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「君が代」の歌詞の意味と「万世一系」
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/507.html
投稿者 自由のための統一戦線 日時 2017 年 3 月 20 日 00:10:40: eH.5ApKY0Wg7k jqmXUoLMgr2C34LMk52I6pDtkPw
 

記紀や日本の古代遺跡、神道や国体を虚心坦懐に検討すると、ある民族とある家族の名前が浮かんでくる。

謎の民族「ヒクソス」と「ラメス(ラムセス)家」である。古代エジプト第19王朝の時代には、ヒクソスはエジプトを支配しているわけではなかったが、ラメスT以降の第19王朝のファラオたちは、ヒクソス系だったと言われる。

私が日本皇室とエジプト第19王朝を重ね合わせているのは、「実際に重なっているのだ」と言いたいのではなく、「二つの家族を比喩として同一視している」のである。つまり、「安倍総理はヒトラーだ。」と言うようなものである。あるいは冗談であると考えてもよい。


君が代は、古代エジプト魔術の聖歌のような印象を与える。

「君が代(現代語訳付き) Japan's national anthem / 祝日大祭日唱歌八曲」
https://www.youtube.com/watch?v=GtDc8NGKYvs

オーケストラで「ドロドロドロ」と入ってくるのは、根堅洲国(古代エジプト)からの魔力が時空を超えて働いていることを表しているのではないか。なぜ、日の丸を掲揚しながら歌うのか。「君」はアマテラスだといいたいのだろう。

君が代の美しさと神秘性の根源はどこにあるのだろうか。人が永遠を求め憧れることは、有史以来普通にあることである。しかしこの曲は、何か自然の限界を乗り越えて、永遠に踏み込んでいくような異常な感じを与える。

永遠を手に入れようとするラメスと彼を願いをかなえるヒクソスの魔術を賛美しつつ、その願いを言霊の力によって実現していく、という歌なのではないか。ラメスの永遠の統治は、彼の栄光であると同時に、ヒクソス魔術の力の栄光でもある。


【君が代の正しい解釈?】

ラメス陛下(スメラ・ミコト)の治世は、

代々のファラオにラメスの魂が宿り続けることによって、千代、八千代と永遠に続く。

ラメスの肉体は、皇室と宮家(スメミマ)の中に分散して永遠に生き続けているのだ。

さざれ岩が結合して巌となるように、皇室と宮家と五摂家との間で結婚がなされると、

分割され散在するラメスの肉体の諸部分が再結合され、

ラメスの魂が宿るファラオの肉体が形成される。

さざれ石の巌に苔がむしているように、

代々のファラオの肉体は、永遠なるラメスの霊的威厳を帯びるのだ。


ラメスの民(スメミタミ)はラア(日の丸)を仰ぎ見て、

ラメスの永遠の治世の栄光を賛美し、その実現を祈願する言霊を捧げよ。

ラメス(ウセルマアトラア)こそラア(アマテラス)である。

ラメス陛下の永遠の治世に栄光あれ!(スメロギイヤサカ!天皇陛下万歳!)


日本とは、「ヒ」ノ「モト」、つまり太陽の魂、スメラ・ミコトを意味していると考えられる。つまり、日本という国家は、ラメスの巨大な身体であるとも考えられる。

大嘗祭で、アマテラスが祀られていないのは、そこにやって来て新天皇と合体するスメラ・ミコトがアマテラスだからである。儀式に参加する当事者は、礼拝の対象ではないし、儀式を取り仕切る神々にも入らない。明治天皇の時代まで、天皇は伊勢神宮に参拝しなかったのは、自分を参拝するのはおかしいからだ。

『大嘗祭の本義』(折口信夫)より。
「・・・恐れ多い事であるが、昔は、天子様の御身体は、魂の容れ物である、と考へられて居た。天子様の御身体の事を、すめみまのみことと申し上げて居た。みまは本来、肉体を申し上げる名称で、御身体といふ事である。・・・此すめみまの命である御身体即、肉体は、生死があるが、此肉体を充す処の魂は、終始一貫して不変である。故に譬ひ、肉体は変つても、此魂が這入ると、全く同一な天子様となるのである。・・・」

大嘗祭は、前回は法的な問題となった。「大嘗祭は、極めて宗教性の強い儀式であるので、国が関与し宮廷費を支出することは、その目的及び効果から見ても、現行憲法の政教分離の原則に抵触する。」という意見が出されたのである。

『関西学院ロースクール憲法』「大嘗祭について」
http://nota.jp/group/kenpo/?20100907141706.html


セティTのミイラの顔は保存状態が良く、第19王朝の顔相が典型的に現れていると思う。長頭、鍵鼻、高い頬骨、浅彫である。

セティTのミイラの顔
http://realhistoryww.com/world_history/ancient/Misc/Mummies/Egyptian_mummies/Set_2_9b.jpg

(『The Truth about Egyptian Mummies』より http://realhistoryww.com/world_history/ancient/Misc/Mummies/Egyptian_mummies/Truth_about_egyptian_mummies.htm


セティTのミイラの横顔。
http://kiva.lib.utk.edu/egypt/archive/fullsize/httpkivalibutkeducollection-imagesegyptegypt225_42edbddedc.jpg

(『EARLY IMAGES OF EGYPT』より https://kiva.lib.utk.edu/egypt/egypthome


彫像ではふっくらしているが、それらが実物と似ているかは分からない。
EGYPT 526 - SETI I - (by Egyptahotep)
https://www.youtube.com/watch?v=RuX2OiHNfUQ


ラメスU(ラムセスU)のミイラの顔
https://ancientneareastdotorg.files.wordpress.com/2012/04/19-ramesses_ii1.jpg

(「ANCIENT NEAR EAST-JUST THE FACTS-」より https://ancientneareast.org


ラメスUは150人〜200人の子供を作ったと言われる。それは、永遠に自分の肉体を保存するという目的のために、自分の体の全ての部分を確実にこの世に残すためだったとも考えられる。

ある程度離れた近親間の結婚によって、分割された肉体の諸部分は再結合され、ラメスUの準クローンとも言うべきファラオの肉体が形成される仕組みになっている。これが「万世一系」である。憲法改正、または皇室典範改正の際には、GHQによって破壊された宮家のあり方が、再び議論されることになるだろう。

古代エジプト語は、実は母音が分からないようになっていて、実際の発音が分からない。色々なことから母音を推理しているのが実態である。

「ラメス」も、どう発音していたか直接には分からないようだ。「ラア」で太陽とかラア(神)という意味があり、「メス」で子供とか生んだものという意味だそうだ。ある説では、「シス」で葦という意味があり、ラア・メス・シス(ラアの息子の葦)で、ラメスとなるとか。皇族の三笠宮様はラアメスと著作で表記していた。

古代エジプト語の母音の発音を調べるには、古事記や万葉集を使うとけっこういい結果が出るのではないかとも思っている。ムス・コとかムス・メという表現は今でも使われているし、古語ではムスで「生む」という意味がある。ちなみに、モーゼは本当は「メス」というメジプト名で、子供という程度の意味だそうだ。

古代エジプトでは、名前は体の一種と考えられていた大切なものだから、ヒクソス魔術団としてはラメスの名前を忘れさせるわけにはいかなかったろう。そこで、一般公開用にラメスをひっくりかえしてスメラにしたのではないか。

ウセルマアトラアというのは、「ラアの正義は強い」という意味で、「アマテラス」は「天を照らす」という意味で、意味の上でのつながりはない。「天を照らす」だけでは修飾語だけで名詞が抜けている感じがする。アマテラススメオオカミと、「スメ」が入ると「天を照らすスメ」となって、太陽神スメラとなる。アマテラスは、ウセルマアトラアをひっくりかえしたものかもしれない。

日本の古墳が異常な大きさで形が奇妙なのは、極遠根堅洲国(エジプト)を占拠していた遠い記憶を持ったまま、豊葦原瑞穂国(日本)を手に入れた時に、過去の栄光を復活させようという気になったのではないか。根堅洲国は古事記や祝詞に登場し、この世のどこかに存在したと言われる。

ピラミッドより大きな前方後円墳は、大きなヒエログリフが入ったカルトゥーシュだと考えると、形としては納得いく。しかし、上の二重丸が「ラー」まではいいのだが、下の四角?は私には「メス」と読めない。下の部分は、ヒエログリフにある三角パン型の文字にも似ていると思うのだが。カルトゥーシュでなくても、古代エジプトでは、ああいう枠の形の中に絵を入れることはある。


『皇統保守』(竹田恒泰、八木秀次)より。
「・・・竹田 そこで、よく議論されているように、二種類の方法があります。一つは、旧皇族を復活する方法。もう一つは、旧皇族から養子をとる方法。この二つが考えられます。旧皇族が天皇になるのかといえば、そうではなく、世襲親王家として存在するのが趣旨です。そして世襲親王家と天皇家が、嫁を交換し合うわけです。

たとえば、竹旧家も、元々は伏見宮家で、そこから分かれた北白川宮家、そこからさらに分かれたのが竹田宮家です。ですから、私から男系をたどっていくと、六百年さかのぽって、ようやく北朝三代の崇光天皇にいくという、六百年のスパンがあるわけです。今の時代感覚で見たら、六百年というと、相当、血統は離れているかのように見えますが、そうではなく、世襲親王家から皇后を出す、そして天皇家からは内親王を嫁にもらう。要するに、嫁の交換を頻繁にすることで血統の距離を近くに保ってきたのです。

つまり、男系を辿ると何百年かさかのぽるかもしれないか、実際には、近親関係を常に保ちながら血のリレーの伴走者をしてきた。それが世襲親王家なわけです。ですから、何親等も離れているというのは、重要なことではあリません。たとえ何親等離れていようが、男系がつながっている。しかも、近親で嫁の交換がされている。ここも誤解が多いのてすが、もし、旧宮家が復活しても、将来、旧宮家が天皇になるわけではありません。そうではなく、復活した宮家と天皇家が嫁を交換することによって、また一段と近い関係になる。

その先で将来、万が一、皇統断絶の危機があったときに、世襲親王家から天皇を出すとしても、それは同じ一族から天皇を出すわけですから、旧皇族のグループが皇位を簒奪するわけではありません。そうではなく、このご緑によって、旧皇族と今の天皇家が五十年間かけて融合していくということです。そうして初めて、その先の皇統が担保される。そう考えなければなりません。・・・」


竹田恒泰氏が以下の動画で説明する染色体の話は、Y染色体が染色体の全てであるかのようにされていて、間違っている。しかし、「いとこが集まると、祖父母から見て息子の息子は顔が似ている」という指摘は興味深い。

男系男子継承とは?古代の日本人は知っていた皇室の系譜
https://www.youtube.com/watch?v=fzT2yC-6hEs

メンデルの法則を大雑把に説明すると、以下のようになる。Aというのが優性遺伝子、aというのが劣性遺伝子とする。染色体は両親から2本ずつ授かり、2本で1組を形成する。だから、染色体上の遺伝子の組み合わせのパターンは3種類しかない。AAかAaかaa。Aは優性遺伝子なので、Aが1つでもあれば優性の特徴が出現するということになる。

例として、「鼻筋がわし鼻は、直鼻・凹鼻より優勢。(鼻の付け根の高さが高い方が優勢。)鼻の下の面が水平は、上向きより優勢。」というものがあるようだ。

「こんなにもあった!! 親から子へ遺伝する形質的な特徴10選◎」
http://matome.naver.jp/odai/2141106522610264201


古代エジプト人は、死を生命の終わりではなく、肉体と不滅の霊魂が分離した状態であると考え、肉体と霊魂とを再び結合させれば、死後も生命を維持できると信じていたという。永遠に生命を継続させる方法として、「ミイラにして遺体を保存すること」、ミイラの代用となる「生前の姿を伝える彫像や絵画を制作すること」、ミイラや彫像・絵画に機能を回復させる呪術的効果を目的とする「葬祭儀式を実行すること」の3つを考案した、と言われている。

君が代の前半は、ただ、代々のファラオにラメスが宿り続けることだけを意味しているのではない。それは、「システム化された近親結婚による、ある種のクローン・不死の技術」と「大嘗祭等の儀式によるラメスの魂の代々のファラオとの結合とその魂の活性化」をも暗示している。

後半は、長年月かけてさざれ石が巨岩となる過程を歌うことによって、ラメスの統治の永遠性を表現しているだけであろうか。ファラオの身体が岩としてのさざれ石のように、バラバラになったラメスの肉体部分という石を結合して形成されていることも暗示しているのかもしれない。

ウィキペディア『さざれ石』 岩のさざれ石の実物が画像で確認できる。
https://goo.gl/jL2i9b

ブログ『やさしいバイオテクノロジー 男系とY染色体と知の巨人』より。
http://yoshibero.at.webry.info/200605/article_6.html

「 X染色体や常染色体(第1から第22)はいずれも減数分裂の時に交叉が起こり、女系・男系に関係なく組換えられた染色体が継承されます。ある人の染色体は、8人の曾祖父母から平均して8分の1ずつ受け取った染色体の混合物です。

単に8分の1受け継ぐのではなくて、減数分裂時の交叉でグチャグチャになった染色体が受け継がれています。10世代さかのぼったり、自分の10世代後に自分の染色体がどのようになっているか想像するとわかりますが、ゲノムレベルで遺伝情報の伝達を見てみると、そうとうグチャグチャなモザイクになった染色体が伝わることがわかります。 」


私は以下のような想像をした。

ラメスとヒクソスの神官たちは、ある計画を考案し実行に移した。「永遠に生き続けるラメスの肉体」と「永遠に続くラメスの統治」である。ラメスがラーであるとすれば、この計画の実行は、正しくしかも神聖なことなのである。

この世での統治を続けるには、ラメスの魂はこの世に留まって誰かの肉体に宿り、その誰かを通してこの世のことを認識し、この世に働きかける必要がある。ラメスの肉体を維持する理由には、ラメスに近い肉体こそラメスの魂が入りやすいと考えられたこともあるのかもしれない。

ラメスは200人近くの子供を作り、自分の血筋の多くの家を立てた。ヒクソスの高官や神官たちは、「永遠に生き続ける肉体」をラメスに与えるために、自分たちの娘をラメスに差し出した。それらの家はお互いに婚姻関係を結ぶようになった。もちろん、ラメスの娘たちの血統の人々も、大規模な近親結婚に参加した。

こうして、ラメスの体の全ての要素をこの世に残しておいた。近親結婚のシステムを維持することによって、バラバラになった肉体の要素は川に流されたように散逸することなく、永久にラメスの家々の中に保存され、しかも永久に再結合が繰り返される。

最初の試行錯誤の時期は、そうした婚姻関係による健康被害が相当あったかもしれないが、覚悟の上だったろう。エジプト第18王朝は、不自然な近親結婚による悪影響が肉体に引き起こされて滅亡した可能性がある。第19王朝は、先の王朝の失敗も十分に踏まえた上で、近親結婚のシステム構築を模索した。

ラメスは90歳ほどで亡くなったが、その魂はあの世へは行かず、このような古代のバイオテクノロジーで作られたラメスの肉体(未来のファラオ)の中へ入り、代々に渡って統治を続けることになっていた。ラメスの魂が未来のファラオの中に入る時には、アメン神官団の中の、「ラメスはラアである」とするグループの神官たちが、大掛かりな儀式や呪文を用いて、それを手伝うことになっていた。


古代エジプトでは、王位を継ぐのは基本的に皇女であり、継承権は第1皇女にあった。第1皇女の夫がファラオになる。古代エジプト王家でキョウダイ婚が多かったのは、第1王子の王位継承を正当化するために、第1王子が第1皇女と結婚したからである。こうした母系継承から男系継承に完全に切り替わるのは、ラメスUの頃だという人もいる。

エジプト神話のオシリスに関する有名な話に、次のようなものがある。
「セトは執念でオシリスの遺体の入った棺を探し回り、木棺の中の遺体を14の部分に切断してしまう。イシスは救出に行き、パピルスの舟を使って遺体の破片を探し出し、魚に飲み込まれて失われた男根を除く破片を繋ぎ合わせて、オシリスの体を魔力で復活させた。しかし、不完全な体だったために現世には留まれなかった。そうしてオシリスは冥界の王として蘇ることになった。」

ラメスと神官達が「ラメスの永遠の統治」計画を検討していたとき、このエジプト神話が念頭にあった。ラメスの家々の中での婚姻関係において、ラメスの肉体は流れ去ることなく、再結合を繰り返すからだ。そしてこの神話は彼らにとって、次のことも意味していたのではないか。女系継承を認めてしまうと、ラメスの男根を追跡・確保しづらくなり、それはいつかどこかで失われてしまう。そして、ラメスはこの世での統治を続けることができなくなる。

男根は男にしかないので、母方から来る部分でないことは明らかだ。そして、娘には男根部分は引き継がれていない。ラメスの母系家族どうしで近親結婚を繰り返しても、ラメスの男根を維持することにはならない。ラメスの男系子孫を常に確保できるようにしておき、ラメスの男系子孫がファラオの位にあり続けることが好ましい。男系の家にこだわることにより、ラメスの男根部分を確保できる。このように考えたのではないか。

この「男根」を男性だけが持つ「Y染色体」と置き換えると、近年の日本で問題となっている女系天皇や女性宮家の問題を思い出させる。男系継承護持派からは、次のような意見が出されることがある。

「男系というのはY染色体の継承のことである。X染色体や常染色体は、いづれも減数分裂の時に交叉が起こり、組換えられた染色体が継承される。Y染色体も減数分裂の時にX染色体と交叉するが、交叉する領域は末端の一部分だけで、Y染色体の大部分はそのまま残る。つまり、Y染色体は、父親から息子へダイレクトに、多くの遺伝子セットがそのままで継承される。神武天皇以来、男系を維持した状態でその皇統が継承されているのであれば、今上陛下や皇太子のY染色体は神武天皇のY染色体を2660年以上受け継いでいることになる。」


君が代の歌詞の後半は、古代のエジプトと日本にあったのではないかと噂されている人工岩石の生成を暗示しているのかもしれない。人工岩石の製造技術は、ラメスの肉体を永久保存し、彼の準クローンとしてのファラオを維持し続ける技術と同様に、ヒクソス魔術団の「魔術」だったのだろうから、両方の技術が重ね合わされて歌われてもおかしくない。

古代エジプトにも、古代日本にも、ジオポリマー技術による人工岩石があったという説がある。ジオポリマーとは、酸化アルミニウムとシリカを基材にするセメントのことだという。以下ウィキペディア「ローマン・コンクリート」より抜粋する。

「 古代コンクリートは、地殻中の堆積岩の生成機構と同じジオポリマー反応によって結合してケイ酸ポリマーを形成するため、強度が数千年間保たれている。・・・フランス人の化学エンジニアJoseph Davidovits(ジョセフ・ダヴィドヴィッツ)は、古代セメントの結合構造であるジオポリマーの化学的構造を解明したとし、エジプトのピラミッドの外殻に使われている石灰岩の化粧石が、自然石を切り出したものではなく、ジオポリマー石灰石コンクリートの一種である人造石で造られたとする説を発表した。

・・・2010年5月21日、日本のフジテレビ系で放送された娯楽番組『金曜プレステージ』でこの説の検証が紹介された。これは、ピラミッドの石切場で採取した石を砕き植物灰などと混ぜて古代セメント製のコンクリートブロックを作り、ピラミッドの石と成分などを比べて調べるという実験が、山口大学の池田攻名誉教授によって行われたものである。番組中、池田教授は自然石では見られない石膏とカリウムがピラミッドの石に含まれていることや、古代コンクリートの可能性がなくはないことに言及した。

高句麗国の将軍塚などのエジプトのピラミッドと共通の外観を持つ石積みの古墳や、同様の大陸式山城の石組みを用いた、日本の神籠石と呼ばれる巨石によって築かれた山城にも、ピラミッドの石を製造したのと同じジオポリマ−技術が使われていることが、顕微鏡を用いた分析からも確認されている。失われた古代技術がシルクロードによって極東まで伝えられた痕跡が認められる。 」

古代コンクリートについての動画(英語)
How the pyramids where built in Egypt(Geopolymer Institute)
http://vimeo.com/1657432

古代コンクリートはローマ帝国で使われていたので、古代日本のコンクリート技術はローマが源流の可能性もある。古代エジプト起源と決め付けるわけにはいかない。中国の大地湾遺跡(約5000年前)のコンクリートはその後誰かに受け継がれたとは思えないので、源流ではないだろう。

私は、古代エジプトで人工岩石が作られていたかどうかに興味がある。自然界では、岩が短時日で生まれるということはない。古代では、自然の力は神々の力であると考えられていたという。だから、もし古代人が人工岩石を作る技術を手に入れたら、自分たちの知恵と力は神々を超えていると考えたかもしれない。


私は、古代人は、近代科学とは異なる質の理論とか技術を持っていたと考えている。その思考も、近代的な意味での「合理性」とは異質な思考だったと思う。このことは、古代から現在まで続いている宗教にも言えることだと考える。漢方薬の製造や処方、その基礎にある理論などは、分かりやすい例だろう。

具体的に、古代大和民族の世界観、技術、宗教について言えば、それは古代エジプト魔術、もしくはそれの発展したものだったと考える。エジプトの技術や神話なども、ヒクソス等のアジア人の文化の影響を受けており、エジプト人とその周辺のアジアの諸民族はお互いに影響を与えあっていたものと思われる。

ヒクソスは、エジプトの魔術と宗教を継承し、独自に発展させた。その魔術と宗教が、日本国体の基礎となっている。つまり日本は、近代科学技術とは別の理論と技術の体系である、エジプト魔術の最大の成果なのである。

古代エジプトでは、政治的な都合で次々と神々が作られたり、同一視されたり、合体したりした。神話についても、政治的な都合で作られたり変えられたりしたようだ。そして私は、日本の宗教史を考察する時に、同じような印象を抱く。歴史的に権力者や神官たちは、宗教を民衆支配や利権のための道具として利用してきたという面があることは否定できないだろう。

ヒクソスにとって神とは「自分たちが願望を実現するために作り上げるもの」であり、聖性とは「自分たちの知恵と力で作り出すこと」を意味するようになっていたのではないか。(もっとも、彼らは一部の高位の神々については実在性を認めていたと、私は考える。)

アブシンベル神殿では、太陽の運行と光線を緻密に計算して仕掛けられた光のショーを見ることができる。ヒクソスは、「自分たちの知恵と力で作り出すこと」こそが、本当の聖性であると考えていたとすれば、ショーといっても、彼らにとっては本当の聖性を示していたことになる。

ラメスと神官たちが、古代にクローン技術とか不死の技術を追求するという驚くべきことが起きたのだとすれば、その文化的な背景はこのようなものだったのではないか。

ヒクソスにとって、ラアは自分たちの魔術で作り出すことによって、実在する聖なる神となった。ラメスがラアになることによって、ラアは初めて本当の神になった。やがてヒクソスは、神とは人間の魂なのだと考えるようになった。そのように推測することもできる。

日本では、神とは現世に関与し続ける人間の魂ことであるとする考え方があるが、それはこうした考え方に由来するのではないか。そもそも、日本の神々の多くは、ヒクソスの諸氏族の祖先なのではないか。


大嘗祭では、新天皇(ファラオ)は、太陽神ラアであるラメスの魂を体に受け入れる。新嘗祭、神嘗祭などは、天皇とラメスの魂との結びつきを強めたり、ラメスの魂を活性化させたりする儀式ではないだろうか。

ラメスU時代の神官たちは、「国体」の創設に関与しているはずで、「日本」の建国者たちであると考えられる。この時代のエジプト宗教のあり方や、これらの神官たちの事績を考察することは、神道や記紀を理解する上で役に立つかもしれない。以下、ウィキペディアより。

アメン神官 Nebwenenef(ネブウェネネフ?)
http://en.wikipedia.org/wiki/Nebwenenef

Nebwenenefの石像
http://www.dia.org/object-info/05ee68a3-023e-45fe-a6b2-cac8fbcf1766.aspx?position=40

(『DETROIT INSTITUTE OF ARTS』より http://www.dia.org

アメン神官・高官 Paser(パセー?)
http://en.wikipedia.org/wiki/Paser_(Vizier)

Paserの石像
http://mcuhistory.tumblr.com/post/59881823989/sandstone-statue-of-paser-egypt-19th-dynasty-around

(『ENDNOTES』より http://mcuhistory.tumblr.com

アメン神官 Bakenkhonsu(バケンコンス?)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bakenkhonsu


アメン神官 Roma called Roy(ロイとよばれたロマ?)
http://en.wikipedia.org/wiki/Roma_called_Roy

プタハ神官・皇族 Khaemweset(カエムワセト?)
http://en.wikipedia.org/wiki/Khaemweset

オシリス神官 Yuyu(ユユ?)
http://en.wikipedia.org/wiki/Yuyu_(High_Priest_of_Osiris)


ラアは、エジプト神話における太陽神である。ラアを象徴する元素と色は、火と赤である。ラーは太陽そのものであり、一日のうちに死と再生を繰り返す不死の存在である。

アブシンベル神殿では、年に2回神殿の最奥の至聖所まで日の光が届き、神殿の奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすようになっている。

その3体の像とは、ラメスとアメン・ラア、ラア・ホルアクティである。それら2柱の神と1人の人間は、同じラアの表れであると言いたいのではないだろうか。ホルアクティとは、エジプト神話に登場する天空と太陽の神で、ホルスの姿の一つである。昇る太陽を神格化したものとされる。太陽神のラアと同一視されるようになり、「ラア・ホルアクティ」と呼ばれるようになった。

神殿に差し込む朝日が3体の像(同じラア)を数分間照らし出す・・・。はじめにラメスとアメン・ラアが輝くそうだ。以下の動画では、ピカーと光っているように見える。日本神話のクライマックスである「天の岩戸開き」はこの光景を表しているのではないか。そこで、エジプト神話を調べてみると、以下のような話がある。

「ホルスが現世の王として神々に認められた時、ラーは怒って館に閉じこもってしまったが、娘のハトホル女神がラアの館へ行き、自らの陰部を広げて見せると、ラアはこれを見て大笑いして機嫌を直した。」

アブシンベル神殿での宗教儀式には、ストリップのような儀式が含まれていたのかもしれない。

Today the unique event in Egypt ? The sun passes over the face of Ramses II in Abu Simbel
https://www.youtube.com/watch?v=n-RlhPtikBk


アメン信仰→アメン神と太陽神ラアの合体(アメン・ラア)→アメン・ラアとラメス(ラムセスU)の同一視→アマテラスとしてのスメラ・ミコト(女神のアマテラスはラメスの妻ネフェルト・イリ)

ヒクソスの宗教は、このような発展を遂げてきたのではないだろうか。

ネフェルト・イリ
EGYPT 517 - NEFERTARI - (by Egyptahotep)
https://www.youtube.com/watch?v=L6cw6FUS_As

ちなみに、ラメスと彼の神官(魔術師)たちは、旧約聖書では「パロと魔術師たち」として登場し、「神とモーゼ(メス)」と対決したことになっている。聖書では、「パロと魔術師たち」は、なぜか実名が書かれていない。

日本の神々には、天の岩戸開きに立ち会っている神様もいる。つまり、ラメスUも死の直後に、アブシンベル神殿での宗教儀式に立ち会った神官たちは、今は日本の神々となっているとも考えられる。「パロと魔術師たち」は、世界の果ての日本列島で、神々として礼拝や祈願の対象となっているのかもしれない。


日本大百科全書(ニッポニカ)には、以下のように書かれているそうである。

「 ヒクソス ひくそす Hyksos

古代エジプトの第15、16王朝を形成したアジア人。紀元前3世紀のエジプトの史家マネトーはヒクソスについて最初に記述した人で、ヒクソスの意味は「牧人王」であるとした。今日では「異邦人の君侯」の意とされている。

マネトーはまた「ヒクソスは一戦も交えずしてエジプトを征服した」としてヒクソスの侵略の激しさを述べたが、今日では、中王国時代以降エジプトに入国したパレスチナの住民が徐々に下エジプトに増え、それが中王国以後の混乱時に勢力を伸ばしエジプト王権を握った、と解されている。

彼らはウマと戦車と築城術をエジプトにもたらし、デルタ地帯の古い町アバリス(おそらく今日のタニス)を復興して王都とし、エジプトの神セトをパレスチナのバアル神と同一視して崇拝し、エジプト支配の最初の外来人王朝として約150年にわたって統治した。強力な王はキヤン王と3人のアポピ王で、オリエント各地との交易を発達させた。[酒井傳六] 」

ウィキペディアでは、以下のように書かれている。

「 ヒクソスはエジプト第2中間期と呼ばれる時代に古代エジプトに登場した人々。彼らは一般にシリア・パレスチナ地方に起源を持つ雑多な人々の集団であったと考えられている。ヒクソスと言う呼称は「異国の支配者達」を意味する古代エジプト語、「ヘカ・カスウト」のギリシア語形に由来する。
・・・
ヘカ・カスウト(ヒクソス)という語が、エジプトを支配する異民族を指す呼称となったのは、実際にエジプトを支配するようになった異民族達がヘカ・カスウトの語を一種の尊称として使用するようになってからである。エジプトを支配したいわゆる「ヒクソス」がどのようにして形成された集団であるのか、詳細には分からない。・・・ 」

第19王朝は、ラメスUの死からわずか27年後には、崩れ落ちるように幕を閉じたという。この王朝と、次の第20王朝のファラオたちは、誕生名に「ラムセス」(ラメスのギリシャ語表現)をつけることが多かったので、まとめて「ラムセス王朝」と呼ばれることがある。しかし第19王朝のラムセスと次の王朝のラムセスの間には、直接的な血のつながりは無いか、あっても薄いと言われている。

エジプトにおけるヒクソス王朝そのものは、前1580年頃に第18王朝に滅ぼされている。第19王朝の王家であるラメス一族は、ヒクソスであったと言われる。彫像やミイラの容貌からしても、ラメス一族がエジプト人であったとは私には思えない。私は次のように推測する。

ラメス一族は、エジプトからヒクソスの居留地へと移り、ヒクソスやその他の周辺諸民族からなる集団の王家となった。(ヒクソスじたいも、一つの民族というよりも、雑多な民族からなる集団と考えられている。)そこからその集団は、長い時間をかけてユーラシア大陸の中で旅を続け、やがて世界の果てにたどり着いた。  

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コメント
 
1. 中川隆[7214] koaQ7Jey 2017年3月20日 09:22:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7685]
>君が代の正しい解釈?
ラメス陛下(スメラ・ミコト)の治世は、
代々のファラオにラメスの魂が宿り続けることによって、千代、八千代と永遠に続く。
ラメスの肉体は、皇室と宮家(スメミマ)の中に分散して永遠に生き続けているのだ。
さざれ岩が結合して巌となるように、皇室と宮家と五摂家との間で結婚がなされると、
分割され散在するラメスの肉体の諸部分が再結合され、
ラメスの魂が宿るファラオの肉体が形成される。
さざれ石の巌に苔がむしているように、
代々のファラオの肉体は、永遠なるラメスの霊的威厳を帯びるのだ。
ラメスの民(スメミタミ)はラア(日の丸)を仰ぎ見て、
ラメスの永遠の治世の栄光を賛美し、その実現を祈願する言霊を捧げよ。
ラメス(ウセルマアトラア)こそラア(アマテラス)である。
>ラメス陛下の永遠の治世に栄光あれ!(スメロギイヤサカ!天皇陛下万歳!)

>君が代の前半は、ただ、代々のファラオにラメスが宿り続けることだけを意味しているのではない。それは、「システム化された近親結婚による、ある種のクローン・不死の技術」と「大嘗祭等の儀式によるラメスの魂の代々のファラオとの結合とその魂の活性化」をも暗示している。

キチガイの妄想はもういいよ
基本的な事を少し位 調べてから発言しろよ


「君が代」
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで


これが「君が代」の元になった歌

古今和歌集第七 賀歌 343 題知らず 讀人知らず

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔のむすまで


この歌は古今和歌集の賀歌(がのうた)の先頭にあり、他の歌(343ー347)と共に、我が君の長寿を願って儀式で歌われたものです。

【我が君】というのは天皇や偉い人を指しているものではありません


わが‐きみ【我が君】 の意味

1 私の主君。あがきみ。「―判官殿は、頼朝のおん代官として」〈謡・舟弁慶〉

2 相手を親しみ敬っていう語。あなたさま。あがきみ。
「我が君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」〈古今・賀〉

つまり、「君が代」の歌詞の本来の意味は

70歳、80歳になってもう明日明後日に死ぬかも しれない よぼよぼの老人に対して、

あと何年も健康に生きて下さいね

と願う歌なんですね



2. デスラー総統[1] g2aDWIOJgVuRjZOd 2017年3月22日 08:44:24 : b4scMlbjxc : @kO1mu3TOBg[1]
こーゆーバカは早く殺せ


[32初期非表示理由]:担当:言葉使い
3. 2017年3月22日 23:44:05 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[44]
「君が代」ヘブライ語訳.

https://www.youtube.com/watch?v=hMlZygKsCgQ


かごめ かごめ をヘブライ語で解釈する    

https://www.youtube.com/watch?v=aPJbM3Y9d5k


さくら さくら を へブライ語で解釈する   【天長】

https://www.youtube.com/watch?v=8ACzntouvqs


4. 2017年3月23日 06:47:36 : eUTpkAQIBY : _ykxv7Bctt8[146]
記紀の話は、近年良く解ったわ。
私は卑弥呼の後継者、
ノロのイヨ(当時16乙女)。

私を力で岩戸の外に出せる等と、
思って?

確かに、私の双子の姉妹(抑の私自身)たる、

アメノウズメの唄舞い踊りに
心惹かれ、そっと(数ミリ程度)
戸を開けて外界を見てみようと思った。

その途端、見知らぬマッチョが、
強引に梃子を入れ、
私を引き摺り出そうとエイヤとばかり、
戸をこじ開けた。。

でもその瞬間、
私は窟の奥に走って逃げた。
そして影に隠れ、気配を消した。

恐らく手力男が見たのは、
しんとした、
延々と続く、真っ暗闇のみだった
ことでしょう。

何故見知らぬ男(改めての人攫い、、
かも知れない一応元の彼らからは
つまらない優遇はされたものの)
の、DVやレイプに、
遭わされなくてはならない?

ノコノコついてなど行くもんですか!
バカにしないで欲しい。
16でも、十分嫁に行き、子をなす
という事の意味も分かる、
本来なら、本気の恋に落ちても
おかしくない
分別ある「大人」なのだから。

結局、奴らは岩戸を開けてなんか
成果あった事にした。

そして、天皇家は、
フライングスタートを切った
と云うべき。
それでも一応優遇されたことには
消極的ながら感謝もあり、
以後私の霊は、
天皇家を守護しています。

数々のでっち上げや、
母と切り離された
悲しみや・・・

政争の具、謂わばオモチャにされ、
開戦の口実にまでされたと言う
恨み、怒りは、、

自身の若さ、至らなさ以上に、

尽きなし。


5. 2017年3月23日 22:19:57 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[48]

ユダヤ ヘブライ語 日本語 共通点

https://www.youtube.com/watch?v=EfPoYYMwviI



6. 中川隆[7300] koaQ7Jey 2017年3月23日 22:42:44 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7773]
>>5
キチガイの妄想だろ

ユダヤ人のY-DNAは E1b, I, J

日本人のY-DNAは D2, O2, O3

日本人にはユダヤの血は全く流れていないよ


7. 自由のための統一戦線[5] jqmXUoLMgr2C34LMk52I6pDtkPw 2017年3月24日 00:07:39 : dbQDxT3RTU : xfiei9ffI44[3]
Y染色体ハプロの問題は重要である。

倭人の国々が発展して、大和朝廷を中心とする国家が形成されたとすることには無理があると考える。

記紀には、倭人の国の話は出てこない。中国南部(江南地域)と倭のつながりは、魏志倭人伝が書かれた時代からすでに話題になっていた。

古代の人骨や稲のDNAからも、弥生人(倭人)が江南起源であることは明確である。

しかし、古墳時代以降の日本はそういう文明ではない。「日本皇室ベトナム起源説」とかも面白いかもしれないが、面白いだけで現実性に欠ける。

江南地方の中国人の古墳のミイラの顔をアップにして、「見よ、これがスメラの顔だ!」とかも面白いかもしれないが、やはり現実性に欠ける。


縄文の人と文明は、長い時間をかけて、大和朝廷の勢力に追われていったことは、歴史的にも確認できることである。

その一方で、日本人男性のY染色体ハプロは、「縄文系」が多数派なのである。これはおかしなことである。(倭人型Y染色体ハプロも多いが。)

種類が多い縄文系ハプロを全て縄文人だとするから話がおかしくなるのであって、「謎の四世紀」に縄文系Y染色体ハプロの騎馬民族が日本に侵入し、大和朝廷を中心とする国家を作ったとすれば筋が通る。

私が検討したところ、「縄文人のYハプロ」は「縄文系のYハプロ」と区別できる。アイヌのYハプロの構成比は研究されていて、結果は公表されている。アイヌは縄文人と古い北アジアの民族が融合した、縄文人の一種であることが分かっている。

公家、武家、渡来人、皇族のYハプロを公表しないと、差別になるのでは?私の予想では、それらの歴史集団のYハプロは「縄文人」ではない「複数種類の縄文系」である。

いくつかの古代オリエント民族のYハプロが縄文系でも不思議ではないと考える。


8. 中川隆[7301] koaQ7Jey 2017年3月24日 06:43:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7774]
>謎の四世紀」に縄文系Y染色体ハプロの騎馬民族が日本に侵入し、大和朝廷を中心とする国家を作ったとすれば筋が通る。


騎馬民族 Y-DNA「C3c」は日本には入っていないよ:


Y-DNA「C3a」のもう一つの弟遺伝子で、南下もせずアメリカ大陸にも渡らずシベリア大地に留まり寒冷地適応をしながら東北アジアに定着したのが 後にツングース族やモンゴル族の先祖となったY-DNA「C3c」です。

後に騎馬民族となった彼らは日本列島にも渡り騎馬民族制服王朝を興したと言う学説が戦後大ブームになりました。

遺伝子解析の結果は明快で、日本列島本土に「C3c」の出現頻度は0に近く、騎馬民族制服王朝などはなかったことが明解に証明されました。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-8.htm


9. 自由のための統一戦線[6] jqmXUoLMgr2C34LMk52I6pDtkPw 2017年3月26日 02:00:37 : dbQDxT3RTU : xfiei9ffI44[4]
アイヌ人が縄文人の一種だとすれば、縄文人のY染色体ハプロはD1b*であったと考えられる。ウィキペディアには、「アイヌ人の父系系譜を示すY染色体ハプログループの構成比については、日本列島固有のハプログループD1bが87.5%(うちD1b*が13/16=81.25%、D1b1aが1/6=6.25%)と大半を占める。」とある。

現代日本で割合が多いのは、「D1b*」ではなく「D1b…」であるはずだ。旧縄文勢力が大和朝廷に制圧されてきたことは、はっきりとした歴史的事実である。日本で「D1b…」の割合が高いのは、それが歴史的な支配勢力だったからだろう。(朝鮮でO3が多いのは、漢民族が歴史的に優勢だったからだろう。)

「D1b…」を縄文人と考えると、Y染色体ハプロからは渡来人が確認できない。考古学的にも、文献的にも、渡来人は日本に大量に入って来て、国内でさらに増えたはずなのに、確認できない。

騎馬民族征服王朝についても、同じことが言える。それで、「渡来人も騎馬民族征服王朝もなかったか、もしくは小規模で遺伝子的な跡が残らなかった。」とか、「渡来人も征服王朝も、朝鮮から来た倭人だった。」という話が出てきているようだ。


私は、「D1b…」が大和民族であり、渡来人であるとするのが自然であると考える。日本の古代史を遺伝子生物学から考える人々の多くが、「ハプロの文字列が途中まで同じであれば、同じ民族(歴史的グループ)」という考え方を前提にしているのは、奇妙なことだと考える。

他の国々の例を見れば、まったくそういうことは言えないはずだ。E1b…は、アフリカと欧州にまたがって、広く分布している。E1b…は、色々な民族から検出されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ハプログループE_%28Y染色体%29

D1b…がD1b*が本州で変化したものだというのであれば、日本人の容貌や伝統的な生活習慣は全体としてもっと昔のアイヌに近いはずだと考える。しかし、実際は違っている。そこからも私は、D1b1…シリーズ集団はD1b*集団と遠い祖先は同じであっても、異民族であると考えるのだ。

朝鮮半島・日本列島に突入したと言われる扶余は、モンゴル人や満州族などの属するツングース系モンゴロイドだろうと言われているが、現在の遺伝子状況からは、それらの民族の男性が日本列島にやって来た形跡はない。ツングース系モンゴロイドに多いY染色体ハプロC系統はC2b2なのであるが、それは日本ではほとんど検出されず、日本にあるC系統はC2aとC1a1aなのである。

現在は、チベット・中央アジアでY-D1a系統とY-D1c系統が確認できるということだが、五胡のうちの氐と羌は、D1a・D1c系統だったと考えるのが自然。タングート族の西夏もチベット系とされている。

騎馬遊牧民には、ツングース系だけでなく、コーカソイド系もトルコ系もチベット系もある。扶余系騎馬民族がD1b…(縄文系)であったとしても、不自然ではないと考える。


10. 中川隆[7332] koaQ7Jey 2017年3月26日 09:37:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7807]
>>9
古代朝鮮南部には漢民族(Y染色体O2系統)と稲作民(Y染色体O1b系統) が住んでいたから、日本に渡来したのも O2 と O1b だけっだよ

藤原氏は O1bだとわかっている
天皇は最初は漢民族 O2 だったが、継体天皇で遺伝子が変わった可能性がある

何れにしろ、日本を支配していた天皇家や武家は朝鮮から渡来した漢民族)で、
縄文人D2・弥生人系 O1b の日本の一般民とは殆ど混血していない。

現代の日本の政治家や資産家は殆どが渡来漢民族:Y染色体O2系統(旧 O3系統)
地主や自作農は 弥生系: Y染色体O1b系統(旧 O2系統)
貧農や小作人や部落民は 縄文系「D2」


11. 中川隆[7333] koaQ7Jey 2017年3月26日 09:42:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7808]
>>9 の扶余系騎馬民族がD1b…(縄文系)

というのは妄想

騎馬民族 Y-DNA「C3c」は朝鮮までは来ていたが、日本では全く見つかっていない


12. 自由のための統一戦線[7] jqmXUoLMgr2C34LMk52I6pDtkPw 2017年3月26日 22:46:03 : dbQDxT3RTU : xfiei9ffI44[5]
>藤原氏は O1bだとわかっている

>何れにしろ、日本を支配していた天皇家や武家は朝鮮から渡来した漢民族)で、

>現代の日本の政治家や資産家は殆どが渡来漢民族


私は、そういうことを示すデータを見たことも、聞いたこともありません。

そういう事実があるのであれば、別にそれでも良いのですが。


Y染色体が漢民族型の日本人男性は、男性全体の1割くらいしかいない。

漢民族型のY染色体ハプロの男性も、今の中国人や朝鮮人の男性からは、何万年も前に別れているようです。


13. 2017年3月27日 01:14:25 : JW4kQkOW9o : dSI7DqbtatE[-750]

君が代丸(きみがよまる)は、1922年から1945年にかけて日本統治時代の朝鮮の済州島と大阪を結んで尼崎汽船が運航していた貨客船である。第一君が代丸と第二君が代丸の2代が存在した。当時、日本と朝鮮半島を結ぶ航路としては、関釜連絡船以外で数少ないものであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3%E4%B8%B8

[32初期非表示理由]:担当:スレ違い多数により全部処理

14. 中川隆[7378] koaQ7Jey 2017年3月27日 19:41:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7855]
>>12


>私は、そういうことを示すデータを見たことも、聞いたこともありません。

漢民族:Y染色体O2系統(旧 O3系統)
長江の稲作民:Y染色体O1b系統(旧 O2系統)

新 O1, O2 表記で

藤原鎌足の墓と言われる阿武山古墳の被葬者

阿武山古墳の被葬者のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)であると推定される(注1)(注2)。

阿武山古墳は、阿武山(標高281.1m)の山腹の大阪府高槻市奈佐原から、茨木市安威に跨った地域に位置し、昭和初期に地下から古代の貴人の埋葬遺体が発掘された。現在は国の史跡に指定されている(注3)(注4)。


注1)朝日新聞『藤原鎌足の墓説さらに強まる。阿武山古墳に最高級の冠帽』(2013年12月14日号)

注2)Ysearch"DNA of Fujiwara clan"

注3)文化庁『阿武山古墳』(国指定文化財データベース)

注4)阿武山古墳は、1934年に京都大学の地震観測施設の建設中に、土を掘り下げていて瓦や巨石につきあたったことから偶然に発見された古墳。浅い溝で直径約82mの円形の墓域が形成されていた。墓室は墓域中心の地表のすぐ下にあり、切石で組まれて内側を漆喰で塗り固められており、上を瓦で覆われ地表と同じ高さになるように埋め戻されていた。内部には棺台があり、その上に漆で布を何層にも固めて作られ外を黒漆・内部を赤漆で塗られた「夾紵棺(きょうちょかん)」が日本で初めて発見された。

棺の中には、60歳前後の男性の、肉や毛髪、衣装も残存した状態のミイラ化した遺骨がほぼ完全に残っており、鏡や剣、玉などは副葬されていなかったが、ガラス玉を編んで作った玉枕のほか、遺体が錦を身にまとっていたこと、胸から顔面、頭にかけて金の糸がたくさん散らばっていたことが確かめられている。

藤原清衡
平安時代後期の武将で、平泉に中尊寺を開基した奥州藤原氏の祖・藤原清衡(Fujiwara no Kiyohira, 1056-1128)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である(注1)。

これは、奥州藤原氏四代のミイラに対する骨格の調査や、子孫複数名から得られたサンプルの解析結果などによる(注2)。藤原清衡の血液型はAB型。
http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93O1b%E7%B3%BB%E7%B5%B1

______

>漢民族型のY染色体ハプロの男性も、今の中国人や朝鮮人の男性からは、何万年も前に別れているようです。


漢民族系日本人というのは黄河文明の時代の本物の漢民族の子孫ですから。

今の中国にいる自称漢民族は無数の民族と交配して黄河文明の頃とは遺伝子が全然違うのですね:

漢民族:Y染色体O2系統(旧 O3系統)
長江の稲作民:Y染色体O1b系統(旧 O2系統)

旧 O2, O3 表記で

Y-DNA「O3」は黄河文化直系のプロト漢族、

「O3a1」は華北の周辺民族との交配で生まれた黄河系(華北系)漢族、

「O3a2」は黄河系漢族と長江文化華南系との交配漢族になります。

漢族は単独遺伝子ではなく、約50%強の「O3XX」亜型群をコアに現在少数民族となっている「O1」「O2」「F」「P」「NO」N」「C3c」など50以上の民族との交配の結果生まれた複雑な遺伝子構成の集団ですが、支配階級は「O3XX」なので「O3」で代表されます(面白いことに他の遺伝子との交配を嫌った純粋「O3」の少数民族もいるのです)。

  いずれにせよ日本列島で検出できる「O3」の子亜型は全て中華大陸で検出できます。つまり韓半島の「O3」とも全く同じです。つまり「O3」漢族は支配階級として日本列島先住民だった縄文−弥生集団との交配を行ってこなかったことを意味します。あくまで自分たちはエスタブリッシュメントとして先住縄文−弥生集団を見下していたわけです。

日本人のガラパゴス的民族性の核をなすのは、縄文系ではなく侵略者系のY-DNA「O3」です。

楽浪郡、帯方郡など中華王朝の出先機関が牛耳っていた韓半島での生存競争を勝ち抜くことができず、流れ者武装集団として日本列島に逃げ込んできた戦闘集団の中で最後に勝ち残ったのが大和朝廷族となり、敗れた集団はその他天神集団となったようです。

最後に勝ち残った百済系大和朝廷族の親衛隊からのし上がった戦闘要員の中から平氏が生まれ、高句麗から落ち伸びた戦闘集団の中から坂東武者が生まれ、新羅の落ち伸び花朗集団の中から源氏が生まれ、このような韓半島出自のY-DNA「O3」を中心とする武士団族が縄文-弥生交配集団が居住していた地方を制圧し力を蓄えていったようです。


長江文明系の呉系と思われるY-DNA「O2b」は呉が滅んだあと楚や越の遺民や奴隷を交えて、南下した越とは反対の北方に逃げ満州辺りで「O2a」から「O2b」に分化し、稲作適地を求めて南下し韓半島南部で水田稲作農耕をおこない遺伝子は現在に至っています。韓民族の30%を占めるほど韓半島の農民層として定住・定着したようです。「O2b」は更に水田稲作適地を求めてあるいは中華王朝の韓半島出先機関の圧政から逃れるためか南下しボートピープルとして日本列島に逃げ込みここで弥生文化を花咲かせたわけです。この間縄文遺伝子のY-DNA「D2」と密に交配し「O2b1」に分化し、未分化の「O2b」と併せ日本列島でも韓半島とおなじく30%の呉系遺伝子頻度を現在持っています。「O2b」は基本的に満州族、韓(朝鮮)族と日本人(琉球民族も含む)のみに高頻度で現れる特殊な遺伝子子亜型なのです。

  この両民族の30%を占める呉系度が両国の近さの証明であり、縄文遺伝子を持たない韓国が一方で遠い国の証明なのです。しかしどちらも支配層は見事に黄河系「O3」で同じなのです。ここも近さの証明となります。つまり日本人の50%強は韓族と同じ出自を持つ同根なのです。そして漢民族とも同根なのです。残念ながら! なんでこんなに文化が違うのだろう?約50%弱を占める基層の縄文文化のあることが日本を中韓両国とは全く異なる風土を育んでいるのです

現在世界の覇権を狙っているのがY-DNA「O3」です。東ユーラシアからオセアニアまで広く進出しています。ニューギニアのY-DNA「C2」92%のDani 族の残り8%は「O3」です。なんでこんなところにまで進出したのか?なにかメリットがあったのか?拉致されたのか?不思議です。

  ともかく純血を守ろうとした「O3」部族は残念ながら少数民族化してしまいましたが、交配をいとわなかった集団は漢族系として現在アジア諸国の支配層として日本を含むアジア各国に君臨しています。大和朝廷族と武士団族は韓半島での勢力争いに敗れて、武力を持った武装勢力として日本列島に流れて侵略したのですが、狩猟用の戦闘力しか持たなかった縄文・弥生交配集団を武力で征服・支配し神話も乗っ取り、大和朝廷を現在にまで存続させるという奇跡を成し遂げたのです。それを認めてきた縄文・弥生交配集団の何とお人好しなことか!? 

  第二次大戦後に一気に縄文・弥生系と侵略者「O3」系との交配が進んだため、現在の日本人は階級意識が薄れていますが、長い間「O3」は支配集団として、身分が違うと称して、交配を拒んできたのです。
http://ooolmikirleie.ti-da.net/e8859277.html


15. 中川隆[7379] koaQ7Jey 2017年3月27日 20:05:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7856]

漢民族:Y染色体O2系統(旧 O3系統)


Y染色体ハプログループO2a1c系統 【漢民族系】
http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93O2a1%E7%B3%BB%E7%B5%B1


劉邦

前漢の高祖・劉邦(BC256-BC195)のY染色体は、ハプログループO2a1c(O-IMS-JST002611)である(注1)(注2)。これは劉邦の子で斉王に封ぜられた悼惠王・劉肥の子孫(陳洲劉氏)をはじめとする中国全土の劉邦の子孫から得られたデータに基づくものである(注3)(注4)。
ryuho.jpg
picture from Wikipedia
注1)Y chromosome haplogroup O3-M122 is the most prevalent haplogroup in East Asia, and provides an ideal tool for dissecting primary dispersals of the East Asians. Most of the sub-haplogroups of O3-M122 have been sufficiently investigated except for O3a1c-002611, despite its great prevalence and huge population, especially in Han Chinese. In this study, we identified 508 individuals with haplogroup O3a1c-002611 out of 7801 males from 117 East and Southeast Asian populations, typed at two newly discovered downstream Y-SNP markers and ten commonly used Y-STRs. Defined by SNPs IMS-JST002611 (in short, 002611), F11, and F238, three lineages internal to haplogroup O3a1c-002611 have distinct geographical distributions. Furthermore, Y-STR diversity shows a general south-to-north decline, which is consistent with the prehistorically northward migration of the other O3-M122 lineages. The northward migration of haplogroup O3a1c-002611 started about 13 thousand years ago (KYA). The expansions of subclades F11 and F238 in ancient Han Chinese began about 5 and 7 KYA immediately after the separation between the ancestors of the Han Chinese and Tibeto-Burman.
注2)『劉邦 O2a1c (O-002611)』
注3)『陳洲劉氏, O2a1c-002611』

注5)分子人類學吧『孔子及其内孔家族Y-DNA之謎解析』(2016.1.29)


孔子(浙江衢州派)
中国・春秋時代の思想家、哲学者・孔子(BC552-BC479, Confucius)の第53世孫・孔洙の子孫のY染色体は、ハプログループO2a1c(O-IMS-JST002611)である(注5)。


孔子が、いかなるY染色体の系統に属するかを解析するために、曲阜孔氏の男性1,118名を対象に調査を行ったところ、ハプログループC2(C-M217)(46.06%)、ハプログループQ1a1a1(Q-M120)(27.01%)、ハプログループO2(O-M122)(20.66%)、その他(6.27%)であることが判明した(注1)(注2)。これは、第53世孫・孔洙の子孫にあたる浙江省衢州・孔氏から得られたサンプルに基づく。
confucius1.jpgconfucius5.jpg
picture from Wikipedia

この結果により、従来は同一父系に属すると考えられてきた「曲阜孔氏」が、実際には、ほぼ3系統の異なる父系の子孫に分かれることが明らかとなった。また、実際の孔子の系統は、ほぼ半数(46.06%)を占めるハプログループC2(C-M217)である可能性が高いと考えられる一方で、漢民族としては比較的珍しいハプログループQ1a1a1(Q-M120)が「曲阜孔氏」の男性から4人に1人以上(27.01%)の高頻度で検出されたことなどから、こちらが実際の孔子の系統ではないかと有力視する見解もある。これらは、濟南鐡路公安局刑事技術所や、復旦大學らの研究チームの解析によるものである(注3)(注4)。

confucius2.jpgconfucius3.jpg

注1)『曲阜孔姓人群Y類型測試結果評論分析_兵策儒劍_新浪博客』(2015.7.1)
注2)測試様本數爲曲阜地區孔姓人群1118例箇例。測試結果表明,曲阜孔姓出現三種高頻單倍群:C3(46.06%)、Q1a1(27.01%)、O3(20.66%)。其中O3因爲没有集中趨勢,估計O3三大支等全都有,而被論文作者自己排除在孔子后裔之外。論文作者認爲C3和Q1a1都有可能是孔子后裔的類型。

注3)『曲阜孔姓人群Y類型測試結果評論分析』(2015.7.1)
注4)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文ではISOGG 2014による旧表記で各々「C3(C-M217)」「O3(O-M122)」、ISOGG 2012による旧表記で「Q1a1(Q-M120)」とある。
注5)分子人類學吧『孔子及其内孔家族Y-DNA之謎解析』(2016.1.29)

曹参

前漢の丞相・曹参のY染色体は、ハプログループO2a1c(O-IMS-JST002611)である(注1)(注2)。
so_san.jpg
picture from Wikipedia
注1)『Y染色體破譯曹操身世:非曹參後代無夏侯氏血統』
注2)ISOGG Tree(ver.10.68)による表記。原文のISOGG 2010による旧表記では「O3a4」である。


嚴嵩
中国 明代の政治家・嚴嵩(Yan Song, 1480-1567)のY染色体は、ハプログループO2a1c(O-IMS-JST002611)である(注1)(注2)。嚴嵩の字は惟中。介溪と号した。江西省分宜縣の人で、祖籍は福建省邵武縣である。
yan_song.jpg
picture from Wikipedia
注1)『東亞名人DNA彙總』
注2)ISOGG Tree 2017 (ver.12.31)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a1c(O-IMS-JST002611)」である。


馬英九

第12代、第13代 中華民国総統・馬英九(1950-  )のY染色体は、ハプログループO2a1c(O-IMS-JST002611)である(注1)(注2)。馬英九の祖父・馬立安の本貫は、中国湖南省湘潭県馬家堰である。
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注1)『東亞名人DNA彙總』
注2)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a1c(O-IMS-JST002611)」である。

_____


坂上田村麻呂

平安時代の武官で、陸奥国の蝦夷を平定した征夷大将軍・坂上田村麻呂のY染色体は、ハプログループO2a1c(O-IMS-JST002611)であると推定される。

坂上氏は、後漢の霊帝の子孫で、応神天皇の御代に渡来した阿知使主の子孫とされる(注1)。阿知使主の子孫で、東漢氏出身の左京大夫・坂上苅田麻呂が田村麻呂の父である(注2)(注3)。
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注1)『日本書紀』応神20年(289年)九月條には、「倭漢直(やまとのあやのあたひ、東漢氏)の祖・阿知使主、其の子都加使主(つかのおみ)、並びに己が党類(ともがら)十七県を率て、来帰り」とある。

注2)『続日本紀』延暦4年6月條「右衞士督從三位兼下総守坂上大忌寸苅田麻呂等上表言。臣等本是後漢靈帝之曾孫阿智王之後也。漢祚遷魏。阿智王因牛教。出行帶方。忽得寳帶瑞。其像似宮城。爰建國邑。育其人庶。後召父兄告曰。吾聞。東國有聖主。何不歸從乎。若久居此處。恐取覆滅。即携母弟迂興徳。及七姓民。歸化來朝。是則譽田天皇治天下之御世也。於是阿智王奏請曰。臣舊居在於帶方。人民男女皆有才藝。近者寓於百濟高麗之間。心懷猶豫未知去就。伏願天恩遣使追召之。乃勅遣臣八腹氏。分頭發遣。其人民男女。擧落隨使盡來。永爲公民。積年累代。以至于今。今在諸國漢人亦是其後也。臣苅田麻呂等。失先祖之王族。蒙下人之卑姓。望 。改忌寸蒙賜宿祢姓。伏願。天恩矜察。儻垂聖聽。所謂寒灰更煖。枯樹復榮也。臣苅田麻呂等。不勝至望之誠。輙奉表以聞。詔許之。坂上、内藏、平田、大藏、文、調、文部、谷、民、佐太、山口等忌寸十一姓十六人賜姓宿祢」
注3)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a1c(O-IMS-JST002611)」である。


丹波康頼

平安時代の医博士・丹波康頼のY染色体は、ハプログループO2a1c(O-IMS-JST002611)と推定される。

丹波康頼は、坂上田村麻呂の子孫で、永観2年(984年)に『医心方』全30巻を撰し、朝廷に献上した。『医心方』は、現存する日本最古の医学書で、丹波康頼は、この功績により丹波宿禰の姓を賜り医家・丹波氏の祖となった。明治・大正期の薬学者である丹波敬三は、この直系子孫にあたる。丹波敬三の孫に俳優の丹波哲郎や、作曲家の丹波明などがいる(注1)。
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注1)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a1c(O-IMS-JST002611)」である。


16. 中川隆[7380] koaQ7Jey 2017年3月27日 20:11:48 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7857]

漢民族:Y染色体O2系統(旧 O3系統)

Y染色体ハプログループO2a2b1a1a系統

秦始皇帝

秦始皇帝のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1a(O-M133)であると推定される(注1)(注2)(注3)。

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注1)『探析中華民族的源流』(2007.11.11)

注2)『中國人與蒙古人-日本人并不是同種的蒙古利亞黄種人種』(中華論壇, 2014.3.27)

注3)『弥生人の起源』(2011.10.2)


___


Y染色体ハプログループO2a2a1a2系統

項羽

楚の武将で秦を倒し西楚の覇王と呼ばれた項羽(BC232-BC202)のY染色体は、ハプログループO2a2a1a2(O-M7)である(注1)(注2)。
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picture from:http://www.koufuukai.net/pg389.html

注1)分子人類學吧『中國王室皇族Y-DNA單倍群表』(2014.12.5)

注2)ISOGG Tree(ver.11.140)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a2b*(O-M7)」である。

___

Y染色体ハプログループO2a2b1系統

徐福

中国 秦代の方術士・徐福のY染色体は、ハプログループO2a2b1a1(O-M117)であると推定される(注1)。

これは、江蘇省の徐氏 男性複数名から得られたデータに基づく(注2)。

xu_fu.jpgxu_fu3.jpgxu_fu4.jpgxu_fu5.jpg
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 437 448 439 389i 392 458
Alleles 13 24 14 10 13 18 15 20 13 13 14 19

司馬遷の『史記』よると、徐福は、斉国の琅邪郡(現 山東省臨沂市)の出身であるが、1982年『中華人民共和國地名辭典』編纂の際に行われた国家的規模の学術調査において、江蘇省連雲港市贛楡県金山鎮にある「徐阜」という村に、徐福にまつわる伝承や遺品が集中して発見された。

この村は、少なくとも清朝 乾隆帝の時代より以前から「徐福村」と呼ばれており、徐福自身は「蓬莱郷」と「不老不死の仙薬」を求めて東方へ船出したが、残された親族が、のちに江蘇省へ移り住んだと伝えられている(注3)。一方、日本の和歌山県には、韓人・李梅渓が揮毫し、紀州藩祖・徳川頼宣が建てた「秦 徐福之墓」という墓がある。


注1)分子人類學論壇『江蘇揚州徐氏O3a3c1,M117+』(2010.6.20)

注2)ISOGG Tree 2017 (ver.12.31)による表記。原文のISOGG 2010による旧表記では「O3a3c1(O-M117)」である。

注3)宮城谷昌光『異色中国短篇傑作大全』 講談社、2001年、146頁、ISBN 4-06-264970-5

潮汕曾氏

中国・潮汕曾氏のY染色体は、ハプログループO2a2b1*(O-M134*, M117-, subclade-CTS11525)である(注1)(注2)。潮汕曾氏の族譜によると、曾氏の始祖は、「孔子および左丘明の弟子の曾子(本名:曾參, BC505-  )で、子孫は山東より江西へ移住し、更に福建から広東の潮汕へ移住した」と記載されている。
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 437 448 439 389i 392
Alleles 12 23 15 10 14 16 15 20 12 13 12


注1)『廣東省潮汕曾氏DNA検測結果-O2a2c1*』(2012.3.8)
注2)ISOGG Tree(ver.10.116)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a2c1*(O-M134*, subclade-CTS11525)」である。

王仁

応神天皇の時代、百済を経由して日本に渡来した・王仁(わに)博士のY染色体は、ハプログループO2a2b1(O-M134)であると推定される(注1)(注2)。王仁博士の子孫は、西琳寺跡がある河内国古市郡古市郷を本拠地とする西文氏(かわちのふひと)として栄えた。
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注1)松本克己『日本語の系統とその遺伝子的背景』(千葉大学, 2012.11.15)
注2)ISOGG Tree(ver.11.73)による表記に更新。原文の表記では「O3e-M134」である。


17. 自由のための統一戦線[8] jqmXUoLMgr2C34LMk52I6pDtkPw 2017年3月27日 23:56:54 : dbQDxT3RTU : xfiei9ffI44[6]
日本の有名氏族のY染色体ハプロについてですが、


武山古墳の被葬者のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1であると「推定される」

とか、

奥州藤原氏四代のミイラに対する「骨格の調査」や、「子孫複数名から得られたサンプルの解析結果」などによる

など、直接Y染色体が確認されたのではない話が多いようです。


漢民族型ハプロ(O3)が日本の支配層に多かったという指摘は、興味深いものではありますが、根拠はないようです。

私は、 皇室も含めて、日本の歴史的な支配層のY染色体ハプロは「D1b…(縄文系)」だと推測しています。

正式に皇族、公家、武家、社家、渡来系氏族について、Y染色体ハプロを調査し公表してくれれば良いのですが。


Y-D1b(縄文人)とY-D1b…(縄文系)の同一視を前提とするのは、地中海沿岸のY染色体ハプロの分布状況からすれば、

色々な黒人の民族とユダヤ人とアルバニア人を一緒くたにしているレベルの考察だと考えます。


18. 中川隆[7384] koaQ7Jey 2017年3月28日 02:13:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7862]
>私は、 皇室も含めて、日本の歴史的な支配層のY染色体ハプロは「D1b…(縄文系)」だと推測しています。


妄想はもういいよ

朝鮮の王族はすべて漢民族 O2

天皇は百済王家の親戚なんだから朝鮮王族と同じ漢民族 O2 に決まってるんだよ

まあ、もし継体天皇が縄文人だったのならそれ以降の天皇は D1b になるけど


19. 中川隆[7386] koaQ7Jey 2017年3月28日 10:46:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7864]

天皇一族や大名クラスの武家支配層はみんな一重瞼か奥二重瞼だけど、これは黄砂適応と言って、アジアでは華北の漢民族と漢民族系朝鮮人だけに見られる特徴

縄文人も弥生人も二重瞼だから天皇一族とは遺伝子が全く違うんだ


20. 中川隆[7397] koaQ7Jey 2017年3月28日 19:16:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7875]
間違いの訂正

>>14, >>15, >>16 に転写した

有名人のハプログループ
http://famousdna.wiki.fc2.com/

に記載されているものは殆どがデタラメだという話を聞きました

本当だと思わないで下さい


21. 2017年4月08日 07:56:05 : wT6TyRaoAs : LHGhWWmpWIE[1]
へんなひと

22. 中川隆[7598] koaQ7Jey 2017年4月08日 14:17:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8085]

因みに、東山天皇が縄文人 D1b1a2 、藤原鎌足の墓と言われる阿武山古墳の被葬者が弥生人 O1b2a1a1 というデマの出所は


有名人のハプログループ
http://famousdna.wiki.fc2.com/

王家のハプログループ - Yourpedia
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AE%B6%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97#.E6.97.A5.E6.9C.AC

Famous people's Y-DNA listed by haplogroup - Eupedia
http://www.eupedia.com/genetics/famous_y-dna_by_haplogroup.shtml


で、まともなデータや文献は何一つ引用されていません。

そもそも阿武山の遺体のDNA鑑定なんて行われてないし
実在しないニニギノミコトのDNAまで書いてるクルクルパー資料

朝鮮進駐軍の話と同じで在特会やチャンネル桜の関係者が捏造したものだと思います。

右翼は天皇が朝鮮人だとわかると困るんでしょうね。



23. 中川隆[7611] koaQ7Jey 2017年4月09日 10:37:38 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8098]

中南米人の遺伝子調べると母系は先住民、父系はヨーロッパ人と綺麗に分かれてる ハーレム状態


現代の中国人は父系は大半が黄河文明人 O2(旧表記O3)で元々はコーカソイドみたいだけど、母系は南方系が殆どだから
中南米のインディオと同じ様にモンゴロイドにしか見えない

日本では父系が黄河文明人 O2 の比率は 20%だけど、母系は縄文人と弥生人だろうね

天皇一族みたいな朝鮮からの漢民族系渡来人は黄河文明人 O2 で一重瞼
縄文人と弥生人は全員二重瞼

一重瞼はチョンだと思って間違いない :

グレゴール・ヨハン・メンデルの「優性の法則」によると、遺伝には親の性質が現れやすい「優性」と、現れにくい「劣勢」の二通りあり、両方の遺伝子が存在した場合、優性の形が優先されるそうです。

二重まぶたの遺伝パターン

二重まぶたは「優性遺伝」、一重まぶたは「劣勢遺伝」です。「それなら、両親とも、もしくはどちらかが二重まぶたなら子供も絶対二重まぶたになるのでは?」と思いますよね。でも、実は遺伝には4つの遺伝法則があるのです。
そもそも、まぶたには3種類の遺伝パターンがあります。


●二重の遺伝子を2つ持つ「AA」の二重

●二重の遺伝子を1つと一重の遺伝子を1つ持つ「Aa」の二重

●一重の遺伝子を2つ持つ「aa」の一重

両親が二重でも、「AA」タイプの二重なのか「Aa」タイプの二重なのかによって、子供が二重になる確率は変わるのです。

二重まぶたの遺伝の法則

両親のどちらかが「AA」タイプの二重であれば、子供が二重になる確率は100%、

両親が二重であっても、「Aa」タイプの二重であれば、子供が一重になる確率が25%ある

両親のどちらかが一重であれば、子供が一重になる確率は50%になります。

両親のタイプ別二重まぶたの遺伝ケース

父「AA」×母「AA」の二重
子供も「AA」の二重


父「Aa」×母「Aa」の二重
子供は「AA」か「Aa」の二重、又は「aa」タイプの一重になる可能性がある


父か母「AA」の二重×父か母「aa」の一重
子供も「Aa」の二重


父か母「Aa」の二重×父か母「aa」の一重
子供は「Aa」の二重、又は「aa」の一重になる可能性がある
https://moomii.jp/baby/babymabuta-iden.html


24. 忍穂耳の垢[520] lEWV5I6ogsyNQw 2017年4月17日 15:57:21 : MJydIZVWK6 : FjThDfJWcHg[42]
百論が出て、楽しげなので、わたしも参加してみたい。

それにしても、雑談の場に相応しい‥またまた「語呂合わせ」な新説が出たらしい。
以下、この珍説のトンデモ間違いを指摘してみたい。


>日本とは、「ヒ」ノ「モト」、つまり太陽の魂、スメラ・ミコトを意味していると考えられる。つまり、日本という国家は、ラメスの巨大な身体であるとも考えられる。

なるほど。「スメラ」と「ラメス」とを繋いだか。(笑)
つまりは「語呂合わせ」が、その着想かな

続いて、折口信夫の言も引用して、その権威とやらを借りているやにみる。
確かに、やや高位の神職らはこの学者の論を学ぶゆえ、折口の名は有名だろう。
だが、学者らは疑わないだろうが、このお方の言説はかなり問題が多い。

たしか、「続・万葉集講義」だったと記憶しているが‥
「やすみしし」の表記が「所知食」と「所知行」の二つあるのをみて、
折口は、元の原義が不明になった証しだと解説していた。
けれど、残念ながら、
これは、そのまま折口が言霊の意味をつかんでいない証左となろう。
もともと、音だけの世界には、どちらの意味にも変わる性質をもつからだ。
万葉の歌人が充てた漢字は、その歌の文脈に沿う語義の漢字を充てただけなのだから。
響きがもつ意味が数種あれば、充てた漢字が結果的に数種あるのは、むしろ当然だ。

こうした議論の端々から、折口は漢字のもつ語義に流されて、
響きが本体であるという、その本質を捉えていないところが見えてくる。
いわば言霊を語るなど論外。

そんな問題ありな御方の議論を引用したとて、無意味となろう。
なにより、「スメ・ミマ」の「スメ」の意味が、この御仁には分っていないからだ。
もちろん、それを書けば、本一冊ほどの解説でも足りない程の深みがあるのだが。

はてさて、折口信夫とと同じく漢字の語義に流されたままで、
単なる語呂合わせをしても、迷路に迷うだけ。


>古代エジプト語の母音の発音を調べるには、古事記や万葉集を使うとけっこういい結果が出るのではないかとも思っている。

これも迷路行きな議論。
これと同じ手法で、日本語は朝鮮語がもとだとか、古代中国語がもとだとか、
恥ずかしげも無く論じる本が、巷(ちまた)にはたくさんある。
それと同じトンデモの類い。


>日本の古墳が異常な大きさで形が奇妙なのは、極遠根堅洲国(エジプト)を占拠していた遠い記憶を持ったまま、・・

(笑)根堅洲国とエジプトをつなげないで欲しい。
そもそも、
根堅洲国(ねのかたすくに)とは、古事記の言葉だ。元は「ねのくに」の意。
それは既に古事記なりの変容を帯びている。古くは「こゑのねのくに」だろう。
そのように既に変化してしまった文字列で、語呂合わせをしてみても意味がない。


>竹田恒泰氏が以下の動画で説明する染色体の話は、Y染色体が染色体の全てであるかのようにされていて、間違っている。・・

これらも短絡な所見。
“Y染色体”保持者とは男性。それは男性にしか伝承できない叡智と崇敬があるということ。
必ずしも、染色体情報がなす生物学的な機能や器官のことではない。
世は、いつになく物質的思考がはびこるゆえに、こうした見えないモノが捉えられない。
どうしても、物質的なもの、生物学的な機能に結びつけないと気が済まない、暗愚さにある。
記事も同じとみる。

一般論を云えば‥、
そこで男性と女性に見立てられているのは、
手で掴めぬ霊的で精神的なものと、手で掴むことができる肉体や富など物質的なもの、の二つ。
この前者を男性として天なるものと見、後者を女性として地なるものとみた。それが由来。
ところが、
古事記が成立した時代は、推古女帝を立てんがために、男女にみる古代の智慧に目を背け、
古代からの伝承を捨ててしまった。なんとか、それを取り戻そうと出たのが日本書紀なのだ。
当然、日本書紀は本居宣長が言う大陸由来の「漢ごころ」だけで出たものではない。
だからこそ、同時代に歴史書が二つある。本来、同時期に二つあるのは異常な事態なのだから。

以上、こうした基礎的な語彙のトンデモな勘違いが明らかになれば、それ以降の推論も砂上の楼閣となる。
ま、楽しむ分には構わないだろうが。


ただし、最後にひとつ断っておくと‥
古事記の時代を遥かに遡る、日本の神代と、古代エジプトは、
なんらかの接続点があるのは、じゅうぶんに有り得ることでもある。
なにしろ同時代なのだから。
それは、古代エジプトのみならず、同じ古代文明とされる
メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明(‥というより「夏」王朝)でも同じ。

それらと古代日本文明は、どこかで接点がある可能性がある。
ただし、かような語呂合わせな接点ではなくて、だが。
なにしろ、各地で言葉は変化し、その音素、音価は変容しているからだ。
つまり、ストレートに語呂合わせをし、何かを見つけたと喜んでも、意味が無いということ。


25. 忍穂耳の垢[521] lEWV5I6ogsyNQw 2017年4月17日 16:04:46 : MJydIZVWK6 : FjThDfJWcHg[43]
>>24 失礼、一部訂正したい。

誤:“Y染色体”保持者とは男性。それは男性にしか伝承できない叡智と崇敬・・
                       ↓↓
正:“Y染色体”保持者とは男性。それは男性にしか継承できない叡智と崇敬・・


26. 2017年4月20日 20:23:11 : aDnSvZ9mUA : eeYmw@idcu8[29]

君が代に言い掛かりつけている奴らの大半は在日コリアン勢力だということを覚えておきましょう


君が代丸(きみがよまる)は、1922年から1945年にかけて日本統治時代の朝鮮の済州島と大阪を結んで尼崎汽船が運航していた貨客船である。第一君が代丸と第二君が代丸の2代が存在した。当時、日本と朝鮮半島を結ぶ航路としては、関釜連絡船以外で数少ないものであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3%E4%B8%B8

[12初期非表示理由]:管理人:ネトウヨ論法多数のため全部処理 http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/687.html#c28

27. 2017年5月07日 14:33:18 : aDnSvZ9mUA : eeYmw@idcu8[300]

日本国歌「君が代」本当の意味を知ってますか?衝撃的な意味にビックリ仰天!世界中が感動する!!海外の反応

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スレッド作成者:

名無し@

17/05/07(日) 14:15:04

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日本国歌「君が代」本当の意味を知ってますか?衝撃的な意味にビックリ仰天!世界中が感動する!!海外の反応

小学校のころから、入学式や卒業式、その他式典などで当たり前のように歌われている日本国歌「君が代」。
日本国歌「君が代」の本当の意味を皆様ご存知でしょうか?
世間では国歌斉唱時に席を立たないとか、歌わないとか、勘違いされている人が沢山いるようです。
しかし、「君が代」の本来の意味を理解すればその様な態度は取らなくなるのではないでしょうか。
日本人として産まれ、日本に住んでいるのであれば、我が国の国歌「君が代」の本当の意味を一度は考えてみては如何でしょうか。

「君が代」 
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで

国歌「君が代」は、世間一般的には天皇崇拝の歌であるという風に思っている方が多いと思いますが、よくよく探求すると実はそうではないことがわかりました。
「君が代」の本当の意味とは?
天皇崇拝、軍事国家主義賛美歌と言われている「君が代」は、本当はもっと高貴な歌だったのです。
「君が代」の成り立ちは、昭和前半、戦前からのわずか70〜80年の歴史の浅い歌ではありません。
調べてみると、千年以上もの歴史のある歌です。
平安時代初期の延喜5年(905年)に「君が代」の文字として初出。
同年に編纂された「古今和歌集」の巻7に、「賀歌」の代表作として記載されています。
「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら日本政府そのものが編纂した公的歌集で、万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めたものです。
序文はカナで書かれていて、その執筆者は紀貫之(きのつらゆき)です。
その中に「読み人知らず」として掲載されているということは、すでにこの時点で多くの人に愛された歌だったことを示しています。
後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族たちにとって「古今和歌集」の暗唱は、常識だったのだそうで、その「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。
つまり「君が代」は、貴族たちの慶賀の歌としても、常識歌だったわけです。
それだけではありません。
「君が代」は、その後に編纂された「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。
つまり、そうしなければならないほど、いまから千年もの昔から多くの人々に愛された歌であったということです。
ではなぜ「君が代」は、そんなに素晴らしい歌とされたのでしょうか。
理由のひとつに「君(きみ)」があります。
「君」は君主をあらわすという人がいますが、それは間違いです。
漢字の「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を組み合わせた文字ですが、「尹(イン)」は、「手」に「|」(つえ)を持っている姿です。
これは「聖職者」をあらわします。
「口」は、その聖職者が口を開けて、何かを説いている姿です。
つまり「君」という字は、会意形成文字で、高貴な人をあらわす文字です。
読みは「クン」です。
「君主(クンシュ)」となると「高貴な人=君(きみ)の主人」なので、それだけ偉い人です。
「君子(クンシ)」は、その高貴な人の子と、ちょっと謙遜がはいります。
つまり「君」という字は、高貴な人であり、だからこそ、源氏物語は朝顔の君や、藤袴の君など、美しい女性たちに「君」の尊称をつけています。
「君」が天皇をあらわすというのなら、源氏物語の女性たちは全員、天皇ということになってしまう。
その「君(クン)」という漢字に、古代の日本人は、もとからの日本語にある「きみ」という読みを当てました。
「君が代」の「きみ」です。
その「きみ」とは、どういう意味の言葉なのでしょうか。
実は、古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。
日本神話に登場する最初の男女神は、イザナキノミコト「キ」、イザナミノミコト「ミ」であり、「おきな=翁」「おみな=嫗」という言葉もあります。
イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。
その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。
「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。
つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。
二人は天つ御柱で出会い、
キ「我、成り成りて、成り余るところあり」
ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。
ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。
「成り」というのは、完全に、完璧に、という意味です。
その成りが二つ重なっていますから、「成り成りて」は、完全に完璧に成長したことを意味します。
完全です。何の欠点もなく完璧に、ということです。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したのです。
ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった。
これは矛盾です。余ったり、足りなかったりするのは、「完全」ではないからです。
完全体になったら、完全でなくなってしまったのです。
そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。
すると「子」が生まれたのです。
このことは、私達にとてもたいせつなことを教えてくれています。
神々でさえ、完全に完璧に成長してから、男女のまぐあいを持ったのです。
ましてや、神々の子孫である我々人間は、男女とも当然に完全に成長してから、交合するものだということを教えているからです。
つまり、親の脛かじりで、まだ勉強中の身上では、男女のまぐあいはするものではない。
もっとしっかり勉強し、体を鍛え、互いに完璧に成長してから、結婚しなさい、というわけです。
つまり「きみ」というのは、男と女、それも「成り成りた男女」をあらわします。
男女が「なりなりた」ことは、本人たちに喜びがあるだけでなく、親や親戚、教師など、周囲の者たちの喜びでもあります。
そしてまた、「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象でもあります。
ですから「きみ」は、「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、おめでたい、相手を敬う言葉となったのです。
従って、「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の喜びであり、「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。
その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。
ここまでだけでも、「君が代」とその背景となっている日本文化の素晴らしさがあるのですが、歌はさらに「さざれ石の巌となりて」と続きます。
「さざれ石」というのは、正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。
細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。
実はこの「礫岩」、日本列島が生成されたことによって生まれた、日本ならではの地勢が生んだ岩石です。
どういうことかというと、日本列島の周辺には、大陸間のプレートがあります。
よく地震が起きる原因となっているといわれている、あの地底プレートです。
そこでは、片方の大陸のプレートが地底に沈み、もう片方の大陸プレートが隆起をしています。
互いに押し合いへしあいしている場所ですから、当然、そこは傾斜しています。
その傾斜地に、プレートで運ばれてた小石が堆積する。
そして何万年という長い年月が経つ。
堆積した小石は、大陸プレートのものすごい圧力に押されて、石と石がくっついていきます。
そして大きなかたまりの岩石になる。
やがてその傾斜地が地殻変動で隆起し、地上に出て山脈となります。
その山脈で見つかるのが、礫岩、すなわち「さざれ石」です。
まさに「さざれ石の巌と」なることは、それこそ何千年、何万年という、とほうもなく長い年月を必要とします。
昔の人が、そんな地学の知識をもっていたかはわかりませんが、ただ、礫岩を見て、長い年月をかけた自然の偉大な力には畏怖を感じたことでしょう。
同時に、とほうもない、何百年、何千年、何万年という寿命は、人間にはありません。
にもかかわらずさざれ石が巌になるまでというとほうもない年月、互いに協力しあうということは、何を意味しているのでしょうか。
ここにも深い意味があります。
日本では古来、人は生まれ変わるものと信じられてきました。
肉体は老い、死を迎えても、魂は再び人となってこの世に生まれる。
つまり、「さざれ石の巌となりて」は、「生まれ変わって何度でも」という意味としてもとらえることができます。
そして忘れてならないのは、さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となっているという点です。
ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力でみんなで団結したら、それは大きな「巌」となる。
つまりさざれ石は、「きみ=男女」の結束、そして生まれて来る子供達や新たに親戚となる者たちなど、そのすべての人々が、大きな力のもとで固く固く団結しあい、協力しあうことの象徴でもあります。
そして最後に「君が代」は、「苔のむすまで」と締めています。
苔は、冷えきったり乾燥しているところには生えません。
濡れていて、水はけの良いところに生育します。カビとは違うのです。
つまり、濡れたものと、固いものがしっかりと結びついたところに苔は生えます。
【苔のむすまで】 むすとは天地に最初に現れた3柱の神のうちの2柱、タカミムスヒ-、カミムスヒのムスを指します。
タカミムスヒとカミムスヒには性別はなくムスと言う字にコがつく-と『ムスコ』になりメが付くと『ムスメ』となります。
また、『苔のむす』のむすを漢字で書くと『生す』と書き、生すと-は子供を養い育てると言う意味があります。
つまり、苔は永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が-誕生し、古いものが死に土となり徐々に広がりをみせます。
子孫繁栄を示しているのです。 日本の神道の中心にあるのは生むではなく、育てるということ。 苔の生すまでとは、古いものが土となり、新しいものを生み、育て-繁栄しましょうという意味なのです。
すなわち「苔」は、「きみ=男女」が、互いにしっかりと結びつき、一緒になって汗を流し、涙を流し、互いにしっかりと協力しあい、長い年月をかけて生育する。
それは、男女のいつくしみと協力を意味します。
ですから君が代は、
「きみ」=完璧に成長した男女が、
「代」=時代を越えて
「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、
「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう
そんな意味の歌である、ということになります。
戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。
人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです。
そんな歌が、いまから千年以上前に生まれ、たいへんにおめでたい素晴らしい歌として、勅撰和歌集にも繰り返し掲載され、江戸時代には庶民の一般的な祝いの席の謡曲として、広く普及していたのです。
千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれる歌を、我が国の国歌としているということ自体、すごいと思うし、さらにもっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。

♪ 君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  巌(いわお)となりて
  苔(こけ)のむすまで

http://ken-ch.vqpv.biz/no/15901.html

↑ ↑
どう読んでも軍国に絡む要素が見当たりませんので
>>26の「君が代丸」の存在が知れ渡るとまずいから、が真実のようですね!

[12初期非表示理由]:管理人:ネトウヨ論法多数のため全部処理 http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/687.html#c28

28. 2017年10月20日 02:55:42 : SHqK28lYEU : zf4NDhHNGKo[140]
君が代に言い掛かりつけている奴らの大半は在日コリアン勢力だということを覚えておきましょう


君が代丸(きみがよまる)は、1922年から1945年にかけて日本統治時代の朝鮮の済州島と大阪を結んで尼崎汽船が運航していた貨客船である。第一君が代丸と第二君が代丸の2代が存在した。当時、日本と朝鮮半島を結ぶ航路としては、関釜連絡船以外で数少ないものであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3%E4%B8%B8



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