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死の種族 タナトスの歴史
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投稿者 れめく 日時 2017 年 2 月 11 日 09:38:20: 2a13jxQagsSNg guqC34Kt
 

http://p.booklog.jp/book/112848

大谷(オータナ)、石原・石破(イシュバランケー)、石田(イシュタム)、安倍(サトゥルヌス)が属する、人喰い人種であり、死の種族であり、人身御供の種族であるタナトスの歴史を判りやすくまとめてみました。以下は前書き・・・・・・・・・・・・


タナトス(死)は反自然の権化であるニュクス(夜)から生まれた。タナトスは、一族を挙げて虚言症を患い、殺人を無上の悦びとし、人類史上、はじめて喰人を行った唯一の人喰い人種である(育て方が悪いから人殺しになることはありえない。全ては遺伝である。タナトスの血が流れていなければ殺人を楽しむことはできない)。世界に四散している各種の人身御供も、実は、タナトスの一族である能登族だけが一手に引き受けて行っている。つまり、彼らは世界中を旅し、落ち着いた先で人身御供を実施した。人身御供もカニバリズムも連続殺人鬼もナチスも魔女狩りも十字軍もテロリストもイスラム国も、みな同じ種族に属している。彼らは、我々とは異なる人類タナトスである。
彼らは、新人類として3万年前に古代オーストラリア大陸に誕生した。タナトスは大きく分けると、タナトス、ダーナ神族、シェルデン人、ダナーン族、能登族に分かれる。タナトスはほぼ絶滅し、タンナ島にわずかが残り、日本にタナトス/モンゴル組に属する「戸塚」「戸崎」がいるだけである。ダーナ神族はダーナ神族/バビロン組、ダーナ神族/イスラエル組、ダーナ神族/北欧組、ダーナ神族/アステカ組、ダーナ神族/ドミニコ会の5種に分かれ、シェルデン人はシェルデン人/イスラエル組、シェルデン人/日本組、シェルデン人/フランス組、シェルデン人/ブリテン組の4種に分かれている。
ダーナ神族とシェルデン人の連合体から生まれた「ヒクソス」からは、古代ベトナムにダナーン族、古代日本に能登族が生まれた。ダナーン族は、アラスカ・ダナーン族/シベリア組、アラスカ・ダナーン族/アフリカ組、イスラエル・ダナーン族/ウイグル組、イスラエル・ダナーン族/日本組の4種に分かれ、能登族は殷・能登族/オータン組、殷・能登族/サタン組、、出雲・能登族/黄河組、出雲・能登族/メソポタミア組の4種に分かれている。


人喰い人種である彼らは、人々に尊敬される王になることを夢見た。しかし、誰も彼らを王として求めない。なぜなら、彼らは人喰い人種だからだ。過去、寺山修司が「ピアニストになりたければほかのピアニストを殺せばいい」と、怖い冗談を言っていた。だが、恐ろしいことに、タナトスはこれを実践している。また、彼らの発想では、全ては見せ掛けでも良いのだ。動物は演じることはできないが、人間は演じることができる。彼らはそれを人間が進化した一番のポイントだと捉えている。つまり、人々に本気で尊敬されなくても、「尊敬しなければ殺す」と脅して、尊敬しているふりをさせれば良いのだ。これで、見た目には人々の尊敬を受けているように見える。
王は強いが、それ以外の人間は、みな無力である。ちょっと脅せば服従し、どんな命令でも実行する者がほとんどだ。また、これを徹底させるために、タナトスは大量の信者をインフラ全般に送り込んで掌握した。これで、誰も彼らには逆らえない。大勢の弱者たちは、静かな日常と生活の保障を求めて人喰い人種に服従するのだ。
地球上の弱者を信者として抑えたタナトスは、全信者にウソをつかせて少数派の優れた者に挑戦した。そう。優れた者は少ないのだ。優れた者よりも劣るタナトスは、数で圧倒する形で真の王を退けたのだ。劣る者が優れた者を倒す。これは非常に不自然なことであり、自然界では起こり得ない事象である。タナトスは、自然界の禁忌を破った。あとは、信者であれ、部外者であれ、真実を求める輩は速やかに排除すること。ウソをつくことを至上の命題としているタナトスは、超古代から、正直者の撲滅を標榜している。人喰い人種が治める世の中は、優れていること、正直であることが罪となる。

以下は大谷の説明・・・・・・・・・・・・・・・・


大谷家(殷・能登族)は、日野家(出雲・能登族)に接近して自身の血統を打ち立てた。この時に誕生したのが、親鸞(中国語読みキン・ルア)である。親鸞の名の由来は「親(先祖)はレア」である。レアとはクロノスの妻「女神レア」である。クロノスは、タナトス、タネに次ぐ古い時代の人喰いの神である。大谷家が日本にやってきた目的は日本の王になることである。しかし、人喰い人種は王にはなれない。人々に必要とされないからだ。彼らが王になるためには、「自分たちこそが唯一の知であり、王となるべき者である」とウソをつかねばならない。そして、そのウソを信じる、或いは信じるフリをするものを大勢味方につけねばならない。大勢でウソをつけば、それは真実となるのだ。つまり、何でも言うことを聞く大量の信者を獲得すること。
彼らは、数で圧倒すれば優れた者を倒すことができることを知っている。そのため、大谷家は日本の人口の8割を占める農民の獲得を急いだ。日本中の優れた人々に無視され、「優れた者に認められないから農民を相手にするしかない」と笑われた親鸞であるが、ふてぶてしい犯罪者の血が流れている親鸞は、そんなことは意にも介さなかった。親鸞には先祖代々伝わる確証があったのだ。優れた人々は、人喰い人種でしかない親鸞の言葉には耳を傾けないが、弱い農民はちょっと脅せば耳を傾けてくれる。ということで、親鸞は行く先々で大勢の農民を脅し、どんどん教線を拡大した。その後、大谷家は獲得した大量の信者たちを日本中のインフラに送り込んだ。こうして、浄土真宗は戦国時代には既に大量の信者を擁する日本一の巨大教団となり、織田信長などの優れた武将と同等の発言力を誇った。
だが、多くの優れた武将たちは、浄土真宗の本質を見抜いていた。浄土真宗は、信者にウソをつかせ、道具として酷使する邪教と位置づけられた。日蓮宗、六角定頼、島津氏、富樫氏、北条氏、上杉謙信、織田信長、一時の徳川家康など、優れた者たちは、正しく浄土真宗を弾圧した(江戸時代には、ルイス・フロイス、有馬晴信、大村純忠、高山右近、千利休、大塩平八郎などが、浄土真宗と闘った)。だが、大谷家はそのたびに大量の農民を指揮し、暴れさせた。そして、信長などの優れた武将の手を煩わせた。「なぜ、たかが農民に手をこまねくことがあるのだ」信長はそう考えた。しかし、そこには何らの卓越したカラクリはない。大谷は、ただ単に数で圧倒しているだけなのだ。例え、宮本武蔵であれ、1対100の勝負には勝てないのだ。ただ、武蔵ほどの男なら、半分は仕留めることができるかもしれん。しかし、残りの半分にやられてしまうだろう。大谷の勝利の発想は、精神論から遠く隔絶した、物理的な話に根ざしている。
また、何の価値もない浄土真宗が、なぜあそこまで巨大化したか。そして、弱いはずの農民が戦闘のプロである武士を恐れずに向かってくるのか。信長などの優れた武将は全く理解できなかった。しかし、それも無理はない。なぜなら、織田信長は強者だからだ。つまり、強者は弱者の心が理解できないのだ。弱者は、強い王よりも残酷な人殺しに従う。強い王は人殺しよりも強い。しかし、強い王はすぐに人を殺すことはない。一方、強い王よりも弱い残酷な人殺しは、すぐに人を殺す。というわけで、死にたくない弱者は、強い王よりも、すぐに人を殺す人殺しの方に従うのだ。日本仏教信者の命題は、今殺されるか、後で殺されるか、である。彼らは、「今殺されたくない」から人喰い人種の命令を遂行する。それが一向一揆の正体である。そこに、弱者の意志は介在していない。強い者は、そういう弱者の心理が理解できないのだ。
天下統一を果たした豊臣家を翻弄し、徳川家にもその力を認めさせた稀代の盗賊「大谷家」は、日本仏教を掌握し、江戸時代の昔から日本の仏教界に君臨している。彼らは、優れた言葉を駆使することを発言力と呼ばない。優れた言葉が頭に浮かばないだけではない。彼らは、どれだけ多くの信者にウソをつかせることができるか、そして、どれだけ多くの人々がそのウソを信じるか、これを発言力と規定する。勝利者は、常に優れた者である。しかし、大谷に言わせれば、数で圧倒できるなら優れている必要はないのだ。自然界には、優秀な者よりも劣った者の方が多い。大谷は、この誰もが認識しているはずの自然の摂理を忠実に応用している。愚か者は弱い、ちょっと脅せばすぐに服従する。そして、愚か者は優れたものよりも数で勝る。つまり、愚か者を完全な支配下に置くことができれば、優れた者を退けることも可能である、と大谷は考えているのだ。そういうわけで、浄土真宗を筆頭とする日本仏教の信者たちは、みな知性・感情に乏しく、無表情である。日本仏教の奥義とは、人間の道具化である。
数で圧倒することが大谷の戦術の基本だが、逆にそこに大谷の弱点があるともいえる。信者がいなくなれば、彼らは無力に等しいのだ。そのため、大谷は信者の離反を絶対に許すことはない。彼らは「離反した者は殺す」と口に出すことは一切ないが、離反者には見せしめとして徹底的な制裁を加える。例として、大谷は信者全員(つまり、日本人の半分)に離反者を無視することを指示する。つまり、非力な信者(日本人の半分)たちに離反者の制裁に加わることを強制する。歯向かったらどうなるかを間近で見せることで「おまえもこうなりたいのか?」と、無言の圧力を加えるのだ。信者たちの内面に圧倒的な強迫観念を根付かせるために、これらのことは、すべて信者の幼少期に行われる。世界中のタナトスの信者たちは、このような人権蹂躙が行われている事実を知りながら胸の奥にしまいこみ、何事のないような顔で日々を暮らしている。これは脅威というべき事実である。大谷家は代々、こうして、大勢の信者を統率・管理している。「仏の道に反すれば罰があたる」。これは、「俺たちの言うこと聞かねえと殺すぞ」の丁寧語である。大谷だけでなく、タナトス一族が経営する宗教団体の命題は、大量の信者の獲得と徹底した信者の離反防止である。その徹底が、彼ら、優れた者に劣る人喰い人種にとって勝利を意味するのだ。
 

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コメント
 
1. 2017年2月14日 22:19:25 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[696]
>>大勢の信者を統率・管理している。「仏の道に反すれば罰があたる」。これは、
一向宗とかね。ダキニもそう。
彼ら自身に対しても同じように働くよ。その報いを必ず自身に課すことになるし、そのようになっている。自分達に課した学びは自分達のもの。意識に先延ばしはない。人生は一度で終わらない。
宗教に入信しイニシエーション・教義を学ぶとはそういうことだ。これは自分の信念に依って自身に起こされていること。
それぞれ何を自分に必要とするかはその人間の気付きの程度の差に拠る。
そんなものはそもそも必要ないと言っても、それで「そうか」と理解するものは少ない。
そこに気付けば良いだけだが、それが理解できないから宗教がもてはやされる。
そして程度の一番低いもの程、学びが単純に歪曲されて簡易的なものになる。それが際立つのがひとびとのご利益主義だ。賽銭居れれば何でも叶うと云って参拝に行く。
よって人々にとってそれが何の学びにもなっていない。

そうして権威崇拝、権威信仰だから簡単に統率支配される。

自分自身の不備に自身で気付いていればそうしたことは起きない。自分に厳しくあれば、自分で考える。
程度の低いところに入信するものが多いのは、それだけ大衆の学びのレベルがいまだ低いと云うことだよ。


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