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誰にも正義は押し付けられない 犯人を英雄視 メディア 曽野-綾子 
http://www.asyura2.com/13/nihon31/msg/818.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 7 月 29 日 07:08:45: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

誰にも正義は押し付けられない小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明

2016年7月29日(金)
小田嶋 隆

 神奈川県相模原市で起こったひどい事件について、ようやくその概要を把握しつつある。
 第一報は知っていたのだが、続報は追っていなかった。
 避けていたと言った方が正確かもしれない。

 ツイッターのタイムラインに流れてくる断片的な感想を除けば、ついさきほどまで、私はマスメディアの情報を遮断していた。

 理由は、当初の段階での扇情的な伝え方が不快で、事件の詳細にアクセスする気持ちになれなかったからだ。
 なので、私は、事件の細部にはあまり詳しくない。概要を正しく把握しているのかについても自信がない。

 有り体に言えば、事件発生以来、いくつかのチャンネルから偶然に流入してきた情報と、この原稿を書くために、ついさきほどからニュース検索をした結果たどりついた記事以外には、情報を持っていない。

 ただ、正確な情報はつかんでいないものの、事件に誘発されてもやもやと考えていることはいくつかある。

 こういう事件が起こると、いつも同じようなことを考える。
 今回は、そのことを書く。
 事件そのものについてではない。
 どちらかといえば、事件を物語として消費させている回路について書くことになると思う。

 とはいえ、アタマの中に浮かんだ言葉を、そのまま言葉にしようとは思っていない。それをすると、たぶん、間違った伝わり方をする。

 この種のどうにも救いのない惨事について何かを書くにあたっては、極力、注意深い態度が求められる。無神経な書き方をすると、こちらの意図とは違う受け止め方をする読者を生むことになる。

 それだけではない。ためにする誤読を意図的に拡散する悪意ある煽動者が登場することも考慮に入れておく必要がある。つまり、私は、揚げ足をとられないように発言せねばならない。

 ウェブ時代の書き手は、タイプしたテキストの中に、無神経なものの言い方がひとつかふたつ含まれているだけで、すべてが台無しになってしまう環境の中で文章を書き進めることになっている。
 そんな中で、この事件は、書き手にとって扱いにくい事件だ。

 理由は、ざっと見て2つある。
 ひとつは、今回の事件の被害者の多くが知的障害者だからで、もうひとつは、加害者と見なされている人間が精神障害者と診断された過去を持っているからだ。
 この事件は、二重の意味でむずかしいわけだ。

 で、そのむずかしさが、事件報道を変な具合に加熱させている気がして、私はそこのところにも、もやもやするものを感じている。

 具体的に言うと、私は、事件について、テレビや新聞が、一定の留保を置いた報道を装っている印象を抱いているということだ。

 まわりくどい言い方をしてしまった。
 が、まわりくどい事情はまわりくどい言い方でしか説明できないということをどうかご理解いただきたい。

 実際に、テレビは、さまざまな部分にモザイクをかけたり、表現をやわらげたりして、自分たちが人権に配慮した報道をしているということを印象づけるべく、要所要所で奥歯にもののはさまったものの言い方を強調していたりする。が、全体としては、結局のところ、通常進行で、事件の詳細をあるがままにむごたらしく描写することに心を砕いている。

 しかも、彼らは、容疑者が書いたとされる手紙のコピーをこれでもかこれでもかと繰り返し読み上げ、大写しに画面表示し、特定部分にハイライトを当て、解読し、解説し、余白を補い、結果として、19人の人間を殺したとされる男の主張を全力をあげて拡散している。

 私が、テレビを見ることをやめたのは、犯人をダークヒーロー扱いにしているみたいな絵ヅラにうんざりしたからだ。

 スタジオでしゃべっているコメンテーターや、番組の構成を担当しているディレクターが、容疑者をヒーロー扱いする意図を持っていると言い張るつもりはない。

 そんな意図を持っている人間は、一人もいないはずだ。
 が、結果としては、犯人を英雄視する内容を含んだ番組が放送されている。

 無論、テレビを見ているほとんどの視聴者は、容疑者をヒーローだとは思わないだろう。カッコいいとも思わないし、まして憧れるなどという感情は誰も抱かないはずだ。

 が、中には容疑者を英雄と思う者もいる。
 実際に、通り魔的な犯行を犯した人間が、過去のビッグネームの犯罪者を英雄視していたケースは、これまでに報道された事件の中にもいくつか見られている。

 その種の明示的な影響とは別に、容疑者が浴びているスポットライトを羨んでいる犯罪者予備軍も、少なくはないはずだ。
 今回の容疑者自身、おそらく、逮捕の時の様子からして、メディアの注目を喜ぶタイプの人間なのだと思う。

 とすると、いま現在ヘビロテされている植松聖劇場の報道スペシャルは、彼自身にとって、願ったり叶ったりの番組であるはずで、その意味で、メディアは、植松容疑者にある種の達成感、ないしは「エサ」を与えていることになる。

 彼自身に向けただけの「エサ」ではない。
 この種の報道は、植松容疑者と同質の願望を抱いている不安定な予備軍に、大変によくない暗示を与えている。

 WHOは、自殺予防の手引として、いくつかのガイドラインを作成している。
 そのうちのひとつに、自殺報道に関しての手引きというものがある。

 この手引きの中で、WHOは、センセーショナルな自殺報道や、自殺を問題解決のひとつであるかのように伝えるニュースの作り方が、潜在的な自殺志願者を自殺の実行に導き得ることを示唆しつつ、報道関係者に、過大な自殺報道の自粛を呼びかけている。

 詳しくは内閣府のホームページに、その内容が紹介されている(こちら)。

 自殺報道と犯罪報道を同一視することはできない。
 それでも、犯罪報道においても、あるタイプの大量殺人者を過大に扱う態度が、模倣犯を誘発する可能性は、考慮されなければならないとは思う。
 その点から考えると、いま繰り返されている植松劇場は、派手過ぎる。
 まるでボニーとクライドみたいだ。

 思うに、今回の事件に関して、テレビ各局は、被害者側のプライバシーを暴き立てるいつもの手法をそのまま押し通すことができなかったのだろう。

 理由は、さきほども申し上げた通り、被害者が知的障害者であり、氏名や年齢をはじめとする個人情報をそのまま伝えることがはばかられたからでもあれば、遺族へのストレートな取材が困難だからでもある。

 ついでに言えば、以下は私の憶測だと思ってもらって構わないのだが、今回、事件の犠牲となった人々についてのプライベート暴露報道が少ないのは、報道のクルーにとって、被害者が定番の「物語」に載せにくい人たちだったからだ。

 突発的な犯行の被害者に関しては、小金井でシンガーソングライターが刺された事件でもそうだったし、三鷹のストーカー殺人のケースでも同じことだったが、メディアは、小中学校の卒業文集を発掘したり、古い同級生の証言を寄せ集めることを通じて、定番の「物語」を紡ぎにかかる。これはもう、テレビの病気みたいなものだ。毎度毎度、犯罪被害に遭遇した犠牲者は、死人に口なしとばかりに、徹底的にマナイタに乗せられ、生前の生活を再構成され、一般の娯楽に供される運命に抗うことができない。

 が、今回は、人権的にも素材的にもそれが困難だった。

 それゆえ、ワイドショーは、容疑者の側の私生活や主張を微に入り細を穿って紹介することで、VTR素材の尺を稼がざるを得なくなった。それが、今回の植松劇場を生んでいるのだと思う。

 もっとも、容疑者は精神障害を持っているかも知れず、とすれば、ストレートな報道は難しいはずなのだが、なあに、これだけの殺人を犯したのだから、人権的配慮は無用だ、と、彼らは判断したのだろう。

 本当に人権的配慮が求められているのは、容疑者本人に対してというよりは、容疑者と同じ精神障害をかかえている人々に対してなのだが、彼らは、そういう細かいことは考えない。

 なんとなれば、番組を支えている気分は、「悪い犯人はどんなに残酷に罰してもよい」という、素朴な正義感だからだ。これは視聴者の側にしてみても同じことで、多くの番組視聴者は「精神障害者だからといって、病気の陰に隠れて罪を免れて良いはずがない」というふうに思っていたりする。

 そして、私が、もっとも大きなもやもやを感じているのは、このテレビのワイドショーを成立させている「素朴な正義感」に対してだ。

 今回、テレビが何度も何度も繰り返し読み上げていた容疑者の手紙の中に見られる「障害者は動物のように生きている」「重複障害者が安楽死できる世の中を」「障害者は不幸を作ることしかできない」といった文言は、人間の生命に優劣をつけることで社会を改良できると思っている者の思い上がりでもあれば、およそ浅薄な優生学的思想そのものでもある。

 しかし、これが容疑者個人の内心に独占されている特殊で奇矯な考え方なのかというと、残念だが、現実にはそうでもない。植松容疑者の言いぐさは、たとえばネット掲示板の中では、毎日のように繰り返されているごくごく一般的な露悪的述懐でもあれば、自分では「冷徹」なつもりでいる“論客”が、「人権」や「弱者」という言葉を見かける度に反射的に浴びせかけてくる親切ごかした処方箋でもあるわけで、考え方としては、わりと一般的なテンプレートだったりする。

 しかも、この優生思想は、どうかすると、ある一群の人々が表明したがる「素朴な正義感」とリンクしている。

 なんというのか、少なくとも容疑者にとって、これが「正義の犯罪」であり、少数派ではあるにせよ、一部の視聴者の間にその植松容疑者の「正義」が、共有されている感じがあって、私には、それがどうにもこうにもうす気味が悪いのである。

 たとえば、曽野綾子さんは、「週刊ポスト」(2月1日号)に掲載されたインタビューの中で、「高齢者は適当な時期に死ぬ義務がある」という主旨の発言をして、物議を醸している(こちら)。

http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/link/kanren.html


 当然、この発言には、たくさんの反発の声が寄せられ、ネット上でも大きな話題になった。

 が、注意すべきなのは、非難や反発の声が大きかっただけではなく、曽野綾子さんの発言を擁護したり、彼女の考え方に共感を寄せる声もそれなりに集まっていたことだ。

 曽野綾子さんは、『私の危険な本音』(青志社)という本を出版していることでも分かる通り、「本音」を売り物にしている発言者だ。

https://www.amazon.co.jp/dp/4865900284
www.amazon.co.jp/人間にとって成熟とは何か-幻冬舎新書-曽野-綾子

 だから、反発する人もいるし、アタマから嫌っている人もたくさんいるわけなのだが、その一方で、「お花畑の偽善者が言えずにいる冷徹な本音を正面切って言う、勇気ある直言者」として、人気を博してもいる。だからこそ、彼女は、『人間にとって成熟とは何か』というベストセラーを出している。

 なんというのか、彼女の言う、「社会に役立たなくなった老人は、ドクターヘリを利用すべきではない」であったり、「女性社員は子供が生まれたら会社をお辞めなさい」といった「残酷」な本音には、一定の強固な需要があるということだ。

 その需要は、どんなところからやってくるのだろうか。

 思うに、彼女の「本音」を称揚する人々は、彼女が残酷なことを言うのは、「彼女が残酷な人間だからだ」とは考えていない。曽野綾子さんの読者は、彼女が残酷な本音を言うのは、何よりも偽善を憎み不都合であれ残酷であれ、目の前にあるありのままの真実を、あるがままに伝えようとする勇気ある正直な人間だからだというふうに考えている。

 で、そういう人たちにとって、「社会にとって役に立たなくなった人間は、社会から身を引くべきだ」という思想は、残酷である以上に、「真実」なのだ。

 とすれば、それら「曽野綾子さんが言う、この世の重いけれども直視しなければならない“真実”」は、植松容疑者の言う、「障害者は不幸を作ることしかできない」という断言と、そんな遠いものではない。

 植松容疑者のように、あえて障害者を殺すという積極的な行動に出ることと、老人にドクターヘリの不使用を促して、やんわりと不作為の死を促すことの間には、もちろん、巨大な違いがあるし、明らかな犯罪である前者と、単に底意地の悪い忠告に過ぎない後者を同一視することは断じてできない。

 しかし、いずれも、人間の価値を「社会のために役立つかどうか」で評価するという前提を共有している点では同じだ。

 彼らは、「人間の生存を保障するために社会が設計されている」というふうには考えない。「社会を存立せしめるために人間の生存が許されている」というふうに考える。

 とすると、社会に役立つパーツとしての役割を終えた老人や、物理的な制約から社会に役立つことができない状態にある病人や、負傷者や、はじめから社会の役に立つことの難しい障害者は、社会に負担をかけないためにも、なるべく早く退場すべきだというお話になる。

 効率性を考えずに社会を維持することは不可能だ。
 手前勝手に非効率な要求をする人間のわがままを、無条件に受け入れることができないのは当然だ。
 だがそれは、「効率を理由に、他人に、社会からの退場を宣告していい」と考えることとは、似て非なるものだ。

 そもそも、人間の幸福度を、他人が判断することはできない。
 以前、尊厳死の問題に取り組んでいる人に聞いた話なのだが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のような難病で寝たきりになった人たちに、

「あなたは、いま、幸せですか?」

 と尋ねると、意外なほど多くの患者が(たしか8割以上と言っていた気がする)

「幸せだ」

 と答えるのだという。
 個々の人間の幸福感や満足感は、本人にしかわからない部分を多く持っている。

 難病の方と並べるのもおこがましいが、私自身、昨年、足を折って、ずいぶん不自由な思いをした。では、歩けないでいた間中ずっと不自由を感じていたのかというと、案外そんなこともない。歩けないなりの暮らしの中で、小さなことを面白がったり、できる範囲の暮らしの中に生きがいを見出したりして、それなりに楽しく暮らしていた。

 とすれば、病気をすることも、年を取ることも、そんなに怖いことではない。

 私個人は、あらゆる条件の人間を生存させるために社会があるのだという、学校で習った通りのお花畑ライクな社会観をそのまま鵜呑みにしている。

 社会に出て、さすがに、その目的が完全に達成可能とまでは思っていない。だが、病気になっても、足を折って動けなくなっても、目に見えるカタチで社会の役に立っていなくても、誰であれ、生きているだけで、立派に社会の一員として胸を張って生きて良いのだと考えている。

 最後に、何回かネット上で話題になっている、「ヤフー知恵袋」の回答にリンクを張っておく(こちら)。

 社会は、個人の弱さをカバーするためのシステムだ。
 他人に死んだほうが良いと言えるような人間は死んだ方が良い。
 というこの言い方は、永久にループするわけだが。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

「寛容さ」と社会の強さをそろばんずくで考えるなら、この本と、
『最強国の条件』(エイミー・チュア)も面白いかもしれません。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。おかげさまで各書店様にて大きく扱っていただいております。日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

このコラムについて

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明
「ピース・オブ・ケイク(a piece of cake)」は、英語のイディオムで、「ケーキの一片」、転じて「たやすいこと」「取るに足らない出来事」「チョロい仕事」ぐらいを意味している(らしい)。当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/072800053/

私の危険な本音 新書 ? 2016/6/15
曽野綾子さん注目の最新刊!

自分の不幸を特別と思わないほうがいい――。
命は尊く、人生は重い。
されど「たかが人生」

人としての「生きる心得」を提言した至高の全七章

●受けるばかりで与えられない人はだんだん腐ってくる
●人間も国家も存在する限り、絶えず罪を犯す
●人を救うために自分の命を差し出さねばならない時もある
●昔は「ばか」「能無し」「お前はもうやめてしまえ」と言ってもらって成長した
●人間の原型は卑怯者であることを忘れてはいけない
●「善評」に比べて「悪評」がある方が楽に生きられる
●愛は怖くてむごい。だから尊い
●「年寄りをどう始末するか」を国も医学界も何もやっていない、他


トップカスタマーレビュー

5つ星のうち 5.0既に書籍や雑誌に発表された文章からの抜粋集
投稿者 のびのびしていていい 投稿日 2016/6/22
Amazonで購入
だろうと推察して購入。そのとおりであった。
しかし未読の雑誌からの抜粋が三分の一を占めていたことと出版直前にお書きになった前書きがあったことでそれなりに満足。
長年拝読してきたが、年齢や生活環境、ものの考え方、好みなど、著者と自分との多くの相違点を認識した上で、なお、著者の新刊が出るとどうしても買って読みたくなる。
最近麻生副総理が90歳の老人云々という発言をなさったが、本書にも今後30年で日本における大きな政治社会問題となる老人問題についての言及がある。
私はたった一人で自営業をして食べている一人暮らし天涯孤独のおばちゃんである。当然ながら無名である。だから自由でもある。したがって本音で生きられる自由度が大きい。
「らしい」という事実かどうか分からないことに基づいてものを言ったり書いたりする輩が嫌いである。その作家の作品や文章が嫌いなら、買わなければよい、読まなければよい、それだけのことである。嫌いになったのに面白くないのに何冊も読み続け悪評を書き続ける人の目的は何だろうか?嫌いになった作家の面白くない本を読み続けて嫌な気持ちになり更にamazonサイトに悪い評価を書く人間の気持ちが分からない。同じ作家の文章を読み続けてきて面白くなくなったら、私はその作家の本を買わずその作家の文章を読まない。それだけのことである。私にとって、そのような作家は何人もいる。
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5つ星のうち 5.0あっという間に読めます
投稿者 lemo 投稿日 2016/7/21
曽野綾子さんは、いつの時代も、ぶれない一線を持ち続けていらっしゃいます。社会で地位の高い方にも、耳が痛くなるような進言を絶やしませんし、私のようにごく平凡に暮らしている読者にも、懐の深さと忍耐が求められます。
が、いつか必ず、効いてくるメッセージを残していらっしゃると思います。

確かに、似ている点が多いと感じる本もあるのですが、発行された時代ごとにその時代の隠れくすぶっている盲点をさらっと指摘されている点はすごいなあと思います。昔、年長者の方達が、饒舌ではなくも若い人達に教え続けてきたことを、誰もにわかりやすく伝えているようにも感じます。読んだ後、謙虚になれるのは、厳しいだけではない何かがあるからだと思います。しかってくれ、正してくれる人(あるいは議論のきっかけをくれるひと)はとても貴重な存在なのではないでしょうか。
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5つ星のうち 1.0同じような本ばかり
投稿者 hitomi☆ 投稿日 2016/7/9
昔、この作家が書く小説が好きで熱心に読んだけど、やはり時代の変化なのか、モラルの低さを感じるようになった。小説は当時としては進んだ女性像が描かれ、私はあの主人公がとても好きだった。でも今この作家が書くのは、少し弱いものいじめにしか感じない危険思想のエッセイばかり。原発事故は誰のせいでもない、震災なんかより戦争の方が全然大変だったんだから大したことない、年寄りをどう始末するか?などなど。頭大丈夫?同じような本ばかり出すけど、秘書かなんかが適当にまとめてるの?競馬の胴元で収入はバカみたいにあるらしいから、始末される年寄りにならなくていいね。余談:毎回書いてるけど、この人の本て、出始めにやたら高評価のレビュー多いけど、出版関係者がやってるらしい。以前出版社の方がレビューで暴露してたよ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4865900284



「もっと尊敬されたい」
この思いが
自分も他人も不幸にする。

人はみな平等に年を取るが、
しだいに人生がおもしろくなる人と、不平不満だけが募る人がいる。
両者の違いはいったい何か。

「憎む相手からも人は学べる」
「諦めることも一つの成熟」
「礼を言ってもらいたいくらいなら、何もしてやらない」
「他人を理解することはできない」
「人間の心は矛盾を持つ」
「正しいことだけをして生きることはできない」
等々、自分を見失いがちな人が、後悔しない生き方のヒントが得られる一冊。

◎人は年相応に変化する方が美しい

内面は言葉遣いに表れる
心は開くが、けじめは失わない喋り方
幸せの度合いは誰にも測れない
「問題だらけなのが人生」とわきまえる
「努力でも解決できないことがある」と知る
憎む相手からも人は学べる
いいだけの人生もない、悪いだけの人生もない
「自分の不幸の原因は他人」と考える不幸
すべてのことに善と悪の両面がある
「目立ちたくないは卑怯な姿勢」
人の一生は最後の一瞬までわからない

内容(「BOOK」データベースより)
人はみな平等に年を取るが、しだいに人生がおもしろくなる人と、不平不満だけが募る人がいる。両者の違いはいったい何か。「憎む相手からも人は学べる」「諦めることも一つの成熟」「礼を言ってもらいたいくらいなら、何もしてやらない」「他人を理解することはできない」「人間の心は矛盾を持つ」「正しいことだけをして生きることはできない」等々、世知辛い世の中を自分らしく生き抜くコツを提言。まわりに振り回され、自分を見失いがちな人に贈る一冊


トップカスタマーレビュー

5つ星のうち 1.0買って損した
投稿者 気合の浜口 投稿日 2014/1/5
形式: 新書
新幹線の中で読もうと思い、東京駅構内の書店で購入しました。題名に惹かれて購入したのですが、期待はずれでした。終始、上から目線での主観的文章だと感じました。自慢話も多い。また、フォローが無いんです。まず、著者自身が、社会における最低限の道徳・優しさを身に付けるべきだというのが、率直な感想です。
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5つ星のうち 2.0ご自身が「成熟」してから書くべきでは?
投稿者 mana 殿堂入りレビュアートップ50レビュアー 投稿日 2013/11/14
形式: 新書
思いついたことがそのまま書かれている本です。
金●マでベタ褒めされていたので購入しましたが、
買う価値はありませんでした。
そもそも結論がよくわかりません。
そしてそれ以前に、曽野氏自身が、「成熟」していらっしゃるとは思えません。

私は、曽野氏の小説が好きで、
学生時代から、「神の汚れた手」「砂糖菓子が壊れるとき」「太郎物語」「天上の青」などを興味深く読んでいました。
しかし、どうも世間に物申すというようなエッセイをお書きになると、
鼻につきます。

その最たるものが、先日の
『働く女性は産休を取るべきではなく、会社を辞めるべき』
という主張です。とある週刊誌で発表されたこの見解を大雑把にご説明しますと、
『女性が産休を取ると会社にとって迷惑。
だから一旦退社して、子供にあまり手がかからなくなったら再就職すればよい』
とのことでした。
ありえません。初読の時、自分の眼を疑いました。
当然、労基法や男女雇用機会均等法に反すると思われる発言ですが、
そのことを差し引いても非常識な発言としか言いようがありません。
(ちなみに私自身は産休等を取った経験はありませんが、
周囲でこの種...続きを読む ?
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5つ星のうち 1.0徹底した上から目線
投稿者 猛虎 投稿日 2015/2/16
形式: 新書
曽野綾子のメディアを通じて知る色々な発言があまりにも異常なので、著書にはどんなことが書いてあるのか興味を持ち手に取ってみました。売れてるそうですね。もちろん買うのは馬鹿らしいので図書館で見たのですが。残念ながら最後まで読み通せませんでした。要するに貧しい人、弱い人はおとなしくしていなさい、強くて富める者の言う通りにしていればいいのです、という主張の繰り返しではないですか。すぐにアフリカの難民を持ち出して日本人は。。。と仰るけど、ご自分はセレブな生活していて安全地帯から被災者を叩いて、まぁとにかく人格を疑います。こんな本を有難がって買って感激している人って、よほどのバカかMかでしょう。
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5つ星のうち 1.0申し訳ないが買わなければ良かった・・・
投稿者 やる夫 投稿日 2013/9/7
形式: 新書 Amazonで購入
タイトルや帯のあおりが気になって買ったのですが
実際に読んでみるとタイトルや帯のあおりに対する明確な説明が成されて無い様に感じ
典型的なお年寄りの自慢、愚痴、不平不満を聞かされている様な気分になりました。

例えば「他罰的(自分の失敗等を他人のせいにする)な姿勢は若い世代の流行だ」や
言葉遣いに対する批判、AKB等や最近の日本人女性は云々などの若者批判

また終始謙虚になりなさいなどと仰っているのだが、
私にはこの本を読む限りこの著者が謙虚だとは到底思えないのです。

そして上等なあおりとは関係無い、お年寄りの身の上話が多く
内容がとにかく薄く感じ、騙されたような気分になります。

それに主張に関しては言い方が高圧的なので
いくら内容が正しくても私は反感を覚えてしまいます。

心から私達読者の事を考えて主張しているのでは無く
自分がこう思うから貴方達もこうしなさいよ! と一方的に言われている様に感じるのです。

だからこの人は上等なタイトルやあおりを付けて本が売れれば良いんじゃないか? と
自分の事しか考えて無い様に思えてしまいます。

もちろん幾分か学べるところも...続きを読む ?
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5つ星のうち 2.0本屋でベストセラー?
投稿者 フリージア63 投稿日 2014/3/5
形式: 新書
1位だったんで読んでみようと思ったのですが間違いでした。
もうベストセラーというのは信じないことにしようと思います
自分で選ばないとダメですね。売れてるからいいんだろう〜って
一番いけないということを再確認しました。
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5つ星のうち 2.0ベストセラーになっているようですが…
投稿者 サワンボン 投稿日 2013/9/8
形式: 新書
結局、成熟とはなにかを知ることはできませんでした。
内容は話があっちこっちに飛び、頭に浮かんだことをつらつらと綴った
エッセイといった印象。ご自身の体験に基づいた主観的な文章が多く、
各章にもうけられたタイトルからどんどん話が外れ、
結局何が言いたいのかわからないところもありました。
「近頃の日本人は…」「近頃の若者は…」といった決めつけ表現が
多かったような気がします。
www.amazon.co.jp/人間にとって成熟とは何か-幻冬舎新書-曽野-綾子/


自殺予防 メディア関係者のための手引き(2008年改訂版日本語版)

WHOでは、自殺予防の手引きとして、いくつかのガイドラインを作成しています。その中のひとつに「自殺予防 メディア関係者のための手引き」があります。この手引きでは、メディア関係者が自殺関連報道をする際に注意すべき点がまとめられています。

メディア関係者のためのクイック・リファレンス


z 努めて、社会に向けて自殺に関する啓発・教育を行う
z 自殺を、センセーショナルに扱わない。当然の行為のように扱わない。ある
いは問題解決法の一つであるかのように扱わない
z 自殺の報道を目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道し
ない
z 自殺既遂や未遂に用いられた手段を詳しく伝えない
z 自殺既遂や未遂の生じた場所について、詳しい情報を伝えない
z 見出しのつけかたには慎重を期する
z 写真や映像を用いることにはかなりの慎重を期する
z 著名な人の自殺を伝えるときには特に注意をする
z 自殺で遺された人に対して、十分な配慮をする
z どこに支援を求めることができるのかということについて、情報を提供す

z メディア関係者自身も、自殺に関する話題から影響を受けることを知る


WHOによるその他のガイドラインについてはこちら

WHO文書「自殺予防の手引き」シリーズ (サイト「いろんなこころ」内)
WHOによる自殺予防の手引きに関する研究はこちら
WHOによる自殺予防の手引き(平成14年度厚生労働科学研究費補助金 心の健康科学研究事業)|(PDF形式:92KB)別ウインドウで開きます
http://ironnakokoro.sunnyday.jp/siryou.html
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/link/kanren.html  

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コメント
 
1. 2016年7月29日 07:20:04 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[2090]

>そういう人たちにとって、「社会にとって役に立たなくなった人間は、社会から身を引くべきだ」という思想は、残酷である以上に、「真実」
>あえて障害者を殺すという積極的な行動に出ることと、老人にドクターヘリの不使用を促して、やんわりと不作為の死を促すこと
>いずれも、人間の価値を「社会のために役立つかどうか」で評価するという前提を共有

枡添元知事が、違法行為で起訴もされないうちに追い出されたように、

人間に限らず、対象の価値を、自分達にとっての有用性(有害性)で評価(排除)するのは、人間であれば一般的だろう。

だからAIDSウイルスや危険生物、雑草は忌み嫌われて排除されるのだ。

ただし大衆というのは利己的だから、自分が排除されるのは、当然嫌う

よって偽善的なヒューマニズムを唱えて、膨大な税金を高齢者の社会保障に投入したり

凶悪な殺人事件を起こした精神障害者が無罪になったりもする。


本心から、障碍者は世の光と言って、彼らのために努力できる人間が、どれだけいるか、

自分が困窮したとしても、生命の危機にある難民を救える人がどれだけいるかは

現実の人間の行動を見れば明らかなことだ。



2. 2016年7月29日 07:39:29 : oiWKuSeSBo : y_2dt9ua7uM[25]
この投稿で判るのは
軽毛と小田島という人物が,曾野綾子とおなじ優性思想の持ち主であることだ。

最近この軽毛という床屋の親父のような名前の人物が盛んに投稿しているがおそらく日本会議のメンバーが自民党サポーターズクラブメンバーだろう。

少なくとも今回の相模原の事件の犯人は,ナチスのような優性思想の持ち主で,ナチスがユダヤ民族より先に障害者を抹殺の対称したことを模倣している。


3. 2016年7月29日 07:44:50 : oiWKuSeSBo : y_2dt9ua7uM[26]
2 の投稿の訂正
6行目
誤り 抹殺の対称したことを模倣している。
正 抹殺の対象にしたことを模倣している。

4. 2016年7月29日 17:25:35 : QlfqPgFUzc : J3K2jVcLqE4[3]

長ーい投稿ご苦労さん。

一つ聞きたいんですがホントに殺人事件はあったの? 

神奈川だよ、神奈川といえば横須賀、マル暴、小泉のいる安全な街、

大それた事件おきるわけないんだ。



5. shue777[16] gpOCiIKVgoWCVoJWglY 2016年7月30日 15:51:19 : pSe2z3Fnwc : g14AOk9tY54[5]
ピンボケっすな〜w
いいこと言ってるつもりなんだろうけど
論旨がめちゃくちゃ

6. 2016年7月31日 01:18:30 : 0OoKtfH98g : fp6Pvd6vE4A[2]
>>1
おまえ植松と同類だな。

>ただし大衆というのは利己的だから、自分が排除されるのは、当然嫌う
>よって偽善的なヒューマニズムを唱えて、膨大な税金を高齢者の社会保障に投入したり

別にいいのではそれで。何が偽善的なの?
自分にしてほしくないことは他人にもしないって道徳の基本だろう。
まさに「自分では「冷徹」なつもりでいる“論客”」の典型だねえ。

>凶悪な殺人事件を起こした精神障害者が無罪になったりもする。

それはヒューマニズムと言うより、法的な「責任能力」の問題だね。
本人のコントロール不可能な事態には責任を持てないというだけで、
「不可抗力」と基本的には同じ考え。


7. 悪は必ず亡びる[91] iKuCzZVLgriWU4LRguk 2016年7月31日 17:00:13 : vCCNvduKp6 : rNt26SBcktw[49]
社会的弱者を攻撃する人間は、一番弱い精神構造の持ち主なのだと思っている。
弱い精神構造の持ち主だから、自分が社会的な弱者になった時は全く別の言動を取る物だと思うが。

例えば、今回の植松容疑者のように犯罪者になって拘置、拘束されて裁判を受け刑に服する、と言った税を費やし全く社会貢献しない流れになっているにも拘らず、自分だけは減刑を申し出たり、報奨金の要求をしたりする。
事件を起こす以前に自分が批判していた障害者以上に、今の自分は社会の害悪である、という事実を無視する。
識者や政治家、経済学者がこの立場になった場合は、持ち金すべてを使ってでも生き延びようとする。

結局、自分以外の弱者を攻撃する輩は、弱いのである。


8. 2016年8月02日 00:06:04 : e215b3DsOs : oHsKCPiwWF0[427]
この植松という人、警官にでもなって
いくら逮捕されても出てきてしまうような少年凶悪犯とかを
裏で殺害する組織にでも入れば、
世の中にもっと害をなす連中を掃除したと褒められる人になれたかもしれないのに惜しかった


9. 2016年8月04日 18:33:25 : yrvU90WLeU : VMLA8D6NMXw[15]
高齢者に対する膨大な社会福祉費用が 偽善的。
って言っておいて。
まさかその制度を自分や自分の身内には利用しないよね。実費でよろしく。

大学の名誉教授まで勤めるような男が、薬害エイズで大勢の被害者を出しておいて、裁判中にボケて罪に問われることなく一生終えたのを知って、
何でオウムの麻原は罪に問われるのか疑問に思った。
熱湯に浸かれば宙に浮けるようになるとか言うんだぞ。最初からぼけたヤバイ人だろ。
無罪だろ


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