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↓3氏のプレゼンテーションを受けての懇談会議論
http://www.asyura2.com/15/senkyo186/msg/449.html
投稿者 あっしら 日時 2015 年 6 月 10 日 03:21:12: Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: 戦後70年首相談話懇談会第5回議事要旨:安倍首相を「歴史修正主義者」と見る米国の識者もいるので談話により払拭をとの声 投稿者 あっしら 日時 2015 年 6 月 10 日 03:11:28)

20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(「21世紀構想懇談会」)

第5回議事要旨より:

[プレゼンテーションを踏まえての議論]

(5)続いて、概要以下の意見が示された。

○発表は素晴らしく、特に白石委員の発表は歴史の大きな枠組みの中でとらえられていたものであった。他方、今次会合で求められていることは、中国、韓国等のアジアの国々との和解をどうするかということであり、そのような観点から以下を述べる。

第一に、日本は独仏の和解に学ぶべきであるとしばしば言われるが、欧州では、冷戦下における共産主義の脅威もあったが、和解することが自身の国益であると独仏双方が認識していたことが大きな動機となった。現在の中国、韓国からは、和解をすることが利益であると認識しているような印象を受けない。韓国では、朴槿恵大統領は、挺対協の強い圧力を受け、和解をしなければならないとの姿勢を示していない。中国は、共産党の下で愛国主義教育を行っており、和解を奨励する動きが起きていない。我々は、こうした違いを考えなければならない。中国、韓国との本当の和解には相当な時間がかかるものと考える。

第二に、2000年に天皇陛下がオランダを訪問した際、ベアトリクス女王は、天皇陛下が慰霊のための献花を行う際に、インドネシアで捕虜となり、現地で死亡したオランダ兵の息子である退役将軍にエスコートを行わせ、国内の反日ムードを抑えるようにした。こうしたリーダーシップを被害者側が持つことは非常に重要であると考える。

第三に、韓国の慰安婦に対し、法的には解決しているとしても、気持ちの面で慰安婦が癒しを得る方法を考えていくべきではないか。政府間ではなかなか上手くいかないため、民間レベルを中心に、こうしたことが少しずつでも進んでいけば、雰囲気が良くなっていくのではないか。同じことが、日中関係にも言えると考える。


○発表にも見られるように、戦後70年、日本は正しい政策の道をとっており、日本の政策に対外関係上の瑕疵はほとんど無かったと考える。それにもかかわらず、戦後50年、60年の際にも国際社会においてあまり注目されなかった日本の対応が、戦後70年に際してここまで世界の関心を集めている背景には、中国、韓国が日本の歴史認識に焦点を当て、国際的なネガティブキャンペーンを展開していることがある。

日本と中国が戦争をしたことすら知らないアフリカの人たちに対して、なぜ、中国は80年近く前の南京事件の写真を振りかざし、日本がこのような残酷な国であると宣伝しなければならないのか。韓国がなぜ、慰安婦問題をここまで執拗に追及し続けるのか。背景には、両国のナショナリズムと、新興国としての自信がもたらす日本への対抗心がある。

他方、日本の政策に瑕疵が無いにも関わらず、これほどの批判を浴びるということに、我々として乗ぜられる隙があったのではないかということも考えるべきだろう。それは、我々が過去にしっかりと直面してこなかったことではないか。

日本は、総理大臣が何度も正式なステートメントの形で謝罪をしており、謝罪は十分にしてきていると考える。しかし、反省については十分でなかったのではないか。謝罪は申し訳なかったという感情を伝える行動であるが、反省は謝罪に基づいた是正措置を取らなければならないので、その分だけ難しい。戦前の体制を支持しただけで懲役刑に付される刑法を持ち、ナチスの戦犯を地の果てまで追いかけるドイツと比べ、日本では、国会が戦争受刑者に対する赦免決議を4回も行うような、なあなあの政策をとってきた。国民の生死観の違いもあるが、私はアメリカや欧州で講演する度に、日本は未だに歴史に直面していないのではないかとの質問をいつも受ける。

今から、日本が戦争犯罪者を断罪することはできるはずもないが、本当に国家が反省しているかは、最も象徴的には、戦争に対する嫌悪感、反省を次世代に伝えているかということに、つまり教育に現れると考える。講演活動等を通じ、学生に歴史認識が正しく根付いていないと痛感しているが、川島委員から指摘があったとおり、高校に近現代史の科目を新たに設け、必須科目とすることが、非常に重要であると考える。


○自分は入社時から製鉄分野に携わってきたが、中国や韓国の製鉄会社等の製造業には日本から色々な技術が提供された等、日本の貢献により中国、韓国の技術力が高まってきた経緯がある。こうしたこともあり、今でも中国、韓国の関係者とは付き合いがある。メディアでは、中国、韓国に対する厳しい意見を多く目にするが、ビジネスの世界では頻繁に会ってフランクに話をしようということが多い。戦前に生まれた自分は、防空壕に入ったことを覚えているが、こうした戦争経験者はこれからどんどん減っていく。歴史の問題を体験していないが、しっかりと実感していくためには、教育が非常に重要であると思う。

先日、米国下院議長の招待に応じ、安倍総理の米国上下両院合同会議における演説を傍聴した。皆さんもこのスピーチを聞かれたと思うが、素晴らしいスピーチであった。45分のスピーチにおいて5分おきに共和、民主両党がスタンディングオベーションをしており、米国は安倍総理のスピーチをかなり好意的に受け止めていた。韓国はかかる米国の好意的な受け止めを見て、「肝心なことを言っていない。」との反応を示したが、バンドン会議で安倍総理と習近平主席が話したこともあり、中国は以前に比べて大分変わってきている。ところが、その韓国もまた最近変わってきている。先週、日韓経済人会議が開催され、出席した経済人が朴槿恵大統領と話す機会があったが、去年の同大統領の言動から変化が見られる。
この大統領の変化を見て、これから韓国と会話をすることが段々増えてくるのではと思っている。こういった状況であるので、お互い色々と行動しようということを常に頭に置いて韓国と付き合っていくことが重要であると思う。

本日、中国に37年住み、上海でコンサルタントをしている知り合いと話をした際、今の中国が昔に比べてどのように変化しているのか聞いてみた。日本に大勢の中国人が買い物に来ていることもあり、中国人の多くが日本とは仲良くするしかないと思っているが、日本の観光客が減ってきており、中国に出資していた日本企業も撤退しようとしているので、もう少しお互いにコミュニケーションをとる努力をすべきだ、とのことであった。また、戦争を知らない人々が歴史のことを議論するのではなく、もう少しお互いに交流した方が良いとの指摘も受けた。

中国、韓国は非常に重要であり、韓国の朴大統領も先ほど述べたとおり、少し変わってきた。そしてアジアで言えば、インドのモディ首相が就任後初めて訪問した主要国は日本であり、インドネシアのジョコウィ大統領も3月に日本への初訪問を果たした。ここからわかるように、アジア諸国は日本との関係をものすごく大事にしようとしているので、我々はこの点を前向きにとらえながら、反省するところはしっかり反省するという今までのメッセージをちゃんと引き継ぎながら、これから次の世代が相互に交流しながら、世界の発展に貢献していこうというメッセージが出てくれば良いと考えている。


○米国議会における安倍総理の演説は、歴史を振り返った感動的なものであった。演説において総理は、「痛切な反省」という言葉を使われたが、韓国では総理が謝罪しなかったということに対して、議会で非難決議が採択された。
前回の久保先生と細谷先生は、謝罪では和解はできず、加害者が国際的に信頼されること、双方の政府が努力をすること、そしてフランスやイスラエルがドイツに対してそうであったように、被害者が寛容であることが和解に向けて重要であると述べられていた。

川島先生が述べられたように、温家宝も日本は謝罪をしていると認めてきているにもかかわらず(日本は実に60回以上も謝罪をしてきた)、日中、日韓関係があまり改善しないという現実がある。謝罪では和解はできないのである。

自分は民間人として中国や韓国の友人と歴史を含めて夜を徹してよく議論をしてきた。中国人や韓国人とも歴史について、お互いに分かり合えると実感している。しかし問題点は、議論して理解し合えたことを「中国や韓国に戻って話してほしい」と彼らにお願いしても、彼らは母国では一切発言しないのだ。なぜかと言えば、中国には言論の自由がなく、韓国においても、日本のことを良く言うと社会的にバッシングを受けるから、その点では言論の自由が制限されている状態だからである。中国・韓国は歴史教育も偏っているし、言論の自由が制限されているので、草の根で相互理解の輪がなかなか広がらない。また、中国と韓国が、歴史を外交カードとして使っているのも事実である。

こういう状況で日本が和解のために何をできるかと言うと、謝罪を継続的に行うことでないことは明白である。日本は、もっと未来志向となり、時間をかけて地道に交流を深めていくことが重要となろう。


○和解は謝罪だけでは起こらず、謝罪に許しがあって初めて和解になる。謝罪と許しの双方が発生するプロセスを経ていくことが重要であるが、先ほど指摘があったように、中国は戦略的な理由から、韓国は国内政治的理由からまだ日本を許せる状況にないのかもしれない。だからと言って我々が努力を止めてよいということではないが、今置かれた状況を考えると、和解すべき利益を彼らにどう理解させるかということに今は努力を重ねるべきである。おそらく、中国は当面は絶対に受け入れないだろう。もしかしたら韓国は受け入れるかもしれないが、受け入れるとしても、それは韓国の戦略的な理由によるものであろう。彼らが大陸思考なのか、海洋思考なのか、現実的思考なのか現状変更思考なのか、それによって彼らの対応は変わってくる。我々としては引き続き努力をして、70年の談話も含め、本問題は相当長いプロセスになるという前提で考えた方が良いと思う。「その場しのぎ」も一つの方法かもしれないが、自分はそれよりも今後10年で韓国とどういう和解の道をつくるかというロードマップをつくれたら良いと思っている。中国については50年位かかるかもしれないが、こうした長いスパンで戦後70周年の談話のあり方を考えていってはどうか。

○今日ご発表いただいた御三方の先生、どなたでも結構であるし、それぞれの国の事情も違うので、できればそれぞれからお答えいただければと思うが、まず謝罪には赦しが伴わなければ、和解として進まない。全くその通りだが、その前提として、私が常に疑問に思っていることは、特に本日川島委員と平岩教授からご報告いただいたような、中韓両国に対する日本のいわゆる経済支援についてである。それぞれの国に対し、戦後秩序で言えば、あるいは、独と比べれば、国と国との間で、経済支援という形で莫大な金額や援助が、日本の政府や経済界によってなされてきた。ところが、よく耳にするのは、韓国に行っても、中国に行っても、なぜかそれが言及されることが非常に少ない。それぞれの国にそれぞれの事情があるのだろうけれども、実質的な賠償の代替であるという理解が、日本人の側にはある。それが、向こうの国民には、存在すら知られていない場合もある。これが、非常に大きな和解のプロセスの障害となっている。それはなぜなのか。これを取り除くにはどうしたら良いのか。可能な手段があり得るのか。その辺をお訊きしたい。

それから、これは白石委員にお訊きしたいが、「国策の誤り」という言葉に触れられていたが、私はいつもこの「国策の誤り」という言葉は一体何を意味しているのかよく分からない、大変曖昧な表現に思われる。普通、「国策」というのは、私の理解では、“national strategy”、「国家戦略」のことだと理解している。あるいは、戦争に関する話だから、あの大戦を戦う「大戦略」、“grand strategy”を誤ったということなのか。端的に言えばミッドウェーでなく、インド洋に向かうべきだったのか。そういうレベルの話なのか。あるいは、三国同盟を結ぶべきではなかったというくらいのことなのか。いずれにせよ、この場合、「国策」という言葉は、言葉として非常に曖昧で、少し前の回に問題になった「侵略」の定義と同様、あるいは、もっと曖昧さを伴ったまま使われている。「誤り」という言葉も、規範的な意味を含んでいるのか、目的に沿わないという意味での「誤り」だったのか、道徳性・倫理性を帯びた「誤り」だったのか。その辺のところも曖昧だ。言葉としては、国際的に赦しを請わなければならないことだと言っているわけであるが、例えば村山談話もそういう文脈で出されていたと思うので、おそらく倫理的・規範的な意味を帯びているのかもしれないけれども、いずれにせよ言葉としては、非常に曖昧さを伴った表現のように感じる。

白石委員が仰られた、例えば、ナショナリズムがアジアで勃興してくる時期に日本は帝国の建設に突入する。それは、戦略として「過ち」であった。そのとおりである。また、欧米列強の集合的な帝国主義に挑戦する。これも致命的な「過ち」だったと思う。しかし、このレベルの「過ち」であれば、「国策」という言葉はやはり不適切で、国の方針という意味での「戦略」とか「方策」という位の語感で示すべきなのかなと思うが、この辺の言葉遣いは村山総理にお訊きした方が良いのかもしれないが、いずれにしても、曖昧な表現であることは、「侵略」の定義と同様、あるいはそれ以上のものがあるのではないかと思う。御三方から、それぞれ短くお答えいただければ大変幸いである。


(上記発言に対し、以下のとおり発言があった。)

○私は、倫理的な意味で述べているのではなく、極めてクールに「戦略的な選択」の問題として、リアル・ポリティクスの問題として述べた。私が「国策を誤り」として言いたいのは、日本は正に“grand strategy”の目標設定を間違えたのだという趣旨である。


○中国の首脳の発言や学校教科書には、賠償の代償としてのODAということに触れていなかったと思う。だが、昨今は最近中国の首脳の発言、あるいは、教科書の一部でもODAがあったことについては紹介するようになってはいる。
もう一つ、賠償としてのODAの有無の話が和解を妨げているかどうかということについては、外交交渉の場ではODAは賠償とは位置づけられていなかっただろうが、心情としては賠償としての要素があると思った人は日本側にいただろう。他方、中国側は、ODAを経済協力と位置づけているだけでなく、対日関係では賠償を放棄したことをとても強調したいわけである。よって、「日本が賠償した」と言うと、彼らはこの論理で矛盾になってしまうので、そういう意味で言いにくいところがあるのだと思う。


○韓国に関しては、経済協力という形をとったわけであるが、これは韓国側が自覚しているかどうかは分からないが、日韓国交正常化の時に、有償、無償を併せて5億ドルということは、韓国側も大体分かっている。ただそれが、韓国側に響いていないということは、韓国の側からすると、日本との位相で考えると、「もっとくれても良いんじゃないか。」ということもあるので、我々は「甘え」という言葉を使うと彼らはすごく怒るが、やはり「甘え」の構造があるのだろうと思う。例えば、1997年に韓国が経済危機に見舞われ、IMFが救済した時も、日本側は十分支援したにも拘わらず、韓国側は、「日本はもっとやってくれれば良かったのに。」というようなことを言ってきた。そういう構図があって、客観的な経済協力が、韓国の国民に響いて、赦しにつながっていくということは、なかなか今の段階ではないということだと思う。


○2つ手短に申し上げたい。先日の安倍総理のワシントンでの演説は、確かに拍手がずいぶん起き、おおむね好意的に受け入られた。
これには2つ理由があると思っている。1つは、米国の議会で日本に関心がある議員は、安保か経済に興味を持っている人が多く、歴史問題に注目している人はそれほど多くない。基本的に未来志向であるということ。
2つ目に、あの演説の中でとても注目された言葉は、“repentance”という単語だった。「悔悟」という言葉に邦訳されたが、日本の語感で言うと、「懺悔(ざんげ)」が一番近いのではないかと思う。その後も、米国の識者、知日派だけでなく、中国専門家などとも話したところ、「“repentance”という言葉は普段から使っているのか」と尋ねられることが多かった。私からは、「あれは初めて総理が演説で使った言葉だと思う」と説明した。
“repentance”は、キリスト協の国では、「懺悔」というか、説明的に言えば、単に反省だけでなく、その後の自分の態度も変える“change the attitude”という意味合いを含んでいるという。「あの言葉は非常に素晴らしかったと思う」という意見を複数聞いた。「戦後の体制を見ると、日本は確かに態度を変えてきたのだと思う。そこを安倍総理がきちんと述べたのは良かったと思う」ということだった。

一方で、その後、あちこちで訊く安倍総理の評価について。この議会演説によって印象が変わったかというと、やはり安倍総理は「修正主義者(revisionist)」なのではないかという意見はかなりある。「お前は安倍総理は修正主義者(revisionist)だと思うか」と、あの演説の後もあちこちで訊かれた。私は、「総理はいろいろ頑張っていると思う」と答えていたが、やはり安倍総理は歴史を今までと違うふうに捉え、戦後の日本は良い国であるが、戦前・戦中の日本について少し違う理解を持っていて、それを打ち出そうとしているのではないか、というふうに見る意見がかなり多いということを感じる。
そこで一つ提案であるが、戦後50年、60年と来て、今回戦後70年の談話をまとめるということになっている。そうすると、戦後80年も90年の時もやるのかという話になるのではないか。今、安倍総理が修正主義者ではないかという意見が出ている中で、安倍総理が作る総理談話というのは極めて重要だと思う。

きちんとした歴史認識、あの戦争は何だったのか、特に、侵略だったのかどうかということについて、総理ご自身の認識を触れるべきなのではないかと思う。それはなぜかと言うと、先程申し上げた戦後50年、60年、70年、80年という中で、後世、「あの」安倍総理が作った談話できちんと歴史認識に触れたということになれば、10年後の戦後80年や、20年後の戦後90年はもう区切りがついてまとめなくても良いのではないかという気がする。他の委員も仰っていたが、きちんと清算しきれていない部分が残っているのだろうと。

勿論、中国・韓国がそれを利用して、あえて政治問題化しているという面は別の問題としてある。が、日本として区切りをつけるという意味では、安倍総理だからこそできる談話、鎮静化できるものがあるのではないかと。村山談話は村山総理だったからこそできた談話だったかもしれないが、安倍総理だからこそ、今後のことを考えて、戦後80年、90年に同じことをしないですむ談話もできるのではないかと思う。やはり、安倍総理ご自身の歴史認識が語られる談話というのが必要なのではないかと思う。


○まず和解の達成は決して容易ではなく、特に中国と韓国との場合は、その国の物語の中に日本が入ってしまっており、その中で和解を達成していくというのは非常に難しい。しかし、日本側から諦める姿勢が少しでも見えると本当に逆戻りになると思うので、こちらから努力をしているという姿勢を常に示すということは非常に重要ではないかと思う。

もう一つ、白石先生が、「修正主義ではないし、修正主義にはならない」ということをはっきり言うべきと述べられていたが、私も米国の友人と話すと、「安倍総理自身が修正主義なのではないか」、という指摘を受ける。安倍総理自身が「違います」と仰っているにもかかわらず、やはりそういうレッテルが貼られてしまっているということは、それがある程度現実の認識であると思う。こういった状況を払拭するようなことをしないと、談話は依然として「修正主義の談話」というレッテルを貼られてしまう危険性がかなりあるのではないかと危惧する。従って、まず過去の反省がどうだったかということをはっきり示し、かつ、今後未来に向けてどういうことをしようとしているのかという具体的なことも盛り込めたら、このレッテルを外すことにつながると思う。是非それをこの談話でやっていただきたいと思う。


○武力紛争後の和解に不可欠な要素は3つあると言われている。1つ目は、既に言われている「贖罪の意識」であり、英語で言う“sincere remorse”。「痛切な反省」と訳されることもある。二つ目は、「赦し」(“forgiveness”)。そして3つ目に必要なのは、「タイミング」と言われている。これは、時間が経てば経つほど時間薬になるというわけではなくて、正に和解に行うのに適切なタイミングというものがあり、それを逃すとまた暫く和解ができないタイミングが訪れるかもしれないということである。いわゆる「痛切な反省」とか「贖罪の意識」というものは内的なものでそのままでは他者に体感されないので、それをいかに体現するかというのが重要で、それを示す手段が謝罪であったり、賠償であったり、特定の場合にいわゆるアファーマティブ・アクションと呼ばれるような宥和政策のような形になる。いわゆる「痛切な反省」というものをどうやって体現していくかということが求められてくる。

一方、和解を成し遂げる上で、いわゆる平和と正義(“justice”)の間にジレンマが生じると言われているので、その視点からの考察も必要。“justice”というのは、処罰だったり、広い意味での賠償だったりするのであるが、過度に加害側と呼ばれている人たちに処罰を求め続けると平和が遠のく現象が世界の紛争では数多く見られる。広く戦争責任が問われる可能性がある場合は、処罰される可能性がある人はそもそも和解に応じることを渋る。また、和解に誠意を持ち取り組んでいるにも関わらず正義の観点から加害責任を問われ続けていると、和解・平和への取り組みに向かう気持ちがいつしか消耗する。そのため、多くの近代の紛争地では、特定の指導者層は国際戦犯法廷等で処罰が与えられるが、その他多くの加害者には恩赦というものが与えられて、和解・平和の方を優先するということが行われている。

日韓・日中関係はまったく文脈が違うが、やはりここで求められているのは落としどころ。共通して求めるものは何なのかということ。平和だとか、和解というものが本当に必要だという、もしくは、それに代わる落としどころが何かにというところの合意が必要だということに同意する。

同時に、世界の紛争地では、加害者が加害責任を逃れた時に、被害者の被害感情というものもある程度ケアする取り組みがある。例えば、共通の歴史認識を持って、過去に区切りをつけ、未来に向かうプロセスとして、いわゆる真実和解委員会というものが設置されるということもよく行われる。これはつまり、加害、被害者側それぞれが、自分たちが何を経験したのか、何が起こったのか、ということをそれぞれのストーリーで語り、可能な範囲で中立的に記録し、それを基に自分たちの過去に何が起きたのかということに区切りをつけて、未来に向かう。

そのプロセスのために行われるものである。川島委員も提案されたような、日中や日韓の共同研究が、果たしてそこまで政治的な区切りを持つものに持っていけるかは分からないが、そういう区切りをつけて、その上で、過去の事は忘れない、ただ許す、というプロセスに持っていくということになる。英語で言うと、“Don’t forget, but forgive”である。教育の機会の話もあったが、日本だとそもそも“Don’t forget”と言う前に、そもそも歴史のことを知らないという人が多く、それが中国、韓国の人が話していて、憤りを感じるところもあるらしい。そもそも歴史の話をしたいのに、それすら知らないと、日本側は土俵にも立つ責任を感じていない。接触の機会が多ければ多いほど、肩透かしをくらって、逆に反感が高まるということもある。勿論、それぞれの見解からの可能な部分で共通の歴史を踏まえるのがベストだが、教育面での取り組みも必要だと思う。

○言葉遣いの問題だが、今日の3先生のお話を伺っても、アジア各国が歴史的存在として一様でない、それぞれ違う、ということがはっきりしているので、これまでの談話に見える、「アジアの諸国民」に対して物を言う、という表現を改めたらどうか。この間の総理の米国議会演説でも同様の表現を使っており、「アジア諸国の方々に」迷惑をかけたという言い方になっている。日本は、中国、韓国に対し、それぞれ別の意味であるが、歴史上、加害的な行為を犯しているということを明確にした方がよい。なぜ、「アジア諸国に対して」という表現が採用されたのか分からないが、問題がここまで煮詰まってくると、この曖昧さは無意味であり、混乱の元でもある。整理が必要だ。

○先程、指摘があった「我々はそれなりによくやっていたけれども、瑕疵があったのではないか。それは歴史をきちんと見つめ教えてこなかった」と言う点について、まったく同感である。一部メディアの報道は、戦争はいかに悲惨かということに偏っているが、同時に、「なぜそういうことが起こったのか」ということについて徹底して理解することがとても重要である。「戦争は悲惨だ、だから一切の軍備は止めよう。」、という短絡的な発想では困る。歴史はもう少し深みがあるもので、「なぜこういうことが起こったのか。」、ということをよく思い出し、考えて、反省することが重要である。反省と言う言葉と謝罪という言葉は峻別して使われるべきである。反省というのは、自らの指針となるように、「なんで我々は間違えたのだろうか。」ということを考えることである。

先ほど「国策を誤り」という点につき言及があったが、私は、この点は曖昧なまま、「国策」という言葉で良いのだろうと思っている。大体戦争に負けたのだから、戦略的に大失敗である。かつ、そういう選択をしなければ、死ななくて良い人が内外に沢山いたわけであるので、道徳的に問題だということで、全部併せて国策を誤ったということで良いと思う。他にも言い方があるかもしれないが、「戦略のミスだ」とか、「道徳的に問題だ」、とか詰める必要はない。むしろ、それは有害ではないかと思う。

謝罪と反省の違いについては、反省というのは認識に基づき自らの糧とするものであるが、これは第一次大戦後のマックス・ウェーバーや、第二次大戦後のヤスパースからして、繰り返し述べられている点であり、これが、メディアで混同されているのは大変嘆かわしいと思っている。

これまでの日本の、とくに対韓外交を振り返れば、日本の中にややパターナリスティックな、「とりあえず謝っておこう」、という態度があったのではないかと考えている。例えば、宮澤元総理の訪韓の時の謝罪は、正にとってつけたような謝罪をしていると思う。こういう対応は、相手に対し、「ちょっと謝ったら収まるだろう」と馬鹿にされているとの印象を与える可能性があるのでよくないと思う。民間レベルの取組も大事であるが、政府の枠組みを守っていくということは、とても大事である。例えば韓国との関係では、「何か騒いでいるけれども、65年の条約を少し見直したら良いのではないか。」、という対応をするのではなくて、約束は約束で守っていく姿勢で接することが重要である。この意味で、最近、朴大統領の方針も少し変化しているように思われるが、これまで同大統領は、歴史問題の解決、あるいは、慰安婦問題の解決が前提であり、それ無しでは何もしないと言ってきた。こうした大統領の態度が最近少し柔らかくなったから、こちらも態度を軟化させようというのではなく、関係を改善したいのであれば、韓国の国会における安倍総理への非難決議を撤回しろということ位はきちんと言った方が良いと思う。先程のパターナリスティックな態度について言えば、竹島問題についてもそうであり、竹島問題については、私はどう考えても日本に理があると思う。
こうした状況を是正していくためには、韓国は政府間でないと申し入れを受け入れないとの姿勢をこれまで示してきているが、民間の活動と政府の活動双方がとても重要である。関係改善のためには日韓両方の努力が重要であるので、韓国の態度が少し変わったからと言って、日本側の態度をあまり急激に変えない方が良いと思う。


○自分は今までのビジネスにおいて輸出を専門に行ってきて、その過程の中で、中国、台湾については、相当な犠牲を払いながら、その国・地域の産業を育ててきたという自信がある。しかし、それを、先方に言うのではなく、改めて我々として考えなければいけないことは、そういった誇るべき過去においても、その中で我々が間違っていた部分がもしあるのであれば、そこは指摘し、直さなければならないということである。今日の議論の中で、中国、台湾、それから韓国、あるいは北朝鮮までを含めての韓半島との対応において、我々は総理に対する答申をそろそろ作らなければいけない時期に入っているので、客観的に見て、我々に必要だと思われることは何であるかということを、改めて整理し直す必要があるだろうと思う。その意味で、本日話題になった韓半島や中国というのは、離れることのできない隣人であるので、それとの関係について、しっかりとやるべきことはやっていかなければならない。

今日のご議論の中で、安倍総理が米国での議会での演説は、非常に好評であったことは事実である。しかし、韓国のみが依然として日本を非難・攻撃しており、同時に、米国内で、従来から、安倍総理が「修正主義」だと言われているのも事実であることを受け止める必要がある。

この次の会合は、20世紀の教訓を踏まえて、21世紀のアジアと世界のビジョンをどう描くのか。日本はどのような貢献をすべきか、というのが次回の議題。また、戦後70周年に当たり、具体的な施策は何であるか、という点についてもしっかりとした議論をする必要がある。

(6)閉会にあたり、加藤官房副長官から、川島委員、平岩教授及び白石委員による発表、そして、各委員による多岐に亘る意見表明に感謝し、次回会合においても活発な議論を期待する旨の挨拶があった。

(以上)

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/dai5/gijiyousi.pdf
後半部分のみ抜粋


 

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コメント
 
1. 2015年6月10日 05:43:44 : KzvqvqZdMU
戦勝国により作られた「歴史」は修正されるのが当然である。
もぉ70年も過ぎたのだ。「歴史」を政治から解き放ち、学問としなければ
ならない。
 なぢぇ70年経ってもゴチャゴチャなるのか、それは、ひとえに中国韓国が
「歴史」を政治目的にしておるからに他ならない。これに日本が、事なかれ主義
でもって。えぇ加減にやってきたからに外ならない。
 土台、外交に「和解」はないのだ。日本人が言う外交とは、甘っちょろい
のだ。外交とは、机の上で握手し、机の下では蹴り合うものなのだ。


[32削除理由]:削除人:アラシ

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