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ドル105円をあっさり回復、想定外の海外金利急騰が後押し IL首相を辞任させたパナマ文書に米著名人の名名前がなかった理由
http://www.asyura2.com/16/hasan114/msg/871.html
投稿者 軽毛 日時 2016 年 10 月 28 日 23:55:50: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

 


2016年10月28日 ロイター
ドル105円をあっさり回復、想定外の海外金利急騰が後押し

10月28日、ドル/円の上昇スピードが速い。心理的節目として意識されていた105円を突破するのは、米大統領選後との見立てが多かった中で、市場では「想定外の早さ」との声も漏れる。写真はソウルで2013年8月撮影(2016年 ロイター/Kim Hong-Ji)
[東京 28日 ロイター] - ドル/円の上昇スピードが速い。心理的節目として意識されていた105円を突破するのは、米大統領選後との見立てが多かった中で、市場では「想定外の早さ」との声も漏れる。海外金利の急上昇が直接のきっかけになったが、108円程度まで円安が進むのか、それとも円高圧力が再燃するのか、市場のリスク心理の動向によって、先行きは大きく振れる可能性がある。

注目された米長期金利の上昇

「こんなにあっさり105円を上抜けるとは、想定していなかった」と、国内金融機関のディーラーは指摘する。27日の海外市場で、ドル/円は104円半ばから105円前半まで上昇した。

 ドル/円上昇を演出したのは、米金利の上昇とみられている。10年米国債利回りは5月以来、約5ヵ月ぶりに一時1.86%台に上昇した。

 105円台回復は、日銀の7月金融政策決定会合で105円を割り込んで以来、3ヵ月ぶりとなる。節目では国内輸出企業による戻り待ちのドル売りが重しになりやすいとみられただけに「虚を突かれた」(国内金融機関)との声も漏れる。

 野村証券・チーフ為替ストラテジスト、池田雄之輔氏は、ドル/円について「104円までの上昇は、ショートカバーが主体だった可能性がある。強気なポジションの構築はまだ若い局面にあり、利食いに動く投資家は少ないのではないか」と指摘している。

円売りの影にポンド、英国債の思惑

 ここ数日間で勢いづいたドル/円の上昇。今回その起点となったのは、意外にも英国だ。

 まず、下落が続いていたポンドの動きに変化が出た。FXプライムbyGMOの常務取締役、上田眞理人氏は「(英国民投票後の)英ポンド下落が一段落し、投機筋のポンド売りが一時的にワークしなくなっている。その代替として『攻めの円売り』が広がっているようだ」と指摘している。

 そこに英国債という「役者」も加わってきた。金融大手ロイズ・バンキング・グループが26日、第3・四半期決算発表と同時に「最近の低金利環境」を受け、保有する英国債の売却を示唆。

 それを受けて英国債金利が急騰し、利回り上昇は欧米国債へと次第に波及。結果として日米金利差が拡大して、外為市場でドル買い/円売りが発生しやすくなったという構図だ。

 大幅な英金利の上昇は、欧州連合(EU)離脱決定後に進んだ強烈な金利急低下の反動でもある。ブレグジットで一気に過去最低水準を更新した英金利は、悲観論が過剰すぎたとの見方が増えるとともに、今月に入り切り返しの動きを強めていた。

 イングランド銀行(英中央銀行)のカーニー総裁が、通貨安が「かなり著しい」と警戒姿勢を示したことや、第3・四半期の英国内総生産(GDP)速報値が予想を上回ったことなども、追加緩和観測を後退させる形で金利上昇を促した。

 債券市場関係者の中には、米資産運用会社ダブルライン・キャピタルを率いる著名投資家のジェフリー・ガンドラック氏が「3─4年以内に(債券市場へ)台風が来襲する」などと、重ねて悲観論を強調したことに興味を示す声もある。

ドル/円の行方、リスクオフ心理が左右

 一方、年内のドル高/円安継続をみる向きが増えている。シティグループ証券・チーフFXストラテジスト、高島修氏は、年初来一方向の下落を続けてきたドル/円は、調整局面に入った公算が高いとみている。

 通常、こうした調整局面は52週線や週足一目均衡表の雲まで届くことが多いという。「現在は110円を超えている両線は、年末には108円前後へ下がってくる見込み。年内、このあたりまでの上振れリスクが、警戒されるようになってきた」(高島氏)と、指摘している。

 もっとも、目先のドル高/円安のモメンタム継続には懐疑的な見方も出ており、いったんは調整局面が来る可能性もある。

 SMBC日興証券・為替・外為ストラテジスト、野地慎氏は「市場参加者の多くが、米長期債利回りが一段と上昇すれば、高値圏にある米国株の下落をもたらすトリガーになりかねないとみており、リスク回避心理が一気に広がるリスクを意識している」と指摘する。

 27日の米ダウ工業株30種は、0.16%安と小幅な下落にとどまった一方、投資家の不安心理の度合いを示すとされるボラティリティ・インデックス(VIX指数)は15.36にじわり上昇している。

 こうしたリスクの側面を考慮すれば、「米長期債利回りの上昇がドル買い/円売りをもたらすという現在の構図が、今後も定着するとは考えにくい」(SMBC日興の野地氏)という見方もある。

 米大統領選は、11月8日に迫ってきた。「直前になれば、投機的な円売りポジションがいったん巻き戻され、円高に振れる余地も十分にある」と、FXプライムの上田氏はみている。

 野村証券の池田氏も、大統領選の前後でポジション調整の可能性があるとみている。「市場がクリントン候補の勝利を織り込みながら『うわさで買う』動きを続けるなら、調整局面は『事実で売る』形で、選挙後に持ち越される可能性がある」と話している。

(平田紀之 基太村真司 編集:田巻一彦)
http://diamond.jp/articles/-/106279


 

 


橘玲の世界投資見聞録
2016年10月28日 橘玲
アイスランド首相を辞任に追いやった「パナマ文書」に
アメリカの著名人の名前がなかった理由
[橘玲の世界投資見聞録]
 かつてパナマといえば誰もが運河を思い浮かべたが、いまや「パナマ文書」ですっかり有名になってしまった。実際に訪れてみると、ここはなかなか興味深い国だ。

 空港からタクシーで市街地に入って最初に驚くのは、林立する高層ビル群だ。その光景は香港やシンガポールに近く、中米はもちろんメキシコシティやブラジルのリオデジャネイロと比べてもオフィスの集積は圧倒的だ。これほどまでの発展を遂げた理由は、パナマ運河がもたらす収入もあるだろうが、その第一の理由はタックスヘイヴン政策だ。

 一人あたりGDPで世界でもっともゆたかな国がルクセンブルク、アジアではシンガポールであることからわかるように、1990年代以降、金融ビジネスのグローバル化の流れに乗ったタックスヘイヴン国は、主権(sovereigntyの語源は「神の権利」)を活用することで急速に富を蓄えていった。中米ではその代表がパナマで、いまだ貧困と犯罪に苦しむホンジュラス、ニカラグア、エルサルバドルといった近隣国とは天と地ほどの「格差」が開いた。


パナマ・シティに林立する高層ビル         (Photo:©Alt Invest Com)

「パナマ文書」の流出元

 パナマの金融機関については、実際に銀行口座を開設した風間真治氏のルポがもっとも詳しい。これによると最低預金額2000米ドル(約20万円)で担当者のつく「プライベートバンク」の口座を持てるようだが、日本からアメリカ経由で20時間ちかくかかる国に口座をつくっても使いこなせそうもないので今回は観光だけにした。

[参考記事]
●中南米最大のゲートウェイ「パナマ」で銀行口座を開設する

 せっかくパナマを訪れたので、最初に「パナマ文書」の流出元となった弁護士事務所モサック・フォンセカを見にいった。事務所は金融街の中心を走るニカノール・デ・オバリオ通りから住宅街にすこし入ったところにあり、事件直後は世界じゅうのメディアが集まったが、いまでは警備員が1人、所在なげに立っているだけだ。


「パナマ文書」の流出元モサック・フォンセカの入るビル (Photo:©Alt Invest Com)

ビルの1階と2階がモサック・フォンセカのオフィス   (Photo:©Alt Invest Com)

 モサック・フォンセカは、ユルゲン・モサックとラモン・フォンセカの2人の弁護士が1986年にそれぞれの法律事務所を合併して生まれた。

 フォンセカはパナマ生まれで、パナマ大学を卒業したあと、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学した。作家としても著名で、これまで4作の小説を発表しパナマの文学賞を受賞している。

 経歴としてはフォンセカより興味深いのがドイツ人のユルゲン・モサックで、南ドイツ・バイエルン州のフュルトで生まれ、1961年に13歳で家族とともにパナマに渡った。父のエルハルドはナチス親衛隊(SS)の元将校で、敗戦後は米軍の諜報機関の協力者となり、パナマではCIAのためにキューバの共産主義者の活動を報告していたという。そのため事件後は、多くのメディアがパナマ文書とCIAやナチス残党との関係を探ろうとしたが、息子のユルゲンが諜報員だった父の仕事や人脈とつながっている証拠は見つからなかったようだ。

 モサックとフォンセカは、500人以上のスタッフを抱え、世界40カ所以上に拠点を持つ法律事務所を育て上げたが、そのビジネスの根幹はオフショア法人の設立だ。高度の守秘性を約束された法人は脱税(租税回避)やマネーロンダリングに使われることが多く、顧客のなかにプーチン、アサド、カダフィなどの独裁者やその側近が名を連ねていたことから大きな注目と批判を浴びることになった。

 ただしパナマ文書はヨーロッパのクライアントが中心で、アイスランドの首相が辞任したり、イギリスのキャメロン首相(当時)が説明に窮したりしたが、アメリカや日本では政治家など著名人の名前は出なかった。

 そもそも日本では、政治家がタックスヘイヴンで資産を運用するというのはあまり考えられないし、仮にそういうケースがあるとしても利用するのはパナマではなくBVI(ブリティッシュ・ヴァージン・アイランズ)だろう。これは日本におけるタックスヘイヴン利用のスキームが、香港の金融機関にオフショア法人の口座を持たせるところから始まったからで、香港には法人設立を代行するたくさんの事務所があるが、彼らが紹介するのはほとんどがBVI法人なのだ。これは同じイギリスの旧植民地で、法制度が似通っているからだろう(その後、日本人富裕層の資産運用の拠点はシンガポールに移っていった)。

 それではなぜ、パナマ文書にアメリカの重要人物が出てこないのか? その理由はパナマの現代史を見ればよくわかる。

アメリカによって人工的につくられた国

 パナマと米国の関係は1940年代のゴールドラッシュから始まる。一攫千金の夢を追って東部から西部に大規模な人口移動が起こったが、そのときもっとも便利なルートは、大陸を陸路で横断するのではなく、フロリダ半島を船で南に下り、パナマ地峡を通って太平洋岸に出て、そこから北上して西海岸に到達することだった。

 西部劇でお馴染みの大陸横断鉄道は西部開拓のために建設され、1869年に開通した。だが実はそれより10年以上早い1855年に、米国はパナマ・コロン地峡横断鉄道の施設権を獲得し、二つの大洋を鉄道で結んでいる。それ以前は徒歩で山を越えるしかなかったが、大西洋側のターミナルであるコロン・シティ(現在は自由貿易地域=フリーゾーンになっている)と太平洋岸のパナマ・シティが鉄道で結ばれたことで、人と物資の流通は爆発的に増えた。

 ついで19世紀末には、スエズ運河建設に携わったフランス人実業家レセップスによってパナマ運河の建設が始まった。この構想は資金難で頓挫するのだが、それを米国大統領セオドア・ルーズベルトが引き継いで1914年にパナマ運河が開通した。

 この当時、パナマはヌエバ・グラナダ共和国(現在のコロンビア)の一部だったが、運河の建設が決まると米国はこの地域を切り離すことが得策だと考え、1903年にパナマを独立させた。その後、米国が運河の両岸を永久租借地として軍事施設を置いたことで、パナマは米国の半植民地のような地位に甘んじていた。だが第二次大戦後の1956年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化を断行すると、パナマ国民のあいだでも運河返還を求める声が高まった。

 その後、紆余曲折はあったものの、1977年にジミー・カーター米大統領が新パナマ運河条約に調印し、中立無差別な通行の保証と引き換えに2年後の79年に運河の主権をパナマに引き渡すことが決まった。ただし新条約では20年の共同管理期間が定められ、米国がすべての施設を返還したのは1999年12月31日だ。香港がイギリスから中国に返還されたのが1997年7月、マカオがポルトガルから返還されたのが1999年12月だから、それとほぼ同時期に中米でも「歴史問題の清算」が行なわれたことになる。


パナマ運河を通過する貨物船。ゲートの向こうは太平洋  (Photo:©Alt Invest Com)

 パナマ国民の米国に対する感情は複雑で政府も「親米」と「反米」のあいだを揺れたが、決定的な転機となったのが1989年12月の「パナマ侵攻」だ。

 パナマ軍の最高司令官で独裁者でもあったマヌエル・ノエリガはCIAの協力者だったが、その一方で1980年代からコロンビアの麻薬組織と組んで大量のコカインを米国に密輸していた。この事実が明らかになるとアメリカ(レーガン政権)はパナマを経済制裁の対象とし、パナマ運河の使用料の支払いを停止したためパナマ経済は大混乱に陥った。

 1989年の大統領選挙で反ノエリガ派の候補が勝利すると、ノエリガは軍を使って選挙を無効にし、暴動やクーデター未遂事件が発生した。レーガンの後を継いだブッシュ(父)大統領はこれを見て特殊部隊の派遣を了承し、6万人ちかい大部隊がパナマに上陸して約2週間の戦闘でノエリガを拘束した(その後、フロリダ州の裁判所で麻薬密売などの容疑で有罪となって収監、2010年にパナマに移送されても禁固7年の有罪判決を下された)。

 その後、米軍駐留下で民主化と法制度の整備が行なわれ、米国や国際機関の援助で経済インフラの建設も進んだ。米軍はパナマ運河の返還に合わせて99年12月に完全撤退するが、その頃にはパナマは中米のオフショア金融センターとしての地位を不動のものにしていたのだ。こうした経緯からわかるように、パナマという「国家」は、大西洋と太平洋を結ぶ交通の要衝にあったことで、超大国アメリカによって人工的につくられた。そんな国が米国の富裕層のマネーロンダリングや租税回避に手を貸して、米政府や司法・税務当局の不興を買うようなことができるだろうか。

 米国の「属国」であるパナマは、通貨を米ドルにペッグするのではなく、ドル紙幣をそのまま使っている(硬貨は一部、「バルボア」という自国で鋳造したものが使われている)。そのため米国人は、為替リスクをいっさい気にすることなくパナマの金融機関を利用できるが、その代わり口座開設時に、顧客情報はすべて米税務当局に通知されると告げられる。米国人にとってパナマに口座開設することは、米国内の金融機関を利用することと変わらない。――こうした事実を知れば、パナマ文書に米国人の名前が載っていないのは不思議でもなんでもないことがわかるだろう。


海岸沿いは遊歩道が整備され、市民がジョギングなどを楽しんでいる      (Photo:©Alt Invest Com)

スペイン人が関心を持ったのは大陸の反対側の海に出るルート

 ここでさらに歴史をさかのぼって、パナマ「誕生」の経緯を見てみよう。

 15世紀末にクリストファー・コロンブス(スペイン語ではクリストバル・コロン)によって「発見」された新大陸はふたつの大きな大陸が陸橋によって結ばれていて、パナマは南端の付け根に位置する。現在は「中米」という地域でくくられているが、歴史をたどると(現在の)ベネズエラ、コロンビア、エクアドルなど南米北部を占める「大コロンビア(グランコロンビア)」の一部だった。

 前回述べたように、1492年にコロンブスがカリブ海の島々(当時はそこは「インド」だと信じられたため、「西インド諸島」と呼ばれた)に到達すると、金鉱が発見されたイスパニョール島(現在のハイチとドミニカ共和国)に続々とスペイン人がやってくるようになった。「大航海時代」の幕を開けた冒険家たちはマルコ・ポーロの東方見聞録に出てくる「黄金の国ジパング」の伝説にとりつかれており、新大陸「インディアス」に莫大な黄金が眠っていると信じた。

[参考記事]
●コロンブスが「発見」した、中米ドミニカ共和国500年間の虐殺、植民地、独立の歴史

 当時、イスパニョーラ島には「タイノ人」と呼ばれた多数の原住民が暮らしていたが、スペイン人が奴隷として金鉱山で酷使し、疫病の流行もあって、たちまち人口の大半が死に絶えてしまった。そこで「征服者(コンキスタドール)」は近隣の(金鉱山のない)キューバ島、ジャマイカ島、バハマ島を次々と侵略して原住民を奴隷としてイスパニョーラ島に連行し、その結果これらの島々のひとびともほとんどが絶滅してしまった。

 その後、カリブの島はサトウキビの一大産地となり、無人の地にアフリカから大量の奴隷が送り込まれた。こうして現在では人口の大半が黒人(もしくは白人との混血)になり、人種が完全に入れ替わってしまったのだ。彼らはアメリカの黒人と区別して、「カリビアン(カリブ人)」と呼ばれている。

 スペイン人の関心は、次いで未開拓の大陸へと向けられた。そこにはさらに多くの原住民が暮らしており、一攫千金の機会が待っているはずだった。最初にスペイン人がとりついた地域がイスパニョーラ島を南に下った南米北部で、当時は「ティエラ・フィルメ(大陸)」と呼ばれた。

 征服者たちが探し求めたのは黄金だけでなく、大陸の反対側の海に出るルートだった。だが大陸南部(現在のブラジル)は、ローマ教皇の調停によって1494年に成立したトリデシリャス条約によってポルトガル領とされたため、スペイン人は立ち入ることができなかった(コロンブスの新航路発見で、海洋国家であるスペインとポルトガルのあいだで大西洋を分割することになったのだ)。そこで北に向かったものの、フロリダ半島から先に進んでも海岸線はえんえんと続き対岸に回り込むことはできなかった。

 だが1513年、スペイン人の探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアが現在のパナマ地峡を横断し、はじめて太平洋に到達した。これによって新大陸の太平洋側の拠点としてつくられた港がパナマ・シティだ。

 南米大陸は、太平洋側の海岸線に沿って標高6000メートルを超えるアンデス山脈が屹立しており、大西洋岸からアマゾンの熱帯雨林を越えて陸路で横断することは困難だった。現在のペルーを中心とした一帯には「インカ」と呼ばれることになる原住民の高度な文明が栄えていたが、太平洋岸を航海できるようになるまでスペイン人には知られていなかった。

 だがいまやパナマ港から船を出すことで、インカ帝国への道は開けた。こうして、フランシスコ・ピサロによる悪名高い「征服」が始まったのだ。


パナマの旧市街にある古い教会            (Photo:©Alt Invest Com)

原住民の膨大な犠牲によってつくられたパナマ・シティ

 ところで、パナマ・シティはどのようにつくられたのだろうか。

 当時は鉄道もなく、南米には馬やラクダのような大型の家畜もいないのだから、資材の運搬は人力で行なうほかなかった。すなわち、スペイン人によって奴隷化されたインディオ(原住民)が、大西洋岸に陸揚げされた荷物を太平洋岸まで担いだのだ。

「征服者」たちの蛮行を告発したドミニコ会士ラス・カサスは、その光景を次のように描写している。

「この無法者(征服者)はまた、船を建造するために無数のインディオを酷使し、死に至らしめた。彼はインディオに、北の海(大西洋)から南の海(太平洋)まで、距離にして130レグア(約700キロ)の道のりを、重さ3キンタルか4キンタル(140キロか180キロ)もする錨をかつがせて運ばせた。そのため錨の鉤がインディオの背中や肩に食いこんだ。同様に、彼は何も身につけていない哀れなインディオに数多くの大砲を背負わせた。私は、大勢のインディオが疲労困憊し、道中、喘ぎながら大砲を運んでいる光景を目撃したことがある」

 インディオの奴隷は首枷につながれていたが、倒れて動けなくなると枷をはずすのが面倒なので、スペイン人は剣で奴隷の首と胴体を切り離したという。そればかりかラス・カサスは、以下のような信じがたい光景を記している。


「彼(スペイン人の征服者)は連行したおよそ1万人か2万人のインディオには食事など与えず、その代わり、彼自身が捕えた敵側のインディオを食するのを許した。そういうわけで、その無法者の陣営には、人肉解体処理場のようなものがあり、そこでは、彼の立会いのもと、子どもは殺されて焼かれ、また、大人は殺されて、手足を切断された。人体のなかで、手足がもっとも美味だと考えられていたからである。別の地域に住むインディオはみな、人間業とは思えないその非道な行為を耳にして、あまりの恐ろしさに、どこに身を隠せばいいのか分からなくなった」(引用はともにラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』岩波文庫)。

 このように、パナマ・シティは原住民の膨大な犠牲によってつくられたのだ。

 ところで、こうした生まれたパナマの町は、現在はパナマ・ビエホと呼ばれる廃墟(歴史地区)になっている。1671年1月にイギリス人の海賊ヘンリー・モーガンに侵略され、火の海に包まれてしまったのだ(市の総督が自ら火を放ったともいわれる)。

 パナマ・シティはスペイン人がインカ帝国から略奪した黄金や、標高4000メートルのアンデス高地ポトシで発見された鉱山から採掘された大量の銀の集積地で、そこから陸路を大西洋岸に運ばれ、新大陸との貿易を独占していたスペインのセビリア行きの船に積み込まれた。この貿易によってパナマ・シティは栄華をきわめ、だからこそ「カリブの海賊」に狙われたのだ。

 その後、スペイン人は荒廃した町を捨てて、西南に10キロほど離れた場所に新しい町をつくった。これが現在の旧市街カスコ・ビエホだ。

 旧市街は金融街から徒歩30分ほどのところにあり、パナマ運河や歴史地区と並ぶ観光名所だが、途中が貧困地区になっているため旅行者はタクシーを使うよう勧められる。タクシー料金は地域ごとに定額で、旧市街までは10ドル、パナマ運河までは15ドルだ。

 貧困地区を除けばパナマ・シティの治安はきわめてよく、金融街や海岸のプロムナードを歩くのになんの不安もない。ただ街なかに見所があるわけではないので、観光目的だとすこし退屈かもしれない。


旧市街カスコ・ビエホのサンフランシスコ教会     (Photo:©Alt Invest Com)

橘 玲(たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、歴史問題、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。近刊『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)が30万部のベストセラーに。

●橘玲『世の中の仕組みと人生のデザイン』を毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中)
http://diamond.jp/articles/-/105876
 

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コメント
 
1. 2016年11月01日 00:50:41 : WMJxreUfvU : Ccp1ax_dgPI[103]
ドル105円をあっさり回復 >

マイナス金利サギで円高サギ

利上げ期待であっさり回復して当然。

まだまだ高過ぎ。



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