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「美味しんぼ」論争・科学者からの反論 非科学的な“風評加害”は許せません(高田純(札幌医科大学教授・理学博士))
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/814.html
投稿者 会員番号4153番 日時 2014 年 6 月 21 日 06:48:45: 8rnauVNerwl2s
 

福島で奇形、鼻血ってホント?って疑問に思うと、政府による「美味しんぼ」弾圧だと主張する方もおられます。

何が真実なんでしょう?


Voiceから
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140617-00000002-voice-pol
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140617-00000003-voice-pol

<誤認されやすい放射線と放射能の実態を徹底解説/高田純(札幌医科大学教授・理学博士)>

◆無責任な差別表現◆

 未曾有の地震津波に襲われた被災地が復興に向けて歩むなか、『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)掲載、雁屋哲氏原作のマンガ「美味しんぼ」が福島県民をいじめています。4月28日発売号では、現地を訪れた主人公の山岡士郎が突然、鼻血を流し、井戸川克隆元双葉町長が「私も鼻血が出ます。今度の立候補をとりやめたのは疲労感が耐え難いまでになったからです。福島では、同じ症状の人が大勢いますよ」と、鼻血の原因は放射線と仄めかす驚きの発言が飛び出しています。さらに、5月12日発売号に掲載された「福島を広域に除染しても人が住めるようにするなんてできない」という福島大学・荒木田岳准教授の無責任な差別表現も見逃せません。

 急性放射線障害を引き起こす線量は、1シーベルト以上です。白血病や発がんの後障害を誘発する線量は0.2シーベルト以上です。これらは瞬時の線量であり、年単位の積算値ではありません。「美味しんぼ」で指摘されているマイクロシーベルトのマイクロはその100万分の1しかなく、急性症状も発がんなどの後障害も絶対に生じない範囲です。

 レントゲン博士がX線の発見で世界最初のノーベル物理学賞を受賞し、その2年後には、マリーおよびピエール・キュリー、アンリ・ベクレルらが放射能の発見で同賞を受賞しました。これらを背景として、低線量率放射線診断であるCT(コンピュータ断層撮影)やPET診断(陽電子放出断層撮影)が発明されて、医学・医療が大きく進歩しています。

 医学界では、放射線の安全利用に努めています。放射線防護学は100年以上の歴史があります。毎時1マイクロシーベルトの超低線量率や毎日1ミリシーベルト低線量率では、人体被害はありません。

 福島の超低線量率放射線にリスクはないにもかかわらず、マンガ「美味しんぼ」による実害が急性に発生しました。人気観光地・飯坂温泉のある旅館では、県外の学校や団体(数百名分)が宿泊をキャンセルしたと5月13日のニュース番組(福島テレビ)で報じています。「美味しんぼ」の表現を気にした保護者からの反対が理由とのことです。医科学を逸脱し、人権問題をも引き起こした小学館は風評加害者であり、出版業の道を踏み外しているといえます。

 3.11の東日本大震災で誘発された福島第一原発事故以来、国内は放射線情報で混乱しました。3年目のいま、あらためて医学物理および放射線防護学の専門家として、放射線の医科学を解説したいと思います。私は震災の翌4月以降、福島第一原発周辺を含む現地を継続的に調査してきました。併せて、現地の超低線量率の現状の真実も読者に向けてお伝えします。

 初めに、放射線とは何かを、皆さんに説明します。おそらく、100パーセントに近い読者が知らない話でしょう。

 放射線とは物質が放射するエネルギーのことで、宇宙に充満しています。その実態は、基本粒子(素粒子)の光(光子)や粒子(電子、陽子、中性子、重イオン)です。各基本粒子のエネルギーで分類すると、熱的作用しかない非電離放射線(赤外線、可視光)と、化学作用を伴う電離放射線の二種です。どちらも生命に不可欠です。

 地球にエネルギーを放射する太陽は巨大な核反応炉で、核融合が46億年も休みなく続いています。惑星のなかで、地球の軌道は生命の誕生と維持にとってちょうどよい線量率の放射エネルギーが届いています。真夏の地表面で、1平方メートル当たり1000Wです。このうち、紫外線、X線、ガンマ線などからなる電離放射線は7%の70Wです。

 太陽からのエネルギー吸収によって、地表では植物や海藻類が光合成をしています。また、動物も吸収した紫外線によって、血中コレステロールからビタミンDを合成します。つまり、生命にとって適度な線量率の太陽放射線によって地球環境は保たれているのです。これが不足すると、骨格形成不良や大腸がんのリスクを増大させます。

 人体が吸収する放射エネルギーの量を線量と呼びます。体重1kg当たり1ジュールのエネルギーを吸収したときの線量が1シーベルトです。その量の1000分の1が1ミリシーベルト、100万分の1が1マイクロシーベルト。皆さんご存じのカロリーもエネルギー単位の一つです。1カロリーは4.2ジュールに等しく、水1グラムを1℃上昇できるエネルギーのことです。つまりマイクロシーベルトとは、微々たるエネルギーだと理解できるでしょう。

 つぎに太陽からの紫外線について、人体が受ける線量率を計算しましょう。肌の露出面積を30×30平方センチメートルと仮定し、毎日30分間、日光浴をしたとします。その紫外線は皮膚近くの毛細血管を流れる血液が吸収します。血流は1分間で全身を一周しますので、紫外線効果は、すぐに全身に行き届くのです。したがって、線量率は190シーベルト/日です。この線量によって日々、体内でビタミンDが合成されています。


◆第五福竜丸の船員ですら鼻血は出なかった◆

 2002年に、私は放射線防護学の研究成果に基づき、放射線の危険度(リスク)を判断するための「線量6段階区分」を発表しました。

 6段階区分は、もっとも危険なAからまったく問題のないFまでに分かれています。AからCが危険な範囲、DからFが安全な範囲です。CとDは10倍の差があり、そのあいだは放射線の取り扱いを職業とする人たちの年間線量限度の範囲にあります(レベルD+)。職業人の線量限度は他産業のリスクと同じレベルにあると考えられています。運輸業での交通事故、医療従事者の院内感染など、どの職業にもリスクはあります。

 レベルA(線量4シーベルト以上)のリスクは死亡です。チェルノブイリ黒鉛原子炉暴走事故の運転職員、東海村臨界事故時の現場職員、広島・長崎の爆発直下の市民、中国の楼蘭地表核爆発周辺住民が、レベルAの線量を受けた事例です。短時間に嘔吐し、下痢症状を示します。

 レベルB(線量1〜3シーベルト)では必ずしも致死リスクはないのですが、顕著な急性症状が現れます。症状は、嘔吐、めまい、皮膚熱傷、脱毛、血球数変化などです。「美味しんぼ」で描かれた鼻血が垂れる症状は、レベルBの一般的な症状ではないし、死亡した東海村のウラン燃料会社職員にも鼻血を垂らす症状はありませんでした。しかも、福島第一原発の職員のなかで急性放射線症状を示した職員は一人もいません。

 昭和29(1954)年3月1日、アメリカの水爆実験海域に接近し、核の灰を浴びたマグロ漁船第五福竜丸の船員たちはレベルBに属します。彼らは、核が放射するベータ線による皮膚熱傷、脱毛、頭痛、めまいはありましたが、鼻血は出ませんでした。帰国後、売血輸血の治療が原因で23人中、17人が急性肝炎になったのです。とくに肝臓障害が重かった一人が9月に亡くなりましたが、放射線が原因で死んではいません。

 私は、マーシャル諸島のロンゲラップで暮らした島民の調査を二度、1999年と2005年に実施しましたが、島民たちに急性肝炎も鼻血の症状も見られませんでした。皮膚熱傷、脱毛、血球数減少の急性症状です。64人中、一人の少年が後年、白血病で亡くなりました。線量はレベルBでした。当時レベルBだったロンゲラップの島民でさえ鼻血がないのに、レベルD以下のいまの福島で鼻血が出ることは絶対にありえません。

 当時の放射能を比べると、ロンゲラップは福島の1000倍以上です。北海道がんセンターの西尾正道名誉院長の発言「放射性物質が付着した微粒子が鼻腔内に入って低線量でも鼻血が出る現象はあり、医学的根拠がある」(5月24日付『朝日新聞』)は、まったくありもしない妄想です。非科学的な風評加害は許せません。


◆放射線による甲状腺がんは発生しない◆

 レベルC(線量0.1〜0.9シーベルト)は無症状です。ただし、受精から15週までに瞬時にレベルCの線量を受けた妊婦の場合に、流産、奇形、精神遅滞のリスクがあるので要注意です。繰り返しますが、福島の超低線量ではこのリスクはありません。広島と長崎の被災者のなかでレベルC以上(線量0.2シーベルト以上)の生存者は、白血病、胃がん、甲状腺がん、乳がんなどの悪性腫瘍のリスクが高まりました。一方、レベルC未満のケースでは、悪性腫瘍のリスクは見られませんでした。福島県民の外部被曝はレベルDであって、レベルC以上はいません。白血病、固形がんのリスクは増加しないのです。

 小児の甲状腺影響の心配に対し、福島県は10メガヘルツのエコープローブ(超音波探触子)を使用して甲状腺検査を実施しています。しかも、確かな疫学調査とするために、ケース(福島県)&コントロール(他県)スタディが実施されています。平成24年度、福島県民13万4074人と県外(青森県、山梨県、長崎県)4365人の両者の甲状腺検査結果に統計的有意差はありませんでした。高分解能超音波エコーを用いた10万人規模の検査は世界でも珍しいものです。通常、100万人に一人の小児甲状腺がんとは、未検査の場合に見つかる甲状腺がんの確率であり、10万人規模の実検査で発見される確率ではありません。県内外の比較で、異常なしのA判定が99.3%(県内)に対して99.0%(県外)、二次検査の必要ありのB判定は0.7%(内)に対して1.0%(外)、直ちに二次検査の必要なC判定は0.001%(内)、に対して0.0%(外)でした。

 すなわちこの疫学調査の結果は、福島の子どもたちに特別な甲状腺の異常は発生していないことを示しています。県内外で、特段の差異は見つかっていません。今回の事例は、多数の検査で、普通の生活のなかで発生するごく稀な甲状腺異常が見つかった範囲です。

 加えて福島県民の甲状腺線量は35ミリシーベルト以下でした。私も、震災の翌4月に浪江町民40人、二本松市民24人、飯舘村民2人の計66人を検査した結果、最大の人でも8ミリシーベルトでした。この値は、チェルノブイリ事故周辺住民の最大線量50シーベルトの1000分の1以下しかありません。

 チェルノブイリと同じリスク係数を当てはめても、放射線由来の小児甲状腺がん年間発生リスクが1000万人に1人以下と予測されます。すなわち、放射線による甲状腺がんは福島県で発生しない、と判断できます。

 福島県の親御さん、心配無用です。


◆政府の誤推定では未来永劫、浪江町に帰れない◆

 私は先述のように、東日本大震災の翌4月8〜10日に福島県民の放射線衛生を調査しました。浪江町民から、残してきた牛たちを見てきてほしいといわれ、末の森に行きました。一人で畑の放射能測定をしていたら、遠くにいた20頭ほどの黒毛和牛たちが集まってきました。飼い主たちがいなくて淋しかったのでしょう。そのなかで下痢や脱毛など、急性放射線障害を示す牛は一頭もいませんでした。これは低線量率の証拠です。現地では、牧畜家の元浪江町議会議長の山本幸男さんに偶然出会いました。それ以来、牛たちの放射線衛生調査を継続しています。最大の悲劇は、政府による非道な殺処分です。牛3500頭、豚3万頭、ニワトリ44万羽、馬100頭が犠牲になりました。民主党政権から始まった風評加害事件はまるで中世の魔女狩りです。

 誤解されるようですが、放射能は伝染病ではありません。放射能は弱まり、消滅する法則があります。半減期が短い核種ほど強い放射線を出しますが、最初に消滅します。半減期が約8日間の放射性ヨウ素は、すでに消滅しています。大気中および体内のセシウムも3年たったいまでは大幅に減少しています。

 福島第一原発の境界敷地でも2日間の測定をしました。胸に装着する個人線量計で積算線量を確認すると、0.1ミリシーベルト。震災元年4月の2泊3日の現地調査では1日当たり0.05ミリシーベルトです。この低線量率は危険でないので、私は持参していた防護服とマスクを着用しませんでした。もちろん当日、私に鼻血はなく、脱毛もなく、いまも髪はフサフサです。

 2年目の3月に、政府が年間50ミリシーベルトを超えると断定し、帰還困難区域と指定した浪江町末の森にある山本さんの自宅で、2泊3日の調査を行ないました。すると1日の実線量は0.05ミリシーベルト、年間17ミリシーベルトだったのです。政府の調査は畑での空間線量率を測り計算しているので、3倍くらいの過大の線量評価になっています。政府の誤った線量推定では未来永劫、浪江町には帰還できません。この地は政府が放置し、まったく除染がされていないのです。放牧地と自宅周辺の除染をすれば、すぐに年間5ミリシーベルト以下に改善できます。

 5月14日、日本人初の国際宇宙ステーション船長を務めた若田光一さんが、半年ぶりに、ソユーズ宇宙船でカザフスタンの草原に帰還しました。そのときの映像をテレビで観ましたが、彼は至って元気そうでした。もちろん、鼻血は垂れていません。宇宙飛行士が、国際宇宙ステーション内で受ける線量率は1日1ミリシーベルトです。この線量率は、地表の平均値の30〜300倍です。今回の若田さんの場合は188ミリシーベルトになります。

 私の調査グループは、宇宙飛行士522人の線量と死因を調査しています。522人の宇宙飛行士とアメリカの一般人の死因を比べて、特段の違いは見つかっていません。月面着陸したアームストロング船長は2012年8月に、82歳でこの世を去りましたが、アメリカ人の平均寿命79歳よりも3年長く生きました。

 生命にとって、受けるエネルギーは総量よりも毎日の量がとくに重要です。放射線でいえば、1日当たりのエネルギー=線量・線量率(ミリシーベルト/日)です。生命活動は休みなく持続し、細胞に寿命があって再生されているからです。たとえば、白血球であれば3〜5日、小腸栄養吸収細胞が24時間です。だから、各細胞が受けたエネルギーは蓄積しません。宇宙飛行士が健康を維持している理由がここにあります。

 震災から3年たったいま、福島県民の多くは、セシウムによる線量は年間1ミリシーベルト程度か、それ以下です。これは、食品摂取による体内セシウムも含めての値です。線量率は宇宙飛行士の300分の1程度で、健康被害のリスクはまったくありません。食品流通の目的で農地や放牧地さえ除染すれば、20km圏内の産業も再建できます。

 昭和20(1945)年8月、広島は70年間、草木が生えないといわれました。しかし同年10月には、市内電車も全線再開し、人たちも少しずつ戻ってきました。翌年には市内で農作物が収穫できていますし、広島市の女性の平均寿命は日本一に輝いたこともあります(86.3歳、2005年)。当然、福島県は完全に復興できます。

 さらば迷信、こんにちは科学。

(『Voice』2014年7月号より)

■高田 純(たかだじゅん)札幌医科大学教授・理学博士
1954年、東京生まれ。弘前大学理学部物理学科卒業。広島大学大学院理学研究科博士課程中退。シカゴ大学ジェームス・フランク研究所、京都大学原子炉実験所などを経て、2004年より現職。放射線防護情報センター代表・放射線防護医療研究会代表世話人を務めるかたわら、ロシア、ウクライナ、カザフスタンなど世界の核被災地を調査し、福島の復興に注力する。著書に『福島 嘘と真実』(医療科学社)ほか多数。

 

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コメント
 
01. 2014年6月21日 07:20:40 : cUchBPexSM
こういう経験もなく無知な者は学者を名乗るな。

02. 2014年6月21日 08:03:27 : EGGL3unuFg
空間線量と電波まで読んだ。

03. 2014年6月21日 08:07:58 : 8z0JTJjQpY
【高田純】って、結論ありきって、もうすでに科学じゃないじゃん!

【会員番号4153】って、「脱原発ツブシのネトウヨ」じゃん!


04. 2014年6月21日 08:13:09 : aiMZAOJQqY
内部被ばくを無視した、御用学者の典型的な安全デマだね。

第五福竜丸の乗組員23人に鼻血が出なかったと言うが、
「実際に第五福竜丸と同時期に遠洋マグロ漁を行っていたマグロ漁師の中には
第五福竜丸被爆の半年後に脱毛、鼻血、歯が抜ける等の健康被害の報告があった]
http://www.machida2.co.jp/genpatsu/bikini.pdf

ロンゲラップで、水爆実験後50年もしてから調査しても、鼻血は出ていないのは当たり前。

広島・長崎、スリーマイル島、チェルノブイリでも、多くの人が鼻血が出たと言っている。
今回の福島でもそうだ。

いくらごまかそうとしても、真実は隠せない。

>大気中および体内のセシウムも3年たったいまでは大幅に減少しています。

減ったのは半減期の短いCs134だけ、Cs137やSr90はほとんど変わらない。
場所によっては除染しても、元に戻ったり、以前より線量が増えた場所もある。

>宇宙飛行士が、国際宇宙ステーション内で受ける線量率は1日1ミリシーベルトです。

これは外部被ばくの話。

空気中に漂う放射性粒子を吸い込み、鼻の粘膜に付着して鼻血を引き起こす。
放射性粒子が浮遊していない環境では、鼻血は生じない。当たり前の話だ。

例によってデタラメだらけだな。

そもそもこの高田純という学者は理学博士であって、医者ではない。
医者ではない者が安全だということ自体がおかしい。


05. 2014年6月21日 08:19:26 : Ke2uc0ClEo

御用学者の高田純にしてはずいぶんと真面目な話をしていると思う。01みたいな低能児には理解できんのだろうがな。



[32削除理由]:アラシ

06. 2014年6月21日 08:21:51 : Ke2uc0ClEo

朝食を食っている間に馬鹿が(02,03,04)湧いていたな。


[32削除理由]:アラシ
07. 2014年6月21日 09:06:44 : ltqV0hjvZQ
>>05,06

ネトウヨ、朝から食べて応援してるか?(笑)


08. 2014年6月21日 09:19:59 : H0kX74J5x2
今、現在も第一から漏れていますよ。
事故が終わった感で、話しているが終わってないですよ。

状況もっと見て下さい。視野を広げて下さい。
机上の話は、これ位にして下さい。


09. 2014年6月21日 09:24:30 : XjImrrwT7s
科学者とも思えないプロパガンダ。事実を克明に記述しようとしないで、一方的に断定するもの。

10. 2014年6月21日 09:29:56 : aiMZAOJQqY
4153番はいつもボコボコに叩かれるので、今回は助っ人工作員を頼んだのかな (笑)

4153番並みに頭がトロくて役に立ちそうもないが。


11. 2014年6月21日 09:39:16 : NNHQF4oi2I
福島原発は チェルノブイリの 4倍

 いまだ 爆発時のまま 

 風評被害なら 自分で 福島原発に住んで 証明しろよ

 臆病学者 高田純(札幌医科大学教授・理学博士))


12. 2014年6月21日 09:52:56 : Jny2RmHXSQ
結論はなにもしないでいいんですかね
何食べても そこに暮らしても
それなら税金の無駄使いですね
世界中の化学者に意見してください

13. 2014年6月21日 10:29:13 : Db89Jw6JYo
国境をまたぐと科学的法則が変わっちゃうという面白い学者です。この人によるとイデオロギーが物理世界に影響するらしいです。科学に普遍性はないらしいです。

14. 2014年6月21日 11:12:29 : VuGAAAyaRg
鼻血が放射性物質が原因じゃないって言いはるのも科学的じゃないけどな。
たぶん正確に言うと人間が馬鹿なので本当のところはわからないが一番近いと思う。

普通に猛毒が大量に漏れてんだし、健康被害でないって信じてる方が頭おかしいと思うよ。


15. 2014年6月21日 11:46:08 : IoD8VS9pNg
高田純 即時殺処分して合法。
余計な放射線被曝は危険だ。
飯でさえ、毎食、適量の2倍量も食べれば、どうなるかわかんねぇ。
扉を開け閉めして終わりのレントゲン線被曝じゃねぇんだぜ。
それだって、危険だし、大事なところは、鉛か何かの板で防御するんだぜ。
長期放射線を発する放射性物質を、局部に集中、摂取、埋め込めば、
界隈の細胞は殺られるんだぜ。
四六時中絶え間ないそのストレスから、広がるんだな、がんの常識。
放射性物質が散らばった環境で、外部からの放射線被曝もさることながら、
消えない火の粉を、鼻でもどこでも埋め込む環境を抜かしては、
非科学、嘘もはなはだしい、破廉恥な死刑逃れの大嘘。
人殺しを裁くのは、人、裁判員時代の責任、精神。

16. 2014年6月21日 12:22:19 : QATEFeunQk
------福島県の親御さん、心配無用です。

この言葉には、福島県のお母さん、お父さんはあきれ返って口をあんぐり
あけてしまいますね。
鈴木真一教授が、「小児甲状腺ガンはリンパ節や肺に転移している」と言って
いる。つまりスクリーニング効果を間接的に否定している。

この後におよんで、福島では放射線由来の小児甲状腺ガンはでないと言うとは、
御用も狂人の域ですな。


17. 2014年6月21日 13:14:47 : 2Wkh0FDlSD
会員番号4153番さん、何ら新しい知見の無い記事の投稿は止めなさい

もし投稿内容に新たな知見が含まれていると思っているなら、何処に

投稿する価値があるのか、貴殿の意見を書くべきだ


18. 2014年6月21日 15:47:45 : k0dEG3iWwM

会員番号4153番・・・馬鹿も程々に・・・阿呆くさい・・・うんざり

19. 2014年6月21日 17:42:54 : GN6KhuXxyg
科学的な検証がしっかりなされているのかどうかわからないからみんな心配になるんだよ。
政府は一週間に一回とか、一ヶ月に一回とか、その地域の放射線量とその地域で発生した病気や体調不良などの事例およびその見解を、逐一報告公表すべきだと思うが。


20. 2014年6月21日 18:23:24 : Ke2uc0ClEo

鼻血と甲状腺ガンをごちゃまぜにするのはやめよう。鼻血はデタラメ、甲状腺ガンは原発事故のせいでおきている。

鈴木眞一を公開処刑しないといけないな。機関銃でハチの巣にして火炎放射器で焼き肉にしてやろう。

それを腹の空かした野良犬の群れに食わせよう。北朝鮮の白豚将軍の息子、キムジョンウン同志に処刑してもらおう。



[32削除理由]:アラシ

21. 2014年6月21日 18:25:35 : GKXPQSbOmQ
参考

http://www.reddit.com/r/IAmA/comments/1if9ar/i_am_tom_marshburn_us_astronaut_and_the_most/

http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/778.html

http://www.rexresearch.com/articles2/as10.htm


22. 2014年6月21日 19:50:57 : uEEk6aHu6A

 鼻血も甲状腺ガンも原発事故による健康被害。
 甲状腺ガンは、既に隠しようが無くなった深刻な被曝被害で、関係各所が貧乏クジを引かないよう、落とし処を探して責任逃れに奔走中。
 鼻血は、絶対に表沙汰にしたくないホットパーティクルの飛散による汚染を隠すために、関係各所が血眼に成って隠蔽工作をしている重要案件。

23. 2014年6月21日 20:25:38 : Gm5WqQZlT2
ごちゃごちゃ言わずに、浪江に住んで、福一に通って原子炉の状態を確認してくれ。

24. 2014年6月21日 21:05:03 : r3pqrbifJo
「原発再稼働派」や「日本の核武装推進派」はフクシマ放射能地獄の実状を隠匿したいのだ。フクシマ原発事故の放射能程度では安全だという原発推進「プロパガンダ」に夢中なのだ。「原発や放射能は安全だ」音頭でも作りたいぐらいの御用学者は何時の時代にでもいる。この安全教専門家は家族ごとフクシマ原発に近い除染された土地へ転居して毎日たつぷり微量放射能を吸い食べ飲みしみじみと味わえば良い。放射能と鼻血は関係がある現実に起きているのだ。因果関係を証明できぬのは自分の学識と研究の不足だと築くべきだ。科学で偽装して、いるが安全押し売りの原発推進派の詭弁としか感じない。

25. 2014年6月22日 00:34:26 : LBtbDXFoS6
中国に行ってさえいない夏目雅子さんの死亡原因が中国での核実験のせいだと論文にまで書いたというあの高田純先生か?だったらまともに読む気もしない。

26. 2014年6月22日 00:44:55 : cXxV5isDBM
@ >レベルB(線量1〜3シーベルト)では必ずしも致死リスクはない

米国疾病管理予防センターが公開している資料によれば、骨髄に対する影響は、0.7Gy(弱い症状は0.3Gyから出る)から現れ、1.2Gyを超える線量では
何人か死亡する可能性があり、被曝者の半数が死亡する値は、大よそ2.5〜5.0Gyであると書かれている。。

>Death may occur in some individuals at 1.2 Gy (120 rads).
The LD50/60 is about 2.5 to 5 Gy (250 to 500 rads).

http://www.bt.cdc.gov/radiation/pdf/arsphysicianfactsheet.pdf

A 第五福竜丸の船員たちの中には、鼻血を出した方がいたことが確認されています。

B >鼻血の症状も見られませんでした。

調査の質問項目に「鼻血の有無」があったのでしょうか?それとも島民の自己申告をそのまま記載したのでしょうか?

その違いで、鼻血に関する結果は、大分異なる結果になると思われます。

ロンゲラップ環礁住民の、被曝直後の症状は、ウィキに記載があります。

痒み、皮膚の痛み、嘔吐、下痢、疲労、目の炎症、手足や首の腫れ。

http://en.wikipedia.org/wiki/Rongelap_Atoll

C >統計的有意差はありませんでした。

統計的に有意と言う言葉を使用するには、あまりに三県の対象者が少なすぎます。

この場合、「統計的有意差」と言う言葉を使うのは、科学的に適切ではありません。

D >普通の生活のなかで発生するごく稀な甲状腺異常が見つかった

チェルノブイリ原発事故において、甲状腺がんは、放射線被曝によるものと、WHOも認めています。

さて、福島県の子どもの甲状腺がんは、100万人あたり310人です。これは、チェルノブイリにおいて、子どもの甲状腺がんの発生率が一番高かった地域の6倍です。(100万人あたり51人)

http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/457.html#c3

これは、福島県の子どもの甲状腺がんが、普通の生活の中の甲状腺異常ではないことを示しています。もちろん「稀な」と言う言葉を、ここで使うことは不適切です。

>E 福島第一原発の境界敷地でも2日間の測定をしました。胸に装着する個人線量計で積算線量を確認すると、0.1ミリシーベルト。震災元年4月の2泊3日の現地調査・・・

学者ならば、時間を正確に記録すべきです。

敷地付近に2日間留まったのではなく、サンプルを採取するために、短い時間いただけに過ぎないのです。移動は車の中、食事や寝床は、もちろん別な場所です。

>F 私に鼻血はなく、脱毛もなく、

人間は、法則に支配され、常に同じ結果になる物質ではありません。

この人物に鼻血がなかったことは、同じように他の人にも鼻血がなかったことの証明とはなりません。

人間は、物理学ではなく、生物学的に、医学的に扱う必要があります。

>G 放牧地と自宅周辺の除染をすれば、すぐに年間5ミリシーベルト以下に改善できます。

ジトームィル州の1平方メートルあたり55万5千ベクレルから144万ベクレルの高濃度汚染地帯では、放射線被曝による健康被害が顕著に出ました。

その高濃度汚染地帯の、1987年から2001年までの、15年間の、外部被曝の実効線量は、合計39ミリシーベルトです。年平均では2.6ミリシーベルトに過ぎません。

内部被曝分を加えても、年間3.4ミリシーベルトに過ぎません。

>Table 3.21. Effective dose (mSv) external, internal and total irradiation of different regions of Ukraine depending on the density of fallout 137Cs in soil in 1986

Zhytomyr 555-1440kBq /м2  1987-2011 
external 39MSV 
internsl 12MSV

ちなみにルハーンシク州(3万7千から18万5千ベクレル)の例も挙げておきます。

年平均は、0.162ミリシーベルトです。

Lugansk 37-1850kBq /м2  1987-2011
external 2.1MSV 
internsl 0.33MSV

«Twenty-five Years after Chornobyl Accident: Safety for the Future»
National Report of Ukraineより引用。


27. 2014年6月22日 02:01:40 : hU2UKe8pfM
>>25. 2014年6月22日 00:34:26 : LBtbDXFoS6
>中国に行ってさえいない夏目雅子さんの・・

確かにこの方のようですね、中国の放射能は”悪い放射能”
福島の放射能は”良い放射能”と思っているのでしょうか?

一部左派が言っていた共産圏の核兵器は”良い核兵器”を
思い出して笑える


28. 2014年6月22日 08:59:48 : 8z0JTJjQpY
「美味しんぼ」論争・ネトウヨからの反論妄想 「非科学的な“風評加害”は許せません」と妄想をふりまく【会員番号4153】

29. 2014年6月22日 09:38:56 : 0ZoaofiqIk
>>07さん

>>05,>>06 Ke2uc0ClEoみたいなのは、ネトウヨ以前

いませんでしたか?
基本的に理解力のないやつ。
みょーに自信ありげに物理のテストの答え解説するけど、間違っている。


30. 2014年6月22日 11:22:49 : omZ1y2rBkc
------ つぎに太陽からの紫外線について、人体が受ける線量率を計算しましょう。

こう言って高田純氏は、「線量率は190シーベルト/日です。」と狂った発言をされる。
いまどき小中学生でも4シーベルトの被曝で半数が数十日以内に死ぬということを
知っている。

------ 私の調査グループは、宇宙飛行士522人の線量と死因を調査しています。

ここでなぜ宇宙飛行士の平均線量を書かない。うそつきだからだ。また宇宙飛行士
はとびきりの健康者が選ばれるという。一般と比べるのは嘘の領域だ。でなければ
まるで統計をしらない馬鹿。

------ 今回の若田さんの場合は188ミリシーベルトになります。

こう書いて高田氏は188ミリシーベルトの被曝をたいしたことはないと思わせる。
若田さんがこの線量で急性症を出さないのは子供でもわかる。しかし、この被曝で
どういう影響が出るかはこれから数年、あるいは数十年でわかる。うえの522人の
場合より線量は多いだろうから、この位の線量を浴びた宇宙飛行士が増えれば被曝
の影響の統計的結果も得られる。


31. 2014年6月22日 13:13:11 : zdXurRDvSE
能書きたれるのなら福島の放射線の高いとこに住んでみろ。
あほ学者。

32. 2014年6月22日 15:16:22 : JV1VCpDWGU
漫画の表現がなぜ、風評とか差別になるのか理解できない。

フクシマの方々が復興に努力されていることはわかるが、漫画は漫画でしかない。
それはそれとしてみていればいいだけではなかったのか。

いずれにしても、福一の被害の情報は統制されているとしか思えない。
爆発直後に見つかった2千体に登る遺体はどのようにあつかわれたのか?
いまも排出されている放射能はどうなっているのか?
なぜ、様々なことが明らかにされないのか、世界中が不安になっているはずだ。

地元の健気な努力を無駄にしないためにも、全てを明らかにするべきだと思うが
そう思わない連中が霞ヶ関に跋扈している。これが日本の事実だ。


33. 2014年6月22日 15:53:57 : UDabEQz296
この先生の観点は人間を放射線外部被爆で殺そうとか被爆障害にしようという観点から見て「死なないよ」「目に見えた障害は起こさないよ」といっているに過ぎないように思える。これは安全に生活するという観点での話ではない。

34. 2014年6月22日 15:58:19 : 1pftqeKxx6
・被曝で鼻血が続くなら、目・気管支など、すべての粘膜から出血しないとおかしい。
・被曝で鼻血が続くなら、血液検査で血小板が減るなどの異常が見られないとおかしい。
・被曝で鼻血が続くなら、放射性物質濃度の高かった事故初期において、そういった
 報告が続出しなければおかしい。
・被曝で鼻血が続くなら、福島県民は200万人いるのだから、ネット上でそういった
 自己申告が数十万ツイート出てこないとおかしい。 ←これがかなり重要

答えられる人がいるなら、なぜなのか教えて欲しい。


35. 2014年6月22日 16:39:00 : LBtbDXFoS6
高田純なんて科学者としては終わってるんじゃないか?少なくとも中国での核実験の被曝で現地に行ってもいない日本の女優が死んだことにしたことなどは、完全にプロパガンダだろう。そんな人物しか引き合いに出せなかったのかと思うが、他にはいなかったんだろうね。

「20ミリシーベルト/年に子供を置いて良いなどと言えば自分は科学者として終わる」と言って泣いて記者会見した小佐古とかいう人も、元々は推進派だったせいかあまりよくは言われないが、いっそ、あの人の爪の垢でも飲ませたいよ。


36. 2014年6月22日 19:00:10 : kV06NQKYTU
高田純の息子は北電の社員 北電の金で英国留学させてもらったので我が子のために国民に生命など関係ないのだよ。

37. 2014年6月22日 19:47:10 : XQY51km6gk
これは言っちゃいけない約束だったかもしれませんが・・・、

放射能これだけ知れば怖くない─放射線防護学の第一人者「高田純教授」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=2933

いや、決して宗教に関係するのが悪いとは申しませんが・・・。


38. 2014年6月22日 20:29:24 : HmIN3K5pUE
小出と山下とふくいちで作業しろや

39. 2014年6月22日 20:40:21 : 6S7MbU7lJE
門外漢に嘘を付かせて一般人を信用させるやり方は権力者の十八番だな。
しかも一般人には馴染の無い仕事の役職者であるように知らせるおまけ付!!

40. 2014年6月22日 20:51:14 : 1pftqeKxx6
ほとんどのコメントが、論理が目茶苦茶か、感情的に個人攻撃をしているだけ。
なんとか読むに耐える反論は>>26だけだが、これも反論しているようで反論になっていない。

まるでオカルトとか疑似科学の人々と会話をしているような感じを受ける。


マイケル・ファラデーのタイムズ誌への寄稿の有名な一節を貼っておこう。

「最後に述べさせていただきたいことがあります。私は、この純物理学的な実験によって明らかとなった一般の人々の意識状況に大変驚かされました。正しい判断を下した人々や注意深く態度を保留した人々も、たくさんいたことは疑うべくもありません。なぜなら、私自身、そうした人々を知っていますし、報道機関もそうした事実を伝えているからです。
しかし、そのような人々の数は、見当違いの原因を信じ込んだり、証拠だてようとする大多数の人々の数と比べたら、ものの数ではありません。
私は、私の見解に同意する人と不同意の人との違いのことを言っているのではありません。ここで、大多数の人々というのは、事物の因果関係について考察を加えようとしないような人々、すなわち、電気や磁気のせいだと言いながら電気や磁気の力の法則について何も知らない人々、引力を持ち出しながら純粋な引力現象であることを示してみせない人々、まるで地球がテーブルの脚の回りを回転でもしているかのように地球の回転が原因だと主張する人々、既知の力で説明がつくかどうか調べもしないで、未知の物理力が原因だと考える人々、あるいは、運動の性質について結論を下すことができるほど、この問題について十分な知識を持つていないから判断を差し控えるというのではなくて、平気で悪魔の力とか超自然的な力を持ち出す人々…などのことを言っているのです。私は、この問題を通じて明らかになった人々の意識状況が放置されてきたような教育制度は、非常に重要な原則において、どこか大きな欠陥を持っていたに相異ないと考えます。敬具。

1853年6月28日 M・ファラデー」



41. 2014年6月22日 23:33:43 : EhtrBX4j4k
この記事が本当だったら、どんなにいいだろうと思います。

42. 2014年6月23日 00:56:27 : hU2UKe8pfM
>>40. 2014年6月22日 20:51:14 : 1pftqeKxx6
>ほとんどのコメントが、論理が目茶苦茶か、感情的に個人攻撃をしているだけ。

投稿者(会員番号4153番)が何ら新規性のない投稿してるから
こうなって居るんだよ、それぐらい気付けよ!


43. 母系社会 2014年6月23日 02:29:43 : Xfgr7Fh//h.LU : DOTROaNjXI

この高田某とは、本当に学者なのであろうか?

>平成24年度、福島県民13万4074人と県外(青森県、山梨県、長崎県)
>4365人の両者の甲状腺検査結果に統計的有意差はありませんでした。

この高田某は、「統計的有意差はありません」を、現実に差が無い
という意味で使っています。

ところが、<統計的有意差はありません>とは、文字通りの意味であり、
単に、統計学の手法で調べたが、統計学的な有意差は見出せなかったという
だけの意味で・・・

★現実に<有意差>が無いという意味ではないのだそうです。

これは統計学では常識だそうで、統計学を学ぶ学生には、一般人が誤解
しやすいので注意せよ、と教えられるそうです。

というのは、たとえば、あることを5歳から20歳で調べたら、統計学的
な有意差は見出せなかった場合でも、10歳から15歳とかの別の条件で
調べ直すと、統計学的な有意差が出てくる場合が、現実にあるからです。

それで、これは文字通りの意味でしかなく、現実に<有意差>が無いという
意味ではないそうです。

ところが、日本の場合は学者でも、厚生省の官僚でも、高田某のように
統計学を誤解している人が多いそうです。

岡山大学大学院環境学研究科教授の津田敏秀氏が、講演で日本の学者の
知的レベルの低さを指摘していました。


44. 2014年6月23日 06:51:42 : aiMZAOJQqY
>>40
はぁ? 論理的にメチャクチャなのは高田純だろう。

第五福竜丸の乗組員たった23人に鼻血が出なかったから、鼻血は出ないとか、
ロンゲラップの島民に、核実験後半世紀も経ってから調査して、鼻血は出ていないとか、
とても科学的、論理的とは言えない。お笑いだ。これで科学者か?

あまりに突っ込みどころ満載で、つっこむ気にもなれない。

高田純を始めとする御用学者こそ、ファラデーの言葉をよく理解すべきだろう。

不都合な事実に目をつぶり、あるいは都合よくデタラメな解釈をするだけ。
何一つ客観性はない。似非科学そのものではないか。

あと2年もすれば完全に化けの皮がはがれるだろう。


45. 2014年6月23日 08:01:33 : 1pftqeKxx6
>>42
> 投稿者(会員番号4153番)が何ら新規性のない投稿してるから
> こうなって居るんだよ、それぐらい気付けよ!

ああ、そうなんですか。よく知らなかったもので。

>>44
> あまりに突っ込みどころ満載で、つっこむ気にもなれない。

そうなんですか? でも、本質的なところを論理的に突っ込んでいるコメントは
いまのところ無いように見えますが・・
どこがどのようにおかしいのですかね。

> 空気中に漂う放射性粒子を吸い込み、鼻の粘膜に付着して鼻血を引き起こす。
> 放射性粒子が浮遊していない環境では、鼻血は生じない。当たり前の話だ。
> 例によってデタラメだらけだな。

これ、あなたの>>04のコメントですが、全然科学的じゃないですよね。
統計も無いし、メカニズムの説明も無い、他の原因で説明可能かどうかの説明も無い。
例えば、原因となっているのはβ線なのか、γ線なのか、とか。粘膜が傷つけられる
ことが原因なのか、血液に対する影響が原因なのかとか。そういう説明が全く無い。

これでは判断のしようがなくて、オカルトと区別がつかない。

>>34に簡単な疑問を貼りましたが、答えられる人がいるなら、なぜなのか教えて欲しい。


46. 2014年6月23日 08:12:54 : 1pftqeKxx6
オカルトでも放射能の影響でも慰安婦問題でも何でもよいですが、「絶対に無い」は
証明不可能です。

「調べた範囲では無い」は言えます。そうすると、「それだけでは無いことの証明には
ならない」、「有るかもしれないではないか」という批判が殺到する。

「有ることの証明」が先なわけですが。


もっとサンプル数を増やして「有無について」精密に調査しろとか言うのならわかる。
でも「有る」と主張されるなら、「有ることの証明」をまず言わないと話にならない。


47. 2014年6月23日 10:05:30 : 5y33NEKSuQ
福島産が安全になったかどうか判断する簡単な方法がある。
議員やその家族がこぞって食べて応援しだしたら本当に安全である。

48. 2014年6月23日 10:17:01 : aiMZAOJQqY
>>46
>「絶対に無い」は証明不可能です。

被ばくで鼻血は絶対にない、と高田純は言っている。

鼻の粘膜に放射性粒子が付着すれば当然出血は起こりうる。
スリーマイル島でもチェルノブイリでも起きている。世界の常識だ。

3/11後、福島を中心に鼻血が多発しているのは否定できない事実。
数え切れないほども被害者がいる。

被ばくが原因だと疑うのは当然だろう。
もしそうでないというのなら、何が原因なのか。説明してもらおうか。

政府は認めると莫大な賠償金を払わなければならないから、高田純のような
御用学者や君のような工作員に鼻血被害を否定させているだけだ。

鼻血が多発しているという事実さえ認めないのだから、話にならない。
科学者としてあるまじき態度だ。

福島のボランティアで、皮膚から原因不明の出血をしている人がいる。
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/826.html
https://twitter.com/HCR_OPCOM/status/480163492842835969

チェルノブイリの被害者によれば、おそらくアルファ線核種による被ばくだろうということ。
透過力は強くないから、表面の皮膚だけ損傷し、神経までは届かず痛まないそうだ。
http://www.asyura2.com/11/genpatu19/msg/532.html

普通の皮膚からも出血するのだから、鼻の粘膜から出血しても何の不思議もない。

ま、地球温暖化詐欺と同じだな。

まず、「地球はCO2の増加で温暖化している」という結論が先ににあり、
それを証明するデータをでっち上げる。不都合な真実は隠蔽するか無視する。

これも「被ばくで鼻血は出ない」という結論が先にあって、ごちゃごちゃ屁理屈を
後付けして、それがいかにも正しいように言っている。

とても科学とは言えない。似非科学だ。

科学は現実に起きていることを素直に認めることから始まるのだ。
ファラデーが言っているのもそういうことだ。


49. 2014年6月23日 10:29:18 : 4qWMl6TM4Q
>>34
>被曝で鼻血が続くなら、目・気管支など、すべての粘膜から出血しないとおかしい。

被曝で鼻血といっても、どういうメカニズムで鼻血が起きたかによるでしょう。
あなたは全身への均等な外部被曝によって出血が起きたと仮定している。あるいは
鼻粘膜への放射性物質の影響がすべての粘膜への影響を起こすと考えている。
そうでない可能性は何人もの医師・科学者が答えている。

>被曝で鼻血が続くなら、血液検査で血小板が減るなどの異常が見られないとおかしい。

血小板が減少しなくとも鼻血が続くことはある。例によってあなたは大量被曝の場合
のみ考えておられるようだ。また血小板が減少した人もいるでしょう。血液検査を
受けるべきかもしれない。

>被曝で鼻血が続くなら、放射性物質濃度の高かった事故初期において、そういった
 報告が続出しなければおかしい。

続出しました。2011年の夏ころに子どもの鼻血が多いと国会でさえ取り上げられて
います。

>被曝で鼻血が続くなら、福島県民は200万人いるのだから、ネット上でそういった
 自己申告が数十万ツイート出てこないとおかしい。 ←これがかなり重要

「美味しんぼ」の中でも自己申告が多数あったわけです。井戸川元町長も住民の声
にあったと言われています。


50. 2014年6月23日 10:49:58 : aiMZAOJQqY
広島が短期間で復興したのは、原爆の爆発が原発のそれに比べて
生成されたセシウム137が桁違いに少なかったからだ。

福島が安全になるまでには数百年かかる。
チェルノブイリ事故後四半世紀経っても、全く復興していないことを見れば、
それが正しいことがわかる。

こういった深刻な事実を隠して、大丈夫だ安全だとデマばかり流す。
この高田純ということは犯罪者に近いね。


51. 2014年6月23日 10:54:39 : aiMZAOJQqY
>>50
この高田純ということは -> この高田純というのは

高田純は、この原発近くで牧畜を営む吉沢さんの苦悩の声を聞くべきだ。
深刻きわまる現実に、御用学者の流言などは吹き飛んでしまうだろう。
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/806.html
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=K1L3-Byeazg#t=225


52. 2014年6月23日 11:34:45 : uEEk6aHu6A
>>34
 被曝と鼻血については、前に書いた事が有る。
 http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/112.html#c23
 での疑問の趣旨は、http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/112.html#c21
 と同じだろう。
 その後、鼻血の原因として、この掲示板の何処かで紹介されていたのだが、今、一番論理的に説明されていると思えるのが、 http://sakuradorf.blog.fc2.com/blog-entry-472.html だと思う。
 そこでの放射能プルームは、ホットパーティクルに関する論文で、この掲示板でも最近取り上げられている http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/745.html
 他にも「鼻血」を含むタイトルの記事は多量にあるので一通り目を通してみれば良いのでは?、最近では皆、お腹一杯で元気が出なくなっている(笑)。


53. 2014年6月24日 05:51:34 : Ke2uc0ClEo

阿修羅も低能な奴らのゴミ溜めになったな。大多数が自分の馬鹿に気づいていないんだからお笑いだ。

もう少し勉強した方がいいよ鼻血くん。




[32削除理由]:アラシ

54. 2014年6月24日 12:32:37 : pDpphMXReU
>53

そういうセリフにも飽き飽きだ。


55. 母系社会 2014年6月24日 14:33:14 : Xfgr7Fh//h.LU : 2mO39i5N66
>>34さん=45さん

●34さんの誤りは、人体も含めた自然を、機械のように考えている点で、
機械論的自然観と言います。

それで、<・被曝で鼻血が続くなら、目・気管支など、すべての粘膜から
出血しないとおかしい。>というような鼻血(粘膜)がでるなら、全ての
粘膜からも出血するはずというような<決定論>的な疑問が生じるのです。

機械論的自然観は、全くの誤りというわけでもありません。数学を駆使した
近代科学は、この自然を機械のような存在と見なして法則性を探すことで、
大きな成果をあげましたが、一方で、100年前に限界に達しました。

科学の中の科学は、物理学であり、物理学の中の物理学といえば、ミクロの
世界や宇宙を扱う理論物理学ですが、100年前に、量子力学と相対性理論
を産み出してからは、機械論的自然観を前提とする理論物理学は、これに
匹敵する大理論が産み出せなくなったからです。

しかし、一見すると、その後もDNAの発見とか、パソコンなど、科学は
発展しているように思えますが、実際は、他の分野の科学が、理論物理学の
成果を取り入れて、物理学化が進んだだけなのです。(分子生物学とか)

●34さんは4シーベルトだと50%、7〜10シーベルトで100%
死亡するということをご存知だと思いますが、これは、自然というものは
必然だけでなく、偶然でもあるということを示しています。

つまり、4シーベルトだと50%、2分の1の人は偶然性が働き、
結果としては、とにかく死なないのです。

しかし、7〜10シーベルトだと、必然性の方が圧倒的に強くなり、
100%死亡するわけです。

したがって、<被曝で鼻血が出る人もいれば、出ない人もいる>のです。

興味があれば、広松渉という哲学者の本を読んで下さい。この人は天才的
な哲学者ですが、元々は物理学者になろうとしていた人で、科学にも詳しい
ので、相対性理論についての著作もある人です。

左翼ですが、機械論的自然観から、言語論的自然観へのパラダイムチェンジ
を提唱していました。

●つまり、自然法則は近似的に正しいに過ぎないし、共時的には有効でも、
通時的には適用できなくなるもので、永遠に正しいとか、宇宙のどこでも
使えるのではないということ、ある限定された範囲内でのみ、有効という
こと・・・

なぜなら、仏教が教えるように、全ては一瞬の休みなく生成変化し続けている
から、今は使えても、やがて無力になる自然法則もあるということです。

★科学技術ではなく、科学理論としての科学には、<自然の斉一性>という
原理的に実証不可能な大前提があるので、実証された理論が科学だとか、
科学=実証というのは科学者が流布したウソです。

ビックバン説とかの科学理論も信念体系であり、根本的には<信じる>という
部分があるので、根本的には宗教と同じイデオロギーです。

今日の科学技術は科学理論である科学ともオーバラップしている部分もあり
ますが、あくまでも人間の生活での有効性=用材性を重視した知の体系=技術
なので、基本的には「ある現象が、なぜ起こるか?」というような学問的な
問いは不要であり、その現象に有用性があるかどうかを問うわけです。



56. 2014年6月25日 22:38:46 : vqy7HI0tz2
>>48
> 被ばくが原因だと疑うのは当然だろう。
> もしそうでないというのなら、何が原因なのか。説明してもらおうか。

「当然」と決めつけるのは短絡的で、「有ることの証明」ができていないんですよ。

定量的な表現(何%、何人、何ベクレル、など)がまるで無くて科学的でない。
粘膜破壊のために必要な粒子ビームの強度はいくらで、それが福島において現実的に
達成可能かどうかとか、そういった医学的な根拠なども出されず、論拠が薄弱で
まったく信憑性が無い。今のところは誰も説得できていないと思いますよ。

アルファ線がどうとか書いているが、それだったら、劣化ウラン弾が使用された
地域はアルファ線・ベータ線だらけなのだから、そこで同じ症状が「大規模に」
出ていないとおかしい。そういったことをおわかりで書いてらっしゃるのですかね。

自然界に普遍的に存在する「炭素14」はベータ線核種ですからね。これは全ての
炭素系生物の体内に含まれている。だから、普通にたき火をしてその煙を吸ったとき、
その煙粒子には、ベータ線核種が含まれています。
例えば、こういったいろいろなことをおわかりの上で何か言っておられるのか。

様々な証拠・現象と矛盾しないように組み立てないと、論理にはなりませんよ。

>>40>>46を再読したうえで、理路整然とした誰も反論できないような、科学的・
定量的・統計的で医学的にも適切な「証拠」が示されるなら、信じてもよいですが。


57. 2014年6月25日 22:42:30 : hU2UKe8pfM
>>45. 2014年6月23日 08:01:33 : 1pftqeKxx6

>簡単な疑問を貼りましたが、答えられる人がいるなら、なぜなのか教えて欲しい

何人かの方が 貴方の 疑問に答えているのに ダンマリですか

>>40 で”ほとんどのコメントが、論理が目茶苦茶か、感情的に個人攻撃をしているだけ。”

なんて書いた手前恥ずかしくて出てこれないのかな? 常識のある人間なら
お礼ぐらいは書くべきだと思うよ


58. 2014年6月25日 22:48:20 : vqy7HI0tz2
>>57
> 何人かの方が 貴方の 疑問に答えているのに ダンマリですか

1.定量的・統計的・科学的、かつ医学的にも適切な「証拠」は、まだ誰も出していない。
2.定量的な表現(何%、何人、何ベクレル、など)がまるで無くて科学的でない。

>>40 で”ほとんどのコメントが、論理が目茶苦茶か、感情的に個人攻撃をしているだけ。”
> なんて書いた手前恥ずかしくて出てこれないのかな?

「あれ」で証明できたと思っているなら、あなたの知性を疑います。

> 常識のある人間ならお礼ぐらいは書くべきだと思うよ

これはごもっともですね。ご回答くださった方には感謝します。
ただし、科学的に十分な回答は、まだ出ていないと思います。


59. 2014年6月25日 22:55:24 : vqy7HI0tz2
>>55
「科学理論は絶対に正しいわけではない」とかおっしゃっていますが、
「絶対に正しくて確実」なんてこの世に無いし証明不可能ですよ。
中身が無いし、意味が無いですよ。そんなことを言っても。

客観的に検証され、再現性も確認された事実や法則性。そういった「最善」を
積み重ねているのが「科学」ですからね。
そしていつでも「更新」の可能性を秘めている。
科学者が何かを言うとき、「現時点での最善の理解では・・」という枕詞が
常についています。このことをお忘れなく。

「絶対確実にわかる」と「全くわからない」の間には、無限のバリエーションが
ありますからね。そこで、できうるかぎりの客観性を担保しながら最善を尽くして
いるのが「科学」です。

「人間がそれを信じるかどうかで結果が変わるようなもの」は「科学的命題」では
ありません。科学は「科学的命題」しか扱いませんし扱えません。

科学は客観性が命ですので、教祖に対して上意下達の宗教とはまったく異なります。
仮定を置くことはありますよ。でもそのときは、「この仮定の下ではこうなる」と
いう言い方しかしませんからね。

科学を否定したいなら、それ相応の根拠がいりますよ。「絶対確実は無い」とか
そういう寝言はいりません。データと論理と客観性で語ってください。

あなたは、ポアンカレの「科学と仮説」などをお読みになるとよいでしょう。
あとは、「科学哲学」なんぞに傾倒する前に、本当の科学を十分に学ぶべきです。
コメント>>40,>>46を再読するのもよいと思います。


60. 2014年6月25日 23:00:19 : vqy7HI0tz2
私の立場を書きます。低線量長期被曝に関する知見には不十分な点があると思います。
調査・研究を急ぐべきで、大規模な医療統計は重要だし、動物実験なども重要だと
思います。生態系の調査もやるべきです。

しかし、知見が十分になるまで待っていたら、福島の人はいつまでたっても故郷に
帰れない。復興もできないし、コミュニティも崩壊してしまう。経済も崩壊する。

知見が不十分だというが、それは「リスクの安全側がどこまで安全かわからない」
というたぐいのものが多くて、「リスクの危険側」に関してはかなりのことが
わかっていると思います。例えば、「2人に1人が甲状腺ガンになることは無い」
なら確実に言える。同じことが100人に1人でも言える。1万人に1人だと
グレーゾーンになる。このようにしてリスクの上限がはっきりしてきます。

すると、政府からの医療補助・補償や除染を大前提として、最大でこの程度のリスクが
あるかもしれないが、故郷へ帰るかどうか、という選択ができる。
こういった情報の確定や選択肢の提供を、被災者の方々に早く行うべきだと思います。


61. 2014年6月25日 23:50:41 : hU2UKe8pfM
>>60. 2014年6月25日 23:00:19 : vqy7HI0tz2
>私の立場を書きます。低線量長期被曝に関する知見には不十分な点があると思います。

”知見に不十分な点がある”と言う事がわかってて、>>58-59 を書いてるの?

>調査・研究を急ぐべきで、大規模な医療統計は重要だし、動物実験なども重要だと
思います。生態系の調査もやるべきです。

矛盾してますね、過去の知見としては 広島・長崎、そして チェルノブイリ のデータしか無いんですよ、福島の結果が出るまで結論を待つんですか?

>1万人に1人だとグレーゾーンになる。このようにしてリスクの上限がはっきりしてきます

”1万人に1人”が確定できるデータをどうすれば集められるの、次の事故が出るまで待つ って事ですか?


62. 2014年6月26日 00:34:09 : vqy7HI0tz2
>>61
>”知見に不十分な点がある”と言う事がわかってて、>>58-59 を書いてるの?

これは質問の意味がよくわからないので、わかるように具体的に書いてください。
(誰のコメントに対する>>58,>>59なのかまで含めて読めばわかるはずですが)

> 矛盾してますね、過去の知見としては 広島・長崎、そして チェルノブイリのデータ
> しか無いんですよ、

何が矛盾しているのですか? この指摘もよくわからない。
(これもよく読めばわかると思うのですが・・)

> 福島の結果が出るまで結論を待つんですか?

過去のデータを最大限活用しつつ、同時進行で出てくる福島のデータも確認しながら
判断するしかないですね。そうでないと、福島の人はいつまでも故郷に帰れない。

> ”1万人に1人”が確定できるデータをどうすれば集められるの、次の事故が出る
> まで待つ って事ですか?

10万人以上を調べれば、それはわかりますね。もしくは、1000人を調査して
1例も無いことを確認するというのでも情報にはなります。
過去データ+福島の最新事例を参照することになりますね。


63. 2014年6月26日 02:40:02 : aiMZAOJQqY
>>56
ぐちゃぐちゃ屁理屈を並べても、何の説得力もないよ。

すでに溶融燃料100%の微粒子が茨城の家のチリから発見されている。
こんなものが体内にはいったら、まず助からないことは素人でもわかる。
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/492.html

鼻血どころではない。
心筋梗塞、脳梗塞・脳出血、歯欠け、骨折、白内障など、被ばくが疑われる疾患が
3/11後、激増している。

政府は必死で隠しているが、隠し切れなくなったときにはもう手遅れだ。

御用新聞でさえ、被ばくとの関連を認めざるを得なくなっている。
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/824.html

問題ない安全だと安全デマを流して、今後被ばく被害が甚大になったら、
(もう半分なっているのだが)どうするのか。

高田純ら御用医者の責任を厳しく追求するから、そのつもりで。


64. 母系社会 2014年6月27日 22:02:10 : Xfgr7Fh//h.LU : G6okoOZekc

>>59さんへ(1)

長いので、分割します。

>「科学理論は絶対に正しいわけではない」とかおっしゃっていますが、

自然法則は・・・永遠に正しいとか、宇宙のどこでも使えるのではない・・・
ある限定された範囲内でのみ、有効ということ・・・と書いていますので、
主語は「自然法則」であり、科学理論ではありません。

>「絶対に正しくて確実」なんてこの世に無いし証明不可能ですよ。
>中身が無いし、意味が無いですよ。そんなことを言っても。

この「そんなことを言っても。」とは、何のことですか?

この<「絶対に正しくて確実」なんてこの世に無いし証明不可能ですよ。>
は、その通りだと思いますが、この文からだと、私が「絶対に正しくて確実」
な科学理論があると主張しているかのような書き方ですが、私は、全く逆の
ことを書いているのです。

ところが、私が「絶対に正しくて確実」な科学理論があると言い、それに
対して、59さんが反論しているかのような文に思えるのですが、どこに私が
「絶対に正しくて確実」な科学理論があるというようなことを書いているので
しょうか?

59さんは、私が書いていないことを勝手に私の主張のように誤解して、
反論しているのではないですか?

つまり、自分の誤解を、自分で反論しているように思えるのですが?

>客観的に検証され、再現性も確認された事実や法則性。そういった
>「最善」を積み重ねているのが「科学」ですからね。

「客観的に検証」と「再現性も確認された事実や法則性」ですか・・・
少し安易な気もしますが・・・保留して・・・

>そういった「最善」を積み重ねているのが「科学」ですからね。

これは、その通りでしょう。

>そしていつでも「更新」の可能性を秘めている。

へ〜。すると、先ほどの・・・

「客観的に検証」と「再現性も確認された事実や法則性」とは何のことだった
のでしょうか?

「客観的に検証」と「再現性も確認された事実や法則性」が更新されるという
ようなことが起きるのですか?

更新されてしまうなら、「客観的」でもないし、「再現性も確認」されたの
でもないし、「事実」でもなかったということです。

>科学者が何かを言うとき、「現時点での最善の理解では・・」という
>枕詞が常についています。このことをお忘れなく。

これは微妙ですね。電子についての知見は正しく、理論通りに実在するという
実在論の立場の人もいますから、問題により、科学者の意見も様々であり、
必ずしも、全て仮説という科学者ばかりではないと思います。

私は非実在論ですから、全て「現時点での最善の理解では・・」という
科学者、つまり、全て「仮説=暫定的なもの」と言う科学者を支持します。

>「絶対確実にわかる」と「全くわからない」の間には、無限のバリエー
>ションがありますからね。そこで、できうるかぎりの客観性を担保し
>ながら最善を尽くしているのが「科学」です。

これは、その通りでしょう。彼らなりに、そうしていると思います。

>「人間がそれを信じるかどうかで結果が変わるようなもの」は
>「科学的命題」ではありません。科学は「科学的命題」しか扱い
>ませんし扱えません。

この「人間がそれを信じるかどうかで結果が変わるようなもの」という文は、
「」付きで、一見すると私の書いた文を引用しているかのようですが、私は、
このような文は書いていませんし、この文の意味内容=趣旨の文も書いて
いないつもりですが、何のことですか?

>科学は客観性が命ですので、教祖に対して上意下達の宗教とはまったく
>異なります。

確かに客観性の追及は大切です。それを否定するようなことは書いていません。
しかし、この客観性については、簡単な話ではありませんので後回しにします。

日本の大学の場合はどうでしょうかね。徒弟制度的な学派もあるのでは?
大御所の教授先生がいて、弟子たちはなかなか教授先生の学説には逆らえない
のでは?逆らうと、就職先の大学の世話をしてもらえないとか。

何か誤解している気がしますが、科学者は本人の純粋な学問的な関心の向く
まま、自由に研究しているというような人たちではありません。最近のSTAP
細胞の件でもわかるように、政府や企業の研究費の分捕り合戦に汲々として
いる人たちです。

ソ連の学者がスターリンの顔色を伺いながら研究していたのは有名ですが、
米国の学者も、戦争に巻き込まれて原爆を造っていましたし、マッカーシズムで
赤狩りが盛んな頃は、米国左翼と疑われないような研究テーマを選んで研究して
いました。今は成果主義で、成果が直ぐに現れない基礎研究をする学者が減少
しているそうです。科学者も政治経済の動向と無縁ではありません。

>仮定を置くことはありますよ。

無前提的な言説はあり得ないので、全て仮定を置かないと、論理は組み立てら
れません。一般的に広く承認されていること=エンドクサ=を前提・仮定に
して、それを踏み台にして論理を展開し、その過程で、最初のエンドクサを
吟味・検証するという方法しかあり得ません。

無前提的な言説として展開するのは、自分の学説にも暗黙の前提があることに
気が付かない二流学者です。あるいは、そのように装っているなら詐欺師です。

>でもそのときは、「この仮定の下ではこうなる」という言い方しかしません
>からね。

最初の仮定自体を、論理展開の過程で、吟味しなければならないのです。

時間なら、脈拍→振り子の等時性→置時計→ナースウオッチ→脈拍というよう
に、最初の脈拍の精度を成果で吟味するのです。

>科学を否定したいなら、それ相応の根拠がいりますよ。
>「絶対確実は無い」とかそういう寝言はいりません。
>データと論理と客観性で語ってください。

科学を否定したいのではなく、やたらと「科学的」とか、「実証」だとか言い、
科学のイデオロギー性を否定する科学主義者=実体主義者を否定したいのです。

>あなたは、ポアンカレの「科学と仮説」などをお読みになるとよいでしょう。
>あとは、「科学哲学」なんぞに傾倒する前に、本当の科学を十分に学ぶべき
>です。

ポアンカレの「科学と仮説」ですか、ご忠告、ありがとうございます。

それでは、こちらも返礼として、広松渉か、広松渉はマルクス学者ですから、
嫌いで読みたくなければ、ソシュールの研究者である丸山圭三郎でも良いです。
丸山圭三郎と廣松渉の世界観はほとんど同じです。


廣松渉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%A3%E6%9D%BE%E6%B8%89

丸山圭三郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E5%9C%AD%E4%B8%89%E9%83%8E#.E5.BD.B1.E9.9F.BF.E3.82.92.E3.81.86.E3.81.91.E3.81.9F.E4.BA.BA.E7.89.A9


65. 2014年6月28日 12:40:01 : vqy7HI0tz2
>>63
> ぐちゃぐちゃ屁理屈を並べても、何の説得力もないよ。

いいですか? 「説得」しなければならないのは、「私でなくてあなた」です。
「有る」と主張されていますよね。だったら「有ることの証明」をしてください。

私自身は有るとも無いとも言っておりません。有るのだったら証拠を出せと言っている。
ですから、私は批判する立場であり、説明の責任があるのはあなたの側です。

それが不十分だから何度もつつかれているのだ、ということがわかりませんか?

>>40,>>46,>>56を再読したうえで、理路整然とした誰も反論できないような、科学的・
定量的・統計的で医学的にも適切な「証拠」が示されるなら、信じてもよいですが。

いいですか? 「あなたが盲信したい記事ソース」では無くて、「他人を説得するに
値する科学的・定量的・統計的で、学術的にも信憑性の高い証拠」ですからね。
ここを勘違いしないでくださいよ。
「世迷いごと」は聞き飽きました。


66. 2014年6月28日 12:54:53 : vqy7HI0tz2
>>59
>> 客観的に検証され、再現性も確認された事実や法則性。そういった「最善」を
>> 積み重ねているのが「科学」ですからね。
>> そしていつでも「更新」の可能性を秘めている。

これが私のコメントでした。それに対する反論(>>64)が以下。

>>64
> 「客観的に検証」と「再現性も確認された事実や法則性」が更新されるという
> ようなことが起きるのですか?
> 更新されてしまうなら、「客観的」でもないし、「再現性も確認」されたの
> でもないし、「事実」でもなかったということです。

おいおい・・ というのが第一感。これは科学をやったことの無い人が、頭だけで
考えた、つたない反論って感じがしますねえ。
「更新」できなかったら、どうやって進歩するのですか? 
「更新」できなかったら、間違った場合に修正が効かないではないですか?
わかりませんかね。

わかりやすい例を上げるならば、
・物理定数の測定精度の向上。より小さな桁まで測る。これは更新です。
・理論の修正や廃棄。例えば、原子モデル。トムソン模型の棄却の過程など。
・理論的枠組みの拡張。例えば、古典力学から相対論への拡張。これも更新です。

更新したといっても、低速度・低重力の極限では、相対論から古典力学が導出される。
ですから、そういう条件を満たす環境ならば、普通に古典力学で計算してよい。
古典力学に対する相対論とは、より一般的な理論体系へのアップグレードです。

光は粒子か波動か、という論争も同様です。論争やっている段階では、どちらが
真実か確定しない。しかし、どちらの立場においても、自説を支持する客観的な
データがあり、再現性もある。だからなかなか白黒つかずに論争になった。
これが波動性と粒子性の共存という形で、両方を説明する量子論に統合されていく。

こういうアップグレードがあってはじめて、科学が進歩できます。

こういう基本的なことをご存知なさそうなので、哲学ベースでうんちくこねるよりも、
「本当の科学の学習」が先に来るべきだと思います。「科学の営み」を知るために。
そうでないと、あなたは間違い続けると思いますよ。


67. 2014年6月28日 12:55:38 : vqy7HI0tz2
>>45
> ビックバン説とかの科学理論も信念体系であり、根本的には<信じる>という
> 部分があるので、根本的には宗教と同じイデオロギーです。
>>64
> 科学を否定したいのではなく、やたらと「科学的」とか、「実証」だとか言い、
> 科学のイデオロギー性を否定する科学主義者=実体主義者を否定したいのです。

科学は「科学的命題」しか扱いませんし扱えません。
イデオロギーというのは、主に価値観の命題ですよね。これは科学とは対極にある。

「私はこう思うって理論」を作るのは勝手ですよ。例えばトムソン模型。しかし、
観測・実験と何度も厳しく照合・検証されて、矛盾する枠組みは淘汰される。
前提や仮定を置いてもよいが、それが妥当かどうか、それが成り立つかどうか
も含めて毎回検証される。他の理論との論理整合性も厳しく検証される。
そういうのが科学だし、こういうプロセスを経ないと科学にはならない。

政治イデオロギーとか、平和主義とか、宗教とか、そんなのと一緒にされては
困りますねえ。


68. 2014年6月29日 05:59:18 : 01JUjPKVpw
どこかでみたんだが、最近になって電力中央研究所は
ホルミシス理論はトンデモでございと声明出したらしいな
事故直後大量にばら撒かれてた放射能ホルミシス理論を
いまになって電力中央研究所が否定した理由が知りたい

ホルミシス理論は高田純がそこにいた時に作った理論だろう
田母神支持をショーザフラッグした高田とはイデオロギー臭すぎて
縁切りしたくなったのかな


>イデオロギーというのは、主に価値観の命題ですよね。これは科学とは対極にある。
読売産経新潮的にはそれも我田引水利用のための「科学的な判断」の範疇に入るらしいとか
ま、トンでも科学を見つけるべく精力的に活動してたト学会の中にも御用が
いるみたいなので、もはや科学的なのがなにがなにやらだが
危ない社会状況に置かれた日本、なのは確かだな


69. 母系社会 2014年6月29日 07:15:46 : Xfgr7Fh//h.LU : pr2iMNPoPc

>>67。66。59さん(以下は67さん)(2)

★科学を全否定しているのではありませんし、実証の大切さも理解している
つもりです。前にも書いたように「科学主義」を批判しているのであり、
「科学主義」を成立させている実体主義を否定しているのです。

★59さんは、認識を「主観ー客観」図式で考えているようですが、私は誤り
だと思います。しかし、そこまで話を広げると、大変煩雑なことになるので、
一応「主観ー客観」図式を前提に話を進めます。(つまり、基本的には
「物象化」後の世界のレベルで書きます。意味不明でしょうが)

●●質問

67さん、前の<59さんへ(1)>で、質問しているのですから、
答えて下さい。

質問とは、以下の@とAです。

@<引用開始>

>「絶対に正しくて確実」なんてこの世に無いし証明不可能ですよ。
>中身が無いし、意味が無いですよ。そんなことを言っても。

この「そんなことを言っても。」とは、何のことですか?

「絶対に正しくて確実」は、その通りだと思いますが、この文からだと、私が
「絶対に正しくて確実」な科学理論があると主張しているかのような書き方
ですが、私は、全く逆のことを書いているのです。

ところが、私が「絶対に正しくて確実」な科学理論があると言い、それに
対して、59さんが反論しているかのような文に思えるのですが、どこに私が
「絶対に正しくて確実」な科学理論があるというようなことを書いているので
しょうか?

67さんは、私が書いていないことを勝手に私の主張のように誤解して、
反論しているのではないですか?

つまり、自分の誤解を、自分で反論しているように思えるのですが?

<引用終了>

A<引用開始>

>「人間がそれを信じるかどうかで結果が変わるようなもの」は
>「科学的命題」ではありません。科学は「科学的命題」しか扱い
>ませんし扱えません。

この「人間がそれを信じるかどうかで結果が変わるようなもの」という文は、
「」付きで、一見すると私の書いた文を引用しているかのようですが、私は、
このような文は書いていませんし、この文の意味内容でも、このような趣旨は
書いていないつもりですが。

<引用終了>

●●「環境世界」説は、人類にも適用される

59さんは生物学者のヤーコプ・フォン・ユクスキュル(1864年〜1944年)
が唱えた「環世界」説=「環境世界」説と呼ばれている仮説=それぞれの
動物が知覚し作用する世界の総体がその動物にとっての環境である(WIKI)
=をご存知でしょうか?

WIKIの解説では、事例としてマダニの例が紹介されています。

<引用開始>

マダニというダニの一種には視覚・聴覚が存在しないが嗅覚、触覚、温度感覚がすぐれている。この生き物は森や茂みで血を吸う相手が通りかかるのを待ち構える。相手の接近は、哺乳動物が発する酪酸の匂いによって感知される。そして鋭敏な温度感覚によって動物の体温を感じ取り、温度の方向に身を投じる。うまく相手の体表に着地できたら手探りで毛の少ない皮膚を探り当て、生き血というごちそうにありつく。この生き物にとっての世界は見えるものでも聞こえるものでもなく、温度と匂いと触った感じでできているわけである。しかし血を提供する動物は、ダニの下をそう頻繁に通りがかるわけではない。マダニは長期にわたって絶食したままエサを待ち続ける必要がある。ある研究所ではダニが18年間絶食しながら生きていたという記録がある。

<引用終了>

このように、マダニにとって世界は「見えるものでも聞こえるものでもなく、
温度と匂いと触った感じでできている」と考えられます。

「環境世界」説ではこのように、生物の種により、世界は異なったものとして
知覚=現前していると考えます。

★「環境世界」説によれば、我々の日常意識では、朝、目を覚ました時に、
我々の眼前には、ある色あり、香ありの<日常風景的世界>が姿を現して
きますが、これもマダニにとっての世界と同じように、人間という種の固有の
知覚的世界で、マダニの世界と大差がないのかもしれません。

我々の日常意識では、我々のペットの犬や猫は我々とこの<日常風景的世界>
を、ほぼ共有していて、ほぼ同じ世界で生きているかのように思念しています
が、必ずしもそうとは限らないわけです。

近年の研究で、犬は白黒ではなく、青と緑とか数色で見ていることがわかった
そうですが、視力は0.2ぐらいで悪いそうです。人間は見えたままではなく、
脳が相当補って知覚しているので、どこまで共有しているのか定かではあり
ません。同じ哺乳類ですから、全く異なるわけでもないのでしょうが。

仮に、このマダニには人間の子供並みの知力があるとしますと、マダニは、
獲物自体と周囲の他のものの酪酸の匂いの差や温度の差から、我々には不明な
何らかの獲物と周囲の様子についての認識を得て、マダニ自身と獲物や周囲
の様々な物との距離や方向、大きさなどのマダニとの関係については、一応は
客観的認識(これが技術知)と言えます。

そして、その認識に基づいて獲物に飛び掛かるという実践して獲物の血が
吸えた場合、その時の獲物や周囲についての認識は、実際に血が吸えたので
実証された、そして実証されたからその時の認識は客観的な認識と考えるはず
です。

しかし、我々からすると、その時のマダニの認識は嗅覚、触覚、温度感覚だけ
から成る獲物や周囲についての認識に過ぎませんから、客観的な認識とは
言えず、せいぜい客観の近似の近似ぐらいとしか言えないと思います。

(この客観的という言葉は人により様々な意味で使われますので、ここでは
仮に、全知全能の神が存在するとして、その神の認識の意味で使います)

つまり、我々の認識が「実証」された場合は、対象と周囲の様々ものとの
<関係>についての認識が実証されたのであり、その物自体が「何であるか」
とか、その構造=システムの認識が実証されたのではありません。
(この「環境世界」説は、WIKIの解説にもあるように、哲学に大きな影響
を与えました)

●●「客観的」、「確認」、「事実」は、同じパラダイム共有する研究者
集団内の認定

>おいおい・・ というのが第一感。これは科学をやったことの無い人が、
>頭だけで考えた、つたない反論って感じがしますねえ。「更新」できな
>かったら、どうやって進歩するのですか? 「更新」できなかったら、
>間違った場合に修正が効かないではないですか?わかりませんかね。

私は、「更新」自体が不当とか、一言も言ってません。「更新」自体は当然
のことです。それほど馬鹿ではありません。

私が言っているのは、後で「更新」されてしまうなら、実は・・・

「客観的」でもないし、「再現性も確認」されたのでもないし、「事実」
でもなかったということです。

同じパラダイムを共有する研究者集団内で、ある理論が「客観的」とか、
「再現性も確認」されたとか、「事実」であるとかが承認されたというだけ
のことでしょう?

当然ですが、別のパラダイムを共有する研究者集団があり、その集団は認定
しません。全ての研究者が認めても、後に、ニュートン力学の時間論や空間論
のように間違いということになる場合もある。(ニュートン力学は今でも使用
されていますが、技術=テクニックとしての使用。理論としては放棄された)

>こういうアップグレードがあってはじめて、科学が進歩できます。

「更新」や「アップグレード」を否定しているのではありません。当然ですが
「更新」や「アップグレード」はすべきです。科学は、可能な限り客観性を
追求すべきなのは、極、当たり前のことです。誰も否定などしていませんよ。

しかし、この「客観」とか「客観性」という問題は、そう簡単な問題ではない
ということを、少なくとも約150年前には哲学者は気が付き、それ以来、
哲学者は、悪戦苦闘を続けているのです。

ところが、科学者(科学哲学者)が、この難問に気が付いたのは1960年代
であり、しかも、67さんのように、大半の科学者(社会科学者も)は、大学
の教授クラスでも、この難問を理解していない科学主義者です。

科学は、哲学を総じて<思弁的>として、切り捨ててしまい顧みませんでした。
確かに、哲学は<思弁的>ですが、思弁だけしていたのではない。哲学者は、
哲学者なりに、昔から自然を観察してきたから、ギリシャ時代には地球が球体
であることも、地球の大きさもほぼ正確に把握し、紀元前3世紀ころのアリス
タルコスは、太陽が地球の10倍の大きさで、地球の方が太陽の周りを回っている
という地動説を唱えていた。

思考とは、対他的関係性の自覚化=対自化だからです。しかし、この世には、
実証も、反証もできず、思弁=論理でしかない解明できない領域があり、
科学者自身も、盛んに<思弁>しています。気が付かないだけです。

●●科学にもイデオロギー性がある

>科学は「科学的命題」しか扱いませんし扱えません。
>イデオロギーというのは、主に価値観の命題ですよね。これは科学とは
>対極にある。

確かに、そのような建前になっていますね。しかし、仮に扱う命題は非価値的
命題でも、アインシュタインが「決定論」の立場で「神はサイコロを振らない」
と言ったように、理論も、煎じ詰めれば<解釈>なのです。

中世は、自然を生物と考える有機体論的自然観で、全体論的だったが、デカルト
が自然から魂を追い出し、自然を時計のような機械に譬え、個々の部品を研究し、
その部品を組み立てたものが自然として機械論的自然観を提唱した。

この部品に注目する考え方から、要素の発見イコール対象の解明と錯覚する
「還元主義」が現れた。これは、全体よりも個を重視する立場で、原子論的で、
決定論的、そして「原因と結果」の因果論だった。だから、この時代は全体論的
な科学理論は批判を浴びた。

ところが、最近は、全体性も重視した相互作用論的科学である「ホーリズム」や
「創発」、「複雑系の科学」、「システム論」が盛んになってきて、再び全体論
が復活しつつある。

関係主義は因果論的ではなく相互作用論的だが、この「個」も「全体」も、
両方とも実体と考える点は同じとして批判する立場です。

★つまり、大半の科学者は意識していないが、科学者は、個を重視する機械論
的自然観とか、全体性を重視する生物論的=有機体論的自然観か、あるいは
広松渉のように、関係主義的世界観=弁証法の立場=の枠組みで考えるか、
という一種の色メガネを通して世界を見ているのであり、この色メガネが
「イデオロギー」の役割を果たしているから、科学もイデオロギーです。

広松渉の場合、こうした自己の「イデオロギー性」を自覚して研究する立場。
だから、自派の理論が、歴史性を越えた<普遍>であるとは考えず、歴史的な
限界性を帯びていることに自覚的で、公言もする。しかし、当然のことながら、
学問である以上、それでも、できるだけ客観性を追求する立場で・・・

どうしても歴史的な限界性を帯びてしまうなら、客観性など、どうでも良いと
いうような立場ではない。

★そもそも、虹は2色だという民族から、日本人のように7色という民族まで、
色の認知も様々ですし、平坦な道も、我々は坂道のように認識します。
クラッシックの名曲を、聞くに耐えないノイズとしか認識しない民族もいます。

我々は、世界を客観的に見ることなど、もともとほとんど出来ないのではないか
と、常に疑うべきです。

★とは言え、我々の知識は全て誤りというような極端な主張をしているのでは
ありません。それなら、人類は環境に適応できず、滅びているはずだからです。

我々の知識には正しいものもあるし、誤りもあるのは確かです。

それは、人類が蓄積した全知識=諸理論は、「イデオロギー性」を帯びたもので
あるのは確かだが、一方で、個々の理論は様々な命題の集積でもあり、そうした
命題の中には、正確なものもあるわけで、理論は「イデオロギー性」を帯びた
ものだから、その中の命題の全て誤りと言っているわけではない。

だから、広松の場合、たとえ広松とは違う立場の論者、あるいは広松を批判する
論者の著作でも、優れた理論なら、読んで学ぶわけです。

●●無前提な理論はない。全て歴史的、文化・社会的限界性を帯びている

>前提や仮定を置いてもよいが、それが妥当かどうか、それが成り立つかどうか
>も含めて毎回検証される。他の理論との論理整合性も厳しく検証される。
>そういうのが科学だし、こういうプロセスを経ないと科学にはならない。

前回、私は・・・

<引用開始>

無前提的な言説はあり得ないので、全て仮定を置かないと、論理は組み立てら
れません。一般的に広く承認されていること=エンドクサ=を前提・仮定に
して、それを踏み台にして論理を展開し、その過程で、最初のエンドクサを
吟味・検証するという方法しかあり得ません。

無前提的な言説として展開するのは、自分の学説にも暗黙の前提があることに
気が付かない二流学者です。あるいは、そのように装っているなら詐欺師です。

>でもそのときは、「この仮定の下ではこうなる」という言い方しかしません
>からね。

最初の仮定自体を、論理展開の過程で、吟味しなければならないのです。

時間なら、脈拍→振り子の等時性→置時計→ナースウオッチ→脈拍というよう
に、最初の脈拍の精度を成果で吟味するのです。

<引用終了>

と書き、そもそも、無前提的な言説などあり得ないと言っているのですが、理解
してもらえなかったようです。

★全ての理論も含めた言説には前提があるというのは、哲学ではイロハです。

前提など無いと思っていても、暗黙の前提があり、それが「歴史的限界性」です。

この「歴史的限界性」とは、日本で言えば江戸時代の鎖国政策には、良い面も
ありましたが、一方で、日本の学問は、どうしても「限界性」を帯びます。

また、西欧も、アジアやアフリカに植民地を建設し、詳しく各地の民族文化に
接するまで、東洋を断片的知識だけで差別的視点で見る「西欧中心主義」的思考
をしていたことに気が付きませんでした。

日本も南蛮人とか差別的に見ていたので、この「西欧中心主義」的思考は、西欧
以外の文化を良く知らない段階では、止むを得ない面があり、当時の西欧人から
すれば、非欧米人が野蛮であるのは「自明」だったとも言えます。

このように、「自明」として、それ以上の思考を中止してしまうことは、様々な
分野で、今でもたくさんあるはずなのです。

そして、こうしたことに気が付かない人は、自分は何でも知っていると勘違い
している人で、そのような人は「自明であること」しか述べていないとか考え、
自説は無前提だと考えてしまうのですから、前提だと気が付いていない前提も
あると考えるべきです。

つまり、他説には<寛容であれ>ということです。

●それで、先のコメントにも書いたように、意識的に、自覚的に前提を置き、
それを踏み台にして論理展開し、その過程で、踏み台にした前提を吟味・検証
するという方法がベストです。

★しかし、67さんのような科学主義者は、自説は無前提的だと勘違いしている
から原発のような施設を造ってしまい、現在では恐ろしい存在になったのです。

というのは、科学主義者は事故が起きると「想定外」と言いますが、この
「想定外」とは、要するに<暗黙の前提>でもあるからです。

(例えば、原発予定地で起きるかもしれない地震の大きさを地震学者が尋ねられ
たら、原発の場合は不明と答えるべきです。ところが、過去の地震データを1万
年前までとか遡って調べ、最大地震は過去1万年でマグニチュード5とか報告
します。すると、<過去1万年で、最大でマグニチュード5なら、例えば20%
アップの地震に耐えられるようにすれば、100%科学的に安全>と科学主義の
学者は判断し、原発が建設されてしまいます。

ところが、自然は機械ではありませんから、過去2万あるいは、10万年間、
地震が起きなかった場所でも、いきなりマグニチュード9の地震が起きる可能性
はあるわけです。長い間、地震が起きていないということは、それだけ歪が蓄積
されているかもしれないからです。すると科学主義の学者は「想定外」と言い訳
するのですが、この場合「20%アップ」が安全係数(安全率)であり、この
場合の「暗黙の前提」は、「20%アップしておけば絶対安全」といことです)

また、67さんが「前提や仮定を置いてもよい」ということは、前提や仮定を
置かなくとも良いと言っているのと同じですから、そう言う67さんは・・・

言語論で言えば・・・

全ての言語に前提があること、そして日本語なら、日本語特有の前提もあること
を理解していません。(良く「翻訳は難しい」言いますね)

言語が表す意味=概念は、関係概念であり、実体概念ではないからです。

★ソシュールの言語理論や、最新の言語理論を学んでください。

現代の理論哲学は、言語論抜きには語れない状態であり、言語論全盛です。

●●<自明>も、<選択>=<総合的判断>=<信じる>である

認識論で言えば・・・

★67さんは「素朴反映論」を信じていることになります。

素朴反映論者は、「生の事実」とか言って、宗教のように<信じる>のではない
「自明」だと言いますが、決して宗教は<信じる>もので、科学とは違うとは
言えません。それは科学の立場からの批評にすぎません。

「生の事実」とか「自明」などと、簡単には言えないのです。

「生の事実」とか「自明」というのは、サッカーのルールを、全スポーツ共通の
ルールと勘違いしている審判が、どんな競技でもサッカーのルールで、審判して
いるようなものです。

「素朴反映論」は、遅くとも18世紀後半には、既に、カントが間違いだと
気が付き、カントは不可知論的な独自の認識論を構築していますし、それ以来、
哲学者は、あれこれと悪戦苦闘してきたのです。

哲学者は、科学者の業績を、もっと学ぶできですが、科学者も哲学者の業績を
馬鹿にしないで学ぶべきです。

>政治イデオロギーとか、平和主義とか、宗教とか、そんなのと一緒にされては
>困りますねえ。

★科学者が科学は宗教ではないと言うのは半分は正解ですが、半分は誤りで、
科学にも<信じる>という面があり、それが科学が大前提とする・・・

<自然の斉一性原理>だと指摘しました。

67さんは、<自然の斉一性原理>を信じないのですか?

これを信じないと科学は成立しないのでは?どうですか?

★<自然の斉一性原理>は<自明>であり、<信じる>という問題ではないと
いう人がいますが、この<自明>こそが、前に書いたように曲者です。

宗教者も、神を<自明>と考えているので、<自明>は<信じる>ではないと
言うなら・・・

宗教も<信じる>ものではなく、<自明>であり科学と同じという他ありません。
ダブル・スタンダードになるので。


★西洋で誕生した医学は、ほとんどの呪術的、伝統的医学を各地で駆逐しました
が、それでも東洋医学=漢方医学が、唯一残存していて、成果をあげていること
も考え直して見るべきです。

東洋医学=漢方医学は、単なる民間医学ではなく、それなりの理論体系があり
ますから、これは質的に異なる「二つの科学」が併存しているのです。そして、
西洋医学は、西洋医学は正しいという前提でしか、東洋医学を否定できない
ので、結局は東洋医学を論理的には否定できません。

なぜなら、単に西洋医学は正しいから、東洋医学は間違いという同義反復的否定
だからで、論理的否定ではないからです。

西洋医学と西洋医学で使われる言葉は、意味=概念自体が微妙にズレている
ので、それぞれ独自の理論体系であり、<選択>=<総合的判断>=<信じる>
という手段でしか、どちらか一つを支持することができません。

西洋医学と東洋医学のどちらか一つを選択する場合を想定すれば、科学にも
<信じる>という面があることがわかると思います。



70. 2014年6月29日 11:29:31 : vqy7HI0tz2
>>69さん

第一感ですが、コメントが長いですね。ご苦労様ですが、長すぎますよ。
もっと要点をまとめて分割して投稿していただいたほうがよい。

あなたが真剣に考えてらっしゃるとということはよくわかりました。
言論として興味を感じますし、勉強になる部分もあると思うので
なるべく回答したいと思います。

あなたの最初の質問にまだ答えていないのは、回答を書くのが追いついて
いないだけなので、少しお待ちください。


71. 2014年6月29日 18:01:46 : vqy7HI0tz2
>>69
最初に質問(2)に答えます。
カッコをつけたのは強調するためであって、引用とは関係ありません。
通常、引用する場合は、行頭に>を置き、その後に引用部を書きます。

72. 2014年6月29日 18:02:51 : vqy7HI0tz2
>>69
次に、質問(1)に答えます.

>>59
>>。ヨ絶対に正しくて確実」なんてこの世に無いし証明不可能ですよ。
>> 中身が無いし、意味が無いですよ。そんなことを言っても。
>>69
> この「そんなことを言っても。」とは、何のことですか?

「そんなことを言っても」に相当する箇所は、>>55の以下の部分です。

>>55 つまり、自然法則は近似的に正しいに過ぎないし、共時的には有効でも、
> 通時的には適用できなくなるもので、永遠に正しいとか、宇宙のどこでも
> 使えるのではないということ、ある限定された範囲内でのみ、有効という
> こと・・・
> なぜなら、仏教が教えるように、全ては一瞬の休みなく生成変化し続けている
> から、今は使えても、やがて無力になる自然法則もあるということです。

一行でまとめるなら、自然法則は完璧ではない、とおっしゃっている。
完璧でないのは事実です。しかし、完璧なものなど、この世にはありません。
完璧であることの完全証明も不可能です。
そんなことを言って、何になるのでしょうか? 何の論拠にもならない。
というのが私の意見でした。

ただし、引用部分の主張が科学万能主義に対する反論であるなら意味は通ります。
それならば、ごもっとも。
しかし、科学万能主義の科学者などは、ほとんど見たことがないですね。

自然法則は完璧だなどと主張する科学者はほとんどいないと思います。
「完璧」などとは言わないですね。こういう言葉は使いません。
十分な客観的検証を経た自然法則の信頼性は極めて高く、その法則が現在使用可能か
どうかについても確認しながら使っている、しかも確認された精度の範囲内で
使っている、つまり最善を尽くしている。
このように答えるでしょうね。

さらに言うのであれば、客観的検証をどれだけ尽くしたと思っても、完璧からは
遠いわけです。ですから、いまの検証作業は継続しなければならない。
違った角度からの検証作業も必要でしょう。
それを踏まえた上で、「データと検証と理論とを考慮した結果、事実はこのように
なっていると"思われる"」、などと主張するわけです。

あなた風にいえば「色メガネ」。これが無いとは言いませんよ。しかしながら、
なるべく色の薄い色メガネになるように努力を続けている。それが科学の営みです。

新しいセンサーが開発されれば別の世界が見える。それによってそれまでの認識が
ひっくり返ることもあります。ひっくり返ったら、認識を改める。そのようにして
これからも科学は進歩します。科学の最前線というのは、常に暫定的な最善の理解
で構成されています。

こういったこと。これは独裁者の上意下達で決まる思想イデオロギーとか、教祖の
上意下達できまる教義とか、そういうものとは異なります。科学者個人、もしくは
科学者集団が、当初いかに間違った色メガネを持っていたとしても、観測や実験と
合わなければ、その理論は破棄されます。全人類が地球は平らだと思いたがったと
しても、事実と合わなければ、その考えはいずれ修正されます。たしかに、我々が
この世界をなるべく客観的に認識するためのセンサーは限られています。しかし、
その限られた中で、なるべく客観的になるように努力しているし、新しいセンサー
が使用可能になれば、それを使って、より正しい理解になるように努力し、もし
間違っていたところがあれば訂正するわけです。そういう営みをやっている。

国際学会のプレゼンスライドなどで、よく「群盲象を撫でる」の図を見かけます。
これは、「科学者は、自分が群盲の一人であると自覚しながら、それでもなんとか
してより客観的な事実に近づこうと努力している」、その態度のあらわれです。

これ以上によい態度や枠組みがあれば教えてほしいものだし、自然界に対する
知的探求の方法として、科学よりも高いレベルで客観性や実証性を担保できる
方法があるなら教えてほしいものです。

完全な客観や、完全な実証などありません。あるのは、より客観的、より実証的
ということ。そこへ向かって最善を尽くしているのが科学だと思います。
(回答終了)


コメント>>69の残りの部分に対する回答ですが、ここまで読んだ上で、それでも
まだ回答になっていない部分があるなら、質問番号をつけて聞いていただけると
助かります。
# 哲学用語が増えてきましたが、なるべく控えていただきたい。
# 誰にでもわかる平易な言葉で語ってください。


73. 2014年6月29日 19:59:12 : vqy7HI0tz2
>>69
自然の斉一性(この言葉は嫌いですが)の関連で少し書いておきましょう。

自然の法則性の探求が科学そのものであるといっても過言ではありません。
ですので、法則の精度や適用可能範囲や再現性、そういったことの点検作業は
絶えず非常に厳しく行われています。
何もせずに漫然と仮定したり前提に置いたりしているわけではない。

ある法則の再現性についてものを言うとき、そこにはこれまで行われた全ての
実験・観測結果の重みが載っているということです。
ここを軽視すべきでない。

ある法則が地球上で成り立つことが検証され、軌道上の宇宙空間で成り立つことが
検証され、別の銀河でも成り立つことが検証される。
我々は検証し続けているのですよ。そしてその検証の対象は広がり続けているし、
精度も上がり続けている。
何もせず何も考えずに単純に仮定したり前提に置いたりしているわけではない。
幾多の検証に全て耐え抜いた。一度も破れなかったという重みが載っています。
ここを軽視すべきでない。

現代科学では「物理定数が初期宇宙においても現在と同じ値であったか」まで
検証するフェーズに入ってきています。宇宙開闢直後であれば、物理定数が
現在と異なる可能性はある。これは100億年以上過去の話です。
そういったところまで含めて検証しようとしているのが、現代科学です。

自然法則の再現性が未来においても保たれるかどうかはわかりません。
ですので、ある法則を使うならば、それがいま成立することを確認しながら
使います。法則の確認・検証・高精度化はずっと続けるということです。
これは実験装置でいうならば、較正(キャリブレーション)に対応します。
科学的実験に耐えうるかどうかをはっきり確かめてからでなければ、その
装置を使うことはしません。

こういったもろもろの莫大な労力の上に、理論体系や現代科学がのっている
ということを言っておきたいと思います。安直に否定できるような、そんな
もろいものではありません。

ここまでやっても完璧からは遠いという、仕方のない事実もあります。
しかし、我々にとってこれ以上の方法が無いのも事実でしょう。

もし、この説明でまだ不満がおありならば、ではどうすべきかということを
具体的例も提示しながら、科学の言葉でお聞かせ願いたい。


74. 2014年6月30日 09:09:07 : aiMZAOJQqY
>>65
そんな科学論はどうでもいい。事実に目を向けろ。

実際に、チェルノブイリ原発が大爆発を起こして、大勢の人が被ばくで亡くなり、また今もって苦しんでいる。
事故後に生まれた若い世代にも深刻な影響が及んでいる。

ロシア、ベラルーシ、ウクライナは事故数年後から人口が減少し、一度も増加したことはない。
自殺率も極めて高い。

これは誰もが否定できない事実だ。

原子力ムラの連中は、やれ経済状況がどうだの、ウォッカの飲みすぎだと苦しい言い訳をするが、噴飯ものだ。
放射能被ばくの影響であることは明らかだ。

それを認めたら最後、原子力は二度と推進できなくなる。
だから必死であーだ、こーだと理由をつけて誤魔化しているだけ。

そしてお前さんもその片棒を担いでいるだけだ。

チェルノブイリと同等以上の放射能汚染が福島をはじめ広範囲で検出されている以上、
同様のことが起きると考えるのは、当たり前であり、科学的な帰結である。

いくら屁理屈をつけたところで、真実は隠せない。


75. 2014年6月30日 20:16:23 : vqy7HI0tz2
>>74
> そんな科学論はどうでもいい。事実に目を向けろ。
> 放射能被ばくの影響であることは明らかだ。
> いくら屁理屈をつけたところで、真実は隠せない。

「有る」と主張されていますよね。だったら「有ることの証明」をしてください。

私自身は有るとも無いとも言っておりません。有るのだったら証拠を出せと言っている。
それが不十分だから何度もつつかれているのだ、ということがわかりませんか?

>>40,>>46,>>56,>>65を再読したうえで、理路整然とした誰も反論できないような、
科学的・定量的・統計的で医学的にも適切な「証拠」が示されるなら、信じてもよい。

いいですか? 「あなたが盲信したい記事ソース」では無くて、「他人を説得するに
値する科学的・定量的・統計的で、学術的にも信憑性の高い証拠」ですからね。
ここを勘違いしないでくださいよ。


76. 2014年7月01日 01:20:44 : uEEk6aHu6A

 あのさ、もっと簡単な話で済ませられないの?、普通は、風邪引いて医者を受診する時、自分でウイルスの検査キット使ってインフルエンザだと同定してからタミフル頂戴と医者に処方を求めたりしないよね。
 これは、医者を指している話では無いけれど、「鼻血が出たー」でも「皮膚から血が出たー」でも、何でも、大凡、実際に身をもって経験している本人以外には荒唐無稽に思えるような健康被害の訴えでも、訴えが有るなら、それを真摯に受け止めて、それぞれの立場、役務の中で適切に対処する義務を負っている連中が、私らの生活している社会には配されて居る。
 そいつらが、妙なバイアスを掛けられずに真面目に仕事をしているなら、被害の訴えが有意な物かどうか評価され、社会的な対応が取られて行く。
 その過程で、原発事故に伴う健康被害らしいとの認識にしろ疑いにしろ何か起きているらしいとなれば、新しい知見と捉えて実験や検証を加えていく連中がが出てくる。
 普通は、これで旨く行く。なので、健康被害を抱える人は、ただ、その被害を、繰り返し繰り返し声を張り上げて叫び続けるだけで良くて、理論的な何たらだの、物理的だの科学的になど、どうでも良い事だし、それを理由に口を噤ませるなら、それは暴力や恫喝しての強制と変わらない。

 そもそも、原発事故による被爆被害は一企業の引き起こした事故による健康被害なのだから、その被害を引き起こしたと疑いを掛けられている連中が、ここで議論されている主義主張の拠り所でである物理的、科学的な検証を加えて疑いを晴らし、なおかつ被害者を納得させる必要が有る。
 乱暴な例を上げるなら、放射性物質は吸い込んでも安全だ。鼻血は出ないし健康も害さないと主張するなら、1Fでの廃炉作業で使っている放射線(外部被曝)を遮る能力の全く無い全面マスクや防護服も不要として普段の作業着で仕事する姿を実際に見せないと誰も納得したりしない。
 東電にしろ国や地方自治体は、風評だの、思い違いだの、現在の知見だので逃げる事は許されない。

 内部被曝の健康被害については、近年になって、広島/長崎での原爆での被曝でも多くの健康被害を引き起こしていると問題視されてきていて、実際に最近になって実験が開始されるなど、原発事故での健康被害についても、これから多くの実験や検証が行われる事で知見が確立する事になるだろう。
 なので、原発事故で健康被害を被ったと考えている被害者は、何処の誰に遠慮する事無く、ただ繰り返し声を上げ続ければ良いし、外野にいる連中は、本来責を負って問題に向き合わねばならない連中のケツを喧しく煽って蹴飛ばし続けていれば良い。無責任に騒ぐだけで、事態を僅かずつでも動かせるなら、それで良しだ。
 と、思う。


77. 母系社会 2014年7月01日 19:41:48 : Xfgr7Fh//h.LU : wZ89aDNxzA

>>73さん

私のコメントを理解していないようです。

私は、科学を、73さんが言うようなものであると理解して、それでも
批判しているのです。

ですから、私のコメントの55以下を、もう一度、良く読んで、考えて
みてください。

子細な反論は、再度します。


78. 2014年7月01日 19:55:57 : vqy7HI0tz2
>>77さん
> 私のコメントを理解していないようです。
> 私のコメントの55以下を、もう一度、良く読んで、考えてみてください。

そうですか。では、もう一度読んでみましょう。
あなたにお願いしたいのは、論点を整理して、平易な言葉で簡潔に論点を
書き下すことです。哲学の言葉はなるべく使わないでください。
質問がいくつもあるなら番号をつけてください。

> 私は、科学を、73さんが言うようなものであると理解して、それでも
> 批判しているのです。

科学に関して、最低限の理解をお持ちいただけたのはよかったと思います。


79. 2014年7月01日 20:04:42 : vqy7HI0tz2
>>76
> なので、原発事故で健康被害を被ったと考えている被害者は、何処の誰に遠慮する事無く、
> ただ繰り返し声を上げ続ければ良いし、外野にいる連中は、本来責を負って問題に向き
> 合わねばならない連中のケツを喧しく煽って蹴飛ばし続けていれば良い。
> 無責任に騒ぐだけで、事態を僅かずつでも動かせるなら、それで良しだ。

無責任ですねえ。本当に無責任だ。まるで火病のようですが、火病推奨なのですか。
「事実かどうか」よりも「騒ぐかどうか」を重視してらっしゃる。

ただ騒ぎ立てる態度というのは、物事の因果関係を考えながら批判を加えるとか、
全体の問題解決を意識しながら論点を提示するとか、そういった態度とは対極ですよ。

一言でまとめてしまいましょう。あなたの考えは、韓国人の考え方です。
セウォル号事故の時には、あなたがおっしゃるような態度を、全韓国国民がとった。
その結果どうなったか、知性があるなら、それをよく噛みしめるとよい。

本当に必要なのは、冷静な批判、事実に基づいた指摘、強い証拠の提示。違いますか?
あなたみたいな考えの人が多いと、事態をよりよい方向に動かすのが不可能になります。
それは、日本人の民度を下げる考え方だと思いますよ。
(過去コメントの>>40,>>46,>>56,>>65をお読みになるとよい。)


80. 2014年7月01日 23:33:46 : uEEk6aHu6A
>>79
 ふむ、確かに言葉が過ぎたようだ。なので、一文を差し替えたい。

>外野にいる連中は、本来責を負って問題に向き合わねばならない連中の
>ケツを喧しく煽って蹴飛ばし続けていれば良い。無責任に騒ぐだけで、
>事態を僅かずつでも動かせるなら、それで良しだ。

 この一文は、次の様に訂正しよう。

 外野にいる連中は、本来責を負って問題に向き合わねばならない連中のケツを優しく煽って、問題の解決に勤しんで貰えるよう励まし続ければ、それで良しだ。


81. 母系社会 2014年7月02日 14:39:23 : Xfgr7Fh//h.LU : tfutjF03FI

>>78さん(その1)

>そうですか。では、もう一度読んでみましょう。

「もう一度、良く読んで、考えてみてください。」とは、私の方も、
少々、失礼な言い方をしてしまい申し訳ありません。

>もし、この説明でまだ不満がおありならば、ではどうすべきか
>ということを具体的例も提示しながら、科学の言葉でお聞かせ願いたい。

「関係主義」を提唱する広松渉は、この「関係主義」という立場から、現実の
世界では「歴史的相対主義」という立場を提唱していますが、私の解釈では、
これは、次のようなことを広松は言いたいのだと思います。

●まず、この「歴史的相対主義」を、一般化して言うと、私たちは、日常生活
や学問のような抽象的思考でも、様々なことを確信し、そして確信するだけ
でなく、実行もしていますが、そのような確信は実行して良いのですが、
実行する前に、ほんの一瞬でもいいから、その確信が間違っている可能性
が原理的にあるということを反省してみて、実行するなら、そうした反省を
した後で実行すべきだ、ということだと思います。

@これを、科学に関連させて言えば、前にも書いた原発の耐震性の問題なら、
例えば、<過去、1万年間に起きた最大地震の、更に20%強の地震に
耐えられる原発を造れば安全>というような、ある意味で科学的な確信も、
間違っている可能性が原理的にはあるのだということを、反省してみる
ということになります。

こうした反省してみてから、もう一度、原発を建設しても良いのか、考えて
みるということです。そのように考えれば、原発のような絶対に事故を
起こしてはならない施設は、造れないでしょう?ということです。

しかし、仮に、そうした反省をしても原発を建設しても良いと判断したなら、
<過去、1万年間に起きた最大地震の、更に20%強の地震に耐えられる原発
を造れば安全>という考え方を、絶対的真理と考えて建設したということに
なります。

だから、原発の建設に協力した科学者は、<過去、1万年間に起きた最大地震
の、更に20%強の地震に耐えられる原発を造れば安全>という科学的命題を、
単なる「仮説」に過ぎないとは考えず、絶対的真理と考えた「科学主義者」な
のだと思うのです。

もちろん、「科学主義者」でも、他の科学的命題なら、「仮説」と考える場合
もあるのでしょうが、彼らには、一部であれ、絶対的真理と考える命題もある
ので、そうした科学者のことを「科学主義者」と呼んでいます。

Aまた、宗教や政治などでは、敵と味方の間だけでなく、第三者からは、味方
同士で戦っていると思える場合が多々起こります。

こうした戦いの場合、確かに、様々な理由で、敵側はもちろんですが、味方
でも敵と確信してしまうから、戦いが起こるわけですが、そうした確信を実行
するなら、その前に、ほんの一瞬でも、その確信が間違っている可能性が
原理的にあるということを反省してみるべきだ、ということになり、敵でも
殺すには止めようとか、戦いの犠牲を減らす機能を発揮します。

●しかし、@もAも、どんな確信でも誤りの可能性が原理的にはあるという
ことを、理論的に明らかにしなければ説得力がありませんが、そうした役割を
果たすのが、広松の「関係主義」的理論だと思います。

しかし、これを普通の言葉で言い表すのは、私にはとても不可能です。これは、
存在や認識、論理などの分野での「もう一つの考え方」で、存在についてなら、
釈迦が説いたとされる仏教の縁起論の・・・

「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、
此が滅すれば彼が滅す」

という言葉を、インドの龍樹という中観派のお坊さんが解釈した内容とほぼ
同じ存在観ですが・・・

これは要するに、我々の常識では、ある物Aとは、何らかの素材的なものに、
性質とか本質が具わっているもの=実体と考えますが、実は、それは
一種の錯覚であるという存在観であり、物Aの性質とか本質とは、そのAと
他の物Bとの関係性が、AやBに反照=物象化したものという考え方です。

要するに、全ては相互に関係し合いながら、相互に依存し合いながら、「それ」
として存在しているのであり、それ自身の力で「それ」として独立自存して
いるものではないという考え方です。

これは、仏教が昔から言っていたことですが、量子力学が明らかにした素粒子
理論=波と粒子の両方の性質を持つもので、しかも、マクロ世界の物のように、
個別の名前をつけて素粒子を個別に識別することが原理的に不可能な物=とも
親和性があるのは、ご理解頂けると思います。

広松は中学生の時から活動していた左翼の活動家でしたが、物理学にも興味が
あったので、物理学者を目指して大学に入ったのですが、物理学を学ぶうちに、
どうも、基本的な世界観を変えないと、物理学が直面している壁は越えられない
と考えるようになりました。

それで、哲学に転向したのですが、物理学徒だった時に考えていた認識論が、
マルクスの資本論の認識論と同じことに気付き、マルクス理論を西欧理論哲学
の長い歴史の中で見直す作業から、社会科学だけでなく、自然科学も含めた
独自の理論=物象化論=を考え出した哲学者です。

もちろん、広松は絶対的な真理として、自説を述べているのではなく、あくま
でも、暫定的な、仮説として述べているのであり、これは、弁証法の立場
では当然なことです。

長くなるので、ここまでにします。



82. 2014年7月03日 23:57:27 : vqy7HI0tz2
>>81さん
わかりやすく書いていただきありがとうございました。勉強になる部分の多い投稿
だったと思います。まずは、(1)についてのお返事を書きます。

> ●まず、この「歴史的相対主義」を、一般化して言うと、私たちは、日常生活
> や学問のような抽象的思考でも、様々なことを確信し、そして確信するだけ
> でなく、実行もしていますが、そのような確信は実行して良いのですが、
> 実行する前に、ほんの一瞬でもいいから、その確信が間違っている可能性
> が原理的にあるということを反省してみて、実行するなら、そうした反省を
> した後で実行すべきだ、ということだと思います。

正しいと思います。私もそのように心がけております。

> (1) これを、科学に関連させて言えば、前にも書いた原発の耐震性の問題なら、
> 例えば、<過去、1万年間に起きた最大地震の、更に20%強の地震に
> 耐えられる原発を造れば安全>というような、ある意味で科学的な確信も、
> 間違っている可能性が原理的にはあるのだということを、反省してみる
> ということになります。

ここを読んだ瞬間におっしゃりたいことはほぼわかりました。
この意見を書かれた動機には共感します。

> だから、原発の建設に協力した科学者は、<過去、1万年間に起きた最大地震
> の、更に20%強の地震に耐えられる原発を造れば安全>という科学的命題を、
> 単なる「仮説」に過ぎないとは考えず、絶対的真理と考えた「科学主義者」な
> のだと思うのです。

最初に申し上げたいのは、これは科学自体の問題では無いということです。
では"科学主義"の問題なのかというと、それとも少し違うと思います。

科学は、その分野によっては、他者からの激しい介入を受けます。
◎だれが介入するのか? それは主に政治や大企業・資本家サイドの人々です。
◎介入を受けるのはどのような場合か? それは主に金や権力が絡んだ場合です。

上の2項目をみれば、どのような科学分野が介入されやすいか、それとも介入を
受けにくいかすぐにわかると思います。

介入されにくいのはどのような分野でしょうか。それは、数学、基礎物理学、天文学、
古生物学、火山学、植物系統学、動物生態学、などなどの科学分野です。
金や権力との相互作用が少なく、純粋かつ冷静な科学的議論が交わされています。

では介入されやすいのはどの分野でしょうか。それは、原発関連、地球温暖化関連、
バイオ・製薬関連、などなどの、金と権力が絡みやすい科学分野です。

前者の分野は、科学者の正規軍といって差し支えないと思います。
しかし、後者は違う。
後者の分野には、「肩書きは科学者だが中身はそうでない人々」が混ざっています。
まっとうな人もいます。しかし、"混成部隊"になっているという点が重要です。
後者の分野では、科学的議論が人為的に歪められることが起こりやすい素地があります。

では、これらの科学分野は、どのように介入を受けるのでしょうか。
それは、資金の流れや人事をコントロールする、以下のような方法によってです。

政治介入の主な例:
◎大学・研究所への運営費交付金、科学研究費の配分の仕方のコントロール。
◎内閣参与や第三者会議の人選などのコントロール。
つまり、都合のよい科学者だけを招集して、学界標準であるかのごとく意見を言わせたり
できるし、地球の温暖化を肯定する研究ばかりに科学研究費を分配することもできる。

まだたくさんあるが、もう一つの例としては、
◎様々な科学的成果の参照の仕方のコントロール。
つまり、白黒両論あっても、都合のよい文献だけ引用することで、白にも黒にもできる。

企業介入の主な例:
◎大学・研究所に寄付講座を開いて、そこに都合のよい人間を送り込む。
◎産学連携のお題目で研究者に金を流し込み、見返りに都合のよいことを言わせる。
◎企業内に研究所を設立して、言うことを聞く人間をそこに集め、金は企業持ちで
 そこから人間を派遣し、派遣先の大学・研究所の肩書きで都合のよいことを言わせる。

原発問題の場合は、科学への政治介入と企業介入が、ハイブリッドで行われています。
しかも三つ巴になっている。つまり、推進方向の介入と、反対方向の介入と、
まっとうな科学者とが入り乱れている。しかも、それをどのようなメリハリで報道
するかをメディアが握っていて、報道段階で歪みが追加されるわけです。
原発問題を我々がいつまでも解決できない諸悪の根源はここにあります。

「科学主義かどうか」とはあまり関係が無いと思います。各政治・企業勢力にとっての
結論は最初からお手盛りで決まっていて、科学はお題目に利用されているだけです。
つまり、科学が絶対的真理だと勘違いした科学主義の人々がいる、というのではなくて、
科学を恣意的に切り貼りして方便に使い、それを盾にどこまでも言い張る論理が使われて
いるということだと思います。これは科学の盲信とは逆で、科学的プロセスの軽視です。

"わざと"やっていますので、科学主義の観点で切り込んで論破したとしても、彼らが
改心することなどありえません。だからといって、批判しないわけにもいきませんので、
ご批判の内容はもっともだと思います。

これらのことはご存知だとは思いますが、明確化のために書いてみました。


83. 2014年7月07日 20:28:19 : vqy7HI0tz2
>>81さん
二番目の論点についてのコメントを書きます。

> しかし、これを普通の言葉で言い表すのは、私にはとても不可能です。これは、
> 存在や認識、論理などの分野での「もう一つの考え方」で、存在についてなら、
> 釈迦が説いたとされる仏教の縁起論の・・・
> 「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、
> 此が滅すれば彼が滅す」
> という言葉を、インドの龍樹という中観派のお坊さんが解釈した内容とほぼ
> 同じ存在観ですが・・・

こういうことを真剣に考える態度というのは価値があると思います。

> 要するに、全ては相互に関係し合いながら、相互に依存し合いながら、「それ」
> として存在しているのであり、それ自身の力で「それ」として独立自存して
> いるものではないという考え方です。
> これは、仏教が昔から言っていたことですが、...

こういったことは、科学者もいつも普通に考えていることだと思います。
そうでないとすぐに自然の見かけの姿に騙されて仕事になりませんので。

特に重要なのは、もの自体を見るのではなく、ものの背後に何があるのかを
見極めようとする態度です。もの自体は仮住まいであり、因果や相互作用や
法則など、重要なのはそちら側です。
この点で仏教と非常によく似た部分があり、ほとんど同じだと思います。


84. 母系社会 2014年7月10日 11:07:06 : Xfgr7Fh//h.LU : B3JTja5zWA
>>82さん

>ここを読んだ瞬間におっしゃりたいことはほぼわかりました。
>この意見を書かれた動機には共感します。

理解頂き、ありがとうございます。

>最初に申し上げたいのは、これは科学自体の問題では無いということです。
>では"科学主義"の問題なのかというと、それとも少し違うと思います。

●私は原発を推進してきた学者は全員、いい加減な御用学者だとは思いません。
中には、心の底から国民のために良いことと思って、推進してきた学者もいた
と思います。あるいは、原発研究では被曝も免れない分野もあるので、自分
自身の健康を、ある程度は犠牲にする覚悟で研究してきた真摯な学者もいる
と思います。

そうした真摯な学者が、なぜ、あのようなものを造ることに協力してしまった
のか?という問題を理論的にも解明しないと、再び、同様な問題が起こります。

そして、その理由には、科学の専門化が進み、専門以外は素人レベルでしか
ないのに、安易に他分野の学者の言うことを信じてしまい、原子力工学系
の学者なのに、TVや講演会などで、放射能医学分野についても語るという
ような様々な問題もありますが、この科学主義が最大の問題だと思うわけ
です。

●この科学主義とは、科学と宗教との違いについて、宗教は<信じることで
得られた知>の集積だが、科学は宗教とは異なり、<実証された知>の集積
であるというような説明をする考え方だと思うのです。

ところが、宗教にもそれなりに論理性があるし、<神からのお告げを聞いた>
とかで、「実証」された知でさえもあるということを理解していない科学の驕り
だと思うわけです。

実証されればされるほど、理論の信憑性は増加します。科学主義者は、実証の
繰り返しで信憑性を増大させ、最後は<信じる>ことで確信します。しかし、
確信すると実証されたと思い込み、宗教は<信じる>ことで確信されたもので、
科学的命題は実証されたものと思い込みます。

それで、明証性があるものが科学であり、宗教と科学は異なると考えますが、
両方とも<信じる>ことで確信しているわけです。

実証されたとは「確からしさ」=確証性が増したということであり、文字通り
の<実証>は、原理的にあり得ません。

仮に、ある理論が予測した事態が実際に起きたとしても常に、その理論が想定
していない未知のメカニズムが働いている可能性があるからです。

●しかし、確かに実証や観測は大事であり、大いにするべきですが、やはり、
一種のイデオロギッシュな方法であり、万能というわけでもありません。

というのは、医学の治験で「二重盲検試験」(ダブルブラインド)が導入された
ように、同じ現象が観測する人の先入観で、異なって解釈されるからです。

太陽が東か上がり西に沈むという同一の観測的事実(実験)は、天動説や
地動説とかの認識する側の先入観=パラダイム次第で、両説とも「実証」して
しまい、一義的に解釈できない場合もあります。

また、19世紀末に、ウニの卵は二つに分割しても、それぞれが完全なウニの
幼生に発育するという機械論的自然観では説明しえないことを発見したハンス
・ドリーシュ (1867 - 1941) が、生物には一部が欠けても調整する生命力が
あるとして、当時では誤りとされていた<新生気論>を唱えたら、ほとんど
全ての生物学者から、生気論という理由で否定されてしまいました。

というのは、大部分の学者は、生気論=生物論的自然観を否定する機械論的
自然観を信じていたので、このDNAの先行学説、DNA発見に繋がる可能性
があった理論を否定してしまったわけです。

ニュートン力学の全盛時代なら、ほとんど全ての学者が、ニュートン力学の
絶対的時空理論を前提に観測し、現象を解釈していたわけですから、全員の
意見が一致しても「誤り」という可能性もあります。

システム論やカオス理論、創発などを研究する一部の科学者を除けば、今でも
大部分の科学者は、この機械論的自然観を前提に研究していると思います。
しかも、それに気付いていませんから、自分の観測結果=解釈は<生の事実>
と素朴に信じてしまいます。

(これは、認識論的には素朴反映論ですが、一方で、こうした素朴反映論的
認識論を、別の認識論でどんなに否定しても、この知覚が、論理と共に人間の
真偽の判断には欠かせない基礎的「事実」であることも、残念ながら否定でき
ません。ここに人間的理性=知性の限界があるのでしょう。また、実証や反証
も、機械論的自然観を前提にして、初めて成り立つのですから学問には、
もともと実証や反証が、近似的にも不可能な領域があります)

●また、この機械論的自然観は、<矛盾律>というギリシャ時代から続く根本
原理に支えられている自然観ですので、非常に厄介です。

(この<矛盾律>には、「同一性」の肯定という前提がありますが、自然界や
人間界には必然性だけでなく、偶然性もあるので「同一性」は厳密には成り
立たず、この偶然性を無視することで、自然法則に支配された必然性だけの
世界=決定論的世界観が成立します。

つまり、137億年前に宇宙は成立したという科学的仮説は、原理的に実証
不可能な「自然の斉一性原理」を前提にしているだけでなく、偶然性も無視
した仮説であり、人間界も自然界も、法則性=方程式で表わすことなど原理的
に不可能な世界です。とは言え、私も「自然の斉一性原理」は信じていますが)

この<矛盾律>が形式論理学(=数学)を根本で支え、この形式論理学が
機械論的自然観を支えるという関係ですが、こうした考え方は、自然界は
「万物流転」していない=生成変化していない、つまり、事象は不生不滅、
不変不易と仮定した場合の論理で、事象を瞬間的に捉えた場合の論理=共時的
論理です。

しかも事象は、量がどんなに増えても、それだけでは質的変化は起こらない
という成素複合的事象という前提や、相互依存的に存在しているのではなく、
独立自存体=実体=と仮定した場合にのみ成り立つものです。

ですから、機械論的自然観には、こうした諸前提があり、その意味で近似的
自然観であり、この自然観を前提にして、決定論的自然法則観も成立して
いますし、大部分の実証や反証も可能と信じられています。

こうした理由で、近代科学(科学理論)も、宗教のようなイデオロギッシュな
知の体系であることは否定できません。

しかし、形式論理学(数学)=近代科学には、このような諸前提があることに
自覚的で、限定的に適用するなら非常に有効でもあり、実際にも、原爆・原発
を除けば、科学技術は、人類の福祉に多大な貢献を成し遂げました。

また、形式論理学者が弁証法を否定するのは、彼らには、論理と存在、認識を
連動させて考えずに、別々に考えるという欠点があるからです。

たとえば、二重否定である「否定の否定」は、B→C→Bと元に戻るのではなく、
<正―反ー合>という弁証法的変化となります。

@「AはB」→A「AはBでない」と、@が論理的に否定されるということは、
論理だけでなく、Aの段階では「AはC」と、Aという存在も変化している
のであり、Aが更に否定されてBの段階になるということは「AはD」で、
更にAは、C→Dに変化している事態ですので、Aという存在はB→C→Dと
変化しているということであり<正→反→合>という弁証法的変化となります。

●マルクスは、<万物流転>という存在観が基本ですから、全存在が、一瞬の
休みなく生成消滅している、運動している、変化し続けていると考えます。

また、水の現象形態は温度に左右されるので、水の固有の、本来的な姿は液体
とも、個体とも、気体とも言えず、もともと水には固有の姿形や性質という
ものはありません。そして、水だけでなく、この宇宙の全存在が相互に相関
しつつ、生成消滅しているわけですから、そもそも、物には固有の客観的=
本来的な姿形や性質さえありません。あくまでも、ある<系>での性質です。

物の固有の客観的な形や性質というものは、その物が他の物と関係すること
なく単独で存在し、しかも、それ自体の力で自存していると仮定した場合に、
初めて言えることなので、<万物流転論>、<相互作用論>の立場では、
カントの「物自体」という概念は、最初から排除されています。

また、自然界を分析する場合も、自然物自体の性質を研究するというよりも、
「関係」や「機能」=「機制」を分析することになります。それでマルクスは、
人間や社会、商品といった重要な概念を、全て関係を基軸に措定しています。

(この「機制」は、米国流の機能主義のように、物に内在する客観的機能では
なく、関係することでその都度生成される機能であり、米国流の機能主義は
客観主義=科学主義の一種です)

工学部は、今でこそ欧米にもありますが、科学理論と科学技術とを明確に区別
しなかった日本で初めて造られた学部で、欧米にはありませんでした。しかし、
科学を考える場合は、理論と技術は区別し、理論を科学と考えるべきで、技術
も含めると、分けが分からなくなります。

>科学は、その分野によっては、他者からの激しい介入を受けます。
>◎だれが介入するのか? それは主に政治や大企業・資本家サイドの人々です。
>◎介入を受けるのはどのような場合か? それは主に金や権力が絡んだ場合
>です。

その通りですね。

>介入されにくいのはどのような分野でしょうか。それは、数学、基礎物理学、
>天文学、古生物学、火山学、植物系統学、動物生態学、などなどの科学分野
>です。金や権力との相互作用が少なく、純粋かつ冷静な科学的議論が交わさ
>れています。では介入されやすいのはどの分野でしょうか。それは、原発関
>連、地球温暖化関連、バイオ・製薬関連、などなどの、金と権力が絡みやす
>い科学分野です。

これもその通りですね。

結局、様々な分野で「ムラ」を創りだした<産学共同>が諸悪の根源ですが、
最先端の研究には、莫大な資金が必要になったことも背景でしょう。

昔は、大学は、純粋に知的関心を研究する場であり、学問が社会的貢献をする
とかの有用性とは無縁の世界でした。この頃は、学者がスター・アイドルであり、
人気のある学者は、貴族が主催するあちこちのサロンに出向き、自説を解説して
いたそうです。

また、医者と弁護士を除けば大学を出ても大した職も無く、せいぜい下級公務員
とかの職しかなかったらしいです。国からも援助はありましたがわずかで、主に
授業料や富裕層からの献金で運営していたそうです。

20世紀の初めに初めて、自社の研究陣では解決困難な難しい問題に悩んだ米国
のデュポンが大学の学者に相談したらしいです。これが最初の<産学共同>です
から、つい最近ですね。

しかし、研究に莫大な資金が必要になり、急速に<産学共同>が進みます。
科学者サイドも、基礎研究などの純粋な学問分野よりも、技術=工学系を拡大
することで国家・社会からの期待に応え、科学技術が国力増大に必要であること
が明確になると、国も多額の税金を投入するようになり、国は大学の運営にも、
口出しもするようになります。

こうしたことで、学者も知的好奇心で研究したいとは言えなくなり、学問が国家
・社会に役立つこと、有用性を国家・社会にアピールするようになります。
その結果、公害事件では研究費目当てに、国や企業サイドの証言をすることで
大いに貢献しました。

中世までは、宗教者が権威として、支配者権力の行使に貢献しましたが、現在は
宗教者の代わりに、普遍性を装う学者が権威として、支配者権力の行使にあら
ゆる場面で協力し、貢献していますが、これは「科学主義幻想」が可能にして
いるので、科学にも宗教的側面があることを社会が認知することが大切です。



85. 2014年7月17日 00:32:14 : vqy7HI0tz2
>>84さん
たくさんの情報を書いていただいて勉強になりました。お返事を投稿します。
本投稿では少し論点がシフトしているかもしれません。また、やや論調のきつい
ところが含まれていると思いますが、お許しください。

【1】
あなたの投稿を3行でまとめるならば、
  科学にもイデオロギー性があることは否定できず、完全な万能ではない。
  万能で無いにも関わらずそれを完全に信じている(=科学主義幻想)。
  科学が完全無欠だと思っているならば、それは問題である。
このことを延々とおっしゃっている。

この手の議論は、一見、何かを主張しているようで、実は中身がありません。
なぜなら、科学に対して、
「(a) 完璧でいつでも正しい」を否定しているだけですよね。
「(b) 信頼を置くに足る客観性と実証性を兼ね備えている」を否定しているわけではない。

ロジックがよくわからない。(a)を否定なさって、だから何なのですか?
(a)が成立する枠組みなど、この世には無いのですが。

重要なのは、(b)の度合いが高いか低いかではないのですか? 
言い方を変えるなら、(a)に近いかそれとも(a)から遠いかということです。
科学は、宗教などと比べれば、比べ物にならないほど高いレベルで(b)を満たしている。

繰り返しますが、科学と実証とをイコールで結べるかどうかが問題なのでは無い。
客観性や実証性が「高いか低いか」なんですよ。見るべきところはその部分です。

科学以上に「信頼を置くに足る客観性と実証性を兼ね備えた枠組み」を我々は持って
いますか? 事故原因の調査だって、廃棄物処理の方策だって、科学に基づきながら
もっとも確からしい結論を選び取っていく以外に方法は無いのではないですか?
(これを否定するのは不可能だと思うのですが・・)

あなたの議論の良くないところは、科学の有用性や代替不可能性を認めながらも、
科学の一挙手一投足にケチをつけてまわるところです。

例えば、「だったら、原発事故をどう収束させるのかを科学抜きで言ってみろ」と
言われたら、「それは科学に基づいてやるしかない」って答えるのではないですか?

つまり、科学批判を繰り返すくせして、逃げ道は科学だし、泣きつく先も科学です。
この態度は、建設的でない・問題解決に繋がらない、という印象を受けます。

議論のバランスが著しく偏っています。ふつうは、まず、(I) 客観や実証をベースに
考える、つまり、科学的に考える。次に、(II) 客観や実証の信頼度に弱いところが
ないかをいろいろ疑いながら厳しく検証する。このようなプロセスになる。
しかし、あなたは(II)ばかりをご主張されて、(I)がお留守になっています。

例えば、原発建設について考えるのであれば、事故を起こしたから原発は悪だとか、
科学は万能でなかったとか、それを言う前に考えるべきことがあるのではないですか?

それは、例えば、「安全基準や安全余裕の取り方の厳しさがテールリスクに耐えきる
上で十分な水準であったかどうか」とか、そういった科学的な観点です。
もしそれが十分でなかったのなら、科学を尽くして建設されたのでは無いということ。
コストとか勘案して、いろいろケチってお手盛りで作ったってことですからね。
そうなるともう、科学主義だの、科学の完全性だの、そういうこととは全く関係の
無い話になる。

科学を疑えと、あなたの意見ではそれが非常に強調されています。ではたくさん
疑って、科学に対する信頼も落としてみましょうか。すると、我々の意思決定に
おける科学の比重が低下する。科学の力が低下する。
その低下した分の力は、どこから何を持ってきて補えばよいのですか?

あなたの考え方では、「リスクの大きさと釣り合う安全基準の厳しさを設定しながら
最善を尽くして物事を進める」とか、そういうことが困難になりはしませんか?
なぜなら、科学抜きにそれの「もっとも確からしい」評価基準を作ることは不可能で
あるにも関わらず、その科学を疑いまくっていますからね。
だったら、我々は「何に基づいて」物事を進めればよいのですかね。

このあたりをきちんと反論していただけるとよい。

どこまでも慎重を期すべきだというお気持ちでの警鐘だとは理解しています。
このあたりは次の論点2と関連します。


86. 2014年7月17日 00:32:51 : vqy7HI0tz2
>>84
【2】
「科学は完璧ではない」。こればかりをおっしゃって、それを原発事故と結びつけようと
してらっしゃる。私は、この態度も少し疑問です。

もしかして、我々の科学の力が足りないのにそれを完璧と信奉するから、それが原因で
原発事故が起こったと思っていますか?

違うでしょう。原発事故が起こったのは、韓国のセウォル号が沈んだのとほとんど
同じ原因ですよ。セウォル号の事故が船舶技術の不足で起こったなどという人は
いませんよね。技術はあるのに配備・実装をケチった、科学的知見はあるのに意図的に
無視してコスト削減を優先した。そういったことが原因で事故が起こっていますよね。
これは、科学や技術の「盲信」とは逆で、科学や技術の「軽視」に根ざした問題です。

原発というのは、テールリスクに全部耐えきるように作らなければならない。

想定の最大値の20%増しを耐えきる、というレベルでは、安全余裕が全く足らない。
最大想定のさらに10倍の事態が起こっても耐えきるように作らなければならない。
20%とかじゃダメなんです。1000%増しとかでなければダメなんですよ。

さらに言えば、部分的に壊れてもダメージコントロールできなければならない。
もっと言えば、半分壊れたってダメージコントロールできなければならないんです。
非常用バッテリーが8時間分しかないなど、話にならない。80時間でも足らない。
最低でも1週間、数100時間は持つのでなければ話にならない。
すべてにおいて危機に対する備えの能力が2ケタ足りないといってよい。

こういう認識が、原発建設・運用において貫かれていたかといえばそうではない。
まったくそうではない。だから事故が起こったのです。

ですから、「科学的に」考えるならば、この程度の防御力やダメージコントロール
能力しかない原発に対して、テールリスクが発生した時、事故になるのは当然です。
事故にならないほうがおかしい。

例を出してみましょう。福島における過去の最大津波想定は6mでしたね。だったら、
エネルギー10倍で、20mの津波がきても耐えられるように作らなければならない。
さらに、建物が半分水没したってなんとかできるように作っていなければならない。
あとは、「耐震」とか言っている時点で不十分で、施設全体が免震構造の上に載って
いるくらいでなければいけない。そうでなければ複雑怪奇な配管群も完全に守れない。
確実になんとかするためにも、自衛隊基地から大型ヘリで電源車や工作車や特殊要員を
全国どこへでも迅速に派遣できる体制だって組まれていなければならない。

「普通に厳しい」科学的基準を設定して建設したなら防げた事故なんです。
それをやらずにやたら甘く作っておいて、しかも、半世紀前の技術で作られた
40年物の原発ですよ。テールリスクで破綻しないほうがおかしい。

原発運用に求められる安全度というのは、核兵器の保管と同じなんですよ。
その水準で考えなければならないにも関わらず、激甘のザル基準しかなかった。

「想定外」という言葉をみなさん大合唱しておられる。しかし、想定を超えたら
壊れるように作るというのは、テールリスクがきたら壊れると同義ですからね。
最大想定をはるかに上回っても壊れないように作らないといけない。これが本筋です。
多大なコストをかけて、信じられないくらい過保護に作らないといけない。
推進派の人々は、これをわかっているくせに、黙殺し、握りつぶしています。

反対派の決まり文句がある。「隕石が当たったらどうするんだ」。これは考えなくて
よい。でも弾道ミサイルが当たるとか、巡航ミサイルが当たるとか、沖合いから砲撃
されるとか、テロリストに占拠されるとかは考えないとダメですよ。
隕石を考えなくてよい理由は、ミサイルの直撃を想定に入れるためです。

今回の事故は地震と津波で起きたから、関係者のみなさんは、地震と津波の対策だけ
するでしょう。でもそんな弱い頭で考えた対策じゃダメですね。頭を働かせてほしい。
テールリスクに耐えきるということ。そこには当然ながら人災、すなわちテロ・戦争、
その他もろもろも含まれなければならない。サイバー攻撃だって、電磁波爆弾だって、
工作員の侵入だって、起こりうるのだと考えておかなければならない。
普通に厳しい科学的基準で考えるというのはこういうことです。

そして、そのように普通に厳しく作ると採算が合わないなら、作ってはいけません。

「もんじゅ」の場合は話は別ですよ。あれを安全安定に守りきる科学力は、いまの
我々にはありません。採算以前に、科学力が足りていないので、作ってはいけない。
ですから、本当にみなさんが科学主義であるならば、もんじゅのようなものは建設
されないはずなのですがね。


これでおわかりいただけましたか? 科学主義なるものが問題の根源ではありません。
科学の盲信が問題なのではない。科学を「軽視」していること、もしくは、科学の
リテラシーが足りないことが問題の根源です。

つまりこれは、科学に対して懐疑的になれ、というのとは逆の方向です。科学に
対してもっと真摯に向き合い、科学の言葉をきちんと聞き取る態度を持てという
ことです。それができないなら、大勢の命を預かる施設を作る資格はありません。


87. 母系社会 2014年7月18日 08:35:15 : Xfgr7Fh//h.LU : FOV5ORbx7E

>>85・86 さん

どうも勘違いしていたようです。まだ、我々の立場を理解されていないと
思います。

というか、煎じ詰めると、我々の立場では「パラダイム」の違いということ
になるので、厳密に言えば、どちらが正しいとか言えない問題であり、選択
するしかあえいません。ですから、否定されるのは構いません。

この否定できないことを、科学哲学では「通約不可能性」と言います。
つまり、我々の立場が正しいという前提を置かないと、85・86 さんの
考え方を否定できないので、論理的には同義反復となり、否定できません。
天動説と地動説、ニュートン力学と相対性理論は並立関係です。
(これは理解しがたいと思いますが、論理的にはそうなります)

ですから、この世には、85・86 さんとは違う考え方もあるということ
だけは、理解してください。

●普通の工場なら<過去、1万年間に起きた最大地震の、更に20%強の地震
に耐えられる工場>なら建設しても問題ないなどと言えると思いますが・・・

しかし、絶対に福一のような過酷事故を起こしてならない原発の場合は、
<過去、1万年間に起きた最大地震の、更に20%強の地震に耐えられる工場>
でもダメということです。

なぜなら、これは実体主義的な「機械論的自然観」を前提にしているからです。

●つまり、近代科学は「機械論的自然観」・「要素主義」を前提にしている
のでダメと言うのが広松渉の主張であり、単に近代科学の限界性の指摘だけ
で終わっていたのではありません。

では、どんな自然観=世界観かと言えば、マルクス哲学が専門の広松渉の立場
なら、「弁証法的世界観」と言いたいでしょうが、広松の弁証法解釈は特殊
であり、通常の弁証法=ネットなどで解説されているタイプ=ではないので、
「弁証法的世界観」と言うと誤解されかねません。そこで、<事的世界観>
とか、丸山圭三郎との対談では、<言語論的自然観>とも言っていたと
思いますが・・

これは、「パラダイム」としての「機械論的自然観」に対する新「パラダイム」
提案ですから、正に哲学的な壮大な提案です。

この存在論を、スローガン風に言えば<モノからコトへ>とか<実体論から
関係論へ>となり、あるいは、認識論なら「主観ー客観」図式の認識論を
否定する<四肢的構造連関>、<物象化論>ということになると思いますし、
実践論的には、<歴史的相対主義>とも言えます。

●これを解説するのは、ここではとても無理ですが、18世紀から19世紀
にかけて、ヘーゲルとマルクス・エンゲルスが成し遂げ、その後、ニーチェや
フロイト、ハイデッガー、言語論のソシュールも独自に成し遂げたある
「パラダイム・チェンジ」、<世界観レベルでの革命>のことで・・・

通常、哲学や思想で、「言語論的回転」と言われている事態とも相即しますし、「構造主義」が興隆したこととも相即しています。

また、科学でいえば、相対性理論や量子力学を前提とした世界観=相対性理論
や量子力学と相即した世界観とも言えます。

また、「システム論」や「カオス理論」、「複雑系の科学」、「創発」などの
「機械論的自然観」を前提にしない新しい科学の動向とも相即しています。

つまり、ある意味で広松の提唱する新しい科学は、完全な形ではありません
が、既に始まっているとも言えると思いますが・・・ほぼ仏教・中観派の龍樹
が唱えてきた「空」的世界観と同じ世界観でもあります。

●広松渉は、最初は物理学者になることを目指していたので、相対性理論に
ついての本「相対性理論の哲学」( 日本ブリタニカ)や、「科学の危機
と認識論 」(紀伊国屋新書)、それから、エルンスト・マッハの「感覚の
分析」と「認識の分析」の翻訳本など、科学に関連する本も書いています。

そもそも、哲学に転向した理由が、広松によれば<科学の停滞>なのです。

というのは、科学中の科学といえば物理学であり、物理学中の物理学といえば、
ミクロ世界や宇宙を扱う理論物理学ですが、広松によれば、この理論物理学は
20世紀初頭に「相対性理論」や「量子力学」を産み出してから約100年間、
「相対性理論」や「量子力学」に匹敵する理論を産み出せず、停滞している
というのです。(一見すると科学は大発展したように思えますが、単に他の
個別科学が、物理学の成果を取り入れただけと言います)

そして、この停滞を突破するのが<事的世界観>であり、<モノからコトへ>
とか、<実体論から関係論へ>という提案なのです。

ですから、広松は、科学の発展の貢献する「科学哲学」的仕事もしています。

★あくまでも、これは科学理論の話であり、科学技術ではありません。
現代の科学理論と科学技術は一部は重なっており、明確には分けられません
が、一応、理論と技術は別のものとして分離して考えないとゴチャゴチャに
なりますので。


88. 2014年7月29日 21:32:00 : vqy7HI0tz2
>>87さん
お返事を投稿します。投稿が遅れたことをお詫びいたします。

===
いろいろと真剣に長く説明くださりありがたいのですが、投稿の後半が何を
おっしゃっているのか、まったくわかりません。これは私の読解力の問題では
ないと思います。用語だけ並べて中身が説明されておらず、具体例も無い。
投稿の前半では、考え方の枠組みが違うということだけしかおっしゃっていません。
これも情報量・ロジックが共に足りなくて、何に納得してよいのかさえわからない。

例を挙げてみます。
A「アルファ理論によると、あなたの考えは間違っている」
B「どこがどのように間違っているのか? そもそもアルファ理論とは何か?」
A「難解なので簡単な言葉では説明できない。とにかくあなたは間違っている」
B「・・・?? (説明不可能なものを持ち出されても困るが・・)」

いまの私は、上の例のB氏の状態とほとんど同じです。四肢的構造連関や
物象化論などという特殊な言葉の中身を説明せずに、誰かを説得しようと
するのは不可能だとは思われませんか? 何かのご主張をなさりたいのは
わかりますが、中身を説明されないのでは、誰もそれを理解できません。

以下に、科学者による言葉を2つ引用しておきたいと思います:
◎平易な言葉による記述は、自分がどの程度理解したかを知るための良き判定法の
 一つである。(ヴェルナー・ハイゼンベルグ)

◎自分がこれまでに何をしてきたのかを、誰にでも理解できるように語れないのならば、
 あなたがこれまでしてきたことには価値がないということになる。
 (エルヴィン・シュレーディンガー)

===
以下は少し気になった部分についてコメントします。

> 煎じ詰めると、我々の立場では「パラダイム」の違いということ
> になるので、厳密に言えば、どちらが正しいとか言えない問題であり、

厳密に言うというのがお好きなようですが、そうすると、どちらかを完全否定しないと、
完全な正誤はつけられないことになります。そんなことは不可能ですので、厳密に白黒
つけるというのは、白黒つけるのを放棄することに等しい。これは思考停止です。

「どちらがより確からしい」とか「どちらがより実証性・客観性が高い」とか
「どちらがより整合性が高い」とか。そういったこと。
「どちらがより白に近いか」で議論するとよいのではないかと思います。
哲学の人は、こういうことは苦手かもしれませんが。

> しかし、絶対に福一のような過酷事故を起こしてならない原発の場合は、
> <過去、1万年間に起きた最大地震の、更に20%強の地震に耐えられる工場>
> でもダメということです。

私の>>86をもう一度お読みになって、そのロジックでもダメなのかどうかお考え
いただけるとよいと思います。私は20%増し程度では安全余裕が2桁足りない
などとはっきり書いています。私の意見はリスクの大きさと安全対策の強靭さが
釣り合っているべきだという内容でした。

私の定義では、この「絶対」というのは、リスク量に対して、
 事故が起こる可能性を(リスクと釣り合う厳しさで)非常に小さく抑える、
 事故が起きてもダメージコントロールできる可能性を非常に高く保つ、
となります。

あなたは、違うのではないですか? つまり、事故確率0%でなければならない。
それ以外は認めない。そうではないですか?

もし、そうだとすると、「廃炉作業」も「核廃棄物再処理作業」も事故に繋がる
確率は0%ではありませんので、行うことは不可能になります。どうしますか?
こういった矛盾についてのお考えは何かお持ちでしょうか。

> 天動説と地動説、ニュートン力学と相対性理論は並立関係です。
> (これは理解しがたいと思いますが、論理的にはそうなります)

相対論の低重力・低速度の極限が古典力学と一致します。相対論は古典力学を内包する
関係です。これは、より一般的な理論に拡張されたということです。

ロケット打ち上げの際には相対論まで考慮します。しかし、日常の民生品の設計など
では「古典力学での近似」で十分な精度が出ますので、わざわざ相対論を使うことは
しません。普通に古典力学で計算をします。それぞれの理論はこのような関係です。

天動説と地動説とが「並立」できるのは、「ガリレオ」の時代までです。
なぜ並立できたかといえば、それは、実験と観測が不十分な中での、理論的対立で
あったからです。「太陽が東から昇る」という観測は、どちらの説でも説明できる。
しかし、今は、地球が自転しているのも、地球が太陽の周りを公転するのも、月が
地球の周りを公転するのも、惑星が太陽の周りを公転するのも、全部宇宙から観測
できるわけです。公転運動の中心がどこにあるのかは非常に高い信頼性でわかる。
これを天動説で説明するのは不可能です。よって棄却されます。

現代においては、宇宙開闢に関する理論群や、ワームホールに関する理論群など
には並立がまだ多くありますね。これは実験・観測が不十分なためです。

理論というのは実験・観測で十分に検証されるまでは、並立できます。実験家や
観測家らは、どういう実験・観測事実があれば、並立する2つの理論のどちらかを
棄却できるか、そういったことを考えて実験・観測計画をたてます。
そういう成果が得られるのでなければ、実験・観測する意味がありませんからね。

理論というのは所詮理論です。本当にそれでよいのかどうかは、実験・観測によって
確認・検証されなければなりません。理論家に対するノーベル賞は、実験・観測に
よる高いレベルでの実証性の確認・検証の後でなければ授与されません。

このような基本的事柄をまず知ってから、哲学的考察に入られるとよいでしょう。

> 近代科学は「機械論的自然観」・「要素主義」を前提にしているのでダメ
> ...科学でいえば、相対性理論や量子力学を前提とした世界観とも言えます。

機械論でよい分野と悪い分野がありますが、そういったことは無視されるので
しょうか? 機械論でも問題ないケースがはるかに多いと思いますがね。

まさか、不確定性原理があるから古典力学はダメとか本気で思っていますか?
もしそうならば重症ですよ。例えば、人間の体のようなマクロな物体に対して
だってトンネル効果は計算できます。しかしその確率は非常に非常に小さい。
ですから、マクロな物体が低速で運動するような場合は、機械論的な計算で
必要十分な精度が出せる。非常に多くの場合において古典力学は成立します。

機械論として扱っても差し支えないことを確認・検証してから使っているので
あるのに、それの何が悪いのでしょうか。

機械論として扱えない現象については、1段引いた厳密性でもって記述します。
例えば、どういう形の乱流が発生するのか厳密計算はできないが、その乱流
エネルギー分布はわかるとする。すると、エネルギー分布が既知であれば、
答えを導ける問題に関しては、それを機械的につかって結論を出すことも
できます。科学に携わる人は、「何であれば機械的・確定的に計算しても差し
支えないか」「機械的・確定的に計算して問題が起きたり、結論が絞り込め
ないのはどのような場合か」などの事柄を常に考えています。
なぜならそういった議論抜きに論文を書くことは不可能だし、なにより、
他人を説得できないからです。

あなたのおっしゃる例についてはわかりますが、機械論的でよいかどうかとか、
そんな底の浅いロジックを知らずに現場の研究者が仕事をしているとお考えで
しょうか? そんな単細胞な頭では、科学の研究など不可能です。

いうなれば、あなたはまず科学者を単細胞だと決めつけて、その上で単細胞は
悪いといっているだけではないのですか? その最初の決めつけが正しいか
間違っているか、そこからまず疑ってみてはいかがでしょうか?

論理が精密であればあるほど、間違った前提は間違った結果に直結します。

> 広松によれば、この理論物理学は20世紀初頭に「相対性理論」や「量子力学」を
> 産み出してから約100年間、「相対性理論」や「量子力学」に匹敵する理論を
> 産み出せず、停滞しているというのです。

考えの浅い意見だと思います。

例えば、物理学・化学・生物学などの一番大きなくくりの数でいうならば、
ここ数百年、数が変わっていませんが、だからといって、それらの諸分野の
全体が停滞しているなどと言えますか?

理論物理学の配下におかれる大カテゴリーの数が多いか少ないかだけで物事を
捉えようとしてらっしゃる。しかし、物理学というのは、自然界を支配する
法則性の探求が目的ですので、いくつものカテゴリーを支配する原理を追求し、
少ない数にまとめあげらるほどに一般性・普遍性の高い理論になったといえる
わけです。ですから、大カテゴリーがどんどん増えればハッピーだというのは
逆であって、そのような状況は理論が失敗している、もしくは非常に不十分・
未開拓状態にあるのだといえるでしょう。量子力学がどれほど深まったかとか
そういったところを見るべきです。過去100年のノーベル物理学賞の推移を
ご覧になってみてはいかがでしょうか?

こういった文章を読んだ上で、もしかしたら自分の方がおかしなことを言って
いるのではないかと、お感じになられませんか? 私としては平易な言葉で
極力わかりやすく書いているつもりですが、納得されない点がおありならば
ご指摘いただきたい。また、あなたのご主張に関しては、せめて私と同程度の
簡潔性や具体性を伴った文章で書いていただけると助かります。


89. 2014年7月29日 21:36:30 : vqy7HI0tz2
>>87さん
やや哲学よりのコメントをします。物象化という言葉についてです。

> しかし、これを普通の言葉で言い表すのは、私にはとても不可能です。これは、
> 存在や認識、論理などの分野での「もう一つの考え方」で、存在についてなら、

廣松渉は、「事物」=「関係の物象化」などといっていますね。これが関係主義という
ものの核の部分でしょうか。例えば、以下のような感じですかね。

◎事物の背後には、関係性がある。
◎関係性があるならば、それは事物という形でこの世に姿をあらわす。(=物象化)
*この両者は表裏一体である。

もしこの理解でよいならば、例はいろいろ挙げられるでしょう:
・貨幣=時間・労力・信用などの物象化
・贈り物=人と人との関係性の物象化
・ある生物の存在=その生物を支える生態系の物象化
・自然現象=自然法則の物象化(法則がある→それに従う現象がいたるところで起こる)

もしこの理解でよいならば、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」とまるっきり
同じです。どこが新しいのですかね。釈迦の時代から何か進歩しているでしょうか。

そして、この考え方は、上の4番目の例からも明らかなように、現代科学の営みや
科学者の考え方とも合致しています。
因果関係や関係性を無視して、実験も理論の構築も不可能です。

もし上の理解で正しいならば、あなたがなぜ物象化などという言葉を持ち出して
科学を批判されるのか、私にはまったくわかりません。
何らかの深遠な理解があるのでしょうか。



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