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関西大学文学部講師 上杉 聰 「部落史は変わった」:「士農工商」からもういちど教育と現行の社会的しくみを理解する
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/508.html
投稿者 Air−Real 日時 2017 年 4 月 04 日 04:09:31: dsfJ1hAY0z6VI gmCCiYKSgXyCcYKFgoGCjA
 

森友問題に正しく対処する上でそこと絡む同和問題を正しく理解する必要が出てくる。
過ちを隠すのではなく、それを認め、それを改めるときである。
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http://www.jinken-net.com/close-up/0508.html
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▲図1 使うべきでないピラミッド図式

▲図2 江戸時代の主要三身分の関係

関西大学文学部講師 上杉 聰
「部落史は変わった」

消えた「士農工商えた非人」


物知り顔に語られる言葉の一つに「士農工商えた非人」というものがあった。もし誰かが「部落問題ってナニ?」と質問などしようものなら、解説役に回る者が、「待っていました!」とばかりに、枕詞としてこの言葉を語り始めるのが常だった。

 学校の先生も、黒板に大きくピラミッド図式を、図1のように描き、威厳をもって子供たちに部落問題の話を始めたものだ。この言葉は、英語なら「ABC」にも当たる、部落問題の入り口だった。

 ところが、最近、様子が変わってきた。まず学校で使わなくなった。現在、中学校で使われている教科書を二種類掲載したが、いずれも、かつてのピラミッド図式はそこになく、代わりに円グラフがあるのみだ。

 そして本文に目を転じると、「士農工商えた非人」の文字はなく、代わりに「武士・百姓・町人」という三身分が書かれている。さらに、肝心の「えた」「ひにん」についても、かつて「士農工商」につづけて、民衆の「下」「最底辺」と書かれていたものが、百姓、町人とは「別に」「ほかに」などの言葉でつながれている。


進む研究が教科書へと反映

 古くから同和教育に力を入れてきた先生がたや、変化に敏感な行政の啓発担当者などは、とまどいと困惑を隠せない。「同和教育は、削られようとしているのか」「今さら教科書は何を言いたいのか」「どうして混乱など引き起こそうとするのか」と。

 だが、教科書から部落問題の記述が削られようとしているわけではない。全体としてみるとき、部落問題の記述は、むしろ量的に増えているといってよい。また、この変化は一時的なものでなく、ここ数年をかけて小学校から中学校、そして高校の教科書へとゆっくり広がってきたもので、決して一過性のものでもない。

 結論から言えば、教科書会社やその執筆者たちが、学校や啓発の現場からの疑問や要請に応え、現在おおかたの歴史研究者が到達している最新の見解へと、これらの教科書をゆるやかに近づけた結果であって、これからは、「士農工商えた非人」の言葉を使用しないで部落問題の解説をすることが要請される段階へと入りつつある、ということができる。

 たしかにこれは、多くの方々に、一時的なとまどいを感じさせることになるだろう。だが、そこを突破すれば、部落の歴史は、より大きな広がりと可能性を獲得することになる。今、「新しい部落史」の時代へと進みつつあることを知っていただければと思う。


「士農工商」への疑問

 まず、「士農工商」の部分に限って見てみよう。この言葉を初めて聞いたとき、「おや?」と思って、そのおかしさに気づかれた方も、かなりいらっしゃるのではなかろうか。

 たとえば先生が、「上見て暮らすな、下を見て暮らせと、権力者は身分を作った。武士が農民を見下し、農は工を、工は商を見下した」と説明され、さらにその下に部落があるとして、その名前が続けられた。ところが、教科書には別の所で、商人が大金持ちで登場してくる。農民も、水飲み百姓など、貧しい生活を余儀なくされた人々のいたことを描いている。

 「だからこそ、士農工商という身分を作って、年貢を取るため農民に優越感をもたせ、工商をその下に置いたのだ」とも語られた。たしかに、「士」が「農」を支配したのは間違いないだろう。「しかし、はたして農が工や商を支配しただろうか」……こういう疑問を抱いた優秀な生徒が確実にいたと思われる。だが、もしそれを質問してしまえば、先生は答えられないで、授業は壊れてしまうかもしれないと感じ、賢い生徒たちは、疑問を飲み込んで学校の授業を守ってきたのかも知れない。

 しかし、その無理がもたらす「ほころび」が、やがて学校現場に広がっていった。同和教育を熱心に進めれば進めるほど、子供たちが「士農工商えた非人」の語を使った差別遊びをすることになったのである。「俺は『殿様』。おまえは『農民』、おまえは『えた』」などと決めて、ジャンケンで身分を変えていくゲームなどである。先生の間には、「一所懸命、同和教育に努めた成果がこれなのか」と落胆し、疑問が生まれた。

 私なども、そうした疑問や悩み、どうしたらよいかなどの相談を、先生方からお受けした。当初私は、「子供たちの中に、もともと差別意識があります。同和教育によって、一時的にそれが刺激されることもあるでしょう。長い目で見て進めていきましょう」などとお答えすることもあった。

 だが、すくなくとも一回の授業で差別意識を喚起されたとするなら、その二倍の時間を使ってそれを克服しなければならなくなる。同和教育の授業が、もう一つの同和教育を必要とするなどというのは、もとの授業が、結果として差別をばらまいたことを意味しよう。その授業は、やはり失敗だったのだ。

中国の四字熟語の転用

 部落の歴史が学校の教科書に登場するようになったのは1970年代のことである。それから約20年かけて、こうした疑問は広がりつづけた。何らかの欠陥がそこに隠されていることに気づいた歴史研究者たちは、「士農工商」それ自体の問題点にさかのぼって追究することを始めた。その結果は、それが日本の身分制を正確に表すものでない、という結論だったのである。

 「士農工商」とは、今から3000年も前に使われていた古代中国の、「民」の職業を列挙した四字熟語にすぎなかった。本来は「民衆全体」「人間一般」を表す言葉として、すでに古代の日本にも輸入され、江戸時代の身分制を表すものとして生まれたり使われた言葉ではなかったのだ。

 「士」は「民」に含まれるというのは、奇異に感じられるかもしれない。だがそれは、私たちが「士」を「武士」と直結させる考え方に――「士農工商」を通して――あまりに慣れ親しんできたからにすぎない。弁護士や栄養士、学士、博士などの言葉が示すように、「士」の本来の意味は、役人や文化人を表す言葉だった(できれば『広辞苑』で「士」を引いてみられたい)。

 また、「工」という身分は、日本では独立して存在しておらず、住む場所で「農」か「商」へ分けられていたことがわかってきた。つまり、実態は三身分であること、さらに、それぞれは正式に「武士」「百姓」「町人」と呼ばれたこともはっきりしてきた。そして、それらの関係は、図2で示したように「百姓」「町人」が互いに平等で、ともに「武士」の支配を受けていたという、当たり前の事実を確認することになった。私たちは、大きな誤解をしていたことに気づいたのである。

差別用語としての「士農工商」

 いっぽう、江戸時代の儒学者のなかに、たしかに「士農工商」を、現代の私たちが最近まで使ってきたような意味で使用していた例もあったことが発見された。つまり、現実は図2のような身分制であったものを、あえて図1のように表す江戸時代の学者が確かにいたのである。

 その理由は、私たちが学校で聞いたように、「農民に優越感をもたせるために、工商をその下に置いた」のだった。ただしそれは、あくまで頭の中だけのことである。つまり、「士農工商」とは、図2の現実を覆い隠すための「虚偽」意識なのであり、たんなるイデオロギーであったことがはっきりしてきた。

 しかし、その「虚偽」意識とは、人をランク付けするものであり、人の価値に序列を付けようとするものに他ならない。それを言い換えるならば、「差別用語」である。学校の先生は、「士農工商……」と語るたびに、子供たちに、江戸時代の儒者の差別意識を植え付けていたことになる。差別遊びが起こる必然性は、ここにあったのだ。

 教科書が「士農工商」をやめて、主要な三身分を書くようになった理由は、それが歴史の現実に合わないことが判明したことを第一に挙げることができるが、それに加え、この言葉が差別用語として使われることがあることに、教科書の執筆者たちが、ようやく気づいたからにほかならない。

部落差別に特有の性格とは

 部落を「下」「最底辺」などとする記述は、なぜ消えたのだろうか。
その第一は、部落差別と経済的な貧しさとが、必ずしも直結しないことが浮き彫りになってきたからである。かつて、貧しさの極致には、奴隷がいたし、彼らは人身売買もされた。しかし、部落の人々が奴隷として売り買いされた例は見あたらないのだ。むしろ、時には奴隷を持つ部落の人々さえいて、裕福な生活をしていた場合もあることがはっきりしてきた。(本誌二六号あるいはホームページ「ひろげよう人権」の『人権のひろば』(2002年)を参照)

そして第二に、部落の人々が従事した芸能や皮革産業、警察などの仕事の実態が明らかになるにしたがい、それをマイナス・イメージだけでとらえることは不可能になったことも大きい。とくに能や日本庭園、皮革産業などへの寄与は特筆されるべきもので、これを「下」や「最底辺」などで表すことはできなくなった。
第三には、ここ約三十年間にわたり、同和対策事業として部落の環境や住宅を改善する施策が実施されたことも大きい。目の前で部落の「低位」性が、大きく払拭されていったからである。にもかかわらず、部落差別はなぜ今も存続しつづけているのか、という疑問が広範に起こってきた。部落差別は「低位」性と同じではないことが浮かび上がってきたのである。

現代へとつながる「排除」の差別

 こうして、部落差別に特有の性格として、「外」や「穢れ」などの意識がからみつくという事実、あるいは差別の実態に、居住地の「隔離」などが普遍的にみられる事実から改めて出発し、部落を「最底辺」に代わる別のはんちゅう範疇でとらえようとする試みが繰り広げられてきた。
 かつて一般の人々は、部落の人々に対し、交際しない、同席しない、食事を共にしない、家に入れない、接触しない、無視する、仲間はずれにするなどの差別をおこなってきた。こうした差別の延長に、現在も、結婚しない、就職させないなど、重大な人権侵害が続いていると考えられる。
 これを、たとえば私などは、「排除」の差別(奴隷は「所有」の差別)としてまとめ、部落の在り方を「社会外」と表し、そうした観点から部落史の再構築を試みつづけてきた。教科書が「別に」「ほかに」と書き始めているのは、そうした研究などが反映したものである。
 部落史は今、新しい領域へと足を踏み入れつつある。差別によって曇った眼をぬぐい、きれいにし、改めて本当の部落の姿は何かと、歴史と現実をみつめ直し、より正確な認識に立脚して差別克服の道へと再出発しようとする試みなのである。  

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コメント
 
1. 中川隆[7511] koaQ7Jey 2017年4月04日 10:28:15 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7995]

被差別部落出身の有名人は?・yomi.mobi(部落出身者は、大和民族の誇りを思い出し、在日・米国と手を切るべきです)
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html

知ったら住みたくなるケンミン性 魅力度ランキング2位「京都」に住んでわかる理想と現実 _ 京都は殆どが部落地区 _ まともな人間は一人もいない
http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/777.html#c1

血族結婚部落の優生学的調査概報
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/418.html

被差別部落の支配層はこういう性教育をやっている
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/317.html


2. 中川隆[7512] koaQ7Jey 2017年4月04日 10:37:59 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7996]

裏には裏の道があり  2011/2/25(金)


たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。


A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。

残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。

男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。

そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。


とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。


そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。

中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。


部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・ 


A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、

初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、

時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、

さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。

ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。


だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。


15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。


本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。


さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。

入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。


娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。

私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。


精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。


A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。

産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。

その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。

で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。

中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。

そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。


A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。


なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。


A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。


そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。

やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。

「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」

って、にやっとしながら話してくれた。

「大丈夫、金には困ってないから」

そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html



3. 中川隆[7513] koaQ7Jey 2017年4月04日 10:41:42 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[7997]

朝鮮部落の朝は、酒の臭い。2011-01-03 | 日記

私は、この朝鮮部落に住んでもう8年ぐらいたちます。

あさは、ひとのさぐりあい、ひとのけなしあい、おまけに悪口大会、
そうして、つながりといえば、兄弟姉妹のセックス関係だけです。

あんまり近親相姦がおおいので、ちんば、いざりがたくさんいます。
それに、通名も当たり前で、年賀状も通名らしいです。

この朝鮮部落の臭いは、時にねこのしょんべんのにおい。
ときに、酒の発酵した、いやなにおい、または、たまに洗濯のいいかおり、

朝鮮人が昨年しんでいきましたが、内密に葬式をしたらしく、釣り目のあつまりはみれなかったです。

そのひとは、すこしおかしなひとでした。

いつも、のぞいてました、大家にうその通報はするは、本当にいやなひとでした。
「うえから、みえるんだろう」とか
「おいだしてやる」とか

困っていたら、しんでゆきました。北朝鮮のほうへたぶん灰はとんでいったのでしょうね。

朝鮮部落の若者は、結婚しませんというよりも、できません。
または、朝鮮部落同士まぐわります。

それで、ちかくにある産婦人科でおろします。
生めない子つまり、近親相姦のこどもだからです。

性の関係は、普通の人よりも、はるかにはげしいです。
結婚できないためなのか?

ストレスの多い環境のためなのか?
すごい、年齢まで、近親相姦または、デリヘルなどでやりまくりますね。

この町のいいところは、ひとのさぐりあいですので、
孤独死はありません。たぶん大家が勝手にさぐりますからね。

朝鮮人同士の仲のよさ、それはすごいです。
ほかのものをよせつけないし、臭い部屋でも平気ですね。

孫も、ちょうせんじんなら、かわいそうとしかいいようがないです。
人間のうじですね。

私の住む町は、●●朝鮮部落です。
しかし、みんなは、ひみつにしております。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/fc08fc45f24c9891f107bc50f2a03dd7


4. 2017年4月06日 14:38:50 : g9Sh5YnDmc : A6YoXtWhhCw[6]
インドのカ−スト制度もインド人の中の、身分制度だよね。

最上位はバラモン、最下層はシュ−ドラ カ−スト外の不可触民ダリット

なんと3500年も前からあるそうで、現在も(うすれてきているとはいえ)

カ−ストは存在する。

一言で言えば簡単に解決できる問題ではないということだ。

2600年前インドでは釈迦が誕生し人間の平等をといたが、定着しなかっ

た。 まことに根深い、差別問題は同人種間でも。


5. 2017年4月06日 19:51:36 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[76]
別に朝鮮系だろうがアジア系だろうが関係なし、って言うか日本人って言ってる
者達は実は雑種なんだよ、関西なんて性格的に見れば半島系だろが。
西郷さんと土方歳三が同じ祖先の人種とはとても思えないだろ、顔判断だが。
この日本を作り上げた最初の者達って言うのが一番の問題だろ、そしてその考えや
風習で今の日本は形成された、それが文化であり言語であり国なわけなのだが。
日本は元々人種差別など無く人種による差別なんて無かったんだよ、
朝鮮系の評判が悪いのはその組織に属し悪い事ばっかやって来たからで
それは自分達が悪い。
日本人の顔を見ると実に色々なんだよ、インド, カンボジア, 蒙古 スリランカ, タイ, 中国, ネパール系中にはロシア系と思われる顔つきの者達、
それは戦前の顔を見ても江戸時代末期の写真を見ても一緒であります。


6. 中川隆[7573] koaQ7Jey 2017年4月07日 12:18:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8058]
>日本は元々人種差別など無く人種による差別なんて無かったんだよ、


それはド素人の思い込みだろ

日本の大和朝廷は朝鮮に住んでいた漢民族が武器を持たない縄文人・弥生人を征服して作ったカースト制国家(氏姓制度というのはカ−スト制を定めたもの)

日本はカースト制の多民族国家だから下のカーストの人間は昔から お上には絶対に逆らえないんだ:


現代日本人は

縄文人の末裔
弥生人の末裔
朝鮮から渡来した漢民族
アイヌ人
在日朝鮮人

から構成される


日本を支配していた天皇家や武家は朝鮮から渡来した漢民族(Y染色体O2系統)で、
縄文人・弥生人系の日本の一般民とは殆ど混血していない。

現代の日本の政治家や資産家は殆どが渡来漢民族:Y染色体O2系統(旧 O3系統)
地主や自作農は 弥生系: Y染色体O1b系統(旧 O2系統)
貧農や小作人や部落民は 縄文系「D2」

太平洋戦争で最前線に送られて死んだのは縄文人・弥生人系の日本人だけ
これから中国人移民と競争させられて搾取され食っていけなくなるのも縄文人・弥生人系の日本人だけなんだな

縄文人・弥生人系の日本人の問題は羊より従順でかつ自分が搾取されて滅ぼされる劣等民族だという自覚が無い事だな
お上には絶対に逆らわないもんな


7. 中川隆[7574] koaQ7Jey 2017年4月07日 12:28:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8059]

被差別部落民は縄文人の末裔


大阪大学教授の小浜基次(人類学者)が西日本の被差別部落を広島辺りまで調査したところ、

西日本の一般民は朝鮮半島に多い短頭型であるのに対し、

被差別部落民の頭型は東北や裏日本に多い中頭型であることが判明した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AB%96%E4%BA%89


8. 中川隆[7582] koaQ7Jey 2017年4月07日 21:13:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8069]

同和部落民が在日女性を差別して肉便器にしたのが原因で起きた事件


月ヶ瀬村 女子中学生殺人事件


奈良r25(月瀬針線)
http://www.youtube.com/watch?v=-f3MbtoJ4Cg
http://www.youtube.com/watch?v=jqQsh5xGLRE&feature=relmfu

83 :名無しさん@十周年:2010/04/06(火) 16:24:20 ID:iYeNtAm80

奈良県の辺りって、すげー変な事件が起こるよなあ。

村で女子中学生が殺された事件で、捕まった犯人は実は家族ぐるみで村の奴隷みたいな生活送らされてたとか。

ここら辺が平成に入ってからの事件なんだから、60年代とか、俺らからは想像できないような世界だろう。
http://mimizun.com/log/2ch/newsplus/1270526526/#75


____________

1) 在日朝鮮人一家が月ヶ瀬村の被差別部落民に飼われていた話


 1997年5月4日午後、奈良県添上郡月ヶ瀬村(現・奈良市月ヶ瀬)にて、村内に住む中学2年生・浦久保充代子さん(当時13歳)が卓球大会からの帰宅途中に行方不明となった。

 7月23日、同村に住む丘崎誠人(当時25歳)が逮捕された。丘崎誠人は車から下校途中の浦久保充代子さんに「乗っていくか?」声をかけたところ、無視され激昂し、殺害していた。

【ある集落の話】

 両親と兄弟は姉が3人、妹が1人。両親はともに日本人と朝鮮人のハーフ。内縁関係の夫婦で、土木の仕事に就いていた。父は無口、母親は気性の激しい性格だったが2人とも働き者で通っていた。長姉は村に一軒しかない居酒屋で賄いをしていた。

 集落には茶積み農家しかなく、丘崎一家は浮いていた存在だった。封建的な村社会の中、朝鮮人の血が入っていることから丘崎一家を「朝鮮が!」と見下す者もいたという。家は藪に囲まれたあばら屋のような借家であり、この家を借りることができたのは民生委員であった浦久保充代子さんの祖父の計らいによるものだった。家賃は月々1万円程度。一家は30年以上、村に住みながら「区入り」(村の一員に加えること)を認められていなかった。

(中川註 : 

家賃1万というが、代わりに最初は母親ナツエが、後に長女のカンが集落の男たちの慰みものになっていた。 

父のセイジが居ないときに、ナツエのもとに代わる代わる集落の男たちが通ってきた。

集落の男たちはナツエを蔑視しながら性欲処理に使っていた。

集落に住まわせてやっているから。缶ジュースかミカン数個を置いていく。

幼い誠人は隣り合う部屋でその様子を聞きながら育った。 )

 誠人は中学卒業後、測量のアルバイトをはじめた。1988年(丘崎誠人16歳)、大阪、そして東京に調理師として住みこみで働いたが、性に合わず村に戻ってきた。以後、土木作業員や警備員、左官業などを務めたがどれも半年も続かなかった。TVゲームなどを夜遅くまでして、朝起きられないからだと言う。

 事件当時、すでに二女と三女は独立し、両親と四女、長姉とその子供3人の8人で暮らしていた。丘崎誠人はあいかわらず無職で、地域住民との摩擦が耐えなかった。TVゲーム、ビデオ、車にばかりのめりこむ。3月に三菱ストラーダを購入したばかりで、カーステレオでドリカムやチャゲ&飛鳥の曲を聴くのが好きだった。滋賀県・雄琴の風俗街へはたびたび遊びに行っており、犯行前日にも行っている。

【裁判】
 2000年6月、大阪高裁は一審判決を破棄。無期懲役を宣告した。上告を勧める弁護団に対し、丘崎誠人は訴えの取りさげを希望。刑が確定した。

 2001年9月4日午後8時頃、大分刑務所の独居房で丘崎誠人が首を吊り自殺。享年29。遺書はなかった。4日は浦久保充代子さんの月命日だった。
http://yabusaka.moo.jp/tukigase.htm


 この事件、部落差別が原因かというと少し違う。そもそもこの嵩集落自体が被差別部落で、丘崎家を差別していた人たちも、ナツエとカンの元に通った人たちも当然、与力達も被差別部落民だ。

 それが、集落内部に更に下の階層を作った。よそ者の被差別部落民で朝鮮人とのハーフ、貧困で文盲。条件は揃っていた。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11236499568.html


とある田舎の殺人事情


1997年 平成9年 7月25日――奈良県添上郡月ヶ瀬村 

 ――深夜午前3時 奈良県警は彼を略取誘拐容疑で逮捕した。

 自宅から連れ出された彼はタンクトップに柄パン、ひょろりとしたやせぎすの男だった。汗まみれで叫び声をあげる。捜査員が携帯電話を調べようと手にすると

 「おれのケータイやて!」
 「やめーや!」

 荒れ狂い、取材陣に前蹴りを食らわす始末だった。
 だが、実際の彼はごく小心者で内気で気弱な男だった。


 彼を連行した捜査本部は初め、わいせ つ目的だろうと見込み、取り調べをしていた。というのも彼の部屋から女子中学生や女子高生のレイプ系のAVや18禁雑誌が見つかっていたからだ。それもナイフで制服やらを切り裂くような内容のものが多数あった。 公衆トイレで見つかった失踪少女のジャージや下着の状態がいかにもそれと符号していた。

 逮捕から9日後、ずっと否認を続けてた25歳の丘崎誠人は、村の女子中学生、浦久保充代、13歳の拉致殺害を自供した。

 供述も当初は「てんごするつもりだった」だった。てんごはイタズラのこと。この場合は性的な悪戯の意味だ。だが、これは取調官の想定してる性的目的の犯行へと誘導していったから出ただけの言葉だった。さらに聴取が進むと捜査本部は困惑することになった。 というのは単純な性犯罪とはまったく違う、よじれた田舎の構造と動機が浮かび上がってきたのだ──。

      ――1997年 平成9年 8月1日

 奈良県「月ヶ瀬中学生女子失踪事件」捜査本部取調室。

 「なんでやった?」

 「………」


 丘崎誠人はまるで抜け殻のようだった。

 誠人が事件の日からまもなく突然売り払った三菱ストラーダの後部座席から血痕が発見され、それが充代のDNAと一致した。現場の路上に落ちてた塗料片とジャージに残されたタイヤ痕も誠人のストラーダと一致した。ダウンベストにこびりついてた毛髪の血液型が誠人と同じだった。

 証拠を突きつけ、厳しく取り調べて、 「てんごしようと思った」つまり愛好のAVのように少女を拉致して凌辱をねらい──という自供までこぎつけた。

 この時の丘崎は逮捕連行のときにマスコミの前で演じた大暴れと同じ人間とは思えない大人しさだった。
 たしかに丘崎は仕事も長続きせず転々としていた。だが、仕事先でモメごとを起こしたことはない。ただ来なくなったり遅刻ばかりでクビになったりして、いつの間にかすうっと消えていく。「大人しくて物静かな人」というのが元同僚たちの共通した印象だった。

 ――生きる力が少ない。そんな匂い。

 前科前歴もない。せいぜい軽めの交通違反くらいしかない。

 勿論、このままでも性的いたずら目的の容疑で立件できる。しかし取り調べというのはそれで終わらない。犯罪事実の調書、人定、つまり本人による本人だという説明から始まり、生い立ち、果ては小遣いの金額から今の人生観まで聴取される。


 「なあ、丘崎くんな。君は犯罪事実を認めた。この調べはな、君の言い訳をきこうかって調書や。日本ではちゃんと言い訳を聞いてくれる制度になってるんや」

「さ、もう一度訊こうか」

 誠人はそれでやっと口を開いて、初めて話したのだった。
 自分が生まれたときから決まっていた異端の人生を。


     とある田舎の殺人事情 「差別」

 名張川上流、小さな山の尾根に家屋敷が軒を並べる山渓の村。3000本の梅林とお茶の生産地。江戸時代の家屋や能舞台が残っていて文化財に指定されている。 梅林は始まり江戸時代に染料として需要は高かったが、化学染料登場で衰退していった。だが、本数が多かったので観賞用として名所になった。

  奈良県月ヶ瀬村嵩集落

 この小さな村で丘崎誠人は生まれた。

 35年前── 誠人の両親、セイジとナツエが流れ流れてこの村にやってきた。
 2人とも被差別部落出身かつ在日朝鮮人の血が複雑に絡み合う出自だった。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11233811835.html

 丘崎誠人の両親はそれぞれトラブルがあって元の被差別部落界隈に住めなくなった。 母親のナツエは月ヶ瀬村の隣の山添村ので生まれた。朝鮮人と日本人のハーフだった。

 (ここで言う『村』は行政村のこと、一般的な近世以来の血縁集団による『ムラ』はここでは『ムラ』と記述する。また『ムラ』は幾つかの集住地域に別れるがこれを『集落』と記述する。関東や東北では『部落』と呼ばれる単位であるが、近畿地方で『部落』と言えば『被差別部落』のことであり、まぎわらしいので集住単位を『集落』とし、被差別部落は『被差別部落』と記述する)

 ナツエの生まれた集落は近くのムラに枝村として附属していた被差別部落でナツエの母(丘崎誠人の祖母)もナツエの祖父母(丘崎誠人の曾祖父)もこの被差別部落民だった。ナツエの母は未婚のままで朝鮮人の男との間にナツエを生んだ。朝鮮人の男はナツエが生まれる前に何処かへ行方を眩まし、ナツエの母もナツエを生んですぐに他の男と家出した。

 ナツエは祖父母に育てられることとなった。だが、家が貧乏で小学校にも行けず7歳の頃から魚の行商を手伝わされていた。いや、そもそも戸籍があったのかどうかも定かではない。 小学校にも通えなかったナツエは読み書きもできなかった。

戦前や発展途上国の話ではない。戦後の日本の話である。

 年頃の娘になった頃は集落で唯一の居酒屋で賄いをしていたが、両親がいない。父親が朝鮮人。学校にも行っていない。当然のように、この被差別部落の中でも最下層で、被差別部落民から差別されていた。

 このころからナツエの元に近隣のいろんな男がやってくるようになった。ナツエはそれ自体を悪いことだとも考えていなかった。いや、そういう認識すらなかった。そのうちに、その男たちのうちの一人と「昵懇」になった。だが、その男は既婚者で不倫だった。狭い集落でそれを隠し通せるはずもなく、周囲に知れるとナツエは集落から追い出されるように出ていくことになった。

 父のセイジの経歴ははっきりしない。セイジも朝鮮人と日本人のハーフで奈良の柳生から流れてきたらしい。ナツエが集落を出て、セイジとナツエは知り合って夫婦になった。夫婦といっても戸籍は入れない事実婚。内縁関係と報道されていたが、主義や主張じゃなくていろいろやむを得ずの事実婚だった。

(そもそもナツエに戸籍があったのかどうかも疑わしい。このあと記述するが国から貰えるべき手当てもなかったのはそのせいではなかろうか)

 二人は流れ流れて別の被差別部落、月ヶ瀬村嵩集落にやってきた。ナツエが山添村で賄いをしていた時にこの集落から来ていた男たちがいて、ナツエと関係を持つものもいた。 ここで夫婦は、村人から早速、「おめえらは区入りさせん」と告げられる。

 ここで登場するのが、この近隣集落独自の自治制度「区」と「与力」

 ムラは長引・月瀬・嵩・桃香野・尾山・石打など、尾根や谷で分かれた小集落の集まりで、これが「区」に分けられ、「区」の代表が「与力」だった。区入りというのは「区の一員」と認められること。区民2人の推薦がないと区入りができない。もちろん明文化された条例ではない、しきたりである。

 村史を繙くと、慶長年間に幕府が農村支配の末端機関として相互観察・全体責任などの目的のために設けた五人組制度がその源ではないか、という。与力というのは同族組織より選ばれた村の複数の代表のこ とである。「区入り」という、村の一員として認められるためには二人の与力の推薦を必要とする。与力には「一家の重要な事柄は喜憂一切」を相談せねばならず、「結婚相談はもちろん、仲人の決定まで与力に相談しないと将来の交際に支障をきたすという」「与力は“縁者は一代、与力は末代”と親類以上に頼りになり、一面言うことをきかねばならぬ権威ある存在であった」(月ヶ瀬村史)


 1. 葬式には運営その他、一切の指揮をとり、家族全員手伝って山仕をつとめたり、会計もつかさどる
 2. 家の普請などのときに手伝う
 3. 結婚の結納、荷の受領、披露宴などでは、与力が親族代表として挨拶をする
 4. けんか・土地の境界争い等の仲裁・調停をしたり、身元引受人になる
 5. 出産や祝い事には親類としてつき合い、失火など、他に迷惑をかけた場合などは親類代表として詫びをする(月ヶ瀬村史)

とある。


 戦国時代、ムラや町の成長期に村人や町人を確定する動きが起こっていた。豊臣秀吉は兵農分離政策の一環で、この動きを促進させ、村人や町人以外の流れ者を厳しく取り締まり、チェックする命令を頻繁に出している。ムラや町のほうも自衛や安全の為に構成員を村人や町人の相互承認という形で確定する排他的な動きを強めていった。また、戦国から近世までは税や法は「村請け」といって、村が法人として請け負っていた。その代表者として「庄屋」や「与力」が税を集めて、不足のときは高利で立て替えたり、法を触れ回ったりしていた。

 つまり、この月ヶ瀬村のこのムラ周辺ではその戦国、江戸時代の名残が未だ続いていた。 勿論、法的根拠はない。だが、今でも与力の権威は絶大で、区民の冠婚葬祭、トラブル解決、生活指導、納税、全てを与力が取り仕切っている。

 区入りができないと区有林を利用する権利等はない。冠婚葬祭は与力が仕切るこ ととなっているため、又地区内での交際も与力関係の者同志での交際が中心であることから、与力がないと事実上村八分のようになってしまう。区入りの概念は必ずしも法廷では明確にされなかったが、嵩集落の区長の証言によれば、区入りとは「皆さんと一緒にこれからお付き合いしていくということ」とされている。

 ほかにも月ヶ瀬では、集落ごとに税金の申告・支払いをまとめている。もちろんこれらは僻地の山村における相互扶助の役割も果たしている。

 繰り返すが、近世や戦前の話ではない。1997年の話である。ちなみに月ヶ瀬では土葬、両墓制で埋め 墓と詣り墓の2つ墓がある。かつて日本では両墓が主流だった。いろんな時計の針がここでは止まってるが、封建時代の旧制が今も生きている所は意外と全国各地にある。

 このような制度は共同体の内側にいて疑問を持たずに生きていられるなら、それは分厚い帰属感に包まれてすこやかに暮らせるだろう。 だが、その輪からはじかれた者にとっては、そこは地獄と化す。

 区入りがなければ与力もつかない。村の社会的生活は全て与力が取り仕切っているので、区入りできないと自動的に村八分になるのだが、そもそも二人は村人から初めから直接言い渡されていた。

 「家ぇ焼けるか、葬式できひんときは村が寄ってやってやる。それ以外は付き合わへんからな」

 それは村八分そのものである。

 成人式、結婚式、出産、病気、普請、水害、法事、旅行、葬式、火事

 この十のうち葬式と火事以外の八には一切関わらない、すなわち村八分。
 葬式と火事だけ例外なのも善意ではない。死体をそのままにしておくと匂うし伝染病のもとになる。火事は延焼が困るからにすぎない。

 近代日本で村八分は違法だけど、1952年には静岡県上野村で選挙不正告発した女子高生一家への村八分事件、1992年には兵庫県佐用町水根の村八分訴訟、2004年には新潟県関川村の村八分訴訟が起こっている。

 水根では、たった7戸12人しかいない集落だが、そこの総代(月ヶ瀬村の与力と同じ)に命じられるまま1戸を村八分をしてる。もちろん総代が訴えられて敗訴した。だが、賠償金も6戸で割り勘することになった。しかもそれでも、裁判はなかったかのように村八分は続行中だ。

 郊外都市でもママ友集団のシカトやイジメも装いを変えた村八分で、法的にも同じく共同不法行為として損害賠償どころか刑事罰の対象にもなる。
 田舎事情は田舎で起きるとは限らな い。都会にも田舎事情は存在する。だが、ライフラインおよび全人生が一元支配されている田舎での田舎事情は生きるか死ぬかになる。

 まさにセイジとナツエ夫婦は住むところもない、生きるか死ぬかの状態だった。だが、集落の民生委員(与力が公的役回りも兼任していた)が動いた。

 (当時のマスコミ報道は、この「与力」という概念を説明できず、「民生委員」を肩書きとして記事を書いたので妙な記事になっていた)

 この与力兼民生委員が、区民に空いてる土地を融通させ「この家に住むがええ」 と夫婦に貸した。 

区入りは認めない。だが、住むことだけは許す。家賃も貧乏だろうからと月1万。

 というと与力の親切心、善意のようだが、そこは村はずれの傾斜地、周りは藪、日当たりも悪くいつもじめじめしている。


しかも家賃1万というが、代わりに最初はナツエが、後に長女のカンが集落の男たちの慰みものになっていた。


 こうして物置にしていた納屋だった掘立て小屋が、以後35年の夫婦の家になった。トタン屋根、壁はベニヤで隙間だらけで夏は暖房、冬は冷房とすきま風。風呂の湯沸かしは薪を燃やす。

 「下水道の分担金を払ってないから」便所もない。だから一家は裏山に穴を掘って用を足していた。長女が穴に用を足していたのをマスコミが写真を撮って仲間内で回したりされたりした。

 これは江戸時代でも発展途上国でもなく戦後、それも平成になってからも続いていたお話である。 

そして、この親切な与力兼民生委員の大きな屋敷に生まれた孫娘が、のち被害者となる充代だった。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11235582637.html

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セイジとナツエ夫婦は、行商と日雇いの肉体労働でなんとか食いつないでいた。

 やがて長女カンが生まれ、次女が生まれ、三女が生まれ、長男誠人が生まれ、さらに四女が生まれた。

 セイジは、家族が増えるたびに板切れで斜面に家を継ぎ足した。その為、彼らの家は一瞬3階建てに見えて、斜面に1階建て3棟が階段状に連なっている。素人の造作で更にあばら家感が増している。

 区入りできないのでは茶畑も持てないし区有林の使用権利もない。集会にも呼ばれないし、役員選出の投票権もない。けれども負担だけは負わされる。区の奉仕作業もやらされるし、負担金は最低ランクながら支払わされる。

 30年住み続けても、扱いは変わらなかった。

 実をいうと、ここが旧弊に囚われた隔絶された排他的集団かというと、そうでもない。梅林は観光地で、都市生活に疲れて「田舎暮らし」を求めて移住してきた都会人もいる。村人は排斥するでもなく普通に受け入れて付き合っていて、寛容な顔も持っている。 だが、その顔は丘崎家にだけは一度も向けられなかった。日本が経済大国になろうが昭和から平成になろうが、丘崎家は不変だった。
 

 極貧かつ孤立の暮らしだがセイジは愛人を作った。当然ながら夫婦仲は冷めた。

 ナツエは子育てをしなかった。7歳から働かされていて、子育てという概念すら知らなかった。されたことも見たこともないものはできない。

 家事も知らないから家の中はホコリと土だらけだった。家具もまったくない。生活用品は土だらけの床に直接置いてある。

 一家団欒もなかった。料理をなんとか覚えた長女カンが作りおきしたおかずを各々が食べたい時間に勝手に食べる。

 家族の会話もない。みんなたまたまひとつ屋根の下で息しているだけの家族だった。


セイジが居ないときに、ナツエのもとに代わる代わる集落の男たちが通ってきた。

集落の男たちはナツエを蔑視しながら性欲処理に使っていた。集落に住まわせてやっているから。

缶ジュースかミカン数個を置いていく。

隣り合う部屋で幼い誠人はそれを聞いていた。

姉カンが成長すると、村にある居酒屋の賄いとして働くようになった。
 
今度はカンのもとにかわるがわる男たちが通ってきた。

隣り合う部屋で少年誠人はそれを聞いていた。

 カンは未婚のまま子を産んだ。父親は誰ということもないままだった。

 (ナツエもカンも抵抗はしなかった。既に抵抗する術を持たなかったからか、そこに自らの存在意義を見つけたからか、それはわからない。おそらく、抵抗すること自体わからなかったのではないか?産まれたときからそんな境遇で、それが当然だと)


 こうして何重苦もの荒んだ家庭で少年誠人は育った。そして、日本には義務教育制度があり、国籍住民票の有無に関係なく子どもは小中学校に行かされる。誠人は当然のようにひどい目に遭った。

 小3のとき、公民館で放火騒ぎがあった。

 「丘崎の息子がやった」と噂が立った。なぜなら「丘崎の息子やから」

 村祭りで金が盗まれた、ビニールハウスでボヤ騒ぎがあった。

 「丘崎の息子がやった」なぜなら「丘崎の息子やから」

 川で遊んでいると石を投げつけられた。なぜなら「丘崎の息子やから」

 「あの子と遊んだあかん」親たちは子ども達に言い聞かせる。なぜなら「丘崎の息子やから」


 当たり前だが、少年誠人はめっきり暗い性格になった。中2で不登校になった。そのまま学校には二度と行かなかった。友だちもできず、家にこもった。 担任教師は誠人に冷淡で、卒業まで数度しか様子を見に行かなかった。法廷で誠人は「不登校は担任のえこひいきと体罰がひどかったから」と証言した。

 卒業式も行かなかった。担任に命じられてしぶしぶ同級生が卒業証書を届けると、誠人はそれを破って焼いた。

 裁判では、村の住民、同級生たち、当時の担任も証人として出廷したが「そんな差別はなかった」と口をそろえて否定した。だが、新潮45の記事を書いた中尾幸司は 取材中に聞いた、村人の「嘲笑まじりの」証言を次のように記録している。

 「村の人間は、あの家族を明らかに見下しとるよ。年寄りが多いから、どうしても古い体質がある。現に私自身も村の人間が“朝鮮がっ! ”って吐き捨てるように蔑むのを聞いとるしね」


 この事件、部落差別が原因かというと少し違う。確かに一部にはそれがあるものの、それだけではない。そもそもこの嵩集落自体が被差別部落で、丘崎家を差別していた人たちも、ナツエとカンの元に通った人たちも当然、与力達も被差別部落民だ。

 それが、集落内部に更に下の階層を作った。よそ者の被差別部落民で朝鮮人とのハーフ、貧困で文盲。条件は揃っていた。

 部落差別、在日差別、職業差別、貧困、村八分、いじめ──丘崎家は戦後日本の暗部を網羅したかのごとく背負わされた。しかも一家はどのカテゴリにも入れずどこにも属すことができない。だから解放や同和の互助も、被差別への支援も、救済も彼らだけをすり抜けていった。 こうして一家は、オリジナルの下層民として「創造」されたのだった。

 ここで疑問が出てくる方もいるかもしれない。どうしてそんな目に遭っているなら村から逃げなかったのか?と。 村から出なかったのが悪い、外で自立しなかったのが悪い、どこに住むかは自由、どう生きるかは自己責任と必ず自己責任論を掲げたバッシングが出てくる。

 だけど、それは孤立し虐げられ続けることが人の心の芯をどう破壊するか理解できていない。または、する必要もない幸せな人か、要領よくいつも踏みつける側にいて、 「いじめられっ子にも非がある、ぼくらも被害者」 と嘯く人だ。


 ナツエにはこの嵩集落以外に行くところがなかった。集落の男たちの慰み者になるのなら、街に出て風俗でも稼げる。文盲で常識的な知識すらないナツエにはそれがわからなかったし、集落の者たちからは
「ここを出て行ったらお前らは生きて行かれへんぞ」
と言われ続けながら差別を受けていた。とりあえず、ここでは生きていける。虐げられ続けたものの心は自尊心すら破壊され、洗脳されていた。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11236499568.html


           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
              //_/7 ′     ハ `、〈〈_ノ ノ   ヽヽ
       r,ニY/」 ′〃   , ' l| ト、 l l ̄l「`、   | ハ
       __〉イ〃 ,  /, l   / ,イ!} |リ 八 ヽ |ハ
       〈 rク// ,′ ,'/l‖ ,' /厶‐十ナ/}小、ヽ ∨/  、
    , -ァ7イ {  l   |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ   、、 `、
  // 〃l ハ  、 レイ下丶、j′'ヾ゙ジ  // rヘ川 U ヽ ヽ
//   {l { い、、\V,ィf赤       //  ,ィ|l |  ト、 \
{_/    ヾ \/ ヽ\ヾ`ー'′       { !  仆//  ,′ | ヽ  ヽ
         ノ{ {  八_〉、   ` , - ァ  ゝ, ' V ハl /   ハ }   \
      , -‐'´/ハ 、 { |lヽ、      ∠ニ-V リ / /  ∨
  ,.|ヽ .ヽヽ、ヽ| ,'  ,..-,, `ヽ''-''-'、 __ヾ  ,,. -‐ V"´ __ `ヽ、_ ,
r''".| ヽヽ _,.´,, ',´´        `ヽ、'   ,.. - ''"´   ``ヽ 、`ヽ、ィ
|  ,|  川ヽ、/ /ト-;:::、        u丶 '´         .....ヽ、 i  /l
| ハ  |! j/ ./::`:::::、                        .:::r::、::.ヽ レ'  |
   ヽヽヽ .、 i   : : : : : : : : : : : : u: :/   、: 。: : . . .  . : : : : : ': : : :|    k   
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       1986年――奈良県添上郡月ヶ瀬村


 丘崎誠人は3年生を1日たりとも登校することなく中学を卒業した。

 働かないといけないということで測量のバイトを始めたが辞めた。東京や大阪の飲食店で調理師見習いとして住み込みを始めたが辞めた。土木作業員を始めたが辞めた。警備員になったが辞めた。左官見習いをしたが辞めた。

 家族の会話もなく、中学でも人間関係もなかった15歳の少年が、外界で急に円滑なコミュニケーションがとれるはずもない。 いつも、いつの間にか実家に舞い戻っている。

 家では数少ない贅沢品、プレステで黙々とゲームかアダルトビデオ鑑賞の毎日だった。とくにお気に入りは少女凌辱もので、購入資金は老いても日雇い肉体労働を続ける親にねだった。丘崎家には1台しかテレビがないので、誠人がAVを見たくなると、そのたびにテレビを自分の部屋に運ぶ。終わると戻す。

 もはや何度目かわからないが、またもや誠人は実家に舞い戻ってきた時には中学を出て10年経っていた。 もう2・3番目の姉は自立して家を出ていた。長女カンは28歳で子どもはさらに2人増えていた。やっぱり父親は誰ということもないままだった。

 狭い家に、まだ肉体労働を続ける老父母セイジとナツエ、姉カンと3人の子ども、誠人と妹の計8人が住んでいた。

 もはや誠人は働こうという気配すら見せない。プレステとAVビデオ、たまに滋賀県のソープ街雄琴まで遠征して性欲を発散。その資金は親にねだる。

 もうひとつの楽しみは自慢の三菱ストラーダだった。もちろん親にねだって農協でローンを組んでもらって買ったものだ。 チャゲアスとドリカムなどの都市の若者のラブソングを流しながら、ドライブするのが誠人の幸せだった。購入して3ヶ月で5300km走った。深夜までゲームをして昼まで寝る。夕方にストラーダでどこかへ行き、夜戻ってきて深夜までゲームの繰返しの毎日を過ごす。

 (なぜか田舎事情のある殺人者はみんなこうである。なぜか田舎に戻って来るのだ。外の世界へ出て行ったこともあるにもかかわらず。なぜか本人にとって最も忌み嫌って憎んでいるはずのそこにわざわざ戻ってしまう。  

彼らはそこを忌み嫌い憎悪を燃やしつつ、でも外では生きられない。だからそこに帰ってくるしか道を知らない。そこは家もあるし、親に依存して、とりあえず生きることができる。だが、そこを憎んでいるのは変わらない。それでますます毒々しい澱をためていく)
 

 丘崎誠人が村に舞い戻って1か月後。
      ――1997年 平成9年 5月4日

 その日──自慢の愛車ストラーダで夜明けの月ヶ瀬へ朝帰り中だった。前日の夜、例によって母親から貰った金で滋賀県の雄琴ソープ街で性欲を発散し、晴れやかな気分で翌朝、月ヶ瀬へと帰ろうとしていた。
 途中、眠くなってパーキングで仮眠をとった。起きたら昼過ぎで愛車ストラーダを家へと走らせる。 県道をジャージ姿の少女が歩いてるのを見つけた。

 (あれ…おお、充代やんか。帰る途中か。部活かな)

 与力兼民生委員の孫娘、13歳の充代は、卓球大会が終わって家に帰るところだった。この先、まだ高台にある屋敷までかなりある。その上に急な登り坂が続く。 誠人は愛車ストラーダのスピードをゆっくりと緩めて、 少女に、追いついた──

 充代は自宅に戻らなかった。卓球大会が終わって、学校を出て帰宅の途について──それきり足取り不明だった。駐在所と所轄警察も捜索を始めた。捜査員が村で聞き込みを少ししただけで、すぐに有力な怪しい人物が浮上した。

 丘崎誠人、25歳無職。


 ――5月27日

 充代が失踪した5月4日午後の時間帯の丘崎誠人のアリバイは無い。前夜からストラーダで村外へと出ていた。


 ――働きもせえへん。素行も悪い。怪しい。なにしろ丘崎の息子やから。

 「なんだ?最後の“丘崎の息子やから”というのは…」
 「はあ、それが──」

 刑事たちが戸惑ったのは、与力、区入りだという時代劇な言葉だった。村人には常識らしく普通に口にするが、なんのことかわからない。

 「丘崎の家とは付き合いしてへん」  

「付き合いのある人は誰でしょうか」  
「誰も丘崎の家とは付き合ってへんよ」

 「なぜですか?」
 「区入りしてへんし。村のもんやないで」

 「すると最近村に来た人たちですか?」
 「んー30年かそこら前ちゃうかな、来たんは」

 「はぁ、30年も住んでたら村の人やないですか」
 「区入りしてへん。村のもんやないで」


 困惑した県警の刑事達は駐在所の警官からも話を聞き、失踪少女の祖父が「与力」と呼ばれ、村ではたいへん偉い人であることが分かった。最初は「民生委員」だから偉いのかと思っていたが、与力が偉いから民生委員も兼ねてる、とも分かった。

 ――6月28日 台風の夜

刑事たちは違和感を覚えていた。村の人々は捜査にとても協力的だ。そして誰もが「丘崎の息子が怪しい」という。しかし、なぜそう思うのか、と聞くと

 「子どもの頃に公民館を放火したいう話や。 小3の頃やから警察沙汰にはならんかったけど」
 「働いても続けへん。家でぶらぶらしとる怠け者や」
 「親もあれやしな」

 全く論理的な根拠がない。根拠は「丘崎の息子やから」である。


 (丘崎誠人を、何の躊躇いもなく「怪しい」と名指しする。それは被害者が身内(しかも与力の孫)で、対する誠人は、永遠のヨソ者にして犠牲の子羊だったからだった。

 結果的には、村の噂どおり彼が犯人だった。 でも仮に、誠人が無関係だったとしても、きっと村人は言ったはずだ。彼が小3の年に起こった公民館火事のときのように)

 「丘崎の息子が怪しい」
 「丘崎の息子やから」
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11238229540.html

     ――1997年 平成9年 8月1日


 「月ヶ瀬中学生女子失踪事件」捜査本部取調室

 丘崎誠人の、生まれてから、5月4日午後に少女と県道で出会うまでの、自分語りが終わった。取調べ官はやっとあの村にずっと感じてた違和感の正体が分かった。

 「では、これは復讐なのか?充代ちゃんのじいさんは区の与力だ。今までの恨みがあったから、その仕返しということか?」

 そうだとしたら、より犯行は凶悪だ。衝動的ではなく計画的、身勝手、怨恨のため罪もない少女を狙う──

 だが、丘崎はぽかんとしていた。

 「うーん…」

 本当によく分かっていない様子だった。

 「なあ、丘崎くん。一緒に思い出そうや。あんときのことを。できるだけ早う真相を明らかにするのが君の罪滅ぼしにもなるんやで」

 「はい」


 誠人は前夜、雄琴のソープランドに行き、5月4日の午前中に地元に戻ってきた。
 途中、仮眠をとり、昼過ぎに目を覚ました。何となくウキウキした気持ちで車を運転していたところ、ふと見ると嵩集落に帰る途中の充代が歩いていた。

 ――あ、あれは充代か。部活の帰りかな

 ――嵩集落まではまだ距離がある、急な坂もある、あの子を家まで送っていってやろう

 ふとそんな親切心、好意が自然と生じてきた。充代が小学生の頃は何度か送っていってやったこともあった。暫く顔を合わせていなかったが、彼女は誠人を蔑視したり、差別したことはなかった。よく笑う、誠人を「おいちゃん」と呼ぶ、人懐こい子だった。

誠人は車のスピードを落としてゆっくりと近付いた。最初の供述だと「車に引きずり込んで連れ去るつもりで」となっていたが、それは取調べ官が誘導しつつ供述させたものだ。
 いつもはそんなことしない。みんな、誠人を嫌っているので、車に乗れ等と言うと怒鳴られて石を投げられる。それを誠人は自分自身で知っている。だが、この時はいい気分だった。それに充代は誠人を蔑視したことはなかった。


 「乗って行くか」

 誠人は声をかけた。しかし充代は誠人をチラッと見ただけで、呼びかけを全く無視し、返事もしなかった。そして、足早に歩き出した。

 (どうしてそんな風に反応したか、 彼女の心は今となっては分からない。年頃の女の子だ。大人の男の車に乗ることに抵抗があったかもしれない。
13歳だから、うまく取り繕って断れなかったのか、単に丘崎の顔を忘れてて「変な男」と思って逃げたのか、それとも、中2になるまでに周りの大人たちから丘崎は『丘崎の息子やから相手にしたらあかん。近づかんとけ』と言われていたのか、ただ集落の空気を感じとってそうしたのか。
だが、いずれにしろ丘崎誠人は、無邪気な少女がいつのまにか冷淡な世間という仮面を被っていたと受け止めた)


 ――俺をよそ者と思っているから無視しよる。返事もしやがらん。この女も一緒や。

 ああああああああああああっ
 ああああああああああああっ
もう許さん!!

 それまでの嵩集落の人間から受けていたよそ者扱いと謂れのない差別の悔しさが爆発寸前になった。さっきまでのいい気分とこの現実の落差は誠人にとって絶望的だった。自分を無視した充代と嵩集落全体の人間に対する憎しみが一緒になり、頭の中が混乱状態に陥った。


 ――集落の者が一人居なくなれば、集落の全員が心配して、恨みが晴らせる絶好の機会や、今がええチャンスや!!

 それまでの嵩集落の人間からよそ者として口では言い表すことのできない苦しみと差別を受けてきたことが交差した。頭の中は爆発寸前の混乱状態のままだった。後先のことを考える余裕等なかった。

 誠人は充代の背後から時速30キロのスピードで近づき、そのまま車を衝突させた。ドンッと音がして、充代は物も言わずに転がった。ガードレールに衝突するとそのまま倒れこんだ。靴は片方脱げて転がっている。ガードレールに血糊がべっとり付いていた。

 車をぶつけた瞬間、誠人の憎しみは雲散霧消し、現実に引き戻された。急ブレーキを踏み車を停める。慌てて運転席から降りて、道に倒れた少女を抱き起こした。あちこち擦りむいて血が出ている。頭からも血が流れていた。少女はハアハアと荒い息をしていた。

 ああああああああああああっあああ、大丈夫かああっ
 うわわわ、ははねちゃっははははねはね ちゃった。
 ああなんでおれはなんで。こんな。

病院行かなきゃひどいケガケガひどい/
これがバレたらもう村にいられなくなる/
早く連れてってやらんと/
俺も家族も追い出される/
病院病院へ/
どうすりゃ/
病院へ早く病院/
いいんだどうすりゃどうすりゃどうすりゃどうす りゃどうすりゃどうすりゃどうすりゃどうすりゃななななんとかしなけりゃなんとか──

 なんとかしなけりゃ

 なんとかしなけりゃ

 なんとかしなけりゃ──


 病院へ連れていくことも脳裏をよぎった。だが、今までの集落でのことが次々と駆け巡る。自分が犯人であることが露見し、自分だけでなく家族までが村に住めなくなる。事件を持って逃げるしかない。そう考えた。

 みみみ見つからない場所場所へ

 見つかっ隠して追い出される殺して隠して殺し場所見つかったら探しヤバイ殺しヤバイ見つかったら死体場所隠す場所

 どこどこどこどこがががが


 丘崎誠人の自供どおり、村から10km離れた伊賀山中で、充代の白骨化した遺体が見つかった。 祖父の与力兼民生委員は、孫娘の骨壷を受けとった。

 「やっとうちに帰ってきました」

 彼は決して悪人ではなく、集落では皆から慕われる人格者だった。月ヶ瀬の人々も、名張葛尾の人々も、加古川西神吉町の人々も、それに山形新庄市の人々も、日頃から凶悪なはずもなく、ごくふつうの素朴な人々だったはずだ。そこに田舎事情の闇がある。

 丘崎家は当然のように村から追い出さ れた。彼らの長く暮らした掘っ立て小屋の家も、すぐに取り壊されて更地になった。 丘崎家の人々は別の地に流れて居を構えた。貧しいままだったが、彼らは皮肉にも誠人の凶行によって35年にわたる呪縛から解放された。
http://ameblo.jp/matusyuka/entry-11238480746.html


月ヶ瀬村を訪ねた。あの事件の集落を見たくなったのである。青年が生まれ育ち、ついに捨てきれなかった故郷の村の風景を。うららかに晴れた暖かな朝だったが、柳生の里を抜けるうねうねとした山間の道は日も差さず、ひどく寒かった。

 事件は1997年の5月に起きた。梅林で有名な村の中心部から川ひとつを跨いだ山間の集落で下校途中の中学2年の女子生徒(当時13歳)が行方不明となり、付近からタイヤのスリップ痕や女生徒の着用していていた靴やジャージなどが見つかった。二ヶ月後におなじ集落内に住む25歳の青年が逮捕され、自供から伊賀上野市郊外の峠で白骨化した遺体が発見された。

翌年、青年に対して奈良地裁は懲役18年の一審判決を申し渡したが、検察側がこれを不服として控訴し、2年後に大阪高裁により無期懲役の判決。青年は弁護団のすすめにもかかわらず上告をしないまま刑が確定し、去年の夏、収監先であった大分刑務所の独房内にて自らのランニング・シャツで首を縊って果てた。29歳だった。

 事件は当時、いたずら目的の稚拙な誘拐殺人といったニュアンスで報じられたように思う。だが今年になって雑誌に掲載されたレポート(新潮45・7月号「虐げられた人びと」中尾幸司)や、裁判の係争中に弁護団の一人がある機関誌に寄せた文章(部落解放なら第12号「月ヶ瀬事件と差別」高野嘉雄)などに目を通すと、そこからまた、べつの風景が浮かびあがってくる。

 青年は逮捕後、事件の動機として、集落の住民によるじぶんや家族への差別があったと供述した。月ヶ瀬は現在も与力制度といわれる昔ながらのしきたりが残っている村である。与力というのは同族組織より選ばれた村の複数の代表のことである。たとえば「区入り」という、村の一員として認められるためには二人の与力の推薦を必要とする。

 B(部落)地区には与力制度というものがあり、地元民二人の推薦がない限り、区入りができない。区入りができないと区有林を利用する権利等はない。冠婚葬祭は与力が仕切ることとなっているため、又地区内での交際も与力関係の者同志での交際が中心であることから、与力がないと事実上村八分のようになってしまう。
 被告人の母の法廷での証言によれば「地区民から、家が焼けたり、人が死んで葬式ができなくても、それだけは村で寄ってやってやる、それ以外はつきあわない、と言われた」というのである。

事件を起こした青年の家族は30年以上も前に隣村から移っててきたが「区入り」は果たしていない。村の民生委員を務める、かれがその命を奪った少女の祖父の計らいによって家族は、村はずれの日当たりの悪いじめじめとした傾斜地にかつては物置として使われていたトタン屋根とベニヤ板の壁のあばら屋に住みついた。

冬には隙間風に悩まされ、室内にはいつも鼠が走りまわっていた。
風呂は薪で、「下水道敷設の分担金が支払えなかった」ために便所はなく、外に掘った穴で用を足していた。

内縁関係にある青年の両親は、ともに日本人と朝鮮人の間に生まれたハーフであった。お茶の栽培農家がほとんどを占める村内にあって、二人は行商や日雇いの仕事で家計を支えた。

寡黙な父には愛人があり、気が強い文盲の母は子どもに金だけを与えて放任した。毎日、長女がおかずをつくり、それをみなが好き勝手な時間に食べた。会話もない、ばらばらの家族だった。

 中学卒業後、青年は職を転々とするがどれも長続きしていない。測量事務所のアルバイト、土木作業員、警備員、左官見習い。大阪や東京の飲食店で調理師見習いとして働いたこともあったが、住み込みが性に合わなかったのか、ふらりとまた村へ舞い戻った。そんななかで車は、かれの唯一の安らぎの空間であったようだ。カーステでかけるのはドリカムやチャゲ&飛鳥。「特に初期のドリカムの、都市生活を楽しむ若者たちの屈託ないラブソングがお気に入りだった」(新潮45) 事件のひと月ほど前に買ったばかりの大型四駆「三菱ストラーダ」の走行距離は、事件後に売却される三ヶ月の間に5.300キロに達していた。

 そして事件当日。ここでも修羅は、一見何気ない、のどかなごく当たり前の光景からその首をもたげる。 

 被告人が反抗に至った経過は以下のとおりである。

 被告人は前夜、滋賀県内の、いわゆるソープランドに行き、5月3日の午前中に地元に戻ってきた。うららかな日だまりの中に車を停め、しばし仮眠をした後に目を覚ました。何となくウキウキした気持ちで車を運転していたところ、ふと見るとB地区に帰る途中の被害者が歩いていた。B地区まではまだ距離がある、坂もある、あの子を家まで送っていってやろう、ふとそんな親切心、好意が自然と生じてきた。

 気楽な思いで「乗って行くか」と声をかけた。しかし被害者は被告人をチラッと見ただけで、呼びかけを全く無視し、返事もしなかった。その時の心境は、被告人の調書では、以下のとおりのものとされている。

「顔見知りの私が親切に声を掛けているのですから、せめて、お爺さんが迎えに来ますから結構ですとか、家が直ぐそこですので結構です等と断ってくれれば、私としては腹が立つことは無かったのですが、浦久保充代子さんが私の親切心を無視し、返事もせず、逃げるように足早で歩き始めたことで、私は俺をよそ者と思っているから無視しよる。返事もしやがらん。○○の者は俺を嫌っており、この女も一緒や等と思うと、それまでの○○の人間から受けていたよそ者扱いの悔しさが爆発寸前になったのです。

このようにして自分を無視した浦久保充代子さんとB地区全体の人間に対する憎しみが一緒になり、頭の中がパニック状態になったのです。そんな腹立たしい気持ちで車を走らせている時、完全に切れてしまい、許さん、車を当てて連れ去ってやろう、最低でも身動きできないようにしてやろう、B村の者が一人居なくなれば、村の全員が心配して、恨みが晴らせる絶好の機会や、今がええチャンスやと考え」

「待ち伏せしている間も私の頭の中は、親切心を無視された腹立ちと、それまでのBの人間からよそ者として口では言い表すことのできない苦しみを受けてきたこと等が交差し、とにかく頭の中は爆発寸前のパニック状態であり、後先のことを考える余裕等な」かったとされている。

 青年は少女の背後から時速30キロのスピードで近づき、そのまま車を衝突させた。だが、いざぶつけてしまうと「憎しみは雲散霧消し、現実に引き戻され」(弁論要旨)、慌てて運転席から降りて、道に倒れた少女を抱き起こし後部座席に移した。少女はハアハアと荒い息をしていた。病院へ連れて行くことも一瞬脳裏をよぎったが、

「自分が犯人であることが露見し、自分だけでなく、家族までが村に住めなくなる.... 事件を持って逃げるしかないという気持ちになった。(少女を)発見されにくい場所へ連れてゆき、殺して死体を隠してしまおう」(冒頭陳述) 

そして二時間後、伊賀上野郊外の山中で、はじめは四重の紐状にしたビニールテープで絞殺しようとしたがうまくいかず、手元に転がっていた人頭大の石(4.9キロ)を数回、少女の頭部に投げつけて絶命させた。死因は左頭蓋底骨折による脳挫傷であった。

 事件をめぐる検察側と弁護側の争点は、当初、その動機にあった。検察側は殺された少女の下着が刃物で切り裂かれていたことから、事件は性的ないたずらが目的の誘拐殺人であり、青年は性的異常者であると主張した。それに対して弁護側はそのような性的異常の傾向は認められず、事件は青年の自供どおりに「被告人、被告人の家族に対する月ヶ瀬村住民等による差別の中で、被告人の鬱積した怒りが衝動的な形で暴発したものである」と反論した。

もうひとつは「差別」の問題である。一連の公判において、青年の家族を取り巻く村の旧弊さが浮き彫りになったものの結局、裁判所は「被告人のいう差別感情なるものは、何の咎もない中学二年生の被害者に対する本件の犯行動機として、ほとんど酌むべき事情にはならない」としてこれを斥けた。情状酌量の余地はないとして、検察側の求刑通り無期懲役が宣告されたのである。

 月ヶ瀬事件で特徴的なのは、被告人は自白に転じた以降、終始一貫して自己の行為を弁解せず、正当化しようとはしていないことである。被告人は動機として月ヶ瀬村の住民による被告人及びその家族への差別があったことを供述しているが、それは何故に本件の如き犯行をしたのかという質問、追求があったため、「事実」として、その経過、内心の感情の推移を説明したのにすぎない。

被告人は当然償わねばならない責任はこれを受け入れるべきと考えており、自己の刑事責任を軽くするための一切の弁解、責任転嫁を拒否し、公判廷においてもただ「事実」としての自己の心情を述べたに止まったのである。


 冬の月ヶ瀬は、さながら湖底に横たわった村のようにひっそりと静まりかえっていた。梅林近くのみやげ物屋は軒並み店を閉ざし、観光客の姿もまばらだった。昼寝をしているような観光会館にバイクを停め、置いてあった観光パンフを貰い、二階の展示室でかつてこの地を訪れた文人たちの梅林を愛でる書画をしばらく眺めた。

それから梅林の裏手にある尾山代遺跡に立ち寄った。茶畑の広がる丘陵地の斜面が小さな公園のように整備されていて、素堀りの住居と、その隣に四畳半ほどの鍛冶工房の建物が復元されている。室町期あたりに奈良の都の大安寺などに木材を供給していた職能民たちの集落跡だという。北風を避けたなだらかな南の斜面を三段に造成し、上段に前述の住居と工房、中段に食料を貯蔵した穴、下段をゴミ捨て場として使用していたらしい。どこまでも続く低い山並みを眺めながら、いにしえの杣人たちの日々の暮らしを想った。陽が雲間に隠れ、相変わらず寒かった。

 ふたたび中心部の月ヶ瀬橋までもどり、橋のたもとで山頭火の句碑などを眺めてから、青年の生まれ育った集落へ向かった。

日当たりの良い高台に茶畑が広がり、20数戸のわずかな家々が尾根筋の平坦地に身を寄せ合った、のどかな山村の風景だった。人の姿はほとんど見えず、閑としている。集落全体を見わたすことのできる公民館と薬師堂の前にバイクを停めた。もう一方の高台にひときわ立派な土塀に囲まれた屋敷が、あれがおそらく亡くなった少女の家だろうと思った。

隣接する神社の珍しい石造りの神殿などをしばらく見物してから、寺の本堂を横切り、反対側の墓地へとゆっくりと歩をすすめた。

 月ヶ瀬はいまも土葬であり、しかも埋め墓と詣り墓(石碑墓)という両墓制の形を残している。村はずれにある埋め墓に遺体を埋葬し、一定の期間祀った後は村に近い詣り墓へ霊魂を移し、以後はそちらへ詣でるのである。薬師堂の境内にあるのはその詣り墓の方で、ここから暗い雑木林の小径を20分も下ったところにあるという埋め墓も覗いてみたい気持ちもあったが、今回はあえて控えることにした。

 集落の裏山の小高い山の上に位置する、乙若城跡という南北朝時代の史跡を訪ねた。史跡というにはお粗末な、草ぼうぼうの猫の額ほどの淋しい場所だった。青年もかつて子ども時分にここでひとり孤独な時を過ごしたに違いない、となぜか思った。逮捕前に青年がマスコミの「(行方不明の)少女を知っているか」との問いに応えて、「おなじ地区だから知っている。小学生の頃は通りがかりに車に乗せてあげたこともあった」と語ったという、そのことばを想起した。

幼い頃には無邪気にかれの車に乗り込んできた少女が、ある時から「世間」という得体の知れぬ皮をかぶり、他の大人たちと同様にかれに冷淡に背を向ける。鬼だ鬼だと言われ続けてきた者が、ついに本物の鬼となって復讐をした。だが所詮、本物の鬼には成りきれなかった。
http://www.geocities.jp/marebit/oni.html

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         `〈 ̄/´      ヽ /   , _〉l             `\三三三=/ ∨三=l  ,      _, ‐ ´,〈
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_____________

2) 奈良県 月ヶ瀬村

493:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 19:39:19 ID:???

梅の観光地になってるから行ってみたらいいよ。 梅やさんがいくつかある。
こんなところで事件があったのかってしみじみ思うよ。
見えない何かで囲われた場所って感じ。

289 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 08:16:13 ID:???

月ヶ瀬にドライブに行ったことある。 すっごく不気味で暗い雰囲気だった。
他にもあちこちのどかな田園地帯には行ったことあるけど、雰囲気が全く違う。
何かにとりつかれたような、とにかく気持ち悪い村だった。
悪霊や山姥でも住んでそうな村だったよ


749 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 21:47:38 ID:???

月ヶ瀬付近の谷の道路沿いr82だっけ走ってると細い道があって、小さい集落に続いてたりするね

なんか暗い感じのする地域なんだよね
名阪国道の南北周辺は

751 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 23:08:01 ID:???

東名阪辺りから行くと判るが JRに取り残された丹波方面は一種変わった空気してる 昔のままが残ってるような 非開放的と言うか いわゆる田舎だ

752 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 23:20:34 ID:???
>>751

奈良市街地→柳生→月ヶ瀬

ドライブに行ったことがあります。 奈良には転勤で二年間滞在してました。
月ヶ瀬に近づくにつれ、怖くなりました。

白土三平の忍者漫画カムイの雰囲気がして、背後から手裏剣が飛んで来そうな恐怖感でした。 のどかな田舎の田園風景という感じじゃなくて、山ん婆とか化け物が住んでそうな恐ろしい雰囲気でした。


754 : 752 : 2010/11/11(木) 23:57:46 ID:???

そういえば 月ヶ瀬は三重の伊賀上野の隣だね。
伊賀上野といえば伊賀者忍者の里。
奈良市側の柳生は柳生一族の里だよね。

月ヶ瀬が時代劇の忍者っぽい雰囲気なのも納得。

290 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 13:33:38 ID:lOMjkoom [1/1回発言]

月ヶ瀬村ってど真ん中に太い川があるんだけどさ、その川がダム湖みたいに深くてハンパなくでかいの。 バーベキューするような川原って感じじゃない。

あの深くてでかい川は自殺の名所かもね。 年柄年中自殺者の遺体が浮かんでそう。川の周りにはコンビニとか街灯とかはとにかく何も無くて、飛び込む人がいても誰一人目撃者がいないと思う。

梅林見学に車で行った自分は、あの川を見てたら何だか陰欝な気分になった。
真っ青に晴れた日だったのだけどね、空気が重たく感じられたよ。


296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/19(日) 10:34:10 ID:AABLjX7e

ほんとあの村は異常な雰囲気が漂ってるよ。
俺は仕事とかで行くが横溝作品の舞台じゃないのかと思う時があるな。

ちなみに自殺の名所であり年間多数の自殺者が発生してる。


761:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 13:50:27 ID:MWeCSpx/

月瀬橋っていう赤い大きな橋知ってる?
橋の北側が中心部で、観光協会、梅林、役場がある。

川を挟んで橋の南側の山を奥へ奥へと進むと、細い道になっていき、うっそうとした薮になる。 その薮の中に丘崎のあばら屋があった。


258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 17:44:01.59 ID:???

奈良市月ヶ瀬嵩っていう地域。
名張川に南北にかかる月ヶ瀬橋の南側地域が嵩。

嵩の細い道(地図に載ってないのでは?)をくねくね奥に入っていき、うっそうと草木が生い茂り日光が入ってこないところに丘崎のあばら家があったそうな。

同じ月ヶ瀬嵩で道路に面した小高い所に被害者中学生の家があるそうだよ。


135:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 08:58:13 ID:LIHP0hsz

以前京都市内に住んでたとき、月ヶ瀬村にドライブに行ったことがある。
川とか梅林があってのどかな場所だったけどなあ。

でも、観光客にはわからないような、暗い部分があるのね。差別、古い因習、近代生活から掛け離れた極貧一家、・・・

格差社会がより一層進んでいる今、こういう事件が激増するかも。

358:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 02:06:05 ID:???

月ヶ瀬は梅林を見に行くところ。
住むところではないよ。

あんな閉塞感たっぷりのところなんてね。


360:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:29:34 ID:???

自分は奈良の中心街に住んでるけど、月ヶ瀬ってBだっけ?

そうだったとしたらこの犯人への非人道的な扱いも分る気がする。 そもそも未だに関西に差別が根強いのは、ある程度仕方のない現実なんだよ。

知人が車で走行中、いきなり窓を割られた事があった。 すぐに届け出て、しかもあきらかに犯人と思われる車両が見えるところにあったのに、警察は煙に巻くだけだったとか。 それは、その犯人が周囲でも有名な札付きのBだったためであったことが分った。 奈良ではBは何をしても訴えられない(関わるとえらい目に合う)特権階級。

最近ようやく行政での不正が色々発覚するようになってきたが、まだまだやりたい放題なのが現実だよ。 小学校から無駄な同和関連の授業を組み、過剰なまでに差別の事実を刷り込むのも差別を「商売」にしてBが暮らしていくため。 こんな環境だから、Bとはなるべく関わらないように刺激しないように常に気を使う。 自衛するためには転入者に出身地を訊ねたりするのもやむを得なかったりする。

自分達で「差別」を温存しながらも、低く見られていることに鬱憤を抱えたまま閉鎖的に生きていくB。 彼らなら更に弱い立場の者がいれば、嬉々としていじめをするだろうな。


148:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 13:00:02 ID:1Tklg+vP

月ヶ瀬村自体が、同和地区だってことですか?
山奥の川沿いの小さな村らしいけど。


149:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 14:18:38 ID:ZjhKLGj+

山奥の川沿い=まさしく

150:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 20:26:50 ID:2PZfVmfN

月ヶ瀬村の山高地区


405:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 17:55:18 ID:Ty1lbCVR

県境はB地区多し


319:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 16:37:08 ID:gxLrsi7V

月貸せ村って部落なん?
部落民が朝鮮人を差別したってことなん?

320:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 17:31:51 ID:???

言うまでも無いだろうw
関西方面は半島からの渡来人の末裔が多いから差別意識が強いんだぜ。


321:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 19:19:56 ID:gxLrsi7V

ふ〜〜ん、そうなんだ。
大昔朝鮮から渡って来た奴らが、20世紀に朝鮮から来た人達を差別するとはね。 同胞いじめってか!?


164:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 07:41:28 ID:Zihyooab

大体において、月ヶ瀬の祖先は渡来人のくせに、流れ者朝鮮一家の丘崎を村八分ににしたのがこの事件の発端。

月ヶ瀬の奴らは未だに「差別なんかしてません」と、ほざいてる。
自分らが行った酷い村八分行為が、巡り巡って孫の死を招いたことを月ヶ瀬の奴らは思い知るべき。


146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 16:16:07.96 ID:???

月ヶ瀬はB地区?って事は月ヶ瀬の人達は他の町からは差別を受けてたって事?

さらにその人達が丘崎一家を差別してたって事?はらいせみたいな感じ?


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 18:29:36.82 ID:???
>>146
月ヶ瀬全体が被差別部落なのではなくて、丘崎一家が住んでいた嵩という集落がそうだったということ。 だから被害者やその祖父や「与力」という住民組織のメンバーも被差別部落民で、社会の底辺層がさらにその下を差別する構造だったという認識でいいと思う

188:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 11:28:07 ID:fD6W5uiH

チョンが、部落の子を殺した事件。

147:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 12:50:01 ID:2PZfVmfN

部落民に差別されてたんだろ。

288 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 08:09:11 ID:???

丘崎一家が住んでた地域は月ヶ瀬の中のB地区(月ヶ瀬全体がBというわけではない)
で、そのBの奴らが自分らより更に下の丘崎を人非人扱いすることで憂さを晴らしてたんだよな。

底辺が最底辺を見下す構図。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 22:19:43.18 ID:IUQJa6/D

丘崎はKで村人がBだよね。

「差別をなくそう」って綺麗事言いながら、自分たちは何をやったのか?、

と月ヶ瀬B民に俺は聴きたい。

489:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 06:04:24 ID:???

同和って差別されることには五月蝿いけど、差別することには寛大なんだねw

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 23:53:48.97 ID:???

底辺は底辺を叩きたがるもんだよ 
士農工商からしてそう 汚い人間の業だね

救われんなぁ


406:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 18:20:06 ID:???

上でBがなぜ住所で分るかって言う人がいたけど、大抵その場に行って見れば分るよ。 明らかに他の地区と雰囲気が違う。簡単に言えばボロいし汚いし雑多。 もしくはいわゆる改良住宅だったりする。(ニコイチなど特徴のある建物が多いから一目で分る)

血が濃いので悪い血が…ていうのも、ただの風評ではない。 実際いとこ同士などの近親婚が多いので、視力などに明らかな劣性遺伝をもっている人が多くみられる。

親族や地区での繋がりが強く、本人同士の問題と安易にBと結婚などをすると、いざ関係が悪くなったら突然ヤクザまがいの人間が出てきて親族中に迷惑をかける事になったというのもよくある話。

「差別」自体は良くない事だと誰でも分ってるんだけど、Bに関しては実害が現実にあるんだから区別して付き合うのは仕方のない事なんだよね。

でも月ヶ瀬って本当にBなのかな?

村の変な制度やいじめ体質を見るとBっぽくはあるけど…

でも身近にこの犯人の家庭みたいな一家が住んでたら正直嫌だと思うんだよね。
極力関わらないようにするし、子供に「付き合うな」と注意するのも普通の対応だと思うんだが。


331 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/21(木) 08:07:54 ID:???

Bがばれて婚約が破談になった芸能人

女優のM・R(相撲取り貴○花との破談)
元ミス日本のN・K(名高○郎との破談)
歌手のN・A(近藤○彦との同棲中に自殺未遂)

彼女達本人は、自分がBの子孫だとは知らなかっただろうね。

好きな男が出来、いざ婚約という時に相手側に調べられて親がB出身であることが判明。
結果、一方的に婚約解消されて涙に暮れた…という感じだろうね。

N・A以外はその後、理解ある別な男と幸せな結婚したけど
N・Aは未だにショックが癒えずメンヘラ状態。

親がB地区を出て都会に住むようになった子供は自分がBの子孫であることを知らずに過ごしてる人が多いだろうけど、戸籍から祖先の出自を調べられたらBがわかっちゃうんだよね。

451:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 23:33:57 ID:R2RSZAbt

「部落」「部落差別」「同和」という言葉に敏感なヒトが多いのは確かだが、
これは、世間がそういう言葉を使用禁止にしたり、隠語にするところに原因がある。
昔、身分制度で「えた・ひにん」という最下層に属する人間が居たのは事実だが、
彼らは、処刑の後の死体処理、動物の屠殺、皮剥ぎなどの仕事に従事させられ、
ある特定の地区に住まわされただけである。それが「部落」だ。

今、そんな仕事をさせられている人間なんて居ないのに、その地区へ呼称だけが根強く残り、現在に至っている。 要は、「部落出身者がどうのこうの・・・」と言っているワケではなく、人間の中には、他の人間と差をつけないと生きていけない・・・というヤツが多く、「アイツは部落出身だ!」などと言って、その人間と「差」をつけること(つまり、自分はその人間よりは上なのだ、と思う)で、自分自身が生きる支えのようなモノにしているだけである。


413:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 10:41:32 ID:???

月ヶ瀬がブラクなんじゃなくて犯人がブラクなんで月ヶ瀬村の中で差別されていたってことだと理解していたのだが・・・


414:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 15:16:25 ID:3rjrpBBe
>>413
月ケ瀬全体がBなのではない。

月ク瀬の中の某地区(B)に、隣村の朝鮮人と日本人(B)の夫婦が引越してきた。

その夫婦の息子が犯人。
某地区住民(B)の女子中学生を、犯人が殺した。
つまり、Bの娘を、朝鮮籍の犯人が殺したってことだよ。

433:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 07:02:20 ID:???

丘崎が住んでいた嵩地区はB地区。

173:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 04:05:46 ID:3JZ1lI3e

名張毒ぶどう酒事件なんかも奥西の家族に対する地元の連中の村八分行為が凄惨だった
地裁で再審開始決定が出た時の、地元の連中のコメント見たら吐き気がした

174:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 09:36:22 ID:8WOPMAxt
>>173
名張毒ぶどう酒事件の現場(葛尾地区)も山奥の川沿いだね。
しかも、奈良の月ヶ瀬村、三重の名張葛尾には両方に同じ名張川が流れている。

差別で苦しめられた人間には、山と川が付き物だね。
山奥川沿いのムラって、いやな所だね。

175:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 10:05:12 ID:8WOPMAxt

この事件が起きる3年前(1994年)に月ヶ瀬村にドライブに行ったことがある。 村を流れる川とか、上流のダムを見てたらすっごく陰鬱な気分になり、「この川は自殺の名所なのだろうか?」なんてなことを思いもよらず考えてしまった。

梅林や川、山など確かに自然は豊かなんだが、どことなく陰鬱さを感じさせる地域だった。

もしかしたらあの当時、丘崎とどこかですれ違っていたのかもしれない・・・

あの暗くて陰鬱で気分の滅入る山奥川沿い村に、陰惨な差別があるとは当時想像もできなかった。(北海道出身なので、被差別部落・朝鮮差別とかそういうことに全然ピンと来ないです)

169:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 10:53:36 ID:J52YXR80

小学生時代に、放火の濡れ衣着せられて、皆からいじめられるのってさ、「フランダースの犬」のネロみたい。

ネロの場合は、アロアとか近所のおばさんとか味方がいて。コゼツの旦那も、最後にはネロへの猜疑心も消えて探してくれたけど。

このスレの犯人は最後の最後まで、信頼出来る人がいないまま、孤独死したんだね。
「自分は何のためにこの世に生まれてきたんだろう」って絶望感で一杯だったんだろうね。

401:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/26(水) 21:55:02 ID:bBNPZW2M

こういう言葉は適切かどうかわからないけど
生まれてこない方が良かった人 っているんだなと思った。

153:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 00:47:49 ID:gyEL9ih5

弁護士の奨める上告もしないで刑を素直に受け入れ、服役中は罪悪感で苛まれてたらしいですね。 罪の意識に耐え切れずに自殺。 自分で自分を死刑にしてしまったんですね。

コンクリ詰め犯や、栃木リンチ犯とは、えらい違い。(こいつらには死刑が妥当)

丘崎には服役して出所後、別な土地で人生ゼロからやりなおしてほしかったな。殺人犯とはいえ、境遇を考えると同情を禁じえない。


49:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 23:59:01 ID:???

でも、こいつはレイプしてないんでしょ?


53:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 00:43:44 ID:???

おかざきは性的なことは一切してないよ
裁判記録見れば書いてる


72:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 01:01:27 ID:+Bb5Rhk7

女子中学生がキツく無視したからだろ。
穏やかに断っていればこんなことにはならなかったのに。

140:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 01:06:54 ID:1Tklg+vP

親が無学でしかも日本国籍ではない極貧家庭に生まれてしまうって悲惨だね。
丘崎は、一生の中でおいしい物を食べるとか旅行に行くとか家族団欒とか、暖かい部屋で寝るとか普通の人の普通の生活を知らないまま命を閉じたんだろうね。

日の当たらない、ネズミと土ぼこりだらけで、トイレすらない、すきま風ふきすさぶバラック建てのあばら屋で、心も体も病みながら成長していったんだろうね。

村人達からの差別、村八分。 親も情けない親で。

丘崎を殺人犯へと追いやった原因は、村人と親にも責任があると思う。


142:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 06:34:27 ID:1Tklg+vP

丘崎は過去に家を出て、住み込みで働いた経験がある。
しかし、朝起きられないのと能力が無いのとで、行く先々をクビになった。
自活への道をあきらめ、あばら屋に舞い戻り、母親から金をせびっては遊び暮らすようになった。

幼い頃から、我慢することを躾けられなかったんだろうな。読み書き計算も、出来たかどうか?
いい加減な親だから文房具も何もちゃんと用意してやらなかっただろうな。

87:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 21:35:08 ID:DRUEpIVH

丘崎の報道陣への逆切れぶりは異常だったね。
あれだと働いても同僚や客とトラブル起こすのは目に見えている。


303:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 04:40:40 ID:Zzoc8oKv

マスコミの前で暴れてから、凄いフテブテしい全然反省していない極道と思ってたが本当は物静かな気の弱い、自殺しちまうような男だったんだな。ネットで読むまでまったく勘違いしてたよ

しかし、なんでK札はマスコミの前を逮捕直後に堂々とつれまわしたんだろ

普通はマスコミは遠いところからやっと映像取れるぐらいなのに

頭から服をかぶったりしてあげたりしてる

麻原クラスになると車の正面のほんの瞬間という気に使いようなのに

307:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 02:54:03 ID:W02/g6in
>>303 
なんでK札はマスコミの前を逮捕直後に堂々とつれまわしたんだろ

それが差別なんだよ

月ヶ瀬の人たちは少しは反省しないとね
酷い差別が自分たちに帰ってきたんだからね

トイレもないような家だったら、誰か民生委員でも知らせてちゃんとしてやるべきだよ
穴ぼこだらけで臭い!っていうならね

308:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 07:59:39 ID:1p9ofrxo

ムラの奴らは丘崎一家を人間扱いしてなかったんだろ。
その辺の虫ケラと同等レベルにしか思ってなかったんだろな


335:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:22:35 ID:IQl2cStV

丘崎一家は飼われてたんだよ。 月ヶ瀬の住民に。

魂を売った見返りに、民生委員の被害者家族に生保かなんかを斡旋して貰ってたんじゃないの?

月ヶ瀬の住民も酷いが、丘崎の両親も情けない。

336:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:55:56 ID:CfnrJJBg

村民は何のために丘崎を飼ってたの?

飼うからには、飼う側に利益がないと邪魔な人間を飼ったりしないと思うが。
犬や猫などのペットは心を癒す愛玩動物だし、牛や豚などの家畜は乳や肉を売って利益を得る。

村民にとっての、丘崎一家を飼う目的は何?


343:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 21:39:03 ID:IQl2cStV
>>336
飼って住民のストレスの捌け口にしてたんでしょ?

男は虐げられ、女は性の玩具。

「人権を守れ」と立派なこと宣う部落民が人権を蹂躙してどうするんだよwww


344:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 22:31:36 ID:CfnrJJBg
≫343
なるほど、サンドバッグ&性処理の道具ね。

708:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 23:27:51 ID:RqBVorhl

丘崎家は生活保護じゃねーよ。

両親は土方、姉は居酒屋勤め、

それ以外に母と姉が村人達の性処理の相手してて(売春)、

村人から飼われてたんだよ。

売春は暗黙の了解。 お互いもちつもたれつの関係。


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 22:41:27.66 ID:wYVT3CC/

一番の原因は母ちゃんが慰み者にされてたからじゃ無いのか?


77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 23:10:51.60 ID:???

一番かどうか知らんが、歪むだろうなぁ、そりゃあ。


普通の風俗は基本的に、来たい客が楽しく遊んで、

女が金を得る商売と割り切れるからまだいいが、

丘崎の母ちゃんは差別されてただろうし、オモチャだもんな。

しかしそんなンが日常だった村って今も正常に機能してんのかね。
代わりのはけ口かありそうで嫌だわ。

645:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/14(水) 23:50:56 ID:???

差別・村八分して人格踏みにじっておいて、
一方では金で母と姉を肉便器にするなど、
自分らを都合よく飼い殺し扱いしていた村人達への復讐だな。

646:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 00:35:55 ID:???

両親が隣村にいられなくなった理由…

母が村の有力者と出来ていたのが、奥さんにばれて追い出された。
しかし逆に、月ヶ瀬では村人達の肉便器になることで居住を許されてた。
女の穴を共有するのが月ヶ瀬の習俗。


673:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 15:24:19 ID:???

しかし姉はともかく母親はかなりのオバサンだろ。

都市部ならマニアの客も付くだろうが、相手も歳がいってるにしても田舎でよく稼げたな。
年齢の割りにルックスはかなり良かったのだろうか?


674:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 15:55:54 ID:???
>>673
外部からの見知らぬ客ではなく、
母親が20代の頃から関係が続く数十年来の馴染み客(村の衆)

事件当時の母親は50代後半だから、その頃は60代70代のじいさん相手にしてたんだろうよ。

不特定多数の客をとる都会の売春婦と同等に考えるな

732:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 18:05:56 ID:VMVne5te

月ヶ瀬にドライブに行ったことあるけど。
山、川、梅林しかなくて、コンビニすら無くて寂しい所だった。

あんな所に住んでたら、鬱になりそう。 とにかく、山奥の超ど田舎。
ああいう土地の住民て、普段は何が楽しみなの?

あんな超山奥だと、家でテレビ見て晩酌するぐらいしか、すること無いじゃない。

734:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 20:53:17 ID:???
>>732
月ヶ瀬住民の楽しみは、

自分以下の人間を見下して差別し村八分にすることが唯一の鬱憤晴らし


735:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 02:15:18 ID:ae4eW/XC
>>734
で、酒飲んでセクスな。


736:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 05:11:13 ID:???
>>735
で、チョンB女を肉便器にして中出ししてな


737:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 02:13:16 ID:RMl7zJI0
>>736
で、また酒飲む


647:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 00:48:06 ID:bn7G1Ow6 B、

チョン、差別、村のならわし、
肉便器、貧困、文盲、
あばら家、トイレ無し地面掘って排泄、山奥…

つくづく嫌な環境だなこりゃ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/07(木) 18:17:00.33 ID:XckXsGMP

以前「新潮45」の記事で読んだんだけど、丘崎の家は便所がなくてその辺でする
もんだから、近所の人は「もう臭くてかなわんかった」と言っていたという。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 18:50:48.51 ID:???

丘崎家を「くそぅてくそぅて(くさくてくさくて)」と言ってた村の男

何の用事で丘崎家に行ってたのかな?wwww

丘崎の同級生とかじゃなくて、かなり年上の男のようだったけど


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 05:28:55.21 ID:???

村に住まわせてやるかわりに丘崎母や姉を強姦してたんでしょ、村人が。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 07:53:37.84 ID:???

母や姉を性奴隷にしていたなんてどこソースよ?

住民が毛嫌いしていたというのに、掘建て小屋でセックス?


128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 08:50:54.05 ID:???
>>124
それがしてたんだよ。 丘崎家のあのバラック小屋で。

執拗な差別と肉体関係、

それがこの事件を取り巻く村社会の不思議さと、陰湿さを際立たせている。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 06:39:00.44 ID:???

あのじいさんってテレビで見た限りでは普通のいい人に見えたけど…
あの人も丘崎の姉母を肉便器にしてたって本当だろうか。

709:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/06(金) 23:34:14 ID:RqBVorhl

で、何故 民生委員の爺さんの孫娘を丘崎が殺したかって?

母親を肉便器にした張本人が、その爺さんだったからさ。

丘崎は、その怨みでジジイの孫娘殺したんだよ。

278 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 03:56:25 ID:???

丘崎母親を肉便器にしてたのは、被害者中学生少女の祖父な。

乞食のような丘崎一家を月ヶ瀬に住んでもいいと許可し、物置小屋だったボロ小屋に住めるように持ち主に仲介を依頼したじいさん。

そこまで世話してやったのは母親の肉体が目的だから。

丘崎はそのジジイのことを心の底から憎んでた

648:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 01:01:24 ID:???

犯人の両親に格安家賃の貸家を世話して住まわせ土方の職を紹介したのが、被害女子中学生のじいさんなんだよな。

犯人母と被害中学生じいさんの関係…

なるほどな。復讐の意味はそういうことな

284 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/19(火) 06:31:27 ID:???

ジジイと丘崎一家は親戚みたいな人間的付き合いじゃねーよ。

飼い殺しなのさ。

飼い殺しの意味わかる?

母と姉は村人達に肉便器にはされてたけど金銭はもらえず、せいぜいミカンかジュース程度。

住まわせてもらうことの代償が肉便器になること。

肉便器として扱ってはいても村の奴らは全員、丘崎一家を人間としては扱ってなかったのだよ。

例えて言うならホームレス女にオニギリ一個与えてHして、やり終わると唾を吐きかけ蹴飛ばしてゴミをぶつけるようなもん。

シベリア抑留で強制労働させられた日本人みたいな扱いと思えばいい。

739:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 07:09:46 ID:???

小さい丘崎に、母親と民生委員の爺さんが見せつけながら、セックスしていてたんだろうな。


16 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/09(土) 19:05:12 ID:???

丘崎の母と姉は、村人達の肉便器にされることで村への居住が許された。

土地を持たず国籍にも問題のある乞食同然の一家にとって、それは生きていくためには仕方の無いことであった。

自宅に代わる代わる訪れる村の男どもに母と姉が体をまさぐられている間、子供だった丘崎誠人はその屈辱に堪えていた。

差別されている者ども(月ヶ瀬の中のB民)が、さらに自分達より下の者を虐げることで憂さ晴らしをしていた構図。 村の有力者の娘を殺害することで、丘崎誠人は長年にわたって鬱積していた恨みを晴らした事件。

66 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/29(金) 21:23:59 ID:cexANW65 [1/1回発言]

未だに前時代的な風習を続ける山奥の小さな集落。 まるで明治時代。

夜這いもひそかにまだ残ってそうだね。

弱者が女房娘を強者に差し出すことで、村に住むことを許されるみたいな…

やれやれ、つくづく陰惨な土地だね。


72 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 12:58:24 ID:DXNYTpOb [3/4回発言]

しかし、関係持っておきながら人間扱いしないって酷い話だな。
情ってモンはないのか。


73 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 15:02:06 ID:???
>>72
人間と認めて交際してたんじゃなくて、性欲処理だけのために利用してたんだろ。
東南アジアへ回春旅行する男みたいなもん。
東南アジア女性を養う気も入籍する気も無い。 マソコだけが目的。

丘崎母姉はただの肉便器にしか思われてなかった。


74 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/01/30(土) 15:41:55 ID:DXNYTpOb [4/4回発言]
>>73
なんか嫌だなぁ…

アヘアヘ腰振ってフィニッシュしておきながら人間扱いしないとは。

そんならヤギとヤッときゃイイのにな。

207 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/08/11(水) 19:40:41 ID:???

長女は村の飲み屋の人気者で中々セクシーだったそうだ。

その長女が外で垂れていたのを、張り込みのカメラマンが盗撮して、仲間内で画像をまわしたと、下品な話には事欠かない事件だったな。。。。

454:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 21:48:44 ID:???

そもそも同和地区内部での差別ってあるの?


455:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 22:02:42 ID:???
>>454
何世代も前からの土着民は仲間意識が強いのだろうけど。
丘崎一家はよそからの流れ者だし、しかも在日朝鮮人だからね。
村八分状態だったろうよ。


351:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 17:50:26 ID:???

少数の人間を生け贄にして集団の団結を計るのは昔からのやり方だからね
その生け贄に逆襲されるのもまた仕方が無いんじゃないの


200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 01:14:32.70 ID:???

村民達は丘崎一家を見下して差別していたくせに、実は逃げられないように飼い殺ししてたんじゃないだろうか?って。

無学で国籍の怪しい乞食一家が転居してきて、対等な仲間としては受け入れがたいけど、ストレス解消に役立つサンドバッグが出来たぞいいアンバイだなと。

村で放火や盗難事件が発生すれば全て丘崎に罪をなすりつけ、

セックスしたくなったら丘崎母姉で性欲処理して、

むしゃくしゃしたら丘崎にみんなで石をぶつけ…

いじめる相手がいなかったら村民達は困るんじゃないの?

丘崎の母は小学校すら行ってなくて文盲ってことだから、一般的な知識も情報もなかったと思う。 村民達に


「町に出てもおまえらの仕事あらへんで」

「村から出たらおまえら生きていけへんのや」


と巧みに言いくるめられてたんじゃないかって。

この一家は頭悪そうだし、生活設計とか将来の計画とか出来なさそう。 どうやったら村から出て行けて、町で人生再出発出来るかなんて考えつかなかったんじゃない?

もうどうでもよくなって、そういう生活から抜けだそうって気持ちすら持たなかったかもね。 学の無い情弱一家ってことでしょうね。 息子はヘタレだから、東京や大阪で行き詰まって帰郷してしまったし。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:35:22.30 ID:YAtNVMoT

丘崎母に旦那は居る。けれども未入籍の事実婚。
丘崎父も日本人と朝鮮人のハーフで流れ者。
丘崎が自殺した時は丘崎の両親は三重でひっそり暮らしていた。

貧困な両親には墓を建てる金がなく、丘崎の遺骨は両親の家に置いたまま。
けれど、当時で両親は70代半ばくらいだったので、今は生きているかどうか…


丘崎姉は未婚で子を産んでいる。子の父親は誰だか明らかにされていない。

もしかすると関係を持っていた村の誰かの子かも知れない。
事件後、月ヶ瀬には居られなくなり、大阪に移り住んだらしい


133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/10(日) 09:27:59.36 ID:YAtNVMoT

新潮文庫の記事によると、母親は文盲。
突然疳癪を起こしたりすることからみても知的障害か、あるいは精神障害を患ってたような感じではある。

最初は自分の祖父が婆さんと間違えたみたいにドサクサに紛れて夜中に手をつけたらしいことを匂わせる記述もある。

丘崎母にとって、自分が生きるためには犬猫のような交尾は必要、かつ当り前であって、そこに倫理観やら羞恥心やらの価値観はなかったのかも知れない。

教育を全く受けてないのだから、猿やイノシシと同じで野生のまま…
だから村中の男と関係を持つことに、悔しいだとか悲しいという感情を抱くことなく
生きる為に交尾を重ねていたのではなかろうか。


539 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 10:09:23 ID:???

丘崎一家は出ていかなかったんじゃなくて、出ていけなかったんじゃないかと思うなぁ。 村の人達が出ていかせなかったというか。

つまり、集団の中で敵を設けると集団がまとまりやすく一致団結するみたいに村に丘崎一家という「最底辺の敵」を敢えて設けて、村の結束を強固にする役割にしてたのかな、と。

事実、村の男たちが丘崎家の女を共有することで秘密を共有し、ボヤ騒ぎが起きた時も
最終的に丘崎のせいにして問題が収まってる。他にも水面下ではいっぱいあるんじゃないか。 B地区特有の世間に対しての鬱憤も、丘崎一家をサンドバック代わりに解消してた気もする。

でも万が一、丘崎一家がいなかったとしたら、自分もターゲットにされるかもしれないというある種の恐怖感さえ生まれてくる。 いじめのターゲットを設けることでその他がまとまり、設けてる間はとりあえず自分は安心みたいな学校や職場のいじめの構造と全く一緒な感じがするんだよなぁ。

結局、あの村にとって丘崎一家は必要悪だったように思う。 丘崎一家には


「この村にいるからこそ家にも住めて仕事ももらえ、食べることが出来るんだ」


と言い続けて見えない恐怖に怯えさせれば、簡単に御することは出来そうだし。


541 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 12:34:37 ID:???
>>539
同意。
精神的圧力と物理的圧力で丘崎一家は、村から逃げられないようにされてたと思う。

仮に逃げようと思ったにしても日中はばれるから夜中に逃げるしかない。
しかし街灯の無い真っ暗な山奥から徒歩でどうやって奈良市内の町まで出る?
あんな山奥から徒歩ではとても無理。

一家が夜逃げを決行して歩いて逃げるたとしても、途中で誰かに気付かれ村人達に連れ戻されリンチ等の制裁を加えられそう。

じゃあ夜逃げではなく、普通に「町に引っ越したい」と正式に言ったとて許してはもらえなかっただろうね。 役場は転出手続きを拒否し、バスは乗車拒否するかも。 家財道具を運ぶトラックも出してくれない。

>>539さんが言うように、

「町に出たってお前ら住む場所も仕事もあらへんで。

お前らはこの村にいるからこそ、家に住めて仕事させてもらって食べていけるんや」


とか言いくるめられそう。

542 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 14:05:25 ID:aAvPWP8W [3/4回発言]
>>539
考えられますね   なんか村の連中に洗脳されてそう。 

長い期間、屈辱受けてメタメタに傷つけられていたら逃げようとか嫌だとか言う考えないかもね 
 
もういいや みたいな。まして、子沢山でお金もなければ絶望的でしょうね。
 
丘崎父は、以外と人のいいところあるかもね。


しかし、この村の男ども最低だね 読めば読むほどむかついてくる 

家族で住んでる家に押し寄せて肉体関係なんて・・ 丘崎父は、どんな思いだったんだろう。 丘崎姉は初めての時、どんな思いだったんだろう。 

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 21:06:55 ID:???

家を買えるお金がない

かといって新規に家を借りる時に必要になる保証人がいない

犯人をかばうつもりはないが村民が悪い


286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 09:46:03 ID:???
>>265
全く当たってる。他から来た人には猫なで声、しかし中へ入ってみるとイジメ体質。
村八分制が根強く子供にまで染み透っている。

660:名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 00:41:27 ID:???

引っ越せばよかったとも思うけど
こういう村の人がおいそれと引越しさせるものなのかも疑問。

憂さ晴らしのための差別の生贄として丘崎を逃がさないような気もするけど

村人相手に売春できた辺りも、「そういうため」に用意されてた感じがしてならない

自分より下を置けば安心できる、またそういう対象があると村をまとめやすいし

ところでこの被害者宅には「座敷牢」があったって話だけどw

家族にそういう人がいて、それを閉じ込めるためのものね

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/24(火) 22:22:10 ID:nC9t4TrN

丘崎が勤めをやめて竪穴式住居に舞い戻ってきたのは母親と姉と近親姦関係にあったからだろう。

姉の子供というのは実は丘崎との間に出来た子供なんだよ。

丘崎逮捕の前からその噂は立っていたし、村人もその事実をほのめかすようなことを言っていたけど、丘崎の母親と姉は村の公衆便所だったので村人もあまり語りたがらないんだな。

殺された娘の家からは檻が出てきたな。

殺された娘の兄というのが精薄でずっと檻に閉じ込められて生きていたと言うんだな、それが発覚するのを恐れて殺された娘の家が捜査に非協力的だったので逮捕が遅れてそのうちに事件が(意図的に?)報道陣にリークされてTVが丘崎の家に押し寄せたというのが真相。

ここまでは報道関係者なら誰でも知っている。
俺も当時現場行ってたからわかる。

ダム工事のあとにあの村に住み着いた朝鮮人は丘崎の家だけではなくて他にも数軒あったらしいのよ、家も残っていたから結構最近まで住んでいたらしいんだけど、どこに消えたのか誰も言わないのよ。

丘崎の親父が「みんな殺されてしもうた」みたいなことを言っていたけど誰も追及しないでうやむやになってしまったな。

その家族がどこに消えたのかはわからないのだけど、失踪したのは親だけで遺棄された子供は村の家のゴミ箱を漁ったり、ネズミみたいなもんを焼いて喰ってたりしてしばらく村にいたらしい。


これ昭和60年代の話だよ。

戸籍も無い奴隷みたいなのが、あの村にはまだいるんじゃないかって話もあった。
昭和30年代までは農奴というのは東北とかにいたらしいねえ。

543 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 14:38:43 ID:???

平成の時代にあっても
白装束で樽の棺桶を運ぶとか
与力制度が残るとか
不気味な村だね


544 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/02(火) 19:15:40 ID:???

丘崎父は丘崎母と世間一般でいうところの恋愛関係らしきもので事実婚に至ったわけではなく、押し付けられたんじゃないだろうか、と個人的には思ってる。

両方とも朝鮮人の血が混じってるし、小屋も二軒は用意できないし、

「二人とも似たようなもんだし、いいから一緒に住んどけや」

みたいな。 村人からすれば、分散してるより一か所にまとまってくれてた方が管理しやすいし。 子供だって丘崎父の子かどうかも分からないし、丘崎以外の子が池沼かどうかも分からないけど、さすがに村の男が堂々と家に入ってきて当り前のように家族に手をつけられたら、丘崎父の立場としては居た堪れないだろうね。

だけど村の人に反抗するわけにもいかず、結果的に愛人の元に逃げた、て感じかも。

丘崎母を受け入れたのではなく、受け入れざるを得なかった、そうするより他に道がなかった、またそれ以外の道を探す能力もなかったのが丘崎父と言う男なんじゃないかなと思ってみたりみなかったり。


337:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 19:03:46 ID:dZk7MMd1

田舎の村社会って、陰湿で怖いな。
河瀬直美さんも、この事件のような村社会の闇に迫って欲しい。


36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 18:44:08.55 ID:???

月ヶ瀬村は丘崎に復讐されたんだよ。

住民たちがこの犯人の母親や姉妹を性欲処理の道具として蹂躙して来たという事件記録が、ネット上で大分消えている。

http://2chnull.info/r/archives/1191711689/1-1001
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/archives/1262165480/
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/archives/1296636852/
http://mimizun.com/log/2ch/archives/1127680911/

571 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:07:51 ID:???

夜ばいは主に西日本の農村に根付いた風習で高度経済成長期直前まで続いていた。
都市部には遊郭(赤線)があるけど山奥の農村には無いからね。

女房の妊娠中とか独身青年の性欲処理。
山奥の農村では性風習が開放的だったってこと。

569 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 18:06:48 ID:gMNnjzq5 [3/5回発言]

長女や母と関係もった村のキモ男たちはどういうつもりなんだろう 

昔から、その近所に住んでたわけで下手したら親族やらも住んでいるわけでしょ 

風俗店へ行くって考えはないのかね 安くて近所で済まされる場所みたいな感覚なのか 
お金はどのくらい払ってどのくらいの頻度、人数だったのだろうか

私が思うには、シャワーなんて浴びないで汚い手と臭い息でスボンだけ下ろしてサーッと。  金額にして千円くらい。

「今日は五百円に負けろよ。柿持って来てやったんだからよ。」

みたいな。

570 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 18:45:46 ID:???
>>569
山奥の村って夜這いの風習があったから、自分の亭主や息子・兄弟がよその女と交わってもあまり気にしないんじゃない?

戦前の山奥では長男の嫁が妊娠しない場合は次男と嫁を交わらせして、跡取りを産ませたとか聞くよ。

月ヶ瀬の男達は丘崎母と姉には現金は払わなかったらしい。 あくまで


「俺達が相手してやってるおかげでお前ら一家はこの村に住めるんやからな。感謝しろ」


の上から目線。 ただでやり逃げの奴もいただろうし、物を持って来てもせいぜいミカン3〜4個か、缶ジュース2本程度。


月ヶ瀬村からソープのある町までは車で遠方まで行かないといけないし、金がかかるから丘崎母姉で済ませてたんだろうね。


それこそ、>>569が言うように

村の男は服を着たまま、ズボンを少しだけずりおろして大急ぎで処理って感じで。


572 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:14:39 ID:???
>>569
人数や頻度までは知らないけど、男どもは重ならないように男どうしで示し合わせてたのでは?

夜這いにもルールがあったそうだよ。
権平は月曜日、熊八は火曜日、杉作は水曜日ってな具合にさ

573 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:18:38 ID:gMNnjzq5 [4/5回発言]

じゃあ血筋とかわかんないよね。 
代々あの一族は●の血筋を引くサラブレッドでなんてよく言われてるのも実はいい加減なのだろうか?  

津山殺しもヨバイが発端ですよね。

574 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 19:37:24 ID:???
>>573
跡取り息子は身内の血縁で産んでたそうだよ。
長男の嫁不妊

嫁が次男と交わって出産
又は、長男が次男(三男)の嫁と交わって生まれた子供を実子とする


明らかに亭主との間に出来てない子供も一応は出産してばあさんとか親戚が預かって養子養女として育ててたそうだよ。

「私のお父さんとお母さんはどこ?」

と聞かれたら、もう死んだよと嘘でごまかす。 農村は働き手がたくさんいる方がいいから、他人の血の入った子供でも大事に育ててたんだって。

578 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 20:01:37 ID:gMNnjzq5 [5/5回発言]

一族間で血縁を結んだ場合、障害者が産まれる確率が高いと聞きました。 
昔は婦人科で検診してエコーで見るなんてなかったから、産婆さんが殺したりしたんでしょうね。  


夏江は、自宅で産んだのかな。誰も産後を手伝ってくれず。汚い鼠が這いずる埃だらけの家で。 村のババアどもは、自分の旦那とやってるような女をケアするわけないよね。

579 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 20:52:50 ID:???
>>578
昔は奇形が生まれたら、産婆さんか母親が処理(間引き)してたそうだね。
知的障害児は三歳ぐらいにならないと判明しないから、そういう子は倉や座敷牢に閉じ込めたり、崖から突き落としたりしてた。

581 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 22:49:47 ID:???

次女と三女の体が村人に手をつけられなかった理由を知りたい

考えられることとしては
かなりの醜女、超肥満体、病弱、知的障害、身体障害
マジで理由は何だろうね?


586 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/05(金) 00:26:34 ID:UuTsfdSX [1/1回発言]
>>581
次女も三女もやられてたんじゃないかな 未成年だからさすがに面には出なかったわけで 
だって村から逮捕者が出ちゃうし

母や姉のを昔から見てたら、結構抵抗無いのかも 
村の鬼畜ジジイどもが、手をつけないとは思えないなあ  

まだ生きてるんでしょ 鬼畜ジジィどもは 許せないね

583 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 23:26:01 ID:???

長女と次女三女は歳が離れているのかもよ。
長女と誠人は一回り程度の年齢差っていうから13歳ぐらいの差と仮定して。
本に書いてある母親と長女が村人達と昵懇云々は誠人が少年時代のことだから

誠人が12歳のとき長女は25歳
次女が誠人の2歳上と仮定すると14歳で、
三女が誠人の2歳下と仮定すると10歳

村にはたまたまロリがいなくて熟専は40代母親の体で遊び、
成人女好きは25歳の長女で遊んだって感じ?

誠人が25歳で殺人事件起こした頃は、母親は60代で長女はアラフォー。

さすがに村人達もその頃には、母・長女のくたびれた体に飽きていて
若い愛人作ったりソープに行くようになってたのかもね。

725 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/11(木) 01:21:05 ID:???

丘崎誠人がもし今も生きてたとしたら38歳で、
長姉は一回り違うので現在46歳、
母親は現在70歳と思う。


事件当時(1997年5月)
誠人25歳
母親57歳
長姉33歳


肉便器にされてたのは、丘崎の出生前〜少年時代らしいので、
母親がまず最初に肉便器にされてて(30代)
母が40代になった頃には20代の長姉も手をつけられてたみたい。

584 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/04(木) 23:35:04 ID:???

金と時間惜しさに以前は丘崎母・長姉で済ませてきた男どもも汚い家での性欲処理がだんだん不快になっていって途中でやめちゃったのかもね。

それより金を出して綺麗な部屋で綺麗な姉ちゃんと一緒に風呂に入ってサービスしてもらう方がいいやと…

587 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/11/05(金) 00:32:57 ID:???

丘崎が25歳で事件を起こしたことを考えると、B地区と言えど通常の教育を受けた、丘崎と同世代の男達はやっぱり同世代の女達や、他地区や他県で就職して普通に恋愛するだろうな

丘崎でさえ車も持ってるんだから、もちろん他の若い男達も持ってるだろうし

昔の因習そのままに、丘崎母や姉に肉欲をぶつけてきたのはその上の世代、つまり丘崎母と同世代、もしくはそれ以上の年齢の男達かもしれない

そう仮定すると、まだ子供だった次女三女に手を出すには年を取り過ぎて幸いにも手をつけられずに済んだ、て可能性も考えられるわけだ
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/archives/1262165480/

335 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/21(木) 21:07:55 ID:???

正直、丘崎が本当にどんな生活をしていたのか想像するしかないんだけど、
小学校に上がる前あたりまでは、無邪気に皆と遊んでたんじゃないかな
小学生になり、少しずつ社会性が出てくるあたりから徐々に友人が離れて行き、
自らも自覚が生まれ、周囲との壁が年々厚くなっていったんじゃないかな
他人と話すのも苦手だったようだから、当然、彼女なんていないと思う

そう思うと、丘崎にとっての風俗は、通常の男性の性欲処理とは異なってくる
初めて自分に触れてくれ、話を聞いてくれ、笑顔を見せてくれる人がいる場所がソープ
つまり丘崎はそこで恋人、友人、仲間に会ってたような感覚だったんじゃないか、と
たとえ金銭が絡もうと、その時自分の欲するものが全てあったのが風俗だったように思う

丘崎は風俗からすぐには自宅に帰らず、しばらく車中で時間を過ごしたようだけど、
それが人生で一番平和で充実した、唯一の穏やかな時間だったとするならば、
その時にたまたま通りがかった被害者には、幸福感に包まれたまま声をかけたんじゃないかな

で、被害者の態度で最悪で最低な日常を残酷に突きつけられてしまう
不幸なことに、少女は差別や悲惨な生活、惨めな自分を象徴するアイテムになってしまった、と

336 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/10/21(木) 21:44:11 ID:zn/McJqG [1/1回発言]

何となく平和的でイイ気分の時に被害者に無視されてかなりショックだったんだろうな。
顔見知りだし、以前は屈託なく言葉を交わしていた被害者に無視されたことが。


893 : 名無しさん@お腹いっぱい。: 2010/12/15(水) 22:31:59 ID:StAqrXdb [2/2回発言]

丘崎の人生で幸せと感じたのはソープでのほんのひと時だけだろうね

それ以外で幸せな時間はなかったのだろうな

惨めだったろうな
http://mimizun.com/log/2ch/archives/1262165480/l100

 


9. 中川隆[7623] koaQ7Jey 2017年4月09日 21:57:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8110]

2009年4月7日 ● 部落問題 - 東海アマのブログ

筆者は中学生の頃から社会問題に関心を抱き、さまざまな集会や催し物に顔を出し、高校でも社会科学研究会に所属して熱心に取り組んだ。高校一年頃から、ベトナム反戦デモに参加し、日中友好協会(正統本部)に出入りしたりしていた。

 部落解放同盟や日朝友好協会などにも出向いたが、そこにいた人物の人相風体、雰囲気が非常に悪く、足が竦んでかかわる意欲を持てなかった。あの団体は、人間解放の目的ではなく利権目的であると、なんとなく分かったものだ。

 社会問題に強い関心を抱いた大きな理由は、筆者の住む名古屋市中村区が問題の多い被差別地域だったからだ。

 今でも、名古屋駅から徒歩10〜20分という絶好の条件でありながら、居住地として異様な不人気で、土地の値段も東部に比べて信じられないほど安いという背景は、歴史的な差別問題と切り離して考えるわけにはいかない。

 といっても、その事情を詳しく知っている者はほとんどいないが、通った中学校では、ケンカをしたときの蔑称として「エタ」とか「四つ」という言葉が飛び交っていた。筆者も、よく「エタ」と罵られたものだ。

 それが何を意味するか、当初はちんぷんかんぷんだったが、やがて、驚くほど深く激しい差別の歴史を知るようになり、部落問題というのは日本社会の根底で、物凄く大きな意味があるのではないか、と思うようになった。

 江戸時代、社会の最底辺で残酷な弾圧処刑を行う権力への怒りを、直接処刑役を強要されていた「穢多」に向けることで、矛先がすり替えられる卑劣な支配体制が敷かれていた。

 明治政府が徴兵・納税の平等のため身分差別を撤廃し、「平民解放令」が出てからも、民衆の心の底に淀んだ差別観念が消えることはなく、むしろ潜行して、ときに激しく燃え上がった。
 
 政府は、こうした差別観念に対して、真正面から、その誤りを議論させるのではなく、ただ「見ざる、言わざる、聞かざる」の「臭いモノにフタ」という隠蔽政策をとった。

 このことで部落問題は、逆に本質的解決が遠のいてしまい、人々の心の底に呪われた澱として残ることになった。

 差別観念こそ、実は日本社会が分け隔てのない人情社会を見失い、「自分は選ばれた人間だ」という逆の選別意識を産み出し、社会の構造的悪化をもたらした本質であることに気づかねばならない。日本の学歴エリートへのおぞましい羨望は、実は、こうした差別意識が担保したものだったと誰が指摘してきただろうか?

 今こそ、我々は差別の呪縛から解き放たれ、逆に、エリート意識、選抜主義の愚かさに気づくべき時代がやってきたと認識すべきである。

 「優秀な人」など幻想にすぎず、実際には何の価値もないこと、「穢多・部落民」は差別されるべき何の理由も存在しないことを明確にすべきであり、これは真正面から隠さずに取り上げるべきなのである。

 今の50歳以下の人たちで差別事情を知る人は少ない。すでに、かつてのような壬申戸籍や部落総監などは消え、ワープロの変換用語からさえ、穢多・非人・部落などの文字が消されているのが実情だ。ただ同和という言葉のなかに歴史的な片鱗が残されているわけだが、それすら意味を理解している人は少ないだろう。

 だが、部落問題は隠され続けたが故に、解決したわけではなく、むしろ陰湿に潜行しているのが実情だ。また、地名や文化にまつわる負の遺産、事情を教えないことで、地域社会に対する民俗学的理解も異様な抑圧を受けているのである。


 何があったのか?

 例えば、筆者の子供時代、1970年頃までは、岡林信康の「チューリップのアップリケ」で歌われたような結婚の悲劇などはザラというより常識であって、その差別感覚は広く国民に浸透し、部落民とレッテルを貼られたなら、結婚はおろか、まともな就職さえできなかった。とりわけ役所・銀行・大企業は、出身地を調査し、それが部落総監に記載されているなら絶対に採用しなかった。

 その差別が、どれほど広範で、深刻、激烈なものだったか、ほとんどの人が陰湿な差別を知らなくなった今こそ、再び陽光に晒すべきなのだ。

 部落の地名なども隠蔽され、それを公開するならば激しい非難が浴びせられた。だが、それは間違っている。隠せば問題が解決するわけではない。潜行するだけなのである。その証拠に、最近、再び、2ちゃんなどでエタ呼ばわりが拡大している風潮がある。

 
 また、大本・天理・黒住など江戸末期〜明治の近代宗教発祥地は、すべて峻烈な部落差別地域と重なっている。

また創価学会も朝鮮籍の成田作によって巨大化した。今でも在日者の熱烈な信仰を集めている。これは、差別がどれほど人々の心に重い悲しみを与え、救いを求めていたかを示すものなのだ。

 差別が現実の世界で解決されないものならば、人は心の世界で解決し、幻想や虚構に委ねようとする。差別を直視せず隠蔽している限り、人々の心の傷は永遠に癒えることはなく、いつまでも宗教や金儲け、権力など幻想の世界に逃避するしかないのである。

 そして、差別の主役であったはずの権力世界にすら、深刻な影響を及ぼしている。

 小泉純一郎は父親が在日朝鮮人であり、竹中平蔵・野中広努は部落民出身であった。

こうした出身は、かつて絶対に上層部に行くことができなかった。だから能力のある者は外国に向かったのである。そして、都合よく権力を獲得すると、今度は被差別の怨念が、国家への復讐という形で現れたのかもしれない。

 彼らの行ったことも差別の解決ではなく、金儲け思想への逃避であり、国民全体を金融幻想に巻き込み、日本国家そのものを破滅に追いやることになった。やはり心底では、自分たちをひどい目に遭わせた差別国家に復讐したかったにちがいない。

 被差別地域の特徴は、地理的に好条件でありながら、高度経済成長期でさえなぜか開発が行われなかったという特徴がある。それは差別者が作った「部落地名総監」(帝国興信所)に記載されていたからだ。


 江戸期に穢多部落が固定されたとき、為政者は風水上の理由から、城の南西に処刑場を設置した。

だから基本的には、全国の主要な城の南西に深刻な差別地域が存在している。

筆者の育った名古屋市中村区でも、城の四里南西であり、深刻な差別に溢れていた。

 これまで隠されてきた事実に真正面から光をあてて直視することこそ解決への真の道程であると筆者は考える。隠蔽は百害あって一理なしだ。

「部落であったことが分かれば土地の値段が下がる」という経済的理由での隠蔽が多かったが、これも決して隠しおおせるものではなく、逆に風評を深刻化させるだけなのである。


 学区に大門という旧赤線歓楽街を抱えていた小・中学では、部落問題よりもヤクザ問題の方がはるかに深刻で、被差別問題が話題になることは、それほど多くなかった。

 しかし、区内にある烏森(カラスの舞う森→処刑場)・万場(ヨロズ場→死体処理)・八田(毛皮を張る田→肉加工)という地名から分かるように、中村区周辺に被差別の深刻な歴史が隠されていた。おおむね食肉・毛皮加工業者の集まる地域は関係が深い。

 名古屋周辺では、甚目寺町が尾張藩最大の未解放集落で、筆者の育った中村区の他、千種区王子地区(市営団地になった)や、牧野・笹島地区などがあった。ここでは主に牛馬解体・毛皮・馬具・皮革・肥料製造が行われていた。

 この地域の宗派は曹同宗が多く、部落民の檀家には戒名に獣の字を入れるという悪質な差別行為を続けてきた。(牛捕院乳起信士のように)筆者の姉が曹同宗の古刹に嫁入りしているが、禅宗は、元々、武家の帰依が多いことから差別意識の非常に強い伝統があるようだ。

 筆者の子供の頃、人を侮蔑する最大の表現が「四つ」であり、これは四足を意味し、すなわち江戸時代から牛馬解体などに携わった被差別部落民に対する最悪の蔑称である。未解放部落は動物・畜生に関連してイメージつけられていた。

 こうした「四つ」という侮蔑用語について、中部圏に住む現在の40〜70歳の人たちにとって重く陰湿な記憶がある。80歳以上では徴兵制があったため、むしろ同情心が強い。

 少し社会の本質を観察してきた人なら、差別の本質は、社会的な身分差別制度、階級分化によって、上から下への一方的な服従を強いられ、この屈辱感、悔しさを、上に対して反発できない人は、何の罪もない下の人たちに向けて憂さを晴らすというメカニズムに気づいているはずだ。

 例えば、一家の父親が、会社で上司から理不尽なパワハラを受けて鬱憤を貯めて帰宅するとしよう。

 父親は帰宅後、憤懣が収まらず、母親に向けて発散しようとする。従順な母親は、理不尽な夫の怒りを受け止めきれず、やはり不満を心に貯める。今度は、それを我が子に向けて発散しようとする。子供も、なんで母親が怒っているのか理解もできず、憤懣が募り、今度は飼犬に向けて当たり散らす。

 飼犬も怒られた理由が分からずストレスを貯めて、今度はネコや別の犬や、生物に対して当たり散らすのである。こうして父親の憤懣が、家族や地域全体に拡大再生産されてゆくメカニズムが存在している。

 部落差別の本質も、このメカニズムから一歩も外れることのない単純素朴なものだ。

 かつて日本は激しい差別社会であった。おそらく、それは朝鮮百済王国の差別制度がそのまま日本に持ち込まれ、別の発展を遂げたものであろう。

 支配階級が機能するためには、対極底辺に被差別階級が必要なのである。

士農工商の身分差別では、農民の憤懣のやり場がないために、さらに、その下に穢多・非人階層を必要とした。処刑や汚穢処理を強要し、「汚れた人」というイメージを作り出し、権力に対する理不尽の怒りを彼らへの蔑視にすり替えていったのである。

 しかし、それでは穢多部落民は、憤懣のやり場をどこに持ってゆけばよいのか?

 それも、ちゃんと考えられていた。

人でない非人たちには納税義務はなく、このため江戸時代、もっとも裕福な階層こそ穢多だったのだ。

 全国穢多総差配であった弾左衛門屋敷は浅草〜吉原の広大な敷地にあり、内部における豪華さは将軍家以上とも謳われたものであり、そこには京都の貧乏公家から特級美女ばかりが買われてきていた。

 また全国の被差別集落の名主たちの裕福さも目を見張るものであり、江戸期を通じて、もっとも貧しさから遠い階層であった。

さらに、牛馬解体を一手に引き受け、鎌倉仏教による肉食禁止のタンパク質不足のなかで、唯一恵まれた供給源があった。

 そして処刑業務委託から、実は凄腕の武人揃いだったともいわれる。

今の大相撲理事長もそうだし、江戸末期の著名な剣豪も部落出身者が多い。

有名なところでは近藤勇・沖田総司・斉藤弥九郎などだ。

力道山や大山枡達も在日朝鮮人であった。

 被差別者こそ、実はいつの時代、どの社会でも、もっとも強大な実力を備えるのである。

 部落差別問題は、隠蔽された結果、潜行し、忘れ去られたかもしれないが、実はまったく解決されていない。思い出される機会があれば、必ず復活するのである。

 だからこそ、2ちゃんで差別用語が飛び交い、軽薄な気分で人を侮蔑する風潮の拡大している現在、まさに真正面から取り組む必要が出てきていると考える。

 差別システムこそは、国家権力の生命線である。「人の上に人を置けば、人の下に人を置かねばならない」のである。

今の日本社会でも、かつて穢多だった被差別階層が、今度は犯罪者、オチこぼれ階層に代わってきている。

 日本は、社会の底辺に新たな穢多階層を産み出そうとしているのであり、それは、学歴体制のオチこぼれであり、貧しい派遣労働者の階層なのである。

 今、穢多非人の歴史を見つめることにより、これから、彼らが新たな穢多として固定してゆくメカニズムを指摘し、それを根底的に断固として阻止する必要がある。

コメント


はじめまして、東海アマさん。私は中村区に在住している者です。

以前にも中村区内の集落(用水に沿った所)について被差別部落だと書かれてありましたが、それはどういう根拠に基づいたのですか?

私はその場所から東に少し行った所に住んでますが部落とは聞いておりません。昔、三昧があったからですか?

それと刑場はどこにあったのですか?

そんな話も聞いておりません。烏森という地名だけで刑場があったと判断されておりませんか?

どの本を見ても刑場があったとは書かれておりません。あの場所を被差別部落とする根拠、中村区に被差別部落が多いという根拠を教えていただけませんか?
2010/5/16(日) 午後 9:56 [ 中村区在住者 ]

本当に知りませんか? それだけ隠蔽が進んでいるということですね
あの近所に住んでいた者なら常識ですが しかし、勝手な曲解が多いので、この件についてはコメントしません 自分で調べてください
2010/5/17(月) 午後 9:50 [ - ]

なお私が調査した1970年頃には図書館にデータが残されていましたが、1990年頃、同和対策が国家的に進んでから完全な隠蔽路線に向かい、そうした類の文献は、すべて始末処分されているようです
簡単に入手するのは不可能でしょう 土地の古老に聞いてみてください
2010/5/17(月) 午後 9:53 [ - ]

うーん、難しい問題であるので自分で調べるにしても限界がありますね。
ちなみに私の親は地元のT中を卒業しておりますが、一切部落の話を聞いてないと言っておりますが。隠しているようにも思えないので単に知らないだけかもしれません。

いずれにせよ、歴史を知りたい気持ちはありますが難しい問題なのでうかつに行動できないのもまた事実です。私の住む中村区が貴殿の申す部落地区であることに、その根拠が何なのか疑問に思いメールさせていただきました。
文献が処分されているのであれば貴殿の申すように地元の古老に聞くしかありませんね。
2010/5/17(月) 午後 10:37 [ 中村区在住者 ]

私も日吉・豊国組です
ヒントは、江戸時代風水思想による、城の南西2〜4里に処刑場や汚穢処理場 牛馬解体場を設置しました
これは全国の城下町、すべて同様です

多くの場合、処刑場や牛馬解体場ではカラスが繁殖し、カラスを意味する地名が付くことが多い 鈴ヶ森なんかも同じです

穢多非人は処刑人など処刑場関連の世話を強要された
そうした未解放部落の近くに処刑場があった
部落は用水を必要とした
その名残は、皮革産業 肥料産業 食肉産業などで現在にも残っている

とりわけ皮革食肉業界の大半は、同和事業で優遇されてきた
食肉会社が暴力団と結託して問題を起こすことが多いのは同和との関連
2010/5/18(火) 午前 6:02 [ - ]

ちなみに私は部落在日差別者ではありません その正反対です
高校生の頃、部落解放同盟や朝鮮総連に行って活動を志しましたが、いずれも政治的姿勢ではなく、明らかな利権の巣窟であり、運営者が暴力団絡みであったことを知って参加をやめました
2010/5/18(火) 午前 6:04 [ - ]

ということは、用水沿いの集落は戦前以前からあった、ということですよね?

以前私が地元に住む人からこの集落について聞いたのは、戦後在日の人たちがその地に移り住んだのでは、とのことでした。この場所に限らず駅西や庄内川堤防にも移り住んだときいております。

ですから、昔からの集落ではなく戦後できた集落であるという認識を私は持っておりました。しかしながら、すぐ目の前に柳街道、南には佐屋街道が走るという交通の要所でもあり、また名駅開発時には周辺住民を他市へ移動させたとの記録、江戸期における古地図では中学近くで何かを塗り潰した痕跡もみられ、貴殿のおっしゃる差別につながる何らかの歴史的背景があったのかもしれません。
2010/5/18(火) 午後 7:28 [ 中村区在住者 ]

私が学生時代の頃、バイト先で用水沿いに住む同年代の人と一緒に働いたことがありました。特に問題もなく職場で差別もなかったはずです。
中学でも、私同様知らない人ばかりなのか差別などなかったです。
ちなみに親は当時日吉ではなく隣のS学区だったので地元について貴殿ほど詳しくないように思われます。
歴史背景や被差別部落とする根拠は完璧とは言えませんが少し理解できたとおもいます。
2010/5/18(火) 午後 7:39 [ 中村区在住者 ]

差別を克服するために大切な姿勢は、決して臆病に隠蔽することではありません
すべてを明らかにし、真正面から戦うことです
勇気がなければ克服などできるはずはない 臆病者は隠蔽するばかり
2010/5/21(金) 午後 9:04 [ - ]


4か所で地元老人に聞き取りを行いました。

用水反対側、T中及びk中近く、K通りを渡った所ですがいずれも地元で話題が話題だけに一部の人しか聞けておりません。

結論は、地元で刑場の話は聞いたことない、火葬場なら小学校近くにあったが、とのことでした。

江戸期の古地図でもK通り沿いには住んだ形跡がなく、集落も限られていました。

これが限界でしょうかね、地元民としては。結局、闇に包まれたままです。
現在緑地公園化された場所がそうなのかもしれませんが、現在差別がないのであれば静観するしかないのでしょうか?
ただ真実が知りたいだけなのですが・・・
2010/5/22(土) 午前 1:53 [ 中村区在住者 ]

40年ほど前に確認した江戸時代の地図では、現在の黄金駅から黄金中学校にかけての地域に明らかに意図的に忌避された空白があり、ここが処刑場だったようです

ちなみに実家の敷地内には三カ所の祠があって、処刑者のものだったと指摘した人物がいました

烏森駅付近だったと指摘する人もいます
しかし、こうした古い情報を同和対策法に基づいて資料を隠蔽してしまったため、今では探すことの困難です

要点は、米野や烏森など古い明瞭な集落があったが、なぜか地図に載らない古い集落もあった不自然に記述のない広い地域がある

そこには普通に存在すべき寺社すらなく、畑地の記録さえない

コーミソースとトヨクニ中学、黄金中学、黄金駅などに囲まれた地域はこの意味で不可解です
朝日文左衛門の鸚鵡記を見ると、ますます謎が深まります
2010/5/23(日) 午前 10:53 [ - ]

なお古老といっても、私の実父が90才ですが、ほとんど知りませんよ

55年前に当地に移住 それより古い戦前の情報を知っている人は、すでにほとんどいません
J病院近く用水沿い集落は、私がいたとき、まだ実存していて、通る度にうまそうなホルモンの臭いが漂っていました
服部の畜産施設は、すべて名残です

それでも戦前の、こうした事実を知る古老がどこかに必ずいるはずです
角割町付近がよいと思います
熊野町や京田町は、すべて、この半世紀の移住者ですから、まるでダメです
米野でも良いかも
2010/5/23(日) 午前 11:00 [ - ]


やはり処刑場は存在したのですね。

私も江戸時代の古地図で確認しましたが、明らかに塗り潰した個所があり、貴殿のご指摘する箇所と一致します。

私はあるとすれば米野か烏森の街道近くかな、と思っておりました。
貴殿を疑っていたわけではありませんが、今までの数多くの失礼な発言をお許し下さい。
2010/5/23(日) 午後 9:07 [ 中村区在住者 ]

貴殿からご指摘のあった町名はおっしゃるとおり、移住者が中心の町で聞き取りの際にそれがよく分かりました。
用水沿いの集落は親が子供の当時とあまり変化がなく、廃品回収されてる人もなかにはいます。独特な雰囲気はまだありますが、地元で差別する人も減り今後変化が期待されます。

私も差別は反対です。しかし歴史を隠匿するやり方には同意できません。過去を暴くのと歴史を解明するのでは意味が違うのです。
2010/5/23(日) 午後 9:23 [ 中村区在住者 ]

烏森という地名が差別の根拠だったとするなら
東京の新橋にある烏森も同じように差別のあった地域ということなのですか?
2011/5/7(土) 午前 7:46 [ とおりすがった人 ]

昭和20年代〜30年代の名古屋生まれの名古屋育ちの人に話を聞いてごらん。
あなた知りたい区名、町名、そこもどこの並びからそういうふうだったか、事細かに教えてくれますよ
2012/9/11(火) 午後 6:35 [ ななし ]

日教組じじぃか?中華北京に洗脳された、ウォーギルトインフォメーションプログラムの延長かい?
2015/10/25(日) 午後 5:23 [ お疲れさん ]
http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/320276.html

2009年4月8日 ● 続 部落問題 - 東海アマのブログ


近藤勇や沖田総司が部落民と書いたら、異議が出たが、実は筆者も確実な証拠があるわけでなく、状況証拠による推理である。

 近藤の実家は調布飛行場内にあった宮川家だが、当時、飛行場などに接収される地域は容易な被差別集落が多かったことに加え、新撰組が奈良の被差別集落から剣士を公募していた事情があり、そうした人間関係を構築できたのは同じ出身だからと推理した。また後に大名を目指したコンプレックスの強さも傍証要素である。

 沖田は、白河藩士の子だが、養子であって出自は定かでない。当時、出身がどうであれ、素養・素質があれば養子縁組という手段での身分転換が広く普及しており、わずか8歳で近藤の元に出される事情は、被差別民のような非常に軽い身分からの養子であったことを示すと考える。斉藤弥九郎も同じで氷見の仏生寺村(弥助)を調べれば分かる。

 明確な証拠もなく断定的に書いたのは、筆者の問題であり軽薄であったかもしれない。以上訂正しておきたい。


 日本の部落差別制度は、どのように成立したのか? 

今では大きな謎だが、筆者は、朝鮮儒教における古代差別システムが百済王国の移住とともに、日本に持ち込まれたと推理している。

 古代朝鮮において、儒教体制における、カーストにも類似した非常に苛酷な差別制度があったことが知られている。百済王国では16階級もあり、さらに、それぞれ細分化された地位があった。

 秦の始皇帝の子孫を称する女真扶余族だったが、中華文明の影響を強烈に受けて、後に苛酷な形而上学を展開する李氏朝鮮の原型となる儒教的差別様式が、すでに完成していたと考えられ、科挙制度まであったことが、その証拠と考える。

 百済王国が日本に移住したのは1600〜1400年ほど前と考えられ、蘇我氏が百済重臣であったことは、すでに歴史学会の定説であろう。高松塚はじめ、ほとんどの古代遺跡に百済文化様式が明瞭に見えている。

 聖徳太子以降の天皇家、豪族支配下における民衆支配のシステムも、最初から明確な身分差別制度に貫かれている。ここでは長くなるので、興味があれば各自で調査されたい。

 日本史における古代賤民の記述は、遣隋使あたりには明瞭で、生口という奴隷が中国に献上されたことが有名である。当時、権力を持たない大衆は生口・奴卑であり、家畜としての扱い以外のものではなかった。それは王〜太夫階級権力者の所有財産にすぎなかった。

 部落差別制度の直接の創始は、おそらく大宝律令における賤民規定ではないかと考える研究者が多い。

 賤民身分が固定し、権力とともに強固に構築されるメカニズムは、「人の上に人を作れば、人の下に人が作られる」という原理によるものだ。

 すなわち、人の認識は「対立の統一」という思考法に規定されており、例えば、「明るい」という概念を理解するためには「暗い」という概念が同時に必要とされる。「光」は「闇」と共にでなければ決して認識されることはない。

 この意味で、天皇など頂点に君臨する支配階級を認めるためには、社会の最底辺にいる賤民と同時にでなければ人は認識できない仕組みを持っている。このため、高貴な天皇を作り出すためには、同時に卑しい賤民をも作らなければならないのである。

 最初に、「エライ人と卑しい人」概念の導入によって、人々は差別の存在を知る。そして、そのなかで自分の位置を表現しようするわけで、「自分がエライ人」であると認識するためには、自分の下に「卑しい人」を作り出す必要がある。

 このメカニズムによって、差別階級はどんどん細分化されてゆく仕組みをもっており、とりわけ差別思想の大好きな儒教社会では階級細分化が進んだ。

 例えば、李氏朝鮮にあっては、基本は良民・賤民の分化でありながら、やがて両班・中人・常民・賤民と分化し、さらに賤民だけで8種類と細分化されて、全部で30を超す身分差別体系が成立してゆく。

 こうした差別思想は現代にも引き継がれていて、北朝鮮では現在54階級の差別体系が生きているとされる。ちなみに、やはり差別の大好きな特権階級クラブであるフリーメーソンでは33階級あり、上流階級になる気分も大変だと分かる。

 このなかで、李氏差別体系のなかで現代にまで生きる白丁(ペクチョン)階級と、日本の穢多・非人階級の類似性が指摘されている。

 いずれも社会の最底辺で、家畜解体・汚穢処理・皮革処理・処刑などに携わることを強要され、社会全体の憎しみを直接浴びる立場で、権力者を守る防波堤にさせられていた。

 処刑を命令する両班・武家階級は、公開処刑において、民衆を直接殺す役割を白丁・穢多にしておくことで憎悪が彼らに向かうわけであり、怒りの矛先を直接浴びずにすむことになったわけで、権力維持の大切なシステムであったことがわかる。

 例えば、1950年前後に、韓国政府が120万人の自国民を大量虐殺した保導連盟事件では、おそらく白丁階級が直接の殺害に当たらせられたことで、民衆の憎悪を浴びて政府批判の緩衝となった。白丁階級に対する差別意識は激化し、事実を明らかにすることもできず沈黙が続いたことで、この事件が闇に葬られる原因になったと考えられる。

 江戸期から明治中期までは権力による処刑は基本的に見せしめのため公開されていて、その直接の殺害役を部落民が強要されていたという事実が、民衆の怒りの矛先を、どれほど部落民にすり替えさせ、歴史的な蔑視感情を醸成するのに役立ったか、誰にでも分かるはずだが、多くの人たちは理性よりも目先の感情に依存するものであり、このことにより、部落差別の恐ろしいほどに深刻な実態が形成されていったのである。


 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」

 「ありゃー、ありゃー」と、犠牲者に槍を突き立てる穢多に対する憎悪は、凄まじい怨念として民衆の心の底に沈殿していった。このことで、穢多集落に対する偏見と憎悪が累積し、一切のコミュニケーションは閉ざされ、部落は陸の孤島となった。

 そして、彼らの住む地域そのものに対する憎悪まで醸成されていった。それが「部落地名総鑑」という本になり、そこに掲載された地域は、例え、商業的価値がどれほど有利であろうと顧みられず、異様に安い値で取引されても、それでも住みたがる人は少ない。

 筆者は、そうした土地で育った。その中心地では、歴史的に死弊家畜解体を穢多だけに許された事情から食肉文化が発展し、いつも美味しそうなホルモンの臭いが漂っていた。いっておくが、現在の超人気、焼肉ホルモン食文化は、まさしく被差別部落由来である。部落の人たちに感謝する気持ちがない者は、食べる資格などない。

 関東では浅草に将軍家より豪華な弾左衛門屋敷があり、隅田川沿いに大規模な汚穢処理場が広がっていた。江戸住民の、あらゆる汚穢は、すべて現在の立石〜千住界隈の屎尿処理田に集められ、数年間も腐熟させて、素晴らしい肥料となり、江戸庶民の食生活を支えたのである。

 被差別部落の果たした役割は、まさしく3K仕事(汚い、きつい、嫌われる)であり、民衆の忌み嫌う仕事を一手に引き受けて人々の生活を底辺で支え続けたのである。

 その代償は、徹底的な差別であり侮蔑であった。だが、今、我々の生活で、ゴミ屎尿処理、肥料製造などの仕事を蔑視でもしようものなら、たちどころに凄まじい汚穢のなかに住むことになる。我々は、そうした仕事を引き受けてくれている人たちに、心から感謝の念を抱かねばならない。

 それとともに、歴史的に庶民の生活を底辺で支え続けた未解放集落の人たちに対する評価を根底から改める必要がある。

 今、我々が、ここに生きていられるのも、彼らの辛い仕事の積み重ねのおかげである。今こそ、穢多階級が、どれほど素晴らしい仕事を続けてくれたのか、民衆を文句も言わずに支えてくれたのか、心の底から感謝の気持ちをこめて問い直さねばならないのだ。

 人間が生きている以上、ウンコも出す、人も家畜も死ぬ、ゴミもたまる、そうした汚い処理仕事から顔を背けるならば、たちどころに我々の生活は行き詰まり、ひどいことになる。

 そんな人の嫌がる仕事を続けている人を蔑視するなど、とんでもない愚かな話であって、そんなヤツは、今後、クソ小便の始末も自分でやりやがれ、ゴミも自分で始末しろ! 人様の努力に世話になっておきながら、「四つ」とか蔑称をつけて差別するとはなにごとだ!

 これまで、少しでも、そうした仕事を軽蔑した人は、たった今からでも、彼らに土下座して詫びよ!

 ネットで検索すると、面白半分で、被差別集落について侮蔑感丸出しで書き込んでいるゴミ、阿呆が後を絶たないが、社会の最底辺の人たちこそ本当に社会を支えてくれる聖人なのだと理解できないクズであり馬鹿野郎どもだ。とっとと失せろ!

 しかしながら、とりわけ戦後、民主主義教育の名の下で、部落問題を真正面から議論せずに「臭いモノにフタ」の愚かな対応を行って、事実を隠蔽しまくったツケにより、部落問題は深く潜行してしまい、今では同和対策事業がヤクザの資金源になったり、未解放部落がヤクザ、非合法活動の温床になったりと、負の遺産が蓄積されてしまっている。

 我々は、今からでも、部落問題を真正面から取り上げ、何一つ隠さず、正々堂々と議論する必要があるのだ。


 とりわけ、畜産食肉事業に、同和対策の闇が構築されてしまっている。

 例えば、ハンナン・フジチク・丸明など食肉偽装詐欺問題は、ほとんどすべて同和利権問題であり、それが意図的に隠蔽されてきた問題である故に、闇に光が差し込みづらかったのである。

 すなわち、警察もマスコミも、同和事業に介入しようとすれば、部落解放同盟(今では暴力団幹部に占拠されている)がたちどころに猛烈な抗議を行うことで聖域化している事情があり、これを利用して暴力団が行政からカネをせびり、脱税など非合法工作や食肉偽装の温床となっている。

 この文章も、いずれ抗議や嫌がらせを受けるかもしれないが、そのときは真正面から対決するつもりだ。

 同和事業では嫌がらせが奥の手になってしまっている。筆者が、山本ゲーゲーという人物から10年以上にわたって嫌がらせを受けている事情はすでに書いた。ゲーゲーは筆者のことを「エタ」とメールに書いていた。

 そこで調べて見ると、彼こそは被差別集落のなかに育った重度障害者であり、彼が他人への嫌がらせを生き甲斐にしている事情が、部落問題と無関係でないと分かってきた。

 これ以上、具体的に書くわけにはいかないが、だいたい想像していただきたい。

 部落問題を考える上で、一番大切な視点は、日本の未解放部落こそ、日本でもっとも底辺でありながら、人々の生活を真に支える大切な仕事をしてくれてきた人たちということだ。その彼らを差別するような了見は、あまりに愚かである。ただ、部落問題が、日本における食肉・畜産そして狩猟の問題と密接に結びつき、深刻な事情が潜在していることを指摘しておく。
http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/331372.html

手紙 岡林信康(放送禁止歌) 
https://www.youtube.com/watch?v=jLYY-tClxH0


手紙


岡林信康 作詞/作曲

私の好きな みつるさんが
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの


私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人はいっしょに なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だからすべて 彼にあげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても


だけどお父さん お母さん
私は二度と 恋はしない
部落に生まれた そのことの
どこが悪い どこがちがう
暗い手紙に なりました
だけど私は 書きたかった
だけど私は 書きたかった
http://www.fukuchan.ac/music/j-folk1/tegami.html


被差別部落の女性の遺書がベースになっているといわれ、部落差別を正面から取り上げた­超A級の名曲ですが、各メディアが放送を自粛したためか、ほとんどメディアで流される­ことがなかった作品でした。

私にとっては、差別問題というものをほとんど知らなかった少年時代に衝撃とともに聴い­た記憶があり、戦争の愚かさを心にしみこませてくれたのが、フォークルの「イムジン河­」だったなら、様々な差別問題について、そして人の心に宿る悲しい闇について考える最­も大きなきっかけをくれた歌は、この「手紙」だったように思います。

当時、そうした歌がそれぞれ放送されることがほとんどないという異様な扱いを受けてい­たわけですが、そのことがまた、これらの歌は世の中の真実、歪みを正面から逃げずに歌­っていたのだ、と感じさせてくれるようです。
https://www.youtube.com/watch?v=lPuv06Rsd8g


日本・部落史 by 東海アマ


* 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 @take1only 岡林信康の「手紙」は、完全な実話です。この手紙は遺書でした。

彼女が自殺されてから岡林は歌詞に改編したのです。
だから、真実だけが持つ凄まじい力が私たちの心を殴り倒すのです」


 * 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 名曲中の名曲「手紙」を決して世に出さなかったマスコミ。もちろん朝日新聞も同じです。

本当の理由は、当時、彼らマスコミが人事採用に壬申戸籍(部落名鑑)を利用し橋下徹のような部落地域出身者を絶対に採用しない事実を曝露されたくなかったのです。「部落」は禁句となりフタをして隠されました」


 手紙、チューリップのアップリケ、どちらも、岡林ソングの中では、私が絶対にパスする歌です。絶対に、二度と聞きたくない歌です。

 以前これらを耳にしたのは、もう40年も前です。

 その頃、岡林のアルバムを2枚、買いました。『見る前に飛べ』と、『おいらいち抜けた』でした。どちらも、すぐに「欲しい」という友人にくれてやりました。

 90年代に、久しぶりに「ペンノリ」の歌が入っているCDを買いました。これは、全体的に良い歌が集まっていました。

 しかし、そうでしたか、私が、一度耳にしただけで、もう絶対に聞きたくない、と思ったのは、「部落ソング」だったのですか。

 今でも、絶対に聞きたくありません。

 いかに岡林ソングであろうと、私は、死ぬまで絶対に聞かないでしょう。

 暗すぎます。

 あんな暗さで、人生が生きていけるはずがない、と私は思いました。

 その一方には、加山雄三の、潮風の匂いに満ちた甘い湘南サウンドがあるのに、なんでわざわざあんな暗い歌を聞かなくてはいけないのか。

 当時、私はそう思ったものでした。「白い砂の少女」「アイ・フィール・ソー・ファイン」。この世界には、ビューティフルなものがあります。

 しかし、好き嫌いの次元ではなく、それが日々の現実の生活だった人がいたとは。

 いや、歌というのは、現実の生活を前提にして生まれてくるものですから、そのような生活を送っている人がいるだろうことは察しられましたが、私は関わりたくないと思いました。

 今でもそうです。

 「部落」とはなんぞや? 私には、永久(とこしえ)に関係のないもの。

 個人的・私的にはそう思いますが、しかし、律令理性論から見ると、東海アマさんがつぶやく「日本・部落史」は面白いです。

 * 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 日本中で部落差別問題が激しく人々を傷つけた地域は、必ず百済から渡来した秦氏の進出地域でした。京都大阪の間には見えない民族の塀が立ち塞がっています。奈良や岡山でも同じです。関東でもそうでした。

そこには特権階級秦氏による差別システムが成立していたのです。日本に「白丁」を持ち込んだ秦氏」

 * 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 @YUKARING1222 一度、西日本の差別の史跡を旅してごらんなさい。水平社や解放同盟に行ってみるのもいい。まずは島崎藤村の破戒を読んでごらんなさい。
同和関係者は暴力団ばかりなので幻滅しないでね」

 * 「私のニセモノに注意?@tokaiama
 @tetsuyan1112 かもしれないが、分かりません。それより、秦氏の進出した地域に不思議なことに原子力施設ができるのです。福島も六カ所も泊も。

島津氏も秦氏でした。西郷が朝鮮白丁に憤激して征韓論を主張したのも島津氏の差別と関係があると思っています」
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/11495


10. 中川隆[7624] koaQ7Jey 2017年4月09日 22:01:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8111]

第27題 「白丁」考

「白丁」とは?

 在日朝鮮人たちと部落問題について話し合う機会があると、必ずといっていいほど言われることが「私らはあの人たちと違う」である。

 確かにその歴史的経緯が違うし、その在り様も違う。第一に一方は日本人なのに、他方は朝鮮人だ。その違いは明らかだが、日本社会ではともに差別される存在として同様視されている。今なお日本人の結婚の際になされる差別発言は「部落と朝鮮はダメだ」であり、私自身もよく耳にしたものだ。しかし、なぜ在日朝鮮人たちは被差別部落との違いを強調するのか。それはどうやら朝鮮社会にある「白丁」差別と関係があるらしいと思うようになった。

 「白丁」というのは日本の「穢多」と同様に、かつての中世朝鮮社会で畜獣の屠殺などの仕事に従事してきた被差別民で、職業のみならず結婚、住居、衣服までもが厳しく制限された。一九世紀の末に李氏朝鮮王朝のもとで、形のうえで身分解放が行なわれたが、「白丁」差別は厳存した。1923年、日本の水平社の結成に刺激されて衡平社を結成し、身分差別解放運動を果敢に闘った。しかし第二次大戦後(朝鮮独立後)は再び団結することはなかった。


 白丁は『韓日辞典』(高麗書林1972)では

「四っつ、えた、新平民、屠殺や柳行李などの製作を職業とした賎民」

と説明され、


『朝鮮語大辞典』(角川書店1986)では

「@(古い社会で)屠殺を本業とし柳行李づくりを副業としていた人(賎民)、

A牛・豚・犬などを屠殺すること(者)、

B人をののしっていう語」


と説明されている。


「白丁」の使われ方

 「白丁」━━その漢字を見れば、日本の「穢多」と違って差別的なものは全くない。しかし「ペッチョン」と朝鮮語読みをすれば、それは朝鮮人たちに独特の響きをもって聞こえてくるようだ。

 韓国から来た人で、同和地区のすぐ近くに住んでいた人と少し親しくなった。何気なく

「あそこは同和地区といって、韓国でいう『白丁(ペッチョン)』といわれている人たちが住んでいる。」

と言ったら、その人の顔が急に変わり、「すぐに引っ越さなくては」と言う。

その語気の激しさに、こっちがびっくりした。


 私はT市に住む在日朝鮮人のHさんの家に、同じく在日のS君らと一緒に訪れて写真を撮ったことがあった。

そこはいわゆる朝鮮部落で、古いバラック風の建物が並んであった。

S君は家に帰ってからその写真を家族に見せたら、家族の一人が

「なんや、ペッチョン部落やないか」

と言った、という話を聞いた。


 今は有名な事実として知られるようになったが、二十年以上前、北朝鮮が当時の韓国の朴正煕大統領を罵倒する言葉として「インガンペッチョン」(人間白丁)を使った。最初これを書いてあった雑誌を読んだとき、まさかいくら何でも社会主義国がそんな言葉を使うなんて、ウソ八百だろうと思ったのだが、事実であった。総連系の日本語パンフや新聞では、「人非人」「屠殺者」という表現であったと記憶するが、その原語は「ペッチョン」だったのである。


 これも雑誌に書いてあったものであるが、1980年の韓国全羅南道で起きた光州事件(市民と軍隊とが衝突し、200人近い死者が出た事件)の際、双方から「ペッチョンノム」(白丁野郎)という言葉が飛び交ったという。いろんな韓国人を知ると、こういうことには驚かなくなった。さもありなん、と思う。

今なお残る身分差別思想

 在日一世のお年寄りたちに日本語を教える教室をやっていた時、作文の練習として「あなたのお母さんはどんな人でしたか」というような質問に答える、という勉強をしたことがあった。その質問に

「あなたの家はヤンパン(両班━李氏朝鮮時代の支配階級)でしたか」

「チョッポ(族譜━系図のこと)はありますか」

というのを入れたのだが、ある一世が顔色を変えて

「こんなこと聞くもんやない。何も知らないからこんなことを書いたんやろうけど、こんなこと答えられるか。」

と怒った。

 その後、朝鮮の歴史を読んで、「白丁」には族譜がないことを知った。

またほとんどの朝鮮人は自分が両班出身だと考えており、そうでないと言ったら下層階級の者に見られてバカにされる、ということも知った。

尹学準著『歴史まみれの韓国』(亜紀書房)によれば、この両班意識は近代化に成功したはずの韓国においても、ほとんどの韓国人の意識に強く残っているという。あんな質問は、

「あなたの先祖は白丁ですか」

と聞くようなもので、朝鮮人には余りにも失礼だったのである。
朝鮮社会において今なお引きずる身分差別思想を垣間見た。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuunanadai

あなたは白丁(ペクチョン/ペッチョン)という言葉を知っていますか?


白丁とは朝鮮で最下位に位置する被差別民(穢多のようなもの)です。

白丁は人間ではないとされていました。殺しても罰されることはありませんでした。

彼らは本国で差別を受けまくり、泣く泣く日本に逃げて来たのです。

朝鮮では日本よりずっと身分への差別がすさまじいのです。現在でも続いています。

済州島は朝鮮における流刑地であり、最下層の地域で白丁が大量に住んでいました。

戦後も済州島四・三事件などで多数の済州島民が日本に来ました。

在日の多くはこの済州島の出身であり、つまり在日の殆どは白丁なのです。

朝鮮人を指すチョンという言葉がありますが、これも白丁からきています。

本国に帰っても日本より酷い差別を受けるだけ。彼らは帰ることが出来ません。

韓国の大学でも在日は白丁が移民したのだと教えられているそうです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1432737204

李氏朝鮮における白丁と賤民


高麗時代までの朝鮮では、白丁は中国、日本と同じく無位無冠の良民を指す言葉であった。

李氏朝鮮の時代に身分制度がさらに複雑化し、

国王、両班、中人、常人、賤民(=賤人)

に大別され、白丁は賤民の中の最下位に位置づけられた。

白丁は「백정」(ペクチョン/ ペッチョン)と呼び、七般公賤(官奴婢、妓生、官女、吏族、駅卒、獄卒、犯罪逃亡者)八般私賤(巫女、革履物の職人、使令:宮中音楽の演奏家、僧侶、才人:芸人、社堂:旅をしながら歌や踊りで生計をたてるグループ『男寺党』、挙史:女連れで歌・踊り・芸をする人、白丁)と言われた賤民(非自由民)のなかで最下位に位置する被差別民を指す言葉になった。

1423年、屠畜業者などに対する差別を緩和するために彼らを白丁と呼ぶようにした。だが良民は彼らを「新白丁」と呼びながら相変らず差別し続け、徐々に「白丁」は賤民のみを指す言葉になった。


起源については大別して神話説と北方異民族説と政治犯説などが唱えられている。

異民族説は高麗に帰化した中央アジア系の韃靼族が政治の混乱に乗じて略奪を繰り返したことや、低位の扱いを受けていた朝鮮族などが差別を受けるようになったのが白丁の起源であるとされているという説である。ほかに、杜門洞七二人忠臣たちの志操説、楊水尺から始まった説がある。


朝鮮半島で白丁が受けた身分差別は、以下のようなものである。


1.族譜を持つことの禁止。

2.屠畜、食肉商、皮革業、骨細工、柳細工(編笠、行李など)以外の職業に就くことの禁止。

3.常民との通婚の禁止。

4.日当たりのいい場所や高地に住むことの禁止。

5.瓦屋根を持つ家に住むことの禁止。

6.文字を知ること、学校へ行くことの禁止。

7.他の身分の者に敬語以外の言葉を使うことの禁止。

8.名前に仁、義、禮、智、信、忠、君の字を使うことの禁止。

9.姓を持つことの禁止。

10.公共の場に出入りすることの禁止。

11.葬式で棺桶を使うことの禁止。

12.結婚式で桶を使うことの禁止。

13.墓を常民より高い場所や日当たりの良い場所に作ることの禁止。

14.墓碑を建てることの禁止。

15.一般民の前で胸を張って歩くことの禁止。


これらの禁を破れば厳罰を受け、時にはリンチを受けて殺害された。
その場合、殺害犯はなんの罰も受けなかった。
白丁は人間ではないとされていたためである。


白丁は大抵、都市や村落の外の辺鄙な場所に集団で暮らし、食肉処理、製革業、柳器製作などを本業にしていた。

白丁と常民の結婚は許されておらず、居住地域も制限された。

また、高価な日常製品の使用も禁止されていた。

農業や商業に従事することは禁止されていたが、李氏朝鮮中期になるとこの規制は緩み、農業などに従事していた者もいたようである。

一方、国の管理に属さない化外の民であったため、戸籍を持たず税金や軍布(徴兵の代わりに収める布税)なども免除されていた。

奴婢が国により管理されていたのとは対照的である。

支出や行動が厳しく規制される反面、本業による手数料などを得ることができたことや、両班階級が財産を没収することすら忌み嫌ったため、李氏朝鮮時代に繰り返し行われていた庶民に対する過酷な財産徴収なども受けず、李氏朝鮮の中では唯一資本蓄積が可能な階級だったとも言われている。

李氏朝鮮の時には免賤と言われる白丁階級からの解放もあったが、滅多に行われなかった。

甲午農民戦争の時に農民軍は差別撤廃を主張したこともあった他、高宗時代の甲午改革の後、1894年に身分制度が廃止されながら白丁の身分も消えて国家官吏になる者も現れたが、差別は相変わらず残った。

1926年の朝鮮総督府の統計調査によると、当時の朝鮮半島の「白丁」とされていた階層は8211世帯、3万6809人にのぼる。

職業の内訳で最も多いのは獣肉販売業で27.8パーセント。

これに屠畜、製革、製靴など牛に関係する一連の職業をあわせると48.8パーセント。

農業が25.2パーセント。柳器製造が10.6パーセント。
飲食店や低級旅館の経営が5.8パーセントであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E4%B8%81


11. 中川隆[7625] koaQ7Jey 2017年4月09日 22:06:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8112]

2010年4月27日
なぜ芸能界に「在日」が多い?
 昔から公然の秘密として言われる「なぜ芸能人に在日コリアンが多い」かだ。
 なぜだかは薄々知っていたが、上手にまとめてあるサイトがある。

 「日の丸君の日記」
http://hinomarukun.com/

 の「芸能界には昔から公然の秘密として、在日コリアンが多い。

なぜだろうか。」というホームページがある。 ここでは、


 1「実力世界説」 2「芸能身分説」 3「暴力団関与説」の三点に分けている。

 この区分が一番わかり易いと思われることと、意見がほぼ一致するので整理しながら引用させていただく。

http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/04/26/13.jpg


 特に「芸能身分説」の項にあるが、在日コリアンの殆どが朝鮮半島では最下位層(奴隷)の白丁(ペクチョン)、広大(大道芸人)・男寺堂(放浪芸能)出身だということだ。

 当然のことだが在日コリアンは、自称・両班(貴族)階級が多い韓国民からも「白丁」(奴隷)とみられているという。

 これは日本人より階級制度の実情に明るいのだから仕方ないことだ。
 韓国民からすれば、在日コリアンは全員奴隷階級と思っているのだろう。

 生粋の朝鮮半島人が、日本人以上に在日コリアンを嫌う理由がここにある。
 そして、「在日」が戦後帰国しなかった最大の理由もこれだと言う。

 白丁(ペクチョン)は帰国して、元の階級に戻るのはイヤだと思っただろうし、
 それより、差別の少ない日本で威張り散らしていたほうが楽と思ったことや

 密入国者だった(殆どが密入国と言われている)

 本貫(日本の戸籍のようなもの)が奴隷なのでない、

 徴兵制度から逃れたい。

 という、日本人には理解し難いいろんな理由があったようだ。

http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/04/26/min01_2.jpg


 朝鮮半島では、労働を貶める劣化儒教では、芸能関係者は白丁と並ぶ最低ランクの身分とされていた。

 白丁は、本来「白い服を着た人」のことで傘をかぶった姿を記録写真などで見ることが出来る。

 また最近の韓国ドラマ『テルン選手村』にも「白丁」という言葉が出てくる。

 韓国民の約四分の一は「白丁」だったといわれ、ドラマにも登場することは自然なことだ。「白丁」が登場するドラマは、「林巨正」、「白丁の娘」Min01_2、「茶母」、「張吉山」、「土地」は白丁が主人公で白丁の人生が題材らしい。

 よって、白丁と言っても差別とは言えないことを指摘しておく。
 朝鮮半島では、日常的用語だという。

 例えば「林巨正」の映画宣伝に、16世紀の朝鮮に実在した人物で、白丁と呼ばれる賎民階級の出身。 白丁は主に屠殺業に従事していた。

 波乱万丈の生涯を描いた歴史大作とある。 


 つまり在日コリアンの芸能人は、芸能という「遺伝子」DNAが、子、孫に引き継がれ、異国の地・日本で花開いたと見れば分かり易い。

 歌や踊りの能力は、見よう見まねもあるかも知れないが遺伝すると言われている。

 沖縄出身者の芸能人が多いことと、根底は同じと見ている。

 琉球王国でも、衣服や「ハチマチ」 の色などを定めた厳しい身分制度があった。
 中国や日本に気を遣いながら国を維持して来た琉球は、芸能で賓客をもてなす必要があったと言われている。

 なお歌手の和田アキ子は、1949年4月10日、大阪市東成区生まれ。本名は金福子(通名・金海福子(かねうみ ふくこ))で、父親は済州島から渡ってきた金基淑(金海基淑)氏、母親は慶尚南道からやってきた金海森子氏であるという。

 2005年週刊文春の取材に答えている。

 なお1968年、「和田アキ子」としてデビューするため、先に帰化した叔父の「和田忠浩(金和淑)」の籍に入って和田姓を名乗る。

 和田忠浩は「ミナミの帝王」のモデル。

 それから、済州島出身の二世ということは、両親は1948年に発生した済州島四・三事件からの難を逃れるために、日本に密入国したと推測される。

 この事件は韓国政府の「赤刈り」とも言われ、済州島民が大量虐殺されている。
 数年続いたという。

 当時、この島から日本に密入国した島民は5〜6万人とも言われている。

 そして大阪では鶴橋、東京では三河島にコミュニティーを作った。
 隠れ家だ。

 それから、済州島は朝鮮半島の流刑地であり、最下層の白丁が大量に住んだ島だ。

 韓国の大学でも、在日は白丁が移民したのだと教えており、よって、本国の朝鮮人は奴隷である在日朝鮮人と一緒にされるのを嫌がる。

 つまり、自分の出身国からも軽視されているのだ。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-fae1.html


在日 有名人 2011-03-29

土井たか子(李高順)
福島瑞穂(趙春花)
筑紫哲也(朴三壽)
佐高信(韓吉竜)
山田花子(金花子) 
原田泰造(金泰造)
安田成美(鄭成美)
マッハ文朱(李文朱)
大山倍達(尹泰植)
力道山(金信洛) 
岩城滉一(李光一)
ジョニー大倉(李雲煥)
田中麗奈(鄭麗奈)
都はるみ(李春美)
松任谷 由実(金 玉子) 
星野真里(李真里)
後藤真希(呉真希)
松宮貴至(生野巽)
沢田研二(李研二)
金子鎮宇(李珍宇)
安川正義(孫正義)
立原正秋(金胤奎)
布袋寅泰(混血)
吉川晃司(レコード会社発)
篠原涼子
中村あずさ
八代亜紀(琉球と半島の混血) 
浅野温子
池山隆寛
達川光男
金村義明(キムギミョン)
金本知憲
光山英和(この名字に倭人を知らん)
伊集院静
太平かつみ
神保美喜
杉原輝男
大原麗子
安原麗子(ex少女隊;やまとの歌謡曲タブーの韓国でオンステージって間違いなくその筋)
松本伊代(今後アイフルのCMに出てくるタレントは在日)
aiko(柳井愛子,父親は総聯地方幹部)
EPO(佐藤榮子)
MAIKO(栄舞子,ZONE)
MEGUMI(山野仁,仁でめぐみと読む) 
misono(神田美苑)
MIYU(長瀬美夕,ZONE)
Reina(宮内玲奈,MAX)
YOSHIKI(林佳樹,X-JAPAN)
YOU(松岡ユキコ)
YUKI(北村夕起,TRF)
赤井秀和
アンリ菅野(梅山静子)
いしだ壱成(星川一星,half)
いしのようこ(石野陽子)
石野真子
いっこく堂(玉城一石)
うつみ宮土理(井川三重子)
ウド鈴木(鈴木任紀)
ガクト(岡部学,混血)
加勢大周 
かたせ梨乃(杉田典子)
かとうれいこ(横尾房江)
川島直美
神田正輝
小西真奈美
島袋寛子(混血:沖縄・鮮人)
スガシカオ(菅止戈男)
すぎやまこういち(椙山浩一)
せんだみつお(中野光雄) 
つかこうへい(金原峰雄,金峰雄,)
つのだじろう
つんく♂(寺田光男)
トミーズ雅(北村雅英,母親・北村金子)
とよた真帆(青山真穂)
ドンドコドン山口
名高達郎(名高達夫)
なべおさみ
なべやかん
にしきのあきら(錦野旦)
西田尚美 
西村ひろゆき(2ちゃんねる管理人)
ピエール瀧(瀧正則)
びびる大木・ヒロミ(小園浩己)
ベンガル(柳原晴郎)
ポール牧(榛沢一道)
ホンコン(蔵野孝洋)
モト冬樹(武東裕男)
モンキッキー(大森明)
もんたよしのり(門田頼命)
米倉涼子
ラッシャー板前 
りゅうこうじ(笠浩二,C-C-B)
愛内里菜(垣内里佳子) 
安めぐみ
安岡力也
安原麗子(少女隊)
安西ひろこ(安西紘子)
伊集院静
伊藤英明
伊藤美咲(安斎智子)
井出らっきょ(井出博士)
井上晴美(北村仁絵)
井上和香(新村直子)
井川遥(井川秀恵,趙秀恵)
井沢八郎(工藤金一)
井筒仁康
一色紗英(畠山紗英)
引田天功(板倉満里子)
宇多田ヒカル(岩下光)
永井真理子
永山藍子
永瀬正敏
永島敏行
永島暎子
永六輔(永孝雄,台湾人か)
円広士
園まり(薗部毬子)
園原佑紀乃(園原ゆかり)
奥菜恵(三桝貴恵)
奥田瑛二
押尾学岡
安由美子
岡江久美子
岡崎友紀(岩倉友紀子)
岡田可愛
岡八郎(市岡輝夫) 
岡本夏生(金村幸子,李夏生,李幸子)
沖雅也(日景城児)
沖田浩之(置鮎広之)
下川辰平
加護亜衣(B&K)
夏川結衣(宮川美紀)
河合奈保子(金原奈保子)
河合美智子(鈴木一栄)
河島英吾 
火野正平(二瓶康一)
花咲まゆ(井沢由美)
華原朋美(下河原朋美)
角川博
角田ひろ 
叶恭子(小山恭子,混血:鮮人とフィリピン)
叶美香(玉井美香,混血:鮮人とフィリピン) 
舘ひろし(舘廣)
吉井怜(飛知和怜) 
吉岡秀隆(川口,蕨界隈)
吉岡美穂(焼肉屋の娘)
吉幾三(鎌田善人)
吉川ひなの(高田愛)
吉川晃司 
吉田日出子(平松日出子)
吉野きみ佳(吉野公佳)
丘みつ子(森田光子)
久本雅美 
及川光博
宮下順子(金英姫)
宮川大助(松下孝美)
宮内淳 
宮迫博之
宮本信子(池内信子)
玉置なみ(玉置成美)
玉置浩二 
玉木宏
玉利かおる
桑名将博
桂木文
原久美子(北原久美子)
原口まさあき(原口晶匡)
原史奈
原田伸郎
原田美枝子
原田龍二
五木ひろし(松山数夫,混血:同和・鮮人)
倖田來未(神田來未子)
光浦靖子
光本幸子
工藤静香
工藤夕貴
幸田シャーミン 
広末涼子
江角マキコ
江波杏子
香坂みゆき
香山美子
高岡早紀(高岡佐紀子)
高橋克典(梅宮の親戚)
高見恭子
高樹澪(貞谷油佳里)
高倉・高知東生(大崎丈二)
高島礼子
高嶋ちさ子(盛田知佐子)高品格
高峰美枝子
高木美穂
黒沢優(混血:母・林寛子)
黒谷友香(日韓合作ドラマ出演)
佐藤絵梨子(佐藤栄利子,崔江利子)
佐野元春
坂田利夫(地神利夫)
坂東英二(満州?) 
坂本九
坂本冬美
崎谷健次郎
桜金造(佐藤茂樹)
桜庭あつこ(金成亜希子)
三崎千恵子(宮阪トシ)
三田佳子(高橋嘉子)
三田寛子
山根元代 
山咲千里(杵村千里)
山崎まさよし
山田雅人
山田邦子
児玉清(北川清)
寺島純子
鹿賀丈史(勝田薫且)
篠田三郎(大塚晴生)
篠田正浩 
柴咲コウ(山村幸恵,千川部落)
手塚さとみ
酒井若菜(酒井美幸)
酒井美紀
酒井法子(高相法子) 
樹希樹林
出川哲郎
春一番(春花直樹)
春日八郎 
勝俣州和
勝呂誉 
小坂一也
小松千春(小松崎千春)
小川菜摘(夫・浜田雅功) 
小泉今日子(厚○市文化会館/温水方面の農村)
小倉優子
小沢健二 
小池栄子(下北沢パチンコ屋の娘)
小柳ユキ(黒柳りん)
小柳ルミ子
小林幸子(焼肉屋)
松浦亜弥(松村亜由美,皮屋の娘,BK混血) 
松岡きっこ(岩谷紀公子)
松岡充(SOPHIA)
松岡俊介
松下由樹(松下幸枝)
松金洋子 
松坂慶子(高内慶子,父親が鮮人,戦中長崎から海路脱出 
松坂沙良
松山三四郎(秦光秀)
松山千春
松村邦彦 
松村雄基(松村憲幸)
松嶋尚美(オセロの白、西成部落) 
松嶋菜々子(座間出身,父親は倒産した某金属係企業)
松本紀保(藤間紀保子)
松本莉緒(金野恵)
笑福亭笑瓶(渡士洋)
上島竜兵(上島龍平)
城戸真亜子
常盤貴子(尼崎潮江出身,自称横浜)
森下愛子
森口博子(花村博美)
森口瑤子(坂元陽子)
森高千里(父親が森高・母親が高森)
森次晃嗣(森次浩三)
森進一(森内一寛,母親が鮮人)
森川美穂(榎並美穂)
森田健作(鈴木栄治)
真行寺君枝(大口君枝)
真中瞳(小林真知子,焼肉屋の娘) 
神戸一郎
神保美喜
神野美伽(荒木美佳)
村春子(石山春子)
杉本彩(パチンコ屋の娘)
杉本哲太(杉坂哲太)
菅原都々子
成宮寛貴
星由里子
清岡純子
清水健太郎(園田巌)
西山浩司
西川のりお(川西康成)
西村和彦(伏見茶屋 仁志むら亭)
西村知美(西尾知美)
西田ひかる(西田光)
青江三奈(井原静子) 
青田典子
斉藤陽子
石橋陵(石橋秀樹)
石原さとみ(石神国子)
石川ひとみ(山田ひとみ)
石川秀美
石川梨華(揚梨華,父親は全国朝鮮総聯幹部)
石塚英彦
石田ひかり(訓覇ひかり)
赤木春恵
千秋(藤本千秋)
千堂あきほ(先名iu晃穂)
千葉真一(前田禎穂)
川村ひかる(篠崎由希恵)
川中美幸 
浅香光代(北岡昭子)
浅香唯(西川亜紀)
浅野ゆう子(赤沢裕子)
前田吟(前田信明)
倉田まりこ
相田翔子(千川部落周辺,鈴木敬子)
相本久美子(倉内久美子)
草笛光子(栗田光子)
村上遥(安保由里子)
太田光
大原かおり(大原香織)
大杉漣(大杉孝)
大谷直子
大塚寧々
大鶴儀丹
滝沢秀明(旧姓・指田)
宅麻伸(詫摩繁春)
沢口靖子
淡路恵子(井田阿紀子)
池宮彰一郎(池上金男,池金男)
中山美穂(辻美穂,宋藍姫,選択屋)
中森明菜(B&K,肉屋)
中川安奈(栗山安奈)
中村あずさ
中尾彬
中野英雄
仲根かすみ(植可澄美)
朝丘雪路
長瀬愛
長瀬智也
椎名詰平(岩城正剛)
椎名林檎(椎名裕美子)
辻仁成
辻沢杏子
堤大二郎
東ちづる(東智鶴)
藤原紀香(尼崎潮江朝鮮部落)
藤原竜也(藤原竜也)
藤村志保(静永操) 
藤谷美紀(金谷満紀子)
藤本美貴(尹美貴,混血(母親)離婚,朝鮮総聯,北海道の焼肉屋) 
洞口依子(葛西依子)
奈美悦子(並川悦子)
内山理名(玉井杏奈,南足柄のK部落) 
内村光良
内田裕也(内田雄也)
内藤剛志
内藤洋子
内藤陽子 
内野聖陽
南こうせつ(南高節)
梅宮アンナ
梅宮辰夫(梅宮辰雄) 
萩原聖人
柏木由紀子(大島由紀子)
柏木礼音(涼柴央)
白石美帆(阿久津桜)
白川由美(二谷安基子)
白都真理(白木真理)
白竜(田貞一)
畑野浩子
畠田理恵
八乙女光(佐々木光) 
八代亜紀(混血:沖縄・鮮人)
飯島愛(石井光子)
樋口可南子
美木良介(寺田良介)
氷室恭介(寺西修)
浜崎あゆみ(浜崎歩)
浜田雅功
富司純子(寺嶋純子) 
布施明
布袋寅泰(父親が鮮人)
風吹ジュン(川添麗子)
平山あや
片瀬那奈 
保坂尚輝(保阪尚希)
宝生桜子(山本絵里歌)
宝生舞(北村麻衣)
宝田明 
豊原功輔
豊川悦司
北原賢治
北原三枝
本田美奈子(工藤美奈子)
本木雅弘
麻木久仁子(松本久仁子)
網浜直子(秦直子)
木ノ実ナナ(池田鞠子)
柳ジョージ
柳沢慎吾
柳樂優弥
優香(岡部広子,呉広子) 
有馬隼人(TBSアナウンサー)
由紀さおり(安田章子)
由美かおる(西辻由美子) 
遊井亮子(金井亮子)
余貴美子
揚原京子
揚田あき
葉山レイコ(栫美保子)
遥洋子
隆大介(柳明男)
龍円愛梨(テレ朝アナウンサー)
龍田梨恵
涼風真世(森永佳奈女)
鈴木京香
鈴木紗理奈(宗廣華奈子)
和央ようか
眞鍋かをり
池田大作
浜崎あゆみ(濱崎歩)=父は朝鮮半島から来たヤクザ 
和田アキ子(金現子,飯塚現子)=大阪の在日スラム地区のキムチ商人の娘、従兄弟は金海道場というテコンドーの道場を開いている 
ソニン=もちろん在日、高知県の国際スクール出身 
倉木麻衣(青野麻衣)=父は在日 西条秀樹(李龍雄)=韓国、斉州島出身
松田優作=父は日本人、母が韓国人、つまりハーフ 
北野武=クオーター(4分の1朝鮮人の血が入っている)
金子鎮宇(李珍宇)


光高姫安金赤白青黄柳竜龍英栄永東西南北希穂春夏秋冬玉明花美が姓名に入っていることが多い。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/3edd743746d41ba98b0d1c653e72699d?fm=entry_awp_sleep


12. 中川隆[7626] koaQ7Jey 2017年4月09日 22:10:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8113]

部落家族の血筋

奇形が生まれる血筋

金の亡者の血筋

黒い歯茎と腐った息の中森明菜の血筋

結婚して子供を作っては駄目

生まれる子供が奇形

あの歯茎の黒い女の子供は奇形

諦めなさい

諦めなさい

中森明菜は部落女だから

諦めなさい

結婚したら部落民が家族になる

あの歯茎女の家族は金の亡者

諦めなさい

諦めなさい

中森明菜は部落女だから

家族に金を毟り取られ

生まれる子供は奇形

諦めなさい


________


部落民と芸能人 2011-03-14

野中広務、竹中平蔵、長嶋茂雄、新庄剛志、野茂英雄、

駒田徳広、北島康介、西川きよし、三國連太郎、佐藤浩市、

島田紳介、杉良太郎、五木ひろし、八代亜紀、水前寺清子、

中森明菜、 小林幸子、坂本冬美、小柳ルミ子、萬田久子、

沢口靖子、 森口博子、川原亜矢子、柏原芳恵、加護亜依、

松浦亜弥、 加藤あい、K嶋K子 、豊川悦治、京本正樹

倖田來未、ハイヒールモモコ、三田寛子、平井けん

篠原涼子 、飯島愛 、矢沢詠吉 、加藤茶 、仲本工事

西郷輝彦、内山理名 、元木大介、泉谷しげる、板東英二

弁護士・橋下徹(飛鳥地区)、沢尻エリカ 、篠原涼子

長谷川京子 、松任谷由実 、ヒロミ 、上戸彩 、嶋大輔


たとえば●居●●の場合在日で、彼女が同和だから、別れたのでしょうか?

 でも、そんな理由なら、お互いに差別しあう仲になりますよね。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/b98fd7e207adfcd758844fb437e3233c?fm=entry_awp_sleep

やくざとかかわりのある、芸能人? 2012-09-30

■身内

酒井法子(父、弟)、名倉(兄)、杉浦太陽(父)、

谷亮子(父親・兄・叔父・従兄弟)、和田アキ子(叔父、兄)、

西条秀樹(姉の旦那)、観月ありさ (母親がヤクザの愛人)

ガタルカナルタカ(父)、柳ユーレイ(父)、TOKIOの城島(父)

東国原(父)、加護(父)、高知東生(父)、赤井秀和(従兄弟)

国生さゆり(夫)、鈴木杏樹(父)、松山千春(祖父)、

■愛人関係(過去も含む)

吉岡美穂(極心)、小林幸子(稲川)、細木和子(小金井)、

雛形あきこ(統侠)、MEGUMI(熊本)


■ケツ持ち、懇意、等

島田紳助(極心)、薬師寺(弘道)、里見浩太郎(小沼)、

清水あきら(田中)、北島三郎(稲川)、千葉真一(山口)、

力也(吉田川)、ヒロミ(吉田川)、研ナオコ(吉田川)、

清水健太郎(後藤)、中居正広(稲川)、寺島進(千住)、

小野やすし(稲川)、渡辺二郎氏(極心)、

大似田厚(山川)、亀田(住吉)、中野英雄(後藤、古川)

■後藤組誕生会+古川組誕生会 参加者

薬師寺保栄、アンディフグ、安岡力也、せんだみつお、千葉真一、

天地真理、清水健太郎、綾小路きみまろ、石井和義、

内藤やす子、小林旭、朝田昌貴

内田裕也、中野英雄、本宮ひろ志、桑名正博、吉川銀二、ジョー山中


芸能人は、そういう意味では、普通の人はなりたがらないし、在日、同和も多いですね。
http://blog.goo.ne.jp/ootomo0320/e/cdba1339d289333a1dcee72a5dfd7a61?fm=entry_awp_sleep



13. 中川隆[7627] koaQ7Jey 2017年4月09日 22:11:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8114]


【日本奇習紀行シリーズ】 近畿地方・某地域

奇習! 村の共有物になった女児 ― 教科書には載らない“被差別部落の歴史”を古老が語る=近畿地方

これまで、本連載においては、日本全国に存在する、ないし存在していたとされるさまざまな奇習について紹介してきた。その大半が、当時の事象の一部、もしくは全部を体験したり目撃した人物による証言を元にしているという性質上、それら口伝的な内容は、学術的に主流とされる言説からはおよそかけ離れたものになりがちだ。

 だが、すべての歴史が書き言葉によって記され、史料として現存しているわけではないことからもわかるように、また、歴史というものが絶えず勝者によって継がれていくものであるという性質上、そこには必ずといってもよいほど「記されていない事実」というものが存在している。今回ご紹介する“とある古老”の話も、そうした歴史の教科書に載ることもなく、高名な学者先生たちからは見向きもされないような、そんな消え行く記録のひとつだ。


「最初に私がお話しなくちゃいけないのは、私の生まれ育った集落が、いわゆる“部落”だっていうことなんです。だから、地図上は同じ町内のように書かれていても、周囲とはまったく違った時間が流れていたんです」


 今回、我々の取材に、自らの生い立ちを交えつつ語りはじめたのは、近畿地方のとある地域に住む無職・金山力蔵さん(仮名・84)。金山さんの話によると、彼が生まれ育った地域は、いわゆる被差別部落に類するもので、そのせいか、集落全体が周囲の地域から隔絶された状態であったという。


「外から集落の入り口に差し掛かると、そこから急に道が悪くなっていたりとか。周りの家はちゃんとしているのに、あの界隈だけがバラック同然の板壁の家だとか。そういう見た目の違いもありましたけどもね、一番違うのは、我々の生活そのものです。たとえば、我々の地域じゃ、女の子が生まれると、それは共有財産というか、みんなのものだという考えがありましてね。それこそ、どの男とも籍ひとつ入れやしないんですが、嫁のようにいろんな男たちの子どもを生んでましたよ」


 金山さんの話によると、彼が暮らしていた集落では、女児が生まれると、その時点で誰が親なのかという点すら曖昧にし、それこそ地域の大人たちすべてが「父」であり、「母」であるという環境にするそうだ。そして、地域社会全体で彼女を養い育て、無事に成長した暁には、同じ集落にいる複数の男たちと性交させ、子どもを生ませる。やがて生まれた子どもは母親のいない私生児として扱われ、男児の場合は男の実家で育てられ、女児の場合は彼女の母親と同様に、村の共有財産として扱われる……そういう習慣が存在していたという。


なお、こうしたなんとも奇異な状況が生まれた背景について、金山さんは被差別部落ならではの事情があると指摘する。


「なにせよそから嫁に来るような娘はいないわけです。でも、村の中で生まれる女も限られてくる。だからみんなで養って、みんなの子どもを生んでもらう。そういう話だったんじゃないかなって思います」


「よその人たちからすればね、それこそ信じられないようなことだと思うんですよ。でもね、我々にとってはそうするのが当たり前だったんです。もちろんね、こういう話っていうのは、集落の外にいる人らだって当然、知っていたはずなんですよ。けれどもね、彼らはいつだって私らをね、腫れ物にでも触るかのように扱ってきたわけだから、見てみぬフリなんです。なにせ、火事で家が焼けようと、人が死のうと、お巡りも消防も来やしない場所なんですから」


 今回、金山さんが語ってくれた話は、無論、地元で保管されている郷土史料にすら、その記述が見当たらない。しかし、記述がないからといって、なにもその行為自体が実在しなかったというわけではない。もしかすると、彼らのように隔絶された時間と生活を過ごす人々にとっては、「表の歴史」として当たり前のように記載される年表の行間に、自らが辿った見えない生涯の記録を見出すことしかできないのかもしれない。
(取材・文=戸叶和男)
http://tocana.jp/2016/08/post_10598_entry.html

いきなりだが、エタの橋下徹や松井一郎ひきいるナチス日本維新の会のようなエタ政党やエセウヨで、
いじめと懲罰が大好きな弾左衛門系部落民団体の自由同和会や
奴等に金を提供している生長の家(教祖の谷口雅春やその孫で現代表の雅宣と弟の貴康には、汚い弾左衛門ヨツアシの血が流れている)や

幸福の科学(代表の大川隆法は徳島の弾左衛門系の部落地区出身のエタ)や

崇教真光(ここの開祖の岡田某も弾左衛門系部落地区のエタ)

のようなエタユダヤカルトが蔓延り、ナチスのように、ネトウヨを煽動し、精神病患者へのヘイトを煽動する。

部落解放同盟のような反日エタだけでなく、エセウヨ自由同和会のような弾左衛門系ヨツアシ同和団体も有害である。

右左問わず、エタをはじめとする部落民は日本から叩きだし、ヴァチカンやユダヤイスラエルに追放するべきである。

aki上級大将こと福島彰浩
2017/02/07 15:34
http://19730619.at.webry.info/201702/article_1.html


14. 中川隆[7628] koaQ7Jey 2017年4月09日 22:14:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8115]

2015年11月28日
ユニクロ柳井正 語られない一族の出自と解放運動

「泳げない人間は沈めろ」「労働者は年収100万円以下で当然」
非情な言葉を口にする一方、自分はこれといった苦労も努力もした事はない。
引用:http://i.huffpost.com/gen/1415832/images/o-UNIQLO-YANAI-facebook.jpg


日本有数の資産家になった柳井正のユニクロは、その始まりが元非合法組織の構成員で、解放運動とも深い関わりを持っています。

柳井正は事あるごとに労働者を侮辱したり、日本人を批判する発言をしているが、そのルーツは江戸時代の身分制度にありました。


柳井一族の出自

柳井正は父親からユニクロの前身「メンズショップ小郡商事」を受け継いだが、元は叔父の「小郡商事」が始まりだった。

柳井の叔父の柳井政雄は日本の部落解放運動の活動家で、解放運動から政治家に転じ、山口県議会議員を勤めました。

中央政界にも人脈があり、山口出身議員の後援会会長をつとめ、総理府同和対策協議会や同和対策審議会委員も勤めた。

実業家としても成功し、38歳で1946年「小郡商事」を創業、弟の柳井等(柳井の父)が洋服事業を担当していた。

1949年に「メンズショップ小郡商事」として独立店舗を開業して1972年に現在の社長の柳井正が入社しました。

柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。


全国水平社は1922年に創設された部落解放組織で、江戸時代の身分制度の最底辺に位置した人たちの集まりとされています。

日本の慣習や制度を打ち破る事を信条とし、自然に反政府活動や日本人に批判的な人と協力するようになった。

水平社は水平(平等)より権力を握って日本の支配層を目指す運動に変化し、部落解放同盟に変化していきました。


つまりユニクロとは部落解放同盟の創設に参加した一族が創業した会社であり、柳井一族は筋金入りの部落運動活動家という一面を持っています。

社長の柳井正の数々の反日発言や、日本と日本人を敵視する思想、言動は柳井一族の出自から受け継いでいます。

言うまでもなく現代の柳井正も父や叔父から、解放運動人脈を受け継いでいると考えられる。


ユニクロ前史

1984年に「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」を開店しユニクロになり、直後に柳井正が社長に就任しました。

実質的に「ユニクロ」方式の店舗を始めたのは柳井正だという事が分かります。

創業者で叔父の柳井政雄は、父が部落出身者だったらしく牛馬商を営み、父の手伝いをした後、京都の板前の兄の元で働いた。


だが隣の犬を刃物で傷つける事件を起こして首になり、山口県の炭鉱で働くうちに裏組織の組員になった。

数々の事件を起こした後に23歳で足を洗い、解放同盟の叔父、柳井傳一から資金援助を受けて簡易宿舎を始めた。

これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)を元手に木賃宿、材木商、運送業と事業を広げて行った。


この頃の柳井政雄は足を洗ったとは言っても元組織の一員であり、荒っぽい男達を雇って働かせていたのは想像に難くない。

柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選したが、むろんクリーンな政治とは無縁な活動をしていた。

非合法組織や部落運動に顔が利き、警察にも通じていて事業で得た金もあり、金権政治を地で行っていた。


選挙で後押ししたのは後に部落解放同盟となる水平社の叔父、柳井傳一だった。

因みに「餃子の王将」を創業した加藤朝雄とユニクロを創業した柳井政雄は共に部落出身で、解放運動を通じた友人だったと言われている。

柳井政雄は貧乏臭い社会党とは合わずに仲たがいし、総理の佐藤栄作から誘われて自民党系で解放運動を始めた。

このように現在「ファーストリテイリング」という名前の会社の始まりは、実は組織の親分と部落解放運動が始まりだった。


柳井正の信条「泳げない人間は沈める」

このような一族の遺伝子は柳井正にも脈々と受け継がれていて、日本人への憎悪と日本という国への憎しみは隠しようが無い。

ユニクロはブラック企業として有名だが、その現状はどういう物なのか、元従業員らの告発から知る事ができる。

柳井正は「泳げない人間は沈める」「企業には年収100万以下と1000万円以上の人間しか必要ない」など数々の名言を残して来ました。


柳井の父と先祖は最底辺労働者であり、そこから這い上がるために解放運動をしていたのだが、自分が支配層になると労働者を貶めた。

ファーストリテイリングは『ユニクロ帝国の光と影』という本を告訴したが裁判で敗れ、書いてある内容は事実だと裁判所が認定しました。

ユニクロを批判するマスコミや告発者には、高額賠償金をチラつかせ、批判させないようにしているとされている。


『ユニクロ帝国の光と影』によるとタイムカードを押して退社したように見せかけ、月300時間以上の労働をさせていた。

これに対し柳井正は「人より良い生活がしたいのなら、頑張らないと賃金は上がらない」などと述べ、質問しても話をはぐらかすのが特徴です。

「経営者になれない人間は賃金100万円以下になり、賃金を上げたいなら頑張らないといけない。」が口癖である。


ユニクロでは社員は朝7時に出勤し、夜10時過ぎに退社するのが常態化していて、しかも残業はしていない事にしていました。

ユニクロでは「フルボリューム開店」する事になっていて、開店した時点で棚に「隙間」があったらペナルティを受けたり叱責される。

前日に売れた分を朝10時まで完璧に並べなおさねばならず、朝7時に出社しなければならないという訳です。


勤務中は制服としてユニクロ製品の着用が義務付けられているのに、服は買い取りで店が補助をしたりはしない。

しかも毎日同じ服を着てはいけないので、ユニクロで働くとユニクロをどんどん買わされます。


努力しろが口癖の柳井正は入社した時点で重役であり「賃金を上げるための努力」なる物を自分はしていない。
http://thutmose.blog.jp/archives/48935161.html


15. 中川隆[7629] koaQ7Jey 2017年4月09日 22:42:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[8116]

芸能人には、部落出身者、在日朝鮮人が多いので、結婚が困難。

中森明菜の実家は肉屋(部落民)。だから、自殺未遂までした。

沢口靖子は、混血でしたよね。

695 :Miss名無しさん:2009/02/09(月) 20:46:57 ID:R+t39eyE

結婚したくても出来ないんだって。
部落だから。


【被差別部落】
    中森明菜 瀬川瑛子 森口博子 坂本冬美 伊東四朗
    久本雅美 氷室京介 浜崎あゆみ 加護亜衣 野中広務

86 :横山ファック :1999/09/30(木) 15:22

中森明菜が自殺未遂をしたのは、マッチとの結婚を部落民であることを
理由に反対されたかららしい。

144 :>141 :1999/10/06(水) 21:17

なめし皮職人
肉屋

戦前からこういう商売をやっているお宅は多分・・・
明菜さんちって肉屋じゃなかったっけ?

146 :たけ :1999/10/08(金) 16:35

広末涼子、高知では有名な部落民。

昔、差別されたからブランドとしての学歴を親も本人もほしがるあさましさ。
ちょっとでも気に食わないことがあると、くわ持って車を叩き壊すような方達が住んでいる部落出身だった。

後に市内へ引越ししたみたいだが、高知ではコワイ一族で有名。
http://mewstorage.coresv.com/test/read.cgi/logC_geinou/938076153/


1 :血は混ざり合って美しくなる。:03/11/07 04:00 ID:65aGL/0F

藤●紀香とか松嶋菜●子だとか部落には美人が多い。
川●紀子さまも和歌山の平家の落人伝説の地出身でBだしね。。。


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/09 10:53 ID:Xb0wGrLR

藤原○香はBじゃないですよ
同和啓発ビデオには出ていましたが


15 :名無し@沢村:03/11/09 12:44 ID:wsoPhcVR

部落は抜群に美人というか、魅力的な女性が多いよ。
大下容子、篠原ともえ、高島礼子、山咲千里などはすべてそうだよ。
昔のタレントでは、加川淳子、森川千恵子、田中なおみ、樋口可南子などがそうだよ。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/09 13:02 ID:XRjuj0DB

古くは 山本富士子 満田久子なんかもいいよね
部落は ほんと 美人が多い

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/09 14:34 ID:e+0C5wNS

あの吉永小百合だってBだしね

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/18 20:35 ID:BW8jDga8

>>136
中上作品にはBの絶世の美男美女が出てくるけど、中上自身がああいう顔だから、
同じ部落の別の家系を題材にしてるのかと思った。

中上自身はゴールデン街でよく田中康夫あたりを殴ってたというけど、
酒の飲みすぎで死んだようなものだったらしいね。
幻の美貌の部落民の家族写真、見てみたいなー。
中上の娘は父親みたいな容貌魁偉ではなく、普通の可愛い子だけど。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/18 23:26 ID:IBAbRcyp

宮沢りえを忘れてない?


146 :もっこす ◆ZM08EeniEM :03/11/18 23:39 ID:fC4PGHiD

りえちゃんは、ハーフ。日蘭だっけ?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/19 00:46 ID:t7vICvYc

>>146 りえママがB。 りえはオランダ人との私生児。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/19 04:19 ID:D1zYoo/g

中森明菜は父親が肉屋


153 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/19 16:59 ID:6VSxZMvd

貴りえの破局の真相はりえがBだから。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/02 09:59 ID:sF792uXw

部落と言っても今は平成、21世紀です
女優の山本富士子さん満田久子さん写真家 織作峰子さん
みなさん元日本&ユニバースです
顔立ち、立ち振る舞い、気品さえ感じますね

ただし僕の近隣には部落はないので一般の部落の女性はみたことがありません
憶測ですが美人もいれば不美人もいるのではないでしょうか
これは特殊な例でしょうが東京地裁で裁判傍聴で抽選待ちしてた時
正門でやけに警備員が多くでてきたなと思ったら解放同の黄色いゼッケン
をつけて閉鎖された正門でガチャガチャ大騒ぎがおきました
結局ゼッケン鉢巻をはずすことで結論だでたようですが
あとで警備員に確認したら狭山事件の再審請求の抗議にきたそうです
先頭に」弁護士そのあとにチャパツの若い男女普通の大人が200人くらい
いたでしょうか

その時の正門での若い男女の言葉使いはまるでヤクザもののような言葉
使いで僕も部落に偏見をもったことは確かです
でもこれは単なる一例かもしれませんし
残念ながら部落一般の女性の風貌をみたのはこれ一回だけです
でも部落に美人は多いのではと思ったりしています

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/04 19:35 ID:NmS8lt9Z

宝塚歌劇団の創始者 小林翁 がB出身ですが 音楽学校生徒には
所謂ええとこのお嬢と在日&Bの大金持ちの娘さんの混成だそうです
理由はもって生まれた天性と音楽学校受験までに個人レッスン等
相当な金銭がかかるからだそうです

OGの黒木瞳さんはB 同じく音楽学校OGの小柳さんんはKですよね

こうしてみると やはりB出身のかたは綺麗な人が多いですね
残念ながら 一路さんがBのかたとは確認できません

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/05 10:40 ID:IUGF601t

 小 林 一 三 について

 1.阪急グループの創始者
 2・山梨県の●落出身
 2・慶応大学OB

疑問ありましたら山梨県の郷土研究家に相談を

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/29 16:47 ID:qWlN18zZ

満田久子は、典型的な部落美人、父親は大阪部落解放同盟の幹部、俺は満田さんの大ファン


318 :   :03/12/29 17:24 ID:b+VVOK1J

萬田・萬野姓は南大阪某地区では保守本流
ほとんど移動もなく地区に根を下ろしている


320 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/29 18:23 ID:yFzTNlls

写真家、織作峰子なんかも美人だ、元日本ユニバース

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/05 01:52 ID:LV2M/S5v

関西在住で近所に部落もありますが、
部落の女性は、ほんと細い人が多いです。
肩幅30?pくらい。
はっとする美人も多いです。
中森明菜に似た人も多いです。

しかし、近所の部落は都会の部落で、由緒ある部落というより
元スラム街という感じで、「血が濃い」ということもないと
思うんですが、このスレで言われている部落の人の特徴を持ってる
人が多いです。不思議なことに。


400 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/06 23:01 ID:cz9+nYZG

部落美人といえば一昔前は五月みどりというのが定番だったが
新旧交代のようだなAI−Kに

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/24 13:02 ID:bwwtRnBI
なんと言っても満田久子さんは最高だな、あの色気と上品さ^^
あと写真家の織作峰子さんも綺麗で気品があるしB美人は最高^^

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/19 04:19 ID:D1zYoo/g

中森明菜は父親が肉屋


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/11/19 05:14 ID:Sql7IYvO
>>148
肉屋なんて町内にいくつもあるんじゃないの?
それが、全部Bとでも?


533 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/22 12:01 ID:cbEfylTe
>149
肉屋なんて90%以上Bでしょ?
水泳の北島とか。


536 :もっこす ◆ZM08EeniEM :04/01/22 14:39 ID:Rl3w7d6A

東京都では、精肉店相手の啓発が一番神経を使うという。
なぜなら、部落出の経営者がほとんどいないからだという。


398 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 02:08:04.60 ID:N3RdgrnX0

昭和の歌姫も実家が肉屋だったな
アイドルとの大恋愛も破局してしまったし、今だに独身だ
本当に可哀想なことをした


431 :本当にあった怖い名無し:2013/03/31(日) 22:50:05.39 ID:9tadAZXQ0

清瀬市の中森精肉店


432 :本当にあった怖い名無し:2013/03/31(日) 23:17:02.84 ID:0ef03KhH0

中森○菜はエタなのでマッチの両親に結婚反対された。


433 :本当にあった怖い名無し:2013/04/01(月) 19:39:45.02 ID:j6yFIB1b0

あれ、マッチさんのところは、オヤジさんいなかったんじゃなかったけ?


445 :本当にあった怖い名無し:2013/04/06(土) 08:06:36.13 ID:3837HQIb0
>>433
それはたのきんのトシちゃん。
マッチは親父じゃなくてお母さんがいない。
つき合う前の絶頂期に病気で死んで遺骨泥棒事件があった思う。

459 :本当にあった怖い名無し:2013/04/08(月) 00:34:10.49 ID:1Z+tr7+YO
>>432
その明菜の8000万を使い込んだゲス男がジャニーズの兄貴ヅラしてるのどうかとおもうがな

399 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 02:20:55.36 ID:SHTlK3O10

あの水泳のメダリストの実家もそうなんだけど

422 :権平 ◆T0e.kDbaK2 :2013/03/31(日) 02:49:27.53 ID:reANwFFP0

野球界で〇〇選手は同和とかデマがまかり通ってるけど
本物のムラの出で確定しているのは三宅町出身の駒田&若井
あとは65回大会の選抜で上宮を優勝させた名将「山上烈」氏
この人は羽曳野の食肉村の出。
食肉センターそばの碑を見ればおのずとわかる。

おそらくこの3人だけだろう。


423 :本当にあった怖い名無し:2013/03/31(日) 09:10:44.57 ID:W1YeMitN0
>>422
駒田って巨人から横浜に移籍したあの駒田ですか?
それは初耳でした。

日本人選手としては珍しい190cmを超えるの巨体の内野手であり、2000本安打を達成した名選手じゃないですか。
よく相撲取りとかの巨体の持ち主が、部落からよく生まれると噂されますが本当だったのですね。
駒田選手は、あの体でホームランバッターではなくアベレージヒッターだったというのが面白かった。

でも童話出身者が3人だけというのは少ない気がします、本当はもっと多いのでは?
芸能人はもっと多いですからね


472 :本当にあった怖い名無し:2013/04/16(火) 03:30:48.46 ID:EronUPoZ0

エッタ役者 三國連太郎旅立つ


473 :本当にあった怖い名無し:2013/04/16(火) 04:17:31.26 ID:p97xtPkm0
>>472
義父がでしょ


426 :本当にあった怖い名無し:2013/03/31(日) 10:46:18.28 ID:dcGLaezhO

現実には芸能人で確定しているのもそう多くはないだろ?


427 :本当にあった怖い名無し:2013/03/31(日) 11:00:19.08 ID:W1YeMitN0
>>426
今話題になっているオセロの中島の相方の方は、確定みたいですけど
お兄さんが団体の役員をされているとか?

すごく美白の肌が印象的です


428 :本当にあった怖い名無し:2013/03/31(日) 21:52:10.22 ID:WmePCaUq0

父親がヤクザで母親と妹が解同団地住み。
従兄が東大阪市議で解同の支部長。
東大阪の布施って言う有名な部落民。


429 :本当にあった怖い名無し:2013/03/31(日) 22:04:34.02 ID:pQJCyl1h0

だったらアホの占い師を松嶋の従兄弟にキャン言わせてもらったらええんちゃうの?

それで、ともちゃんは何年か病院に入って毎日おくすりを飲んだり折り紙を折ったりして落ち着いてもらって、引退させるより他ないよ。


430 :本当にあった怖い名無し:2013/03/31(日) 22:18:18.12 ID:ljdF1AK10

加藤あいの甚目寺出身説の真相は如何に?


434 :本当にあった怖い名無し:2013/04/01(月) 20:58:21.70 ID:+Jk6kT+fP

白オセロで思い出したが羽曳野らへんは明らか人種違うレベルの色白多いな。
いや白オセロ羽曳野出身じゃないけどあれは1つの典型


435 :本当にあった怖い名無し:2013/04/01(月) 23:59:05.86 ID:U/raE6sY0

男は色黒
女は色白

401 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 06:35:35.49 ID:wqrI2GsUO

兄貴が出会い系で知り会った女が、別れ話でこじれた際に家族親族20人位で乗り込んで来たな〜
遊びで付き合った兄貴もクズで間違いがない
ただ、特別視はしてなかったけれど、窮地に集団でああいう事をしちゃう辺りで自ら偏見に足突っ込んできてるんだなと感じた出来事


403 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 09:52:44.43 ID:XY6HaBWB0

些細なことで気にいらないことがあると差別があったと会社や学校に来て嫌がらせする。 すると目をつけられた人は会社や学校に居にくくなる。そして会社や学校を辞めざるをえない状況になる。
差別を無くすために人を雇えって言ってくる。その人は会社や学校の仕事をしないで団体の仕事だけをする。ヤミ専従ってやつだね。
Bの人たち優先で雇ったり推薦入試で入学させていく。
そして会社や私立の学校を乗っ取ったりする。


404 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 13:16:21.55 ID:O1L6Q7Dy0

家はぼろくないよ
国が建ててくれるから中の上くらいの家にみんな住んでる


34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/30(金) 15:04:23.94 ID:Pd5BiGVf0

まず部落内に小さな道路が通されることがあるとする
その道路は全ての住宅に沿うように建てられて少しずつ民家にかすって行く
そのためその民家に国が移動費と土地代を払う
そのお金は通常の数倍の値段
しかも国の事業だから税金はかなり安いまたは無いくらい


53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/30(金) 15:13:18.74 ID:Pd5BiGVf0

俺が子供の時にも授業であったけど逆に自分達は特別な存在だと思わされる
逆差別にもつながる
さっきも書いたように部落に家があるってだけで道路が通るたびに
移転費用だ土地代だって1億くらいは配られるから部落民はみんな小金持ちだからな


73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/30(金) 15:27:22.32 ID:Pd5BiGVf0

就職したやつとか俺の周りには居ないね
みんな社長業してる


82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/30(金) 15:34:22.48 ID:Pd5BiGVf0

さっきも行ったけど今は利益を追求する団体で華僑を思い浮かべてもらえばいいと思う
あと国から金が道路関係とかで出てるから元手はかなりある


405 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 17:09:33.86 ID:WBXdNGT80

いろんな話しあるよなぁ〜
部落差別煽ってるのは在日だってレスもあるし
差別煽って日本社会から部落を引き離して反日に部落を利用しているらしい


407 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 22:48:18.00 ID:2Un7a94H0
>>405
解同高知市協「差別手紙」事件の犯人が実際に在日だったからな


408 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 23:30:04.10 ID:ysbQAtJmO
>>407
友達も部落出身だから部落にもいろいろ問題があるのは知ってるんだが
友達の怒っているのは差別を煽る在日の存在なんだよ
利権の為にそれに協力する者もいるのが 悔しいって


409 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 23:41:49.62 ID:jAzaViPP0

俺も地域では何百年も伝統がある被差別地域の出身だけど
自分の小さい頃(現アラフォー)は、差別らしい差別はなかったな

喧嘩の捨て台詞で○○○○○とか吐かれるぐらいだけど、それはもう小学生の喧嘩レベル
『豚〜』『チビー』『デブー』『禿〜』と同じぐらいの戦闘力しかなかった。
大人たちは少しおとなしくしてたけどね、昭和30年代ぐらいまでは実際冷たい目があったらしい。

俺らぐらいが自意識を持ち始めた80年代ぐらいから差別・被差別とかでなく、 ルーツがある方がクールな時代になってきたから、逆にお前ら普通の日本人なんかどこ行っても同じじゃん、俺たちは違うぜ『差別された集団』だ、みたいに変な誇りを持てた。

今でも俺たちの属性で被差別みたいなこと言う人いるけれど、自治労とか日教組がらみのプロばかりだよ
奴らは仕事もせずに税金や組合費で全国飛び回ってシンパと酒飲んだり、運動したりの屑
俺たちの先祖は確かに苦労したと思うが、その苦労をネタにしてるのが腹立たしいわ。

でも、日本人は本当に自分たちのアイデンティティ、自分たちが何者かというのを失ってるよね。
在日朝鮮人を見てると、同情してる日本人の底の浅さに驚くし、俺も被差別の歴史を利用しようかな、
朝鮮人みたいに大騒ぎして自分たちの属性を目立たせて高みに挙げた方が、馬鹿な日本人は同情して
言いなりになるだろうし、アフィ的にも炎上商法が効果的なように、歴史でも不幸でも使った方が得する社会だからな


410 :本当にあった怖い名無し:2013/03/27(水) 23:53:44.93 ID:jAzaViPP0

あと、在日は日本的な郷土の連帯意識みたいなものを差別の要因として糾弾を始めるようだから気をつけろよ
都会だけで無く、田舎の日本的村社会まで破壊される
俺の先祖は確かに差別されて苦労したが、それはもう紙の歴史だ。
俺たちはその事実の上に立っている。無くすことは出来ないし、それを振りかざして何になる。

今騒いでる在日朝鮮人と俺たちの被差別の先祖のどちらがこの日本で苦労したかと言えば、絶対に俺たちの先祖だ
でも、世間は在日朝鮮人ばかりを取り上げる、それは奴らが先祖の不幸をネタに炎上させてるからだ。
俺はそんな在日朝鮮人は許さない

463 :本当にあった怖い名無し:2013/04/11(木) 18:25:17.46 ID:xHMFaayz0

701年 大陸風で飛騨高山などを弾圧する大宝律令成立。また、被差別部落の分布は、坂上田村麻呂の東北遠征の捕虜流配置の分布と一致している。明らかに先住民弾圧と思われる。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/667.html



16. 2017年4月11日 08:39:28 : M6wWJlsBiE : Nz6pH0dZ4lA[44]
同和問題(差別解消のため)を論じる時に2つの論法がある。
1つはもともと差別されるいわれはなかったとするもので、エタもヒニンも同じ町人身分に含まれるという論である。
もう1つは差別される理由(当時としては)はあったのだが、現代ではその理由が消失したというものだ。
ここで述べられている武士・百姓・町人の3身分しかなかった=だから差別なんてしないでおきましょうというと言うのは前者に属するのだろう。
しかし武士〜町人間では通婚が禁じられていたから明らかに身分差があったと言えるし、百姓〜町人では必ずしも禁じられていなかったから、身分差は無かったと言える。但し町人〜エタ・ヒニン間の通婚は禁じられていたから、ここには明らかに差別があったと言わざるを得ない。
更に言うと公家や僧侶・神職なども身分としては別であった可能性がある。
この差別が上下関係なのか横並びだったのかは別論として、兎に角エタ・ヒニン身分があったのは、浅草弾左衛門の存在を見ても明らかである。
問題はなぜ差別が発生して身分の分化にまで進んだかを、歴史的・民俗学的に考察して、その理不尽さを現代の思想に照らして正して行かなければ、差別は無くならない。
有耶無耶に隠ぺいするようなことは却って差別を助長すると考えるのだが。

17. 2018年6月24日 17:11:44 : wgLnjNHh3I : JMEnTObgYMs[-4428]

市議「関西大学の宇城輝人教授の件。複数の国会議員事務所、省庁経由でリアルでやる。関西大学の予算の話になるのは自然な流れ」


2018年06月21日21:35 | カテゴリ:政治
1: ほしゅそく

(略)この「通報者」と呼ぶべきか、「活動家」と呼ぶべきか。  
その中には、なんと【関西大学の宇城輝人教授】が含まれていた。大学法人名を付して、教授と言う肩書きでこのような活動を行うのは如何なものか。しかも、しばき隊関係者と同一の活動を行っているのだ。

関西大学には、35億円もの税金が投じられており、宇城教授も科研費という形で税金を直接的に用いている。「多額の税金」をもらっている関西大学は、これを把握・容認しているのでしょうか?  

私は、関西大学が国民の税金を適正な形で執行できているかを「照会」する必要がありそうですね。関西大学がblogで予告していたK大学です。なぜ宇城教授が発覚したのかと言えば、保守速報に掲示されている「NO!残紙キャンペーン」のバナーにも「通報」を行ったためです。これは広告ではなく、協賛バナーです。これに対し、実質の代表である、黒藪哲也氏は激怒。  

言論弾圧の一種として「抗議」したのですが、黒藪氏は押し紙問題の第一人者であるとともに、純粋左翼のジャーナリストです。裁判でも何でもござれの強力な人材で、大学名を名乗り学部を付して教授名で送ったことに「猛反論」しております。  

NO!残紙キャンペーンは、押し紙問題などを広報するサイトですが、保革共闘で進めております。協賛の弁護士は左の方が多く、地方議員は保守が多い。大会を開いた際には、あの天木直人氏と小坪慎也が同じ壇上に立つという凄まじい光景がありました。そして、当該サイトの【保守側の窓口】は、私、小坪慎也です。  

このタイミングでで黒藪氏が関西大学「宇城輝人教授」について公開して抗議したが、私も当然のこととして状況は把握しています。私も窓口になっているサイトに対し、飛んで火にいるなんとやらのように「通報」してくるとは思いませんでした。ここに抗議メールしてきたのは、自爆に等しいですね。  

実は、先日の上京の際、黒藪氏と会議の場を持っており、これは事実上の「押し紙問題 トップ会談」とも言えるものでした。何を話したかは、ご想像にお任せします。二人して甘党なので、一緒にパフェを食べました。  

教授の個人攻撃は予定しておりません。ただし、「反撃したい」という方がいても、宇城氏が先にやったわけですから、同じことをされても文句はないでしょう。関西大学への抗議窓口は紹介します。  

ただ、私自身は教授個人への抗議はせず、あくまで政治家として「組織」に対し対話したいと考えております。予算処置については「こちらも通報」させて頂きますので悪しからず。私は、対弁護士会の話を見てもご理解いただけると思いますが、、複数の国会議員事務所を経由し、省庁経由で「リアルでやる」タイプです。  

さて、次は関西大学の予算かな。そういう話になるのは自然な流れでしょう。

h ttps://samurai20.jp/2018/06/hosyusokuhou-3/

関西大学の宇城輝人教授らが『保守速報』のバナー撤去を要求!! →ジャーナリストの黒藪氏が暴露!!
h ttp://hosyusokuhou.jp/archives/48819286.html



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