を備えた議会の委員会に、直ちにそれを報告するもの」とされて

いる( 2 )。

 清水は、ナチス戦犯記録機密解除・公開について、「戦後アメリカはナチ戦犯の相当数の入

国を意図的か否かを問わず事実上許容してきた」「今回の記録公開によりアメリカの知られざ

るナチ戦犯容認政策の実態が暴露される可能性がある」という観点から注目した。その意義と

して、「アメリカは戦後の対ソ政策上、旧ナチ軍事・諜報・科学技術専門家を必要とした」こ

とを、資料により検証できる重要性を挙げている。

 実際、今回の資料公開には、元ナチ科学者で戦後アメリカでは「ロケット開発の父」と呼ば

れるヴェルナー・フォン・ブラウンの軍事利用、陸軍 G 2 (諜報部)によるソ連軍の組織、装


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iii

備、戦略、戦闘能力などを探るためのラインハルト・ゲーレン将軍(Reinhard Gehlen、元ドイツ

参謀本部東部外国軍課長)の「ゲーレン機関」創設、その下でのナチス親衛隊「リヨンの虐殺

者」クラウス・バルビーの登用などの資料が含まれている( 3 )。

 実は、今回の日本帝国戦犯記録の機密解除で、アメリカ側からスポットを当てられているの

も、旧日本軍部と戦後アメリカ占領軍との秘密の関係である。ナチスの科学者ブラウン博士に

あたるのが、日本陸軍731部隊で細菌戦人体実験を行った石井四郎、ゲーレン機関に相当する

のが、戦犯訴追を免れ GHQ・G 2 ウィロビー将軍の反共工作に用いられた有末精三、河辺虎四

郎、服部卓四郎、辻政信ら日本の旧参謀本部の情報将校、ゲーレン機関で有能なエージェント

になるクラウス・バルビーに相当するのが児玉誉志夫、笹川良一ら反共右翼、という役回りで

ある。

 そのため、IWG 資料では、ナチス関係と日本帝国関係とは区別されておらず、索引も一つで、

一緒に整理されている。ナチス関係が圧倒的な120万ページの記録・資料の中に、日本関係の

約10万ページが点在している。このことは同時に、アメリカのヨーロッパ政策とアジア政策が

一対で了解できる、冷戦史研究上のメリットでもある。これらについてはすでに、英語版

wikipedia で立項され、概略が説明されている(4)。

二 日本におけるこれまでのマスコミ報道

( 1 )石井四郎と731部隊の細菌戦

 日本のマスコミがいち早く注目したのは、占領権力と非訴追旧軍幹部の結びつきであった。

NARA の報道発表直後に報じられたのは、石井四郎の731部隊についての新情報で、それは

William H. Cunliffe 編纂の Select Documents on Japanese Warcrimes and Japanese Biological

Warfare, 1934―2006として特別公開されており、資料そのものが、ウェブ上の画像としてダウ

ンロードできる(5)。

旧日本軍の「細菌戦研究」究明 米、機密文書10万ページ公開(サンケイ新聞2007年 1 月19日)

 米国立公文書館(メリーランド州)は、旧日本軍が当時の満州(現中国東北部)で行った細菌戦研

究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。文書目録によれば、石井四郎軍

医中将を含む731部隊(関東軍防疫給水部)関係者の個別尋問記録が、今回の公開分に含まれている。

また、細菌戦研究の成果を米軍に引き渡したとされる石井中将が、米側に提出する文書を1947年(昭

和22年) 6 月ごろ執筆していたことを裏付ける最高機密文書も今回明らかになった。

 今月12日に公開された機密文書は、ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリン

トン政権当時の1999年に米政府の関係機関で構成された記録作業部会(IWG)が、米中央情報局

(CIA)や前身の戦略情報局(OSS)、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)などの情報文書を分

析し、機密解除分をまとめて公開した。

 IWG の座長を務めるアレン・ウェインステイン氏は、「新たな資料は学者らが日本の戦時行動を理

解する上で光を当てる」と意義を強調するが、作業は「日本の戦争犯罪」を立証する視点で行われた。


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iv

日本語資料の翻訳と分析には中国系の専門家も加わっている。細菌戦などに関する米側の情報文書は、

これまでも研究者が個別に開示請求してきたものの、一度にこれだけ大量に公開された例は少ない。

 情報の一部は1934年(昭和 9 年)にまでさかのぼるが、終戦の1945年(同20年)前後4年分が大半

を占めている。文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だ。公開文書の概要によれば、

1937年12月の南京事件に関する文書が一部含まれる。IWG では「慰安婦問題」を裏付ける文書も探

したが、「目的を達せず、引き続き新たな文書の解析を図る」と述べるなど、調査では証拠が見つか

らなかったことは認めている( 6 )。

 ただし、上記サンケイ記事中、「文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容」と

いうのは、現物をよく見ないで書いた、新聞報道によくある不正確な記述である。米国側の資

料整理を担当した学者・Archivist による資料紹介である Researching Japanese War Crimes

Records: Introductory Essays では、確かに細菌戦問題も重要な論点とされているが、巻頭

Daqing Yang 論文では南京事件についての軍医 Hosaka Akira の日記証言が使われているのを

はじめ、細菌戦以外の多くの主題が含まれている。新聞報道の多くは、IWG の230ページに及

ぶ Introductory Essays の巻末 Michael Peterson 論文で要領よく整理されている事実の焼き直

しであり、機密解除記録そのものにじっくり取り組んだ形跡はみられない。事実、「『日本の戦

争犯罪』を立証する視点」が謳われているにもかかわらず、その解説文では重視されていない

がゆえに、従軍慰安婦問題や昭和天皇についての第一次資料にあたっての探索・報道は行われ

ていない( 7 )。

( 2 )G 2 ウィロビーに使われた旧軍情報将校の「新日本軍」「地下日本

政府」計画

 いまひとつ、マスコミに注目されたのは、同じく Introductory Essays で扱われた、GHQ・G

2 ウィロビー将軍の庇護のもとで戦犯訴追を免れ、マッカーサー戦史作成の名目( 8 )で反共諜

報活動に使われた有末精三、服部卓四郎、河辺虎四郎らによる、「新日本軍」「地下日本政府」

の陰謀計画である。この点は、NARA の報道発表以前に、共同通信がスクープし、のちに時

事通信も追いかけた( 9 )。情報戦の観点からみると、こうした機密解除資料発表の仕方、それ

に対するメディアや学界の反応・対応も、重要な論点になりうる。

幻の「新日本軍」計画 旧軍幹部、首相に提案(共同通信2006年 8 月20日)

 旧日本軍幹部が太平洋戦争後の1950年前後、「新日本軍」に相当する軍組織の設立を独自に計画し

ていたことが20日、機密指定を解除された米公文書で判明した。構想は連合国軍総司令部(GHQ)

の了解の下で進み、河辺虎四郎元陸軍中将(故人、以下同)らが立案。最高司令官には宇垣一成元大

将(元陸相)を想定しており、当時の吉田茂首相にも提案していた。

 戦後史に詳しい複数の専門家によると、服部卓四郎元陸軍大佐ら佐官クラスの再軍備構想は知られ

ているが、河辺氏ら将官級による新軍構想は分かっていなかった。毒ガス隊など部隊の編成を目指し

た河辺氏らの構想は最終的に却下され「幻の計画」に終わった。

 文書は、GHQ や中央情報局(CIA)の記録を保管する米国立公文書館で見つかった。河辺氏の経


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歴や活動を伝える秘密メモによると、河辺氏は警察予備隊発足前の1950年 2 月ごろ( 1 )毒ガス隊

( 2 )機関銃隊( 3 )戦車隊からなる近代装備の「警察軍」構想を立案。51年に入ると宇垣氏を「最

高司令官」に、河辺氏を「参謀総長」に充てることを「日本の地下政府が決定した」と記載している。

 「地下政府」は、公職追放された旧軍幹部らが日米両当局にさまざまな影響力を行使するためにつ

くったグループを指すとみられる。しかし河辺氏らの構想は採用されず、GHQ のマッカーサー最高

司令官は朝鮮戦争発生直後の50年 7 月に陸上自衛隊の前身である警察予備隊の創設を指示。再軍備を

通じた旧軍将官の復権は実現しなかった(10)。

 この「河辺機関」については、詳しい解説(11)と、国内外共産主義情報収集のための「タケ

マツ作戦(12)」及びその失敗(13)についても報道されている。

( 3 )正力松太郎、吉田茂、辰巳栄一と CIA

 IWG 新公開資料中で特に注目されたのは、本資料集のもととなる CIA の個人ファイル公開

であった。そのうち「正力松太郎ファイル」に注目していち早く解読し、正力の CIA コード

ネームが PODAM であることをつきとめた早稲田大学の有馬哲夫は、『日本テレビと CIA 発

掘された「正力ファイル」』(新潮社、2006年)を皮切りに、『原発、正力、CIA』(新潮新書、

2008年)、『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』(平凡社新書、2009年)を発表した。その延長上

で、『アレン・ダレス 原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』(講談社、2009年)、『CIA と戦後日

本 保守合同・北方領土・再軍備』(平凡社新書、2010年)、『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』

(新潮新書、2010年)、『原爆と原発 「日・米・英」核武装の暗闘』(文春新書、2012年)、『児玉誉

士夫 巨魁の昭和史』(文春新書、2013年)、『こうしてテレビは始まった:占領・冷戦・再軍備

のはざまで』(ミネルヴァ書房、2013年)など、研究を広げていった。

 他のファイルとのクロスから、以下のように、吉田茂の軍事顧問辰巳栄一と CIA の関係を

も見出した。ただしこれは、IWG が解読した CIA コードネーム解読表 Lexicon にもとづくも

ので(14)、日本人のコードネームについては、まだまだ解明すべき問題が多い。

吉田茂側近「辰巳中将」が CIA に情報提供?(共同通信2009年10月 3 日)

 吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895―1988年)が、米中央情報

局(CIA)に「POLESTER― 5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設に

かかわる内部情報を提供していたことを示す資料を 3 日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)

が米国立公文書館で発見した。日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の

対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。有馬教授は同館で発見

した CIA のコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。「より強力な軍隊と

情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国に CIA

を通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と

指摘している。

 CIA の辰巳氏に関するファイル(1953―57年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供


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者」「首相の助言者」「POLESTER― 5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内

閣調査室」などの「情報を CIA に与えた」と記されていた。辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工

作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立

案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を

信頼し、1950年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。

 CIA は1956年11月26日付文書で「CIA が使う上でおそらく最高で、最も安全で、最も信頼できる

人物の一人」と辰巳氏を評価していた。有馬教授は「表舞台の外交で米国特使、国務長官を務めた

ジョン・フォスター・ダレスが日本に再軍備を迫り、舞台裏で弟のアレン・ダレスが CIA 副長官、

長官としてその下工作をするというダレス兄弟の連携の実態が、今回の発見で明らかになった」と話

している(15)。

(4)緒方竹虎を吉田後継首班とする CIA 工作とその挫折

 トータルで120万ページ、日本関係だけで10万ページが新たに機密解除されたから、さまざ

まな資料が入っている。筆者自身は、2009年夏、早稲田大学で行われた20世紀メディア研究所

公開研究会で、山本武利・吉田則昭との共同研究にもとづき、「吉田茂のあとに緒方竹虎を首

相にすれば米国の利害で日本を動かすことができる」として米中央情報局(CIA)が対日政治

工作を行っていた事実を、CIA「緒方竹虎ファイル」から解読し、緒方のコードネーム

POCAPON と「ポカポン工作」の全容を含めて報告した。

 それは、毎日新聞2009年 7 月26日朝刊で「CIA、緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文

書分析」という一面トップ記事に取り上げられ、英文でも紹介された。筆者のホームページ

「ネチズンカレッジ」にも、関連資料を含めて公開したため、世界中からさまざまな問い合わ

せと関連情報提供があり(16)、それらをも参照して共同研究者吉田則昭が『緒方竹虎と CIA』

という書物にした(平凡社新書、2012年)。

CIA、緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析(毎日新聞2009年 7 月26日)

 1955年の自民党結党にあたり、米国が保守合同を先導した緒方竹虎・自由党総裁を通じて対日政治

工作を行っていた実態が25日、CIA(米中央情報局)文書(緒方ファイル)から分かった。CIA は緒

方を「我々は彼を首相にすることができるかもしれない。実現すれば、日本政府を米政府の利害に

沿って動かせるようになろう」と最大級の評価で位置付け、緒方と米要人の人脈作りや情報交換など

を進めていた。米国が占領終了後も日本を影響下に置こうとしたことを裏付ける戦後政治史の一級資

料と言える。

 山本武利早稲田大教授(メディア史)と加藤哲郎一橋大大学院教授(政治学)、吉田則昭立教大兼

任講師(メディア史)が、2005年に機密解除された米公文書館の緒方ファイル全5冊約1000ページを、

約 1 年かけて分析した。内容は緒方が第四次吉田内閣に入閣した52年から、自由党と民主党との保守

合同後に急死した56年までを中心に、緒方個人に関する情報や CIA、米国務省の接触記録など。

 それによると、日本が独立するにあたり、GHQ(連合国軍総司令部)は CIA に情報活動を引き継

いだ。米側は1952年12月27日、吉田茂首相や緒方副総理と面談し、日本側の担当機関を置くよう要請。


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政府情報機関「内閣調査室」を創設した緒方は日本版 CIA 構想を提案した。日本版 CIA は外務省の

抵抗や世論の反対で頓挫するが、CIA は緒方を高く評価するようになっていった。吉田首相の後継

者と目されていた緒方は、自由党総裁に就任。二大政党論者で、他に先駆け「緒方構想」として保守

合同を提唱し、「自由民主党結成の暁は初代総裁に」との呼び声も高かった。

 当時、日本民主党の鳩山一郎首相は、ソ連との国交回復に意欲的だった。ソ連が左右両派社会党の

統一を後押ししていると見た CIA は、保守勢力の統合を急務と考え、鳩山の後継候補に緒方を期待。

55年には「POCAPON(ポカポン)」の暗号名を付け緒方の地方遊説に CIA 工作員が同行するなど、

政治工作を本格化させた。同年10―12月にはほぼ毎週接触する「オペレーション・ポカポン」(緒方

作戦)を実行。「反ソ・反鳩山」の旗頭として、首相の座に押し上げようとした。緒方は情報源とし

ても信頼され、提供された日本政府・政界の情報は、アレン・ダレス CIA 長官(当時)に直接報告

された。緒方も55年 2 月の衆院選直前、ダレスに選挙情勢について「心配しないでほしい」と伝える

よう要請。翌日、CIA 担当者に「総理大臣になったら、 1 年後に保守絶対多数の土台を作る。必要

なら選挙法改正も行う」と語っていた。

 だが、自民党は4人の総裁代行委員制で発足し、緒方は総裁になれず 2 カ月後急死。CIA は「日

本及び米国政府の双方にとって実に不運だ」と報告した。ダレスが遺族に弔電を打った記録もある。

結局、さらに 2 カ月後、鳩山が初代総裁に就任。CIA は緒方の後の政治工作対象を、賀屋興宣(か

やおきのり)氏(後の法相)や岸信介幹事長(当時)に切り替えていく。加藤教授は「冷戦下の日米

外交を裏付ける貴重な資料だ。当時の CIA は秘密組織ではなく、緒方も自覚的なスパイではない」

と話している(17)。

 学術的には、今回の新規機密解除以前に、米国国立公文書館で情報公開法などをも用いなが

ら系統的に第一次史料を収集し解読した春名幹男『秘密のファイル』(共同通信社、2000年)、山

本武利『ブラック・プロパガンダ』(岩波書店、2002年)や、機密解除資料を用いた日本国際政

治学会『国際政治』第151号特集「吉田路線の再検証」(2008年)、柴山太『日本再軍備への道』

(ミネルヴァ書房、2010年)などの研究が現れてきている。

 米国での先駆的研究であるニューヨーク・タイムズ記者ティム・ワイナーの『CIA 秘録』

(文藝春秋、2008年)でも、本資料集収録資料の一部が用いられ、第12章「別のやり方でやった 

自民党への秘密献金」及び第46章「経済的な安全保障のためのスパイ 日米自動車交渉」は、

それぞれ日本での CIA 活動に焦点を当てている。

三 IWG 資料から見える戦後米国の情報戦

( 1 )個人ファイル、問題別ファイル、ビジネス・ファイル

 今回機密解除・公開された IWG 資料で目玉とされているのは、CIA(中央情報局)、FBI(連

邦捜査局)、MIS(陸軍情報部)などの Name File(個人ファイル)である。そのほかに、各政府

機関ごとの Subject File(主題別ファイル)があり、2008年 8 月には、CIA の前身である OSS

(戦略情報局)勤務員についての Business File(Official Personal File)も公開された。これらにつ


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いて、ひとまず公開状況を概観しておこう。これらはインターネット上の米国国立公文書館オ

フィシャル・サイトで、ファイル名・個人名・資料番号まで公開されている。だから、日本関

係10万ページの機密解除資料にどういうものがあるかは、NARA ホームページの資料リスト・

索引で、日本にいても知ることができる(18)。ただし、ファイル現物の閲覧は、ワシントンD

C近郊の NARA 別館でのみ可能である。

 その第一は、個人ファイルである。ネーム・ファイル Name File と言って、CIA、MIS、

FBI 関係の人名ごとにファイルに分類され、その人物に関する情報・資料がまとまった形で保

存されている。人物によっては膨大で、筆者らの研究チームは、CIA「緒方竹虎ファイル」全

5冊1000ページの分析と裏付け調査に、約一年をかけた。本資料集で扱うのは、主としてこの

ジャンルの CIA ファイルである。

 第二は、サブジェクト・ファイル Subject File、すなわち問題別ファイルである。日本の中

国大陸における諜報活動とか、欧米での情報戦とか、テーマに即してまとまったファイルが、

CIA だけでも200冊以上ある。ただし、マスコミからの照会の多い、占領期日本の三大事件

(下山事件、三鷹事件、松川事件)と G 2 キャノン機関や CIA の関連を示唆する謀略の資料は、

個人ファイル類を含め、今のところ見つかっていない。

 第三に、ビジネス・ファイルと呼ぶべきファイル群がある。まとまった形では、ナチス・日

本帝国戦犯記録とは別に、2008年 8 月に公開された、CIA の前身 OSS(米戦略情報局)の OSS

Official Personal ファイル(RG226) 3 万5000人分75万ページで、OSS に勤務した人々の雇用契

約、契約時の履歴書、勤務地と職務内容、給与・昇給・昇進、転勤・退職などの記録が、収録

されている。このほか、CIA や MIS のファイルでも、履歴書や居住・家族情報などが綴じ込

まれている場合が通例である。

 このビジネス・ファイル群では、OSS の調査分析部(Research & Analysis, R&A)の情報分析

で活躍したW・W・ロストウやアーサー・シュレジンジャーら戦時米国における学者・研究者

の戦争動員の記録が入っている。当時のハーバード大学歴史学部長ウィリアム・ランガーが人

材集めの中心で、歴史学、人類学、社会学、経済学、政治学、法学、心理学、言語学、地理学

等々の全米最高の頭脳が集められ、「敵国」ドイツ・日本の分析にあたっていた。しかもそこ

には、ポール・スウィージー、ポール・バランのようなマルクス主義者まで入っていて、ファ

シズムに勝利し世界中に「民主主義国家」を再建するための、米国の戦略的な調査と研究が行

われた。いわば、自然科学における原子爆弾開発「マンハッタン計画」に相当する、人文・社

会科学版「マンハッタン計画」が戦時中に組織されていた。OSS Official Personal ファイルは、

その調査分析部 R&A の全容を解明するための、基礎資料となる。戦後日本の民主化・非軍事

化政策との関わりでは、ジョー小出(鵜飼宣道)、藤井周而、石垣綾子、坂井米夫ら当時の在米

日本人左翼で OSS に協力した人々のファイルが入っている(19)。

 全体のファイルは、米国国立公文書館の機密解除の通例にならって、史資料を所管していた

政府機関別に分類されている。

 IWG「ナチス・日本帝国戦争犯罪記録」については、

国務省 Department of State(記録群 Record Group 59)


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外国郵便局 Foreign Service Posts(RG84)

連邦捜査局 FBI(RG65)

海外資産局 Office of Alien Property(RG131)

戦略情報局 OSS(RG226)

ロバート委員会(The Roberts Commission、Records of the American Commission for the Protec-

tion and Salvage of Artistic and Historic Monuments in War Areas, RG239)

中央情報局 CIA(RG263)

陸軍 Army(RG319、Army Intelligence and Security Command(INSCOM)プラス Records of the

Investigative Records Repository(IRR)

Records of the Office of the Secretary of Defense(RG 330)

Records of the United States Army Commands(RG 338)

U.S. Army Forces in the China-Burma-India Theaters of Operation(RG493)

National Archives Collection of Foreign Records Seized(RG242)

などに分類されて整理されている。

 海軍情報部(ONI)や国家安全保障局(NSA)はここにはないが、個々のファイルには別の

政府機関がもともと作成・収集した資料が入っている場合もある。それぞれの内部分類もウェ

ブ上でカタログ化されているから、おおまかな概要は、ウェブ上で知ることができる。ただし

現物を NARA 別館で見てみると、個人ファイルでも貴重な情報が満載されている場合もあれ

ば、履歴書 1 枚だけという場合もある。

 以下にまず、個人ファイルの公開状況を、日本関係を中心に概観する。

( 2 )連邦捜査局 FBI 個人ファイル(RG65)

 FBI は、連邦レベルでの警察組織であるが、ドイツ人・日本人に限らず、戦前・戦時・戦後

のアメリカ合衆国の出入国を、移民局とともに管理していた。また、中南米での情報収集活動

も FBI のテリトリーであった。

 日本人関係では、戦争中に日本から米国兵士に反戦・厭戦を呼びかけたラジオの英語プロパ

ガンダ放送「ゼロ・アワー」の女性アナウンサー「東京ローズ」として米国で国家反逆罪に問

われたアイバ・戸栗・ダキノ、1930年代カリフォルニアの日系左派の新聞『同胞』編集長藤井

周而の記録や、米国に渡ったキリスト教社会運動家賀川豊彦の関係資料が豊富に入っている。

ドイツ人・日本人出入国記録などは、この記録群から探索できる。

( 3 )中央情報局 CIA 個人ファイル(RG263)

 今回の機密解除で世界から最も注目されているもので、第一次と第二次の二回に分けてリ

リースされた。ナチス・ドイツ関係と日本帝国関係は区別されておらず、索引はアルファベッ

ト順、ボックスは独日一括で作られている。だから、アドルフ・ヒトラー Hitler の直前に、

昭和天皇裕仁 Hirohito や東久邇稔彦 Higashikuni の個人ファイルが入っている。ただし、昭和

天皇裕仁や岸信介のファイルを見ると、「戦争犯罪記録」といいながら、戦争責任や東京裁判


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に関する資料はほとんどなく、未だに重要部分は非公開のままであると推定できる(20)。

 CIA Name File の第一次公開は788人分とされるが、アルファベット順で検索できる圧倒的

多数は、ドイツ人名である。わずかに日本人名と特定できるのは、土肥原賢二、今村均、石井

四郎、大川周明の4人各 1 冊計4冊である。

 第二次公開は約1100人分であるが、そこから日本人らしい名前を抽出すると、秋山博、有末

精三、麻生達男、土肥原賢二、福見秀雄、五島慶太、服部卓四郎 2 冊、東久邇稔彦、昭和天皇

裕仁、今村均、石井四郎、遠藤三郎、賀屋興宣、岸信介、児玉誉士夫 2 冊、小宮義孝、久原房

之助、前田稔、野村吉三郎、緒方竹虎5冊、大川周明、小野寺信 2 冊、笹川良一、重光葵、下

村定、正力松太郎 3 冊、辰巳栄一、辻政信 3 冊、河辺虎四郎、和知鷹二、和智恒蔵という31名

の個人ファイルが見出される。

 筆者の概観では、一・二次合計で31人45冊分となる。ただし第一次公開分の4人の記録は、

第二次公開で増補・追加されても重複する場合がほとんどなので、本資料集では、増補・追加

分を注記しつつ、原則として第二次公開のファイルを収録する(21)。

 多くは戦犯ないしその容疑者だが、東京(極東軍事)裁判の戦犯容疑者約100人中では、12人

(上記網掛け分)しか重ならない。つまり、CIA の個人資料収集基準は、占領改革期の戦争犯罪

追及=民主化・非軍事化の原理とは、全く異なっている。むしろ、731部隊長石井四郎に典型

的なように、戦犯訴追を免れた旧軍人が多い。有末精三、河辺虎四郎、服部卓四郎ら GHQ・G

2 歴史課などに協力して訴追を逃れた人々が入っている。

 上海自然科学研究所の小宮義孝は、731部隊の石井四郎・福見秀雄と同様に細菌戦関与を疑

われたのであろうが、もともと小宮は治安維持法で検挙され東大医学部助手から上海へ左遷さ

れた左翼である。この小宮義孝を唯一の例外として、今回機密解除された CIA 個人ファイル

には、左翼関係者は入っていない。

 しかしこれは、CIA が日本の左翼を無視し、監視・工作をしていなかったことを意味しない。

左翼系ファイルは、今回公開分には入っていないが、なお「極秘」「秘密」の扱いを受けてい

る可能性も残されている。

 このことは、ナチス戦犯記録の CIA ドイツ人ファイルと比較すると、理解できる。膨大な

ドイツ人関係 CIA 個人ファイルの中で、第一次・第二次を合わせ最も冊数が多いのは、クラ

ウス・バルビー11冊(第一次 7 冊、第二次4冊)で、ラインハルト・ゲーレン10冊(第一次 3 冊、

第二次 7 冊)、アドルフ・ヒトラー 7 冊(第一次 3 冊、第二次4冊)の順である。ゲーレン、バル

ビーは、ナチス・ドイツの高官で、明らかな戦争犯罪人であったが、ドイツの敗戦後、アメリ

カ占領軍・NATO 軍に協力し、CIA ともつながった、戦後米国への協力者・情報提供者である。

 第二次公開の日本人ファイルの中で冊数が多いのは、緒方竹虎5冊を筆頭に、正力松太郎、

辻政信が 3 冊、今村均、大川周明、服部卓四郎、児玉誉志夫、小野寺信がそれぞれ 2 冊である

から、さしあたり、彼らの戦後 CIA との関係が、ある程度推定できる。

 ドイツ、日本とも、ニュルンベルク裁判・東京裁判の戦犯容疑者名簿とは異なる原理で

CIA から注目され、個人資料がファイルされていたことがわかる。端的に言えば、戦後冷戦

開始時に、アメリカ合衆国の反共諜報活動に関わった人々が、多く含まれている。

 本資料集「CIA 日本人ファイル」に収録された以上の31人の略歴とファイルの意義につい


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ては、概要を第4章に掲げる。

(4)米国陸軍情報部 MIS(Army Staff)の IRR 個人ファイル(RG319)

 マスコミの関心は、戦後日本政治における CIA の役割に集中したが、日本現代史の情報戦

資料としてより重要なのは、陸軍情報部(MIS)の個人ファイルである。米国国立公文書館の

分類と請求名でいえば、IRR(Investigative Records Repository)Personal Name files 資料である。

主に各国駐留の米軍 CIC(Counter Intelligence Corps、対敵防諜部隊)が現地で収集したものを、

ワシントンの国防省(ペンタゴン)でファイルしたものであるため、CIC/IRR ファイルとも呼

ばれるが、時には FBI、ONI(海軍情報部)、OSS、CIA、それに公式の外交機関である国務省

の収集資料なども混じっている場合がある。

 陸軍情報部資料は、索引で数万人に及ぶ、膨大なものである。CIA の場合と同様な手法で、

アルファベット順の索引から日本人らしい名前を抽出すると、約2000人分になる。昭和天皇裕

仁、近衛文麿・東久邇稔彦ら皇室関係者、吉田茂・岸信介・中曽根康弘・大平正芳ら首相経験

者が入っている。しかしなぜか、鳩山一郎・石橋湛山・池田勇人・佐藤栄作のファイルはリス

トにない。児玉誉士夫・笹川良一・里見甫ら右翼、有末精三・今村均・辻政信ら旧軍人、浅沼

稲次郎・野坂参三・徳田球一・中野重治・佐多稲子ら左派有力者が監視され記録されている。

これまで筆者がある程度系統的に解読したのは、尾崎秀実、川合貞吉、宮西義雄、木元伝一、

堀江邑一、E. Otto らゾルゲ事件関係者のファイルである。

 ただし、筆者が名前を推定できたのは、2000人中 1 割の200人余にすぎない。圧倒的多数は

無名の人々で、サンプルチェックの限りでは、シベリア抑留帰還者、中国引揚者などが多い。

 実は、こちらの陸軍情報部 IRR 資料の方が、@狭義の戦犯にとどまらず、日本の政治・経

済・社会・文化の有力者を網羅するほか、無名の人々の履歴書・監視記録多数を含み、A1930

年代から70年代をカバーし、(現在も米軍基地には防諜部隊 CIC があるため)時には1990年代のも

のまで入っていて、公開情報量も CIA に比して圧倒的に多く、B米国が世界戦略・軍事的目

標達成上必要と認め収集した、日本人個人情報・監視記録のワシントンに送られた分であるか

ら、現代史研究にきわめて有益である。Cただし、人名の誤読やたんなる噂・風評情報も多く、

誤った個人情報も含んでいるため、総じて批判的解読が必要である。したがって、日本の研究

者は、米国側解説にこだわらずにボックスを開き、実際に読んでみなければ、内容・価値がわ

からない。こうした意味で、大きな学術的可能性を秘めた記録である。また CIA と重複する

名前もあるため、児玉誉士夫・有末精三・辻政信らについては、CIA 情報と IRR ファイルの

クロス・チェックが求められる。ただし、ここでもすべての陸軍情報部収集記録が機密解除さ

れたとは考えられず、米国情報公開法にもとづく個別請求などで、さらに積極的に探索する必

要は失われていない。

 以下に、筆者が請求して瞥見できた範囲内での概略を述べておく。これは、IRR 個人ファイ

ル数万人分の中から、英字索引でアジア人名ではないかと思われる人物名約2000人分を研究用

にリストアップし、その中で漢字表記も推定できる200人ほどの人名をあらかじめ準備したう

えで、ワシントン DC の米国国立公文書館で請求・閲覧・複写したものである。その推定名が

誤りで徒労に終わったり(例えば KOBAYASHI Takeji は作家・小林多喜二ではないかと現物にあた


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ると、小林武二という別人であった)、たまたま著名人のファイルと同じボックスに無名だが価値

のあるファイルがあったりする連続で、試行錯誤の繰り返しの中で目を通すことができた、ご

く一部の範囲内のものであることを断っておく。また英文資料の暫定的解読段階のものである

から、誤読や誤訳がありうる。読者による追試解読を歓迎する。

@ 「昭和天皇・裕仁ファイル」は、全部で100ページ強の、戦後すぐの時期の昭和天皇につい

ての記録である。その一部は、すでに時事通信ワシントン支局長(当時)名越健郎(現拓殖大学

教授)が情報公開法により請求し、1999年10月31日時事配電で紹介している。戦後天皇制の行

方については、1945年10月27日付ジョージ・アチソン政治顧問の国務省に宛てたマッカー

サー・天皇会見覚書が入っている(秦郁彦によって紹介済み(22))。45年10月に東久邇稔彦が述べ

たという昭和天皇退位の間接情報もある。1946―47年の地方行幸についての報告とその反応は、

貴重な同時代資料である。日本国憲法が制定され、国会で承認されて、施行されることが決

まった時点での、京都で永末英一の世論研究所が行った象徴天皇制についての世論調査記録

(『サーヴェイ』誌1947年 1 月)は、全文が英訳されている。「現状維持」52.2%、「天皇にもっと

権力を」32%、「弱める」3.5%、「廃止」4%に注目しているが、特に米国側コメントはない

(川島高峰によって紹介済み(23))。GHQ 主導の象徴天皇制創設が日本国民から受容されているこ

とを、確認したものであろう。

A 有末精三、辻政信、大川周明、下村定、今村均、小野寺信、児玉誉士夫、笹川了一らにつ

いては、CIA の個人ファイルとは別に、米国陸軍諜報機関による監視記録がある。両者をク

ロスすることによって、占領下の旧軍人・右翼の活動は、いっそう明確になる。CIA には入っ

ていなかった中国大陸「阿片王」里見甫らについても、IRR 個人ファイルから新たな情報が得

られる。特に敗戦直後に米国陸軍が行った尋問記録は貴重である。

B 政治家のファイルは、保守・革新を問わず、多数含まれている。「吉田茂ファイル」は、

一部はすでに共同通信ワシントン支局長だった春名幹男(現早稲田大学)が情報公開法にもと

づき資料請求し、著書『秘密のファイル』(共同通信社、2000年)中で紹介したように、吉田が

再軍備に消極的だったといわれる裏で、米軍に積極的に情報提供していた事実が明らかになる。

 CIA 個人ファイルでは期待はずれだった「岸信介ファイル」も、良く知られた東京裁判で

の国際検察局 IPS 尋問書(国会図書館憲政資料室所蔵)とは異なる、1946年 3 月巣鴨入獄時の

CIS(民間情報局)尋問調書が入っている。その一部は春名幹男『秘密のファイル』に紹介さ

れている。MIS の岸ファイルは、賀屋興宣ファイル、重光葵ファイルとともに、CIA と MIS

の個人情報収集の仕方の違いを知るうえでも、貴重なものである。

 なお、比較的新しい中曽根康弘のファイルでは、敗戦直後の国家主義的民族活動や日本にお

ける原子力発電開始期の記録が入っており、筆者はそれを解読して「日本における『原子力の

平和利用』の出発―原発導入期における中曽根康弘の政略と役割」(加藤哲郎・井川充雄編『原子

力と冷戦―日本とアジアの原発導入』花伝社、2013年)を発表している。大平正芳ファイルでは、

日韓条約・日中国交回復時が注目されている。ただし鳩山一郎、石橋湛山、河野一郎、池田勇

人、佐藤栄作など、吉田や岸、賀屋、重光に準じて当然監視されていたであろう日本人政治家

の名前が、今回公開された2000人中にはない。MIS=IRR ファイルについても、全面公開とは

言えないと考えるべきだろう。


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xiii

C 左翼政治家では、日本共産党指導者「野坂参三ファイル」が重要である。戦後占領期の野

坂参三と GHQ との交流はこれまでもささやかれてきたが、IRR 野坂ファイルには、Safell 大

佐宛で野坂参三が執筆した自筆書簡数通の現物が入っているほか、占領期の米国と日本共産党

の関係を示唆する豊富な内容となっている。無論、GHQ・G 2 は、野坂の一挙一動を疑って監

視しており、転居のたびに住居周辺の地図が作られ、写真も多く撮られている。重要な演説は

すぐに英訳されてワシントンに送られた。

 重要なのは、1944年延安での米国ディキシー・ミッション(米国として初めての中国共産党延

安根拠地訪問団)のジョン・エマーソン、有吉幸治による野坂インタビュー以来、野坂の柔軟

な天皇論評価が占領初期米国の野坂への注目・評価のもととなっていたことである。同時にそ

れは、戦前1934―38年の野坂のモスクワからの米国密入国歴(ジョー小出・木元伝一らを助手と

した『国際通信』『太平洋労働者』発行など)が見破られていなかったことを意味することが、IRR

ファイルに何通も入っている野坂の履歴調査からわかる。この点は、最近翻訳された米国国家

安全保障局(NSA)の旧ソ連暗号解読『ヴェノナ』文書(24)においても同様で、戦前・戦後のソ

連共産党と米国共産党との間の膨大な暗号通信の中には、野坂の名は出てこない(日本人では

宮城与徳とジョー小出のみ)。ただし、いち早く公開された旧ソ連コミンテルン文書中のアメリ

カ共産党記録文書中には、岡野進=野坂参三のアメリカ滞在中の暗躍を示す文書が出てくる(25)。

野坂参三は、戦後占領期に、この隠された米国体験を最大限に利用したコミュニストであった。

 日本共産党については、このほかに、徳田球一、志賀義雄、神山茂夫、中西功、志田重男、

椎野悦郎ら共産党幹部の監視ファイルがあり、朝鮮戦争時のものが多い。沖縄人民党を動かし

ていた非合法沖縄共産党の瀬長亀次郎、国場幸太郎らの膨大なファイルもワシントンに送られ

た(26)。ただし、ここでも宮本顕治・袴田里見・伊藤律ら、当然監視されていたはずの指導者

名のファイルはない。

 なお、延安の野坂参三とともに、戦時米国情報機関から中国抗日運動への支援者として評価

された重慶の鹿地亘については、IRR 鹿地ファイル中に1945年 7 月17日付米国政府宛で交わし

た Agent 契約書が入っている(月200ドルの金銭授受)。鹿地はこの契約を日本の敗戦までのも

のと解釈して日本帰国後は左翼作家としてソ連大使館等にも出入りしたが、米国側はなお鹿地

をエージェントとして扱おうとした。いわゆる鹿地亘拉致事件の背景にあった米国情報機関と

鹿地の結びつきは、この資料によって裏付けられる。

D 死者も監視されていた。1944年にゾルゲ事件で死刑に処された尾崎秀実の個人ファイルが

入っている。尾崎秀実は、索引では OZAKI Hidemi と誤読されているが、死後もアメリカ軍

の監視対象で、戦後のゾルゲ・尾崎事件についての新聞報道などがファイルされている。当時

のカストリ雑誌『うら・おもて』1949年5月号別冊「ゾルゲ事件の真相、尾崎秀実は国を売っ

た」が、なぜか G 2 ウィロビーの注意をひき、現物全文が収録されており、敗戦直後のベスト

セラー『愛情はふる星の如く』に関する新聞記事などが英訳されている。尾崎の経歴も数通

入っており、その友人関係では、太平洋調査会(IPR)関係者や昭和塾の関係者、とりわけ平

貞蔵について詳しく調べた形跡がある。GHQ・G 2 のウィロビーは、ゾルゲ事件へのアメリカ

人左翼の関わり、とりわけアグネス・スメドレーを非米活動共産主義者として告発することに

熱心であったが、その収集記録の一部は、こうしたファイルに残されている。


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xiv

 ゾルゲ事件関連では、川合貞吉ファイルが、とりわけ重要である。1947年 9 月12日から51年

7 月30日までの GHQ/CIS(民間情報局)ポール・ラッシュ、本郷ハウス・キャノン機関への情

報提供の記録が入っており、戦後はゾルゲの上海時代を知る「生き証人」として登場し、尾崎

秀実の異母弟尾崎秀樹を助けてゾルゲ事件真相究明会をたちあげ、当時の日本共産党農民部長

であった伊藤律をゾルゲ事件関係者検挙の発端を作った「生きているユダ」として告発し伊藤

を失脚させるのに成功したが、実はそれはウィロビー、キャノン機関の協力者としての活動の

一部であったことがわかる。

 川合貞吉ファイルには、G 2 /CIS のゾルゲ事件担当だったポール・ラッシュとのツーショッ

ト写真のほか、川合がウィロビーに提供したゾルゲ事件情報もいくつか含まれている。例えば

史実かどうかは検証が必要だが、アグネス・スメドレーが1937年秘かに来日し、ゾルゲ・グ

ループのマックス・クラウゼンと新潟で会ったとか、日本共産党関係では、伊藤律とともに松

本三益の情報がゾルゲ事件発覚に役立ったといった情報で、尾崎・ゾルゲ・グループの上海時

代を知っていると称する川合貞吉は、マッカーシズムで在中米国人の多くをコミュニストに仕

立て上げ告発しようとしていたウィロビーにとって、きわめて重宝な日本人情報提供者であっ

たことがわかる。「生き証人」川合へのアメリカ側の関心は、「上海でのスメドレーについての

彼の個人的知識」で、川合と彼の家族の身柄を安全に確保するため、米軍の護衛兵や日本の田

中栄一警視総監までが動員されたが、1950年代に入ると、彼の情報の信憑性についての疑念が

担当情報将校から出され、彼の情報には月 2 万円の価値はない、日本共産党は彼を信用してい

ないため共産党内部情報が得られないから援助額を月 1 万円に減額して契約関係を解消したい

といった意見も出されるようになった(1950年 2 月20日)。こうした米軍の情報提供者への金品

授与までわかるファイルはきわめて珍しく(管見の限りでは前述鹿地亘ファイルと川合貞吉のみ)、

川合がウィロビー・キャノン機関の典型的なエージェントであったことがわかる。

 そのほかゾルゲ事件関係では、宮西義雄ファイルや木元伝一ファイルなども貴重な資料であ

るが、この点はすでに加藤『ゾルゲ事件』(平凡社新書、2014年)で詳しく論じているので、そ

れらを参照されたい。

E 占領期には、国会議員選挙に立候補した社会党・共産党など左派政党の候補者は、米軍諜

報機関の監視対象だったらしい。中野重治ファイルは、文学者への監視がどうであったかを知

る資料と期待し請求・閲覧したのだが、中野の文学活動についての記録はほとんどなく、日本

共産党参議院議員としての中野の監視記録だった。同様な記録として、日本社会党の高津正道

ファイルがあった。

 ただし、文学者・芸術家や学者・知識人が、監視対象から外されていたわけではない。佐多

稲子ファイルはこの意味で重要で、新日本文学会のほか、左派女性解放運動家としての活動が

記録されている。学者・文化人も同様で、湯川秀樹、滝川幸辰、都留重人、田中耕太郎、大内

兵衛らの監視記録があり、特に民主主義科学者協会(民科)や、日本共産党とのつながりなど

「進歩的知識人」としての活動がチェックされていた。

F こうしたある程度著名な個人とは別に、無数の無名の人々のファイルがある。そのいくつ

かをランダムに見てみると、シベリア抑留帰りの日本人、中国引揚者らの記録が多数含まれて

いることがわかる。特に舞鶴での抑留帰還者の尋問記録は、冷戦初期の米軍諜報機関にとって


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xv

は貴重な、ソ連・新中国についての最新生情報であり、朝鮮戦争での作戦遂行に使われたこと

がうかがえる(27)。

 このことを逆照射するのが、朝鮮戦争当時の読売新聞記者である三田和夫の個人ファイルで

ある。三田は、自身がシベリア抑留体験者で、米軍による舞鶴港での帰還者尋問を取材してい

た。また、帰還者をアメリカへの協力者に仕立て上げる米軍の工作を、「幻兵団事件」として

スクープし、さらには日本における CIA の活動を追って、「ラストボロフ事件」についても詳

しい記事を書き、著書も出していた。その著作、「東京秘密情報シリーズ」と銘打った『赤い

広場』及び『迎えにきたジープ』(共に二〇世紀社、1955年)は、日本語200ページ以上の全文が英

訳され、三田の個人ファイルに綴じ込まれていた。そのため三田和夫ファイルは、他の日本人

個人ファイルに比しても異様に膨大で、米軍 CIC が読売の三田報道をいかに重視し、マークし

ていたかを示唆している。三田は、当時のジャーナリストの中で、アメリカ情報機関の活動に

肉迫した報道によって、米軍に注目されていた。ただしこの「トップ屋」と呼ばれた敏腕記者

も、自社の当主正力松太郎が CIA エージェントであることまでは摑んでいなかったことになる。

G そのほか、MIS=IRR 個人ファイルには、金九など朝鮮人、毛沢東など中国人のファイル

も散見される。ベトナムのホー・チミンまで入っているが、これらは現地での調査記録ではな

く、日本での報道記事の英訳など「ナチス・日本帝国戦犯記録」と関わる限りでの公開になっ

ている。むしろ、ナチス関係で機密解除された、日米開戦時の駐日ドイツ大使オイゲン・オッ

ト、ゲシュタポ在日代表ヨゼフ・マイジンガーらの記録の方が、日本現代史研究には意味があ

る。

 オットは、ゾルゲを信用し騙された国防軍出身のドイツ外交官として知られているが、1946

年 2 月から半年間、当時住んでいた中国北京から東京に召還され、半ば軟禁状態で日独同盟、

ナチスの内情などを詳しく米軍に供述していた。渡辺延志『虚妄の三国同盟―発掘・日米開戦

前夜外交秘史』(岩波書店、2013年)は、このファイルを丹念に解読した労作である。

四 「CIA 日本人ファイル」のコードネームと収録者

( 1 )CIA 個人ファイルの概要――GHQ/G 2 への批判的態度?

 本資料集に収録した CIA の個々の個人ファイルの内容に立ち入ると、その分量、扱う時期、

信頼性、資料的価値は、ばらばらである。また筆者は、これら個人ファイルをようやく収集・

複写しえた段階で、本格的解読・分析はこれからである。以下に、筆者が瞥見した限りでの

ファイルの意義について、大まかなコメントを、順不同で付す。

@ 石井四郎、福見秀雄ファイルなど石井部隊関係者の個人ファイルは、先行研究や別に公開

された731部隊関係の特別ファイルと合わせ、米国側所蔵資料のほぼ全容がわかる。ただし、

福見秀雄ファイルは短文で、ほとんど情報がない。

 また、これまで筆者が731部隊に関わった「秋山浩」(『特殊部隊731』三一書房、1956年、の著

者)と見なしてきたファイルは、今回本資料集収録にあたって解読すると、特高警察関係で終

戦時警視庁刑事部長「秋山博」である可能性が強くなったので、本資料集では「秋山博」と推


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xvi

定し、資料そのものを掲げて、研究者の判断に委ねる。

A CIA 個人ファイル中で、おそらく政治史的に最も充実し、分量的にも豊富なのは、有末

精三、河辺虎四郎、服部卓四郎、辻政信らの、朝鮮戦争勃発・警察予備隊発足・サンフランシ

スコ講和時の「地下日本政府」による吉田茂暗殺クーデタ計画、第三次世界大戦誘発による再

軍備、新日本軍創設、宇垣内閣構想など、旧軍人関係ファイルである。「服部卓四郎ファイ

ル」中に綴じ込まれた約70頁の「The J.I.S. [Japanese Intelligence Service]and Japanese Nation-

al Revival : Present and Future」という戦後日本諜報史が、そのまとまった概観になっている。

B 旧軍人のうち、吉田茂の軍事顧問であった辰巳栄一のファイルには、有馬哲夫が指摘した

ように、POLESTER/ 5のコードネームが出てくる。ただし彼らのファイルに出てくるもので、

最初の PO(CIA の日本に対する暗号コード名)を付した CIA 初期の最重要エージェントと思わ

れる POPOV が誰であるかは、筆者にはなお不明である。

 CIA(暗号名 KUBARK)の報告中では、主として GHQ/G 2 のウィロビーによって戦犯容疑

を免責され、マッカーサー期の日本政治の裏舞台で活動し、第三次世界大戦を誘発しようとし

たり、再軍備を旧陸軍主導で進めようとした旧情報将校グループに対して、総じて批判的コメ

ントが付されている。マッカーサーの嫌った CIA は、マッカーサー、ウィロビー傘下の

GHQ/G 2 の諜報活動のあり方を、いかがわしい旧軍人国家主義者を使った謀略型情報戦と見

抜き、ワシントンのアレン・ダレス(暗号名 ASCHAM)らは、より米国の世界戦略に沿った

「近代的」情報組織に組み替えようとしたようにみえる。

B 旧軍人と密接につながって CIA 個人ファイルに出てくるのは、児玉誉士夫、笹川良一ら

右翼の流れで、CIA の分析は、実務的であるが批判的である。一部新聞が報じたように、

1953年 9 月10日の児玉ファイルには、彼の情報は信頼できず「金に汚いウソつき、ギャング」

だという CIA の内部報告がある(28)。ただし、児玉の記録はその後も続き、1960年前後には重

要情報提供者として再び登場する。この再浮上の経緯の解明には、他のファイルとのクロス、

他機関特に IRR ファイルとの照合が不可欠である。

 筆者のさしあたりの仮説では、いったんウィロビー支配下の旧軍人・右翼を切り離し、緒方

竹虎・正力松太郎らの政治情報に頼ろうとした CIA が、緒方の死と日本版 CIA 計画(内閣調

査室の拡充・改組)の挫折で計画変更を余儀なくされ、賀屋興宣・岸信介らにシフトすることに

よって、再び児玉誉士夫ら右翼と旧軍特務機関出身の職業的諜報プロに依拠せざるをえなく

なったのではないかと思われる。

 なお、「児玉誉士夫ファイル」と「笹川良一ファイル」を用いて、ドイツの国営テレビは、

2008年に「児玉機関と笹川良一」についての特集番組を作成した。その内容の一部は、you

tube に掲載・収録されて、日本からでも一時画像で見ることができた(29)。

C 政治家の CIA 個人ファイル中、緒方竹虎ファイル5冊と正力松太郎ファイル 3 冊は、特

別の意味を持つ。「緒方竹虎ファイル」全5冊には、緒方= POCAPON を吉田茂の後継首相

にするための CIA による1955年保守合同期の工作が詳細に出てくる。ただしこのポカポン工

作は、56年 1 月緒方の急死で挫折する。先に紹介した「CIA、緒方竹虎を通じ政治工作 50年

代の米公文書分析」という『毎日新聞』2009年 7 月26日朝刊一面トップ記事は、筆者を含む解

読チームの研究会報告をまとめたものである。また「正力松太郎ファイル」は、コードネーム


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xvii

PODAM の正力が、日本テレビ開局、読売新聞紙上での原子力平和利用の効用を説く Atoms

for Peace キャンペーンなどマスコミ工作が豊富に読みとれるが、これらについては、先述有

馬哲夫による一連の分析・解読が進行中である(30)。

 注目度の高い CIA の「岸信介ファイル」は、期待はずれで、首相就任後の新聞記事など既

知の資料のみである。むしろ陸軍情報部の岸信介 IRR ファイルの方が、資料的価値は高い。

A級戦犯で岸信介の盟友であった「賀屋興宣ファイル」には、緒方竹虎の死後 CIA が後継情

報源としようとした形跡がみられ、賀屋自筆のアレン・ダレス宛手紙の現物も入っている。

CIA 内部用の賀屋履歴書には、POSONNET― 1 というコードネームが付されていて、賀屋が

エージェントであったことが確認できる。

D 「裕仁ファイル」から、昭和天皇も戦後 CIA の監視対象になりファイリングされていたこ

とが確認できる。ただし、分量は20ページ足らずで、語学力や食事の嗜好、生物学研究など私

生活の一般的記述に留まり、資料的意義は乏しい。わずかに資料の日付が1975年訪米時など日

米「皇室外交」に関わる時期に集中していることから、アメリカ側の象徴天皇制への関心の有

様がうかがわれる(31)。戦中・戦後占領期の資料はなく、「戦犯記録」としての価値はない。こ

れは、上述「岸信介ファイル」とともに、二次の機密解除によってもなお、CIA の持つ「国

家安全保障上の利害を損なうような情報」は非公開であることを示唆している。

 このことは、「裕仁 Hirohito ファイル」と同時に公開され、ボックスも近い CIA の「ヒト

ラー Hitler ファイル」と併せ読むとよくわかる。ナチスの総統であったヒトラーについての

CIA ファイルは非常に充実しており、演説・宣伝手法から食事や性的嗜好まで、膨大な伝記

的・心理学的分析が収録されて、アメリカが「なぜドイツ人はヒトラーに従ったか」に関心を

持ち、それを人文・社会科学の最新知見で分析し、対独戦戦略と戦後ドイツ占領政策に活かし

ていったかが、よくわかる内容となっている。

E 旧軍人や戦犯容疑者の多い CIA 日本人ファイルの中で、「小宮義孝ファイル」のみは異色

である。小宮義孝は、筆者が長く探求してきた元東京大学医学部助教授国崎定洞(ドイツ共産

党日本人部創設者で、旧ソ連に亡命後スターリン粛清の犠牲になったコミュニスト)の親友であり、東

大医学部助手時代に治安維持法違反で検挙され、上海に渡った経歴を持つ。上海自然科学研究

所時代には寄生虫を研究し、戦後国立予防衛生研究所長を務めた。CIA は、石井四郎の関東

軍防疫給水部に準じて、上海自然科学研究所の化学戦・細菌戦関与を調査した形跡があるが

(福見秀雄もこのラインか?)、その種の資料は見つからなかったため、工作を断念したものと推

定できる。

 むしろ、今回機密解除された CIA の日本人監視記録中には、小宮義孝以外の共産党・社会

党関係者の個人ファイルが入っていないのが注目される。これが実際に朝鮮戦争期の CIA は

日本の左翼を無視していたのか、それともなお機密扱いで公開されなかっただけなのかは、今

後の探求課題となる。

( 2 )暗号表記=コードネームの問題

 本資料集に収録したのは、前述したように第二次公開分1100人分から日本人と特定できた31

人分である。それを、基本的に NARA のリストの ABC 順にもとづきながらも、各ファイル


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の冊数・頁数を考慮して、全12巻にまとめた。

 彼らの略歴を紹介する前に、暗号=コードネームの問題を検討しておこう。先にも紹介した

ように、IWG の機密解除担当官たちも、その内容の重要度の検討・吟味のさいに、まずはコー

ドネームの解読を必要とした。そのいわば解読用マニュアルが集大成されて、全64ページ(当

初の59ページから逐次増補改訂されている)の The CIA Lexicon: Finding Aid for the Second Re-

lease が作られ、ウェブ上に公開されている(32)。

 それは、人名には限らない。冒頭の A―287は Cryptonym for Josef Stigler だが、次の ABN

は Anti-Bolshevik Bloc of Nations(ABN)という反共組織で、Stanislaw Stankiewicz はその中

央委員会メンバーだった、などとある。CIA 自身が BKCROWN, BKTRUST, KUBARK,

PNEXCEL 等の機関コードで登場し、その長官アレン・ダレスは Ascham の匿名を持つ。

 冒頭 2 語が国名を指す場合があり、例えば CABAKER はドイツ社会民主党のことで、

CADRUG が German Mission Office of Security なので、CA のつくコードネームがドイツと

関連するものと解読される。米国は OD のようで、ODACID は米国国務省、ODENVY は

FBI という具合に、通常の英語の略称や、すぐに連想できる名前は避けられている。日本の略

称は PO とされていることが、以下の解読リストからわかる。

POAIM―12

Cryptonym for Tsunezo Wachi. (和智恒蔵)

POBULK

Yomiuri newspaper, Japan (読売新聞)

POCAPON

Cryptonym for Taketora Ogata. (緒方竹虎)

PODALTON

Free Japan Broadcast Productions. (自由日本放送)

PODAM

Cryptonym for Matsutaro Shoriki. (正力松太郎)

PODAUB

National Police Agency, Japan. (警察庁)

PODIVA

CIA Station. (CIA 日本支局)

POJACKPOT― 1

Cryptonym for Matsutaro Shoriki. (正力松太郎)

POLESTAR― 5

Cryptonym for Eiichi Tatsumi. (辰巳栄一)

POLUNATE

Cabinet Research Chamber (CRC)of the Japanese Government. (内閣調査室)

POSHARK

Cryptonym for Fusanosuke Kuhara. (久原房之助)

POSONNET― 1

Cryptonym for Okinori Kaya. (賀屋興宣)

 ただし、PO とついていても、日本とは関係なさそうな場合もある。現物に当たり、その文

脈から推定し、解読していくしかない。

POMONA

Cryptonym for Kurt Reichert.

POPOV, Anton

Alias for Destan Berisha.

Popov, Lt. Col. Petr S. CIA penetration of the GRU in East Germany.

Poppe, Nikolai

Professor Karl BERGSTROM (pseudonym).

 また、実名の方からコードネームを推定したものも、時に重複して出ている。

Aso. Tatsuo

STBRANT― 1 , TLBRANT, LFSALAD(cryptonyms).


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Shoriki, Matsutaro

POJACKPOT― 1 and PODAM (cryptonyms). Associated with KMCASHIER Project.

Tatsumi, Eiichi

POLESTAR― 5(cryptonym).

Wachi, Tsunezo

POAIM―12(cryptonym).

PO とは関係なく、作戦名自体が出ている場合もある。

TAKEMATSU

Plan TAKEMATSU(1940s/50s)was the operational plan of US Army G― 2

Far East Command in clandestine operations within Japan/peripheral areas

using former Japanese intelligence personnel. Seizo Arisue, Torashiro Kawabe

associated with this plan. (タケマツ作戦)

 筆者が、山本武利早稲田大学名誉教授、吉田則昭立教大学講師とともに、日本人ファイルで

一番分量の多い緒方竹虎ファイルを精査し解読した経験では、この IWG 側作成レキシコンで

は出てこないコードネームも多い。以下は、一部は米国側解読と重複するが、筆者らが解明な

いし推定できたものと、日本人ファイルに出てくる未解明のものを、アトランダムに並べた

「日本人ファイルに登場する CIA 暗号名(cryptonym)一覧」である。このうち特に「ポポフ

POPOV」は、占領後期に早くから登場する CIA の日本工作のキーパースンと思われるが、な

お未解明の重要人物または機関である(33)。

KUBARK = CIA headquarters

ASCHAM = Allen DULLES (James Srodes, ALLEN DULLES, Master of Spies, Regnery, Washing-

ton DC, 1999, pp.431―432.)

ODACID = United States Department of States/U.S. Embassy(米国大使館)

ODOPAL = United States Army Counterintelligence Corps(CIC)

ODYOKE = Federal Government of the United States(米国政府)

POGO = PO Japanese Government(日本政府)

POCAPON =緒方竹虎 1955年5月29日初出

PODAM =正力松太郎

PODALTON =「(正力)マイクロ波通信網建設支援工作(1953年11月 7 日)」

POHALT =柴田秀利

POJACPOT/ 1 =正力松太郎 → 「履歴ファイル」冒頭にあり

POSONNET/ 1 =賀屋興宣→「履歴ファイル」冒頭にあり。1959年 8 月 6 日初出

SR REP = senior representative、具体的には当時の CIA 北アジア地域上級代表

【未解明】

BABOCM

Conweck,POROW(未解読、緒方竹虎ファイルの1955年「福岡同行記」に登場)

DYCLAIM(CIA?)

DYMACAO(FBI?)

IDEN


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xx

JAMI 8

JCU(CIA 東京支局?)

KAPOK

KUJUMP

KUTWIN

KMCASHIR

ODIBEX(国務省?)

POYAMA

PODIUM

PORTICO

POPOV(辰巳栄一・服部卓四郎・河辺虎四郎・有末精三・辻政信ファイルに頻出、児玉誉士夫? 三

浦義一? 機関名?)

POUCH POAIM/12(和智恒蔵?和知鷹二?)

PO?ERPLANT(一字不鮮明)

POLESTER/ 5(鹿島宗二郎の可能性も?)

POLUNATE(内閣調査室?)

POPALATE(日本版 CIA?)

STBRANT/ 1 (麻生達男?)

( 3 )日本人ファイル31人の略歴

 以下に、本資料集に個人ファイルを所収した31人の個人について、読者のファイル解読の参

考になりうる略歴・情報を挙げておく。おおむね ABC 順で入っていた日本人のファイルを、

本資料集では、分量を顧慮して巻構成を若干変更してあるので、ここでは本資料集収録順に紹

介する。

 ここでは、各種人名辞事典やインターネット上の wikipedia 日本語・英語版情報などをもと

に略記するが、辞事典や wikipedia に立項されている著名人は簡略にとどめる。むしろ@秋山

博やB麻生達男など、ほとんど情報のない人物に注目する。本資料集の解読で、米国 CIA か

らも注目された重要人物として浮上する可能性があるからである。

 なお、インターネット上には、筆者の作ったリストをもとに、この31人を「CIA のエージェ

ント」と短絡的に断定するサイトが散見されるが、正しくない。彼らは「CIA にファイリン

グされた人物」ではあっても、それがエージェントにするための工作か、たんなる情報収集対

象だったのかは、それぞれのファイルの内容に即して、解読されなければならない。

 コードネームを与えられた場合も同様で、PODAM の正力松太郎は、実際に CIA に協力し

たエージェントと解されるが、POCAPON の緒方竹虎の場合は、エージェント対象としての

工作は受けたが、エージェントにされる前に急死し、情報収集対象者に留まったと思われる。

したがって、読者自身が、関心を持った対象人物について、本資料集をもとに独自に調べ判定

してもらいたい。


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xxi

@秋山博(本資料集第 1 巻、あきやま ひろし、1922年―?)AKIYAMA Hiroshi について、筆者

はこれまで『特殊部隊731』(三一書房、1956年)の著者「秋山浩」と推定し、石井四郎や福見

秀雄とともに、「旧731部隊情報提供者」と推定し紹介してきた。

  ところが古書店から『特殊部隊731』を取り寄せて読んでみると、版元である三一書房の

社長(当時)竹村一が、「この作品の信憑性について」と題する「解説」を寄せていて、「著

者は、勇をふるえば本名発表をやる心境まで達したが、かつての同僚に何らかの形で迷惑が

及ぶと言い、また彼らは、絶対に本名を出してくれるなと強く言うという。出版社としても、

これ以上本名発表を迫ることができなかった。著者は、昭和 3 年12月秋田県に生る。中学4

年生中退、昭和20年 3 月31日博多港より乗船、4月 6 日平房に着く。敗戦の年 8 月23日船に

て山口県萩市に、731部隊の生存者とともに帰還、同日萩市にて731部隊解散、その後職業を

転々とし、現在東京に居住す。著者が内地へ帰還した翌月、731部隊の秘密厳守の訓令が

あったという。また、昭和23年の4月初めに、勤務先に、村の駐在巡査が来たという」とあ

り、1928年秋田県生まれの731部隊「秋山浩」は、筆名であることがわかった。無論、CIA

が筆名のままで旧731部隊(細菌戦石井部隊)関係者を追いかけ工作対象とすることはありう

るから、「秋山浩」である可能性は、ゼロではない。

  しかし、本資料集第 1 巻所収「秋山ファイル」を仔細に読んでみると、断片的だが、「1922

年北海道生まれ」「1941年愛知県特高課チーフ、1944年警視庁刑事部チーフ」で、占領下河

辺虎四郎らの「地下日本政府」計画に関わり、1950年代は北海道の Radio Regulatory Bu-

reau(RRB、無線通信規制委員会?)に勤務していた。そこで軍ないし細菌戦関係者ではなく、

内務省・警察関係者と見当をつけて、秦郁彦編『日本官僚制総合事典 1868―2000』(東京

大学出版会、2001年)の戦前内務省関係者にあたると、111頁の警視庁刑事部長「秋山博 昭

和19.8.2―昭和20.10.27」が AKIYAMA Hiroshi でありうることがわかった。731部隊の

「秋山浩」よりは蓋然性が高いので、本資料集では、終戦時警視庁刑事部長「秋山博」と推

定しておく。

A有末精三(第 1 巻、ありすえ せいぞう、1895年―1992年)は、北海道出身の陸軍軍人で最終階

級は陸軍中将。1917年陸軍士官学校(29期)を優等で卒業し恩賜の銀時計を受けた。また、

1924年陸軍大学校(36期)も優等で卒業し恩賜の軍刀を受けた。二・二六事件以後の軍内部

での下克上の風潮が強まるなか、陸軍省軍務課長時代に、阿部内閣の実質的成立者であった

といわれる。

  終戦後は渉外委員会委員長に就任し、GHQ と陸軍との連絡役として働いた。有末は参謀

本部第二部長であった敗戦前から諜報関係資料を秘密裏に収集しており、戦後にこれらを

マッカーサーのもとで諜報を担当していた GHQ/G 2 チャールズ・ウィロビー少将に提出し

た。有末は、G 2 歴史課で参謀次長の河辺虎四郎中将や渡辺渡少将と協力し、東アジアおよ

び日本国内の共産主義者に対する諜報網を作ることをウィロビーに提案した(「タケマツ」作

戦)が、この計画は嘘やでっち上げによる資金集めにすぎないと CIA に報告されている。

『有末精三回顧録』(芙蓉書房、1974年)、『政治と軍事と人事―参謀本部第二部長の手記』(芙

蓉書房、1982年)、『ザ・進駐軍―有末機関長の手記』(芙蓉書房、1984年)、『終戦秘史 有末機

関長の手記』(芙蓉書房出版、1987年)など参照。


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xxii

B麻生達男(第 1 巻、あそう たつお、1910年―?)については、ウェブ情報などから、戦時モン

ゴル(蒙古)にあった陸軍西北学塾(蒙古司政官要員養成所)のモンゴル語講師らしいことし

かわからなかった。多年蒙古工作を担当し蒙古事情に精通した興安(前王爺廟)特務機関長

金川耕作大佐は、関東軍司令官梅津美治郎大将の諒解を得て、蒙古工作要員養成所の開設を

決定し、西北学塾と名づけた。その「西北学塾歌」は、「作詞・森憲二 作曲・麻生達男」

とされている。また戦後については、アジア経済研究所『アジア動向年報』などに麻生達男

名の論文が散見されるほか、「モンゴル語の日本の第一人者」で創価大学中国研究会の初代

顧問であったという断片的情報がある。

  本資料集の CIA 麻生達男ファイルは充実しており、麻生達男の経歴と戦前・戦後の諜報

活動との関わりを明らかにする。「1910 年大分県生まれ」「1932―34年蒙古軍通訳、1941―

44年関東軍諜報部」などの経歴も得られた。コードネーム STBRANT/ 1 が登場する戦後の

インテリジェンス活動について、詳しくは、ファイルそのものを解読されたい。

C土肥原賢二(第 1 巻、どいはら けんじ、1883年―1948年)は、岡山県出身の陸軍軍人。最終階

級は大将。謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作に中心的役割を果たした。

1904年陸軍士官学校(16期)卒業、12年陸軍大学校(24期)卒業と同時に、参謀本部中国課

付大尉として北京の板西機関で対中国工作を開始。板西機関長補佐官、天津特務機関長を経

て1931年奉天特務機関長に就任。満州事変のさい、奉天臨時市長となる。同年11月、甘粕正

彦を使って清朝最期の皇帝溥儀を隠棲先の天津から脱出させる。その後、華北分離工作を推

進し、土肥原・秦徳純協定を締結。この結果、河北省に冀東防共自治政府を成立させた。土

肥原は強硬な対中政策の推進者として昇進を重ね、「満州のローレンス」 と畏怖された。特

務機関畑を中心に要職を歴任し、陸軍士官学校長も務めた。1945年4月には陸軍教育総監も

務めた。

  敗戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)で A 級戦犯となり、死刑判決を受け処刑される。

『秘録 土肥原賢二―日中友好の捨石』(土肥原賢二刊行会、芙蓉書房、1972年)。

D遠藤三郎(第 1 巻、えんどう さぶろう、1893年―1984年)は、山形県出身の陸軍軍人、最終階

級は陸軍中将。1914年陸軍士官学校(26期)卒業、陸軍砲工学校高等科を優等で卒業し、陸

軍重砲兵射撃学校教官などを経て、22年11月、陸軍大学校(34期)を優等で卒業した。フラ

ンス陸軍大学校に留学、1929年卒業。帰国後、参謀本部作戦参謀、関東軍作戦主任参謀、陸

大教官、野戦重砲兵第5連隊長、参謀本部課長兼陸大教官などを歴任し、1937年航空兵大佐

となった。大本営研究班長、浜松陸軍飛行学校付などを経て、1939年陸軍少将、第 3 飛行団

長、陸軍航空士官学校幹事などを歴任。1942年陸軍中将となり航空士官学校長、陸軍航空本

部総務部長、軍需省航空兵器総局長官などを歴任し、兵器産業の国営化と航空機の規格統一

に尽力した。

  1947年から約 1 年間、戦犯容疑により巣鴨拘置所に入所したが、その後、埼玉県の航空士

官学校跡地に入植、農業に従事しながら、護憲運動と反戦運動に参加。1953年には片山哲元

首相とともに憲法擁護国民連合結成に参加した。1959年参議院議員通常選挙に全国区から無

所属で立候補したが落選した。親中派として知られ、日中友好に貢献。『日中十五年戦争と

私―国賊・赤の将軍と人はいう』(日中書林、1974年)、宮武剛『将軍の遺言―遠藤三郎日記』


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xxiii

(毎日新聞社、1986年)。

E福見秀雄(第 1 巻、ふくみ ひでお、1914年―1998年)は、愛媛県出身、東京帝大医学部卒の微

生物学者で、731部隊関連施設「陸軍軍医学校防疫研究室」に1944年から終戦直後まで所属

したといわれる。1947年創設の国立予防衛生研究所細菌部長を経て、53年所長。1955年長崎

大学長。腸炎ビブリオを発見、インフルエンザ・ワクチンの開発、集団接種などに力をそそ

いだ。著書に『免疫―ワクチンというもの』(中公新書、1966年)、『ウイルス学入門』(岩波全

書、1977年)、『社会のなかの感染症』(日本評論社、1982年)など多数。ただし、CIA 福見ファ

イルは、わずか 2 頁の断片で、CIA が彼に注目していた以上のことはわからない。

F五島慶太(第 1 巻、ごとう けいた、1882年―1959年)は、長野県出身の実業家。1911年東京帝

国大学卒業後、農商務省・鉄道員官僚を勤めたのち、現在の東急東横線の前身である武蔵野

電気鉄道常務に就任。実質的な経営権を獲得し、池上電気鉄道や玉川電気鉄道をはじめとす

る数々の競合企業を乗っ取る形で次々と買収。その強引な手口から「強盗慶太」の異名を

とった。

  鉄道事業では阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の小林一三と並び、「西の小林、東の五島」と

称された。『私の履歴書 経済人 1 』(日本経済新聞社、1980年)、早川隆『日本の上流社会と閨

閥』(角川書店、1983年)、五島慶太『事業をいかす人』(有紀書房、1958年)、猪瀬直樹『土地の

神話』(小学館、1988年)、坂西哲『東急・五島慶太の経営戦略』(文芸社、2001年)、中村建治

『メトロ誕生―地下鉄を拓いた早川徳次と五島慶太の攻防』(交通新聞社、2007年)、北原遼三

郎『わが鐵路、長大なり 東急・五島慶太の生涯』(現代書館、2008年)、など。

G服部卓四郎(第 2 巻、はっとり たくしろう、1901年―1960年)は、山形県出身の陸軍軍人、最

終階級は陸軍大佐。陸軍士官学校(34期)、陸軍大学校(42期)を卒業。参謀本部に勤務、フ

ランス留学、帰国後1939年ノモンハン事件では、関東軍作戦主任参謀として作戦の積極拡大

を作戦参謀の辻政信とともに主張したが、ソ連軍の大規模攻勢によって日本軍は大打撃を

被った。1940年参謀本部作戦課、41年作戦課長に就任した。1942年からは陸相秘書官を東条

英機のもとで務めたが、翌年作戦課長に復帰し、大陸打通作戦の立案を主導した。

  終戦後は、参謀本部時代の経験と知識を買われ、第一復員庁史実調査部長(のちに資料整

理部長)となった。GHQ 参謀第 2 部(G 2 )部長チャールズ・ウィロビーの下でマッカーサー

による太平洋戦争の戦史編纂に協力した。1948年末、ウィロビーは G 2 歴史課を中心に裏の

業務として日本再軍備の研究を託し、「服部機関」が発足した。のちに創設される警察予備

隊の幕僚長には服部か旧内務省官僚のどちらを任命するのかで意見が分かれ、ウィロビーら

G 2 が服部を推したのに対して、民政局長のホイットニー准将や首相吉田茂、吉田に進言し

た辰巳栄一元中将などが反対し、服部の幕僚長就任は実現しなかった。服部ら陸軍将校が執

筆した全4巻からなる「大東亜戦争全史」は1953年に出版された。1952年10月31日付の

CIA 文書によると、児玉誉士夫の支援を受けた服部ら旧陸軍将校は、自由党の吉田首相が

公職から追放された者や国粋主義者らに敵対的な姿勢をとっているとして、同首相を暗殺し

て民主党の鳩山一郎を首相に据える計画を立てていた。『大東亜戦争全史』(全 8 巻、鱒書房、

1953年〜1956年)、有馬哲夫『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』(新潮新書、2011年)、阿羅健

一『秘録・日本国防軍クーデター計画』(講談社、2013年)。


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H東久邇稔彦(第 2 巻、ひがしくに なるひこ、1887年―1990年)は、日本の旧皇族、陸軍軍人・

陸軍大将。貴族院議員、陸軍航空本部長(第10代)、防衛総司令官(第 2 代)、内閣総理大臣

(第43代)、陸軍大臣(第34代)などを歴任、戦後は世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)名

誉会長、第 2 代会長。

  第二次世界大戦後、敗戦の責任を取り辞職した鈴木貫太郎の後を継いで首相に就任し、憲

政史上最初で最後の皇族内閣を組閣、連合国に対する降伏文書の調印、陸海軍の解体、復員

の処理を実施した。「一億総懺悔」を唱え、国内の混乱を収めようとしたが、歴代内閣在任

最短期間の54日で総辞職した。首相辞任後、1946年に東久邇宮は「宮内庁の某高官」として

昭和天皇退位論を AP 通信記者に述べた。すでに戦犯裁判における昭和天皇免責を決定して

いた GHQ では、東久邇の退位論が天皇の責任問題につながりかねないとして警戒し、日本

政府および宮中と連絡してこれに対応した。1947年皇籍を離脱し、以後は「世界連邦建設同

盟」(現世界連邦運動協会)を創設したり、禅宗系の新宗教団体「ひがしくに教」を開教した

りした。

  1960(昭和35)年、60年安保闘争時には、石橋湛山、片山哲とともに 3 元首相の連名で時

の首相・岸信介に退陣を勧告した。東久邇稔彦『一皇族の戦争日記』(日本週報社、1957年)、

東久邇稔彦『やんちゃ孤独』(読売新聞社、1955年)、東久邇宮稔彦王『私の記録』(東方書房、

1947年)、長谷川峻 『東久邇政権・五十日 終戦内閣』(行研出版局、1987年)など。

I昭和天皇・裕仁(第 2 巻、しょうわてんのう・ひろひと、1901年―1989年)は、歴代天皇の中で在

位期間が最も長く(約62年)、最も長寿であった。大日本帝国憲法の下では「國ノ元首ニシテ

統治權ヲ總攬」する立憲君主制における天皇として、終戦の国策決定などに深く関与した。

1947年に施行された日本国憲法の下では「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である

天皇として「国政に関する権能を有しない」ものとされた。しかし占領期には GHQ 総司令

官ダグラス・マッカーサーとの会見などで、独自の政治的影響力を保持した。主権回復後に

は、象徴天皇として皇室外交を行った。また、天皇としての公務の傍ら生物学を研究した。

参考文献はあまりに多すぎるので、本資料集との関係では、加藤哲郎『象徴天皇制の起源―

アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書、2005年)参照。

J今村均(第 2 巻、いまむら ひとし、1886年―1968年)は、宮城県出身の陸軍軍人。陸軍大学校

(19期)を首席で出て、1935年歩兵第40旅団長、36年関東軍参謀副長兼満州駐在武官、38年

兵務局長・第5師団長、40年教育総監部本部長、41年第23軍司令官、42年第 8 方面軍司令官、

最終階級は陸軍大将。

  1945年、第 8 方面軍司令官の責任を問われたオーストラリア軍による裁判で一度は死刑に

されかけたが、現地住民などの証言などもあり禁錮10年で判決が確定した。1949年巣鴨拘置

所に、54年戦犯釈放。『今村均回顧録』(芙蓉書房出版、1993年)、土門周平『陸軍大将・今村

均』(PHP 研究所、2003年)、角田房子『責任 ラバウルの将軍 今村均』(新版ちくま文庫、

2006年)、秋永芳郎『陸軍大将今村均―人間愛をもって統率した将軍の生涯』(光人社文庫、

2003年)、日下公人『組織に負けぬ人生 不敗の名将・今村均大将に学ぶ』(PHP 研究所、2003

年)、葉治英哉『今村均 信義を貫いた不敗の名将』(PHP 研究所、1999年)

K石井四郎(第 2 巻、いしい しろう、1892年―1959年)は、千葉県出身の陸軍軍人・軍医、細菌


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兵器作成731部隊長。最終階級は陸軍軍医中将。関東軍防疫給水部長、第 1 軍軍医部長を歴

任する。731部隊の創設者として防疫活動に従事した。1920年京大医学部卒・医学博士、陸

軍軍医、30年陸軍軍医学校教官、32年東郷部隊長(背陰河)・石井部隊(731部隊)長・軍医中

将、39年ノモンハンで細菌戦指揮、40年寧波細菌戦(ペスト菌散布)指揮、42年チェーガン

細菌戦(ペストノミ散布)指揮、45年731部隊長(再任)・対ソ細菌戦準備。

  1945年敗戦時、平房から逃走、46年初頭に尋問(A.T. トンプソン獣医中佐)、47年5月以降

に再尋問(フェル、ヒル)されるが戦犯訴追なし。戦後、石井は GHQ と交渉して731部隊関

係者の戦犯免責を実現させた。新宿区内で医院を開業し、晩年にはキリスト教に入信したと

いう。森村誠一『悪魔の飽食 新版』(角川文庫、1983年)、常石敬一『七三一部隊 生物兵器

犯罪の真実』(講談社現代新書、1995年)、ハル・ゴールド『証言・731部隊の真相―生体実験

の全貌と戦後謀略の軌跡』(廣済堂出版、1997年)、青木冨貴子『731 石井四郎と細菌戦部隊

の闇を暴く』(新潮社、2005年)。

L河辺虎四郎(第 2 巻、かわべ とらしろう、1890年―1960年)は、富山県出身の陸軍軍人で最終

階級は陸軍中将。陸軍士官学校24期生、陸軍大学校33期を恩賜で卒業。1938年ドイツ駐在武

官、39年参謀本部付、40年第 7 飛行団長、41年防衛総参謀長・航空本部総務部長、43年第 2

飛行師団長・第 2 航空軍司令官、45年4月参謀次長で敗戦を迎え、連合国と会談するため全

権としてマニラに赴く。1948年連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)参謀 2 部のチャール

ズ・ウィロビーに接近し G 2 歴史課で特務機関「河辺機関」を結成。辰巳栄一らも関わる。

河辺機関への GHQ からの援助は1952年で終了したため、要員たちは保安隊に潜り込まされ

た。『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ 最後の参謀次長の回想録』(時事通信社、1962年、のちに『河

辺虎四郎回想録 市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』毎日新聞社、1979年、と改題して再刊)、河邊虎四郎文

書研究会編『承詔必謹 陸軍ハ飽マデ御聖断ニ従テ行動ス』(国書刊行会、2005年)。

M賀屋興宣(第 3 巻、かや おきのり、1889年―1977年)は、広島県出身の大蔵官僚、政治家。第

一高等学校、東京帝国大学法科大学政治学科卒。大蔵省に入省し、主に主計畑を進んだ。い

わゆる革新官僚の一人と目され、1937年第一次近衛内閣で大蔵大臣、41年太平洋戦争開戦時

の東条内閣で再び大蔵大臣を務めて、戦時経済を担当した。

  戦後 A 級戦犯として極東国際軍事裁判で終身刑となり、約10年間巣鴨拘置所に服役、

1955年仮釈放。同年総選挙に旧東京 3 区から立候補し当選(以後5回連続当選)。岸信介首相

の経済顧問や外交調査会長として安保改定に取り組んだほか、池田内閣の法務大臣、自民党

政調会長などを歴任、自由民主党右派・タカ派の政治家として著名。1972年政界引退。アメ

リカ共和党や CIA、中華民国蔣介石政権に広い人脈を持ち、日本遺族会初代会長など国際

反共主義勢力、自民党、右翼を結ぶフィクサーとして、国内外の右翼人脈を築いた。『銃後

の財政経済』(河出書房、1937年)、『戦時下の経済生活』(今日の問題社、1938年)、『長期戦と経

済報国』(朝日新聞社、1938年)、『転換期日本の財政と経済』(朝日新聞社、1940年)、『精神・身

体・家計』(大政翼賛会宣伝部、1943年)、『戦前・戦後八十年』(経済往来社、1976年)、賀屋正

雄・賀屋和子編『渦の中 賀屋興宣遺稿抄』(私家版、1979年)、宮村三郎『評伝賀屋興宣』

(おりじん書房、1977年)など。

N岸信介(第 3 巻、きし のぶすけ、1896年―1987年)は、山口県出身の政治家、官僚。東京帝国


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大学法学部卒業後、農商務省に入省、同省廃止後は商工省で要職を歴任した。満州国総務庁

次長として「満州開発五ヵ年計画」などを手がけた。東条内閣では商工大臣として入閣、の

ち無任所国務大臣となった。

  戦後 A 級戦犯被疑者として逮捕されるが、不起訴となり公職追放。公職追放解除後に政

界に復帰、衆議院議員( 9 期)。保守合同で自由民主党が結党されると幹事長、石橋内閣で

外務大臣(第86・87代)、石橋湛山の病気で内閣総辞職すると後任の内閣総理大臣(第56・57

代)に指名され、日米安全保障条約改定を行った。戦前は「革新官僚」の筆頭格として軍部

から嘱望され、戦後も A 級戦犯被疑者から60年安保改定時の首相となり、首相退任後も影

響力を行使し、自主憲法制定運動を進めて「昭和の妖怪」と呼ばれた。第61―63代内閣総理

大臣佐藤栄作は実弟、第90・第96代内閣総理大臣安倍晋三は外孫。『日本戦時経済の進む

途』(研進社、1942年)、『岸信介の回想』(文藝春秋、1981年)、『岸信介回顧録―保守合同と安

保改定』(廣済堂出版、1983年)、『岸信介証言録』(原彬久によるインタビュー、毎日新聞社、2003

年)、岸信介伝記編纂委員会編『人間岸信介波瀾の九十年』(岸信介遺徳顕彰会、1989年)。岩川

隆『巨魁 岸信介研究』(ダイヤモンド社、1977年)、岩見隆夫『昭和の妖怪 岸信介』(朝日ソ

ノラマ、1994年)、大日向一郎『岸政権・一二四一日』(行研、1985年)、工藤美代子『絢爛たる

悪運 岸信介伝』(幻冬舎、2012年)、原彬久『岸信介―権勢の政治家』(岩波新書、1995年)、

春名幹男『秘密のファイル―CIA の対日工作(上下)』(共同通信社、2000年)、ティム・ワイ

ナー『CIA 秘録(上下)』(文藝春秋、2008年)など参照。

O小宮義孝(第 3 巻、こみや よしたか、1900年―1976年)は、埼玉県出身の寄生虫学者、戦後、

国立予防衛生研究所長。1925年東京帝国大学医学部卒、同衛生学教室助手時代に国崎定洞の

影響を受けて社会医学を志す。1931年上海自然科学研究所に入所、寄生虫を研究。1932年、

医学博士(東京帝国大学)。

  戦後は1949年群馬大学医学部教授、66年国立予防衛生研究所長。1964年第 8 回野口英世記

念医学賞を受賞。戦前はマルクス主義者で、戦後も早くから中華人民共和国をたびたび訪れ

た。『日本プロレタリア編年史』(同人社書店、1931年)、『城壁 中国風物誌』(岩波新書、1949

年)、『新中国風土記 上海自然科学研究所のことども』(メヂカルフレンド社、1958年)、曽田

長宗・国井長次郎編『小宮義孝《自然》遺稿・追憶』(土筆社、1982年)。

P久原房之助(第 3 巻、くはら ふさのすけ、1869年―1965年)は、山口県出身の実業家、政治家。

衆議院議員当選5回、逓信大臣、内閣参議、大政翼賛会総務、立憲政友会(久原派)総裁な

どを歴任。日立製作所、日産自動車、日立造船、日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所

(日立銅山)など久原財閥の総帥として「鉱山王」の異名を取った。権謀術数を用いて、義兄

の鮎川義介とともに「政界の黒幕・フィクサー」と呼ばれ、右翼に資金を提供して二・二六

事件に深く関与した。

  戦後は A 級戦犯容疑者となり公職追放、日中・日ソ国交回復議長などを務めた。戦犯容

疑が不起訴となり、公職追放解除後、1952年総選挙で衆議院議員に当選し 1 期つとめ、慶應

義塾評議員会最高顧問を務めた。古川薫『惑星が行く 久原房之助伝』(日経 BP 社、2004年)。

Q前田稔(第 3 巻、まえだ みのる、1895年―?)は、鹿児島県出身の海軍軍人。海軍兵学校41期

恩賜組、1940年軍令部第 3 部長兼大本営報道部長、42年第24航空戦隊司令官、43年中国武


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官・中将、44年南京政府軍事顧問、45年 3 月第10航空艦隊司令長官・八雲艦長。弟は、終戦

時にバタビア在勤武官でインドネシア独立宣言に関わった前田精・海軍少将。

  各種人名事典から得られる前田稔情報は、以上の軍歴ぐらいであるが、CIA の前田稔ファ

イルからは、彼が1895年生まれであることのほか、旧陸軍関係者の多い戦後日本の諜報史の

なかで、前田稔ら旧海軍関係者が「タケマツ作戦」など反共活動、中国内戦・台湾国民党や

朝鮮戦争にいかに関わったかが語られ、CIA によって記録されている。

R野村吉三郎(第 3 巻、のむら きちさぶろう、1877年―1964年)は、昭和初期に活躍した和歌山

県出身の海軍軍人、外交官、政治家。国際法の権威として知られ、阿部内閣で外務大臣を務

めたのち、第二次近衛内閣のとき駐米大使に任じられ、真珠湾攻撃の日まで日米交渉にあ

たった。1926年軍令部次長、呉・横須賀鎮守府司令長官などを歴任、39年阿部信行内閣では

外相就任、41年に駐米大使。ルーズベルトとは旧知ということで期待され、真珠湾攻撃の直

前にハル国務長官と最後の会談を持った。抑留者交換船でニューヨークから日本に戻り、帰

国後は枢密顧問官となり、そのまま終戦を迎える。

  終戦後の1946年公職追放となるが、アメリカ対日協議会は積極的に野村に近づき、定期的

に食料や煙草を送り、経済的に苦しい野村の便宜を図ったという。追放解除後、吉田茂の要

請で再軍備問題の調査にあたり、海上自衛隊の前身、海上警備隊創設に関わる。1954年参院

補欠選挙に出馬・当選し参議院議員となり、自由民主党で防衛政策を担当した。党外交調査

会会長、参議院議員会長も歴任した。1953年日本ビクター社長。『米國に使して 日米交渉

の回顧』(岩波書店、1946年)、『アメリカと明日の日本』(読売新聞社、1947年)、中山定義『一

海軍士官の回想 開戦前夜から終戦まで』(毎日新聞社、1981年)、豊田穣『悲運の大使野村吉

三郎』(講談社、1992年)、尾塩尚『駐米大使野村吉三郎の無念 日米開戦を回避できなかっ

た男たち』(日本経済新聞出版社、1994年)、など参照。

S児玉誉士夫(第4巻、こだま よしお、1911年―1984年)は、福島県出身の右翼運動家。京城商

業専門学校を卒業した後、さまざまな右翼団体を転々、玄洋社の頭山満に私淑した。満州に

渡り、外務省情報部長河相達夫の知遇を得て、1938年海軍嘱託、41年から上海で児玉機関を

運営し黒幕に。上海児玉機関は、タングステンやラジウム、コバルト、ニッケルなどの戦略

物資を買い上げ、海軍航空本部に納入し巨額の富を得た。

  終戦後、児玉は児玉機関が管理してきた旧海軍の在留資産をもって上海から引き揚げ、こ

の秘密資金の一部は鳩山自由党の結党資金となった。1946年 A 級戦犯の疑いで占領軍に逮

捕され、巣鴨拘置所に送られた。アメリカは協力的な戦犯は反共のために利用する「逆コー

ス」を採り、1948年末に釈放された児玉は、当初は GHQ/G 2 に、やがて中央情報局 CIA に

協力するようになったといわれる。1955年の自由民主党結成以来、首相決定の裏方など長ら

くフィクサーとして君臨した。1965年の日韓国交回復にも積極的な役割を果たし、しばしば

訪韓して朴政権要人と会い利益を得た。1958年から米国ロッキード社の秘密代理人として日

本政府に同社戦闘機を選定させる工作をしていた。1976年、ロッキード事件の中心人物の一

人となったが、病気を理由に詳しい供述を残さずそのまま没した。『われ敗れたり』(協友社、

1949年)、『悪政・銃声・乱世』(広済堂出版、1974年)、『獄中獄外』(広済堂出版、1974年)、『わ

れかく戦えり』(広済堂出版、1975年)のほか、有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』(文春


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新書、2013年)など参照。

㉑緒方竹虎(第5・ 6 巻、おがた たけとら、1888年―1956年)は、山形県出身のジャーナリスト、

政治家。朝日新聞社副社長・主筆、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、

副総理などを歴任。東京高等商業学校(現在の一橋大学)に進学したが早稲田大学専門部に編

入し1911年卒業、頭山満の玄洋社に出入りした。中野正剛に誘われ大阪朝日新聞社に入社、

1923年東京朝日新聞社整理部長・政治部長、24年支那部長兼務、25年、37歳で東京朝日新聞

社編集局長兼政治部長兼支那部長、28年取締役、34年東京朝日新聞社主筆・常務取締役。朝

日新聞社退社後、小磯内閣に国務大臣兼情報局総裁として入閣、蔣介石の重慶国民政府を相

手とする繆斌和平工作に関わったとされる。

  1945年鈴木貫太郎内閣顧問時に終戦、東久邇内閣で国務大臣兼内閣書記官長兼情報局総裁

に就任、しかし内閣総辞職後 A 級戦犯容疑者に指名され1946年公職追放。1947年戦犯容疑

解除、51年追放解除で、52年衆議院議員選挙で福岡 1 区から出馬、中野正剛の地盤を引き継

ぎ当選。第4次吉田内閣で当選 1 回ながら国務大臣兼内閣官房長官さらに副総理に任命され、

1953年の第5次吉田内閣でも副総理に就任し、自由党総裁の後継者と見なされた。緒方は政

界復帰前の1952年、吉田茂・村井順とともにアメリカ CIA、イギリス MI 5、MI 6 などを参

考に内閣官房に調査室を設立、これが内閣調査室になり、いわゆる日本版 CIA 新設構想は

国会や外務省、世論の激しい批判を浴びた。

  日本版 CIA 構想で緒方を高く評価したアメリカ CIA は、1955年日本の保守合同を急務と

考え、鳩山の後継総理大臣候補に緒方を期待し「POCAPON(ポカポン)」工作を行ったが、

緒方は自由民主党総裁公選を前に急死、CIA は政治工作対象を賀屋興宣や岸信介に切り替

えていく。『人間 中野正剛』(鱒書房、1951年)、桜井清編『回想の緒方竹虎』(東京と福岡社、

1956年)、高宮太平『人間緒方竹虎』(四季社、1958年)、嘉治隆一『緒方竹虎』(時事通信社、

1962年)、緒方竹虎伝記刊行会編『緒方竹虎』(朝日新聞社、1963年)、三好徹『評伝緒方竹虎 

激動の昭和を生きた保守政治家』(岩波書店、1988年)、栗田直樹『緒方竹虎 情報組織の主宰

者』(吉川弘文館、1996年)、緒方四十郎『遙かなる昭和 父・緒方竹虎と私』(朝日新聞社、

2005年)、今西光男『新聞資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』(朝日新聞社、

2007年)、同『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』(朝日新聞社、2008年)。

  なお、筆者らの緒方ファイルの研究は、吉田則昭『緒方竹虎と CIA アメリカ公文書が

語る保守政治家の実像』(平凡社、2012年)、参照。

㉒大川周明(第 7 巻、おおかわ しゅうめい、1886年―1957年)は、山形県出身の思想家。1918年

東亜経済調査局・満鉄調査部に勤務し、20年拓殖大学教授を兼任、38年法政大学教授大陸部

(専門部)部長となる。近代日本の西洋化に対決し、精神面では日本主義、内政では統制経済、

外交ではアジア主義を唱道した。

  東京裁判で民間人として唯一 A 級戦犯の容疑で起訴されたが、精神障害と診断され裁か

れなかった。晩年はコーラン全文を翻訳するなどイスラム研究で知られる。戦前日本史を概

観した『日本二千六百年史』(1939年)はベストセラーとなった。『復興亜細亜の諸問題』(大

鐙閣、1922年)、『日本及日本人の道』(行地社出版部、1926年)、『特許植民会社制度研究』(東京

寶文館、1927年)、『日本精神研究』(文録社、1930年)、『日本二千六百年史』(第一書房、1939年)、


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『米英東亜侵略史』(第一書房、1941年)、『亜細亜建設者』(第一書房、1941年)、『回教概論』(慶

應書房、1942年)、『大東亜秩序建設』(第一書房、1943年)、『大川周明全集』(岩崎学術出版社、

全 7 巻、1961年―74年)。臼杵陽『大川周明 イスラームと天皇のはざまで』(青土社、2010年)、

玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢』(平凡社新書、2012年)など参照。

㉓笹川良一(第 7 巻、ささがわ りょういち、1899年―1995年)は、大阪府出身の国家主義政治運

動家、右翼活動家。国粋大衆党総裁、衆議院議員、財団法人日本船舶振興会(現公益財団法

人日本財団)会長、勲一等旭日大綬章受章者。第二次世界大戦前の笹川はムッソリーニを崇

拝し、右翼運動の大衆化をめざした。1931年国粋大衆党を結成、強硬外交を主張した。戦後

はファシスト、右翼、政財界の黒幕として扱われた。

  第二次世界大戦後、A 級戦犯容疑者の指定を受け巣鴨拘置所に 3 年間収監されるが、の

ちに不起訴により釈放される。巣鴨時代に書かれた日記や戦犯者及びその家族との書簡は、

笹川の没後に公表された。出所後は社団法人全国モーターボート競走会連合会(全モ連)の

設立に関与、モーターボート競走の収益金で造船の振興をすすめ、財団法人日本船舶振興会

(現公益財団法人日本財団)を創設した。『対米戦争怖るゝに足らず 』(国防社、1941年)、桜洋

一郎編『笹川良一の見た巣鴨の表情―戦犯獄中秘話』(文化人書房、1949年)、伊藤隆・渡邊明

校訂『巣鴨日記』(中央公論社、1997年)、佐藤誠三郎『笹川良一研究 異次元からの使者』(中

央公論社、1998年)、佐藤誠三郎『正翼(ザ・ライト・ウイング)の男―戦前の笹川良一語録』

(中央公論新社、1999年)、伊藤隆編『続・巣鴨日記 笹川良一と東京裁判』 1 ― 3 ・別巻(中央

公論新社、2007―10年)、伊藤隆『評伝 笹川良一』(中央公論新社、2011年)、山岡荘八『破天

荒人間笹川良一』(有朋社、1978年)、工藤美代子『悪名の棺 笹川良一伝』(幻冬舎、2010年)、

鎌田慧『ルポ 権力者』(講談社文庫、1993年)など。

㉔重光葵(第 7 巻、しげみつ まもる、1887年―1957年)は、大分県出身の外交官・政治家。東京

帝国大学法学部を卒業して外務省に入省、在ドイツ・在英公使館書記官、在シアトル領事を

経て、1930年駐華公使、満州事変後の上海停戦協定に署名、その後、駐ソ公使、駐英大使を

歴任、東条英機内閣・小磯国昭内閣で外相。

  1945年敗戦直後に組閣された東久邇稔彦内閣で外相に再任、大日本帝国政府全権として降

伏文書に署名、46年 A 級戦犯として起訴され有罪・禁固 7 年の判決を受けた。1950年仮釈

放され、講和条約発効、公職追放解除後は衆議院議員に 3 回選出された。改進党総裁・日本

民主党副総裁を務め、1955年保守合同による自由民主党の結党に参加、鳩山一郎内閣で4回

目の外務大臣を務めた。『重光葵著作集( 1 )』(原書房、1978年)、『重光葵 外交回想録』(中

公文庫、2011年)、『巣鴨日記(正・続)』(文藝春秋新社、1953年)、『重光葵手記』(伊藤隆・渡辺

行男編、中央公論社、1986年)、『続 重光葵手記』(伊藤隆・渡辺行男編、中央公論社、1988年)、

『重光葵 最高戦争指導会議記録・手記』(伊藤隆・武田知己編、中央公論新社、2004年)、『重光

葵・外交意見書集(全 3 巻)』(武田知己監修、重光葵記念館編、現代史料出版、2007、08、10年)、

豊田穣『孤高の外相 重光葵』(講談社、1990年)、渡辺行男『重光葵 上海事変から国連加

盟まで』(中公新書、1996年)、岡崎久彦 『重光・東郷とその時代』(PHP、2001年 6 月)、福冨健

一『重光葵 連合軍に最も恐れられた男』(講談社、2011年)、武田知己『重光葵と戦後政治』

(吉川弘文館、2002年)、浅野豊美『帝国日本の植民地法制―法域統合と帝国秩序』(名古屋大学


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出版会、2008年)など参照。

㉕下村定(第 7 巻、しもむら さだむ、1887年―1968年)は、高知県出身の陸軍軍人、政治家。最

終階級は陸軍大将。陸軍大臣(第56・57代)、教育総監(第27代)、参議院議員( 1 期)などを

歴任した。陸軍士官学校第20期卒業、陸軍大学校第28期を首席で卒業、第二次世界大戦終戦

時は満州におり、東久邇内閣で陸軍大臣、続く幣原喜重郎内閣でも留任して日本最後の陸軍

大臣となった。1959年参院選に全国区から自由民主党公認で出馬、当選して参議院議員を 1

期務めた。1968年、東京都でバスに轢かれ交通事故死。

㉖小野寺信(第 8 巻、おのでら まこと、1897年―1987年)は、岩手県出身の陸軍軍人、翻訳家。

最終階級は陸軍少将。1919年陸軍士官学校(31期)を卒業、陸軍歩兵少尉に任官し、歩兵第

29連隊付、28年陸軍大学校(40期)卒業、歩兵第29連隊中隊長。1930年陸軍歩兵学校教官、

陸大教官、参謀本部付(北満駐在)、参謀本部々員などを経て、34年陸軍歩兵少佐、35年ラト

ビア公使館付武官、37年エストニア・リトアニア公使館付武官・陸軍歩兵中佐、38年参謀本

部々員となり、中支那派遣軍司令部付で上海小野寺機関長として活動、39年陸大教官・陸軍

歩兵大佐。1940年スウェーデン公使館付武官として欧州で諜報活動、43年陸軍少将。小野寺

の送った機密情報は「ブ情報」と呼ばれ、戦時海外からの貴重な情報源となった。大戦最末

期にはヤルタ会談後にソ連がドイツ敗戦 3 か月後に対日宣戦するとの米ソ密約情報を日本に

送ったとされる。

  1946年日本に帰国復員、戦争犯罪人として一時巣鴨拘置所に拘留された。戦後は主に妻・

百合子とともにスウェーデン語の翻訳業に従事する傍ら、スウェーデンの文化普及活動に努

めた。最晩年の『NHK 特集 日米開戦不可ナリ ストックホルム・小野寺大佐発至急電』

で小野寺の大戦中の諜報活動に照明が当てられ、佐々木譲の小説『ストックホルムの密使』

(新潮社、1994年)でも小野寺の終戦工作が扱われた。エレン・ケイ『恋愛と結婚』(岩波文庫

上下、1977年、百合子夫人と共訳)、小野寺百合子『バルト海のほとりにて―武官の妻の大東亜

戦争』(共同通信社、1985年)、岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独

な戦い』(新潮社、2012年)、吉見直人『終戦史 なぜ決断できなかったのか』(NHK 出版、

2013年)など参照。

㉗正力松太郎(第 9 巻、しょうりき まつたろう、1885年―1969年)は、富山県出身の警察官僚、

実業家、政治家。元読売新聞社社主。日本におけるプロ野球の父、テレビ放送の父、原子力

発電の父とも呼ばれる。東京帝国大学法科大学卒で内務省に入り、警視庁警務部長として関

東大震災時の治安維持にあたったが、虎の門事件で引責辞職、経営難の読売新聞を買い受け

て社長に就任、新聞界に転じた。以後、政財界に影響力を拡大。1940年の開戦時は大政翼賛

会総務。

  A 級戦犯指名で逮捕されたが起訴はされず、巣鴨拘置所に収容され公職追放処分を受けた。

戦後は日米野球興行など野球界でも活躍したが、一方で長期にわたり CIA への協力を行っ

ていたことが、IWG 文書公開の早くから注目された。『正力松太郎 悪戦苦闘』(日本図書セ

ンター、1999年)、佐野眞一『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文藝春秋、1994年)、

柴田秀利『戦後マスコミ回遊記』(中央公論社、1985年)、春名幹男『秘密のファイル CIA の

対日工作』(上下、共同通信社、2000年)、神松一三『「日本テレビ放送網構想」と正力松太郎』


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(三重大学出版会、2005年)、有馬哲夫『日本テレビと CIA 発掘された「正力ファイル」』(新潮

社、2006年)、有馬哲夫『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書、2008年)、

有馬哲夫『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』(平凡社新書、2008年)、有馬哲夫『CIA と戦

後日本』(平凡社新書、2010年)など参照。

㉘辰巳栄一(第10巻、たつみ えいいち、1895年―1988年)は、佐賀県出身の陸軍軍人。最終階級

は陸軍中将。1915年陸軍士官学校(27期)、25年陸軍大学校(37期)を優等で卒業し、歩兵第

21連隊中隊長に就任。1926年教育総監部課員を経て28年臨時第 3 師団参謀を務め山東出兵に

出動、30年イギリス駐在歩兵少佐に昇進、イギリス大使館付武官補佐官、関東軍参謀兼満州

国大使館付武官補佐官、参謀本部員を歴任し34年歩兵中佐、35年第5師団参謀に就任しイギ

リス大使館付武官、37年歩兵大佐、38年参謀本部課長を経て39年イギリス大使館付陸軍武官

(当時の大使が吉田茂)。1940年陸軍少将、太平洋戦争開戦に伴い42年交換船でイギリスから帰

国、42年東部軍参謀長、43年陸軍中将、45年第12方面軍参謀長・第 3 師団長で中国へ出征し、

鎮江で終戦を迎えた。1946年5月復員。

  戦後占領期は G 2 歴史課の旧軍「河辺機関」に加わった。吉田茂の軍事顧問として警察予

備隊の結成・幹部人選に関わり、今日の自衛隊の基礎を作った。CIA の協力者「POLE-

STAR― 5」として内閣調査室(現在の内閣情報調査室)や自衛隊設置に関わる資料をアメリカ

政府に流していたといわれる。1975年から78年まで偕行社会長。有馬哲夫『大本営参謀は戦

後何と戦ったのか』(新潮新書、2010年)、湯浅博『歴史に消えた参謀 吉田茂の軍事顧問 辰

巳栄一』(産経新聞社、2011年)。

㉙和知鷹二(第10巻、わち たかじ、1893年―1978年)は、広島県出身の陸軍軍人。最終階級は陸

軍中将。1914年陸軍士官学校(26期)卒業・歩兵少尉、22年陸軍大学校(34期)卒業、歩兵

第 3 連隊中隊長となり、参謀本部付勤務、参謀本部員(支那課)、参謀本部付(支那研究員・

南支駐在)、第 6 師団司令部付(済南特務機関)、済南駐在武官などを歴任し、29年歩兵少佐・

第63連隊大隊長。参謀本部員、関東軍参謀、広東駐在武官などを経て、1933年歩兵中佐。

1934年参謀本部員・支那駐屯軍司令部付(太原機関長)を経て、36年支那駐屯軍参謀として

日中戦争出征、37年歩兵大佐に昇進し歩兵第44連隊長。1938年台湾軍司令部付(特務工作)、

参謀本部付(特務工作)、大本営付(蘭機関長)、第21軍司令部付兼中支那派遣軍司令部付、支

那派遣軍総司令部付を経て、40年陸軍少将・参謀本部付となり、台湾軍参謀長兼台湾軍研究

部長として太平洋戦争を迎えた。1942年第14軍参謀長に就任し、フィリピン・バターン攻略

に参加し、兼比島軍政監、43年陸軍中将、44年南方軍総参謀副長、第35軍参謀長へ転出しレ

イテ島の戦いで敗退。南方軍総司令部付となり、南方軍総参謀副長兼南方軍交通隊司令官を

経て、中国憲兵隊司令官として終戦を迎えた。

  1946年戦犯容疑(橘丸事件)で逮捕され巣鴨拘置所に拘留。1948年、重労働 6 年の判決を

受け50年に仮釈放された。依光裕『一所懸命 土佐に生きて』(高知新聞社、2007年)参照。

㉚和智恒蔵(第10巻、わち つねぞう、1900年―1990年)は、海軍軍人で僧侶。最終階級は海軍大

佐で、硫黄島海軍警備隊司令。1922年海軍兵学校(50期)卒業、海軍大学校選科学生のとき

に東京外国語学校にてスペイン語を学んだ。1931―32年海軍通信学校高等科学生、「大泊」

航海長、「那珂」通信長などを歴任、34年第三艦隊付で上海に駐在し特務機関に勤務。その


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後、東京無線電信所付兼軍令部出仕(大和田傍受所長)、東京通信隊分隊長兼軍令部出仕、練

習艦隊参謀など。1940年メキシコ公使館付海軍武官補佐官になり、L 機関長として諜報活動

を行った。太平洋戦争開戦後の42年にニューヨークに呼び集められ交換船で野村吉三郎とと

もに帰国した。帰国後は軍令部第4部第 9 課員として各地の司令部を回りアメリカ情勢を解

説、1944年硫黄島警備隊司令になり大佐に昇進した後、横須賀鎮守府付として内地に転属、

いったん帰国・休養後、南西方面艦隊司令部付となり、フィリピン大使館付武官を経て、45

年海軍水雷学校教官として長崎県に赴任、 3 月より第5特攻戦隊第32突撃隊司令に転任して

鹿児島で本土決戦に備えた。

  終戦を迎えると残務整理にあたる。1946年巣鴨拘置所に拘禁された。戦争から生還したこ

とに責任を感じて出家し、天台宗の僧侶になる。硫黄島協会を設立して慰霊と遺骨収集に生

涯を捧げた。上坂冬子『硫黄島いまだ玉砕せず』(文春文庫、1995年)参照。

㉛辻政信(第11巻・12巻、つじ まさのぶ、1902年―1961年行方不明)は、石川県出身の陸軍軍人、

政治家。軍人としての最終階級は陸軍大佐。陸軍士官学校(36期)を首席で卒業し恩賜の銀

時計、1927年中尉に昇進し陸軍大学校(43期)入学、第一次上海事変で第 9 師団第 7 連隊第

二中隊長として上海に出征・負傷後、参謀本部第一課(当時課長は東条英機大佐)に移り大尉

昇進。1934年士官学校本科生徒隊中隊長、二・二六事件後関東軍参謀部へ、汪兆銘政権への

秘密工作、ノモンハン事件に関与した。マレー作戦、シンガポール華僑虐殺事件、バターン

死の行進の戦いなどの重要作戦にも、辻は深く関わった。

  敗戦後数年間を国内外で潜伏したのち、『潜行三千里』を発表しベストセラーとなった。

政治家に転身し衆議院議員(4期)、参議院議員( 1 期)を歴任、参議院議員在任中の1961年

に視察先のラオスで行方不明となり、68年に死亡宣告がなされた。『潜行三千里』(毎日新聞

社、1950年)、『十五対一』(酣灯社、1950年)、『1960年』(東都書房、1956年)、『ズバリ直言』(東

都書房、1959年)、『亜細亜の共感』(亜東書房、1950年)、『自衛中立』(亜東書房、1952年)、『ガ

ダルカナル』(養徳社、1950年)、『この日本を』(協同出版、1953年)、『これでよいのか』(有紀

書房、1959年)、『シンガポール』(東西南北社、1952年)。三木公平『参謀辻政信 ラオスの霧

に消ゆ』(波書房、1985年)、生出寿『悪魔的作戦参謀辻政信 稀代の風雲児の罪と罰』(光人

社文庫、1993年)、高山信武『二人の参謀―服部卓四郎と辻政信』(芙蓉書房出版、1999年)、

田々宮英太郎『権謀に憑かれた参謀辻政信―太平洋戦争の舞台裏』(芙蓉書房出版、1999年)、

有馬哲夫『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』(新潮新書、2010年)。

五 1960年安保に連なる CIA の自民党工作と情報戦

 これまで日本に対する CIA の政治工作として特に注目されてきたのは、1960年安保闘争と

米軍諜報機関との関わり、日米安保条約改訂時の自由民主党、岸信介内閣と CIA の関係で

あった。この点を、最後に検証してみよう。

( 1 )CIA の自民党への資金援助

 この問題は、1994年10月10日の朝日新聞に、ニューヨーク・タイムズ特約として掲載された、


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以下の記事によって世に出た。

CIA、自民に数百万ドル援助 50―60年代 左翼の弱体化狙う(朝日新聞1994年10月10日)

 【ワシントン 8 日=ニューヨーク・タイムズ特約】米ソ対立の冷戦時代にあった1950年代から60年

代にかけ、米中央情報局(CIA)は、主要秘密工作のひとつとして日本の自民党に数百万ドル(当時

は 1 ドル=360円)の資金を援助していた。米国の元情報担当高官や元外交官の証言から明らかに

なったもので、援助の目的は日本に関する情報収集のほか、日本を「アジアでの対共産主義の砦(と

りで)」とし、左翼勢力の弱体化を図ることだった、という。その後、こうした援助は中止され、

CIA の活動は日本の政治や、貿易・通商交渉での日本の立場などに関する情報収集が中心になった、

としている。

 1955年から58年まで CIA の極東政策を担当したアルフレッド・C・ウルマー・ジュニア氏は、

「我々は自民党に資金援助した。(その見返りに)自民党に情報提供を頼っていた」と語った。資金援

助にかかわった CIA の元高官一人は、「それこそ秘密の中心で、話したくない。機能していたから

だ」と述べたが、他の高官は資金援助を確認している。また、66年から69年まで駐日米大使を務めた

アレクシス・ジョンソン氏は、「米国を支持する政党に資金援助したものだ」と述べ、69年まで資金

援助が続いていたと語った。58年当時、駐日米大使だったダグラス・マッカーサー二世は同年 7 月29

日、米国務省に送った書簡の中で、「佐藤栄作蔵相(当時)は共産主義と戦うために我々(米国)か

ら資金援助を得ようとしている」と記している。マッカーサー二世は、インタビューに対し、「日本

社会党は否定するが、当時、同党はソ連から秘密の資金援助を得ており、ソ連の衛星のようなもの

だった。もし日本が共産主義化したら、他のアジア諸国もどうなるかわからない。日本以外に米国の

力を行使していく国がないから、特に重要な役割を担ったのだ」と語った。

 自民党の村口勝哉事務局長は、そのような CIA の資金援助については聞いていない、としている。

朝鮮戦争(50―53年)当時、CIA の前身である米戦略サービス局(OSS)の旧幹部グループは、右翼

の児玉誉士夫氏らと組んで、日本の貯蔵庫から数トンのタングステンを米国に密輸、ミサイル強化の

ためタングステンを必要としていた米国防総省に1000万ドルで売却。これを調べている米メーン大学

教授の資料によると、CIA は280万ドルをその見返りに提供したという(34)。

 ただし、このニューヨーク・タイムズのスクープ記事は、米国政府機関要人へのインタ

ビューによるもので、公文書による裏付けを得たものではなかった。また、当時の岸信介首相

の役割を明示するものでもなかった。その一か月後に、朝日新聞社は独自の検証を行い発表し

たが、なお資料的裏付けは得られなかった(35)。

 この問題は、21世紀に入って民主党政権下で日本の外務省が認めるようになった核兵器持ち

込みや沖縄返還に関する「密約」と同様に、日米関係の根幹に関わる疑惑を孕んでいた。関連

情報は、その後も逐次報道された(36)。

( 2 )民社党結成における CIA の役割

 アメリカ側ではメーン大学のハワード・B・ションバーガー、アリゾナ大学のマイケル・

シャラーらが、日本でも春名幹男や山本武利らによって、戦後日本政治の出発時から60年安保、


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さらには沖縄返還にいたる日本政府要人、自由民主党と CIA の関係が学術的に研究されてき

たが、2006年には、米国国務省外交資料集 FRUS の解説 The Intelligence Community,1950―55

でも、明確に認められるようになった。そこで公式に認められたのは、60年安保闘争期の社会

党の分裂、右派の民社党結成に際して、CIA が資金援助したことであった。

CIA ー日本の左派勢力の弱体化狙い秘密資金工作(共同通信、毎日新聞2006年 7 月19日)

 米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代半ばにかけ、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の

安定化を図るために、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者に対し秘密資金工作を実施、

旧社会党の分裂を狙って59年以降、同党右派を財政支援し、旧民社党結党を促していたことが18日、

分かった。国務省が編さん、同日刊行した外交史料集 FRUS に記された。編さんに携わった国務省

担当者は共同通信に対し「日本政界への秘密資金工作を米政府として公式に認めるのは初めてだ」と

語った。米ソ冷戦の本格化や共産中国の台頭で国際情勢の緊張が高まる中、米国が日本を「反共のと

りで」にしようと自民党への財政支援に加え、旧社会党の分断につながる工作まで行っていた実態が

裏付けられた。日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる内容だ。ニューヨーク・タイム

ズ紙は94年、マッカーサー二世元駐日大使の証言などを基に、CIA が自民党に数百万ドルの資金援

助をしていたと報じたが、当時の自民党当局者は「聞いたことがない」としていた(37)。

( 3 )なお資料の必要な、岸信介、賀屋興宣の役割

 そして、口火を切った1994年ニューヨーク・タイムズ記事の執筆者ティム・ワイナーが、

2008年に著書を発表してすぐに『CIA 秘録』として邦訳され、その第12章で「自民党への秘

密献金」が総括的に論じられた。「CIA は1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。

しかし世界の有力国で、将来の指導者を CIA が選んだ最初の国は日本だった」として、岸と

CIA の「二人三脚」の関係を詳しく論じた。

 ただし、ワイナー自身が認めているように、「アメリカと CIA は、岸および自民党との隠密

の関係を公式に認めたことはない」。詳しい典拠を示したこの著書でも、日本語版編集部が付

したマッカーサー駐日大使から国務省宛で佐藤栄作大蔵大臣(当時)からの資金援助要請を示

す1958年 7 月29日付公電以外は、FRUS の解説とかつてのインタビュー記事で、岸信介の名が

出てくる第一次資料は、未だに公開されていない。

 そして、筆者らが今回機密解除された CIA、IRR ファイルの一端を分析した限りでは、CIA

が選んだ「将来の指導者」とは、岸信介ばかりではなく、緒方竹虎や正力松太郎も、候補に挙

がって、実際に工作を受けていた。賀屋興宣ファイルや「より親米的な『責任ある』野党」=

民社党結成の秘密工作まで言及したのはワイナーの卓見であるが、ジャーナリストであるワイ

ナーの著書では、米国側の対日情報戦工作が、やや単線的に描かれている。もっともワイナー

の著書刊行後も、先に紹介した筆者らの緒方竹虎ファイル分析、有馬哲夫の辰巳栄一ファイル

解読のほか、新たな資料「発見」が続いている(38)。


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おわりに――CIA 日本人ファイル解読から期待される冷戦史研究

 以上に述べたことから明らかになるのは、今回のナチス・日本帝国戦争犯罪記録の機密解除

をはじめ、歴史的文書の公開・非公開そのものが、情報戦の大きな舞台であることである。ま

た、今回公開された CIA 個人資料中で最も分量が多く内容的に豊富であったのが、戦前朝日

新聞論説主幹で情報局総裁、戦後日本版 CIA 構想・内閣調査室創設の中心であった緒方竹虎

と、戦前警察官僚で読売新聞社主、戦後日本の「テレビの父」「プロ野球の父」「原子力の父」

であった正力松太郎の二人であったように、米国の冷戦初期情報戦の主要な目的は、日本のマ

スメディアと世論、大衆文化を「西側」「親米」に導くことであった。

 占領期日本の国民は、出版物・新聞雑誌の検閲や労働運動弾圧、レッドパージなどの直接的

規制やサンフランシスコ講和条約締結と同時の日米安保条約、米軍基地の全土存続、沖縄軍政

継続によってのみならず、冷戦期米国の世界支配戦略への積極的協力や、それを受け入れるア

イデンティティの構築においても、操作と工作の対象とされた。

 第二に、確かに米国の情報公開法制にもとづく今回の機密解除は、日本敗戦時の戦時文書焼

却や隠蔽、その後の官公庁の杜撰な文書管理や情報公開の遅れに比すれば積極的であり、後世

の研究に資するものであるが、それでも米国所蔵日本戦犯資料のすべてが機密解除されたわけ

ではない。とりわけ戦後日本の国家体制の根幹や、今日の日米同盟の起源に関わる重要資料は、

なお機密指定のまま残されていると考えざるをえない。

 それは、一つにはアメリカ側作業部会で資料を分類・整理した関係者の関心が、第二次世界

大戦以前に確立された国際法上の規範、毒ガス戦・細菌戦・化学兵器や捕虜虐待、それに植民

地支配と女性差別に関わる問題などにあり、日本側の研究では重要な、昭和天皇の戦争責任や

広島・長崎の原爆投下などの問題については、意識的に資料を探しチェックした形跡はみられ

ない。この点を、日本の研究者の便宜に供するため、本資料集は編まれた。

 今日、日米政府間「密約」に関わる外務省文書の公開について語られる「当然あるべき資料

は見つからず、見つかった文書にも不自然な欠落が見られる」状態は、日本の公文書の場合だ

けではない。米国の公文書館文書についても、昭和天皇裕仁や岸信介の CIA 個人ファイルの

欠落に典型的なように、すべてが公開されているわけではない。無名の人々や個人ファイル以

外の資料にもあたって本格的に歴史を見直す作業は、日米に限らず、世界の冷戦史研究者の共

同作業として残されている。

 第三に、冷戦期日本の情報戦研究は、米国側資料だけでは不十分であることはいうまでもな

い。冷戦崩壊・旧ソ連解体によって、いわゆる旧ソ連秘密文書が閲覧可能となり、ゴルバチョ

フ、エリツィン政権期には、ソ連のアジア・対日政策、日ソ関係についても、新しい資料が大

量に公開された。その後、プーチン、メドヴェージェフ政権下でロシア政府の情報公開は再び

閉鎖的になっているが、グラースノスチ(情報公開)時代に公開・収集された資料によってだ

けでも、戦後情報戦のもうひとつの主役の世界戦略・アジア戦略・対日政策の研究に不可欠な

基礎的新資料発掘が可能になっている(39)。

 日本側の公文書も、すでにインターネット上に公開され広く用いられている「アジア歴史資


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( 1 ) http://www.archives.gov/press/press-releases/2007/nr07-47.html(2014年 3 月30日アクセス、

以下、url については同じ)

( 2 ) 清水正義「ナチ戦争犯罪情報公開法の成立について」

   http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/others/OnNaziWarCriminalAct.htm

   http://www.fas.org/sgp/library/iwgreport02.html をも参照。

( 3 ) 同前。この点については、Christopher Simpson, Blowback: America’s Recruitment of Nazis and

its Effects on the Cold War, Weidenfeld & Nicolson, 1988[日本語訳『冷戦に憑かれた亡者たち

――ナチとアメリカ情報機関』時事通信社、1994年]、参照。

(4) U.S. intelligence involvement with German and Japanese war criminals after World War

  http://en.wikipedia.org/wiki/U.S._intelligence_involvement_with_German_and_Japanese_war_

criminals_after_World_War_II なお、日本語での米国 CIA 等の諜報活動の報道については、ウェ

ブ上の「インテリジェンス・アーカイブス:江原元のページ」に系統的に収録されている。

  http://eharagen.sun.macserver.jp/index.html

(5) http://www.archives.gov/iwg/japanese-war-crimes/select-documents.pdf

( 6 ) http://www.archives.gov/iwg/japanese-war-crimes/introductory-essays.pdf

( 7 ) 同上。

( 8 ) マッカーサー戦史室については、GHQ/FEC, Military Historical Section, The Reports of General

MacArthur(国立国会図書館憲政資料室所蔵)。

( 9 ) http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060828/p 2

(10) http://www.asyura2.com/0601/senkyo25/msg/557.html

(11) 「『河辺機関』に関する米公文書の要旨」(共同通信2006年 8 月12日)。

(12) 「GHQ 資金で反共工作 --- 旧日本軍幹部の『河辺機関』」(共同通信2006年 8 月14日)。

(13) 「旧日本軍幹部利用の工作失敗=情報不正確、中共浸透も――CIA 文書」(時事通信2007年 2 月

26日)。

  http://kihachin.dtiblog.com/blog-entry-563.html

(14) Research Aid: Cryptonyms and Terms in Declassified CIA Files:Nazi War Crimes and Japanese

Imperial Government Records Disclosure Acts

  http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release-lexicon.pdf

(15) 共同通信2009年10月 3 日。

(16) http://members.jcom.home.ne.jp/katote/0907OGATA.pdf. なお、山本武利『GHQ の検閲・諜

報・宣伝工作』(岩波現代選書、2013年)は、CIA「緒方ファイル」を用いた最新の研究成果である。

(17) 同上。なお、アレン・ダレスと吉田茂の会見は、筆者のウェブサイトで訂正してあるように、

1952年12月26日である。

(18) http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/

(19) 加藤哲郎『象徴天皇制の起源――アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書、2005年)特に第

料センター」の国立公文書館・外務省外交史料館・防衛省防衛研究所戦史研究センター資料ば

かりでなく、情報公開法に続いて制定された公文書管理法を最大限に活用することによって、

これまで以上に実証的な情報戦研究が可能になる条件が生まれている(40)。

 こうした意味で、わが国における冷戦史研究は、したがってまた、情報戦としての戦後政治

史の解明は、緒についたばかりなのである(41)。


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3 章、加藤「日本近代化過程におけるマルクス主義と社会主義運動の遺産」『FORUM OPINION』

第 7 号、2009年12月、参照。

(20) http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/rg-263-report.html?template=print,

(21) これまでいくつかの公開講演会配布資料中で、Sima Horia(RC 230/86/24/03)が日本人である

可能性を指摘してきたが、英文ウェブ資料でルーマニアのファシストである Horia Sima(July 3 ,

1907―May 25, 1993)と特定できたので、本資料集では除いている。http://en.wikipedia.org/wiki/

Horia_Sima。また、後述するように、AKIYAMA Hiroshi については、731部隊関連の「秋山浩」

としてきたが、今回の資料集公刊にあたって、旧内務省官僚「秋山博」と改めることにした。

(22) 秦郁彦『裕仁天皇 五つの決断』講談社、1984年、184頁。

(23) 川島高峰「新憲法公布前後の国民の意識状況」歴史教育者協議会編『日本国憲法を国民はどう迎

えたか』高文研、1997年、143-144頁。

(24) J.E.Haynes and H.Klehr eds., VENONA: Decoding Soviet Espionage in America, Yale UP., 1999

[中西輝政監訳『ヴェノナ』PHP研究所、2010年]; J.E.Haynes, Red Scare or Red Menace, IVAN

R.See, 1996; J.E.Haynes and H.Klehr, Early Cold Warm Spies, Cambridge UP., 2006; A.Weinstein and

A.Vassiliev, The Haunted Wood, The Modern Library, 1999; J.E.Haynes, H.Klehr and A.Vassiliev,

Spies: The Rise and Fall of the KGB, Yale UP., 2009; D.McKnight, Espionage and the Roots of the

Cold War, Frank Cass, 2005;など参照。なお、冷戦初期のソ連側の情報戦については、イギリス

で刊行された「ミトローキン文書」も不可欠で、そこでは戦後日本社会党・総評と旧ソ連諜報機関

の資金を含む関係のほか、自由民主党の石田博英と旧ソ連の関係も記されている。C. Andrew and

V.Mitrokhin, The Sword and the Shield: The Mitrokhin Archive and the Secret History of the KGB,

Basic Books, 1999; C.Andrew and V.Mitrokhin, The Mitrokhin Archives II: The KGB and the World,

Penguin Books, 2005.

(25) H.Klehr, J.E.Haynes and F.I.Firsov, The Secret World of American Communism, Yale UP., 1995

[渡辺雅男・岡本和彦訳『アメリカ共産党とコミンテルン』五月書房、2000年]; H.Klehr, J.E.Haynes

and F.I.Firsov, The Soviet World of American Communism, Yale UP., 1998. これらによって、旧

ソ連秘密資料の一部のみを用いた和田春樹『歴史としての野坂参三』(平凡社、1995年)の野坂像

は、大きく書き換えられなければならない。加藤哲郎『ワイマール期ベルリンの日本人』(岩波書

店、2008年)第5章、をも参照。

(26) NARA の沖縄関係資料は、独自に収集されて、沖縄県公文書館に収録・公開されている。http://

www.archives.pref.okinawa.jp/

(27) この点を、筆者は占領期米国陸軍 Project Stitch(縫い物作戦)・空軍 Project Wringer(絞り作

戦)から解読中であるが、さしあたり富田武『シベリア抑留者たちの戦後』(人文書院、2014年)

参照。

(28) 「CIA、故児玉氏を酷評・情報工作『役立たず』」(共同通信配信、日本経済新聞2007年 2 月26日)。

(29) http://ameblo.jp/aobadai0301/entry-10281193928.html(2014年現在削除)

(30) 以下を参照。

   http://members.jcom.home.ne.jp/katote/0907OGATA.pdf

   http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/06-02/060208amaki.htm

   http://www.f.waseda.jp/tarima/pressrelease.htm

(31) 本資料集所収「裕仁ファイル」をもとに筆者のコメントを付した時事通信配信「80年代まで昭和

天皇の情報収集=大統領会見前に対米感情分析? CIA 文書」『北海道新聞』2010年4月30日。

(32) Research Aid: Cryptonyms and Terms in Declassified CIA Files:Nazi War Crimes and Japanese

Imperial Government Records Disclosure Acts


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  http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release-lexicon.pdf

(33) 加藤哲郎「CIA 緒方竹虎ファイル分析」(http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/curi.html#info)

   なお、CIA cryptonym 暗号表については、以下のサイトも参照。

   http://en.wikipedia.org/wiki/CIA_cryptonym

   http://www.maryferrell.org/wiki/index.php/CIA_Cryptonyms

(34) http://eharagen.sun.macserver.jp/cia_funded.html

(35) 「『CIA が自民党へ資金援助』を検証 日米戦後史の裏面に光」(朝日新聞1994年11月11日)、「CIA

が大規模対日工作 最盛時は要員100人 自社議員らに報酬も 関係筋証言」(共同通信、中日新聞

1995年 1 月 6 日)、「報酬受け提供『考えられぬ』自民事務局長」(沖縄タイムス1996年10月 7 日)。

(36) 関連報道記事に、以下のようなものがある。「米の機密文書公開に『待った』『対日外交に影響』

国務省、『核』寄港合意・CIA の資金援助疑惑 ケネディ政権下の資料」(朝日新聞1994年11月 7 日)、

「対日諜報網計画――戦後、20人の工作員投入案 米戦略諜報隊」(毎日新聞2003年 3 月 2 日)、「米

の『赤狩り』日本でも50年前の議事録発見」(中日新聞2004年 3 月29日)、「日本版『CIA』の誕生 

防衛庁に要員920人」(韓国東亜日報2004年 6 月20日)、「自衛隊創設時から極秘に日米作戦計画 首

相に報告せず」(朝日新聞2004年 7 月 1 日)、「平和シンボルに昭和天皇を利用 開戦半年後、米国

が計画、『象徴』記述 半年早まる 米機密文書から確認 一橋大教授」(中日新聞2004年11月 7 日)、

「対外情報機関設置を提言 有識者懇、英 MI 6 『参考』に」(朝日新聞2005年 9 月14日)、「冷戦末

期の対日政策、機密文書判明」(ワシントン、東京新聞2005年12月16日)

(37) 公開された FRUS『米国の外交』第20巻第 2 部「日本」では、秘密工作に関するライシャワーの

ホワイトハウス宛書簡など関連公文書を掲載せず、「編集者による注釈」として、秘密工作の概要

だけを説明した。「資金提供で親米政権安定化――CIA の対日工作明らかに」(読売新聞2006年 7

月19日)、「CIA が左派弱体化へ秘密資金 50―60年代 保革両勢力に」(共同通信、中日新聞2006

年 7 月19日)、「ライシャワー勧告で中止 自民党への秘密資金工作」(共同通信2006年11月23日)。

(38) 「ニュース稿ひそかに収集 CIA、占領下日本で」(共同通信2010年 3 月11日)、「浮かび上がる占

領期の CIA 秘密活動」(毎日新聞2010年4月5日夕刊)。なお、原爆・原発関係については、 3 ・

11後、さまざまな新資料発見が相次いでいる。前述江原元「インテリジェンス・アーカイブス」の

他、加藤哲郎・井川充雄編『原子力と冷戦――日本とアジアの原発導入』(花伝社、2013年)参照。

(39) 筆者や和田春樹による旧ソ連秘密文書の研究のほか、最近の下斗米伸夫や富田武の諸研究、参照。

(40) 牟田昌平「戦前の公文書にかかわる神話と現実」は、アジア歴史資料センター創設後5年間の経

験にもとづいて「戦前の公文書は、当初の予想に反して系統的に整理され、国の諸機関に残ってい

ることが判明した。貴重な歴史公文書の散逸や廃棄は、戦前の政府機関が所蔵した公文書に関する

限り『神話』ではないか」と述べている(小川千代子・小出いずみ編『アーカイブへのアクセス 

日本の経験、アメリカの経験』日外アソシエーツ、2008年、24頁)。

(41) 本解説は、『年報 日本現代史』第15号に寄稿した、加藤哲郎「戦後米国の情報戦と60年安保――

ウィロビーから岸信介まで」(現代史料出版、2010年 6 月刊)をもとに、CIA 日本人個人ファイル

を中心に加筆改訂したものである。なお、より一般向けの解説として、加藤「機密解除文書が明か

す戦後日本の真の姿――GHQ 文書」『週刊 日本の歴史 現代4 敗戦・占領の「断絶と連続」』

(朝日新聞出版、2014年5月18日)がある。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:_PppsJAuQs4J:members.jcom.home.ne.jp/tekato/CIAJAP.pdf+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja


6. 中川隆[6044] koaQ7Jey 2017年1月14日 11:22:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6489]
米公文章 CIAに買収された暴力団・政治家達・早稲田大学政治経済研究所 2010/3/25
http://blogs.yahoo.co.jp/minahidetyan/11314993.html


戦後米国の情報戦と六〇年安保——ウィロビーから岸信介まで
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/nenpo2010.htm

Foreign Relations of the United States, 1964-1968, Vol. XXIX, Part 2, Japan(英語)
http://history.state.gov/historicaldocuments/frus1964-68v29p2


CIAと自民党史 一般に知れ渡ってきたのは2008年あたり
http://www.youtube.com/watch?v=vSSwdGV9UHg
あまりに多くの政治家・官僚達がCIAに買収され米国益の為に活動していたし、それは今も続いている

http://members.jcom.home.ne.jp/katote/0907OGATA.pdf
CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析
20世紀メディア研究会第51回特別研究会 2009/07/25 早稲田大学政治経済研究所

一番有名なのが岸信介やその弟の佐藤栄作などの系譜(末裔が安倍家)
岸氏は戦犯時にCIAの協力員となる、その当時の岸氏の盟友が小泉さんのお父さん

岸信介は日本に台頭する保守派の指導者になった。
国会議員に選出されて四年も経たないうちに、国会内での最大勢力を支配するようになる。

>岸は日本政界についてのさまざまな情報をCIAに提供した。その見返りとして岸がCIAに求めたのが、政界工作資金だったのだ。岸はCIAのエージェントであった。そして、岸は首相の座につくや、<CIAと協力して針安保条約を練り直すことを約束した>


同時期に米国公開文章で、CIAに買収されていた有名人は

○正力松太郎(CIA資金で読売系などナベツネさんや中曽根さん・電通など)「PODAM(ポダム)」
○賀屋興宣(大蔵省のドン・天下りの元締め七夕会の創設者)

○児玉誉士夫(日本の右翼運動家、黒幕。暴力団・錦政会(後の稲川会。会長は稲川裕芳で、後の稲川聖城)顧問)(岸さんなどと暴力団・戦後右翼などの闇を結んだ満州利権族)(1969年、住吉連合を母体とする右翼団体日本青年社の旗揚げに参加。これはヤクザと見分けが付かない任侠右翼の始まりであった。)他に住吉会など他統一教会と清和などを結びつけた

○笹川良一(児玉さんは笹川さんが結成した右翼団体·国粋大衆党(後の国粋同盟)に参加。)

○緒方 竹虎(暗号名「POCAPON(ポカポン)」朝日新聞社
  実子・緒方四十郎は元日銀理事/奥さんは緒方貞子さん)

ちなみに特捜・CIA・ペンタゴンは47年に設立
予算学は現在で7兆円程度で、自衛隊(5兆弱)より大きい

「CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析」
                  毎日新聞 2009年7月26日 2時30分

 1955年の自民党結党にあたり、米国が保守合同を先導した緒方竹虎・自由党総裁を通じて対日政治工作を行っていた実態が25日、CIA(米中央情報局)文書(緒方ファイル)から分かった。CIAは緒方を「我々は彼を首相にすることができるかもしれない。実現すれば、日本政府を米政府の利害に沿って動かせるようになろう」と最大級の評価で位置付け、緒方と米要人の人脈作りや情報交換などを進めていた。米国が占領終了後も日本を影響下に置こうとしたことを裏付ける戦後政治史の一級資料と言える。


「CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析」 毎日新聞、2009年7月26日
代替の原文(元の毎日はすでに削除されている)

http://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/b8bebe76bdaa404b3a522112080fe173

>ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書 朝日新聞
ロッキード事件「中曽根氏がもみ消し要請」 米に公文書2010年2月12日3時30分
http://blogs.yahoo.co.jp/minahidetyan/9045130.html

CIA売国は一族・グループに受け継がれる事が多い

>第一次公開788 人(日本人名は土肥原賢二、今村均、石井四郎、大川周明の4 人のみ)。圧倒的にドイツ・ナチス関係が多い。アルファベット順(Hitler の直前にHirohito.Higashikuni)。

●第二次公開約1100 人(日本人らしい名前は、秋山浩、有末精三、麻生達男、福見秀雄、五島慶太、服部卓四郎2 冊,東久邇稔彦、昭和天皇裕仁、今村均、石井四郎、賀屋興宣、岸信介、児玉誉士夫2 冊,小宮義孝、久原房之助、前田稔、野村吉三郎、緒方竹虎5 冊,大川周明、小野寺信2 冊,笹川良一、重光葵、下村定、正力松太郎3 冊,Shima Horia 2 冊,辰巳栄一、辻政信3 冊,和知鷹二、和智恒蔵の29 人41 冊)。

おおむね戦犯、ないしその容疑者だがGHQ=G2 歴史課等に協力し訴追を逃れた人物の個人ファイル(小宮だけ例外、上海自然科学研究所の左翼関係)。


●「緒方ファイルEEZ18-B96-RG263,CIA Name File, box 94&95, folder: Ogata Taketora」は5分冊あり、日本人のCIA 個人ファイルでは群を抜いて大きい。File 1(約30 点)、File 2-1(約77 点、1952 年→1955年の部局間相互参照フォームCROSS REFERENCE FORMが多い、重要性に応じて移動させたため?)、File 2-2(英文書物3点、中国関係)、File 3(約103 点)、File 4(約65 点・英文論文5)、File 5(約56 点、工作関係・英文論文)と区分された全5分冊、約350 点1000 頁近くである。
●こうしたCIA 機密解除ファイルでは、重要人名・機関名が消されて(伏せ字)になり、暗号・コードネームで語られている場合が多い。

有馬哲夫教授は、正力松太郎のコードネームPODAMを見出し正力とCIA、日本テレビ、原子力平和利用の関係を解明したが、「緒方ファイル」は、日本政治の中枢に関わるファイルであり、アレン・ダレスCIA 長官が要所要所で登場する。正力や岸信介の背後で暗躍した『ニューズウィーク』編集長ハリー・カーンら「ジャパン・ロビー」は、「緒方ファイル」では、今のところ登場しない。

オーソドックスな政治工作で、大きな私的資金援助は今のところ確認できない

★ 日本人ファイルに登場するCIA 暗号名(cryptonym)一覧
KUBARK=CIA headquarters,
ASCHAM=Allen DULLES (James Srodes, ALLEN DULLES,Master of Spies, Regnery,Washington DC, 1999, pp.431-432.)
ODACID=United States Department of States/U.S. Embassy
ODOPAL=United States Army Counterintelligence Corps
ODYOKE=Federal Government of the United States
POGO=PO Japanese Government 日本政府
POCAPON=緒方竹虎 1955年5月29日初出
PODAM=正力松太郎
PODALTON=「(正力)マイクロ波通信網建設支援工作(1953 年11 月7日)」【有馬2008:248】
POHALT=柴田秀利
POJACPOT/1=正力松太郎 → 正力ファイル「履歴ファイル」冒頭にcryptonym あり。
POSONNET/1=賀屋興宜「履歴ファイル」冒頭にPseudonym あり。1959年8月6日初出
SR REP senior representative、具体的には当時のCIA 北アジア地域上級代表
【未解明】
Conweck,POROW(未解読,緒方1955「福岡同行記」に登場)
POUCH POAIM/12(和知鷹二?)
DYCLAIM [CIA?]
DYMACAO [FBI?]
JAMI


CIAに金もらって国売った一族


              カプランとデュブロ

日本ではヤクザ、右翼、建設会社の3つはほぼ同一のものであり区別が付かない、として岸信介、笹川良一、児玉誉士夫なども広義でのヤクザに分類している

1986年に日本のヤクザと右翼をテーマとした Yakuza:The Explosive Account of Japan's Criminal Underworld という本を出版。当時米国では貿易摩擦による反日感情が吹き荒れていた事もあって、一大ベストセラーとなった。日本社会のタブーである戦前から現代にいたる暴力団・右翼団体・自民党・財界の密接な関係に関して事細かに取材し実名を挙げて赤裸々に書いていた。そのため右翼団体や国家権力による報復行動を恐れて大手出版社や新聞社が尻込みしてしまい、翻訳版の出版が遅れ、5年後の91年に『ヤクザニッポン的犯罪地下帝国と右翼』の名で第三書館から出版された。2006年に加筆され、『ヤクザが消滅しない理由』の名で不空社より出版された。日本版においても個人名・企業名・団体名の実名が書かれている。

○正力一族
(中曽根・渡辺・読売・電通)末裔が与謝野先生


琉球新報(CIAと小泉氏)

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-112575-storytopic-86.html
沖縄の日本復帰前の1968年琉球政府行政主席公選は、選挙支援資金として72万ドルが供与されることを確約している。

残された文書では金の出所は日本自由民主党だが、専門家の話では「米国中央情報局(CIA)からとみられている」

72万ドルの金額は、同年8月から10月にかけて、三回に分けて東京から沖縄に運ぶことが確約されている。多額の金を運ぶ運び屋"も同席してその方策を検討している

これが若い日の小泉総理だったとする記事が紹介されている
(週刊文春2002年8月15日号)

                  現代のCIA協力者名簿

クロウリー・ファイルとジェラルド・カーティス教授
http://cryptome.org/cia-2619.htm
クロウリーファイルでは、カーティス教授もCIAの協力者として名簿に載っている(小泉進次郎衆院議員や中曽根博文元外相の息子さんも教え子)


クロウリー・ファイルはCIAの協力員リストのようなもんだけど、調べたときはダニエル・パトリック・モイニハ上院議員なども絡んでおり、信憑性は高いように思える

(20世紀のアメリカの防諜活動部隊の中で最も偉大な人物とされた・メレディス・ガードナー
ガードナーが引退したときには、ガードナーと彼の同僚がアメリカ国家安全保障局(NSA)やアメリカ中央情報局(CIA)から賞されたが、これは米民主党上院議員ダニエル・パトリック・モイニハンの働きかけによるものだった。)

http://newsweekjapan.jp/stories/us/2010/02/post-957.php

初代CIA日本支局長ポール・ブルームとパスタ屋
CIA退職金で始め ... ブルーム 里見甫
http://www.kabenoana.com/what/
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-7112.html

里見甫 児玉誉士夫 電通 時事通信 共同通信社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E7%94%AB


例えば、ユナイテッド・フルーツ社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84

ウィキには、当たり障りなく記載されているが
半端ではないえげつない事をやっていたと言われる


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/306.html#c4


7. 中川隆[6093] koaQ7Jey 2017年1月16日 13:15:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6539]
2017.01.16
ジャーナリストがCIAに買収されている実態を告発した元FAZ編集者が13日に心臓発作で死亡した

ドイツのジャーナリスト、ウド・ウルフコテが1月13日に心臓発作で死亡した。享年56歳。この人物はフランクフルター・アルゲマイネ紙(FAZ)の元編集者で、ドイツを含むメディアの記者や編集者がCIAに買収されている実態を告発したことでも知られている。ウルフコテによると、彼がジャーナリストとして過ごした25年の間に学んだことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないことだ。ヨーロッパの人びとはロシアとの戦争へと導かれ、引き返すことのできない地点にさしかかっていると危惧した彼は2014年2月、この問題に関する本を出している。西側の偽報道は根が深い。

 西側の有力メディアとCIAとの関係は1970年代から指摘されている。例えば、ウォーターゲート事件を追及してリチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込む記事を書いたことで知られているカール・バーンスタインは1977年、ローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」というタイトルの記事を書き、そうした関係を明らかにしている。

 その記事によると、400名以上のジャーナリストがCIAのために働いているだけではなく、1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 400名以上のジャーナリストをCIAが雇っていることは、1975年に設置された上院の情報活動に関する政府工作を調査する特別委員会(フランク・チャーチ委員長)や下院の情報特別委員会(ルシアン・ネッツィ委員長/後にオーティス・パイクへ変更)による調査で判明していた。ワシントン・ポスト紙のウォルター・ピンカスは1967年に自分自身でCIAとの関係を明らかにしている。

 記事を書く直前、バーンスタインはワシントン・ポスト紙を辞めている。同紙ではこうした問題を採りあげることができなかったということだが、それは当然。第2次世界大戦後、アメリカの支配層は情報操作プロジェクト、いわゆる「モッキンバード」を始めているのだが、その中心にいたひとりがワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムなのだ。

 そのほかの3名はウォール街の大物弁護士で秘密工作の黒幕とも言うべきアレン・ダレス、彼の側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ。ウィズナーは同じ時期に破壊活動を目的とした秘密機関OPCを指揮、ヘルムズは1966年から73年までCIA長官を務めている。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)

 ウォーターゲート事件でニクソンを追及していた当時、ワシントン・ポスト紙の社主はフィリップ・グラハムの妻だったキャサリン。世界銀行の初代総裁だったユージン・メイアーの娘でもある。また彼女の親友、ポリーはウィズナーの妻だった。

 日本ではワシントン・ポスト紙と並ぶ「言論の象徴」的な新聞と見なされているニューヨーク・タイムズ紙の場合も実態は同じ。例えば、1953年にアメリカ政府がイギリス政府と組んでイランの民族主義政権を倒そうとしていた際、ニューヨーク・タイムズ紙のケネット・ラブ記者は報告書をCIAのアレン・ダレスに提出していた。(Jonathan Kwitny, “Endless Enemies”, Congdon & Weed, 1984)

 モッキンバードにはCBSの社長だったウィリアム・ペイリー、TIME/LIFEを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズの発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやLIFEの発行人だったC・D・ジャクソンなども協力している。

 ちなみに、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の瞬間を撮影したいわゆる「ザプルーダー・フィルム」を隠すように命じたのはこのC・D・ジャクソンだ。この人物はドワイト・アイゼンハワー政権で大統領特別補佐官を務めているが、第2次世界大戦では心理戦に加わっていた。つまり、メディアの人間がCIAに協力したのではなく、情報機関の人間がメディアを操っていたのだ。

 その後、ロナルド・レーガンが大統領になるとプロパガンダを目的とする計画が始動する。アメリカ国内における「プロジェクト・トゥルース」と国際的な「プロジェクト・デモクラシー」だ。後にふたつは合体、1983年にレーガン大統領がNSDD(国家安全保障決定指示)77に署名してからプロジェクトは新しい段階に入った。プロジェクトの中枢機関としてSPG(特別計画グループ)がNSC(国家安全保障局)に設置され、偽情報を流して相手を混乱させ、文化的な弱点を利用して心理戦を仕掛けようとする。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)

 勿論、プロジェクト・デモクラシーは本来の民主主義と無関係。民主主義を口実としてアメリカ支配層が気に入らない国の体制を破壊、自分たちに都合良く作り替えようというのである。軍事侵略やクーデターを正当化する口実を人びとに信じ込ませることが重要な目的のひとつだと言えるが、逆に事実を伝える記者は邪魔になる。

 例えば、1982年1月にエルサルバドル軍による虐殺事件を記事にしたニューヨーク・タイムズ紙のレイモンド・ボンナー記者。その事件は前年12月に同国の北部で引き起こされ、女性や子供を含む村民約800名が殺害されている。当時、この地域で生活していたのは約1000名がいたとされているので、約8割が殺されたことになる。殺戮は大人の男性から始まり、若い女性は殺害の前にレイプされ、子供はナタやライフルで頭蓋骨を割られたという。

 こうした記事やアメリカ大使館からの報告書をワシントンは無視、国務次官補のトーマス・エンダースとエイリオット・エイブラムスは虐殺に関する記事を誤報だと非難、「民間」のメディア監視団体AIM、あるいはウォール・ストリート・ジャーナルの論説欄がボンナーたちを激しく攻撃、ニューヨーク・タイムズの幹部編集者エイブ・ローゼンタールはボンナーを1983年にアメリカへ呼び戻している。(前掲書)

 日本のマスコミが単なる権力者の走狗に過ぎないことは言うまでもないが、こうしたアメリカの有力メディアで支局長を務めていた人物が日本のマスコミを批判する本を書くのもお笑い種。その前に自分が所属している新聞社の実態を問題にする必要があるだろう。それともアメリカの有力メディアが行っている偽報道はかまわないと考えているのだろうか?
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201701160000/


8. 中川隆[-7777] koaQ7Jey 2017年5月06日 08:55:01 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2017年01月17日 世界を支配しているCIA3派とは・・・・
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html


非常に長い記事ですので一部をざっくりと訳してみました。全てをお伝えできず残念ですが、残りの部分はサイト内の本文をご覧ください。

この記事はCIAについて非常に詳細に説明してくれています。そして世界を実際に支配しているのはCIAの3派閥だとも言っています。これらの3派閥で内紛が勃発しているそうです。またCIA 対 NSAの闘争も起きているそうです。彼らの戦いが激化して共倒れすることを願うばかりです。

日本の政治家もCIAに暗殺されていますが、トランプ氏もケネディ大統領と同様に彼らに暗殺される危険性があります。CIAとは関係がなくスキャンダルも少ないトランプ氏はCIAと主要メディアと戦っていることがよくわかります。主要メディア(日本のマスコミも含め)は、大統領就任式間近の今、反トランプの情報操作を激化しています。マスコミはトランプ氏の暴言について嘲笑しながら伝えていますが、トランプ氏の暴言の内容は非常にまともで本当のことを言っています。これほど本当のことをストレートにいう政治家はいままでいなかったでしょう。
激しくののしっているように聞こえますが、トランプ氏はオルターナティブ・メディアが伝える内容をそのまま言葉にしているだけです。想像以上にアメリカの闇を知り尽くしているのでしょうね。


http://themillenniumreport.com/2017/01/exposed-cia-the-swamp-monsters/

(一部のみ)

1月14日付け

EXPOSED: CIA –The Swamp Monsters

世界を支配しているCIAの3派

By the Anonymous Patriots

The Millennium Report Exclusive

(非常に長い記事ですので、一部しかお伝えできません。ご了承ください。残りの部分はサイト内の記事をご覧ください。)

CIAの国内におけるスパイ活動は全ての米国民を標的にしている。いつ米国民がCIAに狙われ銃で撃たれてもおかしくない状況にある。

大統領選での様々なハッキング騒動は大統領選を無効にするためにCIAが行った偽旗であり、これには国を混乱に陥れているCIAの派閥争いも絡んでいる。
現在、CIAの派閥闘争及びCIAとCIAほど重要でない他の諜報機関(FBI、NSA、国土安全保障省、NIA国家情報機関、その他)の闘争が進行中である。
このような諜報機関同士のスキャンダル合戦は今に始まったものではないが。
米政府の代弁者でしかない主要メディアでさえ、米諜報機関同士の争いが起きていることを報道している。


CIAは他の全ての政府系諜報機関のトップに君臨している。
大統領令は極秘に扱われ、CIA以外の諜報機関には知らされることはない。
大統領の国際的な極秘事項に対してはCIA以外の諜報機関は部外者となる。

現在、オバマ大統領は、米議会、最高裁判所、米国民の承認を得ずに国際戦争を行っている。オバマ大統領は、NDAA(直訳:国防権限法)を修正し大統領の権限を増大させたため、米議会の承認なしに国内外で様々な戦争を行うことができるようになった。オバマはこの8年間で数々の違法な大統領令を確立させ、大統領の権限をかつてないほどに増大させた。


オバマが確立させた大統領令の下で国の安全を理由に大統領はアメリカの全資産を強奪できるようになった。

更に恐ろしいことは、CIAは、国際安全保障の名の下に大統領の上に立つことができるということだ。


CIAは、米連邦議会、大統領、米国民よりも優位な位置に自らを置き、秘密裡に何でも行えるようになってしまった。
CIAの絶大な権限で主要メディアはトランプ次期大統領に関するねつ造報道(ロシアのハッキングやロシアの脅迫など)を展開している。イギリスからこの国へ偽の調査書類が送られた。そしてCIAはトランプ次期大統領に対する


組織的誹謗中傷キャンペーンを実施している。


DNI国家情報長官のジェームズ・クラッパー氏(James Clapper)はCIAが提出した偽の調査書類に同意したことで、政府諜報機関の無能さが露呈した。


1981年にレーガ大統領が大統領令によりDNI国家情報長官を創設した主な理由は、米軍の高級将官が運営していたNSAをなくすためだった。DNIの職務はCIAの監視役として定義され、全諜報機関のトップに立った。しかし彼はCIAを支配することはできない。

国内外の情報活動に携わっている政府機関は世界各地に1271機関あり、政府から委託された民間会社は1931社存在する。つまり、85万4千人以上の職員が機密情報を取り扱っている。
諜報部員は85万4千人以上存在する。


クラッパーDNI国家情報長官は米議会で真実を話すことを宣言したにも関わらず、NSAは米国民の個人情報を収集していないと嘘をついた。
クラッパー氏はDNIに任命される前に、英軍に機密情報を提供している会社(Detica)の業務最高責任者を務めていた。同時に他の民間諜報機関(SRAとBoozAllen Hamilton)にも勤務していた。


クラッパー氏は諜報活動のための約75億ドルの年間国家予算を管理している。また彼はイギリスの元民間スパイである。それでも彼はトランプ氏に関する主要メディアのねつ造報道を見抜けなかったのである。
つまりこの男はプロの諜報部員を従えて年間75億ドルの予算を管理してるのにもかかわらず、CIAがトランプ氏を中傷するために偽の情報を流していることにさえ気づいていないのだ。
一方、我々市民は独立メディアの情報によりその真実を知っている。

法治国家であるならば、CIAによる次期大統領に関するねつ造報道は違法行為と見なされるがアメリカは法治国家ではない。

クラッパー氏は、現在、17の諜報機関(CIA、NSA、国土安全保障省、FBI、国務省、財務省、国防情報局、空軍情報局、陸軍情報局、米海兵隊情報局、沿岸警備情報局、エネルギー省、国家偵察局、麻薬取締局、国家地理空間情報局)のトップに君臨している。同時に彼は今でも3つの政府請負会社(Detica、BAE Systems、SRAインターナショナル、Booz Allen Hamilton)の取締役である。
クラッパー氏はアメリカの全ての情報機関を支配しているが、同時にアメリカの敵でもある。

彼は外国の諜報機関に所属してアメリカをスパイしていたこともある。
彼はアメリカの国家諜報機関のトップに上りつめ、全権力とカネを手に入れた。


オバマがクラッパー氏を国家諜報機関のトップに任命してから、アメリカではねつ造報道のオンパレードとなり、多国籍グローバリストの利益のために売国されるようになった。
CIAは国外の違法なハッカーを雇ってサイバー攻撃を行わせている。ヒラリーと民主党全国大会は彼らのサーバーがハッキングされた後にその調査を国外の民間会社に依頼した。しかしロシアが彼らのサーバーをハッキングした証拠は一切見つかっていない。

ほんの数人に権力が集中すると、必ず誤った方向へ進んでしまう。クラッパー氏は正確な情報を提供することに興味はない。彼はナチスの情報局と同様に単なるプロパガンダ・マシーンなのだ。
クラッパー氏は17の諜報機関を使って、彼らが流す情報は全て正しいと証拠もなしに我々に信じさせようとしている。

オバマの大統領令により、NSAは米国民と世界人類を監視することが可能となった。NSAが盗みとった個人データは全諜報機関が共有している。

スイス、ジュネーブのCIA海外本部はスイスの金融スキャンダルやCIAの犯罪活動に関わっている。


CIAのCiscoルーターやサーバーはNSAによってスパイされCIAの犯罪活動がNSAに知られてしまった。その結果、CIAと共謀したスイスの金融エリートらが逮捕された。NSAは今後もCIAに対するスパイを行っていく。

CIAのスイス本部は極秘施設であり、そこのサーバーがハッキングされたことでCIAは激怒した。
NSAに対するCIAの反撃として、CIA請負エージェントのエドワード・スノーデンを使って、NSAが米国民の個人情報を盗んでいることを示す大量のデータをリークさせた。


CIAは、CIAの3派閥を暴露したNSAがこれ以上CIAをスパイできないように対策を講じている。
クラッパー氏は米議会に呼ばれる度にNSAはスパイ活動を行っていないと嘘の証言をした。

CIAとNSAの闘争の中で、CIAはCisco SystemsやDARPAなどの活動情報をNSAに盗まれないようにした。

現在、CIA、NSAそして他の諜報機関の情報操作、情報収集合戦が進行中である。
しかしCIAは国際安全保障を担っているため国家安全保障を担当するNSAよりも優位に立っている。

CIAは国際的な紛争や事件に必ず関与している。通貨戦争、市場戦争、金融戦争、サイバー戦争、麻薬戦争そしてテロは常にCIAの関心事である。

オバマのNDAAは軍隊がテロリストと見なされた米国民を攻撃することを可能にした。愛国法により、CIAは米国民、企業、機関がテロリストでないことを証明できるまでテロリストと見なすことが可能となった。

CIAは3つの派閥に分類されており、世界中のスパイ活動を通して大きな利益を得ている。
アメリカはCIAに支配されており、ワシントンDCはCIAの泥沼の怪獣に包囲されている。
CIAは国内外で偽旗事件や非人道的犯罪を繰り返している。CIAによる殺人行為で無数の人々が犠牲になり、3兆ドルものアメリカの納税者の血税が無駄に使われた。CIAは国際戦争を勃発させるための偽旗事件を仕掛ける。またCIAはメディアを支配しサブリミナル・メッセージを流すことにより人々を洗脳している。


CIAは、元祖CIA(金に裏付けられたCIA=GB-CIA)、ブッシュCIA、Ex−CIAの3派閥に分かれている。それらの3派閥がアメリカや世界を支配してきた。


GB-CIA:Gold backed CIA

元祖CIA(OSS)は第二次世界大戦中に世界の国々から金(Gold)を盗んだ。ドイツや日本が他の国々から奪い取った金もCIAが奪った。しかしCIAは盗んだ金を返還するつもりはない。CIAが盗んだ金はアメリカには保管されておらず、フィリピンとスイスに保管されている。

GB-CIAはアメリカの国益のために海外で活動することになっているが、彼らは通貨市場、債券市場、株式市場に関与し世界中に影響をあたえている。

GB-CIAのメンバーは米財務省及びアメリカの経済政策を決めるESF経済安定資金に多く入りこんでいる。 ESFは通貨、債券、株式市場を操作し、FRBに金融政策を指示している。ESFはGB‐CIAにとってアメリカの金融市場を支配する上で最も都合の良いツールである。
GB-CIAこそがアメリカ経済を支配している。


GB-CIAは欲深く、世界中に戦争を仕掛けて富を強奪している。邪魔者は容赦なく殺害する。CIAは世界中で数々の残忍な犯罪活動を行っている。
ブッシュやクリントン周辺では、彼らに批判的な銀行のトップ、ブローカー、内部告発者が次々に不審死を遂げている。これまで数百人が殺害された。

また、GB-CIA は、彼らの性的異常行為、ピードフィリア(小児性愛犯罪)、悪魔崇拝の生贄儀式に多くの政治家や企業家を取り込んでいる。彼らは世界的な小児性愛犯罪ネットワークを構築させた。また、彼らは、難民のチャリティ団体を活用して世界最大の性奴隷の人身売買市場を運営している。また世界の麻薬密売も牛耳っており、イランーコントラ・スキャンダルやアフガニスタンのケシ栽培を行ってきた。
彼らは、麻薬、セックス、権力、支配、悪魔崇拝という通貨で絶大な権力を買っている。

Bush CIA (ブッシュ、クリントン、オバマ犯罪ファミリーとも呼ばれる):

パパブッシュが副大統領時代にブッシュCIAが正式に創設された。アメリカの16の諜報機関は国家情報長官によって支配されている。パパブッシュはCIA長官も務めたことがある。レーガン政権を支配していたのはパパブッシュである。彼はレーガンによってアメリカの外交政策の責任者に任命された。当時、パパブッシュはCIAの戦術を使ってソ連を崩壊させた。


パパブッシュ政権時代にジョージ・ソロスとレオ・ワンタが米財務省の偽の米国債を使ってロシア通貨を攻撃し不安定化した。

パパブッシュの兄(弟)は、Riggs Bankを経営しており、その傘下にVelment Bankを創設し、ロシアから奪ったお金とゴールドをロンダリングしている。一部のお金はミット・ロムニーの会社、Bain Capitalを介してロンダリングされた。
ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。
パパブッシュはブッシュCIAのごろつき集団にホワイトハウス、司法省、国務省を取り込み、勢力を拡大した。その結果、CIAの犯罪は全て連邦判事や国務省の高官によって見逃された。

ブッシュ家はクリントン家とビル・クリントンがアーカンソー州知事になる前から親しい関係にあり、オバマの母親は元CIAエージェントである。そのためオバマは生まれた時からCIAと深い結びつきがあった。オバマは完全にCIAの創造物である。
オバマが抱える問題は、CIAの3派閥ともつながりがあることであり、どの派閥に属してよいのかわからない。彼のめちゃくちゃな政策は、GB-CIAとブッシュCIAの両派閥を満足させようとしたからに他ならない。


ピザゲートで悪名高いジョン・ポデスタ氏と彼の兄(弟)はワシントンで最も有力なロビーストであり、レーガン政権時代から米政府の小児性愛組織を牛耳ってきた。
パパブッシュはレーガン政権の事実上の権力者だったが、当時からホワイトハウスでは小児性愛犯罪が日常的に行われていた。
ホワイトハウスがこのような性犯罪を堂々と行っていたことで連邦議員らの倫理が完全に崩壊した。


パパブッシュはケネディを暗殺したCIAを当時から支配し続けており、やりたい放題のことをやってきた。誰もそれを止めることはできなかった。パパブッシュはレーガン大統領の暗殺も企てたが失敗した。

ホワイトハウスも司法省も国務省もCIAの犯罪行為に慣れてしまい、CIAや政治家の犯罪をひたすら隠蔽してきた。

ケネディが暗殺されたとき、パパブッシュはCIAエージェントだった。
当時GB-CIAは世界の地政学的領域で独占するようになり、政治リーダーの暗殺を行うことで政権を変えることが可能になったとパパブッシュは認識した。
当時、パパブッシュは外交政策の責任者としてCFR(元CIA、政府の諜報部員及び企業の諜報部員で構成されている)の命令に従って政策を実行していた。また、パパブッシュは自分が任命した政治家全員の脅迫状リストを作成し彼らに命令に従うことを約束させた。


パパブッシュはサウジ王族と非常に親しい関係を築いた。そして彼の人生の多くをサウジの宮殿で過ごすことになった。パパブッシュは世界最大の武器商人、麻薬王、マフィア、王族、金融詐欺集団と協力関係にあった。彼はどこの国を訪れてもセキュリティに引っかかることなく自由に入国を許され、彼のビジネス(犯罪活動)を世界中で展開することができた。

最終的にGB-CIAはブッシュCIAの活動に気が付き、両者間の緊張が高まった。


パパブッシュは、配下のジョージ・ソロスとレオ・ワンタがロシア通貨を崩壊させ巨額の富を得た時、ロシアから大量の
金(ゴールド)を盗んだ。
そしてその2年間でパパブッシュは絶大な権力と富を獲得し、ブッシュCIAとGB-CIAのいがみ合いが悪化した。GB-CIAはブッシュの協力を得て政府とのつながりを持ちたかった。彼らはクリントン大統領が単にパパブッシュの命令で動いていることを知っていた。


Ex-CIA:


既にGB-CIA対ブッシュCIAの対立が激化している中で、Ex-CIAがそれに参戦している。
政治家を脅迫して政権を変えることが好きなGB-CIAと非常に欲深く際限のない権力闘争に明け暮れるブッシュCIAの対立を逆手に取りEx-CIAはこれらの2派閥の戦術と利権を盗もうと考えた。多くのEx-CIAは、政府を去り、利益の多い民間の諜報機関に籍を置いている。民間諜報機関はアメリカの諜報活動の65%を行っている。

Ex-CIAは、政府、銀行、企業の最高の地位にいた元CIAエージェントたちである。また、Ex-CIAは、GB-CIA及びブッシュCIAで働いていたエージェントらによる無秩序スパイ集団として創設された。

Ex-CIAのメンバーは政府や大企業で最高の地位を獲得している。
弁護士のジミー・コメィ氏は、FBI長官になる前に、ニューヨーク南部の連邦検事、検事副総長、米最大の軍事契約企業、ロックヒードマーチン社の上席副社長、CIA関連企業の相談役、CIA銀行のHSBC及びGB-CIAの金を保管しているHSBCホールディングズの理事を務めていた。
CIAの高級エージェントはこのよう昇進の梯子を上っていく。


コメィ長官はFBIを去ったあとに別の場所で高い地位を得ることで、 彼が犯罪によって獲得した巨額の富は守られることになる。コメィ長官はCIAの3派閥の命令に従って動いていた。

ジョン・ブレナンCIA長官は、長官になる前に国土安全保障省の副補佐官、サウジアラビアのステーションチーフ、国家反テロセンターの所長、諜報ネットワークのAnalysis CorporationのCEO、National Security Allianceの会長、 Global Strategies 、GlobalIntelligence SolutionsそしてGTECの主任エージェントだった。


これらの3派閥はシリアで破壊活動を行っている。シリアでCIAはペンタゴンが支援している部隊を攻撃していることが明らかになった。

アレッポの外側でアメリカが支援している3つの集団がお互いに戦っていることが分かった。この事実を隠蔽するためにオバマはクラッパー氏に偽の情報を流すよう命令した。
それこそが、ロシアがトランプ氏を脅迫していることや大統領選でロシアがハッキング行為を行ったとするねつ造報道である。また、国土安全保障省が有権者のデータベースをハッキングしたと報道されたのはシリアにおけるオバマの個人的な戦争の実態を隠すための偽装工作である。

クラッパー氏、ブレナン氏、コメィ氏は共に17の諜報機関がメディアを介してねつ造報道を行うことに賛成した。トランプ氏に対する彼らの攻撃により、CIAの3派閥の汚職、共謀、グローバリズム・アジェンダ、反米姿勢が明らかになった。


トランプ氏はCIAに刃向かう戦士である。

トランプ氏はグローバリズムと戦い法の支配を推し進めているため、CIAの3派閥の一番の敵となった。


CIAの3派閥は法の上に君臨して権力を悪用しているが、反グローバリズム、反NWOのトランプ氏が大統領に選ばれたことで彼らはかなりの衝撃を受けている。そのため、3派閥はトランプ氏の信用を落とすためにあらゆる情報操作を行っている。また、彼らが継続的に行ってきた数々の邪悪な犯罪を隠蔽しようとしている。また、ケネディがやろうとして失敗したことをトランプ氏がやろうとしているため、それを阻止しようとしている。


トランプ氏は、CIAがCIAメンバーとCIAの利権を守るためなら容赦なく人を殺すことを知っており、彼の命が危険にさらされていることを十分認識している。
CIAはトランプ氏についての調査書類を持っておらず、彼がワイルドカードだったことをCIAは知らなかった。トランプ氏にはこれまで明らかになったスキャンダル以外は何もないのである。トランプ氏はCIAの3派閥とは一切関わり合いを持っていない。
トランプ氏はワシントンDCの関係者を一切信用していない。なぜなら彼らは既にCIAに取り込まれている恐れがあるからだ。

トランプ氏が1600ペンシルベニア・アベニューのビルにオフィスを構えることをしなかったのは賢い選択である。なぜなら、そのビルの隅々にCIAのスパイ装置が設置されているからである。
愛国者は、トランプ氏が使うことになるホワイトハウスの内装及びリフォームの費用を支援すべきである。

CIAはあらゆる手法を使ってトランプ氏を公然と攻撃しはじめた。CIAの3派閥と繋がりのあるジョージ・ソロスも世界の舞台で公然とトランプ氏を攻撃している。


ビルダーバーグや三極委員会、ボヘミアングローブ、CFRが一同に集まり会議を開いた。そこでトランプ氏を大統領にさせないための作戦を練った。世界中の邪悪なカバラ犯罪集団は神経をとがらせている。既に彼らはトランプ氏を殺害しようとした。また、彼に賄賂を贈ろうともした。彼らは他の政治家に対してならうまくいく戦術がトランプ氏にはうまくいかないことを知った。トランプ氏はCIAが日常的に行っている活動に一切関心がない。

以下省略
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html


9. 中川隆[-7776] koaQ7Jey 2017年5月06日 08:59:34 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

石原慎太郎都知事「アメリカの犬 小沢一郎の正体」を暴く
https://www.youtube.com/watch?v=MERTrcik8CU

小沢一郎先生を襲った恐怖とは
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/296.html

中国美女も日本男性が大好き _ 皇族・政治家を中国のハニートラップにかけたプチエンジェル事件の黒幕は小沢一郎だった?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/290.html

「覚醒剤」_ 日本の官僚はアメリカのハニートラップ戦略によって動かされていた _ パソナ美女接待迎賓館”仁風林”
http://www.asyura2.com/0310/dispute13/msg/126.html#c35



10. 中川隆[-7775] koaQ7Jey 2017年5月06日 09:01:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

アホが書いた日本国憲法 _ 護憲運動はCIA・中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/703.html

阿修羅住民の小沢崇拝は CIA が扇動したものだった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/701.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

これが阿修羅に巣食う CIA 工作員
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/603.html

結論として、阿修羅掲示板の主流派の意見というのはCIA工作員と中国・朝鮮工作員が扇動して作ったものなのですね


11. 中川隆[-13902] koaQ7Jey 2018年7月25日 14:23:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-17311]


2018年7月25日
女性スパイの跳梁、今も昔も、国際政治の裏の主役
樫山幸夫 (産經新聞前論説委員長)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13487


マタ・ハリ、ジョセフィン・ベーカーなどと聞くと、「女スパイ」、「女諜報員」を連想するかもしれない。そういう伝説のスターはともかく、今の時代においても、その分野での女性の跳梁、活躍はなお盛んなようだ。女性の大統領や首相らが国際政治の表の主役とすれば、才色兼備の陰のヒロイン≠スちは、もっぱら裏の舞台で暗闘を繰り広げる。映画や小説ではない。われわれが知りうる現実の世界での話である。



(OSTILL/Gettyimages)

 米ロ首脳会談を大きく報じた7月18日の朝刊各紙、国際面の片隅に追いやられていたベタ記事に興味をそそられた。

 「露女性工作員逮捕」という短い記事によると、ワシントンに住む29歳のマリア・ブティナ容疑者=ロシア国籍=は2015年から17年にかけて、共和党系の政治家ら政財界の要人に接触、米政府の対ロシア政策改善などを働きかけていた。

 ロシアが2016年の米大統領選に干渉したという「ロシア・ゲート」事件との関連は定かではないが、同容疑者は15年6月、米の保守系政治誌に「米ロ関係の改善には共和党候補が当選する必要がある」と寄稿していた(産経新聞、7月18日付)。

 疑惑を捜査しているミュラー特別検察官が事情聴取を予定、逮捕のタイミングも、疑惑が議題にのぼったヘルシンキでの米ロ首脳会談の数時間後だった。ミュラー検察官の捜査次第では、トランプ政権の屋台骨を揺るがしている事件で、彼女がどんな役割を果たしていたのか、つまびらかにされる可能性がある。


大使夫人はスパイ!?


 この事件での主役≠ヘごく普通の若い女性であり、第1次世界大戦中、当時の人気ダンサー、マタ・ハリがドイツの機密情報をフランスに渡していたケースや、やはり人気歌手、女優のジョセフィン・ベーカーが第2次大戦中、フランスのレジスタンスに協力していたといわれるケースとは趣を大いに異にしている。実のところ、摘発されたり、明るみにでたりするのは、普通の女性によるスパイ、諜報活動がほとんどだ。

 筆者のワシントン在勤当時のケースを紹介したい。

 イラク戦争終結後の2003年夏、あろうことか中央情報局(CIA)の女性工作員の身元がメディアにリークされた。被害≠ノあった女性は、米国の元ガボン駐在大使の妻というから驚いた。レセプションで笑顔を振りまく外交界のスターがスパイ映画もどきの「裏の顔」を持っていたというので、米のメディアでセンセーショナルに報じられたのは当然だった。

 この女性は大学卒業直後にCIA入り、工作員として訓練を受けて、旧ソ連のカラシニコフ自動小銃の操作、文字を点のように縮小して伝える特殊技能、自動車爆破技術、銃撃戦の中での自動車運転などを習得した。協力者の獲得方法やスパイを見破る方法も学んだというから、まさに「007」の世界だ。

 当時40歳を超えたばかり。2人の子をもつブロンド美人は表向き、ボストンにあるエネルギー関係の会社の社員を装っていた。夫人を知る人たちは「子供をあやす母親以外のどんなイメージも浮かばない」「自動小銃などとても…」「政治のことなど決して話題にしなかった」と心底驚いた様子だった。

 この事件には因縁話がある。

 2003年春のイラク開戦に先だってブッシュ大統領(当時、2代目)がその年1月、一般教書演説で、同国が大量破壊兵器を開発している証拠≠あげた。そのひとつが、ウランをニジェールから買い付けていたという指摘だ。前年行われた調査に派遣されたのが女性の夫、元駐ガボン米大使だったが、イラク戦終了後の2003年7月、「調査当時に否定したにもかかわらず、イラク攻撃を正当化するため、政権はこれを無視した」と批判した。

 腹を立てた政府高官が意趣返しのため、「大使の妻はCイアエージェント」とメディアにリークしたのが真相で、情報機関員の身元秘匿に関する法律に抵触するスキャンダルに発展した。妻がCIA要員だから調査を命じられただけで、能力はなかったと印象づけることがリークの目的で、情報漏洩源として、カール・ローブ大統領補佐官(当時)、アーミテージ国務副長官(同)らの名が出た。訴追には至らなかったが、チェイニー副大統領(同)のルイス・リビー首席補佐官が、これにからんで偽証などの罪で実刑判決を受けた。取材源について証言を拒否した米紙ニューヨーク・タイムズの女性記者が法廷侮辱罪で収監されるというおまけまでつき、実に後味の悪い事件だった。

 筆者の取材相手が訴追され、実際に政府文書が流出した事件もあった。ワシントン勤務時代の2004年秋、国務省の東アジア太平洋担当次官補代理、ドナルド・カイザー氏の姿をみかけなくなり、不審に思っていたところ、突然新聞に同氏が逮捕、起訴されたという記事が掲載された
FBI(連邦捜査局)が米連邦地裁に提出した宣誓供述書などによると、カイザー氏は、台湾国家安全局の33歳の女性情報機関員と親密な関係にあり、東京に出張した際、国務省の許可なく台北を訪れて女性工作員と密会していた。米国内でも頻繁に接触、04年5月末にニューヨークへ一緒に出かけたのをはじめ、FBIに文書授受の現場を押さえられるまでの間、6回にわたって食事をするなどしていた。文書に機密が含まれていたかは、はっきりしないが、カイザー氏は、相手が情報機関員だと知っていたという。

 この問題に関して、当時の国務省報道官は「捜査中」との見解を繰り返し、台湾の米国での窓口、駐米台北経済文化代表処も「台湾は米国との良好な関係を維持することを望んでいる」と述べるにとどまった。

 中国に対抗するためには、米国にとって台湾の存在は重要であり、台湾からみても米国との良好なコミュニケーションは欠かせない。友好的な関係にある米国、台湾双方の困惑ぶりが目に浮かぶようだったが、その関係に悪影響をもたらすことがなかったは幸いというほかはない。

 スパイの暗躍の舞台は、わが国ももちろん例外ではない。取り締まる法律が不備な日本こそは各国情報機関員にとって天国≠ニよくいわれる。戦前のソ連スパイによるゾルゲ事件、戦後、昭和29年のラストボロフ事件(ソ連大使館員による情報収集)、昭和57年に発覚したレフチェンコ事件(ソ連週刊誌特派員による対日工作)などはよく知られている。

 しかし、日本の首相がターゲットにされていたとなると、穏やかではない。

 1997年、当時の橋本龍太郎首相が元中国人の女性(日本に帰化)と親密な関係にあったのではないかという疑惑が持ち上がった。この女性が情報収集などを行う「北京市公安局」に所属していたことから、スキャンダルめいた展開になった。

 橋本氏は、その20年近く前、厚相時代に訪中した際、この女性が先方の通訳をつとめたのがきっかけで知り合った。「苦労をかけたから食事などに招いたことはある」と接触の事実を認めたが、「情報機関員とは知らなかった」と説明した。

 両者の接触がどのようなものであったのかなどは不明だが、女性が天安門事件以後凍結されていたODA(政府開発援助)の解除などを働きかけたともいわれた。政府は1998年、野党議員の質問趣意書に対して、それを否定する答弁書を決定している。

 しかし、日本の安全保障にも関わる微妙な問題だっただけに、同盟国からの信用も失墜したのではないかという厳しい批判も少なくなかった。脇の甘い政治家には教訓となった
事件だった。

英政界揺るがしたハニー・トラップ


 ハニー・トラップ=B「密の罠」とでも訳すのか、女性スパイがターゲットにした男性を性的に籠絡して情報を入手することを意味する。今回米国で逮捕されたブティナ容疑者、台湾女性諜報員、中国人女性通訳のケースはいずれもこの範疇に入るだろう。

 偵察衛星など情報戦でもITが主流となりつつあるが、情報を入手する側、される側、いずれも人間である以上、ハニー・トラップがいまなお、すたれずに効果をあげるのは当然だ。

 ハニー・トラップを語るうえで、ぜひ触れなければならない事件がある。1960年代の英国を舞台にした「プロヒューモ事件」がそれだ。

 東西冷戦が激しさを増していた61年7月、当時英国のハロルド・マクミラン政権(保守党)の陸相だったジョン・プロヒューモ氏が高級コールガール、クリスティーン・キーラー嬢とパーティーで知り合い、親密な関係を持った。キーラーがソ連大使の駐在武官の大佐とも親しいことを英国の諜報機関MI6が察知して内閣に通報。プロヒューモは当初、女性と面識があることは認めたものの、親密な関係は否定していた。

 しかし、下院で労働党が激しく追及、米国や西ドイツ(当時)など同盟国も懸念を強めるに至って、63年6月、辞任に追い込まれた。その際、女性との親密な関係について嘘をついていたことを認めたが、軍事機密の漏洩については否定した。

 キーラーが聞き出そうとしたのは、米国の核ミサイルの西ドイツ配備時期に関する情報だったといわれるが、陸相が実際に機密を漏洩したかは明らかではなかった。 

 英政界における「20世紀最大のスキャンダル」といわれた事件は、マクミラン首相の辞任(63年11月)、64年の総選挙での保守党敗北の遠因となった。 

 プロヒューモは当時43歳。マクミラン後継とも目されながら、恥辱の中で政界を去ることを余儀なくされた。その後はロンドンの貧民救済施設で働き、皿洗い、掃除から始めて浮浪者やアルコール中毒患者、外国からの貧しい移民らのため半生を捧げた。71年には施設を訪れたエリザベス女王からねぎらいの言葉をかけられ、大英帝国勲章も授与されて名誉を回復したというから人生はわからない。氏は2006年に亡くなった。

優秀なスパイ1人は10個師団に相当

 古今東西、スパイ、諜報活動についてはおびただしい数の書物、映画があり、いずれもスリリングな物語が喧伝されている。筆者が紹介したのは、自ら取材したり、報道を通じて知り得たりした程度の話であり、派手さには欠ける。しかし、いずれも実際の出来事だけに、やはりそれなりのドラマがある。

 危険を伴い報われることの少ない仕事ではあるが、成功すれば計り知れない利益を自国にもたらす。日露戦争当時、対露諜報活動で大活躍した明石元二郎陸軍大佐(後の大将)など、当時の陸軍幹部から「10個師団に相当する働き」との評価を得た。

 新聞の国際面には毎日、全世界に関するニュースが満載されている。これらに情報部員、諜報員が関与しているケースも少なくないはずだ。彼らの活躍、跳梁ぶりに思いを馳せながら読むと、記事の趣がいっそう増すだろう。


12. 中川隆[-13517] koaQ7Jey 2018年11月06日 23:07:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-20215] 報告

なぜ日本は、アメリカによる「核ミサイル配備」を拒否できないのか 理由は岸が結んだ「密約」にあった(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/356.html

2018.11.02 矢部 宏治 現代ビジネス


「終戦宣言」へと向かう朝鮮半島。一方、中距離核ミサイル(INF)の全廃条約破棄を宣言したアメリカ。一見、矛盾するように見えるこの動きは、実は同じコインのウラとオモテなのだと、ノンフィクション作家の矢部宏治氏は指摘する。このままでは、朝鮮半島から米軍が撤退する代わりに、日本に米軍の核ミサイルが配備されてしまう可能性が非常に高いというのだ。

10万部を突破したベストセラー『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』で、アメリカとの異常な従属関係の本質を解き明かした矢部氏が、最新作『知ってはいけない2——日本の主権はこうして失われた』(11月14日発売予定)で新たに描き出したのは、世界中の国のなかでなぜ日本だけが、そうした異常なアメリカの軍事支配から抜け出せないのかという戦後日本最後の謎≠セった――。

主権の回復へ向かう韓国と、状況が悪化する日本

1年前には誰も予想できなかったことだが、今年の3月、突然朝鮮半島で劇的な南北の緊張緩和が始まり、6月には歴史的な米朝首脳会談も行われた。平和条約締結へのタイムテーブルはまだわからないが、「終戦宣言」そのものは、いつ出されてもおかしくない状況となっている。

一方、先月〔10月〕の20日、アメリカのトランプ大統領は、約30年間続いたロシアとの中距離核ミサイル(INF)全廃条約の破棄を表明した。

私のような日米の軍事上のウラの取り決めばかりを見ている人間からすれば、一見、矛盾するように見える、この2つの動きの意味するところは明らかだ。

つまり、スピードはどうあれ、すでに制空権を失い、反米軍基地運動も強力な韓国から、やがて米軍は撤退していく。その過程で、日本にとって「対米従属の最後のお友達」だった韓国の国家主権も、しだいに回復していくことになるだろう。

しかしその一方、日本の状況は悪化する。同じく制空権を失った、すべての自衛隊基地と米軍基地のあいだで共同使用が進み、そこにやがて対中国・ロシア用の中距離核ミサイルが配備されることになる。そして米軍の主要部隊はグアムその他へ撤退するが、「共同基地」に配備された核ミサイルの発射ボタンは米軍が握り続けるのだ……。

たんなる悪夢だと思われるだろうか。そうではない。すでに何十年も前から、「全自衛隊基地の米軍共同使用」と「日本の陸上基地への核ミサイルの配備」は、アメリカの軍産複合体が具体的な目標としてきた現実なのだ。日本国民の抵抗が弱ければ、必ず実現するだろう。

なぜ韓国にできる国家主権の回復が、日本にだけはできないのか。最新刊『知ってはいけない2——日本の主権はこうして失われた』を書く過程でわかったことだが、その最大の原因は、現在の安倍首相の祖父である岸首相が「安保改定」で結んだ「3つの密約」にあったのである。

岸が結んだ密約中の密約「討議の記録」

みなさんは「討議の記録」という密約文書について、聞いたことがあるだろうか。


安保改定で藤山外務大臣が1960年1月6日にサインした、密約中の密約「討議の記録」

これは安保改定時に岸政権がアメリカ政府と結んだ、「密約中の密約」といっていいほど重要な超極秘文書(藤山外務大臣がサインした)なのだが、おそらく普通の人はほとんどその名前さえ知らないだろう。

戦後日本における圧倒的な米軍従属体制(いわゆる「安保村」)のなかで、この密約文書は50年ものあいだその存在を隠蔽され続け、いまからわずか8年前(2010年)になってようやく「文書の存在」そのものは公認されたものの、その後も外務省から「こんな文書に効力はない」と、その法的有効性を否定され続けているからだ。

現在も、日本のほとんどの有識者たち(大学教授、官僚、メディア関係者)が、この外務省の説明を疑わずに信じている。その意味で、やはり「戦後日本(=安保村)」における社会科学の知的レベルは、世界一低いと言っていいだろう。

いかなる形態の文書であれ、外務大臣がサインした文書に法的拘束力があることなど、日本以外の国では高校生でも知っている事実だからである(「条約法に関するウィーン条約」第2条・7条・11条他を参照)。

「討議の記録」に書かれた驚くべき内容

ここでその「討議の記録」という密約文書の驚くべき内容を、ごく簡潔に紹介しておこう。

1960年1月6日、安保改定の調印(同19日)から約2週間前、岸政権の藤山外務大臣とアメリカのマッカーサー駐日大使(有名なマッカーサー元帥の甥)によってサインされたその文書には、次の4つの密約条項が明記されていた(以下、著者による要約。〔 〕内は補足説明部分)。

A〔日本の国土の軍事利用について@〕:「核兵器の地上配備」以外の、兵器に関する米軍の軍事行動については、日本政府との事前協議は不要とする
B〔他国への軍事攻撃について@〕:日本国内から直接開始されるケース以外の、米軍による他国への軍事攻撃については、日本政府との事前協議は不要とする〔=沖縄(当時)や韓国の米軍基地を経由してから攻撃すれば、問題はない〕
C〔日本の国土の軍事利用についてA〕:Aの「核兵器の地上配備」以外で、旧安保条約時代に日本国内で認められていた米軍の軍事行動については、基本的に以前と変わらず認められるものとする
D〔他国への軍事攻撃についてA〕:米軍の日本国外への移動については、日本政府との事前協議は不要とする〔=一度国外に出たあと、米軍がどんな軍事行動をとろうと日本政府は関知しない〕

いかがだろうか。この4つの密約条項を読んで、「ふざけるな!」と腹の底から強い怒りがわいてくると同時に、「ああ、そうだったのか」と、これまで不思議に思っていたさまざまな出来事の意味が、すっきり腑に落ちた人も多いのではないだろうか。

つまりこれらの密約をまとめると、米軍は日本国内において「事前協議なしでの核兵器の地上配備」以外は、ほぼ何をやってもいいし(上記AとCによる)、事実上、日本の基地から自由に他国を攻撃してもいい(上記BとDによる)ということになるからだ。

さらに、岸首相自身が晩年の回顧録(*)で明らかにしているように、たとえ将来、これまで一度も行われたことのない日米間の「事前協議」が形式上行われたとしても、そこでアメリカ側が日本の陸上基地への核ミサイルの配備を提案したら、日本政府がそれを拒否するケースは最初から想定されていないのである。


四コマまんがは特設サイトでも無料で読めます

(詳しくはあとで述べる『知ってはいけない2――日本の主権はこうして失われた』の第3章・p.137本文と注を読んでいただきたいが、ほぼ間違いなく「緊急時には事前通告により核ミサイルの地上配備を認める」という「沖縄核密約」と同じ密約が、本土についても口頭で結ばれているものと思われる)

(*)「条文でどうなっていようと、本当に危急存亡の際、事前に協議して熟慮の結果、拒否権を発動するに決めてノーと言ったからといって、それが日本の安全に効果があるかどうかは議論するまでもないだろう」(『岸信介回顧録―保守合同と安保改定』広済堂出版 )

岸が犯した最大の罪

なぜそのような馬鹿げた状態が、これまで半世紀近くも続いてきてしまったのか。

それには理由がある。安保改定で岸が犯した最大の罪は、この軍事主権を放棄したとんでもない内容の取り決めを、「国民に知らせず結んだ」ことだけでなく、それを結んだあと、破って捨てた」ということなのだ。

つまり、この「討議の記録」については、すべて民間から登用した「親友」の藤山にだけ責任を負わせ、自分は知らぬ存ぜぬを決め込んで、次の政権(池田政権)にも引き継がなかったのである。

岸が満州時代に述べた有名な「政治哲学」として、

「政治資金は、濾過器(ろかき)を通ったきれいなものを受け取らなければいけない」

「問題が起きたときには、その濾過器が事件となるので、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、掛かり合いにならない」

という言葉があるが、要するに安保改定において岸は、親友だった「藤山という政治的濾過器」を使って密約の問題を処理したわけだ。


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改ざんされていた外務省の最重要文書

この岸の信じられない行動が原因で、その後、日本の外務省は大混乱に陥り、対米交渉能力を完全に喪失していくことになる。その過程で起こった象徴的な出来事が、今回私が本を書く過程で発見した「外務省における公文書改ざん」事件である。

上の図版を見てほしい。これは外務省が問題の「討議の記録」について、「こんな密約に法的根拠はない」と主張する最大の根拠としてきた極秘文書(「核兵器の持ち込みに関する事前協議の件」)である(*)。

ところがこの「安全保障課y(のちに北米局安全保障課長となる山下新太郎氏)」という記述者名が書かれた4枚の「極秘報告書」の後半(「1」「2」と各パートの冒頭に番号が打たれた「2」の部分)が、突然まったく別人の筆跡になっているのだ。

すでに正式な筆跡鑑定もしたが、「前半(1・2枚め)」と「後半(3・4枚め)」の文字を実際に比べてみれば、それが別人の手によるものであることは、どなたにでもすぐにおわかりいただけるだろう。

なぜ外務省がこんなことをしたかというと、日本国民に対して絶対に明らかにできない「米軍艦船による核兵器の持ち込み」を、「そんなことは絶対に行われていない」と強弁するための隠蔽工作だった。

そしてそうした外務省の論理的な矛盾は、1974年に頂点に達する。というのもこの年、佐藤首相が「非核三原則」でノーベル平和賞を受賞する一方、なんとその前年には、核攻撃用の爆撃機を多数搭載した航空母艦ミッドウェイの「横須賀・母港化」(=これは小規模の核攻撃基地を国内に設置したに等しい行為だ)が実現していたからである。

以後、このあまりに巨大な矛盾をアメリカ側から絶対に公表されたくない外務省が、対米交渉能力を完全に喪失していったのは、極めて当然だったと言えるだろう。

そのため外務省は、2ページめのマンガの3コマめにあるように、「討議の記録」を約半世紀に渡って金庫にしまいこみ、その存在を否定しつづけるしかなかった。

しかしその一方でアメリカは、もともと同じマンガの4コマめにあるように、「討議の記録」の内容を2つに分割した「基地権密約文書」〔=日本の国土の軍事利用についての密約〕と「朝鮮戦争・自由出撃密約文書」〔=他国への軍事攻撃についての密約〕という、2つの密約文書を、「討議の記録」と同じ日に藤山にサインさせ、前者は日米合同委員会、後者は日米安保協議委員会という、安保条約にもとづく密室の協議機関の議事録にそれぞれ編入していた。

その結果、日本人は誰一人その正確な意味を知らない、とんでもない内容の取り決めであるにもかかわらず、「討議の記録」のほとんどすべての内容が、新安保条約・第6条にもとづく正式な日米合意として日米の協議機関に受け継がれ、安保改定で回復したはずの日本の国家主権は、再び激しく奪いとられていくことになったのである。

(*)外務省「いわゆる「密約」問題に関する調査結果報告対象文書(35点)の「1.1960年1月の安保条約改定時の核持込みに関する「密約」問題関連」P.84-87参照/ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/t_1960kaku.pdf

親米路線がもたらす大きな危険

みなさんもよくご存じのとおり、岸は獄中のA級戦犯容疑者の身から、わずか8年で日本の首相となる過程で、早くからCIAの協力を得ていた政治家だった。そうした異常な環境が、彼の密約についての同じくあまりに異常な行動に関し、どのような影響を及ぼしていたのか。それを短く説明することは、とてもできない。

そこで版元の講談社の許可を得て、その背景を説明した『知ってはいけない2』の第3章を、特設サイトで全文公開することにする(「ウェブ立ち読み」のPDFをご覧ください)。

その本当の経緯を多くの人が正確に理解することが、今後の日本社会の進路と選択を考える上で、非常に重要な意味を持つと思うからだ。

岸を過剰に評価したり、逆にたんなる売国奴として切り捨てることは、おそらくどちらも間違いである。彼が確立した親米路線のなかで、その後日本は大きな経済的繁栄を遂げることになった。

しかしその過程で岸がアメリカ政府やCIAとのあいだで結んだ、国民の知らないあまりに異常な合意が、いま「戦後日本」という国に大きな危険をもたらしている。

なぜなら自国の軍事主権を、完全に他国の手に委ねることは、ほとんど自殺行為に近い暴挙だからだ。少し想像してほしい。

今年の2月までの米朝の軍事的対立期に、もし米軍が日本の基地から北朝鮮を攻撃したら、私たちの未来にどんな悲劇が待ち受けていただろう。もしも、米軍が核兵器の地上配備を行っていたら、私たちはどれほど深刻な危険にさらされていただろう。

軍事主権の放棄とは、戦争を「始める権利」の放棄であると同時に、戦争を「しない権利」の放棄でもある。国家にとってそれほど危険な状態はないのだ。

「朝鮮戦争の終戦」という世界史レベルの変化が起こりつつあるいま、私たち日本人には、かつて自国の首相が結んだ「誤った密約」の存在に真正面から向き合い、「ポスト戦後日本」の行方を正しく選択する大きな歴史的使命が与えられているのである。

13. 中川隆[-13726] koaQ7Jey 2018年12月03日 17:11:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-21622] 報告
驚くべきCIAの世論操作 (インターナショナル新書) – 2018/8/7
ニコラス・スカウ (著), 伊藤 真 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E9%A9%9A%E3%81%8F%E3%81%B9%E3%81%8DCIA%E3%81%AE%E4%B8%96%E8%AB%96%E6%93%8D%E4%BD%9C-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A6/dp/479768027X


米CIAの世論操作:ニューヨークタイムズでも、実際に起きていることを把握せず報道
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25711.html
2018.11.29 構成・インタビュアー=大野和基/ジャーナリスト Business Journal

 今年8月、米中央情報局(CIA)の情報操作の実態を暴露する書籍“Spooked: How the CIA Manipulates the Media and Hoodwinks Hollywood”の邦訳『驚くべきCIAの世論操作』(集英社インターナショナル)が上梓され、世間に大きな衝撃を与えた。その著者でOCウィークリー紙編集長のニコラス・スカウ氏に、CIAのメディア操作の手口と、CIAにすりよる大手メディアの関係などについて、話を聞いた。

― 本書は、ニューヨークタイムズやワシントンポストのような主流メディアが、いわゆるthe fourth estate(言論界)として完全には独立していないことを読者に伝えているので、非常に興味深い本です。そういうメディアとCIAの関係を示す具体例を挙げてください。

ニコラス・スカウ氏(以下、スカウ) それはCIAの誕生にまでさかのぼります。その時点からウォーターゲート事件が起きた1970年代初期に至るまで、すべての主要新聞、主要ラジオ局にCIAから人を送っていました。テレビが出てきてからは、すべてのテレビ局やハリウッドのスタジオにCIAから人を送っていました。CIAはアメリカ国民に提供されるストーリーや世界中に拡散されていたストーリーをコントロールしていました。

 72年に起きたウォーターゲート事件で、CIAが民主党本部への盗聴侵入にかかわっていたことがわかったあと、議会はCIAがアメリカのメディアに人を送ることは許されないとして、突如アメリカのメディアはCIAから独立しました。

 しかし、国家安全についてしっかりと報道する能力を維持するために、ニューヨークタイムズやワシントンポストなど主流メディア(特にワシントンポスト)は、情報を得るべくCIAと協力して仕事をし続けなければなりませんでした。そこでCIAはメディアをコントロールしないが、メディアがCIAから受け取る情報をコントロールできるという取り決めがなされました。アメリカの国家安全を守って、国民に何が起きているかを伝えるべく、メディアとCIAはなんらかのバランスを確立するために連携しなければなりません。

 残念なことに、この関係がCIAによって濫用されていることが頻繁にあるとわかりました。それにより、主流メディア・ネットワークや新聞が、最終的に真実ではないことがわかったうえで情報を広めてきたのです。たとえば、思いつくかぎりでもっとも具体的かつ有名な例がイラク戦争ですが、ほかにも、同じような問題が昔からずっとありました。真実を伝えたいと思っている記者たちが、自分の仕事をする能力を維持することができるように、CIAとの関係に依存する状態です。そういう状態が真実を伝えることを非常に難しくします。

■インターネットの発達によってCIAとメディアの関係に変化

― ワシントンポスト紙編集主幹のボブ・ウッドワード氏は最近、ドナルド・トランプ大統領がいるホワイトハウスの内部を暴露した“Fear”(邦訳『FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実』<日本経済新聞出版社/12月発売予定>)という本を上梓しましたが、ウッドワード氏と同じような、政府のインサイダーにアクセスできる記者はいますか?

スカウ ワシントンDCで仕事をしている主流メディアの記者たちは、それぞれ独自のネットワークを持っています。本書(『驚くべきCIAの世論操作』)を書いたとき、こういう記者たちの多くにインタビューして、実際に何が起きているのかということについて、どれだけ理解しているのかを自由に語ってもらいました。すると、国家安全を重点的に取材している、ニューヨークタイムズやワシントンポストの名物記者でさえも、実際に世界中で何が起きているかを把握していないことがわかりました。我々が世界で何が起きているかを知るには、政府のインサイダーを説得して取材している記者に頼るしかありません。

 しかし、彼らに話を聞くと、特定のストーリーを書くときに実際に起きている現実の20%程度しかおそらくわかっていない、と私に言うのです。対テロ戦争にしても、北朝鮮に何が起きているかについても、自分が読んでいることが真実であることを信じたいけれども、実際は何が本当に起きているかは誰もわからないということです。

― 機密情報公開サイト「ウィキリークス」の登場と、CIA元局員のエドワード・スノーデン氏による告発は、メディアのあり方に影響したであろう、いわば2つの歴史上の出来事ですが、CIAの視点からみると、この2つの出来事はCIAと主流メディアとの関係をどれくらい難しくしたのでしょうか。

スカウ 本書のリサーチをしているとき、CIAに行って記者と協同で仕事をしているCIAの人に会って、インターネットやウィキリークスのような機関や、絶えず情報を漏洩しているスノーデン氏のような人がいる状況で、どれくらい仕事が難しくなったか聞きました。すると、ウィキリークスやスノーデン氏のせいで情報をコントロールすることは、彼らにとってはるかに難しい取り組みになると言っていました。リリースされる情報について、コントロールできないからです。ウィキリークスがどんな情報を公開するかCIAはわからないので、恐れおののいています。CIAはスノーデン氏がどんな情報を国民と共有するかわからないので、今までとはまったく異なった環境になっています。ですから今日、CIAは情報をコントロールすることが非常に難しいのです。

― 実際に現役のCIA要員でさえも、偽名でブログを使って情報を漏洩することができますね。もしそれが怖ければ、ウィキリークスを使えばいい。

スカウ その通りです。

― CIAにとっては、インターネットはメディアとの癒着関係を難しくしたということでしょうか。

スカウ それは間違いありません。メディアにとっても同様で、双方にとって難しくなったということです。一方でインターネットはアナーキーなので、誰もコントロールできません。インターネットはすべての人の生活を変えました。テクノロジーは我々が情報を受け取る方法をすっかり変えました。メディアも変えました。情報を流すメディアにとって、大きなアドバンテージを与えましたが、同時に情報が無料で手に入り、誰も情報に対してお金を払いたくないのに、いかにして情報を出し続けることができるかという点からみると、メディアにとってはチャレンジです。CIAにとってはこのプロセスをどうやってもコントロールできません。

 しかし、CIAは回避することにも非常に長けています。CIAはこのようにアメリカのメディアをコントロールできないけれども、他国では人を雇い続けています。日本にもCIAに報告を続けている人がいる可能性は非常に高い。自分たちが何をしているか、何が起きているかを報告している人です。それは違法ではありません。アメリカではジャーナリストはCIAのために仕事ができませんが、CIAは他国の記者にはストーリーを書かせてお金を払うことができます。そういうストーリーが出ると、アメリカの記者はその記事について書くことができます。つまり、CIAは海外のメディアをコントロールすることで、アメリカのメディアをコントロールすることに対する制限を回避できるのです。そしてインターネットは、これを何回も拡散する一助になります。

(構成・インタビュアー=大野和基/ジャーナリスト)

※後編に続く

▲△▽▼


米CIAの手先であるニューヨークタイムズとワシントンポストを米国民は信用していない
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25713.html
2018.11.30 構成・インタビュアー=大野和基/ジャーナリスト Business Journal


 当サイト記事『米CIAの世論操作:ニューヨークタイムズでも、実際に起きていることを把握せず報道』において、米中央情報局(CIA)が大手メディアと癒着して、世論を操作しているという驚愕の実態を紹介した。後編では、引き続き『驚くべきCIAの世論操作』(集英社インターナショナル)の著者でOCウィークリー紙編集長のニコラス・スカウ氏に、話を聞いた。

■CIAが新聞社を脅迫

― CIAが記事を没にさせた具体例を教えてください。

ニコラス・スカウ氏(以下、スカウ) もっとも有名な例は、スノーデン事件につながった例です。アメリカ政府は電話や電子メールやデータを、民間企業から入手したり、盗聴したりしていましたが、ニューヨークタイムズは、この事実を嗅ぎつけました。

 ジェームズ・ライゼン氏はピュリッツァー賞受賞記者でとても有名な記者ですが、彼こそがまさにこの情報をつかんだのです。彼は記事にして報道しようと思いましたが、ニューヨークタイムズは掲載を拒否しました。最終的には記事になりましたが、それは彼が自分の本でそのことを書こうとしたからです。でも数年間、この事実を報道できないままでした。2回も掲載を拒否されています。

 こういう主流新聞の編集者たちがCIAから脅迫されることは日常茶飯事です。それで掲載を見送ることになります。もし掲載を見送らなければ、CIAへのアクセスをリスクにさらすことになるからです。

― 本書には、CIAがハリウッドもコントロールしている話が出てきます。

スカウ ハリウッドでつくられる映画は、すべて最初からアメリカ文化を促進しています。1947年にCIAが創設されると、特に冷戦時代のソ連がしているのと同じように、アメリカの文化や価値観などを促進するべく、ハリウッドにある才能や知的資本をいかに利用するかということに、とても関心を持っていました。

 具体的な例を挙げると、CIAはスタジオに人を送り、共産主義に反対するように台本を変えていました。まさにそれが始まりで、ずっと続きました。ベトナム戦争中は、CIAがアメリカの軍事力をヒーロー的なイメージとして促進しようと必死でした。このやり方が1970年代に崩れて、ハリウッドはCIAから独立してベトナム戦争やCIAに批判的な映画をつくり始めました。例えば、CIAが行う拷問に批判的な映画です。そこでCIAはハリウッドとの関係を修復しなければならないと思ったのです。

 80年代以降、特に90年代になってからCIAは直接ハリウッドとかかわり、CIAのより良いイメージを促進するようなプロジェクトに取り掛かりました。それまでかなりネガティブなイメージがあったからです。“Hunt for Red October”(『レッド・オクトーバーを追え!』90年)や“Red Dawn”(『若き勇者たち』84年)などは、アメリカのタフでポジティブなイメージを促進する映画です。

 それは9.11(2011年9月11日の同時多発テロ事件)まで続きました。そして9.11以降、この傾向はさらに強くなり、ハリウッドとCIAはさらに密接に映画をつくるようになりました。対テロ戦争の映画がそうです。“Argo”(『アルゴ』12年)や“Zero Dark Thirty”(『ゼロ・ダーク・サーティ』12年)のような映画です。その映画では事実は無視されて、対テロ戦争を正当化するようなイメージをアメリカ国民に売ることが目的でした。

― 私は『アルゴ』を書いた、元CIA要員にインタビューしたことがあります。

スカウ 彼はCIAでアーティストをしていました。偽造パスポートをつくったりしていました。この『アルゴ』は、ハリウッドとCIAの完璧な共同制作プロジェクトです。ハリウッドもCIAもこの映画ではヒーローになるからです。でも実際はそうではありません。事実とは異なります。実際は、カナダがアメリカ人の捕虜を助けたのです。事実はハリウッド映画よりも、はるかに複雑です。

■オバマ政権時代の言論弾圧

― バラク・オバマ前大統領は、情報漏洩者やそれを基にして記事を書いた記者をスパイ法を使って訴追しましたが、その数はそれまでの大統領が訴追した数を合計したよりも多かったのです。オバマ氏の異常な言論弾圧は、トランプ氏が同じような行動に出る道を切り開いたと指摘する声も多いです。

スカウ まったく同感です。非常に複雑な問題ですが、アメリカの政治で重要な要素はexecutive power(大統領令など執行権)が強くなったことです。これは私の見解なので、物議を醸すかもしれませんが、大統領の権力が強くなりすぎたと思います。多くの人はオバマ氏を良い大統領だったと振り返るでしょうが、オバマ氏は大統領の権限をますます強化して、秘密を維持する力をさらに強化しようとした、ほかの大統領と変わらない大統領だったということです。精査すると、オバマ氏のほうが、ほかの大統領よりもその度が過ぎていたことはあまり知られていませんが、重要な点です。トランプ氏を非難する前に、オバマ氏をもっと非難するべきだと思います。

 トランプ氏の性格は不安定なので、情報漏洩者を訴追しようとする気持ちはわかりますが、一方で一見トランプ政権下よりもはるかにノーマルに見えたオバマ政権下でさえも、情報を共有する余地はほとんどなく、なんでも秘密にしようとしていたことを忘れてはなりません。

 権力の濫用について何が起きていたかをよく見ると、オバマ政権はひどい弾圧をしていて、漏洩者や記者を逮捕していました。先ほど言及したジェームズ・ライゼン記者を脅して「情報源を言わなかったら、刑務所にぶちこむ」とオバマ氏は脅していました。トランプ氏は「フェイクニュース」と叫んでいますが、そんな単純なものではなく、トランプ氏が政権につく前から長い間、メディアが仕事をする能力は危機に瀕していたのです。このことを世界中の人は知るべきです。

― 私の友人には「オバマ氏は偽善者である」という人が多いです。アメリカ人の記者たちです。

スカウ 彼が偽善者そのものであるかはわかりませんが。人はあまりにも気軽にオバマ氏をヒーローにしすぎです。正式に許可されていないドローン攻撃で無辜の人民を多く殺害したのもオバマ政権です。このことを人はあまりにも簡単に忘れてしまっています。少なくともオバマ氏には、イラク侵攻の責任はありません。それはジョージ・ブッシュ元大統領にあります。それはひどいもので、イラク侵攻は起きるべきではありませんでした。

 しかしオバマ氏は、イラク戦争を引き継ぎました。アフガニスタンでこの戦争を引き継ぎました。オバマ氏は兵隊をそこから出して帰還させたでしょうか。それどころか彼は戦争をエスカレートさせました。どうやってそれを成し遂げたのでしょうか。秘密のドローン攻撃です。誰もドローン攻撃をコントロールできません。爆弾を無辜の民に落としていて、誰も責任を取らない状態です。こんなひどいことはありません。それがオバマ政権時代です。

― CIAは、CIAの失態や不祥事を記事にしようとする記者を、どのように脅迫するのでしょうか。

スカウ 不文律があります。もしあなたが国家安全担当の記者でCIAと仕事をしている場合は、記事にする24時間前に内容をCIAに知らせないといけない不文律があります。そのときに、不都合な内容であればCIAは記事を出さないように説得しようとします。もしそれに従わない場合は、CIAとの関係を切られます。切られたくなければ、記事にすることはできません。主流の新聞ではなく、ネットメディア「インターセプト」のような、もっと独立したメディアは、CIAに報告しないで報道します。それに関しては、CIAはコントロールできません。

― さきほど言及したライゼン記者は、ニューヨークタイムズを辞めてインターセプトに移りましたね。

スカウ そうです。彼がニューヨークタイムズで働くのは難しいです。ニューヨークタイムズが彼をコントロールするのが難しいからです。それで移ったのです。CIAはインターセプトを非常に怖がっています。どういうストーリーが出てくるか事前にわからないからです。ニューヨークタイムズやワシントンポストであれば、事前に教えてくれるので安心できます。

― つまり、ニューヨークタイムズやワシントンポストの記者はCIAに記事を事前に送って、承諾を取るということですか?

スカウ そうです。とてもいかがわしい関係です。

― トランプ氏の支持者は、今でもトランプ氏を支持しています。彼らは主流のメディアを信用していません。ある意味では、トランプ支持者は正しいということでしょうか。

スカウ ある意味ではそうですね。残念なことですが、そうです。トランプ氏と真実は、お互いになんの関係もありません。トランプ氏は自分の気に入らないニュースを「フェイクニュース」と呼びます。

 実際は、アメリカ国民はアメリカの主流メディアに対して、非常に低い評価をしています。それはトランプ氏が大統領になる前からです。CIAはメディアを使ってイラク侵攻を正当化しました。メディアがCIAにだまされて報道し、それを利用してイラク侵攻したのです。アメリカ国民はそのストーリーを信じて、自分の息子たちを戦地に送ったのです。ですから、多くのアメリカ国民は主流のメディアは信用できないと考えています。これはトランプ氏のせいではありません。

(構成・インタビュアー=大野和基/ジャーナリスト)





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2018.12.01
闇の世界に生きたジョージ・H・W・ブッシュが死亡(1/2)

 ジョージ・H・W・ブッシュが11月30日に死亡したという。1989年1月から93年1月までアメリカ大統領を務めたが、CIAの人間でもある。1976年1月から77年1月までCIA長官を務めたというだけではなく、大学でCIAにリクルートされたと言われているのだ。


 彼は1924年6月にマサチューセッツ州で誕生、第2次世界大戦では海軍の所属し、45年9月に除隊してエール大学へ入学した。その大学でCIAの採用担当者だったボート部コーチのアレン・ワルツは海軍情報部の将校だった人物で、ブッシュと親しかったことで知られている。


 ジョージ・H・W・ブッシュの父親であるプレスコット・ブッシュは1953年から63年にかけて上院議員を務めたが、その前は金融界の人間。こうした関係からプレスコットはウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しかった。言うまでもなく、ダレスは第2次世界大戦で戦時情報機関のOSSで破壊工作を指揮、ホワイトハウスとは関係なく実行されたナチス幹部の救出を目的とするサンライズ作戦で中心的な役割を果たした。大戦後はCIAのドン的な存在だ。


 プレスコットの義理の父親にあたるジョージ・ハーバート・ウォーカーはウォール街の大物で、アメリカの金融機関からナチスへ資金を流す重要なパイプ役を務めていたと言われている。なお、ジョージ・H・W・ブッシュの「H・W」はハーバート・ウォーカーのイニシャルだ。


 ジョージ・H・W・ブッシュがCIAの幹部だったことを示す文書が明らかになっている。アメリカの週刊誌、ネイションの1988年7月16/23日号でジョセフ・マクブライドが明らかにしたのである。J・エドガー・ブーバーFBI長官から国務省に出された1963年11月29日付けのジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関係した文書に、「中央情報局のジョージ・ブッシュ氏」という記述があることを彼は見つけたのだ。ケネディ大統領が殺されたのはその1週間前だ。


 この報道に対し、CIAは「別のジョージ・ブッシュだ」と主張、信憑性を持たせようとしたのか、CIAのスポークスマンはAPの記者に対して「その人物は1963年当時、本部にいたジョージ・ウイリアム・ブッシュに間違いない」と話したのだ。ところが、そのジョージ・ウイリアム・ブッシュはマクブライドに対し、文書に出てくるブッシュは自分でないと語っている。


 フーバーが出した文書はブッシュがCIAの幹部だということだけでなく、ケネディ暗殺に関する詳しい情報を持っていることを示唆しているだ。この暗殺にCIAの破壊工作部門が関係している疑いは濃厚で、ブッシュが暗殺に関係していた可能性があるということだ。(つづく)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812010000/


2018.12.02
闇の世界に生きたジョージ・H・W・ブッシュが死亡(2/2)

 ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官に就任する約1年半前、リチャード・ニクソンがウォーターゲート事件で失脚し、副大統領のジェラルド・フォードが昇格している。この政権ではデタント派が粛清され、ネオコンが台頭している。


 議会で情報機関の秘密工作の一端を証言したウィリアム・コルビーCIA長官も排除されたひとり。国防長官のジェームズ・シュレシンジャーを辞めさせられたが、その後任はネオコンのドナルド・ラムズフェルドだ。


 ニクソン時代、ヘンリー・キッシンジャーはチリで民主的な政権を軍事クーデターで破壊した。そのクーデターを指揮したオーグスト・ピノチェトはアメリカの傀儡として軍事独裁体制を築き、ラテン・アメリカにあったほかの軍事政権と協力して反体制派を暗殺する国境を越えたコンドル作戦を展開した。


 その作戦の犠牲になったひとりがオルランド・レテリエル元チリ外務大臣。1976年9月、アメリカの首都であるワシントンDCで乗った自動車が爆破されたのだ。コンドルを実行していた軍事政権の情報機関はCIAの指揮下にあった。暗殺当時のCIA長官はブッシュにほかならない。


 ブッシュは1981年1月から89年1月にかけて、つまりロナルド・レーガン政権で副大統領を務めているが、その間、イランへの武器密輸やニカラグアの反革命ゲリラ支援工作を指揮している。この政権で始まったCOGプロジェクト(戒厳令計画)でも中心的な役割を果たした。


 エール大学時代からブッシュと親しかったひとりにジェームズ・リリーという人物がいる。リリーは1928年1月に中国の青島で誕生、46年にエール大学へ入学、51年にはCIA入りしたと言われている。ブッシュはCIA長官になる前に中国駐在特命全権公使(連絡事務所長)を務めていたので、ふたりとも中国との関係が深いと言える。


 1989年1月に大統領となったブッシュは同年4月20日にリリーを中国駐在大使に据える。その前任者であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったと言われている。なお、ロードは大使を辞めた数カ月後、CIAの資金を流す役割を負っているNEDの会長に就任している。


 リリーが大使に就任する5日前に胡耀邦が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。胡耀邦は趙紫陽と組んで新自由主義を中国で推進していた人物。ケ小平を後ろ盾にしていた。そうした活動が展開された背景では新自由主義的な政策による社会の不安定化があった。5月には戒厳令が敷かれ、6月を迎える。


 抗議活動には投機家のジョージ・ソロスから中国改革開放基金などを通して資金が流れ込み、リリーをはじめとするCIA人脈が関係していた。そうした活動の指導グループには方励之、柴玲、吾爾開希などが含まれていた。なお、天安門事件についてはすでに書いてきたので今回は割愛する。


 指導グループは抗議活動が沈静化した後にイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使い、香港とフランスを経由してアメリカへ逃れた。このルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのSIS(通称MI6)だ。吾爾開希はハーバード大学で学び、それから台湾へ渡っている。


 この当時、ブッシュたちがイスラエルのモサドを介してソ連でKGBの中枢に巣くう腐敗集団と手を組み、1991年にはクーデターを成功させることになる。ハンマー作戦だ。これについても本ブログで書いてきたので、今回は割愛する。


 ブッシュは中東にもネットワークを持っていたが、その代表的な人物がサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン、通称バンダル・ブッシュ。1983年10月から2005年9月まで駐米大使、2005年10月から2015年1月まで国家安全保障会議の事務局長、2012年7月から2014年4月まで総合情報庁長官を務めた。(了)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812010001/

14. 中川隆[-13805] koaQ7Jey 2018年12月14日 15:17:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22138] 報告
2018.12.14
次期司法長官に指名されたバーはCIAの汚い仕事をしてきた人物

 ドナルド・トランプ大統領は12月7日、次期司法長官としてウィリアム・バーを指名した。ジョージ・H・W・ブッシュが大統領だった1990年5月から91年11月にかけて司法副長官、91年11月から93年1月まで司法長官を務めているが、元々はCIAの人間である。

 バーはコロンビア大学で1971年に学士、73年に修士を授与された。この大学はズビグネフ・ブレジンスキーというCIAの大物が教えていた場所だが、バーは高校時代にCIAからリクルートされたと言われている。1973年からCIAで働いていることは隠されていない。

 ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官になった1976年、バーはCIAの法務部門に配属され、秘密工作チームの一員として活動しはじめる。当時の大統領はリチャード・ニクソンの失脚を受け、副大統領から昇格したジェラルド・フォード。

 フォード大統領はデタント派を粛清するが、そのひとりとしてウィリアム・コルビーCIA長官が解任されている。コルビーはフランク・チャーチ上院議員の委員会などでCIAが行った秘密工作の一端を明らかにし、CIA人脈から危険だと判断されたようだ。議会の調査をバーは妨害する役割を負っていた。

 1980年の大統領選挙でCIA人脈はブッシュを支援するが、共和党の候補者選びでロナルド・レーガンに敗北、レーガン政権でブッシュは副大統領に就任する。

 この選挙における民主党の候補は現職のジミー・カーター。ブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーが選んだ人物だったが、イスラエルへの忠誠心が不十分だったこともあって激しく批判され、再選はならなかった。

 カーター政権で国際問題は国家安全保障長官だったブレジンスキーが担当、ソ連軍をアフガニスタンへ誘い込み、そこでジハード傭兵と戦わせるという作戦を立てた。傭兵の中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。アフガニスタンへ戦闘員を送り込む仕事をしていたひとりがサウジアラビアの富豪の息子、オサマ・ビン・ラディンだ。

 この政権でCIA長官だったスタンスフィールド・ターナーはCIA内部の破壊工作グループを追放したが、ブレジンスキーはそうした人脈を使う。その際に利用したのがフランス、サウジアラビア、王政時代のイラン、モロッコなどの情報機関メンバーが作ったサファリ・クラブ。その中心にはCIA人脈が存在していた。

 ブレジンスキーの戦略に基づいてカーター大統領はジハード傭兵への支援プログラムを承認、1979年5月にはCIAイスタンブール支局長がパキスタンの情報機関ISIの協力でアフガニスタンのリーダーたちと会談している。(Alfred W. McCoy, “The Politics Of Heroin”, Lawrence Hill Books, 1991)

 ブレジンスキーの思惑通り1979年12月にソ連軍がアフガニスタンへ軍事介入する。CIAは工作資金を調達するために武器や麻薬の密輸を行う。麻薬取引はベトナム戦争の際にも使った方法。そうした闇資金を処理する役割を負っていたのがBCCIにほかならない。

 アフガニスタンにおける秘密工作の一端はイラン・コントラ事件として発覚、ジョン・ケリー上院議員らが調査を始める。レーガン政権ではブッシュ副大統領の下でブレジンスキーの秘密工作は継続されていた。ブッシュの下にいたバーが議会の調査を妨害する。

 CIAはアフガニスタンでヘロイン、ニカラグアの反革命ゲリラ(コントラ)支援ではコカインの取り引きで稼いでいたが、テリー・リードによると、こうした麻薬取引を取り仕切っていたのがバー。その工作でバーは「ロバート・ジョンソン」と名乗っていた。

 ジョージ・H・W・ブッシュは死亡したが、その手下は今でもホワイトハウスの周辺を徘徊している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201812140001/

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