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スズキ修会長、トヨタ傘下入り狙い必死の「ラブコール」…トヨタは「迷惑」か(Business Journal)
http://www.asyura2.com/16/hasan117/msg/388.html
投稿者 赤かぶ 日時 2017 年 1 月 02 日 00:23:00: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

                業務提携交渉を開始したトヨタ自動車・豊田章男社長(左)とスズキ・鈴木修会長(右)  


スズキ修会長、トヨタ傘下入り狙い必死の「ラブコール」…トヨタは「迷惑」か
http://biz-journal.jp/2017/01/post_17629.html
2017.01.02 文=編集部 Business Journal


 2016年の経済界は、創業家の存在がクローズアップされた。かつて、多くの企業は創業者の親族が出資し、一族が経営するファミリー企業として出発した。やがて規模が大きくなり上場企業ともなると、創業家だけでマネジメントすることができなくなる。血縁優先だと業績も株価も低空飛行する。「会社は株主のもの」という企業統治が一般的になるなかで、創業家の存在は薄れてきた。

 16年は「物言う創業家」が力を強めた。セブン&アイ・ホールディングスや出光興産などでは、いまなお創業家が隠然たる力を持ち、経営陣と対立した。創業家畏(おそ)るべしだ。経済がグローバル化し経営の潮流が大きく変わっても、延々として世襲を堅持してきた企業が存在する。

 自動車メーカーのスズキは、そんな企業の代表例である。会長は鈴木修氏、社長は長男の鈴木俊宏氏。修氏というカリスマ経営者が経営の第一線から去った時、同社には何が起きるのか。はたしてスズキは世襲・同族経営を続けることができるのか。17年は、その行方に注目が集まる。

■業務提携交渉

 修氏とトヨタ自動車の豊田章男社長は2016年10月12日、トヨタの東京本社で緊急記者会見を開き、業務提携の交渉入りを発表した。ITや環境分野の先端技術などが対象。だが、その具体的な提携内容は、最後まで2人のトップの口から出てこなかった。「まだ見合いの段階」と豊田氏は話し、「具体的な内容の検討はこれからだ。まだ決っていない」と強調した。

 提携の発表文は、修氏の「(トヨタの)豊田章一郎名誉会長にまず相談させていただいた」とのコメントから始まる異例の内容となっている。

「『協力していただけないか』と、思い切って相談したのは9月。『協議していいのでは』と言っていただき、喜んだ」(修氏)

 章一郎氏は豊田章男氏の父親だ。

「修氏は技術開発などスズキの弱点や不安について章一郎氏に何度も相談しており、良好な関係にある」(トヨタ首脳)。

■スズキを救ったトヨタ

 トヨタがスズキの“危機”を救うのは、今回が初めてではない。

 1度目は1950年。全国で労働争議の嵐が吹き荒れたとき、スズキは資金繰りが急激に悪化した。創業者の鈴木道雄氏は、豊田自動織機社長の石田退三氏を頼り、2000万円の融資を受けて乗り切った。この年、石田氏はトヨタ自動車の3代目社長に就任した。石田氏はスズキを訪問し、社員を前に「スズキの経営に口を出すつもりはないので、安心して仕事に励んでほしい」と述べたと伝えられている。

 2度目は76年。東京で初の光化学スモッグ被害が発生したのを機に、排ガス規制が強化された。スズキは排ガス規制への対応が遅れ、クルマがつくれなくなってしまった。創業以来の深刻な経営危機に陥ったのである。この時、専務だった修氏がトヨタの5代目社長の豊田英二氏のもとに駆け込んだ。トヨタグループのダイハツ工業からエンジンを供給してもらい九死に一生を得た。

 こうした経緯があるからだろう。修氏は78年に4代目社長になった時、義父で2代目社長の鈴木俊三氏から「何かあったらトヨタに(駆け込め)」と申し渡されたという。現社長で息子の俊宏氏は、スズキに入社する前の約10年間、トヨタグループの大手自動車部品メーカー、デンソーで修業した。長男の俊宏氏を社長にした折りも、章一郎氏に俊宏氏を連れて挨拶に行っている。同業他社のなかで直接訪問して挨拶したのはトヨタだけだ。

 豊田家と鈴木家の親密な関係に、修氏は今回も頼ったことになる。トヨタグループの創業者、豊田佐吉翁とスズキの創業者、鈴木道雄氏の生誕の地は遠州(現在の静岡県西部)。創業家の出身者がトップを務めるなど、両社には共通点が多い。

■スズキの伝統は養子経営

 スズキには養子が経営を継承する伝統がある。1909年に初代社長の鈴木道雄氏が静岡県浜松町(現・浜松市)で鈴木式織機製作所を起こしたことに始まる。道雄氏の養子となった俊三氏が2代目社長、同じく道雄氏の養子の實冶郎氏が3代目社長に就いた。

 修氏も養子。58年に俊三氏の婿養子となり、鈴木自動車工業(現・スズキ)に入社。これは軽四輪自動車を立ち上げた時期と重なる。

 78年に修氏は4代目社長に就任し、インド政府の要請でインドに進出。インドのトップ自動車メーカーとなり大成功を収めた。修氏はスズキの中興の祖と呼ばれる。

 修氏は鈴木家の伝統に従い後継者にするため養子を迎えた。一口に世襲といっても、日本は中国や韓国とは大きく違う。中国や韓国では血のつながりを重んじるが、日本では必ずしも血縁でなくてもよいと考えている。日本では、家(いえ)を継承することが最も大事だと考えるからだ。その結果、娘婿が家業を継ぐというケースが増えた。

 ところが、修氏の事業継承ルールが完全に狂ってしまった。次期社長に就任すると目されていた娘婿の小野浩孝取締役専務執行役員が2007年12月に、膵臓がんのため52歳の若さで急逝した。以来約10年間、スズキは後継者を誰にするかが経営の最重要課題になっていた。

 そして15年6月30日、父から長男へと唐突に社長が交代した。俊宏氏が社長兼最高執行責任者(COO)に就き、父の修氏が会長兼最高経営責任者(CEO)となった。娘婿が経営するスズキの伝統からすれば、実子への継承は極めて異例のことだ。

■トヨタの思惑

 修氏がスズキのトップになった1980年代以降、ずっと“伴侶(提携先)探し”を続けてきた。「ナンバーワンの会社としか付き合わない」との方針で米ゼネラルモーターズ(GM)や独フォルクスワーゲン(VW)と資本提携したものの、いずれも破談となった。VWとは、国際仲裁裁判所の仲裁にまで発展。2015年8月30日、4年にわたるドロ試合に終止符が打たれた。そうなると修氏の最後の大仕事は、VWとの提携解消で引き取った19.9%のススギ株式の引受先を探すことだ。

 駆け込んだのは、やはりトヨタだった。

「表向きは新技術分野での提携だが、真の狙いはトヨタと資本提携してトヨタの傘下に入ることだ」(自動車メーカー首脳)

 養子経営の場合は「事業がすべて」ということが座標軸になる。世襲・同族経営にこだわらない。事業を続けるためにトヨタに経営権を渡すことも厭わないということだ。

「息子を社長にするのは、いつでもできる。だが、経営者にすることはできない」

 ダイエーの創業者、中内●【編注:工編に刀】氏はこんな言葉を遺した。傑出した経営者である修氏は、この言葉の意味が痛いほどわかっている。俊宏氏は本当に社長の器なのか。技術競争が激化している“世界自動車ウォー”の最中に、俊宏氏に経営のカジ取りを任せておいて大丈夫なのか。修氏の最後の賭けは、トヨタとの提携だった。

 とはいっても、婚約・結婚は相手のあることだ。「トヨタの章男氏は、父・章一郎氏が仲介したので渋々見合いはしたが、結婚する気はない」(業界関係者)というのが、大方の見方だ。

 修氏の最後の賭けは成就するのであろうか。17年の年央には、おぼろげながら結果が見えてくるだろう。

(文=編集部)
 

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コメント
 
1. 2017年1月02日 23:51:56 : C4nhwMcfAc : pXB8iz5IT_Y[193]
スズキの鈴木修社長は、自らを「オレは中小企業のおやじ」だと称している。確かに日本ではトヨタ、日産より小さいし、主力車種が「軽自動車」だから、中小企業だと思っていてもおかしくない。だが、スズキの生産規模は年間288万台(2015年)に達しており、フランスのプジョー・シトロエンに次ぐ世界第9位である。全然、中小企業なんかじゃない。立派な巨大自動車メーカーなのである。

今や世界の10指に入る巨大メーカーが、トヨタの傘下に入るというのは、当然の事ながら世界各国の独占禁止法令に違反していないか審査することになるし、実際かなり難しいと思う。電機メーカーのパナソニックと三洋電機が合併したときもそうだった。中国大陸の審査が長引いたのである。

トヨタの完全子会社ダイハツの軽自動車とスズキの軽自動車を合わせた日本国内軽自動車シェアは、8割に達するのではないか。乗用車ならホンダも健闘しているが、商用車に限ればダイハツ、スズキでほぼ市場を抑えている。

ダイハツはスバルにOEM供給しているし、スズキは日産、三菱、マツダにOEM供給している。このような状況では、スズキとトヨタが手を組むというのは難しい。悪く行けば、軽自動車制度の存廃まで行ってしまう。

かつてスズキは、排気ガス規制の頃にトヨタに助けてもらった前例はあるが、あの頃は現在と比較にならないほど会社の規模は小さかった。まだインドに進出する以前だ。海外では、自動車と言うよりバイクのメーカーだと思われていた時代である。

1980年代に入り、鈴木修氏がインドに進出を決めたり、アメリカのGMと提携して、「スズキはGMに呑み込まれるぞ」と言う下馬評を跳ね返し、GMを巧みに利用しながら自らの生産規模の拡大を図っていったのである。これまでGMに接近していった自動車メーカーは呑み込まれる運命だったが、それを覆した鈴木修社長の経営手腕は、やはり「只者ではない」ことの証明である。

その鈴木社長だが、自分の息子に経営を任せようとしても、やはり「物足りない」のであろう。自分が事実上、一代でここまで巨大化した自動車メーカーを、このまま維持できるのか、心配で夜も寝られないのではあるまいか。

その心配から、鈴木修社長は、トヨタに提携話を持ちかけ、あわよくば傘下に入ろうと考えたのであろう。だが日本国内だけを見ていれば、スズキは確かにトヨタより小さい自動車メーカーではある。しかし世界的観点に立てば、そういうものじゃないことに気づくだろう。

●同族経営で知られている自動車メーカーと言えば、世界のフォードがある。フォードは、大量生産車モデルTで世界中に自動車を普及させた。その功績は世界の歴史に燦然と輝いているのだ。そのフォードも、1970年代後半から深刻な経営危機に陥り、同族経営をやめた時期がある。ドナルド・ピーターセン氏が社長に就任し、歴史的な経営改革を行ない、見事にフォードを甦らせたのである。

どうしてフォードの話をしたかであるが、同社もGMとの合併を揶揄されたことがあったからだ。だがアメリカの反トラスト法(独占禁止法)は極めて強力であり、絶対に通ることはなかった。だから、優秀な人材に経営を任せて、自らの力で経営を再建したのである。

スズキに必要なのは、トヨタとの提携よりも、外部の優秀な人材を見つけ出して、経営を任せることだろう。問題は、そのような人がいるかであるが。


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