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記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の33)・「奈良県は、荒らぶる大地だった」
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/422.html
投稿者 どう思われますか 日時 2018 年 7 月 02 日 09:37:59: Qy4l4lPG05pBg gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ
 

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「奈良県は、荒らぶる大地だった」に、ご興味をお持ちでしょうか。

 古代の奈良県は、信じられないような地震や造山活動が行われた、ダイナミックな大地でした。

 まさに、『信じられない』の一言ですが、「国引き」の行われた出雲でさえも、恥ずかしくなって逃げ出すような、オカルトの聖地でした。


 今回の投稿記事は、「お花畑」の最高傑作と言っても、過言では有りません。必ずや『信じられない』、『有り得ない』と思われることでしょう。


A 奈良盆地は、大和湖で、汽水湖だった。


ア) 舒明天皇の、信じられないような、オカルトな「歌」の、謎。

 舒明(じょめい)天皇は、推古天皇や聖徳太子の後に登場する天皇(629年即位−641年崩御)ですが、おかしな歌を詠みました。

  『国見をすれば、国原は、煙立ち立つ、海原は、鴎立ち立つ、うまし国ぞ、あきつしま大和の国は』。

  (歌の意)、『天の香具山から眺望すると、平野部には家々から煙が立ち昇り、海原にはカモメが飛び交う、素晴らしい国だ、あきつしま(蜻蛉島)の大和の国は』。(と言うような意味らしいです)。

 この歌は、奈良盆地の橿原市にある標高152mの天香久山から、カモメが飛び交う海原が見えると云うのですが、今の大阪湾まで直線で30km以上離れています。しかも、金剛山・二上山・信貴山・生駒山などに遮られています。

   天香久山から大阪湾の海原が見えるなどは、有り得ません。不可能です。

 仮に、歌が本当なら、奈良盆地の当時は海(汽水湖)だったことになりますが、どうでしょうか。

 (注) 万葉集・巻一の二、『やまとには、むらやまあれど、とりよろふ、あまのかぐやま、のぼりたち、くにみをすれば、くにはらは、けぶりたちたつ、うなはらは、かまめたちたつ、うましくにぞ、あきづしま、やまとのくには』。


イ) 小野妹子が、三輪山の麓に、船で帰国して上陸したという、謎。

 日本書紀の推古天皇の十六年(608年)の条に、遣隋使の小野妹子が帰国したが、船で大阪湾に入り、奈良県の三輪山の麓にあった「海石榴市(つばのいち)に、船で上陸しました。

 ところが、今の奈良盆地の標高は、中央部の田原本町とか川西町とかが40mくらい有りますから、大和川の落差は大きく、船で河を遡上したとは思えません。歩いて海石榴市に行くほうが、合理的です。考えられません。

 では、海石榴市に船で上陸したというのが、事実なら、奈良盆地の当時は、大阪湾と落差の小さい海だったことに成りますが、どうでしょうか。


ウ) 奈良県の海にちなむ地名の、謎。

 奈良盆地の各地に、海にちなむ地名が残されています。不思議です。

 忍海(おしみ)−−近鉄「御所駅」のすぐ北側。
 保津−−近鉄「田原本駅」の北側。
 結崎−−川西町役場の東側、近鉄「結崎駅」あたり。
 磯城郡−−川西町・三宅町・田原本町あたり。
 船宿−−御所市の高鴨神社の東側あたりか。
 海石榴市(つばのいち)−−三輪山の麓の桜井市金屋あたりが比定地。


エ) 「大和湖」は、ポピュラーです。

 グーグルで、「大和湖」で検索すると、無数にヒットします。

 同じように、大阪の「河内湖」でも、無数にヒットします。


B 奈良は、盆地全体が、隆起した。

 今の奈良盆地中央部の田原本町とか川西町とかの標高が40mくらい有りますが、不思議です。


ア) 古代の遺跡は、50−60メートル以上にしか存在しない、不思議。

 縄文時代とか弥生時代の遺跡が、奈良盆地で発見されますが、標高50−60m以上からであり、それより低い場所からは発見されません。

 つまり、大和湖全体が、隆起したという事ですが、どうでしょうか。

  (★もしも、大和湖が、土砂で埋まったと言うのなら、地中の低い場所から古代遺跡が発見されるはずですが、発見されないと云うことは、大和湖全体が隆起したという根拠になりそうです)。


イ) 奈良市西部の「あやめ池」の地域で、地下の地層から、海洋生物の化石が見つかっています。

 これによって、奈良市の西部は、古代には、海水の海だったことが証明されます。


C 「山の辺の道」は、当初は、湖岸道路だった。

 奈良県の観光コースに「山の辺の道」のハイキングが有ります。JR天理駅からJR三輪駅までのコースが有名です。


ア)  「山の辺の道」は、標高50メートルとか60メートルの高台を通っているそうです。不思議です。

  一般論として、大和湖に湖岸道路を作るなら、湖水面の1m−2m程度に道を作るはずです。なぜ、高台に道を作ったのか。

  しかも、「山の辺の道」は曲がり道クネクネで、直線道路では有りません。そんな馬鹿な話は有りません。道は真っ直ぐに作るものです。

 では、なぜ、高台にあり、曲がりくねっているのか。それは、「山の辺の道」全体が隆起したからです。しかも、湖面よりも20メートルくらい高く隆起したのです。

   (大和湖(奈良盆地)の中央の田原本町とか川西町とかが40mくらい隆起したと言うのなら、「山の辺の道」は60−70メートルくらい隆起したことになります)。


イ) 「山の辺の道」は、奈良盆地東縁断層帯の上に有ったという、不幸な話。

 地震の断層帯が、奈良県に有り、北部の西側には「生駒断層帯」が南北方向に走り、北部の東側には「奈良盆地東縁断層帯」が三輪山辺りを基点にして天理−奈良市の春日山方面を通って、京都市の山科盆地へ抜けています。

 要するに、「奈良盆地東縁断層帯」が隆起したために、その上に有った「山の辺の道」も全体的に隆起しましたが、隆起の過程で、直線の湖岸道路だったものが、曲がり道クネクネになってしまったと云われています。

  では、なぜ、湖岸に比べて20メートルくらい高く隆起したのかは、「奈良盆地東縁断層帯」が、縦方向に隆起する性質を持っていたからです。

  (食パンで例えると、東西に置いた食パンに、南北方向に縦の切れ目を入れて、中の1枚を引っ張り上げると、表面の「湖岸道路」も持ち上がり、「山の辺の道」に変身するというマジックです)。

 ちなみに、「山の辺の道」だけではなく、景行天皇陵や崇神天皇陵なども、一緒に、全体的に持ち上がったと云われていますが、信じられない話です。

  (★ 「奈良盆地東縁断層帯」が南北の縦方向に隆起する性質を持っているのは、奈良県の地質研究家は誰でも知っている、常識だそうです)。


D 古代の地震の記録。

 日本書紀の、允恭天皇即位五年の条に、日本最古の地震の記録が有ります。遠飛鳥宮(奈良県明日香村)の地震ですが、記録に残されたということは、それほどの大地震だったからだと、思います。

 その後は、推古天皇七年(599年)の条に、大地震の記録が有ります。

 その後は、天武天皇十三年(684年)十月の条に、史上有名な「白鳳地震」(東海地震・南海地震の連動型)が発生しています。

 その後の大地震の記録では、
   701年、丹波の大地震。
   715年、東海大地震。
   734年、「天平地震」(畿内七道地震)。生駒断層直下型。死者多数。
   745年、岐阜県の美濃方面の大地震。
   762年、美濃・飛騨・信濃の大地震。糸魚川・静岡構造線。
   818年、北関東大地震。死者多数。

 (記録が残された)奈良時代は、全国的に巨大地震が多発しているようです。


E 二上山方面は、有名な「地滑り」多発地区だった。

 奈良盆地の西の端の大阪との国境に二上山が有ります。その北側に「明神山」が有り、大和川に面した「亀の瀬」が有りますが、昭和7年(1932年)には、大規模な地滑りを起こして、上流部に浸水被害をもたらし、「亀の瀬の地滑り」として、新聞にも取り上げられました。

 原因は、北側の生駒山が南の大和川の地下に沈み込むと同時に、大和川の川底が隆起し、川の南側方面を押し上げることにより、隆起した部分が崩落するためだ、と云われています。


F 「奈良坂」も「奈良山」も無く、昔は、平地だった。

 古代の話ですが、奈良市北部に丘陵地帯は無く、平地でした。そして、伊賀上野方面から流れる木津川は大和湖に流れ込んでいました。

 それだけではなく、京都市本面の「桂川」も「鴨川」も「宇治川も」、全部、八幡市の男山の北側あたりから南に折れて、木津川に合流して、大和湖に流れていたそうです。

 さらには、琵琶湖も、滋賀県の信楽方面に有り、移動を繰り返して、今の琵琶湖になりました。


G 天皇が、奈良を逃げ出した(可能性)。

 奈良での最古の地震の記録は、(Dのとおり)、4百年代の前期の允恭天皇即位五年に、日本最古の地震の記録が有りますが、これが奈良での地震の最初とは、思えません。

 景行天皇が、奈良県桜井市の纏向宮から、滋賀県大津市の志賀高穴穂宮に移動していますが、子供の成務天皇も同じ志賀高穴穂宮に居ました。
  奈良を離れた原因に、地震が関係していた可能性は、無かったのでしょうか。

 あるいは、「河内王朝」の応神天皇以降の天皇が、大阪に都を移していますが、これは、朝鮮経営の利便性のために、港のある大阪に遷都した説が有りますが、群発地震のために、奈良に入れなかった可能性は、無いものでしょうか。


 (★ 話は脱線しますが、「河内王朝」は渡来人の説が有りますが、そんなことは有りません。神功皇后・応神天皇の架空説が有りますが、実在したと思います。

  また、応神天皇と仁徳天皇は兄弟だったし、景行天皇と倭武天皇も兄弟だった説が有るのですが、どうでしょうか)。


H 平安京への遷都論。

 奈良盆地は、平城京の時代に、ダイナミックな隆起をした説があり、それで大阪湾との船の交流が閉ざされ、結果的に、奈良が遺棄された説が有りますが、どうでしょうか。

 (オカルトの世界では、アトランチス大陸は、一晩で沈んだと云いますから、奈良盆地の50mや60mの隆起くらい、簡単な話です)。


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