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<コラム>もう一つの天安門事件、私は歴史的事件に遭遇していた
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投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 6 月 04 日 23:04:35: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

6月4日の「天安門事件」は多くの人々の記憶に残るが、実は「天安門事件」と呼ばれる騒擾事件がもう一つあることは余りよく知られていないのではなかろうか。写真は天安門。


<コラム>もう一つの天安門事件、私は歴史的事件に遭遇していた
http://www.recordchina.co.jp/a140419.html
2016年6月4日(土) 12時50分


1989年6月4日は政治改革に積極的で民主派といわれた胡耀邦の死をきっかけに、民主化を求めて天安門広場に座り込んだ学生たち及びこれを支援する一般民衆に対し、人民解放軍が武力で鎮圧、多数の死傷者を出した事件の日で、この騒乱は「天安門事件」と呼ばれ、多くの人々の記憶に残る。事件の最大の山場の弾圧日が6月4日であったことから「六・四事件」とも呼ばれ、目下中国共産党にとって触れられたくない事件でもある。

しかし、実は「天安門事件」と呼ばれる騒擾事件がもう一つあることはあまりよく知られていないのではなかろうか。文化大革命(1966年―1977年)末期の1976年4月5日、その年の1月に病死した周恩来総理追悼のため一般民衆が天安門広場に捧げた数多くの花輪等の献花物が一夜にして北京市当局により撤去され、それに怒った民衆が軍の一部や警察等公安関係部門と衝突、多数の負傷者を出した流血事件のことである。後年の「六・四事件」と区別する意味で「第一次天安門事件」あるいは「四・五天安門事件」とも言われるものである。

商談で北京に滞在していた私は、同年4月3日の午後、散歩がてら目的もなく天安門広場に向かった。驚いたことに、普段だだっ広い感じのする広場は中央にある人民英雄記念碑を取り囲む様にして花輪がいっぱい飾られ、数多くの立て看板と多くの市民で埋め尽くされていた。中国では4月5日頃は清明節と呼ばれる二十四節気の一つの時期に当たり、各家庭では故人をしのび墓参りを行う等の風習がある。北京の民衆はこれに習って花輪を飾り、立て看板等を並べてその年の1月に亡くなった周恩来の追悼をしていたのである。立て看板には周恩来を讃えたものや逆に四人組を非難、攻撃する文章や詩等が書かれ、人々はそれらを読み、涙を流し、持参したノートやメモ用紙等に書き写していた。

翌4日の朝に再び行って見ると、それらの花輪や立て看板等はきれいさっぱりなくなっていた。北京市当局が前夜の内に全て撤去したという。代わりに多数の民衆が集まり、広場の東側辺りにあった公安関係者の宿舎の窓ガラスめがけて石を投げつけ、うまく命中してガラスが割れると一斉に拍手喝采をしているのが見られた。さらには、広場の2、3カ所に人の輪ができていて、時折その中心部あたりから帽子や靴、中にはカメラ等が投げられ宙に舞っていた。人垣であまり近づけなかったが、「どうも、外人がやられているらしい…」「写真を撮っていた…」「外国の新聞記者らしい…」等といった声が聞こえた。広場東の歴史博物館の前には見慣れた公共バス1台とさらに2両連結のバスが横倒しになり、周りはタイヤの燃える黒い煙と臭いに包まれていた。私には目の前の事実はわかるものの、全貌として何が起こっているのかさっぱりわからなかった。住所に中国北京市と書き、宛名に私の名前を書くだけで日本からの手紙が届くほど日本を含む外国人が少なかった時代である。服装や言葉ですぐ異国人とわかってしまうのを懸念し、ひとしきり広場を見回ってから早々に広場を後にした。その後は身の安全をも考え、単身で天安門広場に近づくのは控えた。

その日の夜だったか、翌日の夜であったか記憶が定かでないが、長安街に面した電報大楼への行き返りに天安門広場前を通った。広場では誰かが台上に立ち、演説の様なことをしているのが見えた。「北京市のお偉いさんで、呉徳だろう…」タクシーの運転手が教えてくれた。長安街の通りに沿って並ぶ警護官の前を車は速度を下げながら通過して宿に戻った。

「トウ小平が解任された(失脚した)」というニュースは次の日の朝だったか、ホテルの従業員から聞いた。この時でも、私にはこの国が今どうなっているのか、何がどう動いているのか等よくわからない状況が続いていた。これらの全体的な状況の概要がわかる様になったのは数日後の日本からの出張者が持参した日本の新聞を見てからであった。「天安門事件」という名前もこの時初めて知った。歴史的事件に遭遇していたことを知ったのもこの後である。

事件の半年後、四人組は逮捕され、文化大革命は実質的に幕を閉じた。当時の公安部宿舎跡の周りには毛沢東記念堂が建てられた。記念堂近くに立つと多くのことは忘れ去ってしまっているが、あのガラスを割って拍手をし、歓声をあげていた人々の姿は鮮明に思い出す。

■筆者プロフィール:岡田郁富
長年日本の大手総合商社にて中国ビジネスに携わり、機械、プラント類の輸出をはじめ中国現法の責任者として数多くの対中投資案件を手掛け、商社退職後は主として中小企業向けに中国ビジネスアドバイザーを務める。ビジネスでの往来や長期滞在等を含め50年程に渡り中国関連に係り、豊富な経験を持つ。

 

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