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2021年5月3日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/102031
新型コロナウイルス感染拡大への政府対応は、国民への自粛要請が基本になってきた。「感染症と憲法」を研究課題の1つとする江藤祥平・一橋大准教授は、自粛頼みで強制力を伴う法整備を怠ってきたのは、公衆衛生の向上を国の努力義務とする憲法25条2項に反すると指摘。国家の責任を曖昧にし、個人の自由を萎縮させる点で「立憲主義の精神にもとる」と訴える。江藤准教授にコロナ社会における憲法上の問題点を聞いた。(川田篤志)
◆場当たり的対応、憲法25条2項に反する
―政府対応の評価は。
「場当たり的な対応をしているのは誰が見ても明らか。それでは従えないと国民が思うのも無理はない。対策の多くは再現性が低く、感染拡大の第4波を乗り越えられるか心もとない」
―憲法上の問題点は。
「法規制が要請ベースにとどまるのが一番の問題。感染防止に必要なのは、何よりも国民の行動変容だ。日本では自粛要請が中心で行動変容が長続きしなかった。感染防止のため、時には強制力のある措置を実施することは国の義務。25条2項は、国に対し、公衆衛生の向上と増進の努力義務を課しているのに、これまで法整備を怠ってきたのは義務違反だ」
◆自粛は責任逃れの論理 私的領域の必要以上な侵害も
―個人の自由や権利を侵害する恐れは。
「法的仕組みがあり、とるべき措置、とってはいけない措置が明確な方が、権力の限界と個人の自由の範囲がはっきりする。個人もその方が安心できる。侵害されれば裁判所によるチェックの仕組みもある。これが立憲主義の基本だ」
―コロナ対応と立憲主義の関係とは。
「立憲主義は憲法によって国家権力を構成し、同時にこれを制約する考え方。お願いベース中心の対応は必要な法的仕組みがなく、前者(国家権力の構成)で失敗している。権力が明確でないから制約する話にならない。それが逆に権力が無制限に個人の領域に流れ込む事態を招いているというのが問題の本質だ」
―権力が個人の領域に流れ込む、とは。
「公権力からすると自粛は責任を個人に転嫁できる分、責任逃れの論理として機能する。世間の目が行動基準になるため、個人の自由に萎縮効果が働き、私的領域が必要以上に侵される恐れがある。『自粛警察』や自粛破りが問題になったが、もともと強制力がないから、振れ幅としてどちらも簡単に起こってしまう」
◆政府、自治体が動ける法的仕組みを
―店舗への休業や営業時間短縮も要請が基本だ。
「要請に応じて支払われるのは協力金で、お礼にすぎない。強制力がないので補償の問題が出てこない。しかし、新型コロナ特別措置法の改正で罰則を背景にした以上は、財政上の措置を講じることは必要だ。29条(財産権の保障)に基づく損失補償は不要とするのが一般的な見解だが、置かれている状況は事業者によって全く違う。体力で劣る中小零細事業者をある程度カバーするのは憲法上の要請だと思う」
―問題解決の糸口は。
「国家や政府が何のためにあるのか、国民は改めて考える必要がある。権力を警戒するのも重要だが、透明性のあるプロセスで、政府や自治体が必要な時に十分動ける法的仕組みを整えておくことが大切だ」
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えとう・しょうへい 2012年、コロンビア大法学修士課程を修了。弁護士や上智大准教授をへて21年4月より現職。日本のコロナ対応の特徴を分析した論文「匿名の権力―感染症と憲法」を昨年発表。著書に「近代立憲主義と他者」(岩波書店)がある。39歳。
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