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大川小学校、ついに判決で明らかになった「法的責任」 唯一生存した男性教諭の報告に大きな矛盾 大津波の惨事、揺らぐ“真実”
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 10 月 28 日 11:43:13: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

【第50回】 2016年10月28日 池上正樹 [ジャーナリスト],加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]
大川小学校、ついに判決で明らかになった「法的責任」

判決後の会見では、これまであまり取材に応じなかった遺族も壇上に(2016年10月 26日、仙台市内)
5年7ヵ月の闘いがついに決着
遺族の思いは報われたか?

 東日本大震災で、学校管理下の児童74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の23人の児童の遺族19家族が、市と県を相手に総額23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が10月26日に行われ、仙台地裁(高宮健二裁判長)は、学校側の過失を一部認め、14億2600万円あまりの損害賠償を命じた。

 この判決は、学校管理下における惨事としては我が国では例を見ない犠牲者を出した大川小を巡り、東日本大震災における施設管理下での津波被災事故の裁判というだけでなく、学校に預けられた子どもたちの命を教員がどう守るのかという学校防災の基本を問う判断が示されるという点で、教育現場に与える影響は大きいと注目が集まっていた。

 遺族は裁判で、児童が津波の犠牲になったのは、学校が事前の安全対策を怠った上、大津波警報発表下でも、徒歩1分でたどり着く裏山があるにもかかわらず、児童を校庭に長時間待機させ、速やかに安全な高台に避難しなかったためだと訴えてきた。また、事故後に救命要請を行わなかった学校や、説明を尽くそうとしてこなかった市教委の対応のあり方についても、問題があったとしていた。


「先生方、学校関係者、石巻市、宮城県は、判決を受け、学校は安全だと先生方みなさんが考えていくこと」と話す紫桃隆洋さん(左)(2016年10月 26日、仙台市内)
 一方、市と県は、教職員が学校までの津波襲来を予見することは不可能だったと主張。その理由として、地域には過去津波に襲われた記録がなかったことや、当時の津波浸水予測図では「大川小までは到達しないものと予測されていた」ことを挙げている。地震発生直後には、教職員が様々な形で情報収集を行い、想定通りに避難行動したために、情報収集義務違反や結果回避義務違反はなかったとしていた。

 つまり、市と県は「津波が学校まで到達することを事前に予見できなかった」と反論してきたものの、遺族側は「万一、津波が来たときの子どもたちへの危害発生を予見すべき義務を怠ったのは学校側の落ち度」だと主張。「津波の予見性」とは何かという中身を巡って、真っ向から対立していた。

判決で高宮裁判長は、「市の広報車が高台への避難を呼びかけていることや、ラジオで津波予想を聞いた段階では、教員らは津波が学校に襲来することを予見し、認識した」と認定。その上で、「津波を回避できる可能性が高い裏山ではなく、避難場所としては不適当というべき(川沿いの)交差点付近に向かって移動しようとした(生存教諭を除く)教員らには、児童らの死亡回避義務違反の過失がある」と指摘した。

 一方で、事前に危機管理マニュアルで避難場所や方法、手順を明記しなかったなどの安全対策を怠ったこと、当時不在だった校長や生存教諭らが被災後、救命救助活動を行わなかったこと、市教委や学校の事後対応に関しての注意義務違反は認めなかった。

 地裁が、学校に子どもの命を守る法的責任があると確認したことは、学校防災全般にとって大きな意味がある。また、大川小の現場で、津波が迫ることを知りながら、教諭らが児童を適切に避難させていなかった点が判決で認められたことも、遺族にとって非常に意味が大きい。

判決後も燻る遺族たちの不満
「なぜ死ななくてはならなかったのか?」


当時 5年生だった次女を亡くした紫桃さよみさんは、「事後対応に対して何一つ責任はなかったという判決は、私は100%不満です」と話した(2016年10月 26日、仙台市内)
 26日の判決は、原告の一部勝訴だった。しかし、判決後に開かれた原告団の会見では、勝訴したとは思えないような重い空気が漂っていた。

「なぜ死ななくてはならなかったのか、裁判では明らかになっていない」「事後対応についての判決は、何1つ納得していません」

 原告の遺族側から、不満が次々に噴出したのだ。

 今回の訴訟は、「津波の予見性」以外にも、事前の対策に不備があった点や石巻市の事後対応の適正性も争われたことが大きな特徴だ。

 当時の校長が初めて被災校舎に来たのが震災から6日も経ってからだったことや、市教委が震災直後の聴き取りメモを廃棄し、津波が来る前に「山へ逃げよう」と訴えた子どもの証言がなかったことにされたことなど、遺族たちの受けた震災後の不誠実な事後対応による精神的苦痛についても、遺族の強い意向により加味されたのだ。

 少しだけ、大川小の遺族が提訴に至るまでの経緯を振り返りたい。

「あの日」の津波被災事故からほどなくして、学校や市からの説明ではあまりにも不十分だとして、捜索活動を終えた遺族たちのなかから、真相を究明するためのグループが自然とでき上がっていった。

 遺族は、説明会や話し合いを求め市教委にかけ合った。市教委は、真相究明に向けた協働歩調を取ろうとはしなかった。初めての説明会の場では、市教委は、遺族が当時の現場の状況を唯一知る生存教諭に質問することを許さず、2回目の説明会でも、時間が来たからと、一方的に席を立ち説明を切り上げた。さらに、生存児童らに聞き取りを行った調査のメモを、担当指導主事が廃棄していたことも発覚。このメモ廃棄を、遺族は隠蔽行為だと受け取った。

 2012年8月になって、当時の平野博文・文部科学大臣が大川小を訪れた。大臣が遺族の訴えに耳を傾けたことをきっかけに、翌 2013年の2月、第三者の防災の専門家らでつくる検証委員会が設置された。すでに発災から2年が経とうとしていた。

学校、行政、検証委の誰も
きちんと答えようとしなかった


当時6年生の三男を亡くした佐藤和隆さんは、「(地震が起きた後の)3時ぐらいから『ここにいたら死ぬ』と言っていたという息子のことが今でも忘れられない。どんだけ怖かったか」と涙ぐんだ(2016年10月 26日、仙台市内)
 ところが、その検証委では、事務局と委員の選定や検証方法、委員の言動などの問題が次々に噴出。結局、約5700万円もの高額な費用をかけた「権威」の検証では、新たな事実は明らかにできなかった。真相究明に期待を寄せ、積極的に傍聴に足を運んでいた遺族のなかには、「ここで心が折れた」という人もいる。

「あのとき、大川小で何が起きたのか?」「学校の子どもたちの命を教員はどう守るのか?」といった遺族の問いに、学校や行政関係者、検証委の誰もきちんと答えようとしてこなかった、一連のプロセスの積み重ねが、訴訟の引き金になった。

「最も安全なはずの学校管理下で、なぜ死ななければならなかったのか。どんな状況で、なぜ死にいたったのか。なぜ大川小だけなのか。その真実の解明のため、被災から3年後、提訴に踏み切ったんです」

 会見で、当時小学6年生の大輔君を犠牲にした原告団長の今野浩行さんは、そんな経緯を交えながら、感想を語った。

 しかし判決では、学校で教職員が、大津波警報のような子どもたちの命への危険を予見したとき、回避行動や回避対策をとるべきではないのか、という学校管理下での明確な基準を示すことはできなかった。

「学校は津波を予見して子どもたちの命を守らなければいけないと、学校側の責任を認めたことについては、一定の評価をしたい。しかし、そんな当たり前のことが司法の場で確認されただけに過ぎない。道義的責任ではなく、やっと法的責任が認められたものの、被災から5年7ヵ月もかかったのは残念。裁判の結果が我々の目的ではない。真実を解明するための1つの手段にしか過ぎない。知りたかった真実は裁判では知ることができなかった。裁判が終了してから、本当の検証作業になると覚悟している」(今野原告団長)

 被告の石巻市と宮城県は、判決文を分析しながら、控訴するかどうかを検討しているという。

「歴史を刻み 未来をひらく判決」
残された課題の重さと新たな闘い


勝訴の一報を伝える横断幕は遺族 3人が自ら掲げた。「歴史を刻む」「未来をひらく」は、大川小の校歌の一節(2016年10月 26日、仙台地裁)
 今後、仮に被告が控訴した場合、原告側も「当時の校長や生存教諭が責任から除外されたこと」や「遺族への事後対応に関する責任」などを含め、付帯控訴する可能性もある。

「勝訴は勝訴。だけども、中身を知れば知るほど、なぜ勝ったのかわからない。事前の防災対策をいい加減にしていてもいいんだ、津波がすぐそこに来るまで何もせずにいていいんだ、資料も廃棄していいんだという判決。みんな納得していない」

 当初からいち早く真相究明に取り組んできた遺族の紫桃隆洋さんは、そう振り返った。

 その言葉に、「あの日」から続いた5年7ヵ月の闘いが報われたと思うのと同時に、今後の学校防災に広く役立つわかりやすい判決を勝ち取れなかったという悔しさもにじむ。

「歴史を刻み 未来をひらく判決」

 勝訴判決を受けて掲げた横断幕には、大川小学校の校歌の一節を借りた言葉があった。子どもたちの命が、いつか起きる災害で、未来の子どもたちの命を救う枠組みにつながる判決になってほしいと、原告団が期待を込めたものだ。

 今回、現場にいた教師の責任を認める形で判決は出されたが、遺族が期待した学校の防災体制のあり方、事故後の対応のあり方についての判断は、原告の期待に対して大きな課題が残ったと言える。

(取材・文・撮影/池上正樹、加藤順子)

*『大津波の惨事「大川小学校」〜揺らぐ“真実”〜』連載バックナンバーはこちら
http://diamond.jp/category/s-okawasyo
http://diamond.jp/articles/-/105944


大津波の惨事「大川小学校」〜揺らぐ“真実”〜
【第9回】 2012年9月5日 加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]
唯一生存した男性教諭の報告に大きな矛盾!?
大津波後の大川小生存者を見た夫妻の証言
東日本大震災の大津波によって、児童・教職員84人という世界でも例のない犠牲者が出た石巻市立大川小学校。震災から1年5ヵ月が経過したが、なぜこれほどの児童・教職員が犠牲にならなければならなかったのか、今もまだ真実は明らかになっていない。大津波が襲った当日、大川小の生存者の様子を目撃したという夫妻がいる。夫妻はあの日、どんな事実を見ていたのか。


裏山からみた大川小。入釜谷の国道に出る林道につながる。(2012年2月14日、石巻市釜谷)Photo by Yoriko Kato
 東日本大震災の津波被害で、児童と教職員の計84人が、死亡・行方不明となった現場、石巻市立大川小学校の被災校舎付近はいま、多くの人がひっきりなしに訪れる観光スポットとなっている。

 献花台で手を合わせ、痛々しい姿になった校舎を半周してから、学校の裏山を見上げ、口々につぶやく。

「こんな近くに山があるのに、なぜ」「この角度はちょっと……」「ここから登れたんじゃないの?」

 災害や事故の被災現場をめぐる追悼の旅を、ブラックツーリズムというそうだ。大川小には、そのようなツアーバスやレンタカー、他県ナンバーの車が、次々と来ては去っていく。

 多くの人がため息と共に見上げるこの山の根をまわったところに、小さな工場がある。津波被災当時、周辺の集落の人々が避難していたところだ。

 私たちは、この工場の経営者が、大川小の生存者の当日の様子を知っていると聞いて、話を聞きに行った。

A教諭の証言は実は別人の証言?
夫妻が見た真実と報告書の間にある矛盾

「A先生の報告書は、最初から全部嘘なんです。だいたい9割方は嘘だから。なんで嘘ついたんだかは、わかんないですけども」

 私たちが訪れた目的を説明すると、工場の社長は、市教委が作成した生存教諭の聞き取り書について、いきなり、そう切り出した。

 報告書とは、市教委の加藤茂美指導主事(当時)が、震災から2週間後の3月25日に、被災当時と直後の様子を、教職員で唯一生存したA教諭から聞き取り、翌4月に入ってからまとめたものだ。柏葉照幸前校長に連れられて、A教諭が市教委まで証言に訪れた時の様子は、前々回、加藤氏が私たちに語った話のなかで、紹介した。

 社長夫妻の話によると、この報告のなかには、いくつも矛盾点があり、A教諭とは別人の証言のように読めるという。

 私たちは、市教委を通じて再三A教諭への取材の問い合わせをしているが、「主治医からの許可が出ない」「自分たちも直接話ができない」(指導主事)と説明されている状況だ。

 まずは以下に、市教委が作成した聞き取りの報告書のなかから、「被災時、避難誘導に当たった教諭Aの聞き取り調査の概要」の一部を紹介する。

(三角地点へ移動)
校地を出て、釜谷交流会館前の山沿いの小道(交流会館駐車場付近)を通っていたとき、津波が来た。A教諭は最後尾におり、「山だ。」と叫んで、山に登ることを指示した。A教諭も山に登るが倒れた木に挟まれて動けなくなった。その後、動けるようになり、近くにいた3年児童Bを連れて、さらに上に登った。

(山へ避難後)
A教諭と3年児童は、倒れた木の間に落ち葉やススキを敷き、雪をしのごうとした。津波の音が近づいてきたので、さらに上に登ることにした。松くい虫防除用のビニルシートをはがしてくるまった。児童の体の冷えがひどかったので、山を越えて雄勝側に行けば、車道に出て助かるかもしれないと考え移動した。周辺を照らしていた車のライトが見え、近くの車の中で過ごした。

震災当日は車の中で過ごしたはずが…
実際は社長宅に宿泊していた


大川小で唯一生存した教諭と助かった子どものひとりが、工場のシャッターの前で、周辺の地区から逃げてきた人たちとともに立っていた。(2012年8月11日、石巻市)Photo by Yoriko Kato
 社長夫妻によると、あの日、大津波警報が出てから、雄勝峠を越えてきた車や、大川小などのある北上川方面から逃げてきた人たちで、工場の前の国道は混雑していた。

 津波は、目の前の国道まで上がってきて、人々は工場で立ち往生していた。あっという間に、目の前の集落の大半が水に沈んでしまったが、工場の敷地は、かろうじて浸水を免れた。社長夫妻は、事務所や自宅を、避難所として開放した。屋内は、100人ほどの人で、すき間がないくらいにいっぱいになった。

 大川小のある釜谷地区からも、山を越えて来た人たちがいた。その中に、大川小で唯一生存したA教諭と、助かった3年生の男子児童Bくんもいた。

 学校からつながる国道が冠水し、瓦礫が散乱していた点を考えると、どうやら学校の裏山からつながる林道を歩いてきて、工場のそばに出たらしかった。学校裏から山道を歩けば、国道までは30分くらいでたどりつく。

 最初に2人と会ったのは、社長夫人のほうで、工場の入り口付近に立っていたたくさんの人の中にいたという。

「時間は、私も全然覚えていないんですけど、ただ、空が明るいうちに来ましたよ。最初に会ったとき、(A教諭は)『ひとりしか助けられなかった』と言っていたね。最初の言葉はそうだった」

 そして、A教諭は、「この子は、大川小学校何年なんとか」とあいさつをしたという。そのときは、“大川小”まではわかったが、それ以上を確かめる状況ではなかったため、その男性が、大川小の教諭であったことを夫人が把握したのは、震災からひと月ほど経って、人づてに聞いてからだった。

「じゃあ、子どもを自宅の方に寝かせた方がいいんじゃないですか、って言って、自宅の方に行って、子どもさんはすぐ、上着と、あとズボンも脱いだのね」(社長夫人)

 A教諭と3年男子児童の2人は、そのまま社長宅の和室に泊まった。

 このA教諭と子どもは、少なくとも、明るいうちに工場の敷地へたどり着き、そのまま自宅に泊まったということは、夜になって車に泊まったとする報告書とは明らかに違う点だ。

 市教委は、昨年11月にこの社長へ聞き取りをした後、震災から1年以上経った今年の3月18日の説明会で、

「A先生が教育委員会に報告に来た時に、本当に精神的に錯乱状態でして、私ともう一人で対応していたんですけども泣きながらずっとお話ししていたもんですから、聞き間違えたんだと思います」(当時の加藤茂美指導主事)

 といって、間違いを認めた。さらに、同30日付けの県の県教育委員会への報告書によって、社長宅への宿泊の事実だけは訂正している。

「なんぼ錯乱状態でも、民家さ泊まったかどうか、なんも覚えてねぇなんてさ、ははは……笑ってしまうよ、本当にね」(社長)

A教諭は本当に津波をかぶったのか
夫人が見たのはきれいなままの背広だった

 社長の自宅には、他にも避難してきた人がたくさんいた。服が濡れている人はみな、畳に上がる前に、社長宅にあった衣類を借りて着替えていた。

「A先生は、何も濡れていないから和室にそのまま通した。Bくんの靴は、濡れていたね。靴下を脱がせて、そのまま履いているわけにはいかないということで履き替えさせた。濡れた場所はわからないですよ。おそらく歩いてくるのに、この辺も全部泥だらけだったから。Bくんは、濡れて汚かったね」(社長)

 A教諭が、津波をかぶって濡れていたかどうかも、証言が違っているところだ。

 A教諭は、これまでに一度だけ、保護者向けの説明会で直接証言をしている。震災からひと月後のそのときに、津波襲来後の様子を振り返って話をしたなかには、以下のようなくだりがある。

「山の斜面についたときに杉の木が2本倒れてきて、私は右側の腕のところと左の肩のところにちょうど杉の木が倒れて、はさまる形になりました。その瞬間に波をかぶって、もうダメだと思ったんですが、波が来たせいかちょっと体が、木が軽くなって、そのときに斜面の上を見たら数メートル先のところに3年生の男の子が『助けて』と助けを求めて叫んでいました。私は、眼鏡がなくなって靴もなくなっていたので、とにかく『上に行け、行け』、絶対にこの子を助けなきゃいけないと思って、とにかく『死んだ気で上に行け』と叫びながら、その子を押し上げるようにして、斜面の上に必死で登って行きました」

 証言の一部分だけだが、津波が地域を襲った瞬間、自分自身も逃げながら、目の前の子どもを助けようと必死だった様子が伝わってくる内容だ。

 しかし、社長夫人は、波をかぶったはずのA教諭の背広の様子をはっきりと覚えているという。

「4本格子のチェックの茶っこいようなグレーな感じの、はっきりしたような色でなくて。先生らしい、くたびれた上下だった。濡れてなくてきれいだったね。めがねは掛けていなかった。私、こうやってしゃべれるくらいに、覚えているもん」

 その夜、A教諭は、ストーブのところであぐらをかいてすわり、一晩中、ほとんどしゃべらなかった。取り乱しているようにも見えなかった。

本当は山から惨事の一部始終を見ていた?
A教諭の反応から考える報告書の不審点

 社長は、さらに、証言の信憑性を疑う点があると続けた。

 A教諭は、説明会で、校庭での様子をこう証言している。

「子どもたちは、その時に校庭の真ん中に座って、もう人員の点呼は全部終わっていました。中にはパニックになって吐いているお子さん、それから泣き続けているお子さんがいて、先生たちは、その子たちをなんとか落ち着かせようとしていました。雪が降ってきて、中には裸足で逃げた子もいたので、すごく寒がっていましたので、特に1年生、2年生の教室からジャンバー、それから上靴を取りに行ってはかせたりしました」

「雪降ったというんだけど、ここは、雪、降っていないんです。降ったのは夜なんで。A先生は、雪降ったかどうかはわかってるんでないか。だから、A先生が『雪が』と書くのは考えられない。たぶん誰かが書いたんだね、どう考えても。早い頃に降ったのは石巻方面だから」

 工場がある場所は、学校から数百メートル離れていて、山の裏側にあたるが、被災時の空模様については、私たちが聞いた範囲でも、証言が分かれている。

 津波をかぶりながらも山によじ登って生存した当時5年の児童による、「うっすらと積もっていた」(児童父親談)という証言がある一方で、すぐそばで同じく山によじのぼってかろうじて助かった地元住民は、「車を降りて逃げたときは降っていなかったなぁ。人を助けたときにはけっこう降ってたよ」と言っている。

 被災から一夜が明けてから、社長たちは、大川小学校のすぐ側にある、三角地帯と呼ばれる国道と県道の交差点まで行った。うずたかく積もった瓦礫に、名札を付けた女の子がひっかかって、亡くなっているのが見えた。

 惨状を確かめて戻ってきた社長が、たまたまそこに出てきたA教諭に「女の子が引っかかってた。瓦礫さ何人か引っかかってた」と言った。しかしA教諭は何も言わなかった。

 さらに、社長夫人が、「○○ちゃんという子がランドセル背負って亡くなっていたみたいですよ」というと、「ああ、その子ども、お母さんが迎えに来た子だね」と静かに答えたという。ショックを受けているかどうかは、わからなかった。

 社長は、子どもといた男性が大川小の教諭だったと知った今、A教諭の当時の反応からこう推測する。

「ふつうは、子どもたちを助けてくださいとか言うと思うんだけどな。たぶん山から全部見ていて、助かってねぇと、知っていたんでねぇか」

 再び、聞き取り報告書から一部を紹介する。

(翌朝)
山から下りてきた5年男子2名と大人2名、1年女子1名とその祖父と合流した。5年男子は津波に巻き込まれたが、大人に助けられ、夜はたき火をして過ごしたとのことだった。

 そこから、入釜谷交流会館(※)に移動した。そこには15名程度の子ども(幼児も含む)が避難していた。A教諭は腕を脱臼しており、けがをした児童2名とともに、ボートと救急車で日赤に搬送された。その後、桃生小にバスで移動した。(後略)

※正しくは、入釜谷生活センター

 子どもが亡くなっていたと聞いても、A教諭は学校のある釜谷の方に行かずに、林道を登っていった。社長夫人も途中までついていった。

「A先生がね、“ほー”とか“あー”とか、(山に向かって)かけ声しているの。なんでかな? と思った。すると、姿は見えねぇんだけど、“ほー”とか“おー”とか返ってきた。子どもが死んでたよ、って言ったのに、今考えると、なぜこっち(林道)に登っていったのかなと思う」

 ともかく、かけ声のやりとりの後、ひと晩山の中で過ごした2人の生存児童が、地域の人たちと一緒に、林道を下りてきた。傷だらけだった彼らは、そこで手当をしてもらった。

 そのうちに、社長宅に避難していた人たちは、近くの入釜谷生活センターという公共施設へ移動することになり、工場にあったマイクロバスで、ピストン輸送されることになった。

「うちには、足腰立たないおじいさんが泊まっていたんで、A先生が車までおじいさんをおんぶしてきたんですね。おれがおんぶすると言ったら、大丈夫、大丈夫って。だからまあ、先生はケガしてねえんでねえか。まあ、本人がしてたといえばしてるんだろうけれども、脱臼している人がおじいさんをこうやって抱えてこれねぇよ」(社長)

「おじいさんをおぶったとき、靴は、かかとをつぶしていたからね。ちゃんと両方靴はいていたし。その時、片方脱げた。それは覚えてる」(社長夫人)

証言によるリスクを負ってでも
真実を伝えなければならない


大川小のある釜谷地区の山に登ったり、津波に打ち上げられた人たちが、歩いて降りた林道。(2012年8月11日、石巻市入釜谷)
Photo by Yoriko Kato
 工場の社長夫妻が見た、大川小のA教諭や子どもたちの様子は、そこまでだ。子どもたちの家族は、後日工場を訪れてお礼を言っていったが、A教諭は、それ以来一度も訪れていないという。

「私なんかが本当のこと知りたいと思うのはさ、地震が起きて、津波後の、学校からここまでの間ですよね。うちさ来たのは、あんまり大事なことじゃないんだけど、嘘ついて、報告に出てるから。でもなんぼ考えたって、最初の報告書は、だって丸きり嘘なんだもの。誰が書いたのかって追及したらいいと思う」

 そして、このままでは、今後も市教委によって、

「嘘の(報告書の)まま、子どもたちは避難していたのに流されたと、言われる可能性がある」(社長)

 と危機感を募らせる。そのためにも、保護者と市教委が話し合って、これまでほとんど説明に出てこないA教諭から、改めて聞き取りをする必要性を強調した。

「A先生が来ないと、話にもなんねもんね。市教委が事実を隠した隠さないってことばかりを話していて、だれがこの報告書のストーリーを書いたんだか、知りたいね。A先生が書いたとはとっても思えねぇね」

 社長夫妻は、被災当時から、避難してきたたくさんの人を夢中で世話して、人によっては数ヵ月に長引いた避難生活を助けた。その中で見聞きしたことを話すことは、地域の中で暮らす以上、さざ波を立てるような行為だ。

「これで、1年以上経って、なんなんですかね。この辺のお母さんたちは、しゃべるなっていうけど、私は負けないから。だって私ら本当のこと言うほかないんだもんね」

 夫人はそうつぶやいた。

(加藤順子)

大川小学校関係者や地域の方、一般の皆さまからのお話をお聞きしたいと思っています。情報をお持ちの方は、下記までお寄せください。
teamikegami@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)
http://diamond.jp/articles/-/24268  

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コメント
 
1. 2016年10月28日 22:50:03 : tup6WwL9hg : wKLYMFkc5lM[2]
災害後のやり取りでいろいろと不信が募ったのは理解できるが、だからといって災害の想定もされていない学校で避難訓練もしていない中、先生方の判断ミスと判定されるのはいささか一方的で、事後的な価値判断に基づくものではなかろうか。その判断をした先生方も亡くなってしまっているのだし。また、一人生き残った先生にしても、今後の災害対策だけに使うのならともかく、自らや同僚の責任追及に使われるとあっては、証人を拒む気持ちもわかる。
今回の裁判は、司法が世論におもねったようにも思える。こうなったら、最高裁まで徹底的に審理を尽くして、最終決定をしてもらうのがよい。
賠償金で支払う元は結局は石巻市の財政資金からなのだろうから、市民間のやり取りになってしまうので、市長としても中途半端でやめるのは市民に説明がつかない。また、亡くなった先生の名誉の問題もある。中途半端はよくない。菅元総理が、諫早干拓で控訴せず地裁判決を受け入れてしまったので、干拓地の農民からも反感を買ってにっちもさっちもいかなくなった例がある。最後の判定を得て、だれも異論をさしはさまないようにすべきと思う。



2. 2016年10月29日 22:31:40 : F2230ndbwE : N_t1ziYiq68[52]
これ程多くの子供たちが亡くなった以上、生き残った教員や亡くなった教員の名誉だとか、市民の税金だとかを配慮する前に、事実を知りたいと親たちが思うのは当たり前だと考える。

裁判になったのは、市や教育委員会の態度が真摯なものではないからだ。親たちは真剣に誠意をもって災害の検証をしてくれたならば、それが教育委員会や教師たちの判断ミスによることであったとしても、司法に訴えようとまではしなかったかも知れない。

子供を失ったのは何故なのか、大災害だから仕方なかったのか、親が追及するのはあたりまえである。彼等は何も金を求めているのではない。事実を求めているのだ。


3. てんさい(い)[561] gsSC8YKzgqKBaYKigWo 2016年10月31日 12:28:12 : 0kUGInjLpY : VLecBnM2280[225]
あの日大川小学校で何が起きていたか 津波が迫る中で教師達は権力闘争 (世界のニュース トトメス5世)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/701.html
投稿者 魑魅魍魎男 日時 2016 年 10 月 29 日

4. 2016年11月01日 03:14:13 : PiRlkkMkRo : 1mTuB86zs6k[51]
こんなロクデナシが先生なのかね?
父親の世代には、亡くなった同期の方が、叔父の最期を戦後報告に来られたという。
先生と呼ばれる「責任」があれば、その時、狼狽したとしても、子供たちの最期を遺族に報告する義務は、絶対あるし、そうでないなら、人でなし。

5. 2016年11月01日 13:01:10 : TzkPlcUDmw : 5LJnlaMg0G0[88]
全てが明らかになっていないようですね!

先生も亡くなっているから責任はない
ってな意見があるようだが、
子供たちは74人も亡くなった!
大人は子どもに責任を持つべきだろ

避難するまでかかった時間の間に一体何があったのか!
その中に責任問題が隠れている

控訴はしないほうが良かったよね!
責任問題と損害賠償を嫌った市と県。


6. 2016年11月02日 07:36:42 : AiChp2veWo : crH3ggO@jw4[701]
こんな教師が隊長だったら、どんな戦場でも部下は全滅だぜ。良い教師もいるだろうが、ロリコン癖で教師になって捕まるあほ教師。生徒を殴り倒し蹴とばす異常サディスト部活の教師。女子にセクまがいの事をしながらスリッパで女子の顔をはたいたり蹴とばしたりする変態弱い者いじめサディスト教師。おまけに男子児童に変態するって〜。少女や男子児童のわいせつ写真ってお前らど変態教師やな!。
強いものにはかかっていく度胸もないくせに、生徒や児童ならしばいて蹴とばすんかい。こいつらほんまにいっぺん戦場にほり込むか、本物やくざに気合入れてもらわな目が覚めんやろな。親父のクラスの担任は特攻隊上がりの教師やったという。
終戦でやむなく帰還したらしいが、その先生の写真見たが全然違う。授業もバリバリで、みんなげんこつで殴られたが絶対怪我させんし、えこひいきゼロ。どんな可愛い中学生女子でも答えられんかったらゴツン!。何学年もみんな殴られて卒業していったが、誰も恨んでないし、ものすごい人気のある先生やったと親父はよく話してくれた。おまけに担当の科目はクラス中成績がバンバン上がったそうや。僕たちがいかなければ国が亡ぶ、そういって事実笑って出撃していった若者たち、戦争の良しあしや国の事はおいて、彼らは凄い。教師もいい加減、しごかれてから教師になれや。部活の担任!、お前ら調子こいて生徒馬鹿にして蹴っ飛ばしたりしとるなよ。生徒もそんな部活や学校辞めれよ、かかってけ。何するんやまじめにやっとるのにって、やれよ!。女子でも正義感の強いのが、肉体的セクハラと女子生徒の尊厳わからん腐れ暴力教師を、一発で殴り飛ばした女子がいるぞ。正しく気合入れていこうな。権利ばっかり主張して、裏山逃げるの当たり前が、状況判断や直観力ゼロで自分の立場ばっかり我執して、山に登った子供たちを引きずりおろし、子供の方が状況把握がしっかりしていて、ここにいたら死んでしまうって言うのを無視して何十人も結果、子供たちを殺してしまった。末代までの恥や!。ほんまになに考えとるんや今どきの教師らは!。筋は通らんわ、けじめはないわ、度胸はないわ、逃げ回るわ、教師辞めてどこかへ行ってしまえ。この教師らをかばったり、問題を隠そうとする関係者も同罪や。



7. 2016年11月02日 16:19:27 : lZbJgjl3AM : VjClBnp6kTI[11]
ヒロヒトが広島や長崎でやったことと殆ど同じことを大川小学校の教員たちはやって
しまったのですね。教師は派閥争いに終始し、一方子供の一部は死を予見していた。
国に魂を売った公僕より小学生のほうがまともな判断力があるということでは。
津波の真相を一般人が気づかぬように仙台地裁は賠償命令を出したのではなかったのか?

8. 2016年11月07日 23:25:32 : xGGGNJ9p5k : OszzmOWyLDw[1]
>7
>教師は派閥争いに終始し

議論はしたかもしれないが、それが派閥争いとは思えない。
自分たちの命もかかっているんだし。
あまりチンケなけなし文句を言うのはやめて、ニュートラルな物言いにしましょう。

>5さんのいうように
>全てが明らかになっていないようですね!
なのだから、徹底的に裁判で明らかにし、最終判断を仰ぐのがよいと思う。
そうすれば、だれもが納得はしないまでも、最終決着にはなる。
中途半端はよくない。始めたからには、徹底的にやるべし。


9. 2017年6月10日 22:51:55 : Gahep52nwY : TCxJ1acmnX8[2]
もえるあじあ

激怒官邸から超反撃キタ━━(゚∀゚)━━!!! 自民幹事長「再調査の後、前川を国会で問いただす」想定外の展開に、助平・マスコミ・民進ガクブル必至wwww

2017年06月10日08:02 / カテゴリ:加計・森友学園自民党
http://www.moeruasia.net/archives/49579611.html抜粋


1: 名無しさん@涙目です。(愛媛県) 2017/06/10(土) 00:33:19.82 ID:gqO2yRy30


前川氏招致に言及=自民幹事長

(略)

[時事 2017.6.9]
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017060901394&g=pol

関連
【速報】 文科省、官邸激怒で「加計文書」追加調査の方針固める 組織的捏造の実態解明へ ★3
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/news/1497016057/
首相「徹底的に調査を指示」文科省の追加調査
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170609/k10011012531000.html

(略)

(コメント)


3. もえるななしさん
2017年06月10日 08:17:52
ID:IwMjMyMDA

●大川小学校事件の遺族を呼んで、遺影を持たせて傍聴させたらいい。

11. もえるななしさん
2017年06月10日 08:34:48
ID:ExNzAxNTA

●どんどんバレてきちゃったね!!!

●【これは酷い】東日本大震災 宮城県石巻市・大川小“津波で児童74人犠牲”検証委員会から遺族を排除したのは文科省「前川喜平」だった

和田 政宗@wadamasamune
●昨日の内閣委。特区法改正案に関連し、小規模保育所の対象年齢が拡大する中、事故防止のため過去の学校事故の分析は十分か質問。震災での大川小事故で文科省主導の検証委員会の検証が不十分だった点を指摘。なお、委員会を主導したのは当時の文科省前川喜平官房長。ずさんな報告の責任は重大と指摘した

和田委員
●そうした学校事故の原因調査や再発防止という点においては、東日本大震災における宮城県石巻市の大川小学校の事故をしっかり見てみなくてはいけません。この事故は全校児童108人のうち74人が亡くなりました。地震発生から約50分間、津波が襲ってくる直前まで学校管理下で児童に避難行動を取らせなかったわけですが、行政によって設置された事故検証委員会の最終報告書が「検証不足」だということで、遺族が訴訟にまで発展をしました。

●この大川小学校の事故検証委員会、これ文科省が主導する形で設置されましたけれども、この検証委員会の設置や人選について文科省で指揮を取ったのは誰でしょうか。

(略)

和田委員
●与党側なので、そこまで追及するのはどうかというところはあるのですが、これはもう私が野党側の時からやっておりましたので、もうちょっとこれは切り込んでいかなくてはならないのですが、これ、「遺族を検証委員会に入れなかった」「入れるのは難しかった」という風に判断したのはですね、当時の前川喜平官房長なんですね、これ。

●当初からですね、ご遺族の間には事故検証委員会の委員の人選にも疑問が呈されまして、「遺族も参加を」という風に言っていたのを、前川氏は「それは必要ない」と言って「だめだ」 という風に押し切ってるんですね。

●で、まぁ「行政を歪めた」というような発言が前川氏は何かしてるようですけれども、この時、前川氏、行政歪めてるんですよ、これ。ご遺族の中にはですね、当時の前川氏の様子や話を振り返って、「当初からしっかり検証する気もなかった」という風に怒りを述べてる方もいるわけです。それでも検証がしっかり行われればよかったわけですけれども、事故検証委員会の最終報告書、これ何度も何度も私も読み返しました。

●事実関係が地震から津波が襲ってくるまでの50分間のあいだ、これ検証できてないわけですよ。私は防災の研究者でもありますけども、客観的に見ても、どう考えても時系列がおかしいところがあります。最終的にこの報告書でよいと判断したのは文科省の中の誰なんでしょうか。

(略)

和田委員
●文科省全体で、というようなことになってくるかという風に答弁なさっておりますけれども、いま少し答弁の中でもありましたけれども、これ実は「検証が不十分だ」ということで、検証委員会の委員長も認めてる最終報告書を通してしまっているというところがあるわけです。

●この最終報告書、出たのが平成26年ですけれども、前川氏は初等・中等教育局長。ご遺族が中間報告や最終報告書の案に対して、「事実関係がおかしい」という風に客観的に述べてもですね、「公正中立に検証が行われていると確信している」と何度も言ってるんですね。当初の人選も含めて、この委員会を主導した前川喜平氏に対してですね、ご遺族、かなりの怒りを持っております。

●大川小学校で子供を亡くしたご遺族の方々はですね、「なぜ子供が命を失ったのか、その原因を明らかにしてほしい」ということで、この検証委員会に賭けてたわけですけれども、それが全くなされなかったということで、訴訟に訴えるしかなかった、裁判で事実を明らかにするしかなかったということで、「検証報告がしっかり行われていれば、そういう風にしなかったかもしれない」と言ってる遺族もいるわけですね。

●こうした点において委員会を主導した、前川喜平氏の責任は大きいですし、文科省全体でということであれば、文科省自体の責任も大きい。これはですね、運輸安全委員会のような強力な権限を持った調査機関というものを私は必要だという風に思っておりますし、こういったものがですね、大川小の事故を教訓として作られるのであれば、ご遺族自体も「自分たちの教訓が活かされるのであれば、ということで訴えなかったかもしれない」という風に言っている人が実際にいるわけですね。

●こういったところをですね、踏みにじったという風に私は被災地の議員として、 ご遺族の切実な 中でそういったことを申し述べたいという風に思います。

64. もえるななしさん
2017年06月10日 12:26:47
ID:E1MTEzNzA

前川うしろから!
●大川小学校事件の遺族に慰謝料払えa

65. もえるななしさん
2017年06月10日 12:34:11
ID:IxODQxMTA

※63
温情で依願退職扱いにしてやったのに、下手にしゃしゃり出てきて政府のやることに横槍を入れまくったから官邸がブチ切れたんだろうね。


67. もえるななしさん
2017年06月10日 13:06:46
ID:ExNTYwMTA

●文科省他省庁に潜んでる前川の子分を一掃するいい機会だ!
確実に殲滅しろ!
●中曽根に気を遣う必要はない!

70. もえるななしさん
2017年06月10日 13:13:36
ID:k1MzAzNDA

●というかこれ、メディアでは全然報じられておらずもっぱらネットで活発に揶揄されてる裏事情を自民・維新議員が追及しまくれば前川やばくね?

●出会い系バー通いによる貧困調査は2年前から、とか言っていたにもかかわらずその対象となったA子との出会いは6年前であるという矛盾(A子談)あたりは問い詰めてほしいわw
●いやそれ以前に天下りについて追及してやるのがもっとも適当かもね

71. もえるななしさん
2017年06月10日 13:57:43
ID:k3ODM4MzA

●総理が徹底的に調査しろと公言したときには!
すでに調査は終わっている!

78. もえるななしさん
2017年06月10日 15:39:18
ID:IxOTM4MTA

既得権益の規制 許認可権にあぐらをかいて甘い汁すったスケベ前川うしろから!
●貧困調査の前に 大川小学校事件の検証を真面目にしろよ

79. もえるななしさん
2017年06月10日 15:44:22
ID:k3MzU2NzA

●中曽根に手を引かせたんだろうなぁ
それで遠慮する必要がなくなったから文科省のゴミを大掃除
そのついでに加担したタマキン他を癒着で吊るし上げってのじゃね?

80. もえもえななし
2017年06月10日 17:02:12
ID:MxNTQ0OTA

また元刑事の事情聴取が見れるのかwwwwww
コイツは楽しみだ
反国人は徹底して潰せ

(略)


10. 2017年6月11日 01:47:51 : Gahep52nwY : TCxJ1acmnX8[3]
あの日大川小学校で何が起きていたか 津波が迫る中で教師達は権力闘争 (世界のニュース トトメス5世)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/701.html
投稿者 魑魅魍魎男 日時 2016 年 10 月 29 日 05:25:27: FpBksTgsjX9Gw 6bOWo@mx6bKSag (一部引用)

>当初は自然災害が原因と思われていたが、詳細が明らかになるにつれて、教師らが闘争を繰り広げて、津波からの避難を禁止したのが分かってきました。


     ↑


非常事態が発生してるのに現実を直視しない、非常識且つバイアス思考の基地外教師どもが・・・
3月に起きた高校山岳部の雪崩死亡事件のケースにちょっと似てるじゃん、と思った。
最善の選択肢も考える時間もあったにも関わらず、児童生徒の意向と命はそっちのけで、間違った方向にゴリ押しで突き進んで、最悪の結末を迎えてしまったわけだ。
未必の故意の大量殺人だろうに。
お定まりの責任逃れの詭弁を弄したり嘘を吐いたりと、醜悪な事この上なしだ。

血の通わない日本人らしくもない気持ちの悪い教師が増えたのは、やはりGHQ日教組のせいだろう。
お仕着せの勉強は出来ても、思考能力や応用力が欠如した洗脳ロボット的日本人を量産するのが狙いだったみたいじゃん。
典型がまんまあの教師たちでしょ。ある意味、犠牲者でもあるけど。
日教組はもう解体しかない。同じくGHQの呪いが解けないNHKも、腐った民放も。
問題大杉文科省その他、霞が関の大改革も待ったなし。
たぶんきっと、安倍さんやってくれると思う。


日本の歴史から学ぶ、日本人の精神性

教育によって日本の「無力化」を図った、GHQの日本人再教育とは?
http://kanouseiji.com/ghq/(後半抜粋)

(略)

・・このようにGHQの影響下で旧文部省が決めた「学制」あるいは「学区制」で、日本人の志望学校の選択肢を極めて狭くなりました。

●この結果、必然的に基礎学習に追われ、日本人の最も得意な「応用技術力」や「専門知識」を身につける機会は、少なくとも高校か大学まではなくなってしまったのです。

●GHQは、「リベラルアーツ(教養)を日本人に身につけさせる」といいながら、実際には「応用力」という日本人の「得意分野」を収奪していったのです。

 まとめ

●いま、多くの日本人が「日本の教育制度はおかしい」と考えています。

●ですが、戦後の教育問題を「技術的な問題」として論じたり、すべてを日本政府や学校教育のせいにするのは、誤りだと思います。

●日本社会の問題の責任を「日本の教育」に求めるなら、論理的にそもそも最初のシステムを作り上げたのは誰なのか、作成者の真の目的は何なのか、を問わなければならないはずです。

●そして何よりも昭和27年のサンフランシスコ講和条約で、GHQの占領政策は失効しているのですから、現在のシステムが悪ければ、国民の力を結集させて「原点」にさかのぼり変えれば良いのです。

●もう待ったなしの土俵際まで追い詰められています。
●70年続いた「支配システム」の呪縛から日本を解放させましょう!


11. 2017年8月18日 01:33:10 : WHrZpexG3s : u6jtOsskc00[3]
 
>だからといって災害の想定もされていない学校で避難訓練もしていない中

有り得ませんね。今どきどこの学校も月1度は避難訓練をしているのでは?
火災だったり、地震だったり、大川小学校なら当然津波を想定した避難訓練
もやっているでしょう、・・・ と思う。

(やっていなければ教育長のクビが飛んでいるはずです)
 

 


12. 2018年4月28日 02:56:00 : Q0ohD1gghc : uXDmGwJ@6a8[4]
>>11さんへ  

>やっていなければ教育長のクビが飛んでいるはずです)
 
   ↓

常識や空気に反して

学校やマスコミは本当のことを伝えないことが多すぎます


大川小の惨事@ なぜもめる大川小の参事

2016-09-11 13:04:13
https://blog.goo.ne.jp/ronta94139413/c/9c7d20998255690b89621c3c8c0dcf73全文


84名死亡の大川小学校だけがなぜ逃げなかったのか

 ●逃げる方法もあり(裏山・スクールバス)   逃げる時間も情報もあったのにだ。

(ちなみに、一言) 内陸の秋田の合川南小学校では、 遠足で津波にあい、13人死亡しました。 海水浴・修学旅行・出張など、 津波の犠牲は海沿いの人の専売特許ではありません。

 さて、  想定外の津波であっても

●大川小以外ではではみな再避難して犠牲を防いでいるのに,

@  なぜ、地震から再避難(逃げる)まで49分間もかかったのか、

A  その間何をしてどんな状況だったのか、 なぜ裏山に逃げなかったのか。

 これが遺族らの最大の疑問で、 この疑問を解かないと原因は分からず、

ここが問題の核心、 「疑問の49分間」が生きるか死ぬかの分かれ目、

  これが未解決では問題は残ると思います。 市教委もそう感じてはいたでしょう。

●しかし、市教委も第三者委員会もこの核心部には当たらずさわらず、 原因をあいまいにしました。そこで、あえて言います惨事の原因を、一言で…、

 ●先生さえいなかったなら起こらなかった、即ち 原因は先生たちと。

     ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 ●でも、こんなことが本当なら、教育委員会の幹部の首が飛び、 教育界の大改革に迫られます。そこで現状維持できるよう、都合のいい報告を出せるよう、  調査を当事者→管理責任のある教育委員会が行います、 容疑者が調べるのです。泥棒が警察官になるようなものです、 日本ではお馴染みだが…。

 ●すると…  市教委の心理は→先生たちが原因などとは絶対にしたくない。

●万一そうだったら、そうならないように、 他に原因になりそうなものを探しそれを原因にしたい、  と言う潜在意識(津波のせいにしちまえ)になると思います。

 ●しかし、本来の市教委がとるべきは、                

先生たちが行動できなかった核心の49分間の実態を究明し、 

ア) 決断できなかった原因を調べ、再発防止に役立てる。

イ)先生たちがいなかったら山に逃げていたと思われないなら、徹底的に反論する。  

 ●しかし「先生が原因」とは絶対にしたくない心理に陥るため、   

そうであると思っても、ふそうでないと思うふりをして、 他の原因を探して反論したくなる。

 ●その結果市教委のやり方は…、  (さて、どうすると思いますか。私の推量は次回です…)


【参考サイト】

・「揺らぐ真実」(http://diamond.jp/category/s-okawasyo) :市教委や第三者検証委員会の対応が逐一報告されていて非常にわかりやすく、 更に記述者は「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」を出版しているから、どちらかはどうぞご覧ください。

・「記録の部屋」さんの「大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻」(http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html)は地元紙の「河北新報」が多数コピーされていて資料としてもよく、分かりやすい。

---------------------------------------------------------------------------


HUFFPOST

2013年11月23日 23時57分 JST | 更新 2014年03月11日 23時52分 JST

大川小学校の生還児童、校舎保存を訴える「僕の先輩や後輩が、ここで生きていたという証」

久世和彦
The Huffington Post
https://www.huffingtonpost.jp/2013/11/23/ookawa-sho_n_4331159.html


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毎日新聞

大川小津波訴訟
遺族、2審も勝訴「事前防災に不備」

毎日新聞2018年4月26日 14時10分(最終更新 4月27日 02時48分)
https://mainichi.jp/articles/20180426/k00/00e/040/311000c


大川小訴訟控訴審
救えた命、認められた 学校防災の礎に

毎日新聞2018年4月26日 21時37分(最終更新 4月27日 01時45分)
https://mainichi.jp/articles/20180427/k00/00m/040/101000c


13. 2018年4月28日 03:16:51 : Q0ohD1gghc : uXDmGwJ@6a8[5]

>当初予定されていた、遺族の検証委への参加であるが、これをストップさせたのは★前川氏であることが国会で明らかとなった。


   ↓


行橋市 市議会議員

小坪しんや

【前川氏の行政マンとしての資質】東日本大震災で多数の児童が亡くなった大川小の検証委から遺族を排除していた(国会動画)【最低だと思ったらシェア】

2017年6月9日
https://samurai20.jp/2017/06/maekawa/抜粋


●「貧困調査」のため、出会い系バーなる店舗に通っていた前川事務次官であるが、調査レポートは提出されていないことがわかった。議会には行政監視権があるが、一介の地方議員ではあるが、末端の政治家として「前川氏の行政マンとしての適格性」を問いたい。
●多くの児童が亡くなった大川小学校において、遺族からは検証が不十分だとして訴訟が起こされている。当初予定されていた、遺族の検証委への参加であるが、これをストップさせたのは前川氏であることが国会で明らかとなった。

●恐らくは「報道しない自由」が適用され、国民の目に触れることはないのだろう。
● 一人の政治家として、この質疑は、多くの国民に、そして多くの政治家に伝わるべきであると考える。

(略)

さて。
批判を始める。

大川小学校の検証委の話だ。
●よくも遺族を排除したな。

これが行橋市の職員であれば、私は一般質問で、委員会で、もしくは市長(教育庁)との直談判で。
ボッコボコにするだろう。

なんだこれは。
● 行政マンとしての資質に大きく欠ける。

●最低なやつだ。

(略)

 ●前川事務次官には、行政マンとしての資質が大きく欠ける。

 ●東日本大震災において、多くの児童が亡くなった、

 ●大川小学校の事故検証委から、遺族を排除。

 ●不十分な事故検証となり、訴訟に発展。

 ●子供を亡くした親に、そのような負荷までかけることととなった、

 ●まさに責任者ではないか。

  議会には、行政監視権があるが、

 ●一人の議会人として、最低な行政マンであると糾弾する。

  併せて、「元事務次官」として、

  在職中に”貧困調査”を行っていた旨、発言されているが、

  出会い系バーと貧困について、対策や研究の指示は

  なされていないことも国会で明らかとなった。

  在職時に調査は終えているのだから、

 ●いまから”調査レポート”を作成して頂き、

  公開して頂きたいものですね。

 ●加計学園のレポートよりも、

  「前川事務次官・”貧困調査”レポート」のほうが、

  一人の納税者として、読んでみたいけどね。


14. 2018年5月27日 16:00:50 : Rt02UdjH9g : 7FMPgE6twRo[874]
これは異常な隠蔽だ。
全くのウソを元に歴史を書く事は教訓を投げ捨てるに等しい。
ウソは教訓にはならないからな。

安倍政権は捏造と偽造とウソにまみれているように見えるが、あれは日本には普通に見られる現実ではないのか。
大川小の謎を追究しているとはっきりそう思う。

大川小では避難訓練は以前からやっていて、裏山に逃げることになっていたのだ。
だから子供たちは311の時も裏山への避難を主張した。

だがな、日本では原発事故の際にヨウ素剤を配布することになっていたが、実際には配布しなかった。
それと同じことが起きた。

それまで裏山に避難する訓練を繰り返していたのに、本当に災害が起きた時には死ぬまでこの場を離れるな、と言い放ったのである。

地震後いち早く迎えにきた親に子供を引き渡さず、追い返すことまでして子供を死地に留めておいたのである。


15. 2018年5月27日 23:55:23 : fK40MmLWNs : j0k3UG88OWY[96]
すでに結論は出てる
自分の子供は自分で守らないければならない
非常時には我が子を学校から奪い返して避難しろということだ

16. 2018年5月28日 14:00:10 : biCHvNcuge : rBhFChBf0YY[3]
和田 政宗
@wadamasamune


大川小裁判。

事前対策の不備は不問、学校側の責任は津波直前の行動に対する責任で限定的。

石巻市はそれでも控訴すると。

●子供達は裏山に逃げようと何度も先生に訴えたが先生は採用せず。

●言う事を聞かずに逃げれば助かったが、言うことを聞き亡くなった



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