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伊豆大島近海地震。東伊豆沖海底火山群 - 西乳ヶ崎海丘付近の火山活動?
http://www.asyura2.com/15/jisin21/msg/539.html
投稿者 地震くん 日時 2016 年 7 月 25 日 12:13:03: bjxfYNowiOS/g km6Qa4KtgvE
 

http://lala.hateblo.jp/entry/2016/07/25/050135

 

昨日より続いている伊豆大島近海地震ですが、震源付近の海底地形を調べてみると、どうも、東伊豆沖海底火山群。西乳ヶ崎海丘(最浅部 314m,比高約 500m)と呼ばれる昔の海底火山(?)付近に揺れが集中しているようです。

 

 

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上のマップ付近をGoogleマップで示すと以下。マーク付近に在るこんもりした盛り上がりが西乳ヶ崎海丘で、その一帯で地震が集中している。

 

相模湾の海底地形図1(今回の地震の震源は赤丸で囲った辺りに集中)

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相模湾の海底地形図2(今回の地震の震源は赤丸で囲った辺りに集中)

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1960年から2010年までのマグニチュード2以上の相模湾での震源分布。(防災科研さんの資料から) 

 

以下図に今回地震が頻発してる地点を赤丸で囲ってみると、1989年、手石島沖で海底噴火も起きた、伊東市沖から伊豆大島に伸びる赤点が密集している地域と少々異なる地点で地震が頻発している感じですね。

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1989年7月13日の手石島沖の海底噴火

手石海丘 - Wikipediaから

1989年6月に伊東市沖では群発地震を観測。7月9日にはM5.5の地震を観測するに至った。この頃には、伊東市周辺の井戸の水位や温泉の湧出量、地表面の変位が観測されている。7月11日からは火山性微動が観測され、気象庁は噴火の危険性が高いと発表、伊東市内には伊豆東部火山群が広範囲に分布しているので、どこで噴火がおきてもおかしくないと報道され、伊東市民がパニック状態に陥る中、7月13日18時33分に海底噴火が発生、翌月末まで活動を続けた。その後、水面下81mの海底で火口の直径200mの火山が形成されていることが確認された。噴火のメカニズムは周囲の火山同様、海底堆積層への玄武岩質マグマの貫入によるマグマ水蒸気爆発と考えられている。

 

群発地震が最高潮となった7月9日には、伊東市近隣で何かしらの火山活動が発生することが濃厚となり、報道機関の取材陣が伊東市に押しかける状態となった。ところが7月11日、中森明菜が自殺未遂を起こすという事件が発生。直後に噴火した手石海丘は、海岸線から直接火山噴火が目視できる世界でも希な現象であったにもかかわらず、テレビニュースでは自殺未遂の続報の次以降のネタとして扱われた。扱いの低さに、火山学者の中には激怒する者もいたが、結果的には観光地である伊東市周辺の風評被害が最低限に抑えられた。

 

www.youtube.com

 

今回は、どのような動きになるのでしょうか。

 

上に引用した、今回の地震と関連しそうな資料を、ネットから拾ってみました。

 

相模湾の恩恵 - 神奈川県ホームページから

http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f70122/p961938.html

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伊豆大島周辺海域の海底調査速報
海洋調査課伊豆大島噴火対策海底調査班*

 

3- 1 大島火山の北西一南東の方向性

http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/KENKYU/report/tbh05/tbh05-02.pdf

 

今回の三原山の噴火割れ目は北々西一南々東向きであり,地震活動も島の北部や南部及びそれらの沖合い で見られ(気象庁資料),強い方向性を示した。過去の噴火も三原山の南々東にあたる丘の平( 1421年噴火ス コリア丘),波浮の爆裂火口( 9世紀中頃の割れ目噴火による)など,やはり北々西 南々東ないし北西一南 東の方向性を示している(中村, 1969。)

 

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海底地形で島の北々西端の乳ケ崎のさらに北西沖を見てみると、島棚が海脚状に北西に延びてその先に乳ケ崎海丘(最浅部 217m、比高約 350m)、西乳ケ崎海丘(最浅部 314m,比高約 500m)等の円錐形の海丘が分布し、両海丘の中聞にも北西一南東に細長い海丘状の高まり(最浅部 485m,比高約 200m)が存在する。乙れらの高まりは全体が伊豆大島から北西に突き出した海脚状の高まりとなっている 。乳ケ崎海丘はその北側がやや崩壊して急斜面となっており、相模トラフに傾く斜面の最上部となっている 。 なお島の北方及び東方の海底は相模舟状海盆(海盆底の水深約 1,60~1,700m) に向かつて約10度の傾きで下る急斜面となっており、斜面には 1~2kmの間隔でひだのような凹凸が見られる。このひだ状の地形は多分斜面の崩壊を示すもので、前述の乳ケ崎海丘の崩壊とも考え合 わせると、伊豆大島北方と東方の海底では、相模トラフに向かつて、斜面が崩壊、滑落する現象が今も盛んに続いているものと考えられる 。 島の東方では、 そのひだ状の凹部が海底谷のような地形になっている。

 

伊豆半島の火山とテクトニクス

http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Izu/K1993.html

伊豆半島の噴火の歴史を地質学的に調べると,1989年に伊東沖で起きた手石海丘の噴火と似た事件が伊豆半島の陸上で過去15万年間繰り返してきたことがわかる.この噴火史の詳細を明らかにし,周辺の地質,地形,地球物理データとつき合わせることによって,伊豆半島の現在置かれている特殊な地学的状況を浮き彫りにできる。

 

 1989年7月13日、伊豆半島の東海岸にある伊東市のわずか3km沖合で海底噴火が起き、手石海丘と呼ばれる海底火山が誕生して人々を驚かせたことは記憶に新しい(図1)。噴火の生じた伊東市の沖合では、1980年以来ほとんど毎年のように群発地震が生じ、それに呼応するように地殻の異常隆起現象が起きていた。

 群発地震の震源分布は付近の地殻にかかる力(地殻応力)の最大圧縮の方向と同じ北西―南東方向にみごとに並び、周辺テクトニクスとの関連を予想させた。手石海丘の噴火にともなって顕著な地殻変動が観測され、たとえば伊東市と初島の間の距離が噴火に先立つ10日間で22cm伸びたことがわかった(1)。地殻変動や地震分布の解析により、1979年から1989年までの11年間に海底の地殻に北西―南東方向の幅1m、水平距離15km、縦方向の長さ6〜14kmの板状の割れ目が開きマグマが上昇した。つまり地殻内部に長大な岩脈が貫入し、最後にそのごく一部が海底に噴出したというモデルが立てられている(2)。手石海丘の噴火にともなって伊東と初島の間の距離が劇的に伸びたことは、最近では一般生活にも使用されるようになった人工衛星による測位システム(GPS)観測の結果にも見事にとらえられた(3)。

 

 手石海丘の噴火とはいったい何であったか、伊東沖の地下に生じた長大な岩脈は何を意味するのか、そしてこれからも同じような噴火が起きるのだろうか、というのが大方の人の抱く疑問であろう。地球科学において、あらたに生じた事件の意味を考え将来の予測をする場合には、まず観測によって起きた事件の全容を把握することと、過去の歴史をさぐり事件の位置づけを行なうことの2つがきわめて重要な作業となる。この両作業がバランス良く実行された場合、その事件の歴史上の意味が明らかになり、将来予測が可能になる。本論においては、伊豆半島における過去の噴火事例をさぐり、これまで蓄積された他の地形・地質・地球物理データと総合・検討することによって、手石海丘噴火のマグマ供給メカニズムや歴史上の意味を明らかにし、さらには東伊豆地域をふくむより広域の火山・断裂構造の意味やテクトニクス場の性格を考察する。

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図1 伊豆半島とその周辺に分布する火山。最近200万年間に活動したものが示してある。東伊豆単成火山群と東伊豆沖海底火山群(の多く)は単成火山の集合体、それ以外の火山のほとんどは複成火山である。

 

単成火山と複成火山

 伊豆半島において,地質学上もっとも最近生じた火山活動として知られているのは,東伊豆単成火山群と呼ばれる小火山群の噴火である(4)。東伊豆単成火山群は、伊豆半島の東部に分布する60個あまりの小火山体の集合である(図1)。単成火山とは、ただ一度の噴火によって小さな火山体を形成した後、噴火を終えてしまうタイプの火山のことをいう。日本では、東伊豆単成火山群に属する伊東市の大室山や、九州の阿蘇カルデラ内にある米塚という小火山がその典型である。単成火山に対し、同じ火口から何度も噴火を起こし、結果として大きな山体を成長させるタイプの火山を複成火山という。富士火山や箱根火山などはその典型である。複成火山は何度も同じ火口をつかって噴火を起こすので、その火道はパイプ状の安定した形状をもつと言われる(5)。

 東伊豆単成火山群と同類の小火山群は、伊豆半島と伊豆大島の間の海底にも分布が知られており(東伊豆沖海底火山群(6),図1)、気象庁はこれらをまとめて伊豆東部火山群と呼んでいる。最近、活火山の定義が変更され、定義のあいまいだった休火山という概念をなくすとともに、過去2000年間に噴火した証拠のあるすべての火山を活火山として認めることになった。文書に残る伊豆東部火山群の1989年以前の噴火記録はこれまで知られていないが、火山地形が新鮮であることや噴火堆積物中にふくまれる木炭の年代測定の結果から、伊豆東部火山群は活火山の定義変更前から活火山として分類されてきた。手石海丘の噴火は、はからずもこの判断の正しさを劇的に証明する事件となった。伊東沖の噴火の際に漂着した噴出物の岩石学的特徴が、伊豆東部火山群のものと一致することから、手石海丘の噴火が伊豆東部火山群の有史以来初の噴火であることが裏づけられた(7)。

 単成火山は、多くの場合これまで火口のなかった部分の地殻を割って誕生するので、そのマグマを供給する火道は岩脈型の割れ目火道の形状をしていると言われる(5)。なぜなら、通路のなかった場所にいきなり複成火山と同様のパイプ状の火道をつくるのは大変な仕事量になるからである。単成火山の火道が岩脈型をしていることは、伊豆大島や三宅島などで、実際に単成火山の火口内にマグマを供給した岩脈が露出することからも確かめられている。そして、最初に述べたように「単成火山」手石海丘の噴火が地下の岩脈火道の形成の地表へのあらわれであったことが、地震分布や地殻変動からも実証されたのである。

 

 

2. 伊豆半島東方沖の群発地震活動

http://dil-opac.bosai.go.jp/publication/nied_report/PDF/78/78-3okada.pdf

約 40 年間の沈黙を破って,伊豆半島東方沖で最初に群発地震活動が生起したのは,伊豆大島近海地震(M7.0)の 発生から 5 か月を経過した 1978年 6月である.それ以来, 今日まで 30 年間にわたって,伊豆半島東方沖の群発地震 活動は断続的に繰り返されてきた.

 

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図1(a) は,伊豆半島東方沖で最近 50 年間に発生した マグニチュード(M)2.0 以上,深さ 30 km 未満の地震の震源分布を示す.震源データとして,1980 年以前は気象庁, 1981 年以降は防災科学技術研究所のものを使用している. 群発地震の発生場所は毎回少しずつ異なっているが,全 体としては北西-南東方向に直線状の配置を見せている. この方向は,伊豆半島を乗せたフィリピン海プレートが 日本列島に進んでくる方向に一致している.

 

3. 群発地震活動に伴う地殻変動

伊豆半島東方沖の群発地震活動に特徴的なことは,単 におびただしい数の地震が集中的に発生するというだけ ではなく,これに同期して,周辺で顕著な地殻変動が毎回のように観測されることである.その典型的な例は 5 章(1989 年 7 月伊東沖の海底噴火)で紹介されているが, たとえば,川奈崎と10 km離れた熱海沖の初島との距離 が1週間ほどの間に20 cm前後伸びるとか,伊東市付近 の地面が 10 cm 近く隆起する等の現象が観測されている.

 

 

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