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深層中国 〜巨大市場の底流を読む 第80回 よみがえる「小農意識」〜平均27歳でマンションを買う理由  
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 6 月 27 日 17:14:22: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

深層中国 〜巨大市場の底流を読む 第80回
よみがえる「小農意識」〜平均27歳でマンションを買う理由

経営・戦略 田中 信彦 2016年06月24日
再び注目される「小農意識」

 中国で最近「小農意識」という言葉をしばしば耳にする。「小農」は直訳すれば「小さな農家」とか「零細な農民」という意味で、長い歴史の中で「小農」と呼ばれる階層の人たちの間で生まれ、共有されてきた意識の持ち方を指す言葉だ。一般に「視野が狭く、自分や身内の利益しか考えない」といったネガティブな意味で使われる。

 「小農意識」という言葉が使われるのは、例えばこんな時だ。

 ある湖北省の観光地で、地元の住民が高い入場料を取っていることに批判が集まり、メディアなどが「目先の利益しか考えない小農意識だ」と批判、入場料を値下げしたところ観光客が増加し、逆に収入が増えた。

 広東省のある地方都市の幹部が「我が市はすでに外国の一流企業が多数進出する有力な都市になった」などとして、新たな高速道路建設への資金拠出を渋った。その姿勢に対し、「自分たちの地域のささやかな成功に甘んじる小農意識だ」と批判が起こった。

 ある地方都市でスイカを満載したトラックが横転、運転手は運転席に閉じ込められて大怪我を負った。にもかかわらず近隣住民たちは、運転手をそのままに散乱したスイカをかき集めることに狂奔した。「これは自らの利益しか考えない小農意識そのものである」と強い批判を浴びた。

 歴史的に中国は巨大な農業国家で、周縁部には農耕を主たる生業としない民族や地域もあったが、基盤となる産業は農業であった。1978年に改革開放が始まった時点でも中国の国民の8割が農民といわれ、社会の工業化、都市化が進んで都市人口が増え、農村人口と半ば拮抗するようになったのはごく最近のことである。それでも農村人口の比率は先進国に比べればはるかに高い。

 数千年にわたって圧倒的多数を占めていた「小農」的な発想が社会の根幹に根強く残り、旧態依然とした「小農意識」の存在が近代化の阻害要因だという議論は以前からあった。しかし近年、中国社会の社会的、経済的な停滞感が強まるにつれ、この「小農意識」が実は現在の中国の抱える問題の根底に思ったより深く影響しているのではないか――という見方が再びクローズアップされてきている。今回はそのあたりについて考えてみたい。

「狭い視野、自分の利益しか考えない」

 「小農」という言葉をインターネット上の語辞典で調べてみると「わずかな田畑を持ち、家族の労働力だけで農業経営を行う小規模な農業。また、その農民」という定義が出てくる。しかし「小農意識」という言い方をした場合、そこにかなり強い否定的な意味合いが込められているのが普通である。

 例えば、中国共産党機関紙「人民日報」(日本語版)の少し前のウェブにこんな記事があった。一部を抜粋して引用する。


 「中国式道路横断 中国人はなぜルールを守らないのか」
 北京大学社会学部の夏学鑾教授は、「これは社会の発展段階とも関連している。ルールと公共の秩序を求めることは、都市文明の一つの特徴だ。外国人は中国人よりもルールを守るが、それは彼らの都市文明が中国よりも数世代前から発展しているからだ。中国は小農社会から都市文明に移り変わっており、まだ数十年、1−2世代分の時間しか過ぎていない。各地は依然として農村から都市に移り変わる過渡期に当たる。農村は知り合い同士の社会であり、都市のように多くのルールを設けて正常を維持する必要はない。これは多くの人がルールを無視するか、無意識のうちにルールに違反する一因となっている」と分析した。
(「人民日報」日本語版 2012年11月2日)
 この一文を読んだだけで、中国の知識層が「小農意識」にいかに否定的な見方を持っているかが窺えて興味深い。

「小さな富にすぐ慢心する」

 中国社会で「小農意識」がどのように形成されてきたかは歴史研究の領域で、私の手には余るが、一般に「小農意識」という場合、以下の3つの特徴を持つとされる(中国の大手ポータルサイト「百度(Baidu)」の辞典機能「百度百科」などの記述を参考に筆者がまとめた)。

1.「小さな富にすぐ慢心する」(小富即安)
 人生の目標が低く、とりあえずの生活に加え、少しの余裕ができるともう金持ちになったように感じる。そのためすぐに危機感が薄れ、汗水たらした勤労をしなくなり、安逸な生活に走る。そして、そのわずかな富を大げさに誇り、自分一人の力でその富を実現したかのように言う。

2.「自己を律することができない」(欠乏自律)
 「小農」の生産方式は長く個人単位であり、自家の農地で自家の農機具を用い、働きたい時に働き、作りたい作物を作る。ルールや制度というものに馴染みがなく、束縛もないので、自己を律するという意識が薄い。「小農意識」を持つ人とは、公と私、上と下、内と外などを区別する意識に欠け、行為の主体としての責任感に乏しい。個人と社会の関わりという意識もほとんど持っていない。

3.「個人の関係や親族を重視する」(宗派親族)
 商売も個人が中心で、組織力がなく、協調精神に乏しい。互いの利益を慮った共存ができない。そのため自然災害などへの抵抗力も弱い。頼りになるのは友人や親族だけで、「小農意識」を持つ人が信頼するのは同姓か血縁のある「家」だけである。

 要するに視野が狭くて大局的な判断ができず、思いつきで身勝手な行動をし、身内や親しい仲間しか信用しない――。これが「小農意識」であると中国では考えられている。おそらく長く続いた中央集権的な支配の下、過酷な徴税や度重なる天災、戦乱など厳しい生活環境の中で自らの利益を守り、生き抜いていくために「小農」たちが形成した自己保存のための行動形態なのだろう。そして、その影響は現代の中国社会にも脈々と及んでいる。


マンション一次取得者の平均年齢は27歳

 ご承知のように中国の不動産価格は非常に高い。上海や北京のような大都市だけでなく、全国の省都(県庁所在地に相当)やそれに準ずるクラスの都市でも中心部の不動産は普通の勤労者個人では手の届かない水準になりつつある。

 上海では市内の内環状高速(東京で言えば山手線ぐらいのイメージだろう)の内側では、1m2当たり日本円で150万円以下ではまともなマンションは買えない。80m2の物件なら1億2000万円ということである。ニューヨークはどうかというと、マンハッタン地区のマンション平均価格が史上初めて100万ドル(約1億1000万円)を突破、同地区の1m2当たりの平均価格は1万8530ドル(約204万円)と伝えられている(AFPニュース、2015年12月18日)。つまり上海など大都市の不動産価格は完全に東京やニューヨーク並み、もしくはそれを超える水準に達しているということである。

 しかし考えてみれば、中国の1人当たりGDPは最新の統計でも7000米ドル程度で、先進国の5分の1ほどである。物価水準の差を考慮し、より実質的な比較ができるとされる購買力平価GDPでみても3分の1からせいぜい半分程度。上海市民の平均所得は中国一高いが、それでも年間90万円ほどである。富の偏在が激しく、お金持ちもたくさんいるのは確かだが、それでも不動産価格の高さは改めて異様というしかない。なぜ中国の不動産価格は、理性的な相場をはるかに超えて高騰していくのか。

 加えて、実は中国人の不動産購入には大きな特徴がある。それは不動産の一次取得者(人生で初めてマンションを購入する人)の平均年齢が極めて若いことである。不動産情報の大手ウェブサイト「新浪楽居」の2016年のデータによると、北京市のマンション一次取得者の平均年齢は27歳。米国の平均は35歳、日本とドイツが41歳である。27歳といえば大学卒なら社会に出て5年しか経っていない。さらに別の調査では、北京市のある大学では卒業生の約3分の1が卒業後2年間のうちにマンションを購入したという。

 投機目当ての資金流入が不動産高騰を招いているのは事実だろうが、この購入者の平均年齢の際立った低さは、それでは説明がつかない。不動産価格が東京をはるかに上回る北京市で、なぜこんな若年層がマンションを買えるのか。その謎を説明するキーワードが「小農意識」である。

「持ち家のない勤め人」は「農地のない農民」と同じ

 かつて中国社会では、各地の「小農」たちは同族同士が協力し、農地を耕し、作物を作って、売り、節約してお金を貯め、また新たな農地を買っては作物を作り…という繰り返しで同族の生活の安定を図ってきた。身内を除けば周囲は敵ばかり、権力者は過酷に税金を取りにくるばかりという情況では、それが自分たちの身を守る最も合理的な方法だったのだろう。

 清朝から中華民国を経て、社会主義中国となり、文化大革命という大騒乱を経ても、このような「同族が結束して自らの利益と安全を守る」という中国社会の発想は綿々と受け継がれている。それは現代の都市住民でも基本的には変わっていない。それは先に引用した北京大学の研究者が指摘する通りである。

 生活の糧を得る道は農業から勤め人に変わった。しかし、会社とは言ってみれば株主や経営者が儲かるようにできているもので、政府や役人は権力を使って私利私欲を満たすのが当然だというのが中国社会の観念である。そういう「周囲は敵ばかり」の社会で、人々は昔と同じように一生懸命働いて、給与を得て、節約し、貯金し、ローンを組んでマンションを買う。値上がりすればそれを担保にもう一軒買う。お金が足りなければ一族で融通し合って、なんとかする。

 中国人にとって家とは単に住むための道具ではなく、人生そのものの基盤であり、生きていくための土台である。何としても確保しなければならない。持ち家のない勤労者など、農地のない農民のようなものなのである。


子孫のために家を買うという「強迫観念」

 そう考えれば、中国でマンション一次取得者の年齢が非常に若いことの理由は明らかになる。大学を出て数年で、なぜ日本円で数千万円ものマンションが買えるのか。本人の経済力だけでは当然無理である。そこには父母や場合によっては祖父母、親戚一同など一族を挙げての支援がある。私の周囲の友人たちが自分のマンションを買う場合でも、そのもくろみの先には必ず自分の子供にいかに資産を残すかという発想がある。

 その根底にあるのは「家(イエ)」の意識であり、宗族の概念である。それは「子供が可愛いから家を買ってやる」「子供が親に家をねだる」といった「情」の問題とは別のものである。一族の後継者である子供たちの生活基盤となる家を準備するのは大人として当たり前であって、仮にそれができなければ――やや極端に言えば――子々孫々に対して中国人として当然するべきことをしなかったという負い目を感じ、「メンツのない」思いをしなければならない。そういう性質のものである。

 中国人の住宅購入にはこういう背景があるから、その行動は純粋な投資行為とは呼べない。ある種の強迫観念のようなバイアスがかかっている。もちろん利殖の意味もあるけれども、それはいわば副次的なものである。とにかくまずは家を持つ。それはある意味、金銭よりも大事なことであって、なしでは済まされない。ニューヨークやロンドンでは「投資」にはなるが、「家」にはならないから、上海人なら上海で、北京人なら北京で家を買わなければならない。そういう思いで何百万人もの人が不動産を買うから、価格が「非理性的に」高くなっていくのである。

 もちろん中国とて大きな流れの中では市場原理で動いていることに間違いはなく、長期的には不動産市況もその例には漏れないだろう。しかし、ここで述べてきた一点は中国の不動産相場の動きを考える際に見落としてはならない視点であると思う。

若者の一生を制約する「小農意識」

 ことは不動産の購入には留まらない。一族の後継者としての子供たちや若者を周囲が寄ってたかって「守り、育てる」という観念は、不動産購入以外の場面でもいたるところで目にすることができる。

 考えてみれば、中国の苛烈な受験戦争もこの「小農意識」の産物と言えるかもしれない。子供は――これもやや極論すれば――独立した人格を持つ「個人」ではなく、親や一族の共有するいわば「共有物」である。勝手な行動は許されない。一族の担い手となる立派な人になってもらわなければならないのである。

 そのために親は子供たちのために過剰とも思えるほどの保護を加え、お金をかける。親は何を我慢してでも巨額の教育費を捻出し、毎日毎日送り迎えし、食事や健康に気を遣い、毎晩毎晩、子供の宿題を一緒になってこなす。傍から見ていて中国の親は本当に大変である。この点で、子供をまず親から独立させることを最優先に考える欧米の教育と鮮明な対照をなす。もちろん子供が可愛いという「情」があるのは当然だが、その背後には中国社会の抗し難い圧力のようなものがあるのも、また否定できない事実である。

 かくして中国の子供たちは親や周囲の限りない愛情をふんだんに浴びて育つのだが、その反面、子供たちの肩にはものすごいプレッシャーがかかっている。それは「親や一族の期待に応えなければならない」「この人たちが期待するような人生を送らなければならない」という、これもまた一種の強迫観念のようなものである。

 もちろん家庭による差は大きい。子供は自由に道を選ばせるのがいいという親もいるが、少数派に留まる。それはなぜかというと、前述したような「子供は一族を挙げて守り、育てるものだ」という前提の下に社会の仕組みが構築されているからである。教育制度、受験制度、そして不動産の購入、すべてそうである。「子供の自主性に任せて」いたら中国の受験制度で勝つことはまず不可能だし、住むところすら手に入らないのだから。

 かくして中国社会では、社会の規格に合った、親の世代の期待に応えようとの意志を持った「良い子」が大量に育っていく。そこには多少なりとも政治の都合も反映されているだろう。反面、子供の頃から自立を半ば強要され、アルバイトやボランティア活動、スポーツ、旅行などで独立した発想を養い続ける欧米の若者たちのような人間が育つ土壌は薄い。

「小農意識」の平和な風景

 気になるのは、約40年前の改革開放以来、満ちあふれるチャンスと旺盛な成長意欲のために見えにくくなっていた古来の「小農意識」が、近年の「ささやかな成功」に安んじることで、またぞろ息を吹き返してきたのではないかと思えることである。

 今の世の中を見渡すと、中国の経済成長を引っ張ってきた40代後半以降の人たちは、多くは事業の一定の成功や不動産の高騰によって小資産家となり、事業意欲は低下し、ほぼ「上がり」の心境になっている人が目立つ。そして、その子供たちは学生時代から早くも親の資産継承を当然のこととして、勉強も仕事もそこそこに、せっせと親孝行に励んでいる――という平和な光景があちこちにある。

 なるほど、これが音に聞こえた「小農意識」か。だとすれば、その将来に与える影響は深刻だと思わざるを得ない。


(2016年6月24日掲載)
https://www.blwisdom.com/strategy/series/china/item/10535-80.html  

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コメント
 
1. 2016年6月27日 17:23:34 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[1739]

昔の日本もこうだったが

都市化が進み、親族の絆が切れて変わっていった

中国も、少子化で、いずれ変わらざる得ないだろうな

ただし社会の変化のスピードが加速しているのに

寿命は変わらないから、より歪は大きくなるだろう


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