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記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の34)・「大国主の正体と、日本制覇」
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/423.html
投稿者 どう思われますか 日時 2018 年 7 月 09 日 09:42:56: Qy4l4lPG05pBg gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ
 

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。


@ ところで、「大国主の正体と、日本制覇」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、大国主はアメノホヒではないかと想像しています。

 しかしながら、高天原と人間世界との「重畳次元」の問題、スサノオとの親子関係の問題、歴史的な年代との整合性の問題などを、総合的に考えると、解読は非常に困難だと云わなければ成りません。

 まあ、いつものように、「お花畑」的な講釈をしてみたいと、思います。


 (★ 大国主については、記紀神話では曖昧になっていますが、(推古天皇即位28年の条にも有るように)620年に蘇我馬子と聖徳太子が「天皇記・国記・臣連伴造国造百八十部幷公民等本記」などを著しました。
 645年の大化改新で焼失する前に、それを見た大海人天皇がパクッて、後に古事記が著作されたのではないかと、想像しています。
 (あるいは、太安万侶が、散逸していた天皇記・国記などの写本を書き写したのが、古事記の正体かも、知れません)。


   (★ 日本書紀の欽明天皇即位二年春三月の条に)、
 『・・・帝王本紀、多有古字、撰集之人、屢經遷易。後人習讀、以意刊改、傳寫既多、遂致舛雜、前後失次、兄弟參差。今則孝覈古今、歸其眞正、一往難識者、且依一撰而註詳其異。他皆效此)。・・・』
   (簡略の翻訳)
 帝王本紀は、多くの古い文字が有り、撰集者もコロコロ変わった。その後の人が習い読むときに、意図的に改変したりした。写本も多く出回り、間違いも有る。前後の順番が失われたり、兄弟の順序も違っている。
 今、古きを推測して真正に復帰させた。ただし、真実を知り難いものは、その中の一つを選び出すが、その他の異なるものも注釈として詳細に書くことにした。他のものも、皆、これに従っている。


A (毎度のことですが)、実は、大国主は居たが、アメノホヒは居なかった。

 大国主は人間ですが、アメノホヒは高天原の神霊で幽霊ですから、アメノホヒという人間は居ません。ですから、居たとするなら、「大国主に憑依したアメノホヒが居た」ということになります。


 (アメノホヒが憑依する前の大国主については、どこの誰だか分かりません。大国主という意味は、「多くの都市国家の盟主」というようなイメージだと、思います。

  また、大国主の時代には、日本に統一国家は無かったと思います。国土の統一は崇神天皇、あるいは景行天皇以降だと思います)。

  (崇神天皇の「四道将軍」の派遣、景行天皇の九州遠征や、倭武天皇の九州遠征と東国遠征。

   ★ また、崇神天皇の「神」の字は、『怪しい天皇ですよ。ひねくってありますよ。よく考えて真意を読み取って下さいね。』という意味だと思います)。


B (記紀神話によれば)、アメノホヒ(大国主)は、アマテラスとスサノオの子供だった。

 記紀神話の「誓約(うけい)の段」では、スサノオが高天原のアマテラスを訪ねて、誓約(うけい)を行って、八柱の御子神を生んだことが書かれてありますが、男の子の全部をアマテラスが引き取り、女の子の全部をスサノオが引き取って、宗像三女神として祀られてあります。

 (よく考えますと、古代は母系相続でしたので、宗像三女神がアマテラスの宗像の領地を相続したという解釈も出来そうです)。

 男の子は、天之忍穂耳・天之菩卑・天津日子根・活津日子根・熊野久須毘の5人になりますが、天之忍穂耳の墓所伝説では、遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の「忍骨命」というのが定説ですが、アメノ・ホヒ(天之菩卑)の墓所は、出雲大社だと想像します。

 ですから、アメノ・ホヒの少年時代は(北九州の宗像から遠賀川方面の)高天原に有ったと思います。
   (これとは別に、朝鮮半島の説も有ります)。

★注) 「先代旧事本記」と「日本書紀・神代上・第六段・一書三」では、男神は5人ではなく6人になっています。
 日本書紀には、1に天忍穗耳・2に天穗日命・3に天津彥根命・4に生活津彥根・5に熯之速日(ヒノハヤヒ)・6に熊野忍蹈(クマノオシホミ)・別名に熊野忍隅(クマノオシクマ)・熊野久須毘(クマノクスヒ)の6柱が見えます。

   これを見ても分かるように、記紀神話は、実に「適当」であり、「お花畑」の代名詞です。


★ グーグルの航空写真で見れば一目瞭然なのですが、福岡県は、博多-大宰府-甘木のラインと、遠賀川流域の2つの地域に大別されます。

 このことは、墓制の違いにも表われており、「甕棺墓」は博多-大宰府-甘木のラインに出現していますが、遠賀川流域には全然見られませんから、両地域には文化の違いが有ったものと、思われます。

 仮に、博多-大宰府-甘木のラインに邪馬台国の卑弥呼が居たとして、遠賀川流域にアマテラスやアメノホヒ(大国主)が居たとするなら、両者は全く関係が無いことになりそうですし、民族も異なっていたのかも知れません。


C 国譲り神話で、アメノホヒが出雲に派遣されて、入り婿していること。

 国譲り神話では、高天原から最初にアメノホヒが派遣されましたが、出雲の女王のスセリヒメに入り婿して、大国主として収まってしまいました。

  これは、古代は母系社会であり、家督は女子が継承して、男子は成人すると独立し、結婚は平安時代まで続いた「妻問い婚」の風習に従いました。

  また、高貴な身分の者は「血の純潔」を維持するために、兄弟結婚をする風習が有りましたから、(スサノオを父とする異母兄弟の)スセリヒメとアメノホヒの結婚は、妥当なものと思います。


 ★ 兄弟結婚は、古代では、世界中で行われました。メソポタミアの神話でも、エジプト神話でも、ギリシア神話でも、中国の神話でも、兄弟結婚が行われています。

  (余談ですが、スメル神話の「エンキ神」は、近親相姦を繰り返しました。「天神アヌ」の子供のエンキ神は、異母妹のニンフルザクと結婚して、女神のニンサルを生みました。娘のニンサルとエンキ神が性交して、孫の女神のウットウを生みました。孫のウットウとエンキ神が性交して、ひ孫の「8人の御子神」を生みました。

   ちなみに、エンキ神の父親の「天神アヌ」も、異母妹のアントウムと結婚して、(エンキ神とは異母兄弟の)エンリル神を生みました)。

 ★ 兄弟結婚を行う意義は、第1には、血の拡散を防ぎ、高貴な「血の純潔」を守りました。第2には、親の財産を兄弟姉妹で相続して、他人に渡るのを防ぎました。第3には、一族郎党の団結力を強化して、「血の結束」を図りました。

  古代には、法治主義も安寧秩序も有りません。頼れるのは一族郎党の「人治主義」だけです。


D 出雲大社の大国主をアメノホヒが祭祀していること。

 日本書紀の一書に、「高皇産霊尊が大己貴命に、『汝の祭祀を主(ツカサド)らむは、天穂日命これなり』と勅した」として、二重性を見せています。

 また、平安時代の「先代旧事本記」でも、出雲大社の国造家の祖先は天穂日命としています。


(大国主にアメノホヒが憑依したという、根拠)

ア) 日本書紀・神代下・第九段・一書二の一に、
 『一書曰、天~、遣經津主~・武甕槌~、・・・時高皇産靈尊、乃還遣二~、勅大己貴~曰「今者聞汝所言深有其理、・・・又當主汝祭祀者、天穗日命是也。』
   (簡略の翻訳)
 『タケミカヅチ・フツヌシの2神が、大国主に国譲りを要求すると、大国主が拒否した。2神は天上に戻って高皇産霊尊に報告した。改めて、大国主に高皇産霊尊の命令を伝えた。
 『お前の言うことは道理にかなっている。お前が治めている現世のものは、ニニギが治めるから、お前は神事を治めよ。お前の住む宮殿も造ってやる。お前を祀るのはアメノホヒだ』。
 
  ★ 神霊のアメノホヒが、人間の大国主を祀るのは「アベコベ」です。だから、アメノホヒが大国主に憑依して「霊肉一致」になったということです。


イ) 先代旧事本紀にも、(ア)と同様の趣旨が書かれてあります。
 
 また、大国主の隠居の後は、子供の事代主が先頭に立って、天孫に仕えるとも書いています。


E 大国主は、本当に、スサノオの子供だったのか。

 実は、分かりません。(★記紀神話のことですから、真実は分かりません。「お花畑」と割り切って、遊ぶだけです)。

ア) 大国主の別名も多くあり、「日本書紀・神代上・第八段・一書六の一」の翻訳には、
 『大国主~、またの名は大物主~、また号す国作大己貴命、また曰く葦原醜男、また曰く八千戈~、また曰く大国玉~、また曰く顕国玉~。其の子は凡そ一百八十一~が有る。・・・』と有ります。

 これは、一人の人間を指して言ったのか、多くの人間の総称を言ったのか、分かりません。また、大国主には181人の子供が居ますが、高皇産霊尊には約1500人の子供が有ります(日本書紀・神代上・第八段・一書六の四)。


イ) また、古事記にある系図では、大国主はスサノオの6世の孫(スサノオを1代目とすると7代目)としていますが、これは継ぎ接ぎ(ツギハギ)だと想像します。

  その理由は、スサノオの3世の孫の妻に「天のツドヘチネ神」がありますが、「天」の尊称を持った天津神の娘が国津神と結婚するなどは、絶対に有りません。

  また、5世の孫に「天之冬衣神」と有りますが、国津神の系図の中に「天」の尊称の付く者が混じることは、絶対に有りません。そして次の6世の孫が大国主になっています。


ウ) 大国主は、何回か、亡くなっている。

 「古事記」では、大国主の「因幡の八上姫」の段で、八十神のために2回亡くなって蘇生しています。1回目は焼けた岩を抱いて焼け死に、2回目は木の股に挟まれました。


エ) 播磨国風土記には「伊和大神」として、登場する。

 播磨国風土記には、「伊和大神」として数多く登場しますが、「伊和の君」の奉斎する神とあり、通説では大穴持神のこととされていますが、播磨国風土記には「大汝命」の名前も登場しており、使い分けがされているようで、よく分からない神です。

 また、揖保郡の林田の里の伊勢野の『山の峰に坐す神は、伊和大神の御子の(伊勢の国名の元に成ったところの)伊勢津比古命、伊勢津比売命』が見えます。
 また、同所には、伊勢野のほかにも、伊勢川も見えます。


F 大国主の年代を、推理する。

 大国主の年代を推理する根拠に、ニギハヤヒの東征(東遷)が、考えられます。

 ニギハヤヒが、「神武天皇ニギハヤヒ」として、奈良に入ったのは290−300年ごろと推測されます。

  (これは、応神天皇の幼少期の「神功皇后摂政時代」を380−400年ころと考えての逆算になります。さらに遡ると、景行天皇時代が360−380年ごろ、「崇神天皇神武」時代が340−360年ごろ。「欠史八代」(実は子供と孫の二代)が300−340年ごろと考えての逆算になります)。

  (余談ですが、応神天皇や神功皇后の架空説については、「傀儡政権」で実在したと思います)。


(話を戻して)
 ニギハヤヒが30−40歳で奈良に入城して数年後に崩御したとすると、生まれたのは260年ごろになります。
 オシホミミが、20歳の時に長男のニギハヤヒを生んだとすれば、オシホミミが生まれたのは240年ごろが導かれます。

 すると、アメノホヒ(大国主)が生まれたのは、オシホミミと同じ240年ごろが導かれ、活躍の時代は260−280年ごろに成ります。
  (邪馬台国の滅亡を考慮すると、270−290年ごろも有り得ますが、分かりません。

 ★ 古代人の寿命を20−30−40代とするなら、以上の仮説は修正しなければ成りませんから、本当のことは、分かりません。


G 大国主は、どこで生まれ、どこに居たのか。

ア) 大国主の時代には、北九州の博多−大宰府−甘木ラインに、邪馬台国が有りました(推測)。2百年代の前半には卑弥呼が居ましたし、266年のトヨの朝貢の記録も残っています。
   (「晋書」の、『泰始2年(266年)に倭人が朝貢に来た』との記録)。

 そうすると、大国主は、北九州の遠賀川方面に居たと考えられます。

  その根拠には、天之忍穂耳の墓所伝説の、遠賀川上流の福岡県田川郡香春町(かわらちょう)の香春(かわら)神社の存在。宗像三女神で奥津宮のタキリ姫を娶って、アシスキタカヒコネと下照姫を生んだことが挙げられます。


イ) 朝鮮半島から、渡来した、可能性。

 大国主が朝鮮半島から渡来した可能性の根拠は、邪馬台国の存在です。邪馬台国が北九州を支配しましたから、出雲や北九州から大国主が台頭して、西日本全域を支配下に収めるには、違和感を感じます。

  (また、大国主の西日本全域の遠征は、船が無ければ成り立ちませんが、邪馬台国が、海人族を支配して制海権を持つ中で、はたして可能なのか)。


 すると、大国主は、朝鮮半島南岸東部の洛東江の河口部に居たのではないか、という仮説が登場します。

  つまり、(卑弥呼の亡き後の)狗邪韓国を領有し、日韓の海人族も見方につけて、北九州の邪馬台国を攻め滅ぼした。そして、遠賀川方面の「アマテラス族」を支配下に収め、宗像の女神を娶った。
  さらに、出雲に侵攻して、女酋長のスセリ姫を娶った。さらに稲羽の女酋長の八上姫を娶り、さらに越の女酋長の沼河姫を娶った。
  さらに、朝鮮半島から応援に来た参謀総長の少彦名の加勢を得て、瀬戸内を東征して、大和にまで侵攻した。


H 終わりに。

 今回の記事は纏まりのない記事に成りましたが、アメノホヒの神霊が大国主に憑依して、人間活動を行ったくらいしか、分かりません。

 出雲についても、島根半島には、佐太大神(サダ・オオカミ)」の狭田(サダ)の国や、「枳佐加比売(キサカ・ヒメ)」の闇見(クラミ)の国の伝承が有りますし、出雲風土記では「熊野大神・佐太大神・天下造らしし大神・野城大神」が登場しますが、詳しいことは分かりません。

 少彦名についても、伊予の道後温泉・播磨の各地・紀伊の加太など、多くの伝承が有りますが、詳しくは分かりません。


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