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自称「非・負け組」50代を襲う下流老人の恐怖「幸せより金」の裏にある面倒な中流意識 男のストレスの根源にある「罪悪感」
http://www.asyura2.com/16/hasan111/msg/310.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 7 月 26 日 01:15:22: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 


河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学

自称「非・負け組」50代を襲う下流老人の恐怖

「幸せより金」の裏にある面倒な中流意識
2016年7月26日(火)
河合 薫

 欲しいものは「幸せ」より「お金」――。
 博報堂生活総合研究所が行った調査で、欲しいものは「お金」と回答した人が40.6%となり、「幸せ」の15.7%を大きく上回った。

(出所:博報堂生活総合研究所)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/072200063/graph1.JPG

一方、お父さんのひと月のお小遣いは、過去最低の26,820円を記録した。

(出所:博報堂生活総合研究所)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/072200063/graph2.JPG

 
 この調査は1986年から10年ごとに同じ方式で実施され、今回がその4回目。なんだかしょっぱなから“どよ〜ん”とする話題になってしまったが、この30年で、繁華街を札束ぶら下げ「幸せ」を求めて闊歩していた人たちが、「幸せよりも、カネをくれ!」と悲鳴を上げてるということか。
 いずれにせよ、時代が変わる中、「お金」と「幸せ」に関する逆転現象が起こり、その差が今回、過去最大に広がったのだ。
 調査担当者は、これらの結果について、「老後が長期化し生活の見通しは暗い状況で、現実的なお金を求める切実な気持ちが伺える」と分析している。
お金が欲しいのは、本当に「生活が苦しいから」?
 この調査結果、改めて分析してもらうまでもなく、ごくごく当たり前の結果だと考えることもできる。
 なんせ、この30年で74.54歳(男性)、80.93歳(女性)だった平均寿命(1984年)は、80.18歳(男性)、86.83歳(女性)と延び(2014年)、年金受給年齢は引き上げられ、考えれば考えるほど、「大丈夫か?」という気分にもなる。
 た・だ・し、実はコレ、調査対象は「60歳以上」のいわゆる「逃げ切り世代」だ。平均寿命が5年延びたとしても、下の世代に比べればまだ“懐は温かい”はず。
 生活に困窮する、いわゆる「下流老人」が増えている一方で、悠々自適な日々を過ごす人たちも多い。
 実際、内閣府の「平成28年版高齢社会白書」では「家計にゆとりがあり、まったく心配なく暮らしている」と答えた人は、75歳以上では20%を超え、60代、70代前半でも約15%。「家計にゆとりはないが、それほど心配なく暮らしている」という人を加えると、7割以上もの人が、「お金を心配せずに暮らしている」のである。

(出所:平成28年版高齢社会白書)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/072200063/graph3.JPG

 つまり、冒頭の調査結果は、「もっとゆとりある生活のために、お金が欲しい人」と、「生活が苦しいので、お金が欲しい人」が混在していて、前者の人が多いと推察できる(ちなみに高齢社会白書では「家計にゆとりはなく、多少心配である」が21.7%、「家計が苦しく、非常に心配である」は6.6%となっている)。
「かくいう私も、不安なのだ」
 といっても、これは「今」の60歳以上のお話である。
 「今」の50代が60代になったときには、「生活が苦しいので、お金が欲しい人」の割合が大幅に増加する可能性は高い。さらに、非正規元年世代である40代が60代になったときには、もっともっと深刻化するに違いない。
「なんかヤバいなぁって。ええ、お金です」
「老後が不安」
「会社でもそろそろかなってなってきたので……」
「退職金激減してるんだよなぁ」
「今の55歳以上は、まだ逃げ切れるでしょ」
「僕たちは無理」
「団塊の世代がうらやましい〜」
etc、etc…
 実際、この1年間でこんな具合に将来への不安を口にする人が、フィールドインタビューでも増えた。果てしないポジティブ思考だったバブル世代でさえ、将来への不安を抱くようになってしまったのだ。
 ん? 私ですか? ええ。その一人です。コレといったきっかけがあるわけではない。だが、最近になって、かくいう私も将来に不安を感じている。
同世代たちの不安が伝染した?
その可能性はある。
仕事に行き詰まった?
それは毎度のこと(苦笑)
 いずれにせよ、先日、51歳の男性から伺った話が、実に考えさせられるもので、みなさんのご意見も伺いたいと思った次第だ。ふむ。こういうときこそ、コメント欄の機能を生かさなくてはならない。
 というわけで、今回のテーマは、「将来不安」です。では、さっそく、男性の話をお聞きください。
「自分でも何が正解なのか、わからないんです」
「私は今、51歳で、11月の誕生日で52歳になります。20年前は30歳を過ぎたばかり。これから20年後には70代になっています。なんか年齢のことばかり話していて、すみません。でも、あと20年で70って思った途端、やたらと将来にリアリティが出てしまったんです。ええ、悪い意味で、です。
 30歳から50歳って、アッという間でした。もちろんあの頃と比べたら体力は落ちたし、気力も昔ほど続かなくなった。でも、働き方というか、生き方はそんなに変わっていないし、むしろ今の方が充実しています。会社の出世競争からは最初から外れてしまいましたが、自分なりの仕事観というか人生観を変えることなく、50歳を迎えることができました。
 30歳のときに考えていたほど給料は上がらなかったので、当時、期待したほど生活に余裕はありません。それでも生活に困っているわけではない。
 たぶん、この『今は困っていない』という状況が、私の不安を掻き立てているのかもしれません。つまり、70になったときに、 今のような生活ができるのだろうか? 年金は? 社会保障は? どうなっているのか? 全くイメージができない。それが不安なんです。
 お恥ずかしい話ですが、ローンの残高を調べてみたら唖然としちゃって。これじゃあ、退職金が消えてしまうじゃないかと。かといって繰り上げ返済しようにも、子どもが2人ともまだ大学生なので、学費がかかる。妻は少しでも貯蓄を増やそうと数年前から働き始めましたが、40代の女性に払われる賃金は驚くほど低い。妻はSEの仕事をしていたので、勉強し直して就職したんですが、与えられる仕事は若手のサポートばかりだと嘆いています。要するに、会社は40代の労働力に全く期待していないわけです。
 そうやって今の社会状況を冷静に分析してくと、20年後、安心して暮らすには、どこかで自分の価値観を変えないとダメなんじゃないかと。でも、どう変えればいいのかが曖昧で。自分でも何が正解なのか、わからないんです」
「負け組になりたくないって思うから、余計に不安になる」
「価値観を変える、ですか?」(河合)
「はい、そうです。実は、知人が東日本大震災が起きて被災地に通ってボランティアをしているうちに、『生活を変える』と言って、会社を辞めて郊外に引っ越したんです」
「支援をするために、東北に移住したということですか?」(河合)
「いいえ、関東です。東京からは電車だと2時間半くらいかかります。仕事も、家も、一瞬にして失った人たちを目の当たりして、あくせく働いて、カネを稼いで、何になるんだと思ったそうです」
「それまでの貯蓄と退職金で残りの人生を過ごせる、と考えたってことですね?」(河合)
「いやぁ、そうでもないみたいなんです。退職金は家のローンを完済するにも足りなかったと聞いています。移り住んだあとしばらく連絡がなかったので、大変なことのほうが多かったんじゃないでしょうか。
 ところが、先日、偶然都内で会いましてね。てっきり地方生活が上手くいかず東京に戻ってきたのかと思ったら、たまたま用事があって来ただけだった。それでせっかくだから飲みに行こうってことになって、彼の話を聞いていろいろと考えてしまったんです。
 彼は得意だった英語を生かして、子どもたちに教えているそうです。といっても、収入は学生のバイト並み。ただ、生活には困らないって言うんです。家賃8万で築50年の一軒家を借りて、生活費は月10万円程度。世の中、なんやかんやいってデフレだから、安いものはたくさんあるので十分やっていける、と。
 それで、彼に言われたんです。
 『負け組になりたくないって思うから、余計に不安になるんだよ』って。所詮、負け組とか勝ち組とか、周りからの評価でしかない。周りと比べないで、もっと自由に自分の価値観だけを頼りに生きていけば、自分次第でどうにでもなる。誰かが喜ぶようなことを、自分ががんばってやりさえすれば、頑張った分だけ満足感を得ることができる。ちゃんと報われるんだよ、って。
 彼に言われて、私は自分がわからなくなった。派手に暮らしてるわけでも、贅沢しているわけでもないけど、自分の価値観がわからなくなってしまったんです。いい顔をしてる彼をうらやましいと思う半面、私には彼のように達観できる自信もない。なんだか余計に不安になってしまいましてね。それで、今こうやって河合さんに話を聞いてもらってるんです(苦笑)」
半数以上が、年収10万ドルより5万ドルを選んだ理由
 以上が彼とのやりとりである。
 お金への不安、将来への不安――。その正体は何だったのか? 知人の本質を突いた言葉に、男性は戸惑ってしまったのだ。
 そもそも、人間にとって、おカネはどういう価値を持つのか?
(1)あなたの年収は5万ドル、あなた以外の人たちの年収は2万5000ドル
(2)あなたの年収は10万ドル、あなた以外の人たちの年収は25万ドル
この2つの環境があるとしたならば、あなたはどちらを選びますか?
 このような質問を投げかけた時に、人はどちらの環境を選択するだろうか。
 もし、人にとってお金が絶対的な価値をもつものであれば、年収5万ドルの(1)よりも、その2倍の年収を稼げる(2)の方を選ぶはずだ。
 ところが、1990年代後半に、経済学者であるサラ・ソルニック(米バーモント大学経済学部アソシエイトプロフェッサー)と、デービッド・ヘメンウェイ(米ハーバード大学公衆衛生大学院教授)の2人が、ハーバード大学の大学院生と教員たちに、この二つの質問を投げかける実験を行ったところ、対象者の56%が(1)の方を選択した。
 つまり、半数以上の人が「周囲の人よりも稼いでいる」という相対的所得の高い環境を選んだのである(出所: “Is more always better?:A Suvey on Positional Concerns”,Jounal of Economic Behavior and Organization)。
 また、この調査では学歴についての質問も行った。
(1)あなたは高卒で、ほかの人は中卒
(2)あなたは大卒で、ほかの人は大学院卒
 どちらを選びますか? 
 結果は、前述の質問と同様、相対的に学歴の高い(1)を選ぶ人が半数を超えた。このほかにも、おカネと学歴の絶対的価値と相対的価値を問う質問をしたのだが、そのすべてで相対的価値の高い方を選ぶ傾向が高いことが明らかになったのである。
 ただし、例外が1つだけあった。休暇の長さに関する質問では、ほとんどの回答者が長く休める方を選択したのだ。
相対的価値観から生まれる漠然とした不安感
 要するに、冒頭で紹介した「お金」と「幸せ」の逆転現象。高齢社会白書で明らかになった、7割以上が「お金に心配せずに暮らしている」という現実。その矛盾は、すべて相対的価値に起因していると解釈すれば、説明がつく。
 が、問題なのは、件の男性がそうだったうように、「自分が相対的価値観に翻弄されている」ことに気付かないことだ。
 私はこれまでカネ、カネ、カネ、競争、競争、競争の世の中に、散々疑問を呈してきた。周りと比べるな! 自分を信じろ!と、ことあるごとに言ってきた。
 が、彼の話を聞きながら、実は私自身も、どこかで相対的な価値観に抜け出せずにいることに気付かされた。
「キミは本当にそうしてるかい? 相対的な価値に翻弄されてるだろ?」
 そんな風に言われている気がしてしまったのだ。
 かっこわるい。実に情けないことだ。
 成長する社会より、成熟する社会へ。この言葉を聞くと、誰もが「そうだよね」と安堵する。だが、そのためには私たち自身が成熟しなきゃダメ。
 周りと比べてるなんて無意味。心底、そう考えているのに、絶対的価値観だけで生きていけるほど、私は成熟していなかったのである。
 ただ、今回、「ズドン!」と弾を打たれて、少しだけ楽になった。今は必死で抗い続けても、「もう、いいかな」と思ったときに、絶対的価値で生きる選択をすればいい。そう思っただけで、少しだけ楽になったのである。
 市場経済では、おカネが絶対的な価値を持つものであったとしても、人間にとっては、人それぞれに価値のあるものが存在し、その絶対的価値あるものに向かっていくことが無用な不安を払拭する。
 ひょっとするとその「絶対的価値」を持てない、こと自体が、現代社会の問題かも、と思ったりもする。家族がいればなおさらのこと。自分では「生活のレベルと落としてもいい」と思っても、それを簡単には許さない“ナニか”が、不安を増殖させる。
 負け組、格差社会、下流老人、老後破綻……。そういったセンセーショナルな言葉自体も、相対的価値を助長する。そんな風に考えることはできないだろうか。
多少のけがをしたり、痛い思いをするかもしれないけど
 もちろん、絶対的な価値観で、すべてが解決できるわけじゃない。
 下流老人、老後破産という新しい言葉が生まれるのは、そういう現象が社会で増えているからだし、一回でもつまずくとやり直すのが難しい、一回でも病気になると働くのが厳しい社会構造は変えるべきだ。
 でも、絶対的価値を持つことが、不安から脱する最大の武器になることは間違いない。崖から飛び降りたときは、多少のけがをしたり、痛い思いをするかもしれない。でも、それは真の自由を手に入れることであり、幸せな人生を全うすることでもあるように思う。
 その勇気を、私たちは持てるだろうか? 大切な人と絶対的価値観を共有するには、どうしたらいいのか? 
 20年なんてアッという間。今、50歳の方は、気がついたときには、70歳。みなさんの絶対的価値は何ですか? 是非、お聞かせいただければ幸いです。よろしくお願いします。


このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/072200063/ 


 


男のストレスの根源にある「罪悪感」を癒すには「一に健康、二に仕事」 from 日経Gooday

東京大学東洋文化研究所 安冨歩教授に聞く「ストレスの正体」【3】
2016年7月26日(火)
森脇早絵=フリーライター

 東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授インタビューでは主に仕事のストレスについて取り上げてきたが、男性の抱えるストレスは、仕事だけではない。同じくらいのウエイトで、家庭にも問題を抱えているケースが多い。会社と家庭は、表裏一体だからだ。
 今回は、男性の抱える家庭の問題について詳しく話を伺う。くつろぐ場所であるはずの家庭を居心地悪く感じるようになってしまう男性が多いのはなぜなのか。そして、仕事や家庭のストレスの根源にある「罪悪感」を癒すためにやれることとは、どんなことなのだろうか。

家庭の苦しみの原因は「女性差別」にある

40〜50代の男性のストレスの原因は、仕事だけじゃなくて、家庭にもある場合が多いのではないかと思うんです。家庭で感じる息苦しさの原因は、何でしょうか?


「エリート男性が自分を好きな女性と結婚するのはかなり難しい。それでは幸せな家庭は築けません」

 家庭がうまくいかない理由、それは根本的に「女性差別」という大きな問題があるからです。日本社会では、女性が徹底的に差別されているから、彼女たちの中には結婚するときに、「自分はこの結婚を通じて、いかに社会的地位を上げるか」ということを考える人も少なくない。

 日本社会では、女性が自力でのし上がって上層部に行くことは、まだ非常に稀なことです。少なくとも、効率が悪い。そんなことをするぐらいだったら、さっさと結婚して家庭に入った方がいいというふうに追い込まれることも。実際、何割かの女性は、そうやって社会的地位を手に入れます。

 その時、そういう女性は、好きな男性と結婚しようとは思わないわけです。なるべく「いい男性」と結婚しようと考えますよね。

「いい男性」とは条件のいい男性、ということでしょうか?

 そうそう。少なくとも、そう考える女性が何割かいます。彼女たちが選ぶ「条件のいい人」というのは、いわゆるエリートです。ただ、社会の中枢にいるエリートって、前回もお話ししたように空虚な仕事をしている人が多いので、あまり男性として魅力的ではないんですよね。

 例えば、自分自身の好きなことをのびのびやって暮らしている男性と、毎日公的文書に黒塗りしているような男性。どっちに性的な魅力があるかと問われたら、絶対に前者なんですよ。

 でも、条件としては、エリートの方が上です。だから、結婚によって社会的地位を手に入れたいと思う女性は、キモいのを我慢してでもエリートを選ぶ。

 逆にエリートの方から見ると、ほぼ100%「自分を好きな人」と結婚するのは不可能です。「本当に好きな男性と愛し合って子どもを産み、幸せになりたい」と思っている女性は、空虚な仕事をして息苦しくなっているエリートになどには寄りつきませんからね。

 で、よりよき条件を求めている女性たちが、エリート男性たちに全力で向かっていくわけです。そうすると、その中で最もグリップのパワーが強い女性が、エリートを捕まえることになります。

 そういう女性は、大抵の場合とても美しかったりとか、魅力的だったりとか、良家の子女だったりします。大体、東大出のエリートなんてほとんどまともな青春時代を送っていませんから、急に美女に近づいてこられたら、すっかりのぼせ上がって結婚してしまうわけです。

 男性側は、彼女の外形をすごく好きになるでしょう。女性側は、彼の「条件」や「立場」が大好きです。でも、お互い、相手の本当の姿を見てもいないのです。

 これで幸せな家庭を築くのは無理です。可能なのは、幸福の偽装工作を続けることだけでしょうね。

なぜ結婚は「男女」でなければならないのか

多くの女性たちは、結婚する相手を選ぶときに大なり小なり「条件」を考えますよね。社会的地位や収入だけじゃなくて、真面目に働いているかとか、浮気しなさそうかとか、ギャンブルしないかとか、そういうものを条件にしている人もいます。ただ、結婚生活が「条件で選ぶ」ことからスタートすると、限界が来るかもしれませんね?

 その限界が来るのが、40〜50代なんですよ。よくあるケースが、つきあい始めて、擦った揉んだやるんだけど、「年頃だし、結婚すれば落ち着くんじゃないか」と思って籍を入れてしまう。

 で、結婚式をして盛り上がっても、やっぱりダメなんですね。再びグジグジやって、「じゃあ、子どもでも産んだら変わるんじゃないか」という話になって、子どもをつくったりして。

 でも、またしばらく経ったら、やっぱりグジグジ揉めるんです。それでもう一人子どもを作ってみたりして。さらに「家でも買えば落ち着くんじゃないか」みたいな話にもなって(笑)

ますますしがらみが増えてしまいますね。

 そうそう。大体、こういうことが一巡する頃が40代なんです。もうやることがない。どうしよう。それで、不倫とかが始まるわけですよ。

家庭がそういう状態で、会社でも息苦しいのであれば、逃げ場がないですよね。

 ないですよ。これは大変ですよ。離婚できればいいけど、かなりのコストがかかります。私も離婚した時は、慰謝料やら財産分与やら養育費やら、なんだかんだで2000〜3000万円かかったように思います。しかも会社によっては、離婚したら出世しなくなる場合だってある。だから、なかなかその状態から脱することはできないんです。

難しい状況であっても、なんとかうまく家庭を保つ方法はないのでしょうか? 女性側が条件で相手を選んじゃった以上、修復は難しいのでしょうか。

 修復以前の問題ですね。女性側は、男性を嫌いなんです。最初から嫌いなんです。

 双方それぞれが思い込みから抜け出して、「果たして、この人と一緒にやっていけるのだろうか」と改めて考え、「やっぱり一緒にいたい」というふうに出会い直すことは可能かもしれません。

 ただ、そういう小説を書いたらベストセラーになりそうなくらい、大変なことでしょうね。それをどうすればいいのか、私にも答えは分かりません。

 繰り返しますが、家庭問題の根本にあるのは、女性差別です。そんなことをしているから、こんな苦しみが生まれてしまうんです。男女平等の社会が築けるならば、お互いに好き同士で結婚する人がもっと増えますよ。

男性だけではなくて、女性も自立してこそ、フェアでいい関係が保たれる。

 当然ですよね。その代わり、女性が自立すれば、結婚しない人も増えるでしょうけど。

 昔、「男女平等にしたら、ほとんどの男はあぶれるじゃないか」という議論があったんですよ。でも、すでに何割かの人は結婚しなくなっていますから、もはや「全員が結婚しなきゃ」という無茶なことを考える必要はない。そろそろ男女平等にしてもいい時代になったと言えますよね。

 「結婚しないといけない」なんて、ただの思い込みです。そもそも、「同じ男女が、一生」とかってあり得ないから(笑)

 でも、人間は群れて生きるものだから、家族は必要。ただ、家族の形は色々あっていいと思うんです。

 私が提案しているのは、気の合う人同士が集まって「今日から私たちは家族です!」と宣言して、認められるような制度をつくること。例えば、仲のいい女性が2〜3人一緒に住んで、それぞれ彼氏がいるとか。男2人とか、女2人に男1人とかでもいい。性別も立場も問わず、好きな人同士で家族をつくる。しかも、「一生一緒にいなきゃいけない」という縛りはなくて、一緒に暮らす必要もないし、セックスする相手じゃなくてもいいんです。

 そして、家族で居続ける意志があるか、定期的に公的機関が確認する。そもそも、なぜ男女の組み合わせだけが、結婚を認められているのでしょうか。公的機関が、結婚の神聖性を担保しているからこそ、大きなひずみが生じているんです。配偶者へのDVやモラハラ、児童虐待のようなね。

差別の原因は、「差別したい」という嫌らしい根性があるから


「人を見下すことによって自分を引き上げたいという人間は案外たくさんいるんですよ」
 家庭の在り方と会社の在り方は、完全にパラレルです。会社は男性中心の社会で、住宅地は主婦ばかりというふうに、きっちり分かれている。これは異常です。この異常な状態が、いまだに普通に受け止められていることが信じられない。

 女性差別が続く限り、家庭の問題は解決できないでしょう。けれども、この改革は非常に難しい。

女性差別は、なぜ起こるのでしょうか?

 これは女性を差別しているんじゃないんです。性別を口実にして、人を攻撃して、差別しているんです。

 つまり、「差別したい」というものがまずあって。人を自分より見下すことによって自分を引き上げたいという、嫌らしい根性のある人間がたくさんいるということです。

 外国人だとか、女だとか、ホモだとか、トランスジェンダーだとか、色々口実をつけて差別するんです。差別の理由は、何でもいい。

 問題は、「差別したい」という嫌らしい根性。この根源は何かというと、「罪悪感から生じる自己嫌悪」です。この苦しみをごまかすために、「自分はちゃんとしているんだ」ということを証明しようとして、「誰かおかしな奴」を見つけて攻撃しているんです。これが差別の本質です。

ここでも「罪悪感」が出てきましたが、全部繋がっているんですね。

 繋がっています。日本社会は、罪悪感によってドライブするシステムで成り立っていますからね。職場も、家庭も、問題の根幹は同じなんです。

悩みの根源の「罪悪感」を癒やすためには?

最後にまとめをしたいと思います。第1回、第2回、そして今回のお話で、職場での息苦しさ、家庭での問題、すべての原因は、罪悪感だという話をお聞きしました。その罪悪感とは、自分を受け入れていない、認めていない、愛していないということだと思うんですね。

 その通りだと思います。

では、自分をそのようにしてあげるには、どうすればよいのでしょうか?

 これは、非常に難しいと思います。まず、自分を受け入れることは一人ではできません。自分で自分を受け入れようとしても、無駄。何がどうなっているのか、自分では分からないからね。必ず他者との繋がりが必要です。

 例えば、マイケル・ジャクソンが、『We Are The World』という歌を作ったんですけど、実際に歌われたものは、マイケルが元々書いた歌詞と違うんです。

 実際に歌われた歌詞は、「There’s a the choice we’re making=ここに我々が成そうとしている選択がある」。それが、アフリカ人のために寄付をするという選択、という意味なんですけど。

 ところが、マイケルのデモ版にある元の歌詞は「There’s a chance we’re taking=私たちが掴もうとしているチャンスがある」なんです。

 分かりますか? この違いのすごさが。

 マイケルの詞は、「我々の生活を正しい方向に導くチャンスを掴もう、それは与える、ということだ」と言っているんです。

 自分が持てあましている「本当に必要ではないもの」を、「本当に必要としている人に与える」という行為によって、何が本当に必要であるかが明らかになると私は解釈しました。詳しくは、自著『マイケル・ジャクソンの思想』(アルテスパブリッシング)に書いてあります。

 つまり、「与える」という行為は、それを通じて、自分自身を受け入れるチャンスになるんです。本当に困っている人を助けることができたら、自分は自分を受け入れられるようになると思うんです。どんなに自己嫌悪を感じている人であっても。

罪悪感にさいなまれている人でも、そこから脱するヒントがここにある。

 あると思う。与えること。助けること。社内ですごく困っている人を助けるでもいい。お客さんを助けるでもいい。家族を助けるでもいい。その時、自分自身の立場をほったらかしてやるとしたら、ものすごく大きな一歩になると思うんです。

 これは、「助けることがよいとされているからやろう」ではダメなんです。これは結局、自分に対する言い訳になってしまうから。

 自分がその時に助けたいと思った人に手をさしのべる。心からそう思っているかどうかがすごく大事なんです。

 難しいですが、これが罪悪感から脱する一つの回答になると思います。

(写真:小野さやか、ヘアメイク:藤岡ちせ)

本コラムの関連記事はこちらからお読み下さい。

「男らしさ」に追いつめられる男性が増加中!?

「仕事が苦しくて辛いのは、自分が無能だからだ」とは思うな

「会社にいると息苦しい」と感じたら有給休暇を取りなさい!
安冨 歩(やすとみあゆみ)さん
東京大学東洋文化研究所 教授
安冨 歩(やすとみあゆみ)さん 1963年大阪府生まれ。1986年3月、京都大学経済学部卒業後、住友銀行勤務。1991年京都大学大学院経済学研究科修士課程修了後、京都大学人文科学研究所助手。96〜97年、英ロンドン大学LSE(London School of Economics and Political Science)の滞在研究員。1997年、「『満洲国』の金融」で同大学院にて博士を取得、第40回日経・経済図書文化賞受賞。同年名古屋大学情報文化学部助教授、2000年東京大学大学院総合文化研究科助教授、2003年同大学院情報学環助教授を経て、2007年東京大学東洋文化研究所准教授、2009年より同教授。主な著書に「原発危機と『東大話法』」「生きるための経済学」「ドラッカーと論語」「生きる技法」「ありのままの私」「マイケル・ジャクソンの思想」など多数。
この記事は日経Gooday 2016年6月10日に掲載されたものであり、内容は掲載時点の情報です。

このコラムについて

「一に健康、二に仕事」 from 日経Gooday  
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/skillup/15/111700008/072200086

 

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コメント
 
1. 2016年7月26日 01:30:36 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[2053]

>そもそも、なぜ男女の組み合わせだけが、結婚を認められているのでしょうか

簡単なことだ

農業も戦争も人力が主体だった時代

子供を作らないグループに、経済的、政治的な恩恵を与える国家と

堕胎も禁止して子供を増やし、自分の神を信じない集団を徹底的に攻撃する国家が戦争したら、勝敗は明らかだったからだよ


今のように、科学技術が発展して生産性が上昇し、欧米覇権で国家間戦争や多くの労働から男女が解放されたから、

寝たきり老人や、ひきこもり、障害者、LGBTのようにヒトの生産に貢献しない人間でも高い確率で生き延びられるようになっただけだ

グローバリズムが逆回転を始め、過激なナショナリズムや極左、イスラム・キリスト原理主義の増加を見ていれば、今の豊かさなど、いつ崩壊しても不思議ではないし

それが日本でも「幸せ感より金(安全)」という形で表れている可能性もある



2. 2016年7月26日 01:39:38 : nJF6kGWndY : n7GottskVWw[2054]

>「差別したい」という嫌らしい根性。この根源は何かというと、「罪悪感から生じる自己嫌悪」

いや、もっと根源的なものだろう

オキシトシンは、子育てや自分の所属する集団の維持発展、そして自分の精神的安定に強く役立つが、
単に自分と異なる個人や集団に対しても敵意や攻撃性を高める効果がある

つまり、異質な者を排除したり差別したりする心理的メカニズムは、ヒト(もしくは一般の社会性動物)の集団が他の集団との競争に打ち勝って生き延びる過程で獲得してきた遺伝的なものだろうな



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