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慰安婦って何?(池田信夫)・・ユダヤ的思考を排して、正論を語れる大人になりましょう!
http://www.asyura2.com/13/senkyo148/msg/104.html
投稿者 墨染 日時 2013 年 5 月 21 日 08:30:41: EVQc6rJP..8E.
 

http://blogos.com/article/62692/?axis=g:2

大阪市の橋下市長の発言で「従軍慰安婦」が、また問題になっています。お母さんに「慰安婦って何?」ときいても「小学生には関係ないの」と教えてもらえないと思うので、こっそり教えてあげましょう。

慰安婦というのは、第2次大戦の戦地にいた「売春婦」のことです。これは今は法律で禁止されているので、くわしいことは説明しませんが、要するに男性からお金をもらってセックスする女性のことです。戦地では男ばかりなので、こういう商売をする「慰安所」ができました。売春は戦前は合法的なビジネスでしたが、危険なので軍が管理していました。

当時は「従軍慰安婦」という仕事はなく、1970年代までは誰も知らない言葉でした。ところが1983年に「私が朝鮮から奴隷狩りして従軍慰安婦にした」という吉田清治という元兵士があらわれ、本まで書いたため、騒ぎが始まりました。この本はのちに吉田が「フィクションだ」と認めたのですが、これをきっかけに慰安婦の人々が日本に対する賠償を求めるようになりました。

慰安婦は給料を軍票という軍の中でしか使えないお金でもらっていたため、敗戦と同時に紙切れになってしまったのです。それを賠償しろというのが最初の訴訟だったのですが、朝日新聞がこれを吉田清治の話と混同して「日本軍が慰安婦を強制連行した」という記事を書いたため、大騒ぎになりました。

慰安婦の中には人身売買(親の借金の代わりに娘を売る)で戦地に連れて行かれた人もいますが、買ったのは民間業者で、軍がひっぱっていったわけではありません。ところが韓国政府の抗議に対して、河野洋平官房長官(河野太郎さんのお父さん)が「日本政府に責任がある」ともとれる河野談話を出したため、韓国政府が「責任があるなら賠償しろ」と要求して、いまだにもめ続けているのです。

みなさんはお母さんに「友だちとケンカしたときは、お互いにあやまって仲よくしなさい」と教わると思います。こういうマナーは友だちどうしならいいのですが、国と国の間ではそうは行きません。日本みたいに平和な国はめずらしく、世界では今もどこかで戦争が起こっています。戦争で政府があやまると「負けた」と認めたことになり、殺されても文句はいえません。

本多勝一さんによると、絶対にあやまらないのはベドウィンなどの遊牧民族で、客にまちがったお釣りをはらったときも「お前がまちがえた」といいはるそうです。彼らはよく他の民族をおそって略奪したりするので、ケンカで負けると何をされるかわからないためでしょう。

その逆に、ちょっと服をよごしただけでもすぐあやまるのは、ニューギニア高地人とエスキモーだそうです。彼らは他の民族とはなれて平和にくらしてきたので、お互いにあやまったら許してあげるようになったのでしょう。日本人もアジアの端っこの島国で、大きな戦争をしたことがほとんどなかったので、同じような習慣ができたのだと思います。

でも大人の世界では、ケンカの相手は日本人だけではないし、やさしい人ばかりでもありません。ほんとに悪いときはあやまらないといけませんが、河野洋平さんのように悪くないのにあやまると、かえってケンカがこじれることもあります。よい子のみなさんは、自分が正しいときは「正しい」と主張できる大人になってください。
 

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コメント
 
01. 中川隆 2013年5月21日 08:45:54 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6

「慰安婦問題」の確証バイアスという記事で、池田氏は以下のように書いています。

さすがにNYTは娼婦の証言だけではまずいと考えて歴史家に話を聞くのだが、それがいつも吉見義明氏だけだ。彼の『従軍慰安婦』(岩波新書)は1995年に出た本で、そのデータはすべて朝日新聞の取材を受けて彼が調べ始めたものだ。つまり最初から確証バイアスが入っているのだが、それでも事実はごまかせない。彼は1997年の「朝まで生テレビ」で「日本の植民地(朝鮮、台湾)については、強制連行を示す資料はない」と明言した。

これで歴史学的には結論が出たのだが、この発言に対する非難が殺到したためか、彼は広義の強制連行はあると話をすり替えた。橋下徹氏に対して吉見氏が出した抗議声明が、事実を率直に示している。

日本・朝鮮・台湾から女性たちを、略取・誘拐・人身売買により海外に連れて行くことは、当時においても犯罪でした。誘拐や人身売買も強制連行である、と私は述べています。実際に誘拐や人身売買を行った者が業者であったとしても、軍・官憲がこれら業者を選定して女性たちを集めさせたのであり、また、誘拐や人身売買であることが判明しても、軍は業者を逮捕せず、女性たちを解放しなかったから、軍には重い責任がある、と私は述べています。

つまり吉見氏のいう「強制連行」とは、民間業者の「誘拐や人身売買」のことなのだ。

従軍慰安婦 (岩波新書) [新書]吉見 義明 (著)

「日本や韓国の若者たちに,日本が過去にやったことを知ってほしい」――日本政府の謝罪と補償を求めて提訴した韓国人元従軍慰安婦の一人はこう語った.軍 慰安所はいつ,どこにつくられたのか.設置目的は何か.また,慰安婦たちの状況はどうだったのか.関係文書を丹念に収集・分析し,ヒアリングをあわせて全体像を描き出す。

 ところが、文中に引用のある吉見義明氏の「抗議声明」をクリックすると、池田氏が引用した文章の直前に

私は、1991年末から日本軍「慰安婦」問題の研究をはじめ、これまでに、『従軍慰安婦』(岩波書店・1995年)、『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』(共著・大月書店・1997年)、『ここまでわかった! 日本軍「慰安婦」制度』(共著・かもがわ出版・2007年)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店・2010年)などで、日本軍「慰安婦」制度は軍が作り、維持し、拡大していった性奴隷制度であり、被害者の女性たちは強制連行され、強制使役された、と述べています。発言される前にこれらの著作を見ていれば、上記の発言が誤りであることはすぐに分かったはずです。

あなたは、軍・官憲が暴行・脅迫を用いて連行する場合(軍・官憲による略取の場合)以外は強制連行ではないとし、そのような連行はなかったと言っていますが、中国・東南アジアでは、このような連行は数多く確認されている、と私は述べています。たとえば、インドネシアで起きたスマラン事件をあなたは否認するのでしょうか。

とあるのです。吉見教授ははっきりと軍・官憲による「連行は数多く確認されている」と断言した上で、その例としてスマラン事件を上げているのです。

 そのスマラン事件とは、1944年日本軍占領中のインドネシア、ジャワ島で日本軍若手将校により抑留所にいたオランダ人女性に対して行われた強制売春・強姦事件です。日本軍の担当将校と警察・業者は、ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から18才から28才の合計36人のオランダ人女性を強制的に集め、スマランの4つの慰安所(将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘)に連行しました。

 そして、この女性たちは毎日何度も日本軍兵士により強姦されたのです。

 この事件については日本の敗戦後の1948年、バタビアでの臨時軍法会議で、日本軍などの責任者はBC級戦犯として11人が強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦の罪名で有罪となり、決着がついています。

 私は池田氏が原発問題などで偽造や問題のすり替えをしているのを読むたびに、いつもなぜすぐにばれるような嘘をつくのか不思議なのですが、たぶん、彼は読者をなめきっていて、引用してもクリックして元の文章を読むような人はいないと思っているのでしょう。もしくは、自分のブログに書かれた都合の悪いコメントは削除し、ツイッターはブロックし、今回のようなBLOGOS転載記事にはそもそもコメントできないようにしているので、逃げ切れると安心しているのでしょう。

池田信夫氏と珍問答 核武装論者の橋下市長は、核廃絶は無理も何も、そもそも核廃絶などする気がない

橋下市長が本当にお子さんを守りたいなら、ケンカの相手と仕方を間違っている

原発がなくても乗り切れた夏。関電の停電リスクデマを言い募った橋下徹・大前研一・池田信夫各氏の責任は?

橋下市長新ブレインの池田信夫氏に核廃棄物処理策を訊け 経産省が使用済み核燃料直接処分を初予算化要求 

日本軍「慰安婦」制度とは何か (岩波ブックレット 784) [単行本(ソフトカバー)] 吉見 義明 (著)

元日本軍「慰安婦」だった金学順さんが日本政府に謝罪と賠償を求めて名乗り出てから20年―「強制」ではなく「自由意志」だったとする声がいまだに多く聞 かれるのはなぜだろうか。「慰安婦」制度が軍によってつくられたことを、様々な史料を用いながら説明するとともに、被害者の名誉と尊厳の回復の必要性を訴える。


 そもそも、吉見教授が橋下市長に抗議した理由は

今年8月24日のいわゆる囲み取材において、あなたは日本軍「慰安婦」問題に言及し、「吉見さんという方ですか、あの方が強制連行の事実というところまでは認められないという発言があったりとか」と述べていますが、これは明白な事実誤認であり、私の人格を否定し、名誉を棄損するものです。この発言を撤回し、謝罪することを要求します。

というものでした。橋下市長による吉見氏の言論活動に対する捏造に対して吉見氏が抗議しているのに、池田氏がその抗議文をまた「修正」してしまうのですから、池田氏はもうジャーナリストとか評論家ではなく、単なるトンデモ歴史修正主義者としかいいようがありません。

 また、池田氏の

 つまり吉見氏のいう「強制連行」とは、民間業者の「誘拐や人身売買」のことなのだ。もちろんそれは人道的にはよくないが、70年たってから日本政府が謝罪すべき問題とは思えない。

というコメントにも心底呆れました。誘拐や人身売買はもちろん違法です。当時でさえ、国際法はもちろん、日本の国内法でも刑事罰を科される重罪です。単なる人道的・道義的問題ではもちろんないのです。

 当時の日本の「赤線」と言われた売春宿にいた公娼も、女性たちには職業選択の自由も居住・移転の自由もなく、性的な自己決定権もない。もし逃げようとすれば圧倒的な暴力で折檻されました。そんな状況でセックスを強要されていたのです。逃げられないし、セックスを拒否できない。彼女らはまさに「性奴隷」だったのです。

 そして、軍の付属施設として存在した慰安所の「慰安婦」は単なる公娼ではありません。彼女らは有形無形の軍・警察の管理を受けており、そもそも戦地にあるのですから女性が逃げ出す可能性はさらにゼロに近いもので、慰安所は歴史修正主義者が言うような「世界各地で見られた公娼」でさえなかったのです。

 軍自ら強制連行してきた場合だけではなく、たとえ民間業者が誘拐・人身売買で連れてきた場合でも、詐欺・脅迫で連れてきた場合でも、軍が組織として慰安所の存在を公認・協力し、専属させて利用しているのですから、この性奴隷制度に日本軍が力いっぱい加担していたわけです。日本軍は「従軍慰安婦」と言えば聞こえがいいこの性奴隷制度の共同正犯なのです。

「従軍慰安婦」は「慰安婦」ではなく、まさに「強制的な性的奴隷(enforced sex slaves)」だ

歴史の事実をどう認定しどう教えるか―検証 731部隊・南京虐殺事件・「従軍慰安婦」 [ペーパーバック]

笠原 十九司 (著), 吉見 義明 (著), 渡辺 春己 (著), 松村 高夫 (著), 高嶋 伸欣 (著)

第一線の研究者・弁護士・現場教師が近現代史論争の争点を徹底討論し、「自由主義史観」の主張を完全論破!裁判における事実認定の手法を用いて、資料と証言をもとに歴史の事実を検証!教育現場で加害の歴史をどう教えるか、また「日本人の誇り」とは何かを考える。


 歴史修正主義者はニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが日本の朝日や毎日に影響を受けているなどと言い訳するのですが、アメリカの両紙のほうが朝日や毎日よりはるかに調査能力もあり水準も高い新聞なのは明らかで、これもなめすぎです。国連の人権委員会も同様です。朝日の「誤報」で世界が動き続けるなんてこと、あり得ません。

 さて、池田氏は今回の文章の冒頭を

300万人以上の日本人が戦死した戦争の中で、戦場に数万人の娼婦がいたかどうかというのは、どう考えても些細な問題である。

と切り出すのですが、何万人もの性的奴隷を作っておきながら、被害者がどれだけいても自国の被害にしか目がいかない歴史修正主義者ならではの身勝手な言いぐさにも呆れます。被害者や植民地にされたり侵略されたものにとっては、加害者・侵略国である日本国の戦死者よりも自分たちの被害の方が大切でしょう。

 日本と言う国家が「従軍慰安婦」強制連行にかかわっていたということを恥ずかしく思う感覚はそれ自体正しいのです。しかし、恥だと感じたならば、真摯に謝罪し、償うのがあるべき加害者の姿です。恥ずべき歴史だからと言って自分たちが呑み込みやすいように修正=偽造・捏造してしまう行為は恥の上塗りであり、それ自体がさらに恥ずべき行為なのです。

 本当の「未来志向」とは、過去・現在を良いことも悪いこともあるがままに受け止め、これからのあり方を考えることです。

 過去を改変して言い訳をするような見苦しい生き方はやめにしたいものです。

参考資料

デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金内の慰安婦関連歴史資料
http://www.awf.or.jp/
http://www.awf.or.jp/6/document.html

[戦争犯罪][戦時性暴力]慰安婦・慰安所に関してオンラインで閲覧できる一次史料(追記あり)
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070304/p1



もうかなりのお年の池田氏も晩節を汚さなければいいのにと思いますが、

そもそも汚したくないような何物をもお持ちでないのかもしれません。。。。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/8a455eb3baefb5bba0cbec35666d5759


02. 2013年5月21日 08:57:12 : dEjImKHDoE
えらい!そのとーりだ。
池田信夫もたまには良いことをゆう。

03. 2013年5月21日 09:14:53 : eDSpB4Kx1M
01氏へ
それでも、法的には国家権力が行ったと断定できるものはない、のも事実。
だから慰安婦は居たが、従軍慰安婦は居なかった。
確かに彼女たちの自由は束縛されていたが、日本は当時も法治国家で、人身売買などは無かったのであり、実体はどうあれ形の上では法律に則った「契約」だったのだ。
そしてこれは朝鮮人だけに適用されたのではなく、日本人(遥かに数は多い)も同様だった。
そりゃ現在の感覚で言えばおかしいだろうが、それをもって過去を裁けるのだろうか?

04. 2013年5月21日 09:35:16 : k4VgzXDZ12
>>03

裁くとかいう問題ではなく、まず日本として従軍慰安婦の強制を認めるのか、ということでしょう。

その入り口のところで、安倍や橋下など、ウヨ勢力は屁理屈を並べて抵抗しているのだ。

賠償とかは別問題。

もし従軍慰安婦に賠償しなければならないなら、爆撃された民間人(日本も含め)にもすべて賠償されなければならない。どちらも、戦争被害であることに違いはないのだから。


05. 2013年5月21日 09:39:39 : 5OXNt64MKI
「日本みたいに平和な国はめずらしく、==========================日本人もアジアの端っこの島国で、大きな戦争をしたことがほとんどなかったので、」
嘘ばっか。大人には相手にされないので子供騙しが。
「慰安婦は居たが、従軍慰安婦は居なかった」==だって。
「自由は束縛されていたが、日本は当時も法治国家で、人身売買などは無かったのであり、実体はどうあれ形の上では法律に則った「契約」だったのだ。」=====だって苦し紛れ、言い訳がましく屁理屈にもなっていないですよ。
「そりゃ現在の感覚で言えばおかしいだろうが、それをもって過去を裁けるのだろうか?
」=もう一回読んでみな恥ずかしい

06. 中川隆 2013年5月21日 09:41:59 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
日本は当時人身売買を禁止する国際条約に入っていたから、朝鮮人の業者による親からの身請けを見つけたら処罰しなければいけなかった。

しかし、日本軍は違法行為を推奨して最大限の協力を惜しまなかった。

要するに日本軍が慰安婦強制連行を朝鮮人の業者に業務委託していたという事だ。


07. 2013年5月21日 09:55:17 : FzxL13uizY
橋下が米軍の司令官に、もっと風俗を利用したらいかがか。
と言ったそうな。
そうすれば、沖縄の女性への暴行もなくなるでしょうと。

もし、米軍の司令官がそれは良い考えだ。
部下達に伝えましょう。なとど言ったらどうなる?

それは、軍の関与になるのではないか?間違いなく司令官は更迭だろう。

橋下がいかに手前勝手なアホだということがよくわかる。
それを言えば沖縄県民が喜んでくれるとでも思ったのだろう。
すなわち私利私欲ということだ。

池田も投稿者も同じ穴の狢
いつまでたっても
日本軍が関与した証拠はない。
当時は合法だった。
連行したのは、朝鮮の女衒。
しかし、日本軍が利用したのは事実。
言えばいうほど世界中から白い目で見られる。

こやつらのことを、真の国賊といわねばならない。


08. 2013年5月21日 10:00:58 : JfFbs5hoTk

07 FzxL13uizY

こいつこそ真の国賊だ。

 捏造だろうが何だろうが、日本は悪玉でなければ気がすまない、国賊。


 


09. 2013年5月21日 10:05:19 : ICDifRZ5LQ
この投稿のような文も01もコメントのような資料も、毎月、毎月右翼雑誌には書いてある。同じような言い分をもう何百回も書いている。そればかりを書いている。
南京大虐殺はなかったとか東京裁判は間違っていたとか。

まあ100回以上もそんな話を聞けば信じる人もいる。

しかし

日本の一部の勢力以外の人はその内容を誰も認めていない。外国で認めている人はゼロに近い。先の大戦は日本だけが悪かったわけではもちろんないがこんなことを繰り返し主張することは恥の上塗りになるだけで日本に対する好感度を低下させるだけ。


10. 2013年5月21日 10:14:30 : ZAgUuRnEvk
補「陸軍慰安所は酒保の附属施設」

軍慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した
兵站付属施設であったことはを裏付けてくれる、陸軍の規程を紹介しておきたい。
それは1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」という
陸軍大臣が制定した軍の内部規則である52)。
戦時の野戦軍に設けられる酒保(物品販売所)についての規程である。
添付の改定理由書によると、日露戦争中の1904年に制定された「野戦酒保規程」が
日中戦争の開始とともに、古くなったので改正したとある。
改正案の第1条は次のとおりであった。

第一条 野戦酒保ハ戦地又ハ事変地ニ於テ軍人軍属其ノ他
特ニ従軍ヲ許サレタル者ニ必要ナル日用品飲食物等ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス
   野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得
ここに「慰安施設」とあるのに注目してほしい。改正規程では、、軍人軍属のための
「慰安施設」を付属させることが可能になったのである。
改正以前の野戦酒保規程の第一条は、以下のとおり。

第一条 野戦酒保ハ戦地ニ於テ軍人軍属ニ必要ノ需用ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス

ここには「慰安施設」についての但書きはない。
第一条改正の目的が、酒保に「慰安施設」を設けることを可能にする点にあったことは
、改正規程に添付されている「野戦酒保規程改正説明書」
(経理局衣糧課作成で昭和12年9月15日の日付をもつ)で、
次のように説明されていることから明らかである。

「改正理由

野戦酒保利用者ノ範囲ヲ明瞭ナラシメ且対陣間ニ於テ慰安施設ヲ
為シ得ルコトモ認ムルヲ要スルニ依ル」

このことから、1937年12月の時点での、陸軍組織編制上の軍慰安所の法的位置づけは、
この「野戦酒保規程」第一条に定めるところの「
野戦酒保に付設された慰安施設」であったと、ほぼ断定できる。
酒保そのものは、明治時代から軍隊内務書に規定されているれっきとした軍の組織である。
野戦酒保も同様で、陸軍大臣の定めた軍制令規によって規定されている
軍の後方施設である。してみれば、当然それに付設される「慰安施設」も
軍の後方施設の一種にほかならない。もちろん、改定野戦酒保規程では
「慰安施設」とあるだけで、軍慰安所のような性欲処理施設を直接にはさしていない。
しかし、中国の占領地で軍慰安所が軍の手によって設置された時、
当事者はそれを「慰安施設」と見なしていたことが、別の史料で確認できる。

上海派遣軍参謀長飯沼守少将の陣中日記(『南京戦史資料集I』)
「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」(1937年12月11日)
「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」(1937年12月19日)

同参謀副長上村利通陸軍大佐の陣中日記(『南京戦史資料集II』)
「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」(1937年12月28日) 

これらの記述から、この時上海派遣軍に設置された「慰安施設」は
「女郎屋」であり、「南京慰安所」と呼ばれたことがわかる。
逆に言えば、上海派遣軍の飯沼参謀長は、
「女郎屋」である「南京慰安所」を軍の「慰安施設」と見なしていたことを、
上記の史料は示している。

飯沼参謀長が日記に書き留めた「慰安施設」が
改定野戦酒保規程第1条の「慰安施設」をさすものであることは、
軍隊という組織のありかたからして、まちがいのないことである。
つまり、上海派遣軍の軍慰安所は改定野戦酒保規程第1条の定めるところにしたがって
設置されたのである。


11. 2013年5月21日 10:18:15 : ZAgUuRnEvk
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』で紹介されている第101聯隊(上海派遣軍第101師団)の
一兵士の陣中日記(荻島静夫陣中日記田中常雄編『追憶の視線』下、1989年、102頁)
中の以下の記述

1月8日「夜隊長より慰安所開設の話を聞く。喜ぶ者多し」

1月13日「今日、急に酒保係を命ぜられ、酒保へ行く。
戦地軍隊は面白い所だ。女給ばかり居る酒保だからな。
未だ売る物は一品ばかりだ。○○を買う者がどっとおし寄せて午後より夜遅くまで多忙だ」(秦、p.72)
この聯隊でも、慰安所が「野戦酒保付設慰安施設」として設置されたので、
酒保係を命じられた兵士が慰安所の当番兵となり、
慰安所を「女給ばかり居る酒保」と呼んだのである。

また秦前掲書81頁には、「第110師団関係資料」を根拠に、
「慰安所、女については大隊長以上において申請許可を受けたる後、設置」
というルールがあったことが紹介されているが、
これも改定野戦酒保規程第3条の以下の規定を考慮すると、納得がいく。

第三条 野戦酒保ハ所要ニ応ジ高等司令部、聯隊、大隊、病院及編制定員五百名以上ノ部隊ニ之ヲ設置ス
 前項以外ノ部隊ニ在リテハ最寄部隊ノ野戦酒保ヨリ酒保品ノ供給ヲ受クルヲ本則トス 但シ必要アルトキハ所管長官ノ認可ヲ受ケ当該部隊ニ野戦酒保ヲ設置スルコトヲ得
(略)
野戦酒保ハ之ヲ設置シタル部隊長之ヲ管理ス(略)

この規程では、大隊以上に野戦酒保を設置できる権限が与えられている。
ということは、大隊長以上には野戦酒保の付設慰安施設についても
その設置権限があるということを意味する。
また、大隊よりも小さな部隊がどうしても野戦酒保(及び慰安所)を必要とするときは、
所管長官(軍司令官、師団長、兵站監、及び之に準ずる兵団の長)に申請して
その認可を得なければいけないとあるので、
この規定から(慰安所は)「大隊長以上において申請許可を受けたる後、
設置」ということになったのだと思われる。
さらに「野戦酒保ハ之ヲ設置シタル部隊長之ヲ管理ス」とあることから、
酒保付設慰安施設である軍慰安所についても、酒保と同様に、
その管理者は設置者である当該部隊の長であったと結論できる。

他にも野戦酒保規程第6条には次のような条文がある。

第六条 野戦酒保ノ経営ハ自弁ニ依ルモノトス但シ已ム得ザル場合(一部ノ飲食物等ノ販売ヲ除ク)ハ所管長官ノ認可ヲ受ケ請負ニ依ルコトヲ得

平時ノ衛戍地ヨリ伴行スル酒保請負人ハ軍属トシテ取扱ヒ一定ノ服装ヲ為サシムルモノトス但シ其ノ人員ハ歩兵、野砲兵及山砲兵聯隊ニ在リテハ三名以内、其ノ他ノ部隊ニ在リテハ二名以内トス

この規定から、直営でない軍慰安所において慰安所を経営していた
売春業者は軍の「請負商人」であったこと、また当該部隊の長の判断により、
それらの請負業者を軍属にすることができたこともわかる。
ただし、この改定野戦酒保規程では軍属にできる請負商人には
定員の枠が設定されているので、実際にどれほどの業者が軍属になったのかは
また別問題である。さらに第13条には「軍属タル酒保請負人ニハ必要ニ応ジ
糧食ヲ官給シ又被服ノ一部ヲ貸与スルコトヲ得」とあり、
この条項の運用次第では、慰安所の業者が軍から貸与された制服を着用することになっても
別に不思議ではない。彼らが直接朝鮮や台湾で女性を集めたとすると、
制服を着用しているので、軍人と見なされる可能性は高い。

以上まとめると、日中戦争期につくられた陸軍の慰安所は、軍の兵站施設である野戦酒保の付属慰安施設であったのであり、その経営を受託された慰安所業者は軍の請負商人であり、可能であれば、軍属の身分を与えられ、制服の着用が許されたのだと考えられる。


12. 2013年5月21日 10:23:21 : ZAgUuRnEvk
『初級作戦給養百題』これは、
陸軍の経理学校の教官が経理将校の教育のために執筆した演習教材集である。
昭和16年すなわち1941年に刊行されたものと推測される。

この書物の第一章総説には、師団規模の部隊が作戦する際に、
経理将校が担当しなければいけない作戦給養業務(「作戦経理勤務」)の内容が
一五項目にわたって列挙されているが、その一五番目「其他」の項には、
以下の小目が含まれる(強調は永井、以下同じ)。

 1 酒保ノ開設
 2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演芸会ノ開催
 3 恤兵品ノ補給及分配
 4 商人ノ監視                          (p.14)
このことから、1941年の時点で、「慰安所ノ設置」は、「酒保ノ開設」と並んで
経理将校が行わなければいけない「作戦給養業務」のひとつであったことがわかる。
これもまた、私が本文で指摘した、
「軍慰安所とは、将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設」
との主張を裏付けてくれる、軍の内部資料の一つであるわけである。

さらに、この『初級作戦給養百題』には、以下のような状況のもとで、
師団経理部の一員として、「次期作戦準備ノ為ノ経理勤務要領」の「
考案ヲ附記スヘシ」という問題が収録されている(p.367)。

 一、十月中旬師団ハ概ネ初期ノ目的ヲ達シM平地ヲ領有ス
 二、茲ニ於テ師団ハ一部ヲ以テABCDニ位置セシメ主力ヲ以テM市及其周辺ニ駐止シ次期作戦ヲ準備セントス
つまり、この問題は、師団規模の部隊が戦闘を終え、
所定の場所を占領したまま駐屯体制に入り、次の作戦に向けて準備をする場合に、
師団経理部がとるべき措置を起案せよと、問うているのである。
この演習問題に対しては、総説に示された「経理勤務要領」に基づく
模範解答が掲載されているが、それには以下のような措置が含まれているのである。

 十一 其他
 1 酒保ノ開設
 2 出入商人ノ監視
 3 慰安所ノ設置
 4 恤兵品ノ補給及分配                  (p.371)
1937年9月に野戦酒保の附属慰安施設として陸軍の編成のうちに姿をあらわした
軍慰安所は、その4年後の1941年には、給養を担当する経理将校のマニュアル中に、
師団規模の部隊が占領地で駐屯体制に入った場合には、
必ず設置しなければいけない施設として、
酒保と肩をならべて記されるまでの存在となっていたのである。


13. 2013年5月21日 10:24:08 : FzxL13uizY
>>08
君たちの言い分を仮に認めたとしても、こうなる
というコメントをしたつもりなんだがねぇ。

文も読めないアホということなんだね。

もっとも昔からアホだから国賊になったんだろうけどね。


14. 2013年5月21日 10:25:39 : ZAgUuRnEvk
戦後フジサンケイグループの総帥となる鹿内信隆だが、
一九三八年に札幌の歩兵第二五聯隊に入営した鹿内は、
幹部候補生の試験に合格し、予備の経理将校になるため、
陸軍経理学校に入校した。
さらに陸軍会計監督官となる教育を受け一九四一年に卒業した。

鹿内は、元日経連会長櫻田武との対談の中で、
その経理学校で「慰安所の開設」について次のような教育を受けたという。

鹿内 (略)それから、これなんかも軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、
戦地へ行きますとピー屋が…。
 櫻田 そう、慰安所の開設。
 鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、
それにどこの女がいいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの、
持ち時間 が、将校は何分、下士官は何分……といったことまで
決めなければいけない(笑) 。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」
というんで、これも経理学校で教わった。
(櫻田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』上巻(サンケイ出版、一九八三年)四〇〜四一頁。)

もちろん「ピー屋設置要綱」は隠語であって、正しくは「慰安所設置要綱」であったにちがいない。

鹿内の証言は、一九四一年には陸軍経理学校で経理将校およびその候補生に対して慰安所設置業務についての教育が行なわれ、そのためのマニュアルができていたことを明らかにしてくれている。

と同時に、当時の日本陸軍では慰安所といえば、もっぱら将兵向けの性欲処理施設を指していたことをも示している。慰安所が軍の後方施設であったことを如実に物語る証言といえよう。


15. 2013年5月21日 10:29:44 : ZAgUuRnEvk
華南南寧憲兵隊の元憲兵曹長の回想によれば、
一九四〇年夏、中国華南の南寧を占領した直後に、
その兵士は、陸軍慰安所北江郷という名の軍慰安所を毎日巡察していたという。
その慰安所の経営者は、十数人の若い朝鮮人慰安婦を抱えていたが、
地主の息子で小作人の娘たちを連れてやって来たとのことであった。
朝鮮を出るときは、契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、
若い女の子に売春を強いることに経営者の朝鮮人も
深く責任を感じているようだったという。

この慰安所の経営者が女性を騙したのか、それとも経営者自身が他の誰かに騙されたのか、
この証言だけでは曖昧だが、連れてこられた女性は明らかに就労詐欺の被害者である。
内務省警保局長通牒の趣旨からすればあってはならないことがらである。

一九三二年の上海事変の際には「設置計画中の海軍指定慰安所で働かせるため、
長崎地方の女性一五名を事情を隠し、女給・女中を雇うかのように騙して
長崎から乗船させ(誘拐)、上海に上陸させた(移送)」事件がおこり、
被疑者は起訴されたが、長崎控訴院は刑法旧第二二六条第一項の国外誘拐罪と
同条第二項国外移送罪が成立するものとして有罪を宣告し、
大審院もこれを支持した(大審院判決が出されたのは一九三七年三月)
(戸塚悦郎「確認された日本軍性奴隷募集の犯罪性」、『法学セミナー』一九九七年一〇月号)。

この判例からすれば、南寧の陸軍慰安所の女性も国外誘拐罪、
国外移送罪の被害者にまちがいないが、その被害事実がわかっておりながら、
慰安所の取り締まりを担当していたこの憲兵曹長は、女性を帰国させずにそのまま放置し、
何らの救済措置もとっていない。また、騙した犯人の追及も行なっていない。
この憲兵曹長は、慰安所の経営者および慰安婦に同情を寄せていたことから、
自身もそこで行なわれていることがよいことではないのを承知していたと思われる。
良心的な兵士だったと思われるが、犯罪行為の摘発という憲兵として当然なすべきことを行なわず、
しかもそのことに対してとくに後ろめたい気持ちを抱くこともしていない。
これはこの憲兵が悪徳憲兵だったからではなくて、
軍慰安所が軍にとって不可欠な施設であるために、
たとえ違法な方法で慰安婦の募集が行なわれていたとしても、
軍事上の必要のためにはやむをえないと考える姿勢、言いかえれば
「見て見ぬふりをする」体制がすでに陸軍内にできあがっていたからだと思われる。


16. 2013年5月21日 10:32:26 : ZAgUuRnEvk
山東の済南に駐屯していた第五九師団の元伍長の証言である。
一九四一年のある日、国防婦人会の「大陸慰問団」という
日本人女性二〇〇人がやってきた。彼女たちは
部隊の炊事の手伝いなどをするつもりだったのが、
皇軍相手の売春婦にさせられてしまった。将校クラブにも、
九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら
慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。この例も、話が事実なら、
同様に国外誘拐罪、国外移送罪の被害者である。
内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、
こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、
事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。
女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、
いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。
軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、
組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。
一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が
軍の後方組織として認知されたことにより、
事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。
それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。

17. 2013年5月21日 10:36:04 : ZAgUuRnEvk
1938年11月の第21軍向け慰安婦の「調達」と移送については、次のふたつの警察資料が有名である。
1.内務省警保局警務課長「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件伺」(1938年11月4日付)
2.内務省警保局長発大阪・京都・兵庫・福岡・山口各府県知事宛「南支方面渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」
(1938年11月8日付)(『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第1巻)

この文書によると、同年11月4日に第二一軍参謀の久門有文陸軍少佐と
陸軍省徴募課長の小松光彦陸軍大佐とが警保局を訪問し、「
南支派遣軍の慰安所設置の為必要に付、醜業を目的とする婦女四百名(はじめ「千名」とあり、のち抹消)
を渡航せしむる様(はじめ「蔭に送付方」とあり、のち抹消)
配意ありたし」との申し出を行なった。

久門少佐が警保局長に出した名刺が残されているが、
その裏面には「娘子軍約五百名広東ニ御派遣方御斡旋願上候」と記されている。
第二一軍と陸軍省は警察の元締めである警保局長に
慰安所で働く女性の募集と渡航について斡旋を依頼したのである。

ここで留意すべきは、この行動が、第二一軍が例の「副官通牒」の指示に
忠実であったことを示している点である。
「副官通牒」が求める「将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ(中略)
其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ
軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度」にしたがって、
第二一軍は久門少佐を警保局に派遣したのである。
斡旋依頼を受けた警保局は、大阪、京都、兵庫、福岡、山口の各府県に対して、
女性を集めて中国に送るよう極秘の指令を発したのであった。

さらに補足しておくと、第二一軍軍医部長であった松村桓軍医少将は
一九三九年四月一五日に陸軍省医務局で
「性病予防のために兵一〇〇人につき一名の割合で慰安隊を輸入す。
一四〇〇-一六〇〇名」と報告している
(波多野澄雄「防衛庁防衛研究所所蔵《衛生・医事》関係資料の調査概要」前掲『「慰安婦」問題調査報告・一九九九』三五頁)第二一軍は少なくとも一四〇〇名名の慰安婦を抱えていたのであった。


18. 2013年5月21日 10:41:11 : ZAgUuRnEvk
前記史料5の和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」(1938年2月7日付)
なる文書中に、長崎県外事警察課長から和歌山県刑事課長宛の1938年1月20日付回答文書の写しが
参考資料として添付されている。さらに、この長崎県からの回答文書中には、
在上海日本総領事館警察署長(田島周平)より長崎県水上警察署長(角川茂)に
宛てた依頼状(1937年12月21日付)の写しも収録されている。

この上海総領事館警察署の依頼状は、陸軍慰安所の設置に在上海の軍と
領事館が深く関与したことを示す公文書にほかならない。
以下に引用するのはその全文である。

 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件

 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス

(中略)

昭和十二年十二月二十一日

                在上海日本総領事館警察署13)
冒頭に、「之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中ノ処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果
施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ」
とあるように、この文書から、1937年の12月中旬に上海の総領事館(総領事は岡本季正)と
陸軍武官室と憲兵隊の三者間で協議がおこなわれ、その結果、
前線に陸軍慰安所を設置することが決定されたこと、
さらにその運用に関して三者間に任務分担の協定が結ばれたことが判明する。

ここで言及されている陸軍武官室とは、正式には在中華民国大使館付陸軍武官と
そのスタッフを意味する。その長は原田熊吉少将であり、1938年2月には中支特務部と改称された。
軍事面での渉外事項や特殊な政治工作を担当する陸軍の出先機関であり、
上海戦がはじまってからは、上海派遣軍や中支那方面軍の隷下にある
陸軍特務機関として第三国の出先機関や軍部との交渉、親日派中国人に対する政治工作、
さらに上海で活動する日本の政府機関や民間団体との交渉・調整窓口の役割をはたした。

軍慰安所の設置が軍の指示、命令によるものであったことは、
今までの慰安所研究により明らかにされており、今では史実として広く受け入れられている。
その意味では、定説の再確認にとどまるのだが、この在上海総領事館警察署の依頼状は、
慰安所の設置を命じた軍の指令文書そのものではないとしても、
政府機関と軍すなわち在上海陸軍武官室、総領事館、憲兵隊によって慰安所の設置と
その運営法が決定されたことを直接的に示す公文書として他に先例がなく、その点で重要な意義を有する。

もっともこの文書の記述にもかかわらず、陸軍慰安所開設の決定は、
陸軍武官室や憲兵隊、領事館の権限だけでできるものではない。
軍組織のありかたからすれば、陸軍武官室と憲兵隊の双方に対して指揮権を有するより上級の単位、
この場合は中支那方面軍司令部において、まず設置の決定がなされ、
それを受けてこの三者間で慰安所運用のための細目が協議・決定されたのだと解すべきであろう。


19. 2013年5月21日 10:45:17 : ZAgUuRnEvk
依頼状に記された任務分担協定は、陸軍慰安所に対する風俗警察権が領事館警察ではなくて、
軍事警察=憲兵隊に属していたことを示している。
協定の定めるところによれば、領事館警察は中国に渡ってきた慰安所営業主と
女性のたんなる受け入れ窓口にすぎず、手続きが終われば、その身柄は軍に引き渡され、
その取締権も領事館警察から憲兵隊に移される。
移管とともに彼らは領事館警察の風俗警察権の圏外に置かれるのであり、
管轄警察権の所在において陸軍慰安所は通常一般の公娼施設とは性格を異にする。
これは慰安所が軍の兵站付属施設であることを意味するのだが、
陸軍慰安所を一般の公娼施設と同様とみなす議論は、
この点を無視ないし軽視していると言わざるをえない。

通常一般の公娼施設は、それを利用する軍人・軍属の取締のために憲兵が立入ることはあっても、
業者や娼妓に対する風俗警察権は内務省警察・植民地警察・外務省警察などの文民警察に属し、
軍事警察すなわち憲兵の関知するところではない。
ところが、陸軍慰安所の従業員は軍籍を有さぬ民間人でありながら、
その場所で働いているかぎりは憲兵の管轄とされるのである。
これは慰安所が酒保などと同様、前線近くに置かれた軍の兵站付属施設であり、
軍人・軍属専用の性欲処理施設だったことに由来する23)。。

さて、依頼状に「之等ノモノニ対シテハ
当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ル」とあるように、
軍と総領事館から依頼された業者は在上海総領事館の発行する身分証明書を所持して、
日本内地及び朝鮮にわたり、慰安所で働く女性の募集活動に従事したのであった


20. 2013年5月21日 10:52:40 : ZAgUuRnEvk
軍と総領事館の依頼を受けて、日本国内および朝鮮に赴いた募集業者が
どのような活動をおこなったのかを警察の報告をもとに紹介する。
最初にあげるのは、和歌山県でおこった婦女誘拐容疑事件である。
内務省警保局長宛報告(前掲史料5の1938年2月7日付「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」)によれば、
事件の概要は以下のとおりであった。

1938年1月6日和歌山県田辺警察署は、管下の飲食店街を徘徊する挙動不審の男性3名に、
婦女誘拐の容疑ありとして任意同行を求めた。3人のうち2人は大阪市の貸席業者で、
もう1人は地元海南の紹介業者であった。

彼等は、自分たちは「疑ハシキモノニ非ス、軍部ノ命令ニテ
上海皇軍慰安所ニ送ル酌婦募集ニ来タリタルモノニシテ、三千名ノ要求ニ対シ、
七十名ハ昭和十三年一月三日陸軍御用船ニテ長崎港ヨリ憲兵護衛ノ上送致済ミナリ」
ととなえ、とある料理店の酌婦に上海行きを勧めた。
3人が「無智ナル婦女子ニ対シ金儲ケ良キ点、軍隊ノミヲ相手ニ慰問シ、
食料ハ軍ヨリ支給スル等」と、常識では考えられないことを言い立てて勧誘している
との情報をつかんだ田辺警察署は、婦女誘拐の疑い濃厚であると判断し、
3人の身柄を拘束した25)。

取調にたいして、大阪の貸席業主金澤は、次のように供述した。

1937年秋、大阪市の会社重役小西、貸席業藤村、神戸市の貸席業中野の3人が、
陸軍御用商人で氏名不詳の人物と共に上京、徳久少佐なる人物の仲介で
荒木貞夫陸軍大将と右翼の大物頭山満に会い、年内に内地から上海に
3000人の娼婦を送ることに決まったとの話を、2人の貸席業主(金澤と佐賀)が藤村から聞き込んだ。
そこで、渡航娼婦を募集するために和歌山に来訪し、地元紹介業者の協力を得て、
募集活動にあたっているところである。すでに藤村と小西は女性70名を上海に送り、
その際大阪九条警察署と長崎県外事課から便宜供与をうけた、と。

また、同じ供述によると、慰安所酌婦の契約条件は「上海ニ於テハ情交金将校五円、
下士二円ニテ、二年後軍引揚ト共ニ引揚クルモノニシテ前借金ハ八百円迄ヲ出」すというもので、
すでに前借金470円、362円を支払って2人の女性(26歳と28歳)と上海行きを決めたという。

不審に思った田辺警察署はことの真偽を確かめるために、
長崎県警察外事課と大阪九条警察署に照会をおこなった。
長崎からは、照会のあった酌婦渡航の件は、上海総領事館警察の依頼によるもので、
長崎県警としては、総領事館指定の必要書類を所持し、
合法的雇用契約と認められるものについては、
すべて上海行きを許可しているとの回答が寄せられた26)。
この時点では、1937年8月の外務次官通達がまだ有効だったから、
軍及び総領事館から前もっての依頼がなければ、
長崎県水上警察署が女性の渡航を許可したかどうかは大いに疑問である。
逆に言えば、この第1回の渡航を認めた時点で、
長崎県警察は慰安所要員の渡航は「業務上正当ナル目的」を有するものと
認定したことになる。もちろんその根拠は、慰安所が軍の決定によるものであり、
総領事館から慰安婦の募集と渡航につき便宜をはかって欲しいとの要請が前もってなされていたことによる。

また、大阪九条署からは、内務本省からも渡航を認めるよう、
内々の指示があったことを思わせる回答が田辺署に与えられた。
その概略は以下のようなものであった。

上海派遣軍慰安所の従業酌婦の募集については、
内務省より非公式に大阪府警察部長(荒木義夫)へ依頼があったので、
大阪府としても相当の便宜をはかり、既に1月3日に第1回分を渡航させた
田辺署で取調中の貸席業者はいずれも九条署管内の居住者で、身元不正な者ではない。
そのことは九条警察署長(山崎石雄)が証明するので、
しかるべき取計らいをお願いする、と27)。

この九条警察署の回答書から、1月3日に長崎から上海に70名の女性が送られた
との金澤の供述が根も葉もない嘘ではないことがわかる。
その一部は大阪で集められたようであり、警察は内務省の非公式な指導のもとに
慰安婦の渡航に便宜をはかったのであった。


21. 2013年5月21日 10:55:15 : ZAgUuRnEvk
以上をまとめると、次のようになる。
上海で陸軍が慰安所の設置を計画し、総領事館とも協議の上、
そこで働く女性の調達のため業者を日本内地、朝鮮に派遣した。
その中の1人身許不詳の人物徳久と神戸の貸席業者中野は、
上海総領事館警察署発行の身分証明書を持参して日本に戻り、
知り合いの売春業者や周旋業者に、軍は3000人の娼婦を集める計画であると伝え、
手配を依頼した。さらに警察に慰安婦の募集および
渡航に便宜供与をはかってくれるよう申入れ、
その際なんらかの手ずるを使って内務省高官の諒解を得るのに成功し、
内務省から大阪、兵庫の両警察に対して彼らの活動に便宜を供与すべし
との内々の指示を出させたのであった。

大阪府、兵庫県両警察部は、売春させることを目的とした
募集活動および渡航申請であることを知りつつ、
しかも営業許可をもたない業者による周旋・仲介行為である点には目をつむり、
集められた女性の渡航を許可した。
この時上海に送られた女性の人数は正確にはわからないが、
関西方面では最低500人を集める計画であり、1938年1月初めの時点で大阪から70人、
神戸からは220人ほどが送られたと推測できる。

最後に、長崎県及び大阪九条署からの回答を受けた田辺警察署が
どのような処置をとったのかを述べておこう。
同署は、「皇軍慰安所」の話の真偽はいまなお不明であるが、
容疑者の身元も判明し、九条警察署が「酌婦公募証明」を出したので、
容疑者の逃走、証拠隠滅のおそれはないと認めて、
1月10日に3人の身柄を釈放したのであった


22. 2013年5月21日 10:56:58 : CaqW7AB4xQ
>>01. 中川隆 2013年5月21日 08:45:54 : 3bF/xW6Ehzs4I : W18zBTaIM6
> 過去を改変して言い訳をするような見苦しい生き方はやめにしたいものです。

その通り。
橋下氏と24日に面会予定の吉元玉さんは、日本の植民地だった朝鮮で生まれ、11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手をさせられたという[1]。
11歳と言えば小学校4年生である。11歳の小学生を日本軍が強制連行したとは到底思えない。

他方、2013年5月20日の沖縄タイムズには、「金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された」と書いてある[2]。
11歳と14歳はかなり異なるが、何故、客観的な数字である年齢が報道によって異なるのか、理解しがたい。
客観的な年齢さえ異なるのに、[元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」と言われても誰も信用しない。

韓国政府は「従軍慰安婦」と言えば聞こえがいいが、この虚偽の性奴隷制度でっち上げの共同正犯なのです。
過去を改変して謝罪や賠償を要求するような見苦しい生き方はやめにして欲しいものです。

[1] <元慰安婦>橋下氏と面会予定の吉さん、「暴言」と批判(毎日新聞) 
http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/832.html
吉さんは日本の植民地だった朝鮮で生まれ、11歳だった1940年から旧日本軍の慰安所で兵士の相手をさせられたという。

[2] 沖縄タイムス社説 [元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」
http://www.asyura2.com/13/senkyo147/msg/886.html
投稿者 けたぐれ后王 日時 2013 年 5 月 20 日 11:35:17: UvPT7J.Q47XFw
金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。


23. 2013年5月21日 11:03:12 : ZAgUuRnEvk
『戦旅の手帳』 伊藤桂一著 1986 直木賞作家 
『落日の戦場』『静かなノモンハン』などの作品あり 
 
敗戦によって軍票が無価値になったため、只奉公をした事になる。
戦争の最大の被害者は戦場慰安婦であり、かつ彼女達の功績も黙殺できない、
従って慰 安婦の忠魂碑も建てるべきだ、と書いたことがある。 
 
騙すのは、看護婦にする、と言うのと、食堂の給仕する、というのと、
つまり肉体供与を条件とせず連れて行って、
現場についたら因果を含めた ものである。逃げる方法はない。 
 
蕪湖で、私は有利な有利なポストにいた関係上、
なんとなしに朝鮮人慰安婦たちの相談役みたいな仕事?をしていて、・・・・・
20人ほどい る女の中で気質の悪いのはいなかった。

24. 2013年5月21日 11:06:51 : ZAgUuRnEvk
慰安婦が出てくる戦記、日誌、日記本

1931年、満州事変において中国東北部を侵略して行った関東軍は、
翌年には上海に戦闘を拡大し、この上海の地で初めて、
軍慰安所を設置した。やがて軍慰安婦は、
軍のいるあらゆる場所に見られるようになった。
1937年、日本は中国に対する全面的な侵略を開始した。
派遣された兵力80万人。そして占領した各地に軍慰安所を設置する。
さらに 1941年から始まった太平洋戦争において初期に占領した
各所にも軍慰安所を設置した。こうして膨大な数の慰安所が造られ、
さらに膨大な軍慰 安婦達がいたのである。 
 
慰安婦について書いている戦記もの、日誌、日記、文学は
ゆうに100を超える。以下列挙する通りである。 
 
フィリピン  
『悲劇の将軍』『戦記バタアン半島』『落日のマニラ』『最前線爆雷製造部隊』『ルソン戦とフィリピン人』『比島軍医戦記』 『山中放浪』『虜人日記』『ミンダナオ島敗戦記』『敗兵』『回想のフィリピン戦線』 ・・・以下多数 
 
ミャンマー  
『ビルマ日記』『戦場と記者』『外科医戦場物語』『軍政』『ビルマの地獄戦』『最悪の戦場に奇跡は無かった』 『一下士官のビルマ戦記』『インパールの十字架』『狂風インパール最前線』・・・以下多数 
 
ボルネオ、スマトラ、ジャワなど  
『ある陸軍予備士官の手記』『海軍報道戦記』『セレベス戦記』『ぼくの大東亜戦争』『消灯ラッパと兵隊』『泣き虫軍医物語』『南海の青春』 『証言・太平洋戦争』・・・以下多数 
 
ニューブリテン、トラック、パラオなど  
『告白』『ガダルカナル』『ラバウルの落日』『自決命令』『玉砕戦の孤島に大義はなかった』『ブーゲンビル戦記』『南の空に下駄はいて』・・・以下多数 
 
中国  
『関東軍軍隊日記』『兵隊達の陸軍史』『どろんこの兵』『戦場と記者』『私の中国戦記』『憲兵余録』『ある日、赤紙がきて』『日本軍と 戦った日本兵』『ある将校の敗戦日記』『悪兵』・・以下多数 
 
その他のアジア各国  
『軍政』『戦場の狗』『敵・戦友・人間』『シンガポール収容所』『戦争の横顔』『南海のあけぼの』『インパールの十字架』『戦魂』 『戦中派の遺言』『ラサ島守備隊記』・・・以下多数 
 


25. 2013年5月21日 11:13:45 : ZAgUuRnEvk
柴岡浩元憲兵軍曹(北満州チャムス憲兵隊)の証言

 一九四五年七月、チャムスの軍特殊慰安所で、
接客を拒否して業者になぐられていた美貌の朝鮮人女性(金城梅子)から
次のような身の上話を聞き、業者に接客を禁じると申し渡した。
「私の父は北朝鮮・清津の資産家で町の有力者でした。
ある時、大の親日家の父から関東軍が軍属のような立場で
歌や踊り等の慰問を募集している、男の子がいたら軍隊に志願させるところだが、
その代わりに関東軍に応募してくれないか、と言った。
私は女学校で音楽が得意だったので私にぴったりと思って応募したら、実は慰安所だった」


26. 2013年5月21日 11:16:15 : AiPQdxUf9c
だから、当時合法だったからといって、それを良しとするのかということ。じゃあ奴隷制度も良かったと、欧米諸国が言ったら世界がどう反応するかな。ドイツもユダヤ人迫害は当時合法だったから、何ら問題ありませんか。

27. 2013年5月21日 11:17:36 : ZAgUuRnEvk
総山孝雄少尉(近衛師団)のシンガポールでの体験

 一九四二年、軍司令部の後方係りが、早速住民の間に慰安婦を募集した。
すると、今まで英軍を相手にしていた女性が次々と応募し、
あっという間に予定数を越えて係員を驚かせた・・・・・
トラックで慰安所へ輸送される時にも、
行き交う日本兵に車上から華やかに手を振って愛嬌を振りまいていた。

ところが慰安所へ着いてみると、彼女らが想像もしていなかった激務が待ち受けていた。
昨年の一二月初めに仏印を発ってより、三ヵ月近くも溜りに溜った日本軍の兵士が、
一度にどっと押し寄せてきたからである。・・・(中略)・・・英軍時代には
一晩に一人ぐらいを相手にして自分も楽しんでいたらしい女性たちは、
すっかり予想が狂って悲鳴を上げてしまった。四、五人すますと、

 「もうだめです。体が続かない」

と前を押さえしゃがみ込んでしまった。
それで係りの兵が「今日はこれまで」と仕切ろうとしたら、
待っていた兵士たちが騒然と猛り立ち、殴り殺されそうな情勢になってしまった。
恐れをなした係りの兵は、止むを得ず女性の手足を寝台に縛り付け、

 「さあどうぞ」

と戸を開けたという。


28. 2013年5月21日 11:19:26 : ZAgUuRnEvk
大岡昇平『俘虜記』より

 彼(富永)はセブの山中で初めて女を知っていた。
部隊と行動を共にした従軍看護婦が兵達を慰安した。
一人の将校に独占されていた婦長が、進んでいい出したのだそうである。
 彼女達は職業的慰安婦ほどひどい条件ではないが、
一日に一人ずつ兵を相手にすることを強制された。
山中の士気の維持が口実であった。
応じなければ食糧が与えられないのである。


29. 2013年5月21日 11:20:28 : ZAgUuRnEvk
野本金一憲兵軍曹の回想

 一九四三年ビルマのアキャブ憲兵分隊の分駐所に勤務していたとき、
慰安所のない配属部隊が村長を通じてビルマ人女性の
慰安婦を募集しようと計画したことがあったが、半強制的になっては
治安対策上まずいと判断して、連隊本部へ申し入れ中止させた。


30. 2013年5月21日 11:21:24 : ZAgUuRnEvk
河東三郎(海軍軍属設営隊員)の証言

 一九四三年秋、(ニコバル島に)内地から慰安婦が四人来たというニュースが入り、
ある日、班長から慰安券と鉄カブト(サック)と消毒薬が渡され、
集団で老夫婦の経営する慰安所へ行った。
 順番を待ち入った四号室の女は美人で、二十二、三歳に見えた。
あとで聞いたが、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、
わかって彼女らは泣きわめいたという。


31. 2013年5月21日 11:23:53 : ZAgUuRnEvk
秦郁彦『昭和史の謎を追う』〔下〕(1993年、文藝春秋)334〜335頁

第41章 従軍慰安婦たちの春秋(上)

 関特演は対ソ戦の発動に備え演習の名目で在満兵力を一挙に
四十万から七十万へ増強する緊急動員だったが、
島田俊彦『関東軍』の記述や千田夏光が主務省の関東軍後方参謀原善四郎元中佐から
ヒアリングしたところでは、約二万人の慰安婦が必要と算定した原が朝鮮総督府に飛来して、
募集を依頼した(千田『従軍慰安婦』正篇)。
 結果的には娼婦をふくめ八千人しか集まらなかったが、
これだけの数を短期間に調達するのは在来方式では無理だったから、道
知事→郡守→面長(村長)というルートで割り当てを下へおろしたという。
 実際に人選する面長と派出所の巡査は、
農村社会では絶対に近い発言力を持っていたので「娘たちは一抹の不安を抱きながらも
面長や巡査が言うことであるから間違いないだろう≠ニ働く覚悟を決めて」応募した。
実状はまさに「半ば勧誘し、半ば強制」(金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』)になったと思われる。


32. 2013年5月21日 11:26:06 : ZAgUuRnEvk
アメリカ戦時情報局心理作戦班「日本人捕虜尋問報告 第49号」(1944年10月1日)

    徴集
 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、
日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における
「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。
この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、
包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、
将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、
家族の負債を返済する好機、それに、
楽な仕事と新天地ーシンガポールーにおける新生活という将来性であった。
このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、
二、三百円の前渡し金を受け取った。
 これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、
大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、
家族の借金返済に充てるために前渡しされた金額に応じて六ヵ月から一年にわたり、
彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。


33. 2013年5月21日 11:42:24 : AiPQdxUf9c
ユダヤ的思考ってなんだ?

34. 2013年5月21日 12:17:04 : MxRrqvv8aM
>33「ユダヤ的思考ってなんだ?」

マスコミは・・
典型的な「二項対立図式」思考の妄想頓馬ですね!

対抗勢力捏造と扇動のロジックを編み出したのはユダヤ人でした!
迫害から、わが身を守るために編み出した世論撹乱のためのレトリックでした!
ユダヤ商人の既得権益を守るための世論操作でした!

ユダヤインテリジェンスは、
ロシア革命・フランス革命の左翼勢力のプロバガンダとして機能し・・「進歩的」といわれる者の「仮面鵺」になって、民主主義の市民権を得た!

「世界冷戦構造」下でも、米国ユダヤ(CIA)と欧米マスコミが最大限に吹聴した・・対抗勢力封じ込めのインテリジェンスでした!

アホで頓馬な日本の左翼系知識人はそんなことも知らずに・・
今もって、箱庭的な知戯に耽っています!


35. 2013年5月21日 12:53:06 : Kse53zYp5s
韓国の強姦軍のほうが、遥かに悪質で深刻な問題なのだが、それが論点にならない不思議w

------------------------------------------------------------
ライダイハン(男來大韓):ベトナム戦争当時、韓国人男性による
             強姦で生まれた混血児を指すベトナム語。

ベトナムは古来から漢字圏であり、日本における国字と同様に、
ベトナムでもシナ文字(漢字)を元に独自の作字を行ない、これは
「チュノム」と呼ばれる。
ライ(男來)はベトナムで作り出されたチュノムで、混血の獣を意味する。
「ライダイハン(男來大韓)」は文字どおり、大韓民国の男の襲来で
強姦の結果生まれた、ベトナム人と大韓民国人の混血児を意味する。

……ライダイハン(男來大韓)というベトナム語そのものに
大韓民国の犯罪性と強姦の事実が刻みつけられている。
世界広しといえども、大韓民国の国名が刻み込まれた普通名詞は
これくらいしかないだろう。韓国にとって名誉なことだわなw
------------------------------------------------------------


36. 2013年5月21日 12:56:43 : Qj0jrBPmf2
>>01の慰安婦=sex slaveの定義によると、
兵隊=battle slaveと言わなければならないな。

ということは、慰安婦を「性奴隷」と呼んでいる新聞とかは
全部反戦新聞として兵隊を「戦闘奴隷」と呼ばなければ筋が通らないわけだ。


元投稿の言うように、従軍慰安婦と言う言葉は本当に1970年代までなかったのだろうか。
日本人というのは墨東綺譚趣味の広さを見てもわかるように、それまで取り上げられていないとは考えにくいのだが。特に勝新太郎あたりの出る映画にありそうな気がする。


37. 2013年5月21日 13:00:45 : Qj0jrBPmf2
>>33
>>34
単に朝鮮人がホロコースト説に倣ったパロディの日本ジェノサイド説を作りだし、
アメリカなどでは、日本ジェノサイド説はホロコースト説を守るための外堀として
ユダヤ新聞やユダヤ官僚が強くバックアップしている
状態を指す可能性もあると思うのだが。

38. 2013年5月21日 13:49:43 : T80PowGROg
日本人はレイプした。
外国人もレイプした。

で、先に侵攻(侵略)した方が悪いわな。
おまけに、負けたら余計悪くなるわな。

そういうことではないかな。


39. 2013年5月21日 13:59:19 : eDSpB4Kx1M
>04

だから契約だったと言っている。


40. xyzxyz 2013年5月21日 14:04:17 : hVWJEmY6Wpyl6 : JI2Seycs4s
>>26

>だから、当時合法だったからといって、それを良しとするのかということ。じゃあ奴隷制度も良かったと、欧米諸国が言ったら世界がどう反応するかな。ドイツもユダヤ人迫害は当時合法だったから、何ら問題ありませんか。

ドイツのやった民族浄化は当時としても、世界から受け入れられてなかったからアウトでしょう。
日本の、戦後ですら官製慰安婦制度をもってた韓国などと同じ制度とドイツの民族浄化は
全くの別物。


>奴隷制度も良かったと、欧米諸国が言ったら世界がどう反応するかな。


これも変。慰安婦制度があったのは当時はどこも同じだったとするだけで
良かったなんて話はないでしょう。奴隷制度にしても当時は合法的だったけど
今、それに関して賠償を大々的に求めるような被害国はないでしょう。


41. xyzxyz 2013年5月21日 14:06:40 : hVWJEmY6Wpyl6 : JI2Seycs4s
>>38
レイプした軍人は発覚したものは軍法会議によって処刑されています。

42. 2013年5月21日 14:11:22 : 6eJYETO2fI
今さら何で、池田信夫?
この人の信奉者が今もいるのが私にはわからない。

どのへんがいいの?w


43. 2013年5月21日 14:46:05 : W18zBTaIM6
>レイプした軍人は発覚したものは軍法会議によって処刑されています。


憲兵や司令官が率先してレイプしてたからなwwwwwwwwwww


44. 2013年5月21日 15:04:28 : AiPQdxUf9c
もう、世界で通用しない言い訳は止めようよ。

45. 2013年5月21日 15:06:07 : Un6heX4IUI


391: 名無しさん@13周年 2013/05/20(月) 23:03:04.11 ID:dDWBdSiJ0
戦争で逃げてきた奴らと特別永住権って何の意味あるんだ?
時代からして違うんだけど。

413: 名無しさん@13周年 2013/05/20(月) 23:07:41.19 ID:MymmNoP40
>>391
李承晩が勝手に境界線を線引き
  ↓
1952〜1962年まで
竹島付近の日本人漁民を拿捕、殺害
 抑留者数:3929人
 拿捕船舶:328隻
 死傷者数:44人
  ↓
※アメリカやイギリスは韓国の横暴を非難
※日本は敗戦で軍隊を持っていなかったため何も出来ず
※日本は国際司法裁判所に提訴したが韓国側は拒否
  ↓
韓国:捕まえた日本人漁師を人質に
「拿捕した日本人約4000人を返して欲しかったら・・・
条件1.
「日本で逮捕されている韓国朝鮮人の犯罪者472名を日本で釈放しろ!」
条件2.
「日本に住んでる韓国朝鮮人に永住許可を与えろ!」
「子々孫々まで永久に永住権を与えろ!」
条件3
 「金をよこせ」
  ↓
日本 「軍隊もないし、人命には変えられない」
・韓国朝鮮人の犯罪者472名を釈放
・韓国朝鮮人の子々孫々にまで永住許可を与えた(協定永住)

457: 名無しさん@13周年 2013/05/20(月) 23:17:03.98 ID:18XItSVx0
>>413
人質をとって要求するって強盗国家じゃないか

しかも、戦後ほとんどの韓国人は帰国して、今いる在日のほとんどは密入国した連中

日本には帰化せず、
だからと言って韓国での兵役義務を果たすわけでもない
権利ばかり主張してなんの義務も果たさないクズだよ

韓国での兵役も果たさず、だからと言って日本に帰化もせず、
日本での生活保護だけ受給する
カスだよな


そして現在も

こういう在日コリアンというゴキブリが生活保護でパソコン購入してネット回線引いて
ネトウヨネトウヨと連呼してます

なかには生活保護から交通費だして新大久保まで行って仲良くしようぜと中指立てたり、
沖縄に行って米軍出て行けとデモやったりしています


46. 2013年5月21日 15:10:42 : Kse53zYp5s
「ライダイハン(男來大韓、Lai Dai Han)」=ベトナム戦争当時、韓国人男性による強姦で生まれた混血児を指すベトナム語。

ベトナムは古来から漢字圏であり、日本における国字と同様に、ベトナムでもシナ文字(漢字)を元に独自の
作字を行ない、これは「チュノム」と呼ばれる。「ライ(男來)」はベトナムで作り出されたチュノムで、混血の獣を
意味する。「ライダイハン(男來大韓)」は文字どおり、大韓民国の男の襲来で強姦の結果生まれた、
ベトナム人と大韓民国人の混血児を意味する。

「ライダイハン(男來大韓)」というベトナム語そのものに、大韓民国の犯罪性と強姦の事実が刻みつけられて
いる。世界広しといえども、大韓民国の国名が刻み込まれた普通名詞はこれくらいしかないだろう。
韓国にとって名誉なことだろうね。(苦笑)

ところで韓国でもオリンピック以降は軍事独裁が終わって民主化が進み、そのなかでベトナムでの
組織的強姦犯罪への真相究明の機運が生まれた。そうした韓国の状況下で、良心的韓国ジャーナリズム
などが、ベトナム語「ライダイハン」を韓国風に音訳して「ライッタイハン(Raittaihan)」と呼ぶようになった。
日本ではこの韓国風の呼び名が「ライタイハン」として流通している。しかし日本人なら、ベトナムの
オリジナルの呼称「ライダイハン」を用いるべきなのである。


47. 2013年5月21日 15:53:14 : xJHdiDE4wQ
>>ZAgUuRnEvk

旧軍人がその立場を利用して、個々に進めたという事が良く分かる資料の提示、
ありがとうございます。

但し、こうだっただろうという推測で貴方の脳内で補完し、国家機関による政策と
するのは、いただけませんな。

まぁ、米国、韓国、の例で判る通り、軍政関係者は似た様な事を考え、似た様な
事を実施している実際を見れば、軍の施策や作戦令に拠らず、アチコチでおきた
ことは不思議でも何でもないのですが。


48. 大和狼 2013年5月21日 17:27:33 : 4bXKnGQAUaNEQ : aHFznFyPMc
まあ、戦争中だ。それこそいろいろあっただろう。酒保は当然あるだろう。
戦場のバーか?ホステスも居たのか?

飲む撃つ買うか。そんな時代だったんだろうね。

日本の女も多数だまされ、大陸に連れていかれた。拉致誘拐に近いようなことも
(?)。

軍の要望でもあったのか。それで騙して連れ出す業者がいた。朝鮮人、日本人か。

従軍看護婦も慰安婦も勤めた?

いろいろだろうね。当時なら。

秦郁彦氏もWikiだが、それによれば以下のように記述している。

>慰安婦に関する秦の1990年代の調査は、吉田証言を否定することで、慰安婦強制連行(吉見義明のいうところの狭義の強制)の論拠の一つを否定した。

 秦は原則として、強制連行は無かったと主張しているが、オランダ人女性を慰安婦として徴用した白馬事件や、フィリピン人女性を慰安婦として徴用した件などについては、強制連行のケースもあったとしている[6]。

 2007年3月5日、当時の首相・安倍晋三が参議院予算委員会で「狭義の意味においての強制性について言えば、これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます。」と答弁した。

 秦はこの答弁について、「現実には募集の段階から強制した例も僅かながらありますから、安倍総理の言葉は必ずしも正確な表現とはいえません。「狭義の強制は、きわめて少なかった」とでも言えば良かったのかもしれませんが、なまじ余計な知識があるから、結果的に舌足らずの表現になってしまったのかもしれません(苦笑)。」[7]と述べた。

 1999年、それまでの議論や様々な資料を広く参照し、おもに時代背景やその変化などから慰安所制度や慰安婦の実態を明らかにすることをこころみた著書「慰安婦と戦場の性」を出版した。<

慰安婦の実態は無かったなどと断言出来る世代ではないが、証言出来る女性の多くは死亡したり、語ることもなく人生を過ごしたのだろう。

この従軍慰安婦強制拉致問題についての朝日の捏造という慰安婦問題と証人だが、

この証人が先の戦争の時代の女性の悲劇を一身に背負い代表して誰に責任を取れというのか、補償金を払えなどと要求するのか。

 なぜこの人だけが補償されるのか、しかもなぜ子どもや孫に補償しろというのか
まったく理解に苦しむ。
 しかも日本政府は過去に韓国政府に賠償ずみというではないか。

 いやあ、悲しいことが多かったんだね、戦争はやったらダメだよ、とか子どもや孫に言うなら、次世代の人間に役に立つ、伝えるべきことはそのことだろう。

 対立を煽り、敵対させるおばあさんって、日韓の孫や子の憎しみを植え付けるなど、それがばあさんの善行なのか。

 だれか橋下に面会するというこのおばあさんにこの気持ちを伝えてもらいたいな。


49. 2013年5月21日 17:34:56 : FfzzRIbxkp
東電はマナーがないのね。

50. 2013年5月21日 18:03:29 : W18zBTaIM6
秦郁彦は悪名高い詐欺師で慰安婦調査のすべては捏造に近いと言われている。

朝鮮語も話せない秦郁彦が学術調査できる筈もないからな。


51. 2013年5月21日 19:23:06 : y7vW02De4s
ユダヤと言ってりゃ、陰謀論者がホイホイ付いてくると思うなよ
このカルト野郎

52. 2013年5月21日 20:26:30 : MCxrFh1dnI
〈本の紹介〉司法が認定した日本軍「慰安婦」

被害・加害事実は消せない

91年8月に日本軍性奴隷制の被害者、金学順さんが名乗り出てすでに20年を越える。この問題が戦時性暴力の事実を明らかにして被害者の正義の回復と女性の人権問題を提起し、国際社会もこの問題の法的解決を繰り返し勧告してきたが、日本では橋下妄言に見られるように、その事実すら否認する動きがいまだに顕著である。

http://chosonsinbo.com/jp/files/2013/05/DSC_9223-454x640.jpg
坪川宏子/大森典子著、かもがわ出版、600円+税、075-432-2868

この間、各国の被害者が日本政府を被告にして謝罪と賠償を求めた裁判は、全部で10件にのぼる。このブックレットはそのうち8件の裁判で認定された「背景事情と被害事実」を網羅している。つまり、日本の司法が認定した加害と被害の「事実」が明確に提示されているのだ。 筆者は「一読されれば、否定派の言説など吹き飛ばす圧倒的な力で、歴史の真実が浮かびあがってくるでしょう」と述べている。そこには、18年間、被害者・弁護士・支援者が全力を傾けて闘った裁判で獲得した「事実認定」の成果が、もっと周知されてほしいとの願いがこめられている。

多くの判決ではこうして認定した事実をもとに、当時の国際法、国内法に照らして日本軍の行為は違法であると厳しく加害の違法性を指摘している。そして、単に違法というだけでなく「ナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」であり、被害者の今も続く苦しみを認め、これを放置すれば「新たに人権侵害を引き起こす」(下関判決)とした。また、「厳しく常軌を逸した卑劣な蛮行」(山西省性暴力事件東京地裁判決)、「刑法または陸軍刑法および海軍刑法所定の強姦罪などにより処断される重大な犯罪行為であったと言うべきである」(海南島事件東京高裁判決)などと判断し、基本的には当然賠償されるべき人権侵害であったことを明確にしている。(粉)

ブックレットの内容は次の通り。はじめに/「慰安婦」裁判が残したもの/日本軍「慰安婦」の事実をめぐって/判決で事実認定された原告の被害と日本軍の加害/韓国人(遺族会・関釜・在日)裁判/オランダ人裁判/中国人(一次・二次、山西省、海南島)裁判/事実認定のまとめ/参考資料(第二次調査公表時の発表文・内閣官房長官談話など)

http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0521ib/


53. 2013年5月21日 20:27:35 : KYW2Yi7J4U
ったく、いい加減うるせえよ。イアンフなんかあろうがなかろうがどーでもいいよ。だれも関心なんかもってないしな、庶民は。
どこまでも政治の道具として「イアンフ」という記号が使われているわけだ。
もうさ、うるさいんだよ。だれひとり倫理なんかありゃしない。
サヨクは現状の政権批判に利用し、
ウヨクはひたすら弁明する。
もうこんなもの相手にするだけ不毛だろ。
生き残りのイアンフとか称するババアもろくなものじゃない。
こいつらどいつもこいつもクソだよ。

カネの問題じゃないし、あったなかったの問題でもない。
イアンフの人たちを日本に呼んでホームスティすればいいんだよ。
西村の家なんかがいいかもしれない。
そうすればほんとうのことが見えてくる。
わかりましたね。阿修羅の低脳諸君。


54. 2013年5月21日 20:31:56 : jxZFRv3P5c
過去の話はさておき、慰安婦に問題があるのなら、日本を含め世界の風俗前面禁止、実質の売春禁止(罰則を重くするなど)現在の売春行為はどうなのか、軍が関与しない、民間売春はOKですか、投稿されている皆さん現在の売春はどうなのか。昔話は聞き飽きた、なくならないだろ今も、必要とする人が男女ともいるから、需要と供給、それと金。

55. 2013年5月21日 22:36:57 : sYQGxwJagA
池田信夫の歴史回顧は正しい

しかし業者がやったから軍は知らんは言ってはならない台詞だ

これは現在日本が抱える受注不能な価格で落札した業者が
独占禁止法違反を孫請に強制し元請けの利益を確保する問題に直結する
封建的思考だろうが

政治資金規正法違反=全て秘書のせいも同じだ

日本はキリスト教国家でないから性的関係は本人同意があれば自由

しかし地位協定適用のキリスト教軍隊である米軍は性の発散的売買は禁止されている

欠陥宗派を詰っても仕方がないが相手は完璧に買ったらアウトなので

買えばいいじゃないかという提案は相手を答えることができない場所へ追い込む禁断の技だ

米軍はキリスト教の否定に対し「許さない」という反応以外示すことはできない


56. 2013年5月21日 23:24:20 : 5DTTBhCBo6
この池田さんのコメントは非常にスッキリしていて、論点も正確だ。
'慰安婦'問題は、様々な人々が各々に偏った解釈で述べているような感じが強いが、論点を絞りこみ、脱線しないようにすべき。 事実をしっかりと汲み上げ、そこから問題点を明確にする作業が必要。 感情や無知にまかせて歪曲された論争を続けるのは不毛でしかない。

57. 2013年5月21日 23:44:57 : W18zBTaIM6
池田は慰安婦と売春婦の本質的な違いがわかっていないよ。

売春婦は必ず性病を持っている。 従って軍人の相手はさせられない。

それで11才ないし13才の少女狩りをして慰安婦にした。

慰安婦が性病にかかったらすぐに殺された:

性病にかかり、50人の日本兵に病気を移した韓国人慰安婦の1人は、灼熱の鉄棒で膣を消毒された。


オ・ズンイとう女性が、梅毒にかかったことを知らせなかったため将校にうつったという理由で殺された。彼女は口に布を詰められ、焼いた鉄の棒を子宮に入れられて即死。引き抜いた棒には肉がこびりついていた


58. 2013年5月22日 01:18:15 : xYUHqhvOhg
>>45
一番大事なことが抜けてる。
” 韓国朝鮮人の犯罪者472名を釈放”
日本側は気を利かせて韓国送還を言ったんだよ。そしたら
李承晩はそれは困ると言ったらしいね。
吉田茂はマッカーサーに在日朝鮮人の犯罪が高いので全員送還を願い出てたが
本国で殺戮対象になりかねないので許可はでず。
最近ではサッカー日本代表の朝鮮系日本人が韓国代表になろうとしたが
ひどい目二遭ったみたいだな。
結局日本語を理解できる在日は大陸ジェノサイトの歴史のない平和な日本、近代で非白人で唯一西洋化に成功した日本に愛国心を持つことが得だと思うよ。
鉄が伝わり世界最強の日本刀を作り。世界最強の弓、漢字が伝わり独特のひらがなかたかなを作り表現力が格段に向上。捏造しなくてもいくらでもあるな。
それと軍人は性病を持ってない。で性病になるのは民間共用の場合に起こりえる。
貴重な輸送に配慮し貴重な物資を割き軍御用達の売春宿に性病が蔓延することは重大な契約違反だろうね。建物は工兵が作らないと出来ないからね。それが金のため街中の売春宿と同じ事では文句が出る。朝鮮国内は関東軍は共用売春宿だったね。

59. 2013年5月22日 06:38:11 : MxRrqvv8aM
>51
あなた! レッテル貼りの典型的なユダヤ脳?
逆オカルト! 二項対立思考のアジャパー脳?

60. 2013年5月22日 07:51:30 : cCz4ye6Qk7
将校の女はオンリーになって体は楽になり物資ももらえた。

櫻井よしこは自分の家族が帝国軍人だから戦地で家族のやったことを認めたくない。
だから証拠がないとかデタラメを言っている。
普通に調べれば分かるのに偏っている都合の悪い事は見ない主義だ。


61. 2013年5月22日 11:33:50 : epyoCJXJvY
日本で慰安婦が問題になったのはせっかく、お金ためて大金持ちに
なったはずが敗戦で軍票がただの紙切れになり、その腹いせ
だろう。
アメリカで慰安婦を問題化してるのは、「竹の森遠く」が
朝鮮人の悪行が教材として使われているので、これをなくしたい
封じたいという願望で慰安婦を宣伝に使っていると思う。
いずれも、いわれもないことだ。
朝鮮やアメリカはもっとひどいことをやっている。
こういうことは即座に抗議すべきことなんだが、日本にはでたらめ
の憲法があり、実質アメリカの支配下にあり、抗議すらできない。
抗議すれば、尖閣で中国軍が押し寄せてくる。
だから、早く憲法改正して独立すれば、これらの下らない「なんくせ」は
すぐ一蹴できる。
しかし、それを阻止したい朝鮮人がたくさん国内にひそんでおり、平和
憲法を守れ、護憲とか言ってくる。かれらの活動費の一部は朝鮮政府
からの資金も流れ込んでいるものと推定される。
朝鮮にとって、日本が普通の国になってはこまるからだ。中国、アメリカも
同様だ。マスゴミにも通名を使った自称日本人がたくさんいるから、
惑わされないようにすることが重要だ。


62. 2013年5月22日 20:55:51 : lfOiLOiKdQ
売春宿は、それは悲惨でしょう。
現代でも、好き好んで「風俗」に身を堕とす婦女子は、好き好んでやってる人は少数だと思いますよ。

戦前戦中の日本の売春事情、あるは世界の売春事情、戦時中の強姦略奪事情を現代の平和ボケした連中が批判断罪するのはお門違いだと思います。


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