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日本人は暴力とむさぼりの権力を 骨抜きにする
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投稿者 おどろき 日時 2016 年 3 月 31 日 13:24:52: cdMQTlXL/iMSs gqiCx4Lrgqs
 

中国人 朝鮮人の 動きをを
ものすごく いやな 感じで みている
日本人が おどろくほど 増えてる みたいだね

アメリカに 占領されてから 70年
中国人 朝鮮人に 対する
罪悪感を うえつけられて きたんだけど
それが やっと 弱まって きたのかな

かれらの 動きに たいする いやな 感じを
罪悪感で おさえこむことが
もう できなくなって きているのかも しれない

アメリカの おもわくが いまは 逆に なって
罪悪感を うえつけるより
かれらに たいする いやな 感じを あおるように
なったからだ
という はなしも あるけど
それだけじゃ ないと 思うんだよ

この いやな 感じ というのは
もともと 日本人の なかに
おお昔から あったんだ

聖徳太子が ペルシャで うまれた ひとだった
という はなしが ある くらいに
いろんな ひとたちが 日本に ながれて きてたんだ
とくに 中国 朝鮮からは
おおかったんだろうな

ながれこんできた というのは
もともと 東のはての くに
日本に あこがれ 目ざしていたのか
あるいは 皆殺しの 暴力から
にげだして きたのか
ともかく
中国 朝鮮には いばしょが なかったか
あるいは いやな 思い しか ない
ひとたちだったんだ

そんな ひとたちが もともとの 縄文の
ひとたちと とけこみ まざりあって できてきたのが
いまの 日本 なんだろうな

だから 中国に 住む ひとたちの もっている
皆殺しの 暴力から 日本を まもる
というのが
日本人の こころの おくそこに あるのは
当然 なんだよ

いまの 中国人は
何千年の ふるい 文明を わがもの顔に してるけど
その 文明を つくったのは
じつは いまの 中国人じゃ ないんだよな
だから いまの 中国人は
ふるい 文明とは かんけいない
生き方しか できてない
暴力と むさぼりの なかに いきてるんじゃ ないかな
そんな 気が しちゃうよ

朝鮮 だって おなじだよな
いまの 朝鮮に ふるい 文明の なにかが
残ってるなら いまのようには なってない はずだ

という わけで 日本人は
おお昔から 中国 などに たいする
いやな 感じを こころの おくふかくに
もって きてるんだ
聖徳太子の 時代だって そうだったんだ

そして 日本を まもらなきゃ かれらと
おなじに なっちゃう
という 感じを つよく もっているんだよな

だから アメリカに 占領されて 70年
いま いやな 感じが おもてに でてきてるのは
根が 深い ものが よみがえって きてる
という こと なんだよ

そこで おれは 思うんだけど
この 根が深い ものは
じつは もうひとつの おおきな 性格を もっている
ということ

それは 日本人が どんな 顔を 権力に
たいして 向けているか ということ なんだけどね

日本人の 欠点 として
権力に よわい
権力に かんたんに へつらう
という ことが 言われるけど

これは 日本人 本来の 性質じゃ
ないんじゃ ないかなあ
明治から 150年
アメリカの 占領から 70年
この あいだ だけに この 欠点は
目立ったんだけど
本来は ちがうんじゃ ないかなあ

江戸時代 あるいは その ちょっと まえの
日本人は そんな 欠点とは
ぜんぜん 関係 なく
のびのびと 自由に うごいてたんだ

江戸時代 日本人は 権力に
ひれふしてた
なんて インチキを 宣伝 してきたけど
じつは 農民一揆 なども
かなり 本格的で はげしかった ようだし
町民 たちも 権力なんか 目にもくれず
自由に くらしを 楽しんで いたんだ

徳川幕府は こんな 日本人の くらしを
まもる という 役割を はたすことで
300年 つづいてきたんだよ

のぶなが ひでよし いえやす
という ひとたちの ながれに したがって
江戸幕府は うまく やってきたんだけど
それは 日本人の くらしを まもる
という ことに つながって いたんだ

だけど 明治から こっちの 150年
ある 意味で 日本人の くらしは
結果的に まもられて きた
だけど その いっぽう
日本人の くらしを ぶちこわす
露骨な うごきを 権力は やってきてる

江戸幕府とは ぜんぜん ちがうよな
どうも なにか べつの 勢力が でてきて
権力を にぎったんだなあ

外国の 暴力を バックに
じぶん だけの 利益を むさぼる
そんな すがたを さらして きてる

この じぶん だりの 利益を むさぼる
というのは 日本人の いちばん きらう
中国 朝鮮の やりかた なんだ
日本人の ねっこに ある
むかしからの 感覚が 目を さますことに
ならざるを えない

いま きゅうに わきあがっている
中国人 朝鮮人に たいする
いやな 感じは
じつは いまの 日本の 権力に たいする
いやな 感じと つながるんじゃ ないかな

日本人の くらしを まもらず
はんたいに 露骨に ぶちこわそうと している
権力に たいして
日本人が じぶんの ねっこにある 感覚を
おもいだして どう 動きだすんだろうなあ

日本人の やりかた というのが あるんだろうな
暴力と むさぼりに たいして
別世界を つくって そこに ひっこす
という ことなんじゃ ないかな

おおむかし 東の はての くに 日本に
あこがれたり または 逃げ込むように
ひっこして きた ひとたちを 受け入れながら
集団と なってきた 日本人は
こんどは ぎゃくに 権力を 追い出す
という ことに なるんだろうな

その やりかたは
あたかも 自分たちが 逃げる ひっこす
みたいな かたちを とりながら
じつは 権力を 骨抜きに する
という ことを やるんじゃ ないかなあ

じぶんたちの 別世界を つくって
そこに 逃げる ひっこす
というのは
権力を ほねぬきに するには
いちばんだよな

そして 自分だけの 利益を
暴力と むさぼりで 実現するような
やりかたから
じぶんたちを まもろうとする 思いを
じぶんの ねっこ として さらに 育てて いくんだ

江戸時代の 日本人 みたいに
じぶんたちの ちからを ちゃんと わきまえた うえで
元気に 自由に おもうぞんぶんに 生きていく

そんな うごきが いま はじまったんじゃ
ないかなあ


―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
…  にこにこ にこざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――
 

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コメント
 
1. 2016年4月05日 09:27:11 : rlyJzvZXQQ : qv5oI1mbU_c[1]
日本でも権力者は暴力とむさぼりの歴史を持っている
信長も秀吉も家康も頼朝も時政も大陸や朝鮮と同じ虐殺者だ
平家の直系も豊臣家も皆殺しにされた
庶民は皆それを知っている だから庶民は武士の論理には距離を置いて独自の哲学を持った
殺戮者と対抗する哲学が要るんだ 殺戮者と自己を同一化すれば大陸や半島と同じ殺戮者になるだけだ
ネトウヨは反日勢力と同じ地平で争っている

2. 2016年4月05日 09:32:42 : rlyJzvZXQQ : qv5oI1mbU_c[2]
徳川の朱子学には朝鮮人が関わっている これは高等学校の日本史では習うと思われる
朝鮮では朱子学によって仏教文化がメチャメチャに破壊された これは何代にも渡るすさまじいもので、日本のように沢山あった仏教の宗派が朝鮮ではたった二派に統合されてしまった
庶民に必要な哲学はこれではないんです 江戸期の儒教は体制側の儒教と反体制側の儒教が対立していた
戦時中の日本は、反体制側の哲学が体制側の哲学に取り込まれてしまったが故に悲惨な事になったのだと思います
これがファシズムであって、現在進行している哲学なんです

3. 2016年4月07日 15:48:18 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[22]
もともと日本とは、アジア全体を指し、一国を示したのである。
ユダヤがまたそのヨーロッパ圏全体を統治していたのと同様のことであり、ユダヤと日本は親交が深かった。
国の定義とは、世界全体の秩序性を示すものであり、安寧と平和のためにある。
それがバイキングをはじめとする海賊団の略奪者の侵略により崩れた。
秀吉は海賊団の横暴な侵略の話を聞いていたから、再び世界の統治を目指すべく、挑戦へ出兵したのである。

朱子学は現在の官僚制度を作った基礎である。
朱子学は性善説を唱えない。
人の心を信じるということを教えていないのである。
現時点であらゆる欺瞞と粉飾が社会に溢れているのは元を糺せばこのことがある。
対する陽明学を唱えるものはことごとく首を刎ねられた。


4. 2016年4月07日 16:15:35 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[23]
仏教はかつて人の心を癒すための教えとして広まり、現代にまでそれは珍重されるが、根本的には人の心を救わない。
それはそこに依存しようとする人々の心をもってそうならざるをえないのであり、
よって本来は、仏の心の本質とはそこに依存することを望んでなどいないのである。

つまり、本来あるはずの仏教とは、汝自身の心を救うのはその依存心の鎖から解脱することだと説くもののはずである。

仏教もまた伝来の折には、多くの神職の首を刎ねた。政治に利用された道具は今でもまだ既得権益のために利用される道具でしかない。

心苦しいものが、救われようとどこぞの門戸をたたくのは、そこに悩みの種があるからである。

その職に就くものは心せよ。
人々の悩ましきは己の中にありと。

根本的に人々を悩ます種が何かを知ればよい。
まやかしはまやかしでしかない。

どこにいても大乗でありゼロであるなら、
どこまで登り詰めてもそこは常にゼロである。
そしてどこまで落ちても、そこもまたゼロであり、
常に今此処は始まりの場所でしかない。

ただ自身の身の内にある扉を開けばそれですむ。


5. 2016年4月17日 06:59:49 : D1hJR9DOkE : MZNgGRRxULs[24]
何をおっしゃるウサギさん。

小乗の道に則った瞬間に初めて大乗の道が開けるというものだ。

小乗とは、俄かに悟るべくして悟った者同士の道。
その通り道(神から直接下された道とも言える)が存在せぬ限り、
大乗(大衆が救われる道)もまた、存在し得ぬ。

これを人間的解釈に乗っけて換骨奪胎したものが、安倍政権お得意の
所謂トリクルダウン理論。

小乗(生まれながらのエリート層?w)が大乗(フリーハンドの大衆?w)
に余りあるエネルギーのお零れを滴り落とす(ま確かに持て余してる分、
貰ってった上で再分配して欲しいんだが何分大衆は遠慮しがちで一向に、だ)
のは中々に受け取られづらく難しい。

大乗は、ラスベガスじゃないんだから、ゼロサムゲームじゃないのよ涙は。
リアルティアドロップのトリクルダウンなのだ。


6. 2016年4月17日 07:10:11 : D1hJR9DOkE : MZNgGRRxULs[25]
遠慮しがちというより、なんか誤解して恐れてるだけかも・・・

ヒント: 悲しみと受容は、そう悪くない。寧ろ、いい。


7. 2016年4月17日 07:18:26 : D1hJR9DOkE : MZNgGRRxULs[26]
>02 氏の言ってることにも大きなヒントがある。
同じものが二項に別れるところに(核分裂のような)問題がおこる。
「日本人他○○人」も「ユダヤ人」も「バイキング」も「朱子学や儒教や道教」も
「仏教や神道やキリスト教やイスラム教やetc,.」も・・・

8. 2016年4月17日 07:24:03 : D1hJR9DOkE : MZNgGRRxULs[27]
あくまでも「大乗=慈悲」ベースという論ですが(泣き&微笑)

9. 2016年4月17日 07:46:53 : D1hJR9DOkE : MZNgGRRxULs[28]
そして、このスレの、本文への感想に戻ります。

このことは今、「阿蘇界隈(阿蘇大橋、阿蘇神社、熊本城等の崩落含む)」で
起きてきている事態そのものに、大きく関連しているテーマの筈です。


10. 2016年4月22日 12:02:12 : AiChp2veWo : crH3ggO@jw4[295]
●全然違う。
秀吉は、日本のうら若き女性を火薬を餌に、驚くほどの人数をヨーロッパで奴隷に売りさばくために買い集め、船底に叩き込んだ。彼らは、神社仏閣を焼いたり、傍若無人にふるまうイエズス会キリシタンバテレン、ザビエルらであったが、行状が目に余った秀吉はこれを咎めた、が、傲慢不遜に対したので彼らを追放した。僧衣の下には鎧を着ていたという。又、秀吉の戦いは、血を流さず、兵糧攻めで城を陥落させた。我が国を恐ろしい宗教から守り、外国に威嚇して世界から日本を守ることも忘れなかった。家康は戦いにさいして、敵に深い痛手を負わさないため、矢じりの戻りをつけなかった。日本以外の国と日本は、成り立ちも精神性も全然違うのである。

11. 2016年6月09日 01:33:07 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[196]
小乗と大乗は真理とするものへのアプローチの方向性が違うだけと理解する。

真理性へ単に帰属することだけを理解するなら、小乗だけで事足りると言える。

けれどもわれわれがいまあるのは未知なものに対する先駆的な立場である。

それは太平の人の世を作り出すという作業に結実してあり、そこには当然、
量子論的な実現のための方便をも利用するし、同時に、
人間としての体験やプロセスを余すところなく生かし、それを利用する。

そもそもわれわれが繰り返しているのは、その体験を通しての理解を持ち帰るという作業のはずである。

大乗とするのは宗教的であるも、それは政治的であるからである。
そこには人の心を説く学びがあり、人の世の驕りを正しく説き伏せるという真理性がある。
そしてそれはよりよい政治のあり方を後世に伝えるものである。

小乗はあくまで、動機が反社会的なものからの逃避が主で、
個人的な超越的体験のみを重視するあまり、
ある種人の世俗的な様相を全否定することに特化してしまっており、
反宗教的であるとするも、それはそれで学問的な見地として乏しい。

未知なる体験を受け入れることには不寛容で、人間的な体験を不得手とする限り、
そこにある真理性を社会生活に活かしきることは難しいとも言える。

今あるスピリチュアルはどちらかというとその両方をひとつとして伝えるものではないかと理解する。


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